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解決済みの質問

武士道における死

よく日本の戦争映画などで自決をするにあたって武士道が引き合いにだされますが、武士道において死というものはどのようにとらえられていたのでしょうか?本当に潔い死をよしとしたのでしょうか?ご回答よろしくお願いします。

投稿日時 - 2006-12-11 17:19:22

QNo.2594465

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

武士道は一種の全体服従の洗脳教育なので、本当に潔い死を良しとしたのかはどうかとは思います。

ともあれ武士道が死と「直結」しているのではないと思います。
死という方向に向かせている。それを洗脳というのですが。

4さんの意見に大抵同感であります。
恐らく、徳川幕府の絶対忠誠を誓い、徳川政権を磐石にするための官僚育成の為に完成させたモノが「武士道」だと思います。
そもそも、合戦では兵士は軽々と敵味方を裏切ります。
それではダメだ。というわけで作ったのが合言葉は旗本8万騎。
旗本というもの自身は古くからあり、戦国大名も持っていましたが、
徳川は特に強固に作ったモノだと思います。
徳川の為に絶対服従を誓わせた直参の親衛隊。
後は彼らを幕府を支える官僚要人教育をさせていく。
大名にも勝るとも劣らぬ特権すら持っています。
戦国150年にも渡り人心の恐ろしさが跋扈したのです。
平和で裏切りの無い世の中を目指したのは当然なのでしょうが。

それを各藩が倣って普及させたものだと思います。

ちょっと普及させすぎたのか赤穂浪士の事件もありましたね。
逆に考えればそれほどまでに「教育・普及」させたのでしょう。

このノウハウを受け継いだのが明治政府。
明治政府その物が徳川幕府を近代国家風に再構築した政権ですからね。
証拠は明治の高官は殆ど武士道を教育された「下級武士」です。
高級武士は武士道はとっくに捨てています。
残念ながら、武士道を知りつつも武士道を否定した坂本竜馬は倒されています。
大久保利通でさえ武士道の洗脳は解けがたく、主君島津に対して並ならぬ感情があります。
やはり、制度が崩壊しても精神は簡単には無くならないということでしょうか。
それと4代将軍徳川綱吉は「武士道」精神でテロを起こした赤穂浪士に対し畜生呼ばわりして打ち首にしろと命じております。実行はされなかったのは武士道教育された老中ら「官僚」の反発があったからだそうで。

確かに死を乗り越えるためには洗脳だと思います。
明治時代、お蔭様で世界の軍隊の中で発砲率が高かったのは旧日本軍だったんですから。
太平洋戦争でアメリカを陸戦で苦しめたのはその発砲率の高さからです。
味方同士の発砲は、日本は上官が部下への発砲が多く、
日本以外の外国は部下が上官を発砲する方が高かった。

戦争映画を見れば外国はよく上官が撃たれてるでしょう?
日本映画では簡単に出来ないと思います。

投稿日時 - 2006-12-12 03:06:44

ANo.5

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回答(6)

ANo.6

こんにちは、sum41chuckさん。武士道という言葉を世界に紹介した、新渡戸稲造の「武士道」を読んでみてはいかがでしょうか。それと、有名な「葉隠」。こちらは、読みにくいでしょうから、隆慶一郎さんの「死ぬこととみつけたり」をお読みください。佐賀鍋倉藩のあととり、お家騒動なのですが、でてくる武士が、本当に、いくさ馬鹿としか言いようがない。当時の人間の死生観が、少しわかる気がします。主君から死を賜るのは、最高の名誉だそうです。それも、主君を諌めて、主君と藩士の危機を救うために命を捧げる。すこしも暗くないですね。あかるく、あたたかく、ほのぼのとしますが、現実は、だらしなく、役立たずのおじさんが登場します。

投稿日時 - 2006-12-13 11:07:36

ANo.4

アメリカで使える伝統空手と護身術を教えている者です。

武士道は、このカテで何回か書きましたが、ちゃんばら映画で見るような、ものではなく、徳川政府が侍と言う「政府の事務員・役員」と各藩を管理する為に作られたもの、つまり、洗脳なのです。

つまり、お前は武士だから~、としつけされたわけでその発祥の地と言うのが徳川幕府だったわけです。

幕府にとって、これほど都合の良い庶民とは違う階級にいるという誇りを持たせながら忠誠を誓わせるという事は安全保持以外のものはなかったわけです。

つまり、新しい価値観を作り上げ、作られた一貫した価値観によって従業員の「スト・反逆・寝返り」などスラ考えさせない「社会制度」を作り上げていったわけです。

しかし、明治維新ごろには結局武士道の矛盾に気がつく侍が出てきたわけです。 当然ですね。 見返りのないものに対し自分のすべてを投げ出すだけのものを幕府が持っていないと見え始めたのですから。

しかし、同じ事を明治から昭和にかけての「軍隊」に使ったわけです。 それも、急速に押し付けたわけです。 ただ、幕府・政府に対しての武士道ではなく天皇に対しての武士道として「都合の良いところだけ」を使ったわけです。

よって急速に押し付けられ(洗脳された)兵士の中にはその矛盾を感じた人も多くいたと思います。 しかし、家族のことを思ったりすると、その矛盾をも捨てて自分を殺していった人はいるはずです。 ちょうど、自分の息子を送り出すときにみんなの前では万歳をして送り出した母親たちみんなが本気で死に送り出したとは私には考えられません。

しかし、武力での死を見てきたり、自分か相手の死を決めなくてはならない判断を教える立場にいる私にとって、死を怖がらなくなる力は「洗脳」によってぶち壊すことが出来ると私は信じています。

よって、自分の死を清いものだと自分に悟らす様に洗脳することはそれほど難しいものではないと思います。

武士道と言う矛盾の上に作られた「道徳」をうまく使ったわけですから「潔い死をよしとした」事は理解できると思います。

さて、この死について日本人のどれだけの人が、刀による死、と言うものがすさまじいものであるか体で感じる人がいるかと言うとほとんどいないと思います。

私は居合い道をしていますが、もし、日本でも映倫や映像道徳なるものを今日一日無視してちゃんばら映画を見せたら日本人の多くは武士と言う戦国侍が徳川政府事務員とは違うものであるかお分かりになってもらえると思います。

日本人の多くは日本刀の優れた切れ味の事は知っています。 しかし、その切れ味とはどういうものであるか実感として感じることはないでしょう。 横一文字に「暴れ棒将軍」が「悪者」の腹を切る、と言う事はどういうことでしょう。 袈裟切りはどうでしょう。 忠臣蔵のテロ行動で殺された護衛侍の体はどう雪の地面に転がっていたでしょうか。

切腹してもほとんどが20分は死なないままでいる状況をテレビで切腹したらすぐ息が絶えてしまうことしか見せてくれなかった今の日本人にどうやって、自決の難しさが分かるでしょうか。

出来るだけ、グロテスクなシーンを浮かべないように書いたつもりですが、体を切り裂かれた人を見たことがなければ「日本刀のすばらしさ」と言う表現に何の違和感を感じてはくれないと思うのでこういう形で書かせてもらいました。

映画と言う作り物の中で美談化された武士道と言う名前の下での自決は実際とは大きな差があると言うことは言うまでもないと信じる私の自己主張でした。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

投稿日時 - 2006-12-12 01:20:40

ANo.3

江戸時代、政治上の必要性から、儒教を導入して「主君に忠誠を誓う」という価値観をオフィシャルなものにします。

「ハラキリ」に代表される様式美重視の武士道は、「忠義」の正当性を「美しい生き方」にすりかえる中で生まれてきたように感じられます。

それは、明治政府が、一度は否定した武士道を、軍国主義の精神的なバックボーンとして再び取り入れていることでもわかると思います。

「死の恐怖」は武士にもあったのだと思います。
多くの武士は、武士道教育をしっかり受けたために、やせがまんをして、ためらいなく死を受け入れているふりをしていてたのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

少なくとも、特攻隊員のうちの何割かは、そのような状態だったようですから。

投稿日時 - 2006-12-11 23:02:55

ANo.2

たまたま最近読んでいた本(川嵜克哲「夢の分析」)に武士道関係のことが少し触れられているところがあって、そこでは、近代的な「私」という「主体」のあり方が、前近代的な武士の主体のあり方と比較されていました。ちょっと引用します。

「武士にとって「魂」である刀や家紋などもまたしかり。当時は、武士という個々人よりも刀や家紋の方に主体があったといえるだろう。だからこそ、彼らはそれを守るために己の命を投げ出すことさえあったわけである。」

前後を読まないと何のことかわからないと思いますが(笑)、現代人が当たり前と思っているこの「個々人のかけがえのない私」という主体は当時はなく、そういう意味で当時の武士は、死ぬことによって「私という主体」がなくなってしまうという感覚、恐怖は、現代人が考えるほど深刻なものではありえなかった、ということだろうと思います。

投稿日時 - 2006-12-11 17:53:21

昨日のラスト侍を見たようですね。
私はいまちょうど、武士道を調べていました(笑)

>自決をするにあたって

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93
武士の発生以来、武士道の中核とされる主君に対する倫理的な忠誠意識は低かった。これは中世期の主従関係が、主君と郎党とのあいだでの契約関係であり、「奉公」は「御恩」の対価であるとする観念があったためである。すくなくとも室町末期ごろまでは、後世に言われるような「裏切りは卑怯」、「主君と生死を共にするのが武士」、「君、君たらずとも、臣、臣たるべし」といった考え方は主流ではなかった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E8%85%B9
切腹は、平安時代末期の武士である源為朝(1139年(保延5年) - 1177年(嘉応2年))が最初に行ったとされている。鎌倉時代に武士の習慣と武士道が広まるに従って定着し、中世から近世を通じて行われた。ただし、平家一門が壇ノ浦の戦いで入水自殺したように、武士の自決が全て切腹であったわけではない。

端的に言えば、
徐々に広まっていったが、近代化に伴い禁止された。

投稿日時 - 2006-12-11 17:25:24

お礼

いえ、ラストサムライではなく、『硫黄島からの手紙』を見てちょっと疑問に思ったんです。なるほど、武士道というと死と直結しているようなイメージがあったのですが、やはり違うようですね。ご丁寧な回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2006-12-11 17:35:09

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