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解決済みの質問

「武士」と「武家」の使い分け。

深く考えずに「武士」を主に使っています。
「武家」とするのは、武家諸法度、武家屋敷、武家政権、武家地(町人地に対して)、武家物くらいです。
山川出版社の教科書『詳説日本史』の近世の説明では、圧倒的に「武士」が多いです。

「武士」と「武家」の使い分けを教えてください。
歴史用語としての決まりはあるのですか。

上記教科書の「武士」「武家」の使用例を参考までに。

1.1683(天和3)年に,綱吉の代がわりの武家諸法度がだされ,その第一条は「文武忠孝を励し,礼儀を正すべきこと」に改められた。これは武士にそれまでの「弓馬の道」の武道にかわって,主君に対する忠と父祖に対する孝,それに礼儀による秩序をまず第一に要求したものであった。

2.近世社会は,身分の秩序を基礎に成り立っていた。武士は政治や軍事を独占し,苗字・帯刀のほかさまざまの特権を待つ支配身分で,将軍を頂点に大名・旗本・御家人などで構成され、主人への忠誠や上下の別がきびしく強制された。天皇家や公家,上層の僧侶・神職らも武士と並ぶ支配身分である。

3.近松は京都近くの武士の出身であったが、(略)

4.幕府は儒学による武士の教育を奨励したが、(略)

5.民間でも、武士・学者・町人によって私塾が開かれ、(略)

6.安藤昌益は『自然真営道』を著わして、万人がみずから耕作して生活する自然の世を理想とし、武士が農民から収奪する社会や身分社会を否定し、封建制を批判した。

よろしくお願いします。

投稿日時 - 2015-11-08 19:47:43

QNo.9077167

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

> 「武士」と「武家」の使い分けを教えてください。

 基本的には、武士は個人、武家は「公家」の対語ですので「家柄」のことです。あくまでも「基本的には」、ですが。

> 歴史用語としての決まりはあるのですか。

 上記のような基本はあっても、「決まり」はナイと思われます。TPOですね。

 例えば、両刀を腰にさした武士が歩いているとします。町人である質問者さんが彼に声をかけて振り向かせたいときどう呼びかけるべきか、というと、「そこのお武家様」と呼びかけます。

 明らかに個人を呼び止めているのであって、その人の家柄を問題にしているのではないので、理屈的には「お武士様」と呼びかけるべきですが、「お武家様」と呼ぶことになっています。

 逆に、「士農工商」のときの「士」は、特定の個人が農工商身分の上に立っている、というのではなく、武士の家柄に属する者たちが・・・ ということなので、理屈としては「武家農工商」「武農工商」とでも言うべきところですが、ゴロの問題その他から「士農工商」と言い習わしています。

 また、経験的に「階級」という言葉が付くと、「武家階級」とは言わず「武士階級」と言い習わされているように思います。


1.「武家諸法度」が「武士諸法度」でないのは、公家諸法度に対する法律で、固有名詞なのでしかたがないでしょう。
 その中の説明で『これは武士にそれまでの』と、「武士」が使われているのは、法律名が武家諸法度なのですから、本来は「これは武家に」とすべきではないか、と個人的には思います。
 が、「武士の一人一人に」という意味を込めたいなら、「武士」という言葉でもOKかなと思います。

2.『武士は政治や軍事を独占し』は、それまでの、藤原氏などの「公家」が検非違使などを使って支配していた体制との区別を念頭に置いて、「武家」を使うべきところだと思います。
 が、上述の通り「武家階級」とは言わず、「武士階級」と言い習わされてきたので、武士という言葉をつかうのも、しかたないか、とは思います。

3.これも、武家でしょう。戦いを仕事とする家柄の出、という意味ですから。
 が、「武士階級」の意味(省略形)だと思えば、しかたないか、とは思います。

4.これは、武士という人間一人一人を教育した(家柄に教育はできない)、というニュアンスを感じるので、武士でOK。

5.武士階級の学者もいるし、町人の学者もいるので、『武士・学者・町人』と並べることが間違い。当時、私塾を開けるような人物は、社会的身分がなんであろうと、すべて学者でしょう。「カネを出して」という意味なら、学者(貧乏)を入れるのはおかしい。

 「町人」が階級・家柄の呼び名であることを考えると、『武家』にすべきもの。
 が、あくまでも武士個人が私塾を開いた、と考えれば、「武士」とするのもOKかな。

6.この『武士が農民から』は、本来は武家であるべきですが、繰り返すように、「武士階級」と言いたいのだろうと思われますので、武士でもOK。

投稿日時 - 2015-11-09 00:56:33

補足

山川出版社の教科書『詳説 日本史』には次のような記述もあります。

「将軍のお膝元」である江戸には、幕府の諸施設や全国の大名の屋敷(藩邸)をはじめ、旗本・御家人の屋敷が集中し、彼らの家臣や武家奉公人をふくめ、多数の武家が居住した。

「多数の武家が居住した」とありますが、感覚的には「武士」の方がすっきりするのでは、と悩んでいます。

投稿日時 - 2015-11-09 20:23:06

お礼

ご回答ありがとうございます。

>基本的には、武士は個人、武家は「公家」の対語ですので「家柄」のことです。
>あくまでも「基本的には」、ですが。

一つ一つの項目別に説明してくださったのでよく分かりました。
そして、「士農工商」「武士階級」のように言い習わしている用語は、それに従えばよいということですね。

投稿日時 - 2015-11-09 20:22:06

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回答(8)

ANo.8

山川出版社の教科書『詳説 日本史』の記述に関してですが、あくまで江戸に集まっていたのは大名家や旗本家としての「集団」を指します。

そして、勘違いしやすいのは江戸にある武家屋敷は「幕府が与えたもの」という前提になります。「xx守何某家」に「江戸なんとかの屋敷を与える」と言う形です。これは個人に与えているのではなくて、あくまで「xx守何某衛門の何某家」に対して渡す(これは「世襲」と「家督」の問題です)ためです。
当時の家(特に武家)の考え方は、「家督」に「称号・財産・配下など」が含まれており、当代の主が死亡しても、家督を譲れる条件が揃っている人物があれば、その人物へ家督も移動します。
東京太郎という主がいて、この人は大名で「東京藩」を治めていたとします。そして嫡男に東京二郎というのがいたとします。何かの問題で太郎が死亡すると、嫡男の二郎に「東京藩」も引き継がれます。生前に家督を譲っている場合も同様です。

なので、江戸には多くの大名(藩主)の「名代」や「自身」が住み、またこの配下の武士やその家族も住んだり働いたりしていたので、「武家が多く住んでいた」という記述にしていると思われます。
武士が多く住んでいたというのは間違いではありませんが、あくまで「武家がたくさんいたから、武士がそれに応じて多く住んだ」ということを言うことになるので、「武家(自身と家族、配下とその家族もひっくるめて)が住んだ」と記述することになります。

現代で武家屋敷というと、下級武士(武家の家柄ではないが、武士である人。xx家の配下の武士単体のこと)の住まいである侍屋敷も含めることが多いですが、厳密に武家屋敷とは「xx家の屋敷」を言います。

投稿日時 - 2015-11-09 20:50:00

お礼

ご回答ありがとうございます。
よく分かりました。

>なので、江戸には多くの大名(藩主)の「名代」や「自身」が住み、またこの配下の武士やその家族も住んだり働いたりしていたので、「武家が多く住んでいた」という記述にしていると思われます。

私もじっくりと読んで、考えてみたのですが、おっしゃるとおりだと思います。
納得しました。

投稿日時 - 2015-11-10 19:56:18

武家には士と卒の区分がありました。

士分 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/士分
(抜粋)
諸藩には「騎士(侍)・徒士(かち)・卒または足軽」と藩士を3階級に分ける制が見られるが、このうち上層2身分(騎士と徒士)が士分とされる。騎士(上士)は騎乗を許された上層武士であり、例えば広島藩浅野家の場合、100石以上の知行を与えられた武士がこれに当たるとされた。徒士(下士)は公的に騎乗を認められない下層武士であり、卒は歩卒を原義としており足軽を指す。騎士は知行取り、御目見得であるのに対し、徒士は蔵米取り、御目見得以下とされており、幕府でいえば旗本が騎士、御家人が徒士に対応する。足軽以下は「軽輩」などと呼ばれ、士分とは見なされないため、両者の間には大きな境界線があった。

土佐山内家ではこの士も上士、下士と区分していました。
下士は上士に対して雨中土下座などを要求されました。
参考
土佐藩の階級制度 - 坂本龍馬人物伝
www.ryoma-den.com/shiryou/seido.html

上記の土佐山内家の下士に相当する郷士も幕府、諸般で取り扱いが異なっていました。
簡単に言えば武家と百姓の中間身分です。
新撰組はこの郷士の集団で近藤勇も板橋で処刑される際に、土佐の連中の主張で切腹ではなく斬首されました。
参考
郷士 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/郷士

八王子千人同心 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/八王子千人同心
(抜粋)
千人同心が武士身分であったかについては疑問も多い。従来は千人同心だったもの達の主張に従い武士(御家人)だったというのが通説であったが、近年に入り現存する史料などの研究が進むと、武士身分としての実態が伴っていなかったことが判明してきている。
例えば、千人同心は苗字を公称することがゆるされておらず、帯刀についても公務中のみと制限されていた、そして同心の家族であっても帯刀はゆるされず、引退した同心経験者であっても同心職を退いたならば帯刀は出来なかった。さらに同心職の譲渡にあたっても養子縁組を擬制することなく同心職のみが継承された。

薩摩島津家ではこの郷士も含めて武士とする一方で農耕ににも従事していました。
(参考)
薩摩藩と武士 - 起点3.11 - はてなダイアリー
d.hatena.ne.jp/falken1880/20150630

明治初期の戸籍制度制定の際にも士族を当初は武士のみとしましたが、下士や郷士の反対が多く卒まで含めることになってしまいました。
卒の範囲が広いために、卒を含めた結果武家奉公人までもが戸籍上士族となりました。
(参考)
武家奉公人 - Wikipedia - ウィキペディア
ja.wikipedia.org/wiki/武家奉公人

江戸時代の藩幕制度は現代で言えば独立国の集合体です。
現在のEUが最も近いイメージです。
幕府も現代のような中央政府ではありません。
正式な中央政府はあくまでも京都朝廷でした。
徳川家が中央政府である朝廷の委託を受けて大名の統制を行っていただけです。
この統制を行う際に徳川家の統治機構が幕府とされていただけです。
従って、各大名家は独自の法制度を持っていました。
身分の取り扱いも当然違います。

徳川家の統治機関である幕府を議論するのか、全国を江戸時代として議論するのかで観点が違ってきます。
EUについて議論するのかドイツについて議論するのか、と同じ問題です。
この点をご理解頂きませんと幕末の大政奉還の意味が全く不明になります。

特定の史料の個々の文言の字面だけに拘泥せずに時代の全体を鳥観されることをお薦めします。

蛇足
幕末江戸へ入った薩摩兵が真っ先に願い出たのが袴の着用です。
兵農分離が徹底していなかった薩摩では逆に袴の着用は限られた階層に限定されていました。
江戸では袴は現代のサラリーマンのネクタイのようなもので、武家であれば当然着用していました。
浪人者がいかに生活に困窮していても袴をてばなさなかったのはこの為です。
上野の西郷像などは江戸っ子には意味不明でした。
「ねまきを着て犬つれてありゃナンダ」ということになります。

投稿日時 - 2015-11-09 13:01:44

お礼

ご高説承りました。

投稿日時 - 2015-11-09 20:26:00

ANo.6

簡単なことですが

武士…個人
武家…武士団の家(例えば徳川家とか 団体で武士をあらわす呼称)

投稿日時 - 2015-11-09 12:36:55

お礼

ご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2015-11-09 20:24:53

ANo.4

Q、「武士」と「武家」の使い分けを教えてください。
A、以下のような感じでは・・・。

武士:a samurai
武家:a samurai family;the samurai class

family:家柄
class:階級

武家は武家諸法度、武家屋敷、武家政権、武家地、武家物といった家柄や階級を表現する固有名詞、熟語で用いる場合に限定される。例外的に、武家の奥方、お武家様と身分・家柄の尊称表現として使う場合もある。以上のケースを除いては武士という単語を用いる。なお、個々人の出自とか身分を表す時には武士を用いて構わない。

まあ、たった今考えたルールだが、当たらずと言えども遠からずと思う。

投稿日時 - 2015-11-08 21:18:23

お礼

ご回答ありがとうございます。

この「ルール」に同意しますね。
私も、熟語では「武家」とした方がしっくりすると思っていました。
「武家の奥方」も、「奥方」とするには「武士」より「武家」の方がしっくりします。
呼びかけは「お武家様」または「お侍様」ですね。
読んだときの”しっくり感”が大事ですね。

投稿日時 - 2015-11-09 20:18:15

「武家」という言葉は時代によって対象が変わります。詳しくは以下のページを見て頂くとして、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6

今回の話題になっている江戸時代では「武家」とは武家官位を持つ家系のことを言います。諸大名や上層武士(旗本)には従五位下以上の官位が与えられましたので、これらの家系の人達と言うことですね。

1. 武家諸法度は、官位を持つような諸大名ら上流階級に対する法度です。
  官位もないような末端武士はお呼びではありません。
2. 末端武士も含む説明なので武士ですね。
3. 武士だけど「武家」を名乗れるほど上流階級ではない、ということです。
4. 末端武士も含む説明なので武士ですね。
5. 末端武士も含む説明なので武士ですね。

現在では「官位」というもの自体を知っている人が少なくなったので、武家と武士の違いがあいまいになっているのが実情でしょう。

投稿日時 - 2015-11-08 20:22:43

補足

山川出版社の教科書『詳説 日本史』には次のような記述もあります。

「将軍のお膝元」である江戸には、幕府の諸施設や全国の大名の屋敷(藩邸)をはじめ、旗本・御家人の屋敷が集中し、彼らの家臣や武家奉公人をふくめ、多数の武家が居住した。

「多数の武家が居住した」とありますが、感覚的には「武士」の方がすっきりするのでは、と悩んでいます。

投稿日時 - 2015-11-09 20:12:32

お礼

ご回答ありがとうございます。

>今回の話題になっている江戸時代では「武家」とは武家官位を持つ家系のことを言います。
>諸大名や上層武士(旗本)には従五位下以上の官位が与えられましたので、これらの家系の人達と言うことですね。

なるほど! そういうことですか。
よく分かりました。

投稿日時 - 2015-11-09 20:11:21

ANo.2

個人などの「人」を指すか、家柄などの「家」を指すかで使い分けられるべきです。

武士は人を指します。武家は昔の「家」制度、つまり「家柄」や「家系」を言います。

武士は人を指すので「浅井長政」や「小早川秀秋」などの個人を指すことが多いです。不特定の「人」をさすときは武士と使います。例えば「浅井長政に仕える山田何某という武士が・・・」とかですね。

武家は家を指すので、「浅井家」とか「小早川家」とかを言います。家の場合はそのときの家長(家督を受け継いだ者)を代表とします。この武家ですが、例えば「小早川家」と言った場合は、小早川家で「小早川」を名乗っている人だけではなく、これに仕えている人やその家族までをひっくるめることがあります。時代によりますが、武家諸法度の時代の「武家」とは官位を持っている武士の家についてを指します。つまり、将軍家をはじめとして、大名家や旗本家が「武家」になりえます。平民からする武家の武士を「お武家様」などといいます。
勘違いしてはいけないのは「毛利家」配下の「小早川家」は両者とも武家ですが、「毛利家」の一端の足軽の家は通常は武家に当たりません。あくまで「官位によって」家柄として一定の条件を満たしている家が「武家」と呼ばれます。

投稿日時 - 2015-11-08 20:20:53

補足

山川出版社の教科書『詳説 日本史』には次のような記述もあります。

「将軍のお膝元」である江戸には、幕府の諸施設や全国の大名の屋敷(藩邸)をはじめ、旗本・御家人の屋敷が集中し、彼らの家臣や武家奉公人をふくめ、多数の武家が居住した。

「多数の武家が居住した」とありますが、感覚的には「武士」の方がすっきりするのでは、と悩んでいます。

投稿日時 - 2015-11-09 20:09:28

お礼

ご回答ありがとうございます。

>個人などの「人」を指すか、家柄などの「家」を指すかで使い分けられるべきです。
>武士は人を指します。武家は昔の「家」制度、つまり「家柄」や「家系」を言います。

なるほど! そういうことですか。
よく分かりました。

投稿日時 - 2015-11-09 20:07:17

ANo.1

kouki-koureisya さん、こんばんは。

武士というのは本当の侍だけのことです。
武家というのは武士である当主、その家族、家臣、奉公人まで入ります。

投稿日時 - 2015-11-08 20:17:59

お礼

ご回答ありがとうございます。
簡潔に言えば、そういうことなんですね。

投稿日時 - 2015-11-09 20:05:17

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