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解決済みの質問

「情報」の定義

「情報」を定義してみてください。
情報はなかなか定義が確立されていないようで。
分野によって定義もまちまちといった感じなので、
なるべく普遍的な回答が望ましいですが、
固い回答でも軽い回答でもOKなので、お待ちしております。

投稿日時 - 2004-09-30 11:36:01

QNo.1022823

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

分野を越えて「情報」というものの本質を定義することは、いささか暴挙の感が否めませんが、強いて述べるなら「意味」とほぼ同義になってしまうのではないでしょうか。
ただ「意味」が静的であるのに対し、「情報」は動的なニュアンスを含んでいるという差はありそうです。

「意味」は留まった属性のままであり続けるかもしれない。
「情報」は、発信され送信され受信される対象であり、その指し示すものは「意味」に他ならないが、意味に所有主を持つという考えが加わり、その所有可能者の視座で「意味」なるものを捉えているところが、単なる「意味」とは異なる。いわば「意味」の所有格的な言葉とも言える。この辺りから「情報」の定義を考えると、

★「情報」とは、所有主に解されることを期待された「意味」のことである

と言えましょうか。
(「意味」は既に誰かが定義済みでしょう)

幾つか考察を足しますと、
#2お礼の「意志が介在していない情報」は(私に言わせれば)情報ではなく意味です。リンゴが赤いことも情報とはしません。せいぜいが、緑の中で目立って実を食ってもらい種を遠くへ運んでもらいたいという意味どまりです。

「イルカは超音波で前方の『情報』をキャッチしている」という使い方から、情報を扱うのは人間に限らない、情報の扱い手は複数である必要はない、という見解に賛成です。

「宇宙から届く電波に異星人からの『情報』がないかを探すSETIプロジェクト」という使い方から、人間がどうこうは関係ないように思います。異星人同士が情報交換してるかもしれないし。また、受け手が実在するかも関係ないといえます。

「人類も素数やオイラー定数を宇宙の彼方へ『情報』発信した」という使い方から、受け手の認識を経なくても情報として扱うことに賛成です。

投稿日時 - 2004-10-03 00:40:05

お礼

回答ありがとうございます。

ご意見を拝読した最初の印象では「意味」は「情報」より上位にあり、より原始的なように感じました。「情報」は「意味」というカテゴリに内包されるようにも感じました。

意味=静的な情報 と解釈しましたが、いかがでしょうか? 「赤いリンゴ」も、わざわざ「静的な情報」と言わなくても、単純に「情報」と呼ぶことは言語的に自然なように感じますが・・・。しかし、「意味」ととらえても問題はないようですね。うーん。難しいです。

ただ、意味と情報には相違点が多々あると思っています。私の情報に関する研究は、定義だけではなく、信頼度や性質や特徴といった側面からもアプローチしているので、意味が情報とほぼ同意であること、意味が静的で、情報が動的であることを示唆して頂いたことは今後の研究に役立つかもしれません。ありがとうございます。

投稿日時 - 2004-10-03 20:00:45

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回答(30)

ANo.30

>>『「情報」とは「自然」に付加された意味のことである』


↑コレいいですね!
付加された時点から、を「情報」と見なすわけですね。
「次の受け手」がいなくても、それなりの「意味」は備わってる気がしなくもありません。
選択肢は規定されますし。
これは、とても納得です。


↓↓注!これ以降は完全に余計です↓↓
しかし、「あくまでたまたま派」として、最後に抵抗させてください(>_<)!!そして言わせてください!


『「情報」とは、「自然」に意味がたまたま付加された瞬間のことである』


もう、即パクリました・・しかもシツコイ・・_| ̄|○ 本当にスイマセン。

僕は「元来の意味などドコにもイツもいつまでも無い!」と固く信じています(←これがイカンのか?)。ええ。情報などもってのほかです。
あるとすれば、ソレが持つ独自の「システム」ですが、それは「システム」であり、情報とは違うとおもいます。
意味は無いとはいっても、これはあるだろうなと思えるものは「神の法則」ですかね(←もちろん、一介の生物の脳の理解を余裕で超えたものという意味ですので、あってもなくても同じようなもん?)。
ほんと妥協できなくてすいませんm( _ _)m

たとえば人間が考えた自然淘汰説によると、
「眼」は世界を見るために進化し、おかげでいろんな情報が受け取れますが、その製作過程はたまたまの積み重ねでしかないということですし・・。

僕らは日々、まったく意味のないものに意味をつけ、「意味のあるふり」をしてるのかもしれません。

なんつってー。

た、たわごとでしたね。最後のほうはとくに・・(恥)。若気の痛りということで・・ご勘弁。

投稿日時 - 2004-10-11 10:06:58

補足

(04-10-12 01:40)
回答を締め切らさせて頂きます。

有意義な意見交換ができたと思っております。
なかなか、こういった話をできる場がないので。

哲学的な回答に辿り着きましたが、情報が自然として存在することを考えると、これも必然だったのかもしれません。

こうした知的探求をすることに無上の喜びを感じる自分としては、意見交換を続けることに異存はないのですが、情報に関する研究課題が山積していることもあり、定義だけに長く時間をとっているわけにもいかないので、ここらへんで回答を締め切らさせて頂きます。

回答者の方々とは、また何かの機会、質問を通じて再会できることを楽しみにしています。

質問者になるといつも思うんですが、ポイントをもうちょっと自由に振り分けられるような柔軟性がほしいと思っているのは、私だけでしょうか?
20ptと10ptを1つずつだけって・・・
まあ、それは管理者に直接言ったほうがいいですね(^^;)
そういったわけで、定義するうえで、これはポイントになったんじゃないかと私が感じた回答にポイントを差し上げます。ご了承下さい。

今回、意見を寄せてくださったすべての回答者の方々に感謝します。では。

投稿日時 - 2004-10-12 01:37:38

お礼

(04-10-11 13:13)
回答ありがとうございます。
長いこと付き合って頂き感謝です。

私の方こそしつこいですが、反論することを気にする必要はありませんので。
「たまたま」となると、いつから・どこから意味が付加されたのか? ということが問題になるので、私はわかりやすく元来持っているとした次第です。

この「元来、備えている情報」というのが問題でして、まったく新しい言語で表現するか、新しい概念を導入するか、しないといけないものなのかもしれません。なので、現時点では即、結論を急ぐことはしません。したくありません、というのが本音です。確かに「システム」とでも呼ぶべきものを「情報」という言葉で片付けてしまっていいのか? という疑問には考慮する必要があるとは思うのですが、違うものとしてしまうと、上手いこと定義が収まらないといったところです。そして、神の領域という扱いの難しい側面に入っていくことになり、ますます混迷しそうなので・・・(^^;) すいません。

(#29の方への返答時間を書くのを忘れてました。だいたい 04-10-11 06:00 ぐらいです)

投稿日時 - 2004-10-11 13:17:10

ANo.29

「『情報」』は元来備わっているものであり、受け手の存在を考慮しない」
のような定義をするのが最初の目的だったのですか?
たとえば、それだとエネルギーを議論する際も同様の定義が通用しますよね(広義の意味で)
それだと情報自体を定義したことにはならないのではないかと思いますが、その点に関してはどう思われますか?

投稿日時 - 2004-10-10 12:36:51

お礼

回答ありがとうございます。

はい。そうです。そういった定義を試みるのが目的でした。
エネルギーの定義にも通用するか? と言われれば、通用しますね。

情報を定義すること自体、実験的であることは否めません。
今回の定義が良いものかどうかはわかりません。すでに誰かがより良い定義を考え出しているかもしれませんし、今後考え出されるという可能性もあります。しかし、こういった話題は一般的ではないし、自分で考え、意見交換する中で、考えを咀嚼し、昇華させていったうえで得られた結論ですから、恥じるつもりもありません。

私は最初から完成されたインスピレーションを得られるほど天才的なアイデアをもっているわけではないので、試行錯誤が必要なのです。また、一般的でないことを考えること自体、素晴らしいことだと思います。それが、今まで誰も考えたことがないものなら、尚更です。

すでに書きこんでいますが、もし、この定義に納得いかないようであれば、自ら考え、新しいものを生み出されるのがよいでしょう。その際、その考えをここで提示して頂けるとありがたいです。

投稿日時 - 2004-10-11 06:50:52

ANo.28

No.25の意見について、考えたことを書かせてもらいます。

>人間が認識するか否かに関わりなく、「遺伝情報」は「媒介によって作用」し続けているものであり、これを人間が認識した場合だけ「情報」と定義するのは無理があるのではないでしょうか。

人間が認識しなくても、「遺伝情報」は「情報」です。ただし、それは遺伝子の塩基配列が示すものが、それを受け取る受容体に作用する限りにおいてです。つまり、人が認識しようとしまいと、遺伝子は「受容体にとって」(「人間」にとってではなく)情報である、ということです。ただ、この「塩基配列が示すもの」が受容体に作用していない状態でも、日常に使われている意味での「情報」に含まれるとは思います。その点で、受け手が受け取ったものだけを情報とするのは無理があるかもしれません。しかし、やはり人が「情報」という言葉を使うとき、受け手の存在を配慮していると思います。ゆえに、「情報は受け手がそれを認知する可能性をもっているもの」とするのはどうでしょうか。
もともと、日常的に使われている「情報」という言葉は、受け手がそれを受け取る前と後のもの両方を指しており、この「受け取った後」の方は、受け手が特定されないと、かなりあいまいになってしまいます。ですので、より普遍的な「受け手が受け取る前の情報」を論じたいのであれば、「情報」を定義するのではなく、「情報」を成立させるものの要素を挙げて定義する方が建設的だと思います。

投稿日時 - 2004-10-08 02:22:54

お礼

(04-10-08 19:59)
度々、回答ありがとうございます。

おっしゃりたいこと、非常~に、よくわかっているつもりです。

しかし、ここで問題にしているのはあくまで「情報」というものに限定した場合ですので、「受け手が受け取る前の情報」に焦点を当てて論じるのは非常に困難です。

また、現時点で、「『情報」』は元来備わっているものであり、受け手の存在を考慮しない」という考え方を提示しています。このへんを妥協点にして頂けるとありがたいです。もし、それでも納得して頂けない場合は、自らが新たな問題の提示者・質問者となってください。すいません。


さて、そろそろ節目かなと感じているので、04-10-12 01:00までに、もうちょっと続けてほしいという要望がない場合、「この点についてどうなの?」といった問題の提示やきっかけが得られなかったと感じた場合、回答を締め切らさせて頂きます。その際、最後の回答者の方への補足説明の欄に最後のコメントを書き込むことで終了とさせて頂きます。ご了承ください。

「これぐらいで勘弁してやるか」と感じている方は特に回答する必要はありません。もちろん、しても結構です。よろしくお願い致します。

投稿日時 - 2004-10-08 20:03:03

ANo.27

 こんにちわ。NO6、10、18、21、24のDORAGOTEETHです。長くてすみません!

 NO26のmoumougooさんの言われている事は、たとえば、生物と言える存在がまったくない物質オンリーの宇宙空間で情報を定義する場合や、しっかりした知覚をもった生物等の存在がある世界で情報を定義する場合、かなり違ってくるのでは?と言う感じでしょうかね?

 まぁ私は大筋スレ主さんの感じに近く、生物がいない空間で情報を定義すれば後はその拡張定義で扱えると思います。そもそも普遍的な定義を知りたいという筋でしたので方向性的に悪くないと思います。その上でうまく拡張して扱えるか検証してみるのもいいかと思います。 

 また、生物なり生物的なものが存在しない世界を考える場合すなわち、計算の中の世界や仮想的に現象を考える場合ですが、その世界には生物的な存在がいない為、実は世界自体が存在する事をその世界に存在しているモノは認知していません。しかし、我々の世界に情報をフィードバックして有効に活用されています。そのような世界での情報の取り扱いを考えるのも同様で、現実的ではないとの理由で簡単に切り離せないと思います。そのような世界はまた我々の情報認知力で作られているので、マジで思考すればいやでも切り離せないものでもありますが…。

>「情報」とは「自然」に付加された意味のことである
>「情報」とは物事に付加する二義的次元(二義的な状態)
 
 あくまで付加というイメージですね。主体への橋渡しを残している感じですね。”付加され得る”ということは、もともと持っていると言えるのでは?と言う点が焦点ですかな…。

 ちょっと別の角度からになりますが、例えば人や生物ががなぜ何かを認知できるのか?と考えるときその機能は初めっから世界に存在していたんじゃないかと私は思います。この宇宙ではさまざまな階層で類似の現象が観察されますよね。原子構造と惑星の構造とか、社会構造と人間の体の構造とか、そんな感じで認知のしくみも宇宙にあらかじめ存在しているのだろうと私は思います。フラクタル構造とかいいますか…、固体、液体、気体しか存在しない世界や宇宙がプラズマのみの頃を考えるとどこに?って感じもしますが、それこそある種の情報という認知しずらい形で内在してあるのではないかと思います。そして、物質が存在していないレベルまでさかのぼればそこには情報のみの存在する世界があるのでは?と思う次第です。現在ビックバン以前の世界は虚数で扱われ考察されていて、まさに情報のみの世界に見えます。そこには我々の知ることはすべてあるのではなかろうか!ということですな、”この世に新しいものはなにもない”と言った故人がいましたが、案外そのとうりかもしれません。

投稿日時 - 2004-10-08 01:12:14

お礼

(04-10-08 19:56)
回答ありがとうございます。
お世話になっております(謝)。

#28でも返答しているのですが、「情報」を更に分割して論じるのは非常に困難です。そんな中、妥協点を探った結果、#25で返答させて頂いたような結論に達した次第です。

私としては、情報は元来備わっているものというイメージを持っています。物質間でも情報の受け渡しが行われている故ですね。

認知・認識そのものを考えるのも面白いかもしれませんね。また、大きな地雷が待っていそうな感じもしますが・・・(^^;) まあ、それも後の課題としてとっておくことにします。

投稿日時 - 2004-10-08 19:59:22

ANo.26

No.20のmoumougooです。

情報の定義の基本はたとえば以下のような感じではないでしょうか?

サイコロがあってある目が出ました。
もし、サイコロがあってある目が出たことを知っている人がいるとその人にとっては、ここまでは単なる事実です。そのときもし、その目が「1」であったことがわかると情報が得られたことになります。
サイコロの目の取りうる状態は6個あります。
そのうちどれかを特定できる事柄を情報といいましょう。
ということです。これは、もちろん、算数の時間に習った確率の言葉で記述できますよね。

さてそこで、世の中のありとあらゆことを確率のことばで書いてしまえ、と考えます。
いや、一度、確率の言葉で書いてしまえば、もともとの事柄と関係なく
普遍的な性質を記述すればよいので、もともとの付帯的なことは捨ててしまって、
確率の言葉で情報の性質を語ればよい!

これが情報理論だと思います。
このときの実際の事象と確率でいうところの事象を対応付けることを
マッピングといっています。ビット列といっているのは
binary-digitの列(2値列)つまり1001110・・・0110などの列です。
つまり、数ですが、ひとつ、ひとつ区別できるもの総体とその要素を取り扱いたいときの
その代表例としてビット列が使われます。

このようなことを考えると基本的に人間がいようがいまいが情報はあります。
もちろん物理的にも人間とは関係なしに情報が定義され、物理現象として確認されています。
(たとえば、お湯が冷めるなど)

しかしながら、人間の認識と情報を考える場合、
人間の認識の仕方が情報に対して決定的な意味を持つということを主張したいです。
それが「異なる状態の弁別はだれがやるのか?空間全体の範囲はどのように決めるのか?」(★)です。
というのは、たった一つの言葉だって、その人がどんな風に生きてきたかでぜんぜん違いますよね。
もちろん突き詰めれば、その人を構成する物質の状態を完全に特定できればおそらく、
いろいろな意味のあるその言葉の中からただひとつの意味を特定できるので
それを上のような情報理論であつかえばいいのでしょうが、現実的ではないし、
私たちの認識(普通に感じていること)とちがうので意味がないように思います。

そこで、やっぱり(★)をきちんとかんがえないとだめなのではないでしょうか?

投稿日時 - 2004-10-04 23:56:15

お礼

(04-10-07 14:07)
回答ありがとうございます。

改めて説明し直してくれてありがとうございますm(_)m

つまり、情報を確率のような数的なものでとらえた場合は客観的な確証を得られるが、人間が情報を扱う場合を考えると、個人差が問題になるから、そのへんをはっきり条件付け・限定する必要があるのでは? ということですね。

ここで一旦、#25で私が返答したコメントを見てください。

物理的現象をあらわす情報も、人間が認識して扱っている情報も、元は「自然」だと思います。個人差は情報を定義する上では問題にはならないと思いますが、いかがでしょうか? 情報を人間が加工していく過程で、初めて個人差が生じるわけです。そこで必要になる定義が、いわゆる「各分野」ごとの定義、心理学・物理学・経済学・数学...etc につながっていくと考えるのですが、いかがでしょうか?

投稿日時 - 2004-10-07 14:16:47

ANo.25

No.23へのお礼
>現状では人間だけが受け取ったものを情報とするのがもっとも安定した定義が得られるかと思うのですが、いかがでしょうか?

以前は拡大解釈しすぎ、今度は矮小化と感じます。

No.11で取り上げた「遺伝情報」などは、生化学的分野に「情報」概念を導入することで、学問的に大きな可能性を切り開いたと考えます。

人間が認識するか否かに関わりなく、「遺伝情報」は「媒介によって作用」し続けているものであり、これを人間が認識した場合だけ「情報」と定義するのは無理があるのではないでしょうか。

そもそもNo.23にある次のような素朴な事実にも反します。
>情報って人間だけが受け取るものではないと思います。
>たとえば、犬だって五感から得た情報によって行動しています。

出発点に立ち返って議論の推移を見直し、整理してみてはいかがでしょうか。

1 何のために「情報」を定義しようとしているのか。
2 これまでに出た論点はいくつあるか。
3 1に照らして重要な論点は何か。

個人的には、「期待してます!」。

投稿日時 - 2004-10-04 23:05:47

お礼

(04-10-07 01:20)
回答ありがとうございます。

人間の思考を経由せずに元来、存在している情報と、人間の(または何らかの)主体の意志・認識を介したものが情報となるという、一見、矛盾していて相反する点にどう折り合いをつけるかということがもっとも私を悩ませたものでした。
ここで、私は、一時記憶(RAM)を消去することなくいったんリセットし、論理の再構築を試みることにしました。まあ、簡単に言えば、行き詰まったからやり直しってことですね(^^;) その結果得られたのは、

「情報」とは「自然」に付加された意味のことである

ということです。
ここでいう「自然」というのは[naturally]ではなく[nature]のことです。折り合いはついていると思うのですが、いかがでしょうか? 誰が意味を与えているのかについては、誰でもかまわないと思います。感情や意志を介さない純粋な「データ」も、また情報であることは疑いようがない事実だと思う故です。感情・意志・思考・認識はデータ(許されるならば「素形相」ということもできる)という情報を元に、それを加工して、利用している。という解釈です。

これに合わせて、

「情報」とは物事に付加する二義的次元(二義的な状態)のようなもの

という補足説明を加えておきます。

投稿日時 - 2004-10-07 01:22:02

ANo.24

 NO6、10、18、21のDRAGONTEETHです。
>当初は「情報」全体を定義しようとしていたのですが、これまでの意見交換を通じて、情報の各状態別に定義する方向へと転換しています。

 おおっと、僕とMATTEWさんの意見がそっくり入れ替わったわけですね^^まぁ、各状態別に定義していったとして多分、より統一的な定義ずけは可能だと思いますよ!

>「情報」とは主体が受け取る「素形相」である。
> 「情報」とは人間が受け取る「素形相」である。

 NO23さんも反応してますが、あえてこの線で行くなら前者でよいと思います。これだと最初の僕の意見に戻ってしまいますが… この辺りはちょっと様子を見ます。

 又、伝播情報についてですが、これは例えばカテゴリーが生じる時を考えた場合、2つ以上の情報から共通項が認識されることを意味します。他の方も言われているこの共通項(構造)ですが、これは後から生まれた情報でカテゴリー化をくりかえせば情報の変遷を体現することになります。ところが実は元の2つの情報源に内在していた情報を抽出しているわけですので、情報が増えていくわけではないのです。新しい情報が作られる様を考える時は、ほぼ似たように考える事が出来ると思います。(実は新しい情報ではないのですね。)そういう考え方で、情報の源を探ると、被自己情報と伝播情報は統一できるかと思います。さらには、素形相に統合可能ということですが…

 

投稿日時 - 2004-10-04 22:08:04

お礼

(04-10-07 00:44)
回答ありがとうございます。
返答した日時を書くことにしました。そのほうが、わかりやすいかなといったところです。そもそも、なぜ自動で表示するようなシステムにしてく・・・(本筋とは関係ないので割愛)

これぞ哲学マジックの成せる技か、不思議なことに入れ替わってしまいましたね。まだ、不安定さを感じているので、今後は何とも言えませんが、#25で現在の心境を書きこみます。よろしくお願いします。

被自己情報と伝播情報は同じようなものだと私も思っています。ただ、違いをわかりやすくするために、説明上、分けたというだけですので。

投稿日時 - 2004-10-07 00:45:57

ANo.23

情報って人間だけが受け取るものではないと思います。
たとえば、犬だって五感から得た情報によって行動しています。

また、情報には必ずしも受け手は必要ないとも思えます。
それは、
「誰もいない空間にある物体があったとしても、その物体は形状や質量などの情報を何らかの媒体(光とか)を介して発し続けている。」
とは考えられないでしょうか?
そして、
「その媒体に載っている情報を受け取る側がセンシングデバイス(目とか秤とか)によって、受け取る側に利用しやすいように加工して受け取っている」
と。

なので、私は情報は常に情報であり、伝えられていく間に受け手が自分に利用しやすいように加工しているだけだと考えます。

投稿日時 - 2004-10-04 17:04:32

お礼

再度の回答ありがとうございます。

私が質問を開始した当初は同じような見解でした。しかし、回答者の方々と意見を交換していく中で、人間は思考というフィルターを通したものだけを情報としてあつかっている、ということに気づきました。

また、受け手が無い状態や人間以外が認識しないものも情報としてしまうと定義として不安定だということにも気づきました。つまり、情報以前のものは、情報になり得るものという設定にして、素形相としてあつかうわけです。もし、この素形相を含めてすべて情報とすると、不確定要素や「仮に~」という想像を含むので、情報とはまったく違った概念が必要になり、定義として不安定になってしまうのでは、と思います。

素形相も含めて強引に定義することは、私にもできないことはないのですが、やはり現状では人間だけが受け取ったものを情報とするのがもっとも安定した定義が得られるかと思うのですが、いかがでしょうか?

投稿日時 - 2004-10-04 21:55:39

ANo.22

お礼拝見しました。補足も含めて、再度回答させていただきます。

>つまり、情報になりうるものが、情報になったのかなっていないのか、がはっきりしないので完全に否定することができないと思うのですが、いかがでしょうか?

はっきりしないのは、受け手となる主体が何であるかを想定しないからです。

>どのような主体も感じ取ることができないものは「認識外」あるいは(真の)「無」と呼ぶべきものだと思います。

とあるので、「情報」には必ずそれを受け取る主体があるということは共通了解ですね。
その主体が何なのか、それがはっきりすれば、「情報」になったかどうかは、ある程度はっきりします。

暗闇の中に、ごく微量の光がある場合、目の細胞はそれに反応していても、その人の意識ではそれを全く感じていないということはありえるかもしれませんが、この場合、ごく微量の光は、目にとっては「情報」であり、人の意識にとっては「情報」ではない。ただ、「全く感じていない」とする意識にあいまいな部分があるのは否めません。「本当に真っ暗?」と聞かれて、「たぶん」と答える人もいるでしょうし、弟3者が人の意識を客観的に判断することもできないので。

話がそれましたが、おそらく、お互いが頭の中でイメージしているものは同じで、「どこからが情報なのか」という線引きがづれているだけですね。求められている回答は、私にとって「情報になりうるもの」(=「素情報」)がもつ共通の性質だと思うので、それは「媒体を伝うエネルギー」だと思います。漠然として、捉えどころがないですが、それは主体が何であるか想定しないから、そうなってしまうのだと思います。

投稿日時 - 2004-10-04 01:11:33

補足

すいません。間違えました。#18ではなく、#19での返答を参照してください、です。まあ、「素形相」は「情報になり得るもの」ですね。

投稿日時 - 2004-10-04 11:12:06

お礼

再度の回答ありがとうございます。

主体が必要という点で共通しているのは、その通りです。

確かに主体が不安定だと、定義も不安定で漠然としてしまうことに納得しました。それをふまえて、

「情報」とは人間が受け取る「素形相」である

としてみましたが、いかがでしょうか?(「素形相」については#18での返答を参照してください)
どこから「情報」といえるか? となると、人間が受け取って初めて、情報となると思われます。「情報」という概念が安定するのはあくまで主体が人間であることに限定した場合だから、という考え方からです。

投稿日時 - 2004-10-04 10:45:56

ANo.21

すみません、DRAGOTEETHです。NO18の補足をします。

>”遺伝子には展開方法が記載されていないのに、人の形を形成する事が出来る”(わかっていないだけとも言える)

 この文の補足に以下の一文が抜けてました。

→これは”遺伝子にはコードのみでなく、実際には発生から体の形成に至るまでの情報も含まれている。”(現在は、遺伝コードとそれが体のどこの部位にあたるかなどの対象関係のみをとくに特定している、なぜ体の形がこうなるのか?などは分かっていない。人類の解析した遺伝子情報はは命令文ではない。)

 そして以下の文を補足しています。

→”素情報には、その後情報を展開出来るべく被自己情報、伝播情報を生み出す情報も含まれている。”、(素情報)=遺伝子、(被自己情報、伝播情報)→BODYの形成、に似ているという例えです。まぁ、素情報は言葉にならないなにかなので、(素情報+被自己情報(=遺伝コード))=遺伝子、伝播情報=BODY形成 の方が近い例えかもしれません。


 素情報とはDATA文のようなものではなく、DATAを生み出せるシステム(プログラム)のようなイメージです。

 朝方書いてて論旨が飛躍してしまったようです。わかりにくくてすみません。又、なにか具体的で詳細な定義を求めている方もいるようですが、スレ主さんの求めているのはどちらかと言えばそれらの抽象化ではないかと思うのですが、違いますでしょうか?

投稿日時 - 2004-10-03 22:47:07

お礼

どうも。度々ありがとうございます。

「素情報」は「素形相」という言い方に変更しました。申し訳ないです。#19での返答を参照してください。

当初は「情報」全体を定義しようとしていたのですが、これまでの意見交換を通じて、情報の各状態別に定義する方向へと転換しています。私としてはそれぞれのイメージを言葉にしようとしているところです。それが抽象的でも具体的でも、的確であれば、それでかまいません。
少々説明を。

「情報」とは主体が受け取る「素形相」である。

主体を人間に限定するかどうか、ですが、人間に限定してかまわないと思います。「情報」とはあくまで人間が扱う範囲を出ないものだと思うからです。
よって、

「情報」とは人間が受け取る「素形相」である。

といえるのではと思うのですが、いかがでしょうか?

投稿日時 - 2004-10-04 10:24:26

ANo.20

すいません
横レスです。

単純な情報理論の定義はdecidrophobのおっしゃる通りだと思います。
ただし、「注目している状態空間の部分集合」
というところで「注目している」主体や
「状態空間」の状態をどう定義するのか
(異なる状態の弁別はだれがやるのか?空間全体の範囲はどのように決めるのか?)
というところの突っ込みが抜けているのではないでしょうか?
物理や情報理論の場合は状態というのは定義が決まっていて
物理の場合、相空間中の微小領域で、情報理論の場合、情報をビット列にマッピングして
直接的な情報と切り離して抽象的なビット列を扱います
(マッピングしたことやもともとの情報については取り合わず)。

じゃその「直接的な情報」とやらはどうなのよ!ということになりますが、
それが「異なる状態の弁別はだれがやるのか?空間全体の範囲はどのように決めるのか?」(★)
ということになるのでは?
特に、人間が主体の場合の情報については★について
かなり不明確なのですが、どうやら人間はそれで上手くいくような範囲で
情報をやり取りしているような気がします。その根拠は
私たちは普通に言葉をやり取りし認識をある程度あわせているではありませんか
(本末転倒ですがファジー制御なるものが可能であるようにです)。本当に不思議です。

あと情報の複製についてですが、上記の「マッピング」可能な情報があって
その場合は★の部分が上手くいっているはずです。
たとえば、DNAの情報は電子データであろうが実際のDNAであろうがかまわないので
マッピング可能です。このとき、状態の区別は明確ですし、どういう情報がとり得るかも明確です。
という具合にです。

投稿日時 - 2004-10-03 22:32:04

お礼

回答ありがとうございます。

すみません。私には「マッピング」「ビット列」という言葉が指している意味がわからなくて言いたいところが伝わっていないです。これは物理または情報理論という分野で使われている言葉なんでしょうか? わかりやすい形に言い換えていただけるとありがたいです。

投稿日時 - 2004-10-04 09:42:13

ANo.19

少数派として、賛同者も現れてくれたので自信ないですがもう少し頑張ります。もうジャマなら「ジャマ」とおっしゃってくださいね。

no.15のお礼欄の内容に、
>>私があつかっている「情報」はより根源的なものですので

という表現がありましたが、根源的というならば我々(←!)の意見のほうが根源的なきがしないでもありません。
その理由は、情報はいつも動的であるという信念からです。
「物質」というよりはどっちかというと「状態」ですね。

それと・・

>>どのような主体も感じ取ることができないものは「認識外」あるいは(真の)「無」と呼ぶべきものだと思います。

そういうものは存在しないという信念からもです。
あらゆる全ての森羅万象は「情報になる可能性がある」と思います。
例えば地球表面の地表の凹凸をスキャンしてそのデータをもとに一体のモンスターを作成し育てるゲームソフトを誰かがつくった瞬間、「地表の凸凹っぷり」が情報になりますよね。

(その他)
・まだ見ぬ宇宙人にメッセージを送ってるそうですが、「それ解るヤツそんな近くにいねーよ!」とつっこみたくなるほど限定された内容だったりする。
そもそも人間が何人か集まって相談してつくったもので、受け手(宇宙人)が受け取る方法や瞬間をかなり明確に「設定」してしまっています。たぶん。
そういう視点ではこれも情報。

・「自己の範囲から表現されてない思考」も受け手が存在する(自分自身)から情報といえる。

よって定義は
『受け手がソレを自分の都合の良いように変換した瞬間のソレ』

どーーーしても「受け手」と「時」が外せません・・・
しつこくてすいませんm( _ _)m

投稿日時 - 2004-10-03 22:22:32

お礼

度々、回答ありがとうございます。

とんでもないです。感謝しています。
私は意見をおしつけるのは好きではありません。ある問題について断定しているのなら議論をする必要はないというのが、私の考え方です。
私自身がまだ迷いの状態にあるからこそ、質問して人の意見を聞いているのですから、反論することを気にする必要はまったくありません。

実際、「受け手なくして情報なし」という考え方もよくわかるんですよね。うーん。自分の意識・思考があるからこそ、世界をとらえることができているわけですからね。情報が情報として、価値のあるもの・意味のあるものにしているのは「自己」の存在ゆえともいえます。

「情報とは自己の存在を証明しているもの」という何とも哲学的な定義が可能かもしれません。情報の定義をしていたら、自己の存在証明にたどり着いたわですね。同時に情報の定義としても通用しそうです。まあ、これはこれで、よくできた定義・証明になっているのでよしとしましょう。

意見の相違が生まれている原因は「情報の状態をどういう風にとらえているか」にあると思われます。特に私が「素情報」として設定した部分ですね。「情報」という言葉を使ったのがまずかったのかもしれません。そこで、「素情報」を「素形相」に修正させて頂きます。アリストテレスが「質料と形相」に分けたというアイデアから拝借しました。アリストテレス様お許しください。また、素形相の意味についても修正します。ご了承ください。

○素形相 「情報になり得るもの」

抽象的ですが、現状ではまだこれくらいのことしかいえません。というより、これぐらいシンプルで的確な表現しかできないかもしれません。#15の方がすでに指摘して、表現していました。お見事です。

これをふまえて『受け手がソレを自分の都合の良いように変換した瞬間のソレ』は素形相ではなく情報を指していることになると思いますが、いかがでしょうか?

投稿日時 - 2004-10-04 09:22:31

ANo.18

 NO6、10のDRAGONTEETHです。

>言葉にできない情報もあるので足りない感じです。

 ここがちょっと違う考えです。”あらゆる素情報は言葉に出来る”と言って言いと思います。

 これは、無限の時間があれば、あらゆるなにか(素情報)は、認識する事が可能ということです。人が何かを言葉にすると確かに欠損が生じるのですが、その部分は真に言葉にならないわけではなく、短時間の思考の間では人に言葉にする能力が足りないのです。人の能力で計るのが一つの間違いに思います。又、情報をベースに生み出される情報もこの素情報に盛り込まれていると考えていいのではないでしょうか。それこそ遺伝子には展開方法が記載されていないのに、人の形を形成する事が出来るように…、よって、素情報(まるで無限に思える)=物質=EN が成立しそうです。

 素情報は情報ではないのでは?”という意見もまだ強いみたいですが、私はこれは”あり”でいいと言う意見です。”情報とは言葉で具体化することができるすべて=素情報!”となりましようか。○素情報には○被自己情報と○伝播情報やNO5さんの言われる構造などもすべて含まれていると考えていいんだと思います。”情報=素情報”がもっとも簡潔な表現ですな!


 

投稿日時 - 2004-10-03 05:04:32

お礼

度々、ありがとうございます。

うーむ。確かに、素情報はすべて言葉にできるのかもしれません。とにかく、情報を物質やエネルギーのように等量・等価にあつかうという発想には感服いたしました。この点についてはまだまだ検討してみる価値がありそうです。

私としては、情報は変質・変化していくものという考え方が自然だと思うので、情報を状態別に種類分けして、それぞれの状態別に定義することが必要かな・・・といったところです。「すべての情報」はすべて「情報」であり同一の定義で説明、解釈できるんだ!と断定してしまうと状態の違いによる解釈に柔軟性がなくなってしまうのでは、と、ここに至って危惧するようになりました。同一の定義にするとわかりにくいですし。そのへんもまだまだ熟考する必要がありそうです。

投稿日時 - 2004-10-03 22:21:04

ANo.17

個人的には、情報とは何らかの媒体によって伝えられる「もの」であると定義されると思います。

たとえば、遺伝子情報とは遺伝子という媒体により親から子へ伝えられる体の設計図という「もの」であるし、文字情報とは文字を媒体に書き手から読み手へ伝えられた「もの」という具合にです。

余談ですがいわゆるIT、情報技術といわれるものは情報源から正確にまた効率的に情報を発信し、受け手にとって利用しやすいように加工する技術であると考えられると思います。

投稿日時 - 2004-10-03 02:43:32

お礼

回答ありがとうございます。

おっしゃりたいことは伝わりました。つまり何らかの物質的なものから出てくる「もの」が情報であるということですね。

これはひょっとしたらなかなかいい定義かもしれません。まず、物質ありきというわけですね。なるほど。

投稿日時 - 2004-10-03 21:09:54

ANo.16

あるものが情報かどうか、という議論は主観的な要因が絡んでくるのは否めませんよね。
だから、万人に共通の「情報」はまず存在しないとしてしまってよいと思います。
また、あるものが情報であるかどうかを判断するのは、我々の脳(人間のみに限定して考えると)なわけで、その観点からいうと、
A脳の可塑を促すもの
とか
B脳に対して入力となり、ある種の写像(なんでもよいのですが)でもって出力へと変換され得るもの。
とか、
こういう定義も可能かと思います。
皆さん、どう思われますか?

投稿日時 - 2004-10-03 02:17:07

お礼

回答ありがとうございます。

おっしゃる通り、万物に共通する情報は無いと私も思います。

人間のみに限定した場合を考えるのも、面白いかもしれませんね。
というより、そっちを先にやったほうがいいような気もしてきましたよ。
そのほうが効率がいいかもしれませんね。困ったな(--;)
とりあえず同時進行でいってみようと思っています。

それをふまえてみると、Bのほうが的確でわかりやすい定義になっているかなと思います。出力についても触れているし。

投稿日時 - 2004-10-03 20:53:57

ANo.15

私もNo.12のsowowさんの意見に賛成です。
例えば、蜂は人と違う可視領域をもっていて、人が感じることができない紫外線を見ることができます。
蜂が花をみると、蜜のある中央部分が強調されて見えるそうです。つまり、花の中央部分から発せられる紫外線は、蜂にとっては情報であり、人間にとっては情報ではない。このように、「あるもの」が情報であるかどうかはそれを受け取る主体によると思います。ですから、どのような主体からも離れて情報を考えることはできない。
以上の理由で、mattewさんが仰る「素情報」というのは、「情報になりうるもの」であって、情報ではないと思います。
例えば、遺伝子情報は、肉眼にとっては「情報」ではなく、何らかの機器を通してその存在を知ったときに「情報」になります。
すでに知っていることに対して考えるので、認識の先に立つ「情報」を発想してしまうのだと思います。
どのような主体も感じ取ることができないものを「情報」とは呼べないのではないでしょうか。

投稿日時 - 2004-10-03 00:47:36

お礼

回答ありがとうございます。

私があつかっている「情報」はより根源的なものですので、個体間の差で(または受け手によって)受け取る情報が異質であっても問題ありません。

やはり認識・知覚を経たものだけを「情報」とするかどうか、というところで意見が分かれるようですね。私の中では

「観測者(受け手)が誰であるか明確にできない以上、素情報は情報として扱うべき」

という意見が有力です。
どのような主体も感じ取ることができないものは「認識外」あるいは(真の)「無」と呼ぶべきものだと思います。

つまり、情報になりうるものが、情報になったのかなっていないのか、がはっきりしないので完全に否定することができないと思うのですが、いかがでしょうか?

投稿日時 - 2004-10-03 20:30:44

ANo.13

ますますおもしろくなってきました。

>私の考えでは人間以外のものが認識した場合でも情報とするのが適切かと思うのですが。物質間で作用した場合でも、情報のやりとりがあった=情報が作用したとしてかまわないと思うのですが、いかがでしょうか?

「人間以外のものが認識した」というのは擬人的拡大解釈としてなら許容できるかもしれません。
たとえば医学などで、特定の物質を選択して作用させるセンサーとしての役割をある種の化学物質に持たせる場合がありますね。なるほどと思わないでもありません。

ただ現代では、比喩的に「情報」という言葉を不要な場合にも拡大解釈して用いる場合が多すぎるような気もしているのです。

真に有意義な拡大解釈なら歓迎ですが、そうでなければ「情報」という語彙自体が「物質」などと区別のない、単なる流行語に終わってしまうおそれがあると思いますがどうでしょうか。

諸情報学の基礎となり得る定義としては、むしろ拡大解釈をある程度抑制しながら「情報」の「情報らしさ」を表現できる方がよいかと思います。

投稿日時 - 2004-10-03 00:33:56

お礼

回答ありがとうございます。

確かに「情報」という言葉は言語的に汎用がききすぎるため、定義しようとすると破綻する可能性があることに注意しないといけませんね。忠告として受け止めています。

ただ、私は定義できることを信じています。まったく根拠の無い自信ですが、それがなければこういった試みをすることすらできなかったでしょうから。

投稿日時 - 2004-10-03 11:48:13

ANo.12

mattew様。
再度こんばんはm( _ _)m

「あらゆるモノ」は情報になり得ると思います。
受け手さえいれば。

受けるモノが現れた瞬間に情報に「化ける」わけですね。

物質の状態変化なんかも、「熱」で粒子の「運動」が変化するんでしたっけ?
だったら「粒子は、熱を運動に変換した」のだからなんらかの情報処理(全く知りませんが・・)したことになります。
(理科とかダメなんでいいかげんですいません)

もち、放置されたまま消えた遺伝子情報とかいうのも存在するでしょうが、それも受け手ありきでしょう?
結果、残念賞だったのです。
そういう場合は、

「かなり惜しかったけど情報ではない。うんこです。」

というのはダメでしょうか?

投稿日時 - 2004-10-02 20:39:46

お礼

こんばんわ。再度の回答ありがとうございます。

私の考えでは情報は受け手が受け取る以前から情報は情報としてあると思います。「素情報」「被自己情報」にあたるものですね(#11の方への返答を参照してください)。素情報をなぜ情報としているかというと、受け手が誰であるかを明確にできないからです。人間・動物・植物・またはそれ以外の何者か。情報を認知し、処理しているものはすべて受け手であると思います。なので、素情報→被自己情報→伝播情報、という流れが自然だと思うのですが、いかがでしょうか?

投稿日時 - 2004-10-02 23:23:08

ANo.11

おもしろい質問ですね。ゲーム感覚ですみませんが、参加させてください。情報科学は学んだことがありません。

情報は人間の認識を前提とするか否か?

「遺伝情報」についてはどうでしょう。「遺伝情報」は、人間が認識する以前から存在し(というより人間の存在の前提として「遺伝情報」があるのですが)、「情報」としての機能を果たしています。ここから考えると、
  「情報は人間が認識するすべてのものである。」
という定義は不完全な印象があります。
  「人間が認識するすべてのものは情報である。」
と言うことはできるでしょうが、逆は必ずしも真ならずという感じです。

では、人間が認識するかどうかを問わず、
  「情報とは伝達されるすべてのものである。」
という定義はどうでしょう。
遺伝情報が細胞内のどこぞに伝達されてタンパク質が作られ生物が発生する、という場合には該当します。しかし、なんらかの理由で伝達されることはなくなってしまったが、存在はするという場合もありそうです。絶滅生物の遺伝情報が化石のような形でどこかに埋もれている、そういう状態です。われわれはそれがどのような内容かを知ることはできませんが、そういう事態があり得て、それを「情報」と呼ぶことは可能のようです。
ならば、
  「情報は伝達され得るすべてのものである。」
と言う方が近いですね。

では、「伝達され得る」とはどういう意味か?

私は、「伝達された場合に特定の作用を及ぼす」ということではないかと考えます。

さらに、「情報」の場合の「作用」は、物理・化学的な作用とは性質が異なることが重要ではないでしょうか。化学変化の場合には、化学物質の各種属性が「伝達」されることなく「直接に」作用して変化が生じます。この場合の各種属性は「情報」と呼ぶわけにはいかないと感じます。(もちろん、それを人間が認識した場合は「情報」ですが。)

そこで、とりあえずの結論として、
  「情報は、なんらかの媒介によって伝達され、間接的作用を及ぼし得るすべてのもの」
と定義してみたいと思います。

投稿日時 - 2004-10-02 18:11:33

お礼

回答ありがとうございます。

ここらへんで、少々整理が必要かと思ったので、説明を。私が勝手に作った造語も含みます。気にいったら自由に使ってもらってかまわないです。

情報はあらゆる物事に付加しており、例外はない。情報は無形であり、有形で情報そのものを表現しているものは厳密には情報ではない。情報の状態として素情報と被自己情報と伝播情報がある。

○素情報 認識・認知行動を経ない情報
○被自己情報 自己の範囲内から出ない情報
○伝播情報 被自己情報が他へ伝達されたもの

ここから#11の方への返答です。
ウェルカムです。例えがよくて、わかりやすかったですよ。確かに情報も作用する・影響するという意味で化学変化に似ていますね。

>化学変化の場合には、化学物質の各種属性が「伝達」されることなく「直
>接に」作用して変化が生じます。この場合の各種属性は「情報」と呼ぶわ
>けにはいかないと感じます。(もちろん、それを人間が認識した場合は「
>情報」ですが。)

私の考えでは人間以外のものが認識した場合でも情報とするのが適切かと思うのですが。物質間で作用した場合でも、情報のやりとりがあった=情報が作用したとしてかまわないと思うのですが、いかがでしょうか?

投稿日時 - 2004-10-02 23:21:13

ANo.10

こんにちわ、NO6のDRAGONTEETHです。
>認識を経ないものでも、情報といえるのではないか
>・観測者の定義も不定だから
>・認識の及ぶ範囲は不確定性を含んでいても(不確定性の多寡にかかわらず)存在していると思うから
>・情報を持っているのが「存在」の意味であり、情報をまったくもっていない状態が「無」である、と思うから

 う~む、なるほど、情報=物質=エネルギー、3者は等価であるといったところでしょうか?この場合、人が認識する情報は、かならず欠損がでると思われますので、人の認識する情報<物質=エネルギー となりそうですね。人により生み出される情報は、すでに生み出される前から存在しているのと同じということですね。そういえば情報物理ではそんなような事をやると聞いた事があるように思います。

>情報をまったくもっていない状態が「無」である

 ”無”という属性(情報)を得てしまっています。物質のまったくない状態ですら、無という情報を持ち得ると言えそうです。(これは真の無は存在しないと言う事かもしれませんが…)


 NO9さんの”受けて”の存在は認識出来る範囲にしか情報がないと言っているわけですね。


 僕はスレ主さんのやりたい事がわかります。おもしろい試みだと思いますよ。たくさん定義を書き出して抽象化していくと、NO5さんの意見も一側面をとらえそうですね。


 あらためて、”情報とは言葉で具体化することができるなにか!”というのはどうでしょうか?

 

投稿日時 - 2004-10-02 15:31:26

お礼

「人の認識する情報<物質=エネルギー」っていうのはいい表現ですねー。また、新たなアイデアにつながりそうな気がしてうれしいです。ありがとうございます。

私がこの問題について考えるようになったのは、情報が思っているより普遍的で自然的なものだと気づいてからです。なので、確かに、認識より情報が先にあるものだと思いますし、情報を元にして新たな情報が生み出されるものだと思います。

>”無”という属性(情報)を得てしまっています。物質のまったくない状態
>ですら、無という情報を持ち得ると言えそうです。
>(これは真の無は存在しないと言う事かもしれませんが…)

これはまったくその通りです。「無」も情報のひとつといえるので、矛盾してました、私のミスです。となると真の「無」は認識すらされないのかもしれません。まあまあ、無の定義をしていると迷宮に入りそうなので、それは今後の課題としてとっておくことに・・・(^^;)

”情報とは言葉で具体化することができるなにか!”というのは悪くはないと思います。しかし、言葉にできない情報もあるので足りない感じです。

投稿日時 - 2004-10-02 20:17:04

ANo.9

「受け手」が存在するモノ。

投稿日時 - 2004-10-02 12:28:08

お礼

回答ありがとうございます。

受け手が存在していない「情報」もあるとは思うのですが、確かにたいていは受け手がいますね。本質をシンプルにあらわしていて、いい言葉だと思いました。参考にさせて頂きます。

投稿日時 - 2004-10-02 16:08:44

ANo.8

仏教的に「諸行無常」とさせてください。。。(深いです)

投稿日時 - 2004-10-01 18:30:51

お礼

回答ありがとうございます。

なんとなく理解できました。ホントか?と言われたら自信はないですが・・・

さっきお風呂に入っていて、心と情報は性質が似ているなんじゃないかって、ふと思いました。どちらも発することで意味を持つもので、形が無いことも似ています。まあ、でも心も情報かなぁ・・・・。心を定義するのが難しいように情報の定義も困難になりそうです (蛇足でした)

投稿日時 - 2004-10-01 22:38:39

ANo.7

「情報」を定義する、という事は
他の言葉で置き換えようとするって事ですよね。
だから、まず100%イメージを言葉を使って翻訳しようという事からして難しいんです。
ですから、例えば普遍的な定義をしようとした場合、
「量的なもの」とか「やりとりのできるもの」という普遍的なイメージが先立ち、それからいわゆる情報空間を想定し、その空間に存在できる物、というとても抽象的な言葉でしか表現できないのではないのでしょうか?
もしくは、冗長すぎるくらい言葉を使って、
あらゆる分野での定義を書き並べて、それを持って普遍的な定義とするのもよいのではないでしょうか?
こういう問題って何も情報に限らず、例えばエネルギーを定義しようとした時にも起こるものだと思います。

投稿日時 - 2004-10-01 10:30:10

お礼

回答ありがとうございます。

確かに、エネルギーや情報のようにあまりにもありふれたものだと定義が難しいというのは納得です。かっこいい言い方をすれば、数学者が公式をよりシンプルにあらわしたいと思うように、私も情報をなるべくシンプルに定義してみたいからこういう考え方になってしまっているのかもしれません。

言葉を並べて定義することも含めて検討してみます。

投稿日時 - 2004-10-01 20:03:58

ANo.6

横から失礼します。
>人間が認識していなくても情報は存在していると思いますが?

 ぶり返すようですが、これがおかしいような気がします。私的には、人間なり生物が認識しなんらかの言葉(具体的であれ、抽象的であれ)として扱う対象が情報だと思います。

 では”人が認識していないなにか”、とはなにか?、これは実は物質(生物も含めて)ではないか、物質は情報をもっているじゃぁないか!と思いがちですが、その時点で第三者的視点をもって、正体不明の何かを”物質”と認識してしまってます。<事前に認識した>情報を駆使してしまっています。

 情報は認識の先に立てずと思うのですがいかがでしょう。

投稿日時 - 2004-09-30 23:01:27

お礼

回答ありがとうございます。

いい問題提起をしていただきました。自分の中で考えを咀嚼するのに時間がかかって少々返答が遅くなってしまいました。

問題は認識を経たものだけを情報として扱うか、認識を経ないものも含めて情報として扱うかで、そこが意見が分かれる分岐点かもしれませんね。

うーん。私としては、現状ではどうしても、認識を経ないものでも、情報といえるのではないかという結論に達しています。以下に根拠を。

・観測者の定義も不定だから
・認識の及ぶ範囲は不確定性を含んでいても(不確定性の多寡にかかわらず)存在していると思うから
・情報を持っているのが「存在」の意味であり、情報をまったくもっていない状態が「無」である、と思うから

投稿日時 - 2004-10-01 19:54:19

ANo.5

カテゴリを離れた と おっしゃいますが、

上位の普遍的なカテゴリを指定しないと、
定義はできませんね。

で、多分、問題意識をなんとなく理解していると考え、私見を述べます。

普遍的なので、
最低限、具体例の一つとして、情報科学の情報が、下位概念(より具体的な条件が指定された概念)として、
情報科学における情報とは、
「… の (一般カテゴリにおける)情報である」
とできるようにしなければなりません。
でないと、「普遍」の意味がないですね。

なので、とりあえず情報科学的な情報の根幹は、
「注目している状態空間の部分集合」 
と定義されるでしょう。

まったく情報がない状態が、
状態空間全体、
最も精度の高い情報は、状態空間の各要素。

で、確かに、これがもっとも普遍的な情報の定義という感じがします。
状態空間 にいろいろ具体的なものを代入すれば、
確かにこれが直感的な情報の定義を形式化したものであることが納得できるはずです。

よく知られている例では、
状態空間 = {はれ、くもり、雨、…}
です。

投稿日時 - 2004-09-30 20:20:06

お礼

回答ありがとうございます。

状態空間 = 状態空間の各要素
として形式化したわけですね。

投稿日時 - 2004-09-30 23:13:20

ANo.4

あなたは、「定義」ということの意味を理解しているでしょうか?

おっしゃるように、「情報」という言葉の定義は分野によって違います。

なぜか?

それは、情報という言葉を使ってやりたいことが違うからです。
で、少なくとも、専門用語については、それでオーケーとこれまではされてきました。それとも、あなたは、専門用語を構築する際に、いちいち日常用語と別の単語を、そのつど厳密に新たに作るのが良いとお考えでしょうか?


ま、というわけなので、

情報くらい、
哲学、情報理論、法律、物理学、経済学 などで、
かなり異なる使い方をされる言葉の、
一般的定義を厳密に論じても意味がない気がします。
なので、ソフトな認識で言えば、あなたの母国語の認識で良いし、
なんかいい言い換えを探しているんだったら辞書がいいですかね。

それとも、なにか、小林秀雄などの時代の知識人のような「評論」を情報をテーマにしてほしいというならば、そのような意図であると補足してくださるのが妥当だと思います。

投稿日時 - 2004-09-30 18:08:07

補足

定義という言葉の意味は理解しています。
私が試みているのはカテゴリを離れた普遍的な意味での「情報」の定義です。なので、各分野での細かい情報の定義については触れなくても大丈夫です。説明上、必要なら触れてもかまいませんが・・・。

投稿日時 - 2004-09-30 18:37:52

ANo.3

 面白いので再登場。

>自分だけが認識していることも情報だと思うし。

 これは考え方が微妙ですね。
 眠った情報も情報だと認めてしまうケースですよね。
 その場合、「人間が認識しうる全て」と定義せざるをえなくなります。
 なぜならば、「情報」とは、人間が認識して初めて意味をなすものだからです。

 「情報」の定義がジャンルによって曖昧なのは、その扱い方がケースによって差があるからです。
 たとえば、「民法」にとって、情報とは「記録物」のことを差します。もうすでに倉庫の奥にしまいこんでしまい、物理的に取り出すことができなかったとしても、情報は情報です。
 「倉庫の奥にノートはあるはずだ」と考えます。

 しかし、「物理学」ではこのような考え方を許しません。
 情報がない状態を「不定である」と定義し、「倉庫の奥のノートは、あるかもしれないし、ないかもしれない」と考えるのです。

 このように、ジャンルによって「情報」の扱い方が異なりますので、画一的な統一定義を行うことができないのです。

投稿日時 - 2004-09-30 15:56:48

お礼

再度の回答ありがとうございます。

私が今、考えているのは分野を越えて「情報」というものの本質を定義できないかなあというところです。「情報」という言葉の持つ意味を統合して普遍的なものにするような感じでしょうか・・・それこそ不定な状態であっても、それもひとつの情報であるとは言えないでしょうか? 安定していても不定でも、ひっくるめて情報を定義することは可能だと思うんですが・・・。自分が持っているイメージは完全に哲学的な定義なのかもしれません。なので、どんな分野でも共通して使える情報の定義はできないかもしれませんね。うーむ。

たとえば、赤いリンゴを見た時、赤いこともひとつの情報ですが、観測者によっては赤くないので不定です。しかし、情報の定義として共通するのは、「無形」であり、これは分野によって変化しない定義だと思います。また、情報が無形であることは人間だけでなく、動物にも共通するかと。

それから、人間が認識していなくても情報は存在していると思いますが? 有史以前からある物の存在や情報は不確定性を含んでいるものの証明され信頼度が高いものだと思います。でも、実際に知覚活動を経て認識していないものを情報として扱うかどうかによりますかね・・・私的には認識を経なくても情報は情報として扱って、情報の定義まで漕ぎ着けたい心境です。

投稿日時 - 2004-09-30 18:36:22

ANo.2

こんにちは!♂で大学生です。

情報って、二者がコミュニケーションをとるときに必要なものかなって思うんですよ。
なので考えてた定義は 「意志」を伝える媒体 です。

意志っていうと??と思われるかもしれませんが、
例えば、
  この(よくわからない)ものはカレンダーである・・・(1)
という情報(1)があるとします。
これが意志を表しているというとハっ?って感じかもしれませんが、
誰かが(1)を誰かに伝えたい!って思って発した(ている)わけですよね。
意志あっての情報です。

・・・と考えてみました。

投稿日時 - 2004-09-30 13:44:36

お礼

回答ありがとうございます。

なるほど。意志を伝える媒体ですか。これだと無形であっても使えそうで、媒体っていう言葉は便利ですね。
しかし、意志が介在していないものでも情報は持っているし、情報は伝わってくることを考えると、定義にはならないかなという気がします。

投稿日時 - 2004-09-30 15:14:55

ANo.1

 どんなジャンルでも使える普遍的な定義ということであれば、「何かと何かがやり取りを行うことで意味を持つ、『規則』の集合体」でしょうか。
 まぁ、この言い方だと、ジャンルによって言い換えなどは必要でしょうけど。

投稿日時 - 2004-09-30 12:19:34

お礼

回答ありがとうございます。

情報ってもっと普遍的なものだと思うんですよ。例えば、やりとりが行われない、自分だけが認識していることも情報だと思うし。

投稿日時 - 2004-09-30 15:05:36

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