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解決済みの質問

昨今の自殺問題について

最近は自殺者の数が交通事故死亡者の数よりも多いのですよね。なんとも嫌な世の中になったものです。
ネット上で自殺者を募って集団自殺を図る人たちもいます。

政府はこれに対して自殺サイトを封鎖するように働きかけていますが、根本の解決には全然なっていません。所詮は偽善のように思えます。

みなさんは自殺についてどう思いますか?私は月曜日のスーパーテレビを見ましたが、幼い子供を残して自殺するのは反対ですが、天涯孤独の人は仕方ないかもと思うのです。自殺の動機にもよりますが、病気や借金などどうにも首が回らなくて生き地獄なのに、自殺を止めて生き地獄に連れ戻すのは本人にとって可哀想かなと思います。

テレビドラマで良くありますよね、ビルの屋上から飛び降り自殺をしようとしている人を警察官が説得しているのを。「生きていればいいことがあるさ」などの常套句が飛び出しますが、そんなはずがないでしょ?と思いません?せめて「いいことあるかもしれないよ?」と言って欲しいものです。

要するに、本人の事情もよく知らずにきれい事を並べて自殺を止めるのはどうかな、と思うのです。借金や病気を肩代わりできるはずないですよね?私は家族や友人が自殺しようとしたら止めますし、できるだけ力になってあげるつもりですけど、赤の他人が自殺しようとしていてもみすみす見逃しはせずに話(自殺の動機)くらいは聞きますが、どうしようもなく本人が苦しんでいたら止めることはできないですね。なんて言ったらいいか分からないし、下手なことを言って本人に恨まれたくないし。

みなさんどう思います?家族や友人が自殺しようとしているのを止めるのは誰もが同じですけど、赤の他人の場合はどうしますか?

投稿日時 - 2004-11-10 12:03:21

QNo.1078110

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

>本人の事情もよく知らずにきれい事を並べて自殺を止めるのはどうかな、と思うのです。

これ私も賛成ですね。
自殺は悪いとか迷惑がかかるとか、挙げ句の果てに適切な手段を講じれば自殺の原因を解決できるとかのたまうやからもいますが、死ぬ人の気持ちを想像できてないと思います。

私は自殺したいと思った事はないので、これも想像でしかないのですが、死にたい人は一刻も現実から逃げたいんです。
死ぬのは悪いとか、死ぬ気があるならもう一度、死んだと思ってがんばれとか、まったく本末転倒なこと言うなぁ、と思います。そう言う人に限って、自分は自殺なんて考えた事もなく、幸せに充実した日々を送ってるんですよ。

カネがあれば病院で適切な治療云々言ってる人がいましたが、本気でそう思ってるのでしょうか、全くあきれます。
末期がんや原因不明の病で激痛にのたれまわっている人を見たことがないのか、それさえの想像力もないのかと思うと恐ろしい。

事故などである日、体の自由が奪われてしまったら、絶望して自殺する事も考えるでしょう。

生きろ、自殺は悪だ、他人に迷惑だ何て言う人は、自分が生き地獄にはまっても、それでも命は尊いんだ、生きなければならない、と冷静に思えるのか疑問です。ほとんどが精神的健常者の偽善に聞えます。

ところで、自殺を止めるかどうか、というご質問は無理があるように思えます。
目の前で自殺しようとする人がいる、というシチュエーションがほとんど想像できないからです。

投稿日時 - 2004-11-13 00:43:55

お礼

ありがとうございます。その人の自殺の原因の根本を解決しない限りは何の意味もないと思います。

投稿日時 - 2004-11-14 17:42:49

ANo.19

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回答(21)

ANo.21

 物凄いポカをしました。#20は#4です。#9の方済みません……!!

投稿日時 - 2004-11-14 01:21:58

ANo.20

#9です。
 偽善的なことや気休めは言わない方が良いという趣旨を質問者様の言葉から感じたので、私なりに感情論を排した言葉だけを並べたのですがそれはそれでご不快になられた様子でしたので。

 ここまで読んでいて質問者様や其の他の自殺を認める感じの方々は、「一度自殺しようとするまで追い詰められたらあとは幸福になれるはずがない」と思っていらっしゃるようですが、如何でしょう。
 #19の方は私のような考え方の人間は

>そう言う人に限って、自分は自殺なんて考えた事もなく、幸せに充実した日々を送ってるんですよ。

 と仰られていますが私は正直今生きているのが不思議な位「自分が死ぬか」「親を殺すか」と二者択一で悩んだ事もありますよ。
 結局両方しませんでした。でも、今は凄く幸福です。一度追い詰められても、其の先ずっと不幸なままという事の方が珍しいのでは?自殺未遂をしても、生き残って何年もして「生きていて良かった」と思う人だって絶対に居ます。
 自殺しようとしている人には其の先も幸福な事なんかない、と言うのは解決策が自殺の他に考えられないからです。
 また、精神的健常者という言葉もちらほら見かけますが、確かにそうかも知れませんね。
 自殺する人は追い詰められています。まともな判断能力が欠如しているかもしれません。しかし、だからこそ、自殺するべきではありません。
 まともな判断能力がないのですよ?其の状態の人間に、生命に関わる重要な判断など任せられるはずがないです。
 もしくは、自殺者が精神的健常者でないという発言は自殺者に対する差別的発言、ともとれます。
 また、天涯孤独で誰も悲しませる事がないなら認めるべきではないか、と言うのは、これもある意味差別的ではありませんか。
 誰かと関わらない生き方を選択している人は自殺が許されるべきと言うのは、暗に「生きる価値は他者との交流によってしか産まれない」事を明言しては居ませんか。
 誰が悲しむとかそういう事ではなく、その人が生きていると言うだけでかけがえのない命なのだとは考えられませんか。
 悲しんでくれる人が居ないから死んでも良い、と言うのは交友関係の広い人の方が命として価値が有ると取られかねない発言です。
 本能やアポトーシスという言葉も見受けられましたが、そもそもそれらは「個体(自分)、または種族全体の繁栄の為の自滅」です。(例えば胎児の手には最初水掻き状のものがついているが其の部分のアポトーシスによって器用な五指を手に入れる事が出来る)
 単純な自殺はそれに当て嵌まりません。人口調節の為ならば、寧ろ生殖、育児に影響するのではないでしょうか。というか日本では本能に従って自殺しなければいけないほどの人口過密にはなってません。

 また、国家は自殺を認める立場は取らないでしょう。「社会的には自殺はいけない事である」という認識それ自体が自殺者への抑止力となっているのを考えれば、それを取り去った時安易な自殺が増えるのは自明です。
 自分の意思で死ぬ人間が増え極端に人口が減れば国家は成り立ちません。国や、国家公務員である警察官、または日本と言う国を構成する一般の人が「自殺はいけない事」と判断するのは当然ではないですか。

 感情論も入り込みました。でも、やっぱり自殺者を見かければどんなに無責任だと罵られても止めないわけにはいきません。「人の命は地球よりも重い」とは言わないけれど、それでも大切なものだと思うからです。

投稿日時 - 2004-11-13 22:39:18

お礼

ありがとうございます。

>まともな判断能力がないのですよ?

では、冷静な判断で自殺を選んだらどうなのでしょう?

>暗に「生きる価値は他者との交流によってしか産まれない」事を明言しては居ませんか。

では、希望もなく絶望した人にとっての生きる価値とはなんでしょう?どんなに不幸でも絶望でもとりあえず生きていればいいのでしょうか?

>悲しんでくれる人が居ないから死んでも良い

では人はなんのために生きるのでしょうね。誰からも必要とされず、悲しんでくれる人がいないことほど絶望を感じるときはないと思いますけどね。

>自分の意思で死ぬ人間が増え極端に人口が減れば国家は成り立ちません。

自殺とは関係ありませんが、私は日本の人口は5000万人くらいが適切だと思います。江戸時代の頃は人口が
3000万程でしたが、日本だけで自給自足できた理想的な体系だと思います。

>「自殺はいけない事」と判断するのは当然ではないですか。

先にも書きましたが、どんなに不幸でも絶望でもとりあえず生きていればいいのでしょうか?それに何の望みがあるのでしょう?「これ以上落ちることはないから、これからは良くなるんだ」この言葉は良く言われますが、落ちることに際限はないと思いますし、何の根拠もなく良くなるとは言えないし、単なる建前論にしか思えません。

自殺の原因の根本を解決しなければ何の意味もないと思います。

投稿日時 - 2004-11-14 17:53:15

ANo.18

自殺者の多くが、精神的に非常に追い詰められた中で死を選んでいるのではないでしょうか。冷徹に、明晰な思考の末に死ぬのではなく、一時的な錯乱に近い状態や、突発的な鬱症状の中で、ほとんどの自殺者は死ぬのだと考えています。統計があるわけではないので、推測です。

人には自分の生き方を選択する権利があると原則的には思います。また、錯乱することであっても、それがその人が選んだ術なら仕方がないと思います。しかし、自ら死のうとすることについては、私は止めたくなります。

人間の心は生化学物質でいかようにも変わります。欝は抗鬱剤できれいになくなります。死のうとする瞬間に、もしも思いとどまって、あるいは誰かが止めて、適切な薬を服用していたら、その人は死なない方法を選ぶかもしれません。そういった可能性を考えてしまうからです。

理性的に死を見つめ、尊厳死を選択する場合もあるでしょう。それは私にとっては「残念だけれど仕方がない」と認識せざるを得ません。しかし、自殺志願者が一時的な心の病でいるのだとしたら、必要なのは治療でありケアであると思います。

実際に止めることができるかどうかではなく、そういうシチュエーションを想定したときに自分がどう感じるかという観点で述べました。

投稿日時 - 2004-11-12 16:23:44

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2004-11-14 17:40:15

ANo.17

わたしはどんな人であっても生きててほしい。

死んだ者、本人はそれでいいのかもしれない。でも残された身内の人々の気持ちはどうなるでしょう?

生きたくても、病のために、生きられない人もいるんです!わたしの友人は「お嫁さんになれるかなぁ・・。」と最期に言い、白血病のためにこの世を去りました。わずか14歳の時です。

暗いニュースばかりですが、人の命ほど尊いものは、
この世にはないと思っています。

投稿日時 - 2004-11-11 23:46:25

お礼

ありがとうございます。
生きたくても死んでしまう人もいれば、自殺してしまう人もいる。確かにそうなんですけどね。

投稿日時 - 2004-11-14 17:39:17

「生きていれば…生きていれば無限の可能性があんたを待っているんだ!」
(あるゲームでのセリフ)

無限の可能性?そんなもんあるかいな。と思います。

でも、少しでも可能性があるなら、どうせ死ぬなら、
死ぬ前にそれにかけてみるのも悪くないんじゃない?
と自殺願望者に言う…かもしれません。

もしも、借金や病気などで生き地獄だというのなら…
止められない…かもしれません。

おそらく、自分は自殺をしようとする人をみても、見てるだけでしょう。
けれども…やはり人が死ぬのをみるのはショックだと思います。
だから、人のいる場所で、人の迷惑になるような方法で
死なないでほしいですね…。

自分も昔は自殺願望者だったけど、今は必要としている人がいるから、
何よりも死ぬのが怖いから、のんびり生きてますよ。
最近になって、やっと、のんびり生きるのも悪くない、と
思えるようになりました。いろいろやりたいことあるし。

#もっとも、自殺以前の問題でしたが。
#ただ単に現実から逃げたかっただけ。

支離滅裂な文章でごめんなさい。

投稿日時 - 2004-11-11 13:50:39

お礼

ありがとうございます。
どうせ死ぬのなら好きなことをしてから死ぬのが
いいですね。

投稿日時 - 2004-11-14 17:37:40

ANo.15

最近こんな本を読みました。

 自ら死を選ぶ権利 ~オランダ安楽死のすべて~
 著:ジャネット・あかね・シャボット
 徳間書店 1995年

オランダで条件付きながら、事実上認められている「安楽死」に関するレポートです。
ここで言う「安楽死」とは、
  
  医師が致死量の薬を注射して積極的に生命を終焉させること。
  患者自身が医師の処方した薬を医師の立会いのもと服用して生命を終焉させること。(医師による自殺幇助)

ということになります。

本の中に登場するのは、自分の人生を尊厳ある形で終焉させることを望む人々とそれを手助けする医師や家族たちです。
もちろん、「死にたい!」と言えば誰でも死ねるわけではなく、一定の条件を満たしていなければ安楽死として認められません。

安楽死が認められる必須条件のひとつに、「受容することの出来ない苦痛を伴うこと」というものがあり、ここでの「苦痛」は精神的・心理的 な苦痛も含まれると解釈されているそうです。実際には精神科患者に安楽死(自殺幇助)が摘要されるケースはごくわずかで、ほとんどが肉体的な不治の病気に罹った患者が対象になっているのだということですが、例外として肉体的にも精神的にも健康な自殺志願者が安楽死にいたったケースも紹介されています。(自殺幇助をした医師は裁判で有罪。しかし刑罰免除)

非常にデリケートな問題なので上の紹介だけでオランダの「安楽死」について伝えられるとは思っていませんが、興味を持たれた方は読んでみることをおすすめします。自分はこの本を読んで自分の死、身近な人の死について深く考えさせられました。ちなみにこの本は1995年に発行されたものなので現在のオランダの状況とは若干違うかもしれません。

というわけで、長い前フリのあとに質問者のfiremandesuさんへの自分なりの回答ですが...

>みなさんは自殺についてどう思いますか?
>家族や友人が自殺しようとしているのを止めるのは誰もが同じですけど、赤の他人の場合はどうしますか?

前者は「自殺全般」=現象としての自殺(メディアを通して知る自殺・統計上の自殺)
後者は「各個別の自殺」=当事者として関わる自殺(自分の行動・言動がその自殺者(企図または未遂も含む)に影響を及ぼす可能性があるもの、またはその自殺(企図・未遂)が自分に影響を与えるもの)として考えたいと思います。

「自殺全般」に関しては、自殺は善か悪か、自殺は許されるのか許されないのか、生命は尊いのか、そうでないのか、というレベルで語っても仕方が無いのかな、と思っています。自殺をする人は許されようと許されまいと自殺します。それは事実です。まずその現実を現実として認識すること。そして自殺者やその家族・関係者の気持ちに対する深い想像力をはりめぐらせること。そしてその上で、専門家の方々に、自殺による社会的コスト負担の軽減を計るため、自殺志願者やその予備群を救済する活動の充実や自殺事例の研究と啓蒙(周囲の人が自殺のサインを見逃さないように)などをお願いする(お願いしている気持ちで日々を過ごす)。そんなところでしょうか。もちろんfiremandesuさんや回答者のみなさんが今こうしているように、身近な人の死、赤の他人の死、自分の死、について普段から考えを深め、いつか必ず訪れる「それぞれの死」の為に頭をあたためておくことは大切だと思っています。僕個人としては、前述のオランダの社会的な仕組みは「アリ」だと思っています。選択肢の多い社会は「良い社会」と素朴に信じているトコロがあるので。

後者の「各個別の自殺」については理性や論理では語れません。
それがたとえ赤の他人であっても、とりあえずは、嘘をついてでも必死こいて止めると思います。多分....。というか、自分の影響力が及ぶ範囲にその人がいれば、もうそれは赤の他人ではありませんから。そしてその気持ちは純粋に自分のエゴなんだと思います。エゴであろうとなんであろうと、否、むしろエゴであるからこそ自分は止めます。とりあえずは止めます。そしてその後その人(自殺企図者)の死への思いが、自分(僕のエゴ)に受け入られるものとして感じてしまったら....止められないでしょうね。

そして最後にふたつ。

本当に自殺しようと思ったとき、なるべく家族や友人には気付かれないようにするのではないでしょうか。(明示的でないサインはありますが)
そしてきっと、自殺するのに「動機」や「理由」は必ずしも必要ではありません。「ただ死にたい」という気持ちだけで十分です。(経験者)

長文失礼しました。

投稿日時 - 2004-11-11 13:29:16

お礼

ありがとうございました。

投稿日時 - 2004-11-14 17:35:59

ANo.14

 ♯9です。

 「自殺は是か非か?」という質問は、このサイトではマナー違反になりますので、それ以外のことについて回答します。

>自殺サイトを閉鎖して自殺させないようにするのはいいが、自殺の根本となる世の中の不景気などの様々な問題を解決しない限り、根本的な解決には至らないと思うのです。自殺サイトを閉鎖したって、自殺する人はするでしょう。

 国家に過度に期待することには無理があります。憲法第25条は「生存権」を認めていますが、この条文の解釈に対し、最高裁は「この規定により直接に個々の国民は国家に対し具体的・現実的にかかる権利を有するものではない」と判示し、いわゆる「プログラム規定説」の見解を示しました。自殺が「自己責任だ、人がとやかく言う問題ではない」などと言われる方がおられると同様、通常の生活も「自己責任」なのです。

 そもそも、現在の不景気云々を言うのなら、過去のバブル期以前にまでさかのぼらなければなりません。では、誰がバブルを増長させたのか?ほかならぬ「民衆」です。そのツケを、全て国家に押し付けるのは間違っています。また、今荒療治をしておかなければ、孫子の代まで日本人は大借金を残してしまうことになります。だから、現在デフレなのは止むを得ないと思います。ただ、短期間に膿を出さないから、国民がいつまでたってものた打ち回っている。私が納得できないのは、そういう「方法論」の問題です。この点では、私も質問者さんも同一の考えではないでしょうか?


>見て見ぬふりをしても罪に問われるのでしょうか?私は話くらいなら聞きます。

 この場合の不作為は、罪に問われることはないでしょう。ただ、明示・暗示を問わず、自殺しようとしている人に対し、その意を強くさせる言動が少しでもあれば、罪になりかねない、という意味です。もっとも、「話を聞くだけ」で、他に何もしないというのは、同義的に、許せるかどうか…。その人は「死にたい」と思っていても、多人数の知恵が集まれば、まだ生きる余地はあるかもしれません。その可能性も摘んでしまう行為は、許せないと思うのです。ひとつの命を、少人数で止めを刺してしまうのは、犯罪行為に等しいものと考えます。

投稿日時 - 2004-11-11 09:25:34

お礼

>私が納得できないのは、そういう「方法論」の問題です。この点では、私も質問者さんも同一の考えではないでしょうか?

そうですね。私も同意です。ただ、バブルの責任は国家にもあります。税金の無駄遣いとも言える無駄な道路拡張や公共施設の乱建築、700兆もある国の借金。これらはすべて過去の政治家達の責任でしょう。

>少人数で止めを刺してしまうのは、犯罪行為に等しいものと考えます。

死ね死ねと吹聴するのは犯罪行為だと思います。私が言いたいのは、「私には何もできない。無責任かもしれないが話くらいなら聞ける」ということです。話して解決するならいいでしょうが、私の手に負えないことは関知しないということです。「生きていればいいことがある」こんな言葉は決してかけないですよ。いいことがなくて希望も失い、絶望したから死ぬのに「いいことがある」なんてありえないですからね。

投稿日時 - 2004-11-11 10:54:50

ANo.13

ものごとのすべてのものに“反対語”は存在するわけじゃありません。
「生きる権利」に反対語なんて存在しません。

強いて挙げるとするならばそれは「死ぬ権利」ではありません。
「生きる義務」です。

人間は生まれた瞬間から「生きる権利」を持っています。
それと同時に「生きる義務」も持って生まれてきます。自分のためじゃありません。自分が死んだら悲しむ人、迷惑を被る人、そういう人たちのために生きなければいけない義務です。

それだけ言いたくて書きました。

投稿日時 - 2004-11-10 23:01:22

お礼

ありがとうございます。

>「生きる義務」

正直これは?と思います。産まれてくるのに親を選べませんし、親がいない(捨てられた)人もいます。誰にも助けてもらえない天涯孤独の人だっています。そういう人たちですら、生きなければいけないのでしょうか?

>自分が死んだら悲しむ人、迷惑を被る人、そういう人たちのために生きなければいけない義務です。

悲しむ人のいない天涯孤独な人、最小限の迷惑しかかけないようにひっそりと自殺をする人の場合はいかがでしょうか?

投稿日時 - 2004-11-11 08:19:32

ANo.12

#3です。

短時間のうちに回答が沢山入っているという事は、この質問が多くの方が心に感じている何かを刺激する質問なんでしょうね。

「自殺を止めたとして、後日また自殺をしたらどう思うか?」という問いかけが入っていましたので、再登場しました。

どう思うか・・・
残念に思うでしょうね。

多くの方が主張されている「死ぬ権利」なんてのは法定の権利ではありません。
自ら選んだ死を止めることは他人には出来ないと言う事実があるだけです。

「死にたいヤツは勝手に死なせてやればいいじゃないか」
というのが、質問者の主張だと思います。
「そうだ」、という回答があり、「そうではない」という回答もあり、「そもそも質問じゃないじゃん」という指摘もありますが、誰が何を主張しようと、自ら死を選んだ人の行動は結局止められないという事実は変わりません。

で、私が、おせっかいにもコメントしてしまったのは、「死ぬ権利がある」という一面の真理である主張一色でこの質問への回答を締め切ってもらいたくなかったからです。
「死に行く人は誰にも止められないんだけど、社会にはかすかな温かさがあって、普通は人が自殺しそうになっていたら理屈は抜きにして止めたくなるもんだよ。」と言うメッセージを残したかったんですよ。

投稿日時 - 2004-11-10 19:07:27

お礼

ありがとうございます。

>「死にたいヤツは勝手に死なせてやればいいじゃないか」

そこまでの極論ではありません。場合によりけりだと思っているのです。生きていても生き地獄しかないのなら死んでも仕方ないと思っているのです。

>社会にはかすかな温かさがあって、

現代はその温かみさえ希薄になってしまいましたね。
やはり不景気のせいでしょうか?不景気のせいで
人間性まで貧しくなってしまったように思えます。

投稿日時 - 2004-11-11 08:16:32

ANo.11

日本では毎年、交通事故で一万人、自殺で二万人死にます。
しかし、車の性能の上昇と不景気によって、最近は交通事故は八千人くらい、自殺は三万人以上になっています。
つまり自殺はとてもポピュラーで全然珍しいことではないんです。
それに自殺しても家族は事故で死んだと言うことが多いので実は自分の周りでも数人は自殺で死んでいる可能性が高いです。
自分も知り合いがノイローゼから自殺しています。
自分的には自殺はよくはないが、しょうがないと思います。
自分は病気で10年以上自宅療養中です。
ほとんど生きている意味はありません。
ただ、自殺するほどヒドイ状態ではないから生きているだけです。
でも毎日全然楽しくありません。
実際もっとヒドイ状態の人はたくさんいるでしょう。
その中には生きているより死んだほうがマシな人もいるかもしれません。

投稿日時 - 2004-11-10 15:00:52

お礼

ありがとうございます。私も生きていても苦しむことしかないのなら、死んでも仕方ないと思います。
「生きていればいことがある」この言葉は偽善でしょう。

投稿日時 - 2004-11-11 08:13:51

ANo.10

まずはっきりさせておきたいのは、『自殺は悪』という観念です。
幸い、私の身近で自殺した人はいませんが、No7,8の方の回答の
ように、一人の自殺は周囲に大きな悪影響を及ぼします。

よって自殺は止められるのであれば、絶対に止めるべきです。

次に自殺する人の事情について考えてみます。
自殺の理由として、借金苦や病気を例に挙げていますが、
少なくとも借金については、自己破産や債務整理など法的な
処置で何とかなります。
一時はヤミ金融の取り立てで追い込まれて自殺する人もかなり
いましたが、こちらも警察の摘発が進んでいます。

よって借金苦で自殺するというのは、自分または周囲が適切な
手段を講じれば、解決することは可能です。
ただし法的手段については一般人では対応が難しい面もある
ので、公的な機関の充実が必要でしょう。

病気についても、お金があれば病院で治療できますし、病院代が
払えない人でも、行政機関に駆け込めば最低限の措置だけは
何とかなるのではないでしょうか。(こちらは詳しくないので、
細かい説明はできませんが)

よって、借金や病気で苦しいという理由であれば、周囲の手助け
と公的機関の庇護を組み合わせれば、自殺者の救済はかなりの
割合で可能かと思われます。

投稿日時 - 2004-11-10 14:40:34

お礼

>少なくとも借金については、自己破産や債務整理など法的な処置で何とかなります。

まあ、そうでしょうね。でもそういう人たちは職もないのでまた借金を繰り返しそうではないですか?

>行政機関に駆け込めば最低限の措置だけは何とかなるのではないでしょうか。

何とかなりません。寝たきりになれば看護に莫大な労力がいりますし、施設に入所させるにしても多額の金額がかかります。今の入所施設の現状をご存じですか?空き待ちでいっぱいなんですよ?

>自殺者の救済はかなりの割合で可能かと思われます。

現状では難しいですね。就職難にしてもそうですが、政府は自殺を止めることばかり考えて、福祉や就職などの自殺の原因となる事象の改善をしようとしませんから。

投稿日時 - 2004-11-11 08:11:57

ANo.9

 質問の意図がよく分かりません。具体的に何を聞かれたいのかも分かりません。ただ、質問者さんの文章の中に、気になる一文がありましたので、それについてだけ回答します。

>政府はこれに対して自殺サイトを封鎖するように働きかけていますが、根本の解決には全然なっていません。所詮は偽善のように思えます。

 政府が「偽善」に見えるとでもいうのですか?とんでもない話です。これは、刑法第202条「自殺関与罪」になりかねない事件です。この罪は、「人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て自殺した者」というものです。

 皆さん、いろいろと言われていますが、自殺しようとしている現場に出くわして、ヘタなことしたら、罪に問われかねませんよ。まあ、「やれるものならやってみい」みたいに言う人は稀でしょうが。せいぜい無視するくらいでしょうか?でも、通常の精神をお持ちの方なら、110番くらいするでしょう。自殺を「権利」といわれる方は、それさえもしませんか?

 集団自殺のような事件は、波及効果が恐ろしいのです。だから止めさせなければならない。少なくとも、こうしたことと、個人が勝手に自殺していくこととは、区別しなければならないと思います。で、質問者さんは具体的に何がお聞きになりたいのでしょうか。一般的なご意見募集は、ここでは禁止されているはずですが。

投稿日時 - 2004-11-10 14:07:35

お礼

>政府が「偽善」に見えるとでもいうのですか?とんでもない話です。

言い方が足りなかったようです。自殺サイトを閉鎖して自殺させないようにするのはいいが、自殺の根本となる世の中の不景気などの様々な問題を解決しない限り、根本的な解決には至らないと思うのです。自殺サイトを閉鎖したって、自殺する人はするでしょう。

>ヘタなことしたら、罪に問われかねませんよ。

見て見ぬふりをしても罪に問われるのでしょうか?
私は話くらいなら聞きます。

>質問者さんは具体的に何がお聞きになりたいのでしょうか。

自殺は是か非か?でしょうね。

投稿日時 - 2004-11-11 08:07:40

ANo.8

身内経験者です。
ただその人がいなくなるだけじゃないです。
今でも、生きていれば教えてもらえたのにとか本人をうらんだりでしまったり、自分のへの連鎖的要素を考えてしまったり。
私は人がそういう考えをもっていたら絶対にやめさせます。(状況問わず。)

投稿日時 - 2004-11-10 13:50:33

お礼

身内ならば私も止めますし、その人のその後を責任取るつもりです。ありがとうございました。

投稿日時 - 2004-11-11 08:03:25

ANo.7

昔、同僚が自殺しました。
家族の悲しみは計り知れないものでした。
自分が何もできなかった事を悔やみました。

赤の他人であっても、そういう思いをする人が必ずいると思うと、なんとか思いとどまらせようとすると思います。

投稿日時 - 2004-11-10 13:37:11

お礼

ありがとうございます。
知り合いに自殺者が出ると悲しいですよね。
自分を責めてしまうのも分かります。

投稿日時 - 2004-11-11 08:02:17

ANo.6

 色々意見はあるようですが、人を助けるのに理由が必要なら、それこそ本当に嫌な世の中じゃないですか?
 人を見捨てるには理由が必要ですが、助けるのには理由はいらないと俺は思います。
 実際、自殺を止める理由なんて誰にも答えられるわけないです。本能なんだから。

 結果として助けられた人がさらに不幸になったとしても、それはあくまで結果論でしかないし、俺は別に不幸になってほしくて助けるわけじゃないです。

投稿日時 - 2004-11-10 13:33:02

お礼

確かに自分の目の前で死なれて気分が悪くならない人はいないと思いますけど、自分の知らないところで死んでいく人もたくさんいますよね?そういう人を知っても「ああ、そうなんだ」と受け流してしまいがちではないですか?

投稿日時 - 2004-11-10 17:00:43

ANo.5

死体の処理が迷惑だから辞めてくれとは、私も思うのですが、病死してもやっぱり他人の世話になるし、事前処理をして迷惑をかけない死に方があれば良いのかということにもなり、根本的になんで死んではいけないか、という説明ができないと思います。

命は尊いというテーゼを、本気で信じられないから死ぬのでしょうし、多くの人はさして本気で信じてもいないと思います。そんなに本気で命の尊さを信じていたら、先頃のイラク邦人拉致の時も、自己責任だから死も止むなしという意見はそんなに飛び交わない筈です。所詮、「みんなの迷惑だから」「誰の税金で救出作業してもらっているの」という意見の背景には、命よりも、利害関係の方が優先しているのですから。やむを得ない場合、つまり、状況さえ許せば、死んでもらっても良いと、いくらかの人は考えているわけです。そこまで考えるのは、行き過ぎにしても、そういう傾向はあると思います。命の尊さというのが、日常の建前でしかないこと。

日常の建前の世界にいられる人は、死ぬなとは言うけれど、それ以上は、関わり合い御免でしょうね。面倒くさそうな相手だから。

命の尊さと自殺がなぜいけないかを考える場合には、本当は宗教の役割になりますけど、これも難しいですね。宗教を信じても、神の国に早く行きたいと考える人も出てくるわけで、そうなると神様は絶対自殺を許さないという理屈にしなくてはいけないわけで、実際、そういう理屈になっている宗教もありますし、最近では、霊能者と称するみなさんも自殺者は成仏できないで地縛霊になるとか言ってますが、そんな話で、思いとどまるような人は、まだまだ日常の論理の世界でやっていける人で、脅かす以上の役に立っているかどうかは、不明の点もあると思います。

ただ、自殺と風土、文化が関係あるのは、事実のようです。


http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/7340.html
http://amor1029.exblog.jp/1041940/

日本では、秋田等、北日本の人が多いです。宗教的にどうかというよりは、もっと別のものもありそうです。もちろん経済もありますが。なお、先進国の中では、日本が自殺率が多いので、キリスト教的な自殺観があまりないことも、いくらか関係あるのかもしれません。でも、このことは、宗教だけで割り切れないです。なぜならキューバなどは、自殺率が低いですね。それに、ロシアやリトアニアの自殺率は、社会不安によるものでしょうし、イラク戦争に参加している米軍兵士の自殺率は、おそらくクリスチャンであり、その宗教文化を受けた彼らを、宗教では止め切れていないという面があることを指していると思います(まったく止めていないとは思いませんが)。


私個人的な意見を、ほとんど書いていませんが、日常の「死んだらだめよ」的な世界で、日常の世界観で一種のマインドコントロールされている(確たる理屈・理由もなく死んじゃだめと信じ込んでいる)自分からは、やっぱり死ぬなとしか言えないけれど、日常を逸脱してしまって、同じ価値観にはもう居ない人には、その声は届かないし、どうすることも難しいのが現実だと思います。彼らと同じところまで、出ていって彼らをこっちの世界に取り戻すくらいのパワーがあれば別でしょうが・・・そういう人も中にはおられると思います。ただ、そういう人は、死のうとした人を、裁くようなタイプの人は居ないのではないかと、私は想像していますが、本当のところは知りません。

こちらが咎めるか咎めないかは、彼らの埒外で、もう関心もないと思います。非日常に行ってしまった彼らを、責めさいなむことも、こちら側の人間にはできにくいことです。日常の価値観をまだ保っている人同士での、「あちらに行っては行けないよ」という確認の意味はあると思います。それだけかもしれません。

参考URL:http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/7340.html http://amor1029.exblog.jp/1041940/

投稿日時 - 2004-11-10 13:18:34

お礼

ありがとうございます。

>命の尊さというのが、日常の建前でしかないこと。

むむ、考えさせられますね。確かに一理あるかも。

>日常の価値観をまだ保っている人同士での、「あちらに行っては行けないよ」という確認の意味はあると思います。それだけかもしれません。

そうかもしれないですね。

投稿日時 - 2004-11-10 16:56:47

ANo.4

 厳しい意見になりますけど、自殺って自分勝手だと思います。どんな理由があるにせよ結局他人に迷惑をかけるじゃないですか。
 首吊りも飛び降りも飛び込みもガスでも睡眠薬でも、死体の処理するのは誰ですか?死人が自分の肉片拾ったりしませんよね。
 汚れた道路や部屋を片付けるのは生きてる人間です。
 無縁仏になる人の火葬代等は税金から支払われます。借金だったら自己破産すれば良いし、人間関係の事なら一人で悩まずに相談してみれば良い。病気の場合は微妙なところですが……。そういう方法だってあるのに何故他人に迷惑をかけるんでしょう。
 鬱病の発作などで突発的な自殺を試みる場合はそれは本人に責任の無い事だと思いますが、ただ「辛いから逃げる」と言うのは本当に逃げでしかありません。
 気に入らないからという理由で人を殴るのと同じです。暴力の矛先が自分か、他人かと言うだけの違いですよね。

 と、上記のように考えているので自殺しようとしているのが身内や友人なら遠慮なく殴ってでも止めるでしょうし、他人なら怒ってしまうでしょう。
 見ず知らずの人間に迷惑をかけたり不愉快な思いをさせる資格があなたにあるんですか?と。
 本当に病気などで限られた命を生きている人は自殺のニュースなんか見たら自殺者の墓石蹴り倒したくなるんじゃないかなと思いますが。どうでしょう。少なくとも愉快には思わないと思います。
 その辺の配慮が出来る人が減ってきているのか。自分の権利だの自分の人生だの言う前にまず他人に迷惑をかけない生き方を学ぶべきなのでは、と思うんですが。

投稿日時 - 2004-11-10 12:34:23

お礼

飛び降りたり、電車に飛び込んだり、人目に付きそうなところで首をつったりするのは他人に迷惑をかけるのでいけないと思います。

ですが、富士の樹海や東尋坊、果てはナイアガラの滝のような遺体の出にくいところ、出たとしても人目につかないところでの自殺はどうでしょう?確かにこうした自殺者も片づける人がいますが、それは警察でありそれで給料をもらっているんだから迷惑とは言えないと思います。電車が止まったり、飛び降りたら何の関係もない人を巻き添えにすることは迷惑千万ですけどね。

無縁仏の火葬代は自殺者に限らず、天涯孤独の人だってホームレスの人だって該当するので自殺者だけに当てはめることはできません。それに自殺者だって税金を納めているのですから。

>人間関係の事なら一人で悩まずに相談してみれば良い。病気の場合は微妙なところですが……。そういう方法だってあるのに何故他人に迷惑をかけるんでしょう。

それは精神状態が正常なあなたのご意見です。自殺をする人はそんな余裕などないし、極限まで追いつめられています。

わざわざ回答してくださってありがとうございます。
ですがあなたのご意見はあまりにも他人事、健常者の
立場でしか見ていなくて、正しすぎるというか堅すぎて
理屈ではそうかもしれないけど、自殺をする人のことを
考えてないように思えます。批判して済みませんでした。

投稿日時 - 2004-11-10 13:06:39

ANo.3

私は止めます。

書かれている事は非常に正しいと思います。
100%同意します。
しかし、私は他人でも目の前で自殺をしようとしていたら間違いなく止めます。

理屈はうまく説明できません。
が、たとえば綺麗な女性が目の前にいたら、相手の気持ちはとりあえず置いといて口説いてみたくなるようなもんかな。

自殺を図った人の人生を思って止めるのではなく、私自身の中から湧き出てくる衝動として止めます。

投稿日時 - 2004-11-10 12:32:38

お礼

私も自殺しようとしているのを見逃すのは
後々苦々しい思いをするので話は聞きます。

ひとつ聞きたいのですが、その場は思いとどまっても
後日自殺を図ってしまったらどう感じますか?

投稿日時 - 2004-11-10 12:57:06

ANo.2

こんにちわ。

よく友人達に「おかしい」と言われてしまうんですが・・・
私は自殺という行為は本能の帳尻あわせではないかと思っています。
こういうのを簡単に1語で表せるはずなんですがど忘れしました(笑)。
ネズミか何かの集団自殺と同じように、動物としての本能で
「増えすぎてる!」という警告があるとでも言うか。
日本は島国だし、面積も小さい。
その小さい土地に対して、人間の数は多すぎるかなあ、と思うんです。

例え家族であったとしても、自分以外の人間の心のうちなんて本当は判らないし、
自殺する人のツライ気持ちを自分に置き換えるというのも不可能だと思っています。
所詮本当のところは理解できないという現実が、私の中である。
だからこそ自殺は本能だと思いたいのかも知れません。

なので私は、赤の他人が自殺を試みている場合、話は聞きますが止めません。
その人に生きる意志があれば、また本能が生きろと言う場合は考え直せると思うし、
本能が麻痺している場合はどんなに説得しても自殺という考えから
離れることはできないのでは、と思います。

投稿日時 - 2004-11-10 12:31:51

お礼

私もみすみす見逃しはしませんが話くらいは聞きます。
私がなんとかできる(話を聞く程度)範囲で済めば
いいでしょうが、手に負えない場合は止めないです。

投稿日時 - 2004-11-10 12:54:43

ANo.1

こんにちは。
私は自殺はあっていいと思ってます。
というか、「死ぬ権利」も保障されるべきじゃないのかな?って思います。

「生きる権利」ばかりが強調されますけど、生きるって事自体死ぬ事の裏返しですから、片方だけしか見ないで死を罪悪視する風潮に疑問を感じています。

投稿日時 - 2004-11-10 12:24:21

お礼

ありがとうございます。
生死の選択の自由はあってもいいですよね。

投稿日時 - 2004-11-10 12:53:04

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