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日本とアメリカが戦争したきっかけは?

日本とアメリカが第二次世界大戦時戦争したきっかけはなんだったのでしょう?

投稿日時 - 2005-01-21 13:12:03

QNo.1178663

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質問者が選んだベストアンサー

日本の中にもアメリカとは戦争したくないと言う声は少なくなかったのです。しかし、石油などの資源をアメリカに押さえられてしまい、これを打開しなければいけませんでした。

 当時、日本は「日独伊防共協定」を結んでおり、さらにドイツはソ連と「独ソ不可侵条約」を結びました。そこで、日本は日独伊の関係をさらに強化し、同時に、そこにソ連も加えて4カ国の同盟関係を作れば、アメリカも容易には攻撃できず、経済制裁の解除もしやすいと考え、「日独伊三国(軍事)同盟」を結成しました。だが、この軍事同盟に参加したことでアメリカは日本をヒットラー政権と同列に位置づけ、さらに日本への警戒心を強くしました。
 その後、日本は早期の4カ国同盟の結成を目指し、ドイツ側と調整を行っていました。ドイツは当初はこの同盟に(少なくとも表面上は)積極的でしたが、この頃になるとドイツはソ連侵攻の準備を始めていたので、(当然ですが)調整は上手くいきませんでした。なかなか動かないドイツに対してしびれを切らした日本は、ソ連と「日ソ中立条約」を締結し、残るイタリアとソ連との軍事同盟、そして新たなる4カ国での軍事同盟の再結成の準備に入りました。しかし、そんな思いも虚しく、中立条約締結の2ヶ月後には独ソ戦が開始されました。この時になって、初めて日本はドイツの真意を知りました。
 この結果、日本は大した後ろ盾もなくアメリカとの経済制裁の解除の交渉に臨まなければいけませんでした。その後、紆余曲折を経て、最終的に真珠湾攻撃となりました。

簡単に言えば、アメリカが日本に対して経済制裁を行い、これを解除しようと日本側はさらなる軍事同盟の強化・拡大という道を取ったものの、外交能力の甘さから自分の首を絞める結果になりました。

 余談になりますが、ドイツから見れば日本はドイツのじゃまばかりしたことになります。ドイツにとって「独ソ不可侵条約」は東側のフランスなどとの戦争を有利にするために、一時的に結んだ条約です(最初から、いつかは破ることを考えていました)。一方、ソ連側もいつかはドイツが破って攻めてくると考えていましたが、対日戦略のことを考えて条約を結び、戦力を東側に集めました。それを、ドイツが対ソ戦の準備を始めた頃に、日本が「日ソ中立条約」を締結してソ連の東側の脅威を消したために、東側に集中していたソ連の軍隊の大部分を西側に持ってくることができ、ドイツは当初の計画よりも、苦戦することになりました。
 さらに、当時アメリカは対独戦の大義名分もなく、国内の世論もヨーロッパの戦乱にアメリカが参戦すべきではないという声が多く、参戦できないでいました。そこに、ドイツとの軍事同盟を結んでる日本がアメリカに参戦してきたことで、アメリカは対独戦の大義名分を得ることになりました。

ついでに、ときどきヒットラーは軍事的なもので政権を取ったと勘違いをしている人がいますが、ヒットラーは選挙で徐々に自分達の議席を増やし、国会でヒットラー独裁政権のための法案を可決させ、独裁化しました。何でもかんでも多数決をしたがる人がいますが、それは危険なことだと教えてくれることです。また、日本は経済制裁を受けたことで、最終的に戦争に突入しました。北朝鮮への経済制裁も、行った結果(破れかぶれで)日本や韓国へ戦争して来るとも限りません。不用意に経済制裁をすべきではないのです。

最後に、戦後の「東京裁判(極東国際軍事裁判)」において、日本側の弁護についたアメリカの弁護士は、日本がアメリカに対して戦争を行ったことに関する弁護で「日本の(宣戦布告なしの奇襲である)真珠湾での攻撃をしたことを罪とするならば、広島・長崎において行われた新兵器による一般人も含めた大量虐殺も罰せられなければならない」という内容で弁明しましたが、無視されてしまいました。(アメリカはもちろんのこと、日本でも原爆による攻撃でポツダム宣言を受諾したと思っている方が多いのですが、実際は、ソ連の参戦により、連合国側との仲介役をソ連に頼もうとする考えができなくなり、ポツダム宣言を受諾したのです。ここでもいろいろあるのですが、余談が長くなるので、止めます。)

投稿日時 - 2005-01-22 15:58:48

ANo.6

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回答(8)

ANo.8

一言で言うと
アメリカにいた外交館員のせいです

確か真珠湾爆撃後、停戦する算段でしたが、
外交館員たちが何かの祝い事をしていたせいで
公式文書の英訳に時間がかかり、間に合わなかった
とかなんとか

投稿日時 - 2005-01-23 00:19:08

お礼

皆さん回答ありがとうございました
結局のところ上の問題なのに
国民にまで被害がでる事態になろうとは困ったものですね
大変参考になりましたありがとうございました

投稿日時 - 2005-01-24 03:43:06

ANo.7

あまり詳しくありませんが、私の理解です。誤っていたらどなたかご訂正ください。質問者の疑問は直接的きっかけについてではなくて原因のことかなあとおもいましたのでそのような回答を書いて見ます。
1929年10月24日ニューヨーク証券取引所で株価の大暴落があり、世界中の資本主義世界に史上最大の不況をもたらしました。これが世界恐慌というやつですが、これを克服するために英国は1932年オタワ協定を締結しました。植民地の市場を独占し、工業原料や農作物などを安価に求めることによって国内産業を元気付けられると考えて英連邦内での貿易に特別低い関税(特恵関税といいます)を設定したわけです。この経済圏をスターリング=ブロックと呼んでいます。フランスも同様にフラン=ブロックを形成し他国の市場締め出しを行いました。合衆国は自由と民主主義を主張(今も全く進歩していませんが)していますので、さすがに更なる植民地拡大には手を染めませんが、中南米の各国に半ば強制的に融資を行って、債務漬けにし、経済的な支配地域を拡大していきました。これによって市場を確保し、これはドル=ブロックと呼ばれています。このようにして先進国は次々と自国の経済ブロックを固める事で不況を乗り越えようとしたため、国内に資源を持たない日本・イタリア・ドイツなどは市場までをも失ってしまいました。日本はこうした状況を打破するために独自の経済ブロックを確立し、資源の独自調達を可能にするためにヨーロッパの植民地支配からアジアを解放するとの大儀を立てて、大東亜共栄圏の確率を目論んだわけです。こうしてアジアへの侵略を進めた事に対して、合衆国が危機感を抱き両国の関係が悪化してしまったのです。

投稿日時 - 2005-01-22 19:21:29

ANo.5

直接原因は日中戦争です。

中国は、米中交渉でアメリカの武器の支援の他、経済圧力の約束及び実行にこぎつけました。

一時期、日本もフィリピンに近い東南アジアの日本軍撤退などの譲歩でアメリカの経済制裁を解く寸前まで交渉を進めて行きました。

アメリカにとっては他国の事であり、自国の利益、「日本軍の東南アジアからの軍備撤退」
の方がよほど安全株購入であり、
石油で日本をいいようにコントロールするのが得策であった事は容易に想像が付きます。

しかし、アメリカの日本コントロール。
これが実現すれば国家存亡の危機に瀕する中国は、
アメリカとの交渉で、
日本人は嘘が上手い。
アメリカとの戦争準備の為の物資輸入だ。
などと激しく日本を非難しました。

その翌日、ルーズベルトに、「日本陸軍の大船団が南下中」と言う電報が届きました。

これは単なる誤報(見間違い)でした。

「日本人は嘘が上手い。撤退すると言いながらフィリピン方面に軍備を整えている!」
ルーズベルトは激怒し、

翌日、
江戸時代以前の領土まで領土を削減しない場合、輸出再開は有り得ない。
輸出再開の条約文は、1夜にして最終通告に代わりました。

陸軍省を「交渉は優勢である」と押さえつけていた外務省は、陸軍を説得する理由を失ってしまい、
陸軍の付けた外務交渉期限12月8日、開戦に突入しました。

投稿日時 - 2005-01-21 18:15:51

ANo.4

http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi-keii1.html

永野修 軍令部総長
「米国の主張に屈すれば亡国は必至とのことだが、戦うもまた亡国であるかも知れぬ。だが、
戦わずしての亡国は魂を喪失する民族永遠の亡国であり、最後の一兵まで戦うことによってのみ死中に活を見出し得るであろう。
戦ってよし勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば
われらの子孫は再起、三起するであろう。」 


きっかけの一つはアメリカによる全面的対日経済断交だと思うのですけどね。
日本経済は全般的に米英依存経済にあり、日本の苦悩は深刻でした。

戦争をはじめたきっかけ、開戦に至る経緯を考える場合、
欧米諸国によるアジア侵略、植民地化してきた時代背景を十分に考慮する必要があります。
阿片戦争や米西戦争、排日移民法問題、国際連盟の人種差別撤廃条項の否決といった
『白人至上主義』を背景とした我が国との対立の諸要因を、
100年以上の歴史の継続/連続的なものとして考察する必要があります。


脱線しますが以下は個人的な意見。

世界的に日本は悪。侵略戦争をやった悪い奴らと言われ、
戦後日本人もそういう風に教育されていますから「私たちは悪いことをした」と
一般的には認識していると思います。。
でもそれは戦勝国による一方的な主張により教育されたと言って良いと思います。
戦争に勝った方が正義になってしまう。
それを絶対的な正義として信じている日本人がいますが、間違っていると思います。

投稿日時 - 2005-01-21 15:23:13

ANo.3

戦争の是非を述べている訳ではないことを最初にお断りしておいた上で。

日本は欧州列強を見習って領土を広める為アジア方面に打って出ました。
大義名分も理想も確かにありましたが、有り体に言えば侵略です。
で、元々その歴史の長くを戦士階級が支配してきた民族ですから、初期にはその侵略は成功を収め、
どんどん勢力を広げていったのです。
日本人にしてみれば欧州列強やアメリカの真似をし、追いつけ追い越せでやっていたのですが、
彼らから見ると昨日までチョンマゲ結ってたアジアの下等民族が、
あれよあれよと言う間に力をつけ、自分たちの領分を侵してきたことが許せず、
ABCD包囲網に代表される強烈な外圧をかけてきたのです。
で、追いつめられた日本は前に出るしかなく、結局開戦のやむなきに至ったのでした。
イラクが2度の湾岸戦争に追い込まれた経緯を思い出してみて下さい。
フセインは悪だと私自身も思っていますが、彼に他の選択肢はなかったのです。

投稿日時 - 2005-01-21 13:36:46

ANo.2

ここに「きっかけ」が書いてあるはずです。

【戦争の勃発】1941年11月5日の御前会議において,12月1日までに対米交渉が成立しない場合は,対米英オランダ戦争を決意し,12月初めに武力を発動することを決定した。11月末の日米交渉におけるアメリカ側の非妥協的な条件の提示により,日本側の開戦の方針がかたまり,12月1日の御前会議においてこのことを正式に決定した。12月8日午前2時(以下日本時間)に日本軍はマレー北部に上陸し,午前3時19分に日本機動部隊がハワイの真珠湾攻撃を開始した。午前4時に駐米日本大使がアメリカ側に最後通牒を手渡し,対米英宣戦の詔書が発せられた。一方,米・英も対日宣戦布告を行い,以後4年間にわたる本格的な全面戦争が始まった。

参考URL:http://www.tabiken.com/history/doc/L/L130C200.HTM

投稿日時 - 2005-01-21 13:33:06

ANo.1

1941(昭和16)年12月8日
日本軍のコタバル上陸、真珠湾攻撃
先に攻撃したのはアメリカ海軍駆逐艦「ワード」によって開戦

という訳で、真珠湾攻撃によってアメリカが参戦しました。

参考URL:http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/ta/ww2.html

投稿日時 - 2005-01-21 13:17:14

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