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締切り済みの質問

悪人と善人

道徳や倫理などの教育を一切受けず、かといって悪いことも教えず、、、、要するに人間を何の教育も受けさせずに自由奔放に育てると、その人間は殺人も厭わない悪人に育つのでしょうか、それともずるがしこさの無い素朴な善人に育つのでしょうか。

投稿日時 - 2005-01-27 18:57:51

QNo.1188715

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回答(16)

人間とは本来、どういう生き物なのか、というのが主旨のようですから、それをヒントに考えてみます。
 昆虫などは誰からも何も教えられることなくちゃんと行動できますが、鳥やほ乳類になると親が獲物の取り方や危険な敵からの逃げ方などを教えます。
 人間の場合は、広い意味での教育(親との接触、友達同士の遊びなど)無くして、人間にはならない、と考えられます。実際、生後すぐに狼にさらわれ、狼に育てられたた少女は狼のようにしか行動できなかったとのことです。
 その人間の「本来」のありかたを左右するのは、特に親の愛情の如何です。今日の新聞にこんな詩が載っていました。

 批判ばかりされた子供は非難することをおぼえる
 殴られて大きくなった子供は力に頼ることをおぼえる(中略)
 しかし、激励を受けた子供は自信をおぼえる
 寛容に出会った子供は忍耐をおぼえる(中略)
 安心を経験した子供は信頼をおぼえる
 可愛がられ抱きしめられた子供は世界中の愛情を感じ取ることができる(スウェーデンの中学教科書から)

 何も教えないと言っても、子供は親を見て育ちますし、周囲の大人や子供の影響を受け、精神的、身体的交渉を持ちながら育ちます。親が愛情深くあれば(過保護は愛情ではありません)、そして、子供が子供同士での遊びを充分経験して育てば、特に道徳だとか倫理だとかを意識的に教えなくても、その人はそこそこ社会に適応した人に育つと思います。それを善人というのなら、善人に育つのでしょう。殺人も厭わない悪人には絶対にならないと思いますが、ずるがしこさが全くないかどうかと言えば、それは分かりません。
 子供は親の考え(偏見も含めて)、社会の考えを無批判に受け入れますから、親の考えに間違ったところがあれば、それをそのまま引き継ぐ可能性が多いと思います。
 しかし、愛情深く育てられた子供であれば、心の安定した人間に育ちますから、正しい教育によって正しい人間になることができると思います。
 
 

参考URL:http://www.katei-hoikuen.com/kankyo4.htm

投稿日時 - 2005-02-24 16:27:56

ANo.15

道徳や倫理、教育など受けなくても、自由奔放に育つ環境があれば、いくらでも知識を得ることはできると思います。よって、前提が崩れてしました。
悪い人間の中で育てば、悪い人間になることもあると思いますが、悪いことをする人間には、それぞれ事情があり、道徳や倫理を知らないから犯罪をする、とは限らないと思います。
ある種、踏み越え、は、知識があればあるほどやりやすい。美化しやすいですから。
(踏み越えは、犯罪のことです)

投稿日時 - 2005-02-17 04:52:08

ANo.14

 
1:善人であるか、悪人であるかは、判断の対象となる人物以外の者が行います。
 
2:道徳や倫理の教育を受けない=判断を行う者が「善い行い」「悪い行い」として判断する基準を、「善人」「悪人」として判断される人物が全く知らされていない状態と仮定します。
 
 このような前提で考えると「悪い行い」を平気で行うということは十分にありえる話です(*)。
 しかし、「善い行い」をしているフリをして「悪い行い」をするような、ずるがしこい行為もできません。この点では素朴です。
  
 (*)倫理観の異なる国を訪れた人物が、「善い」「悪い」の判断基準が異なるために、その国で白い目をされるような行動を取ってしまう状況を考えてみてください。

(なお、大変失礼なこととは存じておりますが、ご自分の質問の焦点を絞られ、質問意図を明確にされると有意義な意見交換が図られるものと存じます。)
  

投稿日時 - 2005-02-09 20:12:42

ANo.13

人間は、他の動物や植物の社会(世界)から見ると彼らの存在を危険に晒している動物なのではないかなと思います。それをそうではない方向にもっていく教育というのは私は受けたことがないです。ですから子供にもそういう教育を「さあ、始めようか」と言ったりしたこともないです。それじゃあ駄目だよなあと思います。じゃあ、そのこが善人か悪人か?と言われると犯罪を犯してはいませんから、社会ルールの範疇には収まっているという状態にはあります。思い起こすとルールのない遊びは教えなかったですし、本人も嫌いでしたから、人間が勝手にこしらえたTVゲームはやらないですね。スポーツにはルールがあるのでそっちにはまってますね。一人っ子ですが動物は、猫3、犬3でしたのでまるで兄弟のようにじゃれてました。口にくわえたり、顔をひっかかれたりでしたね。でも、お互いに手加減していたのでそこにはルールはありましたね。人間が人間として人間社会に生きることだけを論点とするならば、法律より人間としてのルールを教育することは必要で、善と悪の区別はその後に認識されるのではないかと思量します。幼いときから「これは善」「これは悪」とは教えても判らないですし、心の才能のひとつは自分で善悪を区別していくことですからそっちが先だと思います。教育は、そこのところで必要なのだと思います。その才能のない人は、無垢な子供を教育する立場にないと思うのです。などと自分の人生を反省する昨今です。

投稿日時 - 2005-02-05 16:39:28

ANo.12

No.9です。

 「善人になるか、悪人になるか」ではなく「善人とみなされるか、悪人とみなされるか」であるならば、いわゆる「悪人」でしょうね(前の回答に書いたように、「人間社会の一員でないものが善人か、悪人かと考える」事が誤りであるという前提ですが)
 なぜならば、人間社会を形成する倫理観・道徳観・宗教観が、“動物的本能をいかに制御し、秩序を維持するか”に寄るところが大きいからです。法律や慣習なども、そういった倫理観・道徳観・宗教観に基づいている部分が大きいからです。
 ですから、動物としての「ヒト」として育った子供は本能に基づいて行動するので(もちろん当人にとっては生命維持活動のための行動ですから「善・悪」は存在しません)、社会から見れば「悪人」とみなされやすいでしょう。ただし、人間社会の一員でない「ヒト」の行動ですから、イヌやネコが「悪さをした」と同じように捉えられるかもしれません。

投稿日時 - 2005-02-02 22:58:13

ANo.11

補足説明ありがとうございます。

言語の中にも 倫理観が含まれていたりしますよね?
(数学なら 無いと思いますが・・)

文化も伝わらないわけで・・。

人間以外の動物と 一緒になっちゃうのでは?

>人間とは本来どういう生き物なのか
次の世代に 文化などが伝えられる、
自分の価値観を持つ、
などが いわゆる 人間 といわれる部分だと思いますが・・・。

「本来」の意味づけがわかりませんが、地球上の動物でしか過ぎないということでしょうか?
なら、動物です。

ほらぁ おおかみに育てられた有名な話があるじゃぁないですかぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・。

投稿日時 - 2005-02-02 21:24:23

ANo.10

質問者さんの「教育」は 学校教育のみを指しておられますか?

投稿日時 - 2005-01-28 20:04:02

補足

いえ、親からの教育も含めて、のつもりです。

投稿日時 - 2005-01-31 23:45:49

ANo.9

 善悪の判断基準はわれわれの社会によってなされるものであって、行為そのものには、善悪は存在しません。例えば「殺人」という行為に対しても、社会や共同体において、悪とされる「殺人」もあれば、善とされる「殺人」、善悪関係ない「殺人」が存在します。
 ご質問のように子育てをされるというのは、子供を社会や共同体の一員とせずに育てることですから、人間としてでなく動物学上の「ヒト」として育てることでしょう。そうなればその子供の行為は善悪の価値基準がないので、善人にも悪人にもなりません。ただし、われわれ人間社会の側からすればその行為に、善悪の判断はするでしょう。例えば犬が室内で糞をしたり、猫が金魚を捕ったりしても、犬や猫は「悪事を行った」とは思わないでしょう。それを「悪」と判断するのはあくまでも人間側です。また日本では意識されない行為が、異なる文化圏においては善・悪と認識される。しかし日本人にすれば善・悪とは意識しない。それと同様でしょう。ただしその文化圏の情報を知れば、その社会の一員となるため「善悪」は生まれます。
 仏教において、初心の修行者には固定的な「善悪」を示しても、高度な次元になると「善悪」は固定的なものでないと説くのも興味深いです。

 ただし先に回答があったように、完全に社会から隔絶して子育てすることが可能であるかどうかは疑問です。たとえば言葉を話しかけるだけでも、その子供を社会の一員に形成させるからです(言葉の一言一句に意識する、しないにかかわらず、その社会の文化・慣習・倫理などが含まれるからです)。まあ、動物に育てさせるとか、完全に社会から分離して、ロボットに育てさせるかすれば可能でしょうが(成長できるかどうかは別として)。

 ですから人間社会の一員でないものが善人か、悪人かと考える前提じたいが誤りです。それを判断するのは社会です。

投稿日時 - 2005-01-28 11:11:01

ANo.8

最初の >道徳や倫理などの教育を一切受けず というのを読んで、ちょっとドキッとしました。というのは一部の私立中高一貫校では「道徳」の時間(道徳は教科ではないので)というものが存在しないので。
ただ、質問者さんの言わんとするのは「学校教育」に限らず「子育て」全ての面で良いことも悪くことも教えない、という意味ですね?

そこで >何の教育も受けさせずに自由奔放に育てる
というのは、現実問題として果たして可能でしょうか?生まれたままの赤ん坊は、放っておけば死ぬだけです。育児者が子どもに食べ物・その他の世話をし、言葉がしゃべれるまでに養育することではじめて「人間」になることができます。その過程で「良いこと、悪いこと」に一切触れさせない、排除するなど不可能です。

人間誰しも、そこそこの良いことと悪いことを習いながらでないと、成長することもできない、と思います。
よってもし、>何の教育も受けさせずに自由奔放に 育てた場合、 言葉もしゃべれず、「人間」になれない、というのが私の意見です。強いて挙げれば「オオカミに育てられた少女、アマラ・カマラ」(←この物語自体は、フィクションだとの意見が強いようですが)のような例でしょうか。

投稿日時 - 2005-01-28 08:03:55

補足

人間とは本来どういう生き物なのか、ということと、教育はどう役立っているのか、ということを考えておりました。

投稿日時 - 2005-01-31 23:48:13

ANo.7

道徳を勉強するということは、人格形成の一部にすぎないのではないではないでしょうか?
 もし自由奔放 親は子を投げっぱなし 学校でもすき放題 という子供を100人比較しても(兄弟でもかまいませんが)絶対に同じ人間には育ちません。育ったら奇跡だと思います。
 その他、遺伝子を始めいろんな環境によって人格は変わります。生活の中では必ず人との交流もありますし、もしかしたらまったくないかもしれないですし、それはわかりません。悪人と会ってなんとなく、その道に入る人もいれば、なんとなく嫌で避けるかもしれません。
つまりは、なにがあるかわからないのです。
 逆をいえば、道徳教育を受けた=善人になる とは限りません。もしこの等式が成り立てば、世界から簡単に暴力も犯罪も戦争もなくなるでしょう。
 世界には昨日まで犯罪をしていた人が善人になったり、機能まであんなにいい人だったのに、すごく乱暴になったりという人もいます。もちろん病気ではありません。というより精神の病気の定義がすごく曖昧です。
 子供が愛(人、子供によって何が愛なのか違いますが)を感じ、特に不安や、嫌なこと、ストレスもなくて常に穏やかな気持ちであれば、きっと穏やかに育つのでしょう。とは言いますが実際何があるかわからないのが人生ですので、コノ質問の答えはありません。答えれたらそれはすべてを知っている神(いるかは別として)ですね。

投稿日時 - 2005-01-27 20:25:17

ANo.6

周囲で関わる人々、情報や環境などに影響されて育つと思います。

関わる人々とは、家族、親戚、近所の人々、友人など。

情報とは、読書、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など。

環境とは、自然豊かな場所か、自然が少ない場所か、動物を飼育しているかなど。

 

投稿日時 - 2005-01-27 20:24:31

ANo.5

いわゆる「自然状態」論の話だと思います。
近代思想が国家の成立を要求する場合に、その原理的な根拠を提示するものとして、全く素の状態の場合、即ち教育も法律も何もない状態では人間はどのように振舞うと想定されるのか、という話です。
論者によって捉え方は全く異なりますが有名なのはホッブズとロック、それにルソーによるものですね。
ホッブズ『リヴァイアサン』における場合、自然状態は戦争状態とイコールです。つまり、誰もが自己の欲求を存分に出し合い、隙あらば他人を殺して土地を奪っていくような状態です。質問者様の言葉で言えば「悪人」です。
他方、ロックやルソーにおいては自然状態はそれほど過酷なものではありません。人々は欲望を持ちますが、同時に理性的な秩序を形成することが出来ます。これを「自然法」と呼びます。この場合、「善人」もおりますが、狡猾な人間により自由や権利が掠め取られていく、とも書かれているので、それはどちらかといえば「悪人」でしょう。
このように、論者によって様々ではありますが、基本的には「善人」タイプではないような気がします。
それはまた、性善説や性悪説(性白紙説もありますが)といった議論と同様に、科学的には論証しえていない話ですね。
しかし、たとえ意識的に教えられなくても、実際は日々の生活における環境によって人間は影響されます。従って、「自由奔放」とはいっても、無意識の「教育」が働いていると見るべきでしょう。「自然状態」論は、
ロックは除き)理論的フィクションとして構想されているので、質問者様のご関心により沿うものであると思った次第です。

投稿日時 - 2005-01-27 20:07:32

ANo.4

サル山の猿とか、ヤクザの世界のようになるのでしょうね。 自己防衛に徹し、力関係には損得だけで対応するそんな人間になるのかな。 いまでも沢山いるような気がする。

投稿日時 - 2005-01-27 19:47:40

ANo.3

善悪の区別がつかないのでどちらでも無い人間になると思いますよ。湧き上がってくる感情のまま動く感じですかね・・・。

投稿日時 - 2005-01-27 19:27:01

ANo.2

きっと、ずるがしこさの無い素朴な殺人鬼に育つと思います。
よって悪人。

投稿日時 - 2005-01-27 19:19:22

ANo.1

 環境によるとおもいます。人間を何の教育も受けさせずに自由奔放に育てる、たったそれだけの条件下ではなんともいえません。教育を受けさせなくても、その者は自然と自育するのですから。

投稿日時 - 2005-01-27 19:09:17

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