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科学=邪教?

宗教の側から見て「科学」=「邪教」である、という話しを聞いたことがあります。理由は欲望を際限なく増幅させ、満ち足りるということができないから…だったと思います。
私はその言葉を否定はできないと思うのですが、別に科学を否定する気もありません。皆さんはどう思いますか?ご意見を聞かせてください。

また、「科学」=「邪教」という言葉を論じているのは「~教」の立場だ!というのをわかればそれもお願いします。

できれば宗教に対する偏見のない方の回答をお待ちしております。

投稿日時 - 2005-07-27 05:39:21

QNo.1540952

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回答(17)

ANo.17

そもそも科学の元になる学問がなぜ発生したか御存知ですか?

 人間の最初の学問、それは『神学』です。ギリシャ神話、北欧神話辺りが有名です。あれは今からすれば笑い話です。(神様が怒っているから雷が鳴るなどですね)しかし当時の人々は真面目に考察していました。火を使うのは神様に教えてもらったからだ、というのも当時では本気で信じていました。それで嵐がやってくると人間を生贄にしたりもしました。現在からすれば漫才にも出来そうですが、当時の人々は真剣に神学を研究していました。
 最初にその神学から離れて純粋哲学をした人々は『イオニア哲学』です。ソクラテスの『無知の知』やプラトンの『イデア論』やデモクリトスの『原子論』あたりは聞いたことありませんか? ただ、そのイオニアという都市は宗教の縛りがあまり無い地域だったはずです。逆に神学に嫌気が差した人々が神様から離れた考え方をしたのかもしれませんね。
 純粋な学問である『哲学』は残念ながら一般には広まりませんでした。当時は神学や教皇などが絶大な権力と支持を誇っていたからです。原子について知っているよりも神様に愚痴をこぼしたりする方が当時の人々にとっては大事なことだったのでしょう。原子を知っていてもトリビア(なつかしいですね)にしかなりませんが、神様に愚痴をこぼせば精神的に和らぎます。そのために中世では神学がまだまだ流行っていました。オックスフォード大学のウィクリフあたりでは(1200年ごろです)まだ神学が科学を上回っていました。
 それが徐々に科学が神学を上回っていきます。そうして現代では科学万能、まさしく科学教とも言える時代がやって来ました。

 科学はそもそもなぜ発展したのでしょうか? 便利だから発展したのでしょうか? 便利さを求めて科学は始まったのでしょうか?
 ……実は違います。科学は神学の一部分でした。聖書に書いてあります。人間が地を支配するように、と。そうです。神様に従って地を支配するために生み出した手段。それが科学です。科学を通して人間が立派になって地球に楽園を作る。それを夢見た学者も相当数いるはずです。特に医学は人助けの気持ちの強い学問と思います。
 また、科学は神様がどうやってこの地球を作ったのか、神様は地球にどのような願いや意志を込めたか。それを知るための『手段』でもありました。と、いうよりも主な目的はこの『好奇心』です。
 神様は万能と考えられていました。万能の神様について知りたい。死後の世界について知りたい。しかし神学で神様や天国や地獄について論じても一向に答えが出ません。当たり前ですね。それらは目に見えないものですから。
 そこで神様の作った地球や他の動植物について調べれば、神様や天国や生きている理由までも知ることが出来るのではないか……。それが本当の科学の始まりの理由です。
 ですので本当は科学は神様の能力を知る、という一種の大掛かりな『遊び』といえました。
 ところが科学によって火薬、鉄砲、活版印刷術などが発達するにしたがって科学は本来の目的である神学を離れて一人歩きしだしました。神様に祈るよりも科学の方が即効性があります。神様は目に見えませんが、科学はすぐに結果が出ます。確実です。そうなれば神学から科学が離れるのも当たり前ともいえます。
 そうして現代の科学は原子爆弾投下、地球環境の破壊、などの悪行を尽くしています。逆に善行も数え切れないほどしていますが……。

ですので科学は元々は神学の一部分であり

科学≠邪教
科学=神学の手段

です。ただ、現代では科学が悪用されているだけです。バカとハサミは使いようです。科学というハサミも上手に使えば病人を救ったり食糧を供給したり洞窟を探検したり出来ます。間違えて使えば地球を破壊し、砂漠を増やし、病気が異常に流行したりするだけです。欲望も同じです。適度に欲望を満足させれば人生が楽しくなりますが、欲望が増えすぎると人生が苦しくなります。

私も書いていて考えが整理されていきました。誠に有難うございました。

投稿日時 - 2011-05-05 15:35:16

ANo.16

>>欲望を際限なく増幅させ
これはむしろ大国の資本主義と軍事勢力が一番の原因でしょう。
資本主義の下では、利潤が優先されるわけです。

↓これは極端な例です。

ある製薬会社があります。
そこでは金儲けのために、
新種のウイルスと、そのワクチンを作り出します。
そのウイルスをわざと秘密裏に地球に散布します。
当然、世界中の人は病気になります。
そこを狙ってワクチンを売り出し、
市場を独占、大儲けしてその企業は大喜び・・・。

こんな話は現実にあるわけです。それが資本主義です。
儲けようと思えば、悪知恵を働かす。
その商売にもってこいなのが科学技術ってなわけです。
ブルジョア階級がサイエンス分野の開発事業に投資し、
ウォール街を中心としたマネーゲームをやってるわけです。

科学技術そのものが邪というのは少し変です。
科学技術は金儲けの道具になってしまっているだけです。
資本主義、つまり金儲けの社会、これが問題なわけです。
そこには神も仏も倫理も道徳もさらには法律も無視され、
ただカネと企業競争に勝つための暴走しかないのです。
欲望を肥大化させているのはマネー、つまり資本主義経済です。
このまま行けば、
抑止や満足の歯止めが効かなくなってボカン!!です。

投稿日時 - 2008-11-18 06:58:44

ANo.15

法輪功が科学=邪教と見ているというのは、誤りです。
確かに法輪功は、科学は完全なものではなく、気功などの分野についてはの科学的解明が進んでいないことは言っています。
しかし、科学=邪教とまでは言っていません。

中国政府は法輪功にカルトのレッテルを貼るため、あの手この手のイメージ操作を行っています。
法輪功を痛烈に批判するサイトを見れば分かると思いますが、そのほとんどが、中国大使館や中国政府支配下のマスコミによるものだと思います。

実際には、法輪功愛好者の科学者らが、法輪功に対する科学的考察などもやっており、それをサイト上で公開していたりもします(中国語ですけど)
もし中国語が読めるなら、このサイトはちょっとお勧めです。
リアルの科学者たちがこんなこと考えてるなんて、
ロマンがあって面白いと思いました。

参考URL:http://zhengjian.org/zj/index.html

投稿日時 - 2005-12-19 04:59:29

ANo.14

今の時代「科学」の恩恵に浸って生活していない人がいるでしょうか?
科学の発展なしに現代の”人間らしい生活”は送れません。
火をつけるときに、手に肉刺をつくりながら木と木をこすりあわせて火を点けている人がいますか?コンロをひねると一瞬で火は点きます。十分で且つ安定した火力が得られます。「火」ひとつとってみても、科学の恩恵なのです。「科学」=「邪教」とする人は、山へ行き、腰に葉っぱを巻いて槍を片手にイノシシを追いかけているのでしょうか?おそらく、科学の恩恵に浸って暮らしていることでしょう。自分が科学に生かされていることを承知の上で「科学」=「邪教」とし、邪教の恵みによって自分が支えられていると認識できているのならば、科学者は何も反論はしないと思います。
私は、宗教を否定はしませんが、宗教が科学を否定してかかるのは横柄なことであると思います。イノシシの肉を求めて野山を駆けずり回って生計を立てている人たちの宗教ならば文句はありませんが。

投稿日時 - 2005-11-05 19:36:54

ANo.13

地球環境の問題で、よく
『科学は人間の生活を豊かにするはずのものなのに、何故・・・・』
という文章をよく見かけます。
誰が豊かにするなどと言ったのでしょう?科学者は自分たちの欲求(知的欲求や金銭的欲求)を満たすためにのみ研究を行うのが一般的です(もちろんそうでない人もいますが少ないです)。
科学者とエンジニアの違いです。科学者が考えた理論でエンジニアが人間の役に立つ物を生み出す。
この考えなしの開発は欲求によってのみ突き動かされているため、『欲望を際限なく増幅させ、満ち足りるということができないから』という言葉も当たらずとも遠からずと言えなくもないと思います。


『科学』=『邪教』というのはかなりの宗教にあると思われます。例えば、キリスト教が世界を支配していた時代(この言葉遣いに不快感を感じたとすれば申し訳ありません)にアリストテレスの教えを学校のような場所で教えたと言われていますが、その時に聖書に合わない物事は無理やりに捻じ曲げて教えたと言われています。
キリスト教はアリストテレスが考えた物理法則や疑問点などを、『神の力は万能である』などとしてこじつけた。

これ以後も世界の科学は教会によって押さえられ、ガリレオの格言やTOマップなど、あの時代のために世界の科学状況は200年以上遅れたとさえ言われています。

さらに、ルートの中にマイナスの数字が入ると、その時代で考えられていた数字では表せない事が発見されたときなど、教会に『数字は美しい物だ。そのような事は考えるな』(言葉はイメージです)などという事で却下されたりなどもしています。


何が言いたいかというと、宗教は自分達に都合の悪い事柄は基本的にはもみ消されると言うことです。
これの都合の良い解釈のために『科学』=『邪教』とする事で、物事を考えてはいけない事だと考えさせたという理論があると言うことです。


人間が必要以上の力を得ることは混乱を招く元だと言うことは正しいと言わざるを得ません。しかし、私に言わせてみれば、それはすでにもう遅い。科学を邪教とし、放棄する事は私達の生活では、ほぼ不可能となっています。たとえあなたがそれを実現できたとしても、世界全体には何の影響も与えません。

邪教。つまり学んではならぬ物。つまり関わってはならぬ物。

すでに私達の生活の一部となってしまっているものにたいしてこのような意見を言うのはどうかと思いますが、知るべきではないが、知っていなければ生活できない物。

海の真ん中では泳ぎを知らなければおぼれてしまうように。すでに私達には必要不可欠なものであり、一言に欲望と割り切れないものだと考えます。

投稿日時 - 2005-11-05 00:24:20

ANo.12

私は科学は勿論のこと、宗教にも特には詳しくは有りませんが、ちょっと参加させてもらいます。

宗教に関してざっと見回してみれば、細かいところはさておき、みんな同じようなことを勧め、同じようなことを禁じているように見えます。

人を殺めるのは勿論のこと、自分がして欲しくない事は人にもしてはいけない、とどれも言っています。

争いも、盗みも、姦淫も、傲慢も、驕慢も全ていけないと、どれも言っています。

常に心と世の中の平和を求め、他者を愛し、恵まれない者に奉仕する事に感謝し、・・・・・・・・・・

世界の三大宗教は皆同じような事を勧め、同じような事を禁じています。

それなのに、仏教国でも、キリスト教国でも、イスラム教国でも、争いや、戦争や、略奪や、惨殺や、差別や、不正が耐えません。世界中に邪教がはびこっているのでしょうか。・・・・・

何のためにそんなに争うのでしょうか。・・・

何が欲しくてそんな事をしてしまうのでしょうか。・・・・

科学がそんな事をさせるのでしょうか。・・・・・
科学の目的は?

生活を便利にしたり、病気を治したり、生産の効率を上げたり、情報を拡大したり、・・・・・・

とてもそんな事が邪(よこしま)な宗教とは思えない。・・
では、邪なものはどこに潜んでいるのでしょうか。

それは人々の心の中なのではないでしょうか。

宗教とは関係なく、どんな宗教を信じていようと、
どんなイデオロギーを信じていようと、どんな民族、国家の出身であろうと、男女にも勿論、関係無く、心の中によこしま(邪)な物がある限り、人は強欲になり、残忍になり、情け容赦無くなるんだと思います。

その「よこしま(邪)」な物とは一体なんでしょうか?

皆さんも予想がつくと思いますが、それこそ、今現在、この地球で一番流行っている宗教であり、主義であり、人々が何よりも固く信じて疑わないもの、つまり
「拝金主義」であり、「権威主義」であり、「物質主義」です。

ここから
「他人より少しでも物質的に豊かでありたい」
「他人より少しでも社会的に高位でありたい」
[他人より尊敬されたい」・・・・・・・・

と続き、それを実現させるために、ありとあらゆる悪事が発生するんだと思います。

もし、宗教が科学をよこしまな宗教だと断定するなら、てんで分かっちゃいないと思います。

宗教によって人の心の闇を駆逐する事が出来ないので、
科学のせいにしてしまってるんじゃないでしょうか。・・

この世の闇は全て人の心から発生し、宗教、イデオロギー、国家、民族、に関係なく、アリトアラユル手段を用い(その中に科学が含まれている)、己の欲望を達成させようと突き進むんじゃないでしょうか。

ですから、どんな宗教を信じるか、では無く、
「自分がどんな事に喜びと生きがいを感じるか」
が大切なのではないでしょうか。

自分で選ぶんです。
何が自分を真に幸せにしてくれるか。
形の無い心の焦燥感や苦しみを和らげてくれるのは、やはり、形の無いもの(物質ではないもの)ではないでしょうか。

やっぱり、自己責任ですね。他者のせいには出来ません。だって、自分の事を決められるのは自分だけなのですから。・・・

投稿日時 - 2005-08-21 03:06:57

ANo.11

自分はクリスチャンなのですが
聖書こそが真理であり、科学は真理を証明するためのものと考えています。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1528123
の質問に回答しましたが

またどれほど現在の進化論が虚構なのかについては下記のサイトに載っていますが
http://www.ne.jp/asahi/seven/angels/index.htm
http://www.h5.dion.ne.jp/~biblroom/text/evolut.htm#begin

地殻のこととか地軸のこととか地球が球体であることとかは聖書に数千年前に書かれているのです。これは全て偶然ではなく必然と考えています。

投稿日時 - 2005-07-31 17:20:21

ANo.10

まあ、単純に考えさせてもらうと、人間にはわからないものがありますよね、そのわからないというものを崇めたのが神であり、そしてそれを解析しようとしているものが、科学ではないかと思います、つまり進む道自体は同じだと思うのですが、進み方が逆なのでぶつかり合うのではないかと思います。

投稿日時 - 2005-07-30 11:30:27

こんな話から入りましょうか。

米ギャラップ社が昨年行った調査によると
現代のアメリカにおいて「進化論には科学的根拠がある」
と理解するアメリカ人は僅か35%しかいないのだそうです。

詳細を紹介すると
●ダーウィン進化論には科学的根拠がある⇒35%
●ダーウィン進化論はひとつの理論に過ぎず、科学的根拠に欠ける⇒35%
●進化論についてよく知らないので質問に回答できない⇒29%
●人類はおよそ1万年前に神によって創造された⇒45%
http://www.13hz.jp/2004/12/35.html

トータルが100%を超えるのでマルチアンサーだと思われますが
ともあれ「人類は神によって創造された」と信じる人が
現代のアメリカにおいて最大多数だ!!ってことですね。

人類は神によって創造されたと信じる人たちにとって
ダーウィン進化論は邪教であるといっても過言ではないでしょう。

私は
>理由は欲望を際限なく増幅させ、満ち足りるということができない
というのは、基本的に科学とは関係ないことだと考えます。
なぜなら、科学は単なる手法であって
満ち足りることを目的とするモノではない筈です。

>「科学教」も「科学」=「全能」、他の存在は全否定というような…。
それは、科学を手法としてではなく、信仰として捉えている場合の話ですよね。
さらに「他の存在は全否定する」のは一神教の特徴であって
たまたまある一神教の信者が科学を信仰するか、キリスト教を信仰するか
イスラム教を信仰するか、ってだけの違いではないでしょうか?

>人間が「科学」を用いて「神」になれば
その発想は、基本的に旧約聖書の発想です。
旧約聖書がそんなことを説かなければ(人間が知恵を持つことを否定しなければ)
宗教と科学の対立は起こらなかったかも知れませんよ。
(例えば正教・異教を定めない仏教は建前上、他の宗教にも科学にも寛容です)。

>「宗教」は少なからず神(自然)に感謝していると思うのですよね。
だって、キリスト教を例に挙げれば、宗教の中では比較的後発だった彼らが
地中海世界に広く進出していくに際して自分たちの説く唯一絶対の神の存在証明として
自然世界の創造力を引き合いに出したからです(cf.オクタヴィウス)。
それなのに、科学を駆使した超近代的な戦争を
今の時代に繰り広げているのがキリスト教で
その相手が元は同じ神を信仰していたイスラム教なのだから
私としては笑ってしまいます。

何だか話のとりとめがなくてスイマセン。
上手くまとめられないんで、興味がおありでしたら「科学哲学」に関する書籍を
数冊読んでみて下さい。
そこで語られていることが、概ね私が伝えたかったことです。

投稿日時 - 2005-07-28 18:42:30

ANo.8

 邪教といってしまえば邪教かもしれませんね。
でも、世界中の人々が科学理論に基づいた成果の恩恵を受けている。
って事は、皆科学教の信者ですね。多くの人々が科学教ともう一つの宗教と
二股を掛けてるといえないでしょうか?科学が邪教なら、科学意外の宗教の信者で科学の恩恵にあずかる人は科学を邪呼ぶなんておこがましいほど邪な人々ではないでしょうか? それはそれで面白いですね。

投稿日時 - 2005-07-28 00:43:12

ANo.7

宗教と科学の違いについて、私が一番納得している説明は、「宗教は『なぜ?』と訊いてはいけないもの(信仰するもの)が多く、科学には基本的にそれがない」というものです。

神の存在の是非を問うことが許されない原理主義的な宗教は、それを問い質す正当な科学的アプローチに対し、その答えでも見解でもなく、怒りで応じます。前提に疑義を唱えられないのでは、科学の俎上に乗っけられません。

この立場から、自身の浅学を承知で言えば、禅など(を含む一部の仏教)は思想であっても宗教ではないと私は捉えています。「親に会えば親を殺し、師に会えば師を殺し、仏に会えば仏を殺す」は、ある意味で非常に科学的なアプローチではないでしょうか。

以上は科学の立場から(原理主義的な)宗教を見たときの視点ですが、逆の視点ではどのような(理性的な・合理的な)反論があるのでしょうか。寡聞にして知りません。護るものが大きすぎるため、防戦一方のように思います。「欲望を際限なく増幅させ、満ち足りるということができない」という指摘に対し、科学は「そういう側面もあるかもしれない。それがなにか?」となり、かみ合わないのです。善悪・正邪という観点が、ただの手法である科学にはないからです。宗教の抱える善悪・正邪そのものを検証する手法はなんでしょうか。

ここまでは宗教に対し偏見を極力排除した立場で書いたのですが(笑)、宗教と名の付く、欲望全開で永遠に満たされない多くの教祖・教団を見ると、先の「科学」=「邪教」と断ずる理由が、天に唾するようなものに思えて仕方ありません。これは偏見&蛇足。

科学はただのメソッドなのですから、邪悪な科学者はいると思います。そして宗教者の多くは倫理的に素晴らしい方々でしょう。あとは、倫理的であるために必要なものが、宗教や信仰心なのだろうか、という問いではないでしょうか。

投稿日時 - 2005-07-27 22:23:18

ANo.6

>宗教の側から見て「科学」=「邪教」である、という話しを聞い
>たことがあります。理由は欲望を際限なく増幅させ、満ち足りる
>ということができないから…だったと思います。
>私はその言葉を否定はできないと思うのですが、別に科学を否定
>する気もありません。皆さんはどう思いますか?ご意見を聞かせ
>てください。

という質問だったと思うのですが、喧嘩を売っているとしか思えない補足がついていたので、科学教の信者としての私の見解を述べておきます。

>「科学教」を信じる人々は、他の宗教に排他的といいますか…

排他的がどうかは個人の資質の問題でどんな宗教を信じているかということとは無関係だと思います。「科学教」を信じる人でも、他の宗教に排他的な人もいるし、そうでない人もいると思います。

>「宗教」を否定するならば、明確な論理がないという点で「おばあちゃんの知恵袋」も否定して欲しい。

科学は論理で否定するのではなく事実で否定します。
コンピュータの世界でGIGO(garbage in,garbage out)といわれます。ゴミを入れれば、どんなに"明確な論理"で貫かれたプログラムを通しても、ゴミの結果しか出て来ないという意味です。まあ、プログラムにバグがあってまともなデータを入れてもゴミしか出ないこともありますが。

論理は推論の末にたどり着いた結論が正しいことを保障するものであって、ある命題が正しいかどうかについては何もいえないのです。科学ではある命題が正しいかどうかは実験で確かめます。実験で肯定も否定も出来ないものは、真偽不明とします。明確な論理によるよりも明確でしょう。
科学は"おばあちゃんの知恵袋"という一括りではものは考えません。個々の事例に当たって実験によって否定できるものは否定し、肯定できるものは肯定し、わからないものはわからないとはっきり言います。

>「宗教」は少なからず神(自然)に感謝していると思うのですよね。

いつのまにか、神が自然に変わってますね。よくあるパターンですが。
自然に感謝するかどうかも、個人の資質にかかわる問題で、どの宗教を信じるということとは関係ないと思います。

>キリスト教で「神」=「全能」であるように、「科学教」も「科学」=「全能」、他の存在は全否定というような…。

「科学教」を信じる人々のなかで、"科学"の何たるかを知っている人は、「科学」=「全能」などとは思ってはいないと思います。科学で出来ないことは山ほどありますから。
他の存在を全否定するかどうかは、これも個人の資質かと思います。

投稿日時 - 2005-07-27 18:01:00

ANo.5

科学のようなものであっても、似非科学といわれるものが大手を振ってまかり通っていたりします。また科学的常識も日々「新しい発見」によって覆ってゆきます。
科学とはそもそも教義ではありません。しかし真に科学的な態度で科学に接している人は、少ないのではないかと思います。科学者の中にも、科学を教義であるかのように振り回す人がいる。
真に科学的な態度とは、可能な限り真実を究明することに努め、それでもわからないことはわからないとして尊重する態度です。
わからないということを許容するかどうかが、宗教と全く異質な部分のひとつではないでしょうか。宗教と科学は部分的に矛盾することがあっても並存できます。

「欲望を際限なく増幅させ、満ち足りるということができない」という宗教からの科学に対する批判があるとします(ぼくは直接知りませんが)。しかし欲望に際限が無いという特質は、科学の持つ特質ではなくて、人間を人間らしくしている極めて重要な特質だと言えます。
この特質が無く、人間が以って足りることを知っていたとすると、人間は種として滅びていた可能性すらあります。
人間種の中にもいろいろなグループがあったと想像して下さい。その中で最も貪欲であった種が生き残ることができたのです。卑近には、オーストラリアのアボリジニやアメリカンインディアンよりもヨーロッパ民族の方が貪欲であったし、アイヌよりも大和民族の方が貪欲であったから、オーストラリア大陸や南北アメリカ大陸の原住民族は事実上滅ぼされていますし、北海道のアイヌ民族も事実上滅亡しています。これは日本は豪州や米国がどうかという問題ではなく、おそらくヨーロッパでもユーラシアでも、歴史上ものすごく膨大な数の民族が民族として滅びて消滅しているのだと考えられます。他の民族に吸収されたのではなく、全滅したと記録されている民族だってたくさんあります。
これについて、北米インディアンが事実上滅ぼされた理由が、鉄の武器、銃器によると言うなら、それは科学によるということができますが、北米で原住民族を侵略するときに先鞭をつけたのは、常にキリスト教を布教する牧師であったという事実もまたあります。
いかなる宗教も、人間が子を生み、生まれた子を健康に育てることを禁じません。現在信じられている主だった世界の宗教は、1000年以上の歴史がありますが、もし1000年前から人の繁栄を禁止する宗教を信じている民族がいたとすると、その民族は1000年前と同じ生活をしていて、1000年前と同じ人口しかいないということになります。そのような民族、宗教は、1000年の間に他の民族に滅ぼされていると考える方が自然でしょう。
人が栄えることを戒める宗教は無いのです。人口増加を抑制しようだとか、或いは無駄な消費を慎もうといった考えが近年世界的に主流となっているのは、人口の増加や資源の消費が人類にとって悪影響となる程度になったからに過ぎません。私たちが環境に対する影響を口にするのは、環境が悪いことが私たちにとって良く無いことだからです。そもそも或る環境が「悪い」か「良い」かと判断するのは人間なのです。

宗教か科学かではなく、本質的には人間が欲するところの際限を知らないのです。しかし近年は、この特質のために、「人間にとって有効な」地球資源を枯渇させて、人間は自ら滅びへ向かおうとしています。
満足すべきか貪欲であるべきかという短絡的な白黒議論ではなく、極端にならない適当さと臨機応変であることが必要じゃないでしょうか。

話がかなり飛びましたが、科学は欲望の際限が無いから邪教であるなどという宗教信者は、科学とは何か、人とは何か、或いは宗教それ自体に対しても、考えが足りず短絡的な人だと思います。
現代の状況に対して「何が悪い」などという魔女探しをしても、目の前にある問題の解決には近付きません。

投稿日時 - 2005-07-27 11:32:33

ANo.4

「科学」=「邪教」というのは、科学は教義の矛盾を暴くことがあるので、教祖にとって都合が悪いからでしょう。

キリスト教と錬金術の関係では、錬金術はキリスト教グノーシス派の人たちと関係があるようで、神のやったことを真似て鉛から金を精製しようとしたことが正統派キリスト教の怒りを買ったようです。神の領域に踏み込んではいけないということですね。科学が錬金術の延長線上にあるということを否定する見方もありますが、ニュートンが錬金術に傾倒していたという文書もあるようで、現代の科学が神の領域に踏み込んでいっているのが気に食わないのでしょう。

人が賢くなることは、旧約聖書で神から禁じられていますからね。信者が知的好奇心をもって、知識を追求することは教祖にとって都合が悪いんでしょうね。

投稿日時 - 2005-07-27 10:24:05

補足

う~ん。
なんといいますか、「科学教」を信じる人々は、他の宗教に排他的といいますか…、私にはそう思えてなりません。
キリスト教で「神」=「全能」であるように、「科学教」も「科学」=「全能」、他の存在は全否定というような…。
すみません。喧嘩売ってるわけではないのですが…。

私の考えでは「宗教」の中に「科学」は含まれている思うんですよね。
古代から天文学は発達していましたし。オーパーツもありますし。
そこから宗派が分かれたように、「科学」が一つの宗教として確立したようなイメージなんですが。

異論反論があるのはわかっております。
しかし、「宗教」も「科学」の意外と近い領域あるのでは…と思えてなりません。
「宗教」を否定するならば、明確な論理がないという点で「おばあちゃんの知恵袋」も否定して欲しい。
いえ、Quant様がそうおっしゃっているとは思いませんが。

脱線してしまいましたね。

人間が「科学」を用いて「神」になれば、やはり他の存在に対して傍若無人になるのではないかと。
「宗教」は少なからず神(自然)に感謝していると思うのですよね。
うまく言えないのですが、「宗教の中に存在する科学」では自然をないがしろにはしなくても、「科学」はないがしろにしているように感じられるんですよね。
そういう意味で「邪教」というか…。

しかし、私個人の意見が正しいとは全く思っておりませんので、皆様のご意見、まだまだお待ちしています!

投稿日時 - 2005-07-27 11:31:04

お礼

>科学は教義の矛盾を暴くことがあるので、教祖にとって都合が悪いから
確かに不都合なことはあるでしょうね。しかしこの場合、「科学」が「宗教を否定」するということを踏まえてということですよね。
私は「科学」も否定しませんが、「宗教」を否定する気もありませんのでなんとも言いがたいのですが…。

>神の領域に踏み込んではいけない~
でも、科学が神の領域を云々という話しは、むしろ科学自ら神の領域に挑戦!っていうのもあると思うのですけれど。

>人が賢くなることは、旧約聖書で神から禁じられていますからね。
確かにこれは言えますね。納得です。

ご回答ありがとうございます。参考になりました!

投稿日時 - 2005-07-27 11:30:55

ANo.3

「科学」=「邪教」という言葉を論じているのは「~教」
これは、世界三大宗教の一派に有りますね。原理主義という一派ですね。世界三大宗教の発祥は遅いものでもすでに1500年以上が経過していますね。原理主義はこれをその時代に戻そうというのですから科学文明否定ですね。言い換えれば、「科学」=「邪教」ですね。現在一番目に付くのがイスラム原理主義ですね。あちこち爆破していますね。それからキリスト教原理だって危ないですね。仏教にも原理主義ありますね。山にこもって滝に打たれる日々ですね。こういう一派に染まれば「科学」=「邪教」になるでしょうね。過去を懐かしみ過去のままでいたいということでしょうね。宗教も日々変化しているのですね時代にあった教えが必要ですね。文明の進化に逆らえば過去ものは葬り去られるということですね。

投稿日時 - 2005-07-27 08:28:14

お礼

>原理主義はこれをその時代に戻そうというのですから科学文明否定ですね。
これぞまさに!って感じですね。

>過去を懐かしみ過去のままでいたいということでしょうね。
たしかにこのような思想は宗教のみならず生きている上でもありますよね。

>こういう一派に染まれば「科学」=「邪教」になるでしょうね。
凝り固まった思想は、排他的な立場になりやすいということでしょうか?

これで「原理主義が元」に2票(?)ですね。

ご回答ありがとうございます。解説わかりやすいです。参考になりました!

投稿日時 - 2005-07-27 10:45:09

ANo.2

こんにちは、
私は科学者でも宗教家でもない、ただのオカルト好きなので・・
そのような観点と知識から考察しますね。

まず、そこでいう「科学」と「宗教」
おのおのを定義しておく必要があると思います。
・・っと言うのも、「自然科学」と「実験(検証)科学」では意味合いが異なりますし。「宗教」も「自然信仰」と「一神教・原理主義」ではまったく性格が異なります。さらに、「宗教」は必ず大衆操作としての思想システムの面と、真理探究の秘教的な面を持ち、これらは別に論じなければなりません。

多くの東洋系思想では必ずしも「宗教」は「科学」と対立するものではありません。むしろ、自然の神秘を解き明かし、知恵を深めるのは秘教的意義からも重要な事だとされています。
実際にチベット仏教などでは高僧と呼ばれる人も大学で物理学を教えていたり、物理学者が古代の哲学を学ぶために僧院を訪れたりします。
インドのヴェーダをはじめとする知識体系も「西洋科学」の何千年も前に成立しています。

さて、目先を変えますと
その「科学=邪教」というのは中世ヨーロッパの話なんじゃないでしょうか。
いわゆる「キリスト教 vs 隠秘学(オカルト)」の時代です。
よく知られるように「西洋魔術」の中には「錬金術」というカテゴリがあり、これが現代科学の「化学」の基礎になりました。
当時の「キリスト教」は土俗信仰も魔術もすべて異端とされていたわけで、その影響が「科学=邪教」につながっているのでしょう。
「欲望を際限なく・・云々」ってのは異端視するための理由付けでしかないのではないでしょうか?

また、なぜ当時のキリスト教が科学を恐れたかというと、その理由は一つ・・「神の威光が揺らぐ」からです。往々にして当時の「神」は絶対唯一の存在ですべての自然を司り、すべての存在原理であったから。「科学」がその神秘を解き明かしたら・・「宗教」というより「宗教家・教会関係者」が生活に困りますからね。

ですが、現代においては一部の過激な宗派を除き、「科学」は人の知恵として探求すべきと見方が変わっています。
あのヴァチカンも科学アカデミーを持ち、最新科学について論じているそうですし。例えば、「宇宙の始まり」などといったテーマの探求者(科学者)は科学と哲学と宗教の接点であり、そこから新たな「科学」が生まれるかもしれません。科学は神の存在を立証し、宗教は科学によって神に近づく・・そんな関係が将来の姿かもしれないのです。

で、その一部の過激なものですが
原理主義と呼ばれる宗派(西洋・東洋を問わず)の中には強烈な「自然回帰思想」を持つ場合があります。いわゆる「物質社会」を嫌い「精神性」の中に価値を見出す人達。
彼らにとってはまさに「科学=欲望」となっても然るべきです。
現代においても科学を敵視する宗教があるとすれば、そういった宗派ではないでしょうか。

えーっと、んーっと・・・具体的な名称を挙げるとすれば・・
あ~~ 資料が見つからない(^-^; 
本の山のどこかにあるのですが、 世俗を絶って独自のコミュニティを作るような人々が、そうした「科学=邪教」とのたまうのでしょう。

投稿日時 - 2005-07-27 07:19:36

お礼

>私は科学者でも宗教家でもない、ただのオカルト好きなので・・
同じく私もです(しかも知識が浅い)のでドンとコイです(笑)

>おのおのを定義しておく必要があると思います。~
確かにそれは言えますね。明確にしておく必要がありますが、残念ながら私の記憶は曖昧です。申し訳ない。

>多くの東洋系思想では必ずしも「宗教」は「科学」と対立するものではありません。むしろ、自然の神秘を解き明かし、知恵を深めるのは秘教的意義からも重要な事だとされています。
「科学」が「自然の神秘を解き明かす」という面においては、「宗教」にも同じ面があると思っていますので、うなずけます。

>その「科学=邪教」というのは中世ヨーロッパの話なんじゃないでしょうか。~
>キリスト教が科学を恐れた
そうかもしれません。ある本で読んだのですが、キリスト教の信者はいまだに「地動説」ではなく「天地創造」の話しを信じているとか…。これは本当なのでしょうか?

>原理主義と呼ばれる宗派(西洋・東洋を問わず)の中には強烈な「自然回帰思想」を持つ場合があります。いわゆる「物質社会」を嫌い「精神性」の中に価値を見出す人達。
>彼らにとってはまさに「科学=欲望」となっても然るべきです。
なにやらとっても私の聞いた話と近いかもしれないですね。
「科学」は楽するものを生み出すので、そしてさらに生み出そうとしているので「邪教」といったかんじだったような…。

たくさんのご意見、参考になります。ありがとうございました。

投稿日時 - 2005-07-27 09:58:53

ANo.1

「科学は邪教」で検索すると中国政府が法輪功を批判しているページが出てきたのですが…

国内の宗教についていえば、宗教団体でも自動車や電話やコンピュータや印刷機など文明の利器を大いに利用しているわけですし、科学の中で自身の教義に反する部分は否定するが、それ以外の部分は否定しないという態度だと思います。

投稿日時 - 2005-07-27 07:13:05

お礼

>科学の中で自身の教義に反する部分は否定するが、それ以外の部分は否定しないという態度
ああ、なるほど…。
確かに宗教者も文明の利器を使っていますよね。私も使っているので「科学を否定はしない」という言葉を使いました。

>法輪功を批判しているページ
いくつか見つけて読みました。これは「法輪功」が「科学」を否定しているかのようなので、「法輪功」=「邪教」という内容でいいのですよね?
そういう面では「「科学」=「邪教」と見なしている団体」と捉えてもいいのかもしれません。私は「法輪功」を詳しく知らないので一概にそうとも言い切れませんけど。
でも、その話しを聞いたのは仏教大の宗教学を学んでいた時期でしたので、そうかもしれません!参考になりました!

ご回答ありがとうございます。たくさんの方の色々なご意見を聞きたいと思っていますので、shkwta様のご意見を伺えたこと、大変うれしく思っています。

投稿日時 - 2005-07-27 07:57:29

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