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解決済みの質問

生きていたいと思えない

僕は今大学4年生なのですが、最近は毎日「生きていたくない」とばかり考えています。そう思うのには理由があります。

まず、何をやってもうまくいかないのです。今は就職活動中なのですが、全くうまくいきません。色々とスキルアップを試みても、いっこうに効果が表れません。恋愛もうまくいかず、22年間で女性とお付き合いをしたことがありません。そして交通事故に遭ったり、悪質な業者に騙されたりと、過去を振り返れば不運なことばかりです。

また、前に楽しめたことが楽しめなくなりました。前は音楽が好きでバンドとかをやっていたのですが、今はそれほど楽しめなくなりました。ギターを毎日弾くほどだったのに、最近はギターを触るのが面倒になりました。それはいけないと思い、他に興味のあることに手を出したりしたのですが、まるで自分が自分じゃないみたいに熱中できないのです(以前僕は興味のあることにはすぐ熱中してしまっていたんです)。友人とのコミュニケーションも少なくなり、一人で過ごす時間ばかりになりました。

生きていてもちっとも楽しくありません。いいことなんて何もありません。いったい何のために生きているのか考えてしまいます。やらなきゃいけないこと、前は普通にできていたこと、みんな億劫に感じます。そして自分にはいいところなんて何もないダメ男だと思うようになり、毎日心が絶望感みたいなもので支配されています。何をやってもうまくいく気がしません。

自殺も考えたことはあるのですが、考えていたら親の顔が浮かんで、一人泣いてしまいました。そして自分の夢のことも考えてしまいました。生きていたくないと強く思う一方で、心のどこかでは生きることを望んでいるのかもしれません。

僕はどうしたらいいのでしょうか?絶望感に満ち、何も楽しめなくなった今、なんのために生きていけばいいのでしょうか?または生きていくべきではないのでしょうか?

投稿日時 - 2005-11-25 16:53:53

QNo.1800903

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

お返事ありがとうございます、再度の7です。

事故の件は大変辛いと想いますが、感情論を抜きにして考えないといけないところなんです。
私情をはさまないで「自然の法則」として理解して欲しいんです。物理です。

感情論で言えば、誰だって事故には遭いたくないし健康で平和に愉快にすごしたいんです。
私だってアメリカの大富豪の家に生まれて、派手に贅沢に何不自由なく暮らしたかったです。

でも、徹底的に冷酷なまでに人生を物理的な法則として、客観的に考えれば、やっぱり原因があるから結果があるんです。

蜜柑の樹からは、蜜柑しかなりません。
蜜柑から林檎が成ることは、絶対にないんです。
もし異例があるとしても、それにも、100%、原因があるんです。
自然は、この法則を、絶対!!!にミスしないんです。
≪ この世には偶然というものは無く ≫、全て必然的に相応の結果が出るように出来ているんです。
この単純明快な自然の法則で、我々の心も人生も、全部が出来ているんです。

ですから事故の件も非情に言えば、必ずその原因があったハズなんです。
しかし、それは前世においての原因だったかも知れないんです。。。。
 ・・・と、いう話になるとオカルトチックになるので引くと想います^^
 でも、我々が「生まれる」ということにも、必ず、原因があるとだけ覚えておいてください。



でも、結果が出たからといって、それは、終わりではないんです。
むしろ始まりなんです。

階段を一段上がったら、それまでと違う景色が現われた・・・・というだけなんです。
この意味、通じますか??

人生に起こる全ての出来事は、進化、成長のためのプロセスなんです。
蜜柑の種をまいたら、実がなるまでに、時間がかかりますよね?
自然は、時期=経過=プロセスを経ないと成長できないようになっているんです。


>>自分の力だけではどうにもならない「結果」もあるのではないでしょうか?

もう、階段を一段上がってしまったのですから、後戻りは出来ませんよね。
それでも「この階段じゃなきゃ嫌だ!」と頑張っても良し、別のルートに変えても良しです。

「結果」を受けてどうするか? が「人生」であり「冒険」なんです。
人生の真価は、ここにあるんです。
これをするために生まれてきたようなものです。^^

No.23さまが、
>>。「私が集めた知識が他の誰かの役にたってるんだ」「私の経験が同じ経験をしてる他の人の役に立ってる」・・・・・なんとも不思議な感覚でした

と、おっしゃっています。
これはキリスト教でいうところの「求めよ、さらば、与えられん」なんです。

私も質問者様の1000倍は「死にたい」と願って生きてきたんです。
世間も親も、私に対して虐待はするけれど、誰も助けてはくれないんです。
だから、ずっと、ものごとの本質というか、心から納得のいく真理・真実を求めて続けていたんです。
そうしたら、いつの間にか、核心にまでたどり着いてしまったんです。
そうして、自分が本質を伝える人に””成って””いたんです。
(まあ、伝わっているか解りませんがね・・)

 パンの作り方を一生懸命理解・学習した人は、パン屋に”成る”でしょ?
 一心不乱にギターの練習をした人はギタリストに”成る”んです。
 これが「求めよ、さらば、与えられん」です。

  「望むもの」が与えられるのでは無いんです。
   その人が抱えている原因に相応しいものに”成る”んです。
   つまり、我々、一人、一人が「原因(種)」であり「結果(実)」なんです。
   この意味、通じますか・・・??

心の中で、至上の曲を求め続けていれば、その人の心の中に、その人にとっての至上の曲が芽生え出すんです。
求めたから、与えられたんです。(簡単でしょ?)
”成る”といったほうが、より解りやすいと想います。



質問者さまが絶望するのは、正しいです。
絶望したということは、確実に階段を昇っている(成長している)という証拠なんです。

さあ、では、次に、何を求めるか?です。(なにに”成る”か?)です
練炭を求めれば、自殺者に”成り”ます。
アルコールに救いと癒しを求めれば、アル中患者に”成り”ます。
ギャンブルに求めれば、破産者に”成る”かも知れない。
ぐれて喧嘩に明け暮れれば、不良に”成り”ます。


言い換えると、人生に無駄なモノなど、一つもないんです。
障害さえも、人生の肥やしになるんです。(ヘレン・ケラーもそう言ってます)
上↑のほうで、≪ この世には偶然というものは無く ≫と書きました。
この人生で起こる全ての出来事が、必要なものばかりなんです。
全てに必然性があるんです。


あとは、そこから何に成るか?が、自然から問われているんです。
「あなたは、何になりたいですか???」と、自然が問いかけているんです。

「あなたに相応しいあなたに、いつだってしてあげますよ」
「あなたが成りたいのなら、私は、いつだって完璧にお手伝いしますよ」
・・・と、自然が言ってくれているんです。
 
わかりますか?

「私たちは、自分の想うとおりの人間に成っているんです」
これは、ビジネスの成功哲学の中でも言われていることです。
その秘密は「原因があって結果がある」です。
超~~単純なんです。
この簡単な理屈に「私情」をはさんでしまうから、人生が複雑になってしまうんです。



>>気づいて・・・どうすればよいのでしょうか?

気づき続けるだけでいいです。
査定も、否定も何もしないで、ただ淡々と自分の中の自然の動きを観察し続けてみてください。
心の動きも100%、自然の法則に従って働いています(因果、縁起、無常)
この自然の動きを観察し続けるだけで、自然による他律的な支配から、自律的に自然を支配する側になれるんです。

こちらの#4を読んでみてください。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1800783



・・・ちょっと、長くなりすぎましたね、ここらで止めましょう^^;



PS
No.23さま、身に余るお言葉に感謝しています。
お互いに、自然の不思議なやり方に翻弄されつつも、これからも頑張っていきましょう!

投稿日時 - 2005-11-29 19:27:09

お礼

度々のご回答ありがとうございます。しかもこんな長文で・・・

まず始めに誤っておかなければなりません。申し訳ございませんでした。
正直なところを申しますと、僕は最初に回答者様の意見を拝見したとき、「小難しいような意見言ってるな」と思いました。しかしご意見をいただくにつれ、次第に意味を理解し、素晴らしい意見であると思うようになりました。そして自分は愚かであったと実感しました。今までに述べた「ダメ男」なる愚かさでなく、何か全く別物の愚かさを感じました。うまく表現できませんが、「結果の出ない自分」ではなく、「悪い結果の原因を作っている自分」に腹が立ちました。

>この意味、通じますか・・・??
>わかりますか?

深いご意見ですので、100%ではないかもしれませんが、回答者様が僕に伝えたいことは概ね理解できたと思っております。というより理解できるように”成った”んです。僕が自分にとって必要な意見を求め、その意見の意味・本質を知ろうとしたからです。当たり前のことですが、できていませんでした。

>気づき続けるだけでいいです。

悪い結果の原因に気づいた時、その原因を消すための行動を起こす必要はないのでしょうか?あるいは、本当の意味で原因に気づいたときは、無意識に行動が起こる(起きている?)のでしょうか?気づいた後にどうすればいいのか分からない僕は、本当の意味で気づいてないのでしょうか?

URLも拝見させていただきました。
>自分以外の何かに頼る「愛」「安定」「心の平和」は、とてももろいものなんです。

最近は強い孤独感を感じておりまして、いつも何かに頼ろうとしてました。例え悪い結果ばかりで辛くても、「恋人ができれば、心の支えができさえすれば…」と、いつも考えていました。まさに「自分の心の安定を他律的に果たそうとしていた」のです、原因に気づく前に。愚かでした。愛の生産・・・、意識していきたいと思います。

>・・・ちょっと、長くなりすぎましたね、ここらで止めましょう

いえいえ、もっとお話を聞かせていただきたいです。回答者様のご意見は、とても勉強になります。

投稿日時 - 2005-11-30 04:17:16

ANo.23

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回答(59)

ANo.59

floさん、tr4さん、camさん、kuronekoさん。

食材を目の前で調達して、目の前でさばいて、目の前で調理しても「これには毒が入っている!」といわれたら何もいえません。全てを目の前で明らかにしていても、ありのままに見えないんですから、私にはこの壁を取り除くことはできません。そのようにしか見えない人には、そのようにしか見えないんです。

養老孟司曰く「バカの壁」「超バカの壁」です。
私たち自身が気づくことだけでしか、この壁は取り除けません。
人を導くことが出来ても、救うことは出来ないとはこういう意味なんです。



で、最期に新しい言い方を思いついたんですが、
心の形成作用というのは、<鉄アレイ>と一緒です。

一瞬で心の中に鉄アレイが出来てしまうんです。
妄想なんて、何もしなくても、心の中に次から次へと生まれてきますよね。
こればっかりは、生存のための本能なので、どうすることも出来ません。
思い通りにならないんです。(ドゥッカ「苦」です)

で、その重さに負けたら、潰れてしまいます。
「重さ」の奴隷になってしまったら、筋力も衰弱していきます。
鉄アレイの奴隷、感情の奴隷になってしまうんです。

この「重さ」に反発することで筋肉がついてきます。
というか、それしか筋肉を鍛える方法は無いんです。
常に内省的に己に打ち克つことでしか、心の筋肉も鍛えられないんです。
これが四聖諦(苦・集・滅・道)です。(勉強してみてください)



この世の全ては各次元ごとに、性格違いの反対の性質をもっています(陰陽、プラスマイナス)
二極構造。二律背反で構成されているから「生まれる」ということが起こるんです。
「生まれる」が起きれば「滅する」も起きます。

これを完璧に安定したら、生まれるということが尽きるので、解脱です。
ようするにエネルギーとして成立しなくなるんです。
エネルギー保存則を超えてしまうんです(仏教の解釈では)

まあ、我々は、そこまでは無理にしても【心の形成作用が収まるのが安らぎである】と、お経にもあるように、不断に鉄アレイを持ち上げ続けることが、真の幸福になるんです。克己修身です。

このようにイメージしながらやると、楽しみながら、心を喜ばせながら気づけます。


本当に仏教に出会えてよかったと想います。
帰命頂礼 ....m(_ _)m

みなさんが、幸せでありますように。

投稿日時 - 2006-02-10 07:15:17

お礼

お礼が遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。
ご回答ありがとうございます。

もっと色々勉強させていただきたかったので、もうSyoさんの意見をいただけなくなってしまうのは非常に残念でなりません。でも「わからないことがあったらSyoさんに聞けばいい」という想いが、自ら勉強するというのを怠らせたのは事実ですね。Syoさんがいなくなっても、今度は自分で色々勉強をしたいと思います。

>みなさんが、幸せでありますように。

少なくとも僕は幸せです。大変素晴らしいご意見を、幾度にわたっていただくことができましたから。僕のために貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。
僕はここで学んだことは一生忘れません。それくらい大事なことを学びました。なにせ「生きていたいと思えない」と感じていた僕が、今は前向きに生きていけるようになれましたからね。Syoさんに出会わなければ、僕は今生きていなかったかもわかりませんでした。大袈裟ではなく、人生が変わり始めました。これからもっと良い方向に向かっていけるように、努力を怠らずに頑張っていきたいと思ってます。

本当に、本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2006-02-12 17:38:50

ANo.58

そうですか・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「愛」と「愛のようなもの」は一見すると似てるので、仕事上の事務処理の一環として回答を読まれている管理者の方々には、その見分けはつかないのかもしれませんね・・・残念なことですが。
でも、それが宗教がらみでも宣伝でもなく、「本当に助けてあげたい」という愛以外の何ものでもないことは、本当に悩み苦しみ、Syoさんの回答を受け取った方々は感じていらっしゃると思います。もちろん私もです。きっとcamさんも。・・・・数ヶ月前、「生きていたいと思えない」といっていた人が、今こんなに力強く、地に足を着け、頑張っているのですから。
それに私のほうも、教えていただいたこと、早くもいろんな場面で役に立ってるんですよ。(^-^)


・・・私はここに入会してから今まで、生活と人生でいっぱいいっぱいで、ここへ来て投稿を読むことすらできない時期も何度もありましたが、それでも・・・ここへ来ればいつも、Syoさんの回答がどこかにあり、それがたとえ私の人生とは全然関係のないような質問に対する回答であっても、その中に、私自身の迷いに対する大きなヒントを見つけることができました。
時には突然、同じ理論をもとにたっくさんの回答を付けてらっしゃることがあって、なんだかSyoさんの嬉しさと喜びと一生懸命さがそこからあふれ出てて、「あ、すごい!この人、また何か発見したんだ!」って、モニターの前で思わず笑顔になる時もありました。

でもSyoさんがここを去る前に、こうやってお話できるチャンスを与えられたこと(今日、管理者さんから注意がきましたが(^^;))・・・・本当に嬉しく思います。生き辛さや、困難、音楽、そして真理を追求しそれを実際に生きるという決意と想い・・・・・我々3人を結ぶ共通の糸が、振れあい共鳴した、貴重な時間でした。


Syoさんのお話をもう聞けないのは、ものすごく残念です。でも・・・・・・・・
池に小石をポトンと落とすとその波紋が何層にも広がるでしょ?きっとSyoさんという石は、その行く先々で幸せの波紋をたくさんつくっていかれる方だと思います。
その波紋は、遠くにいても必ず届きます。


どうか、お体を大切に。
私も頑張ります、何があっても!

本当に・・・ありがとうございました。<(_ _)>

投稿日時 - 2006-02-10 00:46:18

お礼

お礼が遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。
ご回答ありがとうございます。

>宗教がらみでも宣伝でもなく、「本当に助けてあげたい」という愛以外の何ものでもないことは、本当に悩み苦しみ、Syoさんの回答を受け取った方々は感じていらっしゃると思います。

その通りですよね。ちょっとお礼が遅れた間になんか残念なことが起きていますが…。
Syoさんの文章全体の意味を汲み取らずに、部分部分で仏教のことに触れたことだけをピックアップしてしまうから、宗教がらみだの何だのっていうことになってしまうんだと思います。もっとじっくり読んで判断していただきたいものです。
「生きていたいと思えない」という質問をした僕が、今は良い方向へ向かっていこうと頑張れるようになりました。それはSyoさんの意見(もちろんFloさんをはじめ、他の方の意見もそうですが)があったからこそなんです。その事実を管理者の方はどう受け止めるのでしょうか?Syoさんの意見が、宗教だの宣伝だのっていう意見であったら、僕はまだ死にたいと思っていたはずです(もちろん僕はどの宗教にも入会・入信していません)。

Floさんにもとてもお世話になりました。膨大な時間を僕の回答に費やしていただいて、とても感謝をしています。僕は変わっていくために、努力は怠らずに頑張っていきます。どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2006-02-12 17:39:44

ANo.57

motosyoこと、元SYOです。m(_ _)m
どうやら宗教がらみと誤解されたのか?退会処分となりました(^^

以前から、正しい姿勢が大切だと訴えていたことも「繰り返しの宣伝だ」と誤解されマークされていたんですが、ついに退会処分になりましたので、ちょうど伝えたいこともある程度伝わっている良い時期でもあるので、私はこれで潔くOKWEBから撤退しようと想います。

正しい真理を伝えていても、営利目的でやっているとしか観えない人たちもいるんですね。
哀しいですが、仕方がありません。

floさん、camさん、あと此処を覗いてくれてたかも知れない後輩のtrさん。
みなさんどうかお元気で、そしてしっかりと実践して欲しいと想います。
私も頑張ります!

この道に絶対!!に間違いありません。

投稿日時 - 2006-02-09 19:16:49

ANo.56

急な用事が立て込んで、しばらくバタバタしてます。100%書きたいこと書こうとすると結局何も書けないので、小出し(^-^)にすることにしました。<(_ _)>


camさんのお礼欄読んで、本当に嬉しく思いました。あなたは変わります。変われる人です。
ほんとうに変わろうとして、実際に努力をする人にはちゃんと、自然が協力してくれるようになってるんです。目先の利益にとらわれずに、本当に目指すところを向けて弛みなく歩けば、たどり着くべきところに導かれていくんです。
この数年は私にとって、それを自分で体験した、貴重な時間でした。この何年かで私は、何十年分の人生を生きたかのように感じるほどです。一秒一秒を、一生懸命生きたからだと思います。
camさんもきっとこの先、これを体験し、実感されると思います。ほかの誰でもない、努力したあなただけが享受できる感覚です。それを感じ始めたら、もう既にcamさんの人生は正しい方向に進み始めているはずです。


私自身も、やっぱり今でももちろん辛いこともあるんですよ。
だけど、そんな辛い思いをして、負けそうになり、葛藤し、それでも正しく生きようと努力する、・・というこの繰り返しが、確実に私の底力を上げているんです。少しずつ、少しずつ、正しく生きようとする力が強く働くようになり、心がぐらつかない自分に近づいていってるのが、実感できるんです。私その昔、部活で運動をしてたことがあるんですが・・トレーニングで長距離走る時とかもそうでした。最初に「ふんっ!!」って出すエネルギーが、次のエネルギーを生むんです。走れば走るほど加速し、足が勝手に前に出だすんです。
歩いててもそうでしょ、Syoさん?

・・・だから、今こそ・・頑張ってほしいです、本当に。



>また、次回に瞑想について投稿しますので是非参考にしてください。

了解しました。
立禅もやってみます。

このところの忙しさで、常に客観的で心静かでいることの重要性、同時にその難しさを、ひしひしと感じます。
けれどもやはり常にそれを意識していることで、本当にすべてがスムーズに流れることを、実感もしています。
Syoさんの投稿を読ませてもらうことでも、すーっと静かな心が戻ってくるんですよ。感謝です・・。<(_ _)>

投稿日時 - 2006-02-03 00:32:26

ANo.55

>生きていてもちっとも楽しくありません。いいことなんて何もありません。いったい何のために生きているのか考えてしまいます。
 自分もそんな性格です。以前自分も、何のために生きているのかというものをずっと考えていました。でもその答えは無いと気付いて、でもそれでも答えを求めていました。
 今の自分は「ただ生きているだけ」の状態です。でもそれでしょうがないと最近は思えてきました。抜け殻で生きることを認めはじめたら、すこしだけ気は楽になりました。
 
>自殺も考えたことはあるのですが、
 自分もそれは考えたことはあります。でも自分の場合は、「どうせ死ぬなら、せめて幸せになるまで生きよう」と思って生きてきました。「別に今すぐに死ななくてもいいか」と思えば、気持ちが楽になると思います。

 人生は悪いことが重なると落ち込みます。それに負けてしまう自分が嫌いになるのは、みんな一緒だと思います。camcamさん、時にはゆっくり生きてください。

 あまり参考にならなくてすみません。では。

投稿日時 - 2006-02-02 17:22:03

お礼

お礼が遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。
ご回答ありがとうございます。

他の方へのお礼欄を見れば分かると思いますが、僕は少しずつ前向きに生きれるようになりました。
ご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2006-02-12 17:43:25

ANo.54

camさん。

>>何もせずに何かを変えるなんて不可能ですよね。

そのとおり!

私も長い間、自分以外の何かが何かを与えてくれるハズ、どこかに行けば、誰かに出会えば、きっと何かが変わるハズとずっと想ってきたんですが、floさんも仰るとおり、自分が変わること以外に我々にコントロールできることなんて無いんです。

精神的安定も、「愛(気)」も、金も、仕事も、未来も、幸福も・・・全て自分で生産するものなんです。
この「心」が安定して自由自在に生きられれば、それが幸福への一本道なんです。

仮に、オーディションに不合格だったとしても、そんなことは関係ないんです。
だって誰かが貴方をミュージシャンと決めるのではなく、貴方が自律的にミュージシャンに成ってしまえば良いんです。
もし、今も、オーディションの結果をただ待っているのだったら、それは間違った態度です。
エサを待つ犬は飢え死にするだけです。


大仁田さんは、この点が凄いんです。
一時は日雇いの道路工事までやっていたのに、彼は、そこから自力で這い上がってきたんです。
デスマッチという見世物プロレスで、全身、血だらけ、傷だらけにして、捨て身で這い上がってきたんです。
さらに国会議員になったからといっても、まだまだ前進することを止めないんです。

郵政国会では投票棄権しました。(おそらく売名行為)
長崎の知事選も立候補を匂わせました(かなり売名行為)
タイゾー議員に付きまといました。(完璧に売名行為)
武部幹事長に反抗しました(確信的な売名行為)
・・と、彼のマスコミを利用したセルフ・プロデュースは終わらないんです。
私は本で知っただけなんですが、彼は、プロレス時代からずっとこのやりかたで這い上がってきた人なんです。だから、実は、彼は、全て計算の上で、楽しみながらやっていると想います。

だから世間から何を言われても、彼は、絶対に動じないんです。
だって、世間が反応するのを分かってやっているんだから、最初から、胎が据わっているんです。

逆に、彼の言動に騒いで揺れ動くのは世間の方なんです。
彼のやること、発言に対して、枯れ葉のように揺れ動くのは我々のほうなんです。
感情的になる世間を、彼は白けて傍観しているんです。

彼の座右の銘である「邪道」とは、アウトローという意味ではなく、誰に何を言われても、自分の好きな道を生きるという意味なんだそうです。

「涙のカリスマ」とも言われてましたが、実は、彼は、ずっとクールに冷静さを保っているから、人前で、何でも出来てしまうんです。どんなに稚拙で馬鹿馬鹿しいことでも、平気でやってのけてしまう平常心・不動心を持っているんだと想います。一流のお笑い芸人が冷静に計算しながら客を笑わせるのと同じことです。


長崎の知事選の話のときも、テーマパーク構想を出しましたよね。
「俺の知り合いが5000億だす」みたいな話まで飛び出しました。
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/news/dec/o20051228_20.htm

とても稚拙で、馬鹿みたいな、詐欺みたいな話ですが、実は、これで良いんです。
なぜならば「目標」というのは、実現不可能なところに設定するべきなんです。
だって実現可能なことは、単なる「予定」なんです。
「予定」しか語れないビジョンの無い政治家なんて、それこそ必要ないんです。
慎重であるのはいいことですが、「おのれの保身」しか考えない人がいるのも事実だからです。


誰もが辟易とするようなくだらない話でも、夢は大きければ、大きいほど、その実現に向けて努力するので、必然的に前向きなパワーが溢れてくるんです。だから私は小泉総理の「郵政民営化」も内容はどうであれ感動したんです。ホリエモンの「世界一の企業にしたい」とか「宇宙にいきたい」というのも、実は、素晴らしいビジョンなんです(いまや過去形ですが)
実際にこのような発想で生きている人は大勢いるんです。

・・・で、ここで勘違いがあってはいけないのですが、大切なのは「欲望」ではなく「志」であるということです。
「欲望」と「志」も似非の関係なんです。同じ次元にある性質違いの関係です(対極の関係、陰陽、プラスマイナス)
(これが#48で説明したかったことなんです)

「ミュージシャンに就職できる予定が立たないから自殺します」・・・なんて大仁田さんに聞こえたら張り倒されるでしょう。
それより「俺の音楽でビートルズ以上に世界を変えてみせます」とデカイことを言わなければダメなんです。
そして、実際にそのための不断の努力、一歩でもいいから前進してみるんです。
今がどん底であろうが、どんな状態であろうが、老若男女問わず、ビジョンというのは、そういうもので良いんです。
子ども心全開な稚拙な発想で良いんです。計算高い大人の発想ではダメなんです。


でも街には私も含めて過去の栄光を語るような腰抜けばかりです。
たいしたこともない儲け話とか武勇伝を自慢げに聞かせるような小悪人な腰抜けが大勢います。
これは「愛(気)」が弱いんです。誰にも愛されなかったり、気が抜けている(現を抜かしている)と、必然的に、愚痴をいうか、過去の栄光にすがるようになってしまうんです。欲望と贅沢によって心が鈍化・衰弱している証拠です。ハングリー精神がなくなっているんです。



「無私の人」として有名だった土光敏夫という人が居ましたが、この人も毎日が苦悩の壁だったそうです。
毎日、毎日、新しいことに取り組んで、前向きに進歩(成長、変化、進化)しているからこそ、毎日が悩みの壁だったんだそうです。安穏とした日は、一日もなかったそうです。91歳で亡くなる数年前まで、働き続けたんだそうです。

でも、だからこそ鍛えられるんです。(錆ない鉄です)
「使うものは賦活する。使わないものは衰弱する」です。
土光さんも大仁田氏同様に、保身ではなく、捨て身の人生だったんです。
「めざしさえ食べていれば生きられる」と発言して「めざしの土光」として有名でした。

志が高ければ無欲の勝利。
無一物無尽蔵。
無欲は大欲に似たり。となるんです。

大仁田氏は40近くなってから高校に通い、大学にも通っていたんですよ。
レスラーとしても、タレントとしても、政治家としても二流、三流だけど、胎の据わりかたと「志」だけは超!一流なんです。
まあ、あんまり褒めすぎてもあとが怖いですが。。。


「欲望」ではなく「志」という意思エネルギーさえあれば、眼も耳も口もふさがっているヘレンケラーでも女子大にいけるんです。これ以上無いという、どん底からでも這い上がることが出来るんです。



floさんもきっとそうだと想いますけど、だから「どん底」まで落ちた人間は強いんです。
なぜならば、どん底にこそ救いが落ちているからです。
だって恵まれているところに、救いが落ちているワケがありません。
救いは、どん底にしか落ちていないです。
どん底に落ちないと、人間は救いを求めないんです。だから与えられないんです。

でも、これを逆の立場から観ると、「救いの落ちているどん底」とは、泥の中から咲き上がった蓮の華でもあるんです。
美しい蓮の華は、その対極にある汚い泥の中からしか咲けないと書きましたが、どん底に落ちて、もう行き場もなくなり「自分自身を作り変えるしかない!」という想いに達し、救い(真理)に到達したということは、実は、泥の中からちょっとだけ顔を出した蓮の華と言い換えることもできるんです。どん底だと想ったら、実は泥の上だったってやつです。明けない夜は無いんです。

だって逆に、安穏とした生活を続けて、「今のままでどうにかなるだろう」と現状に甘んじている人は成長・進化することもないんです。泥の中が居心地がよくって、いまだ、泥の中にいる蓮華なんです。

冬の時代、艱難辛苦を乗り越えてこそ成長できるとはこういう意味です。
あとは、それを伸ばすも伸ばさないも本人次第です。
やる気(志)がなければ、結局、ダメです。

全てのものが移ろい続ける諸行無常の世の中での「停滞」は「衰弱」「死」を意味するからです。


floさん。
>>そういうことが、ある時点から頻繁に起こり始めたんです。
浅見帆帆子さん本には「精神レベルがあがると、情報のほうから勝手に入ってくる」とありましたね。
確かにこういうことってありますよね。(聞こえるはずの無い声が聞こえたりね。。。)


>>じっと座ってることすらきつかったです。

一番簡単なのは立つ瞑想(立禅)です。
ただ立って「立っている」という感覚や呼吸の感覚に気づいていればいいんです。
でも、そうしていると必ず雑念が湧いてきますので、それも客観的に観察するんです。

私はしょちゅう鏡の前で立禅します。
鏡に映る自分をジッと凝視しながら、ただひたすら立って観察するんです。
とても集中できるし、調子いいんです。
(これは、子どもの頃から自然とやっているんです。)

また、次回に瞑想について投稿しますので是非参考にしてください。

投稿日時 - 2006-01-31 19:37:35

ANo.53

camさん、

>まさにその通りなんですよ。もっと積極的に動いたりして、自分の思い描いたものに近づけるようにしていったほうがいいんじゃないかって思ってます。どうも「今、此処の自分を生きること」っていうのがピンと来ないんですよねぇ。今の自分に与えられたことを一生懸命にって・・・、簡単に夢は諦められませんし、就職先も決まってない自分にとって一体何が「与えられたこと」なのかもよくわかりません。で、多分「与えられたこと=やるべきこと」ということですよね?やるべきことがもう少し明確になれば、と思ってるんですけど・・・。

>どうも「今、此処の自分を生きること」っていうのがピンと来ないんですよねぇ。


ピンと来ないの、無理もないと思います。私自身、「今、此処の自分を生きること」ってどういうことか、そしてその大切さに気付くまでには、長い長いプロセスがありましたし、ご存知のように私はまだ、Syoさんがおっしゃってる気付きの瞑想を体得してませんから、そういう私の視点でお話しするしかないのですが・・・。
私の言う「今、此処の自分を生きる」とはすなわち、家事や雑務、親の介護などのなんでもない普段の生活であり、歌うことであり、曲作りやアレンジなどの作業であり、ここでこうやってコミュニケートすることであり、・・・要するにその時その時にやってることを全力でやる、ということに他ならないんです。


音楽をやっていて感じることは、音楽とは一つの完結した世界、言ってみれば一つの宇宙、だということです。歌を歌う、ピアノを弾く、ギターを弾く、曲を作る、etc.・・・これらは、その音楽という一つの宇宙での体験なわけです。
そして、自分の人生というのが一つの完結した宇宙ならば、音楽はその人生という原版のミニチュア版のようなもので、音楽をやるということは、人生を生きるということの、模擬体験のようなもの、だと思うんです。(どっちが原版でどっちがミニチュアか、どっちが実体験でどっちが模擬か、どっちが大でどっちが小か、という問題はひとまずここでは無視します)
これと同じように、例えばダンスの世界も一つの完結した世界=宇宙ですし、スポーツも宇宙ならば、そのひとつの野球も宇宙、柔道も宇宙、会社の仕事も宇宙なら、家事も宇宙、介護も宇宙、子育ても宇宙、病気との闘いも宇宙、そしてもちろん、自分自身も宇宙・・・。

その中の何をやろうが、何を追究しようが、結局は同じ事を、単に名前の違う、別の種類の体験から学んでるだけなんだ、と感じるんです。
よく、何かの討論番組にゲストで呼ばれた(例えば)野球選手が意見を求められ、「野球で言えばxxx」とか「野球に例えるとxxx」とか言ってるでしょ?あれです。たとえ未経験の分野のことであっても、野球を通じて経験し、学んでるわけです。前に私が、「人生を生きること」と「音楽をやること」は全くの同義です。」と言ったのは、そういうことです。

でもそれが分かってても、次に来るのが「それなら、自分のやりたいこと、望むことを与えられ、そこで体験をし、学びたい」という切なる思いです。世の中には、例えば・・・・小さい頃から親に楽器と音楽教育を与えられ、親のバックアップを受けて音楽の学校に進み、何の苦労もなく音楽の道に進んで、そこで仲間を作り、楽し”そうに”一生音楽にドップリ浸かってる人(少なくとも外からそう見える人)っているでしょ?だけど、それが与えられない人間にとっては、人生とはなんとも不公平で理不尽だと感じるわけです。そう感じないまでも、「私のやりたいのは音楽だから」と、自分が今持っている仕事に対して無気力になったり、無意味な時間を過ごしてるように感じて悩むんです。
私も今でこそお金をもらって音楽ができる、なんていう立場にいますが、もともと私の家族は私が音楽をやることに猛反対でしたし(今でもそうかもしれません。(^_^; )、ずっと歌を歌いたいと思いながらも、その「歌う」っていう単純な機会さえも与えられないまま、ずっと、音楽とは一見全く関係のない世界ばかりにいたんです。音楽でお金をもらうようになってからも、仕事があるときもあれば、全然ない時だってありますから、いつもいつも好きなことしていられる、音楽にドップリ浸かっていられるって訳じゃないですしね。


でもこの悩みは、「今、此処の自分」を実際に生き始めると、消えるんです。自分が望む、望まないにかかわらず、与えられたこと、実際に自分の目の前にあることを全力でやりさえすれば、その中で「おぉぉ!!」っていうほどの何かが見つかるんです。それが私の、帰国してからの大発見だったんです。私の場合は、この与えられたこと(望まないこと)を全力でやることによって、音楽でぶち当たった困難に対する答えをも、見つけることになりました。
・・・これは私が事実、与えられたことをやるしか道がない、というところまで追い詰められたからこそ分かったことかもしれません。たとえ少しでもその与えられた(自分の望まない)状況を回避する方法があれば、私はまだこのことに気付いてなかったと思います。今もまだ、文句言って泣いてると思います、・・そういう人間ですから、私(笑)。ほんとに追い詰められてはじめて、人間腹が据わり、理論を”実践”するに至り、真理の発見ができるのかもしれません。


だからこそ確信を持って言うんです。camさんの思い通りにいかない今の状況こそが、camさんを「今此処の自分を生きる」という”実践”に導いてくれるのだと。そして、camさんにとって大切な何かを見つけることへと導いてくれるのだと。たとえこの冬の時代が、あなたに音楽をする時間を一分も与えてくれなくても、あなたがこの時代を「今此処の自分」を全力で生きようとする限り、あなたをより素晴らしいミュージシャンにしてくれると思うのです。Syoさんもおっしゃっていますが、この冬の時代こそが、camさんにとって本当に必要な時間であり、あなたの人生に本当の意味での革命をもたらすものなのだと、思うのです。


「夢」というのは、決して自分が思い描いた道筋で叶うものじゃない、というのが私の実感です。全然関係ないところをさまよってたのに、ある日気がつけば既に叶ってた、みたいなものだと感じるんです。叶ってみれば、普通のことだった、みたいな・・ね。
それは、夢が叶う、良い結果が出る、ということは、自分にその良い結果を受け入れる準備ができた、ということの証しだからだと思います。もしその準備期間を経ないでバラ色の夢の実現に至れば、今度はそのバラ色の状況を受け入れることができない自分との戦いになるのです。いずれにしろ、今抱いてる夢の実現とは、camさんの成長に伴って、嫌でも(笑)やってくるものです。

だから・・・夢を諦める必要もなければ、今叶わないからと言って、絶望する必要もないんです。(^-^)




Syoさん、

>floさんと話をしたら、永遠に終わらない気がします。

終わらないですね、きっと。私もそう感じます。(^-^)
このことも、あのことも、・・って、次から次へお話したいことが湧いてくるのですが、だからこそ、今何も言えなくなってしまう自分がいます。

・・・面白いことがあるんですよ。
私ね、ここでお話しするようになってからは、ネットにつなぐ度、お二人から新しいコメントがないかチェックするので、比較的早い段階で読むだけは読んでるんです。でも、用事が立て込んでてまとまった時間が取れなかったり、取れても書くことが全然まとまらなかったりして、いつも投稿が遅くなっちゃうんですけど・・・
不思議なもので、例えばそうしてる間に、ここに書こうと思ってメモしていたことを、Syoさんがこことか、別の質問への回答にずばりそのまま書いてたり、あるいは全然こことは関係なくても、ある日生活の中で痛感したりしたことをそのまま、Syoさんのコメントとしてモニター画面上に見たり、疑問に思って考えてることの答えが書かれていたり・・・・そういうことが、ある時点から頻繁に起こり始めたんです。

今回のは、「念」でした。
全然関係ない話で恐縮なんですけど・・この間、正夢(夢で見た情景を後日現実で見る、とか夢で起こったことが現実に起こる、とか)をみたんですよ。私小さい頃からたまに見るんですよね、この正夢を。これってどういう現象なんだろ?って考えてたんです。
この話をするといつも友人に(冗談で?)変人扱いされるんですけど・・・(笑)
例えば亡くなった人の霊を見るとか霊と交信できる、という人、いるじゃないですか。私自身はそういう経験は皆無なんですけど、・・・そういう人は、その亡くなった人の生きてた頃の念を時間を超えて見ている、と考えると、何も不可解な現象ではないなあ、といつも思うんです。それと同じで、正夢って、未来の自分の念、あるいは誰かの念を、今の自分が時間や空間を超えて見てるのかもしれないな、なんて想ったんです。その時ふと、「あれ?じゃ”念”ってなんだろう?こういうとき”念”という言葉を使っていいのかな?」って疑問に思ったんですよ。そしたらその日の晩、目にしたのが、Syoさんの「「念」というのは、「今の心」なんですよね・・・・」というコメント!(笑)

・・・・・いや・・生きてるとおもしろいことがいっぱいありますね。


ところで、瞑想についての詳しいご説明、本当にありがとうございます。
読んでて、おそらく私には瞑想についてある種の先入観があったのだろう、と感じました。なので今度は、Syoさんの言葉をそのまま言葉どおりに、実践してみようと思っています。

>でも、いきなり、この感覚で瞑想するのは、難しいんです。
だって、荒れ狂った、騒がしい心のままでは、観察どころではないからです。
だから最初に心を静めることが必要なんです。

これ、この間経験しました。
私、いままで何度かやってみたんですけど、あまり普段と感覚が変わらなかったんですよね。でもこの間夜、精神的にすごく不安定だと感じた時があったんです。なにかこう、理由もない不安みたいなものに包まれてる感じで。
その時に、「そうだ!今だ!瞑想やろう。」と思って座って始めたんですけど・・・雑念どころか、ただ頭がわんわん鳴って空回りしてる、という感じで、じっと座ってることすらきつかったです。

ま、とにかく焦らず気長に、やってみます。


>でも、これも精進していないとすぐに汚れてしまうんです。
経典にも「鉄が自身から出た錆で朽ち果てるように、心も内側から朽ち果てるので、不断に努め励みなさい」とあるんです。

おっしゃるとおりだと思います。痛感しています。
そういう意味でも、一生努力を続けていかなければならない、と覚悟をきめました。その覚悟と共に・・・何か恐怖にも似た、でも恐怖とは違う、言葉で言い表しようのない感覚に、ときに襲われます。

投稿日時 - 2006-01-28 17:03:31

お礼

ご回答ありがとうございます。

僕、変わりますよ。成長するってどういうことか、少しずつ分かってきました。Syoさんへのお礼の欄にも書きましたけど、「自分に革命をもたらせるために冬の時代が与えられたのではないか」って感じるようになってきたんです(全く逆の想いを抱くときもありますが…)。あまりにも苦痛に感じることばかりが続くと、そう思ってしまうというか思わずにいられなくなるというか…。
僕は最近は(かなり長い間ですけど)本気で笑ってないんです。笑えないんです。それくらい苦しみに打ちのめされているんです。だから周りの人間の幸せそうな顔を見ると、「こんな苦しみを感じているのは自分だけだな」って思う反面、その分この壁を越えさえすれば、周りの幸せそうな人間には到底味わえないような喜びや幸せ、そして掛け替えのない大切なものを手に入れられるような気がするんです。floさんほどではないにしろ、追い詰められた結果そういう考えができるようになったのだと思います。

「その時その時にやってることを全力でやる」ですか…。できそうでできないことかも知れませんね。人間てどうしても、楽をしたがるというか、手を抜いて仕事をこなそうとしますからね。僕も自分の大好きな音楽のことに関しては全力でできるんですけど、それ以外のことはやはりどうしても・・・。でもこれからは全力で取り組む努力をします。日常の些細なことも手を抜かないようにします。自分を変えます。成長させます。いつまでも冬の時代を彷徨っているわけにはいきません。

投稿日時 - 2006-01-29 20:41:50

ANo.52

連投失礼します。

瞑想について説明したんだから、これも説明しないといけないんです。
それは「姿勢(FORM、動作、所作、動き、型・・・・)」です。

養老孟司さんによると「身体の動きというのは、実は、頭を使っているからおこる。逆に言うと脳みそから何かを引き出そうとすると、身体を動かすしかない。・・・・なぜかというと病気で筋肉の動きが完全に止まると一切の表現が出来なくなる。何を考えているのか外に現れなくなる」とあるんです。
つまり「心」は自然と姿勢(FORM、動作、所作、動き、型・・・・)に現われるんです。
これは武道でも、芸能でも、遊びでも、どんな仕事でも、なんにでも当てはまることだと想います。
心は型に現われるし、型は心の現われなんです。

これもきっと、どこかで「Form follows function」この言葉とリンクするハズです。




禅の世界でも「行住坐臥」といって掃除中も、食事中も、歯磨中も、お風呂中も、立つ時も、坐る時も、寝る時も、・・・いついかなる時でも、自分の行動に注意しなさい、目覚めていなさい、覚醒していなさい、サティ(気づき、念)を入れていなさい・・・という意味に使われるんです。油断なく覚めていなさい。「マインドフルネス」とも言います。

ですから、この姿勢への気づきも、不断に努力してほしいんです。

だって、もし、姿勢が乱れたら、それは心の乱れの信号でもあるからです。
姿勢の乱れを治すには、心の乱れを治すに尽きるんです。

「病気」も同じ理屈なんです。
「病は気から」と言いますが、病気というのも、元々は心が作っているものではないかとも言われています。
心の持つ”ポテンシャル”の現われということになると想います。

まあ、しかし、事故の話にしても、なにからなにまで心の問題だという「一因説」ということではなくて、実際にはこの世は同時多発的に変化消滅を繰り返している世界なので「多因」ということになるんですけどね。

まあ「姿勢」ということも、是非、頭において生活してみてください。
「生活態度」「心的態度」と言い換えても良いと想います。

投稿日時 - 2006-01-25 21:14:47

お礼

度々ありがとうございます。

姿勢ですか。昔からよく「猫背だから気をつけろ」って言われてきたんですよ。最近は気をつけるようにしてますし、背筋などを鍛えているので改善されているとは思いますが。よく姿勢が悪いと、骨格が歪んでいるとそれが様々な病気を引き起こす原因になるって言いますよね。姿勢をよくするために、心の乱れを治して、もっといい自分になれるように努力したいと思います。

投稿日時 - 2006-01-29 20:25:22

ANo.51

camさん

>>世の中意外と良くできてますね。

これホント!(^^
ジェームズアレンの「原因と結果の法則」にも「この世は混沌ではなく、秩序で出来ている」と書かれていますが、本当にそのとおりだと想います。私も、そんなに歳食っているワケではありませんが、もっと若い頃に、この道理(真理)を知っていればな・・と悔しい想いをしていますので、貴方は頑張って勉強してほしいと想います。

「あるべき矛盾」・・そうでなんです。
我々は、どーしても一元論で考えてしまうんですが、逆も真なりで、この世の全ては陰陽、プラスマイナスで出来ているので、必然的な矛盾をはらんでいるんです。
でも、これこそが希望なんです。
我々も、不安定な心だからこそ、対極にある安定した心に成長できるんです。

今は、就職先も決まらず、生きる希望が無くなったかのように錯覚する時期だと想いますが、この時期を過ごすからこそ強くなれるんです。この冬の時代を生き抜くからこそ成長するんです。
その成長方法は、不安定な自分の心を客観的に観察する・・・ただそれだけです。
ただ、これだけのことに、恐ろしいほどの真理が隠されています。。。。





floさん。
floさんと話をしたら、永遠に終わらない気がします。
きっといろんなことがあったと想うんですが、貴女は奇跡的にも正しい方向に進んでいると想います。
女性は気を使うことが多いから、ボケも少なく、長生きするんだという説もあります。
まあ男女ともに厚顔無恥で早くボケる人もたくさんいますが、「使うものは賦活する、使わないものは衰弱する」という法則があるんです。気遣いが多いと、その分苦労も耐えませんが、逆に、感性が高まるのも確かなことなんです。
天敵の居ない安穏とした生物より、天敵の居る生物のほうが、生存のための本能が多彩に使われますので、何かと進化も早いのかも知れません。

これまでもいろいろ拝読しましたが、やっぱりfloさんは、小さいかも知れませんが悟りの境地に至っていると想います。
でも、これも精進していないとすぐに汚れてしまうんです。
経典にも「鉄が自身から出た錆で朽ち果てるように、心も内側から朽ち果てるので、不断に努め励みなさい」とあるんです。

まさにこれです。
>>この頃には、理屈の上ではすべて、達観してた(つもりだった)んですよ。達観してたくせに、です。

やっぱり、我々は弱いですから、気づかない間に他人の錆も貰うし、自分からも錆てしまうんです。
で、私のようにうつ病になるほど錆ないとも限りませんので、(うつ病も多くの人の心の中から生まれてきている時代病だと想うので)不断に心を磨く努力をしていってほしいです。




>>「声に出して読む般若心経」読みました。
>>あまりのすごさに、20分くらいで一気に読み終えてしまいました。

そうですか、お役にたってよかったです。
これはfloさんが経験者で、自分でたどり着いたからこそ理解も深いんです。

特にこの本は名著だと想います。
本当は仏教書というのは、みんなこうでなくっちゃいけないんです。
仏教の眼目は苦の消滅なんですから実用的に機能しなければ意味が無いのに、多くの仏教書は、悟りの妨げになるような小難しいものばかりなんです。私も、おかげで、えらい遠回りしました。で、書店にいくと「ブッダとシッタカブッダ」とか、いろいろありますが、みんな世俗の領域から概念を伝えているだけであって、百聞は一見にで、体験したほうが早いんです。


>>これは本当に科学ですね!

そうなんです!
現代の心理療法のエッセンスも、中国の気功法のエッセンスも、全てがここに詰まっているんです。
「今、此処の自分に生きる」・・これが机上の理屈ではなく、実感として体験することに本当の意義があるんです。

camさんも、>>どうも「今、此処の自分を生きること」っていうのがピンと来ないんですよねぇ と言っているので、この際ですから、素人ながらちょっとだけ瞑想について少し説明させてください。こんな感じなんです。


たとえば「見る」という行為は「視覚」という”感覚器官の反応”にすぎないんです。
「聴く」という行為も「聴覚」という”器官の反応”です。
「想う」「妄想する」「考える」という頭脳さえも、単なる”器官の反応”にすぎないんです。
同様の理屈で鼻も、舌も、身体感覚も・・全て、単なる”器官の反応”にすぎないんです。
般若心経にもある「眼、耳、鼻、舌、身、意」ですね。

・・・と、これらを第三者的な感覚の白けた眼で観察(洞察)し、同時に実況中継(ラベリング)するんです。

「離人感」という言葉がありますが、普段の自分とは違った新しい観点から自分を観察するんです。
普段の考えている自分、感じている自分、想っている自分、反応する自分、行動する自分、・・・生まれてから今日まで、当たり前すぎて、まったく疑うことのなかった「自分」というモノから、一歩離れて、手放して客観的に観察するんです。
これがFEELの世界の入り口です。


だって、今、此処に居る自分は、実は自分では無いんです。
たとえば、お笑い番組をみて → 笑うでしょ?
風が吹いたら → 飛ばされる枯れ葉と同じなんです。

誰かに馬鹿にされたら → 腹がたちます。
これも風が吹いたら → 飛ばされる枯れ葉と同じなんです。
我々は、常に、自分以外の何かに縁って翻弄されているだけなんです。
【無我】【不自由】

でも、その感覚が、あまりにも!! リアルすぎて気づかないだけなんです。
これこそが紛れも無い自分だ!と錯覚しているんです。
ところが、自己観察すると、実は、どこにも主体性・自律心・自由がないことに気づきます。
朝から晩まで、下手したら一生涯「心、此処に在らず」で暮らしているんです。
この自分以外の何かに翻弄され続ける感情を【煩悩】と言います。
風に吹かれてどうにでもなってしまう”枯れ葉”とでもイメージしてください。
(「声に出して読む般若心経」にも同じことが書かれてあったと想います。)


でも、我々には、そんな自分を客観的に観察する主体性、自律心、理性的な自分も居るんです。
この「心」を育てることこそが、「愛(気)」の生産でもあり、安定(幸福)への一本道です【涅槃】
不自由な自分から解放されて【自由】になるんです。
風に吹き飛ばされない不思議な枯れ葉です。

  手足の無い、達磨さんの人形ってありますよね。
  倒されても、倒されても、自分の力で起き上がってくるんです。
  あらゆる行き止まりに道をつけられる、「自由な心」なんです。
  ※ 達磨さんが、ヴィパッサナー瞑想を中国に坐禅として伝えた禅宗の開祖です。



食事中の匂いも、味も、身体の痛み、痒み、痺れも、自分の発想、思想、妄想・・心の領域さえも・・・・これら全てを”単なる器官の反応”として<意に介さない> <気を取られない> <心を止めない>ように、第三者的な視点で客観的に、淡々と観察し、実況中継(ラベリング)していくんです。

【私は立ち止まることなく、あがくことなく煩悩の激流を渡りました。
  立ち止まる時には沈み、あがくときには溺れるのです。
  このようにして立ち止まることなく、あがくことなく渡りました】という感じで。

>>でもその一つひとつに動揺する、ということがないですよね、そういえば。
>>単に事実だけを淡々と受け止めてる、って感じで・・。

まさに、こんなような感覚で、自分自身の「眼耳鼻舌身意」を第三者的な感覚で観察します。
・・・と、文字にすると難しいんですが、あまり難しく考えないで、子どもの遊び感覚でやるといいんです。
自分の全てにラベリングするラベリングゴッコだと想ってやるといいです。
「今、XXさんのことを考えた」「妄想の中で、こんな会話をした・・・」とか、「右手を動かしている」「左足が痒い」・・・とか、出来るだけ多くのことに気づくように、チェックできるようにしていきます。

これをしていると、汚れきった自分の心とは対照的な綺麗で無垢で安定したもう一つの心の存在(?)を感じるかも知れません。


で、人間の心の特徴は「三毒」といって「欲望(貪)」「怒り(瞋)」「妄想(痴)」に大別できるんです。
我々が思い浮かべることや、行動の根っこには、必ずと言っていいほど、この三毒があるんです。
ですから、今、自分が思い浮かべたことが貪りの気持ちだったのか? 怒りだったのか? 愚かさに基づく妄想だったのか?、という風に分析的に気づいていくことも智慧の開発に役立ちます。この気づきによっても頭がクールダウンされてきます。正気に戻ってきます。

まずは、こんなところから初めてみて、本格的に勉強してみてください。
(#48のリンクが不正だったみたいですが、アマゾンで「釈迦の瞑想」で検索すれば4冊ヒットすると想います、また、「ミャンマーの瞑想」(マハーシ長老)もお勧めです。(いずれも散財せずに図書館で借りてください))



でも、いきなり、この感覚で瞑想するのは、難しいんです。
だって、荒れ狂った、騒がしい心のままでは、観察どころではないからです。
だから最初に心を静めることが必要なんです。
現代でいえば、癒しCD、アロマ、お香・・・のリラックスタイムが必要なんです。
これに当たるのは「サマタ瞑想(止の瞑想)」と言われています。

これはなんでもいいんですが、やっぱり「慈悲の瞑想」がお勧めなんです。
「慈悲の瞑想(止の瞑想)」をして気持ちを落ち着かせてから、ヴィパッサナー瞑想(観の瞑想)をするんです。
この二つがセットになって、いわゆる「止観」というんです。
簡単でしょ?
もちろん慈悲の瞑想をしなくてもいいし、他のことをやってもいいんですよ。
間違っても、宗教的な儀式ではないからですから誤解無く。



「気づく」ことを「サティ」というんです。
「サティ」というのは「念」と漢訳されるんです。
「念」というのは、「今の心」なんですよね・・・・

インドのものを中国で漢訳したときには、本当に考え抜かれているんです。
現代の我々がおろそかにしてはいけないなと、知れば、知るほど想います。
何から何まで先達の智慧と努力は、恐るべきものだと思い知らされます。


・・・と、まあ、私も言うほど出来ていないんです。。。。><;
すぐに意に介してしまうんです。簡単に気を取られます(苦笑)
でも、だまされたと想って、気長にトライしてみてください。

投稿日時 - 2006-01-25 19:49:46

お礼

ご回答ありがとうございます。

>貴方は頑張って勉強してほしいと想います。

はい、勉強したいと思います。勉強して色々知れたら、僕と同じような悩みを持った人間に対して、今度は僕が回答者側に回れるようになりたいですね。

>冬の時代を生き抜くからこそ成長するんです

その言葉を信じて頑張りたいと思います。周りの人間が就活なり人間関係でうまくいって幸せそうなところを見て、「なぜ自分には何も与えれていないんだろう」と考えたときに、「自分に劇的変化、革命を起こさせるために冬の時代が与えられているのではないか」…と最近思うようになってきたんです。他人と比べるのはどうかと思いますが、あまりにも差がありすぎるように感じて、なんか「自然が自分を変えさせようとしてるに違いない」って思わずにいられないって言うか…。でもまぁ、僕の心はまだまだ幼くて、情緒不安定で、次から次へと悩みが生まれてきて、「自分を自殺へ追い込もうとしてるのではないか」って思ってしまうこともあるんです。この間も、何をやってもダメで人に迷惑をかけてばかりいる自分がすごく情けなく感じて、夜に一人で泣いてしまいました。

・・・やっぱり瞑想ですかね?僕って本当に「自分以外の何かに縁って翻弄されている」だけです。風に飛ばされない枯葉になりたいものです。瞑想頑張りますよ。何もせずに何かを変えるなんて不可能ですよね。壁を越えようとするのであれば、今の自分にないものを求める、又は弱い部分を鍛えなければいけませんよね。

投稿日時 - 2006-01-29 20:25:02

ANo.50

camさん、


自己矛盾を抱えた当人です。<(_ _)> ・・・(笑)


>不躾な質問で申し訳ございませんが、疑問はなるべく解決させたいので。

いえいえ、疑問があれば遠慮なく聞いてください。自分の漠然とした考えを再考する機会にもなりますし、camさんの納得いく説明ができるかどうかはわかりませんが、最善を尽くしたいと思います。

とはいえ、私に説明できる以上のことをずばり、Syoさん(もう一人の自己矛盾を抱えたご当人。(^-^))が説明してくださったので(私の疑問にも答えてくださいました。)、もう言うことがないのですが・・・補足、というか、ちょっとピントはずれるかもしれませんが、私自身が感じたことを言わせてください。


「大河の流れの中の一点」や「完結している」というのは、理屈よりむしろ、自分自身の経験からビンビン伝わってくる感触というか、経験からくる体系的なイメージ、のようなもので、どうも言葉で説明できないので・・・・・・
説明できることだけに焦点をしぼってお話します。


まず・・もちろん、犯罪や悪事を肯定してる訳ではないです。
自分の欲を満たす為、するべきことではないことをして、他人の命を奪ったり、他人の体や心を傷つけている人はたくさんいます。そんなことは、もちろんすべきことではありませんし、積極的に許すべきものでもないと思います。
ですが、我々一人ひとりの人間には、他人の行動やその心をコントロールすることはできません。

・・・私が今まで生きてきた中で何度も何度も、嫌というほど思い知らされたのがこのことでした。
自分の母親に始まり(私がコントロールできない最たる人でした。)、友達、仕事仲間、恋人、夫、・・・他人(自分以外の人)という他人は全て、私にはどうすることもできない冷たい壁、でした。さらにはオーディション、仕事、日本社会、アメリカ社会、人種差別、病気、etc.・・・ほんとに細かいことに至るまで、この世には、自分の力ではどうにもできないものばかりなんだ、という冷たい壁に何度も突き当たりました。その壁を感じるたび、やりきれない思いでいっぱいになりました。自分がどれほど無力であるか、思い知らされました。

でも逆に言えばそれは、「お前にコントロールできることがあるんだよ。それを探しあてなさい。」という、経験が私に与え続けた強いメッセージだったんです。そのことにより私は、「今、此処の自分」だけは、私のコントロールの範疇にあることなのだ、ということにやっと、気がついたんです。そして実際に「今、此処の自分」を生き始めたとき、そのことが有するとてつもないパワーを、実感したんです。

そして、「今、此処の自分を生きること」だけが我々にできることならば、世の中を正しい方向へもっていくために我々にできる努力、とはすなわち、「今、此処の自分を正しく生きる」ことに他ならないと思うんです。今、此処の自分を100%正しく生きさえすれば、それが我々にできる最高の善行なのだと思うのです。
でも我々・・少なくとも私は、これすら満足にできないわけです。これすらできないのに、自分の目の前に与えられていることに不満を言い、「こんなわずらわしいことに時間をとる必要がなければ私はxxできるのに」とか、「こんなことではなく、xxをして自己実現したい」と・・・今自分にできないことばかりに心を馳せ、今自分にできること、つまり「今、此処の自分を生きること」をおろそかにしていたんです。


今の時点ではもしかしたらcamさんには、「自分に与えられたことだけをやるなんて、受身だ」と感じられるかも・・しれません。かつて、理論だけを頭に描き始めた頃、私はそう感じていましたから。もっと積極的、効果的に自分の力を発揮し、この世に貢献する方法があるんじゃないか?って。
でも今は、極めて積極的な生き方=極めて受け身の生き方、ではないか?と感じるんです。言い換えればそれぐらい、「今、此処の自分を生きること」による無限のパワーを感じ始めているんです。


結局、Syoさんがおっしゃったこのことが言いたいんです。

>社会を少しでも良くしたいと想ったら、私たち一人、一人が自律的な安定を果たすべきなんです。平和を声高に訴えて、自分以外の何かを変えようとするのではなく、まず「自分」が変わってしまえば良いんです。誰よりも、まず「自分」が進化、成長を遂げて、世事を達観し、同時に人助けをするような「愛(気)」の強い、大きな心の人間になれば、これほど世の中に対して貢献することはないんです。人類に対しても最大級の貢献です。だから克己修身して「完結している」と考えられるような心の安定した人が増えれば、相乗的に社会も良くなるんです。

これを信じているんです。


・・・・ちゃんと説明できたかどうか分からないんですが、言わんとしてることは分かってもらえたでしょうか?



P.S.
>(floさんへの返信は別にします。)
了解です。

投稿日時 - 2006-01-21 16:14:55

お礼

ご回答ありがとうございます。

>今の時点ではもしかしたらcamさんには、「自分に与えられたことだけをやるなんて、受身だ」と感じられるかも・・しれません。

まさにその通りなんですよ。もっと積極的に動いたりして、自分の思い描いたものに近づけるようにしていったほうがいいんじゃないかって思ってます。どうも「今、此処の自分を生きること」っていうのがピンと来ないんですよねぇ。今の自分に与えられたことを一生懸命にって・・・、簡単に夢は諦められませんし、就職先も決まってない自分にとって一体何が「与えられたこと」なのかもよくわかりません。で、多分「与えられたこと=やるべきこと」ということですよね?やるべきことがもう少し明確になれば、と思ってるんですけど・・・。

投稿日時 - 2006-01-24 00:48:41

ANo.49

camさん。

>>難しいですね。

そうですね。たとえば、私は、ここ数年仏教のことしか考えていないんです。自分でもなんでこうなったか分からないんですが、たぶん1%の感動から『志』が生まれたからだと想います。宇宙創生のビッグ・バンと一緒です。バーン!という1%の感動という一発の爆発が、何十億年たっても広がっていくんです。それが99%の不断の努力です。

だから現在において完了しているイメージをして、嬉しい気持ち、喜びの気持ちで心が溢れれば、FEELの扉が開いてアイディア、ひらめきが湧いてきて、もっと、もっと推進力がついて、加速力、パワーが出てくるんです。ジミヘンが24時間ギターを手放さなかったのと同じです。計算も心配もしてないんです。

無心、無欲、無我、夢中なんです。
純粋、純心、綺麗な心なんです。


逆にTHINKして有心になると、計算高くなり、私利私欲も湧いて、保身に走り、利己的になり、アイディアも枯渇して、気弱になり、愛も弱くなり、・・・・結果、やる気もなくなるし、推進力も弱まってしまうんです。薄汚い、穢れた大人の心です。

だから理屈ぬきに≪子ども心≫ ≪遊び心≫ ≪素直な心≫でする現在完了のイメージが良いんです。
綺麗な心になること、そのために自分を律し続けることが、結局は、自分を救ってくれるんです。


大仁田厚氏の「千の傷 千の愛」って本も借りてみてください。
まあ、この人のやることは、あまりにも稚拙で辟易とするんですが(^^;)この人の「志」は見習うべきなんです。
この人もどん底まで落ちたんですが、背水の陣で望んだ有刺鉄線のプロレスと、マスコミを利用したセルフ・プロデュースだけで這い上がってきた人です。プロレス時代(FMW)に「無の境地」も体験しているみたいなんです。
「自分の中にあるものを全て吐ききってしまうと、無限の力が湧いてくる・・・」みたいな記述もありました。
この人の著書も、ほとんど読みましたが、「自分が何のために生まれてきたかわからない、だから知りたいんだ!」という、その純粋な気持ちだけで、今も生きているみたいな人です。どうやら、この1%の想いが、この人の全てに底通してるようです。

今、無料放送のギャオの「バラエティ」→「PRO-FILE」でもちょっと観れます。
「ドキュメンタリー」ではフジ子・ヘミングが観れます。
http://www.gyao.jp/ (完全無料です)



>>なんか日本人のダメなところというか、愚かさを感じました

これもズバリですね^^
「対人恐怖症」というのは日本の風土病とも言われているそうです。
島国根性、農耕民族の特有の心の病気ではないかみたいなことも言われています。
特に日本は明治以降、西欧化に推移していく中で、精神的土台と近代化とのギャップが強く出ているような気もします。




あとfloさんとのやり取りの中で、

 >そういう理不尽な現象もまた、大河の流れの中のある一点だと感じるんです。
 >>失礼ですが、ちょっと引っかかります。

と、ありますが、仏教でも、お釈迦さまは悟りを開いたのに、なんで布教したの?という疑問があるんです。悟りを開いて、世界を達観する境地に達した人間ならば、「>そういう理不尽な現象もまた、大河の流れの中のある一点」という想いに達するわけですから、布教活動なんかしないハズなんです。これは確かに論理的には矛盾してて、辻褄が合っていないんです。ですから仏教では梵天に頼まれて布教を始めたというストーリーになっているんです(梵天勧請)


・・・で、私はこのように解釈するんですが、
floさんも達観していると言いながら、camさんの役に立とうしてらっしゃるように、心が安定側に向かった人は「愛(気)」が大きくなりますから、達観すると”同時に”、必然的に誰かのために働いて”しまう”んです。
穏やかな日の光が無意識のうちに植物を育ててしまうのと同じです。
本人は無自覚でも自然の摂理として、矛盾した機能を果たしてしまうんです。


逆説的に言うと「愛(気)」の弱く小さな人は、世間のことでぎゃーぎゃー騒ぐのに、自分の利益しか考えないという矛盾を抱えた人たちなんです。「住みよい社会を!」と達観できないのに、”同時に”手を貸そうともしない人々です。こういう正義の人たちが住みづらい世の中を作っているのかも知れないんです。
ピューピューと吹き荒ぶ北風が植物を枯らしてしまうのと同じです。
これも矛盾した機能を果たしてしまうんです。
で、これこそが#35の立川談志さんの言っていることなんです!


この世の全てのことは二極構造、二律背反で成り立っているんです。
光あるところには、必ず、影があるんです(陰陽)
パラドックスってやつを抱えているんです。
・・と、こんな説明で通じるでしょうか?


だから、これはfloさんには説明できない疑問だと想うんです。

なぜならば進化、成長を遂げて良い意味の自己矛盾を抱えた、ご当人だからです。^^
それが証拠に、floさんの心が穏やかになって、達観の境地に達すれば、達するほど、お父さんとの関係にも変化が生じているんです。
camさんは、この事実をどう受け止めますか?



>>「完結している」と考えていたらいつまでも社会は良い方向に向かっていかないのではないでしょうか?
>>良い社会を望んでこそ良い社会へ向かっていくのではないのでしょうか?

・・・と、この疑問も同じことですが、#33に

  >でも、だからこそ、自律心が働くようになるんです。
  >犯罪があるから警察が育つんです。
  >犯罪なくして警察は育たないんです。
  >仏教では蓮の華にたとえます。
  >美しい蓮華は泥の中からしか咲かない(咲けない)んです。

・・・と、書いたように、この世は二極構造だから何かが育つんです。

この場合だと「悪い社会」があるから「良い社会」が育つんです。
つまり「善」は「悪」なくしては育たないんです
逆にいえば「悪」は「善」のエサなんです。(まあ逆も真ですが)

>>良い社会を望んでこそ良い社会へ向かっていくのではないのでしょうか?
つまり、上記のような理由で、この世(社会)が完璧に善くなることは絶対に無いと、私は想っています。

でも、だからこそ!

社会を少しでも良くしたいと想ったら、私たち一人、一人が自律的な安定を果たすべきなんです。平和を声高に訴えて、自分以外の何かを変えようとするのではなく、まず「自分」が変わってしまえば良いんです。誰よりも、まず「自分」が進化、成長を遂げて、世事を達観し、同時に人助けをするような「愛(気)」の強い、大きな心の人間になれば、これほど世の中に対して貢献することはないんです。人類に対しても最大級の貢献です。だから克己修身して「完結している」と考えられるような心の安定した人が増えれば、相乗的に社会も良くなるんです。

>>そういう理不尽な現象もまた、大河の流れの中のある一点だと感じるんです。
このように現在完了でイメージ出来る心の大きい人たちが増えれば、本当に社会は良い方向に向かっていくと想うんです。

こんな説明で通じましたでしょうか・・?(^^;


結局は、われわれ、個人の心の問題に帰結するんです。
「心」が自律的に安定しているか? いないか? で全てが決まるんです。

仏教では不善の社会、不善の自分を超えて成長しよう!という志を【菩提心】というんです。
(floさんへの返信は別にします。)

投稿日時 - 2006-01-20 20:41:18

お礼

ご回答ありがとうございます。

>だから理屈ぬきに≪子ども心≫ ≪遊び心≫ ≪素直な心≫でする現在完了のイメージが良いんです。

そう考えると子供ってすごいですよね。確かに少年時代って無我夢中というか、余計なことなんて考えずにひたすら物事に打ち込んでましたね。そこに迷いも心配もありませんでした。きっと心も安定していたと思います。少年時代は意図せずにそういう心の状態でしたけど、大人になった今は、意図してそういう心の状態にするようにしなければなりませんね。

>大仁田厚氏の「千の傷 千の愛」って本も借りてみてください。

この人は稚拙な行動ばかりが目について「どうなのかな」って思ってましたけど、成功した人ってやっぱり一般人が見習うべき何かを持ってる人なんですね。「自分の中にあるものを全て吐ききってしまうと、無限の力が湧いてくる・・・」ですか・・・、なんかいいですね。僕はいつも、自分の中に残しておこうとする人間ですからね。

>・・と、こんな説明で通じるでしょうか?
>こんな説明で通じましたでしょうか・・?

とても分かりやすい説明で、概ね理解できたと思います。世の中矛盾だらけですが、自然の摂理として「あるべき矛盾」もあるのですね。言われてみれば確かに、お釈迦様は布教する必要はありませんでしたものね。
社会の良し悪しも我々の心の問題に帰結するなんて、不思議というか興味深いというか・・・、世の中意外と良くできてますね。「物騒な世の中」とか「理不尽な世の中」とか、悪いところばかりに目が行きがちですけど、その悪いところを作っているのは人間の心なんですものね。

投稿日時 - 2006-01-24 00:47:45

ANo.48

camさん、
>今の僕の怖いものは「将来」です。オーディションを受けたんですけど、結果はまだ来てなくて・・・。もし落ちてて違う職についた場合、一生懸命その仕事をこなせるか心配なんですよね、自分のやりたいこととは違うことをやるわけですから。「人生つまらない」って思ってしまいそうな感じで怖いですね。

これは・・・今の私は自信を持って言えますが、落ちて別の職に就こうが、合格して音楽の道にいきなり進もうが、camさんが心を鍛え、真理を追究し続ける限り、まったく同じ結果になります。つまり、「人生を生きること」と「音楽をやること」は全くの同義です。

こんな分かったような分からないようなこと言われても(^_^;)、って感じだと思うんですけど・・・・これが私の実感なんです。

私、帰国してからずっと、全く自分の時間がなかったんです。まるで、「では、今まであなたが理解したことを、実際にできるかどうか、テストしてみましょう。」と言われているかのように、(具体的なことはちょっと書けませんが)次から次へ、思いもしなかったようなことが起こり、遊びに行くことはおろか、仕事をしたり、ゆっくり音楽を聴く、なんて時間や心の余裕すらなくて・・・毎日、悲鳴をあげてました。

理論的には今、自分の目の前にあること、自分に与えられたことを一生懸命やることが、自分のためになるし、ひいてはその経験が音楽にも加算されていくんだ、って・・・・分かってたんですよ。でも何ヶ月も何ヶ月も、音楽ができない状況が続くうち、頭ではわかってるのに、「もう一生音楽できないんじゃないか」と不安でどうしようもなくなってきたんです。同業者である(前お話した)当時の彼氏に「きっとこの経験が、音楽に生かされるよ」と励まされ、「うん、そうだね」と言いながら、心の中では「でもアンタは今仕事(音楽)やってるから、そんなこと言えるんだよ。」と、悪態をついていました。「自分のこと」をやってる人が羨ましくて、毎日嫉妬や悲哀と格闘してました。・・・・・私の中から次第に、真理に到達した喜びは薄れていき、「もうたくさんだ、もう嫌だ、死にたい」という思いがまた、頭をもたげるようになりました。
何度も言いますが、この頃には、理屈の上ではすべて、達観してた(つもりだった)んですよ。達観してたくせに、です。

だけど、辛い中でもやはり、私の底辺に頑張りたい、という思いがあるんでしょうね・・・・辛さが飽和状態までくると、ちゃんと答えがでるようになってるんです。
私はずっと、「自分のことができない」「自分のことをやりたい」って思ってきたけど、今私のやってることが「自分のこと」なんじゃないか?って、ある時ふと感じ始めたんですよ。そしたらまた、すごいスピードで、いろんな事が腑に落ちはじめたんです。一生音楽できなくても全然構わない、とまで思えるようになり、毎日が充実してきました。自分の望んだものではないけれど、自分に与えられたことに、気持ちよく集中できるようになったんです。そして気持ちよくやってるおかげで、心の切り替えも早くなり、結果的に仕事を再開する時間と心の余裕も生まれました。
そして今、「自分がやりたいこと」ではなく、「自分に与えられた事」を集中してやることによって学んだこと、の大きさ、またその「学んだこと」がどれほど密接に、音楽をすることと関わりあっているか・・・・それを日々痛感します。

まさにSyoさんが書いてらっしゃった

>「貴方の仕事は何ですか?」と聞かれたら、「本当はミュージシャンになりたかったけれど、ダメで、今は不本意ながらxxやってます・・・」ではなくて、「これ!」です。

このことなんです。

ちょっと抽象的で、分かりにくいかも知れませんが要するに、それが何であれ、自分に与えられたものが「自分のこと」なんですよ。それが実感できると、不思議なことに、どんなことにでも、たとえそれがただの雑用であっても、そこにそれをやることの意義や素晴らしさを、感じられるようになるんです。

・・・・・と言葉で説明するのは難しいですし、たとえcamさんが今、頭で理解したとしても、かつての私のように、望みどおりにならない自分の人生に対し、悪態をつくこともあるかもしれません。
けれども、camさんが真理を求めて努力し続ける限り、camさん自身の経験を通して、今私が言ったことを体感、実感されると思います。だから、心配はしてません。(^-^)



>曲作り中って、自分との一体感というか、自分自身を感じることができる状態にありますよね。そして曲作りが終われば、自分から生まれたものが「曲」として形に残る・・・それもまた自分を感じることができます。

全く・・同感です。
(やっぱり、前世くらいで血縁関係だったような気がします。(笑))




Syoさん、
「声に出して読む般若心経」読みました。

この本、私が日本に戻ってこのサイトを発見した頃、Syoさんのある回答を目にし、Syoさんがその中で推薦されてた本です。
私は仏教については全くの無知でしたが、そのSyoさんの回答にものすごい共感を覚え(この時は鳥肌が立つような何ともいえない感覚におそわれました。)、この本を読んでみたいと思い何軒か書店をまわったのですが見つけることができず、その後の忙しさやなんかで、心の片隅に追いやられていました。
で、つい先日バスの待ち時間にたまたま寄った書店でその見覚えのあるタイトルと著者名をついに発見してしまい・・・「ええい!」と思ってまた買っちゃいました。昨日の夜、時間があったんで、袋から取り出して読んだんですけど・・・

時間ができるまで待つ必要なかったです。あまりのすごさに、20分くらいで一気に読み終えてしまいました。
Syoさんが推薦してらっしゃった本なので、共感できる本であろうことは、ある程度予想してたんですが・・・その予想をはるかに超えたものでした。
・・こう言ったら非常に傲慢でおこがましいのですが、それを百も承知で言えば・・・
他人が書いたと思えないくらい、そこにもここにも、今までに自分が痛感したことや、到達した結論、さらには「こんなふうに感じるんだけど、思い切ってここに書いてみようかな?」と最近思っていたようなことまで・・・、全部、書かれてあったんです!(Syoさんも、こんな感じじゃなかったですか?!)もちろん私にはこんなに体系的、理論的に説明する力もないですし、新しい知識や概念もありましたし、実際この本の文面の背後にはとんでもなく大きい世界があるんでしょうけど、・・・とにかくどれもこれもが、くすぐったいを通り越して、痛いほど、この数年間の想いとクロスしてたんです。

すごいです・・・・・。これは本当に科学ですね!
Syoさんが「お釈迦さまの教えは宗教とも呼べない」とおっしゃってるのが、今よくわかります。
camさんもいつか、読んでみてください。「この本、宗教のコーナーに置いてあるの、間違いだよなあ」って、きっと思われるとおもいますよ。



>真理って、何気ない些細なところに落っこちているんですよね。
万物に底通しているからこそ見落としがちだけど、そこに全ての答えもあるんですよね。

本当にそう思います。
それに、誰も皆、その真理をどこかで感じながら生きてるんだと想うんです。周りの誰かが、何気ない会話の中でポロっと吐いた一言に、真理が浮き彫りになって見えることって、よくありますし。



>でも、私に伝えられるレベルは、消防車の「はしご」みたいなもので、とりあえず、みんなが昇りやすいように、判りやすいように、目の前にまではしごを下ろしている程度なんです。
だから、今は大変感動していただけるかも知れませんが、知れば知るほど奥が深く、全てに底通しているがゆえに、これほど困難な道も無いんです。私もまだ入り口付近に居る身ですが、これは驚異の一本道だと想います。

あぁ、これは・・おっしゃってること、よくわかります(わかるつもりです)。

・・例えば、ものすごく些細な日常のことでも、そのすべてにおいて実際「正しいこと」をすることは、非常に難しいです。でも、あえてそれをやる努力をして初めて知ることができる、その実行の奥深さ、みたいなものを感じることがあります。
その奥深さにも似たものなのかな、と・・・。
う~ん・・・独り言です。読み飛ばしてください。(^_^;)



宗教について・・・・

私の親しい友人に、両親とも牧師さんだった女性がいるんですが、彼女が「JesusをPraise(賛美?)することはいけないことなんだ。PraiseすべきはGodだ。」とよく言ってるんです。その彼女も、教会というもののあり方に多くの疑問を抱いてる人です。
私はキリスト教の中身や歴史を詳しく勉強したわけではないので、あくまで私が外から見て感じたこと、憶測にすぎないのですが・・・・結局、宗教という名の下に、偶像崇拝をするから、どんどん本旨からずれていってしまうんだと思うんです。歴史の中で征服や支配の道具として使われたキリスト教でさえ、皆が幸せになるためのガイド、そのための知恵(=福音)を本旨として生まれたのではないか、と思います。Jesusが言いたかったのは、「俺を讃えろ」ということではなかったはずだ、と思うんです。たとえ「神を讃えろ」であったとしても、その「神」の意味、「讃える」の意味は、妄信的な偶像崇拝、とは違うものであったはずだ、と思うんです。


でもその偶像崇拝してる人たちや、そういう現象や事実さえも、それはそれでいいのだ、とこの頃感じるようになってきたんです。
この考えに至ったのは私、自分の父親を許せたことが大きく影響してるんです。
実は私、アダルトチルドレンという概念も、このサイトに来て初めて知ったんですが(このときもかなり衝撃でした)・・・、それに関するSyoさんの書き込みを読んで、かつて悔しい思いをしてました・・(今初めて言いますけど)。
「お父さんと同じような環境で、同じ思いをして育った人がここまで悟って、ここまで努力し、これほどの境地に達しているのに、何故お父さんは気付かないんだ?なぜ答えが目の前にあるのに、それを受け入れようとしないんだ?!」と、悔しくて悔しくてたまらなくなりました。もうかなりの歳ですし、大病をしたこともあって、このまま父が無念の思いで死んでいくのかと思うと、悔しくて涙が止まりませんでした。

だけど・・・一方で私は、一人ひとりの人生より大きい、・・・何といったらいいのか、「何かとてつもなく大きな流れ」のようなものを感じ始めていました。camさんへの返信のなかでも書きましたが、何一つ自分の思い通りにならない状況が続くなかで、自分の意志を超えた、何かゆっくりと動く大きな流れを感じたんです。・・理屈で説明できないのがもどかしいんですけど。
で、その流れを感じたと同時に「気付くべきなのになぜ気付かないんだ?」と父を責めること自体、お門違いなんだ、と思いました。父は、その大河の流れの、ある一点である父の人生、をその”一点”としての役目を全うしながら、全力で生きてきたんだ、と感じました。そこに不足を感じ文句をつけるのは、私の傲慢だ、と・・・思ったんです。

この気持ちの変化に伴って、今まで抱いていた「こうあるべきなのに」という他人や社会に対する怒りみたいなものが、一挙に薄らぎました。そういう理不尽な現象もまた、大河の流れの中のある一点だと感じるんです。その大きい流れのある部分を顕微鏡で覗いてみればやはり、そこでもここでも、必要あるところには、小さな気付き、革命の数々が起こっているのだ、と。そういうこと全部ひっくるめて、「完結している」のではないか、と想うようになってきたんです。


かなり脱線しましたが・・・。f(-_-)


とにかく・・以上のように、私の発見の数々というのは、私がまだ弱い人間だからこそ、なされたものばかりです。(恥)
でも逆に言えば、私の弱さが、強い私になるための手助けをしてくれてるんですよね。・・・不思議です。


最近、日々発見の嵐です。Syoさんの言葉を読み返すたび、いろんな事がどんどん腑に落ちていきます。
そして、私はSyoさんに教えてもらうということは、ここでの回答に始まったことじゃないです。
上にも書いたように、今までも、勝手にお世話になってました。
そのことも含めて・・・・・この感謝の気持ちは、とても言葉では言い尽くせません。<(_ _)>

投稿日時 - 2006-01-17 01:23:38

お礼

ご回答ありがとうございます。

>こんな分かったような分からないようなこと言われても(^_^;)、って感じだと思うんですけど・・・・これが私の実感なんです。

まさに、分かったような分からないようなこと言われてもって感じです^^;)多分後になってから、「あの時このサイトで…」って感じになるのだと思いますが、やっぱり望みどおりにならないことに対して卑屈になってしまう気がします。自分のやりたいことではなくても、自分に与えられたことを全力で取り組めるようにしたいと思います。「ボートの外のこと」を気にしていたってどうすることもできませんからね・・・まぁ頭ではわかっちゃいるんですが、そうできるほどの心に筋力があるかどうかですねぇ。しっかりと心の筋トレをしたいと思います。

>そういう理不尽な現象もまた、大河の流れの中のある一点だと感じるんです。

失礼ですが、ちょっと引っかかります。悪い・悲しいニュースばかりの現代社会において、それを「大河の流れの中の一点」と考え、全て「完結」しているとするのは、今まで述べられてきた真理とは矛盾しているように感じます。悪い・悲しいニュースを、我々日本人が心のどこかで望んでいるからそれが頻繁に起こるのではないのですか?そこに革命があるのか疑問ですし、「完結している」と考えていたらいつまでも社会は良い方向に向かっていかないのではないでしょうか?良い社会を望んでこそ良い社会へ向かっていくのではないのでしょうか?不躾な質問で申し訳ございませんが、疑問はなるべく解決させたいので。

投稿日時 - 2006-01-19 23:54:52

ANo.47

camさん。
>>これって向上心をなくすことにはならないんですかね?

この切実な思いが「渇愛」です。が、欲目、欲望は向上心とは違うんです。
欲目、欲望は自分の側に何かを引き寄せようとするエネルギーの働きですよね。
(←不安定側)に働く力なんです。(No27の図)
ドンドン「愛(気)」の小さい人間になっていくんです。
これは向上心ではなく、向下心・改悪なんです。

だって向上心というのは安定した心の人間になることでしょ?
(安定側→)に働いてこそ、向上心・成長なんです。
現在完了でものごとをイメージしただけで、無くなってしまう程度の向上心・夢だったら、それは、その程度のものだったということなんです。

本当に心から喜んでやっているならば、心の安定に伴って、もっと、もっと、無尽蔵にパワーが湧いてくるハズです。
逆に、実は、単なる欲目だけでやっているならば・・・、心の安定に伴って消滅する想いなんです。


オーディションの合否で、貴方の幸福が決まるわけではないんです。
もし、貴方が主体性のある愛を生産し、自律的な安定を果たしていれば、喜びの気持ち・慈悲喜捨の心が溢れますので、必然的に強大な「愛(気)」を発する(オーラ)ようになりますので、ファンやスカウトが放ってはおかないんです。幸福のほうから舞い込んでくるんです。
我々の心の幸福度(安定度)が、将来へのカギを握っているんです。
以上のことを踏まえて、もう一回、ここまでを読み返してみてください。

「将来」が怖いのではないんです。
我々の心が不安定だから、すがるような気持ちでいるから、そのように感じる(錯覚する)だけです。

>>教育って、いつも歴史やら計算やら「事実」を押しつけるだけですよね。
同感です。
小欲知足の心を育むことこそ、本当の心の教育なのに・・・。
「生存競争」がある限り、これは終わらないのかも知れませんね。
生存とは、本来「共存」なんですけどね。
人間には本質が観えていないんです。(以下で、その説明をします)




floさん。
>>信じなければ地獄に落ちると言われたり

ヘレン・ケラーも『中世の厳格な神学は、いかに人間を軽蔑すべき罪の子として扱ったことでしょう、いかに世界を神の怒りに触れるものとして捉えていたことでしょう』『信じるものだけが救われるという自己中心的な思い込みがひたすら尊ばれたのでした』『「幾万もの民の上に呪いを降り注ぐ神学」「神の言葉」を呪いの言葉を変えた。』『無学な人々の弱みや、軽信性に漬け込んだ。』といって、強く批判しているんです。

たしかに、宗教は「抑止力」としても機能するので、人々が道徳的に生きてもらうために、このような工夫(最期の審判、原罪、脅し・・)がなされたのかも知れませんが、表現が違えば習慣が違ってくるんです。習慣が違ってくれば、結果も違ってきます。ですから確かに光る言葉は多々ありますが、私も支持しているワケではないんです。

ヘレンケラーは、まさにFEELの人ですから、この違和感が許せなかったのだと想います。
ちなみに彼女は神秘系で有名なスウェーデン・ボルグの新エルサレム教会を支持していたんです。



>>これは・・・・・・・・・・・すごいです。

観えてきましたか?!
『完璧』という言葉がぴったりだと想います。

でも、私に伝えられるレベルは、消防車の「はしご」みたいなもので、とりあえず、みんなが昇りやすいように、判りやすいように、目の前にまではしごを下ろしている程度なんです。
だから、今は大変感動していただけるかも知れませんが、知れば知るほど奥が深く、全てに底通しているがゆえに、これほど困難な道も無いんです。私もまだ入り口付近に居る身ですが、これは驚異の一本道だと想います。


なぜならば「真理」というのは「結論」なんです。
「結論」というのは、それ以上動かしようのない事実・真実ですよね。

たとえば「私は日本人です」といえば、これが「結論」ですから、それ以上動かしようがありませんよね。
科学の要件でいう「普遍性」「客観性」「再現性」「実証性」があるんです。
仏教でいう縁起、無常、無我・・・これらも「結論」なんです。
宇宙・生命の構造の本質が此処にあるんです。
ですから逆にいうと「最期の審判」も「地獄行きの脅し」もないけど、仏教には ”理論的な絶対性”があるんです。
獣のようなこの自分を、完璧なまでの精神科学の枠組みに収める必要があるんです。
その不断の努力・精進が不安定から、安定への道なんです。

だから我々も、かなり勉強しないと仏教的なものの見方というのはわかりません。
なんとなく解ったつもりでも、実は、もっと、もっと精密で・・・奥が深いんです(@@;


  我々、凡人は「現象」という側面からものを”見て”います。
  お釈迦さまは「本質」という側面からものを”観て”いるんです。
  この差があるんです。

だから実は仏教ではキリスト教のような最後の審判をするような「神」は否定するんです。
本質レベルから見たら、そのようなものは存在しないという立場です。


「生きて死ぬ智慧」の般若心経というのも後世にできた新興の仏教(大乗仏教)の経典なんです。
だから最期のほうに「ぎゃーてー、ぎゃーてー」という真言が出てきますが、初期仏教ではこういう呪文の類も否定しているんです。あなたは自分でそれが素晴らしいものだと確認したんですか?、そうじゃなくって他人が善いというから、それを漠然と信じているだけではないですか?という立場です。

「自由」という言葉がありますが、自分で確認して、自分の判断に由って生きなさいというのが仏教なんです。つまりいつでも自分の眼で真理・本質だけを見ていなさいというものなんです。

だから神や真言、呪文、占い、祈祷・・のような形而上学的なものに由ってはいけませんということなんです。お釈迦さまの時代には、生贄を捧げたりする人たちもいたんです。今でも、神がかりした教祖を信じているとか、盲目の徒は多いと想いますが、それでは、ただ単に風が吹いたから飛ばされている<不安定な枯れ葉>と同じなんです。心は不安定に揺れ動いているままで、自由とは言えないんです。だから我々日本人が当たり前のように神社で祈るのにも否定的なんです。自分が原因を抱えているのに、神社で祈ったって無駄ですよという立場なんです。

xxさんが良い!と言ったから、これは良いものなんだ!では、奴隷(不自由)なんです。
マスコミがグッチのバッグが最高だと言ったから最高なんだ・・では情報の奴隷なんです。
逆に、俺が絶対と言ったら絶対なんだ・・も何の論拠もないんです。
だから本来の仏教は「あなたは、それを自分で確認したんですか?」という立場です。

偉い人が言ったからといって従うな。
伝統的なものだからといって信じるな。
みんなが善いという理由で信じるな。
逆に、みんなが悪いというから嫌うな。
真理の智慧で観て、自分に由って判断しなさい。という立場です。

これも、心が不安定な人には出来ない芸当なんです。
つまり、どこまで行っても「心の安定」「理性的に生きろ」が仏教なんです。
「独立自尊」「自律しなさい」「主体性を持ちなさい」・・・それが真理にも叶った”幸福への一本道”なんです。



・・・そう考えると、ヘレンも言うような「神」の立て方をする宗教は”不安定への道”なんです。
最期の審判が怖いから良いことをする。神が居るから良い子にしよう・・では主体性の無い、不自由な枯れ葉と一緒なんです。
「自律的、主体性のある心の安定こそが幸福」という公式から観ても「神」というのは邪見という結論になるんです。
とても平等で公平で正論だと想います。
 ※ちなみに初期仏教にも「神」という言葉は出てきますが、定義が違います。

だから、お釈迦さまの教えは宗教とも呼べないと想います。
「生命エネルギー論」「真理療法」・・だと想います。
だから、盲目的な信仰は必要としないんです。
 もちろん「仏、法、僧」に対する信頼は必要とします。
 患者が医者とその理論・技術を信頼するのと同じ理屈です。




般若心経は「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見・・」で始まりますよね。
「一生懸命修行して、ものごとの本質だけを観れるようになった」という意味です。
こちらの勝義諦の世界からものごとを観ているというような意味です。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1881202
心が安定すると、実際に、こういうものの見方が出来るようになってくるんです。
で、これが「一元的なものの見方」ということなんです。(たぶん)


たとえば「”人差し指”を明確に定義してください」と言われて、よく観ると、皮膚は繋がっているし、血管も、骨も・・全てが繋がっていて、「人差し指」など存在しないということに気づくと想います。「人差し指」というのは世俗レベルの真理であって、本質的側面から観れば、そんなものは無い。ということになるんです。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1168207(こちらの10、11、14)
 ※10に般若心経の「一切皆空」です。と書いているのは間違ってますね。。(恥)


だから、人差し指を出されて「これはなんだ?」と聞かれたら「これ!」と答えるのが理想的なんです。
これが『 Don't Think Feel 』の世界です。

「貴方の仕事は何ですか?」と聞かれたら、「本当はミュージシャンになりたかったけれど、ダメで、今は不本意ながらxxやってます・・・」ではなくて、「これ!」です。


この一元的な見方が広まれば、肌の色が違うからといって差別したり、学歴、職歴、容姿・・・いろいろな差別偏見もなくなるハズなんです。
だって、差別偏見は、我々の心の中からしか生まれてこないんです。
世俗の概念を持ち込むから、分別から差別になり、貪欲になり、愚痴りたくなるのが人間なんです。


「世俗の概念」というのは、その時代によっても、個人によってもコロコロ移り変わる不安定なものですよね。
ちょっと前まではIT産業!と、もてはやされてたのに、今では、普通になっています。
つまり、ここにも「不安定なものに左右されるな、安定を求めなさい」という真理が隠れているんです。
絶対に移ろわない本質だけを見据えていないさいということです。

「移ろうものに追いすがるな」・・・世俗の価値観はもちろん、自分の生命にも執着するな、本質を悟りなさい。という意味です。

(ちなみに先に紹介した「不善心所」「善心所」の分類方法も、本質という側面から心を解析した結果のものなんです。ですから、ちょっと判りにくかったハズです。)




#35でも紹介してます、京セラと第二電電(現:au)の創業社長の稲盛和夫さんも凄いんですよ。
経営で問題にぶつかっても、何をどうしたらよいか観えてしまうんだそうです。
この方は若いときに「生長の家」で真理を学んでから仏教に帰依し、今は臨済宗の僧籍も取得したんだそうです。
この人の著作物は数々拝読しましたが、ズバリ本質だけを端的に突いていて、もう・・圧倒的です。m(_ _)m カリスマ経営者と呼ばれています。

曲作りetcでも、この能力は活性化されると想いますが、坐禅瞑想etcで、もっと体系的に育てることもできるんです。



>>理解すると恐怖が消えるのは、この「理解」というものがそもそも「つながり、共通する何か」を通じてなされるもの、だからなんですね!
>>経験というのは、自然という我々の意志を超える大きな流れと一体化して、はじめて生まれる。そういう意味では、気付く=気付かされる、ですから。

・・・これらの言葉は、深く、深く考えさせられます。

真理って、何気ない些細なところに落っこちているんですよね。
万物に底通しているからこそ見落としがちだけど、そこに全ての答えもあるんですよね。
floさんは、きっと、それを発見する嗅覚があるんだと想います。(^^)


・・・と、ちょっと突っ込んだ話をしましたが、camさんも、是非、ご一考ください。

瞑想は、具体的に主体性、自律心を育てられる心の筋トレです。
図書館で借りてみてください(無くてもリクエストすれば取り寄せてくれます)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/250-8054312-6613868

投稿日時 - 2006-01-16 06:45:51

お礼

ご回答ありがとうございます。

>向上心というのは安定した心の人間になることでしょ?
(安定側→)に働いてこそ、向上心・成長なんです。

難しいですね。安定側と不安定側・・・、ベクトルの向きは真逆ですが、僕のような無知な人間にとってはどちらに向かっているのかさえ判別が困難です。己を磨くために努力しているのは間違いないですが、果たして欲望のためにやっているのかそうではないのか・・・。ただ「今のままではいけない」って、そういう思いがあってなんですけど、僕には「貪欲」って言葉がよくあてはまるような気がするんですよね。
何とか心を安定させなければいけませんね。将来が怖いというのも、自分の心が生んでいるものなんですね。

>「独立自尊」「自律しなさい」「主体性を持ちなさい」・・・それが真理にも叶った”幸福への一本道”なんです。

なんか日本人のダメなところというか、愚かさを感じました。飲み会とか何かに誘うとき、「みんなも来るよ」って誘うのは日本人だけで、それを基準にして行くか行かないかを決めるのも日本人だけらしいです。さらに悪いことをしたときとかに、「みんなもやっているじゃないか」と言うのも日本人だけらしいです。日本人には「周りと同じことがいいこと」っていう考えが植えつけられてますよね。奴隷というか、日本人に自由さはないですよね。日本の主な宗教は仏教だとか言われてますけど、仏教の素晴らしい考え方はちっとも日本人に(自分も含め)浸透していないんですね…。お葬式のときとかだけに仏教を持ち出すというか、なんか損しているようなきがしますね。・・・ちょっと脱線した感がありますが、僕自身いつも周りの意見と対立することがよくあるもので。多数派の意見にばかり賛同するというか、物事を客観的に見て合理的に考えることができない人ってすごく多いんですよねぇ。

>真理って、何気ない些細なところに落っこちているんですよね。

なるほど、僕には気づく能力がないからよく立ち止まってしまうんですね。消防車のはしごの話じゃないですけど、「こういうものがある」といのを教えてもらうことはできても、発見して活用できるのは自分だけですものね。心の筋トレ、頑張りたいと思います。

投稿日時 - 2006-01-19 23:52:04

ANo.46

>でも曲を書くときはどうしても心がそれに奪われますね。1時間でも2時間でもひたすら、納得いくまでやってしましますね。没頭ってやつです。心奪われるじゃなくて、これがFEELって状態なのでしょうか?頭で考えてどうこうってわけじゃないので・・・、どうなのでしょうかね?

どうでしょうね~・・・・人それぞれだと思うし、なんとも言えませんが・・・
私の場合はだいたい、メロディーと歌詞、アレンジが全て、頭の中でほぼ同時進行で鳴り始めるんです。最初は大まかなイメージから始まって、だんだん個々の詳細な音が聴こえてくる、というふうに。何もないところに何かを創りだす、という感覚ではなくて、自分の中で鳴った音を、瞬時瞬時に捉えて物質化していく、という感じなんです。自分との一体感が最高潮に達する作業です(だと私は感じます)。
そういう意味では、Feelに近いのかな?
もちろん仕事としてやっていく中では、時間の制約の中で数をこなさなきゃいけなかったり、「こういう感じの曲にしてほしい」という極めて具体的な依頼があったりするので、そういう時は自分なりの公式にあてはめて機械的、人工的に作る、ということも多々ありますから、いつもいつもこういう状態、ってわけではないですけどね。

いずれにしても、曲作りは楽しい作業であることには間違いないです。(^-^)



>たぶん、私も似てると想うんですが「図で考える」というか、きっとイメージ思考をされていらしゃると想うんです。そしてイメージに論理がくっついて、初めて経験と知識がリンクするし、腑に落ちてくる

そうです、そのとおりです。
Syoさんもそうなんですね。どおりで・・Syoさんのおっしゃることは本当に分かりやすいです。まるで体の中に染み入っていくみたいに違和感なく理解できます。

思うに・・多分camさんも、私たちと似たような思考をしてらっしゃるんじゃないでしょうか?一番最近のお礼欄読んだ時なんて、使う言葉から言い回しから発想まで・・・、昔どこかで血縁だったんじゃないかと疑ってしまいました。(笑)




>(・・・と、此処で、ちょっと断っておきますが、(本来の)仏教というのは、入会・入信する必要も無いし、どこぞの新興宗教のようにご本尊を置く必要もないし、元々、そんなものも無いんです。≪日本の「坐禅」と同じで!≫、自分で勉強して、かってに努力すればいいんです。 どうか、此処を誤解しないでください。私は会員でも勧誘員でもありません。)

もちろん了解しています。
それにSyoさんの言葉によって、様々な角度から真理をみることができるので、本当に学ぶところが多くて、感謝の念に絶えません。<(_ _)>

そもそも宗教というのは人を幸せにするものでしょ?なら万人にオープンであり、人と人をつなげる(Unite)ものであって、入信しないものを裁いたり、人と人とを種別、分断(Divide)するようなものであってはならないはずだ、という思いを、私はずっと抱いてきたんです。
だから、Syoさんに出会い、Syoさんがその宗教のあるべき姿を体現してらっしゃるのをみて、本当に嬉しいんです。「宗教(dividing)色のない宗教(uniting)家」こそが、真の宗教家だと思いますから。

・・・実は宗教に関しては、今まで様々な思いを経てきました。私は特に宗教を持っていないのですが、身近な人や周りの人の多くがクリスチャンだったことから、信じなければ地獄に落ちると言われたり(^^;)、分かり合えなくてもどかしい思いをしたことも幾度となくありましたし。それに宗教、というより宗教”団体”の極めて排他的、分離的な部分を目の当たりにしたので、いつも自分とは異質なものという感覚で・・受け入れることができなかったんです。

でも、真理にたどり着いてからは、宗教、特にキリスト教に対する考えも変わりました。その言わんとすることが分かってきたから。アメリカでは、牧師さんや神父さんのお説教の様子を収録して流してるテレビ番組がたくさんあるんですが、そんなのを聴いてても、真理を述べている言葉が、浮き彫りになって聴こえてくるんですよ。
やはり、宗教を超えて全てに共通する、一番底辺の部分に太く横たわる概念(=真理)、というのはあるんだ、ということを強く感じました。そうなると、宗教に対する恐怖や違和感、嫌悪感もなくなるんですよね。


やはり、他人の中に、自分と共通する何か(自分との接点、自分とのつながり)が見つかると、怒りや恐怖がなくなり、優しい気持ちにもなれますし、ひいてはこれが柳澤桂子さんの本にも書かれてる「ものを一元的に見る」ことにもつながるんだと思います。きっと、だから一元的に物事を見ることが、幸せに生きる、ということにつながるんですね。
昨日、Syoさんにご紹介いただいた「慈悲」の解説をプリントアウトして読んでたんですけど、読んでる間中、そのことをずっと感じていました。



>今度、カメラがあったら「カメラを通じて、私の歌がみんなの幸福のお役に立ちますように!」と、少女のように念じながらいくと上手くいくかも知れませんよ(^^;)

やってみます。
今まで、恐怖でしかなかったものが、何だか楽しみになってきました。
と同時に、ちょっとこんな言葉を思い出しました。
Nothing in life is to be feared. It’s only to be understood.
”人生に、恐れるべきものなど何もない。理解するべきもの、があるだけだ。”・・・ちょっと訳しにくいんですが。
本当に・・・・・理解してしまえば、怖いものなんて何もないですね。


・・・こうやって書いてると、どんどんつながってくるんです。
理解すると恐怖が消えるのは、この「理解」というものがそもそも「つながり、共通する何か」を通じてなされるもの、だからなんですね!
同じ経験をした者同士が分かり合えるのは、共通の経験があればこそ、ですものね。
なるほど・・・・すべてのものとのつながりの糸さえ見えれば(物事を一元的に見られさえすれば)、人間はほっといても恐怖や怒りから解放され、幸せになるようになってるんですね・・・・。
愛(慈悲喜捨)の気持ちを育てると、同時に「自分以外のものとの共通点・つながりを見つける」「一元的に全てを見る」力も育つ。だから自ずと心は安定への一途をたどるんですね。
これは・・・・・・・・・・・すごいです。

投稿日時 - 2006-01-14 16:02:38

お礼

ご回答ありがとうございます。

>自分の中で鳴った音を、瞬時瞬時に捉えて物質化していく、という感じなんです。自分との一体感が最高潮に達する作業です(だと私は感じます)。
そういう意味では、Feelに近いのかな?

それです、僕が言いたかったのは。曲作り中って、自分との一体感というか、自分自身を感じることができる状態にありますよね。そして曲作りが終われば、自分から生まれたものが「曲」として形に残る・・・それもまた自分を感じることができます。だからFEELかなって思ったんですよ。

>多分camさんも、私たちと似たような思考をしてらっしゃるんじゃないでしょうか?

かもしれません。この間のお礼欄でも、知らないうちに「側面」という言葉を使ってて、なんか物事を立体的にイメージして考えてますね・・・言われてみれば。まだそのイメージに経験がくっついていないので、知識とのリンクもなくて腑に落ちない部分もあるんですけど、知識を得られただけでも素晴らしいことだと思ってて、ここへ質問してよかったと改めて感じてます。

>”人生に、恐れるべきものなど何もない。理解するべきもの、があるだけだ。”・・・ちょっと訳しにくいんですが。
本当に・・・・・理解してしまえば、怖いものなんて何もないですね。

今の僕の怖いものは「将来」です。オーディションを受けたんですけど、結果はまだ来てなくて・・・。もし落ちてて違う職についた場合、一生懸命その仕事をこなせるか心配なんですよね、自分のやりたいこととは違うことをやるわけですから。「人生つまらない」って思ってしまいそうな感じで怖いですね。・・・まぁこんなこと考えてるってことは、自分の心が「此処にない」ってことなのかもしれませんけど。

投稿日時 - 2006-01-15 20:40:59

ANo.45

camさま。
>>まぁ色んなことを経験していくなかで、少しずつ繋がっていくのだと思ってます。

そうですね。
今、まだ若いのに「全て、わかりました!」と無責任な返答をしないだけ貴方は優秀です。^^
で、繰り返しますが、社会は人を簡単に茹であげる場所なので、たぶん自分でも気づかない間に、想いっきり脱線してしまうと想います。でも、30年後でも40年後でもいいですから、いつか此処を思い出して欲しいんです。敵は「自分の心」です。



floさま。
floさまのお話を伺っていると、本当に感激するばかりです。

>>今やっと立体的に見えてきました。
たぶん、私も似てると想うんですが「図で考える」というか、きっとイメージ思考をされていらしゃると想うんです。そしてイメージに論理がくっついて、初めて経験と知識がリンクするし、腑に落ちてくるので、本質だけをズバリと突くことができるんだと想います。

これまでにも「どんな行き止まりにも道をつけられる」とか、印象に深く刻まれるたくさんの言葉があって、心底に響きます。m(_ _)m



>>確かに!ステージで歌ってる時って、概してどこかしらけてます。
>>逆に、よくなかったステージというのは、「想い」が先行するんです

この差が生まれる原因もちゃんと在るんです!

「善い想い」では「悪魔(邪気)」が縮小し、「愛(気)」が強大に拡がります。が、
「不善な想い」は「悪魔(邪気)」が強大に拡がり「愛(気)」が縮小するんです。

よくなかったステージのときや、カメラが回っているときには、きっと、心の中で「不善な想い」がうごめいているハズです。
つまり、その心が原因となって、結果に現われているんです。


で、これを仏教では【善心所(浄心所 )】【不善心所】というんです。
あと、善でも不善でもない中立の心の状態を【同他心所】といいます。
で、これも心の状態ごとに分類して、全部で52種類に分類されているんです。
きっと、カメラの前で緊張する心の状態も、この中に見つかると想います。
http://www.j-theravada.net/pali/key-akusala.html

あとは、これに気づくだけ!です。
人間万事、塞翁が馬と割り切れない「愚痴」は、まさに「moha(モーハ:痴)」ですよね。

  だから、逆説的に「善い想い」だけを集中的に育てたら、
  必然的に「悪魔(邪気)」が縮小し、「愛(気)」が強大に拡がるんです。
  簡単な理屈でしょ?

私がSam&Daveを推薦した理由も此処にあるんです。

つまり、愛(慈悲喜捨)の気持ちを集中的に育てることで、心は嫌でも安定に向かうんです。
私はキリスト教のことは無知なんですが「汝の隣人を愛せ」とか博愛の精神が説かれている理由も此処にあると想います。
仏教には「慈悲の瞑想」というのがあります。
http://www.j-theravada.net/pali/key-catu-appamanna-citta.html

私はこのことに気づいたときも、鳥肌が立ちました。
これは精神科学です。
日本の心理療法にも「内観」という瞑想法があります。
感謝の念だけを集中的に育てる瞑想法です。
(ただ、虐待等をされてきた人には、出来ない瞑想だと想いますが・・・)


(・・・と、此処で、ちょっと断っておきますが、(本来の)仏教というのは、入会・入信する必要も無いし、どこぞの新興宗教のようにご本尊を置く必要もないし、元々、そんなものも無いんです。≪日本の「坐禅」と同じで!≫、自分で勉強して、かってに努力すればいいんです。 どうか、此処を誤解しないでください。私は会員でも勧誘員でもありません。)

でも、こうやって本来の仏教・瞑想の意義を知ると、地下鉄にサリンを撒いた人たちが、どれほど脱線した人たちだか判ってもらえると想います。だって、本当のお釈迦さまの教えは「たとえノコギリで斬られても心を乱すな・・」なんです。



>>でも常に「今、此処の自分」に気付く努力をしていれば、たとえ一瞬、心に隙ができてしまったとしても、極めて初期の段階で軌道修正ができるわけです。そうすれば、しょっちゅう止まったり行き詰ったりすることなく前進できる・・・。

これも仏教語(禅語?)で【無心】って言葉がありますよね。

【無心】というのも、自分以外の何かに心を奪われないという意味なんです。
心が一点に定まらない状態が【無心】なんです。
切り替えの早い状態とでもいいましょうか。
つまり何ものにも囚われ、こだわり、執着のない状態を言うんです。

対義語の【有心(うしん)】は自分以外の何かに心を奪われている状態をいうんです。
  >>心の中で「もっと!もっと!」って、お客さんの反応を求めたり
  >>「情熱が続かない体質」
  こういうときは【有心】なんですね。。。><;
  こんなときは、きっと不善心所が在ると想います。

心の中が慈悲喜捨の想いで溢れ、無心の状態になれば
「無欲の勝利」「無欲は大欲に似たり」「無一物無尽蔵」・・・となるんです。


>>でもその一つひとつに動揺する、ということがないですよね、そういえば。
>>単に事実だけを淡々と受け止めてる、って感じで・・。

これが無心、安定、集中力、善の心のパワーというものなんでしょうね。
邪魔が入るに入れない、付け入る隙を与えない状態でしょうね。
この精神が武道にも、仏道にも、勉強にも・・・・全てに通じるんでしょうね。
(私も自分でこうやって書いていて、大変、勉強になります)


>>「常に謙虚でいろ」
謙虚という言葉を調べたら、これもやっぱり自己を律し続けなさいということみたいですね。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B8%AC%B5%F5&kind=jn&mode=0&base=1&row=0


あと、#33に書いた(過去完了:改め)現在完了でイメージするということも心を奪われないためのコツなんですよね。
今、自分には、何の不足もない!とイメージすることで、不善心所から脱して、善心所になり「今、此処」を生きられるので、結果として望みも叶うんです。

集中力・注意力・精神力・愛・気・自律・安定・信頼・今此処・無心・・・と、言葉にするのは難しいですが、精神論にも論拠はあるんですよね。
で、これらが潜在能力も活性化してくれるので、途方もないパワーが湧いてくるんです。
たった、一本のこの道が、全てに通じている真理の道なんです。
camさまにも、いつか、思い出して欲しいんです。

しかし日本の教育には、これがないから営利や、利己的な快楽だけを追い求める「荒れる成人」になってしまうんですよね。このOKWEBも営利目的のサイトなので、いつ、我々の投稿が営利目的に利用されるか判らないという恐怖もありますけどね(彼らは「利用権」を主張してますのでね)。。。

今度、カメラがあったら「カメラを通じて、私の歌がみんなの幸福のお役に立ちますように!」と、少女のように念じながらいくと上手くいくかも知れませんよ(^^;)

投稿日時 - 2006-01-11 18:29:32

お礼

ご回答ありがとうございます。

>仏教というのは、入会・入信する必要も無いし、どこぞの新興宗教のようにご本尊を置く必要もないし、元々、そんなものも無いんです。≪日本の「坐禅」と同じで!≫、自分で勉強して、かってに努力すればいいんです

そうなんですか、知りませんでした。よく○○宗教への勧誘とか耳にするんで、仏教も入会だの入信するものだと思ってました。「信じたものだけが救われる」みたいなイメージがありましたからね、宗教には。
世界には色んな宗教がありますが、異なる宗教間の争いは絶えないみたいですね。己がどうあるべきか、どうするべきか、幸せへの道を説いたものが宗教であるならば、それは本来の姿ではないですよね。むしろあるべき姿と逆ですよね。宗教と言っても、「あぁしなさい」「こうしなさい」って言うのを実行しているだけで、結局は本質を知れていないように感じます。「心奪われている」とでも言うのでしょうか、本来あるべき姿を思い描けていないですよね。・・・と、本来のテーマから脱線しちゃいましたね。

>今、自分には、何の不足もない!とイメージすることで、不善心所から脱して、善心所になり「今、此処」を生きられるので、結果として望みも叶うんです。

これって向上心をなくすことにはならないんですかね?向上心を持ち続けないと、人間って成長できないものだと思って、またもやぶしつけな質問をしてしまいました…、すみません。

>日本の教育には、これがないから営利や、利己的な快楽だけを追い求める「荒れる成人」になってしまうんですよね。

全く同感です。教育って、いつも歴史やら計算やら「事実」を押しつけるだけですよね。人間はどうあるべきか、社会でどう生きていくべきなのかは全く触れませんよね。僕はもうすぐ学生を終えますが、持った疑問はそれです。学校って一体なんだったんだろうって。なんとなく就職してみたって、「俺、こんなんでいいのかな」とか「何の為にこんなに働いているんだろ」とか思って、「仕事する気になれない」とひきこもったり、「生きていてもしょうがない」と自殺に走ったりする人は後を絶たないらしいですね。不況というのも相まって、ここ数年の20~30歳台の死亡率のトップは自殺みたいです。・・・僕も自殺を考えたことありますが、結局は「人間、どう生きていくべきか」を知りたかっただけだったのかもしれません。

投稿日時 - 2006-01-15 20:34:00

ANo.44

あけましておめでとうございます。
昨年末からここで貴重な交流をさせていただいたおかげで、非常に充実した気持ちで新年を迎えることができました。<(_ _)>


>回答者の皆様のご回答もある意味「絶対」だと思うのですが、どんな壁も乗り越えるのは自分自身ですから、これから色んな経験をしていく中で、自分なりの解釈を加えて変化していくものなのだと思います。

まさにそうですね。
camさんにとっての真実というのは、camさんご自身の経験なくしては、有り得ませんからね。
なんだか嬉しいです・・camさんの言葉が毎回少しずつ強さを増していくように感じられて。




>白ける能力が凄いんだと想います。

・・・・思わず、机に突っ伏して爆笑してしまいました・・。
私これ、自分にすごく思い当たるところがあったので。(コンプレックスでした。)

それに・・そうですね、確かに!ステージで歌ってる時って、概してどこかしらけてます。いい時ほど、そうです。お客さんの出入りや、表情なんかも全部見えてますし、モニターからの音が聴こえてなかったり、PAのアクシデントがあったり・・・でもその一つひとつに動揺する、ということがないですよね、そういえば。単に事実だけを淡々と受け止めてる、って感じで・・。

逆に、よくなかったステージというのは、「想い」が先行するんです。例えばその前のステージがすごくよかったとしたら、「あの時のあの感じを再現したい!」と知らず知らずの間に強く願ってしまってたり。心の中で「もっと!もっと!」って、お客さんの反応を求めたり。評判がよいと、その次はさらにすごいことをしなきゃ、みたいな気持ちでがんじがらめになったり。いずれにしても、そういう時はもうそれこそ、歌はヘロヘロ、焦ったりあがったりで、なにをやったか覚えてもない、っていう結果になります。
(あと余談ですが、私はカメラがダメで・・・・別に何百人お客さんが観てても平気で歌えるんですけど、カメラが一台回ってるだけでもう・・・魂を奪われてしまいます。(^^; )


Syoさんがおっしゃっているように、やはり何をしてても、この「心が奪われる」ことが敵なんだと思います。
何かに心を奪われると、その瞬間は「今、此処の自分」を生きられなくなる。これが、邪気を呼ぶ、隙をつくる・・・なるほど本当にそうです。心という自分の家が留守、空っぽになるわけですから、極めて侵入されやすい、荒らされやすい状態になるんでしょうね。

ショービジネスの世界にいるとよく「常に謙虚でいろ」というアドバイスを受けるんです。・・私以前はこれを、「向上心を持て」というふうに理解してて、結果、ヘタな向上心がかえって、舞い上がって落ち込んで、というパターンを助長してたんですけど・・・
この「謙虚でいる」ということは、つまりは「今、此処の自分を生きる」、ということなんだと、今確信しました。



実はここ最近、日常生活の中で、ずーっと意識して、実践してることがあるんですよ。
前にSyoさんが言われてた「愚痴を言わない」ことです。

これを実践する努力をしはじめて気がついたことは、ほんとにその最初の一言(愚痴)を口に出して言ったり、心のなかで繰り返しつぶやいたりしなければ、心はずっと平静でいられるし、そうすればその嫌なこと自体、すぐに忘れられるということです。最初の一言を言ってしまうから、感情が暴走して止まらなくなるのであって、客観的事実自体は、自分のもとに来ては去り、また別の事実が来ては去り、・・してるだけなんです。そこに意味をつけ執着するから、歩みが止まってしまうんですね。最近これがクリアに認識できるようになってきました。

・・・これも結局、同じことですよね。愚痴を言うから心に隙ができて、邪気がはいる。だから嫌悪感情に拍車がかかり、暴走する。
考えてみれば、嫌悪感情に限らず、誰かに恋愛感情をもつ時も私はこのパターンです。「あの人が好き」って言った瞬間に、感情だけが暴走しはじめ止められなくなって、そのことに心をガッポリ奪われて不安定になり、辛くなる。
悩み事なんかも全部、これです。
心に隙ができるから、邪気が入って、不安になったり、悩む、思い詰める、という不安定な状態になり、あげく「死にたい」までくる訳で。もとをたどっていけば「今、此処の自分」を生きない瞬間をつくってしまうことから、すべては始まるんですよね。
でも常に「今、此処の自分」に気付く努力をしていれば、たとえ一瞬、心に隙ができてしまったとしても、極めて初期の段階で軌道修正ができるわけです。そうすれば、しょっちゅう止まったり行き詰ったりすることなく前進できる・・・。


・・・とまた、ここまで書いてたら分かってきました。
私の「情熱が続かない体質」はここに起因していたんですね!今やっと立体的に見えてきました。
すぐしらける自分が原因でもなければ、自分に酔えない自分が原因でもなかったんだ。(私はこれが、芸術家になりきれない原因だとずっと思ってきたのですが)
「今、此処の自分」を生きる=Feel が弱いから・・・!!すなわち、心が奪われ、「今、此処の自分」を生きてないために迷いが生じ不安定になり、情熱を失ってしまってたんですね・・・!!
この前理解したことと、やっとつながりました!!


・・・ほんとうに不思議です。
ひとつの言葉や文は、受け取る側の見方、感じ方によって、その意味が異なるし、また受け取る側の理解のレベルにともなって、何層にもその深さを増していく。
Syoさんの同じ一文が、また私に別のアドバイスをくれました・・・。本当にありがたいです。<(_ _)>




>で、さらに坐禅瞑想をすれば、実際に脳が「ピカッーー☆!」とするんです。

これを体験したいんですけどね~・・・(><)
(黒猫さんの質問のお礼欄&回答もあらかた、拝読しました。)
今まだ、そうなりたいと欲して焦ってるから(だと思います)、妙にうまくいきません。やはり、機が熟するのを待ちます。
過去に何度か、いい感じで、座って実況中継やってみたんですが・・・、ん~・・・言葉にするかしないか、の差だけで、あんまり普段静かにいる時の精神状態と変わらない、という感覚でした。10分か15分ぐらいしかしなかったし、時間が短かすぎるのかもしれませんね・・・。
ま、深く考えずに、焦ることなく挑戦し続けてみようと思います。



>「真理の教え&実践」・・これ以上のメンヘルは、この世にありません。
こんなものが2500年前からあったんです。私は、これに気づいたとき、感激したのと到達感で本当に泣いたんです。インドの方角を向いて合掌して泣きました。で、お釈迦さまが教えてくれたことは「青い鳥は、最初から、あなたの中にいるんだよ」でした(><;
外に求めて続けていたものが、実は内にあったんです。

本当に・・よくわかります。
私も、「外に求め続けていたものが、内にあった」、これに気がついたときには感激しましたし、信じられませんでした。
少しずつ、一つずつ、発見を繰り返しながらそこへ到達したので、どういう道筋で到達したか、はっきりと思い出せないんです。だけど、この数年は、嬉し涙を何度も流しました。


>未だに、信じられませんが、こんな世界があったんですよね。。。
今まで、誰も教えてくれなかったし、自分でも気づきませんでした。

そうですよね・・・・。
この実践(経験)そのものが師、だからでしょうね、きっと。
経験というのは、自然という我々の意志を超える大きな流れと一体化して、はじめて生まれる。そういう意味では、気付く=気付かされる、ですから。
私も、これに気付く(気付かされる)までに三十何年かかった訳ですけど・・・私にとっては超最短距離だったようにも感じます。どの経験(師)をとっても、この気付きに至るために不必要だったとは、到底考えられないです。

振り返るたび、ただただ・・・・すべてに対して、感謝の想いでいっぱいになります。
(自分がこんなこと言うなんて、昔は想像もしませんでした。(^_^))

すみません、恐ろしく長々と書いてしまいました。

投稿日時 - 2006-01-09 20:55:06

お礼

あけましておめでとうございます。
ご回答ありがとうございます。

>Syoさんがおっしゃっているように、やはり何をしてても、この「心が奪われる」ことが敵なんだと思います。

僕はいつも心が奪われてばかりですね。ちょっとしたことに腹を立て、好きな女性には気持ちばかりが先走る・・・本当に心を鍛えなければいけませんよね。色々勉強して、瞑想もきちんとやりたいと思います。

でも曲を書くときはどうしても心がそれに奪われますね。1時間でも2時間でもひたすら、納得いくまでやってしましますね。没頭ってやつです。心奪われるじゃなくて、これがFEELって状態なのでしょうか?頭で考えてどうこうってわけじゃないので・・・、どうなのでしょうかね?

>ひとつの言葉や文は、受け取る側の見方、感じ方によって、その意味が異なるし、また受け取る側の理解のレベルにともなって、何層にもその深さを増していく。

全くその通りだと思います。理解したと思っていても、時間をおいて読んでみると違った側面が見えたりして、深さを増していきますね。そしてその深さには底が無いというか・・・、不思議ですよね。―だからなんか最近はすごい歌詞を気にするんですよね、人の曲を聴くにしても自分が書くにしても。一時期は歌詞なんかより、圧倒的に曲が大事だと思ってたんですけどね。言葉の持つ力というものを、最近はすごく感じてます。

投稿日時 - 2006-01-11 01:15:43

ANo.43

camさまも、floさまも、明けましておめでとうございます。

そうですか、腑に落ちてきませんでしたか、まあ無理に落とすこともありませんが、一応、追加説明をさせてください。(私にもfloさまのように本質をズバリと表現できる能力があればいいんですが・・)

これまでにも「それはボートの外のこと」とか「空気のように軽いものでも、嫉妬に憑かれた男には、聖書の言葉と同じ重みをもってくる」「武道の世界でも、相手の攻撃に対して一瞬でも心が止まれば、そこに隙が出来るので、すぐにやられてしまうそうです」と表現してきました。

良いものでも、悪いものでも、普通のものでも、自分以外の何かに心を奪われると人間はやっぱり不安定になってしまうものなんです。

たとえば美しいものに心を奪われた人は、美しく無いものを見た場合に「汚い!」と想うようになってしまうんです。だって花を愛でる人が同時に雑草を抜く人なんです。「美」と「醜」の感覚は双子の兄弟なんです。

分別・差別が始まるんです。
つまり心が不安定になるんです。


仮に音楽で大成功したとします。
周囲からチヤホヤされて、天才扱いされて、全てを手中に収めて、そんな自分に酔ってしまったとします。
そうすると、「俺は天才である」という慢心も芽生えてしまうんです。
でも「やっぱ、ダセーや」「お前は、もう古い」といわれたら、逆に、めちゃくちゃ落ち込むんです。
そして絶望して自殺です。天国から地獄です。
舞い上がるか、落ち込むかだけになってしまうんです。



心を安定させる要素が「愛(気)」だとしたら、
人を不安定にさせる要素は「悪魔(邪気)」です。
(ちなみに仏教にこんな解釈はありません)

良いものでも、悪いものでも、普通のものでも、新しいものでも、古いものでも、何かに心を奪われたら、そこに「悪魔(邪気)」が侵入するんです。そうすると、必然的に、舞い上がるか落ち込むかだけの不安定な心になってしまうんです。
No27の図を思い出してみてください。

不安定になると愚痴や文句ばかり言う人間になってしまうんです。
「塞翁が馬」と割り切ることも出来なくなるんです。
「悪魔(邪気)」の浸入により心が不安定になってしまうからです。

だから切り替えを早くして、「すぐに覚める(冷める)」「白ける」「我に帰る」「今、此処の自分に戻る」ことが大切なんです。そうすることによって不安定から、安定へとスイッチが入れ替わるので、それが、結局は自他の利益になるんです。「悪魔(邪気)」の侵入経路を絶つんです。

脳で言えば、常に平常心神経を働かせている状態と言えるのでしょう。


>>つまりは、すべての基盤である「愛(気)」を強化する為に、
>>一旦、「今、此処の自分」以外のものから焦点をはずすことが必要なんだと思います。

floさまの、この表現はみごとに本質をズバリと突いていると想います。<(_ _)>

やっぱり歌手とかは客が途中で帰ったり、無礼な客が居たり、歌を聴いていなかったりして、いろいろあっても「 Show must go on 」ですから、この切り替えが早いんだと想います。常に何処か白けていないと歌詞も忘れてしまうだろから、白ける能力が凄いんだと想います。私なんかは、すぐに思い詰めて、茹で蛙のように赤くなる能力が凄いんですが。。。。

・・・と、こんな感じです。


でも、No41にも書きましたように、人間は、欲を叶えたら、気持ちよくなると誰もが信じているので、やっぱり、自分以外の何かに心を奪われてしまうんです。(私も弱点だらけです^^)

これは、仏教では【渇愛】といって、砂漠で水を求めるような、抑えがたい強烈な飢えであると言います。
言い換えると【渇愛】が「悪魔(邪気)」の侵入経路になって、心を不安定に乱すんです。

そうすると、自分の心の安定は他律的に果たせるものだと錯覚してしまい、他律的な支配下に入ります。 が、自分以外のものって儚いものなので、供給源がなくなれば「愛:気:慈悲喜捨」が枯渇してしまうんです。だから「愛(気)」を自給する必要があるんです。。。。と、いう、No24の話に戻るんです。


【身体がむらむらするのを、守り落ち着けよ、身体について慎んでおれ】
【言葉がむらむらするのを、守り落ち着けよ、言葉について慎んでおれ】
【心がむらむらするのを、守り落ち着けよ、心について慎んでおれ】
・・・・なんて言葉もあるんです。
大切なのは我慢ではなくて、「忍耐」「克己修身」です。

以上で、この説明は終わります。m(_ _)m









floさま、

>>・・・実はすごく意外だったんですよ

そうですかね^^; サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」も考えたんですが、ちょっとジメジメしてる思い詰めた感じがありますね。ちなみにラジオで森高千里の「渡良瀬橋」が流れていたんですが、聞くに堪えなかったです。
http://www.e-tabisaki.com/watarase.htm



>>結局は、愛を与える側の人間の、心の状態にかかってるんでしょうね。

ここが難しいところですね(似非に注意ですね)

これまでも「世のタメ、人のタメ」と言いつつも「人のタメになることは、人をダメにする」と書いてます。完全に矛盾したことを書いてますけど、両方とも真理ですよね。結局は発信側も受信側も心が安定しているか、いないか? で決まるんですよね。。。

確かに、他律的なホールド・オンの「共依存」という概念もあります
http://trauma.or.tv/1kouisho/6.html
URLには、いろいろ難しく書いてありますが、早い話、自律心の衰弱・不安定なんですね。

なんで、こうなるか?というと、やっぱり、真理を知らないからだと想うんです。
真理を知らない、無明だから、めちゃくちゃになってしまうんだと想います。

 >>「あぁ!自分の心が自分のもとにないから、不安なんだ!」と。
 この悟りの体験を、みんなにも伝えたいですね。^^





>>この繰り返しだけなんですが、昔の何十倍も、何百倍も、強く、安定した自分がいます

ですよね。
大切なのは腑に落ちることであって、そうすると迷いが無くなって心は安定に向かいますよね。
やっぱり「正しいことわり(真理)」は「愛(気)」の波動に満ちているんでしょうね。。。


で、さらに坐禅瞑想をすれば、実際に脳が「ピカッーー☆!」とするんです。
「あれ? 此処は何処?」「今まで、何をやってたの??」「あれ? 俺、生きてるじゃん!」というくらいの覚醒体験が、本当ーーー!に出来るんです。

こちらの#13を一読してください。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1156213
本当は#12のお礼欄に、質問者である黒猫さんの覚醒体験が書いてあったんですが、管理者から削除されたしまったんです。(#15のお礼欄でちょっとだけ触れてますが)
こういう状態になると思い詰めることもなくなり、THINKからFEELになるんです。


「真理の教え&実践」・・これ以上のメンヘルは、この世にありません。
こんなものが2500年前からあったんです。私は、これに気づいたとき、感激したのと到達感で本当に泣いたんです。インドの方角を向いて合掌して泣きました。で、お釈迦さまが教えてくれたことは「青い鳥は、最初から、あなたの中にいるんだよ」でした(><;
外に求めて続けていたものが、実は内にあったんです。

未だに、信じられませんが、こんな世界があったんですよね。。。
今まで、誰も教えてくれなかったし、自分でも気づきませんでした。
日本に来たのは大乗仏教という新興の仏教なので、日本人は、かなり損をしてきたと想います。
ちなみに「上座仏教(テーラワーダ)」という南方アジア圏に伝わっているのが伝統仏教です。


>>仏教の本を一冊も持ってらっしゃらない、というのは本当に驚きです。
いや、これは経済的理由なんですよ。(^^;
今後は、いつでも読めるように価値ある本だったら買いたいと想います。
ちなみに、この本は買っちゃいました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003330218/249-8313942-3247527



>>(笑)アハハハ・・・ホントですね。(^0^)

これは、本当に凄いことだと想います。
これこそ忍耐だし、小悟だと想います。


では、みなさま、よいお年でありますように。

投稿日時 - 2006-01-06 18:43:03

お礼

あけましておめでとうございます。
ご回答ありがとうございます。

>腑に落ちてきませんでしたか、まあ無理に落とすこともありませんが、一応、追加説明をさせてください。

すみません、また説明していただいてしまって。いわんとしていることは何となく解るのですが、どうも1本の線で繋がらないんですよね…。まぁ色んなことを経験していくなかで、少しずつ繋がっていくのだと思ってます。

そして過去の話のことも話されているので、またか過去のものを読んでみようと思います。そのとき読んだときと、また違った解釈・捉え方ができるかもしれませんし、1本の線で繋がるきっかけになるかもわかりません。

>坐禅瞑想をすれば、実際に脳が「ピカッーー☆!」とするんです。

しばらく生きている感じがしない生活が続いてましたから、瞑想は正しいやり方できちんと行い、生きているという実感を味わいたいですね。覚醒体験ができるように、努力したいと思います。

投稿日時 - 2006-01-11 01:16:56

ANo.42

>どうして自分が経験するまで、「今」の大切さに気づけなかったんでしょう。愚かでした。歌にしろ詩にしろ、自分とリンクさせる何かっていうのは重要なのですね。

そうなんです。重要どころか・・・これ(経験)があって初めて、全てが意味を成すんです。(^-^)



>そして愛について考えていて思ったのが、「やっぱり愛されたい」ということです。別に自分以外の何かに頼ってどうしたいというわけじゃないんです。僕を受け止めてほしいんです、想いを受け止めてほしいんです。受け流さずに受け止めることは愛だと思うんです。その愛がまた僕を強くしてくれるような、そんな気がするんです。例え失うものがあっても、そこには必要なものだけがあるはずです。

ほんとに・・・・・・思考回路がよく似てますね。私もおんなじような事、言ってました・・。(笑)
私は今は、その「受け止めてほしい」という想いが自分を苦しめる、ということを知っているので、自分から発された後のことは極力考えないようにしてます。

ただ、だからといって、質問者さんのおっしゃってることが間違ってる、とは思わないんです。・・・というのは、物事を深く理解するにつれ、最初に自分が本能的に(とでもいいますか・・)感じた超シンプルな欲求や意見、結論に再び行き着くことがあるんですよね・・。
人生が、成長していくプロセスであるように、意見や結論もその変わり行く途中のある時点においての「暫定的意見、結論」にすぎないと思うんです。今現在の結論を「絶対」と捉えてしまうと、それもまた、自分の成長を止めることになるし、また自分の可能性を狭めることになるので・・・・今の自分の結論に縛られることなく、常にいろいろな意見や物の見方に対して心を開いていよう、柔軟でいよう、と思ってます。
が、今はとにかく、まず本当の意味で「愛すること」ができる自分を目指し、それに焦点をしぼって努力してます。


結局、SyoさんがNo.41、42でおっしゃってることと同じことだと思うんです。

>だからこそ、その次の「>>自分を律することだけに精進すると・・」が生きてくるんです

つまりは、すべての基盤である「愛(気)」を強化する為に、一旦、「今、此処の自分」以外のものから焦点をはずすことが必要なんだと思います。愛することができる自分になってはじめて、愛を受けとることが可能になってくる。自分の心が安定して初めて、どんな不安定な想いにも動じず応えることができる・・・・・・そういうことだと思うんです。



・・・実はすごく意外だったんですよ、Syoさんが愛(慈悲喜捨)の歌としてSam&DaveのHold Onを例に出してらっしゃったのが。歌詞を読んで、私はむしろこの詞を他律的な想いだと感じたんです。
でも今、質問者さんへの返信を書いてたら、だんだん納得がいってきました。
結局は、愛を与える側の人間の、心の状態にかかってるんでしょうね。

他律的な「愛のようなもの」も、自律的な本物の愛も、その外形は同じなのかもしれない。
決定的な違いは、その愛を与える本人が、心の筋力をもっているかどうか、・・それだけなのかもしれませんね・・・。



私は本をあまり読まない代わりに、こうやって人とのコミュニケーションの中で、いつもたくさんのヒントを得ているんです。
ヒントを得て、考え、理解に到達し、さらに自分の経験を通して本当の理解をしていく。・・・この繰り返しだけなんですが、昔の何十倍も、何百倍も、強く、安定した自分がいます。貯金もほとんどないし(笑)、何の金目の財産もないけれど、すごく豊かな気持ちです。しかも楽しいです。(そもそも私は、「たたみ一畳分あれば、あんたは暮らせる」と人に言われたほど、ただじーっと座って考え事してるだけで楽しい、っていうような人間なので。笑)



>ニュートンみたい^^

(笑)アハハハ・・・ホントですね。(^0^)



Syoさんが仏教の本を一冊も持ってらっしゃらない、というのは本当に驚きです。
やはり有形の「物」を所有することには意味がない(むしろ執着、という害になる)。自分が学び、得た無形の物こそが、一生失うことのない財産であり、宝である、と・・・再確認しました。
やっぱ、すごいです・・・・・ご本人、気付いてらっしゃるかどうか分かりませんが、本当に大きな愛を持った方ですよ、Syoさんは。

投稿日時 - 2005-12-28 01:48:52

お礼

お礼が大変遅れまして、誠に申し訳ございません。
ご回答ありがとうございます。

>意見や結論もその変わり行く途中のある時点においての「暫定的意見、結論」にすぎないと思うんです。今現在の結論を「絶対」と捉えてしまうと、それもまた、自分の成長を止めることになるし、また自分の可能性を狭めることになる

おっしゃる通りだと思います。事実、僕もここ何年かで考え方がどんどん変わっていってますから。回答者の皆様のご回答もある意味「絶対」だと思うのですが、どんな壁も乗り越えるのは自分自身ですから、これから色んな経験をしていく中で、自分なりの解釈を加えて変化していくものなのだと思います。

>他律的な「愛のようなもの」も、自律的な本物の愛も、その外形は同じなのかもしれない。

僕はそう思います。だからこそ愛って難しいのだと思います。簡単に区別できたら、愛で苦しむことなんてもっと少ないのではないかと思います。

投稿日時 - 2006-01-06 01:10:05

ANo.41

>自分以外の何かは、何も与えてくれないどころか、奪うだけだ
>>そんなことはないと、僕は信じたいです。

なるほど、そういう解釈できましたか・・・^^;
仰ってる意味も良くわかるんですが、私の言っていることもよく読んで理解して欲しいんです。

この武士と皿の話は、ようするに「たるんでるぞ!」「現(うつつ)を抜かすな!」「気を抜くな」「喝ーっ!」・・・ってことなんです。だからこそ、その次の「>>自分を律することだけに精進すると・・」が生きてくるんです(我田引水ですが^^;


だって、この武士はたかが皿一枚のために、女中さんを手打ちにしかねなかったんです。手打ちといえば、死刑です。地球にさえ何の保障もない諸行無常の世の中で、いくら家宝とは言え、お皿一枚のために人を殺すなんてどうかしてます。「お皿」といえば世界中で割れる、壊れるの代名詞のようなものじゃないですか。

「なんでそうなるのか?」というと、現(うつつ)を抜かしていたからです。
「現(うつつ)を抜かす」は、今、此処に生きていなかったということです。
放逸に耽っていた。のぼせていた。興奮していた。気が緩んでいた。慢心していた。ありのままがありのままに見れなかった・・・ということです。


だから禅宗では「喝ーっ!」と言って眼を覚まさすんです。
「たるんでる!」「自分を律しなさい!」「眼を覚ましなさい!」ということです。

幸いにも、この武士は、それに気づいて、それを恥じて、残りの9枚を自ら割ったんです。
自分で自分に喝を入れたんです。
水鳥も、こうやって常に自分を律しているから、優雅に泳いでいるように見えるんです。

・・・私がしたのは、こういうお話です。
腑に落ちましたか?


でも、質問者さまの言わんとしていることも理解できます。

自分以外のものを拒絶しろとか、否定しろと言ってるのではないんです。
素晴らしいお皿は在っていいし、持ってても良いんです。
「素晴らしいな~」「味わい深いな~」と鑑賞してもいいんです。
自分以外のものに影響を受けるな、排除しろと言ってるのではないんです。


仏教では【中道】と言いますが”好い加減”に、”適当にしなさい”ということです。
「いい加減」とは「ちょうどいい加減」、「適当」とは「当たり適した」という意味であって、ふざけろという意味ではありませんので誤解なく。

たとえば、好きな女性がいたとしても、健康的に道狂(彼女狂)になるのは良いんですが、
思い詰めた、不健康な恋愛をしてはいけないということです。

お皿が好きなら、皿狂になってもいいんです。
健康的な皿狂ならば、お皿が割れても「ああ、皿は割れて当たり前だから、気にしなくていいよ、次は気をつけてね」となるんです。

これが当たり適した、いい加減な、自律的、支配者的、自然の摂理に則った対応です。


でも不安定だったり、不健康だったり、執着を持った人は、これが出来ないんです。
「この皿がどんな皿だか知っているのかぁー!」
「先祖代々伝わってきた、我が家の家宝だぞぉー!」となってしまうんです。
そうすると、人の命も、簡単に奪ってしまうようになるんです。

さっきの武士も、残りの9枚を割ってしまったということは、後者の感情に近かったんでしょうね。
よっぽど動揺したんでしょう。サラっと流すことが出来なかったんでしょうね・・・・・・



【中道】とは極端を避けなさいということです。
思い詰めるな。根に持つな。想い患うな、健康的なバランスを保ちなさいということです。

好きなら好きで良いし、嫌いなら嫌いで良いけど、執着したり、思い詰めてはいけませんよ。
音楽馬鹿でもいいし、道狂に成ってもいいけど、でも思い詰めるな、明るくいきなさいということでしょう。
なぜならば、この宇宙の全ては移ろっているからです。

・・というようなのが【中道】です。
子どもや、健康な状態の人なら当たり前に出来ていることばかりなんです。

  ・・・が、「老病死」にも中道を貫かなくてはいけないので、大変なんですね。
  最期の瞬間まで心は健やかで「平気」でいなさいということなんでしょうけどね。。


脳で言えば平常心神経の働きも活発で、切り替えが早い状態をいうのだと想います。
「ああ、素晴らしかった!」 → 「覚める(冷める)」
「ああ、腹が立った!」   → 「覚める(冷める)」
「ああ、感動した!」    → 「覚める(冷める)」
この切り替えができないと、心の病、性格のゆがみ、認知のズレになってしまうんです。
そして、それが原因となって結果となるんです。


でも、この切り替えができない人が大半なんです。
事実、脳細胞というのは、興奮性の細胞ですから興奮(ON)か、鎮静(OFF)しかないんです。
だから知識だけでは駄目で、座禅瞑想をして<「健脳法」>をしなさいということなんです。

こんな説明で通じたでしょうか?
他にも何か引っかかるところがありましたら、お礼欄だと文字数制限があるでしょうから、補足欄も使ってください。

投稿日時 - 2005-12-27 18:38:39

お礼

お礼が大変遅れまして、誠に申し訳ございません。
ご回答ありがとうございます。

>・・・私がしたのは、こういうお話です。
腑に落ちましたか?

腑に落ちたと言うか・・・、だいたいは理解できたんじゃないかなという感じです。深いですね。結論だけいえば、「極端を避け、今此処に生きろ」ってことだと思うんですが、いまひとつ「自分以外の何かは、何も与えてくれないどころか、奪うだけだ」ということと繋がりません。なんかぼんやりとした部分があります。長々と説明していただいたのに申し訳ございません。

>でも、この切り替えができない人が大半なんです。

なんか今の世の中を見てると、わかるような気がします。傷害・殺人事件の犯人の動機とか、本当に些細なことですものね。ちょっとしたことに執着してしまったが故の事件ですよね。心は健やかでいられるように努力したいと思います。

投稿日時 - 2006-01-06 01:11:04

ANo.40

>>・・・こんな当たり前のことなんですが、私にとっては世紀の大発見でした。

いやあ、凄いですね。
こんな話を伺えるなんて、質問者さまはこの質問をして本当にラッキーだと想いますね。
これこそが「智慧」ですから、絶対に、肝に銘じるべきです(一生涯)

ボーカルとか役者、武道をやる人ってやっぱり度胸が要るからでしょうかね。
客の顔色でびくついていては出来ないから、そこらへんのバランス能力も養われているんでしょね。
あと下っ腹から声を出すでしょうから、姿勢も良いだろうし、丹田(胎)も坐っているのでしょう。
「姿勢の不思議」なんて本もありますが、正しい姿勢をとると、「下っ腹(丹田)」も坐ってくるし、背骨も伸びるしで、心にも影響してくるんです。(これも繋がっているんです)


で、これから、確実に我々にも「老・病・死」がやってきます。
質問者さまだって、また不慮の事故に遭うかも知れません(共に遭わないことを祈りますが)

仏教では「四苦八苦」と言って、生きてる限りは乗り越えなくてはいけない山がたくさんあるので、生きてる限りは「これで終わり」ということはないので、不断に努力していかなくてはいけないので、面倒なところですけどね。。。


でも、たとえば優雅に見える白鳥も水面下では、常に足をバタバタ動かしているんですね。
シンクロナイズド・スイミングもそうですよね。
歌手だってそうだと想います。気持ちよさそうに歌っていても、どこか覚めていて自制していると想います。
美空ひばりさんのラストステージは本来ならば体調不良で歌えるような健康状態でないのに、なにごとも無かったように普通に歌って見せたんですよね。


傍目には華麗に見えることも、それには不断の努力(精進)があってのことなんです。
「隣の芝生は青く見える」といいますが、実際には青さを保つ不断の努力をしているんです。
ヘレンケラーだって奇跡の人ではなくて、努力の人だったんです。

この世の中には偶然に出来るものはないんです。
つまり、我々も常に足をバタバタさせながら、最期まで自分の軌跡を描いていくしかないですね。
お釈迦さまでさえ、最期は食中毒の痛みと戦いながら死んでいったんです。


>>以来、自分の意識を常に「今、此処の自分」に向ける努力をし始めたら

お釈迦さまの最期もジッと瞑想して、この努力をしていたんです。
で、【忍耐】と【我慢】は違うんです。
【忍耐】は不安定な自分の心に気づき、それを覚ますことによって、安定に統治するための努力です。
floさまが独力で到達した世界です。【我慢】はこんな感じです。
http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/houwa/gaman.htm


No.27で紹介した少年も眠っているワケではなくて、ずっと忍耐しているんです。
ちゃんと、正しい方法の忍耐をしてれば、本当に心は安定に向かうんです。

脳波学の故)品川嘉也教授の著書によりますと、中国の気功師に瞑想してもらったら、アルファ波を通り越して脳死状態の脳波を示したのだそうです。 だから、そうなると「想う」ということも尽きてしまうんです。たぶん少年も、そんな感じになっていると想います(6ヶ月というのは眉唾だとしても)

・・まあ、これらは特筆するような話ですが、我々にも不断の忍耐が必須なんです。

忍耐が出来ないと、簡単にきれたり、いつまでも根に持って恨んだり、呪ってしまうんです。
自分以外の何かに想いを馳せてしまうんですね。。。。奴隷になってしまうですね。
こうなるとセロトニン神経も衰弱するのかも知れません。



>>彼のいる町や彼の写真を見て心を馳せている自分を客観的にみて、その瞬間、気がついたんです。
>>「あぁ!自分の心が自分のもとにないから、不安なんだ!」と。

天才ですよ、これは。<(_ _)> ニュートンみたい^^

受け売りの話ですが、ある武士が家宝にしていた10枚セットの皿の1枚を女中さんに割られてしまったことに腹を立てたのだそうですが、たかが「皿」に心を奪われていた自分に気づき、それを恥じて、残った9枚の皿も割ってしまったという話もあります。武士は常に死を覚悟していなければいけないのに、それでも、たかが皿に心を馳せてしまったんですね。


自分以外の何かは、何も与えてくれないどころか、奪うだけだと悟ってしまい、自分を律することだけに精進すると、欲目がなくなり、無執着・無一物になって、さらに「捨て身」になれるので、公利公益のために働き、愛(気)も強くなり、武士道にも、ビジネスにも、人生全般に通じてくるんです。

でも、普通は【無明】と言って、ほとんどの人は気がついていないんです。

だって欲を叶えたら、気持ちよくなると誰もが信じているんです。
それが覚めたら、人生なんて退屈でつまらないから、なんとしてでも欲に執着するんです。
精神の安定は他律的に果たされるものだと錯覚しているからでしょう。
だから、不安定な自分を律することなく、自分以外の何かに頼ってしまい、欲目が強まり、「保身」に走るので、他人を利用し、他人に要求するような、気弱で、依存的、利己的な人間になってしまうんです。


で、やっぱり、自分を律することって、とても辛いことなんです。

だって、みんな、”それなりに”自分は被害者だと信じているからです。
「自分の想い通りにならなかった」という意味では、み~んな被害者なんです。
「xxに縁って起こっているのに、なんで俺が悪いんじゃ!」となるんです。
ここの一線を超えるのが大変難しいですね。
特に狂った親に育てられたり、幼い頃から理不尽な扱いを受けて育つと自覚症状が無いうちから、心が捻じ曲げられてしまうので、とても難しいと想います。どうしても愚痴ってしまうからです。

だからこそ、論理的に理解することが必要になってくると想うんです。
お仕着せの価値観、人の心を玩具のように型枠にはめるやり方ではダメだと想うんです。
ちゃんと物事の道理、筋道を順を追って説明しないと、腑に落ちないと想うんです。


>>10年前の私がこれを読んでも、「プラス思考する為のつじつま合わせ」ぐらいにしか思わなかったでしょうから・・・・。

この言葉にもたいへん共感がもてます。

私は仏教に出会って、それまで勉強してきたことも全てが論理的に一本の線で繋がったので、本当に良かったと想っています。
が、繋がりすぎてて、逆にこれを伝えるのは、大変、難しいですね。。。。

>>おそらくこのことではないか、と直感的に想いました。
そのとおりです。
floさんにも繋がりが観えるんですね。


>>「生きて死ぬ智慧」、書店で見つけたので買っちゃいました。
お金もちですね^^、ちなみに私は今のところ仏教関係の本は一冊も持っていないんです。
全部、図書館で借りているので、無料なんです。(苦笑)


>ここに質問してから、愛とは何か考えていたんです。

仏教では「愛」とは言わないで「慈悲喜捨」っていうんです。
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi5.html
「愛」は裏切られると怒りに変わるだけの移ろいやすいものですから、愛するなという立場です。
まあ、言葉の定義の問題なんでしょうけどね。
キリスト教でも愛は「エロス」と「アガペー」の二種類に別れるみたいですね。



>>今まで平気で歌ってたラブソングが歌えなくなりました

私が想う「愛(慈悲喜捨)の歌」というと、これでしょうかね。
http://www.eigo21.com/03/pops/holdon_sam.htm
あと、クレージキャッツの「金の無いやつあ~俺んとこへ来い!」でしょうか。
こういのがみんなを幸せな気持ちにするお仕着せでない、与える愛(慈悲)でしょうね。
「愛(気)」も強大で、捨て身で、献身的で、利他的で、欲目がなく、安定のための働きなんです。

「待ってろよ、俺が行くから安心しろ!」(金は無いけど、力になるよ)
「此処に、俺が(私が)居るぜ!」ってね。^^

福沢諭吉も「独立の気概無き者は国を思うこと深切ならず」と言ってます。
「俺がやらないで誰がやる!」という気概が、「愛(気)」なんだと想います。
もちろん理性に裏づけされていないといけませんが。

こういう気持ちが、いつでも自然に出てくる少年の頃のような自分に成りたいものですね。

投稿日時 - 2005-12-25 17:19:45

お礼

ご回答ありがとうございます。

>これこそが「智慧」ですから、絶対に、肝に銘じるべきです

もちろんです。一生大切にするべきものだと思ってます。ここに来るたび、回答を読むたびに新しい発見があります。本当に素晴らしき智慧をありがとうございます。

>傍目には華麗に見えることも、それには不断の努力(精進)があってのことなんです。

僕は「自分はこんなに努力してるんだだから、誰か認めてくれ」って思っていたような気がします。努力してるつもりだとかなんとか、口に出すべきようなことを平気で言うバカでしたね。実力じゃなくて、努力を認めてもらってどうするつもりだったのでしょうかね。
でも、ここに質問して心が少しずつ良い方向に向かい始めてからは、同じ努力でも成長の度合いが違いますね。絶望感に満ちていた頃は、歌にしろギターにしろ、いくらやっても上達しませんでした。ところが今は、練習するたびに上達していくのがすごいよくわかるのです。練習の質を変えたわけじゃないのですが…。またもや心というものの大事さを痛感いたしました。

>自分以外の何かは、何も与えてくれないどころか、奪うだけだ

そんなことはないと、僕は信じたいです。なぜなら僕自身、音楽によって人々に勇気や愛、感動を与えたいと思っているからです。受け止めてほしいんです。例え奪われても、代わりに今までそこには無かった何かがあると信じたいです。

投稿日時 - 2005-12-27 01:35:37

ANo.39

>つまり「今、此処に生きる」ことは「愛(気)」の強さ、大きさであり、心の安定を意味しているのだと想います。
「今、此処の自分に気づく」・・・どー考えても、これが全てなんだと想います。

そうですよね・・・・・・・やっぱり。
私もいつも、すべてが「今、此処の自分を生きる」へ帰着するんです。

実は私はこれ・・・恋愛で苦しんで、気がついたことなんです。
その頃はもう、ある程度いろんなことを学び乗り越えて、精神的に強くなってたはずだったのに、毎日不安でしょうがなかったんですよ。なんで恋愛すると私はこんなに苦しいんだろう?と。

で、その彼と遠距離になったある日ふと、彼のいる町や彼の写真を見て心を馳せている自分を客観的にみて、その瞬間、気がついたんです。「あぁ!自分の心が自分のもとにないから、不安なんだ!」と。さらには、自分が考えてることはいつも「彼」とか「彼との将来」とか「彼は離婚した奥さんを忘れられないんじゃないか?」とか・・そんなことばっかりだったんですよね。不安という不安は全て、「今、此処の自分」以外の何かに対する執着に起因してたんです。そんなものに執着して、「今、此処の自分」を生きてないから、不安になるんだ!と分かったんです。
・・・こんな当たり前のことなんですが、私にとっては世紀の大発見でした。


以来、自分の意識を常に「今、此処の自分」に向ける努力をし始めたら、ものすごいスピードで心の平穏を取り戻し始めたんです。
その過程で・・・、彼を信頼すること=自分の人生を信頼すること=自分を信頼すること=自分を知ること=今、此処の自分に気付くこと=今此処の自分を生きること=心の安定=周りの事象にまどわされない=周りの事象に反応しない=自律的=愛=信頼=自律的=自分を知ること=自分を認めること=自分を許すこと=他人を許すこと=愛=人を信頼すること=心の安定=今此処の自分を生きること=。。。。。。
・・・今、思いついたまま書いてみましたが・・・今まで学んだ全てのことが、こんな感じで全部つながっていくのを感じていたんです。Syoさんの「なんとも説明しにくいんですが、私の中では、全てが一本の線で繋がっているんです。」という言葉を読んだ瞬間、おそらくこのことではないか、と直感的に想いました。


結局、恋人はもとより、私が執着していたものは全部、ことごとく失いました。
それでも心の底から、今が一番幸せだと言えるのですから・・・・・私は他の何にも換えられないほど貴重な宝物を見つけたんだと思います。この宝物を一生、大切にしていくつもりです。

「無名の南軍兵士の祈り」・・・今はこれが痛いほど理解できるのが、本当にうれしいです。
10年前の私がこれを読んでも、「プラス思考する為のつじつま合わせ」ぐらいにしか思わなかったでしょうから・・・・。
私もSyoさん以上に、勉強したことと自分の心が一致しなくて、いまだに苦しい思いをしょっちゅうしますが・・・頑張って自分の心、育てていきます。


ところで先日・・・「生きて死ぬ智慧」、書店で見つけたので買っちゃいました。
こんな薄い本なのに、中身はほんとに・・厚いですね。しっかり読み終えるには、まだまだ時間がかかりそうです。
シェイクスピアもおもしろそうですね!お恥ずかしい話、私はこんな仕事をしてながら、あの有名なシェイクスピアの作品については何の知識もないんです。お話を聞いて、すごく興味が湧きました。
・・・志を全うされているSyoさんのエネルギーに、いつも本当に励まされます。<(_ _)>



>ここに質問してから、愛とは何か考えていたんです。

(^-^) 私もいつも、愛とは何かを考えていました。
そして、数年前、私の中で「愛」の意味が変わってしまってから、今まで平気で歌ってたラブソングが歌えなくなりました。次から次へ浮かんできてた恋愛ソングの歌詞が、全く浮かばなくなりました。(実は未だに・・・書けないんです。(^^; ) そして何よりも、自分が本当に音楽を愛してたかどうか、それすら分からなくなりました。
だけどもう一度、音楽に出会い、愛し直そうと思って・・・・今はその、真っ最中です。
いつか・・愛の歌が自分の中から自然に出てくれば、うれしいです。

投稿日時 - 2005-12-23 21:14:41

お礼

ご回答ありがとうございます。

>こんな当たり前のことなんですが、私にとっては世紀の大発見でした。

すごいですね。不安になっているとき、冷静に自分を見つめることができるなんて、中々できるものではないと思います。以前の僕も、「自分は被害者だ」という想いばかりで、生まれてくるのはただ絶望感だけでした。
色んなアーティストが「今を大切に生きよう」みたいなテーマの歌を歌っているの聴いてきましたが、自分が絶望感に満ち、ここに質問して回答者様の回答が来るまで、その本当の意味に気づけませんでした。どうして自分が経験するまで、「今」の大切さに気づけなかったんでしょう。愚かでした。歌にしろ詩にしろ、自分とリンクさせる何かっていうのは重要なのですね。「無名の南軍兵士の祈り」にしたって、良さがわからない人にはわからない。共感できる部分があるからこそ、感動できる。なんか歌を作るうえでのヒントになりそうですね。どんなに素晴らしい内容でも、伝わらなければ意味がない・・・話がそれましたが、なんかここで色々なことを学びましたね。

>今まで平気で歌ってたラブソングが歌えなくなりました

僕の場合、歌えないということはないですが、前と同じようにはできませんね。1つ1つの言葉の持つ重みを感じながら・・・少しでも気持ちが届くように歌ってしまいますね。前は気持ちを込めてなかったっていうわけじゃないですけど、なんかレベルが違うようなそんな気がするんですよね。
そして愛について考えていて思ったのが、「やっぱり愛されたい」ということです。別に自分以外の何かに頼ってどうしたいというわけじゃないんです。僕を受け止めてほしいんです、想いを受け止めてほしいんです。受け流さずに受け止めることは愛だと思うんです。その愛がまた僕を強くしてくれるような、そんな気がするんです。例え失うものがあっても、そこには必要なものだけがあるはずです。

投稿日時 - 2005-12-26 02:51:16

ANo.38

floさまのこの一文を読んで、大変、感動しましたので、また来てしました。m(_ _)m

 >>いずれ破綻する「愛のようなもの」とは違って、
 >>本物の「愛」とは自律的で、故に常に生産的で、だからこそ終わりがない。

 >>「故に常に生産的で、だからこそ終わりがない」

つまり、やっぱり「神」「仏」の領域ってあるんでしょうね。
終わりのない、生きどおしのエネルギーとでも言うのでしょうか。
こちらの#4も一読ください。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1402277

この世は不安定極まりない世界ですが、絶対に移ろわないのは「今、此処」という映画のフィルムのひとコマ、ひとコマのような連続した瞬間、瞬間なんですよね。これこそが「宇宙の実体(自然の実相)」なんです。だからこそ「今、此処」を生きることが全てであり、一番、大切なんですね。 まあ、そのためには心が自律的に安定した人間にならないとダメなんですけどね(><;

経典にも【彼ら(賢者)は、ただ現在のことだけで暮らしている。ところが愚者は未来のことであくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために萎れている】なんてのがあります。

今、私はシェークスピアに夢中なんですが(めちゃくちゃ面白いです!)「オセロー」の中に【空気のように軽いものでも、嫉妬に憑かれた男には、聖書の言葉と同じ重みをもってくる】なんてあります。シェークスピアは格言のオンパレードです。
欲目に憑かれた我々には、日常の何気ないことでさえも重苦しく感じますよね。まさに茹で蛙です。


で、しつこいようですが、瞑想でやります「気づく」という作業は、「今、此処」でしか出来ない作業なんです。
頭の中は過去・未来・妄想・・に行ったり来たりしていますが、それに気づくことが出来るのは「今、此処の自分」だけなんです。

これも経典の中で「お釈迦さまは、どうやって煩悩という激流を渡ったんですか?」という質問に対して
 【私は立ち止まることなく、あがくことなく煩悩の激流を渡りました。
  立ち止まる時には沈み、あがくときには溺れるのです。
  このようにして立ち止まることなく、あがくことなく渡りました】とあるんです。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/1/3332910.html

つまり「客観的に、ただ、淡々と自己を見つめる」
「何時、いかなるときも、平常心を崩さない」ということなんだと想うんです。


身体意識を感じるために、ゆっくり動くのも「今、此処の自分」を感じ取るためなんです。
昔の私も「今、此処の自分」を強烈に感じていたので神秘体験をしたのかもしれません。

つまり「今、此処に生きる」ことは「愛(気)」の強さ、大きさであり、心の安定を意味しているのだと想います。
「今、此処の自分に気づく」・・・どー考えても、これが全てなんだと想います。

よく「人間は神の子だ」とか「人間も神と同じ能力を授かってる」とか言いますが、きっと、この能力のことなのでしょうね。ヴィパッサナー瞑想は「気づきの瞑想」といわれている、お釈迦さまが悟りを開いたときにやっていた、お釈迦さま直伝の瞑想法なんです。


・・なんとも説明しにくいんですが、私の中では、全てが一本の線で繋がっているんです。
たった一本の道理(真理)で繋がっているんです。
さらに毎日、毎日、想えば想うほど、一本のレールが見えてくるんです。
数年前までは宗教も哲学も道徳も文学も別世界だったアホな私が、何の因果か知りませんが、こんな所にまで来てしまいました。
確かに求めたから与えられたのかも知れませんね。
これも、一重にみなさまとのご縁のお陰です。m(_ _)m

こちらの#8の「無名の南軍兵士の祈り」もご覧ください。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1778148

>>Syoさんの大きな愛に、心から感謝します。
とんでもないです。私はそんな人間ではないんです(^^;
勉強したことと、自分の心がなかなか一致しなくて苦しんでばかりの人間なんです。


>>師匠であった人は、生徒に一切、仕事の世話をしてくれなかったんです。

シェークスピアの「オセロー」に「人のタメになることは、人をダメにすること」とありました。
また「小善は大悪に至り、大善は非情に至り」なんて言葉もあります。
もちろん、何も知らない人を鞭打って、何も教えず、何も与えずに、ただ進めと言うのは暴論でしかありませんが。

仏教でも人を導くことは出来ても、救うことは出来ないといいます。
「引導を渡す」というのは、仏教用語で、人を正しい道に導くことを言うんです。
中国の故事にも「馬を水飲み場に連れていくことが出来ても、水を飲ませることは出来ない」というのもあります。
「その気になる(惚れる)」「その気にさせる(惚れさせる)」ことが大切なんだと想います。
私も機能不全家庭で育った因果で、仏教に惚れこんでしまったんですね。。。(苦笑)


>>質問者様
「ミュージシャン」「就職」「彼女」・・これらも蛙を茹で上げるキーワードだということを忘れないでください。
だってミュージシャンという職業が無い時代だったら、どうしますか?・・・・これも空気よりも軽いものなんです。
思いつめたらダメです。
FEELで行きましょう。

投稿日時 - 2005-12-20 19:54:22

お礼

ご回答ありがとうございます。

>「今、此処の自分に気づく」・・・どー考えても、これが全てなんだと想います。

回答者様のご意見を読んでいくうちに、最近「今現在」の大事さに気づきました。一番大事にしていかなければならないのは、今現在という一コマ一コマなんですよね。過去というフィルムはもうどうすることもできないんですね。未来というものも、一コマ一コマの積み重ねで、その一コマ一コマの質によってどうにでもなるのですね。山あり谷ありであってこそ、エンディングが活きてくるのかもしれません。

>仏教でも人を導くことは出来ても、救うことは出来ないといいます。

その通りだと思います。どんな高い壁であろうと、自分自身の力で超えなければならないんですね。例え救ってあげても、本当の意味では救ってあげられてない・・・結果その人を悪い方向に導いてしまう。救い無しでは生きられなくなってしまうかもしれませんね。・・・と言いつつ、ここに質問した僕は、救ってほしいという想いが強かったのですが。

>思いつめたらダメです。
FEELで行きましょう。

はい。何かあると考え込むのが僕の悪い癖です。これからはFEELでいきますよ、中々難しいのはわかっていますが。

投稿日時 - 2005-12-22 02:11:35

ANo.37

私は数年前、まだアメリカにいた頃、仕事関係で知り合ったあるミュージシャンと、ひょんなことからこういう人生哲学や音楽の事について、メール交換したことがあるんです。かなり年上の方でしたし、音楽に関しても大先輩でしたので、私は教えられることばかりでしたが・・・。
一昨日の夜、仕事から戻ってSyoさんのNo.37とリンクを載せてくれていた回答を読み、昨夜もまた何度も読み返していくうち、ふとその人が私に最初にくれたアドバイスを思い出したんです。

「Form follows function」
これは、「レコーディングしてミックスされた音質を、自分の頭で鳴っている音に極力近づけるにはどうしたらいいのか」、という私の疑問に関しての彼の答えだったのですが、つまり・・・「もしその音を君が頭の中で聴けたなら、君はその方法を見つけ出し、いずれはその音に到達できるだろう」という意味だったんですよね。
この言葉は、音楽以外の事にも、いろんな場面で何度も何度も彼に言われたんですけど、どうも今までピンときたことがなかったんです。

だけどやっと、その真意が理解できました。
そして、今機能している、ということは裏返せば、(本人気付いてなくても)そこに感動(志)があり、学びがあり、理解があり、不断の努力があった、ということなんだ・・・!ということも。

これに納得した瞬間、いままでずっと抱いていたいくつかの疑問が、するするするっと・・・まるで絡まっていた糸がほどけるように、解けていきました。うまく言葉にできませんが・・・Syoさんもおそらく、こういう体験を幾度となくされているでしょうから、きっと分かってもらえると想います。


質問者さんは以前、おっしゃってましたよね・・
>僕はミュージシャンになりたいです。まだクリアではないけれど、何か素晴らしいものを手に入れたような、なんとも言えない今の気持ちを色んな人に伝えたいんです。今までに感じたことないような何かが、僕の心の中にあるんです。こんな気持ちは初めてです。

その感動(志)がどういう形で機能しても、それは愛なのだ、と思うのです。そしてその愛がまた新たな志を生み、愛を生むことにつながっていく・・・。その機能するまでの道筋は、志それ自体がつけてくれるもので、もはや私たちの”意志”によるものではない、と感じます。私たちにできるのは、それに気付き、育て、生かしていくことなのだ、と・・・。


私のボーカルトレーナーであり音楽の師匠であった人は、生徒に一切、仕事の世話をしてくれなかったんです。多くの生徒が、それをしてくれなきゃ意味がない、と2,3回レッスンをうけてやめていきました。でも彼は、自分の姿勢や信念を崩さなかった。そして、志ある生徒には、音楽で生きていくための、彼が持ってる限りの情報と知識を伝え続けてくれたんです。私が一人で、自分の足で立って歩けるようにしてくれた人です。
・・・愛とはそういうものだと思うんです。
いずれ破綻する「愛のようなもの」とは違って、本物の「愛」とは自律的で、故に常に生産的で、だからこそ終わりがない。
私は、永遠の愛を求め続けたので、愛を生産する力を与えられたんだと思います。



思うままに書かせてもらったので、文章にまとまりも何もないですが・・・・

可能性は自分で閉ざさない限り、無限です。ここで参加させてもらってる間に、その確信がまた強まりました。
質問者さんが一歩一歩、前進されることを心から願っています。
私もこれからも一歩一歩、がんばっていきます。

そして、Syoさんの大きな愛に、心から感謝します。
それと・・・仏教について私は全くの無知だったんですけど、それに驚くほどの共感を覚え、もっと知りたいと思い始めたのも、Syoさんの数々の回答を読んだのがきっかけでした。これからも、勉強させてもらいます<(_ _)>。ご紹介くださった本も、探して読むつもりです。


求めよ、さらば与えられん。
Syoさんが書かれていた新約聖書の言葉が、今また胸にしみます。
自然(神と呼ぶ人もいるでしょう)の不思議にまた・・感謝の気持ちでいっぱいになりました。

投稿日時 - 2005-12-19 16:09:14

お礼

ご回答ありがとうございます。

>「Form follows function」

なんか「成りたい自分に成っている」という意味に近いですよね。自分の頭の中で鳴っている音を求めていればいずれ与えられる・・・求めることができたから、与えられるための条件が整っていく。まずは求めることが重要なことなのですよね。「俺に彼女なんてできっこない」って思っているような男に、彼女なんてできやしないんですよね。でも「求める」の意味を間違い、そこに様々な欲望が入ってくると、神様は本当に手に入れたいものを与えないんですよね。世の中ってよくできてますよね。

>いずれ破綻する「愛のようなもの」とは違って、本物の「愛」とは自律的で、故に常に生産的で、だからこそ終わりがない。

素敵です。
なくてはならない、でも脆くて儚いもの―それが愛だと長い間思っていました。しかしそれはうわべだけの、「愛のようなもの」だったのですね。ここに質問してから、愛とは何か考えていたんです。
実は最近、歌を作ったんです。曲は前からあったんですけど、詞が中々できなくて。で、ここで質問して色々気づいたことや感動したことを詞にしたんです。前に述べたような、何とも言えない気持ちを詞にしたんです。自分と向き合った詞を初めて書いたんです。そして思いました、「これが愛・・・?」と。ラブソングでもなんでもない、ただ自分と向き合った詞なのですが、愛を感じたんです。今の気持ちを誰かに伝えたいという思い―そこに愛がありました。こんな僕からでも、愛が生産されていたんです。なんか少し人間的に成長したような気がしました。
みんな皆様のおかげです、ありがとうございます。

投稿日時 - 2005-12-22 02:15:08

ANo.36

再度の7です。まだまだ哲学的なアドバイスすることは山のようにあるんですが、経験を伴わない知識だけを頭に入れても無意味なので、特にご質問、相談がない限り、ここらで撤退しようと想います。

で、うつ病だったり、摂食障害、強迫性不安・・・と、いろいろな心の病との関係がささやかれているのが「セロトニン」というホルモンと、脳全体に行き渡ってるその神経なんです。
で、これは別名を「平常心ホルモン」と呼ばれているんです。
「平常心」・・・つまり【安定】です。

うつ病で数回の自殺未遂の末に本当に死んでしまったという人の脳をVTRで観たことがあるんですが、本来ならば、脳全体に行き渡っているはずのセロトニンが衰弱していてまったく行き渡っていなかったんです。
つまりセロトニン神経が衰弱してしまうと【不安定】になるんです。

で、日本の心療内科の先駆けとなった池見酉次郎先生も、坐禅の効果を心療内科の治療に取り入れて効果をあげていたんです。また坐禅とセロトニンを研究している有田さんという人もいるし、他にも多くの生理学者が坐禅と脳について研究しているんです。

で、私は短絡的に、坐禅瞑想をすることによって、セロトニン神経が賦活するのではないか?と想っています。
事実、私が薬なしでうつ病を治してきてるからです。

使うものは賦活し、使わないものは衰弱する・・・・因果応報です。




「茹で蛙」という話があって、蛙をいきなりお湯の中に入れると暴れて逃げ出すのだそうですが、水の段階から、少しずつ温めていくと、逃げることも無く、茹だってしまうそうです。それだけ鈍感になってしまうんです。

「社会」というのも、これと同じで、本人が気づかない間に「朱に交われば・・・」になってしまうんです。
どんなに注意しているつもりでも、茹だってしまうものなんです。
ですから、日頃からの坐禅瞑想をお勧めしているんです。

最初は不慣れでも、自転車と一緒で、いつのまにか出来るようになってしまいます。
そのためには不断の努力が必要なんです。

NO27にも書きましたが、自分の首から上が無くなったとイメージしてみてください。
頭がなくなった、胴体だけの自分をイメージするんです。
首なしの胴体が呼吸をして「ふくらみ、ちぢみ」を繰り返していると感じるんです。
歩くときも、見えるものは見えるままに、聞こえるものは聞こえるままにしといて、首なしの胴体が歩いているようにイメージすると「もう一人の自分」に深く入れるかも知れません。
そして、その自分をベースにして、頭の中をうごめく意識(雑念)を観察(洞察)するんです。
まあ、これは私個人のイメージの創り方なんですが、お試しください。
きっと、簡単に変性意識状態(トランス状態)に入れると想います。
頭がスッキリ!して「我に帰る」という体験をするかも知れません。

PS No.36さま(floさま)

>>「不断の努力」の部分が私には欠けている、といつも感じていて、それをどうすることもできずにいたんです。

経験を避けることは誰にもできないので、みんなそれなりの経験から、不断に努力しているはずなんです。
こちらの#20を一読ください。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1607829

ですから、本人は無自覚でも、必ず、不断に継続しているものってあるんです。
だから絶対に私も、floさまも、成りたい自分に成っているんです。
ただ残念ながら、こちらの都合よく、望むものが与えられるのではないんですね(><;
だから、やっぱり気づくこと(ヴィパッサナー)が大切なんですね。



>>「感じること」の弱さに、情熱が続かない、

これは私も一緒ですが、1%の感動とは、つまり「惚れること」なんです。
惚れるのに理屈も欲目も計算もないんです。FEELだけなんです。

でも、心の安定要素である「気(愛)」が弱ければ、惚れることもできないんです。
つまり私も含めて不安定な人は惚れることが出来ない(弱い)んです。
気が弱いので依存的に利用することはできても、自律的に信用することができないんです。
「利用」と「信用」は反対の性質なんです。(「似て非なるもの」です)

仏教の経典にも「友達のようなもの」という言葉が出てきます。
まあ、説明するまでもないと想いますが(^^)、世間には「夫婦のようなもの」「師弟のようなもの」・・・と、似非の関係が多々ありますので、ここは見極めていかないといけないところですね。
信用、信頼は大きな心で与えるものなんですね。。。「愛(気)」です。





>>とどのつまりは遺伝子のなせる業だ
村上和雄という教授は、繰り返しの想いが遺伝子レベルに影響を及ぼしているのではないかという仮説をお持ちなんだそうです。でも、逆に、今の心の在り方を変えれば、今、此処にある肉体に変化も現われるのも事実ですよね。


>>「科学を突き詰めていけば、精神論になる。精神論を突き詰めていけば、科学になる。」

同感です。
科学の要件っていうのは「普遍性」「客観性」「再現性」です。
因果応報、諸行無常、縁起、諸法無我・・・はいつでも、誰でも、確認可能な科学なんです。
本来の仏教というのは、存在の構造を明らかにした科学なんです。

「生きて死ぬ知恵」柳沢桂子 なんて本も、現在、書店に山積みされてるかも知れません。または図書館で探してみてください。柳沢桂子さんというのは、凄い人なんですよ。。。
この本の画を担当している堀文子さんは「心の力」だけで、破裂した血管が自然治癒したという経験をお持ちだそうです(NHKの「心の時代」という番組でやってました)。タカツカヒカルという人も母親の破裂した血管を自然治癒させたので有名でしたよね。


で、話は変わりますがNo.31にも書きましたように、人間にとって道徳や宗教というのは絶対に必要なんです。
心には規範が必要なんです。
交通規則と同じことです。
私も機能不全な家庭で育ってますので、ついでに日本の道徳衰退の歴史をちょっと勉強してみたんですが、明治維新あたりから衰退がはじまり、戦争に利用されたことで道徳に対する懐疑的な意見が増えたので、現代のようにめちゃくちゃになってしまったようなんです。さらに優秀な指導者(人格者)も少なくなっているんです。論理的な説明もできずに、ただ怒鳴るだけの坊さんとかね。。。。

また武道の世界も西洋式な勝敗を争うだけの競技化されたので「勝てばいい」という価値観が横行しているようです。
本来の武道も「克己修身」を目的としていて、勝敗を競うゲームではなかったんです。

・・まあ、疑問の内容とは違うと想うんですが、身体にも「正しい姿勢」があるように、心にも「正しい在り方」があると最近、痛切に想うんです。心は科学だし、科学も心に帰結すると想います。

法句経という経典の一番最初は「すべてのものは心を先駆けとし、心のもとに創られていく、汚れた心で語り、汚れた心で行うのなら、荷車を引く牛の足跡に、荷車の車輪の跡が続くように、彼に苦しみが従い行く」とあるんです。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/8/3330210.html

・・・と、また長くなってしまいましたね。^^;
でわ。

投稿日時 - 2005-12-17 19:44:52

お礼

ご回答ありがとうございます。

>「社会」というのも、これと同じで、本人が気づかない間に「朱に交われば・・・」になってしまうんです。
どんなに注意しているつもりでも、茹だってしまうものなんです。

なるほど…。僕も知らないうちに鈍感になっていたのですね。感動できるものはどこにでも転がっているのに、感動できないのはやはり心の問題なのですね。鈍感になって・・・「感じる」能力が衰えた結果が今の僕を創っているのですね。そして99%の努力を支えるのが1%の感動であるならば、1%の感動を生むのは不断の努力なのですね。

回答者様のご回答により、いかに自分が無知であったかがわかりました。簡単に「死ぬ」とか言ってはいけませんね。真理というものを色々教えていただき、見えなかったものが見えるようになりました。心を育て、感じる能力を高める努力をしいきたいと思ってます。
回答者様が撤退されてしまうのは非常に残念です。経験を伴わない知識だけを頭に入れておくのも、僕は悪くないと思ってます。頭に入れておいた知識が、いつどの経験とリンクするかわかりませんしね。
今までありがとうございました、とても参考にさせていただいております。いつでも良いので、またアドバイス等がありましたらよろしくお願い致します。

投稿日時 - 2005-12-19 01:25:49

ANo.35

No.35さんの書き込み、大変興味深く拝見させてもらいました。勉強になりました。
談志さんのもほんと、真理ですね・・。


>たった1%の感動から「志」が生まれ、それが不断の努力(99%)になるんです。

・・・・・妙に納得です、これは。
私事で申し訳ないんですが、私はこの99%の方に、ずっとコンプレックスをもっていたんです。情熱が続かない体質と感じてた、といいますか・・・「不断の努力」の部分が私には欠けている、といつも感じていて、それをどうすることもできずにいたんです。
だけど、もしかしたらそれは、この1%の部分に起因していたのかもしれない。「感じること」の弱さに、原因はあったのかもしれないですね・・・・・。

一方で、その情熱が続かない、というのも、とどのつまりは遺伝子のなせる業だ、いう一種の諦めがあったんですが・・・
でも最近は、「科学を突き詰めていけば、精神論になる。精神論を突き詰めていけば、科学になる。」という気がすごくするんです。これは、まだ言葉で説明できるまでに至ってないのですが、最近強く感じてることです。
精神論を突き詰めた段階で思考することを止め、「感じる」という訓練に移行すれば・・・改善の余地はあり、ですね・・・・。


・・・すみません、全然質問者さんへのアドバイスになってませんね。(今に始まったことではないですが (^^; )
でもいつも、率直に感じたことをそのまま書いていますので、お互いに何かヒントを見つけあうことができたら嬉しいです。



あと・・・
>・・と、こうやって書いていていつも想うのは、みんな自分自身に向けての言葉だということです。
不思議なもので自分が書くことって、結局は、自分に言いたい言葉だったりするんですよね。。。。

これ、私もです。(^-^)


P.S.No.35さん、
昔はちょっと訳あって、瞑想することを頑なに拒んでた私が、最近試しに少しやってみたりしてます<(_ _)>。ので・・・焦ることなく自然の流れに任せ、今のところは、現在起こっている発見や気付きを、私なりのやり方で楽しんでいます。

投稿日時 - 2005-12-15 17:20:40

お礼

ご回答ありがとうございます。

>全然質問者さんへのアドバイスになってませんね。

いえいえ、いつもとても参考になってます。自分と同じような経験をされている方なので、ちょっとしたコメントであっても参考になります。僕の周りにこういう話が通じる人間なんていませんしんね。

>精神論を突き詰めた段階で思考することを止め、「感じる」という訓練に移行すれば・・・改善の余地はあり、ですね・・・・。

興味深いですね。人には向き・不向きがあると思いますが、「感じる」という能力を高めることができれば、今まで気づけなかった自分の才能や長所を見つけられるかもしれませんね。「感じる」という能力を高める努力をしていきたいと思ってます。

投稿日時 - 2005-12-19 01:24:36

ANo.34

再度の7です。

>>瞑想・・・というのかどうか解りませんが、かなりの時間を費やして自分を見つめなおしました。

できればちゃんと勉強して、やって欲しいんです。
なぜならば、欲得に繋がるような自分の在るべき姿を考えるようでは全く意味がないからです。
これは考えることから、感じることへのスイッチが目的なんです。
武道のように、頭脳から身体脳へのシフトチェンジをすることによって、欲目も捨てられるし、元気も出るし、感覚も鋭敏になるし、感性も研ぎ澄まされてくるし、直観も働くようになるんです。人間の本質的な能力を鍛え育てるための瞑想なんです。

ブルースリー曰く「Don't Think Feel!」
またはスターウォーズの「フォース」のような能力なんです。


>>もっといい生き方があると思うんですよ

自分の心の支配者になって自立的に生きるのが最高の生き方でしょうね。
・君の思いは必ず実現する(稲盛 和夫)
・稲盛和夫の哲学 人は何のために生きるのか (稲盛 和夫)
・「社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった」
・「社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わったII 熱い気持ち編」
香取貴信・・なんて本もお勧めです。図書館で借りてみてください。


>>周りの大人たちは皆「大学へ出たからには・・・」みたいな期待を僕にします。
>>だから自分の将来に対して迷いが生じているんです


某巨大掲示板で発見したんですが、立川談志さんも良いこと言ってます!(真理です)
こちらの「家元、国民の価値観を語る」をご覧ください。
http://kodansha.cplaza.ne.jp/danshi/index.html


私も最近つくづく感じるんですが、
自分の心が他律的に縁って起こるばかりの「自然」ならば、他人の心も所詮は「自然」なんです。

心配ばかりする人は、心配ばかりするという自然の現れです。
「風」がxxに縁って北風になったり、木枯らしになったり、突風になったり、南風になったり、台風になったりして無常に変化しているのと同じことなんです。怒鳴り散らす人は、怒鳴り散らすという自然の姿なんです。嘆いてばかりの人は、嘆いてばかりという自然の姿なんです。


たとえば北風が吹いたからといって、それに愚痴を言うほうがおかしいんです。

「今日は暑いから嫌だ」とか、自然に対して一々愚痴を言ってたのは私のほうだったんです。
10年前に言われた言葉をいつまでも引きずっていたんですが、それは10年前に吹いた風に対していつまでも怒っているようなレベルの話だったんです。結局は「他人」という自然に縁って起こされまくっていた脆弱な私の自律心こそが問題だったんです。依存心が強かったんです。

でも「人の心も所詮は自然だ」と思えば、たして気にならないんです。
ただ実際の自然よりも複雑だというだけで、自然であることには何ら変わりはないんです。
xxに縁って起こって、無常に移ろって、因果の応報を繰り返しているだけなんです。

大切なのは、自律的な心を強化して自然の統治者・支配者になることなんです。


ちなみに、「治」」という漢字は、「治水」から来ているそうです。
「水」という自然のままに荒れ狂うものを統治、支配することが「おさめる」「なおす」なんでしょうかね。。。
「治」という字は統治、治療、法治、完治、政治・・・まさに私たちが目指さなければいけない境地を示してると想います。
私たちがやらなければいけないのは「自治」です。
「なおし、おさめる」(破壊と創造)が、人生なんだと想います。



「それはボートの外のこと」って本もありますが、ボートの選手にとっての仕事はボートを漕ぐことであって、強風や高波なんかは、全部、ボートの外のことだというんです。自分の力の及ばない範囲のことは考えない。関係ない。自分の仕事だけをきっちりやっていれば悔いは無いというような話です。自然に逆らっても仕方がないということです。自分の仕事だけに集中して、自分をより良く活かせということです。
http://www.ddknet.ne.jp/~roudou/tanatuka_013.htm

これもつまり「道狂」です。
邪魔モノに心許さずに道狂に成れということなんだと想います。

ジミヘンは子供の頃からギター大好き少年で箒をギター代わりに遊んでいたそうで、プロになってからも24時間ギターを手放さなかったそうです。いつ観てもギターを弾いていたという証言もあるし、寝るときも一緒に寝ていたそうです。考えてなんか無いんです。ただ感じていただけなんでしょう。
エリッククラプトンに「俺とジミーペイジを足しても、ジミヘンには勝てない」と言わしめた男です。

「天才は1%の才能と99%の努力である」とエジソンが言いましたが、これは「1%の感動」なんだと想います。

たとえば、ヘレンケラーは有名な「WATER」の体験をしてから、何かが取り憑いたように知識欲求が芽生え、止めても止まらないほど勉強したんだそうです。たった1%の感動から「志」が生まれ、それが不断の努力(99%)になるんです。
そうすると目も、耳も、口もふさがっているのに、女子大まで行けてしまうんです。

感動(志)は、欲目からは生まれないし、考えても駄目なんです。
「Don't Think Feel!」からしか生まれないんです。
だから若いうちからFEELの部分を鍛え育てておくことをお勧めするんです。
これが「気」であり、「愛」であるんです。
世のため人のためと、誰かの喜ぶ笑顔からは、最高の感動(志)が生まれるんです。

・・と、こうやって書いていていつも想うのは、みんな自分自身に向けての言葉だということです。
不思議なもので自分が書くことって、結局は、自分に言いたい言葉だったりするんですよね。。。。
参考になれば幸いです。

PS No.34さま
ジミヘンもお勧めですが、是非、瞑想にもチャレンジしてみてください(^^)

投稿日時 - 2005-12-13 18:59:52

お礼

ご回答ありがとうございます。

瞑想は勉強して、今度やってみようと思います。
「Don't Think Feel!」なんて難しそうですね。やろうと思っても、中々できるものではないですよね。でも欲目を捨てられて、なおかつ感性を研ぎ澄ますことができるなら、そうできるようにしなきゃダメですね。今まで考えすぎて失敗を繰り返してきましたしね。

>たった1%の感動から「志」が生まれ、それが不断の努力(99%)になるんです。

なるほど・・・。感動によって生まれた志が、不断の努力の源となっているのですね。ここしばらくはちょっと鬱気味で、色んな刺激に触れることが少なかったですので、感動とか随分としてないですね。そして努力がまだまだ甘いですね。我をも忘れてしまうほどの努力をすることが減っていました。

>自分の心が他律的に縁って起こるばかりの「自然」ならば、他人の心も所詮は「自然」なんです。

そうですよね。僕は自分のやるべきことだけを、しっかりとやっていればいいんですよね。自分の力の及ばない、他人の心―すなわち自然に対して考えていても仕方がないですよね。自分のできることだけを集中して取り組み、少しずつ前進していきたいと思います。

投稿日時 - 2005-12-15 13:53:52

ANo.33

お礼、ありがとうございます。
モニターの前で、ずっと・・・笑顔です。


>もっと深く言うと、ギターを弾く人ではなくて、「ギターを愛する人」じゃないですか?

そうですね。自分とギターでひとつの宇宙をつくれる人、ギターとひとつになって、「愛する」ということの本当の意味を実現できる人、なのかもしれません。それに・・・・ギターに限らず、「音楽」という共通の体験を通じて何かを感じ学んだもの同志、何か共通の波長みたいなものを持ち合わせているのかもしれないですね。


>逃げてまた違う道を探しては、また同じことの繰り返しですよね。

そうです。まさに!そうなんです。
引越しをしようが、職を変えようが、恋人をつくろうが、友達を変えようが、・・・・同じ自分を引きずって歩いてる限りは、周りの状況は何一つ、変わらないんです。


>まだクリアではないけれど、何か素晴らしいものを手に入れたような、なんとも言えない今の気持ちを色んな人に伝えたいんです。今までに感じたことないような何かが、僕の心の中にあるんです。こんな気持ちは初めてです。

(^-^) 多分・・・私は、質問者さんとすごく似てる気質を持ってるんじゃないかと思います。あなたと以前の自分が、度々ダブって見えます。だからこそ、あなたの今の気持ちがすごくよくわかる(つもりな)んです。そして、あなたがこれからどんどん成長されるであろうことも。

No.33さんもおっしゃっていますが・・・
私も、どうかあなたが、ここで得たアドバイスを納得がいくまで何度も読み、いつも心の中に置いておいてくれることを願ってやみません。あなたの経験(実践)が今得た知識と出会った時必ず、他の何にも換えがたい驚きと喜びを実感されると思います。そして確実に、あなたの人生は前進し始めますから。

・・・・・その出発の場に立ち会えたことを、本当に嬉しく思います。



P.S.No.33さん、

今コピーして保存しました。

私自身、この数日の間に、何度も何度も新たな発見(知識と実践がクロスした瞬間)がありました。
こうやって、枝葉にわたる言葉にまで共感を覚え、ここまで志を同じくする方と交流できたこと自体、自然の不思議を感じずにはいられません。そして、たくさんのいい刺激を受け、たくさんのことを学ばせていただき、こんな幸せなことはありません。
本当にありがとうございます。
お言葉、謙虚に受け止めて、頑張っていきます。(近々ジミヘン、聴き始めてみようと思ってます。(^-^))

投稿日時 - 2005-12-11 19:51:25

お礼

ご回答ありがとうございます。

>私も、どうかあなたが、ここで得たアドバイスを納得がいくまで何度も読み、いつも心の中に置いておいてくれることを願ってやみません。

もちろん、常に心の中に置いておきます。こんなにも大きな変化をもたらした素晴らしいアドバイスです、心の中に置いておかないわけがありません。

話は変わりますが、この質問は締め切りたくないです。解決云々ではなくて、今はここは僕にとって大事なコミュニケーションの場となっています。回答に対してお礼をし、また回答が来る―この繰り返しだけなんですが、その度に何か新しいものを手に入れられるんです。締め切ることにメリットないんですよね。


毎度アドバイスありがとうございます。絶対に壁を乗り越えて、前進していきたいと思います。

投稿日時 - 2005-12-13 00:50:34

ANo.32

またお邪魔します。
No.32さまのお役にも立てているようで本当に勉強してきて良かったと想います。
で、このサイトでのこの手のやりとりは削除される可能性が高いですので、出来るだけ早めに保存しておくことをお勧めします。


>>今までに感じたことないような何かが、僕の心の中にあるんです。こんな気持ちは初めてです。
これはきっと「真理は汝を自由にする」でしょう^^


私も、今でもたまに「死にたい」とか「どうせ駄目だ」「あの野郎、死ねばいいのに」とか想うんですが、これらは長年、心の中で培われてきた想いの結果なんです。私が想ってきたから【因果応報】で、この発想が、私のものになっているんです。
別の角度から言えば、私が長年これらの想いを必要としてきたから、それが見事に与えられているんです。

・求めよ、さらば与えられん。たずねよ、さらば見出だせん。門を叩け、さらば開かれん。
 すべてを求むるものは得、たずぬる者は見出だし、門を叩く者は開かるるなり。『新約聖書』

・因果応報(善因楽果、悪因苦果)(怖いですね・・・)

たとえば、左腕ばかり筋肉トレーニングしていれば、左腕はマッチョになります。
が、何もしなかった右腕は衰弱していきます。
両方とも因果応報、求めよさらば与えられんです。
最初の#7に書いた<想ったとおりの人間に成っている><想い通りに生きている> <想ったとおりの自分に成っている>・・とは、こういう意味です。


だから日頃から過去完了形のイメージをするといいんです。
すでに満願成就したイメージを持ち続けるんです。
成りたい自分にすでに成ったように発想し、行動するんです。
倒産はしてしまいましたが元ヤオハンの和田一夫さんは、この要領で日記を長年にわたってつけていたそうです。この方も真理を勉強して実際の経営・生活に活かしたそうです。
脳で言えば繰り返しの想いでニューロンのつながりが強固になっていくので、そのようにしか世界が見れなくなるし、そのようにしか発言できなくなるし、そのようにしか聞こえなくなるので、本当にそのように成っていくんです。


 かれこれ2週間以上経ちますが5分でも瞑想してくれましたか?
考えるよりも、たった5分間、自律的に心の支配者になるほうが、賢い選択なんです。
(ヴィパッサナー瞑想に関する本も多数あるので図書館で借りてみてください)

自分の心の中で起こっていることは、全て「縁起」だということに気づけたでしょうか?
悩みも、喜びも、怒りも、フラストレーションも・・全て「xxに縁って起こっている」んです。
つまり、自分が自分のモノではないんです。

正確な表現は忘れてしまったんですが「愛するものが死んだといって泣いているが、自分が自分の物でないのに、何が悲しいというのだろうか」と経典にあるんです。
家族の死に際しての悲しみさえも、ただ単に「縁って起こっている」にすぎないんです。
他律的に感情を支配されて悲しみの奴隷になっているだけであって、自分が自分のものではないんです。自律的な支配下に無いんです。これが本当の悲しみといえるのでしょうか?

私たちの肉体も、この地球上にあるものも、この心も、発想も・・全てが宇宙誕生から積もり積もった縁起の集大成なんです。こういうのを「諸法無我(または諸法非我)」といいます。つまり「これが私だ」といえる実体など、どこにも無いということです。


朝から晩まで自分の心の動きをチェックしていると縁起だらけということに気づきます。
もう自分でも嫌になるくらい、他律的に心の中、発想、感情・・全てを支配されているんです。
もう、瞑想なんて止めようと想うくらいなんです。

でも、だからこそ、自律心が働くようになるんです。
犯罪があるから警察が育つんです。
犯罪なくして警察は育たないんです。
仏教では蓮の華にたとえます。
美しい蓮華は泥の中からしか咲かない(咲けない)んです。

自然のままにxxに縁って荒れ狂う心があるから、それを客観的に観察する心が育つんです。
暴れまくる獣性があるから、その反対の性質である理性が育つんです。
これは社会でも武道でも、日常のあらゆる場面で、我々が自然にやっていることでもあります。
自律的な心の唯一の育て方です。

さらに言うと、暴れまくる感情は「顕在意識」で、それを客観視する心は「潜在意識」です。
つまり、潜在意識の活性法でもあるんです。
私も過去にこういう体験をしています。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1163617



で、この自律的な心(潜在意識)で過去完了形のイメージをすると良いんです。
逆に、他律的な心(顕在意識)でイメージするものは、単なる願望、望みレベルのものなので弱いんです。
「道狂」と言われるほどの人は、自律的なイメージを持っているんです。

たとえば、ボクシングの世界チャンピオンになるような人のインタビューでも「負ける気がしなかった」とか言います。
完全にそれに成りきってしまっているからです。
まあ、こういうのを物の本に言わせると右脳のイメージ力とか、潜在意識を働かせた結果であるとかいうんです。

落ち着いた安定した心(自律的支配にある安定した心)でイメージするものは、叶うんです。
不安定な心で追い求めると、途中で「もう歳だから」「どうせ駄目だ」「ルックスさえ良かったら」「あいつには勝てない」・・・という余計な念まで入ってしまうので、そのイメージ通りに本当の駄目になってしまうんです。


成功の秘訣も「言い訳」を探さないことなんです。
「愚痴」を言わないことなんです。

ぜんぶ、道理に叶っているでしょ?
成功もメンタルも・・・人生の全てはたった一つの「ことわり(理)」なんです。
真理です。

こちらの#4も読んでみてください。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1821609
贅沢は心を弛緩させます。
他律的な支配下の奴隷になってしまうからです。


たとえ大卒でフリーターでも、無職でも、心さえ自律していれば良いんです。
一流大学を出て、一部上場企業の重役になったペットよりも、幸福なんです。
自律している心は「小欲知足」と言います。


・・と、またまた一気に無味乾燥とした説明をしましたが、どうか、繰り返し、腑に落ちるまで熟読して熟達して欲しいです。この説明を経験値で伝えていらっしゃるのがNo.32さまです。
過去ログも拝見させていただきましたが、本当に凄いの一言です。
「歌」って身体意識と、集中力・度胸を要するから、必然的に自律的な心の発達に役立っているのかも知れませんね。

投稿日時 - 2005-12-10 19:37:32

お礼

ご回答ありがとうございます。

>かれこれ2週間以上経ちますが5分でも瞑想してくれましたか?
考えるよりも、たった5分間、自律的に心の支配者になるほうが、賢い選択なんです。

瞑想・・・というのかどうか解りませんが、かなりの時間を費やして自分を見つめなおしました。少しずつですが、自分という人間が見えてきました。全ての出来事が縁起だということにも気づいてきました。全て意味のあること―・・・交通事故に遭ったのも、僕に注意力を持たせ、生死に関わるような大事故をこれから起こさせないようにするためのものであったのかもしれません。みんな何かと繋がっているのですね。

>たとえ大卒でフリーターでも、無職でも、心さえ自律していれば良いんです。
一流大学を出て、一部上場企業の重役になったペットよりも、幸福なんです。

僕もそう思います。でも、周りの大人たちは皆「いいところへ就職して幸せになってほしい」とか言います。上司の言いなりになって、やりたくもない仕事で生活をしていくなんて、僕には幸せと思えません。もっといい生き方があると思うんですよ。周りの大人たちは皆「大学へ出たからには・・・」みたいな期待を僕にします。だから自分の将来に対して迷いが生じているんです。僕は周りの大人達の言う幸せではなく、自分の思う幸せになりたいんです。周りの大人の言うような人間に僕がなったら、大人たちは幸せになるのか・・・それとも本当に幸せな僕を見て幸せになるのか・・・。

投稿日時 - 2005-12-13 00:53:07

ANo.31

すみません、また来ました。No.16です。<(_ _)>


No.7(No.30、31)さんの回答を読ませてもらって、毎度の事ながらその探究心と核心を衝く端的さに感動しています。今回も、学ぶところが多くありました。
同時に・・・これほど心を開いてどんどん成長されている質問者さんを見て、私自身もいい影響を受け、励まされます。


No.7さんの言葉・・・
>自分の「心」を育てることこそが、全てなんです。
たった一つの真実です。人生の本質です。生命の本分です。

まさに。同感です。
私の行き着いたところもそこでした。生まれてはじめて、「もうこれ以上掘れない」という地面まで到達したような感じがしてます。


私も本当に長い間、生き辛さに悩んで、こんなに苦しいのに、それでも生きなきゃいけないということに納得できなくて・・・・自己啓発の本などを読みあさり、普遍の真理を追い求めました。孤独感で張り裂けそうになり、精神科の医者に泣いて電話し駆け込んだこともあります。だけど、どこにも救世主はいなかった。そこで諭される理論や理屈にある程度まで納得はできても、見る角度を変えればすぐに、その理論の落とし穴が見える。どんなに自分を鼓舞して頑張っても、まるで、宙に架空のじゅうたんを敷いてその上で暮らしているかのようで、いつも不安で仕方がなかった。その頃は、心がどうだとかいうアドバイスを聞いても、「そんなのは、苦労を経験したことのない甘ちゃんの戯言だ」と思っていました・・・。

でも、実際に自分自身と真正面から向き合い、自分を認め受け入れ、より深く自分と知り合ううちに、自分をとりまく世界というのは、単に自分の心の状態を映し出したものである、ということを、身を持って知りました。自分が変われば、鏡に映る像も変わる。
到達した結論は「すべて心の問題」。・・・・それで全てが説明されたんです。


それに気付いた今でももちろん、困難にぶち当たることは幾度となくあります。私の「心育て」はまだまだ始まったばかりですし、長年やってきた条件反射のような悪い癖がいまだに残ってて、辛いことがあると「死にたい」とつい口にしてしまうこともあります。でも今はその、「死にたい」「生きてても何もいい事がない」という言葉がすでに形骸化している、とういうことが自分で分かるんです。少し静かに自分を見つめる時間さえつくれば、すぐに我に帰ることができる。謙虚に、忍耐強く、その作業をくりかえしていけば、いつかはその悪いクセも消えうせる。そしてこれから先、どんなことが起きようとも、「自分の心を育て、鍛える」という本質に帰れば、そしてそれを続けていく覚悟と忍耐さえあれば、ずっと前を向いて生きていける、という自信があるのです。だから、自分の人生を信頼していられるんです。信頼してるから、たとえ困難や、今すぐ解決できない問題があっても、前みたいに不安にならないんです。


質問者さん・・・あなたはまだ若いのに、すごいと思います。
本当に強い人とはすなわち、自分の弱さを認められる人だと私は思います。だって、これができないがために、多くの人が自分に言い訳をし続け、同じ過ちを繰り返し、「なぜ自分にこんな不幸が起こるのか?」と嘆きながら一生を終えるのですから。

今学んでることは必ず!人生のあらゆる場面で役に立ちます。あなたの可能性を広げてくれます。
私も実は最近、数年ぶりに歌の仕事に復帰して、新たな壁に直面してたんですけど・・・No.7さんの投稿を読んでて「あ、これも欲目だ」と・・・あっさり解決の糸口が見つかってしまいました(^-^)。本当に、全てに通じる真理だと思います。



P.S.全くの余談ですが・・・今まで、こういう話が通じた人というのは、質問者さんはじめ、不思議なことに皆、ギターを弾く人なんですよね・・・。(私自身は小学生の頃、Fが押さえられなかった時点で挫折したんですが。(^^; )

投稿日時 - 2005-12-09 00:23:54

お礼

ご回答ありがとうございます。

>どこにも救世主はいなかった。そこで諭される理論や理屈にある程度まで納得はできても、見る角度を変えればすぐに、その理論の落とし穴が見える。

僕と全く同じ経験をされていたのですね。僕は普通の励ましの言葉とかをもらっても、「お前に俺の何がわかるんだ」と内心思ってしまっていましたから。普通の励ましの言葉じゃ、「じゃあこういう場合は?」とか「そんなことはわかってる」というような、苛立ちや焦りしか生まれませんでした。
でも・・・「すべて心の問題」だったんですね。僕の脆弱な心が、今の僕をとりまく環境を創り上げていたんですよね。心を育てれば、僕を取り巻く環境も変わる―だから僕は今ぶち当たっている壁を越えなければならないんですね。逃げてまた違う道を探しては、また同じことの繰り返しですよね。

>質問者さん・・・あなたはまだ若いのに、すごいと思います。

いえ、自分ではすごいかどうかなんて分かりませんし、どうでもいいことです。自分だけではどうしようもなくて、自分の心の弱さに負けそうになったからここに質問をしにきただけのことです。ただ、No.7さんやNo.16さんをはじめ、回答者の皆様にはとても感謝をしています。皆様のおかげで今の僕があります。質問日とは違う僕がいます。
僕はミュージシャンになりたいです。まだクリアではないけれど、何か素晴らしいものを手に入れたような、なんとも言えない今の気持ちを色んな人に伝えたいんです。今までに感じたことないような何かが、僕の心の中にあるんです。こんな気持ちは初めてです。

>今まで、こういう話が通じた人というのは、質問者さんはじめ、不思議なことに皆、ギターを弾く人なんですよね・・・。

そうなんですか?でも、もっと深く言うと、ギターを弾く人ではなくて、「ギターを愛する人」じゃないですか?「俺はギターうまいんだぜ!だから聞けよ!」とかいう人ではなくて、「耳よりも心に語りかける音を奏でられる人」をギターは求めているのかもしれません。心に語りかけられる人にはこういう話が通じるのではないでしょうか?(自分が心に語りかけられる人間であると言っているわけではありませんよ)

投稿日時 - 2005-12-10 00:39:34

ANo.30

またお邪魔します。

>>でも人間なんて欲の塊みたいなものですからね

おっしゃるとおりですね。^^;
で、これも「なんで欲張るのか?」というと、やっぱり不安定だからなんです。
仏教では「苦界」といいます(この世は想いどおりにならないという意味です)

不安定だから安定させたい!・・・だから欲張り、執着するんです。

これも理に叶っているんですが、自分以外の何かで安定を図ろうとするからおかしくなるんです。
または、威圧的・計画的に他者を制して、自分以外の誰かを想い通りに動かし自己の得につなげ、自らの安定を図ろうとしているから狂ってしまうんです。
(まさに、世情そのものでしょ??)


そうじゃなくって「不安定なのは、あなたの、その心ですよ!」
「あなたの、その心を自律的に安定させればいいだけなんですよ!」
と言っているのが仏教なんです。

根本仏教(原始仏教)の経典を読むと「自分がしたことと、しなかったことだけを考えなさい」とか、そんなつまらない精神論的な教えだらけなんですが、やっぱり、それが一番、正しいんです。今は日本から消えうせた道徳、倫理、修身です。


 で、私たちの心が不安定な原因は、私たちの心に原因があるからなんです。
これも原因と結果の法則です。
<< 不安定な心の持ち主だから、不安定な人に成っているんです >>
また、そんな不安定な人だからこそ、自分以外の何かに頼ろうとするんです。
完璧な理屈でしょ?(^^)
もっというと、あなたは不安定なんだから安定に向けて修行しなさい!なんです。

で、理屈では、自分の心が完璧に安定したら「生まれる」ということも尽きるので、輪廻転生からも解脱するというんです。
まあ「自分の心」とは、つまり「自然」ですから、自然の支配者、統治者・・・つまり「神」になるので人間として生まれることがなくなるのだと、私は解釈してますが・・・。

だから、言い換えれば、自分の心を安定に統治するために、人生があるんです。
人生で起こるあらゆる「経験」(失敗も成功も)は試練なんです。


「心が安定しているか?、否か?」を図る一番簡単な方法は、身体意識です。
不安定で心に迷いがあるときは、何かしら考えているものです。
ところが、心に迷いが無いと「想う」ということも尽きてしまうんです。
子ども時代なんて、特にそうだったと想います。
ありのままを感じているだけで、何も想ってなかったと想います。

これを意識的にやろうというのが東洋的な健身術(気功法、太極拳、合気道、武道・・)ですね。

日常のことでも出来ます。
お風呂に入っているときは、お風呂に集中するんです。
一心不乱にお風呂にはいるんです。
掃除するときも、全身全霊で掃除するんです。
歩いているときは、歩いている自分に成り切り、寝ているときは寝ている自分に成り切るんです。

そのために、日頃から「今、自分が何をやっているか?」の実況中継(ヴィパッサナー)をするんです。
そうやって「今、此処の自分」に居続けることが大切なんです。

逆に、欲目(執着)が出ると、心が止まってしまいます。
武道の世界でも、相手の攻撃に対して一瞬でも心が止まれば、そこに隙が出来るので、すぐにやられてしまうそうです。
心を止めさせないで、自然のままに流していくためにも、気づきの瞑想法が必須なんです。
(本当に仏教って凄いと想います)

これは、メンタルも、経営も、武道も、人間関係も、スピリチュアルも・・・・全ての共通事項です。

自分の「心」を育てることこそが、全てなんです。
たった一つの真実です。人生の本質です。生命の本分です。

・・まあ、言うは易し、行うは難しですが(><;




>>なんのために生きていけばいいのでしょうか?または生きていくべきではないのでしょうか?

この答えも見えてきたら、幸いです。

投稿日時 - 2005-12-07 20:49:32

お礼

ご回答ありがとうございます。

>不安定だから安定させたい!・・・だから欲張り、執着するんです。

そうですね。それは僕だけではなく、ふと周りを見渡してみればみんなそうですね。友情や愛情、お金などで安定を図ろうとしてますね。でもそんな安定は一時的なもので、人にさらなる欲目を与えます。だから人の欲は消えません。自分自身に頼って心の安定を図らなければいけないのですね。

>自分の「心」を育てることこそが、全てなんです。
たった一つの真実です。人生の本質です。生命の本分です。

まだ人生経験が浅いですから、「その通りですよね」とは言えませんが、きっとその通りなのでしょう。間違っているようには思えません。自分の脆弱な心を強く育てていかなければなりませんね。
でも「心を育てる」というのは、表現が難しいですが「見えているけど掴めない」という答えって感じですかね。誰もが幾度にわたる様々な壁を乗り越えながら、心を育てていきます。その中で自分の心に気づけずに、自殺の道を選んでしまう人もいるのですね(僕もそうなっていた可能性はありましたが)。心を育てるということを知らないで、死を迎えてしまう人が世の中には少なくないですよね。時間をかけてじっくりと、心を育てていく―簡単に心が育てられたら、人生何十年もいらないですものね。わかっているけど中々できない、本当に「言うは易し行うは難し」ですよね。

投稿日時 - 2005-12-10 00:34:56

ANo.29

再度の7です。
これは、みんなの勉強になると想うので、しつこく追記します。
(もちろん、私も勉強中の身ですが・・)

ある禅僧の本に【人間万事塞翁が馬、あるのが愚痴だけ】とありました。
http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/koji/kj004.html

私たちの身の回りで起こることは、単なる「縁起」の繰り返しだけなんです。
xxに縁って起こって、また、xxに縁って起こって・・・の繰り返しだけなんです。
事故もそうです。病気もそうです。家庭問題も、み~んな、ただの物理現象「縁起」なんです。


その一つ一つの事象に対して「良い、悪い」の選り好みをするからおかしくなってしまうんです。
「ああなれば良かったのに、こうなれば最高なのに・・」という「欲目(執着)」で縁起を見るからおかしくなってしまうんです。
ありのままが、ありのままに観れていないんです。

ところが、自然の摂理は人間の欲目とは無関係に粛々と進んでいるだけなんです(苦笑)

この間のスマトラ沖地震では、地球の形まで変わってしまって、地球の自転速度が早くなってしまったそうです。
この地球という星にさえも何の保障も無いというのが現実です。
あるのは自然の摂理(因果・縁起・無常)だけです。


それなのに自分勝手な「欲目」を投影させて物事を考えるからおかしくなるんです。
これらの欲目を捨てて「地球にさえ何の保障も無い、どうせ死ぬんだ」と割り切ってしまうことが出来れば、心が「無」になり、無執着になるので、ありのままがありのままに観れるようになり、、自然の摂理と一体になることができるので下記の図のように、気も強くなり、愛も強くなり、原因と結果の法則により全てが好転していくんです。頑張れば自由自在の人生になるんです。


愚痴さえいわなければ、人生なんて単なる物理現象なんです。
望みさえしなかったら、全てが与えられるんです。
それに相応しい原因さえ抱えていれば、必ず、それに成れるんです。
人生を複雑にしているのは、「欲目(執着)」です。
これが暗雲のように張り巡らされると、太陽が見えなくなってしまうんです。


私も家庭問題をグチグチと想ってきたんですが、それは、ただ単に私が移ろっていく中の途中経過にすぎなかったと思えるようにまで成りました。だって、もしあの家庭やその後の生き辛さが無かったら、仏教に出会うこともなかったんです。
ただの「移ろい(無常)」「縁起」でしかなかったのだろうと思えるんです。
その単なる「移ろい(無常)」「縁起」に対して、辛かったとか、痛かった、苦しかった、悲しかった・・と愚痴を言うからおかしくなってしまうのではないかと思えるまでになりました。

その心こそ!が、問題であったんです。
家庭環境という他律的な支配に流されるがままに流されて、ジェットコースターのように舞い上がるか、落ち込むかだけの、全く統治されていない、未発達な私の心こそが、諸悪の根源であったんです。自律していない脆弱な心です。

「欲目で見るか、見ないか?」で「他律か、自律か?」が決まり「不安定か安定か?」が決まります。
この地球さえも不安定であり、何の保障もない、自然の産物であると悟ってしまえば、欲目もなくなるんです。
「どうせ、死ぬんだ」と覚悟を決めてしまえば、人生に不必要な重荷がなくなり、楽になり、自由になるので音楽にも没頭できるので、その原因に従って相応しい結果が出るんです。「道狂」に成ることが出来るようになるんです。

そうなると、さらに「無一物無尽蔵」といって、何も所持しない、欲目がない、執着が無い心からは、無尽蔵なエネルギー、パワーが湧いてくるというんです。

だから欲目を無くすと、欲が叶うんです。
これを「無欲は大欲に似たり」というんです。
これを実践している経営者の人もめちゃくちゃ多いんです。


なぜならば、欲目(執着)がなくなると、私利私欲が無くなるんです。
私利私欲がなくなると、愛も気も強くなり、「世のため、人のため」という公利公益のために働くようになるんです。さらに思いつめるということが無くなってきますので、ひらめき、直感が優れてきて、世の中の役に立つような、いろんなアイディアが湧いて出てくるようになるんです。
で、公利公益のために働けば、その原因に相応しい結果が「報酬」として得られるからです。
下記の図通り、自分の心が安定していれば、自由(自らに由って生きる)に成れるんです。
ちなみに私の敬愛する「道狂」は、ジミ・ヘンドリックスなんです・・・^^


「心」という自然を支配し、統治する者。
つまり神、仏の境地になれば、全ての苦悩からも解放されるという理屈です。
(・・と、いうか、これが人間が生まれてくる理由だと想います。)

またまた長くなりましたが、伝わるでしょうか?
人生と幸福の方程式です。
おそらく「真理」ってヤツです。

以下の二つの故事成語も面白いと想いました。
http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/koji/kj014.html
http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/koji/kj011.html
我々は自分のことを何も知らないのに、絶望したり、泣いたりしているんです。

また長くなりましたが、ご参考になれば、幸いです。

投稿日時 - 2005-12-05 18:29:21

お礼

ご回答ありがとうございます。

>その一つ一つの事象に対して「良い、悪い」の選り好みをするからおかしくなってしまうんです。

その通りかもしれません。毎日の一つ一つの事象に対し、僕は必ず「良い、悪い」の選り好みをしてしまいます。ありのままをありのままに見ることができていません。自分という人間さえも、ありのままとは違った姿で捉えていますね。人生はただの物理現象だとわりきれれば、苦悩から開放されるものなのかもしれません。でも人間なんて欲の塊みたいなものですからね、欲目をなくすのは大変な修練が必要じゃないですかね。
でも欲目はできる限りなくしたいですね。私利私欲という原因で与えられる結果は、決していいものではなさそうですね。欲目をなくすことは難しくても、公利公益のために動くということはできそうです。公利公益のために動けるようになれば、愛も気も強くなって少しずつよい方向に向かっていけそうな気がします。

僕はここにこの質問をしてよかったと思っています。まだ完全な解決には至っていませんが、もし就活や恋愛がうまくいっていたら、こんな素晴らしい考えにめぐり合うことはありませんでした。こんな素晴らしい考えと無縁のまま人生を送っていたら、就活や恋愛がそのときはうまくいったとしても、ことあるごとに悪い方向へ歩んでしまっていたかもしれません。人生の転機と言っても大袈裟ではないような、心の中の革命が自分の中で起きているような気がします。

投稿日時 - 2005-12-07 02:11:05

ANo.28

>ここに質問するかどうかもかなり迷いました、「どうせ質問したところで解決の糸口にはならないのではないか」と。

今回あなたが解決の糸口を得られたとしたらそれは・・・ここでのアドバイスを受け入れる準備が、あなたにできていた、ということです。言い換えれば、あなたの理解のレベルが既にそこに達していた、ということなのです。同じアドバイスをしたって、受け入れ側の準備ができていなければ、ただの文字の羅列です。

これから先、あなたの理解が深まるたび、同じ文章を読んでも、また別の意味を発見するでしょう。例えば、今の段階であなたが納得し理解してるNo.7さんのアドバイスを、再び読みかえしてる時、「あ~!そういう意味だったのか!」って思うことも、近い将来、きっとあると思います。いいアドバイスは、噛んでも噛んでも味が出てくる、のです。本当に。

音楽も、これとまったく同じです。
ある曲を歌い込むうち、突然その歌詞の違う意味を感じたり、その曲のもってるGroove感に突然ピンときたり、今まで漠然と歌ってきた簡単な曲の難しさに気付いたり、・・・・。そうする中で、音楽に対する理解が深まり、表現力や創造力が磨かれていく・・・。
でも、そうなるには、頭で理解、納得するだけでは足りなくて、実際自分で経験して、自分で感じ、「本当の意味の理解」をしなくちゃいけない。時間がかかるんです。だから忍耐が必要なのです。
私も、何年も前に理解してたと思っていたことを、今になって初めて「本当の意味の理解」に達した、と感じること、よくあります。今すぐ理解できなくても、ず~と答えを求めてさえいれば、ある瞬間、あなたの準備ができたとき、答えの方からあなたの所にやってくる・・・そういうもんだと感じます。



>もう少し心が落ち着いたら、またオーディションを受けてみたいと思ってます。そして自分はミュージシャンになるべき人間なのか確かめたいと思います。もし落ちたとしても、そこにいる自分は今の自分とは違う自分のような気がするんです。結果から絶望ではない何かを学び取れる自分がいる気がするんです、何となくですけど。未来の僕を創る要素になると思うんです。

私も、あなたの心の中の革命は、もう既に始まっていると思います。どんな行き止まりにも、道をつけていける人だと思います。


あと、覚えておくと、結構役に立つ言葉・・・・
「You can’t please everybody.」
これは、プロのサックスプレイヤーである友人が、よく言っていた言葉です。「皆を喜ばせることはできない」、つまり・・・人の好みや価値観は様々であるから、自分のサックスの音や音楽を、気に入ってくれる人もいれば、そうでない人もいる、皆に気に入ってもらうことは不可能だ、という意味です。彼は、仕事の依頼が絶えないミュージシャンですが、そんな彼でもそう感じているんです。

私はこれを、「自分の音楽を貫き通せ」というアドバイス、と受け取っています。
この世に、絶対的な価値を測る物差しなどないのです。誰かに否定されたからといって、誰の心にも響かない音楽、とは限らない。
努力を怠らず、常に柔軟な気持ちで人の感想やアドバイスに耳を傾けることは非常に大切ですが、それをした上で、自分の感覚を信じ、自分がいいと思うものを創り出していく・・・結局、それしかないのです。
音楽だけでなく、人生においても同じだと思います。



>お忙しい中、僕なんかの質問に時間を割かせてしまって、僕は迷惑をかけているだけですから・・・。

迷惑なんて、全くありません。今回も、嬉しくてまた長々と書いてしまいましたが・・・・(^^;
これも、No.7さんもおっしゃってるところの「必然」なんです。お互いにとって何らかの意味を成す必然だからこそ、ここで出会い、コミュニケーションがあった訳ですから。(^-^)

投稿日時 - 2005-12-05 01:07:29

お礼

ご回答ありがとうございます。

>今回あなたが解決の糸口を得られたとしたらそれは・・・ここでのアドバイスを受け入れる準備が、あなたにできていた、ということです。

「どうせ質問したところで解決の糸口にはならないのではないか」と思いつつも質問したのは、少なからず解決の糸口となることを期待していたからです。以前からずっと答えを強く求めてましたから、ただの文字の羅列とは見られなかったです。

>これから先、あなたの理解が深まるたび、同じ文章を読んでも、また別の意味を発見するでしょう。
>音楽も、これとまったく同じです。

これは僕にも経験ありますね。単なる基礎練といえども、時間が経てばまた違った角度からその大事さが解るようになってきますし、より深く細かなところを追求するようになりますね。
以前に述べた僕の好きなミュージシャンも、昔聴いたときには「曲がいいな」程度しか感じませんでしたが、最近はその詞の素晴らしさに感動を覚え、コード進行や歌唱力など以前は気にしていなかったところにも魅力を感じるようになりました。何年も前から聴いていたのに、彼が僕の最も敬愛するミュージシャンになったのは最近です。以前久しぶりに聴いたとき、「ピン」ときたのを覚えています。

>この世に、絶対的な価値を測る物差しなどないのです

そうですよね。世の中の一部の人に否定されたからといって、自分はダメな人間だとか言うべきじゃないですよね。僕を必要としている人が全くいないとは限りませんよね。日々鍛練をして、自分を信じて生きていきたいと思います。

投稿日時 - 2005-12-07 02:13:44

ANo.27

No.16です。

>深いご意見ですので、100%ではないかもしれませんが、回答者様が僕に伝えたいことは概ね理解できたと思っております。というより理解できるように”成った”んです。僕が自分にとって必要な意見を求め、その意見の意味・本質を知ろうとしたからです。当たり前のことですが、できていませんでした。

No.24のお礼欄に書いてらっしゃったものですが・・・・・・質問を書かれてから一週間・・・・日々あなたが考え、気付き始めたのが、手に取るように感じられて・・・・なんだかお礼欄を読むたび、うれしくて震えすら覚えます。
同時に、「あ~この人はずっと、この質問を書くず~~っと以前から、答えを追い求めていたんだ・・・」と思いました。


私もあなたと同じです。孤独感をいつも、自分以外の何か、自分以外の誰かでうめようとしてきました。自分以外の誰か、何か、に自分の存在意義を見つけ出そうとしてきたんです。でもどうしても、うまくいかなくて絶望しました。
私は小さい頃から常に人や物を観察してる子で(しかも理屈っぽくって。笑)、もう30何年観察してきて、観察しつくして人生に絶望したので、「もう自分の人生、良くなりようがない」という、ある種の自信があったんです。でも同時に、心のどこかで、その自信が覆されることを切実に願っていたと思います。そんな頃、あの前に書いた「君は自分を被害者だと思っていないか?」と言ってくれた人に出会ったんです。そして私がただ一つだけ観察し忘れていたもの・・・「自分の心」を観察し始めた時、私のその自信はみごとに、覆され始めました。

人生とはホントに・・・本当に不思議なもので、まさにNo.7さんがおっしゃっているように、起こること全てが必然なんですよね。
これでもか、って位悪いことが起こって絶望して、・・・そんなことも全て、今の自分に至る為に、欠くことのできない要素でありプロセスだったんです。


一度、物事の本質、真理が見え始めたら、それが自分の周りにあるありとあらゆるものの中に、浮き彫りになって見えてくるようになります。そうなれば、何をしてても、「あ!そうか!!」という発見の連続です。今まで見ていたものが、新しい意味を持ってみえてくるようになります。今まだ疑問だらけだと思いますが、焦らず、忍耐強く、その発見を楽しんでください。
No.7さんがホントにズバリ、大事なことを書いてくださってますから・・・・もう私は、言うことないです(^-^)。あとはあなたが自分で実践する中で気付き、発見していくだけです。



>「誰しも悩みを抱えているが、それを理解し乗り越えていけるのはやはり自分自身だ」と、僕の大好きなミュージシャンが言っていたのを思い出しました

きっとそのミュージシャンはその人生の教訓を、音楽をやる中で学んだんだと思います。
「音楽をやること」と「人生を生きること」は同義だからです。私はこのことが、今までずっとピンとこなかったんですが、最近やっと、わかるようになりました。
だから、たとえ今、音楽をやっていなくても、焦る必要は全くありません。人生を学ぶこと=音楽を学ぶこと、です。その逆もまた真です。何をやってたって、無駄など一切ないのです。


こうやって、質問者さんと対話していく中でも、いろんな発見があり、本当に感謝しています。
私も、まだまだ勉強不足ですし、未知の壁にぶち当たるたび泣いたり笑ったり、いまだに忙しいですが・・・(笑)
自然の不思議なやり方に翻弄されながら(^-^)、自分のペースでやっていこうと思ってます。
頑張りましょう。

投稿日時 - 2005-12-02 17:39:11

お礼

ご回答ありがとうございます。

>同時に、「あ~この人はずっと、この質問を書くず~~っと以前から、答えを追い求めていたんだ・・・」と思いました

そうなんです。ここ何日かではなくて、ずっと前から答えを追い求めてました。相談する人もいなくて、ただ一人考え込んでいました。でも出てくるのは悪い考えばかりで・・・。ここに質問するかどうかもかなり迷いました、「どうせ質問したところで解決の糸口にはならないのではないか」と。

>一度、物事の本質、真理が見え始めたら、それが自分の周りにあるありとあらゆるものの中に、浮き彫りになって見えてくるようになります。

まだそんなレベルには達していません。未だに情緒不安定で、暗い考えばかりが僕の頭の中を埋め尽くすことさえあります。でも何かをつかみかけているのは確かです。その何かが明確に見えたとき―それが壁を越えられるときなんだと何となく感じていますが・・・、まだまだ先のような気がしますね。

もう少し心が落ち着いたら、またオーディションを受けてみたいと思ってます。そして自分はミュージシャンになるべき人間なのか確かめたいと思います。もし落ちたとしても、そこにいる自分は今の自分とは違う自分のような気がするんです。結果から絶望ではない何かを学び取れる自分がいる気がするんです、何となくですけど。未来の僕を創る要素になると思うんです。

>こうやって、質問者さんと対話していく中でも、いろんな発見があり、本当に感謝しています。

とんでもないです。感謝をするのは僕のほうです。お忙しい中、僕なんかの質問に時間を割かせてしまって、僕は迷惑をかけているだけですから・・・。

投稿日時 - 2005-12-04 19:50:55

ANo.26

再度の7です。
これはおっしゃるように深いんです。「真理」ってやつは、超~簡単なんですが、それだけに、全てに低通していますし、実際に自分自身を改革しないといけない話なので、必殺に難しくもあるんですね・・・・。言うは易し行うは難しです。
だから「仏陀の教えは月をさす指だ」という言葉もあって、教えはあくまでも月をさし示す指にすぎないのであって、実際に月に行かなきゃ無意味なんだよ。というんです。

だから、瞑想を実践して、実際に月に行ってください。
本当に自殺すべき、愚かな自分を殺すんです。
そして、あなたは生き続けてください。



不安定 ├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤ 安定(自律的な)
      0  1  2  3  4  5  6  7  8  9 

(愛不足、気弱)    ←執着      無執着→   (愛満足、気強)

・ものごとに執着すると他律的支配下に入ることになりますので、必然的に不安定になってきます。
・ものごとに対する執着が無くなってくると、自律的な支配下に入りますので、心は安定してきます。

(不安定になる)=(執着心が強い)=(「愛」が足りない)=(「気」が弱い)と、
依存的、貧相な心、怒りっぽい、憂鬱が止まらない、衰弱した心、思いつめやすくなる、ヒステリックになる、気弱、気違い、臆病・・・と、感情の暴走を抑える「平常心」が欠如してきます。
つまり「心(自然)」を安定に保つ、または安定に導くためのエネルギー(愛)=(気)と言って良いと想います。

逆に、安定した状態は、愛に満ちているので、ものごとに対する執着もなくなり、気も大きくなりますので、些細なことでは動じない不動の心に成ってくるんです。
(※ ただし、他律的に縁って得られる安定では無く、自律的に得られる安定です)




>>悪い結果の原因に気づいた時、その原因を消すための行動を起こす必要はないのでしょうか?
>>気づいた後にどうすればいいのか分からない

これも「執着」ですよね。
こういう発想さえも、不安定ならではの発想なんです。
なんとしてでも幸福になりたい!という切実な願いだと想いますが、逆行している願いなんです。
「思いつめて出るのはウンコだけ。知恵は出ません。」なんです。。。。(斎藤一人)


まず、どんな姿勢でもいいですからジッとして、自分の中にもう一人の自分を感じてみてください。
自分の中にボッーっとした、もう一人の自分の存在を感じ取ってみてください。

全体的にボンヤリ、手先はピリピリ、足先はジンジン等々、いろんな感じがあると想います。
これが「気」と呼ばれているものです(特別なものではないんです)
心が不安定なときって、頭がのぼせ上がるので、身体感覚はおろそかになりますよね。
つまり「心、此処に在らず」の時って、「気」が弱ってくるんです。(愛の弱りです)

特に呼吸のときの身体感覚に集中してください。
お腹のあたりが膨らんだり、縮んだりすると想います。
この膨らみと縮みを感じ続ける練習をしてみてください。
これが、全ての始まりです。


でも、絶対に雑念が湧いてきます。
不安定な心は何処かへ行ってしまうんです。
さっきまで「気」を感じていたハズだったのに、いつの間にか雑念の世界に入っていると想います。

そんな時には、この「もう一人の自分」をベースにして、雑念するいつもの自分を観察するんです。
ボンヤリ落ち着いた、何の面白みも刺激も無い、ただひたすら呼吸をしているだけの、つまらない自分がベースです。
この自分と、顕在意識の自分を比較して、感じ続けるんです。

この少年のように・・・・!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051128-00000261-reu-int



雑念のときは「妄想している」「雑念が起きた」でもいいです。
他にも感じたことは全て感じ取るんです。
「腕が痒い・・」「お腹がすいた・・」「飽きてきた・・」とかです。(ここらへんは自分で勉強してみてください)
「ミャンマーの瞑想」(マハーシ長老、著)がお勧めです。

「気づいた後にどうすればいいのか分からない」という発想が湧いてきたら、”そんな自分をも!”客観的に観察するようにしてください。「混乱してる」でもいいし「焦ってる」「心配してる」「不安定になってる」でも、なんでもいいです。

もう一人の自分の感覚をベースにして、顕在意識で起こるありとあらゆる感覚を実況中継していきます。
顕在意識が1のときは、もう一人の自分を2に置いて、感情に呑み込まれないようにして、ただひたすら淡々と客観的に観察するようにします。
顕在意識のレベルが5くらいになっても、さらに上の6のレベルから冷静に観察するんです。
そうして1cm、また1cmと、樹が伸びるように不安定な世界から、安定の世界へと育っていくんです。
そうすると潜在意識も活性化されて、右脳だとか、アルファ波だとか、・・・いろんな良いことが心身ともに起こるようになってくるんです。

こんな説明で通じますか?
これは、日頃の日常生活からやってみてください。
どんなときにも「気」を感じることをベースにして、心の動きも感じるようにするんです。
これがヴィパッサナー瞑想です。(詳しくは勉強してください)

お互いに、月にたどり着けますように頑張りましょう。

投稿日時 - 2005-11-30 20:34:30

お礼

ご回答ありがとうございます。

>これも「執着」ですよね。
こういう発想さえも、不安定ならではの発想なんです。
なんとしてでも幸福になりたい!という切実な願いだと想いますが、逆行している願いなんです。

執着ですか…。僕は執着心が強いんですよ、昔から。分からないことや興味があることについては徹底的に調べますし、納得がいかない出来事があったりすれば、しばらくは頭の中はそのことでいっぱいです。だから申し訳ないと思いつつも、回答者様に対して質問ばかりを投げかけてしまうのです。でもその執着心が、幸せになりたいという願いと逆行している願いとは思いませんでしたね。昔から心が不安定で、他律的に心の安定を果たそうとしていた(果たしていた)結果が今の状態なんですかね?

途中から瞑想についてお話されていますね。心が健康でない僕にとって、本当に必要なことかもしれません。簡単なことではないと思いますが、少しずつ安定の世界に自分を成長させていけるように努力していきたいと思います。

投稿日時 - 2005-12-04 19:51:53

ANo.25

#9です
全ての回答者に丁寧な返事を書いているあなたは実直で、自分の考え方に信念を持っている方だとお見受けいたします。
それぞれの皆さんにお礼をいい、感謝していますが、・・・
が・・
あなたに足りないものが有る様な気がします。
あなたは、自分に対して感謝していないようです。
こうして皆さんと話をしている自分が此処に居る事に。
就活が上手くいかないと悩む力を持っている事に。
事故にあっても命を無くさなかった事に。
みんなに喜んでもらいたいと願う心を持っている事に。
自分の心が健康でなければ、人は心配はしてくれても喜んではくれません。
もっと自分を褒めても善いのではないでしょうか。
気の持ちようでかなり違います。

今、面白い実験をしています。
同じ釜のご飯を、煮沸消毒をした2つのビンに入れ、1方には毎日「有り難う美味しかったよ」。もう1方には「不味かったよだめだね」と声を掛けています。1ヶ月になりますが「ありがとう」の方は、白いカビは生えていますが綺麗です、「だめだね」の方は真っ黒になりました。
偶然かも知れ無いので、容器を煮沸消毒をして再度開始しました。気の持ちようで変わる証明だと思います。あなたもやってみて下さい。
それと、東京近郊なら東京フォーラムB1Fに在る相田みつお美術館へ行って見てください。あなたの気持ちを暖めてくれると思います。

投稿日時 - 2005-11-30 14:10:14

お礼

ご回答ありがとうございます。

>自分の心が健康でなければ、人は心配はしてくれても喜んではくれません。

それはわかってきたのですが、僕の心が健康になるにはまだまだ時間が必要な気がします。気の持ちようとは言っていただいても、変えるのは非常に大変なことです。自分を褒めようとしたって、褒める部分がありません。

投稿日時 - 2005-12-04 19:48:50

ANo.24

#19です。

バンドはただの趣味ではなく、かなり本気で打ち込んでいたのですね。
苦渋の思いで音楽の夢を諦めて就活に臨んだのにそれも上手くいかない…
絶望的になる気持ち、わかるような気がします。
多分現在、人生最大の壁に突き当たってしまった思いでしょう。

現在があまりに辛い心境なので、今までもそしてこれからも辛い事ばかりに違いない、と言うのはちょっと違うと思います。
事故に遭われたことは確かに防ぎようもなく不運であったかもしれません。
だからと言って人生に失望するほどの不幸な出来事だったでしょうか?

起きてしまったことは変えようがない。
しかしそこから何を学ぶかは個人にかかっているのです。
事故のショックで精神的に不安定になって外に出ることが出来なくなる人もいるかもしれない。
#7の方のようにそこに宇宙の法則、因果の法則を見出す人もいるでしょう。
質問者さまは自分の不幸な人生の象徴と受け取っているようですが、果たしてそうでしょうか。
あなたは命を落とすこともなかったし、体に障害も残らなかったでしょう?
それは見方によってはとてもラッキーなことなんです。
そのとき命を落とさなかったからこそ、いま生きて、将来のことに悩んでいられるのです。

仕事のことにしても、この先自分の希望する職を得られたとき、あの時就職が決まらなくて良かったと思えるのではないでしょうか。

いまは目標が定まらなくて苦しいでしょうが人生を決める大事な事柄なのだから悩み甲斐がある問題なのです。
すんなり就職が決まっていたら考えもしなかった、自分自身のこと、未来のあるべき自分の姿をもっとよく考えるための良い機会を与えられたと思うことが出来ないでしょうか?

余談ではありますが、私は昔、レコード会社に勤めていたことがありました、普通の事務ですけれど。(レコードという言葉に時代を感じますね)
業界では新曲や新人を売り出すときある程度売り上げの予想を立てて売り出すのですが、これがなかなか予想道理にはいかない。
蓋を開けてみなければわからない一種のばくちみたいなものです。
業界の人々は何が起きるかわからないその世界を楽しんでいるのです。

芸術や芸能の世界は努力や実力や才能だけではダメなんです。
時代の波みたいなものがあってそれに合わないと成功しないんです。
死んでから有名になる人もいることはご存知ですよね。
結果が見えないと不安だとしたら長くその世界で生きていくのはきついかもしれません。
成功如何にかかわらず続けている人はどうしょうもなく好きだから、の一言に尽きると思います。

一番好きなことを仕事にしてしまうと行き詰ったとき逃げ道がないというリスクも考えに入れてこの先のことを考えてみてください。


いま大きな石につまずいて転んだと思ってください。
しばらくは痛みで起き上がることは出来ないかもしれませんがそのうち痛みは消えます。
そしたら起き上がってください。
皆さんの回答へのお礼を読んで、質問者さまは自分で起き上がることの出来る人、それだけのエネルギーを持っている人だと感じました。
また前を向いて歩き出してくださいね、今度は足元に気をつけて。

投稿日時 - 2005-11-30 12:22:18

お礼

ご回答ありがとうございます。

>しかしそこから何を学ぶかは個人にかかっているのです

皆様から色んな意見を寄せていただいているうちに、それはわかってきました。でも交通事故から学ぶことなどあるのでしょうか?皆様のおかげで何かをつかみかけてはいるのですが、まだそれはモヤモヤとしていて、完全な形として見えていません。

>いま大きな石につまずいて転んだと思ってください。
しばらくは痛みで起き上がることは出来ないかもしれませんがそのうち痛みは消えます。

肉体的な痛みは全くその通りだと思います。でも心の痛みはいつまでも消えません。過去の出来事が未だに胸を締め付けます。夢にまで出てくることもあります。なぜならただの不幸ではないからです。一生懸命努力した末の結果が、不幸な出来事だったからです。努力も何もしないがゆえの不幸であったら、痛みはすぐに消えていたことでしょう。

投稿日時 - 2005-12-04 19:49:32

ANo.22

No.16です。

>…とは言っても、やはり過去からの呪縛を解く方法がわからずに、現在も絶望感が付き纏う暗い人間になってます。


どうも理屈で説明できないので、ひたすら自分の経験を話しますが・・・・
私の場合は、ある病気に罹ったんです。心の病ではなく体の。生死には係わりないのですが、現在の医学では治癒の見込みのないもので、精神的苦痛も大きいですし、人によっては身体的苦痛もかなりなもの、という結構厄介なやつなんですけど・・。
病気にかかったことは自分のせいじゃないですしね、まさに自分は呪われてると・・・私の不運にとどめを刺された、と思いました。

最初は、とにかく何か治癒の方法はないか、その希望の光を追い求めて狂ったように情報をかき集めました。でもどんなに探しても、ないものはないんですよね。最終的には・・自分の力でどうすることもできないのだ、ということを受け入れざるを得なかったんです。絶望、でした。
その頃、情報集めのためにある自助グループに参加していたんですが、たまたまそのグループに情報や知識をたくさん持ってる人が少なかったんです。助けてもらおうと思って入ったのに、結果的に助ける側にまわされるハメになってしまって・・・。でも、自分が持ってる知識や考えをシェアしていくうちに、ハッとしたんです。「私が集めた知識が他の誰かの役にたってるんだ」「私の経験が同じ経験をしてる他の人の役に立ってる」・・・・・なんとも不思議な感覚でした。ただの謂れもない不幸であったはずの事実が、私に、今まで思いもしなかった新しい希望の光を与えてくれたのです。そして、どんな苦悩からも必ず、何かプラスのものを生むことができる、ということに気づかせてくれたんです。

相変わらずその病気は持っていますが、今となっては、自分にそれが与えられたことに感謝しています。結果的にこれがあったから、私はその大切なことに気づくことができた。これがあったからこそ、最後の壁を越えられたのです。


そして、他人を幸せにする、というのは、自分が幸せになったことに伴う結果である、と思います。
自分が、泳ぎ方が分からなくて溺れているのに、どうして溺れている他人を助けることができるでしょう。まず自分が泳ぎを覚えれば、こうやれば泳ぐことができるんだよ、って伝えてあげることができる。そうすれば、その人は泳ぎを覚えて岸にたどり着くことができるんです。
まずは自分自身が、幸せになること、これがなければ始まりません。


それと、No.7さんに、この機会にお礼を申し上げるとともに・・・・
私は、No.7さんの過去の回答を、今まで数々眼にしてきましたが、・・もし、人生の個々の悩みに対する答えがそれぞれ違うなら、いくらNo.7さんとて、これほどありとあらゆる質問に端的な回答をつけることは難しいと思います。No.7さんが、すべての問題の一番底辺の部分に言及されているからこそ、できることだと思います。つまり・・・(いつかどっかで書いてらっしゃったと思うのですが)究極のところは、すべて心の問題なんです。私も本当にそうだと思います。
しかも、困難を乗り越えられた過程で、ご自分が実際に経験し学ばれたことを書いてらっしゃるので、真実であり説得力があるのです。そうでなければ、これほど読むたび共感を覚えることはないと思います。まさに、自分のせいではない不運な境遇をここまでプラスに転じることができる、という最高の一例です。質問者さんも読んでみてください。それに、ギターを弾かれる方なので、共感できる部分がたくさんあると想いますよ。(^-^)


自分の意思ではどうすることもできない事実、自分のコントロールを超える何か、が与えられた時にどう生きるか・・・そこに、その人間の「生きざま」が表れるのだ、とつくづく感じます。
我々、自分に起きた不幸を一生嘆き悲しむこともできるし、そこから何かプラスのものを生むこともできる。
それは我々の選択にかかってるのです。

交通事故に遭われたこと自体は、もちろんあなたのせいではないですし、どうすることもできない不運な事実です。
けれども、それを幸運に変えるか変えないかの選択は、あなたのコントロールの及ぶものであると、私は思います。

投稿日時 - 2005-11-29 17:00:52

お礼

ご回答ありがとうございます。

No.7様がおっしゃるように、やはり他律的に心の安定を求めるのはよくないのですね。回答者様のご意見を読んでいて、「誰しも悩みを抱えているが、それを理解し乗り越えていけるのはやはり自分自身だ」と、僕の大好きなミュージシャンが言っていたのを思い出しました(先日回答者様が話をしたミュージシャンは、彼のような気がします)。
どんな苦難を迎えようと、それを受け入れなければならない。そしてそれをどう解釈し、壁を乗り越えていくか。壁を乗り越えるために、自分と向き合い、自分という人間を知り、自分をコントロールする。
・・・誰のどんな悩みも結局はそういうことなのですね。ただ絶望しているいるだけじゃ、どんどん不幸になっていくのは当然ですよね。不幸を自ら呼び込んでいるだけですよね。努力が足りないとかそういうことではなくて、結局のところ自分自身を知れていないというのが、今の絶望感の「原因」であるように思います。

>そして、他人を幸せにする、というのは、自分が幸せになったことに伴う結果である、と思います。

そうですね。まずは自分が幸せにならなくてはいけませんね。不幸な人間が他人を幸せにできるはずがないですよね。どうして僕は自分を知る前に、人をどうしたいとか考えてしまうのでしょう?原因の前に結果を持ってこようとするのでしょう?

>それと、No.7さんに、この機会に~

そうですね。今度読んでみたいと思います。
それにしてもNo.7様といいNo.16様といい、素晴らしい方ですね。これほどまでに勉強させていただけるとは思ってもいなかったです。感謝しています。いつかお会いしてみたいくらいです。

投稿日時 - 2005-12-02 02:25:48

ANo.21

色々な方から意見がでていますが、とりあえず最初の貴方の質問に対して。
まあ、世の中理不尽ですw
自分が悪くないのに悪者にされることもあります。
絶望して自殺する人もいます。
それほどまでにこの世は確かに厳しいかもしれません。
私は人は「人は自殺をする権利がある」と考えています(だからといって人に自殺は勧めませんよ?)
自殺したした人が悪とも地獄に落ちるとかの迷信も信じていません。
そんな私でも貴方が死ぬのは、すべてを投げ出すのは・・・・・早いと言うかもったいないと思います。

まだ夢を追えるじゃないですか。
まだ楽しいことを探せるじゃないですか。

楽しいことというのはどこかに転がっています。道端とか、または海の向こうとか。それを探してみるのも面白そうだと思いますが。
死ぬなんていつでもできるんです。
いつでもできるなら、自分が納得するまで追いつくして、探しつくしたほうがお得ではないでしょうか?単純に損得勘定です、倫理ではありません。(元々倫理とか大嫌いなんで)まあ平均寿命ぐらいの暇つぶしにはなると思いますよw
視点を変えてみましょうよ。
死ぬことはいつでもできる。だから貴方は自由で、自由に夢と楽しさを追えばいいのです。悲しい事、絶望にぶつかることもあるでしょう。それしか見つからないかもしれません。それでもまだ見ぬ場所に面白いものがあればそれは成功したと言えるでしょう。
死は負けでも悪でもありませんが夢も面白くもない・・・・と思いますよw(やったことないのでわかりませんがw)

自分は一度死にたくなるような状況になってこう思うようになりました。

投稿日時 - 2005-11-29 00:49:04

お礼

ご回答ありがとうございます。

>死ぬなんていつでもできるんです。
いつでもできるなら、自分が納得するまで追いつくして、探しつくしたほうがお得ではないでしょうか?

今の僕にはそれができるほどの気力はないですね。肉体的なことは大丈夫なんですけど、精神的な疲れはかなりのものなんです。好きだったことも楽しめなくなったほどですから、そんなことできそうにありません。というより楽しいと感じるものがなくなった今、何を追いつくし探しつくすべきなのか・・・といった感じですね。

投稿日時 - 2005-11-30 04:18:00

ANo.20

再度の7です。

16番さまの意見を読んでて「凄いな」と想いました。
16番さまは、真理・真実を述べていらしゃいますので、これは、一生役立つご意見なので、質問者さまも今後の人生のために肝に銘じといたほうがいいです。それくらいのご意見だと想います。

#7に紹介した「原因と結果の法則」も、是非、読んでください。

で、自分の中に原因があることを認めるというのは、別に、自己否定しようというワケではないんです。
自分を虐めて、自責の念でガンジガラメになろうというものではないんです。


ちょっと試しに、30分間でいいですから、ゆっくり行動してみてください。
絶対!!に、自分の意思に従って動いているんです。
絶対!!に、意思に反したことはしていないことに気づくと想います。
(読んで理解するだけでなく、本当に実験してみてください)


いろいろな過去の出来ごと、体験が、現在の行動を支配してることも事実です。
辛い経験が多ければ、発想も暗いものになりがちです。
痛い想いをたくさんしてくれば、弱腰になって当然です。

でも、そこで終わってはいけないんです。
人間には、そこを乗り越えて、セルフコントロールする能力が与えられているからです。
確かに宿命はありますが、運命は自分で変えられるんです。
宿命が<他律的>なものだとしたら、運命は<自律的>に創造できるんです。

そのためには、自分の心に気づくことなんです。
悪い結果が出るには、それ相当の想いがあったハズなんです。
だって原因がないところには、絶対に結果も出ないからです。

ただ、気づくだけでいいんです。
徹底的に観察してみてください。
これが仏教の修行法の「気づきの瞑想(ヴィパッサナー瞑想)」というものなんです。


人間は、気づくと変われるんです。
だって、気づくために必要なのは、平常心です。
平常心なくては気づくことも出来ません。
だから、自分の心に気づき続けることで、心が安定、成長してくるんです。
そして運命も自由自在にコントロールできるくらいになれるんです。

ちなみに「自由」という言葉は仏教用語で「自分に由って生きる」という意味です。
自律的に自分をコントロールして、自在に生きるというような意味なんです。
まあ、それくらい、修行を積まないと駄目ですけどね。。。。

ご参考までに。。。

投稿日時 - 2005-11-27 17:37:02

お礼

ご回答ありがとうございます。

>悪い結果が出るには、それ相当の想いがあったハズなんです。
だって原因がないところには、絶対に結果も出ないからです。

質問文でも述べましたが、僕は昔交通事故に遭ったことがあります。青信号で横断歩道を渡っていると、横から信号無視の車にはねられました。前後左右を確認してから渡ったのにはねられました。停止線のところで止まるはずの車が止まらなかったのです。・・・この悪い「結果」にも「原因」があったのでしょうか?それ相当の想いがあったのでしょうか?決して回答者様に対して屁理屈を言うわけではございませんが、この事故が自分に絶望感を与える1つの理由になっているのは事実です。原因だけでは、自分の力だけではどうにもならない「結果」もあるのではないでしょうか?

>人間は、気づくと変われるんです。

回答者様の意見により、気づこうと努力するようになってきました。今、気づきかけている段階かもしれません。でも、どうしても過去からの呪縛を解くことができません。過去の経験により、恋愛や就活その他に恐怖を感じることもあります。気づいて・・・どうすればよいのでしょうか?

投稿日時 - 2005-11-28 21:19:07

ANo.19

再度のNo.16です。
あなたの質問文や回答へのお礼欄を読むにつけ、まるで一時期の自分の言葉であるように感じます。
私自身の体験が、ほんのちょっとでも、あなたが自分の生き方を確立していくためのヒントになれば、と思います。



>>「自分に原因がある」ということを100%認められないんじゃないでしょうか?それが今あなたが直面してる壁、なのではないでしょうか?

>どういうことでしょうか?現時点の自分を受け入れたとき、何がどうなって壁を乗り越えられるのでしょうか?自分に原因があるというのを100%認めて、今よりひどい精神状態にはならないですかね?


それが、ならないんです。
自分に原因がある、ということはすなわち、自分がその原因をコントロールできる、ということですから。原因を改めて、結果を良くすることができる、ということですから。むしろ心丈夫に感じます。

・・・・・どう説明したらいいものか、一生懸命考えてみたのですが、うまく説明できる言葉が見つからないんですよね・・・。
でも当時の私は、まさにあなたがおっしゃっているのと酷似した状態だったんです。もうとにかく不運だらけで、「こんなことが一生続くのか?」まさに絶望感でいっぱいでした。
そんなある日、そんな私の状況をある人に話したとき、こんなことを言われたんです。「君が辛いめに逢ってきたのは良く分かった。不運なことだと思う。ホントに辛かっただろうと思う。だけど君は、自分のことを被害者だと思ってないか?もうそろそろ、自分を被害者だと思うのをやめなきゃいけないよ。」
これを言われた時、ひどい憤りを覚えました。「だって被害者だもん!!その事実をどうすることもできないじゃない!!実際私の立場に立ったことない人に、そんなことを言われる筋合いはない!!」・・そう思いました。でも同時に、「確かに私は、自分は被害者だということをずっと言い訳にして、それに起因する不幸が降りかかってくることに甘んじていたのかもしれない」という、自分のちいさな心の声を聞いたのです。その心の声が日に日に大きくなって、遂にある日、それを事実として受け入れたんです。その瞬間、涙があふれ出たのを覚えてます。とにかくもうホッとしました。こんなにホッとしたのは生まれてはじめて、というくらい・・・自分の心を縛ってた縄がほどけたような、そんな安堵感を覚えました。

そして、言い訳をするのをやめたとき、物事がクリアに見え始めたんです。そして、言い訳をせず、自分が正しいと思ったことを実行し始めた時、自分の中でどんどん力が湧いてくるのを感じ、「自分に言い訳をするから、心が病み、物事が悪転していたんだ」ということを実感したんです。



>>あなたが、自分には無理だと思って別の就職を探そうと決意したことも、あなたという人間の資質を知るための大きな手がかりです。

>こんな考え方もあるのかと素晴らしいと思いましたが、僕はその前の有名シンガーの裏話を聞いてまたオーディションに受けてみようかとも思いました。果たして自分はここまでバカになれていたのか、どこか手を抜いていたんじゃないかと。過去を振り返ってしまいました。


ひとつの考え方であり、私の実感です。
私はある種の音楽バカですが、成功バカではなかったんです。つまり・・社会的ないわゆる成功や名誉を望む気持ちや、それに対する執着が一切なかったんです。そもそもプロになろうと思ってこの世界に入ったわけではなかったですから。
音楽が好きで好きでたまらない・・・その原点に戻った時、いくつもの他の選択肢が現われたんです。

あなたがまた、オーディションを受けてみようと思ったなら、やってみるべきだと思います。何が自分に向いているのか、それは自分がやってみて初めて分かることだと思いますから。
ショービジネスやミュージックビジネスは、「ビジネス」と名がついているように、もはや純粋に音楽をやることとはかけはなれた世界です。音楽のみならず、音楽以外のことからくるプレッシャーは、多分想像以上のものです。それに耐え切れずドラッグに頼ったり心を病んでしまったりする例も、数多く見ました。けれども、そこでやっていくかどうかは、あなたが、自分自身で感じ、決めることです。

そしてもう一つ・・・
社会的成功を得ることと、幸せになることとは、全く別のことだということを、いつも覚えていてください。
いくら社会的評価を得ても、幸せでない人はたくさんいます。前述したシンガーもその一人で、あれほど歌がうまく、あれほどいいアルバムをつくり、あれほど社会の評価を得ていても、彼自身は自分に自信がもてず、摂食障害やはげしい感情の起伏に振り回された生涯だったようです。
幸せは、あくまで自分の精神的成長からくるものです。社会や他人からの評価に左右されるものではありません。

投稿日時 - 2005-11-27 16:23:21

お礼

ご回答ありがとうございます。

回答者様の文章を読んでいて色々考えさせられました。

就活がうまくいかない原因。
就活中といえども、頭の中はいつも音楽のことでした。
自分が一番やりたいことは音楽だ。もし就職することになったら、やりたいことでも何でもない仕事をしていくことになる。これから一生後悔するのではないか。
そんなことを考えていました。今になって冷静に考えてみれば、うまくいくはずないですよね。音楽か就職か大いに迷っているのに、良い結果が出るわけないですよね。

恋愛も…
どうせカッコイイ彼氏がいるんだろうなぁ。
あの人と自分みたいなダメ人間じゃ釣り合わないなぁ。
あの人が自分を愛してくれる要素なんてないなぁ。
とか、「どうせ自分には無理だ」という考えを持ちながら相手に好意を抱いていました。今までの結果がそういう考えを生まれさせたわけですが、いつまでも過去に縛られていてはダメですよね?
…とは言っても、やはり過去からの呪縛を解く方法がわからずに、現在も絶望感が付き纏う暗い人間になってます。

>社会的成功を得ることと、幸せになることとは、全く別のことだということを、いつも覚えていてください。

そうですね。今の僕が思うのは、人を幸せにしたいということ。そして幸せになった人を見て、自分も幸せになりたい。社会的成功はあってもなくてもいいです。


こうして皆様の回答を読んだり、自分の気持ちを素直に文章にして書いていると、自分の気持ちが整理されてきたり新しい考え方を知ることができたりして、ほんの少しですが気が楽になってきました。皆様ありがとうございます。

投稿日時 - 2005-11-27 20:51:58

ANo.18

大学4年生で卒業を前にして就職が決まらない。
それで落ち込んでいるんですね。

>自殺も考えたことはあるのですが、考えていたら親の顔が浮かんで、一人泣いてしまいました。

いいご両親をお持ちなんですね。
質問者さまと同年齢で、親の顔を思い出しただけで死にたくなる
なんて言う人もいるくらいですから、幸せな人なんですよ、あなたは。
今まで女性とお付き合いをしたことがないのはまだ巡り合っていないだけなんです。
いま死んでしまったら将来巡り合うはずの人に会えないまま一生を終えてしまうことになります。

音楽をしても楽しめないのは将来に迷いがあるからでしょう。
このまま音楽を続けるべきか、あきらめるべきか、これから自分はどうすべきか、いま決断のときが来たということ。

楽しくないから死にたいなんて、言い返せば、今までが何も考えなくても楽しくて、幸せだったということ。
ラクして楽しく生きて成功するなどという人生はよほど才能に恵まれたか、天才的に楽観的な人でないとありえませんよ。
苦労して手にしたものだからこそ価値があるのです。

落ち込む気持ちはわかりますが、絶望するほど追い込まれた状況ではないでしょう?
自分が何をしたいか、何が出来るか、もう一度考えてみてください。
そしてとにかく一歩踏み出してみて。絶対道は開けるはずです。
踏み出す方向を誤ったと思えばまたやり直せばいいんです、
まだ若いのですから。
死ぬのはいつでもできます、もうすこし先に延ばしてもいいでしょう?

投稿日時 - 2005-11-27 15:54:03

お礼

ご回答ありがとうございます。

>いいご両親をお持ちなんですね

いい両親だと思ってます。自分を理解してくれて、自分が信頼している人間なんて両親くらいしかいません。だから親の顔が浮かんで泣いてしまったんです。

>音楽をしても楽しめないのは将来に迷いがあるからでしょう

全くその通りです。音楽の道は自分には無理だと感じてはいても、諦めきれてはいなくて。

>楽しくないから死にたいなんて、言い返せば、今までが何も考えなくても楽しくて、幸せだったということ。

楽しくないから死にたいというほど簡単なものではありませんが、今までが何も考えなくても楽しめたというのは事実かもしれませんね。でも楽して成功しようとは思っていません。知人などでミュージシャンを目指してる人に比べたら、僕の方が絶対努力していると思います。実力で負けていても、努力の量は負けていないはずです。…まぁそれだけ努力しても実力で勝てないから、落ち込んでしまうんですけどね・・・

投稿日時 - 2005-11-27 20:03:09

ANo.17

結果は後からついてくる。やりかたや探す仕事がマッチングしていない場合もあります。基準を下げることも人生必要ですね

投稿日時 - 2005-11-27 07:35:06

ANo.16

はじめまして。

わたしは人よりすることがおそ~く、人より二倍ほど回り道をして生きている人間ですが、
そんなわたくしがコレまでの回り道の中で学んだことのを一つをcamcamさんへ言わせてください。

それは・・・、
「肩書きがなくても生きることは出来る。」
就職先がなかろうが、所属先がなかろうが、
生きることは出来ます。

>絶望感に満ち、何も楽しめなくなった今、なんのために生きていけばいいのでしょうか?または生きていくべきではないのでしょうか?

「なんのために生きる」とか、「生きていくべき」とか、
そういうのじゃなくて、
ただ、「生きてる」を強く感じました。
「生きてる」ことはどんな事があっても、そこにあるのです。
そのことに強く感動しました。


一度就職活動をやめ、一年間ほど、自分のために肩書きも、所属先もない人間になってみてはどうでしょうか?
その先のことは保障できませんが、
上記のようなことを感じるかも知れません。
(感じたからといって幸せになるとも言えません。)


ただ、私はそのような生活をして初めて、「肩書き」の有り難さが分かったような気がします。
↑コレは同じような経験をした2名の知り合いも言っていました。
そして「肩書き」のためにがんばるのも悪くないと思えました。

投稿日時 - 2005-11-26 20:34:43

お礼

ご回答ありがとうございます。

>「なんのために生きる」とか、「生きていくべき」とか、そういうのじゃなくて、ただ、「生きてる」を強く感じました。「生きてる」ことはどんな事があっても、そこにあるのです。そのことに強く感動しました。

僕には無理なことと感じました。なんの目的もなく、適当に生きていくための金を稼いで生活を送っていくだけの人生なら、一体なんのための人生なのか、「生」とはなんの意味もなさないのではないかと、最近は強く思っているんです。生きていること自体に感動なんてとてもできません。

投稿日時 - 2005-11-27 19:38:43

ANo.15

No.7さんへのお礼を読んで感じたことがあるので言わせてください。

>自分がダメであるとはすでに認めていますし、自分の心に間違った原因があるのは確かだと思います。でもそれは辛い過去が作り上げたものです。正しい方向に持っていくのは並大抵のことではありません。


そうです。間違った原因は辛い過去がつくり上げたものです。あなた自身が好き好んでつくったものではありません。あなたのおっしゃるとおりです。

おそらく、最初の原因をつくったのが自分ではない、という理不尽な思いから、「自分に原因がある」ということを100%認められないんじゃないでしょうか?それが今あなたが直面してる壁、なのではないでしょうか?私がそうでした。私の心に一番最初に不幸の種を蒔いたのは私自身じゃないのに、なんで私がその全責任を負わなければならないのか?なんともやりきれない気持ちでした。
でも、理不尽なことを全部ひっくるめて、現時点の自分を受け入れ、すべてを自分の責任と捉えられた時はじめて、世界が変わったんです。自分に対してしていた最後の言い訳を取り払った時、がんじがらめになっていた心が解き放たれて自由になり、物事が好転しはじめたんです。
あなたもきっと、あとはもうその壁を越えるか越えないか、です。越えさえすれば、人生を正しい方向へ持っていくのは、実はある意味、簡単なんです。

物事が何もうまくいかなくなり、何も機能しなくなった今、というのは、あなたがその壁を越える、絶好のチャンスです。
No.7さんの最後の行の言葉、あれは真だと思います。


それと・・・

夢を持つことは素晴らしいことです。なぜならそれが叶おうが叶うまいが、あなたがあなた自身をよく知り、それを基によりよい人生を歩んでいくための指針となりうるからです。

ある有名なシンガーの裏話ですが・・・彼がデビュー前、デモテープをレコード会社に持ち込んだ時、正確な数は忘れましたが、何十何軒というレコード会社のA&Rに「こんなものは売れるはずがない、駄作だ」と笑われ、相手にもされなかったそうです。そして最後に一人だけ「これはイケルんじゃないか。」と興味を示したあるレコード会社のA&Rがいて、そこからアルバムが発売され、結果的にそのデビューアルバムは、20数年経ったいまでも売れ続ける超ビッグヒットとなりました。
・・・こんな話はザラにあるんです。もし彼が最初のレコード会社に断られた時点で諦めていれば、彼がこれほど社会的成功をおさめることはなかったかもしれません。もちろん才能もあったでしょうし、夢を追う意志がこれほど強かったからこそ達成できた偉業、ともいえるでしょう。けれども違う角度から見れば、彼はその逆境の中で、夢を貫き通すことができるほど、その他のことには鈍感だった、という一面があるに違いない、と思うのです。

よく、「〇〇バカ」に成りきれることが、この種の成功を成し遂げるための大きな要因の一つだと感じるんです。どんなことがあっても音楽を選ぶ、音楽をやってるときは横で何を言われようが聞こえない、友達と競い、だれかを蹴落とさなくてはならなくなっても、自分の成功を選ぶ、たとえ親の死に目にあえなくてもステージに立つことを選ぶ、・・・・極端に聞こえるかもしれませんが、本当にこれらのことが難なくできなければ、生きていけない世界です。言い換えれば、自分の中にそういう資質がないと、その世界に入っても苦しいだけなのです。

私は全くの無名ですが、プロのボーカリストです。
私もある夢を追って音楽を続けていましたが、ある一定の時点で壁に突き当たり、そこから先へはどうしてもいけなくなってしまいました。「なぜ他の人にできることが、自分にはできないのか?」「自分は意志が弱いのではないか?」「才能がないのではないか?」・・・本当に悩み考えました。そして、自分の夢に描いていたものではないところに、新たに人生の目標をおき、歩き始めました。そうしてはじめて、どうして自分があれ以上夢を追えなかったのか、追わなかったのか、わかったんです。つまり、自分を知ったのです。

あなたが、自分には無理だと思って別の就職を探そうと決意したことも、あなたという人間の資質を知るための大きな手がかりです。あなたに一番合った道を進むため、自分に合わない選択肢は自然淘汰されていくんです。どんな道を歩むにしたって、まずは「自分ありき」だからです。

夢を追い、その世界で成功を収めた人は確かに素晴らしいと思います。それは何も社会的評価を得たからではなく、「自分」を貫き通した人だ、という証明だからです。
夢をあきらめたからダメ人間?そんなもんじゃないです。あなたという一人の人間、という観点からは、「社会的ないわゆる成功」ができず、悩み苦しみ、自分なりの結論を得、新たな道を見つけまた進んでいく、という過程もまた大きな成功です。それもまた、「自分」を貫き通した故の達成ですから。

自分の人生のマニュアルは自分で書くしかないんです。
既存のマニュアルに基づいて生きた結果行き詰れば、マニュアルを書き換えればいいんです。
他人のマニュアルに沿えないからといって、自分を否定する必要は全くないです。

投稿日時 - 2005-11-26 15:38:06

お礼

ご回答ありがとうございます。

>「自分に原因がある」ということを100%認められないんじゃないでしょうか?それが今あなたが直面してる壁、なのではないでしょうか?

どういうことでしょうか?現時点の自分を受け入れたとき、何がどうなって壁を乗り越えられるのでしょうか?自分に原因があるというのを100%認めて、今よりひどい精神状態にはならないですかね?

>あなたが、自分には無理だと思って別の就職を探そうと決意したことも、あなたという人間の資質を知るための大きな手がかりです。

こんな考え方もあるのかと素晴らしいと思いましたが、僕はその前の有名シンガーの裏話を聞いてまたオーディションに受けてみようかとも思いました。果たして自分はここまでバカになれていたのか、どこか手を抜いていたんじゃないかと。過去を振り返ってしまいました。

投稿日時 - 2005-11-27 03:59:19

ANo.14

ちょと気になったので
僕は人と比較もしますが、自分の物差しも持っているつもりです。自分の物差しで測った結果が今の状態で、何をやってもうまくいかないからダメ男なんです。

まず比較しないください。なが~い人生の中で考えてごらん。
 まず順序、方法、時、知識、誰に聞き、誰が判断したのか?そしてあなたの持っているいいものを使いしたか?人はそれぞれ向き不向きというものがあります
この向き不向きというのも隠れていて探さなければ行けないものもあります。

人生ながーいもの、すぐに結果をださないでね
ゆきずまっているときは自分の過去から判断する時
過去の経験過去のやりかた、過去から通した評価
価値観を変えてみるのも方法です。

何をやってもうまくいかないから・・・
結果を追い求めるからじゃないからかな?
やりかたや土台がわるければいい結果はでない。
動機が悪いとまたでないもの、やるべきものを追わないで別のことを追い求めても結果は出ません

昔の価値観を捨てましょう。昔の古い計算機を捨てましょう。一度大きな本屋に行って探してください。成功者から学びましょう。成功者てなんでしょうかね。

間違っていたと理解できただけでも価値があるよね
考え方を変えればまた別のものが見えてきますね

投稿日時 - 2005-11-26 13:32:31

お礼

ご回答ありがとうございます。

>結果を追い求めるからじゃないからかな?

そうです。今はとにかく結果がほしいです。就活にしろ恋愛にしろ、目に見えた結果さえ手に入れれば自分が変わると思うんです。せめて心の支えになる人ができれば、こんな苦悩は味わうことなかったのかもしれません。今は本当に強い孤独感を感じてますから

投稿日時 - 2005-11-27 03:42:16

ANo.13

あなたはミュージシャンを目指している、しかし、何をやってもうまくいかない。自信がない。興味が薄れる。絶望的だ。
こういう流れですね。それでどうしたら良いか?Howですね。興味というのはご自身の気持ちのありかたですから飲みたくない水を飲ませることは出来ません。が、自信をもつ方法はあります。それは人のやらないことを学ぶこと。ミュージシャンであれば人前で拍手をもらうことです。拍手ほど自信がつくものはありません。ではどうしたら人前で拍手をもらえるか?
簡単です。同業者が少ない楽器をマスターすることです。
はっきりいってギター、ボーカル、ドラムなどは山ほどいます。ピアノ、バイオリンもそうです。サックスも多いです。最近は三味線までメジャーになってきました。でも、人の知らない、あるいは知っていても見たことのない楽器と言うのはたくさんあります。そのような楽器は演奏者がすくないため一般聴衆は上手いか下手か判断が出来ません。しかし、インパクトがあれば拍手がもらえます。
私の場合、バグパイプです。習って1年目のときある会場で
吹いたら思いがけない拍手、それがきっかけになりました。自信がつきさらにもっと上手く演奏しようと努力をし、自分から場所を探して演奏をします。するとまた拍手やアンコールやリクエストがかかり・・と良いスパイラルになりました。バグパイプは男がスカートをはき、ファッショナブル、映画などで見たことがあっても実際に聞くのは初めて、しかも文化的にもトラディショナルという幾つかの良い条件が重なっています。初めての時、同じ会場には何年も活動しているロックバンドもたくさんいましたが、彼らよりももらった拍手は大きいものでした。
 つまり、同業者が多いとその中ではうずもれてしまうのでいわゆる「すき間産業」的な事をしたほうが注目を引く。そしてアーティストと言うものは人と同じでは存在価値をみられません。楽器でいえば、テルミン、びわ、ミュージックソー、アイリッシュバグパイプ、ハーディ・ガーディ、グラスハーモニカなどあります。私が知っているのは民族楽器系ですからあなたの興味対象外かもしれませんが、欧米のバンドは民族楽器を取り入れて今風のバンド活動をしているグループもおおいですよ。

投稿日時 - 2005-11-26 01:29:43

お礼

ご回答ありがとうございます。

同業者の少ない楽器ですか?人に知られていない楽器ということは、その楽器を教える先生もなければ、教則本などもなく、自分自身もその楽器についての知識や技術が乏しくなるということですよね。そんなことで、自分流の努力をしただけで、人に感動を与えられるほど音楽って簡単なものなのでしょうか?それに民族楽器等を悪く言うわけではありませんが、一度自分の愛した楽器を「自信を持てるように」という思いのために手放したくありません。「自分にはこれ」と、強く愛した楽器ですから。

投稿日時 - 2005-11-27 03:16:26

ANo.12

NO.3です。

>当てはまる項目がいくつもあり、余裕で1ヶ月以上それが続いてますね。

それならば、病院に行くのが一番にするべきことじゃないでしょうか。
あれこれ考えたり、悩んだり、頑張ったりするのはとりあえず後回しにして、病院に行ってください。
それが一番合理的で、一番早い解決方法だと思います。


>頼れる人がいないんです。友人とはほとんど連絡を取り合わなくなりましたし、質問で述べたように恋人もいません。身内の人間も色々不幸などがあったりしてますし・・・

でも、全くいない訳ではないですよね。それに、頼るのは知り合いでなくても良いと思います。病院の先生に相談したって良いんですし。
それとなんだか、『頼れる人がいない』のではなく、あなた自身が『頼りたくない』と思っているのでは?と感じました。


まあまずは病院に行くことです。
心療内科だと、専門医でない内科の医師が担当してるケースもありますので、精神科に行くことをお勧めします。

投稿日時 - 2005-11-26 00:51:13

お礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね、病院に行くことも検討してみます。

>『頼れる人がいない』のではなく、あなた自身が『頼りたくない』と思っているのでは?と感じました

そうかも知れません。身内の人間にはこんなことで今以上の精神的負担をかけたくありませんし、友人は信頼できません。友人には以前にちょっとしたことで相談したことがありますが、「まぁなんとかなるよ」とか「まぁ大丈夫なんじゃん?」みたいな適当な答えを返され、真剣に考えてくれてないなと強く思いました。

投稿日時 - 2005-11-27 02:56:50

ANo.11

「何をやってもうまくいかない」
これは若い質問者様だけでなく、老いも若きも誰でも
一度は感じた事のある感情だと思います。
その渦中にいると辛いですよね・・
「誰からも必要とされない」なんて感じているかもしれません。

私もそれ位の年齢の時、「死にたい」なんてよく思ったり
しました。
何をやってもうまくいかないし、「私なんてなんで生まれてきたんだろう・・」って真剣に悩んだりしました。

何か事あることに問題に目を背け「私ばっかり」が口癖
でした^^;
今でこそわかるのですが、いわゆる「無価値感」ですね。
大学生なら今丁度就職活動やらそして仲間内での恋愛話・・本来今でこそ輝いていないといけないジャンルが
なぜか、影を落としてしまう・・

ここで質問ですが、今まで歩んできた人生の中でご両親との関係はどうでしたか?
友達関係でギクシャクした事はなかったですか?
就職活動中家族はなんて声をかけてきましたか?
一見、何の関係もないことのようですが、実はメチャクチャ関係します。

家族や周りの環境は現在のあなたを作り上げたからです。
「それなら昔から感じるだろう」と思うかも知れません。
でも、人間には理性もあるし、常識というのもあります。
無意識の内に自分で押さえつけ、感じなくさせてしまう事もあるのです。
その押さえつけていた感情がある日突然、吹き出物のように突出してきます。
今その渦中にあるような気がします。

後、「無価値感」ですが、これを克服する方法はいくらでもありますよ。
早い話、自分の価値やプライドを高める事をすれば良いです。(^^)
「自分は必要とされている」と思うにはボランティアなどを積極的に取り込んではどうでしょうか?
体を使い、汗を流すことで余計な考えも起こりにくいと思います。
そして、よくこういうサイトを見たり利用するのであれば、なんでもいいから自分の答えられそうな回答をみつけ
お友達になったつもりで答えてあげましょう。
カッコつけなくていいです、下手な文章でもいいんです
(自分を慰めている訳じゃないいんですが^^;)
そして回答が返ってきたときすごくうれしい。

そのうれしさが質問者様の自信になりますよ(^^)
何か大それた大きな希望や理想をあえてもたなくても、
小さなことでもいいから自分を見出せる環境づくりが今、
大事な事じゃないかななんて思います。
生意気な事を申しましたが、少しでもお役に立てたらと
願わずにいられません。

投稿日時 - 2005-11-26 00:48:27

お礼

ご回答ありがとうございます。

>「誰からも必要とされない」なんて感じているかもしれません

まさにその通りですね。気づけば自分を必要としてくれる恋人や仕事場を探してました。誰でもいいから自分を必要としてほしいんです。最近は孤独感がものすごくて、どこに行っても一人ぼっちのような、どうしようもない寂しさが付きまといます。

>後、「無価値感」ですが、これを克服する方法はいくらでもありますよ

そうですね、色々試してみたいと思います。今は時間的余裕はあまりないですが、できることからやってみたいと思います。

投稿日時 - 2005-11-26 01:26:24

ANo.10

僕は今大学4年生なのですが、最近は毎日「生きていたくない」とばかり考えています。そう思うのには理由があります。

まず、何をやってもうまくいかないのです。今は就職活動中なのですが、全くうまくいきません。色々とスキルアップを試みても、いっこうに効果が表れません。恋愛もうまくいかず、22年間で女性とお付き合いをしたことがありません。そして交通事故に遭ったり、悪質な業者に騙されたりと、過去を振り返れば不運なことばかりです。

また、前に楽しめたことが楽しめなくなりました。前は音楽が好きでバンドとかをやっていたのですが、今はそれほど楽しめなくなりました。ギターを毎日弾くほどだったのに、最近はギターを触るのが面倒になりました。それはいけないと思い、他に興味のあることに手を出したりしたのですが、まるで自分が自分じゃないみたいに熱中できないのです(以前僕は興味のあることにはすぐ熱中してしまっていたんです)。友人とのコミュニケーションも少なくなり、一人で過ごす時間ばかりになりました。

生きていてもちっとも楽しくありません。いいことなんて何もありません。いったい何のために生きているのか考えてしまいます。やらなきゃいけないこと、前は普通にできていたこと、みんな億劫に感じます。そして自分にはいいところなんて何もないダメ男だと思うようになり、毎日心が絶望感みたいなもので支配されています。何をやってもうまくいく気がしません。

自殺も考えたことはあるのですが、考えていたら親の顔が浮かんで、一人泣いてしまいました。そして自分の夢のことも考えてしまいました。生きていたくないと強く思う一方で、心のどこかでは生きることを望んでいるのかもしれません。

僕はどうしたらいいのでしょうか?絶望感に満ち、何も楽しめなくなった今、なんのために生きていけばいいのでしょうか?または生きていくべきではないのでしょうか?


↑自分で自分の質問を読んでみてどうですか。客観視してみてください。これだけ暗いことばかり考えてたら、生きるのが辛くて当たり前だと思います。それがわかったら、なぜ暗いことばかり考えるのか、どうしてそう思うのか考えて、紙に書き出してみてください。そして、それに反対する考えを横に書いてみてください。すると、少し気が楽になります。認知療法ってやつです。認知療法で検索すれば、たくさんヒットしますよ。

投稿日時 - 2005-11-26 00:38:59

お礼

ご回答ありがとうございます。

認知療法ですか、聞いたことはありますね。どういったものかは知りませんでしたが、少しでも気が楽になるのであればやってみようと思います。

投稿日時 - 2005-11-27 02:47:34

ANo.9

何をやっても上手く往かない時は誰しも有ります。
そんな時は やはり落ち込みます。何をするのも嫌になります。しかし、あなたは違います。この場で皆さんと話をする力が残っています。それに答えてくれる仲間が居るじゃないですか。
人はなぜ生きているのでしょうか。生を全うしなければいけないのでしょうか?
それは、人は生かされているからではないでしょうか。と言うことはこの社会で、あなたでなければ出来ないことが必ずあるはずです。それが何かを探す楽しみを持てませんか?。
あなたに比べて、自分の過去はもっと惨めだったかもしれません。
その時に友達が誘ってくれました。「お前より辛い思いをしている人が一杯居る。甘ったれんじゃない」と言って連れて行かれたのが施設の慰問でした。それが現在の糧になっています。
自分がしなければいけない事、するべき事が必ず有ります。それを見つけましょう。
内に篭ると気が滅入ります。姿勢も悪くなります。
まず、背筋を伸ばして姿勢を正しましょう。そして外に出ましょう。
次に腹式呼吸をしましょう。
腹式呼吸は脳内神経伝達物質のセロトニン神経が刺激されセロトニンの分泌が増します。
セロトニンは安定したリラックスをもたらします。
物事を冷静に考える力を与えてくれます。更に鬱や引きこもりを抑制してくれます。
腹式呼吸も難しく考えることは有りません。
口をあけて、横隔膜を上下させて下さい。空気が出たり入ったりするのが判ると思います。その時、下腹部の前だけでなく、横も後ろも広がっているはずです。これが腹式呼吸です。
1・・残っている息をゆっくり吐きます。(口で)
2・・横隔膜を下げ1~2秒で息を入れます。(鼻で)吸うのではなく入る
3・・2秒間、横隔膜を下へ押し付けて静止。
4・・横隔膜を下へ押し付けたまま8秒かけてゆっくりと吐きます。(口で)吐き出すのではなく押し出す
これの繰り返しです。
腹式呼吸を20分も続けるとセロトニンが20%も増加します。更に横隔膜を上下するので、胃や腸の働きが活発になり消化吸収がよくなります。
1日1回でも2回でも良いです、お腹を抱えて思いっきり笑いましょう。(腹式発声)
これで少しは気持ちが落ち着くはずです。
また書き込めば良いじゃないですか。
仲間が一杯居ます。一人で悩まないで下さい。

投稿日時 - 2005-11-26 00:17:11

お礼

ご回答ありがとうございます。

腹式呼吸ですか。僕はギターのほかにヴォーカルもやってるんで、歌うときはいつも腹式呼吸を行ってますが…。意外な効果があるんですね。

>あなたでなければ出来ないことが必ずあるはずです。

それはなんとなく感じているんです。僕の中の何かが「自分はこんなとこで立ち止まっている場合じゃない」と言っているような、漠然としてますが何かを感じるんです。でも何をどうすればいいのか・・・。まずはやはり気持ちを落ち着かせるべきなのでしょうか?

投稿日時 - 2005-11-26 01:13:10

ANo.8

こんばんは^-^。
質問者様はギターをしているのですね?それならばそれを追求していき、人に何かを与えられる存在になれば楽しみの枠が増えると思いません? 

 音楽が好きというのは素晴らしい感性をお持ちだと思います。どうかそれを誇りに思えるくらいまで技術を磨けば質問者様のお悩みも無くなっていくと思います。

 少しずつ前に進みましょう!今あるギターの技術を無くさないようにしてください。 人様に貢献できる素晴らしい個性ですよ!

投稿日時 - 2005-11-25 19:59:20

お礼

ご回答ありがとうございます。

僕はギターとヴォーカルをやってるんですが、それを追求して人に何かを与えられるようになれたら、そんな幸せなことはないですね。…というのもそれが僕の夢ですから。ミュージシャンになって、人に興奮や感動を与え、なおかつチャリティーライブ等を行って人の助けになることもできたら最高の人生でしょうね。でもオーディションには落ちましたし、努力をいくらしようとも一向に上達しません。才能も運もないんです。所詮自分には無理だと思って就活してるんですけど、それもうまくいかず…。毎日タメ息です。

投稿日時 - 2005-11-26 01:00:11

ANo.7

「原因と結果の法則」ジェームズ・アレンを読んでみてください。
他にもアレン名義の本は、多数、出版されていますので、一読ください。(図書館で)
バイブルとして持っていても良いと思いますが。。。。

これは、仏教の因果説のことです。

この宇宙は、全部!、原因があって結果があるという普遍の真理で出来ていて、それは、私たちの心の領域をも占めているという内容です。

ためしに、この30分間の、ご自分の行動を振り返ってみてください。
または、これからやろうとすることを、注意深く、観察してみてください。
100%、想ったとおりの行動をしていることに気づくと想います。
逆に言うと、想わなかったことは、絶対にしていないんです。


これは、言い換えれば、
私たちは<想ったとおりの人間に成っている>ということでもあるんです。
<想い通りに生きている> <想ったとおりの自分に成っている>・・んです。

「人生が上手くいかない」「想うようにいかない」・・・ということは、絶対にありえないんです。
上手くいかないようにしているから上手くいかないんです。
想っていないから、想ったように成らないんです。

腕を頭上にあげて、目の前のモノを取ろうとしているんです。
めちゃくちゃなことをやっているから、めちゃくちゃな結果が出るだけなんです。
原因があって、結果があるんです。
原因がないところには、絶対に結果もないんです。
これは、宇宙の真理です。

で、仏教では「無明」と言って、私たちは、自分の愚かさに気づいていないというんです。
本気で腕を上にあげて、目の前のモノを取れると想っているんです。

なんでかというと、自分の心に無知なんです。
日頃、自分が何を考えているか? に全く気づいていないんです。
自分の中に原因を抱えているのに、それに気づいていないんです。
で、結果だけを操作しようとするんです。

ですから、まずは、自分は駄目であると認めてしまうことです。
自分の心に間違った原因があるから、間違った結果に繋がっていると割り切るべきなんです。
そうして、自分の心をチェックして、正しい方向に向けていくべきなんです。

仏教には「気づきの瞑想(ヴィパッサナー瞑想)」というのもあります。
ジェームズアレンもやっていたみたいです。

是非、読んで、瞑想も勉強してみてください。
心を正せば、必然的に、人生も正されます。

投稿日時 - 2005-11-25 19:24:30

お礼

ご回答ありがとうございます。

おっしゃることはわかるような、わからないような感じですね。一応自分なりに、自分には何が足りないのかを考え、足りないものを補うために努力をしているつもりなのですが。

自分がダメであるとはすでに認めていますし、自分の心に間違った原因があるのは確かだと思います。でもそれは辛い過去が作り上げたものです。正しい方向に持っていくのは並大抵のことではありません。

投稿日時 - 2005-11-25 20:53:51

ANo.6

質問者さんの気持ちよく分かります。
自分も何で今生きているんだろう。
自分も生きている価値があるのだろうかと自問自答している毎日です。
自分も大学生ですが、時間がある分いろいろ余計な事を考える時間も高校の時に比べて断然多くなりましたね。自分もこの先自分にはいいことなんてないんではと考えていたんですごい共感のある質問にあえて驚いています。
自分も一時期本当に精神的にきつくなっていろいろ調べたのですが、まずカウンセラーについて現実は自分にあうカウンセラーにあうのに時間がかかるらしいですね。だから何件も回らなくてはいけないこともあるらしいです。ですが、本当にやばい人はそれでも行った方が自分のためになるらしいですね。
ここの回答を見たのですが、fufu01さんの回答に紹介されているサイトにこのように専門の人にメールで相談できるのがあるので専門の人にいろいろ聞いた方がためになるかもしれません。
メールなので気軽ですしね。
そして自分なりの意見ですが、もう一年頑張ってみたらどうでしょうか?
もしかしたら環境が変わってどうなるかわからないと
思うんですが。
人生なんてどうなるかわかりませんよ。
それからまたどうにもならなかったらまたここに相談すればいいと思います。
何かすらの可能性がある限りは頑張ってみる価値はあると思います。

投稿日時 - 2005-11-25 18:53:40

お礼

ご回答ありがとうございます。

カウンセラーは一応検討はしているのですが、自分は人と話すのが苦手なので…。それに加え何件も回らなくてはいけないこともあってはしんどいですね。今以上に自分に何かしらの負担をかけるのは良くないと思いますし。でもメールなら相談しやすいですね。

>もう一年頑張ってみたらどうでしょうか

頑張れたら頑張ってみます。こうも何もかもうまくいかないと、また頑張りが無駄になるのではないかと思ってしまうんです。

投稿日時 - 2005-11-25 20:41:21

ANo.5

昨日あったアンケートです↓
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1800580

多分camcamさんは「評価されたい」のではと思います。
高校までは点数がよければそれなりのステイタスが与えられましたが、大学生社会人となると、人柄や気配り等、生きるすべを知った人がうまく立ち回り始めます。

私は逆に「一人の方が楽」なので、一人で旅をし、一人でおいしいものを食べ、自己完結的に満足しています。
人から何を言われても、自分を信じて生きています。

人と比較するから「自分はダメ」「絶望」になるので、自分の物差しを持てば良いと思います。

心の病気かどうかは、医者に行って聞きましょう。
ここにいる回答者は医者やカウンセラーではありません^^。
応援しています。

投稿日時 - 2005-11-25 17:53:41

お礼

ご回答ありがとうございます。

>多分camcamさんは「評価されたい」のではと思います

そうですね。評価されたいというか認められたいというか、そういうものはありますね。努力はしているつもりなんですけど、形としてそれは報われてないですし、人から評価されることなどありません。
バンドやるにしても、僕は努力して質の高いライブにしたいと思うんですけど、周りの人間は僕の努力を認めることなどありませんし、「なにそんなに頑張っちゃってるの?」みたいな目で見られます。周りの人間はライブの質云々より、自分達が楽しめればいいみたいで…。周りはそんな人間ばかりですからどんどん孤独になってしまいました。

>人と比較するから「自分はダメ」「絶望」になるので、自分の物差しを持てば良いと思います

僕は人と比較もしますが、自分の物差しも持っているつもりです。自分の物差しで測った結果が今の状態で、何をやってもうまくいかないからダメ男なんです。

投稿日時 - 2005-11-25 19:03:37

ANo.4

大学生活最後の年で、一生懸命頑張っているのに就職活動を初め何をやってもうまくいかないので、人生がつまらなく感じていらっしゃるのでしょうか。

以前なら興味のあることに熱中して楽しめたのに、それもできない状態になり、とてもつらい思いをされていらっしゃって今は毎日大変なのだろうな、それでもしっかり生きていらっしゃるcamcamさんは、真面目な方なのだろうなと推測されますがいかがでしょうか。

大変な状況でお疲れの今は、一人で多くのことを悩まれると気持ちの整理がつかない状況になるように感じています。

プロのカウンセラーに現在のお気持ちを話されてみるのはいかがでしょうか。なやみやつらいことを口にだすことによって、気持ちも整理されるし楽になることもあります(カタルシス効果といいますが)。

プロのカウンセラーがいいのは、守秘義務があるので話すことが他人に漏れることがないこと、プロですから何を話しても良いこと、訓練しているので話をきちんと聞いてくれること、がメリットです。中の良い友人に話すのもいいですが、なかなか自分の思うことだけ話すのは難しいです。

相談先のひとつに精神保健福祉センターがあります。気が向いたら検討してみてください。

参考URL:http://www.pref.nagano.jp/xeisei/withyou/list/list-mhwc_jp.htm

投稿日時 - 2005-11-25 17:45:45

お礼

ご回答ありがとうございます。

プロのカウンセラーですか・・・。僕の周りには今の状況を相談できる人間がいないので、検討してみたいと思います。

>真面目な方なのだろうなと推測されますがいかがでしょうか

僕は真面目ではありません。色んなことが億劫になり、やるべきことも満足にこなせていない状況ですから。

投稿日時 - 2005-11-25 18:38:16

ANo.3

はっきりしたことは言えませんが、もしかしたら軽いうつ状態なのではないでしょうか。

>前に楽しめたことが楽しめなくなりました。

うつの症状の例です↓

・物事に対する興味を失う。また、「喜び」の感情を失う。
・悲観的になる。また、不安な気持ち、イライラする気持ちがある。
・自分を責める気持ちが強くなる。
・集中力がなくなる。日常的な仕事をこなすのが億劫になる。
・優柔不断になる。些細なことも、決断できなくなる。
・体重減少(または増加)がある。
・睡眠障害(寝付きが悪い、夜中・明け方に目が覚めて、それきり眠れない)がある。
・現状から早く抜け出さなければという、焦りの気持ちがある。
・1日のうちで、気分の比較的良い時と悪い時とがある(気分に日内変動がある)。
・性欲が減退する。
・自分には生きている価値がないと考える。自殺念慮・自殺企図がある。
・涙もろくなる。自分は孤独であると感じる。
・妄想がある。
・生きるか死ぬか、仕事を続けるか退職するかなど、白黒どちらかに決めなければ気が済まない(休養する、休職するなどの選択肢では納得できない)。

こういった症状が、目安としては1ヶ月続くと、うつの疑いがあります。
うつ、と言っても、こういう世の中ですから、驚くことはないですよ。風邪をひいたら誰でも病院に行きますよね? それと同じです。誰でもかかる病気です。
もし、上記のような症状があるようでしたら、1ヶ月を待たず、お早めに病院に行かれると良いと思います。
ひとりで悩むより、楽になると思います。



それと、私は今24歳ですが、同い年で、24年間恋人がいない人も周りに結構います。
現在就職活動中ということですが、質問者様と同じような悩みを抱えていた友人が、何とか就職が決まり、仕事をしていくうちに自分に自信がついたのか、今は少し余裕が出て来た様子です。今も彼女は出来ていませんが、前ほどの焦りはないようです。
質問者様は、まだお若いです。もっと長い目で人生を見てみては如何でしょうか。長い人生、何をやっても駄目な時期もあるでしょう。でも、それがずっと続くわけではありません。


『死ぬ気になれば何でも出来る』などきれいごとを言うつもりはありません。
自殺してしまう人は、そう思えないほどに追い詰められて死んでしまうのですから。
でもそれにはまだ早いんじゃないでしょうか?
質問者様もよく解っておいでのようですが、自殺で遺された者は、本当に、本当に傷つきます。
私は父を自殺で亡くしました。
お辛いでしょうけれど、自殺を考える前に、もっと周りの人を頼っても良いと思います。

投稿日時 - 2005-11-25 17:36:37

お礼

ご回答ありがとうございます。

欝ですか…。なんとなくそうなのではないかと感じていましたが・・・。当てはまる項目がいくつもあり、余裕で1ヶ月以上それが続いてますね。

>長い人生、何をやっても駄目な時期もあるでしょう。でも、それがずっと続くわけではありません。

これからずっと、いつまでも何をやってもうまくいかない気がするんです。

>お辛いでしょうけれど、自殺を考える前に、もっと周りの人を頼っても良いと思います。

頼れる人がいないんです。友人とはほとんど連絡を取り合わなくなりましたし、質問で述べたように恋人もいません。身内の人間も色々不幸などがあったりしてますし・・・

投稿日時 - 2005-11-25 18:26:18

ANo.2

本当に22年間生きてきて楽しいことはなかったんですか?
わたしも同い年で失業中ですが、なんだかんだで楽しいです。

死のうと思えばいつでも死ねます。この世には生きていたくても生きられない人はいっぱいいるんですよ?
そんなに簡単に死んだら親にも申し訳ないのはわかってるんでしょ?笑ってなきゃ申し訳ない!!!

すごく偉そうですが、死んだらあなたは開放されるかもしれないけど、親や家族は一生苦しむんです。
なにかあったらまた書きこめば良いじゃないの?!誰か聞いてくれるよ!!

投稿日時 - 2005-11-25 17:18:18

お礼

回答ありがとうございます。

22年間生きてきて楽しいことですか?強いて言えば高校時代ですかね。土日祝日も休み無しで部活に励み、今とは比べ物にならないくらい充実してましたね。でもそれ以降は全く楽しいことはなかったですね。

死んだら親に申し訳ないのはわかってます。でもやっぱり生きていたくはないんです

投稿日時 - 2005-11-25 18:12:52

ANo.1

 死んだって何も変わらないし、それはアナタが人生に負けた事になるんです。

 自殺をすると人は地獄に落ちるそうです。私たちが今生きている世界は天国に行くための修行の場だそうです。宗教的な事を言ってすみません。でも僕はこの言葉を信じているんで書かせてもらいました。

 「何のために生きているか分からない」1度は捨てようと思った人生ならば生きたいと思っている人のために何かをしてあげるのはどうですか?世界中には困っている人がいくらでもいます。そうゆう仕事に就けばあなたも生きているとゆう実感がわくんじゃないでしょうか。これは1つの提案なので考えてみてください。

 長くなってしまってすみません。アナタは生きていくべき人間ですよ

投稿日時 - 2005-11-25 17:17:48

お礼

早速の回答ありごとうございます。

困っている人を助けたりする仕事をしてみたいと考えてみたことはあります。ただ会社に行って机に向かい、与えられた仕事をこなして帰るだけよりかは、人のためになるような仕事をしたほうが生きている実感はわくかもしれないですよね。でも自分なんかにそんな仕事が務まるかなぁと思いまして・・・。

投稿日時 - 2005-11-25 17:57:02

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