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解決済みの質問

昔の日本料理は?(チャングムを見て思ったんですが。。)

最近、チャングムを見だして、料理の作り方を見ていて興味深いなあと ハマッテイルものです。 実際に韓国に行ったことはないのですが、今の韓国料理のイメージとドラマで再現されている料理とは違うように思えます。 いまでも、真似したら美味しい料理がつくれないかしらん?と想像してしまいます。 
 それなら、日本の料理はどんなものがあったんだろ?と考えました。 (いまでも美味しく食べられているものもあるでしょうが。。) どんなものを食べていたんでしょうか?

投稿日時 - 2005-12-07 00:07:14

QNo.1824119

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

今の「日本料理」と昔の「日本の料理」にはいくつか大きな違いがあると思っています。
まず、食材です。「新鮮な食材・・」と言いますが、実際には近代までは新鮮な食材をそのまま使える事は希だったと思います。保存方法や輸送手段の問題です。内陸で海の魚を食べるには、塩蔵か干物しかありません。野菜も地元でその時期に取れる物だけで、あとは貯蔵した物ばかりです。
調味料の使い方も違っています。今の日本料理は砂糖をたくさん使いますが、江戸時代まで、普通の料理にはほとんど砂糖は使えませんでした。甘味は食材のものか、水飴や味醂ぐらい。味噌醤油は使えますが、ポン酢とか、これらの派生製品は、その都度自分で度作る必要がありました。油も庶民には高価で・・・
調理器具も限られています。熱源の問題もあります。家庭では、焼くと煮るが主で、蒸すことはあまりなかったようです。
冷蔵ができませんから、毎食で食べ切るか、くり返し火を入れて保たせる。

この条件で、今日の「京料理」とか考えてみてください。ずいぶん違った姿になりませんか。味付けや調理法は精進料理に近いかもしれませんね。これに、保存した食材を使った料理。
今日では、ある意味で贅沢な料理かもしれません。濃い豆乳で作った豆腐(凝固剤が無い!)に、生の醤油(加熱してピン詰めにできない!)をかけて・・・
寒風で干した切り干し大根と、いろりの残り火でゆっくり炊いた豆を薄味で・・・
小芋を塩味だけで、弱火で半日かけて炊いてみてください。甘いですよ。ユズの皮でもきざんで載せれば絶品。砂糖の甘味でのごまかしが利きませんから、調理や素材の組み合わせ方が工夫のしどころです。さらに、新鮮な菜葉や香味野菜をうまく使って変化を付ける。手間と知恵が要ります。その余裕が無ければ(実際は無いのが普通)塩振って焼くか煮るか。

塩して若狭から山を越えて運ばれたサバ、カチカチに干して廻船で運ばれたニシン、塩と米糠で漬けられた北陸のイワシ・・・・ こういった苦し紛れのような方法で貯蔵・運搬した食材をいろいろ工夫して無駄なくおいしく食べるには、いろいろな工夫があったようです。いくつかはその名残が残っていますが、今日ではたいへん高価な料理になってしまっていますね。食材を作る手間も、調理する手間も・・・・ 私は、京都の市場で売られていたニシン見た時びっくりしました。北海道の人はこんな油焼けするほど干せたのは食べない。でも、これを戻して油抜いてゆっくり炊くと・・・・

北国では、冬の食料を半年かけて貯蔵します。私の田舎では、昔は春の筍やフキから始まって、いろいろな物を漬けました。これらは貧しく苦しい生活の象徴のように言われますが、生きる知恵でもありましたし、それを使う工夫もありしまた。今は誰も漬けません。冬もスーパーへ買い物に行きますから。
ドングリなど、よくこんな物を食ったなあと想うな物もあります。食べるには手間もかかります。栃餅などに名残はありますが・・・ 昔の人はどんな気持ちで食べていたのか。昔の味はどんなだったのか。

投稿日時 - 2005-12-07 16:14:46

お礼

回答ありがとうございます。

例を挙げて頂いたので、わかりやすかったです。
(料理を想像していると、おなかがすいてきますね。)
それにしても、今の時代からすると昔の生活はいろいろ手間がかかる生活だったんですね。
でも、食べ物や生活形式は結果的には健康になるものかもしれませんね。

投稿日時 - 2005-12-10 19:54:18

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回答(3)

ANo.3

昔の食生活はとても健康的とはいえないでしょう。
 江戸期を例にとると、いわゆる江戸っ子の人骨は、反っ歯で身長も他の時代に比べて低い。また脚気が江戸では大流行します。その理由は白米です。
 日本の「飯(めし)」は一般的に米に麦・粟・稗・黍などを混ぜた雑穀で、白米は「ハレの日」の食べ物でした。しかし、江戸では毎日のように白米を食べる。現代のように多彩な副食がないので、大量の飯で空腹を満たしますから、雑穀と白米では栄養価の違いは歴然でしょう。だから脚気が「江戸患い」とも呼ばれました。
 明治時代に日本海軍の高木兼寛軍医が麦飯・肉中心の食事を実施したところ、兵士の脚気が激減しました。もっとも「毎日、白米が食えると思って入隊したのに!」と兵士が暴動を起こしかねないとの判断から軍全体での麦飯支給案は見送られましたが…。 それだけ「毎日、白米を食べる」というのは贅沢だったのですね。日本全体で白米食が一般化したのは昭和30年代になってからです。

 また日本全体で見回しても、低蛋白・低脂肪の食事は乳幼児や若年層の死亡率の一要因(栄養不良から結核が流行しました)であり、さらには保存のためと、大量の飯を食べるために塩分過多の食事になりがちです。現代人の死亡原因の上位が癌なのは、癌になるまで長生きできるようになったからです。子供・若者の栄養不良から来る死亡率の高さから、成長を祝う信仰・祭事・儀式の多様化へとつながりました。
 よく「健康のために日本の伝統食を見直そう」という記事・特集が見ることがありますが、その伝統食の内実は昭和30年代中期の食事内容に過ぎないのはよくあることです ^^;)

投稿日時 - 2005-12-18 12:40:06

お礼

はー。そうですね。
その伝統食の内実...
書き込まれている内容を見て、考えてみると、今(の日本)ほど飽食になったのは、ここ数十年(より短い期間でしょうか)ですね。

また脚気が江戸では大流行します。その理由は白米です。/麦飯・肉中心の食事を実施したところ、兵士の脚気が激減しました。
→そんなことがあったんですね。

投稿日時 - 2005-12-18 22:16:52

ANo.1

日本料理の基本は一汁三菜とか二汁五菜といわれるように汁と菜があります。
二汁五菜の場合は、味噌汁とすまし汁、菜は生もの(膾)、焼きもの、煮物、蒸しもの、あえもので、それに香のものを添えるのが基本的な構成です。
材料はしゅんのものを中心に、海のもの、山のもの、川のもの、野のもの、里のものをまんべんなく使いました。獣肉についてはほとんど使われませんでした。
もちろん、この二汁五菜というのは将軍・大名などの身分の高い武士や、もてなしの時などで通常はもっと汁や菜が少ないのが普通です。

投稿日時 - 2005-12-07 05:51:05

お礼

回答ありがとうございました。

一汁三菜は耳にしたことがありましたが、二汁五菜とは初耳です。(豪華な食事ですね。)
「獣肉についてはほとんど使われませんでした」:今からすると生活習慣病など起こりにくかったんでしょうね。(他の病気はあったでしょうが。。)

投稿日時 - 2005-12-10 19:59:04

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