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解決済みの質問

日露戦争後~東京裁判までの歴史に詳しいかた、お教え願います

・歴史の授業が薄っぺらだったので、お教え願います。

・日露戦争、日韓併合の後、日本は大東亜戦争(太平洋戦争)を起こしています。
 日韓併合時に伊藤博文首相を朝鮮人に暗殺された後も、武力を用いず社会的には、朝鮮人と日本人には、同じ権利を与えられました。そして日本の資金投入で朝鮮の近代化に貢献しました。
 樺太地域については何も知りませんが、ロシアの民が日本兵から大きな被害を受けた話は、聞いた事がありません。
 この時点で日本は充分な領地を得たと思うのですが、何故更に大東亜戦争を起こしたのでしょうか?
 日本軍の驕りも有ったと思います。しかし軍上層部の一部には反対派もいたと聞きます。

『質問』
(1)日本を大東亜戦争に起こさせた事件・圧力などは無かったのでしょうか?
(2)もしも日本が大東亜戦争を起こさなかったら、どんな現代になっていたと思いますか?

投稿日時 - 2006-02-17 20:17:27

QNo.1973017

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

まず、歴史的経緯から書きますね。
大東亜戦争の呼称は、1941年(昭和16年)12月10日の閣議決定「今次の対米英戦争及今後情勢の
推移に伴い生起することあるべき戦争は支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」により定められました。
なので、中国共産党軍が仕組んだ盧溝橋事件や沢山の日本人が犠牲となった通州事件なども事件で
あり、圧力でしょう。ちなみに関東軍は満州に侵略して居座ったのではありません。日本は日露戦争後、
ポーツマス条約で満州南部の鉄道及び領地の租借権、大韓帝国に対する排他的指導権などを獲得
します。
条約で鉄道保護のため1キロ当たり15名を超えない範囲で守備隊を置く権利が認められていました。
ちなみにこれで計算すると最大規模は 14,419名です(もちろん日清条約でも承認)。これが関東軍の
前身です。この後、日本の資本と移民が入植します(当時の朝鮮人含む)。
その後、満州の治安は極めて改善され、産業も活発になり、この土地を求めて中国から人が殺到します。
いつの時代でも、人は治安が悪く、税金が高い土地には命令されても住みません。満州の人口は辛亥
革命当時1,800万であったのが、満州事変の頃には3,000万に達したとの記録があります。その後、中国
向けに電力の供給なども始めますが、この供給量が全中国の8割にも上ります。かの毛沢東が「我々共
産党が全ての拠点を失っても東北部(満州)さえ手に入れればなにも困ることはない」といった発言をして
いるほど経済格差もあったのです。

ちなみに満州は中国から見ても外国です。
他の方が書いているように「日本にとっての北海道」との位置づけではありません。

万里の長城はご存じでしょう?この長城がなぜ出来たかもご存じですか?

そうです。これは中国が「北方の騎馬民族の侵略を防ぐため」に作ったもので元々「国境」です。
つまり、長城から北は「外国の蛮族の住む国」だったのです。
清朝は満州族(女真族)が明の後にその地を征服して作った国です。
つまり現在の中国にあたる国(当時の明)は北の満州人に征服され、漢民族は被征服民族だったのです。
だから孫文らが独立のために革命を起こすのです。

有名なところではキョンシーの格好やチャイナドレスは満州族の習俗です。漢民族のものではありません。

満州民族の故地である中国東北地区(満州)は、皇帝の故郷として保護され、漢民族の移住は強く
制限されていたが関東軍が治安を回復させてから中国人(漢民族)のあこがれの地になったのです。
ちなみに日本は先に書いた発電所など巨大なインフラを建設していますが、日本からの移民だけで作れ
るとお思いですか?
日本の資本は中国の流民(言語も違いコミュニケーションすら取れない、なので教育もできない)らに職を
与え、産業を興し、経済を活性化させました。もちろん地元民との協力の本にです。
日本が嫌われるようになったのはついこの前からです。勘違いされませんように。

治安の回復と経済発展と共に中国及び欧米にとって癪に障ることが発生します。
それは、自分たちの息のかかった馬賊・匪賊の類が追い出され、満州の権益に参加できなくなったのです。
彼らから見ると「日本による権益の独り占め」に見えます。どんなに日本が合法的に事を進めてもです。
さんざん他のアジア諸国で植民地を作って来たのに、黄色人種がまねをしたとたん、「許せん」となったのです。
そこから段々と嫌がらせが始まり、最後はハルノートです。
ちなみに、満州から南下して中国本土まで攻め入った、というのは後付で、元々満州に対する嫌がらせが
エスカレートし、馬賊・匪賊が満州内で暴れては南に逃げる、国民党軍も同様で「清国の持っていたもの
は我らのもの」との勝手な論理で攻めてくるわで、自国民保護のため掃討戦が拡大し、最後には、首都
を落とすまで終わらない、との判断で中国へ攻め入ったもので日本が侵略した訳ではありません。

中国人は目ざといので日本と協力して発展することよりも、さっさと欧米側についてしまいます。
これらが、(1)の質問に対する回答です。
参考になりました?
(2)は個人的な予想なので割愛させてください。

回答内に疑問点などありましたら追加で質問してください。

投稿日時 - 2006-02-21 03:46:56

お礼

 丁寧でかつ詳細な歴史経緯のご説明ありがとうございます。
 やはり日本の歴史教育に戦後規制がかかったままなのでしょうか?

投稿日時 - 2006-02-21 07:42:47

ANo.4

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回答(4)

ANo.3

No.1です。

>満州制圧による日本軍から中国人へ与えた影響は何でしょうか?

うーん。自分は政府の動きにばっかり目がいっていて、あまり当時の民衆の考えとか世論に詳しくないんですが、少なくとも満州国は表面上は「五族協和」という形で、みんな平等扱い。どの民族だから差別するとか奴隷化する、といったことはなかったはずです。
「五族」とは、日本民族、朝鮮民族、蒙古民族、漢民族、満州民族の5つです。

元々満州を制圧した言い分の1つに、「満州は中国ではない」という議論があったんです。
中国のほとんどは漢民族ですが、満州だけは違う民族が住んでいました。日本でいう北海道みたいなもんです。
プラス中国は泥沼の内戦中だった。
「どっちみち満州民族は漢民族のせいで自治権のある国作りができないじゃないか。だったら日本軍が協力してあげるよ」という名目もあって満州を侵攻したわけです。

例えていうなら、「日本が幕末期に、旧幕府軍と新政府軍に分かれて戦っているところに、ロシアが急に攻めてきて北海道を奪われた」という感じでしょうか。
しかもロシアは「奪ったわけじゃないよ。蝦夷国という名前で、アイヌの偉い人を皇帝にするし、あくまでロシアは協力しただけだよ」と主張するわけです。そして実質的な権限は全てロシア人が握ってしまう。
そりゃたまったもんじゃありません。

すみません。話がそれました。
そういうわけで、「満州人を含めた民族の協和」を目指していたわけで、まして満州人はその土地の元々の住人ですから、満州建国にあたって奴隷化も追放もされていないと思います。ただ石炭などの権益のほとんどを日本人が手にしてしまい、窮乏を強いられた、ということはあるかもしれません。
また漢民族の多くは反感を持ちながら傍観してたのではないでしょうか?
もっと詳しい方の回答を待ちたいところです。

投稿日時 - 2006-02-20 13:32:56

お礼

詳しいご回答恐れ入ります。
中国・韓国の反日感情を知りたくて質問しました。
やはり日本の義務教育レベルでは、知らない事が多いですね。

投稿日時 - 2006-02-20 16:22:58

ANo.2

朝鮮と満洲と台湾だけだったら、欧米とは戦争しなかったでしょうし、国民党とも中国共産党とも本格的に揉めることもなかったと思います。

華北地方や上海など長城の中に攻め込んだので、欧米が自分の利権が侵されると思って怒り、国民党や共産党も本気で戦うようになりました。

期待した満州地方の石炭の質が悪かったことと、満洲でやってることを目をそらそうとして上海事変を起こしました。
背後には満鉄がからんでいます。
関東軍+満鉄が独走してしまったのです。

ヒューザーやライブドアのような体質でした。

投稿日時 - 2006-02-18 09:32:53

お礼

予想以上に複雑な経緯ですね。
やはり背後に欧米の影が有ったのでしょうか。
東南アジア諸国は結果的に欧州の植民地支配から脱却したとも聞いています。
現在はODAの関係で東南アジア諸国は中国寄りですね(財源は日本からのような気がしますし、昨年まではNGOから日本に対するクレームだったので、支援先の政府に問題が有ったように思います)

投稿日時 - 2006-02-19 11:49:30

ANo.1

「この時点で日本は充分な領地を得た」
確かにその通りです。第一次世界大戦後には更に中国に21カ条要求を認めさせ、大きな権益を得ました。
しかし大戦後の好景気は底が浅かったので、反動不況が来たのです。
不況になっているところへ関東大震災が来て、経済は破綻しかかっていました。
そんなときに世界恐慌時の金解禁でかつてない不況に陥ります。
そうした時勢のせいで、「再び日本軍の活躍で好景気に戻してほしい」という期待感が高まり、関東軍が単独行動で満州を制圧してしまうのです。
そこから先はご存知の通りです。まとめてみましょう。
大戦景気
→その反動で不況
→ただでさえ苦しいのに関東大震災
→世界恐慌時の金解禁(良かれと思ってやったのが大失敗)
→大不況
→領土を増やせば国が富むぞ、という考えに
→満州制圧(同時に景気が良くなったので国民は嬉しさいっぱい)
→満州事変に世界が怒ったので国連脱退(国民も脱退に賛成)
→国際的に孤立
→調子に乗って中国と武力衝突(支那事変または日中戦争)
→同じく孤立してるドイツと手を結び、ますます米英と対立
→中国との戦争を終わらせたいと思って南部仏印進駐
→アメリカが怒って対日石油封鎖
→アメリカと戦争
という順序です。

投稿日時 - 2006-02-17 20:45:58

お礼

ご丁寧な回答ありがとうございます。

・世界恐慌時の金解禁(良かれと思ってやったのが大失敗)が発端の一つみたいですね。 
 世界恐慌も歴史年表に1行しか記述されず内容は全く分かりませんでした。
 満州制圧による日本軍から中国人へ与えた影響は何でしょうか?奴隷化?満州外へ追放?
 国連脱退(国民も脱退に賛成)って、何か欧米に陥れられた感じがしますね。

投稿日時 - 2006-02-17 21:32:31

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