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解決済みの質問

携帯電話のマナーという文化について(専門的な解答を期待する質問です)

 別に誰かを攻撃する意図のある質問ではなく、単純な疑問です。
 今現在の日本(世界?)では、人前で携帯電話を使うことは不躾ととらえられる傾向にあります。
 たとえば「電車の中で携帯電話を使ってはいけない」などです。
 中には公共道路とプライベートエリア以外での携帯電話を全て嫌う人もいます。

 なぜ「携帯電話を人前で使うことはマナー違反である」というルールが成り立つのでしょう?
 つまり訊きたいのは、『なぜ他人の普通の会話は不快でなく、携帯電話による会話のみが不快なのか』という理由です。(だったらなぜ公共道路上ならOKなのか、という理由も含まれていると嬉しいです)
 私見・経験論で結構ですので、考えなどがおありの方はお聞かせいただければと思います。

 ちなみに、過去の質問で一番参考になったのはこれです。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1536927
 わがままを言わせてもらるのなら、↑この良回答の方よりもさらに踏み込んだ解答がほしいわけです。

 なおペースメーカーを引き合いに出すのは、この質問に限りご遠慮いただければと思います。
 また、「歩行中や運転中は危ないから」についても、脳構造上当たり前なので除外とさせていただきます。

投稿日時 - 2006-05-17 11:46:31

QNo.2156560

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

こんにちは
私もあまり専門的な知識を持ち合わせているわけではありませんが

生物学的に考えて、言葉・身振り・鳴き声などは元々仲間に「危険の接近」や「なんらかの異常」などの重要な情報を「一方的に通知する」伝達手段として発達してきたものです。
これが発達してきて、双方向のコミュケーション手段として成立したのが人間の言葉です。
ところが人間の言葉であっても、緊急に危険や異常を告げるような場合、一方的に命令するような場合は単方向の発信である事が多いのです。
会話として言葉が交わされているのであれば、どうという事はなくとも、突然会話ではない独り言などを近くで聞くと、どこか不安な気持ちになるのはそんな理由もあるようです。
携帯電話にしても同じ事です
もっとも、雑踏の中では言葉自体が途切れ途切れにしか認識できませんので気にならないのでしょう(音が多すぎてバックノイズとして処理されてしまう)
ところが電車の中は意外にしゃべり声が少ないので、かなり鮮明に認識できます。

それともう一点、隣で携帯電話などで話されると、一瞬見ず知らずの人が自分になれなれしく話しかけてきたような錯覚に陥る事もあります。
「なんだ携帯電話か」と理性的には納得できても、気持ち的には中々落ち着かず不快感を覚える、という事もあると思います。

投稿日時 - 2006-05-17 13:20:05

お礼

 ありがとうございます。
 非常に深く考えられた見解だと思いました。
 総合すると、一方的に話されている感じがするのが嫌、ということになるのでしょうか。
 たしかにそうかもしれませんね。

投稿日時 - 2006-05-17 16:00:07

ANo.4

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回答(7)

ANo.7

私見です。

静けさや 岩に滲み入る 蝉の声

という歌が詠まれるように、日本人は昔から静かな環境が好きなんです。小さな小さな自然の音を聞き入り、そこに美を見出そうとするDNAが今も生きているのではないでしょうか。

車内で禁止なのは、静かに座っていたい人たちの邪魔になるから。
一時期、ウォークマンから漏れる音楽も嫌われていましたし、車内ではないですが、近所のピアノの音がうるさいと殺された人もいました。他人にとっては雑音なのです。

>『なぜ他人の普通の会話は不快でなく、携帯電話による会話のみが不快なのか』
普通の会話でも大きな声ならば、不快だと思います。コマシなレストランであれば注意されますよね。

何が正しいか、正しくないか、論理だけでは証明できない。それとは違った次元で、公共の場で携帯電話が嫌われる原因に、日本人が愛する「静けさ」が潜在しているのだと思います。

私自身、携帯電話を手放せないクチです。しかし、どこでもかけられるようになることは場当たり的には快適ですが、そうした便利さがエスカレートしていくことが人類にとって幸せかどうかは疑問です。

世界の環境問題に「もったいない」が見直されましたが、日本人の古くからの考え方は捨てたものではないですよ。「使えない場所がある日本」に感謝します。人間のエゴに歯止めをかけてくれる気がして。

参考URL:http://www.lunadfuego.com/Otowa_D/dental.html

投稿日時 - 2006-05-17 15:10:16

お礼

 ありがとうございます。
 静けさを阻害されることそのものが嫌だということですね。
 たしかに、昔から日本人にはそのような側面があるのかもしれませんね。

投稿日時 - 2006-05-17 17:11:39

ANo.6

>なぜ他人の普通の会話は不快でなく・・・
そうですか?
特に大声である場合は結構不快ではないですか?
リンクされていた質問にも書かれていたとおり、本来、公共の場で
不必要な音を出すのはマナー違反です。
が、そもそも電車自体の騒音もあることもあり、普通に話す程度は
特に問題視されません。
ただ、どこからが「大声」なのか明確な判定が出来ないのが問題なんです。
「このくらいの大きさ以上の声だったらマナー違反として注意していい」
というのはその人の主観でしかあり得ません。

ところが、「携帯電話を使用している」というのは客観的事実です。
話をすること全てを禁止することは出来ないけども、「携帯電話を
使うな」とは言いやすい(基準が明確)わけです。

加えて、質問者さんも言われているとおり、電磁波の件や、周囲への
注意が散漫になり、音以外の迷惑も周囲にかけやすいからなおのこと、
という事でしょう。

投稿日時 - 2006-05-17 13:36:34

お礼

 ありがとうございます。
 携帯電話が客観的な基準になりやすいという考えは面白いと思いました。
 たしかに、携帯電話という機械は主観的な存在ではないですからね。

投稿日時 - 2006-05-17 16:15:06

ANo.5

>『なぜ他人の普通の会話は不快でなく、携帯電話による会話のみが不快なのか』
→全く同感です。
先日電車で2人の中年女性が大きな声(少なくとも私には大きな声に感じた)で話してました。その片方の女性が声が小さな声をさらに漏れないように電話してたスーツ姿の男性に注意してました。私にとっては中年女性の話し声の方がよっぽど迷惑でした。(笑)

さて質問者さんに同意しても「答え」なっていないので。
私が考える理由は「声の大きさの限度を数値的にルールとしてあらわす事が出来ない」からだと思います。
「どの程度の話し声が迷惑か?」は人それぞれですしね。
「携帯電話での話し声が大きい人」が世の中に多かれ少なかれいて、しかも今でこそ受話音質が上りましたが「相手の声が周りの音(電車等)で聞き取りづらくて、さらに自分の声が大きくなる」傾向もあると思います。
「ルール(規則)」のような強制力を持たす事が出来ないから「マナー(行儀・礼儀)」という表現である意味「逃げ」ているのかもしれません。

個人的には電車内で「小さい声」で携帯で話をしている人は、迷惑とも思いません。
上記のような中年女性・子供の靴を脱がさずに電車の椅子に立たせる主婦・大股開いて寝てるオッサンの方がよっぽど「マナー違反」だと思います(笑)

投稿日時 - 2006-05-17 13:28:48

お礼

 ありがとうございます。
 携帯電話は通話者の声が大きくなる傾向にあるからだ、という考えですね。
 自分がどれくらいの声でしゃべってるかなんて分からないし、それもあるのかもしれません。

投稿日時 - 2006-05-17 16:10:13

ANo.3

あげられた質問の10ptの方と同じ意見です。
公共道路との違いは、電車の密室性にあるでしょう。
嫌う人は、公共道路上での通話も嫌うと思いますよ。

その上で、ちょっと視点を変えてみます。
状況1:デートの最中に電話が鳴って、相手が話し込む。
これは一般に不快です。ただ、通話の内容によって、緊急を要するようなことなら、仕方が無いか、と思います。
この場合には、その場で成り立っていたお互いの関係性が、電話の向こうの誰かによって切られた、又は薄められたことに対する不快感だと考えることができます。

状況2:田舎のバスに乗ったところ、みんな顔見知り同士で、話をしていたら、その中の一人の携帯が鳴って、話し始めた。
この場合に感じる不快感も、状況1の延長上に考えることができるでしょう。

状況3:都会の電車に乗ったところ、誰かが携帯で話し始めた。
この場合の不快感は、状況1や2とは違うような気がするのです。そもそも、不快に思う人と、通話をしている人との間には、最初から何の関係性も生じていません。
しかし、相手方に会話をしないよう期待する意味はなんでしょうか。

私は、「自分がいやなことは他人にもしない」という規範のいびつな裏返し(しかし、功利主義的に妥当な裏づけ)のように思うのです。他人がいる空間では、「自分が(やりたいけど)いやなことはしない」という規範を自分は守っている、なら、自分のいる空間では、「自分がいやなことは他人にされない」べきだ。

ありふれた道徳律ではありますが、「自分がいやなこと」の内容がそれぞれ違ってくると、そこに摩擦が起きます。携帯電話の使用について、マナーが定着しないのは、「自分がいやなこと」についての統一見解ができていないからです。

単純に言えば、「オレは我慢しているのに、なんでお前らは勝手に話しているんだ」ということです。電車内での化粧だって、飲食だって、同じようなことが言えるでしょう。

話をここから、「都会における共同体の消失」とか「他者への想像力と寛容の欠如」とか、様々に展開させることはできますが、とりあえず、このあたりで。

投稿日時 - 2006-05-17 13:16:13

お礼

 ありがとうございます。
 「自分が嫌だと思うことはされないべき」という考え方は説得力がありますね。
 なるほどと思いました。参考にさせていただきます。

投稿日時 - 2006-05-17 14:43:11

ANo.2

電話だと声が大きくなる傾向にあります。
更に、電車は室内ですから、屋外に比べて音が中にこもりますよね。
「だったら大声で喋っている人もいる」という反論もあろうかと思いますが、
その行為自体もマナー違反であります。

投稿日時 - 2006-05-17 12:57:22

お礼

 ありがとうございます。
 たしかに電話で話す声って、大きいですよね。
 それも理由の1つとしてあるんでしょうね。

投稿日時 - 2006-05-17 14:39:10

もっと専門的な話を書いてくれる人が現れると思いますが・・。

聞いた話ですが、人間は片方の会話しか聞こえない状態に弱いと聞いた覚えが・・。

だから、電車でおしゃべりをしている人たちは、双方の話の内容が見えるのでまだまし。
携帯だと、片方の話しか耳に入らず「いらっ」となってしまうそうです。

誰か・・詳しい事この後にお願いします。

投稿日時 - 2006-05-17 12:12:52

お礼

 ありがとうございます。
 なるほど。ありえる話ですね。
 大変参考になりました。

投稿日時 - 2006-05-17 14:25:35

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