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中国の森林が滅びたのは万里の長城のせい?

中国の森林が滅びたのは、何世紀にもわたって万里の長城を築くための
レンガを造ったためだとききました。
中国の森林はもっと昔に滅んだものと想像していたのですが、
どうでしょうか?
ほかに原因があるように思えます。

よろしくお願いします。

投稿日時 - 2006-09-19 06:18:26

QNo.2416542

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

この話はよく見聞きしますね。
例えば、山本茂著『緑のボランティア 蒙古沙漠をゆく』にも載っています。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/kodomodokusho/midorinoborantia.HTM

膨大なレンガを焼成するときの燃料として木を切っただけではなく、さらに、敵の侵入をいち早く見つけるため、周辺の木々を焼き払ったとも書いてあります。
ただし、同書には、大量の武器(鉄器)が必要となり、製鉄用の木炭を作るため森林を伐採したとも書いてあります。

今に残るレンガ造りの長城は明代に修復されたものであり、製鉄は漢代の話ですね。

堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿共著『時代の風音』にも出てきます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022641398

「木を切って滅んだ文明」というテーマで、いろんな国家・文明を例にして話し合われています。
「漢代に木を切りつくして文明のピークが過ぎた。武帝の時代に製鉄がすさまじい勢いで興り、華北の大森林はなくなった。森はなくなったけれど、モンゴルから運ばれてくる黄砂が黄土になる。この砂は不思議で水分をもっている。このため雨が降らなくても畑作ができる。だから平気で木を切ったと言える」

そこでWebで調べてみました。
長城と森林との関連ですから、地域は中国の西北部に広がる黄土高原ということになります。
http://www.k4.dion.ne.jp/~gentree/images/GEN02.pdf

黄土高原が今のような姿になったことについて7,8ページに的確に説明されています。
「中国でも気候変動説と人為説とがあったが、最近は人為説に落ち着いてきているようだ。
都市の成立による人口の集中、食糧生産のための森林破壊と耕地の造成、レンガ焼成や金属精錬のための森林伐採、生活燃料としての柴の利用、過剰な放牧、
繰り返された戦火などが森林を消滅させ、今日の姿の黄土高原をつくりだしたというのである」

只木 良也著『森の文化史』 には、
「日本の中国山地には広大な草原があって牛が放牧されているが、これはもともと製鉄用の木炭製造のためにはげ山にされた山が、その後草原化したものだ。草原になったところが放牧地として使われたために森が復元しないで草原が維持されている」

まず最初に、製鉄のため森林を伐採したということを司馬氏らは指摘されたのですね。上記URLにも2千年も前の漢代に森林が減少しているデータが出ています。日本は湿潤な気候で樹木の生育に適していますが、黄土高原は一度伐採すると復元力が弱いのですね。

投稿日時 - 2006-09-19 21:54:02

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回答(8)

ANo.7

陳舜臣の歴史小説「曹操残夢」を読んだ記憶ですが、三国志の時代には魏・蜀・呉の三国のいがみ合いによって軍拡につぐ軍拡のため、鉄武器の鋳造に多量の薪を必要としたため木をドンドン倒していったため中国全土の平地という平地には森林が1つも無くなってしまったという記述がありました。

万里の長城をつくるために森林が滅んだと言っても、それは中国北部の事でしょう。遠すぎる南部から持ってくるなんて無理な話ですね。険しい山岳を除いて中国全部の森林が消えたというのは、しばしば起きた王朝の変わり目の戦乱による乱伐が原因でしょうね。

投稿日時 - 2006-09-19 21:20:22

ANo.6

>中国の森林はもっと昔に滅んだものと想像していたのですが、
どうでしょうか?

そうだと思います。

かつては、中国大陸の全土が豊かな森林で覆われており、気象の変化で急激に砂漠化、草原化したと聞いております。

万里の長城は、山麓に作られています。
これが気象を大きく狂わすとは考えにくいです。

特に雲を作成する高い山に建築した訳ではありません。また、山の高度が2m増加しても理論的に、気象が大きく狂うとは考えにくいです。

気象が大きく狂う場合、
山が無くなった。増山運動で季節風が途絶えた。
こう言う場合です。

問題の区域は、チベットの山脈が高度を増した為に
季節風が途絶え、砂漠化が始まりました。

シルクロードの時代、これに伴い、
豊かな川が何本もあり、繁栄した都市国家も、川が枯れ果てこれが原因で滅亡する国家もありました。

中国大陸の大森林の減衰は、石器時代
(文明を持つ頃)だったと思います。

この手は、専門家さんの意見を待つべきです。
(シルクロードのマニア。^^)

投稿日時 - 2006-09-19 17:18:35

ANo.5

中国における森林の減少は、多分に人口の増加によるところのものです。

中国の人口は、漢末期を最低として、継続して人口増加をたどり、明時代には、人口の過剰があきらかになっていました。

当時の燃料資源は、蒔がほとんどで燃料資源として、森林の伐採が積極的に行われる一方、増加する人口を養うため、積極的に開墾が行われました。

そのため、山の山頂まで開墾がすすみ、森林は、極めて珍しいものになってゆきます。
さらに、開墾が進んだ結果、森林による保水力が減少し、洪水などの被害が深刻化してゆきます。

中国の場合、ある特定の時期に一度に森林の減少がおきたのではなく、既に漢の時代から長安周辺で発生しています。
後漢が、首都を長安から洛陽に移したのも、森林の減少による燃料不足と、洪水の危険性と言われています。

投稿日時 - 2006-09-19 12:00:15

ANo.4

というか四大文明の発生地はすべて、元々から砂漠か半砂漠地帯です。

この原因は、従来、木のみを材料とした火使用、過放牧、灌漑工事による塩害などがあげられてきました。
しかし、四大文明に遅れてはいるものの、地中海沿岸以外のヨーロッパや日本でも2000年以上文明が維持されていますが、砂漠化する気配はありません。
このような矛盾に対する答えとして、もともとが砂漠・半砂漠地帯だったからこそ文明が生まれたという説があります。自然が過酷だったために、自然の豊かな地域よりもよりすぐれた技術開発を必要としたので文明が生まれたという考えです。
つまり、四大文明地域はもともと乾燥地帯であり、その克服のためにそこに文明が生まれたが、結局のところ砂漠化・半砂漠化を幾分早く進ませてしまったということでなのだと思います。自然を超克・征服するつもりが、やはり自然には勝てなかったということでしょう。

万里の長城にれんがが大量に使われ始めたのは、17世紀頃です。その頃から森林がなくなり始めたわけではありませんので、わずかながら砂漠化を進めたかもしれませんが、そのせいではないと思われます。

投稿日時 - 2006-09-19 09:50:42

ANo.3

万里の長城のせいで森林が無くなったわけではないのは
万里の長城の一番有名な明代につくられた場所が
森林で覆われていることからもわかると思います。

森林の減少は人間の活動が主な原因であることは確かですが、
万里の長城の建設で無くなったと言われた部分は
特定の地域で、特定の時代の話です。
確か秦の時の話ですよね?

万里の長城は千数百年にわたって作られ続けていましたが
森林は100年あれば再生できます。

その後の再生がうまくいかなかったのは
気候の変動、大河の移動、黄砂などの
自然の要因が大きいです。

戦争などで失われても、本来ならば再生しなければ
ならないのですが
中世ぐらいから砂漠化がかなり進んでいて、
その証拠に、中国の歴代統一王朝の
都はだんだん東に移っているのです。
食料の生産も、始皇帝や漢の高祖の時代は
長安の周りは農業地帯でしたが、
宋代以後は、江南部の生産能力が拡大する反面、
荒廃した北部は極貧地帯になりました。
これには確かに戦争も要因としてありますが。

投稿日時 - 2006-09-19 09:05:09

ANo.2

戦争による消失も大きな要因ではないでしょうか。

三国志で有名な赤壁の戦いで火計を仕掛けられた「烏林」地区では、
森林が再生してないみたいですし。

戦国時代の中国では、火計は有効な戦術として数多く使用されてきました。
その影響も大きいのではないでしょうか。

なにしろ油なんかを使用して徹底的に焼き払うんですからね~。

森林が再生しない事があっても不思議ではないと思います。

投稿日時 - 2006-09-19 08:24:37

ANo.1

それもあるでしょうけど、他にも漢の時代くらいにやたらと冶金技術が発達しましたちなみに中国のそれは鋳物です。鋳物は近代に入って石炭を使った方法が確立するまでは中国の独走が続いていましたし。他にも陶業も盛んでしたし農業の為の開墾も考えられるでしょう。

ちなみに殷の時代は虎やサイが闊歩していたそうです。これは現代の考古学の研究や古典の記述から導き出された学説だとか・・・

投稿日時 - 2006-09-19 07:27:15

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