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締切り済みの質問

「無意識」という概念

「無意識」という概念は脳科学が発達してきた現在でも使われていますか?
今後どのように変化していくのでしょうか?

投稿日時 - 2006-10-28 16:13:11

QNo.2502800

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回答(6)

当方は頭を真っ白けにして煩悩や雑念を追い払い何も考えない状態になれる特技を持っています。
そうすると自分の心と触れることが出来、何かと物珍しい思いをします。
心を真っ白にすると、自らが存在するそれだけのことに安らぎを感じ、心が愛で満たされているのを感じます。
このあふれ出す愛と自らの存在を確認する心が丸ごと無意識です。

何度も無意識と交流を持った結果心の動きの大半は無意識のメッセージだとわかりました。

投稿日時 - 2006-10-31 21:55:43

ANo.5

こんばんは。
ちょっと長くなりそうですので、ご質問に対する簡潔な回答は最後に。


フロイトとかユングとかのあたりの人の功績は、「理性」が重んじられていた時代に、逆に「リビドー」「抑圧」「夢」などを重視し、「意識」対して「無意識」を区別して、その概念を広めていったことにあります。「人間には「理性」「意識」では捉えられない部分が存在し、人間の心や行動に影響を与えている」という考えは、当時としてはかなりセンセーショナルだったのですね。

しかし、(理性重視の風潮に対して反論をとなえたまでは良かったのですが、)心理学の研究のなかで「心や行動(の変化)を生み出している内部の情報処理の仕組みを調べる」という流れが主流になってからは、

(1)彼らの「無意識」関連の理論が仮説的すぎて、実際の情報処理メカニズムにおいてどうなっているのかという話と対応がとれなくなっていて、(2)フロイトやユングの主張した「無意識」が、彼らの意図を超えて重視されすぎてしまうこともあり(「無意識レベルまで考えると人間の心は非常に複雑で科学でわかるはすがない」といったような極端な考えに至る人まで出てきたり)、心理学や脳科学の研究現場では(ある一部の分野の人を除いて)当時の理論が全くそのまま正しいと信じている人はいません。

彼らの「理論・仮説」は信じられていないとはいっても、「無意識」というものまで全否定されているわけではありません。「私達の情報処理のなかで『意識されない』部分が存在する」というのも、現在では支持されている考えなのです。


では現在はどうなっているかというと、

○とりあえず「エス」「イド」「集合的無意識」などの脳内仮説・妄想は無かったことにして、
○私達の情報処理の一端を表している「無意識」という言葉はありがたく使わせていただき、
○「心や行動(の変化)を生み出している内部の情報処理の仕組みを調べる」という立場から、改めて「意識」「無意識」というものを捉えなおして、定義しなおしてみようじゃないか、ということが始まっております。


「心や行動(の変化)を生み出している内部の情報処理の仕組みを調べる立場から「意識」「無意識」を再検討する」という研究は、心理学に限らず生理学や工学や医学など、現在多くの分野で行なわれており、分野を超えた共同研究も頻繁に行なわれています。そのような分野横断的な研究体制に対してつけられた新たな分野名が、「脳科学」「脳研究」ということになるでしょうかね。

こちらは心理学カテゴリですので、「心理学でいったいどうやって意識や無意識なんて研究するの?」という疑問がでてくるかもしれません。

生理学のように細胞に電極を刺して電気的応答をとったり、脳研究での「脳機能イメージング(画像化)」で脳のどこの部分が処理を行なっているかを視覚化するように、「心や行動(の変化)を生み出している内部の情報処理」を行なっているハードウェア=脳のはたらきを研究する分野もある一方で、

心理学のなかで主に実験心理学という分野で、脳というハードウェアの上でどのように情報処理が行なわれているかのメカニズムを推定する、という「ソフトウェアのはたらき」に注目した研究が行なわれています。


臨床の研究はとりあえず脇に置いておくとして、心理学には多くのサブ分野があって、実験を行なったり、行動を観察したり、調査を行なったりと、人間の特性をとらえるためのいろいろな研究手法の蓄積があります。

特に知覚心理学や認知心理学という実験心理学系の分野では、視覚や聴覚に物理的な刺激パターンを提示してそれに対する人間の反応を取得するという実験を行ない、その入出力の関係から内部で行なわれている情報処理メカニズムを推定したり、なんらかの課題を行なってもらうことでその完了時間や正答率、課題遂行時の思考プロトコルから、内部で行なわれている情報処理メカニズムを推定したり、という体系的な研究手法がここ百年ほど~数十年の間に確立されています。(文章の関係上、これ以上の詳細は省略いたします)

(電気生理学と平行して発展していった手法で、途中でコンピュータの概念なんかも取り込みさらに新手していきました。脳科学という分野が確立するよりもかなり先に発展して、脳機能の画像化などに応用されているものです。)

そういう一連の手法のなかから、「目には映っているのにもかかわらず意識されにくい情報がある」、「注意を向けないところではいったいどんな情報処理が行なわれているんだろう?」などの問題に対して、適切な研究手法が選択され、実験が行なわれているのですね。

こういう心理学での研究手法は単独で使用されているわけでもなく、脳機能イメージングなどのハードウェア研究にも手法の一部が使用されていたりと、他の分野に対して相互に影響を与えつつ相互発展しています。たとえば、実験1と実験2で認知心理学実験を行なって人間から反応を取りメカニズムを推定し、実験3で脳機能を測定してその処理を行なっている脳の部位を特定する、といった具合です。


逆に、「心理学の研究だけで人間の心や意識が全てわかる!」「脳機能の画像化こそが唯一の妥当な研究手法」なんて、どれかひとつの分野だけを信奉する研究者が仮にいるとしたら、それは相当おめでたいというか、現実をわかっていないと言わざるをえません。

DNAの解析だったり、神経細胞の情報伝達に対する電気生理学的手法だったり、人間に対する心理学実験による情報処理メカニズム推定だったり、計算論的手法によるモデル構築だったり、他の動物と比較して人間独自の特性を考えたりと、脳や心や意識に対して、各分野でさまざまな研究対象、さまざまな研究手法があります。それぞれが、注目する対象に対して得意な手法を駆使してアプローチし、時には共同で研究を行ない、時には他分野の手法を応用したりして、「脳や心や意識の解明」という大きな目標に向かって研究を進めているのです。分野間の壁がうすくなって、対等に相互発展、ともに手を取り合って、という感じですね。

ただし、「脳や心や意識」がそんなに簡単な研究対象ではないのも事実で、5年や10年で完全な結論がでるものでもありませんし、情報処理過程の解明についても、できるところからコツコツと、という感じですので、「無意識」というものが再定義されるのも、まだまだ先といったところでしょう。がんばらないといけないですよね~


最後に、質問の回答としては、

フロイトやユングによって広まった「無意識」という言葉は、彼らの理論そのものの概念とは別に、一般的に使用される語になっているのと同時に、「心や行動(の変化)を生み出している内部の情報処理の仕組みを調べる」という研究の立場から、改めて「意識」「無意識」というものを捉えなおして、定義しなおしてみようということが進められています。心理学や生理学、工学、言語学、哲学、医学など数多くの分野が集まって、脳や心や意識に関する研究を進めていくことで、そのうち新しい「意識」「無意識」の概念が作られていくのではないかと思います。

投稿日時 - 2006-10-30 06:10:14

ANo.4

素人の戯言と捕らえていただいても構いませんが、「無意識」という概念は「意識」の対義語として存在し続けるように思います。

仮に今流行の大脳生理学で意識や無意識の仕組みが解明されたとしても、無意識が制御できるようになるわけではありません。
たとえば、筋肉や神経の仕組みが解明されたからといって不随意筋が随意筋に変わったわけではないのと同様に、
「私」という主体が制御できない心の領域があることには何ら変わりがないわけです。

無意識とは、
ある刺激をきっかけに、格納されている記憶を媒体として意志せずに起こる生理化学反応が神経に作用した結果で、それを私たちは「無意識の心理」と呼んでいるのだと思います。

人の脳は記憶するように予めプログラムされていますし、
また、通常はその全てを意識できるようにはプログラムされていません。
理解に関与する脳が把握しきれないものを記憶する領域が脳にはあるということで、通常意識されないこのギャップ(と呼ぶのが妥当かどうかはわかりませんが)を無意識と呼ぶことに意味が無くなるとは思われません。
生理学で脳の働く過程を理解することは有益でしょうが、それは脳の判断の結果を追跡できたにすぎず、人間の一生分の記憶が格納されている部位が特定できるのでない限り、なぜそのように働くのかという原因を解明することは難しいのではないかという気がします。

無意識については、なぜ【意識されないものとして】処理される(あるいは存在する)のか、という理由が重要だろうと思います。
「>脳科学」は、そういう要素についても研究の対象になっているのでしょうか。
素人としては興味のあるところですが、不勉強の現時点では、単に化学反応として脳に与える影響が研究されているだけで、なぜそのような反応に至るのかという根本的な要素の解明に羅針盤の針が向けられているのか、やや疑問に思うこともあります。

投稿日時 - 2006-10-29 19:58:54

ANo.3

少し前のものですが,この話題に関連するQ&Aで
私も回答しているものがありますので参考になさってください。

フロイトは過去の人ですか?(比ゆ的に取ってください)
http://okwave.jp/qa846565.html

余裕ができたら,あとで補足をしたいと思います。

投稿日時 - 2006-10-29 15:36:17

ANo.2

こんにちは。
フロイトの理論というのは、現在では既に古典的解釈としてしか扱うことはできません。「従来の古典心理学(以下心理学)」の時代から「無意識」というものが概念として扱われてきたかどうかは分かりませんが、現在の「脳医学・神経生理学(以下脳科学)」の手法から考えますと、少なくとも、「無意識行動という実体」があります以上「それは概念ではなくなります」。
我々動物の行動や反応は、その全てが「神経系の価値判断」によって選択されるものです。ですから、それが意識行動であれ無意識行動であれ、「入力―価値判断―結果出力」という生理学的なプロセスは全く同じであり、「意識」といいますのはその過程でたまたま発生する現象でしかありません。従いまして、「脳科学」といいますのは動物の行動や反応など、神経系の情報伝達によってもたらされる様々な生命現象の実体を生理学なメカニズムとして機序するのがその目的でありますから、その副産物であり、尚且つ未だ正体不明の「意識現象」の方を逆に「概念」として取り扱う必要があるのではないかと思います。

「心理学」と「脳科学」では、その目的や手法が異なります。
生体解剖や非破壊検査などに技術的な制約の与えられていた心理学では、主に人間の心理現象の解明に対しては専ら「統計的手法」が用いられました。ここで「無意識」というものを深く論ずる必要があったのは、意識行動に比べ、それを分類するための動機や原因の特定が極めて困難であるからです。
それが無意識行動でありますならば、原因を意識することはできませんし、患者さんからその理由を聞き出すことができません。だいたい、患者さんが自分の行動の動機を認識しているのであれば、それは病気ではありませんよね。このため、フロイトは精神疾患と無意識行動や深層意識などの関係を分析することによってたいへん大きな業績を残しました。
ただ、これは臨床心理学でありますから仕方のないことなのですが、ここでは言わば「健常人の無意識行動」というのは全く手付かずに終わっていたことになります。そして、我々の心理現象、即ち動物の生命現象の解明とはこれ以外の何物でもないわけですから、結局、心理学ではそれを成し遂げることはできなかったということになります。

現在の脳科学の発展に最も大きな役割を果たしていますのは、それは解剖学的知見も然ることながら、やはり何と言いましても「コンピューター撮像解析技術」と、生体の情報伝達というものを物理的・化学的に取り扱う「分子生物学的手法」であります。これにより現在では、健常人の脳に電極やメスを差し込むことなくその動きを実体として捉え、様々な実験やシミュレーションを行うことが可能になりました。
脳科学といいますのは、このような手法を以って我々動物の神経系が関与する生命現象を生理学的に機序することにより、病気の治療や構造の解明に役立てるというのがその目的です。従いまして、このようにして我々の心理現象というものが生理学的なメカニズムとして具体的に解明されますならば、それが意識行動であるか無意識行動であるかに関わらず、その原因を予測し、特定することができるわけですから、もはやここでは「意識・無意識」を論ずる必要は一切ないということになります。

このように、心理学の時代とはその捉え方はだいぶ異なり、現在では「無意識行動」とは生命現象の実体としてそこにあり、その原因や動機は生理的学的メカニズムとして客観的に特定・分類されるものであります。そして「意識」とは、その過程で発生する「特別な現象」です。つまり、無意識行動という生命現象があって初めて、そこに「意識行動」というものを分別することができるわけですね。
従いましてこれからは、ブラック・ボックスであった我々の心理現象というものを具体的な生命現象としてひとつひとつ解明する過程で同時に、「意識」というこの特殊な現象に就いて、その「生理学的メカニズム」や「生物学的意義」といったものが解き明かされてゆくということになるのだと思います。そして、この先如何に科学技術が発達しようともやはり、それは人類にとってたいへん長い道のりになるのではないでしょうか。

但:ここで用いました「古典心理学」とは、古典として運用のできる従来の心理学によって蓄積された膨大な知見を指すものであり、脳科学やその応用による新しい心理学とは異なるものという意味です。

投稿日時 - 2006-10-29 12:39:28

ANo.1

使われていると思います。といいますか、私はよく使います。

比較的新しい概念で、「クオリア」「アフォーダンス」といったものがあります。私はよく分かっているわけではないですが、これらと、意識、無意識、下意識、潜在意識といった既存の概念が整理整頓されるとよいなと思います。新しい概念は古い概念とどう違うのか、同じ事をさしているような気もするし、違うのかもしれないし。

私は、物質的な意識というものがあり、それは、ライプニッツがいうモナド(微小表象・単子)と考えているのですが、人の意識としては、十分に大きくないので、無意識的な存在だとするような方向で、心理現象界と物理現象界をまとめていくような理論を夢見ています。それは量子論的でもあるので、浅学な私には、はるか遠い道のりです。

投稿日時 - 2006-10-28 22:59:48

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