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解決済みの質問

生物の課題で煮詰まってます(>_<)

大学の生物学の課題で「自然淘汰の中で最も優れた人間が生き残るべきなのだから、社会的弱者に政府が保護を与えるべきではない」これに反論文を書かなくてはいけなくて煮詰まってます。何か良い案ないでしょうか??

投稿日時 - 2007-01-09 19:54:56

QNo.2654650

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質問者が選んだベストアンサー

「自然淘汰の中で最も優れた人間が生き残るべきなのだから、社会的弱者に政府が保護を与えるべきではない」
この設問は生物学用語を用いていわゆる「格差社会」の正当性を論証しようとする俗論ですね。

これを論破するには、生物学だけでなく、社会学・人権思想・国家論・福祉の思想も含めて、質問者様のしっかりした価値判断・考えが要求されると思います。さぞお煮詰まりのことでしょう。教授先生はまたスゲー欲張った課題を出してくれたものですねw

まあ何と言っても生物学の課題ですから、レポートでは何はともあれ「自然淘汰」の生物学的に正確な概念をまず定義してみたらいかがでしょう。その上で、「自然淘汰=弱肉強食」といった上っ面なレッテルではなくその本質概念と歴史観に沿った上で「格差社会と福祉論」にちょっぴり切り込んでみるのが良いと思います。

例えば以下のような観点でご自分の考えを検証してみたらいかがでしょう。

・自然淘汰とは何か (→個体が強弱優劣で縄張りを分かつことと、種の中で多様性が存在することによって環境変化等に柔軟に対応でき種としての生存可能性を高めることは異なる)

・自然淘汰の考え方は人間社会に適用できるのか(→生物学的観点から、社会学的観点から、倫理的観点から)

・「社会的強者」は「最も優れた人間」に等しいといえるのか

・「社会的強者」「社会的弱者」と言う分類方法は適切か (→個体差が社会的強弱優劣に反映される社会構造は適切か)

・「社会的弱者に政府が保護を与える」の観点は正しいか (→社会的弱者が一定の保護を受けるのは、それによってどんな人でも「最低限の人間的生活」が出来るよう国民全体で保障しあうためである(=基本的人権)。政府(=強者?)の都合で「与え」たり減らしたりするべき性質のものではない)

・強者が弱者を排除抑圧(絶えざる内部抗争)する共同体社会と、多様な個体差を分業に反映させ協調していく共同体社会のどちらが種としての安定や発展が見込めるか

・などなど……
以上ご参考までに

投稿日時 - 2007-01-10 00:32:09

お礼

みなさん本当にありがとうございました。
こんなに奥深い課題だったとここで初めて実感しました。
どの意見も参考にさせていただきました。

投稿日時 - 2007-02-08 22:42:34

ANo.1

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回答(7)

ANo.7

生物学の授業がいかなるものなのか理解しかねますが、恐らく課題が前提としている社会は「現代の日本」だと推測します。

生物個体が「人間」というのがおもしろいですね。

現代のヒトの社会、殊に日本などの資本主義・民主主義の社会では、弱者保護を怠ると社会全体が不安定になり、革命や暴動の温床が形成されます。社会の不安定化は、社会的強者ひいては自然選択の中で最も優れた人間にとっても憂慮すべき問題です。なぜなら、彼らはすでに強者の地位におり、彼らの地位が不安定化するということですから。

したがって、社会的強者つまり自然淘汰の中で最もすぐれた人間が、社会の中で生き残るためには、社会的弱者への保護が必要になるのです。

どうでしょうか?
前提として、社会淘汰と自然淘汰を一緒にしました。

投稿日時 - 2007-01-30 01:15:00

ANo.6

面白い課題ですね。そっち系に進めばよかったかなぁ。

回答の方針として、「遺伝子の類似した生物はのこしておくべき」という事をあげればよいと思います。
子を残すのは当然のことのようになっていますが、自分の子供は自分のDNAを半分しか持っていません。そういう感じで、DNAはまるっきり同じのを残すことは人類には不可能なんです。ですから社会も、人類ならとりあえず残しとけ、って方針で弱者を守って良いと思いますよ。

投稿日時 - 2007-01-24 03:03:59

ANo.5

要は優生学批判が目的なのか?しかし教授の人となりがわからないので、なんともいえません。また、優生学批判は普通は生物学側からはせず、倫理面等からするのが多いように思います。例えば、出生前診断についてどういう立場をとるか、知りたいところです。倫理の先生か、遺伝の先生か。普通は授業にヒントがあるので本当は補足を求めたいところです。

下にいろいろ意見が出てますので、人と違うことをします。

1 自然淘汰とは子孫を残す際に選択圧がかかるということである。すなわち、自然淘汰とは「最も優れた人間が生き残るべき」ではなく「優れた個体(しかも基本的にオス)が子孫を残す」という解釈の立場をとる。とすれば、社会的弱者の保護の問題については、自然淘汰の考え方では「・・・保護すべきでない」の結論は出せない。別の観点からの論考が必要・・・、という論は立てることは可能。

2 本来の自然淘汰では、「優れたもの」とは具体的には、「遺伝子に支配された遺伝的性質に関し、適法度が高い」個体(あるいはその他の単位)である。よって、「社会的」弱者は、(遺伝的に決まっているわけではないので)自然淘汰でいうところの適応度の低い個体とイコールではない。

3 そんなこといったら、地球上にオスは一人しか要らない。固いこというな。

4 そもそも、最も優れた人間が生き残るべき、というのが昨今の生物多様性の観点からして受け入れがたい前提である。前提が×なので、後段については論ずるにあたらない。


弱点はどれも「保護を与えるべきである」とはならないこと。それは生物学の発想では難しいような気がします。ま、遺伝学の「適者」と社会的「適者」が違うことを言えば一番無難かと思います。

投稿日時 - 2007-01-11 01:43:07

ANo.4

人間が自然淘汰を含む進化のシステムの中で生き残ってきた過程と、今後人間が進む道を混同することは過ちです。むしろ生物種としての人間の進化の過程を知ることにより、今後の人間社会形成で犯しがちな過ちを知るべきです。

人間は遺伝子以外に文化や文明、思想を後世に残すことができる初めての生物といっても過言ではないでしょう。したがって、自らの社会を理性を持って律する必要があるのです。人間の動物的部分への理解は重要ですが、理性で築いてきた社会を動物レベルに引き戻す必要はありません。生物学がそのための免罪符に用いられたら、これは憂慮すべきことです。

それから、自然淘汰の考え方を「最も優れた者だけ生き残る」と定義するのは誤りです。優れた(=子孫を残す確率が高い、適応的な)遺伝子は遺伝子プール(交配可能な全個体に散らばった遺伝子の総体)の中で比率が上がる、ととらえ直すべきでしょう。

「新版 動物の社会学」(伊藤嘉昭著、東海大学出版会)の最終章あたり、参考になると思います。わかりやすい好著です。

投稿日時 - 2007-01-10 23:50:42

ANo.3

この問題を出した先生は論理的な考え方が苦手だと推察されます。

この問題は「AならばBである」を否定せよ、という型です。したがって、否定するためには、A(が真)ではない、またはB(が真)ではないということを示せばいいです。

先生は後者(Bが真ではない)に絞って解答を期待していると思いますが、それは勝手読みというものです。例えば、「自然淘汰の中で最も優れた人間が生き残るべきだとはいえない。」(Aが真ではない)といえば、問題文はかんたんに否定されます。理由については何でもかまいません。例えば「優れた人間とそうでない人間が共存する社会のほうが望ましい。」等。

また、この問題では言葉の定義をあいまいなまま使用しているのでいくらでもあらを探すことができます。つまり、「人間社会における自然淘汰」、「優れた人間」、「社会的弱者」、「政府の保護」などが未定義のまま使われており、その定義によっていくらでも解釈が可能です。

したがって、例えば「人間社会には他の自然界と同じような自然淘汰は存在しない。」と言うだけで、課題文はナンセンスなものとなるでしょう。「そもそも、自然というのは人間社会の対立概念であり、「自然淘汰」という言葉を人間に当てはめることは疑問。」などともいえるでしょう。「政府が保護しないことによって人間は早く死ぬのか。」などという疑問を提することもできるでしょう。

以上の例のような論理的な欠点を突く解答のほうが私は好きです。問題が悪いのですから、それに対して素直に答える必要はないと思います。ただし、論理的な考え方のできない人は、屁理屈だとか求めている答えと違うとか言うかもしれませんので、その辺のリスクには気をつけて。

投稿日時 - 2007-01-10 17:36:28

ANo.2

「そうくるか?」って感じの課題ですねぇ

そうですね
自然淘汰は、自然界の環境圧(気候・食物連鎖網・風土など)に対する適応を促進する作用であり、文明化された人間社会の階差をそのまま語れるものではない事

あるいは
社会的な弱者・勝者という概念は、淘汰ではなく文明活動の所作であって、むしろ環境破壊による影響という概念に近しいという事

あとは反則に近いかもしれませんが…
「人間という生物種は、同族の弱者を救済することで他の生物種との生存競争を生き抜いてきた」という理屈を展開する事も出来そうですね

または人間社会を群体生物に例えて
社会という1つの生物コロニーには社会的弱者という存在が必要不可欠であり、勝者だけでは「人間社会」という群体を形成できない、という論法もありそうです。

あるいは逆に「そのとおり、弱者救済は生物的には不合理だ」と認めておいてですね。
「ただし現在の法理において国民の基本的人権というものは…」
と人権論を繰り広げるとか?
でも、これじゃ生物学の課題じゃなくなっちゃいますね(^^)


いくつかアイディアを羅列してみました。
ご参考になれば。

投稿日時 - 2007-01-10 16:55:33

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