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解決済みの質問

他人と会話する際、どこまで自分の事をさらけだせますか?

数年前まで、私は友人や同僚と会話するときに、自分の事をさらけだすようにして話すようにしていました。隠すような話し方をすれば、相手の信頼や相手の本当の意見をきくことができないと思っていたからです。ですが、さらけだせばさらけだすほど、私の行動や思想に少しでも矛盾点があった時、相手にすかさずつっこまれ、墓穴をほってしまうことも少なくなかったのです。
例えば「私はこういう考え方だ。」と会話した後、何かの事情や状況でどうしても、その考え方と逆のことをしなければならなかった時に、相手からは「あの時”こういう考え方”と言ってたじゃない!」と半ば責めに近いつっこみを入れられて、タジタジになることも少なくないです。もともと自分自身は意志は強いほうで、少数意見になっても構わない性格なのですが、生きていれば人間関係においてどうしても避けられない、自分の意見を無理矢理にでも曲げなければいけない状況っていくつかあると思います。
そういう経緯で現在は自分のことをさらけだすことは止め、いけないと思いつつ、密かに警戒心さえ持ちながら会話するようになりました。友人達は相手自身のことを私に話してくれるのかというと、学生時代は話してくれたのですが、一度社会に出るとやはりどこか隠した物言いになってしまいましたし、職場の同僚なども仲は良いのにもかかわらず、多くを語ってくれません。こちらの状況ばかりを質問し、自分の事は多くは語らないという感じの人もいます。しかし自分は他人の秘密をバラしたりなど、不必要な発言はしません。
長くなりましたが、自分なりに出した結論は「人は大人になると多くを語らないもの。」です。

みなさんに質問したいことは、
多くを語らない人は、なぜ語ってくれないのでしょうか?
あなたは、どこまで自分のことをさらけだせますか?
あなたの持論があれば自由に書いてください。

投稿日時 - 2007-01-09 22:23:09

QNo.2655042

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

人は年を経ていくと共に物分りが良くなってきます。
物分りが良くなることはあきらめる事です。

また、多くを語らない人はあきらめていることが多いのです。
あきらめているから自分をさらけだす必要もないのです。

あきらめない人は雄弁です。

投稿日時 - 2007-01-09 22:42:27

お礼

ご回答感謝です。
あきらめる、ですか。全然想像してませんでした。
哲学的な文面に素直に感動してしまいました。あきらめない人は雄弁。これもなんかイイですね~。ありがとうございます。

投稿日時 - 2007-01-10 20:25:28

ANo.1

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回答(4)

ANo.4

大人になると、人は多くを語らないものです。
自分をさらけ出す人というのは、幼いのです。幼児が、なんでも家のことを洗いざらいしゃべっていしまうように、自分をさらけ出して関心を引こうとするのです。
年を取ると、余分なことはしゃべらなくなります。他人にも関心がなくなります。人に知られなくていいことが増えて、秘密が多くなります。
語ってくれないのでなくて、語る必要がなくなるからです。周囲の関心や注意を引こうと思わなくなり、地味で目立たない保護色になり、そのため寡黙になるのです。
寡黙というと、高倉健主演の「幸福の黄色いハンカチ」という映画を思い出します。
自分のことは多く語らない主人公が、ポツリポツリと語る人生の出来事、これが映画の回想シーンを描き出しています。
でも良く見ると、彼は寡黙じゃない。人生の真実を大事に語っている。上滑りな武田鉄也の台詞と違い、高倉健は重厚な年齢の重みを持っています。いい作品です。
高倉健のように年を重ねて行きたいものです。

投稿日時 - 2007-01-09 23:48:17

お礼

他人に悪い意味で幼いと言われたことがあります。その時は何故なのかわからなかったですが、今は意味がわかります。語る必要がなくなる、ですか・・。自分も秘密が増え、知られたくないこといっぱいです。
黄色いハンカチ観ました。口数が少ない人というのは、必要である言葉をうまく選んでいるのだと思いました。自分も見習いたいです!ありがとうございました。

投稿日時 - 2007-01-29 18:12:30

ANo.3

多くを語らない人、それは自らを防衛する本能が強い人と言えるでしょう。自分の情報を出すということは、自分を無防備にするということです。無防備になれない人は自らをいじられることを嫌います。簡単に言うとプライドが高いんですね。

このプライド、年を追うごとに大きくなります。人生経験を積み自分が社会の中で上の地位になってきたと思うからですね。そこで、自分のことを語ってしまい、ボロが出てしまった場合、自分の立場よりも強い者が現れます。こういう人が現れるのを恐れているということもありえます。

投稿日時 - 2007-01-09 23:01:04

お礼

ありがとうございます。
確かに無防備だと思います。ぼろが出てしまった時も恐れてしまいます。
まったくその通りだと思います!!

投稿日時 - 2007-01-29 18:01:20

ANo.2

私は40代も半ばですが「語れ」と言われれば(他人に迷惑が及ばない限り)いっくらでも語りますよ。ただ、大人になるにつれて「場を読まねば」と思えるようになったので、求められてもいないのに、真昼間からダラダラと自分を語ったりはしません。

観光地に行くと、やたらと笑えるバッジが売られていますが、海外で「No, I don't want to hear your life story.(いいえ、あなたの人生についてここで語ってほしくはありません)」というものがありました。つまり、このバッジを胸に付けておけば、人が集まる席で延々と昔話をしようとする人を初めから防止できるってわけですね(笑)。求められていない話なんて相手にとっては退屈です。

では、こちらが求めているにもかかわらず語ってくれない相手は、なぜ語らないか。それは、語りたくないからではないでしょうか。人は年を重ねるにつれて、語りたくない事情が増えていきますし、また語るわけにはいかない事情も増えていきますし、語って、しかも、その内容を的確に相手に理解してもらうためには相当な苦労が必要だということを学習するので、きちんと語るのが面倒になるのだと思います。私も、そういう意味で語らない時はありますよ。

尚、墓穴を掘ることを恐れて語らないというよりは、大人になるにつれて「自分の言動に責任を持ちたく」なるし、「自分の言動に責任を持つということはどういうことか」が分かってくるので、より「慎重」にはなりますよね。良いことだと思っていますが。

投稿日時 - 2007-01-09 22:50:01

お礼

ありがとうございます。バッジでクギを刺すのは、上手いですね。
確かに、年齢をかさねる上で、語りたくないことも語りたいことと同様積み重なっていきますものね。面倒という感情は、私も最近、面倒と思うようになったものの一つです。何かしらの弁解を相手にしても、また繰り返し言葉が返ってくるのを想像できてしまい、「そういうことで、もういいよ」という感じであしらう為に黙ることが多くなってきましたね。私も出来れば語りたい人なので、廻りの人がもう少し心を開いてくれるようにしたいです。

投稿日時 - 2007-01-10 20:44:50

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