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仏教の悟りにレベル?

仏教の悟りにレベルがあると言う人がいるんですけど、仏教は悟る(仏になる)ための教えであり、悟りは完成を意味してると思われます。それなのに、悟りにレベルがあるというのは間違いではないでしょうか?

投稿日時 - 2007-01-18 04:34:41

QNo.2675090

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

No.6です。
ただ、単に「五十二位」の中の最高のレベルである『妙覚』だけの話であれば、そのレベルに差や違いは無いでしょう。

投稿日時 - 2007-01-27 20:53:56

お礼

補足のご回答ありがとうございました!

投稿日時 - 2007-01-31 09:05:57

ANo.7

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回答(7)

ANo.6

『悟り』というものを、どのレベルに求めるかによって、違いは出るでしょう。現在、世の中に沢山の人間が生きていますが、『仏』の認識にさえ差があるものですし、仏教とか宗教とか言ったってた多種多様に分かれています。
そう言ったものを人間は生まれて、成長する環境の中で知らず知らずのうちに信じたり、否定したりしていきます。もちろん、中にはそんな事も全く気にせずに、自分さえ楽しければ何をしてもいいように生きている人もいます。
その信じたり、否定したりしているものに因っては、「レベル」というものが、発生するでしょう。
また、色々なものに「縁」するのにも、その人の持つ「命」によるでしょう。

貴方の求めるところの究極の悟りとは、現在の末法の世の中に厳然と存在しています。しかし、仏は『唯仏與仏(ゆいぶつよぶつ)』と言って、衆生の知恵により理解することの難解さ示します。法華経、方便品の文です。人々はそれを「信ずる」事によって、初めて仏と同じ境涯に自らを高める事が出来るのです。これを、「以信代慧」といい、「人間革命」と言います。

投稿日時 - 2007-01-21 12:36:44

補足

仏教では、悟りには52段あると説きます。これは、華厳教に出ていることです。52位の最高位が仏の悟り、仏覚です。私たち凡夫は0位にいます。すべての位には名前がついていて、10位は十信、それ以降は、十住(20位)、十行(30位)、十回向(40位)、十地(50位)と呼ばれます。51位は等覚です。

説明不足で申し訳ありませんでしたが、私が仏教の悟り(仏になること)と言っているのは、52位の最高位である仏の悟り=仏覚のことです。この悟りは最高位であるので完成を意味してると思われ、その悟りにレベルがあろうはずないと思われるのです。

投稿日時 - 2007-01-21 12:46:14

お礼

ご回答どうもありがとうございました!

投稿日時 - 2007-01-31 09:04:08

藤本 晃(慈照)文学博士・誓教寺住職の書かれている「悟りの階梯」です。
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html

私みたいな教養の無い凡人でもわかりやすい文ですし、「へ~なるほど~」とおもしろかったです。

全文を読んでもとてもおもしろいんですが、抜粋すると・・・
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 中国や日本の仏教では、「悟り」についての見解が、大きく二つに分かれています。一気にパッと「悟る」と主張するいわゆる「頓悟」説と、徐々に悟りを開いて最後に完全に「悟る」とするいわゆる「漸悟」説です。パッと悟る方は禅宗の一部や天台宗など大乗仏教の説で、徐々に悟るものは、北伝部派仏教の一派・説一切有部の『倶舎論』に基づく倶舎宗など、いわゆる「小乗」仏教の説です。
 中国や日本の仏教では、「悟り」についての見解が、大きく二つに分かれています。一気にパッと「悟る」と主張するいわゆる「頓悟」説と、徐々に悟りを開いて最後に完全に「悟る」とするいわゆる「漸悟」説です。パッと悟る方は禅宗の一部や天台宗など大乗仏教の説で、徐々に悟るものは、北伝部派仏教の一派・説一切有部の『倶舎論』に基づく倶舎宗など、いわゆる「小乗」仏教の説です。
 中国や日本の仏教では、「悟り」についての見解が、大きく二つに分かれています。一気にパッと「悟る」と主張するいわゆる「頓悟」説と、徐々に悟りを開いて最後に完全に「悟る」とするいわゆる「漸悟」説です。パッと悟る方は禅宗の一部や天台宗など大乗仏教の説で、徐々に悟るものは、北伝部派仏教の一派・説一切有部の『倶舎論』に基づく倶舎宗など、いわゆる「小乗」仏教の説です。
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・・・と悟り方の説も二通りあるそうです。
で、ここでは徐々に悟る方に関して・・・

--------------
(かなり中略 この部分もおもしろいです)
悟りは、四沙門果(修行者が得る四つの結果)と言われるように、四段階あります。
預流果、一来果、不還果の順に一つずつ段階を進み、阿羅漢果で完成します。 
「段階を進む」とは、煩悩が順に消えて、同時に、その分だけ智慧が徐々に現れてくることです。
煩悩が消えるとは、「欲しいものが見当たらないから欲の煩悩が出ない」「赤ん坊はいつも無邪気で汚れがない」というような、たまたま表面化していないことではなく、どんな状況になっても、もう決して生まれない、根こそぎ消えたということです。最高の阿羅漢果では、全ての煩悩が完全に消えて、心の中に智慧だけが現れています。
-------------
ここから、具体的な四段階の説明に続きます。

一読をオススメします。

参考URL:http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html

投稿日時 - 2007-01-19 15:25:36

お礼

有益なサイトのご説明どうもありがとうございました!

投稿日時 - 2007-01-31 09:01:04

ANo.4

密教的考えですが、十住心論という考え方があります。

http://www.geocities.jp/nkkagosu810/page083.html

参考までに

投稿日時 - 2007-01-18 08:52:13

お礼

有益なサイトをご紹介くださりありがとうございました!

投稿日時 - 2007-01-31 08:53:52

ANo.3

悟りにはレベルは有ります。それは一本の道ではなく、無数の道ですから、その無数の道にそれぞれのレベルが有ります。完成はありません。無限の学びの道であります。その学びの道があるからこそ人生は面白いのであります。又そこに畜生との違いが有るのです。昨日の自分に勝と言う方に時折会います。悟りを求めてやまない、素晴らしい考え方では有りませんか、かくのごとく生きたと常づね思っております。

投稿日時 - 2007-01-18 06:55:42

お礼

ご回答どうもありがとうございました!

投稿日時 - 2007-01-31 08:51:47

ANo.2

段階があるんだとおもいます

目標を達成すれば次にやることが見えてくるのと同じ感じなのではないでしょうか

投稿日時 - 2007-01-18 06:50:27

お礼

ご回答ありがとうございました!

投稿日時 - 2007-01-31 08:49:58

ANo.1

>>悟りは完成を意味してると思われます。それなのに、悟りにレベルがあるというのは間違いではないでしょうか?

悟りに完成はありません。あるレベルの悟りに至ったとき、次なる高みが見えてきます。「完成した」と思ったときから堕落が始まると思っていいはずです。(もちろん頂点である仏さえも)

また、あの世は仏教書などをごらんになると分かると思いますが、「悟り」のレベルに応じて、最近話題の「格差社会」そのものとなっています。そして、頂点に「仏」をいただき、その他の「神」が続きます。つまり神と仏にも格差があり、仏が上とされてます。

そして、幼稚園児が大人の中で遊んでも楽しくないように、強制されるわけでなく自分のレベルの世界で生活しています。

別に、あの世を持ち出さなくとも、職人の世界を考えればいいと思います。いちおう売り物になる商品が作れる技量になれば、「悟った」といえるレベルでしょう。でも、その商品の出来映えが、経験数年の職人と30年の職人では差があるでしょう。また、1日に1個しか作れないか、10個作れるかというスピードの差もありますね。また、自分の技術を他人に教える能力を思えば、教育心理学なども必要になると思います。弟子を3人しか持てないか、100人でも教えることができるか、あるいは、時代の流れ、需要に応じた商品の革新まで考えると「完成」はありえないんですね。

ただ、「この世」が完成して、IT業界にしてもドッグイヤーのような進歩が要求されることない社会にでもなれば、悟りも「完成」するのかもしれません。でも、そういう社会に生きるのって退屈じゃあないでしょうか?(仏にとっても退屈かも?ちょっとリセットして地球を滅ぼして、新たな地球でもつくるかな、とか思ったり・・・)

投稿日時 - 2007-01-18 06:27:49

お礼

詳しい説明によるご回答どうもありがとうございました!

投稿日時 - 2007-01-31 08:48:33

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