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締切り済みの質問

死後の世界を否定するのは「科学的」か

科学者で「死後の世界」を否定する人がいますね。早稲田の大槻教授とか。
彼の本などを読むと、何か物理学の理論?を使って死後の世界や幽霊を否定しているのですが、そもそも現在の科学(化学)で、死後の世界(魂、生まれ変わり等も)が「ない」ことを証明することは可能なんでしょうか。もし出来ないのだとしたら、死後の世界を否定する科学者は「科学的」でないと言っていいのですか。
私は「死んでみなければわからない」というのが、最も「科学的」な考え方だと思うのですが違うのでしょうか。

投稿日時 - 2002-05-17 14:07:19

QNo.272541

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回答(27)

ANo.27

死後の世界にあるとされている天国地獄
これは私たちがいる世界と異なる時空間のことだと私は捉えています
肉体を持っていてはいけない領域なので死後肉体から魂が
離れるときでしかいけないのであれば、魂をつくるなり似た性質をもつモノを
探してやればわざわざ死ぬ必要すらなく調べれるのかもしれません
そうなると死後の世界ではなくただの別世界になってしまいますが(笑


なので今の科学が進んで異世界について調査できるようになればそのような
死後の世界は解明されると思います

投稿日時 - 2013-06-29 06:59:03

ANo.26

 霊媒師の江原啓之氏などは、テレビで、無くなった夫の霊が妻へ話しかけている言葉を妻へ伝えたりされますが、その際、夫婦の間でしか知らない事を話されることがよくあります。
 また、江原氏以外でも、逆行催眠による前世リーディングにおいて、本人しか知らない数年前の出来事を話した後に、本人が行ったこともない土地での前世での出来事を語り、現地で調べてみるとその出来事は実在した、という事例など多数あります。
 こうした実例自体が、すでに死後の世界がある【実証】そのものです。事例の数及び見ている人の数から言って、明確な客観的実例のレベルのものであり、【証拠】とはこういうものを言うのです。
 実例証拠を衆前にさらしても尚自分は認めないというのなら、例えば犯罪シーンが防犯カメラに映っていても、「それは放映する前に誰かが編集したものだ」とか「自分に睡眠薬を飲ませ、時計の針を操作し、その間に編集したのだ」とか言うようなものです。
 科学者であるなら【現実】を認め、なぜそうなるかということをこそ、一般人にわかるように解明・解説こそして頂きたいです。それが「科学的」ということです。 

投稿日時 - 2008-07-02 22:59:37

ANo.25

死後の世界を否定するのは科学的ではない、と断定できます。「科学的」とは「実証できること」であるとすれば、「現在の」科学では、証明できないだけの話です。まず「死後の世界」についての定義ですが、
1)存在するが、死後も自分では認識できない
2)存在することを、生前の様に認識できる
多くの人は2)を希望すると思いますが、1)の場合も含めると、あると考えるのが、常識的な判断だと思います。認識/意識の根源が脳組織にあるとの、説明は単に「物質上の説明」をしているだけで、「物質」はどこまでいっても「物質」でしかありません。つまり脳物質(電気信号というエネルギーも物質を介在)自体が「意識」を持つはずがありません。ただ、「物質とはなんぞや?」については「ひも理論」等今後さらに研究が進む事でしょう。つまり我々が「意識」を持っていることは、
『物質以外の未知のものの存在』の明らかな証明といえるでしょう。
ただ、残念なことに死後はそれが認識出来ないかもしれません。

投稿日時 - 2007-09-15 16:02:45

ANo.24

こんばんは、私の考えを聞いてください。先ず自分なりの定義から入ります。興奮しないで冷静に読んでくださいね(笑)

意識‥脳細胞間の神経伝達による現象を別の脳細胞が認識している状態。・・・これが存在する事は議論の余地なし。

死後の世界‥肉体が消えた後その人の意識をとどめる空間・・・肉体つまり脳細胞が消えれば神経伝達も有り得ず、当然意識の有無を議論するのは無意味。意識その物が有り得ないのに[それが存在する空間]を議論するのは無意味。

幽霊‥死んだ人の肉体から抜け出て本人の記憶を持つと言われる[実体](当然物質で構成)・・・記憶を持つならその[実体]の中で神経伝達などの[時間による変化]が起きている必要が有る。そのような[実体]を現代科学で検出出来ないとするのは極めて不自然。クオークは検出できるが分子は検出出来ない、と言うような物。

生まれ変わり‥本人の死後その記憶が別の新生児に受け継がれる現象・・・死ねば一切の記憶も何も意味を持たない、空間に[記憶]と言う概念が漂っているなどと云う事は有り得ない。
有り得ない物が別の新生児に受け継がれる?やはり有り得ない。

結局質問者さんの疑問ですが「有るに違いない」と考えるのは別に構いませんが一つも理論的、実験的、統計的な根拠が無い。
「ない事を証明せよ」と言う言い方はあまりにも不公平、有ると思われる科学的な根拠は一つも無い。

「オレは1兆円持っている」何?そんなはず無いだろうって?じゃあ持っていない事を証明してみろよ、ただし金庫や通帳は見せないぞ・・・と言っているようなもの。
このような理屈を信じられる人はたいしたモンですよ。

投稿日時 - 2005-11-01 22:52:48

ANo.23

死後の世界は魂が眠っている状態なので有無で言えば「無い」でしょう。
 再生はあるでしょう。
いつ此の世に再生できるかは縁に因ります。

ちなみに私は宗教書を読みますが私自身は無宗教です。
 信教の自由を認めることは大切ですし無信仰の自由を認める事は同様に大切です。
 日本は無信仰者に寛大ですが外国では「人でなし」のように思われるのは心外です。
 宗教戦争を見聞するに思うのは神と人間(御自分の家族など)のどちらが大切なのでしょうか?
 どんどんテーマから外れてしまってすみませんでした。

あと死後の世界が無いから悪事をしても平気という人にはカルマ思想を御紹介します。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=183221

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=183221

投稿日時 - 2003-07-29 21:04:56

ANo.22

 大槻狂授は自然科学の何たるかを知らないで自分のこしらえた科学教を信奉しているだけです。
 彼の著書「おとぎ話を科学する」を読んでみましたが、まぁ頭を抱えたくなりました。わざわざ遠回りな科学的解釈を持ち込むし、要所要所のギャグは白けるし、図書館で借りたから良かったものの買ってしまっていたら……。

 彼のアプローチのいけないのは自分の科学教に縛られ過ぎて、それを超えるものすべてを否定しようと躍起になっている事。科学なんて最初から今の形であったのではなく、何度も理論を改変して今にいたっているのです。

投稿日時 - 2002-10-09 12:02:01

ANo.21

すいませんー。私に書いたものかと思って書いてしまいました。

投稿日時 - 2002-10-09 11:43:04

ANo.20

>いささかアンフェア、だったでしょうか?(笑)でも、事実そう思ったんですよねー。例えば(生前)の場
合、わたしたちは間違いなく羊水を漂って生まれてきたんですよねー。記憶は?ということになると。経験し
ても(羊水を漂ってても)、記憶がないからと言って(生前)はありますよね?

投稿日時 - 2002-10-09 11:39:10

ANo.19

あ~、どうも。ご指摘をいただきましたNO.12のpapuaです <(_ _)>

>と言うのは卑怯ですよ。うそだと言う事を証明しろと言う前に、上記の事が本当だと言う事を証明しなければ議論になりません。

 はい、全くBatakosan2001さんのおっしゃるとおりです(^o^)

 もしも「○○が『ない』ことを証明できないのに、○○を否定するのは科学的でない」という理屈がまかりとおるんでしたら、にゃんとろ星人、2000光年先から届くテレパシー、ゲンゴロウへの生まれ変わり・・・etc.-もちろん、すべては私の創作です(元ネタがあるので、オリジナルじゃないですが)-を科学的に否定することは、誰にもできない、ということになりますよね(mo0704さん、にゃんとろ星人の存在を「科学的に」否定できますか?)。
 そしてにゃんとろ星人を否定する側が、いくら知恵を絞って批判しても、わたしの方は「それでは、あなたは2000光年先の世界に行ったことがあるのか」の一言だけ言っていればいいとなれば、これは確かに卑怯といわれても仕方がないでしょう。

そしてそれは、
「死後の世界が『ない』ことを証明できないのに、死後の世界を否定することは科学的でない」「死んでみなければわからない」という主張と、論理・論法としては同じですよね。

 NO.12の回答は、以上をわかってもらいたくて書いたんですが、いまにして思えば、まじめな議論をちょっとちゃかしてしまったかなぁと反省してます(ただ誤解して欲しくないのは、私の批判は、「死後の世界が『ない』ことを・・・科学的でない」という論理に対してであって、死後の世界を肯定すること(人)に対するものではない、ということです)。
 mo0704さんも、死後の世界否定派(私も含めて)を 納得させたいのだったら、そのような手抜きのやり方ではなくて、「死後の世界はある」というにたる根拠(仮説でも構いません)を、努力して私たちに示して欲しいと思います。その時を心から楽しみにしています。

 蛇足ですが「死んでみなければわからない」というのも、いささかアンフェアではないでしょうか。だって「死んでみてわかる」のは、実際に死後の世界があった場合だけでしょ?(あれ、またちゃかしてしまいましたか?)

投稿日時 - 2002-08-23 23:36:20

ANo.18

papuaさんの「にゃんとろ星人」云々、人間はすべて、死ぬとゲンゴロウさんに生まれ変わるのです。
 なに、そんなことあるわけがないって?じゃあ、うそだということを証明してみなさい。できもしないで、否定するのは、非科学的ですよ。

と言うのは卑怯ですよ。うそだと言う事を証明しろと言う前に、上記の事が本当だと言う事を証明しなければ議論になりません。

投稿日時 - 2002-08-22 00:47:55

ANo.17

率直に思うことを書きます。確かに、「死んでみなければわからない」かもしれません。だけど「死んでしま
ってもわからない」かもしれません。いろんなシチュエーションがあると思います。ただ1つはっきり言える
のは、「生前のことを覚えてない人間が死後の世界」を結論づけれないということです。1歳の頃の記憶、羊
水を漂っていた頃の記憶、初めて歩いた日の記憶。、と思います。字に酔いそうなのでこのへんで。では。

投稿日時 - 2002-05-26 18:39:00

ANo.16

死後の世界を肯定する人々はまず科学の適用範囲を制限するところから入りますが、そこに大きな矛盾があるのです。
いったい誰が科学の適用範囲に限界があると『科学的(客観的)』に証明したのでしょうか。
そんな限界はどこにも無く宇宙の全事象(人の心も含めて)に適用できるはずです。
ただ、いまだ発展途上にあり今の科学では解明できない事象もたくさんあるというだけなのです。
今の科学の延長にその適用範囲の限界があるとしたら、ニュートン力学が素粒子の世界で通用しなかったように根本から見直す事も可能性としてあるでしょうが、聖域を設けて初めから『不可能』と決め付ける事こそ『非科学的』と言わざるを得ません。

科学的法則は人間が生まれる前から存在しているわけで、人間が発明した訳ではありません。
アルキメデスの原理もピタゴラスの定理も『発明』ではなく『発見』です。
人間が発明した文字などを使って自然界の法則を発見してきたのが科学ですし、始まりつつある人の心を科学的に解明する事のような新しい分野もどんどん進歩するであろうことは想像に難くありません。

宗教や哲学に傾倒している人々は人間の心まで科学的に解明されてしまうと都合が悪いと考えているのかもしれませんが、全く関係の無い話です。
人間がどう生きるか、どう死ぬかは主観であって、主観を掘り下げた所に死後の世界があろうが天国や地獄があろうがそれはそれで構わないのです。
そうではなくて『客観的(科学的)事実としての死後の世界』について宗教や哲学が口を挟むのはそれこそ『適用範囲外』です。

バチカン(ローマ法王)も『天動説は間違いであった』と自らの非を認めたように、科学を超えた宗教や哲学が存在するのではありません。
新興宗教などは科学的あるいは論理的な教義で信者を納得させるものも数多くありますが、多くの場合そのどこかに客観的事実ではないものが入り込み論理のすり替えが行われています。

客観的事実の積み重ねが科学であって、たった一つの主観が入るだけでそれは科学とは呼べない物になってしまう事を覚えておくことも重要な事だと思います。

投稿日時 - 2002-05-25 14:31:49

ANo.15

「証明できないとしたら、科学的でない」
という意見には、違和感を感じます。

豊富な知識と最先端技術の結晶=科学、というイメージがあり、科学をもってすれば明らかにできない事は無いという印象がありますが、そうでは無いと思います。

科学はれっきとした学問です。なんだか分からない事を探求すること=科学、だと思います。証明しようと努力することこそ、科学的と言えるのでは?

従って、持てる知識と論理を駆使して死後の世界を否定しようとする大槻教授は、科学的だと思います。(正誤は別問題として)
一方、「死んでみなければわからない」という意見には探究心が全く感じられません。従って、科学的とは言い難いと思います。

疑問をもち、証拠を探し、論理を組み立て、物事を明らかにしてゆく過程こそ科学だと思います。
科学は万能の知識ではありません。探求と研究こそ科学だと思います。

投稿日時 - 2002-05-24 00:26:39

ANo.14

別の問題に置き換えてみましょう。

「M88星雲にはウルトラマンが住んでいる」という事実が嘘か本当か検証してみましょう。
確かに事実は「M88星雲に行ってみないと本当かどうか分かたない」のですが、
普通の人間は「それはテレビの話じゃん」と考えるでしょう。それが普通の
人間です。

死後の世界というのは、「宗教」から出ています。
宗教は必ずしも科学的な事実だけを取り扱うものではありません。
そういうところは「テレビのアニメ」と同レベルと考えていいでしょう。

まあ、科学的なデータに基づいて推測する事は可能ですし、
それが科学の面白さの一面です。
ただし、「死後実在派」と科学的なデータに基づいて議論するというのは
不可能に近く、こちらがいくら科学的なデータをそろえても「死後実在派」は
イメージで語ることしかしない。よってまともな議論が成立しない。
となります。

投稿日時 - 2002-05-21 23:29:48

ANo.13

科学者の端くれと思っている者です。大槻氏側(?)の旗色が悪いようなので、こちら側の立場で少し述べてみます(大槻氏擁護が目的ではありません)。

特定の主観上でしか認識され得ないことは、科学に限らず、いかなる論理や議論の対象にもなりません。しかし、脳のメカニズムが多少なりとも解明され始めた今日では、人間の意識状態を、ある程度客観的に測定することが可能です。神経細胞のネットワークを駆け巡る電気パルスの状態が、意識や認識の状態と直接に関係することが、実験的に確かめられてきたからです。ですから、「死後の世界」を科学の土俵に乗せるとすれば、それは他者から観測可能な、脳の電気的状態が、死に際してどのように変化するか、ということを論じるしかありません。この立場に立てば、脳が活動を停止し(さらには朽ち果て)た後に、(脳が意識する)世界は絶対に存在しないわけです。これは、文句なく、一つの「科学的考え方」です。

しかし、観測することはできないけれど、ある一個の主観にとっては、死後もなお意識は継続するかも知れない、という疑問は残るかも知れません。これは、結論の出る論理の対象外ですが、注意することが一つあります。それは、「死」という言葉は、他者から客観的に観測されるものとして扱い、一方、「意識(=世界)」は、当人の主観上にしかないものとして扱うという、(ずるい)使い分けが入ってることです。意識が継続しているなら、当人は何処で死んだ瞬間を自覚するのか、という根本的な疑問が生じます。

ですから、測定可能な科学的「意識」の考え方に倣って、死に際しては、まず、意識レベルが次第に下がってゼロに至り、その後に、肉体的な活動停止と消滅がおとづれ、再び意識が生じることはないと考えるのが、案外、安堵できる理解法になるのではないでしょうか。

投稿日時 - 2002-05-21 20:18:03

ANo.12

 死後の世界はあります、絶対に。なぜかそういいきれるのといえば、私が『にゃんとろ星人」からのテレパシーでそう聞いたからです。地球から2000光年彼方のにゃんとろ星では、地球よりもはるかに進んだ科学力によって、死後の世界の謎は、とっくに解明されているのです。そう、人間はすべて、死ぬとゲンゴロウさんに生まれ変わるのです。
 なに、そんなことあるわけがないって?じゃあ、うそだということを証明してみなさい。できもしないで、否定するのは、非科学的ですよ。

投稿日時 - 2002-05-20 22:30:22

ANo.11

 
少し(というか、かなり)分かりにくいことを書いたように思いますので、補足の説明を記します。

>「死後の世界」とか「死後生存」とは何かを、「科学的に定義」する必要があるというのは言えますが、これは実は「定義できません」。どうしてそうなるのかは、哲学における認識論で、カントの立てた批判を知っていれば、自明的に分かります。

これは、カントの純粋理性批判ので構想では、個人の自我(主観)と世界(客観)は、先験的(超越論的)な構造になっていて、「科学」は、経験の知識の学として考えられ、アポステオリな世界についての知識の秩序を帰納する操作であることになります。

しかし、「死」というのは、個人の自我(主観)の崩壊乃至消滅を意味するので、主観と客観のこの超越論的な構造・枠組みそのものがなくなります。従って、死んだ人にとって、死後の世界は何かを、「科学的に定義」しようとしても、そもそも原理的に定義不能なのです。

ただ、これでは独我論なので、世界は間主観的に存在することになるのですが、そうとしても、他者の「死」は、その主観の構造枠の消滅を意味します。生き残った者にとって、死んだ者(消えた主観)の「死後の世界」とは何のことか、経験の知識の学としての科学では、無意味になるということです。

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もう一つ、「意識の現象の事実」と「現象の背後実体」は別のものであるという可能性があるのです。インド哲学で、アートマン(我)とマーヤー(幻)、或いはプルシャ(純粋我・神我)とプラクリティ(原質)の対立としてのモデルがあるのです。

大脳に損傷を与えたり、向精神薬を投与して意識状態を変容させたりできると言うのは、「意識現象」のレヴェルでの干渉で、これはマーヤー(幻・仮象としての意識現象)を操作しているだけで、本質であるアートマンまたはプルシャは、「世界の解読装置」や「思考や認識の補助機能」が攪乱され奪われたという事態になっても、プルシャ自体には、影響が及ばないのです。

「実体的な精神」と「現象としての意識」は、プルシャとマーヤーのような関係になっているとも言えるのです。先にも述べましたが、「統覚意識」がなぜあるのかは、現象としての意識の媒体基盤を幾ら研究しても分からないのです。

物質が「存在」するというのは事実です。物質現象の存在でも構いませんが、それを要素還元して、素粒子、クオーク、超弦と下の階層を探っても、「なぜ物質があるのか」は分かりません。物質は相互作用で形を変えますが「存続して」います。

では、「精神」も、同様に、その現象構造を分析することができ、現象を操作できても、「精神の存在」自体の根拠は分からないということになります。肉体や、意識の構成場を造っている大脳の細胞などが分解しばらばらになっても、「精神は存続する」と言える可能性が高いのです。

物質の存在の根拠が分からないと同様に、精神・意識の存在の根拠も分からないのです。物質の様態を研究し、その構造を調べることは科学でできますが、なぜ物質はあるのかは、分かりません。同じことが、精神や意識の現象についても言えるということなのです。

あるいは、そう考える方が、存在世界・存在宇宙全体の存在の秩序構造性からすると、自然に思えるのです。

また、精神=霊魂は、一人の人に一つとは決まっていないと言うか、そういうことが言える根拠もないのです。キリスト教などの宗教では、「個人の霊魂」という考え方をしますが、インド思想では、アートマンは一個しかありません。貴方とわたしのアートマンは実は同じものなのです。

犬や猫や牛や、花やゾウリムシのアートマンもみな同じで、それは、人間のアートマンとも等しいとなると、霊魂の数が多くなるとか足らないとか、そういうこと自体がナンセンスとなります。

宇宙には、千億の千億倍以上の星があるようです。何でこんなにたくさん星があるのか、理由は理論的に説明があるかも知れませんが、現にあります。それなら、霊魂の数も、千億の千億倍以上あり、そのごくごく一部が、いま地球上で、人間の身体と関係を持っていると考えることもできるのです。

よく考えなければならないのは、「星の現象」が存在するのと同様に、「意識・精神の現象」は存在しているということです。星は年老いて白色矮星になるか、物質を空間に飛散させて終末します。

人間の精神も、肉体の死や分解に同伴して、散らばり消えるというのは、どこで観測できるのかです。大脳の細胞や仮想光子場などは、精神が宿っている場であって、「精神そのものは、何なのか分からない」のです。
 
「科学」は、経験の知識の学として、その適用範囲を持っています。既存の科学理論は、大脳生理学や脳神経生理学、脳神経量子力学(こんな学問は、名称として未だありませんが)などで、意識現象のありようを研究できても、精神そのものは、何か分からないという限界があるのです。

とまれ、「科学的」かどうかは分かりませんが、「死んでみないと分からない」というのが、もっとも常識的な考えです。
 

投稿日時 - 2002-05-19 03:42:13

ANo.10

 
こういう問題を語るには、それなりの色々な知見や知識や、多様な思索が必要になります。これは非常に難しい問題で、人生を簡単に割り切りたい人は、適当な答えで満足し、実証とか、反証とか、言葉だけ述べて、実際には、「自分の信じたいこと」を正しいとする傾向があります。

「死後の世界」とか「死後生存」とは何かを、「科学的に定義」する必要があるというのは言えますが、これは実は「定義できません」。どうしてそうなるのかは、哲学における認識論で、カントの立てた批判を知っていれば、自明的に分かります。

現役の有能な科学者で、「死後の世界はない」などと断定している方がおられれば、それは、その人の視野の狭さや、独断的思考傾向を示しているだけで、何も証明していません。自己の「信じたいこと」「信念=信仰」を、科学の適用範囲を超えて、勝手に主張し断定する科学者がいれば、そういう方は、心が未熟か硬直しているか、または、「科学」というものがよく分かっていないのです。

「死後の世界」の問題は、科学の問題ではなく、「哲学の問題」なのです。

「科学の問題」になるには、クリアーせねばならないアポリア(難問)があるのです。それは、「精神現象」とは科学的に「何か」ということの答えです。これは答えがありません。少なくとも目下ありませんし、わたしの展望では、「科学の方法」では、この答えは出ません。

「精神の現象」というものの重要な、また難しい点は、次の三つのことにまとめられると思います。

1)「統覚」意識がいかにして成立するのか。
2)意識のヴィジランス(覚醒水準)とは何か。
3)「私」が現に意識している「私の意識」の事実性。

この三つの問題に、更に4)数学の真理構造や論理の形式のような「普遍真理または普遍概念」の存在を前提にしないと、人間の認識や認知や判断が成立しないという問題もあります。

上の1)2)3)は、それぞれどういうことか、説明していますと長くなりますので省きますが、結論的には、現在の科学のパラダイムでは、「精神の現象」は「説明できない」という結論が出るのです。

養老某という解剖学者は、かなり飛躍したことを述べていますが、これは彼が哲学や精神の現象の意味について、単に、鈍感で理解力がないだけだとも考えられます。

人間の意識状態は、薬物や、また大脳への電気刺激などで、コントロールできます。従って、「意識」は、このような刺激反応の基盤の構造体だというのは、ものごとを単純化したがる人には、そう思えるのですが、哲学的には、古代から、そうではないことが、はっきり判断されています。

プラグマティックに、人間の意識のモデルを造ることができ、それで、人間の行動が整合的に解読できるなら、「魂」や「精神」は不要だというのは、方法的にそれでもよいのですが、科学は、常に「暫定モデル」として、その理論を構成しています(「行動主義心理学」というのは、こういう方法ですが、それはその限界を前提にしています)。

「魂」や「精神」は不要だというのは、科学的モデルであって、それは、乗り越えられることを前提としています。そのことを明確に強調した上で、モデルとして、魂や精神など無関係な意識の構造理論を主張することはできますが、「断定」は、科学の規準からして逸脱行為で、それは、一種の「宗教=信仰」の領域に入っているのです。

個人が、感情的に「死後の世界・死後生」を「願望・希望」するか、「拒否」するか、このことは、科学的議論において、また哲学的議論において、実存の様相として考慮されても、これだけでは何も生産的な意味はないのです。

死後の世界は「ない」という「信念」と、「事実的な」判断は別のことです。同様に、死後の生があって「欲しい」という「願望信念」と、事実判断は別のことです。死後の世界があった方が面白そうだから「ある」とか、そんなものを考えなくとも生きていけるので「ない」というのは、まったく、思索の欠如しか意味していません。

>もそも現在の科学(化学)で、死後の世界(魂、生まれ変わり等も)が「ない」ことを証明することは可能なんでしょうか。

>もし出来ないのだとしたら、死後の世界を否定する科学者は「科学的」でないと言っていいのですか。

最初の問いに対しては、明確に回答があります。「証明できません」。

第二の問いについては、そういうことを「断定的に否定する科学者」は、「科学的」ではありません。科学の適用範囲と、その意味や定義が分かっていない、単なる知識だけ豊富な「智慧のない人」でしか過ぎません。

難しい話はおいておくとして、上の3)の《「私」が現に意識している「私の意識」の事実性》というのは、擬似客観モデルの上に立脚する「科学」では、扱えない「事実」なのです。「説明」と「現実の体験」は異なるのです。

小説などを読むと、登場人物の「死の間際の経験」や「死の瞬間・死後の経験」について述べられている場合がありますが、しかし、登場人物についての「説明」は、「貴方の生きた体験」ではないのです。

同様に、精神の現象の「科学的説明」と称するものも、「説明」であって、「貴方の体験」ではないのです。強力なメージャー・トランキライザーを使うと、例えば、貴方を極端な「鬱状態」にできますし、反対に、極端な「躁状態」にすることも可能です。

また、大脳の組織をメスなどで切ると(ロボトミーという、現在は行われていない非人道的な手術は、こういうことを実行しました)、「精神の状態」が別のものに変わります。

しかし、だからと言って、「精神」は、大脳の組織、多分、電磁場か仮想光子場などの状態だろうというのは、あくまで「仮説」に留まります。

たとえ話になりますが、コンピュータがおかしくなって、メモリが消えたように思える時、メモリが本当に消えたのか、または、読み出しができなくなっただけなのか、CPUがおかしくなっているのか、入出力機構がおかしくなっているのか、色々考えられるのです。

譬えとして「メモリ」を精神とすると、大脳にトランキザイザーを与えたり、組織を切ったりすることは、メモリが消えることではなく、メモリへのアクセス手段や入出力機構をおかしくしているのだとも言えるのです。

大脳のこの部位が、こう損傷を受けると、精神のこの機能が失われる。よって、精神とは、または魂とは、大脳のこの部位が、その実体である……などということは言えません。

「精神」や「魂・霊」は何かということは、科学では明らかになりません。少なくとも現在のアプローチでは、それは明らかでありません。魂や霊など考えなくとも物理学や化学の理論は成立するからと言って、魂や霊が「ない」ということにはなりません。

精神・魂・霊とは何かということは科学では明らかになりません。実は分からないというのが真実です。そのような「わからないもの」について、肉体の組織が腐敗したとか、解体したとかの理由で、精神・霊・魂の「存続」が「ない」などという結論は出てきません。

個人によって、「死後の世界・生」があるかないかをめぐって、「こう感じる」という印象や、こう思う、こう信じるという「臆見・信仰」はあります。しかし、この問題は哲学的に解決できていませんし、科学的には無論、「分からない問題」です。

>私は「死んでみなければわからない」というのが、最も「科学的」な考え方だと思うのですが違うのでしょうか。

厳密に言いますと、この規準でも曖昧で分かりません。人は、「自分が死んだこと」を「どうすれば明晰判明に判断できるか」、この答えがないからです。

「臨死体験(瀕死体験)」の評価の難しさがここに出てきます。経験した人は、自分は「生と死の境界にいた」と考えます。しかし、そういう「幻覚」を見たので、実は「生の側にいた」のではないかという批判・反論があります。

体験者は、自分が本当に死と生の境界にいたのか、死後の世界に一歩だけ踏み込んだのか、「明晰判明」な判断はできません。あるのは「経験の印象の強さ」と「文化的・個人的に死後の世界と考えられるものに相当する」という判断です。

わたし自身は、「死後生」が「ある」という「可能性が高い」という考えを持っています。そうでないという否定的事実性は多数あるのですが(例えば「死者の沈黙」)、精神や自我がこの「世界」にあり、そういうものを含む「宇宙全体」のホロン構造を考えていると、「ない」というのは不自然に思えるということです。

ただ、この問題は、古代から延々議論されており、現代でも議論は続いています。わたしは上に述べた「可能性の展望」を吟味し続けているのであり、確かな答えは分かりません。しかし、「断定」する人には、否定する人、肯定する人、両方に対し、「根拠」が曖昧であることを指摘します。断定できない問題なのです。
 

投稿日時 - 2002-05-18 06:08:04

ANo.9

「死後の世界」の存在有無を科学的に議論したいのであれば、「死後の世界」を科学的な言葉で定義せねばなりません。
私も以前似たような質問をして突っ込まれたことがありますが、なるほどと納得しました。
定義可能なら、科学はその有無について明快な回答を与えるでしょう。逆に定義不可能な抽象的なものなら、有無の議論自体科学的ではありません。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=20107

投稿日時 - 2002-05-17 22:27:34

ANo.8

科学の世界では100%の否定ができない場合でも、『無い』と仮定した上で様々な事象を検証した上で矛盾が無ければ『仮定が正しかった』と断言しても間違いではないと思いますよ。
たとえば太陽が核融合を起こしている水素やヘリウムである事は、太陽の一部を持ち帰った訳ではないのですから『推測』の域を出ないと思えますが、様々な太陽の現象を分析した現在では『事実』として確定していると思います。

同じように人間の心や感情は脳の中の電気的、化学的な反応である事は既にかなり解明されてきたと思います。
その研究などから精神疾患の治療に使う薬や脳外科手術などの実際に人間に対しての治療にも効果を上げているわけです。
人間の精神を宗教などと結びつけて『科学の及ばない聖域』と考える事は、逆に人間の尊厳を無視した考え方だと私は考えます。

良い、悪い、嬉しい、嬉しくないは別として遠くない将来に人間と全く同じ感情を持ったコンピューターが登場するでしょう。
現在でも蟻と同じ行動を『自発的』にすることのできるロボットは既に開発され紹介されていたと記憶しています。
もし『死後の世界』があるのならそのような『感情を持ったロボットの死後の世界』はどうなるのでしょうか?

同じようにUFOの存在の有無についての議論もありますが、これは多くの科学者が宇宙に人間以外の知的生命体が存在する可能性が高いと考えていると思います。
ただその知的生命体が時間の壁(光速の壁)を越えて地球に到達する可能性がゼロに近いという事でも意見が一致しているのだと思います。
存在する事と地球に来る事とは等しい確率ではありません。
少なくとも現在の科学ではUFOが地球に来る事は限りなくゼロに近いと言わざるを得ず、それを否定する事は何千年もかけて人間が積み上げてきた科学を根本から否定する事にもなりかねません。

医療の分野(ガン治療など)や飛行機(なぜ落ちないかという事やなぜ安全かなど)などの生産技術などについては、自分自身ではその理論を理解できなくても科学を信頼しているにも関らず、『同じ科学』で地球にUFOが到達する可能性がゼロに近いと言うことを受け入れられない人こそ『非科学的』と言われるべきだと思います。

個人的には『死後の世界』や『UFO』の研究者や趣味として楽しんでおられる方々には全く問題ないと思っていますが、あたかも『事実』であるように言って出版物やテレビ放送などメディアで金儲けしている人(企業)は『詐欺』『詐欺まがい』と感じています。

そうでなければ麻原彰公を『神では無いと証明できないから神である』と言う人を否定できなくなってしまいますからね(笑)

投稿日時 - 2002-05-17 20:27:19

お礼

ありがとうございます。

おっしゃることはとてもよくわかります。
わたしももちろん、常識として「死後の世界」は限りなく「ないだろう」とは考えています。

ただ、刑法で「疑わしきは罰せず」という倫理があるように、「限りなくないであろう」ものを「ない」といいきってしまうことが、科学者の倫理としてどうなのかというおもいがあるわけです。
それとも、私は科学に疎いので、死後の世界がないことを科学的に(素粒子などの理屈をつかって)証明することが可能なのかなとも思い、純粋な気持ちで質問してみたのです。

投稿日時 - 2002-05-17 21:41:36

ANo.7

おっしゃるとおりですね。
「死んでみなければわからない」が最も科学的だと思います。

ただ、だからこそ「死後の世界」を肯定することもできないはずですよね。大槻教授は「死後の世界」それ自体を否定しているのではなく、「死後の世界」を肯定する人と、「死後の世界」を肯定する根拠を否定しようとしているのではないでしょうか。それなら、科学的な考えだと思うのですが、いかがですか。

投稿日時 - 2002-05-17 18:26:40

お礼

ありがとうございます。

ええ、もちろん科学的に死後の世界を肯定する事は出来ないと思いますが、その反対(否定)もまた然りなのではないかと思い、このカテに質問してみたのです。

ただ、大槻氏は懐疑主義者というよりはあきらかに否定論者という気がします。田島陽子氏が、「(霊の存在については)とりあえずペンディングしておくべきだ」と発言したことに、大槻氏はコラムで「だから女は馬鹿なんだ」と噛み付いていましたからね。

投稿日時 - 2002-05-17 21:29:23

ANo.6

こんばんわ。
テレビで見る死後の世界や幽霊話はわくわく(びくびく)しちゃいますね。(・・;
さて、ちょっと違う世界から死後の世界を考察してみます。

実は昔(鎌倉時代以前)の人は、死後の世界はあまり考えていなかったらしいのです。
自分の先祖の死に対しては、敬慕の情で考えていたと思いますが。
しかし、鎌倉時代の宗教家は、度重なる苦しい世間を嘆く庶民に対して、
死後の極楽を説くことで現在の苦労を耐えさせていたのです。
このような宗教観は、すぐに権力者と結びつきました。
(苦しみを与える側と、和らげる側はしばしば結託することが多いのは、現在と一緒です)
どんなに為政者が悪いことをして庶民を苦しめても、いずれは極楽にいけると考えさせていたのですから。
このころから、死後の世界という概念が一般庶民に広まったのではないかと考えられています。
じゃ、死後の極楽地獄はあるのか、といわれれば丹波哲郎氏が話す天国や鬼がいる地獄は、ないでしょうね。

私は、天地茂主演の「地獄」という映画が好きで、ヒデオで見たりしますが、これは娯楽と割り切っています。
死後の世界に関しては、mo0704 さんの言うとおり「わからない」が正解でしょう。
科学以前の問題だと思います。

でも、もし死後の世界があって全部地獄だったら、私に会ってもいじめないでね。。(^^;)

投稿日時 - 2002-05-17 17:52:43

お礼

ありがとうございます。

なるほど、死後の世界を説く宗教観は権力側と結びつきやすいという理屈はとてもよくわかります。

私も鬼がいるような地獄は無いだろう(あっちゃ困る)と思いますが、死後の世界や魂はあってもいい(なくてもいい)と思っています。
それだけに、死後の世界を「殊更に」否定する、科学者と称する人たちに違和感を覚えるのです。

投稿日時 - 2002-05-17 21:17:52

懐疑主義はオカルト否定の根拠にならないどころか
超心理学をエセ神秘主義と区別する必須条件なのだ。
真のサイ現象を把握するために、そうでないケースを
ひとつひとつ潰していく作業は当然、かつ必要不可欠な
前提だよ。
こんにち研究されている心霊現象は、科学的な訓練を受けた
研究者たちによって(中略)科学的な検証に十分耐えうることの
証拠といってよかろう。

-以上は「法月倫太郎の新冒険」という推理小説のなかで
超常現象を否定された超常現象学者による反論のシーンです。
明らかに大槻教授のやりとりのパロディだと思いますが
まあ、一理あるかな、と。

あんまり参考になってないか・・・

投稿日時 - 2002-05-17 17:02:30

お礼

ありがとうございます。

わざわざ引用していただいたのですが、「超心理学をエセ神秘主義と区別する必須条件なのだ。」というのはむずかしくてよくわかりませんでした。

投稿日時 - 2002-05-17 20:48:57

ANo.4

 もう充分に答えは出ているようですが、こういうの好きなので口を挟ませていただきます(笑)

 質問文中にある『「死んでみなければわからない」というのが、最も「科学的」』という文章ですが、一般の良識的な科学者は通常、この立場を取ります。
 「証明できないんだからないに決まってる」、なんてことを言う人はむしろ貴重な存在といえるでしょう(笑)

 この話は、「シュレディンガーの猫」という例えで話すのが一般的(というか流行というか)ですね。
 誤解覚悟で分かりやすく言えば、「あるかないか分からないものは『不定』でいいじゃないか」という考え方です。
 ゆえに、あの世はあるか、と訪ねられたら、もっとも科学的な答えは「それは不定である」となるわけです。

 ただし、実際に物理の計算を行うときは話は別です。
 現在の科学計算は、「あってもなくても支障のないものは『ない』と仮定する」という考え方でやります。この考えはあくまでパラダイムにすぎませんが、すべての科学者の共通見解です。
 宇宙の大きさが半径180億光年と仮定されているのはそのためです(実際にはさらに向こう側もあるに決まってるんですが、観測もできないし、計算にも支障がないため、現在の天文学理論はすべて宇宙の大きさを有限であると考えます)。

 というわけで、あの世は「仮にないとされている」だけで、誰も「ない」とは言ってないわけですね。

投稿日時 - 2002-05-17 15:39:35

お礼

ありがとうございます。

ああ、やっぱり「良識的」な科学者はそう考えているのですね。

「不定」という考え方はいいですね。でも、なぜ(マスコミに出てくる)科学者は「わからない」ということを怖がるのでしょう。

投稿日時 - 2002-05-17 20:41:11

ANo.3

自分的には[死後の世界]を否定していますが科学者ならば存在するのか、しないかを証明出来ないうちは沈黙しているべきでしょう。

私も「死んでみなければわからない」とは思いますが、今の段階では死後の伝達手段がないので「科学的」かどうか判断つきません。

死に損なって帰った人の話というのも記憶が甦ると言うよりは、気づいた時からの自分の思い込みを逆行的に組み立てたストーリー?

と言った方が好いかと思います。。。

投稿日時 - 2002-05-17 14:37:55

お礼

ありがとうございます。

ええ、私も臨死体験の話はかなり怪しいと思っています。

投稿日時 - 2002-05-17 20:37:08

ANo.2

科学でないことを証明出来たら、こんなに論争は起きていないでしょう。

まあ、実際に、ない物を証明するのはある物を証明する何倍も難しいのですが…

>彼の本などを読むと、何か物理学の理論?を使って死後の世界や幽霊を否定して いるのですが、

読んだことないのですが、どういう理論で否定しているのかちょっと興味がありますね。あ、そういう物だと信じられて鋳物を科学を使って説明を付けることが出来る。というのならば、見たことありますが…

>死後の世界を否定する科学者は「科学的」でないと言っていいのですか。

死後の世界だけではないですが、私も日頃からそう思っていました。

これは個人的な意見で、これこそ科学的ではないのでしょうが、彼のような現在の物理学などの枠にとらわれている様な科学者が今の科学の先端を走っている限り、これから先、大きな進化がないのではないでしょうか。と思っています。検証するのはいいのですが、特に彼はどうも最初から色眼鏡で見ているように見えるのです。信じるとか信じないの問題はあくまで個人の意見として留めて置いて、科学者としては中立な立場で活動を続けていってもらいたいと思っているのですが…

投稿日時 - 2002-05-17 14:28:39

お礼

ありがとうございます。

たしかに無いものを証明するのは難しいと思いますね。

後半の意見は同感です。

投稿日時 - 2002-05-17 20:33:18

ANo.1

科学的な『仮説』だとお考えになってはどうですか?

現段階では証明されていないが、そうであっても他の事実と食い違いを起こさず、実験観察によって反証可能な説と言うのが「科学的な仮説」です。

死後の世界については、仰るとおり死んでみないと判らないわけです。そこで、やっぱり将来のことを知りたいから、それを生きているうちに議論する訳ですが・・・

「死後の世界はない」と言う仮説は、いまのところ他の事実との不具合を起こしません。そして、誰かが死後の世界にカメラでも持ち込むことに成功して、あの世から映像を送ってくれれば、その仮説は間違いであったことが証明できる(=反証可能)なわけです。

「死後の世界はある」と言う仮説は、例えば「どこにあるのか」と言う問題や「死んだ人で満員にならないのか」などの問題を抱えてます。

そして、それを反証する方法がないわけですね。「あるんだから仕方がない」と言うのは科学的とは言えません。

でも、例えばなんらかの観測によって、もうちょっと具体的に「○○の座標を中心とした、△△と言う数学的な次元に存在するだろう。」と言うような仮説は科学的です。

それならば「再現性の有無」や「観測方法の精度アップ」によってその仮説が間違いだという反証の可能性が出てくるからです。


個人的には死後の世界があった方が面白そうなんですけどね。(笑)

投稿日時 - 2002-05-17 14:28:31

お礼

こんなくだらない質問にすばやいご回答をしていただきありがとうございます。

なるほど、仮説と反証という考え、勉強になりました。

投稿日時 - 2002-05-17 20:27:14

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