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解決済みの質問

授業は二の次?

教授が言うには大学の教員は研究をすることが第一の仕事だから授業に力を入れている先生は研究者としてはたいしたことがない教授が多いと言ってました。その先生は学会の発表とかでよく授業を休み学生からの評価は低いです。こんな教授の発言は正しいと思いますか?

投稿日時 - 2007-04-10 17:02:10

QNo.2910206

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

#1~#5様全てのご意見に賛同です。

さて、「こんな教授の発言(授業に力を入れている先生は研究者としてはたいしたことがない教授が多い)は正しいと思いますか?」の「正しい」には、いくつか別の意味があります。質問からは読み取れませんが:
(1)正義、あるべき姿という観点でそれでよいという正しさ。正しくないと思います。まずは教育をまっとうにやることが教授の責務。ちゃんと授業をするという契約ごとのもとに学生は授業料を払い、教員は給与を受け取り講義する(べきだと私は思う))
(2)正義倫理とは別に「授業に力を入れている先生イコール研究者としてはたいしたことがない」の状況認識に間違いないという正しさ。ご質問の趣旨はこっちになるかもしれないですが。研究能力がないと自覚して教育に集中している教員もいるし、授業も研究も全力集中の教員もいるし、両方さぼりもいるし、研究放置して授業に専念しても学生から評価されない教員もいるし。どっちかというと、授業をしっかりやっている教員は研究もしっかりやっているという感じを私は受けていて、たぶんその教授の発言は逆なんじゃないかなあ、と思っています。

ちょっと話がずれますが、
学生からの評価が高い教員も、結構インチキな場合があります。中には迎合している教員もいるでしょうし、出席してさえいればAをあげると公言したり、ひたすら講義のレベルを落とし冗談で時間を過ごしたり。
いっぽう、ずいぶん学生のために努力しているなという先生が、学生からは評価が低かったり(その先生は熱意とは逆に要領がちょっと悪いので空回りなわけで、学生も「熱意はわかるんだけど」なんて言ってます)。

以上は私のオーバーオールな状況認識。次に教授および質問者様の発言の個々については、

「学生からの評価は低いです」→学生の受けを狙うなんてことやってれば最低の下ですから、これはまあどうでもよいことかと。ほんとに良い先生って、浅いつきあいの学生にはわかりません。

「学会の発表とかでよく授業を休み」→これはまずいなあ。無責任じゃないか。一般社会では契約不履行に近いんですが、これをうるさく咎めないのも大学のおおらかさというかいい加減というか。私も実は教員で年に何回かは休講が余儀ない事態となるので大きなことは言えませんが。

「大学の教員は研究をすることが第一の仕事だから」→大学の人事評価システムはそうなっているのです。論文をいくつ出したか、まずはそれだけ。まあ成果指標としてはわかりやすいですが、くだらないですよね。レベルの高さはわからない、本当に革新的な仕事の真の価値は10年後じゃないとわからなかったり。なにより、研究が本当に第一の仕事か、教育は犠牲にしても良いのか、という大きな問題が残ります。教育のほうはあまり評価されません、まず約束事としては教育だと私は思うのですがね(このへんは#5様と全くかぶるようです)。研究第一主義なんて大学はありますが、教育第一主義とはあまり聞きません。これはやっぱり、一つには教育成果を測る指標が難しいというのもあるでしょう。学生の評価が指標になればいいのですが使えません。授業アンケートでも真面目に書いているのかと読んでる方が腹が立つのが多いですから、学生にも責任があります。

ちょっと散漫になりました。日頃思っていることを書き連ねてしまったので。

投稿日時 - 2007-04-10 23:16:00

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回答(7)

ANo.6

いわゆる一流大学では、残念ながら、授業は「雑用」です。
教授の評価が、「研究」によって行われるのでやむをえないでしょう。
次代を担う学生の教育にも力を注ぐべきでしょうね。

学生を良いところに就職させるのが良い教授と見られているくらいの大学だと、少し違うかも。

学生が手間がかかり、教授も研究などあまりやったことが無い程度の大学だと、良い授業をして、学生を手取り足取り教えるのが良い教授。

投稿日時 - 2007-04-10 22:13:17

ANo.5

実態としてはまぁそうでしょうね。
教育力と研究力はそれほど関連しない事象だと思います。
教育力もあり研究力もある優秀な人もいれば、片方しか無い人もいるでしょう。
両方無い人もいるんでしょうが、大学にいられるのかな。

学者の評価ってのは研究実績です。
研究実績を挙げれば学者として評価されますし、出世にも繋がるでしょう。
早く教授になれるとか、良い大学良い研究環境の所に移れるとか。
しかし、教育力があっても出世するでしょうか?

思うに、これは人事や給料の出し方に問題があるのです。
人事は、研究に対する評価で行われます。これが給与に関連しているのがまずおかしいです。
国の補助金頼みとはいえ、学生から金を巻き上げているのは間違いありませんから、学生に対して何をしたかで給与を決めるべきなのです。
研究だけしたい人は研究をさせればいいです。場所も只で貸せばいい。
ただし給与は0、若しくは研究に対する評価分だけにすべきです。
そうでないと、学費は学費でなく研究に対する寄付金になってしまいます。
乞食でもお恵みくださいと言うかも知れませんが、教育せず頭も下げずに学生から金を巻き上げるなら乞食以下の詐欺師です。
研究をするのは(公共の福祉に反しない限り)自由ですが、それは大学人に限ったことではありません。
研究していればお金が天から降ってくるというのはおかしいです。
そうでないと、ガキのお守りなどしたくはなくて研究だけしたいような人の芽も潰しますし、学生も伸びません。
教育と研究、給与の面でもきちんとけじめをつけるべきです。

実際、研究は研究で忙しいです。また、有意義なことです。
だからといって、指導力もないのにその自覚すら足りず、指導者面して給料だけ貰おうというのはおかしいです。
研究実績がない分には、通常その自覚は十分にあると思います。

投稿日時 - 2007-04-10 22:02:02

ANo.4

休講すると学生の評価が下がるとは、ウチとは正反対だ・・・。それはおいといて・・・。

確かに相関関係はあると思います。ただ「正しいか間違っているか」の二元論で捕らえると危険です。授業が下手でかつ研究もしていない教員だって沢山います。逆に、第一線の研究者でかつ授業が上手い教員だっています。

そもそも大学教員の能力は千差万別です。ある教授の能力が100あったとして、授業に80、研究に20の力をつぎ込んでいたとします。別の大学教員は200の能力を持ち、授業に90、研究に110の能力を居たとします。

後者の人が「授業に力を入れている先生は研究者としてはたいしたことがない」と言ったとしても、その人は授業の能力においてでも前者の教授を上回ってますよね。

つまり、正しいか間違っているかの二元論では論点を間違えて見てしまうと思います。大学生は自分で授業を選ぶ事ができます。だから色々な教授が居ても言いと思います。どの教授に教えを受けるかは学生が選べば良いと思います。私は休講万歳なので、休講の多い教授を選びます。

投稿日時 - 2007-04-10 18:29:04

ANo.3

正しいと思います。
大学は教育機関でもありますが、研究機関としての役割の方が大きいです。
そして、教員に必要な実績は論文・研究費・賞の次に特許・著作・講演が続き、
授業や学生の評価は全く関係ありません。
もちろん、教育機関に求められる最低限の義務は果たしますが、
可能な限り研究に力を注ぐべきだし、実際研究成果の方が社会から強く求められています。

そもそも、大学生なら本に載ってるようなことは独学すべきで、
人に教えてもらう事ではありません。

投稿日時 - 2007-04-10 17:41:06

ANo.2

正しい、正しくないは別にして、

私なら この教授の発言を、授業に力を入れられない自分は 研究者としては一流なんだ!という自己弁護だと 受け取りますけど・・・・

投稿日時 - 2007-04-10 17:16:58

ANo.1

ある程度は正しいと思います。
だってせっかく真面目に授業をしても少なからずの生徒が授業聞かない、勉強しない、テストも舐めているとしか思えないくらい点数が低い、という現状がある以上、「やってられるかよ」という気持ちになっても仕方ないと思います。聞いた話によると授業をやる事が面倒くさくて仕方ない、という人が多いらしいです。自分は研究者であって働き口がないから教員をやっているだけであって、やりたいわけではない。という人が多いらしいです。

まあお金をもらっている以上ベストを尽くすべきだと思いますけど、勉強しない学生にも問題がありますよ。

投稿日時 - 2007-04-10 17:12:16

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