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なぜアメリカはヨーロッパに支配されたのか?

植民地時代、ヨーロッパはアメリカ大陸に進出し、北アメリカではネイティヴインディアンを一掃し、南アメリカではアステカやインカ帝国を抑え支配します。アフリカやアジアでは、経済的支配などはあったもののアメリカ大陸のようなヨーロッパ人の移住などの支配とはまた違うように見えるのですが、なぜなのでしょうか?
アジアにはそれぞれ大きな文明が成り立っていたからでしょうか?(南アメリカでも文明は成り立っていましたが)

なぜアメリカへ大陸の進出はアジアやアフリカなどに比べると、比較的簡単にだったのでしょうか?
他の地域と異なる、アメリカ大陸におけるヨーロッパ人の成功の原因は何があったのでしょうか?

長くなり申し訳ありません。
よろしくお願いします。

投稿日時 - 2007-05-22 12:53:38

QNo.3020731

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回答(8)

ANo.8

 参考までに・・・
 先の回答でも出ている通り、免疫の無い病気をもちこまれたアメリカ先住民社会は大きな被害を受け、征服を容易にしたようです。
 また武器等の生産技術の違いや、隔絶されていた故の外交下手なども原因かと思います。
 ラテンアメリカでは支配国出身であるにもかかわらず、武力征服反対の立場から詳細な報告を残した人物がおり、著作の日本語訳も出ているので、そちらを読みますと当時の現場の生の声が聞けますよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B9



 

投稿日時 - 2009-02-08 01:26:56

ANo.7

 No3です。伝染病について

 旧大陸と新大陸と言う言い方をしますが、旧大陸に属するヨーロッパ・アジア・アフリカは、陸続きでアメリカ大陸のように伝染病は隔離されておらず、ヨーロッパにある病気で人から人に感染するものは、既にアジア・アフリカに行き渡っていました。
 尚、蚊や動物が媒介し、人間から人間へ感染しない病気の場合は、一部地域にとどまることがほとんどです。

 旧大陸から新大陸に入った病気で有名なのは天然痘ですが、新大陸から旧大陸に入った病気では、梅毒が有名です。

 梅毒は、1492年にコロンブスと共にアメリカに行ってきた船の乗組員が最初に旧大陸に持ち帰ったとされ、短期間に世界に広まりました。16世紀のはじめ(=1500年代)には、大陸を横断して日本に到達し、ヨーロッパ人が種子島に漂着(=1543年)するより二十年以上早かったと言われています。

投稿日時 - 2007-06-26 12:11:31

ANo.6

北アメリカの開拓は・・・・
オランダとかイギリスとかフランスとか。
宗教的マイノリティ(清教徒)が移住したり、後の時代には国で食えない人々が移住したり(ジャガイモ飢饉)。

アフリカ大陸に本格的に興味が持たれたのは18世紀だか19世紀だか。
アフリカはヨーロッパ人にとっては長い間、「暗黒大陸」未開の地でした。
初めて本格的に探検したのは19世紀のイギリスの宣教師、リビングストン博士。
ヴィクトリアの滝を見つけた人です。

アジア各地もだんだん植民地になりました。
日本は第二次大戦で負けるまで西洋の諸国に支配されることはありませんでしたが、清(中国)だってイギリスに押されましたでしょう。
フランス、オランダなども領地を持っていましたし。

時代が混ざってしまいますが、中東もオセアニアも白人が進出した歴史があります。
太平洋の島々も。

結局のところはだんだん世界各地に広がって、あちこちでヨーロッパ人が成功していたのでしょう。
北米ほど多くはないにしても、植民地在住や植民地育ちの白人はいましたし・・・。

北米の場合は思うに、欧州から大西洋を挟んで向こう側だったので、アフリカを回ってアジアへ行くより進出しやすかったのではないでしょうか??
※スエズ運河は1869年開通だそうです。
気候もアフリカよりは馴染みやすかったでしょうし。
とはいえ、初期には上陸しても食糧難(先住民に助けられた)とか、その後の時代には欧州から北米への移民船で疫病が発生して乗客が死ぬとか、困難はあったようですが。

北米のインディアン(先住アメリカ人)は、統一国家を持ちたがらなかったとかいう話を読んだことがあります。
各部族ごとに首長がいて、首長どうしで集まったりはしていたそうですが、がっちりした国家というのはなかった。
アメリカ先住民も銃を手に白人に対して抵抗して戦ったのですが、そもそも銃は白人が作ったものですし、武器や技術の面でも勝てなかったんじゃないかと思います。

※やはり『銃・病原菌・鉄』が出ましたか。読んだことないけど、書名は知ってました。
同じ著者の『文明崩壊』を途中まで読んで挫折中です。

アフリカもとんでもなく多民族ですよ。

投稿日時 - 2007-05-22 17:01:38

お礼

そうですよね、程度の差こそあれ、白人が進出してない国・地域はないに等しいですよね。
日本にもペリーが来ましたし。

ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

投稿日時 - 2007-06-11 04:03:16

ANo.5

伝染病による効果を有力視する書籍としては
銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎 (単行本)
ジャレド ダイアモンド (著)
これがあります。
まさしく、アメリカ大陸がなぜ、あっけなく支配されたかの謎解き。

簡単にまとめると、家畜文化を持っていたユーラシアの人類は、各種の伝染病に対して免疫を持っていた。だが、家畜文化を持たないアメリカの人類は、免疫を持たないが故に、あっという間に人口減になった。
たしか、インカは人口5千万くらいで、当時のスペインは1千万にいってなかったと記憶しております。
まぁ ピサロは168人の部隊でしたので、母国の人口を云々言う前の話になります。

投稿日時 - 2007-05-22 16:32:58

お礼

ありがとうございます。
書店で探して読んでみたいと思います。

投稿日時 - 2007-06-11 03:59:40

ANo.4

全ての地域をまとめますと、色々あり、まとまりませんから、南北アメリカ、アフリカ諸国、アジア諸国、オセアニア諸国(オーストラリア・ニュージーラド)に分けて考えてみてください。

まず、ヨーロッパ人が最初に殖民活動を行ったのが、南北アメリカです。
イギリス・フランスは、北米に、スペイン・ポルトガルは中南米に殖民活動を行います。
この南北アメリカ植民地は、原則的に殖民を行うタイプの植民地で、本国人が積極的に殖民を行っています。
これは、まだヨーロッパ諸国が貧しく、また当時の人口の増加に食物生産が追いつかず、各国とも人口過剰感に悩まされていました。
また、自国の強化のためには、自国の拡大が有効であると信じられていたため、自国と同一の制度・文化をもった地域を拡大する事により、自国の国力増強を試みたためでもあります。

植民地の現地人人口は、関係有りません。
スペインは、人口稠密地域である、アスティカ、マヤ、アルトペルーなどにも殖民活動を行い、現地人の人口の多いところほどスペインの拠点となっています。

しかし、近世がすすんできますと、国力の増大は、人口ではなく、経済力がものをいう時代になってきます。
そうなりますと、自国と同じ経済環境を持つ植民地は、自国の経済的競争相手となってしまいます。
また、植民地経営に経費がかかるため、本国の経済的負担が増大します。
このころ植民地化されたのが、アフリカでありアジア諸国です。
アフリカは、自然環境が厳しいため、ヨーロッパ人の入植が進まず、アメリカ大陸に遅れをとっていました。

これらの植民地では、本国の経済的利益を十分に満たす事を目的に植民地が形成されました。
そのため、ヨーロッパ人の殖民よりも、経済支配優先で行われたため、アフリカ諸国では、今日でもその状況から抜け出せないでいます。

アジア諸国の場合、既に民族形成が終り、民族国家が成立していたため、ヨーロッパ諸国は、その民族国家を通して、または自分の意図にそう人物などを立てて統治しました。
そのため、国境などは、民族分布に近く、民族の慣習なども保存され、独立後の国家形成に役立ちました。

なお、スペインが、アスティカやインカを滅ぼしたのは、自力ではありません。
アスティカを滅ぼすのには、アスティカと敵対していたトルティカ族の全面的支援を得ています。
アスティカ攻撃軍の主力は、むしろトルティカ族でした。
これは、「アスティカを追放されたケッツァルクワトロ(翼の生えたヘビで、白い肌の人間の化身を取るとされた)が、いつの日か東方より現れてアスティカを滅ぼす」という伝説があり、東よりやってきたスペイン人をケッツァルクワトロの再来と信じたため、一族をあげてアスティカ攻撃に加わったためです。

インカの場合もにたようなもので、当時のインカ帝国は、兄弟二人が帝位を争っており、その一方に味方し、味方した方を捕らえてインカの実権をにぎってしまいます。
これも、インカの最重要神であるビラコチャが、やはり白い肌をしていたとされるため、スベイン人をビラコチャの再来と信じた事も原因があります。

アスティカ・インカをスペインが乗っ取ると、その機構を利用して統治したため、比較的人口の多いところもスムーズに統治する事ができました。
逆に、現地人の人口の少ない所ほど、植民地化には時間がかかっています。

投稿日時 - 2007-05-22 14:10:04

お礼

ありがとうございます。
なぜアフリカ大陸やアジア大陸への植民地化がアメリカ大陸とは異なるのか、よくわかりました。

北アメリカでは、アフリカ大陸ほど自然環境が厳しくなく、統一した文明国家や、民族形成がなされていなかったために、ヨーロッパ人の入植を許したということでしょうか?

投稿日時 - 2007-05-22 14:36:26

ANo.3

 ヨーロッパの植民地となった地域の人口がかなり大きく違っていたことが一番大きな原因でしょう。

 アジアの米作地域は米という作物のおかげで、単位面積当たりの人口が大変多くなっています。

 アメリカ大陸では、ヨーロッパ人の植民地運営に必要なだけの労働人口を確保できず、アフリカから多くの黒人を奴隷としてつれていきました。
 
 天然痘などの致死率の高い伝染病が存在しなかったアメリカ大陸に、ヨーロッパ人と共にこれらの伝染病が持ち込まれ、もともと住んでいた人々の人口が急減したことも、アメリカ大陸の人口の少なさの原因となっています。

投稿日時 - 2007-05-22 13:19:58

お礼

ありがとうございます。
稲作のおかげで人口が多かったとは知りませんでした。

ヨーロッパ人がアジアに進出したときも伝染病は起こったでしょうけど、稲作という効率のよい食糧確保の方法のためにアメリカ大陸ほどの人口急減はなかったということでしょうか?

なぜアフリカでは労働力確保ができたのでしょうか?(アフリカにも伝染病は伝わったでしょう)
また労働力確保ができたアフリカでは、なぜ直接的な植民地建設をおこなわなかったのでしょうか?

質問続きで申し訳ありません。
もしご存知でしたらよろしくお願いします。

投稿日時 - 2007-05-22 14:09:36

ANo.2

当時のアジアと新大陸では住民の人口がまったく違うのではないですか?

投稿日時 - 2007-05-22 13:13:14

お礼

人口とは気がつきませんでした。
ありがとうございます。参考にさせていただきます。

投稿日時 - 2007-05-22 13:58:18

ANo.1

単なる、私の個人的な意見ですが、南・北アメリカの原住民が文字を持っていなかったことが、欧州人に簡単に征服されてしまった一番の原因だと思います。 現在でもそうですが、情報を制した者が、本当の戦争でも、経済戦争でも勝者になります。 その情報伝達のための重要な手段である文字を持たなかったと言うことは、侵略してきた欧州人と戦う上で、致命的な欠陥だったのでしょう。 日本でも文字を持っていなかったアイヌは、倭人に征服されてしまいました。 アフリカも同様でしょうが、南・北アメリカが侵略された15,16世紀当時としては、気候、風土、野獣等々危険な要素が多すぎて、全面的に征服されなかったのでしょう。 しかし近代においては、アフリカのほぼ全土が欧州の植民地になりましたし、比較的住みやすいと思われる、南アフリカや、ジンバブエはかつて白人が支配する国でした。

投稿日時 - 2007-05-22 13:10:41

お礼

なるほど、文字ですか。アステカ文化は独自の絵文字を使っていたようですが、インンカ文明は文字を持っていなかったんですよね。

ありがとうございました。参考にさせていただきます。

投稿日時 - 2007-05-22 13:56:16

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