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解決済みの質問

構造主義の欠陥

構造理論の致命的な欠陥は何でしょうか?

投稿日時 - 2007-07-31 15:59:30

QNo.3215454

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

#2です。

#3のかたの回答を拝見して、本丸にいらっしゃるかたというのは元気なんだなあ、と思わず笑ってしまいました(いや、これはまったく悪意ではありません。素直に感心したんです。わたしがかつていたところでは、そのころでさえ「もうとっくに終わった」みたいな、まだテクストとか言ってんの、それよりはポスコロだ、フェミだ、みたいな寒冷前線が長期停滞してましたから)。

> そしてその力は個人の「いまここ」における力であるという風に考えられているのです。

いや、カッコイイです。一度でいいから、わたしもこんなふうに力強く言ってみたいものです。

さて、#3のかたの回答に対して、わたしは何らかの意見が言える立場にはありませんし、そのつもりもありません。
ただ、#2の回答に関しては、わたしの意見であるというよりも、「構造主義」という「ツール」に対する最大公約数的な批判として、ごく大ざっぱな質問に対するごく大ざっぱな回答(「誤解」?)でしかありません。その上で、#2の回答、もしくは「誤解」の典拠をあきらかにしておきたいと思います。

ほんとは一次文献、バルトの『S/Z』とか、デリダの『グラマトロジーについて』とか、あるいはリクールの『解釈の革新』あたりからきちんとした批判の箇所を探して引用するべきなんでしょうが、さすがにいまその気力はありません。ですから、ここでもとっても便利なイーグルトンの『文学とは何か』から引用することにします。典拠の有効性を含め、この回答に対してさらに批判をくださったら、きっとわたしは楽しく拝見するでしょうが(実はちょっと期待していたりもするのですが)、そのご批判に対しては応えるつもりがないことはあらかじめ明記しておきます。

---『文学とは何か』----
(p.150-151)
…これが構造主義の方法だとすれば、ここからさらに三つの特徴をとりだせるかもしれない。第一の特徴としては、構造主義で論じられる物語は、偉大な傑作である必要はないということだ。構造主義の方法は、対象とする作品の文化的価値にはいっさい関心を示さない。『戦争と平和』("War and Peace") だろうと、選挙標語 (war cry) だろうとなんでもかまわない。その方法は、あくまで分析的であって、価値評価的ではない。第二の特徴として、構造主義は、あえて常識に挑戦する。構造主義は、物語の「明白」な意味をこばみ、そのかわりに、物語の中にあって、表面にはあらわれてこない「深層」構造を、抽出しようとする。構造主義は、テクストを額面どおりには受けとらず、それをまったく別様の対象物へと「ずらす」のである。第三の特徴は、もし、テクストの個々の内容をほかのものに置きかえることができるなら、ある意味で、物語文学の「内容」とは、その構造にほかならぬと、言うことができることだ。これは、物語文学が物語るのは、ある点においては、自分自身にほかならぬと言うに等しい。その「主題」とは、それ自身の内的関係であり、自分自身の意味形成の様式なのである。

(p.152)
 構造主義一般は、言語以外の対象や活動にこうした言語学理論をあてはめていこうとする試みである。神話、プロレスの試合、親族関係の体系、レストランのメニュー、油絵など、すべては記号の体系とみることができる。そして、こうした記号が結合されて意味となるとき依拠する深層の諸規則を、構造主義者である分析家は抽出しようとするだろう。構造主義は、記号が実際に「語っている」ことについては、おおむねこれを無視してはばからない。そのかわりに構造主義者が焦点を絞るのは、記号の内的関係である。構造主義とは、フレドリック・ジェイムソンが述べたように、「あらゆるものを、言語学におきかえ再考に付す」試みなのだ。

(p.162)
…彼(レヴィ=ストロース)はいう。神話とは、一種の言語にほかならず、神話は、個々の単位(「神話素」mythemes)へ分割できる。言語における基本的音声単位(音素)と同じく、この神話素もある特定のやり方で結びあわされてはじめて意味を獲得する。となると、そのような結合を支配する規則は、一種の文法とみてよいことになる。神話の真の「意味」をつくりあげるのは、物語の表面下にあるそのような諸関係の束である。この諸関係は、レヴィ=ストロースの考えるところでは、人間の精神そのものに内在している。…こうした思考をおこなう精神は、もはや個々の人間主体に属さない。神話が人間を通して神話みずからを思考するのであって、この逆はない。…したはって、構造主義がもたらす一つの帰結は、個々の人間主体の「脱中心化」である。人間主体は、もはや意味の起源ないし目標(end)=終りとみられることはない。神話は、個々の人間の思索を単なる気まぐれとして超然たる態度でしりぞけつつ、神話自身の「具体性の論理」を展開し、個々の人間の意識はいかなるものも、これを神話自身の一機能にすぎぬものに還元してしまう。

(p.169-170)
…「純粋な」構造主義の考え方では、深層規則は普遍的で、個々の文化を超越した集合的精神のなかにあらかじめ組み込まれている。レヴィ=ストロースが想像したように、深層規則は、人間の頭脳構造そのものに根ざしているのだ。だから、構造主義とは、簡単に言ってしまえば、あきれるばかりの反歴史主義なのだ。構造主義が分離に成功したと主張する、精神の諸規則――平行性、対立性、転倒性その他――は、人間の歴史という具体的な差異のレベルからはいちじるしくかけはなれた一般性のレベルにおいてのみ、作用するものだった。このオリンポス山の高みからながめれば、人間の精神などどれもこれも似通ったものにはちがいあるまい。文学テクストの深層規則体系を逐一特徴づけたあとで、構造主義者に残されていることといったら、椅子に深々と腰をかけ、さて次になにをやろうかと思いをはせることだけだ。
------

投稿日時 - 2007-08-04 07:16:59

補足

もしアルチュセールやラカンに対する当時の世評や批評(正しいかどうかはともかくとして)などをご存知でしたら是非お教えください。
宜しくお願いいたします。

投稿日時 - 2007-08-06 20:28:07

お礼

ご回答ありがとうございます。

たいへん参考になりました。

投稿日時 - 2007-08-06 20:21:12

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6人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(9)

ANo.9

>アルチュセールやラカンに対する当時の世評や批評

ここで適当なことを言うより、ご自身で読まれた方がよろしいかと思いますので、参考文献をあげておきます。

まずラカンに関しては、講談社現代新書から出ている新宮一成の『ラカンの精神分析』に詳しいです。ラカンの理論が「ローマ講演」からどのように迎え入れられたか、パリ・フロイト派の設立から解散まで、など、この本には思想的な側面だけではなく、当時の状況が書かれていますので、そうした方面の問題意識にも応えることになるかと思います。これはどこにでも売ってます。

アルチュセールはたぶん今村さんの本を読むとわかるかと思います。
そのうち読もうと思ってわたしはまだ読んでないんですが、今村仁司『アルチュセールの思想――歴史と認識』(講談社学術文庫)あたりが参考になるはずです。こちらは少し古いので、大きい本屋か図書館に行く必要があるかもしれません。

以上、参考まで。

投稿日時 - 2007-08-07 17:53:09

お礼

どうもご回答ありがとうございます。

たいへん参考になりました。
明日本屋さんで探してみます。

またよろしくお願いいたします。

投稿日時 - 2007-08-07 23:54:42

ANo.8

 いろいろな社会構造など諸構造を解体することには寄与しますが・・・おおまかにいえば、

 構造主義に嫌悪する人たちに共通するのは、その強烈に観念的になりがちであることでしょう。議論はあれこれあるので一概にはいえません。ただこれを現実分析にかなり応用する人もいます。

 しかしほとんどはきわめて観念的で、おおくの場合、積極的な意味で「答え」がありません。よくいえば、天上で世界を見つめる神のような存在ですが、悪くいえば何も現実的な手だてや解決策を提出する手前で止まります。あるいは「できない」と暗に主張する論理が構造主義です。

 一言で言えば、相対主義です。相対主義は、あたかも何らかの諸悪の構造を見抜いたかのようですが、実はいくつか罠があります。まず、相対主義はそれ自体が悪質な普遍主義になるということです。これは井上達夫の相対主義批判でもあります。そして多くの場合、隠れた諸悪を構造的に追認するということにもなりかねないのが現状です。

 まだ現実分析的な開発経済学でいえば、構造主義は先進国と途上国は構造的に格差があり、この構造には解決できないすべきではないと考えていました。これはある意味で正しく、別の意味では間違っていました。

 構造主義的な開発経済学者は、50年代に普及したとされますが、以後のアジアの急速な発展を予期していませんでした。

 多くの構造主義者には、かなり共通して現実感覚がない場合が多いのです。







 

投稿日時 - 2007-08-06 22:28:57

お礼

どうもご回答ありがとうございます。

たいへん参考になりました。
またよろしくお願いいたします。

投稿日時 - 2007-08-07 23:49:31

ANo.7

本来の存在目的と異なる、ある目的を以って構成された構造はその目的の達成を以って解体され再構築されていかなければならないが、根底からの変化に融通性がなく、そのままであり続けようとする力が強くその解体が困難であること。
長期に渡る構造化は各パーツに再利用のための応用性、融通性が失われていること。
破綻を予測させる変化の段階で、過渡的にカオスに陥りやすいこと。

投稿日時 - 2007-08-05 11:41:40

補足

ご回答ありがとうございます。

たいへん参考になりました。

投稿日時 - 2007-08-06 20:19:24

お礼

もしアルチュセールやラカンに対する当時の世評や批評(正しいかどうかはともかくとして)などをご存知でしたら是非お教えください。

投稿日時 - 2007-08-06 20:27:43

ANo.6

No.3 です。
つい力が入ってしまいました。#2/5の方のおっしゃる
>本丸にいらっしゃるかたというのは元気なんだなあ、と思わず笑ってしまいました。
には、恐縮致しますとともに、失礼な発言を深くお詫び申し上げます。

なお、私自身はANo2の冒頭で申し上げましたとおり、「広義の構造主義者」であります。つまり、傍流の構造主義者です。本丸にはいません。というか、本丸がどこかも知りません。

さて、レヴィストロースはヤーコブソンの影響で構造主義者になりましたが、ヤーコブソン自身は普遍性の信奉者です。
>「「純粋な」構造主義の考え方では、深層規則は普遍的で、個々の文化を超越した集合的精神のなかにあらかじめ組み込まれている。」
というのはここから来たものでしょう。

私自身もヤーコブソンの影響を受けていますから、そこでの批判は私にもビシビシ来ていますが、じつは、この普遍性というやつ、構造主義では傍流なんです。多くの構造主義者は相対主義者なんですね。ここが複雑なところで。そういう意味ではイーグルトンの批判は構造主義批判ではなく、一構造主義者(レヴィストロース)批判にすぎない。

もう一つ、私がわざわざ、ソシュールを持ち出したのは、ソシュールの全てを構造主義者がはじめから継承し得たわけではないから。構造主義者が継承し損ねたものを継承したのが、バルトやデリダであったから。


#「構造主義とは、簡単に言ってしまえば、あきれるばかりの反歴史主義なのだ。」というのは、私に言わせれば、「あきれるばかりの誤解なのだ」。根拠はこんなところでは言い尽くせるわけがないのでやめておきますけど。

投稿日時 - 2007-08-04 10:10:15

補足

もしアルチュセールやラカンに対する当時の世評や批評(正しいかどうかはともかくとして)などをご存知でしたら是非お教えください。

投稿日時 - 2007-08-06 20:25:08

お礼

ご回答ありがとうございます。

たいへん参考になりました。

投稿日時 - 2007-08-06 20:20:45

ANo.4

難しいことは、さっぱりわからないけど、
構造主義と言われると、
構造・体系・システムと言った中での「関係」を重視する。
こんな個人的、印象ですが、
「存在」より「関係」を重視する、
「関係」からの「存在」は、判らない訳ではないけれど、
複雑に成りすぎて、私のような一般人には、理解できない。
これが致命的欠陥かも知れませんね、おそまつ。

投稿日時 - 2007-08-04 06:56:22

補足

もしアルチュセールやラカンに対する当時の世評や批評(正しいかどうかはともかくとして)などをご存知でしたら是非お教えください。
宜しくお願いいたします。

投稿日時 - 2007-08-06 20:29:41

お礼

ご回答ありがとうございます。

最も一般的な世評の一つだと思います。
たいへん参考になりました。

投稿日時 - 2007-08-06 20:22:46

ANo.3

広義の構造主義者としては、構造主義に致命的な欠陥があるとは考えません。
したがって、回答とはなり得ないのですが。

構造主義の祖であるソシュールを見てましょう。

時間の概念がない?
とんでもない、ソシュールは歴史言語学者でした。通時変化と共時態を区別することが、ソシュールの第一歩でした。

ディスクールの意味の評価をおこなわない?
えっ? 意味論は構造主義言語学の中心的課題ですけど?

ま、そのほか、全体的な構造しか見ないので、個々の人間を見ないとか、静的な構造しか考えないので、ダイナミズムに欠ける、という「誤解」があります。

あえて、誤解と申し上げます。ソシュールにはすでに構造を変える力、今風に言えば(ポスト構造主義風に言えば!)脱構築力とでも言いますか、それさえも含んでいます。

そしてその力は個人の「いまここ」における力であるという風に考えられているのです。

もちろん、構造主義は一つの視点に過ぎません。
別の視点からの考え方もあるでしょう。
しかしそれらは一方が正しく、他方に欠陥がある、というのではなく、単に物の見方の違いに過ぎないのです。(これも構造主義のテーゼですが)

投稿日時 - 2007-08-03 16:08:47

お礼

ご回答ありがとうございます。

たいへん参考になりました。

投稿日時 - 2007-08-06 20:23:08

ANo.2

これだけの質問ではなんとも言えませんが、それでもあえて問題点をあげるなら

・時間(歴史性)をうまく扱えないこと
・ディスクールの意味の評価をおこなわないこと

の二点ではないかと思います。

投稿日時 - 2007-08-02 08:49:36

補足

ご回答ありがとうございます。

もし他にも気付かれたことがありましたら是非お教えください。
もちろん個人的な評価でかまいませんので宜しくお願いいたします。
(個別的な問題点でも何でも結構です)

投稿日時 - 2007-08-02 21:53:29

あなたが構造主義に致命的欠陥があると理解できた経過を教えていただけますか。

投稿日時 - 2007-07-31 17:13:04

補足

補足要求ありがとうございます。

「理解」の意味がちょっと分かりかねますが、そう思うように到った経過を客観的にご説明するのは困難なように思います。

投稿日時 - 2007-08-02 22:00:21

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