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締切り済みの質問

------------ --→  自殺

何を質問するというよりも、少し、自殺について知りたいのです。なんでもいいですので。そのとき人には何が起こっているのでしょう?生物に書き込むか迷ったくらいなので、科学的な見方でもどんどん書いてください。お願いします。

投稿日時 - 2001-02-02 21:23:37

QNo.35688

困ってます

このQ&Aは役に立ちましたか?

11人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(26)

ANo.26

>なぜ「死」がでてくるのか?「生きる」の反対は「生きない」であって、
>「死ぬ」ではありません。何故、「死ぬ」という行為が、
>決まって脳裏に浮かんでくるのでしょうか?

実にそのとおりであり、死ぬ必要などないのです。
先の回答にも書きましたが、結局、「視野が狭まる」のでそれしかないように
思えてくるのです。
人間追い詰められると、とんでもない発想をしたりしますが、その方向が、
「死」のみに向いた人が自殺するとも云えるでしょう。

投稿日時 - 2001-04-18 16:55:03

補足

とても、私には価値のあるたくさんの回答、全てのコミュニケーションでした。皆さん本当に感謝しています。まだ、話半ばですが、回答を締め切らせていただきます。皆さん本当にありがとうございました。

追申:nekoucchaliさん、ここに総じたお礼を書かせていただき感謝してます。

投稿日時 - 2001-05-21 04:47:50

お礼

すいません。御礼が遅くなりました。実はお礼をすぐには思いつかなかったのです。申し訳ありません。
>人間追い詰められると、とんでもない発想をしたりしますが、その方向が、
「死」のみに向いた人が自殺するとも云えるでしょう。
なるほど・・・死のう!という・・・・いやいや、やはりもう少し考えさせてください。すみません。

投稿日時 - 2001-04-23 05:33:08

ANo.25

 「経験者は語る」的に言えば、「死」のみが最後の道として、一筋の光明のように見えてきます。冷静に考えれば他にも方法はあるのに、視野が狭まって「死ぬこと」だけが唯一の方法に見えてしまいます。

 私がどうして生きてるのかって?それでも死ぬのが嫌だったからです(爆)。

投稿日時 - 2001-03-31 11:07:47

お礼

ご回答ありがとうございます。
御礼が遅くなって申し訳ありません。最近帰ってきたので、、。
生きることにやる気がなくなる、これは分かりますが、なぜ「死」がでてくるのか?「生きる」の反対は「生きない」であって、「死ぬ」ではありません。何故、「死ぬ」という行為が、決まって脳裏に浮かんでくるのでしょうか?

投稿日時 - 2001-04-13 01:44:21

ANo.24

G○O って漫画でも書いてあったけどたんぱく質の塊になるだけかな
これはとても私にとって怖いことです そうなると自分の存在はあってもなくてもよかったみたいになるし
嫌ですね(×_×
生命が雷とか海の中でいろんなことが会ったとかで出来たって言われてるんですがこの考えは嫌いです。
そうすると 愛だって性欲を美しく言っただけやし
神様~ いてくださ~い 幽霊はごめんやけど~(笑)

投稿日時 - 2001-02-24 23:07:29

補足

みなさん、ご回答ありがとうございました。今から、4/9まで留守にしますので、御礼が大幅に遅れる事を、ご容赦下さい。

投稿日時 - 2001-03-09 00:19:37

お礼

ご回答ありがとうございます。御礼が遅くなり申し訳ありません。
私は、今でもたんぱく質のかたましに違いないとは思います。それが、とても複雑で、特殊な集まり方をしているので。でも、だから、ややこしくなっているのかと言えば、それだけではないように思います。私が不思議に思うのは、「なぜこのたんぱく質のかたましが、『私』なのかという点です。他の人体でもなければ、他のかたましでもなく、「このたんぱく質のかたまし」が『私』になっているわけです。私は、「神様~いてくださ~い」よりも、「自分~あってくださ~い」って感じですね。なんて、ハハハ、

投稿日時 - 2001-02-26 02:24:23

ANo.23

三度目です。ここの板、なんだか面白いですね。今回は少しアポトーシスApoptosisについて。

>「アポトーシス」とは少し聞いたことがあります。
>細胞自殺という現象でしょう。興味深い事です。
>元気な細胞が突如消滅するのですから。

と言うことでしたが、少しだけニュアンスが違うようです。「細胞の突然消滅」というよりは、「プログラムされた細胞死」というイメージです。「細胞の能動的な自殺死」と表現されたりします。具体的にはカエルの尻尾ですね。おたまじゃくしから、カエルになるとき、あの尻尾はプログラムされたように消えますが、あれがアポトーシスです。また、熱や傷、毒、飢えなどの外的環境変化が原因で細胞が死ぬことを「ネクローシスNecrosis」、日本語だと「壊死(えし)」という言葉が相当します。この場合、細胞死の跡は細胞の中身をまわりに撒き散らすため、それが原因で炎症が起きたりします。火傷や凍傷がいい例でしょう。この点、アポトーシスの場合は、細胞が断片化されアポトーシス小体となったものをマクロファージが食べてしまうため炎症は起きません。さらに「アポビオーシスApobiosis」というのもあって、こちらも「プログラム死」の類いなのですが、一回生まれたら、二度と再生しない細胞(心筋細胞や神経細胞など)の死を、特にアポビオーシスと呼ぶそうです。これは個体の寿命に関係します。

にわか知識なので自身はないですがご報告まで。

投稿日時 - 2001-02-12 02:06:22

お礼

オー、そうゆうニュアンスだったんですか。なるほど、参考になります。「アポビオーシス」というのもあるんですね?考えさせられます。細胞には、再生できる限界回数があると聞きましたが、二度と再生しない細胞も、寿命を決定付ける要因としてあるのですね。参考にさせていただきます。3度目のご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2001-02-12 07:11:05

ANo.22

『ウィトゲンシュタイン』で、検索かけました。まだ、読んでる途中です。ここであなたがおっしゃっている『無意味』とはあそこでかかれている『無意味』という意味なんだったんですね?そうだったのなら、おっしゃってることが少しわかります。引き続き読んできます。

投稿日時 - 2001-02-11 04:37:12

お礼

そうですか、分かってもらえてうれしいです。お手数をおかけします。

投稿日時 - 2001-02-11 10:29:38

ANo.21

再度のお邪魔をします。
自殺に限定せず、勝手ながら「死」というエリアにまで若干足を広げて。

アメリカの精神科医、エリザベス・ロス(だったかな?)という人が、病気で死の宣告を受けた人の精神状態の移り変わりを調査したところ、そこに五つのステップがあることを見付けたそうです。

【否認】「クソ医者め、最近流行の誤診でもしとるんやろ。余命何ヶ月なんて、
     間違いに決まっとるわい」と、自分の死を否認します。

【怒り】「なんでオレが死ななあかんねん! オレよりも先に死ななあかん奴
     がぎょうさんおるんと違うんかい!」と、激しい怒りがこみ上げてき
     ます。

【取引】「先生、何とか一年は保たせてくれよ。お金をたんまり包むから」。
     これは先生だけではなく、神頼みをしたりして、生の引き延ばしを図
     ろうとします。

【鬱】 「やっぱり、あかんのか……」と、深い悲しみに打ちひしがれ、鬱に
     陥ります。

【変容】「しゃあない」と、自分の運命を受け入れ、ポジティブなほうへと精
     神状態が変容します。

否認→怒り→取引→鬱→変容という五つのステップを経て死を迎えるそうですが、六つめのステップとして、死後の世界を信じる人の場合には「期待・希望」もあるそうです。

「死」というものを真剣に考えることは、すなわち、「生」というものをよりよく輝かせようとすることだと、私は思っています。そういう意味では、自殺とは何ぞやということを考えることも、案外、可なのかとも思います。

ところで、この論議を読ませていただいて、ふと、「自由」があまりにも無頓着に拡大解釈されているような感じがしました。人間は本来自由なんだ、だから生きることも自由なら、死を選ぶことも自由だろう、何を思ったって、何を行なったって自由なんだよ、みたいな。でも、生まれてきたこと、それ自体は自由意思の結果ではありませんよね。「私は私の自由意思によってこの世に生まれてきた。よって、その生を終わらせるのも私の自由だ」というのなら、何となくわかるような気がしますが。
「自由」という言葉を、この場合「権利」と置き換えてみてもいいかと思いますが、権利というものは義務の上に────。これは強引に結び付けてしまうことになるのでやめておきます。要するに、生きていることは当たり前なんだということから、すべてがスタートしているのではないでしょうか。

また、「動機と行為の一致に至上の喜びを感ずる」という文言がありましたが、これは誰しもそうだと思います。「動機と行為の一致」のあとに「目的の達成」という言葉を加えればということですが。「行為」とは「目的」を達成せんがための「手段」と考えることができますよね。

「“これをするには、あれがいる、あれがいるから、それをしないと”というのは面倒くさい事には変わりありません(それをしている間は、満たされていません)」

とありましたが、「あれがいる、あれがいるからそれをしないと」ということ、それがまさしく「行為」であり「手段」なのではないでしょうか。しかし、それで得られるという至上の喜びも、すべて生きているからこそなのだと思いますよ。もちろん、私は死んだことがありませんので、死んだ後にその喜びが得られるかどうかはわかりませんから。

ただ、浅学な私には一向わからないのは、「アッ、気が付いたら死んどった」という自殺の場合です。ま、それも死んだあとのことですから、気が付くかどうかもわかりませんが。

投稿日時 - 2001-02-10 19:25:56

補足

お礼の補足です。目的が何らかの「結果」であれば、それに到達するまでの過程(行為)は、「手段」となり「意味」を持ちますが、目的が過程を含まない「行為」そのものであれば、「行為」はあくまで「目的」自体であり、それには「意味」はありません。分かりにくくてごめんなさい。

投稿日時 - 2001-02-11 08:38:36

お礼

再びご回答ありがとうございます。死へのステップですか、知りませんでした。
>でも、生まれてきたこと、それ自体は自由意思の結果ではありませんよね。
私もそう思います。生まれたのは偶然だと。だから、自殺をしても次は選べないと思っております。「生まれる」の反対は「生まれない」だと(「死ぬ」じゃない)多くの人が語られてきたように、私もそう考えております。
>「行為」とは「目的」を達成せんがための「手段」と考えることができますよね。
書き方が悪かったです。ごめんなさい。『目的と行為が一致すること』が至上だという事です。その行為そのものが目的である場合です。非常に単純なことで、多くの人が経験しておられると思いますが、例をあげると以下です。(あくまで例えです)

一致していない場合:サッカーにおいて優勝(勝利)することを至上の目的として、サッカーの試合に臨むとき、試合をするのは勝利を得るための「手段」である。
一致している場合:サッカーをすること自体を至上の目的として、「サッカー」をする場合、試合をするのはそれが「目的」だからである。

 両者の違いは明白です。前者は勝てなかったらがっかりするわけで、後者の場合は「敗北」も「サッカー」の一部なので、結果としての「勝ち負け」に左右されず、サッカーをしている間はずっと楽しい(満足している)状態なのです。彼らの場合、試合が終了すると、がっかりします。

>ただ、浅学な私には一向わからないのは、「アッ、気が付いたら死んどった」という自殺の場合です。
私も不思議に思います。ふらっと落ちるのです。「やっっちゃった!?」みたいな。私も高い所に行った時に、好奇心?で落ちそうになる10%くらいにはなります。これが、100%になってもおかしくないという(考えうる)のがおそろしい所だと思うのです。私の場合は、他にやりたい事がたくさんあるので、落ちない自信はありますが、考えるとぞっとします。

>それで得られるという至上の喜びも、すべて生きているからこそなのだと思いますよ
そうです。「喜び」に限定しませんが、だからこそ、「自殺」できるのは生きているうちで、「自殺」すること自体が目的になっている人が仮に(あくまで例えです)いるとしたら、彼らには生きている間が、望みをかなえるチャンスなのです。


自殺から少しはなれたついでに言いたいのは、『やりたい(好きな)事は選べない』という事実です。わさびを好きになろうとしてもなれません。嫌なものは嫌なのです。しかしある時から、わさびが好きになっていました。勝手に、いつの間にか『好き』になっているのです(例えば)。「お前こんなん好きなん?」というようなシーンはよくあることです。
ついでに言えば、『好きになる人』も同じく選べません。

投稿日時 - 2001-02-11 08:19:23

ANo.20

つけ足しです。
ということで、マイナスの存在も私には「意味がある」ということなのではないですか?

投稿日時 - 2001-02-09 08:41:32

補足

お礼の補足です
『目的と行為が一致する』といったほうが良いかもしれません。

投稿日時 - 2001-02-11 06:59:36

お礼

ほんとはこっちを読んでほしい!ニ段落目です。意図が分かりにくいお礼でごめんなさい。
大切なのは、『動機と行為が一致する』ことを至上とする人がいることです。

>マイナスの存在も私には「意味がある」ということなのではないですか?
 マイナスという意味があるのです。「あいつ引っ越したらええのに」と言う理由です。シンプルな話です。
 「何でBeatlesきくん?」と尋ねられたら、「気分いいから」と答える。
「何の意味があるん?」と訊かれたら、「別に、聴きたいだけ」と答えるのが普通でしょう?
よく、映画や小説を観ていて(読んでいて)「これにはこういう意味がある。」とか、「この映画意味分からん。」など言う人もいますが、私のような者は、「ここが特に面白かって、、、」というようになります(たとえソレが戦争映画でも)。どっちも、当の本人がしたいように体験しています。作り手も「なんでそこがそうなん?」と訊かれたら、「こっちのほうがなんかいい感じやん?」と言う人もいれば、「こういうコンセプトを表現しとうねん。」と言う人もいるでしょう。両方の人もいますね?
「こうだから死にたい」という人も「なんか死にたい」という人も、両方いてもおかしくないと思うのです。ここで大事なのは、後者の自殺をとめるのは、その人のためにならないことです。さらには、「死ぬ事ができんのは生きとううちだけやん?(「死んだ」とは違う、自主性において)」という人までいるかも。
 両段落とも意図が伝わらなかったらごめんなさい。しかし、やはり私の場合には「考えたいから考える。」「知りたいから知る」「これをするのはしたいから」。でも、「これをするには、あれがいる、あれがいるから、それをしないと、、、」というのは面倒くさい事には変わりありません(それをしている間だは、満たされていません)。私が確認できるのは、『動機と行為が一致する』ことが至上だということなのです。ですから、「生きたいから生きとうねん」という人は、生きてる間はずっと満たされています。
ありがとうございました。

追申:一段落目が気になるようであれば「言語ゲーム」または「ウィトゲンシュタイン」について、質問などして調べてみるといいかと思います。
 

投稿日時 - 2001-02-10 11:38:06

ANo.19

前言撤回して、4回目しゃしゃりでました。このでしゃばりが!とでも言ってくださっても結構です。でも書きたくて・・・・(続きを話したくて、、、)おゆるしあれ~

>たとえある他者がわたしにとってマイナスの存在で、価値がなくても、その存在は、私には「意味がある」ということ分かってもらえますか?

はい、それはわかります。自分の考えを「正・善・真」とした場合、かならずその一方にまた他者の考え(マイナスの存在)「誤・悪・疑」と自分の考えの相反するものが同時に存在するのですから、それを否定してしまう(意味がない)ということは自分の存在自体も意味がないということになる。というふうに理解していますが、違いましたでしょうか?

投稿日時 - 2001-02-09 08:33:24

お礼

書き方が悪かったです。すいません。マイナスというのはじぶんにとって不利益なものだということです。あるマイナスの存在の意味を消し去っても(無視する)、他のいろいろなプラス存在の意味は消えません。マイナス自体の概念を否定するのではないのです。
自殺から離れてしまいますが、以下の文は非常に分かりにくい事と思います(めちゃめちゃ考えましたが自信はありません)。私の表現力ではこれがイッパイ、イッパイなのでご勘弁を。2段落に分けるので、わかりやすいほうを読んでください。ここで言いたいのは、プラス、マイナスではなく「ある」か「ない」かです。「0」か「1」です。
 ある存在をマイナスであると認識している時点で、そのある存在は私の中で意味を持っていると言えます。ある存在(マイナスでもプラスでも)を否定するというのは、できません。存在を否定するには、その存在を認識しなければならないからです。考えられる状態は、その存在を無視してる時です(誰?って感じの瞬間前)。そして、誰?って感じの時、ある存在は、私にとって意味がない(その名(ある存在を示す言葉)と実存在(ある存在)が、結びつかない状態)といえます。
ある存在=マイナス(プラス)の存在   ⇒ 意味あり
ある存在=どうでもいい存在       ⇒ 意味あり
ある存在=何?ソレ           ⇒ 存在あり(どういう意味かは分からない、意味があるかどうかも分からない、が、言葉(名)のみ存在している。実存在があるかどうかはこの時点では不明、あるかもしれんし、ないかもしれん。)
ある存在というものを知らない時     ⇒ 意味も存在も、ない
自殺しないためには何が必要か?それは、意味ではなく理由だと思います。意味があっても、それがマイナスの意味であれば、生きる理由にはなりません。

 ニ段落目は次のお礼に書くことにします。4回目のご登場ありがとうございました。
     

  

投稿日時 - 2001-02-10 10:08:45

ANo.18

ピラニアです。
補足と…
続けて考えると…

交尾後のカマキリの雄。

産卵後のオケラの雌。

も関わってくるのかも知れません。ちょっとずれるかな。

ついでにあんまり関係ありませんが、ちょっと読んでみても無駄じゃないとおもいます。都内在住独身30前後の野郎同士の固い約束です。
 ちなみに俺が死んだ場合、本当は【鳥葬】を理想としているのですが、
現実問題無理なので、【火葬】後、骨の一部を友達が受け取ります。
生命保険の一部がその友人に渡されます。俺の意思は虫や草木の肥料になり土へ帰ることなので、富士の樹海へばらまきに行く手筈が全て現時点で整っています。
逆も了解を経ているので、俺がハワイ沖に出て太平洋の自然のイルカの群れに
投げ込みます。彼は生まれ変わりをイルカになると決めているので。

投稿日時 - 2001-02-09 00:23:53

お礼

蟷螂ですか、それは生きる理由を失ったというよりも、死ぬ理由があるのではないでしょうか?メスに栄養をつけるなど、、、
 イルカはいいですね。イルカと泳ぐと古い友達に会ったような気分になります。楽しいですよ。行く事をオススメします。わたしもイルカには憧れがありますが、(というより海にあこがれています)次は、鯨に会いたいですね。私も十代のときに離脱しましたが、時間があるというのは有益なことです。(お金はないですが)
三回目のご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2001-02-09 07:32:44

ANo.17

ピラニア2回目です。

幅広い知識の為にも宗教的、倫理的の他に

鯨(猿・ねずみ)

アポトーシス

の見聞も必要になって来るでしょうね。

投稿日時 - 2001-02-08 23:47:28

お礼

そうですね、なにせ知りたいのです。
二回目のご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2001-02-09 07:19:56

ANo.16

3回も登場して失礼かとは思ったのですが・・・・
日本語って難しいですね。ちゃんとつたえたくても上手く伝わらない・・・・
おっしゃられるように『生きること』に意味があるという前提で書いてある。と、いわれればそうですね。この表現上手くないですね。意味のところを価値とかけばよかったと思いました。その個(自己)自身の価値を見失ってしまうから「生きること」を放棄するのではないでしょうか?
少し疑問に思ったことが・・・
生きることの意味を前提にしないとおっしゃられていましたが、個としての価値をいだくことでおのずと意味は生れてくるのではないでしょうか?その存在(個)自体に価値があるのならば、意味のあることだと考えます。
失礼になってもいけないので、これ以上差し出てきて書くのはひかえます。ごめんなさい。

投稿日時 - 2001-02-08 09:34:43

お礼

失礼なんてとんでもないです。私のほうこそ。遠慮はしないで下さい。
>生きることの意味を前提にしないとおっしゃられていましたが・・・
重要なのは、その「意味」があっても、それが生きる「理由」になるかという点です。「意味」がなくても、「価値」がなくても、「生きる」ことを望むことはできる(「生きる」を選択しようとする)。「生きている」ということとは違います。
『生きること』に『意味』というものがあることを前提にしていない。ということですが、難しい所ですね。私の場合、自身の存在は、「私」にとって価値のあるものですから、他者にとって価値がないと私自身が判断したとしても、生きる理由は失わないということです。もちろん他者の存在は、私にとっては価値のあるものですが、たとえ、ある他者が、わたしにとってマイナスの存在で、価値がなくても、その存在は、私にとっては「意味がある」と言えることは分かってもらえますか?
3回にもわたるご回答、ありがとうございました。

投稿日時 - 2001-02-09 07:13:37

ANo.15

>日常では、エロスなるものがでっぱっており、
>エロスが引っ込んだ、あるいは我慢しとおした、
>ある非日常の瞬間にタナトスが訪れるということに
>なるのでしょうか?

ダイレクトに「死にたい」と思わなくても、人って「あれがしたい」とか「これがしたい」という、いわゆるエロス的な欲望を現実世界との折り合いでしばしば殺していますよね。「ご飯が食べたい。でも、会議中だから、そんなことを言い出すのは失礼だ」みたいに。あと、よく分からないけど「お金持ちは、心がすさんでいる」みたいな価値基準が勧善懲悪の時代劇にあったりしますが、あれなんかも欲望を殺している気がします。つまり「お金持ちに、なれるものならなりたい」でも「お金持ちになるのは難しい」「なれない」だから「お金持ちはズルイ」。ちょっと飛躍してますが、勧善懲悪の敵役って何らかの「力」を持っていますよね。「力」を持つ者は、必ず「悪」に走るかのような価値体系を捏造している気がします。「正義」を自称するものは、その力を妬んでいるかのようです。
つまり、「力」があるのなら、それを有効利用する方法があるのに、時々、人はそれをせず、妬んだり、羨んだりして「力」あるものの足を引っ張ろうとする。これがタナトスっぽいなと思うんです。建設的じゃないですよね。
ちなみにタナトスもエロスもギリシアの神様の名前です。エロスはキューピッド:愛の神(人格化)でタナトスはニュクス(夜)の子どもでヒュプノス(眠り)とは兄弟の関係にあるそうです。

投稿日時 - 2001-02-07 10:32:40

お礼

なるほど、そういう解釈ですか。わかりやすいです。ところで、「タナトス」がギリシャ神話の『夜の子』なのですか。なかなか叙情的ですね。二回目のご登場ありがとうございました。

投稿日時 - 2001-02-08 02:03:30

ANo.14

どんな意見でもよいことだったので、わたしが『自殺』というものに対して抱いている気持ちを書きました。実際、自分自身がその立場にたったことがないので、『自殺』を考える当事者の気持ちは正直言ってまだわかりません。あくまでも推測の域の話で書かせてもらいます。
>安易だからこそ、自殺しちゃったのではないでしょうか?普段は、生命維持を最も重要な活動の一つと捉えていても、状態によってあっさりと、それを自ら絶つことがある。不思議ですね?
その当事者でなければその心情はわかりませんね。それを他人から見れば(経験のない者からしてみれば)不思議にみえ、思えるのでしょうね。
状態によってあっさりと、自らの命を絶つときの当事者の心理状態を推測してみようと考えてみました。もしかしたら、普段見渡せているまわりがみえなくなっているのではないか?では、なぜ見えなくなっているのだろうか?・・・・・心の中に高い壁ができて自己と外界を遮断しているのではないか?四方を壁に囲まれその中心にポツンと一人置かれたような状態になっているのではないだろうか?もしかしたら、天井までふさがれその人のもとには光さえ差し込まない真っ暗。こん状態におかれたら、おのずと絶望感が怒涛のごとく押し寄せてきてそれによって『自殺』のスイッチをONしてしまう。人は、一人では生きていけないとよくいわれていますが、自殺者が自殺をはかるとき一人ぼっちとかんじているのではないでしょうか?生きる意味を見失ってしまう。絶望感・孤独感がその意味を見失わせている。自己の心の中に少しの明かりが差し込めば、人は、またそこから生きる意味をみいだせるのかもしれません。こう考えれば、不思議ではないような気がしました。自殺をはかる人を生まないためにもそんな気にさせないように人とのかかわりにおいて言葉に魂があるように『言霊』、元気が出る、温かい気持ちが伝わるような言葉を交わしていければいいのにな、他者の存在を認められる。人を傷つけ、他者の存在自体を否定し認めないような言葉は封印しておきたいです。なにか、支離滅裂な回答になってしまいました。ごめんなさい。

投稿日時 - 2001-02-07 10:24:58

お礼

ごめんなさいなんてとんでもないです。
私は他者の存在によってもたらされる温かみは素晴らしいと思います。だからこそ友達など大切に思うのでしょう。ただ、人は様々に別々の個性をもつ事も事実です。今回の質問は、もっぱら興味本位ですが、そのことで、より多くの人の理解につながるのかも知れません。二回目のご登場ありがとうございました。
追申(漢字に自信がありませんが)
>生きる意味を見失ってしまう
個人的には、この文の解釈として、あたかも初めから「生きる」ことに意味があるということが前提としてあり、その上で語られているとします。それを前提としない私は、「意味」がなくても「価値」があれば「生きる」ことを放棄しません。「意味を失ってはいけない」という価値観もまた、人それぞれだと思うのです。

投稿日時 - 2001-02-08 01:56:14

ANo.13

mamasです。
いわゆるうつ病による自殺とは他人との比較における劣等感にさいなまれて、といったものではないのです。
自分だけの世界に入ると楽になるのではなく、自分は社会にとって必要のない人間であるという感覚で「死」を選ぶことで楽になるのです。つまり生きていることに何の価値も感じなくなってしまうわけです。

投稿日時 - 2001-02-07 04:06:59

お礼

なるほど、その人にとっては、その人のいる社会にとって必要とされることが、生きることの価値になるわけですね。その満たされない思いを消すために、社会から消えようとするのですか。少し分かったような気がします。二回目のご登場ありがとうございました。

投稿日時 - 2001-02-08 02:11:25

ANo.12

自殺ですか……。
ふと不思議に思うのは、「すべてに落胆し、失敗した。もう死ぬしかない」と覚悟を決めて、いざナイフを手首に。そのとき、たとえば同居していた家族、または友人が、その人に向かって灰皿を思いっ切り投げつけたとします。瞬間、間違いなくその人は飛んできた灰皿を避けようとします。
あるいは、いざ手首を切ったけれども、失敗をした。気がついたら病院。今度こそは間違いなく、と思っているのに、あら不思議、傷口はどんどん塞がり、肉体はその意思に反し、どんどん治ろう、よくなろう、生き続けようとする。

もちろん、これは生理学か何かはわからないけれども、学問的にその行動(避けようとする)は説明できるのでしょう。しかし、その肉体は確実にキズ付けられるのを嫌がっているわけですよね。自分という存在は死にたいと思っているのに、肉体という存在はそれとは全く正反対の行動をする。不思議ですよね。
言い換えれば、キズ付けてほしくない、殺してほしくないと思っている肉体を、いや、必死に生きようとしている肉体を、どこから湧き出てきたのかしらん、わが意思によって殺そうとする。まるで、助けくださいと懇願している町人を、「無礼打ちじゃ」と斬り捨てる武士のようです。極端な言い方をすれば、殺人ですよね。過激な発言のように取られると困りますが。

話の方向性が少し違っていましたね。すみません。

投稿日時 - 2001-02-06 01:39:42

お礼

すみませんなど、とんでもないことです。回答ありがとうございます。
難しい所ですね、あたかも肉体に自分とは別の人格が宿っているかのように書かれましたが、個人的には機械のように反応しているだけだと思います(誤作動もあると思いますが)。だから、我々の欲求、背をもっと高くしてと頼んでも聞き入れてくれないし、思うように走ってくれなかったり、あまつさえ「ミートボールを食え」だの「涼しい所に連れて行け」などと、ついには、頼んでもないのにガンになったりします(あとアレルギーもありますね)。ですから、「無礼うち」は、お互い様でしょう、なんていうのはありでしょうか?なんて、以上は冗談ですので、笑っておいてください。

投稿日時 - 2001-02-07 02:18:37

ANo.11

カミュという文学者が『シジフォスの神話』の冒頭で、「本当に重大な哲学の問題は、自殺だ」と書いたらしいですね。これは、「人生が本当に生きるに値するかどうか」を考えるのが哲学だってことのようです。そう言えば、タレスの昔から、「世界とは?」という問いや「存在とは?」という問いを哲学者は繰り返してきたけれど、結局は、人間の存在意義を見出そうとしていた気がします。19世紀の終わりにはニーチェという退職大学教授が、「神は死んだ」と宣言して、ヨーロッパの人々が必死に信じようとしていた、存在意義であるところの「神」を消してしまった…。その「ニーチェ」はドイツの片田舎の牧師館の生まれだそうで、哲学って、「自殺」の歴史なのかもしれないと、徒然に思います。

ところで、精神分析の創始者で有名なフロイトが「死の本能(タナトス)」というのを提唱したのはご存知ですか? 僕も正確には知らないのですが、「有機体を本来の無機的状態に還元しようとする基本傾向」(「フロイト」小此木啓吾著、講談社学術文庫、78頁)なのだそうです。逆に「無機体を有機体に構成し、発展・成長させる基本傾向」は「性の本能(エロス)」の働きです。エロスの働きが行き詰まったとき、一度、その構成された有機的なものを解体しなければなりませんよね。人間の生き方って、結局、作っては壊し、作っては壊し、なんだってことなんですかね…。

「自殺」というと社会学者のエミール・デュルケムの自殺論が有名ですね。それから、生物学の「アポトーシス」とかもありますよね。僕は、この辺詳しくないので、詳しい方がいたら、書き込みしていただけると嬉しいです。(なんか便乗しているみたいですね。ごめんなさい)

投稿日時 - 2001-02-05 13:23:04

お礼

ご回答ありがとうございます。参考になります。
タナトスですか、、、初めて聞きました。しかし、いつにも人間は本能にそぐわない行動をする事もあります。ほんとは食べたいけど我慢しよう等。タナトスは、おなか減ったとか、眠たい、といったような強大な力で我々を圧倒しようという類なのでしょうか?それなら、我慢する人もいると思いますが、きっとそうではないのでしょう。なぜなら、フロイトが新たに当時、提唱することがあったほどですから、一般の人たちが日常で意識する事がなかった証拠でしょう。ということは、日常では、エロスなるものがでっぱっており、エロスが引っ込んだ、あるいは我慢しとおした、ある非日常の瞬間にタナトスが訪れるということになるのでしょうか?
難解です。
 「アポトーシス」とは少し聞いたことがあります。細胞自殺という現象でしょう。興味深い事です。元気な細胞が突如消滅するのですから。

投稿日時 - 2001-02-07 01:52:54

ANo.10

自分では、健康的な普通の人間だと思います。このスレッドの中では。
 
 自殺は何回も考えますが、行動に至ったことは1度もありません。
何故?
一番は【後悔】【嫉妬】【羨ましさ】です。16才でドロップアウトしたものの理想の自分に近づいていなく、このままではごく普通に日本社会生活を送ってしまう。電卓の上ではじかれた先の暗い経済、文化環境でしか夢がなくドラマティックな生き方ができていない、その為に何もしていない、だから“人は生まれ変われる”そう思って自殺すればいいのではないか。と考えます。

二番目に【深酒】です。飲み始めたら自分で抑制できません。その為何回も次の日会社に行けず遅刻、休みました。その為に会社をクビになってきました。
ダメ人間です。直そうとしない自分に諦めてしまいました。

三番目に【自殺】そのものの行動。
殺されるくらいなら自害する。自決。切腹。武士道と言ふと聞こえが良いですが、
憧れみたいなものでしょうか。

幼稚、甘えん坊、無責任、あまのじゃく、社会不適応主義、常識破壊、自己中心、
自意識過剰、目立ちたがりや、生意気、未熟者、快楽主義、夢想家、などなど
きりがないですが自分のことを嫌いなことが重なると嫌気が差します。
だから、リッセトボタンがいつも用意されてるのかもしれません。
ホントにそうかまだ疑問ですけど。

投稿日時 - 2001-02-04 11:20:50

お礼

たまたま、ある社会が、自分に合わなかったというのは面倒くさい事ですネ。
 古い話になりますが、ファミコンのリセットボタンは、押すとまたはじめから自動的にすぐに始まりますが、人生の場合、客観的にそれが新たに再開されるのを確認することはできないので、そういうリセットボタン的発想によって自殺する人は、よっぽどの自信と確信が必要になります。リセットと電源を切る(ファミコンの話)のではえらい違いですからね。人生の場合、自ら電源を切るとこまではいいのですが、つぎに電源を入れる人がいないとゲームを再開する事は無理です。自動と手動はえらい違いです。ご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2001-02-07 01:31:01

ANo.9

うつ病の重傷者は何のためらいもなく突然自殺してしまうそうです。たぶんその人に心の中は最後には死ぬことしか残っていないのでしょう。何でそんなことが言えるかというと、私もうつ病の療養中の身だからです。私はそれほど重症ではないので自殺を直接考えたりしたことはありませんが、そこに至る道は途中まで経験しました。だんだん自分の居場所というか世界が狭くなってくるのです。最初は他人と自分を比較して自分の方が劣っているように感じることから始まり、人の中にいることが怖くなってきます。自分以外の人間は赤ん坊から年寄りまで自分より優れており、幸福であり、何事にもうまくいっていると思う、というより確信になってきます。そうしてだんだんと自分だけの世界に入っていって自分がこの世にいなくてもいいような気持ちになってゆくのです。……その先にあるのは何の迷いもためらいもない自殺なのです。
そこまでの変化は他の人からははっきりとわからないのです。だから突然何の前触れもなく自殺したように見えるのです。

投稿日時 - 2001-02-03 18:19:30

お礼

鬱になるとなにか心の中が少なくなっていき、死ぬことしか残らなくなるという事でしょうか?不幸だったから、自殺しました。というのは理解の範囲ですが、他人との比較による劣等感等を超えて自分の世界に入ってしまうと、楽になるのじゃないのですか?難しい所ですね。ご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2001-02-07 01:06:04

ANo.8

自分が今おかれている状況から抜け出す近道と考えます。(現実逃避)
それが、個人にとって良いか悪いかは一概には言えないとおもいます。病魔の苦痛にもがき苦しむ患者(たとえば、ガン末期患者)がいるとしたら、その人が自分の意思で自らの命をどうするか選択すること(安楽死・尊厳死)は、私自身悪いことだとは考えていません。しかしながら、それとは別に現実の暮らしに悲観して安易に死・自殺を選んでしまうことは容認しがたいこととも考えております。生活しているなかで『どん底』を経験したことのあるものこそどんな人よりも強くまた人に優しくできる人になっていると考えるからです。本人は、気づいていなくとも自然と身に備わっているはずです。『災い転じて福となす』自分の身におこった不幸を不幸と思えば、暗く悲観的になります、しかし、その不幸を経験することによって人の優しさにふれることもあります。日頃気づかずにいたことを知るチャンスでもあるのです。人の一生なにがおこるかわかりません。時ににげだしたくなることもあるでしょ~、命を落として自殺するとそのあとにはなにがあるのでしょ-?残されたものに哀しみを与えるだけそれ以外になにもないようにおもえるのですが。

投稿日時 - 2001-02-03 13:49:13

お礼

ご回答ありがとうございます。意見の分かれるところですが、様々な苦しみから逃れるための自殺ならば、倫理の許容範囲だと言う人もいますね。
>安易に死・自殺を選んでしまうことは容認しがたいこととも考えております。
安易だからこそ、自殺しちゃった、という場合があるのではないでしょうか。普段は、生命維持を最も重要な活動の一つとして捉えていても、状態によってあっさりと、それを自ら絶つことがある。不思議ですね。

投稿日時 - 2001-02-07 00:39:39

ANo.7

何でもいいと言う延長で・・・・気軽な素人の意見です。

ある程度、天候、気候も左右すると思います。
突拍子なことを言いますが・・・・
私はアメリカのシアトルという都市に住んでいます。
ここは実は全米で一番自殺の多い都市です。
今は全米でも人気の都市、日本でもイチローブームを始め人気ですが
裏でも自殺一番人気都市です。

その原因はシアトルの気候です。1年の3分の2は曇りまたは雨です。
冬の今の時期は2ヶ月に1日晴れになるかどうかの世界・・・
ほんとにドーーんよりしています。
「スカーン!!」と楽しい事が無いとすぐにどんよりなりそうな天気です。

以上、天候気候も左右するのでは?という意見でした。

Kein

投稿日時 - 2001-02-03 11:50:39

お礼

ご回答ありがとうございました。天候の力は日常においても大きいですからね。

投稿日時 - 2001-02-06 22:37:35

ANo.6

 完全自殺マニュアル……。
 あれはいい本だと思うんですよね。その本の主旨は「いざとなったら死んでしまえばいいんだ」という逃げ道を用意することによって、行動を起こし、沈滞から抜け出せるということなのです。
 あの本を読んで新たに死のうという人は増えないと思うんですよね。逆に、死のうとしてる人が苦しまずに死ねる方法を享受できる。倫理的にはどうかと思わないでもないですけど、私はあの本は存在しても良いと思うのです。
 …って話がずれましたね。
 そのとき人には何が起こっているのか……。
 もうどうにもできないと思ったとき、人は死にたがるのだと思います。考えることもできなくなって、何も考えたくないと思ったとき、そうしたら死ぬしかないですよね。よく、自殺する勇気があればもっと他に何かできただろうとか思われますけど、実際には、もう何もしたくないからこそ自殺という手段を選ぶのだと私は思います。
 ……あまり参考にならない考えですみません(汗)

投稿日時 - 2001-02-03 11:38:45

お礼

何も考えないで、すると死ぬ事ができる。「自殺」には哲学的なことから科学的なことまで様々が尽きないですね。ご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2001-02-06 22:34:17

ANo.5

何でも良いと言うことですので方法論を。
と思ったのですが、調子に乗ってこんな事を書くと
又削除されてしまいますので、(僕は削除常習者)
角度を変えて書きます。

かつて大問題になったマニュアル本、「完全自殺マニュアル」。
僕は持っているのですが、その本を読んで考えますと、
死にたがる人は、実は本当は死にたくないので、
死ににくい方法を自然と選ぶ物ですね。
手首を切るなどは死なない方法の代表です。
薬を大量に飲むことも、身体が拒絶するので吐いてしまいます。

結局「生」へのリアリティーを喪失しているから「死」に対してもリアリティーが無いのですね。
chihiさんの「ふらっと、落ちてしまう」は見事な表現ですね。
リアリティーが無いから適切な行動がとれないのでしょう。

色々と嫌なことや辛いことが多いのに、可哀想な私のことを誰も可哀想だと思ってくれない。
もう、もう、死んでしまいそうな位可哀想なのに。
しかし、心の奥底ではやっぱり死にたくない。
生きるって事が本能としてプログラムされているんです。
生き物は生きることが自然なのですね。

所で一番楽で速くて確実なのは首を吊ることだそうです。
ああ。これを書いたら又削除されちゃうよ。

投稿日時 - 2001-02-03 04:02:25

お礼

崖に落ちても這い上がるのは簡単なのですか?そんなことで削除されるとは知りませんでした。ご意見ありがとうございます。
確かに、鬱状態の人をかわいそうと思う人は余りいないでしょう。「まあ、そんな奴がいてもおかしくないんちゃうん?」とおもうのでしょうか。私はそんな友達のうちにに行ったときに「おしゃれな事しとんな」というような事しかいえませんでしたが、私は彼のその状態に興味津々でしたので、いろいろと話を聴きましたが、どうやら、暇らしいのです。私などは、逆にやりたい事が多いので、不老不死を望みますが、彼らについては「本当に暇だけが理由なのか?」と思いますね。それはそれでかまわないのですが、、、、

投稿日時 - 2001-02-03 08:49:36

ANo.4

鬱病の療養中の者です。ちょうど今日自殺を想像したのでこの質問に反応しました。chihiさんが書いているように、死にたいくらい抑うつ的な時は死に移る行動すら億劫になります。ただどうしようもなく不安定で、この世の居心地の悪さがどうにもならなくてリセットボタンを押したいような気分でした。

おそらく自殺にはいくつかのパターンがあって、具体的な苦しみ逃避、原因の特定しがたい漠然とした人生からの逃避、生きていることを確認するための手段などに分類されたりするのではないでしょうか?この辺りは専門の方にお任せします。

ただ、「自殺は絶対してはいけない」という言葉を平気で発する方が多いのですが、自殺を考えている方はそう言う言葉を気軽に発する方の何百倍も考えて苦しんで、当事者にとっては実に無力な言葉です。

ところで夏目漱石が自殺するする瞬間について短編小説で書いています。「夢十夜」という小作品の第七夜です。面白く短いので本屋で5分くらい割いて立ち読みでもしてみてはいかが?

投稿日時 - 2001-02-03 03:40:09

お礼

当事者の貴重なご意見ありがとうございます。鬱状態は、気分が悪いのですか?
下記のURLで試聴できます。ビートルズの「The Beatles」にはいっている「Black Bird」です。
http://www.cdnow.com/cgi-bin/mserver/SID=589888148/pagename=/RP/CDN/FIND/album.html/artistid=BEATLES/itemid=327632
私の友達にもうつ病の人がいますが、この曲をギターを弾いていたら少し喜んでいました。また、鬱を超えた?というか「え?おれってやる気ないん?」というような哲学的に面白い人もいますが、彼も音楽には何かを感じているようです。「ふらっと音楽にはまることがあればいいですね?」あなたか素晴らしい音楽と出会うことを期待しています。

投稿日時 - 2001-02-03 08:29:20

ANo.3

なんでもいいということですので。
日本ではマリファナは禁止されていますネ。タバコより習慣性も少なく、ヨーロッパの一部や東南アジアでは完全に自由販売されているのに。
これは、マリファナによる感情増幅作用が問題となっているからです(強い麻薬への入り口という理由もありますが)。
楽しいときに吸うと、非常にハイになれるのですが、落ち込んでいるときに吸うと最悪に落ち込んでしまい、その結果、自分は救いようがない悲惨な状態にあると思い込んでしまい、発作的自殺を起こしてしまう危険性があるからなのです。落ち込んでいる原因や状態が何倍にも強められてしまう結果、もうこれ以上生きていても無駄であると結論が導かれてしまうのですネ。
人工的に非常に強いウツ状態を作り出してしまうと言えるでしょう。
こんな回答でも良かったのでしょうか?
以上kawakawaでした

投稿日時 - 2001-02-03 03:05:12

お礼

どんな回答でも歓迎です。ありがとうございます。マリファナを吸ったからといって気分よくなれるものでもないのですね。初めて知りました。

投稿日時 - 2001-02-03 07:56:37

ANo.2

うつ病期に生じる自殺衝動というのは、体験者でないとなかなか分かりにくいものです。中には、餓死してしまう人がいるくらい生命力が低下します。うつ病の最中には、気力も萎えていますので、実行に移されるのは、治りかけて元気が出てきたときが多いものです。自殺念慮が薬などによってなかなか取れないときは、電気ショックも有効とされています。死ぬ勇気があるくらないならと表現されますが、勇気などではありません。現実意識が希薄になるため、ふらっと、落ちてしまうのです。

投稿日時 - 2001-02-02 22:36:54

お礼

回答ありがとうございます。
>ふらっと、落ちてしまうのです。
いかにもそのような感じがしますね。興味深いことです。

投稿日時 - 2001-02-03 00:06:49

ANo.1

134

 自殺既遂者の追跡調査は、本人から直接答えを得られないので、その知人などからの話を聞いて、生前の心理などを推察するしかないわけですが、これを「心理的剖検」と言うそうです。

 自殺既遂者の70~80%は、何らかの精神疾患にかかっていて、そのうちの60~70%は鬱病であったという報告があるそうです。

 自殺願望のある人は、それを周囲の人に直接、あるいは間接的に漏らすことが多く、周囲の人はそのシグナルに気づくかどうかが、自殺防止の鍵になっているそうです。
 シグナルとしては、激しい焦燥不安や慢性的な不眠、過度で統御不能の攻撃性、鬱病相の初期または回復期・混乱期、思春期・妊娠期・産褥期・更年期などの危機の年代、不治の疾患、心機妄想、アルコール症 などだそうです。

 自殺したときの家族や友人の心理的影響は、とても大きいです。
シグナルにどうして気づかなかったのだとろうとか、なんとかできなかったろうかとか…
 
 何を意図して、この質問が出てきたのかはよくわかりませんが、どうか自分の命も ひとの命も軽んじて扱わないようにして欲しいものだと思います。

投稿日時 - 2001-02-02 22:03:22

お礼

回答ありがとうございます。誤解の生まれそうな質問ですが、純粋な衝動からの投稿ですのでご心配なく。色々な知識、参考になります。

投稿日時 - 2001-02-03 00:03:42

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