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1975年のカンボジア・ベトナム・ラオスの「陥落」とは?

 地球の歩き方によれば、
1975年に、カンボジア・ベトナム・ラオスの順に陥落したとのことです。
ネットで調べると、
北ベトナムがサイゴンとプノンペンを陥落、
アメリカは南ベトナムとラオスを放棄、
ともあります。
そこで理解できないのが、
(1) なぜ、カンボジアは社会主義や人民民主主義ではなく、自由民主主義なのか(1979年に、ヘン・サムリン現国民議会議長とベトナムが組んで、プル・ポト政権を廃しましたが、当時のベトナムは既にベトナム社会主義共和国でした。なぜ自由民主主義になのか。)。
(2) ビエンチャンに入城したパテート・ラーオは帰国組のようですが、テロ集団でもないパテート・ラーオが米軍を廃せたのはなぜか。
(3) なぜ、ラオスは王政を廃止したのか。
(4) もしかしたら、(2)の答えにも関連するかもしれないのですが、どうして、三ヶ国連続で陥落したのか。
ということです。

 考えるヒントでも結構ですので、情報をよろしくお願いします。

投稿日時 - 2008-01-28 18:13:32

QNo.3721994

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回答(1)

ANo.1

ニクソン政権が目指したのは、泥沼の東南アジアからの名誉ある撤退です。
1973年のパリ協定によって、アメリカは東南アジアからの名誉ある撤退を実現できたとしました。
1974年にはニクソンが辞任。選挙を経ないフォードが大統領になりました。つまり、再度東南アジアに介入する決断の付けそうもない大統領がアメリカに生まれたのです。
※ 選挙で圧勝した大統領は強いわけです、民主主義のアメリカでは。

その様子を見て、北ベトナムは南ベトナム解放(彼らの視点では)を決意し、サイゴンを陥落させ、それを見ていた ラオスやカンボジアの反米勢力が「よっし、アメリカは来ない」と判断して、ベトナムの支援のもとで、一気に政権を握りました。
もともと、ベトナム人が主導したインドシナ共産党から、パテトラオもクメール・ルージュも生まれています。兄弟党です。

1)国家の名前
まぁ適当なモノです。民主じゃなくても民主と名乗りますから。
カンボジアは、微妙な反ベトナム意識がありますから、そのへんの意識と、自力で政権を握ったという自信があったので、カンボジア社会主義共和国とは名乗らなかったと思います。そのように名乗ると「あーあ、ベトナム人の傀儡かよ」と思われちゃいます。

2)これは前提で申し上げたように、アメリカが応援に来ないで、ベトナムが応援していたから。

3)共産主義ですから。
カンボジアにおけるシハヌーク国王のような、存在がなかったからとも言えます。国王なのに親中だったり、王様を止めてみたり。ポルポト派も殺そうと思えば殺せたが国民の反感が怖くて殺せなかったような人物です。そういったヒトがラオスでは王様でなかったということになります。

4)三カ国連続
最初に書いたとおり、ベトナムの実例から「アメリカは来ない」とわかり、ベトナムが支援したからです。

投稿日時 - 2008-01-28 20:52:08

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