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締切り済みの質問

日本人と宗教~?????

私は普通の女子大生で、特別な知識はありません。テレビやニュースを見てなんとなく感じたことです。アホな文章だったり、見当ハズレなことを言っているかもしれませんが、なんとか読み取ってください。

最近のスピリチュアルブームや日本に新興宗教がたくさんあることを考えると、これからの日本人の宗教への関わり方ってどうなっていくんだろう?と疑問に思いました。

宗教は人間が生きる上で必要なものだと思います。人間の心のよりどころとしての必要性もあると思いますが、さまざまな考え方を持つ人間をまとめるのに宗教はとても便利です。宗教ナシで法律や権力だけで統率するのは難しいと思います。答えが出しにくい問題でも、宗教を基盤に考えたらわかりやすい。
日本には、全くないとは言い切れないけど、宗教による縛り(?)や共通的な価値観は海外に比べて薄いです。それでもなんとかやってこれたのは宗教への鈍感さを補うものがあったからだと思います。
日本は「恥の文化」といわれますよね。そのほか義理人情だとか、仏教的だけどご先祖さまが~とか「今時古いよ」と言われるような考え方が他国の宗教と同じような働きをしてきたと思います。しかし、宗教のような確固たるものではないので、古きよき日本人の考え方古い常識は薄れてきていると思います。(もちろん良いものばかりではないけど)
というわけで、スピリチュアルがブームになるのは、今まで日本に当然のようにあった「常識」や指針が揺らいできちゃってるのが原因なのかなぁ?と考えています。流行っているのは必然的なタイミングなのかなぁ?と。
日本人的な考え方がこれからどんどん薄れていくとすると、日本人にも宗教が必要なんじゃないか?(神道の宗教教育?)ほうっておくと、指針のなくなった日本人がスピリチュアルや新興宗教にどんどんはまっていくんじゃないか?なんて思います。

なんか・・何が聞きたいのかわからない文章ですが、上記のことを読み取ってくれた上で、「これからの日本人と宗教はどんなふうにかかわっていくべきか?」について回答者さんの個人的な見解を教えてください。(わかりやすく♪)


私自身は、無宗教(初詣・お盆・クリスマスを楽しむ一般的な日本人)ですが、無神論者ではありません。神に対してはファンタジー感覚です。あと、一神教の排他的な感じはあまり好きではありません。八百万の神をかじった程度の柔軟な感じが好きです。アニミズムもおもしろくて◎。神様も排他的な要素はあるし、天皇が神様になるなど、危険もありますが・・。なので希望としては、今までどおり、宗教に対して曖昧なままで済む日本がいいです。
個人的には何を道徳の基盤にするのか・・というと、特定の宗教に頼らず、聖書やコーランお経、親のしつけ、自分の経験、小説・・などあらゆるものから良いとこ採りして自分なりバイブル(哲学?)を持って生きていたいなぁと思っています。

全体的に意味不明ですがよろしくお願いします。

投稿日時 - 2008-02-23 09:19:24

QNo.3801520

困ってます

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回答(30)

ANo.30

自分以外の人の意見を聞くから自分が見えてくるってよく言うじゃないですか?日本人の宗教への関わり方に関心が有るなら西洋や中東、アジアで人々がどのように宗教に関わっているのかを知ることから始めてはどうでしょうか。
ちなみに僕も含め両親もキリスト教信者で、今、僕は熱心では無いですが生まれた時から両親に付き合い信者でした。
まず僕が感じたのはキリスト教は西洋の文化だと言う事です。例えば韓国やフィリピンなど民主主義的文化素地の有る国には浸透して定着しやすいですが、ご存知の通り日本はこんな国です。プロテスタント・カトリック含めキリスト教はあまり定着しないのだと思います。
恐らくおたくは周囲のまとまらない人間関係に悩まされ、宗教というツールを用いて便利に世の中が統率できないものかと感じたから質問されたのではあるまいか?
それから日本人が、西洋で定義される「宗教」を知り関わるためには「日本人にとってテレビという宗教がある」事などを冷静にディベートしたりできるだけの教養(単なる知識の事ではありません)が必要だと思います。ちなみにたいてい日本では、「テレビが宗教だって?おかしなやつだ」となり、この時点でディベートはおしまいです。ソレがディベート出来る環境が西洋文化、日本以外の文化だと思います。宗教論議というアプリケーションを動かすには、文化というパソコンOSから世界共通化する必要が有ると思うのですがどうでしょうか?

投稿日時 - 2014-02-17 01:55:32

ANo.29

日本が今まで平穏にやってこれたのは宗教にあんまり熱心でなかったからだと思います。
あなたの考えるように、どの宗教からも自分の為になることを学んで実行することがこの世を
良くすることにつながると思います。
 私がモルモン教会を去る時、熱心な信者の実の父親からひどい迫害を受けました。
モルモン教会を去るなんてサタンに影響されている、というのです。脅迫といやがらせに遭い、
一度は自殺しようと思った程です。警察に通報し、やっと生きる望みを持てました。
 これが宗教です。のめり込むと敵対し、殺し会うこともしばしばです。
一つに固執せず、葬式は寺で、結婚式は教会で、正月は神社で、宗教に振り回されることなく、
上手に活用して生きていくべきだと思います。

投稿日時 - 2013-10-26 23:28:23

ANo.28

私の宗教観は実生活に常識を与えるモノと考えてます。
もっと宗教は科学的に快適な生活や心構えなどを示唆し教えなければ、その存在価値が希薄になるでしょう。

宗教は実生活の対極にある奉仕精神を持って、静かな時間と生活を見直す(欲を捨てる、抑える)きっかけを与えます(行き過ぎを正す)。その際に考え方の転換をはかり生活のバランスが取れるのではないかと。それを多くの人が直感的に感じ取って集まるのだと思います(高学歴の若者が入信してるみたいですし)。

現代のスピリチュアルの反響は自分達の生活に不安(不況による不安定)を抱いてるからではないでしょうか。このままでは危険との思いで安心できる(生きやすい)モデルを探している状態。
そこで某氏(霊能力者)が恋愛を含め生活の色々(指針)を説くから『待ってました』とばかりに飛びついた。これが反響の原因!?では。

少し脱線するかも知れないですが、
現代は子供達に『権利』を教えて道徳(マナー、道)は教えない。その結果、『無理』して権利を獲得するべく他を省みない生活を送ってます。
今じゃ、お金で嫌な事は人に頼めるから経験、体験の機会がないから一人の人間としては考えの幅が小さくなる。世間的尺度も小さい事例に基づく。

現代人は自らの考えを抑圧し、更には他人の感性も否定する教育をしているのでは?その結果、合理性がなくなっているのです。
無理した人、感性の萎縮した人は生活費を稼ぐためにやってるのでしょうが・・。ですが、自分達の『学習した事柄』は『武器』であるのにその性能を検証しないのはおかしい(それ以上に生活に役立たない教育はもっとおかしい)。『勉強』は生活を支える術なのに、点数とって有名大学にいく道具になってる(お金を求めてですが、その心は最終的に安心を得たい気持ちでしょか)。その道具は捨てるのにそれに変わる道具は学歴と就職した企業名だけ。。。これでは会社に飼い殺しにされる(逃げることも出来ますが)。自分を導く感性が一番ではないでしょうか?

要するに、他人の土俵で勝負することが間違いです。他人の知識は、自らの体験にはかなわないのです(全てを言葉で説明することは難しいでしょう)。

これが、合理性だと思います。
もう一度考えてみましょう。
与えられた仕事を長時間ダラダラとしてみたり、反対にこれだけ長時間働いたから給料をもっと貰わないと割りに会わないとか、仕事がノロいからヤツは駄目だとか。工夫の意欲がとてもセコイきがします(私もですが・・)

自分の時間(考える時間)がない人が信頼出来ますか?判断を任せられますか??他人を蹴落とす人、切り捨てる人もです。

無駄に浪費する生活を送る人に多額の給料は必要ですか?煩悩の赴くまま!

仕事できないなら出来る仕事をさせれば?教え方が悪いかも知れないし・・。
(その時出来る最善の対応は可ですが準備してないと付け刃ですね)その為の宗教だと思います。

結論→宗教は、もっと科学的に合理的な日常生活の送り方を示唆(教えは個々感性に従い合わせる)すべきではないかと考えてます。

合理性が鍵としたいです。
経典は捨てずに何故、教えが民衆に受け入れられたのか研究すべき。輪廻も『可能性がある』に止めるべきではないか(宗教法人として)?
昨今の地球規模の被害をみるにつけ、宗教が科学的姿勢にも求められる時代なったのでは?と強く感じます。今の科学は安心よりも経済的道具に成り下がっている。それに対抗して宗教は安心・快適な生活を追及、研究、示唆、実践することが役目ではないかと。。。

・・・・と、まぁこのように感じてる今日この頃です。他にも書き足りないこと不備な点はあるでしょうが、あとは皆様の感性にお任せします。
今回、このような質問をしていただいたmimudanze様に深く感謝いたします。
とても興味深く、楽しんで書くことができました。投稿されて半月もたっているのですが、何かの足しになれば幸いです。ついでに、私も宗教は入ってませんが神を信じてます。

尚、この文章を最後までお読みの皆様へ
長い文章を最後まで読んでくださりありがとうございます。
不適切な発言がありましたら深くお詫び申し上げます。
皆様の生活に幸あらんことを!!

投稿日時 - 2008-07-16 03:28:03

ANo.27

「これからの日本人と宗教はどんなふうにかかわっていくべきか?」という質問者様のご質問に回答する前に、現代日本人が日常無意識に行っている慣習・行動などから書いていこうと思います。

 日本という国の不思議さは、「原義を排除してもその残ったヌケガラの様な部分だけは頑固にも保持し続ける」ということです。たとえば、昨今儒教と聞けば「なんか堅苦しそうなもの」と言い他人事の様に嫌っていますが、日本国民の常識として染み付いている「上下関係」や「お辞儀」などは、そもそも儒教の教えでした。しかし、「何故上下関係があるのか?」とは思うものの「どこから来たのか?」「上下関係の意味は?」とはあまり考えないのではないでしょうか。極端に言いますと、「儒教は要らないが上下関係・お辞儀は礼儀・マナーだから身につける」、これが現代日本人の特徴の様にも思えます。本来、これは本末転倒なのですが。
  また、同様な件に多くの日本人が仏教徒であるにもかかわらず「家は○○宗(宗派)だから、この作法で執り行う。」とお葬式や法事ではいいますが、お釈迦様の説法については無知であるケースが多いと思います。「クリスマス」も同様です。

  誤解を恐れずに言えば、日本人はイメージ先行型の民族であると思います。真実の在り処を突き止めることよりも自分で勝手に想像してその像を描く、という意味でです。廃仏毀釈などもこれが原因の1つでした。
 現代では表現等が変わっているだけで、やはり「儒教・仏教」の影響を受けた道徳観が巷には多数存在しています。
 字数制限の都合上、浅く表面上の事を2・3のケースで説明しましたが、現代の様に情報が氾濫する時代ではまずは各カテゴリー(宗教なら仏教・キリスト教など)の本質をご理解なさった上で質問者様がおっしゃる様に「特定の宗教に頼らずあらゆるものからよいとこ採りして自分なりのこころのよりどころ」となるモノをお探しになられることは、やはり日本人らしい宗教観・道徳観である様にも思えます。

投稿日時 - 2008-06-13 00:51:51

ANo.26

宗教の真髄を一言で言うと
「人のために自分を役立たせる」
これに尽きます。
教義による縛りなどなくても、難しい経文など覚えずとも、ぶあつい本を読まずとも、これだけでいいんです。
人生に宗教が必要なのではなく、自分が大事だと思うように人も大事だと思うこと、人の痛みすら自分の痛みとして感じられるような感度が必要なのです。そして、人の痛みを知るには自分も困難に直面し経験しなくてはなりません。それらの困難に対して前向きにとらえるための強い心が必要なのです。
藁にもすがるような思いで信仰にそれを求める人があまりに多いですが、信仰とはそもそも困難に打ち勝つための勇気を自分に奮い立たせるためのものでなくてはなりません。
神への信仰を口にした途端、困難が逃げ出すなんて都合のよいものではなく、またそれまでの罪を一気に帳消しにしてくれるものでもありません。
自分でした罪は自らが償い、まいた種は自分で刈り取らねばならないことを学ぶべきものでなくてはなりませんし、
困難は自らを磨く研磨剤としてとらえられるような姿勢を学ぶべきもので無ければなりません。
また、神について言及していますが神とは自然の法則がそれです。
自然はいまだ神秘に包まれていてその深奥を垣間見ることさえ許されていません。つまり人智を超えたものという意味です。
ですから神様を信じようとも、信じずとも、神様は一向に困りませんし、自分を信じないからといって罰を下すものでもありません。
信じたものだけを救うものでも当然あるはずがありません。
自然はあるがまま平等で、嫉妬深い人間くささを帯びたものであるはずがありません。

宗教とは、個々の価値観や理解の範囲に応じてその解釈の程度に違いが生じるものの上、
違う国のものであれば風土も文化も違い、表現の方法もまた異なるがゆえ、誤解を生じさせる場合があります。
ですが、言っていることはすべて同じで、その真髄は人のために自分を役に立たせること。これに結局は帰依するのです。
ですから世に起こる宗教論争、宗教戦争などはまったく以って本末転倒な不思議な出来事であるとしか言いようがないのであります。

大事なのは誰が何を言ったかということではなく、
あなたが何をして、何をしなかったのかということだけなのです。
宗教はそれの指針となるあくまで知識であり、あなたの行動は常にそれの上にあるのです。

投稿日時 - 2008-03-12 18:03:48

ANo.25

mimudanzeさん
「宗教は人間が生きる上で必要なものだと思います」と認識されていることは、素晴らしいことだと思います。
宗教は本来、生の目的とは何か、死後はいったいどうなるのか、また、神や来世、霊界などというものは果たして存在するのか、善とか悪とかいうものはいったい何なのかなどという問題を探究する使命を持っています。これは、人間の内的な(心の世界の)真理を探すための道であったということができます。
また、人間の外的な(物質世界の)真理を探すための道が、科学であり、すべての物質世界の根本は何であるか、また、それらのすべての現象は各々どのような法則によって生じるのかという問題を探究してきました。
宗教と科学は、それぞれ人生の内的な真理と外的な真理を見出すべく、探究を重ねてきたと言ってもよいでしょう。
しかし、今日の宗教は、その本来の責任を果たせずに、宗教紛争、教派分裂によって葛藤を抱えており、現代人の心の世界を指導すべき力をもっていないというのが現状だと思います。
だから、現代という時代ほど、真に新しい宗教革命を必要としている時代はないと言えます。
真に新しい宗教革命とは、新しい次元の真理を伝えるものでなければならないでしょう。
それは、究極的には
・神は存在するか
・神が存在するならば、神と人間はいかなる関係をもっているか
・人間と万物世界は、いかなる関係を持っているか
という三つの問題を解明するものでなければならないと思います。
このような真理が登場することで、人類は宗教、民族、国家の壁を越えて、本当の理想世界を地球上に作り出すことができると思います。

投稿日時 - 2008-03-11 14:38:02

ANo.24

横やり、失礼します。
よくこういった話になったとき、「無宗教」と「無神論」を混同されるのですが、宗教学的には両者は厳密に区別されます。
で、日本人は「無宗教」の人は多いですが、「無神論」の人は圧倒的に少ないです。

「無宗教」というのは、「特定の宗教・教団・宗派に属していないという意味」です。
一方、「無神論」は「神仏や霊魂まで、霊的な(宗教的な)存在を一切信じない」ということです。

なんで、
>私自身は、無宗教(初詣・お盆・クリスマスを楽しむ一般的な日本人)ですが、無神論者ではありません。神に対してはファンタジー感覚です

というのは、正しい認識であり、一般的な日本人の特徴だと思います。
それを示すのに、各宗教法人が自己申告する信者の数を合計すると、日本の人口の2倍近くになるそうです。(もちろん、外国人は含みません)
つまり、2重3重に信者としてカウントされてるんですね。
これは、神社やお寺なんかが参った人やお布施をした人を勝手に信者としてカウントするからです。
これに対して、別段本人から抗議がくるワケでも無し、実害もありませんしね。
そんなわけで、日本にある公的に認められた宗教団体の日本人信者数は人口の2倍近くにふくれあがってるわけです。

どうしてこういった現象が起こるのか?というのは、未だ「謎」で西洋なんかの宗教学者も不思議に思ってます。
一昔前は、「アニミズム=劣った段階」としてキリスト教圏の人は考えてましたけどね。(今では、キリスト教的進歩史観は見直されつつあります)

さて、これを解く鍵は幾つかありそうですが、以下は別のQ&Aでの私の回答に手を加えたモノです

==以下、コピペですが===

まず、日本人の「霊魂観」ですが、その特徴は「祖霊崇拝」にあると指摘されています。
「祖霊崇拝」というと、「お家」というのが強調されますし、現代日本でもその色が強いと言えます。(無縁墓地とか増えてるらしいですけど、、、)
しかし、「お家」というのが強く意識されるようになったのは近世以降、家康がすすめた「寺請制度」の結果です。
この制度は、簡単に言うとキリスト教や一向宗などの禁教を取り締まるために、個々人を寺院に登録させ禁教の徒で無いことを証明させる制度です。
別名「檀家制度」とも言われます。
最初は個々人でしたが、やがて一家に一寺となっていきます。そして、家に仏壇を置く風習も広がることとなります。

とまぁ、「お家制度」を強く意識した「祖霊崇拝」は江戸に入ってからですが、それ以前はもっと広く「祖霊」というモノを捉えていました。
そして、「黄泉の国」というのが想定され、死後人は皆そこへ向かうと考えられました。
ただ、この「黄泉の国」というのが、所謂「あの世」だとか「天国・地獄」などとは、ちょっと違う概念でもあるようです。
例えば、山中や海などの自然界に住んでいたり(自然崇拝との融合)、神棚やお墓、仏壇に住んでいたりと、色々な想定がなされています。
また、生前に特別な功績があったり、人々が祟りを恐れたりした場合には、神社が建てられて祀られたりします。
ただ、死者の魂は黄泉に住まい、時々子孫である私たちに会いに来ると考えられていました。
よって、「生まれ変わり」という思想は無かったと思われます。

ただし、神道は仏教伝来以来に仏教から多大な影響を受けます。
逆に、日本の仏教も神道から多大な影響を受けて発展します。
また、江戸中期以降には儒学が入ってきてそこからも多大な影響を受け、今に至ります。
日本の仏教や儒学が祖先(お家)を強調するのは、やはり神道の影響と言えます。
日本人の心の中では、神道と仏教・儒学が融合していると言えます。

こうした、仏教や儒学、キリスト教などの影響を受けつつも、古来から受け継がれてきた死生観が「祖霊崇拝」と言えます。
そして、その中心を担うのが「神道」と言えると思います。(江戸以降の寺請制度の影響で、葬儀などは仏式であって死生観は神道に根ざしてるとも言えます)
↓オリジナルはこちらに
http://okwave.jp/qa3756802.html

===引用以上===

と、まぁ、上記の引用にあるように、古来から日本人は草木一本から海・山・川など、自然にたいして畏怖の念とか神仏を感じていたようです。
また、神道と仏教が緩やかな(時には対立しましたが)融合をしたため、キリスト教・イスラム教のような一神教的な特徴を示していないんだと思います。
ただ、近代化いしていこうは、無意識に「キリスト教思想」を受け入れ、「神=全能・唯一絶対」というモノを想定している人が多い気がします。
本来は、「カミ≒魂」というのが日本的な「神」の概念です。
なんで、「全能」とか「唯一絶対」なんて事はなく、故に「八百万の神の国」と言われるんですね。
 
長文失礼しました。
参考になりましたら幸いです。

投稿日時 - 2008-03-07 23:53:03

ANo.23

よく日本人は無宗教だなどといいますが、他の方も答えていらっしゃるとおり、そんなことはありません。家に仏壇のある家だって少なくないし、お正月には初詣に行って家族の健康や幸福を祈りますよね。
ただ、これも他の方の指摘のように、神仏習合の伝統から、神道と仏教を上手に使い分けてきたこと。神道も仏教も多神教で排他的でないため、鷹揚な宗教環境を形作ってきたことが大きいと思います。
以前はよく、一神教の外国人から見ると、不思議で、いい加減に見えると言われました。しかし、最近はそのゆるゆるさ加減が、むしろ見直され始めてもいます。世界のあちこちで起きている宗教対立にうんざり気味の欧米人の中には、この日本人の宗教的寛容さが新鮮で、学ぶべきところがあるんじゃないかという人たちも現れています。
というわけで、日本人は今までどおり、ゆるーく宗教とつきあっていけばいいのだと思いますよ。ただし、他の国の宗教に対する無知や無理解が、いらぬ摩擦や反感を招くことも少なくないので、もっと宗教を知識として知ることは必要だと思います。あなたのおっしゃるとおり、聖書でもコーランでもお経でも、いろんな宗教について勉強して、それぞれの先人の知恵に学び、自分なりの生き方を見つけていかれることが一番だと思います。

投稿日時 - 2008-03-01 03:43:06

ANo.22

外国人の友達に無宗教だって言ったら「お前それでも人間か!」っていわれちゃいました。どうやっていいことと悪いこと見分けるんだ?とも。
よく考えてみれば世界の8割がキリスト教やなんらかの宗教を持っているといいます。無宗教であることは、世界的に見れば少数派なんですよね。

日本人のほとんどが神教だといっておられた方もいますがそれはちょっと違うと思います。宗教は形ではないからです。クリスマスを祝うからクリスチャンってわけでもないでしょう。自覚がなければ宗教に属するとは言いません。宗教は信じるものでしょ。信じてないのに宗教にはいってるって・・そりゃ新手のワンクリックかってかんじっすね。


 日本はお経を上げれば誰しも救われるというような、ご利益至上主義の宗教観があります。また絶対的な神がいないためあらゆるところに神の(絶対的な)存在を見ます。お茶だったりお花だったり。だから簡単にたどり着けちゃうんですね。神に。
それでお金を払えば病気が治るとか言っとけば、ご利益主義的な日本の宗教観では、引っかかる人が多いでしょう。新興宗教が多いのは、日本の文化というか風習だと思います。実際そんな楽に真理にもたどり着けないし、悩みも病気も治らないですよ。神様はたどり着けないから神様なんだし。だいたい冷静に見れば、ほとんどいんちきでしょ。

でもこれだけ世の中が悪くなっていくと宗教に頼りたいと思う人が増えてくるのは当然です。

 僕自身も創造者という意味での人的な神は信じていません。ただ絶対的なものってやっぱりあると思っています。
 どんなに哲学や科学が否定しても、やっぱり愛は地球を救うとかって思っちゃってます。

 宗教と付き合うというより、やっぱりつよく望むことじゃないでしょうか?本当のことって何なんだ?何が幸せなんだ?おれはどうすればいい?って常に考えることだと思っています。

その結果、宗教にたどり着くのであれば、やってもいいって思います。

ただ真理も真実も簡単にたどり着けるはずがない。お前らごときにたどり着けるものなら、人類等の昔に平和になってるはずだって。
弱みに付け込んで、結局金かって。そういう糞にはちかずきたくもないし軽蔑する。まあだいたい宗教名乗るやつらはこんなもんだけど。

投稿日時 - 2008-02-28 03:09:08

ANo.21

No.8です。

他の方も言っているように、日本がスピリチュアルブームになった理由は、テレビのせい。

日本はアメリカに比べて、20年文化が遅れていると言われ、30年ほど前、アメリカはスピリチュアルブームで、アメリカ社会は病んでしまったんですね。

法曹界が乗り出して解決したのですが、20年後、日本のその文化はやってこなかった。

どうしてかというと、オウム事件により、マスコミ業界に、その手の番組はやらないようにと規制がかかったから。

オウムが起こる前は無法地帯で、超常現象とか超能力とかUFOとか霊能力とかの番組が乱立していて、それによって育った人たちが、オウムに入信して、社会を破壊するまでになってしまったらしいんです。

それで政府は一番国民に影響を与える放送業界に規制をかけたんです。
それで、それまでその手のことで稼いでいた人々に出演依頼は来なくなり、それまであったその手の娯楽番組は制作されることも無くなり、それでアメリカがスピリチュアルブームが下火になった20年後 つまり 日本の10年前からいままで、そういう番組は放映されなくなったんです。
だからアメリカの20年後に日本はスピリチュアルブームにならなかった。


ところが、10年たったからもういいかもしれないと ちょこっとあるテレビ局がやったところ、政府が何も言ってこない。
それでほかのテレビ局も、やってみるか と流すようなり、本領発揮で、仕掛けを考え、国民を騙すというより、トリックで娯楽を作って、「嘘ですよ~  でも 娯楽番組だからいいでしょ~ 楽しんでね~」って流しだしたんです。

子供じゃなきゃ 騙されないレベルなので、本気で信じる人はいないとわかりきっている構成なので、国から指摘されることも無いだろうと、放送しだしたんです。

国民はゲラゲラ笑いながらその番組を娯楽として楽しんだわけです。

が、どうしたことか、娯楽として捉えることができない人たちも視聴者の中にいて、本気で信じる人たちも出始めたわけです。

あっちでもやり こっちでもやる ということで、そうなると本当にその世界があるんじゃないかと マジにとってしまう人も出てきてしまったわけです。

考えてみれば、スピリチュアル商法でなんでもお見通しなはずの人は、妻から冷たい目で見られ、息子から馬鹿にされているのはおかしい。
どうして、結婚する前にわからなかったのか?
自分のことに関してだけはわからないのか。
「妻に食器のガラスが落ちて息子が怪我するから そうならないように直しておけといったのに妻は信じず、結果起こってしまった。 予知できたのに妻は私の言うことを聞き流した」と自分の予知能力の高さを言ったわけですが、私からすれば、「自分でやりゃあ いいじゃないか」って思ったんですね。
はずれかかっているのなら、予知能力が無くても誰でも推測はできるので、100推測できてその1実際起こったのなら、そりゃあ 当たったとは言わないですよね。

尚、自称超能力者と一般の人が当てる率を比べたら、一般の人がまぐれで当てる確立の方が 断然高いそうです。笑

一般の人と自称超能力者の違いは、自称超能力者の場合、その著しく低い推測が当たった場合、放送電波などを利用して、「当たった 当たった」と喜ぶこと。笑
超能力とか霊能力じゃなくて、幼児能力が非常に高いわけです。


幼児性が高いので、「どうして未来を霊視できるのに、自分のことを馬鹿にする女と結婚をし、その女とセックスして自分のことを馬鹿にする息子をもうけたの?」って言われても、答えられないでしょう。
その世界による理論的な説明だと、前世のカルマにより、罰を受けたので、相性の悪い人と我慢して家庭をたもてば、来世は幸せになれるってことでしょうか。
公共の電波を使って家庭不和を愚痴ってもらってもねぇ・・・幼児能力の高さゆえのカルマってやつでしょうか。

まあ 娯楽番組での笑えるネタとしての提供なので、霊能者の家庭不和話にも笑っていればいいわけですが、、、

でも、笑える番組だけならいいのですが、笑いを取るつもりが、主婦を怒らせた。
さすがの放送倫理委員会も動き出した。


予知することができるのなら、そんなことになるとわかっていたはずで、未然に防げたはずなのに、実際は能力が無いので、知ることもできず、したがって回避することも不可能だったわけですよね。

そういう問題じゃあなくて、お笑い番組で、視聴率を取るつもりが、人の心を癒し仕事をするものが、よりによって人の心を著しく公共の電波を使って傷つける行為をやってしまったわけです。
金稼ぎのために人を犠牲にしてしまったわけで。
まさかこうなることは予想しなかったでしょうけど。
いやいや お粗末な霊能力です。

ですが、ほとんどの人は、この人が霊能力があるなど思っていません。
主婦が怒ったのは、証明できないことをもって、自分の善意を悪行だと決め付けられてしまったから。
イカサマにもほどがある。
ここがギボアイコさんの癒しの力と決定的に違うところ。
彼の場合は証明できないものが存在するとして、人を破壊することにもちい、ギボさんはそれを回復にもちいていた。

ギボさんの能力はこの回復させる能力が非常にたかったらしいです。
霊能力があるかどうかじゃなく、依頼者の心が軽くなるようなアドバイスを常にしていた。
だからカウンセラーとしての評価は非常に高かったそうです。
と学会でも、彼女のその癒しの能力の高さは認めている。
これが目に見えない力ってわけですね。


さて、目に見えない力。
日本には清めと穢れの文化がある。
例えば、ペンキが服についた場合、汚れたとはいうが、穢れたとは言わない。
汚れと穢れは汚れが目に見えるもの、穢れは目に見えないが悪いもの。

例えば、盗み。放火。昔は死罪でした。
悪行は目に見えないが、穢れた行為だとわかりますよね。

人を殺すことも、どうして人を殺してはいけないのか説明できないが、穢れであると日本人はわかっている。
スピリチュアルの穢れの部分。

で、人を殺した人を殺す。 
そうすると悪い人を殺した人も穢れますよね。
支配階級の人は、取り締まることで、自分が穢れてしまうから、取り締まれなくなるわけです。
で、実際、手を引いたそうです。

すると日本はどうなったか。 無法地帯。
それじゃ困るので、取り締まる人を設けたわけです。武士階級の人。


日本に喪中ってありますよね。
日本は死を穢れと思っているわけです。
だから神道では喪中の信者が神社に一定の期間もうでることを禁じています。
死んだ人の家のものは穢れに入るため、その人が清めの場所に行くと、清めオンリーの場所である神社が穢れてしまうとして、それで来ないようにしているんです。

では、穢れの部分は誰が担当していたか。
外注にまかせたんです。
仏教は日本の外からの来た宗教ですので、仏教に葬式の部分を担当させた。
だから日本の仏教は受け入れられたわけです。
仏教により穢れを清めてもらうので、神道にとって仏教は良きパートナーになるわけです。
また、人の生きかたも教えるので、日本にとって益になるわけです。


このように、日本はこれが日本の宗教という形がよくわからないようで、実は風習として庶民の深く根付いているわけです。

日本の宗教を紹介するとき、日本の風習を言えばいい。


外国の人に「どうして日本人は神輿を担ぐのか」と聞かれたら、「あれはいわゆる過ぎ越しの祭りみたいなもんです。
あの中にモーセが神からもらった石版が入っていると思ってください。
異民族だった祖先は、担いで移動していたので、そういう仕来たりが日本に来たとき名残で残っているんです」 と言ってしまうと、日本独特の宗教じゃないじゃないか って言われていまいますねぇ・・・

うーーん あれは 民間宗教であって神道じゃないですねぇ・・・。

なんでしめ縄で縄で丸く描いているのか。
神様がやってきて、その人を一泊させたとき、今から災いを起こすので、その災いを免れるため印として、この輪を。。。。ってこれも過ぎ越しの祭りの由来することになっちゃうので、民間信仰?

うーーん 神道って日本人でもどれが神道独自なのかわからないですね。

まあ、日本の宗教っていろいろなものを取りいれているから。
八百万の神々ってことで、もしかしたら世界全部の神様 取り入れているかもしれないですね。
確かめたければ神無月に出雲に行ってみたらいいですね。

ああ、スピリチュアルなので、見えないか。

投稿日時 - 2008-02-25 04:14:14

ANo.20

 あなたは神道に好意をお持ちのようですが、それはたいへんに素敵な心と思います。神道は日本人の祖先がこの日本列島に渡ってきた頃から持っている霊魂観に根ざしています。親が死んでも霊魂は子供を護ってくれるということです。これは日本人にとつては公理みたいなものです。神道、仏教だろうと拝む対象は先祖、亡くなった人の魂です。同じような霊魂観が中国にあって(そちらが先でしょうが)儒教、儒教道徳として発達し日本に伝わり共感を得ることになりました。
今日、日本人が素晴らしいと思う行為,心情(現在、戦前、明治、江戸等の)は基本的には儒教道徳です。この素晴らしいと思う心があるかぎり日本の宗教はなくならないのです。ただし、あまりにも一神教の情報があふれていますから、宗教観を自覚して、先祖、氏神様を礼拝していくことが必要でしょう。

投稿日時 - 2008-02-24 16:19:08

ANo.19

<<これからの日本人と宗教はどんなふうにかかわっていくべきか?」について回答者さんの個人的な見解を教えてください。>>

理性を大事にし、論理的で道徳的かつ実証的なものを実践していくことが重要だと思います。

テーラワーダ(上座)仏教はこれらをクリアしているように思います。信仰(信じ仰ぐ)を重んずる「宗教」ではありませんが、「個人の自由を守る、生き方に役に立つ実践の教え」です。わかる範囲で確かめていく教えです。

このテーラワーダ仏教の実生活における実践方法を取り入れ、生活していけばいいのでは。義務教育で教えればいいのに。という見解が今の私にはあります。

語られる道徳も厳密に語られているように思います。

ぜひ一度学ばれてみてはいかがでしょう。サンガ出版の「仏法」がかなり詳しいです。

あなたなりのバイブルにいい影響を与えると思いますよ。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

投稿日時 - 2008-02-24 08:45:05

ANo.18

土着の人が住んでいるところに、新しい人々と文化が海の向こうからやってきました。ある時は騒乱がありましたが、島国の中で融合していったと考えます。その後も新しい人々とその文化は陸続と日本に上陸し、島国の中で融合していきます。クリスマスもその一つかと。

何事も受け入れるということは、他のものを受け入れるなという部分は受け入れないということを意味するので、受け入れ方が日本的になるのではないかと考えます。それは排他的ではないという意味ではないかもしてません。それがもっとも肝要な部分かもしれませんから。

もちろん他のものを受け入れないという人々もあったでしょうが、その人たちが、その他の人々を全部征服できるほどには日本は遅れていなかったと思われます。

参考
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/kou(03-7-31)
http://www.do-amenity.co.jp/tv/masako/masako_003.htm

日本語では、外国語の単語が入っても日本語であり、今日では外来語だけで構成される日本語の文章も想定されます。日本においては常に新しいものと融合し、変化していくのが自然なのではないかと考えます。自分たちの考えに固執するなら「出会いの物」に出会うことはできなかったわけで、現実的な環境に暮らしていると思います。

投稿日時 - 2008-02-24 00:16:11

ANo.17

産業革命以降、貨幣経済を優先させ、家庭生活と経済生活が切り離され、家庭は消費生活一本で男女の営みと子育てを行うところ、お金は家庭外に求める。 それから核家族の増大。 小売業者は、大型店に負けて、地域の交流も助け合いもどんどん薄れて行く。

血縁地縁がベストではないかもしれませんが、それで、そこそこ上手く廻ってた日本社会,つまり質問者様のいう

「今まで日本に当然のようにあった「常識」や指針」が、そんなところから失われてきたのでしょうね。

だから、自分だけの利益や出世だけに目を向けないで、身近な人々に、優しい気持ちで手を差し伸べることで、小さな村社会がたくさんできるともっと生きやすくなりますかね。循環社会の義理と人情の世界かな。

教えてgooも、教えて貰ったり、参考意見を述べたりの,循環社会の一種ですかね。 どこかで、これで、儲かってる人がいるかもしれませんけどね。

あなたのバイブルが「特定の宗教に頼らず、聖書やコーランお経、親のしつけ、自分の経験、小説・・などあらゆるものから良いとこ採り」であって、他の人達もあなたのバイブルのような、よいとこどりをしていたら、果たしてどんなバイブルができるのでしょう?  あなたがいいと思うものが、他の人には、いいものではなく、それが競合したら?

回答にはなりませんが、考えることの参考になれば、幸いです。

投稿日時 - 2008-02-23 21:51:17

ANo.16

今から100年も前に外国人から
「日本人に宗教がなくてどうやって道徳教育を授けているのか?」
と疑問を受け、答えを出した人がいます。

五千円の肖像になっている新渡戸稲造さん。
第一次大戦後に発足した「国際平和連盟」の事務局次長となり、
その中で「国際知的協力委員会(現ユネスコ)」を設立した人です。

「我、太平洋の橋とならん」
といって人種差別を禁止する条例を提案しましたが、
白人優勢の多数決で決議に至れませんでした。

その新渡戸さんの著書「武士道」の抜粋。
「武士道は明確な形をとらないが、
語られも書かれもしない故実行を迫るのである。
武士道はその力と美をもって民族の心の中に生き続けている。
武士道は日本を表象する桜の花と同じように日本固有の花である。
その本体を失ってもなお我々の頭上で光り輝いている星のように、
我々の道徳を照らすのである」と説明しています。

詳しくないですが、「茶道」「花道」「古典文学」も
哲学的に深いものがありそうです。
日本人は庶民も手紙や日記をよく書き記録を残しました。

宮沢賢治さんは「いずれ宗教は芸術になるだろう」といったそうですが、
質素でありながら技巧やリサイクル?が発達していて、
自然と職人を尊ぶ風潮があったこと(
時代や風土によっては匠とか達人扱いされないで召使いです)
等も美意識が発達した所以でしょう。

宗教の教義を持たなくても、日常の生活の中で感情を刺激されたり、
はたまた平常を保つ実践力が基にあったのでしょう。

投稿日時 - 2008-02-23 19:46:33

ANo.15

日本人のすごいところは、
わび、さび、人生の儚さ、美しさの感性ですね。時間感覚だと思います。
そして生産性の高さです。

まぁそれは別にして、
どんな民族でもどんな国でも、宗教は風土文化の後から追いつくと言うか、その風土文化の裏の性格をもっているんだと思うんですね。
極端に言えば、神の国に宗教は存在しない訳で、その風土を補完する形で宗教が存在して、文化と一体になっているのでしょう。

ご質問者様自身がバイブルを模索していらっしゃるのですが、その落ち着くところが補完にあたるわけで、先に真の宗教があるのではなくて、
そのなにか不足しているという思いが宗教を発生させている、あるいは、宗教を取り込む素地になる訳です。

したがって、宗教とどう関わるかというのは、とりもなおさず、風土文化がどう形成されているかと言うことなんじゃありませんかね。個人でも同じなんだと思います。
そして、目指すのは宗教教義がいらない文化なんだと思いますね。そうなったときは、文化自身が宗教なのかもしれませんが・・・。

投稿日時 - 2008-02-23 18:45:13

ANo.14

海外の宗教人達とお話をしたことがありますでしょうか?
彼らは神無しでは生きて行けません。(白人社会では当然)無宗教なんてことは口にしない方が良いです。人間扱いされません。
進化論を信じているのですね?人間がネズミから勝手に変化し人間になり、死ぬと天国に行き、また虫から修行を始め人間になって・・ですか?
科学的に人間や地球を見ると、おもしろいです。たとえばエベレスト山頂の地質は海底の物です。中東のアララト山山頂付近で巨大木片が人工衛星によって発見されました。ノアの箱船?北極の凍結マンモスは口の中に草がありましたよね?北極が暖かかった?日本オーストラリア間の太平洋には巨大大陸文明があった?
また、生物が死ぬと地球を破壊するでしょうか?肥料になりませんか?
ミカンの木にリンゴを見たことがありますか?ネコと犬の子供って居ません。宇宙で星達が勝手にぶつかり合うことは無いです。地球の10万キロという速度は太陽を回る速度として完璧です。微妙な傾きも四季の為に必要です。つまり、すべてに設計、制作者が居るということです。
これらは聖書記述を裏付ける物ですが、そこにはこれから人類の数千年後のことも書かれています。
>何を道徳の基盤にするのか・・親のしつけ→キリストの山上の垂訓(黄金律と呼ばれている)道徳の基礎はここにあると信じています。
私はキリスト教ではありません。しかし海外の友人と話していると、考えざるをえないのです。
死ぬと、見たことのない天国に行くより、一部のキリスト教の地上にもう一度表れる、という方がいいな!と思いました。

投稿日時 - 2008-02-23 17:42:13

ANo.13

 No.4です。
★ 日本人に宗教教育が必要だとたまに聞きますが、もし宗教教育をほどこしたらどうなると思いますか??
☆ 要らないという立ち場ですが こんなふうに考えています。
(1) かつて 弥生時代の終り・古墳時代の初めに やまと(山処)なる三輪というところに 人びとの自由な共同自治が 築かれました。《和》とは言わなくとも 人びとは けんかはしても 互いを尊重し合い 共生を目指しました。
 ある日 この和の上に 《大和》なるヤマトが でっかい旗を立てて 本家本元の争いを始めました。最終の結果は 三輪市民が 譲歩しました。(これを 《国譲り》と言います)。
 社会が 形態として 二階建てになりました。

 ・スサノヲ市民の上に もっぱらの公民としてのアマテラス族。
 ・《まつり》の上に 《まつりごと》。
 ・家の上に くにいえ(国家)。
 ・《八重垣》(市民社会)の上に 《九重》(宮中禁裏)。
 ・和(やまと)の上に 大和(ヤマト)。

 この《大和》主義思想が 《和を以って貴しと為す》とお決めあそばしたのです。

(2)このような歴史哲学をみなで考え合っていくのがよいでしょう。同感を得た内容を 教えるとよいでしょう。

(3)そのような哲学を基礎として 信仰は 個人が それぞれ自由に抱くとよいでしょう。まったく自由にです。

(4)同じ信仰をもった人びとが 自分たちだけででも 別の信仰をもつ人たちと共にでも 信仰と直接にかかわらない文化活動や社会事業をおこなうのは まったく問題ないと思います。
 ところが 同じ信仰を持つという場合であったとしても 信徒のあつまりとしての宗教は 組織・教義・教祖を決め 運営規則に沿って行事慣習をもおこない その活動をいとなむということです。言いかえると 信仰を その信仰の上から 《信仰を以って貴しと為しなさい》と言い合って 生きようとするいとなみです。そこに 組織の長が 悪いと来た日には 目も当てられなくなります。支配欲に支配された人間が 宗教の名のもとに やりたい放題となります。
 要するに 宗教に ろくなものはありません。
 こういうことを教えるのなら よいと思います。

(5)長くなりますので あとは わたしのほかの回答を 参考にかかげます。よろしかったら どうぞ。
 
 ・日本の歴史に即して 考えた人間・交通関係(コミュニケーション)・社会についての議論です。
 《Q:今生きる社会のひな型が無い気がします。
  http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3610567.html 》そのNo.2

・同じ趣旨ですが それを さらに詳しく日本のシントウに即して 述べたものです。
 《Q:教義内では共存的な世界観の多神教が、対外的には排他的になるのはなぜですか。
  http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3762272.html
  そのNo.9~13・15・25

(6)なお スピリチュアル・占いというのは 無限判断を扱います。選択肢が 一般に 限りなくある場合について ああでもない・こうでもある / いや それは 一部分のことだ / ええ たしかに あれは その一時期のことでしたうんぬんと 延々とやっていく《知的な・知敵な・痴的な》ひまつぶしです。公共の電波では 自主規制すべきだと考えます。でも 大衆の需要があるですって? では しかたありません。

投稿日時 - 2008-02-23 15:27:38

ANo.12

日本人に宗教教育はそこまで必要ないと思いますが、海外に行った時「あなたの宗教は?」と聞かれて「ありません」なんて答えないようには教育したほうがいいと思います。

日本では、伝統的な日本神道の八百万の神々から多神教的な「初詣・お盆・クリスマスを楽しむ一般的な日本人」像が出来上がってますが、外国から見たら異常には違いありません。

それ以外は、誰がどんな信仰しようが自由ですし、たとえそれが終末思想的なものであっても、人に危害加えなければ問題はないと思います。

というのも、宗教は心の依り処としてすがるか、死への恐怖から逃れるためにすがるためのものですから、どんな教えでも結局はその教えを受ける人の気持ち次第でしょうし。

ですから、たとえスピリチュアルが流行っても全然気にしません。

 「常識」なんてのはその時代で変わる訳ですし、「古い常識」には良いものもあり悪いものも当然あるわけです。
 今の時代が必ずしも「悪い常識ばかりになってしまった」なんて誰が言えるのでしょうか?多分言えないと思いますよ。+-したら結局以前と変わってないような気がしますが。

神道の根本思想に「和」があったからこそ、争いごとの嫌いな古い日本人像があると思います。

個人的には争い事嫌い(別に戦争反対論者ではないが)なんで、「もっと『和』を持とうよ・・」なんて思ったりもしますが、グローバル化している現代において、外国との競争に勝ち抜くためにはそれだけじゃ生き残れませんしね。

投稿日時 - 2008-02-23 15:16:24

ANo.11

宗教から一歩はなれて、別の切り口から考えてみました。

今のスピリチュアルブームに限らず、歴史を振り返ると、昔からなんらかの信仰のようなものは沢山あるものです。賭博と風俗と占い(スピリチュアル?)は、どんな不況下においても無くならないビジネスだと歴史が証明しています。

こういうものは、時期的に廃り流行があるように見えますが、なぜ今はブームだと言われているのでしょうか。それは、これまでマスメディアがとりあげていなかったからです。では、なぜここ10年近く、あまり流行らないように見えたのか、ご存知でしょうか。

マスメディアが責任を感じて自重していたからです…何の責任かというと、松本サリン事件をはじめとする、反社会的事件を起こした宗教団体のオウム真理教教祖を、まるでコメディアンのように持ち上げていた時があったからです。

これまで、TVでは細木さんも江原さんのような人は登場させたくても、マスメディアが世間体を考え許さなかったのです…現在は過去の批判的な見方をする人が減り、収益に結びつくからスピリチュアルが解禁されて、今、とても持ち上げられているように見える。このことに危機を感じている知識人も少なくありませんね。

では、これらスピリチュアリズムを、民衆が古来の宗教観を取り戻すことで払拭できるだろうか?と考えた時に、そういう期待はできないと私は思います。宗教を持たない人に、思想統制を行えば済む問題でもなく、反対意見も多いことでしょう。思想を持たない人に宗教をおっかぶせることはできない。

欧米の思想を安易に取り入れるかのように、主な宗教を持ち出して子供に宗教観を伝えなくても、特に何をするでもなく日本人はもともと道徳観や倫理観ある人間がもともといたのですから、これらを普遍的な宗教観というのか分かりませんが、、、人間が人間らしく育つ仕組みを創り上げればいいのではないかと思います。その方法としてのキーワードは「宗教を持った人間」を育てるというよりは、宗教観や文化的な知識のようなものも含めて「哲学を持った人間」を育てることであると思います。

投稿日時 - 2008-02-23 14:02:11

ANo.10

自分の国の文化とか宗教に対する考え方はいいなぁ。
ってのは単にその国に住んでて慣れてるからではないでしょうか。

別に今スピリチュアルブームで前世が。とかオーラとか
言っている人たちと、

それこそ伝統的宗教が、極楽が、なんみょうーだ、お天道様だ
、ソワカソワカ、エンマサマだ、先祖様が、神様が、というのと

何が違うでしょうか。

今は駄目だけど、昔はよかったというノスタルジーに浸って
伝統的宗教観とやらを復活させようとしている人たちもいますけど
要は、それでご飯を食べて生活しているからです。

昔も、宗教は馬鹿馬鹿しいという人もいたし
真面目に信じていた人もいたし、どうでもいい人もいたし。

いろいろです。政治的に邪魔になれば排除したり、
必要になれば利用したり。国家も宗教に対しては、そんなものです。

いろいろです。人間の営みですよ。ずっと続いていくと思いますよ。
で、今の時代は合理的な人たちが優勢な時代だから
私たちもそんな時代の中にいます。それだけのことです。

投稿日時 - 2008-02-23 13:31:08

ANo.9

#2です。
お礼ありがとうございます。質問に対して回答します。
>神仏習合の曖昧な宗教観の上に日本人的道徳が衰退していくと一どうなるんですかね。
解釈の違いだと思います。宗教観の道徳は衰退していません。道徳を教えない日常社会が衰退しているのです。信仰心が薄いからと思うかも知れませんが、果たしてどうでしょうか?信仰活動が最も活発な米国を考えて見てください。犯罪件数は減りましたか?道徳が高まりましたか?全くそんな事はありません。つまり、道徳の衰退は、宗教の影響より日常社会の影響が高いのです。つまり、mimudanzeさんが懸念される問題は、社会システムの在り方を問うべきだと思います。もちろん、社会システムと宗教の結びつきはありますが、現状は、社会システムの問題だと思います。

>スピリチュアリズムが流行ることについてはどう思いますか?
>特定の宗教よりも受け入れやすいのだろうと思いますが、なぜ今流行るのでしょう?
私自身は、スピリチュアリズムは、信じておりませんが、それを信じてしまう人がいてもおかしくないと思います。
古くからの神仏習合より日本人にも霊魂信仰があります。スピリチュアリズムは、その霊魂信仰に科学的観点から証明させた?ものです。元々日本人にフィーリングする理念なんだと思います。今、流行しているのも某番組でスピリチュアカウンセラーがレギュラー番組になり、全国に霊魂信仰を強く興味持たせるきっかけになりました。そのため、科学的に証明を説く団体に人気が高まっているんだと思います。しかし、私自身は、一時的な流行だと思います。私が幼い頃に大霊界という映画が大ヒットしました。その人気からテレビでもスピリチュアリズムの特番が多数放送され大流行しました。しかし、この流行も数年後には消えていきました。このことから、日本人は信仰という観点でみているのでなく、一種のファッション流行のような人気だと思っています。

投稿日時 - 2008-02-23 13:28:41

ANo.8

日本政府が国民はもっと宗教に関心を持ってもらうべきだと、政策としてやろうとしたのですが、考えてみれば、日本は信仰の自由をうたっていますので、どの宗教を信仰しても自由 以外に、宗教を押し付けられない自由、宗教を信仰しない自由 も含まれていると私は解釈するのですね。

どれかの宗教をするように とやってしまったら、信仰の自由を国民から剥奪することになってしまうから。


自殺者が3万人を超えるようになり、政府は宗教のこの問題をまる投げして解決して、自助努力で解決してもらおうって考えなのかもしれません。

主な自殺の原因は病気のようなので、病気になって苦しむ人を宗教が救えるか。
宗教をやれば苦すら快楽に変換できるか?

高名なお坊さんが死のふちでこういったそうです。
「死にとうない 死にとうない」
お弟子さんたちは「師匠となれば、もっと別の言い方があるんじゃないですか」と言ったそうですが、悟りを開いたとされ、尊敬され無の境地に至ったとされた師匠ですら、イザその場面になると、死を受け入れられないというのが現実。


日本の宗教はアニミズム的といわれますが、おそらく全部の宗教がアニミズムを母体にしていると思います。
ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も仏教もリグ・ヴェーダも。

ところが、それが母体となっているものが、それを否定しているか面白いんですね。
体と心が一致しておらず、心は体から離れているので、それが原因で、宗教をやればやるほど苦しむ となると思えます。


日本の宗教は、2つの文化でなりたっていると思えます。
1つが太陽の文化でもう1つが蛇の文化。
これのドッキングが鳳凰というシンボルなんじゃないかと。

アニミズムの考え方は自然に神が宿っているとして、四季がはっきりしている日本などは、春になると何も無いところに神様が生命を与え、緑の大地にして、秋になると実りをもたらし、また山にかえっていく とぼんやり考えていた。

それで、その恵みをくれる神様が住んでいる山に、取れた作物の一部を捧げ「また 来年も お願いしまっせ」とやる。
これがほのぼのとしたささやかな信仰だったと思います。

そのうちに、山に登って作物の一部を捧げ感謝するということも大変だったのか、山の麓に社をもうけ、そこに作物を捧げるようになったようです。

その社がだんだん神様の家として、人々はそこに行って、困ったことがあると神様に訴えるようになったんじゃないかと。

苦しい時の神だのみ。
神という字は、左の右も神を表す象形文字だそうです。
左 木に見えるし、右は申すって字。
神木とかありますから、もしかして、元は木を神様としていたのかも。
イザナギ神話にもそういう内容がありますし。

で、中国の影響で、神託というか、亀の甲羅をやいて、占いをして、「こうだ」って言う人がいたようなんですね。
申す ってのは、人間が神様に言うんじゃなく、占いによって神様の言葉を知ろうとするって感じだったのかも。


まあ いずれにせよ そういう ほのぼーのしたささやかな信仰心だったが、大陸の方では宗教の進化を遂げて、学問として形成されていったようで、権力を持つものは、学問にも触れられ、その人の知識で、無学の人をひっぱっていくようになったんじゃないかと。

階級社会がきっちりとでき、その文化が日本にも入ってくるようになった。
知識を持った人は尊敬され、言葉を聴こうと人々がやってきて、その代わりに食べ物をあげて、それで知識を持っている人は、農作物を育てなくても、食べて生きていける という風になっていったんじゃないかと。

知識を与えることで、生活をするという職業ができたわけです。

しかし、日本には占いにより神託を人々の授ける蛇文化は、水田農業を大陸からもってきた太陽文化と衝突することになり、結局太陽文化が蛇文化を食っちゃった。
食ったというより習合したような状態。

この二つが1つであるかのように見えるので、日本の宗教はよくわからん となっているんじゃないかと。


で、日本の信仰の特徴は、取り入れて習合させてしまうこと。
どれも神様にしちゃうんですね。

例えばリグ・ヴェーダで最初の人間とされたものは、日本じゃ閻魔様と呼ばれている。
日本の神様になっちゃった。
ターラも日本の神様になっちゃった。

いろんな地域の思想が日本にはいってきて、神様として生きているんです。

なんでもかんでも神様にしちゃう日本。
面白いですね。


これは死んだ人を敬うという思想が強かったからだと思います。
その元は畏怖だと思うんですね。

例をあげると、菅原道真。 祟り神です。
はめられて左遷された先で、晩年を送ったわけですが、彼の死後 彼をはめた勢力に災いが起こり、こりゃあ 道真の祟りだ と思ったらしいんです。
生きているうちは説得して怒りを沈めさせることができるでしょうけど、なんせ、もう手の届かないところに行ってしまったので、ひたすら一方的に「ごめんなさい ごめんなさい」と詫びるしかない。
で、具体的に 名を与える つまり 階級を上げていったわけです。
名前の位をどんどんあげていき、そして天神の名前を与えたところ、やっと災難が止まった。
偶然でしょうけど、昔の人は「やっと許してくれた」ってなって、今の大宰府に大きな社をもうけ、彼を神として崇めて、道真の怒りが起こらないようにしたようなんですね。

誉め殺し作戦ってわけですね。 笑。
人間の発想って面白ですが、殉職した人を昇進させるってのは今でもやっていますよね。


人間の感情で一番やっかいなのが恨み。
恨みの炎で身を焦がすわけで、決していい状態じゃない。
それで丑の刻参りをして、恨みの炎を消火しようとしたが、自分じゃ無理だとして、神の力を借りようとしたのが、やがて祟り神に協力してもらって、祟り神に訴えて祟り神に災いを恨みの相手に与えてもらおうと負の力として利用するようになったんじゃないかと。

まあ 普段は何気ない顔で恨みの相手と接して、ちょっと相手に不幸があれば「やりー ざまーみろ」とそれを自分の呪いが成功したと せーせーする気持ちになることで、相手を殺さず、自分も生きる という和を成立させたのかもしれません。


で、何故日本人は宗教に関心を示さないのかというと、やはり神を畏怖する対象とみなしているからじゃないかと。
あまり近づきすぎると、もしかして負の力の影響を受け、「のぞいちゃ駄目よ」といわれて つい覗いてしまって、永遠に相手と別離することにならないよう 覗かないほうがいい って考えいるのかもしれない。
(参考までにこれは鶴の恩返しのストーリー 笑)


日本は神様は災いをも生み出すと考えている。

でも、日本だけじゃなく 他の神様も人に災いを与える概念をもっていますよね。
人間が悪いことをしたからだ としていますが、それでも災いを起こす力を持っているとされるので、恐ろしいわけです。

例えばある日社長が「お前はクビだ 俺に昨日挨拶しなかっただろう。退職金も無しだ」って青天のヘキレキ現象が起こったりする。
「しまった! 規則違反した。でも俺が悪いんだからクビは当然の報いだ」
信仰だと当然の報いになるんですね。


ところが、「たかだかちょっと挨拶をしなかっただけで、クビとはなんだ お前は社員から社長と認められているから社長なだけだ。誰もほんとうはお前のことなど馬鹿殿としか社員は思っちゃいないんだ。今日から俺が社長だ」 となり、社長派とクーデター派が激突し、クーデター派が勝ちゃった。
これが、聖書の元となる物語の内容。

つまり聖書って他のファンタジー物語がベースになっていて、あの神はクーデターを起こして、祖先の神を殺して、その地位についたクーデター派の神。

で、殺された派の神様 どんな概念だと思います?
ドラゴン。 ちなみに女性ですからドラゴンレディー。

殺した方がブレスでドラゴンを殺しており、今じゃ 神の息だとか聖霊とか言われているそれで、創造主を殺してその地位について、自分達の世話をする奴隷が欲しくて人間を作った ってストーリーがオリジナルんですね。

しかし ドラゴンレディーはしぶとかったようで死んでおらず、アダムとイヴの前に現れ、主人の農場でこきつかわれて飼われていることに知恵が無いため気づけずいる彼らに「知恵を身につけると 真実が見える」と頭を使って考えることを教えた。

そして知恵を身につけた二人は、真実が見えるようになり、悲しみにくれてしまった。

そんなことは知らないクーデターで神の座を奪った奴は、「アダム~ イヴ~ どこさいるだぁ おやぁ お前ら 知恵を身にまとっている ということは、、、、、ばれたな 出てけーーー ちくしょーー ドラゴン お前生きていたのか 呪いをかけてやるーーーーーー アダム お前に呪いをかける イヴ お前にのろいをかける 全員に呪いをかけてやるーーー ちくちょーーーー 呪ってやるーーーー うおーーん うおーーーん 」


というわけで、この神様かんしゃく起こすと呪うんです 笑。

悪事がばれちゃって、「ええいーー 偽の水戸光圀だ であえ であえ 殺せ~」ってご乱心。
まあ もともとご乱心によって得た地位で実力があったからその地位に座ったわけじゃにしね。


というわけで、ほどほどがやっぱりよろしいですよねぇ。
ファンタジーの世界にとどめて楽しむ程度にする日本人の宗教に対する興味の浅さ、いいなぁ~って思います。

神の国と実現するんだって言って、侵略・破壊・強奪しちゃうと、それは神は神でもクーデターで暴力で勝ち取った勢力の軍隊だからですよねぇ。

悪は自分が悪だと知ることはない。
だから ほどほどにしておかないと、自分が悪をやっていると知らず、善をやっていると思ってゴリ押ししてしまうと、巨大な悪を引き起こしてしまうってことにもなるわけで。

良いと思うことも悪いと思うことも ほどほどがよろしいですよね。

投稿日時 - 2008-02-23 12:14:09

ANo.7

自分を律しているのは自分
ということを日本人はよく知っているんじゃないでしょうか。
だから、何でもありなんじゃないでしょうか。

投稿日時 - 2008-02-23 11:20:55

ANo.6

>今の現状は私にもわかりますが、これからどうなっていくのかを知りたかったです。

基本的には現状が維持されると考えます。まあ「現状」を把握するのが難しいですけど。
明文化されていれば、それが変化した/しないは明白です。

最近(?)はやりの新興宗教もどんどん日本人の宗教観に飲み込まれて、そぐわない部分は勝手に捨てられていくでしょう。
それが不文律の強みですね。変化しても、それが「日本人の宗教です」と言ってしまえばオッケー。

投稿日時 - 2008-02-23 11:12:41

ANo.5

普通の日本人の宗教観は人類の進歩と平和(昔の万博のキャッチフレーズみたいですが)にとって、良い方向に働くものだと思っています。
多くの日本人は無神論なんじゃなくて、自然崇拝的なアミニズムに基づく比較的統一された日本的宗教観を持っていると思います。「公正明大で正直」という倫理観が基本です。神道では「明き心・直き心」なんていいますね。
日本に信者の多い浄土真宗や禅宗はあまり「自然崇拝的アミニズム」ではないのですが、実は江戸時代の寺請制度の名残で名目上の信者は多くとも、これらの本当の教義はあまり知られていないからなのだと思います。普通の日本人は浄土真宗や禅宗の実際の教義には違和感を持つのが普通ではないでしょうか。
いわゆる文明国の大多数がユダヤ教の流れの一神教を倫理の基本にすえてきたのですが、これは絶対者をおくので一つ間違えると非常に危険なことになるのはご存知の通りです。
宗教というと、歴史的経緯からこのユダヤ教・キリスト教・イスラム教あたりが規範になりがちなのですが、アミニズムだって立派なものだと思います。
明治の神仏分離や戦前の国家神道は極端に言えば西欧諸国に見習った神道のキリスト教化策です。これは見事に失敗したわけです。八百万の神々の罰が当ったのかもね。
日本人の宗教観はこのままで良いと思います。
インドや日本といった、アミニズムを基本とした宗教というか思想が普遍的になれば、今より少しは世界は平和になるのではないかと思います。

投稿日時 - 2008-02-23 10:38:27

お礼

母の実家が浄土真宗でお坊さんと半日ほどお話させてもらったことがあるのですが、ちょっと違和感を持った覚えはあります・・が、完全に理解したわけではないです。父の実家は何宗か忘れてしまいましたが、そちらのほうが若干しっくりしました・・けどやはりよくわからず・。聖書も読み物としては面白かったです。

日本の宗教観はこのままでいいんですね。おかしな宗教が流行ったり(フランスでは創価学会もカルトらしいですね)、スピリチュアリズムが流行るのがなんだかなぁと思っていたのですが、どうしようもないんですかね。最近私の周りで新興宗教に新たに入るという人が4人もいたので危機感がつのったのかも。新興宗教が悪いってわけじゃないけど、日本人も何か絶対的な神にすがりたくなってきたのかなぁなんて。

>>インドや日本といった、アミニズムを基本とした宗教というか思想が普遍的になれば、今より少しは世界は平和になるのではないかと思います。
インドは日本と似てるんですか。知りませんでした。私もこんな風に思うときがあります。でも、こんな寛容(いい加減?)な宗教観のもとで、ある程度同じ価値観をもてるのは島国だからこそかなぁなんて思ったり。あと、一神教とはちがって、誰でも神になれる可能性があるから、ある意味こわい。うーん、わからん;;

私のつたない文章を読み取ってくれてありがとうございました。

投稿日時 - 2008-02-23 11:03:39

ANo.4

 昔の人間は いまの日本にどういう感覚を持っているか――と言っても 例外中の例外で 幾重にも へその曲がった男を自認するものですが―― これを ひとことで表わします。人生 なぞをもって生きるほうが おもしろいとも考えられますので。

  《和を以って貴しと為せ》と言われなかったなら わたしたちは 《和
  を乱す》ことを知らなかった。

 これです。だれが 和を乱したのでしょうか。上から周りから真綿で首を締めるようにして 見えない観念の(マインド・コントロールの)枠をはめて そのような押し着せの《和》を 世界に冠たる和だと言って 一面では 頭脳明晰で人一倍努力をしつつですが 一面では のほほんとふんぞり返っている人びとがいます。しかも それでも いわゆる右翼からの応援があるようなので まだ 持ちこたえています。

   実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、
  取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、
  我慢しています。
  言うのも恥ずかしいことですが、わたしたちの態度は弱すぎたのです。
  だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもり
  で言いますが、わたしもあえて誇ろう。
   彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。
   イスラエル人なのか。わたしもそうです。
   アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。
   ・・・
   (パウロ:コリント人への第二の手紙11:20-22)

 あなたの嫌いな排他的な唯一神信仰です。
 ですが わたしたちは いつもテレビに出てくる人たちよりも――驚くなかれ 疑うなかれ―― もっともっと自由な日本人なのです。

投稿日時 - 2008-02-23 10:30:45

お礼

うーん、そうですね。ちなみに一神教は嫌いとまではいきません。。

日本人に宗教教育が必要だとたまに聞きますが、もし宗教教育をほどこしたらどうなると思いますか??

投稿日時 - 2008-02-23 10:42:52

ANo.3

 無宗教と自称する日本人は多いのですが、実の所日本人であればほぼ100%神道の徒です。あなたも含め。自覚が無いだけで。

投稿日時 - 2008-02-23 10:29:45

お礼

そうかもしれませんね。日本人ですからそういう部分もあるかもしれません。
でも自覚もしていないし、特別信じてこだわっているわけでもないので、やはりちゃんと神道を信じる人とはちがうと思います。

投稿日時 - 2008-02-23 10:38:13

ANo.2

おはようございます。
私自身は、宗教団体に属してませんが、神仏習合であると思っています。正しい捉え方でないのかも知れませんが、道徳では仏教、行事では神教を重きに生活していたと思います。
日本の歴史も神仏習合が現在まで続いています。古くから続く宗教概念なので、生活に定着し日本人自身は意識していないだけだと思います。しかし、この概念が日本の宗教の基軸になっていると確信しています。
外国人が日本人を分析すると融合させるのが得意な人種だとよく言われます。その通りだと思います。神仏習合のように古くから融合させています。そして日本人は今でもそれを得意とし日本社会を築き上げています。つまり、今後も同じように神仏習合を基として宗教に向き合っていくのがいいのではないかと思います。
ちなみに、一神教の排他的な教えは、私の理念から外れるので否定派です。
以上が、私の主張です。

投稿日時 - 2008-02-23 10:22:13

お礼

おはようございます。
神仏習合は昔からですよね。日本史で習いました。大昔からごちゃまぜですね。
>>つまり、今後も同じように神仏習合を基として宗教に向き合っていくのがいいのではないかと思います。
私と同意見ということですね。
神仏習合の曖昧な宗教観の上に日本人的道徳が衰退していくと一どうなるんですかね。スピリチュアリズムが流行ることについてはどう思いますか?特定の宗教よりも受け入れやすいのだろうと思いますが、なぜ今流行るのでしょう?

投稿日時 - 2008-02-23 10:35:07

ANo.1

宗教と言うと、キリスト教のように「明文化」されているものを想像しがちですが、
そもそもは「不文律」としての存在が宗教の原型だと思われます。

キリスト教のように様々な人種や国の人がその思想を共有するためには、明文化の作業が避けては通れませんが、
日本人の宗教は日本人がおおよそ単一民族であるが故に「暗黙の了解」としてここまで生き残っています。
先進国の中では非常に珍しい部類でしょう。

「国際化」の潮流のなかで、これまでも日本人の価値観は知らず知らずのうちに変化を遂げてここまで来ています。(古くは遣隋使くらいまで遡る)
他の主要先進国が確固とした教義/原典を持つなか、協調して経済成長できた日本の力に驚くばかりです。

きっと、今は今でこの状態が日本人としての「ありよう」なのでしょう。
不文律であるが故に明確ではありませんが、初詣もお盆もクリスマスも何もかもごちゃまぜで日本人の宗教です。

投稿日時 - 2008-02-23 10:16:28

お礼

そうですね。ほとんど私が感じて書いたことと同じですね。
今の現状は私にもわかりますが、これからどうなっていくのかを知りたかったです。私のつたない文章を読んでくれてありがとうございました。

投稿日時 - 2008-02-23 10:28:26

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