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締切り済みの質問

今後の人生に全く希望が持てません。長文です。

私は大学三年生のものですが今後の人生に全く希望が持てないんです。
本当です。

就職活動中で、それが上手く行かないと言うのもあるんですがそれだけじゃないんです。
正直ある程度の大学・外見ではあるので選り好みしなければまあ就職は出来ると思います。
でも就職しても絶対に周囲から浮いてしまうのは分かりきっています。

就活するにあたり自分がいかに空っぽな人間かということに気づいたのがきっかけです。

大学時代何もしてきませんでした。
友達も増えなければ、勉強もしていません。
出来る限り授業をサボり、アルバイトをしてお金を稼ぐことだけに精を出していました。アルバイト先でも浮いてしまいます。

相手から定期的に連絡をくれるような友達は一人もいません。

いい感じになる男の人は格好良くて人間できている感じの人が多いのですが、いつも最初は相手が積極的でも、結局何にもなく終わってしまいます。
私に中身のなさに呆れ(実際に言われたことあります)、そのような人たちには私なんかよりずっときれいで人間力のある人がいるのに気づいたからだと思います。

大抵の人(いい感じになる男性や、短気な関係でしかないであろう人、自分以上に可笑しい人以外)に対し、すごく壁を作ってしまう傾向がありつれない印象を与えてしまうようなんですがと思いますが、大抵のひとが本当は怖くてしょうがないから壁を作ってしまうのでどうしようもありません。

結婚は出来ないだろうし、職場でも辛い立場になりそうだし、今後全く幸せになれる気がしません。

現在は若いからまだ良くても、今後年をとったら全く誰も相手にして切れなくなりそうで怖いです。

本当に好きなのはペットの犬だけです。
それしか私にはいません
もうどうすればいいか分かりません。
本当なんです。
お願いします、励ましなど入らないので具体的な
アドバイスを下さい。

投稿日時 - 2008-04-04 20:37:36

QNo.3922355

すぐに回答ほしいです

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回答(230)

ANo.230

そうそう、物は考えようですね。
引きこもりではなく、人生の休憩と思わなければ。

そういえば、私が以前投稿した質問です。
就職についての質問ですが、まあ今のところ無職です。
http://qanda.rakuten.ne.jp/qa5647039.html

お互いに色々問題もあると思いますが、頑張っていきましょうね。

投稿日時 - 2010-02-17 14:40:26

お礼

ありがとうございます!

投稿日時 - 2010-02-17 17:05:33

ANo.229

 今回読ませてもらって思ったのは、私を相手にして、自己受容の旅をしているような感じだなということです。どうしたら自己受容ができるのかの葛藤の旅です。

 私は今、それほど人のことを考える余裕がなくて、あまりあなたの望むようなことは書けません。

 でも、あなたの言いたいことはきちんと聞いてますので、というのもなんか変かな。

 クリエイターの話し、営業の人に憧れる話し、筋としては納得し易いものですね。でも、人ってそんなものじゃないでしょうか。自分の望むイメージに憧れるというのは、万人共通だと思いますよ。

 あなたは最近はとても素直に表現できるようになってきたと感じます。私以外の人ともそのような話ができるといいのではないかと思います。

 仕事の話はOKです、わかりました。あなたの資質だけが原因じゃないってことですね。

 まぁ、なんでしょうか、あなたはそれだけ語りたいことがある人なのだから、それの幾つかを話せる、その相手をみつけられるといいのじゃないでしょうか。私だけじゃなく、ね。

 

 

 

投稿日時 - 2010-02-16 19:24:41

お礼

kumosukeさんこんばんは。
でも、きっと本当はおはようございますなんでしょうね。
最近また不眠がやってきて眠れません。
精神的に少しずつだけど進んできている気がするのに困ったものです。
眠れないのは憂鬱になります。

自己受容・・・そうかもしれませんね。
というか私はずっとそれを求めているんだと思います。

ええと、多分無理に書いていただかなくても多分大丈夫です。
kumosukeさんなら聞いてくれている私は思っているので大丈夫です。
もしかするとそれがあなたにとって重荷になっているのかもしれませんが。
ただ私の一方的な思い込みなので気にしないで下さい。

仕事の話ですが私だけの問題ではないですが、他の人は耐えているのに私は出来ないからわたしの問題も大きいです。
ただ社会って変でも私はそこで生きていくから合わせなきゃいけないのかなって思うんです。
多分分かってくれているとは思うんですが、一応言っておくと、以前ならkumosukeさんにわたしの欠点を指摘されるとそれに感情的に反論していたんですが今の考えはそうじゃないんです。

自分のことを素直に言えるようになったのは確かだと思います。
それは自分が以前と変わったというのはあると思います。
以前は自分にすら素直になれませんでした。
でも今もきっとこのように素直に話せるのは大丈夫、と感じた人だけな気がします。
残念なことにまだ人が怖いし、とっても緊張し、多分少し卑屈に考えてしまいます。
今は少しずつでも慣れていけたらいいなって思っています。

kumosukeさんの負担になってしまうとは思うのですが多分今なら言えるし、今言わなきゃいつ言えるか分からないことなので書かせてください。
ただ読んでもらってると思えればいいのでコメントとかはいりません。
多分あなたという存在を通して自分を整理しているんだと思います、ごめんなさい。
家族のことです。

わたしの家は母親が絶対的な権力を持っていて自分をけして曲げない人でした。
今でもですが。
そして彼女明かにおかしいくても自分を批判されるととても感情的に怒ります。
第三者として客観的に指摘した時もです。
その怒りは、相手を屈服させること、もしくは相手をネチネチ痛みつけ自分が自分の過ちに少し気付いた時に謝罪することもなく相手が悪いけど許すという態度で示すこと、でようやく沈みます。
そして、大抵他の人に対して不満を持っており、それを子供である頃から毎日のように聞かされていました。
また母は複雑な家庭で育ったようでそのことへの不満や結婚の時に父の両親と色々あったことの話などを小さな頃から聞かされていました。
今現在も嫌がらせのように責められるので彼女のことは反吐が出るくらい嫌いですが、彼女も可哀想な人で所謂アダルトチルドレンだと思いますが、本人は自覚はなく自分はコンプレックスを乗り越えてきたと思っているようで多分救われないでしょう。
そして、そんな母のターゲットになっていたのが自分であるように感じます。
わたしはおそらく子供の頃母の怒りに気付くことが出来なく、またかなり個性的で自分では悪気はなくても集団生活に馴染めず幼稚園や小学校で問題のある子供だったらしいからです。
そして、それを小さい頃から彼女から指摘されつづけ傷ついていました。
妹は家でも外でも優秀で母のお気に入りで、それと比較されいつもダメな子供としてからかわれるように扱われていました。
とても傷つきましたが、その時は母が好きだったので自分がダメなんだと思っていました。
そして父は母の機嫌をとりそれを見てもなにも言いません。
むしろ母の味方をし母と同様わたしに辛辣なことをいってきたりしました。
でも、多分思春期とか反抗期とか言うのでしょうか、そこらへんがきっかけになり段々母に対する不信感がわたしの中で募っていき、母とぶつかるようになりました。
私以外は父も、そして妹も母に対して従順なの、で母は怒り狂い私をさらに責めるようになり、また私も母と何かと衝突するようになり今に至ります。
今でも母は許しがたいですし、今更仲良くなりたいとかは一切ないです。
無職で実家に戻った身ですし、色々苦労もかけましたし、彼女はそうやってしか私に感情を向けられなかったのも分かりますが正直事故かなんかでと思ってしまいます。
きっと可哀想だと思っても悲しくはないと思います。
でも気付いき、ぞっとしたんですが、私の昔を振り返ると母そっくりなことがあるんです。
行動や考え方です。
多分考える限り最近は少ないとは思いますがでも本当にぞっとしています。
今思ったことです。
ぞっとします。
言ってスッキリしたような、この事実に気づきすごく憂鬱なような気がします。
ごめんなさい、これで。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-02-17 07:05:07

ANo.228

初めまして、いつか回答しようとずっと思っていましたが、今日勇気を持って回答してみます。
私は、26歳の女ですがあなたの質問を初めて見たときにまるで自分のことのように思い、ずっと共感を持ってきました。

私も、ずっと人間関係に悩んでいます。
こちらの質問コーナーにも最近投稿したことがあるので、よかったら読んでくださいね。
私は、現在引きこもり5カ月の状態です。
学校でも上手く行かず、友達もできず、職場でも失敗ばかり、挙句の果てには体のあちこちを壊し、引きこもりです。

私が愛しているのは、小学生の時からずっと一緒にいる14歳半の愛犬だけです。両親ももう私には少し呆れかけている気がします。
毎日、一日中愛犬と一緒にいて、それが私の全てです。

私は約半年前、専門の機関で検査を受けアスペルガー症候群とだと診断されましたが、そのことで何も変わりませんでした。
無職で収入は無く引きこもり、結婚もできそうにないのでこのまま一生引きこもりそうです。

私が現在、連絡を取っているのはネットで知り合った同じアスペルガーの子だけです。お互いに引きこもりなので、毎日スカイプで話しています。 これじゃ、駄目だと分かっているんですけどね。

長々と、自分のことを書いてしましましたが私はこれでも社会に戻れるように頑張っています。
お互いに頑張りましょうね。
近くに住んでいたら友達になりたいくらいです。

投稿日時 - 2010-02-16 00:31:53

お礼

ありがとうございます。
自分に共感してくださる方がいてすごく嬉しいです。
しかも、同世代の女性ということなのでますます嬉しいんです。
勇気を出して回答していただきありがとうございます。

質問は拝見しようと思い探したのですが携帯からみていたためみつけられていません。
もういちど、パソコンから探してみますね。

私もいまはニートというような状態ですよ。
少し就職活動はしていますが。
私はニートとか無職とかいう言葉に対して傷つくことはあまりないんですが、多分世の中にはご自身のことをそう認識してすごく傷ついてる方もいるとおもうんです。
きっとそういう方はきちんと考えている証拠だから、その人のかんがえている「ニート」でも「ひきこもり」でもないとおもうんです。
多分そういうかたは疲れすぎているから、社会人や学生生活を休んでいるだけだっておもうんです。
で、ご自身もそうとらえれば楽になるんじゃないかなっておもうんです。
himawari-0さんももし自分が無職だとかひきこもりだとかでもし悩んでいるんなら、いままで働いていたということですし、きっといまは社会人を休んでいるだけだって思えば少しは気が楽になるんじゃないかなっておもうんです。

わんちゃん飼っていらっしゃるんですね。
犬はいつも変わらず心で接してくれるからとってもリラックスして自分のまんまで付き合えますよね。
私もきっと本当に好きなのは犬だけです。
わんちゃんも結構年を取っていると思うので、本当に大事にしてくれる人が近くにいてくれるというのはとても心強いことだとおもいますよ。
私は両親との関係が余りよくないので、わかりかねますが、両親と上手く行っていなければあまり気にしなくて言いと思いますし、もし良好な関係ならきっとご両親はhimawari-0さんが自分達のことを気にすることはあまり望んでいないのではないかと思います。

スカイプをされているおともだちがいるんですね。
羨ましいです。
同じような境遇の人と話すのってとっても癒されますよね。
だめなんかじゃないとおもいますよ。
お互いにとっていいことなのではないでしょうか。
私も以前同じような境遇の女の子のメル友がいましたが今は疎遠になってしまいました。
少し体調が悪かったようなので心配ですし、自分が彼女を傷つけてしまったのではないかと不安です。
元気でいてくれたら良いなっておもいます。

長々とすみません。
お互いなんとかやりましょう。
本当にhimawari-0さんとお友達になれたらなっておもいます。

勇気を出して回答いただきありがとうございました。

投稿日時 - 2010-02-16 23:03:16

ANo.227

地球の未来が絶望的です。

投稿日時 - 2010-02-12 16:31:42

お礼

再び回答いただいたんですね。
ありがとうございます。

とてもしっかりとしたご自身の意見をもっているのですね。
ご自身や周囲にとらわれず、外部のことまで目を向けられておりすばらしいことだと思います。

検索はしてみますね。

外部に目を向けられるようアドバイスいただきありがとうございました。

投稿日時 - 2010-02-16 22:10:44

ANo.226

私が、君の助けられるか否かは判らない。私は61歳の男性です。2010年1月26日から2月4日までハワイのホノルルに休暇で一人旅に出かけました。英語が得意で、過去にオーストラリア、フィジー、ニューカレドニア(新婚旅行)、パプアニューギニア、グアム、シンガポール、香港等へ旅行に行きました。また、多くの友人が、世界中にいます。タイ、オーストラリア、カナダ、USA,UK,papua new ginia など、E-メールで連絡を取っています。何故、私に君のメールがOKWaveより私のメールアドレスに来ているのか判りませんが、若者が苦しんでいるのを観ると黙っている事が出来ない性分で、君にメールを書いています。現在の日本国は、多くの問題を抱えております。鳩山総理も色々と考えておりますが、経済状況の悪化、学生諸君の就職問題、地球温暖化問題、国債残高が890兆円をこえている現状、おそらく2~5年後には、1000兆円を超えているでしょう。その時点で日本国の円(enn)は、急激に円安になり、さらに経済は悪化するでしょう。考えるときりがありません。君は余りにも神経質でしょう。だから考えすぎる性格ではないですか?それでは、友人は出来ません。もっと気楽に冗談を言いながら、話をしなさい。そうすると、君の意見を真剣に考えてくれる人が必ずいます。ペットも無論、君の友人でしょが、人間では有りません。犬は君より早く死にます。その時、一緒に犬と死にますか?  
教えて下さい?。死にたければ、勝手に死になさい。助けて欲しければ、、又、私に連絡を下さい。From: rainbow 555.I am waiting your E-mail. See you soon. good night. Feb.10th. 2010. From: (MR.)shinobu yamahira.

投稿日時 - 2010-02-10 19:50:27

お礼

またまた回答ありがとうございます。

以前宮大工などを職業としてすすめてくださったrainbow555さんですよね。
その時もお世話になりました。
たぶん、私がその回答に対して御礼をしたのでrainbow555さんのメールに私の質問が行ったんだと思います。
ご丁寧に再び回答いただきありがとうございます。

あとちょっとその時伝えたかは定かではないんですが、質問は2008年4月のことでまだ3年生気分で誤って書いてしまいましたが当時大学4年生になったばかりの頃でした。
そして今は大学は卒業しています。
社会人も休み中ですが。

いっぱい旅行行っていらっしゃっるんですね。
きっと英語に自信があると海外にも積極的になれるんでしょうね。
ダイビングが好きなので暖かいところにたくさんいかれていてうらやましいです。

神経質で考えるすぎる性格はご指摘の通りです。
質問させていただいた当初に比べると大分良くはなりましたがどうもよくわかりません。

あと、人間の友達については欲しいような欲しくないようなよくわからない気持ちです。
色々な人と関わり、話し、たまに遊ぶのもいいかもしれませんが友達にはなりたくないような気もします。
よくわかりません。
犬についても犬が死んだら死ぬことはないと思いますが、出来れば犬より前に死ねればなって思います。
犬には私以外にも可愛がってくれる人がいるので。

助かりたいのか死にたいのかも良くわかりません。
でもきっとここで発信してるってことは助かりたいのかもしれません。

なんだかよくわからないお礼でごめんなさい。
私はよくわからないので他の方たちをrainbow555さんの力で救ってあげてください。
よく分からなかったとは思いますが、回答いただけ嬉しかったです。
どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2010-02-15 23:04:48

ANo.225

>最近専門学校に通ったりしてちょっと色々な人と関わる機会が多かったんですが、みんなが性格が良くて、しかもそれが自然な姿でびっくりしたんです。
なんだか根からまっすぐというか。
で、自分のひねくれた性格を痛感したんです。

 これは本当にそのように思いますね。私やたぶんあなたの感情経路はもっとひねくれていますね(笑)

 
 仕事に関しては、感情の爆発が人より早く、我慢が効かないのじゃないかと思います。どの職場もそれなりに不条理なことはあるものですから、それに耐えながら働くというものだと思うんです。あなたは敏感に過ぎるんじゃないかと思います。ストレス耐性が、私と同様に低いのかもしれません。たぶんパーソナリティー障害も離職の原因のひとつだと思います。ですから、やりたいことを仕事で追った方がいいのかもしれませんね。やりたいことならば、ある程度我慢できるでしょ。でも、2回の仕事の挫折から鬱にならないのなら、あなたは精神的に割りに強いのかもしれないですね。

 でも、自分の障害と将来と向き合うために、精神科医かカウンセラーと繋がることはしておいた方がいいと思います。

 根本的に自分のことしか考えられないとありましたが、考えられる範囲が狭いんでしょうね。”相手の気持ちになる”ということもテーマとして持っていたほうがいいのかもしれません。ただ、これも難しいところで相手のことばかり考えていたら自己が消失してしまいますので、加減を知る必要があるように思いますが。

 私の最近は、家族との過去の問題で大爆発し、措置入院まで行って、1ヶ月入院してまして、そこから鬱になっていたのですが、その間に家族と一応の和解をしました。それが柔らかいとか自由とかと、自分では気付いていませんが、関わりがあるのかもしれません。

 上手く応えられたかわかりませんが、こんな感じです。

 もうひとつ言えば、見捨てられ不安をなんとか治しましょうよ。私はネットワークの向こうにいる存在です。そんな私が自分を見捨てない存在だとしてしまうのは、やはりそれは障害の一面です。パーソナリティー障害ではなくての。見捨てられ不安があなたの中に潜んでいます。やはり治療なりを何処かで受けることをお薦めします。

 

投稿日時 - 2010-02-10 16:45:56

お礼

kumosukeさんお久しぶりです。

やっぱり私やそしてご自身で感じられているのならkumosukeさんはひねくれているんですかね。

皆はなんでまっすぐなんでしょうか?
それとも、少しはひねくれているところはあってもまっすぐに見える程度なんでしょうか?
それとも、私達ほどはいかなくてもある程度ひねくれていてうまく取り繕っているんでしょうか?
全部がある程度正解で混ざっているような気もしますがよく分かりません。

そういうひとたちは自分に対して根拠がなくっても自信を持てていて、すごいなって思います。
私は根拠があっても、そのひとたちの例え的外れであるかもしれない自信ほどの自信も持てないです。
そのようひとたちのなかで客観的に高く評価をしていただくことがあっても、確かに嬉しくはあり自信にも繋がりますが、その一方低いレベルの中で選んだ結果であって、そのもの自体はたいしたことがないんじゃないかとも思います。

それに関することで最近おもしろいお話を聞いたのでお伝えします。
きっとkumosukeさんも知っている広告代理店で、働いている方から聞いたおはなしです。
その方は会社でクリエイティブのお仕事をされているそうなんですが、周りで優秀なクリエイターの方たちは必ずむかし苛められていたり、コンプレックスを抱えていたりする、そうです。
そして、営業さんは挫折経験が少なく、まっすぐな方が多く、そしてすごくモテるというお話です。

私はクリエイティブの憧れています。
でもクリエイティブになりきれない、とも思います。
私は挫折経験やコンプレックスが多いだけで、そこから自己には繊細になっているけれども他人にまで繊細になっていないからです。
とても、優秀なクリエイティブの方とおはなしをしたことがありますが、その方は明るく振る舞っいるけれども繊細で多分いっぱい傷ついていて、でもそれをのりこえて明るく振舞っていて、そしてひとを傷つけないことをすごく考えているひとで本当に脱帽しました。

だけど、気付いたんです。
私は上の代理店の方の話でいう営業さん的な人に憧れているんです。
たぶん本当はそうなりたかったんです。
でもなれないのが分かっているから悲しいというか。
もしそうなって普通に幸せに生きていけたら多分それ以外はなにもいらない、と思います。
ごめんなさい、きっとよくわからない話だったと思うんですけどとにかく誰かに伝えたかったんです。


仕事のことですがご指摘はごもっともです。
私は敏感すぎるくらい自分の気持ちに敏感で、人的なストレスに非常に弱いです。

でも(ここで、でもといってしまうのが私の悪いところだとは分かっていますがいいたいのです)、辞めたこと自体は後悔していませんし、また他の人たちに対する疑問というのが非常にあります。

一つ目の会社は業務的に社会や人に損害を与えているように感じました。
一年目で同期の女性は辞めたいと言いつつも大抵は辞めず、辞めた人は心身の体調を崩した結果でした。
鬱で長期入院の結果辞めた方もいます。
そして同期の男性や女性でも何年か続けているような人は多分上司の命令を考えずに受け入れて行動しているように見えました。
少し知識があればおかしいと思うような商品を会社の、そして自分のノルマのためにお客様に押し付けていました。
世の中に必要ないどころか害悪だと思います。

二つ目の会社は親族経営で宗教的とも言えるような異様なトップ崇拝、そして親族たちのそれ以外の社員に対するパワハラがひどい会社でした。
規則も異常で、反逆を恐れていたのか同僚との職場、もしくは上司達が見ている前以外での一切の交流を禁じられていたのであまり他の方と話してはいませんが、少し話したときは皆異常さを感じてはいるようでした。
でも何もしないんです。

ふたつの会社を見てとても不思議に感じました。
他の人は何故おかしいと感じないのか、もしくは感じても解決を試みないのかということです

私が我慢が足りないのを差し引いても、少し社会に絶望しました。
割り切んなきゃ生きていけないんでしょうか?
だから大抵の働いている人たちはあんなに疲れているんでしょうか?
生きてるってそんなことなのかなって思います。


相手を思うということは最近心がけています。
でも中々上手くいきません。
ご指摘のように相手を思いすぎると自分がなくなり余計つまらない人間になります。
まだまだです。


kumosukeさんも色々あるんですね。
私も家族との関係は不安定なんですが、家族だからという甘えがあるからか、気付き対応してもまた辛辣なことをして余計に心をかしむしるように感じます。
上手く距離が取れたらいいなって思います。

字数の関係でここで失礼します。

どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2010-02-15 22:44:21

ANo.224

あなただけが希望がもてないわけではありません。

アメリカのいいなりで、競争、市場原理主義、強い者勝ち優先で、都合の良い所にばらまきで、役人経営者経済団体とぐるで、開発経済優先で、大企業金持ち役人優遇で、国家権力側は甘くしろ反国家権力側は厳しくしろで、マスコミも世論も司法もコントロールしろで、選挙の時だけパフォーマンスを行えで、闇献金インサイダー取引パーティー官房機密費懐入れなどで金をつくって数を勝ち取れで、国家権力側に住み良い都合の良い日本社会を目指す自分党公暗党政権が良いか、

アメリカとは距離を置いて、理念ある独立国家として言うべき事は言いで、全人類の共存共生協調自然とも共存共生協調を目指すで、必要な所を重点に予算を組んで、役人を国民の公僕として職務を行わせるようにし天下りは許さんで、環境福祉質素な生活セフティネット優先で、汗水流している労働者中小企業弱者優先で、なんぴとたりとも公平平等に扱えで、マスコミ弁護士司法などは独立しろで、政権を担えば優先順位を考えて直ちに真の改革国民のための政策を行えで、志のある者だけで連帯し政党助成金も有効に使えで、全国民が住み良い日本社会にするかもしれない民主党政権が良いかの総選挙の結果、

民主党が大勝したわけであるが、国民新党や社民党に気を使って妥協したために、おかしな決定もあったわけである。

そして、自公政権で任命した、腐りきった国家権力の役人幹部らが、今だに裁判所、検察、警察、法務省などに居座って、自民党や創価学会公明党やこれらのバックにいる、アメリカ支配層の影響をうけているから、こいつらの命令意向に従って、与党幹部らのみを徹底的に攻撃しまくっているわけである。

御用マスコミも使ってね。

自公政権や自民党政権が復活すれば、また今まで通り、天下りや裏金作りや血税を飲食いに使うや不都合な人々を不当逮捕、不当起訴、冤罪に追い込むなどのやりたい放題の甘い汁が吸えるようになるというわけである。

鳩山総理や小沢幹事長の疑惑がすべて事実と仮定してさえ、自民党や創価学会公明党や腐りきった国家権力である悪徳役人の行ってきた犯罪悪行悪政の数々に比べれば、微罪にさえならないのである。

野党が贈収賄など成立するわけがないし、疑惑のほとんどがどぐされマスコミなどのデマだからね。

ということで、民主党がアメリカ支配層側に向けば、まともな国民にとっては、期待が失望に変わる、というわけである。

投稿日時 - 2010-02-09 12:34:05

お礼

回答ありがとうございます.

もしかすると、個人の辛さというのはもっと大きいところに原因があるのかもしれないですね。

そういうことを意識するのは非常に大事だ、と思いますが今は自分のことしか意識できなそうなので心にとめておきますね。

どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2010-02-15 11:44:26

ANo.223

突然すみません

中身がないといわれますが

中身がある人なんていませんよ

中身がないから人と付き合えないのでなくて

周りの人からうまく付き合えないので

自分を中身がないと思っているのです。

大学三年生ならまだまだ子供です。

学ぶことはたくさんあります・

相手にしてくれないを心配するより

自分から周りの人に関心を持っていかれるのが

いいと思います。

もちろんなかなかそうできないのですけど

わたしもそうでした。

参考になるか分かりませんが

こんな話がありますよ

にっこりほほ笑むとさみしい心がなくなるんです・

http://bukkyouwakaru.com/saya/saya1.html

参考URL:http://bukkyouwakaru.com/saya/saya1.html

投稿日時 - 2010-02-04 00:00:14

お礼

ご意見ありがとうございます。

載せていただいたURLも拝見させていただきました。
心がほっこりする話ですよね、ありがとうございます。

私もいま少し、禅の考え方などに興味があるところです。

実はここに投稿させて頂いたのが1年以上前の四月だったんです。
当時大学4年生になりたての時期でなんとなく3年生の気分が抜けきらず大学三年と書いてしまったようです。
いまは社会人お休み中です。

自分から周りに関心を・・というのが大事かもしれませんね。

素敵なお話とアドバイスどうもありがとうございました。

投稿日時 - 2010-02-15 11:41:04

ANo.222

 おひさしぶり。元気そうでなによりです。

 性格の問題は陶冶していくしかないと思います。何より大事なのは客観的に自分や周りといった状況が見れるかでしょう。

 でも、自己を知れば、そんな自己をどう扱うかも見えてくると思います。精神誠意、自分の行動、行為に真心があるかを問いながら行動していくことだと思うんです。

 新しい仕事場も残念でしたね、パワハラが酷い会社だから辞められて良かったと、そう思えていければ御の字ですね。

 ”それも個性のひとつ”と思えれば、少しは楽になるかもしれませんね。

 問題を抱えてない人などいませんから、自分の場合はこの問題と割り切れるといいのかもしれません。

 心配なのは、仕事を変え続けることで、精神的なダメージが蓄積されていないか、ということです。それにより鬱病などになることもありますので、心配です。

 色々苦労、苦心するところ多いでしょうが、一歩づつ歩みながら学んでいけたらいいんじゃないかと思います。

投稿日時 - 2010-01-20 14:45:21

お礼

久しくお礼していなかったのにすぐに返答いただきありがとうございます。

最近私のことを見捨てないのはkumosukeさんだけなんじゃないかって思います。

以前よりは少し自分を落ち着いて見れるようになったような気もしますが、まだまだです。
ていうか、私きっと精神的に未熟で幼いんですね。
なんだか仕事場でそれを痛感しました。

ご指摘の通り正直社会人1年目でこんなに職を変えてしまい少し凹んでいます。
今後社会でやっていけるかなって心配や自分の甘さを痛感しています。
正直社会人経験も短く、何か特別な能力も持っていまいような人間なのでこのご時世なかなか厳しいみたいです。
やりたいことはありますが不安でいっぱいです。
また、自分は何に向いているかとか本気で悩んでいます。

以前ここでもいったと思いますが、少し前までは本気で人の望むように行動できると思っていましたが、それも極めて限定された場でのことですし、根本的に自分の都合しか考えていないことに気付いたんです。

私は自由なようで不自由で、伸び伸びと生きているようでその実何かにしばれれてるからそう振舞わざろを得ないそんな感じなんです。
なんだか最近自分の不自由さからの反発で自由に振舞っているのかなとも思うんです。
以前エゴグラムの話をしましたが、その結果も私の結果というよりはこうなりたい私の願望の現われなのかもとも思うんです。
でも自分の願望と自分自身が区別が良くつかなくてまたやっても同じような結果が出るんです。

自分の話ばかり長々と失礼しました。

kumosukeさんは最近精神的、そして外部の環境的にいかが過ごされていますか?
なかなか言い出すきっかけがありませんでしたが、kumosukeさん少し前からここに書くときの文章の雰囲気が変わり柔らかく、そして自由になったような気がするんです。
私に合わせてくれてるのかなとも思ったのですが、気付いた時からあなたご自身にもなにかいい意味で変化があったのかなっと思ったので質問させていただきました。

投稿日時 - 2010-01-24 11:09:09

ANo.221

 行動の結果が良いものであると思えるのなら、それは腑に落ちているということですよね。ならば、受け入れられる事実だということでしょう。

 これからまた現実に触れて気持ちが揺れることもあるかもしれませんが、とりあえず今を頑張ってください。

 家族の問題を語るのはタブーなんですかね。

 では。

投稿日時 - 2009-12-08 15:33:31

お礼

kumosukeさんお久しぶりです。
ご無沙汰してすみません。
仕事をやめまた新しい仕事を始めでバタバタしていました。
すみません。
また親に関してもタブーでもなんでもないんですが以前お礼を書いたときはとても気持ちが開放されていて、いい発想が出来そうな状態だったのでそこで親のことを考えるとまた閉塞感にさいなまれるのが怖かっただけです。

そして結果から言うと新しい仕事はもう辞めてしまいました。
内容は自分がやりたいことに繋がるようなものだったので学べるだけ学んでやめようと思いましたが、直属の上司から常にクビにするクビにする言われ、それ以外にもあまりの理不尽な内容のパワハラに耐えられず会社でそいつを怒鳴りつけ辞めてしまいました。
誰に言ってもおかしいよいわれるような理不尽なパワハラや会社自体も変でしたが、自分はやりたいことにつながる道だと耐えていました。
なので少し残念だし、なんだか相変わらず自分が駄目だなって思います。
なんだか本当に今後どうやって生きていけばいいのか分からないです。

怒鳴り散らした後、その場にいた人たちには一人一人謝りに言ったんですが、そのとき一人の人から私はいつも余計な一言が多く、また自分にも非があることを認めた方がいいと言われ何となくは分かりますが正直納得できない気持ちでいっぱいなんです。
そしてそういうとこが根本的にダメだって思うんです。

私、最近本格的に自分がわがままで自己中で性格が悪いって言うことを本当に認識するようになったんです。
今まではおかれてる環境が悪いだけってずっと思ってたんですが、根っからそういう性格なんだって知ったんです。
最近専門学校に通ったりしてちょっと色々な人と関わる機会が多かったんですが、みんなが性格が良くて、しかもそれが自然な姿でびっくりしたんです。
なんだか根からまっすぐというか。
で、自分のひねくれた性格を痛感したんです。

この性格、そして今の状況でどうやって今後生きていけばいいのか分からないです。
以前ここに始めところより、閉塞感や一つのものにばかり目が言ってしまうということはkumosukeさんや周りの人のおかげで徐々に緩和されてきてはいますが、そうなると余計ダメなところが見えてきているというのが今の私の現状です。

長々とすみません。

投稿日時 - 2010-01-19 23:30:25

ANo.220

 あぁ、ご実家との関係はやはり機能不全家族なんですね。そうすると、あなたはアダルトチルドレンだね。

 生死に関して言えることは私の立場からはあまりありませんが(私も死を追いかけているので)、どうしていいかわからないという状況をそれなりに過ごすことも心の上では大事ですよ。

 だから、もうちょっと落ち着いてから自己実現のほうに向かってもよいんじゃないかと思うんですよ。

投稿日時 - 2009-12-05 19:11:10

お礼

kumosukeさんこんばんは。

数日すごい鬱な気持ちと妙な高揚感が交互に来てかなり苦しい状態が続き、家から本当に外に出られないようなじょうたいが続きましたが、ずっと家に籠って考えたり荷物の整理をしていたらだいぶ落ち着いてきました。
今はここ最近でも一番と言っていいほど心が平穏な状態です。
本当に鬱でも高揚感でもなく心穏やかなんです。

会社では様々嫌なことがありましたし、それは私の被害妄想等ではなく本当にひどいことも多々あったので、もともと私は情緒不安定なところがあったので余計に辛く感じ、パニック状態にあったんだと思います。
これからももしかすると心が不安定になることはあるとしても、今はすべてが良かったのではないかと思っています。
正直今後については心配ですし、良くしてくれた上司に凄く迷惑をかけた申し訳なさとかはありますがでもすべてが良かったと思います。
この会社で働いてそして辞めるという選択をしたことは私にとってはよかったと思います。
自分と真剣に向き合い、自分が何をしたいのかということを真剣に考ええたと思います。
そして今本当に心から親や知り合い等身近な人に感謝することが出来ています。
凄い回り道だったかもしれませんし、新卒採用は逃がしましたし、今は大不況ですが自分にとっては本当に必要で良い経験だったのではないかと思っているんです。
私は少しひねくれてるからか難しく感じてしまうし出来るかは分らないんですが、親にも感謝の気持ちを表せたらなって思います。
う~ん今はちょっとそれしか言えませんし、本当に今後心境や状況がどうなるかは分りませんが。
ありがとうございました。
kumosukeさんにストレートな気持ちをぶつけられたこと、またそれを受け止めてくれたことも私のこの心の成長(なんでしょうか?)にはすごく大事な要素だったと思うんです。
そういえば、実は少し前に私あなたからインナーチャイルドのことを聞いてアマゾンでちょっと調べて気になる本を買ったんです。
今は読む気にはなりませんがやってみます。
自分ともうちょっと向き合ってみたいと思っています。
本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2009-12-06 23:11:55

ANo.219

 失業しましたか。この就職難の時期に大変な決断をしましたね。

 とりあえずご実家に帰られるのでしょうか。

 ”死にたい”なんて言わずに生きましょうよ。

 忘れられない彼氏の件は、出さない手紙を書くといいですよ。便箋に想いを書いて、封筒に仕舞うところまでするんです。ですが、実際には手紙は出さないんです。これを何回も何十回も繰り返すと、少し落ち着く場所が見えてきます。

 自己実現欲求の方はどうなりましたか?

 人生は長くて短い。気長に行きましょう。

投稿日時 - 2009-12-02 19:25:50

お礼

kumosukeさんこんにちは。
とりあえず実家に帰りますが、実家で親に文句を言われ不当に精神的苦痛を与えられながら暮らすのも苦痛です。
うちの親は人の心をえぐるようなことばかり言ってくるし、本当に頭がおかしいんです。
仕事をしていた時よりまだましなのかもしれませんがわかりません。
人間として今後やっていけるとは思いません。
死にたいけど私には死ぬだけの勇気もないので大丈夫です。
一層のこと狂いたいです。
忘れられない人に手紙ですか。
時たま日記には書き綴っていましたが手紙っていう形式にするとまた違うのかもしれないですね。
やってみます。

自己実現についてはやってみようという気もありますし、アルバイト採用のところに行ってみようと考えていますが、今すごく情緒不安定なのとマイナス思考が酷いので不安です。
どうすればいいかもう分かりません。

投稿日時 - 2009-12-04 09:53:15

ANo.218

就職活動が大変な状況である事。君の事を私なりに考えました。例えば、宮大工(一生安定、但し努力は必要)、床屋さん(試験有り、最初はきつい)等、他人に頼らず、己の努力で色々考えて下さい。会社員は何時リストラされるか判りません。とにかく何でも良いです。一生、この仕事をやり抜くんだ、絶対に1番になってやる,、、その気持ちを持って君の仕事を選んで下さい。私は常日頃から、今後の若者達の将来を心から心配している者です。又疑問点が有ったら、質問して下さい。私は、rainbow555です。忘れないで。

投稿日時 - 2009-12-01 07:32:20

お礼

rainbow555さんこんにちは。
回答ありがとうございます。
私はクリエイティブな仕事がしたいんです。
なのでそっちで頑張ってみようと思っています。
色々アドバイスいただきありがとうございます。

投稿日時 - 2009-12-04 09:37:29

ANo.217

 鬱気分には精神科の薬が効くかもしれません。でも、精神科を最後の砦のように捉えないほうがいいです。そんなに便利にすべての答えをくれるところではないからです。

 行くのなら、パーソナリティー障害に理解のあるところにした方がいいです。精神科は薬で心の状態をより安定に近づけるところですから、あなたの心理的な葛藤には答えをなかなかくれるところではないと思います。

 でも、いずれにせよ、精神科なりカウンセラーなりが、あなたには必要だと思います。じっくりと自分の人生と向き合えるような態勢を作ることが大事だと思うんですよ。

投稿日時 - 2009-11-26 12:17:37

お礼

失業しました。
無職です。
あまりの苦痛で感情的になり会社を辞めてしまいました。
意地悪な人ばっかりでも良くしてくれる上司もいたのに最悪です。
もうしにたいです。

投稿日時 - 2009-11-30 18:34:25

ANo.216

思いついたままに書きなぐっただけなので多々不快になる部分もあると思いますが、
糞ガキの戯言ですからあまり真に受けないように願います。
後半調子に乗りすぎ&自分でもわけわかりませんし、
半分は自分自身に当てて書いてます。

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自分は大学生の男ですが、読んでいるうちにまるで自分を見ているような錯覚に陥りました…

過去のコンプレックスからくる容姿への執着(?)もそうですし、
他人と親しくなることへの恐怖、将来への絶望、自他問わず粗探しをする完璧主義的な性格、
上二つがあわさって、他者に弱みや素の自分を見せられないこと、
何でも複雑に難しく考えてしまうところ
…自分の場合は常に頭をフル稼働させていないと落ち着かない、
雑念を振り切るために雑念で頭いっぱいにしてる、って感じですが。

----------------------------------------------------------------
昨年4月の質問に対するアドバイスになるかどうかわかりませんが、
自分の場合は、定期的に楽しみを作ることがプラスになりました。
要は趣味ですね。
あとは、人生をゲームのように軽く捉えるようにしてます。
最悪ゲームオーバーになったら無人島生活でもしようかっていう自分ルールで。
ここで鬱な者同士集まって話し合うことも、楽しみになっているならそれはそれでいいことだと思います。

話は変わりますが…あなたは幸せを求めているといいますが、"幸せ"ってなんでしょうか?
自分に言わせれば、それはただの言葉です。
その言葉の定義に当てはまる人が世界にどれだけいるでしょうか。

手っ取り早く、ありきたりなアレですが…
今現在、年間数千万~1億人が人身売買の対象になっていると言われています。
また、餓死する人も年一千万人近く発生しています。
そんな世界、地球のことを考えてみると、十分幸せな方なんじゃないでしょうか?
まぁ実感がわかないのも当然ですけどね。
"感じる"ことのできる幸せというのは、脳内麻薬による幸福感だけですから。
幸福実現党が逆立ちしたって国民は幸せを感じることはないんです。
一番幸せに近いのは、恋人を作ることでしょうか。
人間も生き物ですから、繁殖絡みのことには一番幸せを感じるんです。
(っていうと変な意味にとられそうですが)
恋人がいるということは、それだけで「自分は幸せなんだ」と考える手助けになります。

ただ、他人と親密になることを恐れること、またあなた自身、異性への理想が高いこと、
将来的に相手から愛想をつかされることを恐れていること等が壁になると思います。
この辺は酒の力でも借りないと難しいですね。
自分の浅い経験上では、一旦心が動いちゃえば良いと思うんですが。

"精神病"もただの言葉…ってのは少し乱暴ですが、脳内物質のバランスが崩れることで鬱状態になったりするわけですよね。
人間の場合、論理的思考がその回復を自ら妨げようとしたりするわけで、難しいとこですが。
えっと、何の話しようとしてたのか忘れましたが、あまり自分がおかしいと思い込まないことです。
おかしな行動、理解できない行動をとる人なんていっぱいいるでしょう?(自分もですか?ごめんなさい)
その人たち全員が精神病だなんて言ってたらキリがありませんし。
気分の浮き沈み(もアドレナリンだの脳内物質云々かんぬん…)が無い人間なんてのもいません。

えーまあわけのわからんことをダラダラと言ってきましたが、
要するに『何事もシンプルに』考えた方がいいと思います。
どれだけ脳みそフル回転させて考えたって
この宇宙の内側にいる限り、人間如きに悟りは開けないんです。

投稿日時 - 2009-11-24 05:37:39

お礼

回答ありがとうございました。

読ませていただいて思ったのは経験からくる心理というのはd_oroshiさんと私とで共通するものが少しあるのかもしれませんが、性格だとか人間性だとかがd_oroshiさんと私では根本的に違うんだなと思いました。
どっちがいいとかは私にはわかりませんし、そんなのきっとないんじゃないかなって思います。
でも、そういう考え方の方もいるんだということは知ることができてよかったと思います。

ただおかれている状況が幸せというのは客観的な視点からであって幸せってきわめて主観的なものなんじゃないかなって私は思います。

アドバイスいただいたので、私からも簡単にアドバイスになるかはわからないようなことを言わせてもらうと、大学生の方ということなのでこれから楽しんでください。
そして就活はくれぐれも本当に慎重にしてください。

どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2009-11-26 02:47:55

ANo.215

 またまたお早いお返事ですね。

 鬱気分に関しては実際にどれくらいなのかはわかりづらいです。鬱には仕事ができないほどのものもありますし、今仕事を普通にできているということは、気分の揺れ程度なのかなと思います。薬物による治療の効果が望めるかもしれませんね。

 忘れられない男性の話に関しては、人としての成長として己の心に”ピリオド”を打てるようになることが大事だと思います。それでも忘れられないのなら、もう一度会って、それで終わった縁なのだと感じ取ることもひとつの手だと思います。そう、だから、あなたの心理としては、”ピリオドを打てること”という心理の成長が求められると言えるでしょう。それも己の心と対峙したり、第三者か専門家の力を借りる必要があると思うのです。愛とか、好きという感情は、盛り上がって、そして消えるか落ち着くかするものです。それが継続してしまっているところが、あなたの病みであると言えると思います。対峙するための環境を整えることが必要かなと思います。

 自分との対話であるところまで行ったら、そこから先に進めなくなるというのも、それを発見できたというプラスなこととして捉えても良いと思います。なぜならば、次はそれをどうするのかというテーマに移れるからです。やはり専門家と繋がることをお薦めします。それとインナーチャイルド・ワークですね。

 私があなたを見捨てない人とされたことは光栄ですが、そういう人間観は、私にもあるのですが、病んだ感覚だと言えると思います。無理なのは勧めませんが幅広く人を求められるようになることが健康なことだと思います。やはり一度専門家の意見を聞ける状況を作った方が良いと思います。心理的なアドバイスをもらえる環境がこれからのあなたの生のために必要だと、私からは言わせてもらいたいことです。

 あなたの本当の幸せを願っています。

投稿日時 - 2009-11-20 17:18:59

お礼

kumosukeさんこんばんは。

鬱気分はひどくないんでしょうか。
でも私にとってはひどく辛いです。
自分は気がすごく強いんですが、心がひどく弱いんです。
いやがらせ等されても我慢してきましたが、もう限界で色々あって最近は職場の人は腫れ物に触るように私に接してきます。
お互いに自業自得ですがもう最悪です。
たぶん仕事はやめます。
もうどうでもいいけど私の人生真っ暗です。
精神科を受診すべきなんでしょう。
どうすればいいかわかりません。  

忘れられない人についてですが、あなたの言うことはおっしゃる通りです。
でも自分には忘れて次に進むことはもちろん、曖昧な関係でしたし、私が一方的にキレて終わったのと、今でも好きすぎて連絡も出来ません。

自分との対話についてですがあるところまでいくというのはずいぶん前からです。
そこからの突破口をずっと探していますが無理です。
とはいうものの、自分のできたことできていることに目を向けるっていう行為も私には足りないところですし、大切ですよね。
ひとつ気づきになりました。

他人から見捨てられる見捨てられないっていうのは境界性の大きな特徴でもありますよね。
ほかの普通に生きている人達っていうのはなんていうかひとに頼るのが上手ですよね。
ひととの距離感というか。
ひとを信用できるからなんでしょうか?
私は他人も信じられませんが自分自身も信じられません。
クリエーティブな仕事をしたくってチャンスは今あるけど、相手が本当に私の才能を評価してくれたのか、騙されんじゃないかという点や、すぐにでも首になるという点から自分の才能への不安からそこに飛び込むのも躊躇しています。
もう限界なような気がします。
この場所にとどまることもここから踏み込むこともできなくて行き詰っています。
精神科に行くべきなのかもしれないと強く思います。
でもそれすら信じられなかったり、行くことによるリスクを考えてしまい踏み込めません。
失業したら保険もなくなりますし。
本当にどうすればいいのかわかりません。

投稿日時 - 2009-11-26 02:33:51

ANo.214

 もうひとつお薦めしたいものがあります。インナーチャイルド・ワークというものを受けてみることです。

 内なる声を聞くことで、あなたの意識も変わるかもしれません。

 そういう活動への方向を持つことをお薦めします。

投稿日時 - 2009-11-17 14:26:47

ANo.213

 今回はお早いお返事ですね。調子が安定しているということでしょうか。

 自殺願望と自己実現欲求の分け方は、もうこれは自身との対話に尽きると思うんです。内省に努めることしかないと思います。1こ1この想いと対話することだと思うんです。

 自己実現欲求を満たすやりたいことが生まれたのに閉塞感で一杯なのですか。思うに、自分の”自殺するしかない”という想いと対決するために自己実現欲求を持ち出したのではないかと、そうも思えます。後ろには空虚を抱えながら、それを見たくないために大きくプラスに前進しようと、そういう心理反応があるのではないかと想像します。

 あなたの望む幸せは、パーソナリティー障害やアダルトチルドレンの人たちには満遍なくあるものだと思うのです。幸福感を感じていたい、幸福感に満たされていたい、そういうことではないでしょうか。

 私もこんなえらそうなこと言っていますが、今は結構心理的にマイナスの世界を生きています。あなたにえらそうなことは言えない。新たにカウンセラーに通うようになりました。このカウンセラーは多重人格も治してしまうような凄腕の方です。狭山心理研究所の服部雄一さんです。

 幸福感を感じるものを小さくとも拾い集めていくことも大事な作業だと思います。

 なかなか辛い運命の中を私たちは生きていますが、なんとか幸福を得たいと望み続ける者には、それなりの道が次第に見えてくるものなのじゃないかと思います。

 自分を整えて、そして自分を助けるものをさがし求めていく、そういう作業が必要だと思うんです。

 幸せはあなたが想う形以外にもあるから、そういう幸せというものを是非とも探って欲しいと思います。
 

投稿日時 - 2009-11-16 17:11:42

お礼

kumosukeさんこんばんは。
最近通して見ても調子が良いのか悪いのかは分かりません。
ご存じとは思いますがすごく精神的に不安定で調子も大きな長期的なスパンで変わるのも勿論ですが、短期的にも上下が激しいので。
というより欝気分になると長くってそれがやや回復してる時でもその中で気分の変動が激しいんですよね。
なんか自分に疲れました。
お返事早かったのは私を見捨てないのは家族とあなただけだと思ったことと、書いた日は酔っていたからだと思います。
自己実現についてですが、一部あたっています。
何かに夢中になって死にたいってのを忘れて生きていくことに希望や生き甲斐を持ちたいってのもあるけど、忘れられないほど好きだった人を忘れたいっていうのも大きいんです。
そしてその人の存在が私を余計死にたくさせてるんです。
あとは健全な人でも病んでしまうような今の仕事が嫌なこととかも色々です。
こうして自分の考えを整理出来てないのが問題でそれには自分との対話が大事だってのは分かります。
本当です。
でも対話をしてるとあるところで苦しくて悲しくて何も考えられなくなってしまうんです。
自分ではそこに何かがあるんだと思いますがダメです。
いつもそこでそれ以上進めないんです。
これが閉塞感の一因なのとやりたいことに関する自分の才能が疑わしいのもその一因なんです。
このネガティブでカチコチの頭じゃ何にも上手く行きませんよね。
それでまた悲観して死にたくなります。
自分はどうしようもないって思います。
話がまとまってなくてごめんなさい。
幸せについてですが、私の思う以外の幸せがあってきっとそれが大事なんだろうとは他の人を見てて想像できますが、それを自分に当てはめれないんです。
私は上で書いた今でも忘れられない人が一緒にただいてくれれば良いなって思ってそれだけが幸せだって思うんですが、それは難しそうなので自分の中では幸せになれないって感じてるんです。
例えそれだけが幸せじゃないとしても受け入れられないんです。
自分が本当にダメな人間だって分かってるのに直せません。
そしてまた死にたくなります。
自分は本当に頭がおかしいかどうしようもないかですよね。
乱文すみません。

投稿日時 - 2009-11-17 23:04:59

ANo.212

 お久しぶり。お元気そうで、良かった。

 お返事、読ませてもらいました。

 あなたの中の死の欲求と、自己実現欲求は分けて考えた方がいいのじゃないかと思いました。

 死への欲求は、もうある意味”刷り込み”になっている面があって、本当に欲求してないときでもそれを想うことになるのだと思います。

 そして、自己実現欲求ですが、それもある意味メディアからの情報の刷り込みと感じられます。若いとも幼いとも言える感覚だと思います。

 ただ、もう一面、あなたはエゴグラムでFC値が高かったですよね。自分のやりたいことが見つかったことが大きいのは、そこからも察せられますよね。自分らしい道を進みたいという欲求が他の人より大きいのだと察せられるものです。

 ”死を想う自分”で長く生きてますから、そこから離れることは”怖い”と感じられるのでしょう。だって今までにない自分を現出させないといけないわけですから、それは困難だし、今までの自分が消えることで”怖い”ともなるでしょう。

 なんと言うか、自分の想念的世界観があなたの中では他の人より大きく有るように思うんです。人に指摘されても変えたくない価値観というか、考え方というか、感じ方です。それも観念的で、現実的ではないものです。

 あなたはもう少しそれらを分けて、分類して、自分の中で認識できるといいと思います。現実的でない観念的なものと、現実的な思考と、ナルシスティックなものかとか。そうすると、もう少し生きることが楽になると思います。

 とりあえず、やりたいことが見つかって、おめでとう。あなたは独自の道を歩むのに向いた性格だと思います。頑張ってください。

投稿日時 - 2009-11-09 12:49:44

お礼

kumosukeさんこんにちは。

色々やっていますが閉塞感でいっぱいです。

アドバイスありがとうございます。
仰る通り、死にたいという気持ちと自己実現について私はごっちゃになっていて例えばやりたいことについて考えていても、それが実現したとしても時間がかかるからそうしたら年をとって醜くなるからそんなんまでして生きていたくないから意味がないんじゃないかとか色々思ってしまうのです。
分けて考えた方がいいというのは本当にその通りだと思うんですが、どうすればそれが出来るんでしょうか?

私はきっと幸せになりたいんです。
こんなことをいうと意味がわからないと思うかもしれませんし、今まで話していたことが何だったのかと思われるのかもしれませんが、私は生きることに平凡でも良いから幸せを感じたいんです。
そしたら、別に目標なんて持たなくたって生きていけるような気がします。
どうしたら幸せになれるんでしょうか。
この性格と考え方じゃやぱり幸せにはなれないそうです。
なにが幸せかは分ってるつもりですけどそれは無理そうです。

投稿日時 - 2009-11-15 20:35:34

ANo.211

 参考図書に、精神科医の斉藤学氏の機能不全家族系列の本と、カウンセラーの服部雄一氏の”ひきこもりと家族トラウマ ”(http://www.amazon.co.jp/%E3%81%B2%E3%81%8D%E3%81%93%E3%82%82%E3%82%8A%E3%81%A8%E5%AE%B6%E6%97%8F%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%9E-%E7%94%9F%E6%B4%BB%E4%BA%BA%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9C%8D%E9%83%A8-%E9%9B%84%E4%B8%80/dp/4140881550/ref=cm_cr-mr-title)
を挙げておきます。

 自分で人生を考えるのに、材料となるはずです。

投稿日時 - 2009-10-19 15:35:18

お礼

一つじゃ入りきらなかったので分けさせていただきました。 

私が死ぬ、必ずその内自殺する、生きてることが苦しいと言っている割にはそれらへの掘り下げが浅く駄々っ子みたいだというのは納得の意見ですね。
なんでしょう、今は比較的精神が安定しているので書けますが、私は死ぬのが怖いんです。
死んだあとのことは全く怖くありません。
少し家族に悪いなって思う程度です。
でも苦痛に耐えられない性格でなおかつ想像力が良くも悪くもたくましいので、死ぬ瞬間の痛さや苦しさやきっと後悔するだろうという感情を思うと踏み切れずにいるんです。
だから、なんか勢いがない限りは死ねないんだと思います。
あと、生きる苦しみをなくしたい気持ちはもちろんありますが、それによって自分が失われてしまうような気もしていて怖いんです。
今の自分が嫌いだけど好きなんです。
きっと普通に戻ったら色々なことが考えらっれなくなって、世の中の普通で不幸ではなさそうでむしろ小さなことに幸せを感じつつ本当の目的はあきらめて平凡に満足しながら生きているつまらなそうな人になるのが怖いんです。
私は心が安定している今のような時でも、やはり気持ちは死の方に向いてしまいます。
それが積極的な気持ちではなくても。
例えば昔好きだった人で今でも自分が忘れられない人が一緒に死んでくれるんならこの上ない幸せだと本当に思うんです。
醜くなるのが本当に怖くて怖くて仕方がないからということもありますが、それだけじゃない気もするんです。
最高に幸せって続かないような気がします。
綺麗事ではなく。
なのでその瞬間ですべてを終わらせられたら本当にいいなって思うんです。 
それはおかしいんでしょうか。私にはわかりません。

投稿日時 - 2009-11-09 03:39:56

ANo.210

 また自分の世界に引きこもっておられるようですので、こちらへの返事もなく、閑散としていますね。

 もう一つ、触れましょう。あなたがなぜ中身がないと言われるかについてです。

 あなたは死ぬ、必ずその内自殺する、生きてることが苦しいとおっしゃられているにも関わらず、それら事象(概念)への掘り下げが浅いんです。まるで母親の周りでウダウダ(この場合は死ぬ死ぬでしょうか)言っている程度に止まるのです。だから、本件において依存できる対象を求めているとしか見えません。

 これは自分で難事を抱えて生きる人の姿ではありません。

 あなたは死ぬ死ぬ言いながらも、その理由となるものへや、死ぬと、生きるということなどへの掘り下げが浅いんです。

 それでは中身がないと言われてもしょうがありません。まるで駄々っ子を相手しているかのようです。困難と向かい合う覚悟がないのです。

 そう、もうひとつあります。あなたの場合、精神科医よりもカウンセラーに向かった方が良いです。精神科医は患者の近況を聞いて、薬を状態に合わせて処方するだけだからです。カウンセラーの場合、30分5千円、1時間1万円が相場だと思います。

 あなたの今までの精神的な努力は評価しますが、まだまだだと言わせてもらいましょう。真に迫っていないのです。

 また、だんまりを続けますか?ここを使う気がないのなら閉じるのも大人としての振る舞いですよ。

投稿日時 - 2009-09-30 23:05:12

お礼

kumosukeさんこんばんは。
お久しぶりです。

精神的な不安定さで中々ここに来れなかったというのもありますが、実は最近は色々忙しくしてたりもしています。
良い意味でです。
会社が嫌で真剣に自分がやりたいことというのを考えてみたら見つかったんです。
今は会社にはなんとか行っていますが、専門学校に通ったりしながら転職の道も考えています。
ほんの少し希望が見えてきたような気がしなくもないです。

あ、境界性人格障害の本はもう読みました。
結構頻繁に本屋に行くたちなので紹介いただく前に、おそらく出ですぐくらいに読んでいました。

今は少しの希望がありますが、相変わらず精神的には不安定じゃないとは言えないような状態が続いています。
一人で生活をしており、親との距離が取れたので家族からのプレッシャーというのは少なくなり、まぁたまに理不尽さを感じることはありますがそんな理不尽な親もきっと頭がおかしいだけで、自分を陥れようとしているわけではなく、むしろどちらかというと自分を助けたい側の人間であるけれども、なんせ頭がおかしいので理不尽な行動をとってしまうのだということもよくわかるようになってきました。
会社はストレスが大きくはありますが、いまは目標が少しあり、会社はお給料をもらうだけに行こうと割り切っていますのでそこまででも多分ありません。

投稿日時 - 2009-11-09 03:37:20

ANo.209

 たとえば以前も話したけれども、あなたはここでも”失敗してはならない”とか、"恥をかいてはならない”とかに強く縛られるでしょう?こういうのを強迫観念というのですが、これは家庭環境によって養われるものなんですよ。

 そういう強迫観念でいる人は、コミュニケーションにおける多様に有る情緒的な発達が遅れてしまうのです。

 そういう文脈を知って、把握して、自分の家庭なり自分なりの問題と葛藤して行く必要があるんです。

 あなたの苦しみは過去の私の苦しみと同じで、今は私は葛藤を経てきていますから部分的に重なっている感じなのです。

 ここで私などを相手にしていないで、もっとしっかりと社会資源を用いて、そこで葛藤しながら対話し続けて行くべきだと私は考えます。

 そんな悲観世界を引きずったままに子供ができたら、あなたと同様に、いやそれ以上かもしれませんが、その子供は大変に苦しい人生を送ることになるですよ。もう少し具体的に人生を考えて取り組んで欲しいと私は願います。

投稿日時 - 2009-09-18 21:19:16

ANo.208

精神科にあなたが通うということは、あなたがあなた自身で、自身の人生的な宿命に責任を取るということです。

 あなたの抱える諸問題を解決するのは他人でなく、あなたです。

 そして、それには精神科医なりカウンセラーなりの助け役が必要なのです。

 あなたがあなたの人生に責任を取るために必要なのが、それら機関であるわけです。

 ここでうだうだ言っていてもらちがあきませんよ。あなたの苦しみはわかりますが、ここでグダグダ言っててもそれは実際にはあまり意味がないでしょう。

 あなたがあなたの問題と対峙する覚悟を決めること、それがそれら機関にかかりアドバイザーとなってもらうことなのです。

 あなたの悩みは深刻で重いものです。それはこんなとこでは解決の糸口も見えなくて当たり前のものなのです。それら深刻な悩み、苦しみを大事にすること、それはやはり精神科医かカウンセラーにかかることがまず一般的なのです。

 仕事をしていると日々がどんどんと過ぎて行くでしょう。でも、そのような強い悲観世界を引きずってては、それら積み重なりにも何かが大きく欠けたものとなるでしょう。

 本当の幸せをしっかりと自分で掴みなさい。

投稿日時 - 2009-09-18 18:58:48

ANo.207

 たとえば、ディフィカルト・チャイルドとか、機能不全家族とか、優しい暴力とか、そういうものを知っているでしょうか?

 何もろくに調べずに、将来自殺して死ぬとばかり言っていては、愚かとしか見えないものでしょう。

 そういうところを客観視が弱いと言う所以なのです。

 認知療法も認知行動療法も知らないじゃないですか。

 それぐらいでつっぱって、いつか自殺して死ぬからなんて言っていてもきまりませんよ。

 別にそこまでして死にたいのなら止めませんよ。自殺する権利は一人一人にあると思っていますから。でも、拙い死に方も嫌じゃないでしょうか。

 死ぬと決めているのなら、問答はお終い。生きたいと思っているのなら、続けたいと思う限りにおいて問答を続けます。もうかなりやる気をなくしていますけれどもね。

投稿日時 - 2009-09-16 10:53:26

ANo.206

だいぶ長い問答が続いてますね。

お疲れ様です。

lovbeticoさんはボキャブラリーが豊富ですね。

社会人4,5年目の人間からの意見です。

仕事辛いなら辞めてもよいのではないのでしょうか?

人との距離を測れないのなら、一度一歩下がってもよいのではないのでしょうか?

自分ごとですが、社会人になってからモガイテ、あがいて、今4,5年立って振り返ると、自分なりに少し成長したかもと思えます。

貴方は4、5年たってから、振りかえった時に、少し成長したかも?少しは人間として魅力ある人物に!と思えるためにがんばっているのでしょう?がんばっているのならそれでいいかと思いますが。

様々に所に向かって進歩しようとしてできる可能があるのが人間だけです。

後相手との距離が。計りにくくなったら、大きな挨拶をして、和式で相手がウンコしてる姿を想像すると、接するのが少し楽になります。

それと自分勝手な好みですが、lovbeticoさんの的確な確信に迫るような文章は肌に絡みつくような文章ですが、はっきり言うとそういう文章書ける女性は好きです。それも魅力の内のひとつと思いますがね。

以上 長文、誤字等失礼!

投稿日時 - 2009-09-15 00:03:59

お礼

回答ありがとうございます。
忙しかったり感情が不安定になりがちで回答遅くなってしまいすみませんでした。

社会人の先輩からのアドバイスということでとても心強く感じています。
アドバイス頂き、仕事や人間関係で突っ張りすぎていた点があったんだと感じています。
やりたいことが見つかったので仕事については違う道を選ぼうと思いますが、人間関係についてはもうちょっともがいて成長していけたらと思います。
人が怖いという感情が強い方なので、tkmozingさんのご意見にちょっと笑いつつも励まされました。

稚拙な表現や文章なのに褒めて頂きありがとうございます。
言葉が大好きなので嬉しかったです。

tkmozingさんの回答に色々な意味でほっこりさせて頂きました。
どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2009-11-09 03:00:08

ANo.205

 もう一度、勇気を出してクリニックに初診の予約をいれなさいな。

 あなたに必要なのは悲観世界から抜け出すための冷静なアドバイザーでしょう。

 あなたの人生は決まっていながらにして、まだ決まっていません。というややこしい運命論をここで表してもしょうがないですね、すみません。とにかく、決まっていないものを悲観で先取り決定してしまっていることがもったいないです。

 あなたの人生は社会的な面では一応順調じゃないですか。それは私にはない良い部分なんですよ。ならばあとはその悲観的世界観を成すもの、パーソナリティー障害とどう向き合うか、でしょう。

 何度も言いますが、未熟であるということは、その先に大きく成長の目が有るということでもあるんですよ。あなたは未熟です。あなたの先に待っている人生が、あなたが思っているよりも良いものとなることは、私が保証しましょう。ただ先取り決定して、それで己を縛っている間は悲観の延長になりがちになるでしょうが。

 頑張って、またクリニックに初診の申し込みをするのです。

投稿日時 - 2009-09-14 16:20:05

ANo.204

 もうひとつポイントを挙げておきますね。

 パーソナリティー障害の人は自我境界線がぼやける部分を持つんです。自分の発生させた観念なのか、現象的事実なのか、それを思考によって再検討しないとならない側面を持ちます。あなたの客観視の弱さは意外にこの部分を過去から取り組んでいないせいなのかもしれません。

 あなたは聡明ですし、論理的に優れていますが、客観視が弱いです。そういう自分と知って今後に取り組んでみてはどうでしょうか。

 あなたはやっぱり相当なマイペースですよ。私もあなたのそれと一緒だとあなたは述べてましたが、それとは明らかに質が異なるものです。そこら辺もあなたが誤解されるかする部分となるのかもしれませんよね。

 私はこの一問一答形式には疲れました。

 あなたの今後が良い道となることを祈ります。

投稿日時 - 2009-09-10 14:32:12

ANo.203

 あなたの返信を繰り返し読んでいて思いました、この人、私が承認していることも改めて自己主張されるんだなぁと。

 ”鉄は熱いうちに打て”と言いますが、問答も同じです。

 もう、この問答、止めてもいいですか?

 私は伝えるべきことはあなたに伝え終わったと感じています。後はあなたがどう歩むかじゃないでしょうか。医者にかからない道を歩むのもあなたが決めることですし。それでなんら道が見えなくてもあなた自身の判断によるものですし。

 どうですか?

投稿日時 - 2009-09-04 19:01:48

ANo.202

PHP新書304
岡田尊司”パーソナリティー障害 いかに接し、どう克服するか”

 わかり易かったです。お薦めです。

投稿日時 - 2009-09-01 17:22:07

ANo.201

 おはようございます。過眠・不眠、過食・拒食と聞き、心配しております。

 なんでしょうか、あなたの言うことはもっともらしくに聞こえるんですが、やはり世間知らずという感になります。というか、”生きること”そのものを実感していない人という感じがします。情報過多の中で情報の波に飲まれている人という気もします。

 相手を放置して大丈夫という件に関しては、あなたと私で意味合いが変わってくるでしょうね。

 あなたにとって空白が必要というのは、それはそのとおりだと思います。私もそこに配慮できなかったという想いが常にありましたので、そこは申し訳ないと思います。

 国民健康保険にはさすがに入ってますよね。良かった良かった。あの書き方ではそれすら入っていないかのように読めますので、とても心配しました。


 世間体の話ですが、それを気にしてクリニックに行かないつもりなら、ここでこんな質問を立ち上げる必要もないだろうということになります。だって皆医者にかかるように言うことになるでしょうからね。どうしたらあなたはこの問題に納得するんでしょうかね。

 あなたはこうして文章で表してみてもアンバランスです。文章全体の流れを見ていくと変なのです。そこら辺に会話する能力の部分での弱点を見出します。こういう現象は生きたコミュニケーションが大きく少ない人によく見られるものと解します。

 私はあなたが何もしてこなかったとは言っていません。努力の形跡が見られ、同じ年代の人と比べたら物事を深く考えてきていると感じています。でも、それでもあなた自身を知るために情報という部分では明らかに足りていません。私の所有している知識と経験には大きく及びません。という現実がありながらも、あなたは私を対等以上から見て批評したくてしかたないかのようにコメントされます。それは話の筋からも違っていますし、もともとここで行うようなものではないでしょう。

 
 では聞きます。保険適応内ということは精神科医になりますが、それにも繋がらないでどうやってその身の内にある悲観世界を解決するのでしょうか。あなたの描いている悲観世界は私が5年前に闇から抜けるまで保持していたものと酷似しています。というよりも、その悲観妄想は我々パーソナリティー障害者にはモノトーンの如くに現れるものであると言えるでしょう。つまり、周りのパーソナリティー障害の方もそのような悲観世界に苛まれているということです。

 あなたは不信を背景に世間を見ています。確かに世間は生易しいものではありませんが、それにしても不信カラーに彩られています。

 あなたの問題ですから、そのまま悲観世界を引きずって生きていくのも勝手なのですが、それではあまりに寂しいものでしょう。だから、私は医療に繋がって自分を見つめる上での助けとなるものを得ることをあなたに望みます。

 私が今通っているクリニックにはならないのですが、以前紹介したさいとうクリニックでは”今まで一人も友達がいなかった”という女性たちが集って講義のテーマだった”解離”に関して盛んに議論していました。彼女らもパーソナリティー障害でしょう。

 何度も言うけれども、あなたはまだ若い。世間の温かさも厳しさも私よりは知らないでしょう。情報で先取りしている部分が強いでしょう。こういうのは20代の動的な時期に取り組んだ方がいいんですよ。

 何度でも言いますが、医療に繋がってください。なんでしたら今私が通っているクリニックを紹介しましょうか?

 あなたは強情ですね。ほんと負けますよ。私が上司ならあなたに交渉役をさせるでしょうかね。くれぐれも精神とお身体にを大事になさってください。

投稿日時 - 2009-09-01 10:06:41

ANo.200

ここまで頑張って生きてきたんだから、生きつづけましょうよ。

 今はあなたの気持ちを受け止めてあげる余裕はあんまりなくてね、ごめん。

 結婚もしたいんでしょ?今の悲観世界を抱えて結婚したら大変ですよ。

 幸せになれるよう、そっちの方で努力してみたらどうですか。

 若くて魅力的なあなたなんですから、少し医療と繋がりながら自分と向き合う時間を作るだけで随分違ってくるかもしれないじゃないですか。

 私も5年間孤軍奮闘してみたけれども、駄目でしたよ。

 ここまで頑張って来たんだから、それを結実できるようにしたらどうですか?

 私よりあなたの方が良い人生が送れそうに思うんですけれどもね。

 自分の人生、大事にしてください。

投稿日時 - 2009-08-31 21:54:59

ANo.199

 引用しますね。
>私の一番酷いときの状況やその時やっと手を伸ばした医療から手放された感覚はきっとわからないと思います。

 ですからこういう場合、他の健康な人なら、そのクリニックとの相性が悪かったのだとして心の棚にこの事件を仕舞い込み、他のクリニックにあたるのです。そこで大きなショックを受けてクリニックに通う手続きをを止めてしまう想いとなるのが、自己愛の傷付いているあなたならではなのです。

>精神科の通院はまず保険に入れなくなるので今後頼る人がいなくなるであろう私にとっては生きていくとしても不利ですし、きっと自分は自殺しそうなのでその場合は家族にマイナスばかり残すことになるのでせめて保険金だけでも残せればと思います。

 こういうのを妄想的な先取り不安と言うものです。あなたはあなたの悲観主義で人生の将来をも組み上げて決めているのです。

 あなたもパーソナリティー障害により大きく人生を損ねないと、今を生きるという意味がわからないのでしょうか。

 医療が必要ないというのなら、こんなところで質問を立ち上げる必要もないわけです。

 あなたにはアドバイザーと理解者が必要です。それは今までの人生で得られなかったようになかなか世間から自然に得ることは難しいのです。

 つまらない悲観論に入り込まないで、今をきちんと生きることを考えてはどうでしょうか。あなたの問答にこうして付き合っている私という存在がいるということは、あなたにそれなりに魅力があるということでしょう。悲観的な世界観をリフレイミングするために治療に向かうことをお薦めします。

 あなたは自分で自分の人生の可能性の芽を摘んでいるように感じますよ。

投稿日時 - 2009-08-28 21:48:23

ANo.198

 あなたが私に”わからないでしょう?”と向けているものに関して言えば、わからなくもないものですよとなります。

 保険に入っていないんですか?

 あなたは何か狭い価値観の中で、その範囲に縛られて必死に生きている感じですね。

 今は時間が取れないので詳細には触れませんが、私とこうして問答するぐらいなら保険適応外となるカウンセラーと問答した方がいいです。

 精神科にかからなかった様々な理由ですが、それは結局世間体を気にして自分の人生を捨てに行っているようなものです。要らぬ先取り不安であったりします。”今”を考えねばなりません。

 保険に入っていないのなら、元々適応外のカウンセラーに通ってみてはどうですか。

 生きる上で自分で立って生きる覚悟を少しづつ身につけていく必要があると思います。私もすべてを覚悟できているわけではありませんが。

 詳細に触れるのは、また後日改めて。

投稿日時 - 2009-08-28 21:11:15

お礼

kumosukeさんおはようございます。
最近は過眠傾向と不眠傾向、過食傾向と拒食傾向の繰り返しです。
まぁ今日みたいに早く目覚めた日は朝からランニングでもするので良いんですがまぁ体やまたメンタル的にもそれにより顔に疲れが出るのでキツいですが。
相手を放置して大丈夫っていうのはあなたにも言えることで、その時あなたがいつも理由をつけるように私にも自分の都合だけではない理由があります。
この形態は文字化することにより自分の発言を再認識出来るので、会話に比べ冷静に見れる性質があると思います。
だから会話だともろ相手を攻撃し、相手の痛い所をついてしまうようなケースでもそれを多少コントロールできるけれども、そこには会話ではあり得ない空白を必要と私の場合はするんです。

語弊があったので説明すると国民保険には入っていますが民間の保険に入っていないんです。
でも保険適用内は前に説明したような理由から履歴が残るので困りますし、適用外は金銭的に無理です。

適用内は世間体を気にする云々ではなく世の中の、そして他人の冷たさを身を持って感じていて、世の中、そして他人と共存せざろ得ない社会を考えたら当然分かることだと思います。
世の中は寛容なようで排他的で他人は親切なようで冷酷に他者を評価します。
私はとりあえず今はそこまで勢いがなく死にたいと思いつつ死ねないのは認識しているので生きるしかありません。
そしてそんな世界で生きるためには自分もそれに戦略的に対応しなければそれこそ生存出来ないのではないでしょうか。
世の中は綺麗事や明らかに正しいことだけじゃやっていけないっていうのはあなたも身を持って感じているのではないでしょうか?
因みに私が何もしていない訳ではなく自分なりに本を読んだり、自分と同じように人間として上手く生きられない人とそれについて話し合ったりしています。
まぁ特に後者は能力や自分のマイナスを理解する等の自己認識が低かったりし、限界は感じていますが。

投稿日時 - 2009-09-01 04:26:56

ANo.197

引用しますね。

>おっしゃる通り私は自己愛が肥大してる一方自己を十分に受け入れられないという事からの自分に対する自信のなさ両方を兼ね備えていてそれが余計に色々な問題を生んでいるということは認識しています。

 これは根っこは一緒で”自己愛が傷付いている状態”を表します。


 あなたは相手を何ヶ月と放置しても平気な面がありますが、それは相手の心と状況と自分の持ちかけた話題すら放置してしまえる部分があるからでしょう。現時点の自己によりすぎるとも見れます。

 まず自己は置いておいて先にどんな状況でも相手の心を感じる、相手の身体の反応を感じる、そういうことに取り組んでみるといいのではないかと思います。

 でも、まずは医療に繋がって下さい。自分自身で自分の問題と向き合うのです。

投稿日時 - 2009-08-28 16:45:44

ANo.196

 医療に繋がる場合は必ずパーソナリティー障害を扱っていることを事前に確認すべきことをお忘れにならないように。

 医療に繋がりなさい。

 それが自立的な問題への取り組み方です。

 治療が落ち着いてくれば、あなたなら私より高い社会適合ができるはずです。

投稿日時 - 2009-08-28 16:15:31

ANo.195

たとえ会話が不調に終わるとしても言いたいことを言いたいというもわかりますし、相手の傷つくことを直感的に選んでしまうというのもわかるものです。
 でも、そのままじゃいけないでしょ?

 心理的な葛藤と社会との葛藤を重ねて、自分の心を育てる必要があるのです。
 認知の歪みというものもあります。そういうものも認知療法、認知行動療法などで直していく必要があります。

 人を頼れないとは言うものの、でも頼ると依存的に頼りますよね?そういうのも自己愛の傷つきですから、治療が必要ですよね。

 あなたは人と触れないで孤独でいたいという想いと、周りの人と同じように人と話し合い、抱き合いたいという想いがあるんですよ。それら心理の着地点を見つけなければならないのです。

 あなたはここでも人を頼りながら、回答する人を放置するということをします。それは自己愛の傷つき(肥大は傷付きによりもたらされます)という問題もありますが、あなたの心理的な未熟をも表しているのです。

 医療にもかからず、自分独りで解決して行くと思っているのなら、この質問も閉じるべきです。

 あなたは実は依存的な形に終始しているのです。自立的に問題と向き合おうとしているわけではないのが実状です。

 医療と繋がって自己の問題と向き合うのです。

投稿日時 - 2009-08-28 16:02:31

お礼

本当にわかるんですか?
皆本当はそうしたいけど我慢してるんですか?
私には他の多くの人は意味があるとは思えないような関係性にしがみついてそこに自分の価値を見出だしてるように見えるので私のような心情にはなにかないかぎり至らないと思うのですが。
私は何もなくてもよっぽど相手に入れ込んでないかぎり常にそういうスタンスです。
それが問題なのはわかりますがそれが私の望んでることだからそこ自体が変なのかもしれませんね。

人を頼ることについての記述は的を射ているようですが違います。
頼りすぎるというよりは頼りたいけど頼れないから執着が自分の中で膨らんでいきそこを相手に向けられないから苦しくて余計自分の中で相手に執着してしまうという繰り返しですね。
それ以外は自分の中では頼ってるというよりは自己を探るためや楽しむために関わっている感じであまり執着心はありません。
たまに気になったり必要性を感じる程度で。

自己愛の誇大が傷つきから生まれるというのには私も感じてることです。
むしろ本当は肥大なんてしてなく人に肥大してる立派な自己を見せたいんでしょうね、そしてそれを相手に見せつけることで自分の中での自己価値を高めたと感じたいんでしょね。

投稿日時 - 2009-08-28 20:18:41

ANo.194

 お久しぶりです。

 あなたの書かれている心情はわかります。ですが、また医療に繋がっていないことに失望を感じています。

 パ-ソナリティー障害については私の落ち度があると思っています。パーソナリティー障害に関してよく説明されたものが少なかったことから、誤った先取りになることを恐れた部分もありましたが、私の過った判断でもあったと思います。これに関しては謝りたいと思います。

 医療に繋がる害と考えているものはなんでしょう?

 医療に繋がることをお薦めします。

 

投稿日時 - 2009-08-28 15:08:53

お礼

今は移動中でまとめて返事出来ないので少しずつ書いていきます。
私の一番酷いときの状況やその時やっと手を伸ばした医療から手放された感覚はきっとわからないと思います。
医療にかかることのデメリットは精神的というよりは極めて実質的な問題です。
精神科の通院はまず保険に入れなくなるので今後頼る人がいなくなるであろう私にとっては生きていくとしても不利ですし、きっと自分は自殺しそうなのでその場合は家族にマイナスばかり残すことになるのでせめて保険金だけでも残せればと思います。
でも今はお金がないので保険には入れないのでお金が出来て保険に加入するまでは精神科には通院は出来ないです。
それ以外にも精神科への通院は例えば転職にも結婚にも不利ですし、故意に隠すと私に不利な結果が待っているでしょう。
少しでも頭が働く状況の時はここまで考えてしまうのでそのリスクを背負ってまでと思うと躊躇しますし、私にとっては失うものが大きすぎるように感じます。
それが理由です。

投稿日時 - 2009-08-28 19:55:43

ANo.193

 あなたにもロムしている人たちにも言っておきたいことがある。

 それが何かと言えば、”人間とは無理すれば壊れるものである”ということだ。

 私は30歳以前においても非常に苦労して段階的な治癒を得てきた。ものごとは一朝一夕では成らないのが普通だと思った方が良い。16で本格的に壊れて以降、実に14年近く壊れた身体の機能と脳機能を引きずって、満足な社会参加ができずに、後ろめたい想いと人間として欠陥品のように感じる想いとにボロボロになりながら、将来のない自分に愕然としながら日々を耐えて過ごしてきた。

 そして30でまだ問題を引きずったものの大きく治り、しかし、社会に独りでは立ち向かえず、また5年めにして壊れ、治療と社会復帰を模索するの日々に入っている。まぁ、積み重ねてきたモノという貯金があるので、かつての日々のような暗澹たるものにはならないが。

 だから、私は人間というものが如何に壊れ易く、かつ治し難いのかをよく知っている。キャパシティーが決まっており、限界がきちんと設定されている。

 壊れてから医者に行くって言うのは遅過ぎる。その手前であれば、医療との繋がり方の難しさをどう乗り越えるかとか、良い医療とはどのようなものか?などのタスクをこなせるのだ。

 あなたが色々言って私に求めているのは抽象的な意味での母親であり、胎内に回帰するかのような想いだ。そういう形のコミュニケーションだ。それは無理だ。コミュニケーションとは”相手があって”始めて成り立つものだからだ。そこにあなたは向かい臨まねばならない。あなたが真に求めているのは”コミュニケーションする自分”だからだ。

 ただ、人は痛い目に合わないと懲りない面を持つから、今回のあなたにおける混乱はそれこそ神が与えたもうた良い機会と言えるのかもしれない。

 じっくりと自分の生きる道を探して行ってもらいたい。こんな質問サイトで簡単に”生きる上での答え”が見つかるはずがなかろう。

 あなたはまだ若く、エネルギーに満ち溢れていて、そして私より社会的な一般的な能力に長けているのだから、じっくり腹を据えて取り組もうと思えば、幾らでも取り組む時間を持てるはずだ。

 井の中の蛙(かわず)、大海を知らず。

 人間という生命体の備えている力をなめるなよ。

 自分なりの生き方を探して見つけて下さい。いつまでも応援しています。

投稿日時 - 2009-08-26 22:49:33

お礼

おっしゃる通り私は自己愛が肥大してる一方自己を十分に受け入れられないという事からの自分に対する自信のなさ両方を兼ね備えていてそれが余計に色々な問題を生んでいるということは認識しています。
でもそのどちらもを持っているからこそそれを超えるのをどちらかが邪魔してうまくいかないんです。
もう最近は思考力が落ちてきたのかどうすればいいのか分からないような状態です。
また、自己愛の誇大と自己に対する自信のなさから生じるものだとは思うんですが、私には人に頼れないという傾向があるんです。
それは基本的に自分以外の人を信用できないということと自分が人に助けを求めていいのか、迷惑なのではないかというまた相反する感情から生まれてしまうものだと自分では理解していますがそれが出来ないことは社会人としてはとても大きな問題だと思い悩んでいます。
まぁ実際問題今の職場は私が問題があるからということではなく職場的に誰も人を頼らせてはくれないような状況ではありっとても困っています新入社員に割り当てられる仕事の内容自体がとても理不尽で実際にもう仕事は辞めたいと思っています。
まぁそれは余談ですが。
ひとつ聞きたいことがあって、以前私が自分は人格障害ではないかと自分について考えていることを言ったらそれを否定したのになぜいまさらどれに賛同するようになったのかを教えてもらえますか?
ただ、私は境界性が強く自己愛があるとは思うもののそれとは相反するような回避系もかなり当てはまるように感じそこについても悩んでいるのでそこも教えていただけたらと思います。

投稿日時 - 2009-08-27 22:30:13

ANo.192

 つまり、傷ついているものの着地点、内攻するものたちの着地点、そういうものを人生の中で探っていかなければならないんだね。

 自分を知るということでもあるんだよ。

 コメントがまた分かれちゃって、ごめんなさい。

投稿日時 - 2009-08-22 10:59:19

お礼

kumosukeさんこんにちは。
久しぶりです。
返事を書いたときはかなりひどい状態でしたが今はそこそこです。
一番初めにここに書きこんだときからは確かに違う感覚が得られてはいるものの、同じように憂鬱なときがベースでたまに比較的晴れやかなときとがある感じです。
医療機関の受診を検討し、実際に行こうと思った医療機関の診断時間を調べそこに連絡もしました。
しかし、幸か不幸か私が問い合わせた時は病院の受診時間はまだだけれども最終受付時間を過ぎているとのことで受診できませんでした。
そのときはそのことでで深く絶望し、医療機関を諦めたことは確かですが今となっては医療機関にかかることから生じるリスクを考えると躊躇しているという状態です。
私が未熟だっとおっしゃりましたが、それはその通りだと思いますしあなたもそれ以外の人も傷つけたり苛立たせたりしているのみ事実だと思います。
言い訳をもらうとそれは意図的な場合は私が相手に傷つけられらとか貶められたとか感じられるからそれを裏返すために取ってしまう行動でもあると思うんです。
あなたやそれ以外の人の優しさ、本当は私のことを思って言ってくれていることも何となく感じているような場合もあるんです。
でも分っててもダメなんです。
あとどうしても思っていることを言いたくなってしまうんです。
それは相手に対する批判云々ではなくても、相手がそうでありたいと思うことに対しても違うと感じるとそれを指摘してしまう傾向があるんです。
相手はひどく自尊心を気づ付けられるんでしょうね。
なんていうか私は嫌な癖があって人のコンプレックスを見つけるのがとっても上手でそこをうまく指摘できちゃったりするし、性格的にそれをしたくなっちゃうんです。

投稿日時 - 2009-08-27 22:22:00

ANo.191

 すみません、記述に誤解される部分がありました。

> あなたにおいて解決の阻害となってきたものは、自己愛の肥大だと思えるものです。自己の未熟さを受け入れ、積極的に学び取るという姿勢を作れずにきた点が挙げられます。あなたは教示を頼んだ人に対して対等以上上から見たがる部分があり、しかし”比して”あなたに内容があるわけではないので、件(くだん)のセリフが吐かれるのであります。知識量と経験の量に圧倒的な差がありながらも、あなたは対等以上上から対そうとする癖があります。

 しかし、反対に、あなたは自己愛の大きな傷付きがあり、自尊心の欠損が見られるとも言い換えられます。あなたはあなたの認めた相手に自分の語法や想いを受け止めてもらいたいともなります。しかし、それでも酷くマイペースです。

 この二つは同じくして自己愛の傷つきからによるものです。
 
 以上です。

投稿日時 - 2009-08-22 08:53:56

ANo.190

 非常にマイペースなあなたなので、また返事を待たずに、まぁどのような状態で過ごしているのかもわからないですから、もうひとつ目に入ることを期待して書いておきましょう。

 各人において内的要素に逆位相のものが備わっていることがありまして、これが内攻することがあるんです。

 あなたには複数の要素が見られます。

 あなたにおいて解決の阻害となってきたものは、自己愛の肥大だと思えるものです。自己の未熟さを受け入れ、積極的に学び取るという姿勢を作れずにきた点が挙げられます。あなたは教示を頼んだ人に対して対等以上上から見たがる部分があり、しかし”比して”あなたに内容があるわけではないので、件(くだん)のセリフが吐かれるのであります。知識量と経験の量に圧倒的な差がありながらも、あなたは対等以上上から対そうとする癖があります。

 しかし、反対に、あなたは自己愛の大きな傷付きがあり、自尊心の欠損が見られるとも言い換えられます。あなたはあなたの認めた相手に自分の語法や想いを受け止めてもらいたいともなります。しかし、それでも酷くマイペースです。

 生きづらさはアダルトチルドレン、もっと詳細に言えばパーソナリティー障害には付き物です。それをどうやって克服して行くかが、まずは医療と繋がることであり、そして内的な成長によるという部分にかかるとお思いください。

 夜に酒にまみれて泣きながら過ごしている人たちは大変に多くこの日本にいます。酒にまみれるとアルコール依存になりますから、ご注意を。

 いずれにしろ、それらの構造をよく学んで知ることで、とりあえず抽象的な意味での自分の置き場所というものを見つけられるのではないでしょうか。

 あなたの返事から3ヶ月が過ぎています。無事でいることを祈ります。

投稿日時 - 2009-08-22 08:25:42

ANo.189

 お久しぶりです。kumosuke改めcloudです。どうにも気になってのぞいてみました。

 私が離れた理由は色々です。あなたに精神科の門を叩かせたかったからでもあります。まぁ、その他の逃げもあります。

 回答に返事を頂いたのが5月とありますから、もう精神科医には行かれたのではないでしょうか。そう願います。

 簡単にあなたの状態を述べると、あなたは自我境界線が緩んでいると思われます。これはパーソナリティー障害には普通に見られるものです。客観視が私ほど徹底しないので、あなたはそこら辺でも自己に苦しむことになるでしょう。そして、どうしても言葉遣いが尊大になりがちになるのです。これも自己愛が強過ぎるのでしょう。自己愛が強過ぎるパーソナリティー障害が想像できます。そう、この構造があなたが”内容が無い”と言われる所以であったりします。

 他面で言えば、あなたは仕事に関しては優秀で、私よりも社会適応が上手でしょう。ですが、その裏に内面の無理を押し隠した過剰適応が潜んでいますので、どうしても苦しくなるわけです。また、自分の自然が社会や人と摩擦をおこし受け入れられないという面でも苦しむことになります。

 で、これは脳の障害ではありません。ので、脳の異常を疑う必要はありません。パーソナリティー障害は社会で揉まれる内に、自己の内省を行いながらですが、その内に直すことができます。

 そして、パーソナリティー障害は複数混じることもありますので、ひとつで表しきれないというのも、そのとおりとなるわけです。

 これの発生のメカニズムは機能不全家族という見方から説明ができます。その家庭に育った子をアダルトチルドレンと総称し、その生還者をトラウマ・サバイバーズと呼びます。

 あなたはまだまだ学ばなければならないことがたくさんあります。コミュニケーションひとつとってもそうです。私に感情障害を起こしてしまうような言葉を選んでしまうことも、あなたの未熟の現れです。

 前にも言いましたが、未熟であるということは、その分成長する目もあるということです。

 私は今、”パーソナリティー障害と言うにはその言葉が相応しくない”という状態まで来ています。

 だから、あなたもできなくはないことなのです。

 直るものですので、安心して苦労することが大事です。

 あなたも苦労されたでしょう。それが生きるように自分を語る言葉を見つけて行って下さい。”己れの心に問う”という姿勢を貫けば、それなりの着地点を見ることが出きるはずです。

 社会適応は私よりあなたの方が優秀です。だから、それを自分を軸として自分に合わせた社会適応とできればいいのでしょうね。

 厳しい状況をほったらかしてごめんなさいね。 

投稿日時 - 2009-08-20 02:15:15

ANo.188

しょうがない、もう一つだけ決定的なヒントを与えておきましょう。

 あなたは脳の障害どうのこうの言う前に、それより前に認知メカニズムを解読して治す必要があるんです。それは決して難しいことではないんですよ。コーチングしてくれる人がいれば割にスムースに進むものなんです。もちろん時間はかかりますよ。

 あなたは悲観的な部分と批判的な部分が大変に強いんです。僕に対してもまず批評というスタンスから入っているんです。そしてそこから抜けられないんです。良いものは良いとして、良くないと感じるものは良くないとして適切に応じるという形を持てていないんです。

 社会でも苦しいのはそれは過剰適応しているからです。あなたの認知メカニズムはいつでも敏感に悲観的と批判的に傾いているんですから、なのに表向きは良いように演じられるんですから、内的な心理は苦しくて当たり前なんです。埋まらないどころか負荷が増して積み重なるばかりだからです。

 文字情報で向かい合うのは大変に苦労するんです。お分かりください。圧倒的に少ない情報から相手を分析してしまわないとならないからです。大変な労力なんです。

 あなたは別に今抱えている問題に絶望する必用は現時点ではない。とりあえず認知行動療法なり認知療法なりを経て、その認知メカニズムを治して行けばいいんです。それだけでもあなたの内面的充実はより大きくはかられていくことになるんです。

 あなたは全然まだまだ幸せを得られる人なんです。外的でないと僕の状況と分けましたが、僕の方が虐待家庭に過去と未来を失わされて、厳しい面も多いんですよ。どっちが良いとか言う問題ではないんです。

 お分かりになりましたでしょうか。あなたは速やかにその認知メカニズムに手を付けていけばいいんです。それだけでも今までとは全然違う世界が見えるはずです。あなたは能力も高いし、実際全然人間的にも女性的にも可愛らしいです。だからそこを治すだけでも大きく世界が開けるでしょう。

 これだけきちんと道筋をつけてもらえる人なんていないんですよ。本当に。

 取りあえず、認知メカニズムを治し始めてみてください。あなたの幸せ度はとても大きくなりますよ。可愛らしいあなたへ、これがまずすべきことです。

投稿日時 - 2009-05-13 01:45:44

お礼

kumosukeさんお久しぶりです。
お加減はいかがでしょうか?
書かなかったのはkumosukeさんを遠ざけていたというのもあるかもしれませんし、慣れない新生活で日々をこなすのに疲れ過ぎていたというのもありますが、色々なことが混ざって書きたくなかったんでしょう。
いつもあなたを振り回してごめんなさい。

最近は始めにここに書き込んだ時やそれ以前と同じくらいかそれ以上に絶望的な気持ちでいっぱいです。
眠れませんし、食欲もほとんどありませんし、毎日お酒を飲んでいて泣いてばかりです。
でも今みたいにそんな状況に疲れはて放心しているような状態になったりもします。
仕事は精神的にきついんでしょうし、周りもそう感じてはいるようですが私にとっては現実や自分を受け入れて生きることよりはずっと容易に感じます。
最近は苦痛の大きな一因であった親から離れ一人暮らしをしています。
一人暮らしは私に適していますが、でもダメです。
受け止めたくない状況があると意識しない限りそれを現実のことと考えられませんし、そのようなことに直面すると頭がフラフラして思考すら危うくなり現実と虚構が分からなくなるんです。
もう何がなんだか分からなくてずっと頭が痛くて胸が苦しいです。
多分もう限界なのかもしれません。
本当に頭がおかしくなりそうというか気が狂いそうです。
直接のきっかけがありそれを認識してもそこから広がってくる様々な主に自己批判や後悔の念やそれから被害妄想なんだか現実なんだか分からない認識や考えに苛まれていて本当にどうかなりそうなんです。
今は本気で精神科に行くことを考えています。

投稿日時 - 2009-07-06 19:25:27

ANo.187

 自分と同じタイプのキャラクターを見つけたいのなら、僕が今通っているクリニックは格好の場所だろう。カルテナンバーだけで1万人規模だとわかるし、デイケア、デイナイトケアという滞在型のプログラムが通常敷かれている。医師の診察の形も割りに自分で決められる。専門系の図書館もあるし、ティールームという場所もあるし、逃げたければ近くに公園もある。
http://www.iff.or.jp/clinic/clinic_j.html

 ただ僕はそこでもかなりの変わり者らしいよ。

 自分の人生を助けられるのは自分自身のみだ。僕の感覚では、掴み取るぐらいでないと欲する何かは得られない。

 今回の回答はこれで止めておきます。

 僕に対して否定的感情や怒りの感情を感じる部分があるのなら、一旦否定してみればいいんだ。それで前進できるのなら否定して前進すればいい。大事なのは心の位置において止まらないことだ。失敗も成功もすべてあなたのものなのだから。

 僕は分散並列型の思考タイプなので、思考の結果が遅れて現れることが多い。多投稿となる面、申し訳ない。

 自分で自分の幸せを掴むんだよ。僕らにとって世界はそれほどに厳しいところだからだ。

 あ、書いたか忘れたので付して書いておくと、僕はICD-10でもDSM-IVでも明確には分類されていないが存在することは既に確認されているタイプの症例らしい。一生治らないそうだ。ただパーソナリティー障害というには語弊があるのだそうだ。だからそこには入れるべきではない症例で、だが分類に入れないとならない場合はパーソナリティー障害に入れるしかないそうだ。

 以上だ。

投稿日時 - 2009-05-12 16:49:27

ANo.186

 僕を否定してもいいから、自分を温かく抱きしめる世界を作るんだ。
 
 僕は最近になって家族の長きに渡る虐待によって人生を失ったことに気付いた身だ。原因はあなたと違うのかもしれないが。

 それでもあなたはあなたを温かく抱きしめる世界を望み、それを作るべきだ。僕を否定してもだ。

投稿日時 - 2009-05-12 13:40:38

ANo.185

おはよう。もう少し丁寧に、なぜ僕が相談者であるべきとは思っていないかに触れておこうと思います。ちょっと雑な表現に過ぎたと思いますので。遅れましたが、就職おめでとう。もう大学生ではないというのは、不思議なフィーリングですね。年月は我々に平等に降りかかってくるものとして有るということでしょうか。激務ということで、心配になります。

 では、本題に入りましょう。なぜそんなことに触れるのかと言えば、あなたは未だに他のタスクはこなそうとするのにご自分の治療者を探すという方面の活動へは向かっていないらしいと思うからでもあります。はっきりと断言できるものとしては、あなたはあなたと相性の合う実際の治療者と出会わねば、この先も心の問題に大きな進展を見ることがないだろうということです。もうひとつは、あなたは相談する相手として、相手を選ぶ選択権を常に有しているのだということです。あなたにとっても色々な想いがあるのでしょうけれども、でもまだ僕が有るということろに拠っているようにも感じられます。僕はあなたには自分の苦しさと向き合う覚悟を求めたく思うのです。

 あなたが今回表せなかったと言う僕への色々を想う部分は、今回の表し方を見ても色々があるのだろうと察せられる部分がなくもないものでした。でも知り得ないものに対して先取りをすることは避けたいものだと思います。

 ですからひとつだけあなたがあなた自身を観察する材料として伝えておきましょう。”当て付けではない”という言い方をよくされますよね。でもいつもそこで僕は”当て付け”と感じたことはないというのも平行して起こっていることです。でもそれでもやはり”当て付けではない”と表されます。その”当て付けではない”という表し方はあなたの心理形式の一面を表しているのではないでしょうか。想い癖と申しましょうか。投影というものではないかと僕は推測しています。

 就職、おめでとう。身体を大事に。

投稿日時 - 2009-05-12 08:34:08

ANo.184

 また書き損ねてしまいました。

 つまりあなたの今の語法では僕だけでなく誰でも大変に傷付きます。そこを見誤ってはなりません。

 それはあなたの過去から連なる今までの心の問題を示唆しているものとして現れているのです。僕は大変に恐れ、怖がっているのです。あなたの心の問題の深さを、です。

投稿日時 - 2009-05-12 02:56:15

ANo.183

 書き忘れたので、もうひとつ触れますね。

 僕はあなたの相談相手が僕であるべきとは思っていませんよ。これは今回のポイントとして挙げておきたいです。

 ごめんなさいね、混乱している時期に話しかけてしまって。ようやく落ち着いてきました。

 そしてもう一点は、あなたの苦しみは大変に根深いものと感じられているということです。これは今においてのあなたの語りを見ても、あなたはそれらを表に出せないぐらいに、あるいはあなた自身も見えていないのかあえて見ようとしていないのかとも思うぐらいのものとして感じるものです。この根深さがあなたにわかるでしょうか。

 だから正直に言いますと、怖いんです。

 ご自分を大事になさる道を見つけてください。文章ではあなたの問題はフォローしきれないものと感じているからです。怖いんです。

投稿日時 - 2009-05-12 02:23:38

ANo.182

 ご返答、ありがとう。

 まず思うことは、あなたの書くことは現実的にも見えるのですが、やはり自己に向かって閉じている面を感じるということになるのです。

 そう、確かに僕に対して困惑しているというのはわかるのです。それは自分でも見ていてこれは酷いなと感じているのですから、あなたが感じないわけはないと思います。中途半端なことはしたくなかったのですが、衝動に負けてしまいました。申し訳ないと思っています。

 そうですね、もう一点は、いつも触れる点ですが、あなたの用いるポイント(要所となることもありますが)に入れる言葉が大変に”感度”の強い言葉を入れますので、それはバッククラッシュのようなものをこちらに伝えます。表現の上にたぶん潜在的な蠢いていて処理できていない感情が乗ってしまうのではないかと思って見ています。怒りだとか攻撃性と表しても良いものが底に押し込められているように感じるのです。だから大変に心配しています。あなたのその自己への閉じ方を見ても、そのように感じるのです。

引用しますね。
> また絶望に戻ったというかマイナスにだけど進みより真実に近づいた感じです。
> 今までの調子が良くなったという感覚は自由になるという意味では何らかの影響を今でも残していますが、それ以外では新たな刺激と自分が生き延びるための手段が重なったために生じた仮の感覚だったんです。

 これは大変に鋭い観察だと思います。ステップボードという表現を僕はしますよね?人間においてそのステップボードは何段にも幾重にも存在するものなのです。ですからいずれ次の段階に入るだろうとは思っていました。それはやはりあなたの根本的な問題にはあなた自身が触れられていないからですよね。だから僕はあなたの問題を大変に重く捉えています。

 そうそして、あなたなら”自分が問題なのだ”とまた言うと思っていましたし、そうなるように向かいましたよね。それもあなたの語りを見ていて、きっと現時点では僕とは違う形で問題が現れていて、それに苦しんでいるんだろうと、そう思って見ていました。

 そう、その僕との間の”世の中に対する僕との感覚に認識に違い”や”色んなことへの考え方や感じ方の違い”こそがあなたにとって大事なテーマなんですよ。わかりますか?だから僕はあなたと同じかもしれないという部分を語りながら進めながら、違う部分を感じてもらいたかった訳なんですよ。

 不愉快や傷付け合うのは、僕とあなたではどうしても起こり得るんですよ。それは初期の頃からそこでのすれ違いを見ていたわけですから、それは容易に無いとなんてできるものではないんですよね。だから”わかる”と”わかった”という感覚で閉じないで欲しいんです。

 当て付けとなんか感じていませんよ。それは現時点でのあなたの素直な表明だと感じています。こういう理解となっていますよ。


 ”よっぽどではない限り他人との間に具体的な問題が生まれない”のはどうしてか?そして、それでも苦しいのはどうしてか?先に挙げたテーマと共に、あなたはそこを大事に安全を感じつつ掘り下げて理解に繋げて行ける環境が必要なんですよ。

 あなたがストレート過ぎるので傷付ける表現となる気がするので書かないという配慮にはとても感謝しています。たぶん書けばそのとおりになるでしょう。でも、これはもう一面を示唆しています。あなたはそれを相手を傷付けないで伝える言葉を今も編み出せないでいるという事実です。そこにあなたの感情の過去からの鬱滞の方向性があるのかもしれませんよね。

 僕は確かに僕なりに上手く生きていると思います。それはあなたの言うとおりでしょう。でもそれは僕が何もしなかったからではなく、確かに他人はしない”何か”をして来たから、そうであるんですよ。道は違えども、あなたにもそのような道のりがこれからに有るとは思ってもらえないものでしょうか。そういうことを僕は伝えたかったんですよ。

 僕があなたを助けるのではなく、あなた自身があなたを助ける気になれたときに、初めてあなたの人生は何らかの方向性を持ち始めるんですよ。


 僕が相手で、また力量が足りなくて、申し訳ないと思っています。

 あなたが苦しみを緩和できる道を探して行って欲しいと思って見ています。伝わって欲しいです。

投稿日時 - 2009-05-12 02:07:25

ANo.181

 お久しぶりです。どうしているでしょうか。

 一応大変に混乱した時期は抜けました。またお騒がせしました。

 知らず知らずのうちに家族に追い詰められ、大き過ぎる失敗から自信喪失と新たなトラウマ形成を経てしまいましたので、今は仕事に就くことから離れて、さらなる自己学習とクリニックに通うことをこなす日々です。

 クリニックはかなり興味深い構造でして、大学のような構造と退避場(シェルター)的な性格を備えています。大変に面白いデザインです。やはり飛びぬけた思想と感慨を経てきた人の構築するものとはちょっと他とは違いますね。

 現在はどのような状況でしょうか。良ければ聞かせてもらえると嬉しいですね。あなたの場合、フリーチャイルド値が高かったですよね。とするとやはり単独行動では割りに楽な心境に居られる形を持ち易いでしょうね。今も何処かへ旅行する形を続けているのでしょうか?

 他の方へのお礼も書き始めたんですね。心が柔らかくなってきたのでしょうか。僕もあなたに依存していたようですね。書き過ぎてしまいました。お気を悪くされたのではないでしょうか。混乱を押し付けたようですみませんでした。運営者にも迷惑をかけてしまったようですね。

 また何かあったら聞かせて欲しいものです。では。

 一応答えている形にはしたけれども、これも削除の対象になるのでしょうかね?なってしまったら、すみません。

投稿日時 - 2009-05-08 02:07:37

お礼

お久しぶりです。

突然お礼書かなくなりごめんなさい。
忙しかったのもありますしそれ以外もです。
私は世の中の嫌な面を感じすぎてしまうんでしょうね。
今は落ち着いておられるということなので、正直に言わせてもらうといささかあなたに困惑していてお礼を書けませんでした。
あなたが混乱していることにではなく色々です。
文章は文字にすると簡潔になりますが、そのぶんストレート過ぎるので人を傷付けるような気がするので具体的に書くのは今は出来ません。

私は今は社会人です。
まだ研修ですが、激務でキツい仕事でしょうが自分はなんとかやっていけると旅行に行って調子がよくなりついさっきまでは本当に思っていたのかもしくは自分で小さな目標をいっぱい作っていたので思い込むのに成功していたのかは分かりませんでしたがそうでした。
調子も良くってから最近はずっと普通に眠れていました。
でも今はまた眠れない時の感覚です。
気づいたんです。
社会人として云々ではなく人間として、むしろ今後を生きることについて冷静にわかったんです。
また絶望に戻ったというかマイナスにだけど進みより真実に近づいた感じです。
今までの調子が良くなったという感覚は自由になるという意味では何らかの影響を今でも残していますが、それ以外では新たな刺激と自分が生き延びるための手段が重なったために生じた仮の感覚だったんです。
最新の回答拝見して思ったんですが、kumosukeさんはなんだかんだできっとkumosukeさん自身としては上手く生きていってるんだと思うんですよ。
そしてきっと問題は周りだって思ってるんですよね。
それはそれで苦しいだと想像はします。

私は自分が問題なんです。周りじゃなくて。
互いに他人と上手くはやっていけないという点では同じだとしても、私はきっとよっぽどではない限り他人との間に具体的な問題は生まれてきませんし、自分に苦しみを感じていてどうしようもないんです。
知り合い以上になると周りの人は私に大抵優しいんです。
きっとkumosukeさんと私とはもちろん他人である以上当たり前ですが色々なことに関して考え方や感じ方が違いすぎるんでしょうね。
だから互いに不愉快な思いをしたり傷付けてしまうんですね。
なんだか色々わかりました。

ただもちろんこれはあなたに対する当て付けではなく、私の世の中に対する感覚というか認識から生じた意見なのでそこはご理解下さい。

投稿日時 - 2009-05-12 01:16:28

ANo.180

 大事なことなので、今、ここできちんと謝っておきたいと思います。

 僕はあなたに大変に教条的なことを述べる部分がありました。これは、でも、僕自身の心の問題と家庭の問題に対しての防衛反応として出ており、そして、あなたとの共鳴反応的に出たものであるのでして、それらの多くはあなたに対して必要なものとは言えないと思う。

 あなたは僕に対して、私のレベルなら僕と深くて楽しませる話ができると述べられたけれども、あなたの積み重ねも僕を楽しませるけれども、あなたのパーソナリティー自体も僕を楽しませるものなのだということ、そういうことをあなたには知ってもらいたかったし、それを伝えたかったが、そこは僕の至らぬところであって、結局は頑張らなくてもそのままのあなたに僕は楽しまされるのだということを伝え切れなかった。

 もちろん、頑張ってきた部分も人並み越えて素晴らしいと感じている。だけれども、そう頑張らずとも普段的なあなたの話し方でも十分に僕は愉しいと感じるんだ。

 頑張って勝ち残るという形は、結局は一握の勝者にしかその形が報われることはないよね。

 別に僕だけでなくとも、あなたは他の人たちをも愉しませることができるんだということを、あなたはもっと知る機会を得て行くことが大事だと思うんだよね。

 あなたの自然の感じ方とか、それらを語る語り方はとても魅力的だと思うんだよね。それは何も僕だけでなくここで見ている皆がそう思っていることだと僕は感じているんだよね。感情を表現したときのあなたはとても魅力的だと、そう感じていると思うんだよ。

投稿日時 - 2009-04-06 21:10:19

ANo.179

 多投稿ですみません。もし、まだカウンセラー等が嫌だと言うことでしたら、自助グループというものもあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8A%A9%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97

 あなたにはこれからの助けとなるものが必要だと僕は見ています。人生は一度しかありません。大事にしてもらいたいのです。

 たくさん書き込んでしまって、すみません。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8A%A9%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97

投稿日時 - 2009-04-04 00:30:58

ANo.178

> あなたのこだわりである美醜や潔癖よりもとても大事なことです。

と書きましたが、決してそれらを小さい問題だとおもっているわけではありません。むしろ、あなたにとってとても大きくて大変に心悩ますものだと思っています。すみません、誤解して傷付くような表現をしてしまいました。ごめんなさい。

投稿日時 - 2009-04-04 00:14:58

ANo.177

 もうひとつ、大事な話があります。くどいようですが、医療に繋がるという話です。


 まず、違う話からとなりますが、僕は今回の職場で出会った一人の女の子を見捨てなければなりません。あなたも話していて気付いている部分があると思いますが、僕は人を見るに人の状態悪というものを普通の人よりずっと明確に見抜くことができます。ですから、職場で出会った女の子が会話を重ねる度にその精神状態と心理状態が悪い状態にあることを知って行きました。僕も同じところで働いていますので、その会社における悪要素というものを判定できるようになって行きます。そしてその悪要素を勘定するように一覧化するかのように並べていくと、そこにおける無駄な負荷というものがどれぐらいなのかを算定できるようになるのです。そしてです、その女の子との触れ合いの中でその子のパーソナリティーがどのような類であるのかということも知ることができます。そうすると、今その子にある壊れかけているものがどのような類であるのかも、おおよそとなりますが知ることができます。僕はだからその職場での仕事の終わり際はその子にその問題との向き合い方をメタファー的に語ることに費やしてしまいました。でも、その女の子は僕の彼女への求愛としてしか取れなかったようです。今でも彼女の壊れかけている部分が非常に気になります。要素を探って行くと、どうしてそこまでになったのか?がどんどんと見えてくるから、その彼女の気付けぬ、だけれども非常に気にしている不具合の理由が明確に見えてくるのでなおさらに気になります。ですが、彼女は僕を男として見限って自分の生き方を継続させる道を選んだのですから、それ以上の介入は”他人”という境界を越えるものでしょう。僕はそのことにここ数週間苦しめられているのです。他人という間柄とは大変に辛いものです。それだけ苦しむのは、異性としても感情が入ってしまっているからでしょう。そして、僕は男として自身があまりありませんし、さらに今回”愛される”という感覚が損なわれていることも知りましたから、なおさらにこの件で苦しむのでしょう。


 さて、本題に入りましょう。

 実は僕もあなたが感じているのと同じように、自分の人に見せない部分をさらすということで実際に傷付いてきた人間でして、そしてさらに実際に医療によってもその面で傷付いてきた人間です。医療はピンキリです。キリに当たれば、それは逆に傷つけられたり、あるいは傷つけられていると知らずに関係を継続したりします。依存の関係の中に入ってしまうことが我々のような類の人間にはさらによく起こることだからです。

 でも、これも覚えておいてください、一般の、健康な人においても基本的に医療との結びつきは”依存関係”です。一見すれば”信頼”と見える形の”依存関係”です。ですから、自身の依存を恐れるよりも、その依存がある上でどう世間と向き合うかという形を持った方が良いと、僕からは思える次第です。よく言われますが、日本という社会構造自体が基本的に”依存”や”甘え”という形をその根底に置いて有るものですから、自身の依存傾向を過度に恐れては、それらとの線引きも適いませんし、社会自体がそれを根底として置いているのですから、その傾向を生かせして置ける基盤が整っているとも言えるのですから、それらを如何に生かすかということを眼目として置いた方が物事がスムースに進むものだと思います。たとえば、恋愛においても、日本社会では”依存”とか”甘え”という形の方が入り易いように見受けられます。

 では、話を戻しまして、その自己をさらけ出すことへの抵抗と、そこを行う上で傷つくというものに対してですが、それは、こう言っては申し訳ないのですが、時間をかけて傷付いて、そして回復して、立ち直って、次に向かうという形をロングスパンで行って行った方が、望む自己の形により向かって行けるものとなると言える現状があります。ただ、もちろん、リスクの高いものです。下手すれば、自殺という形にも向かうものでしょう。僕の自殺未遂の中にはそれに類するものがあったことは偽れぬものとしてあります。だから、傷付くということに対して保険を置いておこえる状況をある程度自己で整えられることが望ましいと思うのですが、難しいものですよね。だから、軽い傷で済む範囲でコントロールできるように自己を経る中で形作って行けるといいと思います。そういうことが行えるようになってくると、社会と向き合うにも自分である程度コントロールができるようになりますし、その中で周りと付き合うことというのも学んで行けるように思います。そこに置いて大事なのは、やはり誠実とは何か?真摯であるとはどのようなものか?優しさとは何か?心温かいものとは何か?と自分に問い続けられることが大事なポイントだと思います。そうやって問いながら経ていくことで自身が欠けて育ってしまった心というものを取り戻して回復させて行くことができるからです。でも、やはり保険というか、自身を助けるものをどうにかして構築して行く、得て行くということも自分の行うべきこととして置いておくことが必要だと思います。僕は独力でこれらを行わなければならなかったがために、これだけの苦労と、これだけの苦しみと、これだけの報われぬという時間を経ていますが、あなたはまだ若いし、より早くそれらと結び付くことができれば、自己の回復というものも、より早く行えると僕は思います。それが人の経験を生かすというものでしょう。

 先の女性の件でも挙げましたが、結局、”他人”となると”他人”を見捨てるというか、諦めるとか、いや、それが社会の人と人の距離だとなって、その人が助けを欲してもまったく得られない状況は広くあります。この僕においてもそうであるということを、あなたは知る必要があると思います。そして、これからあなたがそれを第三者において得ようと思ってもなかなか得られないものでしょう。僕は家族において被害を被って来た人間ですから、本来得るべき支援を、そこしかない得るべき場所から得られませんでした。そうなると、もう、絶望的です。今の社会は本当に人を助けるということを行いません。”情けは人のためならず”という言葉がありますが、これは”人に情をかけるということは、結局は巡り巡って自分を助けるものとなるものであるから、人に情をかけておくものだよ”という言葉でありますが、今の社会においては非常にその面が希薄となっているのを感じます。逆に、誤った個人主義(インディビジュアリズム)が蔓延してしまい、”関わらない”と”関わってくるな”という形を強めています。ですが、人は一人では生きられませんし、あなたや僕はより人の支援を得ないとならない存在でしょう。ですから、意を決して、それらを得るというタスクを自分に課す必要があるのです。

 僕は過去14年余りの医療との付き合いの失敗の積み重ねがあるからこそ、今、きちんとした医療と繋がるということの意味の大きさを知るのでありますし、現状において我々を助けるようなものは、医療の優れたものにしかなかなかに望めないという状況があるのを深く知りました。非常に優れた民間療法にも向かいました(整体協会です)、でもそこで行われていることの初歩的な基本的な部分は自分が既に成したものであり、家族療法とか、精神療法となると、ちょっと得づらい環境であったのです。もちろん、その奥義にはそれに繋がるものがあるのでしょうが、ちょっと現状有る範囲では難しいということになるようです。一応、こちらも追い続けますが。

 僕は過去の経てきて、それらを分析し、それらと正面から向かい合った積み重ねがあるからこそ、こうしてあなたに具体的に語りかけるものを持ちますし、あなたもそれである程度は信を置いてもらえるぐらいになってくれましたし、社会でも潰れてもある程度信頼を置いてもらえるという状況を得られる身となってきているのです。それは先にも言いました、誠実とは何か?真摯であるとはどのようなものか?優しさとは何か?心温かいものとは何か?と自分に問い続けられることを行ってきたからなんですね。そうやって心を育んできたからなのです。だから、”経る”ということは何よりも大事なことなんですよね。

 僕の今の焦点は、心の病みではなく、心の育みの欠損の育て直しであり、新たに最近わかった一生治らないというものを抱えてどう生きられるかという部分となります。そして、人を愛するということを知らず、そしてそれができないということを知らないでいる家族との関わりをどうするかということと、どうその家族によって損なわれたものを補って行くかという部分でしょうか。働くに安定して行えませんから、家を出るということも容易にはなせません。

 ですから、僕は家族というものを焦点と置きながらも、心の形成不全に対処しようというプログラムを持つ、医療に入って行こうと思っています。
http://www.iff.or.jp/index_j.html
 斉藤学診療所に向かおうということです。

 もちろん、これもゴールではなく、ゴールとなれば良いですが、ここから得られるものを元に発展させて行くためにです。

 こういう考えを持つに危険な部分は自己判断を全として置いた場合、転院に転院を重ね、結局は何も得られないという状態になることが多いということです。ドクター・ショッピングとこれを表します。

 僕は病と向き合う中で問題解決アプローチを身に付け、それらは他の分野にも十分に応用できています。仕事もそうです。ですから、自分を育てるものだとも思って、勇気を抱いて、医療と繋がって行って欲しいと思います。

 もう一人の先に挙げてきた女性も、学生カウンセラーとはなりますが、彼女に向いたカウンセラーと繋がって、安定してきたので、僕は安心して距離を置けたのです。

 あなたにとって僕は”宿木”です。いつかは自身のその身体に生えている羽で羽ばたいて行くことと向かうのです。そのように捉えて置いておいて欲しいと思います。

投稿日時 - 2009-04-03 10:06:00

ANo.176

 入院するかどうか迷っています。理由は色々ですが。時局がどうなるのかよくわからないので、先にもう少し気になる点に触れておこうと思います。


 エコグラム性格診断ですが、人のを聞いてあれこれ言っていたのですが、はて自分ではどうなんだろう?と思ってやってみました。嘘みたいな結果でした。すべてがAランクだったのです。だから、たぶん、この分析法の限界をそれが示しているんだろうと思いました。結果が出たときには思わず笑い転げてしまいました。嘘こけ!と。まぁ、で、その分析文の中にあった言葉がやっぱり
> 「過ぎたるは、及ばざるが如し」でした。

 こういう形の身の不幸もあるんだと知ってみて下さい。人の奥行きの深さを知ることも、あなたの生きるを考えるに助けとなると思います。しかし、凄い笑えました。こんぐらいのもんでなにがわかる、馬鹿にするなという気も起こりましたね。


 あなたのエコグラム性格分析に関しては、こう言っては失礼に当たりそうな気がしないでもないのですが、現時点では納得の行く形が出たと思っています。FCが高いという辺りに、あなたの捕まらなさ、その心の翼の大きさを思うところです。それ自体、素晴らしい才能だと思いますが、あなた自身のとても大きな心の寂しさを埋めるには、ちょっと工夫したほうが良いと思われるでしょう?そこはあなたのテーマですよね。
 ”腹を据えて”とか、”腰を据えて”とかいう言葉がありますが、これ、適当にネーミングされた言葉ではなくて、本当に身体の部位をそのように置けると、その言葉の意味に適う心もちを自分に置けるようになるのです。知ってましたか?ひょっとしたら、あなたにはそのような身体動作を置けない、行えない部分が強いのじゃないかな?と思えました。ここら辺を、自己意識では無理ですが、それなりの方法を取り入れることで行うに近づけていくということは可能です。現実に、実際に僕はそれを行っています。

 NPも、失礼ですけれども、申し訳ないのだけれども、納得ですよね。そことどう向かい合うかで、あなたのこれからの人との触れ合いが変わってくると思いますよね。NPのようなものの場合、温かい心の交感と、温かい身体的な接触を繰り返すことで、それを育んでいくことができます。いわゆるスキンシップとはこれに当たります。
 身体的に見た場合、この値の低い人は、頭の中でエネルギーがぐるぐる回り続けているような身体的な傾向が見られると感じています。胸とかお腹とかにそのエネルギーが降りてこない。だから、気持ちが降りてこない。あとは、指先を扱うフィーリングが力感が強過ぎて硬い。これらもある程度、身体的な訓練によって整えることが可能だと思っています。もちろん、自意識では不可能だと思います。そのような手法を必死に求める構えが求められるかなと思います。

 と書いたように、物事は本来は難しいものではなくて、シンプルで、簡単なのです。それを難しくしているのは高度に発達を見た社会であり、そしてそこに住まう人たちであり、そして家庭であったりします。
 僕は家庭での闘争に34年を費やし、持てるリソースの大半をそこに注ぎ込んで来てしまいました。だから次々と病になるし、障害らしきものが見えたりしたり、未だ女性を得られなかったりするわけです。30までは家族が全部で、30以降は家族と社会でした。
 ですから、自分の自然な才を(特別なもののことを言っているのではありませんよ)自然に置ける環境を構築して行く、身の回りに置いて行くということも、我が身の自然を育むには大事なことだと思いませんでしょうか。

 僕は繰り返しあなたに行えることの限界を告げてきました。ここで出会った以上は、ここでしかその成立を見ません。あなたはあなたを助ける人たちと、あなたを助ける状況、環境を自身の手で構築していかなければならない。そしてあなたを愛する男性をも、です。そういうことは”今”を生きていく上ではとても大事なことです。あなたのこだわりである美醜や潔癖よりもとても大事なことです。あなたの心を柔らかく弾力性を持って置いておける場所を作るということはとても大事なことだと認識しておいてください。僕が今自分の周辺で行っていることは、そういうものであるのです。

 僕は最近あなたがとてもきちんと自分自身を表現して語れるようになってきていると感じています。よりナチュラルにですよね。とても素敵なことですよね。気持ちを喜ばせるものがあります。でも、なんでしょう、そういうことをもっと、あなたが話したいと思ったときに気軽に声をかけて、いつでもとまではいかぬもののそのようにして実際に話せる相手がいることのほうが、幸せではないでしょうか?僕はその方が幸せだと思っていて、そのような相手を探しているのです。ネットの向こうの表情も姿も見えない僕だけが相手というのは、やはり自然なあなたの感覚を育むのには大きく足りないと思えるものでしょう。あなたの本来持っている自然が目覚めていくことが、あなたをより人の中でも自然な状態にして行くものだと想像し得るものですよね。

 あなたは大変に努力して、ここまできちんと話せる力を身に付けてきましたよね。それは大変に素晴らしいことですよね。それは以前から挙げている彼女以上にあなたはできているのです。いや、過去に話した人の中で一番だとも言えるほどです。それは並大抵なものではないんですよ。
 でもですよ、でも、その中からもっと論法的な部分、儀礼的な部分、技術的な部分を削いでいって、要求的な部分、情動的な部分、感情的な部分、本来のあなたの年齢ぐらいの様々な揺れ、そして、あなたが満たされて経られてこなかった年齢における抑圧されて置かれているあなたのその年齢の頃の声というものも、もっと表せる(現せる)ようになることも、これから経ればできるものなんですよ。たとえ、人前でもね。それって、とってもあなたからしたら望ましいなって思えるものではないでしょうか。

 あなたが本来持っている身の自然を引き出せれば、それらは割りとできるものなんですよね。だから、現状に満足を置かないで、もっと抑えている怒りも、抑えている不満も、抑えている満たされなさも、表に出して、そしてそれらを求めて行って良いと思うんですよ。社会的なレールを無視してでもね。現状敷かれている社会のレールは、最近30年でもどんどんと変わって変異していったものなんですよ。それを50年とか100年遡ればどれほど変容するものだか察せられるものでしょう。そんなものに縛られることなく、あなたの望む姿、望む生き方を、本来のあなたの自然を取り戻すことで、得て行けば良いんじゃないでしょうか。

 人の笑顔は人を幸せにする力があります。あなたのも例外ではないんですよ。もちろん、僕もそれで幸せになれるのです。そういうことをよく覚えておいてください。

投稿日時 - 2009-03-31 11:59:05

ANo.175

もうひとつ付け足す必要を感じました。それが何かと言うと、自己存在を捉えるときには置いておいた方が良い作法として、”意識は常に己を騙す方向性を持つ”というものになります。

 人間は一時の満足から状況の歪みを据え置くことを己に許し置く存在です。経ることでしか見出せないものがあるものですし、その停止に満足してしまうと、慢性的に歪みによる心痛を訴える形を持続させてしまいます。それでは大地に岐立する形とはなれないものと言えるでしょう。

 なんでしょうか、たとえ僕やあなたが望む異性を得られても、それで物事に答えを見出すことはないものなのですよね。そこからまた新たなファクターを抱えるということが始まるわけです。つまり絶えざる連続性の上に我々は生きているということになる。

 私たちは生きるという上でそれを支える社会を複雑化し過ぎたと僕は感じており、それにより歪んだ社会圧に僕やあなたは苦しんで苦労していると言えると僕は思うのですね。

 そして、また言えることですが、僕とあなたはその生きるという部分で似ていながらも異なるスタイルを持っておりますよね。ですから、そのあなたの生きると、僕の生きるとがどのような異なりを持ちながらも推移して行くのかという部分で大変に興味を抱いております。

 そして、いつも言うことですがあなたは明晰に物事を語り、こちらの言葉も受け止める力を持っています。だからあなたと話していると僕は救われる想いになりますし、また他面、あなたが語り手として持つ力をもうちょっと自分で信じても良いんじゃないかと思うんですよ。あなたの語る力で力量あるカウンセラーを探し出せると僕は思うんですよね。もちろん、語る中であなたがカウンセラーの言うことを己の力とすることもできるでしょう。

 ただ、あなたの恐れているとおり、カウンセラーが良くなければあなたが苦労を背負うことにもなります。ですが、何事も踏み出さねば始まらないものですから、あなたが未だ知らぬ世界を開ける気持ちでも、そのような面に踏み込んでいくことは、将来のあなたを間接的にも助けるものと成ると思うんですね。他面でその取り組んだことが生きてくることになると思います。

 ご自分に一定の信を置いて、踏み出して行くことは大事なことだと思うんですよ。

投稿日時 - 2009-03-28 12:27:43

ANo.174

 ちょっと言葉が足りない部分がありました。

 引用させてもらいますね。
> こんな言い方をするのは失礼かもしれませんがkumosukeさんはきっと話したら私のレベルからしたら深くて面白い話が出来そうだなって思います。

 そう、僕もそう思います。あなたの積み重ねから来るその表現力、言語力、そして、あなたの懊悩から来る豊かな感情表現、それらあなただからこそ成し得るもの、生み出し得るものが、僕を愉しませ喜ばせると思います。

 あなたの積み重ねは並みならぬものがある。だからこそ相対してて僕の心を愉しませるのです。そして、求道・追求精神ですよね、その精神から生み出されるもの、それは周りはまだ気付けないほどのものですが、僕は確かにあなたにそれを感じていて、その輝きに魅せられているのです。

 そしてそれは何も僕だけに限る話とはならないはずなのです。あなたのして来たことは他の人によってはなかなかに成せないものなのです。それで以ってあなたが周りを魅了し始める日がいずれ訪れると僕は感じているのです。

 誰にでも容易には耐えられぬ状況を曲がらないように歪ませないように正しく整えんとして生きてきたあなたです。その心の翼は他には見られない力強さを備えており、そして世間の枠に縛られない飛翔を見せることができるのです。

 あなただからこそ僕を愉しませているのです。

 今持っているご自身へのネガティブも、実はあなたがあなた自身を知らなかっただけでそうなっているのかもしれないですよね。

 生を謳歌すべく歩むことこそが、古の僕らには有った本来的な姿ではないでしょうか。

投稿日時 - 2009-03-28 11:30:36

ANo.173

 今回も丁寧に応えてくれてとてもありがたい気持ちになりました。

 春の到来は、芽吹く木々の匂いに気持ちの高揚もありますが、人としては物悲しさも高まる季節だと感じます。多くの周りを通り過ぎていく人々と、得られない交友や異性を思う部分も深まるからだと感じています。人間は季節の変化に対してその行動性をも推移させているのを感じ、そこから外れている自分を想い、寂しくなるものなのです。でも、それが状況における自然な感情であるのですから、その寂しさを悪いものだとはせずに、自分の人生を思いつつも、木々の豊かなるを愛でるのです。

 今までの対話の中であなたは先ほど新しい展開を得ました。とても喜ばしいことだと感じています。心が開放されて今有る感じとなっているのですが、あなたは賢明にもそれですべてが成ったとは思えずにいますよね。僕も段階的な位置にいるのだと想像しているのです。でも、大きな一歩ですよね。大事にして欲しい新たな一歩だと思っています。


 以前の感情的に何も感じられない日々がありましたが、あの時期を僕は心がオーバーフローしている時期なのではないかと推測してあなたに語りました。そしてその心がオーバーフローした時期を超えると、あなたの心は開放に向かった。その流れは、”落ちに落ちて底付き、上昇し戻る”というものや、”溢れかえって行き混沌としている状態から、溢れ出してすっきりしてある安定に戻る”という自然に有る形があなたの中にも起こったという解釈で良いと思うんですよね。人間の健康というものもそのような形を持ちますので、心も同じ様に推移すると捉えて良いと思うのです。


 多くの人の老いて行く姿へのあなたからの見解ですが、それは自分から目を逸らしたままに生きて行くというのは本当に僕もそのように感じています。人はある地点まで到達すると自分に目を向けて自分にある色々を考えて変えていこうとする動きを持たなくなると感じているのです。その時期が到来するのは僕は高校生か大学生くらいだと感じています。あなたが”何か前に目的を見つけることによって”と言われている部分は、僕はそれが”社会的位置の獲得と生活の安定”だと感じています。大学生あたりから一気に皆異性を獲得することに解放されたかのように勢い付きます。たぶんそれは高校生ぐらいまでに続いた社会適応するための人生という軸の上に置いた”自己研鑽カリキュラム”の終了をそれぞれにおいて見たということになっているからだと思います。ですから、社会で出会う人々、老いも若きもとなるのですが、皆人間的な深さという点では、高校生ぐらいか大学生ぐらいからそう変化していないと感じることになるのです。というのが、僕において感じていることとなります。参考になると良いのですが。


 プラスの感情を表せないことの理由をまたご自分で認識できたことと、それと繋がったのか、潔癖症に対して新たな認識を持てたことも、新しい一歩ですよね。あなたは自身の容姿の美醜に強過ぎるほどにこだわっておりましたから、その美醜へのこだわりが自身の自己への評価の低さというものから来ているだろうと以前から語ってきたわけですが、潔癖症というのもそれと繋がって有ると考えることは可能であると思えますよね。でも、それはひとりで抱えるには心寂しくする見解でもありますよね。僕はあなたのそういうところを心配しています。僕はそれで結構苦しんできたからですね。


 僕の持ちかけた”コミュニケーションにおける失敗体験の積み重ね方”に対してあなたの状態を語ってくれましたが、まず後者の”嫌になってどうでも良くなった状態”から触れますが、そちらでは人に嫌われるけれどもあなたにとって強く意識されるものではないと感じられているという解釈で良いのだと思うのですが、その前提でお話しますと、やはり人は気を向けて行なったことにおいてのものに失敗や失意を感じるものなのだと、そういう見解を置いておこうと思います。何かの参考になるかもしれないからです。

 その前者の方に対してですが、そうですね、”大きな失敗をして相手を傷つけ怒らせたり”が多々あるとか、”気遣ってはいるものの相手に心を開いていない感じとかを相手が分かる”とかから感じるのですが、あなたはコミュニケーションを”人の行なっている良い形を見て、それを意識的にコントロールして真似よう”という形で行なっているんじゃないかと想像できるのですが、どうでしょうか。”気を張って行なう”のも、まず前提として”そこで失敗して嫌われる、引かれる”という体験が染み付いており、自分の自然を信じられないというところから、意識的な係わりを強くそこに持たせているという形だと思えるでしょう。こういう指摘の仕方はちょっとあなたに辛いのではないかと思い、心配になるのですが、また改めて構造的に認識するのもこれからのためのポイントとなるものだと思い、あえて書いています。傷つけたら、ごめんなさいね。

 そう、僕は”小さいコミュニケーションの失敗を受容されること”を説きましたよね。あなたはごく小さいそれらにおける失敗を”受容”されて行くことが必要なのではないかと考えているのですね。そうしてごく小さい失敗が許されるのだと身体で覚えていく中で、あなたは自分に埋もれている表現していない感情の存在に気付き、それを徐々に出し始め、そしてそれにより、埋もれている感情をより自然にその内に置いておけるようになると思うからなのです。


 僕の愛するという感情を持てていなかったというところへのあなたからの見解をもらいました。悪意だとは捉えていませんから、安心してください。気に障ってもいませんので、大丈夫です。そこを語るにはまずまた改めて僕に”愛する”という形がなかったところの苦しみから語る必要性が有ると思います。

 僕も実はその状態を”愛する”という感情がなかったからだとは捉えていなかったのです。ずっと、ある人として普通に存在する行動形式を行なうに際して自然体でできずに、それ故に困惑する部分あり、そして苦しいと感じるところがあったのです。それはたとえば、後輩を相手にして世話してあげようと思うと、非常に部分的になるばかりで、いびつなものにしかならず、意識的に構築した文脈の上でしか行えなかったこと、そしてそのアクションに気を向けている際の自分における苦しさを感じていたということになり、また、植物人間となり横たわる祖母の傍にいても(もう亡くなりましたけれどもね)、乳幼児期の姪の傍にいても、意識的にたまに愛情表現を行動形式を行なうことはできるのですが、間断なく彼女らに対して想いを向けて共にその空間に居るということはできず、そこで自分の感覚世界に入り込んでしまい、ただ座しているのみとなるしかなかったですし、そして同時に苦しく感じており、罪悪感すらも有った状態でした。でも、それがどうしてそうなるかは、当時はわかっていなかったのです。
 そして、以前からあなたに話しているように、30を過ぎて大きなブレイクスルーが起こり、才能の開花と共に、”愛する”という感情も得られたのです。ただ、まだ”愛される”という感情をほとんど持てていないようなのに、最近気付きましたよ。人と共の居られることをそのままに喜びとして置けるもの、そこで感じたものを言葉にするのならば”愛する”という感情となり、また、下のものを労わり見る心もまたそれと繋がってあるものなのだと知ることとなったのです。

 だから、そのあなたの言う”愛する”というものとはちょっと視座が異なっているのじゃないかと思うのです。確かに、その”あなたの言う相手に対する自分の思い入れでしかない”というのもそうであると思っておりますし、”相手に対して自分が何らかの自分と重ねている部分を持っていたり、相手の何かに憧れていたり、相手が自分に提供してくれるものを欲していたりそういうもの”だとも思います。ですが、その行動の下にある基盤となる情動のエネルギーは僕の言う”愛する”という感情があって本来的な存在性の豊かさを持つのだと僕からは言える形となるのです。どうでしょうか、この見解は。参考になるでしょうか。

 
 エコグラムの話をしてくれましたね。たぶんですが、随分前から同じ様な形のエコグラムができたという部分なのですが、それは思うに、僕と関わり始める前の、危機意識から心理的なオーバーフローを迎える前ですよね。人においては”心において時間が止まったような時期”というものがあるんですよね。”心において時間を止めている時期”とも言えると思うのですが。たぶん、あなたはそのような時期を自分に長く置いてきたと思うのですよね。心を硬くしてギュッと縮めて過ごして来た時期が長く有ると思うのです。それがエコグラム心理テストに現れてたのではないかと思えるのですが、どう思うでしょうか。
 そして、なるほどとあなたも思いましたし、僕も思う部分ある感じとなりましたよね。NPがすごく低くて、FCが高いんですよね。これは全てを表すとは言えませんが、傾向は表していると思うんですよね。客観的に自分を部分的に知る材料としては良いと思えるのです。
 そう、そして、以前からお話しているもうひとりの僕が対話してきた女性においてはFC値が低いんですよ。僕との対話で上げてきたのがA値です。自分で分析して自分と周辺世界を捉える力がとても弱かったので、対話の中で”分析する”という作業を理解させ行なわせ、その結果A値が高まったのですね。あとCP値が高かったと思います。意外に思われるんじゃないでしょうか。とても似ているとあなたが語っていた彼女ですが、そのような状態にあるのです。これも振り返って彼女への僕の記述を思うと、あなたがあなたをより理解するのに役に立つのじゃないかと思います。


 そう、そうだと思うのですよね、人に喋れないし、人を信用できないので、かえって精神科やカウンセラーが辛いだろうと感じていると思うのですよね。本当にその通りだと思います、自分の内面を開示することは激しく苦痛なものですし、引かれたり見捨てられたときの痛手が大変だと、そう思いますし、僕もそれで苦労している部分があります。僕との対話においての過去の心理にも触れてくれましたが、それで気分を悪くすることはありませんから、安心してください。以前も言いましたが、そのような過程を経ないとなかなか信頼というものを置けないものだと僕自身も感じているものですし、周りの人もそのように反応するものなのですから。
 でもとなるのですが、そのような過程をあえて経て、それで自分の周りに実際に補助を与えてくれる存在を配置して行けるかというのも、あなたの人生を積み重ねていく上ではとても大事だと僕からは言えることになるんですね。それは広がれば広がるほどに、あなたを助けるものとなりますし、それを構築して行くのもそれなりに時間と労力が要りますので、心の余裕と相談しながらそれらを順々に進めて行った方が良いと思うんですよね。そう、何度も触れているように、僕はここまでの解析と説明を行なうことができる人間ですが、それでも社会において不適応を起こす部分が、そのときのコンディションにもよるのですが、多々有り、そしていざとなっても自分を助ける存在を置いておけていない状況があり、それでもなかなかに自分の人生を進められていない状況があるのですね。あなたは僕よりは高く生活費を稼ぐ部分での強さを今感じています。それでもこの先においてあなたの独力では立ち行かぬ部分が出てくると思うのですね。
 リスクヘッジ的な思考を僕は未来に対して持つ体質です。それ故に家族に苦しむ部分もあるのですが、自分の想定し得るリスクに対してそれをヘッジする助けをするどころかマイナスなことばかりをするからです。そして、実際に追い詰められてしまいました。僕はあなたの将来に対してリスクヘッジを行なっておきたいという想いが強くあります。僕は実際にはあなたと関われない距離の下に居ます。いや、実際に関われても力になれない部分の方が大きいかもしれませんけれどもね。そのあなたへの心配となるものなのですが、僕はあなたよりも齢を重ねて色々多々を経験してきているので、そこからもできる範囲で今から準備しておいて欲しいと願うのです。僕は大変な苦労を重ねてきていますが、未だに報われないでいるのです。そしてたぶんそのなかなかに社会的にも報われないという部分は、あなたにもある程度同じ様に敷かれて行くのじゃないかと想像するのです。ちょっと僕においての予期不安的な形が強く出ているのかもしれませんけれども。

 自己分析は今のところ良い感じで進んでいると思います。明確に理解したくないことというのも、焦って進めるよりは心の準備が順々に整って行くのを感じた上で見ていけたら良いと思うところです。


 実際の会社で僕がこのようなアプローチをすると、それは女性からすると好意の現れとも受け止められるようですし、実際に優しくするとか気遣うという行為を女性に対して行なうと、双方の感情の反応の交感から、僕も自然とその女性に想いが入ってしまうようです。そして、結局女性からすると”私を受け止められるか?”という試す形へと向かうしかないようですし、今回辛かったのは彼女には既に家に帰れば彼氏が待っているという状態にあったというところでして、彼女が僕を受け入れ振り向いても、結局は僕の弱さである”愛される”という感覚の欠如とも言えるぐらいの欠損から、そこで心が崩れてしまい、彼女を助けるものをあげたいという想いは脆くも崩れてしまいました。そして、僕はその彼女の反応から、彼女に心が囚われる部分が大きくありました。そうすると、長期的に実際の場で、あなたも含めて対話を行なうには、僕はかなりその人のパートナー的位置に入らないとならないのかもしれないと思いました。それでユングに興味を抱いています。

 あなたから”僕とはきっと話したら深くて面白い話ができそうだなって思う”と言ってもらえてとても嬉しく思います。僕は実際、あなたの話しを聞かせてもらって心地良く感じている自分を見ています。非常に明晰なところも気持ち良いですし、生きるというところに他の人よりも真剣に向かい合っていると感じるところも気持ち良く感じるのです。そして、あなたの複雑な人間性も、僕からすると魅力的に感じるものなのは、以前も申したとおりです。

 ところでとなるのですが、僕は今のコンディション状態の悪さから入院することになるかもしれません。家庭からも追い詰められ(彼らは未だに自分たちが追い詰めている部分を認識(と言うか、”受容”でしょうか)できないでいますが)、ここ数年職場での不幸も続き、それによりも大きく弱り、そして今職に付いても自分の弱さでダウンし、崩れて挫折と敗北感に打ちひしがれてしまっている面が強くあるのです。仕事の力が有ってもそれでは生かせないですよね。逆に力が有るとわかっているだけに、弱さで崩れ職を維持できないことに強いショックを受けるのでしょう。生き方を変える必要があるのを感じています。

 そしてまた、僕は以前僕の脳に発達障害的な部分があるのがわかったと書いたと思うのですが、さらに専門医との対話を重ねたところ、発達障害ではないとわかりました。ただ、僕の抱えているそれは、やはり一生治らないものであるそうで、そして、現在の診断の枠では明確に区分されていない類いの存在なのだそうです(DSM-IVとかICD10?とかではですね)。
 最初に出会った頃に、ネーミングの危険性を説きました。それは今も変わらない気持ちです。それは何故そう言うかと言うのをまた述べますが、それら精神医療診断用語を安易なそのフレームへの理解の下に自分にネーミングして当てはめてしまうと、かえってその中途半端な理解の下に人生を縛ってしまう人をたくさん見てきたからなのですね。あなたがその用語を自分に当てはめる際には、その用語の理解に自分が足りないところがあり、そしてその理解の外に(意識の外)あるものをも置いてその用語を自分において扱える形を持てたとき、その行いがあなたを大きく助けるものとなるということを知ってもらいたいと思うのです。僕は以前の出会った頃のあなたには予断で自分と自分自身の人生を縛ってしまう可能性を大きく感じました。ですから、ネーミングの危険性を説いたわけです。時期が来れば、それらを用いることは、あなたを助けるものとなるでしょう。

 そう、あなたが愛を表す際に用いられたように、僕のあなたへの想いも、相手に自分を重ねているものと言えるでしょう。ですが、初端はそうであっても、交感によって積み重ねられたものにより、互いが有ることでより自存在に安心と安定を置ける関係となって来ているものでもありますよね。それは永続的なものではないかもしれませんよね。でも、この期間においてそのような関係性をお互いに置けたことは互いの生きるを助けるものとなれたと僕は感じているのですが、あなたはどうお思いになるでしょうか。そして、これが実際の場において行なわれていたら、僕とあなたはひょっとしたら距離近く互いの心を埋める関係ともなれていたかもしれない部分があると思いもするのです。それでたとえあなたと僕の関係が生まれて、そして破綻を迎えたとしても、そこであなたは人として何かを得、そして僕も人として何かを得たでしょう。そういうことの積み重ねにより人は成熟することを経られると思うのです。そうやっても愛とは何かを知ることができると思うんですよね。

 是非、より良い幸せを掴んで欲しいと思っています。できなくはないと思うのです。
 
 入院したら、しばらくは応じるのが遅れると思います。了承を置いて下さい。
 

投稿日時 - 2009-03-28 08:02:29

ANo.172

こんばんわ。

私も似たような考えにいたった経験があります。

しんどいですよね。

よくない考えが、よくないことを呼んでしまう。。

でも、空っぽな人間だと気づいたのはよいことじゃないですか?

空っぽなら、なにか実をいれていきましょう。

外見・内面を磨く、お金を稼ぐ、読書をする、音楽を聴く、健康を磨く、感謝をする、お金を稼ぐ、少しの自信をもつ、好きなことをする・・・。

時間は有限です。

これからも人生は続きます。

なら、少しでも情熱をもってなにかできる時間を増やしましょう。



投稿日時 - 2009-03-26 01:23:51

お礼

回答ありがとうございます。

最近は質問した時とは随分と状況が変わりましたがfoffoolさんの言うことは良く分かるし最もだと思いますし、最近新しいことにチャレンジしたりもしましたがやはりそうすると自分が満たされるというか充実しますよね。
最近一時的にかなり調子が良くなったりしましたが何か完璧には満たされない気がしてきたんです。
でも時間は有限だしもっと納得出来る人生を送らなきゃいけませんよね。

どうもありがとうございます。

投稿日時 - 2009-04-11 22:55:55

ANo.171

 もうひとつあなたの言葉に対してお返ししておきたいと思います。

 今回は本当に僕から見てもあなたの心の言葉が出ていたと感じるんですね。でも、今までのが悪かったということでもないんです。今までのやり取りがあったから、今のあなたのその言葉があり、今までの段階的な声の放出があったからこそ、”今”が有るわけです。ですから、過去のあなたの声に価値が無かったというわけでもなく、それを言えば逆に当たるものでありまして、それらにも大きく価値があったということになるのです。だから、過去から連続して有る今までの自分というものを統合して価値があるものなのだと捉えてもらいたいと思うのですよね。過去から全体を見ても愛すべき人だと感じているということになるのです。

 あなたの過去からのプロセスはとても感動的でして、本当にこう触れていて心踊る部分を感じます。僕はあなたを突き放したこともありましたが、それは必要な行いというものでありまして、決して”見捨てたと”か”見放した”とかいう類いではないものなのです。”獅子は愛する我が子を千尋の谷へ突き落とす”という言葉があるとおりに、厳しさというものの中にもある”愛”というものをあなたには知ってもらいたいと思うのであります。肯定的受容だけが”愛”ではないのです。肯定のみの一様的なものを愛と捉えた場合、人間は己の心と精神の運動を大きく単純化させてしまい、それによって自己受容までをも難しくし、そして対人という局面においても自己の発露を阻害してしまうものとなるのです。

 そして、今回、あなたは自己中になること、わがままになることに肯定感を得ましたよね。そして、さすがだなと思いましたが、”このままずっといられたらって思いますが。それが続かないこともなんだか知っていますが。”とおっしゃられていますよね、僕もそのとおりだと感じるところなのです。さすがです。さすが僕の無理している弱さを見抜いた眼力の持ち主だなと思います(笑)。でも、それが”テーマ”としてあなたの中に、あなた自身で浮上させることができたということですよね。そう、あなたもおっしゃられているように、”この状態で人と接したら上手くいくんじゃないかとも思います。”なんですよね。たぶん、僕もそう思うのですが、”以前のあなた”より上手くいくと思うんです。でも、やはりそこで”あれ?上手くいかないな?”という部分も多々出てくると思うんです。そして、そこで生まれてくるのが”葛藤”ですよね。これが言ってしまえば、人における成長プロセスの一番簡単な構造でしょう。

 正直に申せばですね、僕はあなたのそうした人生の流れというものを一生をとおして見させてもらいたいと思っているんですよ。僕という人間はそういう主体であるからなのでもありますが、まぁ、それだけあなたの語ることは”今”の自身を偽っておらず、大変に魅力的に感じるものであるからなんですね。でも、それが生きる上での必死さを表しているものでして、そういう人こそ僕は好感を覚えるものなのです。自身が必死に生きているからですね。ただ、ここで出会った以上は、そこに限界が有ることも知るものですし、ですので、制限範囲の中でお付き合いさせて頂きたいなと思っているわけです。まぁ、でもですね、何事においても制限枠というもの置いた方が好ましい状態となるものなのですけれどもね。

 そう、そして”関西での人の多さに嫌になって”そして”帰ってきた”というのも、なんだか”今”のあなたを表しているように思えてならないものがありますよね。

 知っているでしょうか?あのフロイトも、そして先に挙げたコフートも、自己に対して何度も精神分析を行い、そしてその分析の積み重ねにより自分で自己の生き易さを獲得していったんですよね。ですから、先にも申しましたが、過去のあなたの声にもとても大きな意味と価値が有るというのは、こういう言い方は無粋ですが、論理的に見ても価値が有ると言えるのですね。女性に向ける言葉ではありませんが(笑)。

 現代人は自己においてある状態サイクルさせた停止状態を置きたがり、そしてそれを得ると安定もするのですが、新たな可能性も摘んでしまうものなのです。つまり、人生の停止を自己に許して置いてしまうということになります。まぁ、気持ちは僕にもよくわかるものなのですが、ですが、それを”今の僕”から見るとなると”大変につまらない”となるのです。そこへ行くとあなたは自身の思うように動かない人生を動かそう、動かそうとしており、そして動体であるところを見せてくれており、それは大変に、ですから、魅力的に感じるものなのです。

 なんでしょうか、人間には”抑圧された声”というものが内に有るものなのです。抑圧された声が発せられるときに、その人はその声の抑圧された年齢に精神状態が戻ります。子供返り、赤子返り?もあったかな?そのような、本当にまるで”駄々っ子に戻ったような”仕草と声色にもなるのですね。それは恥ずかしいことではなく、そうできる人ほど人生を豊かに躍動感を持ってに生きられている人なのだということになるのです。駿馬が駆ける姿に感じるような感動を覚えるものなのです。

 というようなことを覚えて置いて下さい。


 あ、仕事、辞めました。でも、意味有る、意義有る失敗でして、大変に辛く、悲しい思いもしましたが、そこでの出会いをとおして新しい自分を得ることができました。最近は短時日の間に職場の環境を見切るということを本能的にしてしまっているようでして、まぁ、なんと言うか、周りを巻き込んで、周りに迷惑をかけながらも、人生の歩みを進めている感じです。無理して枠を被せられて我慢して歪めて耐えて生きるなんて、もう要らないものですしね。まぁ、あなたにはダサイなんて思われてしまったりしたりするかもしれず、そう言われることがあるとうろたえる自分もいたりするですけれどもね(笑)。

投稿日時 - 2009-03-18 07:35:23

お礼

前回の話の続きというか補足なんですが私は自分にとって愛するというのは前の投稿で申したとおりのものなんだと現時点では認識していますが、他人に関してはその人それぞれのものがあるかもしれないとは思っています。
随分前にkumosukeさんがエゴグラムの話をされていたと思うのですが、それ以前からエゴグラムは知っていてやってみたこともあります。
驚くかもしれませんが随分前から何度やってもほぼ同じような形のエゴグラムが出来て特徴としては大抵の場合はNPがすごく低くてFCが高いんです。
もしかすると私の場合はそのような性格にも関係して前述べた考えに至ったのかもしれません。

カウンセラーについてですが私もカウンセラーというのはとてもよい選択肢だとは常々思っています。
でも、私は人を信用するのがかなり難しいほうで、何度も精神科に行こうと考えたこともありましたが行っても喋れないのが本当に分かるんです。
カウンセラーなんてなおさらです。
他人に自分の内面や本当の姿を知られたくないって言う気持ちが人一倍強く、そのようなレベルだけでなく日常においても自己開示が上手く出来ないんです。
他人を信用できないんです。
そんな全部見せちゃったら引かれたり見捨てられた時の痛手が大変だと思うんです。
ここの質問でもあなたのような人が現われあまりにも丁寧な回答をしてくれることに対して始めのうちはかなり戸惑っていましたし、不信感もありました。そして信用できるまでにかなり時間もかかったんです。
今の気持ちではないので気分を悪くしないで下さい。
カウンセラー等に頼って楽になりたいという気持ちも強くありますがそれ以上に他人に対して自己開示、しかも日常レベルでも出来ないそれをもっと深いレベルで行うということは自分には想像でも苦痛です。
ただkumosukeさんが親身に考えてくれている結果カウンセラーを進めてくださっているのは良くわかっているつもりですし、ありがたいとも思っています。
ただそれは今の自由に感じている状態でも難しそうです。
自己分析ですが私も自身に自己分析を重ねているつもりではありますが、それでも何となく分かっているけれど明確には理解したくないことというのもまだ存在している状態です。
こんな言い方をするのは失礼かもしれませんがkumosukeさんはきっと話したら私のレベルからしたら深くて面白い話が出来そうだなって思います。

投稿日時 - 2009-03-28 01:17:41

ANo.170

一番最後に書かれていたお返事を拝見しました。
しばらくは、今の自分だけのことを考えて生きる方向でいいと思います。

1.自分のことだけ考えて、何かに没頭する。
(このステップは長くとってもいいと思います)
2.没頭したことに自然と詳しくなる。そのことがもっと好きになる。そして、前より少し満たされる。
3.共通の趣味を持った人と共感できる。
4.仲良くなれる。

物の習得の速度は加速度的で、ほとんどの人ははじめの速度の遅さに自信をなくして、やめてしまうのだと思います。はじめは1から4を、何年かかってもやってみれば、そのサイクルはどんどん早くなって、人間の深みは増していくと思います(充実)。なにかを選んで、はじめはうまくいかなくてもそれが当たり前と思って、人と比較せずに根気よくやっていくことが大事だと思います。

投稿日時 - 2009-03-17 21:21:30

お礼

回答ありがとうございます。
最近のお礼も踏まえて頂いてのアドバイスということで本当にありがたいです。
仰せの通り、暫くはこの状況に甘んじていたいなって思います。
今省みると少し前までの自分はあまりに窮屈で不自由過ぎて苦しかったので、 今の状況を甘受することによって実際出来るかは分かりませんが、bigman35さんの仰るようなサイクルに乗れたらなって思います。
アドバイスありがとうございました。

投稿日時 - 2009-04-01 22:57:58

ANo.169

もうひとつ、あなたの状態へ僕から思うことを言わせてください。

 今までお話をさせて頂いてやはり思うことなのですが、あなたにはきちんとしたカウンセラーが必要だと思うということです。

 僕がこれまであなたと、この掲示板に限られますが、会話させて頂いて、その経過の中で当初を思えば随分と心の様々に進展が得られたと思います。それが何を意味しているかと言えば、あなたは薬などによる治療とかよりも、むしろこうした対話による自己分析と自己受容をお助けした方があなたを助ける部分が大きいということとなります。

 僕の対話の行ない方は、他の方々に対してもそうなのですが、延々と10数年に渡って精神分析形や精神治療系の本を読み漁りながら(とは言え、それらはその時点の僕の状態でも読み薦められるような類いの本でありましたが)、自己分析を繰り返し繰り返し行い、そして日々の生活の中で苦労し、苦しみながら経て来て、得て来たものらとその自己分析を重ね合わせて、それで自分の大きく欠けた自己受容や能力の使い方、伸ばし方を自ら得て、それでもってこうした対話の形としているものなのです。言わば、そのようなものでしかないとも言えます。

 また、それは、最近読んでいる和田秀樹氏の”コフート心理学入門”を見ていると、そのお題となっているハインツ・コフートの理論ととても近いものであることを知れました。ちなみに、日本の精神医療ならびに医療関係者が語るものはほとんど全てフロイト系のものと言える印象です。”自我心理学”系と言うのでしょうか。

 ですから、なかなか僕と同じ形を実際にカウンセラーとして得られるかはわからぬところなのですが、それでも実際に顔を合わせて、それで触れて行なえる場合の方が(つまり、実際のカウンセラーを求められた方が)、大きくあなたのような方をフォローし、サポートすることが適うものであるのです。

 そしてもうひとつ、この形式の場合、もし僕に何かあっても、不慮の出来事により急に投稿できなくなったことがあっても、あなたにとっては”見捨てられてしまった”となることもあるように思えるのです。そして、僕の人生はまだまだ不安定でして、僕がこの形を維持できなくなる可能性は十分にある状態なのです。

 以前、お話した、あなたが似ていると感じたもうひとりの僕が話しを聞いていた女性は学生見習いカウンセラーのところに通っていまして、彼女の場合、あなたと比べても大きく大変で難しい要素が多々ありますので、そちらに重きを置いてもらうようにしてもらったのですよね。僕があまりに形を継続するに困難な状況がありますので、そちらにシフトしてもらったのです。

 ですから、ディスプレイの向こう側の、インターネットを介したあちら側に居る僕自身が、その所有するパソコンの前に立てなくなるリスクも現状有るところなのです。もちろん、その理由となるものは様々です。ですが、僕からあなたとのこの対話を放棄するという類いではなくて、僕の人生自体がまだまだ失われる危険性や、大きく落ちる危険性があるということになるのですね。不安を誘うようでしたら、ごめんなさい。

 あなたのこれからの人生を思えば、安定して継続してサポートし得る存在としてのカウンセラーなりを求めてもらいたいと思うのです。地域の保健センターの保健師さんなどに相談されて探ってみて欲しいと思うのですね。

 そこをじっくりと健闘してもらいたいと思うのですよね。宜しくお願いします。

投稿日時 - 2009-03-17 06:49:23

お礼

ここのお礼は字数制限があり1回の投稿じゃ納まりきらなそうなので分けて投稿させて頂いています。

コミュニケーションにおける失敗についてなんですが、コミュニケーションにおいては常に気を張っている状態か、もしくはこれもかなり不味いとは思われますが、嫌になってどうでも良くなった状態しかないんですが、後者において人に嫌われるのはもとより、前者での大きな失敗というのが自分の中では多く見受けられるような気がします。
気を張っているので小さな失敗はあまりないんですが、そこで大きな失敗をして相手を傷つけたり怒らせたりいうことが多々あるみたいです。
またそれ以外にも丁寧にしてはいるし、相手にとても気遣ってはいるものの相手に心を開いていない感じとかを相手が分かるということも多々あるみたいで、それについては自分が意識したこ所半分自分ではどうしようもないけれども自覚だけはある所半分という感じです。
ただ今は本当に心が自由な感じだし、また人との関わりがないから気が大きくなっているというのもあり実際どうかも分かりませんが、人に対しても神経質になりすぎずに気を張りすぎずに接することが出来るのではないかとも思うんです。
実際、他人を目の前にしたらまた気を張っちゃうかもしれないし、上手くというか自然には出来ないかもしれませんが。

愛するという感情がもてなかったということで悩んでいたということなんですが、そもそも本当に愛することなんて可能なんでしょうか?
その相手がどんな愛の対象であれ、実際は相手に対する自分の思い入れなのではないかと私は思っています。
相手に対して自分が何らかの自分と重ねている部分を持っていたり、相手の何かに憧れていたり、相手が自分に提供してくれるものを欲していたりそういうものなのではないんでしょうか?
これはあくまで私の考えなので気に障ったらごめんなさい。
でもけしてあなたへの悪意で書いたわけではなくかなり純粋に私が今まで考えてきて現時点で自分の中では最も適切だと思っている考えなのです。
勘違いしないで欲しいんですが私がずっと考えてきたことの1つだったのでこのような形で意見を表明させてもらいました。
ただ、このことでkumosukeさんが苦しいとかなら無視してくださって結構だし、是非そうしてください。

投稿日時 - 2009-03-28 00:51:05

ANo.168

 まずは、お返事を頂けて良かったと思っていることを伝えたいと思います。その後がどうなっているかは、神ならぬ僕には知りようがありませんから、お互いに書いた直後からの時間はまったく知ることができませんからね。安心したという感じです。

 そして、もうひとつお伝えしないとならないのは、どうも僕の投稿は監視対象になっているらしく、”回答”という形になっていなければ、即削除となってしまい、ルールに不適応と思われる部分は部分削除となる連続があります。そのような不便がある中での回答であると思ってお読み下さい。

 では、回答として書き始めます。

 自然があなたに微笑んだこと、それを知り嬉しい気持ちでした。何か詰まったときがあっても、そういう感覚に立ち返れれば、また明日を生きる気持ちが湧いてこさせられると思うのですよね。そのことを感じられたことはとても収穫だったと思いますよ。

 人に対して自分の気持ち、特にプラスの感情を上手く表せないというのは、心の規制がかかっているからだと思うんですよね。自分の感情とかプラスの感情を表すには、自分の感情への肯定感があることが必要となりますし、それはつまり自己肯定感に繋がるものなのですね。自分をある程度受容し、ある程度肯定でき得たときに、それら感情を次第に発して行けるようになると思うのです。

 
 そして、コミュニケーションにおける失敗のことですが、これは相手が失敗を受容してくれるという辺りが大事かと思うんですよね。大きな失敗はやはり心を規制します。耐えられるぐらいの小さな失敗を経て行ったり、ちょっと大きな失敗でも受容してくれる相手がいると、そのように行える感じですね。

 そして、そうです、コミュニケーションの上手い人でも、最初は手探りだったり、上手く行かない中、心を砕いて話しかけて行って繋いだりと、色々に苦労をしているものなんですよ。だから、完全な人はいないんですよね。


 人と関わりたくなくて、それでいて我ままで自己中で、それでいて自由というのを聞いて、それは、これだけに限らないのですが、”育て直し”というものが行われているときの一時期だと思えるんですよね。自己愛というものがありますよね、自己愛はコフート心理学では大事な基盤とされているようなんですが、やはり、それは基盤として一定の範囲は持てていた方が良いと僕は感じるんですね。あなたは自己肯定感が薄くて、自己愛を必要分持てていなかったと思うんです。自然と触れて得られた部分が有り、その幸福感を自己の中で捉えて置いておきたい時期なのじゃないでしょうか。つまり、自己愛の育みが行われているのではないでしょうか。
 ですから、今のそのような感覚も大事にされて、感じつつ、周りとの関わり合いを感じて行ければ良いのではないでしょうか。

 そうですね、とても素直に表現できたと僕も思えますよ。自己の感覚をとても素直に捉えられた感じですよね。素敵な一歩ではないでしょうか。そう思います。


 以前お話したかどうか覚えていないのですが、僕には心が欠けている部分があったのですよね。30年間”愛する”ができなくて苦しかったですし、一時期は”悲しい”も抜けていました。それ以前には感情鈍磨がありました。それらを時期を経て、少しづつ得たり回復したりして、今があるんですよね。まだまだ得る必要があるものはあるのですけれども。


 仕事のほうはね、今、また、ちょっと辞めているんです。でも、そこの社長さんとは繋がりがありましてね、ちょっとプレゼンテーションを行って、周りに遠慮して言わなかったそこの酷い働きづらさを伝えて改善してもらえないか聞いてみようと思います。過去の仕事で得たコネクションが点在して地域にあるので、それを生かせたらなと思っているんですよね。地域で小ネットワークを形成するコーディネートができれば良いのですが。


 僕は思います、あなたは小さい頃に心を育てられない環境があったのだろうと。今、こうして聞いていると、また変化して来ていますよね、成長して来ていますよね。とても嬉しいことですよね、喜ばしいことです。

 僕は残念ながらあなたがどれくらいこの社会と付き合える力を今備えているのかは、知らないでいます。僕よりも強くあるのかもしれないし、そうではないのかもしれないし、そこら辺は、僕も問題なのですが(笑)、心配するところなのです。

 今後僕が生き続けて、時期を熟成して重ねることができれば、ひょっとしたらあなたのような人をフォローアップするようなものを地域に小規模に作れるかもしれないですけれども、本当に今はゼロ状態ですので、点在するコネクションが何を意味するのか、何を生むのかというところで、今を生きています。だから、”なんとなくそうなるかも”ぐらいの気持ちで書いていますが、現実にはまったくゼロ状態なのですね。

 それでいて、また、”自然に還ろう”なんて思っていたりもして、どうも分裂的ですよね。

 人生は不思議なものだと今は感じています。宿命と運命、それらの流れを感じずにはいられません。

 そう、本当に今回の文章には”あなた”が表れて有ったと感じるんですよね。今まで心の規制により表に出せなかったのかもしれませんね。

 忘れてないで欲しいのは、いつでもあなたにも自然は微笑むということと、僕も遠くであなたの足取りを聞いているということです。

投稿日時 - 2009-03-17 02:50:09

お礼

kumosukeさんこんばんは。
また時間が空いてしまいすみません。
まだ夜は寒かったりしますが、最近は春の訪れも感じられますね。
季節の変わり目は嬉しいようなでもとても寂しいような悲しいような気がします。
kumosukeさんはいかがお過ごしでしょうか?
私はやっぱり悩みや問題は抱えていますが、前よりはずっと軽やかな気持ちではあると思います。
今までも本を読む等はしてきましたが、自分で字可能性を否定しすぎて実際に新しいことをするということが全くなかったように感じます。
今は色々なことに対して取り合えずくらいの気持ちでやってみようとは思えます。
でも、今感じている軽やかさというのは本当に心が開放されたという部分もあるとは思いますが、何か前に目的を見つけることによって自分から目をそらしているからなのではないかとも思います。
そして、思うのは多くの人はそうやって老いていくのではないかということです。
それも疑問に思うほどの暇がないほど色々な物を見つけてきて熱中出来たり、もしくは少し疑問に思ったところでまた新たに目標を見つけ目をそらしていくことで幸せなのかも知れないけど、私は自分がそれに適応しきれないような気もします。
私がプラスの感情を上手く表せないことについてのkumosukeさんの見解その通りだと思います。
自分でも薄々気付いていたけれどもそれを受け入れたくなかったので明確に言語化できるレベルで意識することは出来ませんでしたが。
それとは少し異なるとは思いますが私は潔癖気味で人の飲み食いしたものに対して不快感を強く感じたり、大抵の人に対して触られるのはもとより近くにいるだけで嫌で嫌で仕方ないというようなことがあります。
それで随分前まで何故多くの人は潔癖ではないのかということについて考えていたんですけど、ある時汚いと感じているのは他人ではなく自分自身だったのではないかということや、他人はその人自身を受け入れられているから自分以外に対して潔癖にはならないのではないかということに気付き愕然としましたが、考えれば考えるほどそうであるように思えてなりません。
きっとそういうことなんですよね。
kumosukeさんの意見を聞いて、潔癖症気味のことを思い出し、それと繋がってきっと私は全体的に自分を受け入れられていないのだなということに改めてというか明確に気付くことが出来たんだと思います。

投稿日時 - 2009-03-28 00:39:23

ANo.167

もうひとつ、僕が今感じているあなたへの感慨を述べておこうと思います。これはあなたがあなたという人間を知りたいと言うものへの僕からの今の時点でのアンサーとなるものと言えると思います。

 まず、あなたはこの僕でも捕まえられない人だと感じます。なんと言うか、他にはなかなか見られない大きな心の翼を持たれている印象を受けるんです。心のスケールが大きいと表せると思うんです。それには、苛立ちを感じることもありますし(捕まえられないからですね)、羨望を覚えることもありますし、心地良さを感じることも多いです。

 たとえば、”苛立ち”だけを抽出するとですね、たぶん他の人があなたを見る場合、ここで止まることが多いと思うのですが(心の使い方が一般の人は小さいですし、物を見る枠が小さいからです)、それだけですと、あなたに対してネガティブな言葉を発したくなるものなのです。こういうことはあなた以外の人間においても有る情況でして、そういうものは普通にある現象ですので、それは受け止める以外に無いとお思い下さい。でも、お感じになられていると思いますが、僕からすると、それはあなたに対して感じるごくごく一部の感情であり、概ねにおいては良い印象であるのです。そう、むしろ好感を覚える部分多い人であるのです。

 僕は以前にも触れたと思いますが、学校社会というものは、人を見るに際して、また人をその中に置くに際して、小さい枠の中に置くぐらいの器しか有しない面が強く有ります。ですから、学校社会というものをあなたはこれから飛び出して行き、新たな”社会”というステージに立つわけですから、そこにおいては”あなた”という存在性はよりスムースに受け入れられる面を広く持つ可能性を有していると思います。

 ただですね、社会においても会社という枠が有ります。会社によってはその枠が学校社会並みに小さかったり、それ以上に小さいところも多々見受けられます。ですから、”会社に入る”というスタンスを取る際には、そこら辺も鑑みて見て行く必要があるとは思うんですよね。でも、それも経験して認識を深めないと判別するのは難しいかもしれませんし、そうでなく、今でも強く見受けられるあなたの直感性によってそれを見抜くことも可能なのかもしれません。そこはあなたならぬ僕にはわからぬところなのです。

 そして、もう一点、心の翼が大きい人は、異性を選ぶ際には、その大きさに見合った人でないと付いてこれない面を有するものです。異性との関係性において相手に望む要素というものは、各人の性質、気質によって様々です。男と言うものは基本的に女を下に従えたい心性を備えますから、そこら辺に難しさが潜んでいるかもしれませんね。僕もあなたに対して苛立ちから、あなたの付き合ってきた男性たちと同じ言葉を投げかけてしまいましたよね?それはもうあなたを捕まえられないという苛立ちからも来ているものなのです。そこで心配が急に高まるかもしれませんが、ここでもうひとつ留意する点がありまして、それが何かと申せば、世の中には色んな男がいるということです。世の男の中には、そういうあなたの心の翼の大きさに戸惑わない類いがいるものなのです。そういう人を探してみても良いのではないかと思うのですね。

 僕は再三再四、あなたはまだ知らないことを多く抱えていると述べてきました。今でもそれを感じますし、ですから、まだ知っている枠は年齢なりのものだと思うのですね(ですが、他に比べると、あなたはその年齢ではかなり良く知っている方なのですけれどもね)。まぁ、なんでしょうか、人生において知り尽くすということはないとも言えるものでありまして、常に”知らない”という部分が存在するのが人の生というものであると言えるのですが、まぁ、それは置いておいて、今のあなたの知る範囲で全てに絶望する必要性はないと思えるのですよね。部分的には絶望を抱えているとは思うのですが。まぁ、その絶望の内にも、実は希望がある面が有るとも思えるのですけれども。

 僕はその様な目で今あなたを見ているということを、あなたがあなた自身を知りたいというものに対するアンサーとしてここに残しておきたいと思いましたよ。

投稿日時 - 2009-03-05 09:57:35

お礼

kumosukeさんこんばんは。お礼遅れてしまいすみません。
遅くなりましたが、就職おめでとうございます。

旅行は沖縄ではダイビングの資格を取りその後もほぼ毎日ダイビングをしてとっても楽しかったんですが、関西で人の多さに嫌になり帰ってきました。
でも前よりは自由になれた気がします。
kumosukeさんは自然が私に微笑むという表現をされていてその通りだと実感しましたが、同時に人と上手くコミュニケーションが出来ないということも痛感しました。
ダイビングをしていて改めて気付いたんですが、人に対して自分の気もち、特にプラスの感情を上手く表現できないんです。
意識するとすごく上手く出来ますが自然には難しいみたいです。
コミュニケーションにおける失敗をもっとすべきということについても考えたのですが、自然なコミュニケーションが上手い人と言うのは積極的に人と関わっていて、それでますますスキルが磨かれていくという感じですよね。
でも最近気付いたのですが、そのような人でも必ずしも最初から相手に受け入れられているわけでもなく、相手側が始めは迷惑そうだったりしても徐々に受け入れられるっていうプロセスがあったりもするんですね。なんだか驚きました。

こう書いていて言うのもなんですが最近私は人と関わりたくないって思うようになってきました。
自己中がひどくなってそう感じているのかもしれないけどそれだけじゃない感じです。
異性にも恋愛にも全く興味はありません。
自由になりたいんです。今の私にとっては今まで以上に自分が全ての対象で目的なんです。
今はきっと今まで以上に我儘で自己中だけどすごく伸び伸びと生きているんです。
このままずっといられたらって思います。
それが続かないこともなんだか知っていますが。
そしてさっきと矛盾している様に感じられるかもしれませんが、この状態で人と接したら上手くいくんじゃないかとも思います。

何が言いたいのか良く分からなかったと思います。でも驚くほど素直に表現できたように感じています。

あと私の話ばっかりで自分の立場からしか話せなくてごめんなさい。
この前就職なされたという内容にお返事でませんでした。
良かったと思いつつも自分のことばかりに夢中で伝え損ねてしまいました。
投稿した後で気付き反省しました。
そんな私なのにこの様に付き合って頂けている事に感謝しています。

投稿日時 - 2009-03-17 00:32:53

ANo.166

 ちょっと書き足したいことがあるんです。もうちょっとお付き合いくださると嬉しく思うんですよ。

 まずは、僕の癖を申しておきますね。僕は偏屈というか、天邪鬼というか、照れ屋とも言えるのですが、先にあなたが言ってくれた言葉、引用しますね、

>またkumosukeさんから回答がきて見捨てられるという気持ちが誰に対しても大きいので複雑な気持ちにもなりましたが、それ以上にまたkumosukeさんと繋がれて嬉しいというか安心というような気持ちが大きかったでよ。
ありがとうございます。

 こんな風にあなたみたいな女性から言ってもらうと、恥ずかしいやら、照れるやらで、ごまかすような文章を書いてしまうんですよ。だから、悪気はないので、文章を冷たく感じても、こいつは照れているんだと見てもらえると嬉しいです。

 それとね、あなたのような状況から”ありがとうございます”なんて言われることは、それは本当にあなたの状況を思うと、大変な言葉を頂いてしまったと感じるんですよね。あなたの苦労、あなたの苦しみを思うと、その気持ちからその言葉が発せられたと思うと、さらにあなたの痛みを感じたりもし、そして、こんな僕でしかないものがそんな言葉をもらってしまって、本当に申し訳ないような想いになるんです。辛い中、頑張ってきたんだなって強く感じてしまうんですよね。

 加齢による容貌の衰えを怖がる面に関しても、色々な例を挙げることができるのですが、簡単に並べますと、芸能界におけるエイジングであったりとか、韓国の男性の心と顔の深みであるとか、色々あるのですが、それを書くとまた長くなってしまうので、そうなるとまたあなたも負担に感じられるでしょうから止しておきますが、僕から言えることはですね、人間というものの容姿には、その人の”今の有り様”が乗るんですよね、これが大変にその人の魅力を左右するものなのです。精神性が乗ると言っても良いかな。それと、顔の表情の推移の仕方に、その人の精神の豊かさとか内容が乗るんですね。人間はこれにも強く反応しているんですよね。だからですね、基本的に加齢による容貌の衰えというものへの恐怖の本体とは、サスペンスとか、ホラーとかのキー要素として用いられるものからとか、メディアに載る不安を煽っての購買意欲を喚起させる仕組みによる影響のものが大きいんですよね。最近、面接を受けた発達障害児への介助の仕事の担当の人と、二人して「(親が)テレビを見なければいいのにね」ってなってね、そうすれば子のあるがままを受け入れるのは容易くなるのにねって語り合っていたんですよね。

 あなたは今綺麗なら、それは元々容姿のラインが綺麗な素質の人なんですよ。ならば、これからの加齢によって失うのではなくて、より色々な得たものが加わって行くということでして、それにより魅力を増させるものだと思いますし、あなたを愛する人たちはあなたの加齢による容貌の変化すらも愛おしく見るものなんですよ。

 僕は50歳の知り合いの女性を可愛いと感じていますし(彼女は僕を尊敬しているみたいなので、より少女のように振舞うんです)、70近い知り合いの女性を綺麗だなぁと感じて見ています。

 そういうものなんですよね。

投稿日時 - 2009-03-01 08:42:45

ANo.165

 お返事を頂けて嬉しく思います。まだ、お返事を頂ける立場なんだなぁと、それを許される立場なのかと、申し訳なさとか、ありがたさとか、色々な気持ちが起こります。

 OKWaveもユーザー数の増大に伴い、それと僕の参加していた頃から比べるとインターネットの利用人口も膨大に膨れ上がったために、システムとしての融通性=人間味を失いつつありまして、また、いちいち規約を気にするような内容でない記事まで削除されてしまいました。ここ数年のインターネット環境のロボット化は激しく、正直疲れるものを覚えます。ですが、これはあなたに対してではないということは、一応加えて添えておきます。この一文で被害意識が広がってしまう危惧を感じる部分も置いておく必要があると感じるからです。



 実は、僕も病中に海やら山やらに行くと、病が嘘であったかのようにエネルギーが湧いて来て、日頃のあれほどの憂さや辛さが薄れて、自分でも内心驚き続けていた体験があります。そこで僕は思うのですが、空間とか地場というものにある縛りというものは、やはり都市ゆえにというのもあり、大きく作用するものなのではないかと思いに至るのです。関連性と関係性の呪縛というものは、住んでいる土地という空間において大きく発生するものであるということになるわけです。

 ”自然”とは、そこに居るのが何者であろうと、それを問うことはなく、それで変じることも、転じることもない存在です。すべてに等しい存在と言えるでしょう。僕がアニミズム的な思想を根付かせた理由の一端はそれなのかもしれません。

 そんな難解な話に関わらることなしに、あなたがそのような旅において良い気持ちを得られていることを知り、それだけで嬉しく感じるものが自然と湧き起こりました。あなたの生きようとする気持ちが積み重ねられていることも知る思いとなります。良かったです。



 僕は思います、あなたはあなたを周りの人が受け入れる要素とは外面的な魅力であると、やはりそれしかないという想いに囚われているのだなと。でも、以前もちょっと触れましたが、あなたはその思考においても十分に魅力を感じますし、その、なんでしょうか、まぁ、あれです、酒の飲み方というものにも可愛らしさを感じられたものです。

 それと、正直に申し上げていることなのですが、ここであなたに回答を付している人々と比べても、周りで暮らしている人々と比べても、あなたの精神的な努力は相当のものであることを僕は知ります。僕は先を歩む人間ですので、それをはっきりと知ります。

 僕はここにおいては文章という存在でしかありませんので、あなたが僕の言うことを自分の自己受容を感じるほどには大きくは受け止められないと思いますし、それはあなたがどう言おうと、僕からすると現象としての真実ですので、そこにおいてあなたに何らかのそのような助力となる存在性が現実に生じることを願わずにはいられません。あなたはゆっくりと、依存ではない、穏やかな距離有る受容と、そして”他人(他者)”という距離による突き離しを、繰り返し重ねて経て行く必要があります。僕は今過酷な人生を必死に切り開いているところですので、大きくあなたを助けることは適いかねるものです。ですが、見捨てる気持ちはありません。あなたも愛犬に対して強い責任感を感じずにはいられなかったでしょう?僕も人にも犬にも同じ様に、幸福を願ってしまう主体であるのです。もちろん、あなたに対してはそれだけではありませんよ。同じ様な道を経て苦しんでいて、関わりを持ったものですから、つまり、あなたの心の経緯を感じてしまったのですから、放ってはおけないものです。ですので、あなたに現実における様々を経ていく中での助けとなる存在性が生じることを、心から願わずにはいられません。


 あなたは”生きる”ということに対して懸命に取り組んでいると感じますし、賢明な対応を経ていると感じます。

 それはここからも大変に強く感じました。引用しますね。
> でも旅行をしてて気づいたんですが、今は生きたいとも思いませんが死にたいとも思わないので、きっと私は今までも本当に死にたいって思ってた訳じゃなくて、生きる苦痛を感じ過ぎていてそれを和らげるためには死しかないと思い至ったんだと思います。


 ただ、もう一箇所、いつも気にしている部分に触れましょう。ここです。
> お返事書こうと思ったけど今はこんな感じでよく分からないんです。

 ここなんですよ。これがいわゆるあなたの思考と言うか、生きる上でのスタイルのような、癖のようなものなのです。実は、この癖はあなたに限らないものなんですよ。

 ”言葉”で”表現する”ということに非常に綿密に正確に成さないとならないという感覚の上に居られるのです。これはあなたへの批判でも否定でもないんですよ。それは気にしないで欲しい部分です。

 それはこの一文一回答という形式故にも強化されている部分だと思えるのですが、あなたはもっとコミュニケーションにおいて失敗することを受容される必要があると思うところですし、”上手く伝えられなかった”とか、”いい加減な話し方になっちゃった”とか、”適当な表現となってしまった”とか、そういうことを重ねに重ねて行く必要があると思うんですよ。そういうことを普段から重ねているという状態が、ノーマル・コミュニケーションだと思って良いんですよ。

 でも、申し加えておきますと、あなたのそこへのこだわりという癖は、転じれば美点ともなりますし、大きな長所ともなりますし、大きな得手なるものと化す部分でもあるんです。それをあなたはこれから段階を経て、順々に、その人生において知って行く必要があると思うんです。そういう機会を得て欲しいなと願っているのですね。

 見捨てられるという気持ちの大きさに複雑になったと聞き、僕の犯したことの大きさを改めて知るのですが、また、今のあなたの心の状態をまた知る感を得るのですが、そこに対して、また言及を行ないますと、あなたは関係性にを順列に沿って育むと、どうしてもそこが浮上するということになるのです。ここをゆっくりと時間をかけて、あなたとは見捨てられるような存在ではないんだということを知って行く必要性もあるのです。

 ごめんなさい、必要、必要、必要性、必要性と、重ねて書くと、それこそ強迫的な感慨を持たれて、それに縛られてしまいそうなものとなりもしそうなものでして、申し訳ないのですが、あなたにはきちんと、苦労は経ることになりますが、生きて行く道があるのだということを示したかったので、このような書式とならざるを得なかったのです。そこは理解を深めて、重ねて行ってもらいたい部分です。

 僕のがあなたに伝えていることは、つまり、そのアウトラインたるものがなのですが、桜井章一という方がその自著において書かれていることと、失礼ながらもとなりますが、非常に近似する部分があるのですね。特に最近に刊行された”見えない道の歩き方”という本は、内容的にとても僕の感と深く重なるものです。文章形式は、口述式ですので、あなたの状態でも読み易いと思います。一人から、大事を得ることは、やはり対象依存を大きくするものですし、似ていて、それでいて非なるものを経ることは、大変に意義深いものです。読書と言うものは、一冊に何年かけても良いものでして、それで他の人よりも読感において勝ることもあるものですから、是非、時間をかけて読んでみて欲しい一冊として伝えたく思いました。

 一報を聞けて、大変に喜ばしく感じられております。今回、お話を聞けても思うのですが、あなたにおいては実に今までの経過の結実が有ると知るばかりとなります。ですから、プロセスをきちんと重ねて行けば、人間としての大枠としては、周りと比べてもなかなか大したものだという存在になれると思います。ですから、気になるところは、やはり、あなたが大きく気に病んでいる部分をどう埋めて行くかということになりましょう。
 
 でも、思うのです、あなたにおいても自然は微笑みかけたのですから、あなたの感性はかなりしっかりとしているということを。これから必要なことは、あなたのその内に有る大きな価値を見つけてくれる人や、理解してくれる人が周囲に現れてくれることでしょう。でも、一気に距離近い存在が現れると、あなたも依存的な形に苦しむのではないかと思うのです。相手が嫌になっても離れられないとかは、やはり辛く苦しいものです。でも、依存的であっても、大枠では許せるなと、そう思えるような感慨が生じてくれれば、そのような形のおいても、近い距離での交際を経ることも大丈夫だと僕は思うのですよね。人に完全はありませんから、それを思えば、依存が駄目!という形を念仏のように唱えて,それにそのままに従うというのも、阿呆の愚挙のように思えてならないからです。人間は”経る”ことで、その本質を知る存在ですから、色々をできれば危険とまで行かない形で経ていくことがとても大事なのですよね。

 ですから、あなたにおいても、あなたの幸せの形があるのだということを信じてもらいたいと思うのです。信じられなくなることも多々現れてくると思うのですが、その度にまた再起して、また、不振に陥って、でも、また、それでも再起して、ということを繰り返すと思うのですが、そうして歩んで頂ければ、いずれ、あなたは逞しく強く社会を生きる自分を見出すことと思うのですよね。そのとき、周囲もあなたの素晴らしさを知り、自然とあなたに近付いてくることと思うのです。


 また、長くなってしまって、すみません。どうしても伝えたいことがたくさんあるものですから、簡単には行かないのです。また、たくさんを詰め込んでもらって、時間をかけて、あなたの中で熟成させてもらいたいと思うものですから。

 一声を聞けて、大変に嬉しく思いました。あなたは一人でこの世にあるわけではないことをお忘れにならず、これからも歩み続けて欲しく思います。僕は耳には届かぬあなたの足音を聴いて、日々を過ごしておりますから。

 石垣島と八重山諸島ですか、素敵ですね。あなたの目でちらっと旅行をした気持ちになれました。

投稿日時 - 2009-02-28 23:53:20

ANo.164

自分でわかっているなら変えないと何もかわりません。
犬相手じゃしょうがないよ。
結局は人とのつながりがないと、生きてはいけないのです。
少しでもいいから、人の行動をみて気を利かせる人に
なることです。何気ないやさしさをひとにほどこしましょう。
そこからです。
自信がないのはあたりまえ。何もしていないようですからね。
あせらず、良い事をしていきましょう。

投稿日時 - 2009-02-28 22:37:15

お礼

御礼遅くなってしまいすみません。
時間がたって色々なことがあったので今は質問した時やとても悩んでいた時とは気持ちが変わっていますが、今の現状としては今までのように悲観的な視点からの発想からだけではなく、もっとプラスの方向からも人と関わりたくないなって思ってます。
しかし、きっと人と関わりたくなることがまたくるかもしれないし、人と関わることは必要なことなのかもしれないし、自分をより豊にすることにつながるのかもしれないとも思います。
気を利かせるのも優しくするのも上手なんですが、上手なだけなんです。
実際に他人からもよく気が利くとか親切とかも言われます。
しかしそれらを本心からの働きからすることが出来ないというのが私の問題の一つでもあるんでしょう。
misaemasaさん、そこについて改めて気付かせてくれてありがとうございます。
何となくは分かってはいるけど明確には受け止めていない事実やそれに対する対策というのをmisaemasaさんからのアドバイスで考え直す良いきっかけになりました。
どうもあるがとうございました。

投稿日時 - 2009-03-24 04:55:43

ANo.163

 こんばんは、お元気でお過ごしでしょうか。

 僕の方は、今、そこそこの幸せを得られるヒントのようなものを得たと感じていますよ。いつもそうなんですが、文章に表せば簡単なのですが、実際にはなかなかに伝えづらいものなのですが。

 ひとつ今有るのは、昔、北海道は札幌の地で過ごしていた頃のような感覚を、今、東京の地において得られるようになったということでしょうか。

 僕は幼少の頃から辛い想いを抱いて過ごしておりました。札幌の地に移り住んだのは5歳かな?それから13ぐらいまで住んでいました。札幌は知っているかわかりませんが、冬には気温が0度を下回ります。大変に寒くなります。ですが、その大変な寒さこそが身も心も引き締めてくれ、苦しさ、辛さが有りながら、生きる強さを持てたものでした。また、札幌は関東と比べると遥かに夜空が真っ暗でしたから、そこに光る星ぼしや、その合間に有る何処までも深い夜空の闇を見つめると、生きる強さをもらえたりしました。

 東京にはそれらはありません。でも、東京にも月が有り、風が有り、花が有り、雲が有りなのです。それらをよりダイレクトに心で感じられるようになって来ているのですね、今は。そうすると、辛さ、苦しさ、絶望を抱えていても、強く生きられるようになるのを感じています。そして、なんとなくの幸福も間近く感じられているような気がしているのです。

 そんな感じなんですね。

投稿日時 - 2009-02-22 22:35:23

お礼

お久しぶりです。

私は今とっても暖かいところにいます。
一人旅をしていて今は石垣島を拠点に色々な島に出掛けています。
ずっと避けてきたので旅行なんてもう10年振りくらいです。
これから沖縄本土、関西方面等に行くつもりです。
石垣島を含む八重山諸島は春~夏にかけてみたいな匂いがして空気がゆるやかで時間もゆったりと流れてて気持ち良いです。
非日常で生活には関係ないし極めて自由だからか今は悩みもほとんど感じません。
きっとまた現実に直面すると悩むのかもしれませんが。
今は悩んでいたことが嘘のように感じます。
今も醜くなることや老化は本当に怖いですが、緩やかな恐怖と申しますか醜くなることに対し今までのような絶望的な感情は抱いていません。
単に思考力が低くなってるからかもしれません。
お返事書こうと思ったけど今はこんな感じでよく分からないんです。
でも旅行をしてて気づいたんですが、今は生きたいとも思いませんが死にたいとも思わないので、きっと私は今までも本当に死にたいって思ってた訳じゃなくて、生きる苦痛を感じ過ぎていてそれを和らげるためには死しかないと思い至ったんだと思います。
よく分からない文章だし、お返事にはなっていないて思いますが、またkumosukeさんから回答がきて見捨てられるという気持ちが誰に対しても大きいので複雑な気持ちにもなりましたが、それ以上にまたkumosukeさんと繋がれて嬉しいというか安心というような気持ちが大きかったですよ。
ありがとうございます。

投稿日時 - 2009-02-27 09:33:57

ANo.162

 生き残る技術のヒントのようなものを置いておきましょう。

 僕はここ半年あまりの苦難からの心労の積み重ねにより、それ以前のパフォーマンスを発揮できなくなっています。脳がオーバーヒートしているような状態じゃないでしょうかね。

 では、本題に入りましょう。

 仕事の話なのですが、仕事において、内容が拙くてもお客さんが喜んでくれる仕事の行ない方がありますが、あなたは知っておられるでしょうか?

 それはどうするかと言えば、ヒントは、職場の掃除、雑巾がけ等を、四隅まで綺麗にする心で、スピーディーに行なう心により、成せると言えます。

 仕事の充実は、生きる力を与えてくれます。

 以上です。

投稿日時 - 2009-02-14 10:35:22

ANo.161

初めまして。
投稿日から随分の時が経っていますが、その後良い時間を過ごされてるのでしょうか?

lovbeticoさんへの相談や、皆様への返答を読んで思ったのですが、
lovbeticoさんは、自分の嫌なところをご自分ですでに十分分っておられるように感じました。
それを書き出してみてはいかがですか?
失礼な言い方で、気に障ったなら大変申し訳ないのですが、
皆様のアドバイスに対して、言い訳ばかりしているように思います。
ご自分を否定していらっしゃるのか、ご自分を信じていらっしゃらないように感じました。
そしてまた、他人からどう思われるのかをとても気にしていらっしゃるようにも感じました。

頭で考えていても、自分が本気で変わろうと思わなければ変われないと思います。これは出来ない、自分には無理だと端から否定してばかりいては何もかわりません。今の状況を本気で打破したいのでしたら、失敗覚悟で変わる努力をしなければいけないと思います。失敗無しでオール満点で成功を手にする人はこの世の中にいないと思います。

まだ、本気が足りないのではないですか?もしくは、楽して上手く行かないか自分以外に期待しているのではないですか?
自分は変わる努力をし尽くしたけれど変われなかったと自信を持って言えるほどの努力をしましたか?

どこか煮え切らない気持ちをお持ちでいらっしゃるのではないでしょうか?

あなたのダメな部分はあなた自身がすでに誰よりも良くわかっていると思いました。それを書き出して克服するよう行動を起こしたら絶対に変われると思います。

プライドが邪魔をするなら、勇気を出してプライドをご自分で根底からぶち壊して作り直さないといけません。人の目を気にするのではなく、自分のなりたい自分、自分の幸せ、楽しみなどをご自分で見つけ出さなければなりません。

本当に魅力のある人とは、誰がどう言おうと自分はこう考える!という明確な考えを持てる人だと思います。人に流されていては魅力なんて誰も感じないと思います。今自分に足りないことが分っているなら、それを身につければいいじゃないですか。そんな頑張っている自分を褒めてあげたらいいと思います。賢くなりたいならそうなれるよう努力が必要です。

棚から牡丹餅なんてめったにこないのです。待っていても何も変わらないし、誰かが自分を代えてくれることを期待してばかりいても、努力をしていない人を助けたいと思う人はいないと思います。
あなたが変わりたいと思ってここに書き込みをしたから、たくさんの人があなたの気持ちに動かされて、あなたの助けになれば良いと自分の経験なりアドバイスをあなたに贈ったのだと思います。これはあなたの力です。
これからも、そうやってどんどん変わっていけば良いのではないでしょうか。
あなたが変わるための中心にいるのはあなたご自身なのです。
天は自ら助くる人助くという言葉がありますが、努力なしでは何もかわりません。
次は直せそうなことから、直していくよう自分に渇を入れ重い腰を自分の力であげることです。
あなたが頑張ろうとするなら助ける人は必ず表れるでしょうし、そんなあなたの内面に惹かれる人も表れるはずです。

大変なことではありますが、心から変わるためには、まずは今ある自分の固定観念を自分の力で根こそぎ壊し、自分の好きな形に再構成するしかないと思います。それが出来ないと変わることはいつまで経ってもできないと思います。

恐怖心には自分で立ち向かって行っていって、体験しない限り乗り越えることはできないと思います。
乗り越えると以外に大したものではないことだってあります。

就職活動の時期には、たくさんの人があなたのような自分への自信喪失や人間不信を味わいます。私自身もそうですし、私の周りにもたくさんいました。でも、それにより得るものもあり、成長もります。強くなるのだと思います。

今は大事な時期だと思います。

そして、私自身もとても消極的で、自分に自信がなく、あなたのように人と上手く話せなかったり、浮いたことを言ってしまったりすることが怖くて、たくさんの人といても自分の空気を消してしまう傾向がある人間ですが、最近になって、甘ったれた自分に気付き、やっと変わり始めたところです。

友達がほしかったら、新しい場所に積極的に参加したり、ここで書いたような自分の本音や本当の自分をさらけ出してみてはどうですか?

表面だけ繕って良い顔している人って、他の人もそういうのを感じますし、いつまでたっても深く付き合う気にはなれないと思います。
誰かと深いお付き合いがしたいなら、まずは自分から腹を見せることです。
人にしてほしいことはまず自分が相手にしなければなりません。

自分のことを空っぽだという人と、あなたは対等な人間なんです。決してその人より自分を下の人間だと思ってはいけません。そんなことを言う相手の人間性を疑っても良いのです。もしかしたら、他の意図があったのかもしれませんし、自分の頭で考えなければなりません。自分を誰かより下だなんて思ってはだめですよ。

本当の自分をさらけ出せば良いと思います。それで去っていく人はそれまでなんだと思います。その代わり、そんな自分を受け入れてくれる人は大切にしてください。そのほうが本当に大切な人がはっきりわかって良いと思います。

いつもでも自分を殻にで覆っていては、自分自身が大事なことに触れることが出きず、損してしまうと思います。

あなたに言っているようで、私も自分自身に言い聞かせています。
私は無知な自分を認め、受け入れ、それを隠さずさらけ出すようにしました。
プライドも知ったかぶりも無しで分らないものは分らないと正直に言うようにしました。
そしたら、やっと自分自身で、多くのことを経験し、考え、知ることが出来るようになりました。生きているんだと実感することが多くなりました。

とにかく、意を決して、嫌なところでも認めなければならないところは認めてください。そして、変わる努力をしてください。口先だけで自分を否定するのではなく、人にも見えるような具体的なかたちで努力を始めてください。
あなたはもう十分に直したいところをわかっていらっしゃると思います。後は直していくだけだと思います。失敗だってあるかもしれませんがそれは先にある成功への力になるはずです。

「できない」で考えをストップしてはいけません。では、どうしたらできるようになるのか?出来る人は何をしているのか?何が違うのか?なぜ出来ないと思い込んでいるのか?どういう方法があるのか?など常に疑問を持ち解き明かす努力が必要だと思います。諦めた時に終わるのです。諦めの終止符は自分で打っているだけです。まだいける、もっと先をみたいと思えば自然にその方向に向かって進むことができるはずです。その第一歩があったんだから、次のステップも踏めばいいじゃないですか!

自信は突然に得られるものではなく、努力や結果に追随して付くものです。
何事においても0から1にする最初の一歩は大変労力がいるものです。
ピアノの練習や、テニスやスキー、将棋だって、最初にやり始めたときが一番苦痛で大変なものだと思います。だから、そこで諦めてしまう人は多いです。
だけど、それを乗り越え、慣れ始めた時にやっとその楽しさに気付くものです。

だから、最初は辛くても続けてみてください。
どうにかしたいと頑張るあなたは素敵な方だと思います。
あなたの人生が楽しく幸せなものになることを心から願っています。

長くなり、失礼があったり、読み辛かったらすみません。

投稿日時 - 2008-12-29 18:56:36

お礼

お礼遅れてしまい申し訳ありません。

全く失礼なんてありませんし、言ってることも的を射ていると思います。
私は他人の目線が気になり迎合する傾向があるとは思いますが、そうじゃなくて本当に思ってます。
昔悩んでいたので自己アサーションというものに取り組み自分について書き出したところあまりに酷くて絶望的で無理でした。
でもきっとそういうとこでの踏ん張りが大事なんでしょうね。
今の自分にも問題意識を感じていますがそれを治すのも怖いっていうのが私なんだと思います。
だから他人からの意見に対しても否定的なんだろうと思います。
逃げなのかもしれませんがそれらについて混乱していて何が何だかわからなくもあります。
自分でも自分が逃げてるのも薄々わかっています。
でも分からない。
すごく混乱していますが、仰ることは確かだと思いますし、それを他人からの意見として聞けたこともありがたく思います。
はっきりと言って頂きどうもありがとうございました。
本当に感謝です。

投稿日時 - 2009-02-25 21:59:47

ANo.160

ふと立ち寄って、同じような悩みを持っている人だと思ったので
書き込んでみました。
まだ大学生ですから、これからだと思います。私はあなたのような
時期が30歳まで続きましたから。もう絶対本当に人を好きになる
事もないし、好きになってくれることもないと思っていましたが、
一人の男性に救われました。その人はお付き合いしたわけではないの
ですが、マイナス思考の私をちゃんと見てくれた人でした。
相手に良く思われようと思わないことです。自分は自分。
等身大で居れば、今のあなたを選んでくれる人は必ずいますから。

自分が空っぽなら、空っぽでないように、大学だけではなく、
社会人になっても勉強してこれから見つけていけばよいと思います。
私はいまだに見つかってませんから(笑)でも、あらゆる興味が
あることにチャレンジはしていますよ。チャレンジしていくと自信
にもなります。

頑張るというよりは自分自身をしっかり見てあげることですかね。
本当のあなたは今の状態では終わらない人です。

投稿日時 - 2008-12-29 17:01:09

お礼

お礼遅れてしまい申し訳ありません。
同じような悩みを持っていたとのことですがfukurow3さんは素敵な方だなって私は感じました。
興味の持ったことに次々にチャレンジするって結構難しいことで出来ない人も多いのにすごいと思います。
なんか上手く伝えられないんし言葉にするとこんなことしか言えないんですが励まして頂きありがとうございます。
私も少なくとも考え方とかだけでもfukurow3さんみたいになれたらなって思います。
回答どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2009-02-25 21:38:02

ANo.159

こんにちは、はじめて回答します。
4月の投稿(質問)から8ヶ月が経ちますが心境など変化はありましたか?少しでも良い方に進んでいれば良いなと思っています。
さて、4月の質問への回答です。

質問者様は、人と接するのが苦手、自分は空っぽと仰っていますが、
沢山の長文の回答へも丁寧にお返事をしている様子に誠実な人だなと思いました。
まだ大学3年じゃないですか。「自分にできる事」をこれから築きあげていく手前です。まだまだこれからです。
職場でうまくやっていけないのではと危惧されていましたね。
仕事はクラブ活動ではありませんし、人間関係が上手なことに越したことはありませんが楽しい人間関係が一番ではありません。
仕事に誠実であること、そうしていれば自ずと認められます。
貴女の誠実な回答には、全然悪い印象を受けません。
今の自分でもまんざらわるくないなと思っていいと思いますよ。

あと、どんな時でも大切な事は、『笑顔で「おはよう」(^O^)/』です。これは魔法の言葉です。
面倒だなと思う人がいたら、それこそ試して見て下さい。
返事がなくても気にせず何度も何度も試して見て下さい。
人間関係めんどくさいですよね。でもコレができれば大丈夫です(^-^)v

投稿日時 - 2008-12-22 21:44:00

お礼

お礼遅れてしまい申し訳ありません。
久しぶりにサイトを見たら沢山の方からアドバイス頂いていたみたいでびっくり&嬉しかったです。
仰ることですが、私は人とうまくいかない、嫌われると言うよりは溶け込めないというか浮いてしまうので自分が挨拶したら変なんじゃないかとか思って挨拶も上手く出来ていないと思います。
きっとそういうところから大事なんですね。
来春から働きだしたら出来る限り挨拶くらいしていこうと思います。
参考にさせてもらいます。
どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2009-02-25 21:14:42

ANo.158

http://jp.youtube.com/watch?v=duaZm5ML2MU

http://jp.youtube.com/watch?v=7yfCodbbdIg

http://jp.youtube.com/watch?v=fIbT_U5IgkY


上記URLは、身体論と、僕の回復と生きる軸となったもの、なっているものに関してのもので、YouTubeで映像のクリップを用いて述べておいたものだ。

 今のあなたの状態では、見るのも、そこから汲み取るのも大変かもしれないが、これは僕がYouTubeアカウントを消さない限り残るし、YouTubeが存続する限り残るので、いつでも見れる参考資料のひとつとして置いておいてもらえれば良いのじゃないかと思う。

 コメント欄に僕の経緯と、その身体論の関係が書いてある。身体論自体は映像で両氏が語っている内容で理解できる。

 実は僕もここの一問一答形式が苦手でつらいと感じる人間なんだ。だから、あなたに何度も見せたように取り乱して苦しんだりもする。

 先に挙げた彼女も、メール形式の相談なんかしたくないのだが、仕方なくしている感じだ。でも今は彼女にとっての成長の限界がきているので、もうあんまりしたくないし、今は断っている。それがなぜかと言えば、彼女は都合の良い距離に相手をコントロールして置くことで、自分の世界を維持しようとするタイプの人間だからだ。だから自分の好みのものばかりを採取する感じとなりがちなんだ。彼女の問題の核の部分には、それに触れるには自分の壁を突破するという労力が要るので、彼女は逃げ回り触れようとしないし、彼女はそこですぐに防御に入る。逃げ場が彼女にはあるし、彼女は自分で逃げ場としての人間を巧みにコントロールして作り配置していき、同時に圧を感じるものは排除するし、つまり本質的な関係ではない頼れる存在を、つまり一時的な存在性でしかないものを、自分で作って行く人だからだね。だから、その壁を破るには、彼女が現実に帰る覚悟を固める状況が訪れないと成らないんだ。

 あなたは彼女に近似するものを感じたようだが、あなたとは性格を異にするのものなのだが、今のあなたにそれが見抜けるかは、わからない。言ってみれば、その違いを見つけられるようになるという部分の取り組みができれば、また視界は広がるということだ。

 という訳で、すまないが、また材料を残しすけれども、僕がここに残ることは無い。ネットコミュニケーションは大きく限定的で大きく部分的であるために、そこでの擬似的な関係性にハマルと、気付かない内に現実の自身が崩れていることになるからだ。だから、僕は現実の関係に活路を見出して行く。

 僕とあなたの間で力量の差があるのは当然で、それは僕があなたとの年齢差分長く生きているからだし、僕は無駄に歳を重ねてきてはいないし、あなたの年代でも精神的努力は怠ってはいなかったからね。だから、差が生じるのは年齢分しかたないことだ。

 でも、今の時代を鑑みれば、あなたの年齢であなたの内容は、なかなかの努力の形跡が見られるもので、あなたがひとり歯を食いしばってよく頑張ってきたのは感じられた。それは凄いことなのだが、あなた自身がそれを評価できるには至っていないようだ。

 人は必死の努力をすぐには結果に結び付けられない。それは闇雲に努力しても駄目だからだし、方向性が整ってきても、それでもまだ、筋道を得たという状態にはならないからだ。でも、それは現状でとても優れた人たちでも同じことで、皆、理想に近づくためにより良い道を必死で探しているものなのだ。

 だから、あなたも少しづつ方向性が見えてくれば、それなりに、今までよりも大きく、自分の地歩を感じられることだろう。そのような時期が訪れれば、あなたに今も頼り大きく既に有り、これからも溜まっていくであろう蓄積が、大きく花開くように展開を見せ、あなたがあなた自身に驚くことだろう。だが、同時に、それでも辿り着かないものも知るだろう。

 僕の厳しい言葉は、別にあなたが駄目だと言っているわけではないし、あなたが今まで努力していないとか、頑張っていないと言っているわけでもない。筋道を得ていないとか、まだ対応できていないという課題の提示であって、あなたは年齢を考えると、とても真摯に取り組んで頑張っているという評価をしている。

 ただ、今あなたはゼロ時間的に今の問題の解を得たがっている部分と、ゼロ時間的に自分をそのままに受け止めて欲しいという姿勢を見せている。それらはあなたが幾らかの妥協ができれば、得られないものでもないのだが、あなたは理想が高いし、今の苦しさから逃げたいという想いが強過ぎて、それは大変つらいだろうから可哀想だのだが、ゼロ時間的には得られないものであり、忍耐強く、少しづつ小さく小さく自分を癒しながら、癒す方法を得ながら、自分を”今”という状況にフィットさせる試みを繰り返していくことでしか、なかなかに得られないと思う。つらいだろうが、耐えて頑張って欲しい。

 あなたはすぐに自分の感情に囚われて、物事の結論を自分で出す癖がある。それも押さえておくことだ。物事は結論など到底出せないものであり、進んでも、進んでも、得られず、さらに迷うばかりとなるものだ。見えた!と思っても、そこで見えたことにより、さらに深い見えないものを知ることになる。その繰り返しで前進していくことになる。結論を早まらないことも大事だよ。

 あなたは僕から見て決して魅力的でなくない女性だと思う。あなたは自分の素の姿を見せることを恐れ過ぎている。少しづつ素を表に出す努力をして行けば、あなたの思ってもいなかったところで、周りがあなたの魅力を見つけていくこととなるだろう。

 僕がここでできることは、これが最後になるが、頑張って生きなさい。あなたはなかなかの頑張り屋なのだから、方向性が見えれば、進む歩も速まるのを感じられるだろう。良い相手と巡り合えることを祈っております。



 余計な方向に話を持っていってしまって、すまなかった。まだ脳機能障害とか、脳障害とか、そんなところに至れる内容ではなかったのに、そこに繋げてしまった。あなたのような状況の人は結構たくさんいるので、自分とは何かを、早まって結論を出さずに、じっくり追いかけてもらいたいと思う。すまなかったね。

 あなたの今までの人生における頑張りを評価しているからこそ、話しかけたんだ。そこまでにして頑張ってきた自分を褒めてあげて、労わってあげて欲しいと思うんだね。その年齢ではかなりたいしたものだよ。そういう自分に気付いてあげて欲しいよね。

 生きていれば、またいつかどこかで会えることもあるかもしれませんね。世間は意外に狭いですからね。

 良い人生を送れるよう祈っております。

投稿日時 - 2008-12-15 19:57:42

ANo.157

 人間には相性ってものがある。

 そして、あなたは人前では”自分はこう有るべき”という自分で作り上げてしまった自己イメージを再現することにしか気が行ってなく、本来のあなたと言うものをナチュラルに出せていないから、本来のあなたと合う相性の相手を見るける段となっていないよね。

 自分を見つけるのは常に他者なんだってことに、まだ気付けていない。

 そして、僕もあなたに巻き込まれて、そして自分の苦に巻き込まれて、流されてしまったけれども、あなたが人を理解するに単純に見ていて、自分の感情も単純にしか表現できないのは、それはあなたの複雑というものを無視されてきたことと、受け止められてこなかったということへの反作用的な構築が成されてきているからだと思うんですよね。

 エコグラム心理診断テストなどで言えば、FC(フリーチャイルド)値が低いことを表していると思うんだね。

 だから、それらに段階的に取り組んで行けば、あなたが思い込んでいる以上に豊かに存在する、あなたに備わっている魅力というものと、人との相性というものが見えてきて、それで自分も捨てたもんじゃないんだってことに気付けるんじゃないでしょうか。

 だから、そのためには、世の厳しさに背を向けていないで、正面向いて付き合える、気持ちの座りというものも求められるよね。

 あなたは多分に感情的とも感じるし、気分が乗るか乗らないかが大きな要素としてある人と感じるから、たぶん、それでここのコメントも今はきちんと見ていないのでしょう。

 気持ちが上手く乗ってきて、見ることがあったら、よく考えてみて欲しいですね。

 人の間には相性というものがあるんだね。これを忘れないことと。それと今のあなたは、その場ですぐに完璧な答えを欲しているという形があることと、それと今の苦しみからあなたの不整合なものであってもとにかく有る気持ちを受け止めてくれる対象が欲しいという形とを見せているんだね。そして、でも、理想にかなりはまった相手でないと駄目とも言行で以って示しているんだね。この四つはなかなか噛み合わないものなんだよね。

 だから、それら四つが同時に成ることは無いし、その内の2番目のは得られることが無いということを、苦労して認識を積み重ねることによって身体で覚えないと、そこから次に進めることは無いのかもしれないと感じるんだよね。

 ただね、1と3は今でも得られるものだと思うんですね。そこはあなた次第だと僕は思うわけです。どうだろうか?見る機会があったら、考えてみて欲しい。無理して返さなくても良いよ。無理はあんまりしない方がいいね。たまには必要だけれどもね。

 僕自身もあなたと対話して学ばせてもらっている立場にあるんだけれどもね。まぁ、そういう感覚もわかってくれるようになると、あなたの視界も広がってくるよね。コミュニケーションってそういうものなんだよね。

投稿日時 - 2008-12-10 08:32:38

ANo.156

 僕がYouTubeにアップした映像です。参考に見てみてください。
http://jp.youtube.com/watch?v=isHo0NzlsP8

http://jp.youtube.com/watch?v=iRuRpkU-EXc

投稿日時 - 2008-12-09 11:17:51

ANo.155

 最後に脳の障害とまでに話が向かってしまい、責任を感じているので、戻ってきました。あなたから感情を切り離すのに苦労してしまい、これだけの時間がかかったのです。僕も色々と困難を背負って生きていますから、あなたに感情を囚われて、それであなたからリアクションが無いという状況はとても心理的に大変なものになります。これがこういう形式のひとつの欠点とも言えますし、良く言えば保険として機能しているとも言えます。

 前段が長くなりましたが、少し振り返りましょうか。

 あなたの場合、脳がどうのこうの言う前に、精神症状が存在しているように見えます。それに対処する必要があると思います。

 もうひとつは、あなたは切実になんとかしたいという気持ちの表明をしながらも、今ある状況に対してのアクション、たとえばカウンセラーに繋がってみるなどのもの、が見られません。それらの理由もあまり書かれないし、あなたの感情的な理由もあまり書かれません。

 あなたは自分の感情をあまり表現しようとしていないように思うんです。この形式があなたは負荷と感じるとも言っておられますが、あなたには何かここでは上手く表現できない様々な感情の存在があるのではないかと思うのです。ですから、やはり僕としては対面して色々を探って行く、カウンセラー形式が合うのではないかと思うのです。

 あなたはあまり知識も経験も有していないのですが、あなた有る範囲でなんとかしようとしてしまう傾向を強く持ちますし。何でしょうか、ともかく、あまりここではスムーズに表現できない多々どころではなくある感情を受け止めて欲しいという流れを感じるのです。それはうまくストーリを作って繋げられてしまうと、簡単に宗教に繋がって行ってしまうものでもあるので、あまり性質の良くない宗教の勧誘に捕まってしまってはと危惧するのです。

 そして、もうひとつ言えば、あなたはともかく表に出すものを綺麗にまとめないとならないという強迫観念的なものもあるように思われます。でも人との付き合いとは、そんな手はずを整えないナマなものである方が尊ばれ、喜ばれるものであるのですよね。

 以上、落ち着きを取り戻してきたので、まとめのような感んじで書いておきます。

 あなたは僕に依存しているのじゃないかと危惧もしているようですが、それは誰だって自分の探しているものの道筋を示してくれる期待感を抱く対象には心向かうものですよ。そういう意味でも依存というものをあなたはまだあまりお知りでないと言えます。
 
 そして、前回で問題となったように、あなたはそのコミュニケーションの回数の少なさゆえとも言えると思うのですが、人に物事を伝える際に押さえておかなければならないこと、外してはならないこと、というものの習熟があまり成されていない、いや、慣れていないとも言えますが、それを感じます。

 とにかく言えることは、あなたはまだまだその自分の目標や理想の達成において成さねばならぬことがたくさんあるということです。それで死んでしまっては何も成さないで死ぬのと同じことではないでしょうか。それを”もったいない”と言うのです。

 そしてこれも知らねばなりませんが、あなたが理想を追いかける以上はそこに至るまでの苦しみは甘受しなければなりません。それら苦しみを経ないと、理想などにはせまることはできないものです。そういうこともあなたはまだお知りでない。

 まだ若いんですから、それでも良いのですが、これからはそこらへんをきちんと御自分で道を歩むのなら、御自分で押さえないとなりませんし、人を頼みにした方が賢明ですが、それにしても押さえねばならないことはたくさんあるということです。

 それらを以って人格障害だとか脳の機能障害だとか言うのは、まだまだ早いということでもあります。そしてそれらに原因を先に求めてしまうのは、自分にまだ逃げ場を設けたいからとも言える面があるのはご存知でしょうか。

 自分の未熟を拾い上げてそれを整えて行くという作業、それがまず先にあなたに必要となるものでしょう。苦しい面があれば、苦しさを逃がす工夫が必要でしょう。苦しみを癒すものを探さないとならないでしょう。自浄作用のあるものを探し求める必要があるでしょう。人を頼るにも、人からの手が差しのべられるのを待っていないで、自分から向かっていかねばならないでしょう。

 僕は思うのですが、もう少し自分から何とかするという気構えを持たないとなりませんよ。機会を自分で捕まえに行かないと、好機というものはすぐに逃げて行ってしまいます。そこに見られるのはあなたのまだまだの追及するものに対する甘さです。

 あなたが必死であると言うのなら、その必死を見せて欲しいと思うのです。おわかりになりますか?

投稿日時 - 2008-12-09 03:25:22

ANo.154

少し冷静さがもどってきたよ。申し訳ない、僕はまたここから退場する。

 僕は今のあなたと、もしくはこれからのあなたとも違うところがあって、状況的に、自分の力で生きられるか、自分の力で生きられないかの瀬戸際を、シーソーゲームのように繰り返している。

 自分の精神的な理由で死を思うのでなくて、必死に状況を切り開いては閉ざされるという感じで、本当に自分の足で生きる環境が作れるか、作れないかの狭間で生きている。

 希死念慮とは、自己の想いの中で死を思う状態であって、周囲の状況によっては死が迫って来てはいない。希死念慮の中にいる人の頭の中からは、花鳥風月が抜け落ちていると言う、それだけ視野狭窄が起きているということだ。そこら辺を踏まえて、本当に生きるとはどういうことかを問うてみれば、あなたにも道が見えてくるはずだと思う。

 僕は精神病関連の用語で言うところのサバイバー(生存者)だが、生き残ってまた殺されそうな状況にある。だけれども、僕は全身全霊をかけて生きる望みを繋いでみるよ。

 あなたはなかなか可愛らしいところのあるお嬢さんだというのは知れた。横に座ってお話したいぐらいのお嬢さんだ。だから、あとは、あなたの心のこれからの作り方次第だと思うよ。自信を如何に養うかだと思う。

 じゃあ、何度目になるかわからないけれども僕はここからまた離れるよ。僕は今生き残れるかで必死で、あなたの邪魔をしてしまいそうだからね。
 
 元気で。

 

投稿日時 - 2008-12-03 02:08:00

ANo.153

 僕と同じという表現により、脳の障害というところまで行き、相当のショックを受けておられるようなので、そこにはあまりに可愛そうなので、少し訂正を入れておこうと思う、慰めにしかならないのが、また可愛そうだと思うのだが。正確に言うとあなたは僕とは異なる。あなたは僕よりも問題となるものが少ないと言える。僕には先にも挙げた生活困難を誘引するものとして肝臓があったが、それ以外にも耳もそうであるし、脳機能に関しても、どうやらあなたの方が広く大きい普通の活動が行われているというのが伺っているお話しから感じられている。僕はあなたの年齢ではあなたほどには仕事に逃げるということは行えなかった。僕にとって職場は瀕死の重症を負いながらも歩む戦場のようなところであったからだ。

 だが、なんだろうか、それが脳機能の生理学的問題であったとしても、それが明白になっても、自分をいじめたりしないで欲しい。逆にいたわってあげて欲しい。あなたと話してきてあなたが積み重ねてきたものの確かさを強く感じられた。あなたは今まで、そして今日も、大変に他の人に無い精神的な努力を行ってきて、今も行っていることが感ぜられた。それだけのことを耐えて行ってきた自分を責めたり、いじめたりしないであげて欲しいと思うんだよ。

 そして、あなたが僕が経てきた方法や、それ以外の方法で以って、僕が今身に付けているぐらいのものを得られたら、僕ぐらいでなくても今よりももうちょっとぐらいでも良いのだが、そのときは僕よりも普通の人と変わりない生活ができるものであるのだから、僕が今も苦心していることにもショックを受けることはないと言える。

 つまり今の僕の状況はあなたのものとはならない。そこは安心して欲しいと思う。

 うまく今のつらさを慰めてあげることはできないが、苦しい気持ちはわからないではないよ。あなたが少しでも良い生き方を見つけられたら、それだけでも僕はとても嬉しいと感じるものとなるんだ。

投稿日時 - 2008-12-02 17:08:20

ANo.152

 右脳と左脳の役割分担はご存知ですか。そこから考えればひとつの見解を持てるはずです。お試しください。僕らは補完できる関係性の間にあると思うんだよね。でも、あなたが今話す気になれない、そういう状態にないということなら、先にここにデーターベースとして残すということを進めておくよ。

投稿日時 - 2008-12-02 10:52:34

ANo.151

 つまり、僕も今あなたと違う部分で助けを必要としており、その助けを求めている相手の一人があなたであるということを隠している無理もあるのです。それも偽って見せているとは言えるでしょう。

投稿日時 - 2008-12-02 09:52:42

ANo.150

僕のもうひとつの無理、それは今の時点で既に追い詰まっていて、34年間必死になって改善に改善を尽くしてきてが、もう手詰まりになりつつあるというところを隠している無理ですね。ここまで成長して、ここまで成果を挙げてきたものの、それでも状況が味方してくれなかったし、元ある問題要因が常に足を引っ張ってしまった。大きな支援を期待できない身分でもあり、僕は今、手詰まりで、諦めないとならないかもしれないという瀬戸際に立たされ始めているということだ。その場合、最後のスイッチを押すしかないかもしれないし、押せるかどうかは今はわからない。そういうことです。もちろん、再起できる可能性もあることはある。それを今必死で探っている。

 何とか必死になって確保してきた自分の安全空間の確保法、キャリア故の大きな力量はあるが、それも状況により使えなくなりつつあるということでもあると言えるだろうね。

 ですので、あなたに伝えるには時間がないかもしれない。だから僕に蓄積された経験と技術と情報解析の蓄積がヒントになるやもしれないので、それを何とか残す。それが僕なりの僕の生の証となるということもあるかもしれないということだ。なので連続投稿してしまうけれども、後でこれはデーターベースに集積される情報として残るから、サーバーが存在し続ける限りそれは残る。だから時間をかけても読んでくれて構わないものであるので、申し訳ないが書かせて頂く。

 では、続けようか。

 今の社会において問題として挙げられている、その空気が読めないというものと、あなたの世間とのズレが明らかに異なるものであることにお気づきになられていることと思う。

 何が決定的に違うかと言えば、あなたは小さい頃から自分の周りとの違和に気付き苦しみを蓄積してきている点だ。つまり過去において自分から違和に気付いているということだ。最初は周りからとしてあっても、幼いときには既にそれに気付いているという点が特徴的だろう。そのため、既に20代前半で大きな蓄積を見ている。なぜ幼い頃で判然とするかと言えば、違和が有り方に及ぶからだ。生活の上で常に引っかかる問題としてあるからだ。

 今様の空気が読めないと言われている人は、それを見てもすぐに判然とするが、自分が起こしたアクションが、それを起こす以前から周りと違和を起こすものであると気付かないために、結局違和を起こし、周りから迫害を受ける形だ。これらの人たちは成人しても気付いていないケースが多い。なぜ成人しても気付いていないとなるかと言えば、それは僕らよりもその違和の出方が小さいからだ。概ね問題ないと扱われるところにある。つまり有り方には大きな問題が見られないからだ。後天的要因にのみによるものだからだ。

 もうひとつ、空気が読めない人において関連して問題となるのは、発せられる言葉、書かれる言葉から、つまり文脈からもであるが、その意味を拾う能力が低いこともある。つまり国語力の大き過ぎる低下だ。読解力ともそれを言う。これは今日本にある大きな問題のひとつだ。

 それがなぜそれほどの大きい問題であるかと言えば、たとえば発達障害の子が幼い頃から周囲に適合するのに最も必要なのは内省力と言われ、それを根底から支えるのは国語力だからだ(ここに僕らの問題の対処法を生む出すヒントがあり、それが僕が述べてきているものでもある。僕の手法とはたまたま重なっただけだが。)。つまり、それほどの困難を抱えていても、国語力があれば、内省を積み重ねることによって社会適合の道を得られるほどのものであるのだが、それが大きな弱体化を見ていると言うことであるからであり、それは社会全体における自己再生力そのものを大きく減退させていることを意味するからだ。他にも対比してのものの見方、つまり客観性に基づく第三者的な目線からの己への目線、そういうものが培われていないとも言える。

 そして、その国語力の低さはあなたには見られないものである。あなたは強く優秀な論理性の持ち主であることは既にあなた自身によって証明されているからだ。 

 でも、この空気が読めないという人たちにおいては、自主的かつ意欲的なトレーニングを積めば、ある程度からかなりの範囲までに、望めるものがあるというところが言える。生活を維持するに支障のない程度には、意欲的かつ自主的に取り組めるのであれば、導くことは可能であり、割とそれぐらいまでなら容易と言えるだろう。僕はある一人を職場で少しづつ訓練させていた経緯を持つ。自主的にだが。

 僕らはトレーニングを積んでも違和の原因自体はそこに存在し続けるとなるだろう、先天的な要因が絡んでいたら、であるが。だからあなたの場合はそこは慎重に探る必要があると言える。

 でも、あなたにおいても、内省と内観法というものによって自己認知を押し進めていく中で、様々なものを身に付けることが可能だ。それは人とのコミュニケーションを良好にまで持って行くことも望めるものだと言えると思う。現に僕はそこまで到達し得た。発達障害レベルの人においても結婚、出産を経ている人も多くいる。あなたはそれよりは軽い状態であるとも言えるだろうから、希望は有ると言える。僕からすれば可愛らしいと感じる点も多々あることだしね。後は障害を乗り越えられる気持ちを作ることじゃないだろうか。一般の人たちの結婚にも、障害は多々あるのを見てきている僕だけに、そうと思える。

 僕はあなたの全体像をまだ知らない。そしてあなたは今、大量のコミュニケーションには負荷を感じることを以前より表明されておられる。だから、僕の対処よりは、専門の医師に繋がる方が良い効果が望める可能性が高くあり、それでお薦めすることを続けている。

 最近のあなたとのコミュニケーションの感触では、あなたはあなたが思うほどに魅力のない人ではないと強く感じられた。だからあなたの過去のある地点からの心の引っかかりというものが今も強く存在し、相手を前にして、それが自縄自縛作用となっている可能性も有ると思える。

 これらはゆっくり時間をかけて解きほどいて行くことが望ましいものも多々あり、でありながらも、あなたの蓄積によりある瞬間から目覚めるように変化することも起こり得る。今も変化が起こっていたよね。

 本当にカウンセラーぐらいには繋がって欲しいと思う。

 ちょっと僕自身に、これは駄目かもしれないという焦りが生じているために、連続投稿してしまうが、そこはお許しいただけると嬉しい。

 こんなのでも何かの役に立ってくれれば、それも嬉しい。

 正直、僕自身に関しては、今は厳しいと言える。

投稿日時 - 2008-12-02 03:10:02

ANo.149

 えと、ですからね、あなたに対しては今ひとつの仮説ができあがっているんですね。あの長く書いたのを踏まえた上でですね。

 今、コミュニケーションが行われていないので、走り書きだけ残しておきましょう。

 ある一部の集団の人たちは、段階を経ないで結論を導きだすことができるんですね。普通の人は段階が必要なんですが、段階を経ないで結論がパッと導き出せるタイプの人たちがいるんです。

 その分、その人たちはその段階なるものへ理解を学習的取り組みによって学ぶ必要があるんですね。

 でも、諸々において、結論がパッと導き出されるので、それで自己理解にも困るとはなるし、その導き出されたものの扱いにも困るという感じですね。

 というものですね。

 このタイプの人たちことはご存知でしょうかね。

投稿日時 - 2008-12-02 00:27:49

ANo.148

 本当に度々すみません。僕、わかっちゃいました。

 先ほどあなたに書いてから、お風呂に漬かっていたんですが、そこで、なぜ僕が30年間の重い霧から抜けられて、その上で自分にある才能を開花し、そして今も特段の努力なくして進歩し続けているのか、その根本的な理がわかっちゃいました。

 これはやっぱりあなたのような頭脳と身体の繋がりを持てている人にしか扱える可能性を持ちませんね。

 今、あの以前から僕が相談に乗っていると言っていた子、以前痛罵した子ですね、も、その影響からか、最近大きな進歩が見られて、僕の方が驚いていたんですけれども、彼女もそれができる子という前提が有って、話を進めていたんですね。でも、彼女も3年目ですからね。

 ということだけ、今はお伝えしておきます。

投稿日時 - 2008-12-01 23:33:59

ANo.147

lovbeticoさん、こんばんは。お気持ち、状態は如何でしょうか

 現在ここでのやり取りは、あなたからは停止していますが、それはあなたの中にある混乱が理由かと思うのであります。ですから、あなたは論理性に優れているお方なので、あなたの論理性において組み上げる際の材料となるものをここに置いておくこととするのであります。抜けているであろう、ですが必須となるはずのものである材料であると僕からは思われておるものであります。

 今あなたの中には混乱があるように察するということは既に書きましたが、それがどのような混乱かと察しているかということを、まず書き連ねていきます。ですが、これはまったく推測ですので”違う”となることを想定されて書かれています。あくまでも推測の範囲のものであるということです。

 では、端的に表して行きますが、まず僕があなたのペースを待ってくれなかったから故の発生した混乱でしょうか、

 そしてその順序であなたが先に出す予定だったものも整合性を保てなくなったことからの混乱でしょうか、

 そしてその後続けられた僕の書いたものによる、僕への、信と不信、期待と不安、そして好感と悪感情でしょうか、それら様々な相互に行き交う揺れる感情といった混乱でしょうか。

 そして、その後に続けれて僕の書いたものへの意味の捉え方への、論理性と感情のない交ぜになった混乱でしょうか。

 先にも申しましたが、これらは僕の推測であって、違うとなることをも想定して書かれております。つまり、これは話の初端であり、契機であり、つまりきっかけを生むものであり、論理性の繋がりを見せるものであります。コミュニケーションにおいて、その連絡性を保つものとも言えるでしょう。

 さて、僕がこれから触れようとしているのは、あなたと僕の間で相互の混乱を引き起こす契機となったもの、あなたの癖というべきものに対してであり、これに対して先にお断りを申し上げておけば、僕はそれを今語るに、あなたに悪感情とか否定、批判を置くものではなく、あなたに対しては、好意変わらず、あなたの姿勢を好むという気持ちも同じくしてそうであります。

 つまり、その混乱の契機となったあなたの書かれたもの、それは過去のものとも同じ形態で現れたために僕の中にちょっとした、結果ちょっとした不快と見られる形で生じた混乱、を生み生じさせることなったものでありますが、なぜそれの連続性により、つまりあなたの癖と判じられたからでありますが、それに僕が不快となるを感じたかと言えば、ここは触れていなかったので、あなたもお気付きになられていないかもしれませんが、正鵠を射過ぎていたためと僕からは受け止められているわけです。

 ”過ぎる”という表現を用いるのは何故かと言えば、本来、人と人の間で感情的阻害を生まずしてコミュニケーションが行われる際に必要となる前段階(前置きの論理)や、それを説明する経緯が抜け落ちて、パッと答えだけ提出されてしまったからであります。つまり、さらに言えば、それが普通の人には気付けぬ部分を見事に貫き通して浮かび上がらせたもの、つまり正鵠を得ていたものだからこそ、そこに前段階(前置きの論理)や、それがどのようにして導き出されたかという経緯が無ければ、それを僕が確かなものであるのか判じることができぬために、さらにそこで感情的な混乱を生じさせたのであります。これはあなたの論理性の人並み外れて優れていることをそのままに示していると推測します。

 ですから、ここであなたに抜けていた要素と言えるものは、それすなわちあなた自身への客観性であり、内省の不十分であり、内観においても同じであります。ですが、これは世間一般において当たり前に皆に見られる現象でもあります。人は他人を判じるには客観性をある程度有しますが、自己に対しては客観性を常に不足させるのであります。で、なぜあなたにおいてそれが問題となったかと言えば、あなたが人並み外れて論理性が優れているために、あなたにとってはそれを語るに際し、通常の論理手順を飛ばしても通じるものとしてあなたの中では有るからでありまして、それを発する際にはそれを自己により検証し得ないからであり(先の一般法則もあり)、そのことをあなた自身が把握していないことから故と言えますでしょう。つまり、最も端的に簡単に言えば、大きく説明不足ということなのであります。

 数学の論理証明問題をご記憶かと思いますが、あれは論理文章に有る各数字の関係を数学的に扱って、それを論理文章形式で以って証明式を書くと言うものでありましたよね。あれは慣れている人は、必須記号を用いれば中間の論理を飛ばして書いてしまえるのですが、それをやり慣れると、行間に(中間に)埋もれている論理構造を自分でも述べられなくなる場合がありますが、それはショートカットの間を飛ばして、先端に入力するものと(つまりインプットするもの)、後端に現れるもの(つまりアウトプットされるもの)の間のその二項のみの関係性だけを把握、記憶してしまうから起こる現象でして、その間にあるものを忘れてしまうから起こることですよね。これを先生などが批評するに”基礎がなってない”と言われるわけです。

 で、続けますが、そのような状態に落ちいている人の場合、そのはしょっても良いとなっている中間もすべて記述せよとなると、把握無く、記憶無く、抜け落ちているを表すことできず、歯抜けの論理形式の文章となることになります。つまり、それの書かれた紙を見た場合、その内容を知らぬものには、どのようにそれが繋がる構造のものであるのかわかりませんし、その全容も掴み切れず、またそれが正しいのかを判じることもできないものとなりますよね。ここまでは把握できていますでしょうか。

 僕とあなたの間で混乱を生むこととなった、そのあなた癖ですが、それはその歯抜けの論理構造が書かれた紙のさらに短くしたものとこちらからは受け取られるわけですね。つまり、あなたは一気に結論だけを書かれてしまったわけです。そしてそれは、僕の受け取り方ではとなりますが、僕の中に在るなかなか人には見ることできぬものを、まるで見えたかのように正鵠を得て言い当て、表記されていたと感じられたものとなっておる次第であるわけです。ここをあなたはまだ知らないと思うのです。これで僕にある驚きと戸惑いが理解できましたでしょうか。つまりあなたは思考力、つまり論理性においては、飛びぬけて優れてある可能性を今僕の前に展開しているということが言えるでしょう。現在は意識によりでなくて、ですね。ですが今僕から判じられるのは、”その可能性”という段階であります。その理由に関しては既に記述してありますが、宜しいでしょうか。

 では、僕の把握している僕の今有る無理の方から具体的にお話しましょう。そうすることでさらにあなたの論理性は、今ある混乱から抜け出す道を見出す可能性を持つと思うからであります。

 では始めますが、僕に今ある無理とは、今の僕の保たれているスタンスというもの、立ち方というもの、有り方というものでしょうか、それをそのままに用いていると、僕の私的な個人という部分、それと男という部分などを受け止める存在が生じないという現象が発生しているところにあります。

 僕は家族というものに対しても僕が受け止めるスタンスで有ります。そして、女性というものと触れることになっても、その女性の多々ある色々の人生相談模様となり、男と女の関係とはなり得ませんし、また他面では、気持ちを第三者として受け止める形ともなり、やはりそれでは男女の仲としては成立しないのであります。そして、今通っているものにおいても、遥か年配の先生においても、不思議なことになぜか、僕が受け止めるという立ち居地をせねばならない運びとなっています。これは本当に不思議ですが、それをそうと受け止めてからコミュニケーションが順調に運ぶようになりました。すべて僕が、僕という個人と、僕という男を一歩も二歩も引っ込めて、引いた位置から相手の出るを受け止める形となります。なぜかそうなります。

 でも、そうであっても、僕から僕個人という要素が消えることはありませんし、僕から男という要素が消えるわけでもありません。でも何処においても僕はそれらを引っ込めて受け止める側に回らねばならないという無理が存在していることとなっているのは事実でありまして、信じる信じないに関係なく、そうであるとしか言いようがない状況なのです。つまり何処においても抽象的な父親として僕は有らねばならないという形となるわけですね。この無理の大きさは想像できるものだと思うのですが、如何でしょうか。

 他の無理に関していえば、僕が発達障害的素因を多く有する普通の人であるために、それら素因によって、一般的な水準での日常生活も困難を有するものとなり、そこにおいても常に無理をしなければ生活が成立しないという面が存在します。

 もうひとつ言えば、肝臓にも病を持っていることが近年判明し、それによっても支援なくして様々な状況にある苦を抱えつつ無理をして生活を成り立たせる向きとせねばならない面が存在します。

 まだありますが、それにはちょっとここでは触れられません。

 ですから、ここに表しましたように、あなたが答えのみを突如書かれた”僕にある無理”の表現はとても正鵠を得ているものであり、それを指摘したものである可能性が実に存在し、なぜならばあなたは優れて論理性が豊かであるのを既に証明しているためであり、でありながらも、それらを僕が判じる材料はあなたからは提供されていないということになるわけです。これがコミュニケーションの失調という形を生じさせているものとなります。

 ですから僕が大きくはない不快的な表明を行ったのは、そこで僕に感情の詰まりを残さないためであり、これはあなたと対話していくためには必須なものとなりますし、ですが僕が未熟ゆえに良い形でそれを生じさせることができなかったことも事実変わりなく存在するものであります。ですから、そこは僕に原因があるというのは変わりない気持ちです。そしてさらに続ければ、継続的なコミュニケーションを行うためには幾らかの山谷を越えないとならないために、このような難しい問題を話す場合、僕の形と合う必要性が強く存在し、それにはあなたのような形を持つ人が相応しいということになります。メタメッセージが存在する場合は、さらにその範囲を広げられると思いますが、ですが、やはりそこには僕との相性というものが合わねばならないという前提が存在するのは変わりなくあるものとなります。

 という感じになりますが、如何でしょうか。

 繰り返しになりますが、これはあなたを嫌いになったとか、あなたを批判するとか、あなたを否定するとか、そのような類のものではなく、ただそこの混乱の発生に際し、そこに存在した僕から見えるプロセス、あなたからはおそらく見えていないもの、を提供しようという意図のものであります。

 僕は先にも書いてきましたが、僕があなたと対話しようとするのは、あなたがあなたを認識するためのお手伝いをするためであり、それに関しては今となっては積極的と表現できる状態にありまして、もちろん、それ以外に関しても僕が提供できるものは提供する気持ちであるということは、以前にも書いたと思います。さらに言えば、これを行うのは、これを行うことで僕にとってもあなたから与えてもらっているものが多々あるからなのであります。ですがこれは決してギブ&テイクとかいう類のものではなく、生存をかけては避けられないとなぜかなるものであるからだということになります。ですから”本能が惹き寄せられたかのように”という表現を用いるのであります。

 という形のものを残しておこうと思います。これであなたの内省、内観がさらに押し進められるようになることを願います。

 度重なる投稿に関しては、申し訳ないと思います。このような形として生じさせる以外にないのは、情けない話ですが、今の僕の最善を以ってもこのようなものとしてしかなり得なく、心苦しさはあるのですが、それを押して再度投稿させて頂きたく思います。

投稿日時 - 2008-12-01 22:09:06

ANo.146

 色々ショックなこと、つらいこと、苦しいこと、繰り返されることと思いますが、それを経るからこそ、それを得て、そこから人は明日を考えられるようになるんですね。

 これを認識の積み重なりと言うんですね。

 良い間隔をお過ごし下さればと思います。

投稿日時 - 2008-12-01 11:28:49

ANo.145

突然ですが失礼します
質問とやりとりを拝見して、いてもたってもいられず投稿してしまいました
ネットでのコミュニケーションは初めてなので失礼がありましたら御容赦下さい

とても深い悩みを抱えているようですね
私もそのような悩みを抱えている時期がありました
自己を分析追求し続けて答えのない迷路に迷い込んだようでした
何年も考え続けて私が出した答えは単純でした

所詮人は動物なのだという事です!
人間が出来ている人?中身が無い自分?
沢山の知識や趣味や話題を持っていればすばらしい人なのでしょうか?
もちろん最低限のモラルは必要ですし、知識があれば人生に色をつけてくれる事もあるとは思います
でもみんな似たようなもんじゃないですか。
食べて、出して、寝て、××して、

他人とのかかわり云々・・も当然あるとは思いますが
私の経験上、100人いれば100人とも違います
好き嫌いだって100通りあります
Aさんからみたらいい人でもBさんにとっては嫌な人なんてことは普通だし
他人がどう思っているかなんて絶対に分かる訳がないのです
相手が口で好きといっても本当かどうかも分からないのです
だから全部自分の都合のいいように解釈すれば良いのではないでしょうか

周囲から浮いてしまう?よく見てください、半分以上のひとは浮いてるじゃないですか、空気読めてないじゃないですか!
浮いていても本人はそう思っていないでしょ。それでいいじゃないですか

難しく考えないで、そのときその瞬間を楽しめばよいのです
おなかがすいたら好きなものを食べ
好きな人がいたら寄って行って、振られておちこんで・・(^ ^)p
食う為に働いて、欲しいものを買う

中身のなさに呆れて?人を好きになるのに理由なんてあるのですか?
当然付き合っていけば気に入らないところはひとそれぞれあるとはおもいますが・・
どこまで目をつぶれるかでしょう?
そのうちなぜか気の合う人に出会うものです
ただ一緒にいるだけでいいのです
たまにいるでしょ、まったく話の噛み合ってない仲のいい人たち・・・(^ ^)
そこには理由なんてなくて、なんとなくそうなるのです
1000人と出会えば一人くらいはいるのです

楽観的で幸せな人だなーと思うでしょうが、そう思っていなきゃこんな世の中生きていけません!

ニュースをみていたら、悲しい事ばかり
地球環境は悪くなる一方だし、景気は悪くなる一方だし・・・
世界を見渡せば、人の生き方、考え方、モラルですら様々
信条、信仰の為なら人を殺す事ですら正義だという国もある・・・
なんとなく人を殺すやつも出てくる始末・・・・

もっと気楽にいきましょう。
人生つらい事ばかりですが、100回に1回うれしい事があればラッキー
そんなものですよ

かなりまとまりのない文になってしまいましたm(_ _)m
多少なりともアドバイスになれば幸いです

最後にひとつだけ、絶対に死にたいなんて言わないで下さい
そう思うときもあると思いますが・・・
私はそんなときこう思うのです「痛いのやだからやめとこ・・」
死ぬのはいつでもできるけど、生き返ることは出来ません
今週 肉親がなくなりました
10年以上会っていないほどの仲でしたが、なぜかとても悲しい・・
15年以上前からlovbeticoさんのように色々悩んでいたようです
(同じ悩みかどうかは知りませんが)
昔は相談にのってあげたのですが、肉親ではかえって拒絶され、憎まれることになりました
だれか、よき理解者に出会って欲しかったのですが間に合いませんでした

私は他人ですが彼女のようにはなって欲しくはありません

長くえらそうに申し上げて失礼しました。
lovbeticoさんに少しでも希望が訪れる事を願っております

投稿日時 - 2008-11-29 19:41:02

ANo.144

 おはよう、昨日は如何でしたか?一晩待ちましたが、次の投稿がありませんでしたので、先にちょっと書かせてもらいますね。

 まず、削除されたものとは、あなたがここのコミュニケーションの形も負荷と感じるとおっしゃっていたので、僕のメールアドレスが載っているもののURLを載せておいたのですね。それが削除されたのと、もうひとつもう嫌だと終わりになるのならば、せめてさよならを言おうよというものであったのです。後者まで削除されるということは、かなり過敏な反応であると思いますが、どうもROMの人から通告があったように思えますね。

 一問一答形式のものであっても、システマチックなものとしてあっても、そこから人と人のコミュニケーションであるということから逃れられることはないのですが、そこを規制するからこそ、2チャンネルのような端的なシステムにおいての無用な罵り合いや悲劇の量産に至るのですが、それは他でも見られるものなのですが、そこをご理解いただけないというのは、ちょっと人というものを侮っているなと感じる部分であります。

 そして、あなたが酔ってあれを書いていたということを知ってですね、僕のあなたへの好意は一気に増したんですよね。正直言えば、あなたが傍にいれば抱きしめたくなるような感じでした。僕は思うんですが、あなたは周りに対して常に硬くなってしまうんだと思いますよ。ほら、魅力的な人といても、だんだん釣り合わないというか、相応しくないという感覚に支配されて行くのでしたよね。それはつまりあなたの中で彼らに応じられるようとして無理な形を演じる方向に向かってしまうということでしょう。そうではないでしょうか。でも、最近のあなたの書くものはとても人間的な魅力にあふれるもので、そのあなたが魅力的と感じる彼らであってもあなたを抱きしめたいとなると思うと思うんです。勢いキスもしてしまうかもしれない。それぐらいのあなたの表現でしたよ。それもあなたの魅力なのだということ、気付けていないと思うんですね。

 No.141のものへのお返事でも、あなたはまた自分だけで背負おうとして無理をしている感じ見えるんです。人に迷惑をかけてはいけないとか、人にお世話になってはいけないとか、人におんぶされてしまってはいけないとか、そういう感覚に占められているのではないでしょうか。自分ひとりでなんとかしなければならないとかね。

 あなたは実はかなり人間的な魅力あふれるひとなんだと知り、僕はホッとしているんです。あなたは素の自分を見せると嫌われるとか、そういう過去の感覚を今も引きずっているんだと思うんですよ。僕からすればとても愛らしいあなたでしたけれどもね。

投稿日時 - 2008-11-29 05:36:48

ANo.143

おはよう。あなたがもう1通書くというのを見ましたので、短く書かねばならないことを書きます。

 先に脳が異なるということに触れてしまいましたが、あなたに今重くのしかかっているのは、割と人生の早期からある精神症状であると思うんですよ。後天的な要素が他の人と比べてかなり早期に精神症状として形作られていると思うんだね。

 あなたがとてつもない怒りを感じるとあるでしょう。それは感情の連絡経路が通常に処理されていないために、とてつもない怒りとなるまでに育んでしまうのと、感情処理が上手く成されないために一気に急膨張したりするんだね。僕のパニックの理由にあなたではパニックにならないものだと言っていたでしょう。それはあなたの中で感情の連絡経路が通常でないために、そこの途中の感情を自分で拾えないんだね。傷付かないといっている部分と、相反して傷付きやすいと言っている部分も、それゆえなんだね。

 それとね、互いを傷つけあわない関係性は存在しないんだよ。ひとつ傷つけあう、そこでまた新しくお互いを知り、次の関係性を模索するんだ。それが人と付き合うということなんだよ。だから自分にばかり原因を求める必要もないんだよ。僕にも原因があるんだ。そういうことなんだよ。周りを見ても、そうやって少しづつ築いていっているんだよ。相手に苦しんだり、相手に苦労しながらね

 じゃあ、あなたからのを待つよ。

投稿日時 - 2008-11-28 11:03:16

ANo.142

もうひとつ書くよ、大丈夫かな?

 あなたはこの間、とても何でかわからないけれどもとても爽やかな気持ちになれたって伝えてくれたでしょう。あれは僕もとても嬉しかったんだよ。

 あなたが爽やかになれたこともとても嬉しかったし、あなたの中で確実に蓄積されてきたものが新しい感覚世界を築き始めていることを確認できたからでもあるんだよ。皆誰しもに平等に時は流れているんだよね。僕らはそれの成果が出るのが人と違う形で出るんだね。違う時間軸の上に生きていると言ってもいいのかもしれないね。

 方丈記の書き出しの話はしたかな?これは僕もマンガでその一節を知って覚えていたんだよ。

 行く川の流れは絶えずして元の流れにあらず、って始まるんだね。

 これは我々に降りかかる時間の流れと言うものは止まることがないという世界観を示しているんだね。朝起きた自分と,夕に家に帰る自分、皆その二つの自分は同じものだと認識しているでしょう。でもね、そうじゃない、夕においては既に違う自分と化しているんだというね、そういう世界観であり価値観であり、自己認識が昔の人にはあったということなんだよ。

 あなたもこれまで変化してきているでしょう。その変化の歩みは人とは違うけれども、確かなものなんだよね。だから、爽やかになるときも訪れたわけなんだよね。

 脳が異なると、それが有るかもしれないと、絶望を抱くかもしれない。でもね、絶望は人生には付き物なんだね。だから絶望を突き放しちゃいけないんだね。突き放すから辛くなって何も見えなくなる。そういうときは隣に絶望に座ってもらって、そして一緒に人生を歩む、そういう風にしておくといいんだよ。

 脳が異なるとなるかもしれないけれども、人は顔自体皆違うんだよ。鼻も違うし、足の指だって違う。脳が異なるぐらい個性みたいなもんだと思うんだよ。

 僕は施設で脳を損傷してか、腕や舌に常に痙攣を抱えている子達と一緒に過ごしてきたよ。彼らはいい奴らだったよ。ちょっと意地悪をする子もいたけれどもね。

 僕はあなたの自分の人生に対する真摯な姿勢はとても好きだけれどもね。世間には自分で自分の人生を崩してしまっている人や、人の人生を壊して平気な人たちがたくさんいるんだよ。その中であなたの人生に対する真摯さはとても素晴らしいものだと僕は思うけれどもね。

 僕は人の心の奥底を覗いて来てしまっている。色んなものを見てきてしまっているんだね。その絶望を思うと、あなたの心の形は希望と感じるけれどもね。

投稿日時 - 2008-11-28 03:03:04

ANo.141

 あなたの言うこと、わかる感じです。そう僕とあなたとの間で起こった摩擦は、あなたの感じ方の違いと、僕の感じ方の違いだと思います。

 でも、もう少し、そこにある可能性を考えると、自分の感じ方に沿って、自分の書くものが表出されることもないということです。自分で書いたものですから、自分はそこに想像の羽が行き届かないことは多いのです。だから、違う場面であなたが他人から同じような言われ方をしたら、傷付くこともあるとは思うんですね。

 その後に書かれた感じ方、対人的な距離、読書に対してのもの、そこへの傷付き方は、過去の僕と同じです。

 そう、脳に問題があるという感じ方も同じです。なので僕はあなたのまだ踏み込んでいない世界、精神医療の世界や、先天的な障害の世界に、足を踏み入れて、その理由の所在を探りました。

 精神医療とは10年以上付き合いました。デイケア施設にも通いましたし、障害者向けの支援金を得ながら医者に通いました。そこでも色々を見てきました。

 そして今は発達障害系の可能性を探っています。東京都発達障害支援センターで何度かミーティングを重ねました。そこの施設職員、もちろん専門的知識のある人、の言う今時点での結果は、発達障害的な素因を多く持った普通の人という感じです。乳幼児期からの人とのコミュニケーション性の存在、人と繋がりたいという思い、それは発達障害とカテゴライズされる人にはない、あるいは薄いということでした。

 そこから先は、専門医に通ってみるということです。もう専門医に紹介状は東京都発達障害支援センターから行っています。

 後は、他に、自立運動による自己治癒的なものに縁があって通っています。

 ひとつ言えるのは、あなたは今精神症状を併発しそうになっている可能性があるということと、あなたと同じような人間はこの世界にたくさんいるということです。そのひとりが僕です。

 僕も以前には内田樹先生の文章は、数行読んで苦しくなって駄目になっていたでしょう。

 あなたの苦しみは、わかると書くのは失礼だと思うのですが、わかる気持ちに近づくことができます。

 でも、僕がそうであるように、あなたも自分を少しづつ発見して来ているじゃないですか、歩みが遅くてもいいじゃないですか。それでもあなたには他の人に無いものがあるでしょう。それがあなたの豊かさだと思うんですよ。

 大変な中、返してくれて、ありがとう。

 気持ちを壊してしまったことは、悪いと思っているんだよ。

 しばらく休んで、これからの道を考えて行こうよ。急がば回れとも言うでしょう。

 僕は34だ。あなたはまだ20代前半でしょう。まだまだ僕の歳まであるのだし、僕の歳でも、まだこのていたらくでもやれるんだよ。

 あなたはゆっくり歩むことを己に許せれば、それだけでも少し楽になると思うんですよ。

 大変な中、返してくれてありがとうね。

投稿日時 - 2008-11-28 01:41:03

ANo.140

 お詫びと言っては何ですが、あなたにあるであろう青春というものを思い浮かべるときの苦痛、それを和らげるかもしれぬもの、僕にとっては暗闇の中での清流の一滴のように自分を慰めるものであったものである、伊藤整の”青春について”を一部抜粋してここに残して行きましょう。


 即ち私は、健康な肉体の力、美貌、広い心、勇気、才能、女性の友などという、青春の最も輝かしい伴侶と見なさるものを、全く欠いていた。それ等のものを所有しない、という意識は、日常痛烈に私を苦しめ、自分を劣れるものと感じさせ、自分が青春を生きていないことを、多分したがって人生らしい人生を生きることができないだろうことを予感させて、私をおびやかした。その時私の感じた脅迫感の荒涼とした非人間的な恐ろしさを、私はいま五十歳になろうとして、まざまざと思い起こすことができる。

 中略

 しかし、だからと言って、私が青春を知らなかった事にはならない。むしろ私は、それを所有しなかっただけ、それだけ、強烈に青春を知っていたような気がする。私は、青春というものを、青春らしい生活形式や交友や恋愛やスポーツそのものとしては所有しなかった。しかしそれ等を所有しなかったことで、正確に言えば、所有しないと思ったとき、青春は私にあった。私は、長い間かかって、青春らしい生活の形は、大したものでないこと、更に大胆に言えば、そんなものはツマラヌモノであることを理解した。私の肩の上に坐って、私につまらぬことを囁くやつは、それは、私が論理的には棄てた奴が、単に情緒的に、仮にそこに坐って、私を失われたものへの情感に誘惑している亡霊に過ぎないのである。


 一部抜粋になりますが、このようなものとなります。


 気持ちの負荷とならないときに、時間の余裕のあるときに、目を通してもらえればと思います。気持ちを壊してしまったお詫びのようなものです。

良い年末をお過ごしください。

投稿日時 - 2008-11-27 18:53:50

お礼

なんでしょう、少し分かったんですが、あなたは私があなたに対して前後の文章もなく急落的な評価を表現をしたと書かれていましたが、私にとってそれはあなたに対する急落的な評価ではなく、おそらく私は同じことを言われても傷つかないし、あなたもそこで傷つくなんて想像すら出来ていなかったからだと思います。
それなら申し訳ありません。
今まで、人間関係がどうしても本当に小さい頃から上手く行かなかったので、人と摩擦を起こさないように自分なりに気を使っているつもりでした。
それでも、ある日自分では意識せずに、むしろいつも通り距離感を持ちながら発した言葉や行動等から引かれたり嫌われたりとうことがしばしばありましたが、きっとそうなんですね。
私は、人から何かを言われたりしてもあまり傷つかない部分があるんです。
傷つきやすいし、すごく人の悪意に対しては敏感です。でも内省的なんです。もしくはとてつもない怒りを感じます。
あなたと話していても、直接あなたに傷つけられたと感じることはありません。自分で考えて傷つきます。
負荷になっていたのはなんでかというと、多分莫大な情報やそれを理解するのにとても労力を要することや、それと同時に自分で考え傷つくということもきっと同時に行っていたからだと思います。
すごく残念なことなんですが私は難しいものや自分にとって読みにくいと感じるものをそれ自体を理解するのに多大な時間や労力を必要とするんです。
まだ新書は難しすぎない限りは良いですが、小説とかエッセイもだと本当に簡単なものやじぶんが読みやすいもの以外は苦痛で読みたくないんです。
あなたがよく挙げられている内田樹さんの著書も最近買いましたがそれも苦痛でした。村上春樹さんやカポーティも駄目でした。
脳に問題があるんじゃないかと悩んでいて、あなたとコミュニケーションしていくうちにそれがいよいよ絶望的な気持ちになってきてそれも負荷だったんだと思います。
私の問題なのであなたが気にすることないと思います。
親しくなるためには不快さを小出しにする云々ありましたがきっとそれはその通りなんだと思います。他の人たちを見ていてそう思います。しかし、私はそれを実行したことは多分覚えている範囲ではありません。
だからあなたが怒ってパニックになったんだと思います。
まとまりのない内容ですみません。でも今はこれ以上は書けそうにもありません。

投稿日時 - 2008-11-28 00:14:37

ANo.139

 規定違反により一部記事が削除となりました。連絡は行っているでしょうか。

 その旨ご了承ください。

投稿日時 - 2008-11-27 17:55:32

お礼

kumosukeさんこんばんは。

削除された部分に関しては軽く目は通しましたし、連絡等はきましたがなにが書いてあったかは分からない状態です。

あの、あなたに謝っていただく必要は全くないと思うし、きっと謝る必要もないと思います。私はきっと謝るべきなのに謝ることが出来ませんでした。

前回投稿した時はかなり酔っていてそれも相まって変な文章になったんだと思います。投稿遅れてしまい申し訳ありません。

一時的な混乱には陥りましたし、きっとお互い傷ついてないとは言えないとは思いますが、私は自分に関してはきっとそこまでではないと思います。
だから謝っていただいたり気を使ってもらわなくて大丈夫です。

長くなり1回の投稿では載せれないので分けさせていただきます。

投稿日時 - 2008-11-27 23:56:57

ANo.138

 おはようございます。お機嫌は如何でしょうか。

 あんまり書くとまた悪いと思うので、”親しい関係性の上においての不快の表明の必要性”というものと、そこに絡んで有る”怒りというものの構造論”と言うものがあるんですということだけお伝えしたいかなと思うんです。内容は書くとまた長くなるので、書きませんが、これは理論に縛られたものということでなくて、僕の人生上の経験からのものであり、専門家筋の方にも評価を頂けているものではあります。

 僕はあなたの言うとおり、なのかはまだよく聞いてみないとわからないですが、なので伺ってみたいと思っているのですが、無理がありました。今は無理ができなくなりつつあるんですね。より自然体でしか振舞えなくなりつつあるのですね。ですから、親しい間柄こそ不快の表明を小出しすることが必要、というものに向かうんですね。

 親しくなる間柄にこそ、苦しく感じたり、辛いと感じるものを経る必要がある、と僕は感じているんですよね。お互いに有る無理を無くすための作業というわけです。長く付き合い、突っ込んだことも話せる関係性を築くには、そういうことを経る必要があるということでもあるんですね。言い訳にも聞こえそうですが、そういう感じではあるんですね。ごめんなさい。

投稿日時 - 2008-11-27 10:39:53

ANo.137

 こんばんは、lovbeticoさん。あんな形のものでもきちんと回答してもらって申し訳ないなと思う気持ちがあります。大変なときだからあんなのもらったら大変だよなとは思うので、悪いなと思っていたんですけれどもね。僕の中の感覚として、書いてしまってから、傷からとめど無く流れる血のようものだとそれが感じられたからです。いえ、あなたが傷つけたということではなく、古傷が開いたということです。

僕もあなたとは話したいと思っているんですよね。それはあるんですね。それはね、なんと言うか、本能で惹きつけられるものを感じるからというか、何か理由があるからと、そういう感じでですね。だからあなたをここで見つけたときも、あぁこの人と僕は重なって行くなという直感的なもので向かっていったんですよね。でも当時の僕はまったくここに意味を見出せないでいたのでした。なので、それであなたを傷つけてしまったと思っています。そこでも悪いなとは常々思っていたのですが、止められず、でもまた書いてしまいという感じでした。

 ただお互いのコミュニケーションの形、そしてお互なりにある未熟が今上手く噛み合わないところがあるんだなと思うんです。あなたの言う僕の無理(それは僕の言っている範囲以外のものも入れて)と、あなたの形が今噛み合っていないんだなと思うんです。

 すみません、あなたもだいぶ混乱されたようで、書かれているものに”それ”とか”その”とか”そう”が多くて、読んでも具体的に何を言いたいのか判然としないんです。でも何となくは伝わるのですが。

 不快な点に関してあなたが思っているほどに全般的ではなくて、そのなぜそこまで急落的な僕への評価表現を用いるのかという説明があまりにもないので、前後の文脈無しにそれが行われるとこちらもパニックになるんです。そこはご自分で読み返してみて欲しいのですが。ただあなたが僕に負荷を感じているのは、以前からの話で気付いておりますので、そこで自分の表現をどのようにすれば良いのかは色々と、四苦八苦というんでしょうか、しておりますが、でもちょっと今こうなってさらに圧力をかけてしまったというような次第です。

 傷付き、苦しくて、駄目と言うのなら、止めて下さっても良いのですが、何でしょうか、僕ももう少し素直に表現できたほうが良いのだろうとは、あなたにコメントを送っていて思いましたね。

 依存というのも、何だか色々なものがあって、良し悪しだけでなく、様々があるんだなとは今思い始めているのですが。何を申せばよいのやら。

 確かにね、あなたの言うとおりに、この一方通行が往復する形の投稿も負荷を感じるのは、そうですよね。

 まぁ、それ以外にも僕は確かに負荷を与えているという自覚、いやそれもあなたが思うものとはズレているのだろうけれどもね、があるのだけれども、だからそれも悪いなとは思っていて、でもどうしたら良いのかなとは思うのですが、その先がなかなかここからは出せないままでいますよね。

 僕が嫌なら嫌で、それはあなたに任せます。

 話したいのなら、話しましょうよ。と言う権利が僕にあるのなら、ですが。それは僕からは話したいと思っているということだけ伝えておきます。


 傷付き、苦しくて、嫌だというのなら、それはもうしょうがないかな、と思います。

 でも、何でしょう、痛いよって距離ある相手にわざわざ伝えるのって、話したいからじゃないですかね。僕はそう思うんですよね。

 でも、もう駄目だと思ったのなら、そこは素直に自分の気持ちに従って欲しいなと思うんですよね。

投稿日時 - 2008-11-27 00:28:20

ANo.136

いや、ね、あなたがそれで言おうとしたことを、時間が経てば僕はそれを拾える人間ですよ。でもね、あなたのその表現には何処にも救いがないし、そこまで相手を追い込んでしまう表現だよね。表現自体にずれがあって否定性が強過ぎる。

 前回の本気で心配するという文脈も、言われれば何とか拾えるものですが、本気で心配しているのならば、もっと相手を想う言い方があるでしょう。いつも何処かコミュニケーションの失調を自ら誘ってしまっている部分がある。

 そういうことをどれぐらい自覚しているのか、そこがあなたにある障害となっているものだと言えるということなんです。

 確かに僕は無理をしているんです。でもね、あなたの言うようなものではないんですよね。かすりながらもそのような表現をされてしまう、そこが大きなポイントだと思うんですよね。

 あなたの件だけでなく、僕は今本当に疲れて参っています。それは本当に確かなことなんですよね。でも僕を無理とすれば、あなたはマイペースに過ぎるとも言えるでしょう?

 なぜ僕らは健やかにコミュニケーションを重ねられないんでしょうね。それは悲しい現実ですね。

投稿日時 - 2008-11-26 19:59:53

お礼

こんばんは。

すみません、言われていることは分かるようで分からないし、当たっているようではずれています。
それが正直な気持ちです。
ちょっとどうすればいいのかよく分かりません。
説明しますと本気で心配していたのはそう書いた時点での話です。
そして、その後書いたのはその時思ったこと等です。
メタメッセージ云々や賢人でもこのようなミスはする等言っていましたが、私が心配ですと返答した文章に対して思ったことを書いたということで、その言葉を今現時点でのあなたに投げかけたつもりはないんですが。
ただ、そのような状態になるということに関してはそう思いますが、今のあなたに関してはそのような思いだけです


あなたは私について批判していて、多分不快な思いをしていると思いますし、それは私自身では分からない事であったとしてもきっと当たっているところも多いと思います。
しかし、私もあなたとコミュニケーションをしてもちろん自分にとってありがたいことが多いのですが、それと同時に何らかの負荷を感じています。
それは私についての分析とかにではありません。
例えば一方通行が往復するしていき始めて双方に通じるような投稿というこのような形態のコミュニケーションについてもですし、それ以外もです。
しかし、私はどんな人にも欠点があるし、きっとあなたとコミュニケーションをしたかったからそこは見ない振りをしていました。
前回あなたがここを離れると仰った時は私があなたに批判的なことを投げかけた時でしたね。
確かにあの時の私にはあなたにたいしてなんとか打ち勝ちたいという思いもありましたが、その時確かにあなたに対して感じていたことを書いたというのも事実でした。
それなのにそこには答えていただけずに残念だという気もしました。
私はkumosukeさんとまたお話できたらと思い、この回答を締め切れずにいました。
ある種の依存だと思います。
でも、それと同時にあなたと話すと自分に対する正当な批判ということではなく傷つくことやとても苦しいことにも気付きました。
どうすればいいんでしょうね。

投稿日時 - 2008-11-26 23:12:11

ANo.135

おはよう、lovbeticoさん。現状如何ですか?あぁ、もう”こんにちは”だよね。今回のあなたのお返事により一気に展開が成されたと僕は感じています。では数度にわたり申し訳ないですが、早速本題に取り掛かりたく思います。

 再三再四、そのメタメッセージ無き状態の中で、大きな違和を感じ僕がこだわった部分は、なぜかと申しますれば、そこが”あなた”という人に有る構造の大きな発見をもたらしたからです。それはネガティブなものの発見であるのですが、それはあなた次第ではポジティブなものと転化させることができるものなのです。でもそこの眼目となるものにあなたが気付けねば、そしてそこに近付くことができねば、またこれからも変わらぬ自己を維持し続けることになるでしょう。つまりその違和に気付けるセンシング能力に磨きをかけること、それがこの手の病において回復までの道筋を得るためのもっとも有効な手段と言えるでしょう。

 まずはこれを押さえておかねばなりません。

 人と言うものは、己が口に乗せて表に出した言葉や、己が筆なりキーボードなりで書いた言葉を、聞いたり、見たりして初めて、己の今の様態を知るというものです。

 つまり我々の意識が”今”において捉えている自己像というものは常に遅れているという、時間軸上の構造があるというのは以前お話しましたが、それに対する反応を見ていると、それほどに理解には至っていないようだと感じております。あなたに感じるのは今という時点ににおいて意識で捉えた自己像と相手像がすべてである、という言説を採用しているということです。これはあなたの認知限界をそのままに示しています。

 今回再三再四にわたりこだわった部分を再引用させてもらいますね。
> 私があなたに自分に対して無理をしているというのは言葉どおりというか、自分を大きく偽って生活しているんじゃないかと思ったからです。
> やはり、曖昧な表現ですね、すみません。
> 色々な人がいて色々な事がある中で生活する上で無理をすることが必要なのは分かります。
> でも、なんと言えば良いのでしょうか、自分の限度を越えて、なおもそれに気付かない振りをしながら生きているのではないかということです。

 ここです。これを見たとき僕は非常に大きな違和感に打たれました。でもその違和感ほどには意識境界において理解が生じなかったために、何度もそこへの見解の提示を行い、そして新たな気付きと共に修正を加えてきました。

 ここに引用させてもらった部分は、あなたに今までも何度も見られた文脈的におかしい論理展開であるのです。それで、今回このような形で表出化されたことにより、僕はあなたの頭の中ではどのように渦巻いているのかの実態が、ようやくにしてはっきりとその輪郭が見えてきたということになります。過去においても違和を大きく感じていたのですが、その形がはっきりとは見えてこなかった、曖昧なぼんやりとした形でしか見えてこなかったということになります。

 ですから、あなた自身においても、この文章を発して以降に、その大いなる違和に気付くことができていれば、もう新しい道への端緒を掴めたということになります。これに気付けるかが、センスです。愛着というものから抜け出せるか抜け出せないかを測る上で求められるセンスとなるわけです。今においてそのセンスが無いと気付いても、それは”どうしてそこでそう言うの?”という疑問から探りに行けば、少しづつそのセンスなるものを磨いて育むことができますが、これにもセンスが必要となります。ですが決して僕がセンスに優れているということを言うわけではありませんので、お悪しからずに。

 センスの基盤となるものは何であるかと言えば、森羅万象、万物が師であるという感覚を持てているかというところでしょう。ここもあなたにおいては現状難しいと感じる部分だと思われます。なぜなら、あなたは少し気付き始めた部分を感じていますが、まだまだ自分を一番の師だと思っている面が強いからです。これは以前の僕にもあり、ひどく悩まされた、近年において自我肥大の時代と言われるもの、つまりそれです。もちろんここに記述した部分へも多様な解釈が成し得ますが、言わんとしているもの、それは僕の今有る理解を超えて、に近づけるかというのもこの世を生きるうえで常に焦点となるものでしょう。

 その引用した部分において大きな違和となる部分を端的に表しておくと、あなたはそれ以前に綿々と敷かれた自分の発している言葉の用法の誤り自体に気付いておられないということになるのです。つまり僕が常に疑問を提示していた”分かります”とする部分と、”おっしゃるとおりだと思います”という部分との連絡性がまったく保たれていないのが、上記引用部分となるわけです。

 そこに端的に現われるもうひとつは、あなたの認識からくる視界の形であり、価値観の形であります。僕がデジタルに過ぎるというものとなります。そしてもうひとつ、”未熟”という形となります。

 僕は以前の僕においてこれだけの提示があれば大きく端緒となるものを得たことでしょう。過去において今の自分のような存在がいなかったことが悔やまれるという表現も可能です。というのは、驕りでも、うぬぼれでもなく、僕はそうやって長い時間をかけてひとつひとつ丁寧に、以前から申しているとおりに、薄皮を一枚一枚重ねていくようにしてそれを行ってきたのです。気が遠くなるような作業でしたよ。実際先には絶望しか見えずに行っていたのですから。でもお断り申しておきますけれども、それは今有る絶望とは違うものであります。よりあなたの言う地獄というものとちょっと近いものですね。

 あなたを論理性に優れていると評してきましたが、それは世間一般から見ればまだまだ小さい範囲であり、あなたのその論理性は自己に対しては小さくしか機能していないというのが現状です。でもそれはきちんと育まれれば大樹となり得るものであり、他の人にはない特質と言えるものであり、ですから才の萌芽と言うのです。際の萌芽とは、すなわち現状においては才と成っていないということを表します。そしてその論理性が自己に対しては小さくしか機能していないとする理由は既に記述しており、あなたはあなた自身のみを師としている状態にあるからです。本来、自己とは、大成というものと相対すれば常に遥かに大きく未熟なものでありますし、それは若い経験ではなおさらと言える部分がありますし、まず精神の病みが見られる人においてはそれはさらに大きく有ると言えるものであります。僕が愛着と評するように、彼らは常に自己のみをその師とする部分が極めて大な人たちであるのです。つまり自己の現時点有る形、論というもの(それは過去の遠い時点において既に形成されていたものでもある)に非常に強くこだわり、そこから強固に離れることが決してないという状態であります。そこから離れた世界の存在へ想像の羽をはためかせることすらしようとしないのです。固定された価値観の怖さはそこにあります。ここに関しては以前において既に大きく言及を成しておりますので、今回改めて触れることはありません。

 またさらに触れておくと、あなたは引用部のような展開を人に対して成すときに、最低限行わねばならないことも、そこに必要な段階を踏むことも、行えていません。そこへもまだ気付きに至っていないということになります。

 というような、現時点でのあなたへのまとめのようなものをここに置いておきましょう。あなたの人生はまだまだ先長くありますし、また同時に人生はいつ終わるやも知れぬものでもあります。ですから焦らず急いでという形に有る矛盾をその身に受けて、これらに取り組めれば、あなたにおいても何らかの大きな気付きを生み出せるものであると僕は思うのであります。

 あなたの苦しみはわかる思いです。でも、その非常なる大変な苦しみを知りますが、苦しいからこそ、苦しいときにしかわかり得ないものがあるのですし、その苦しいながらに物事を成していくにはどうしたら良いのかということを学べる機会でもあるのです。ですので、その苦しさの中どうやって潤いを小さくとも集めて得ていくかということもとても大事なものとなります。


 まだ触れられることはありますが、それをすると主題の焦点がぼやけてしまいますので、ここまでに止めておくのが良いでしょう。

 お断り申し上げておきますが、僕は治療家ではありません。あなたが己を認識する、その手伝いをしているだけなのです。

 良い人生を歩めるよう、祈ります。

投稿日時 - 2008-11-26 13:25:53

ANo.134

 僕はやはり早く良いカウンセラーなりを探したほうが良いと思いますよ。

 あなたと言葉を交わしてきて思うのは、あなたはあなたが想像している以上にデジタルに物事を見ているということを感じます。そこに現実との連絡性の弱さを見るんです。

 言葉上の体裁を整えるのって、ボロも出てしまうのですが、簡単なんですよね。あなたはそういうことはある程度できる人なんです。

 でも、言葉を交わしていて、やはりこちらを認識するにおいて突拍子もないというようなちぐはぐ感があるんですよね。

 僕が話してきたことは自分で自分を見つめる方法なんですよね。でも、あなたは僕を自分の評価の上に置くことにどうも縛られていますよね。僕の話すことに分かると簡単に言ってしまうのですが、簡単に分かるのならば、そこで”でも”とは成らないはずなんですね。

 あなたの中で僕への意識や気持ちが分裂して同時に有る感じなんですね。様々な想いがあなたの認識の中で認知の下に置かれずに、一体化せずにバラバラにそのままに出ると感じなんです。ですから、人を認識する上でも連絡性がなく、でもあなたの中ではとても急速に断定的な形を取るんですね。
 
 その隙間を埋めていく作業と、分裂して出ているものを認知の下で一体化に向ける作業が必要だと思うんですね。

 それは僕と対話しても、文字情報だけでは無理と言えますよね。今のコミュニケーションの有り方からしてもですし、僕がそれが出来る人間であるなんて思ってはいませんからね。

 あなたはここで僕に何を望むのか、それをもう少し丁寧に拾って集めてまとめて行くことも、これからを考える上で大事だと思うんですよ。

 とりあえず、僕からは早期にカウンセラーなりを捜し求めることをお薦めしますよ。

 人生を大事と思うのならば、状況を見て適切に対応する必要があると思うんですね。

投稿日時 - 2008-11-25 15:11:21

ANo.133

さぁ寝るかとなって、はっと気が付きましたが、なるほどあなたはそう見てそう言っていたのですね、メタメッセージがないとなかなかその意図を取ることが難しいですね。

 ごめんなさいね、たくさん書いてしまって。では、再度引用させてもらいます。

>私があなたに自分に対して無理をしているというのは言葉どおりというか、自分を大きく偽って生活しているんじゃないかと思ったからです。
>やはり、曖昧な表現ですね、すみません。
>色々な人がいて色々な事がある中で生活する上で無理をすることが必要なのは分かります。
>でも、なんと言えば良いのでしょうか、自分の限度を越えて、なおもそれに気付かない振りをしながら生きているのではないかということです。

 ここはたぶんあなたの視界だからこその見え方なのですね。僕が返したような見方ではないのでしょう。それはあなたの価値観からすると、そういう見え方になるということではないでしょうか?また僕はあなたの評価を誤っているということではないでしょうか。

 ここら辺、もう一度お返事を待ってみたいと思います。本当に連続して書いてしまい、ごめんなさいね。たぶんここがメタメッセージがないあなたと僕の会話では重要なポイントになりますね、今の段階ではですが。

 では、おやすみなさい。


 

投稿日時 - 2008-11-25 02:18:04

ANo.132

 時間ができましたので、もうちょっと細かく書いてみることにします。

 No.129のものへのお返事となります。

 先にも一応の回答を載せたのですが、もう少し先ほどのものに触れたく思います。そこはあなたは以前からとても気にしている、あるいは神経の何処かにひっかかっていて止まない、という感じですね。

 僕と話してきた人の中であなたほどそこを気にしてこだわった人もいないんですよ。そこはだから、僕にとってもそうですが、あなたにとってもキーポイントなんじゃないかって思うんですね。

 わかり易いように、もう一度そこの部分を引用しますね。
> 私があなたに自分に対して無理をしているというのは言葉どおりというか、自分を大きく偽って生活しているんじゃないかと思ったからです。
> やはり、曖昧な表現ですね、すみません。
> 色々な人がいて色々な事がある中で生活する上で無理をすることが必要なのは分かります。
> でも、なんと言えば良いのでしょうか、自分の限度を越えて、なおもそれに気付かない振りをしながら生きているのではないかということです。

 これはね、ここでも僕としては語れない部分であるとしか言いようがないと思うんですね。でも、何でしょう、僕が言えないと蓋をしている部分と、あなたが気になっている部分はピンポイントではずれがあると思うんですよね。それと、僕はあなたがなぜそれを何処から見出したのかはわかってはいなんですね。いや正確に言うと、そういうのがにじみ出ているなぁとは思ってはいるのですが。

 そう、先ほども言いましたように、ここはたぶんあなたにとってもキーポイントの一つなのだと思うんですよね。でも、僕の予想を超えるところであなたが語っている可能性もあって、そこら辺を僕は気にしていますね。


 それと次の話に向かってみましょうか。引用しますね。
> あと、No127にあった頭のおかしい人についてなんですが良くわからないんですが、どういう人をさしているんでしょうか?

 これは何とも表現がし難しい部分なんですよね。個々人によって視界が違いますよね、その視界の違いによってはまったく見えない部分であり、その重要度が見えない部分だからなのですね。だからそこはあなたなりに考えを述べてもらえれば、そうではないとか、それとは近いとは言えますが、僕としても語るために思考を走らせたくない部分なんですね。それもある意味僕の地獄だからですね。


 次のものですが、引用しますね。
> あと、私の想定している地獄というのは自分が原因で現われる地獄についてなんですが、kumosukeさんの仰るそれはまた別物ということですよね?
> ごめんなさい、本当に良くわからないんです。

 これは両方ですね。でも、そうですね、前回語ったものに関してはそちらの別物と言われている方の比重が大きかったと言えると思います。そしてあなたが語るような自分が原因で現れる地獄に関して言えば、僕も以前あなたと同じような言説で以って語っていましたが、今有るものに関して言えば、より細密化し、より複雑化し、より広大化したような感じがあります。どういう語り口でも、ある一面を切り取って語り始めれば、それはその時点で嘘になるような感じがありまして、それも語り難い気がします。ごめんなさいね、ここはあなたの聞き方次第で僕も語り方を見つけるかもしれない、という感じの領域となりますね。


 では次に参りましょう。引用しますね。
> 私には何か一つのことに混乱があるとその程度にはよりますが、それが自分にとって重要だと感じられるものであればあるほどそれをどうにかして解決しようと躍起になり、そのせいなのかそのような時は普段にもましてマイナス思考だからなのかはわかりませんが、他の悪いことも相関関係を持ってるように感じてきて思考できなくなります。
> それは、とても苦しいことです。
> それをトライすればするほど苦しくなります。

 前段に関して言えば、物事を解決志向で以って臨むタイプの人にある流れだと思えますね。そして”躍起になる”という点が現在のあなたの形を現していると思うんですよ。

 思考の集中掘り下げタイプと言えるのではないでしょうか。ですから引用してその前段を示しますと、

> 私には何か一つのことに混乱があるとその程度にはよりますが、それが自分にとって重要だと感じられるものであればあるほどそれをどうにかして解決しようと躍起になり、

 ここですよね。ここはそうですね、皆ある流れのひとつであると言えると思うんですね。でも、何でしょう、”それをどうにかして解決しようと躍起になり”が個々人によって変わってくると思うんです。

 たとえば、そこで不安になってそれで周りにせっついて大騒ぎするというタイプの人もいるでしょう。これは物事の解決において、その解決を人のやり方に委ねると言う依存型の人の形でしょう。

 この形の変形パターンが一般的な人だと思うんですよね。ある程度は自分でも考えて取り組むんですが、それと同時に、割合に広くその解決法を人の方法に頼るという形ですね。これは大半の人がこれの応用した形だと思うんですね。

 で、もう少しそれらに混じっている感じの形が、そこで自分の考えられる範囲か、範囲でないかを見切って、吹っ切る方向に向かう形ですね。これは程度の低い、高いがあると思いますが、そういう形を取り入れている人もいますでしょう。

 そしてあなたの形ですが、ごめんなさいね、これは典型的な自己解決型の人、つまり他人を誰一人として頼れない位置にいる人に多く見られる形とも言えると思うんですね。いえ、誰かを頼れる人であっても自己解決に向かう人はいるのですが、あなたの場合はそこで”他の悪いことも相関関係を持っているように感じて思考ができなくなる”とまでに追い込まれるんですね。これは自分の今現在のポテンシャルを超えて物事の判断を行っている人に多く見られる形だと言えると思うんですよね。そして混乱に拍車をかけるのが、実は自分も誰かに頼りたいと深く思っていながらもまったく頼れないという状況があるからこそ、またそこで自己判断で決しなければならない状況が、さらにそこでの混乱を深めるような働きとなっていると言えると思うんですね。どうでしょうか。

 ですから、それはとても苦しいことであるのは当然であるのではないでしょうか、と僕からは言えるのです。トライすればするほど苦しくなるのも当然ではないでしょうか、ということですね。

 と、こういうことを言うということは、僕はそこへのある解決アプローチを持っているとも言えると思うんですが、僕が経た道は大変厳しいものですから、それを安全に経るということが、この離れた環境からの僕からの言及においては保障できない面があり、それを考えると本当にお薦めできるものではありませんし、またお薦めしたところでその状況が自分で構成していくことなどできるものではないでしょう、と思うんです。ただ言えることは、”人間は生まれてより死に至るまで孤独である”ということを身体の奥深くまでに至るまで感じ切ることが適えば、ということは僕の経たプロセスでは言えるでしょうね。


 では、最後の引用をしましょう。
> 死ぬことは怖くありません。ただ死ぬまでのことを想像すると怖いんです。
> でも、最近これなら上手く出来るかもとも思いましたがやっぱり怖いんです。
> 私はなんで怖いんでしょうか。
> 死にたいと思って本を買い、確実に出来そうな方法も見つけたのにまだ怖いんです。
> 私は生きることに対して未練があるんでしょうか。それとも本当はただ怖いだけなんでしょうか。

 死ぬまでのことは自己意識が恐れますよね。でも死ぬことはあなたの身体に存在する本能が怖がるです。DNAが怖がるとも言えると思うんですよね。

 以前も言いましたが、人は状況から苦しくて死のう死のうと考えれば考えるほど、やはり苦しくなるものなんですね。それは身体の常に存在する本能は、より幸福に生きようとするベクトルを常に持ち続けるからなんですね。相克となるからなんです。ですから、その本能はやはり死という状況の到来を拒むんですね、恐れるんです。これが、たぶんですが、フロイトの発見した無意識というものの、意識よりも遥かに広大な世界の一端だと思うんですね。

 僕も確実に出来そうな方法は見つけていましたよ。でもね、知ってますか、確実に死ぬ方法でも、瞬間に死なない場合が多くてですね、その死に至るまでの時間で、そうでない人がゼロであると言えるぐらいのほとんどが、助命を周りに請うんですよね。死にたいと思い願う状況と、死が逃れられぬものとして本当に目の前にあるという状況は、当人にとってもまったく違う世界なのですね。ですから、本当にそれで死ねた人であっても、死の間際に彼らは人には聞こえないかすかな意識の上で助命を請うている、願っている可能性が大なんですよね。

 人の持つ生への想い、意識、ベクトル、それは我々が想像している以上に遥かに強固にという表現でも足りないぐらいに有るものなのですね。

 それは、死を意識すれば自ずと苦しみ迷うことになることから逃れられなくなると想像できるものではないでしょうか。

 であれば、道はひとつしかないわけです。


少しでも楽になって前を向けるといいですよね。

 雨に身体を冷やさないよう、お気を付けください。

投稿日時 - 2008-11-24 17:07:41

ANo.131

 No.129へのものへのお返事として。

 今日は三連休最終日ですか。いつもここ十年ぐらいは祝祭日を知らず周りから教えられている感じです。仕事のペースに頭がなってしまっているのですね。連休初日のアルバイトの面接も意外な展開に・・・・、さてどうしようかとまた思案に暮れる状況です。

 それにしても紅葉の中、本当に小さな公園なのだけれども、土を踏みしめる感触が気持ち良いですよね。

 今ちょっと時間を取れないので、それとあなたの書かれたことが複数テーマに及んでいるので、それとひとつひとつが丁寧にアプローチすべきものであるので、ひとつだけに対してその見解を示しておこうと思います。

 見解と言っても、その理解への導きとなるものを置いていくだけなのですけれどもね。

 なるほどという感じで、またあなたを一歩深く知ることができたように思えます。

 では、これに対してのものを置いていきましょう。
>私があなたに自分に対して無理をしているというのは言葉どおりというか、自分を大きく偽って生活しているんじゃないかと思ったからです。
>やはり、曖昧な表現ですね、すみません。
>色々な人がいて色々な事がある中で生活する上で無理をすることが必要なのは分かります。
>でも、なんと言えば良いのでしょうか、自分の限度を越えて、なおもそれに気付かない振りをしながら生きているのではないかということです。

 非常に鋭いと思います。でも、そうですね、あなたの自分のフィーリングを伝える表現力が、やはり伝えたいことに付いてきていない過去を思わされました。今回はきちんと伝わりましたよ。


 これでわからなかったら、また尋ねてください。

 あなたがどこまで見解を深めて行くか楽しみになってきましたね。

投稿日時 - 2008-11-24 12:32:41

ANo.130

今日も休職応募中で暇なので、No.125のものへのお返事を書こうと思います。

 それにしても、今日パソコンで自分が書いたドキュメントファイルを整理していたのですが、物凄い膨大に書いていることに、我ながら驚き呆れました。でもそれが30年間の霧によって閉ざされていたもの、蓋をされていたものの現われなのだと思うのです。でも、残念ながらファイルの損傷でもう読めないものも大量にありましたね。嫌な想いで押しつぶされそうになったりした節目に全部捨てるということをしてきたので、その捨てたものがファイル名だけで残っていたのですね。ちょっとタイムスリップできなかったのが残念でしたね。

 魅力的な人が好きというのは、あなたの場合、そこに書かれたような人が魅力的と言うのだと思いますが、それはとても素敵なことだと思います。でも関われば関わるほど自分がふさわしくないと分かるというところが、あなたにある不幸と苦しみの種でしょうか。

 引用させてもらいますね。
> 私はなんていうかその魅力的な人みたいに生きたいというか、彼らみたいに世の中や自分を受け入れて世の中や自分について考えられて、それらに対して色々自分なりに葛藤はしつつも、自分が自分として自然に心地よく生きていけたらと思うんです。

 これはとても素敵な感覚の表明だと思うんですよ。そう思う人は多いのだけれども、それこそ若い人、思春期の人とかはそれをひとつの理想とする人はとても多いのですけれども、成長して現実というものに触れていく中で、そういう想いを現実に小さくコンパクトにして合わせることで、世の中の人は自分の人生を組み立てて行くんですね。特に、成人して、会社と社会の中でもまれていくにしたがって、そういう想いを失う人、小さくする人は大半なんですよね。

 言ってみれば、あなたは自分にある理想を自分で体現したい人となるでしょう?そこもあなたの長きに渡る苦しみを理解するうえでのポイントだと思うんですよね。

 そういう意味ではあなたはとても自分の理想に対して純粋なんですよね。ただ、振り返って自分が理想とあまりにも遠いと思うと、そこからエネルギーが負の方向に向かってしまい、己を蝕む面が多いのだと感じるのです。 

 そこからもひとつ思うのは、その魅力的なひとたちとの同一化思想というものに対してでしょうか。そのひとたちとまったく同じ形にはならないということが、あなたというひとりの人間がこの世に生じていることを考えれば、それは適わないことだということでしょうかね。あなたが彼らと近いものに辿り着くことは可能だと思うんですよね。それはもうこれからのあなた次第で如何様にもというところだと思うんです。人間、理想を絶えず内に静かに燃やして、何があっても、何が起こっても、綿々とそれを紡いで行くという方向性で生きるということに向かえば、様々な大小の障害がそうなれば面前に立つことになりますが、それでも静々とでも歩むことを止めなければ、それは大なり小なりにその形に向かって行くものなんですよね。

 だから、理想と向かい合っての葛藤というものは、当然として大事に養っていく必要があるし、苦悩というものとも大事に向き合っていく必要があるんですよね。苦しむことを拒んでは、そこで捻じれてしまいますし、そこには向かえないわけですよね。あなたの場合、いつの頃からか、その捩れが生じてしまって、鬱傾向に向かってしまっているとも考えられますよね。僕の重い霧は、そういう意味では幼くして捻じれてしまった故であるとも言えるでしょうね。もちろん、それには先天的要因と後天的要因が比重重く関わっているということでもあるのですが。

 話を戻しますと、人は先天的のも、後天的にも、様々な要因が絡んで有るものですから、同一的にその理想たるものに向かいはしないし、理想たる形にぴたりと同じに収まるわけでもないんですよね。それに理想に向かい際の自分の評価の仕方というものもあるでしょう。理想地点を良いとだけしては、理想には辿り着けないのですよね。それ以前の様々があるからこそ、人から見れば理想と言われる姿が形作られるわけです。その経過をおざなりにしてはならないと言うことですね。

 僕はだから人を評価する上で持って、アウトプットされ構築された結果のみを評価するというのはいただけないと思っているんですよね。その経緯、経過こそを評価すべきと思っているわけです。金の卵もきちんと育たなければ、金の鳥にはなりはしないわけです。金の卵も、そうでないものも、経緯と経過を大事にして行けば、その先にはそれなりのものが、それなりの姿が待っているわけです。これを将来性とも言えますが、一般的に言う将来性よりももっと原型的な姿、原型的な姿勢、そういうところを評価することが大事なポイントだと思っているんですね。それは自分に対してもそうなんですよね。いや、僕はかなり自分に厳しい人間だと思いますよ、でも自分に厳しい要求もするけれども、自分の器、自分の容器というものも把握しているし(まぁ、最近では自分のそれを超えて周りが評価してしまいますが。自己イメージが霧の時代を引きずっているのかもしれませんね。)、自分の弱さとか、本当に弱いところもある程度把握しているわけです。ですから、今有る形としては評価し得ないとか、理想には遠いと思えても、その長い先に理想を置けるものであるとか、まぁ、理想理想は言っても人間なんだから休憩も必要だよなと、そういう部分での自分の駄目さというものへも評価を向けることをするんですね。もちろん、人にもですよ。先を見て、臨んでいるのであれば、今はどんなにみすぼらしかったり、たいしたことないものであっても、それらをきちんと評価するわけですね。

 では、先天的なもの、後天的なものに話を移してみましょう。

 引用しますね。
> あと後天的な要因でも本人には仕方がないと書いたのは、もし幼少期の環境が後天的ならそれはもちろん本人にはどうしようもないことだとは思いますが、それ以外にも例えば学校で苛めとまではいかなくともからかわれたりすると重い霧のようなものを持ってしまうもしくは軽い霧を重くしてしまう可能性があるのではないかと思ったからです。

 これはその通りだと思いますよ。先天的とかの軽い霧というものも、その後の後天的な経緯によっては重くなるということが、ですね。でも、その、どうしようもないとか、仕方がないとか言うものでもないんですよ。それは、僕は重い霧の被さる中、それらをどうにかして来て、そして積み重ねてきたからですね。意図せずにしてというものであっても、その意図せずしたときから学んでいけばいいわけです。もちろん僕を見ればわかるとおりに、それで簡単に良い結果が生まれるわけではありませんよ。だって、霧自体が晴れるのには30年間もかかっているでしょう。でも、その晴れない中でも僕は小さく小さく、前も語ったと思いますが、薄皮一枚を重ねるようにしてですね、それらをどうにかして来たんですね。そして今が有るのです。その蓄積は、今となってはとてつもなく大きくなっていますし(逆にそのギャップで苦労しているのですが)、そしてそのようにして積み重ねてきたものは自分を裏切らないんです。これが大きな点でしょうね。

 伊藤整の青春については、簡単なエッセイなので、文学集とかに載っていたのをコピーしましたね。たぶん日本文学全集だったと思ったのですが、ちょっと探すのは困難かもしれません。その時はまた違う方法でお見せすることも考えてはおりますので、ご希望があればやってみましょう。

 人生は積み重ねて積み重ねて、そしてそれらが一気にスパークするようにして成果を見せるような感じで進展するものです。というかですね、一部の世の中の優れた人たちは、そうやって進展を経てきているんですね。だから内田樹先生という論客の登場は、そしてそのブレイクスルー等の論は、遅かった感じもしますが、その脚光を浴びるようになったことは、そのような論が表に現れないという世の中に蓄積されたストレスの反映と見れるんですね。時代のメインストリームが見失って落としていているものが、かえってストレスをもたらしていることに時代は気づいてはいたのですね、それを拾い上げる人の登場がやっと成ったということなわけなのです。

 そういうものを拾い上げる作業が、あなたのこれからを探るのに良いと思うんですよね。

 いつもながらに語り足りませんが、今回はこれぐらいが良いかと思います。

 忙しい中、色々を語ってくれて、ありがたく思います。少しでも良いフィーリングを掴んで行けると嬉しいですね。

投稿日時 - 2008-11-21 16:42:04

ANo.129

すみません、前回の内容では能力主義至上主義のようにも受け取れてしまうので、もう少し補足しましょう。

>自己への客観的な冷静な評価が内省、内観を深めることによってきちんと行えれれば、自分より劣っている人たち、普通の人たち、世の優れている人たちや、歴史的に優れている人たち、そしてその中でもこの世界の理の全景を見渡し得た上で自己の論を展開したごくごく稀な極めての優れた人たち、といった人たちとの間の自分との距離、その中での自分の立ち居地といったものがおおよそにわかるのです。それが適えば、自己への確信性を保ったままに、自己のアウトプットへの懐疑を担保するすることができるわけなのです。

 ここにざっと書いた評価軸は思考におけるアウトプット能力においての、と見てもらったほうが良いと思います。主に思考におけるアウトプットをテーマにして書いておりますので、このような書き方となりましたが、人間の価値とはそこには止まりませんので、そこら辺をご留意して読んでもらえると嬉しく思います。

 ね、笑顔が素敵な人もいるし、思わぬ発想をする人という魅力もありますし、その人間的な癖が良いなと思える人もいるわけです。人の価値とはそこには止まらないという点はお気を付けて、これからも僕の書くものを読んでもらえたらなと思います。

投稿日時 - 2008-11-21 12:30:58

ANo.128

No.124のものへのお返事となります。

 おはようございます。今日も寒いですね。でも、この寒さを工夫してしのいだり、寒さに応じて生活の色々を変えるというところに、またその寒さそのものにも、季節感とその季節を生きている実感が湧いて来るというものですね。今日もお忙しいようですね。僕は転職に転職を重ねているところでして、今日は暇という感じです。

 今の世界の見え方は、感情的な主観の入らない主観的な見え方と近いのかもしれないと思いますよ。如何に認知の飽和を迎えたとて、その人に完全な中庸な認知が訪れることはありませんよね。それでそんな状況が訪れていれば、それは仏陀の悟りのようなものが降りてきているということになってしまうことになるでしょう。

 仏陀で文章的に良い繋がりになったので、前回の宗教に関するものに付記しておきたいとおもうのですが、”人体の自然と宗教の理は合わない”と書きましたが、これにはお断りを付けておきたいのですね。宗教の中でも、これに適合するのは、現代宗教の多くと
とほとんどの新興宗教に、と言えるでしょう。古くから有る宗教の中には、人体の自然の上にその理があるものが逆に大半であると言えるでしょう。ただ、そこまでの理解に至るのには大変な蓄積が必要であるために、一般においてそれが理解に至ることが無いというのが広くある状況と言えましょう。と、この話はここまでです。

 ちょっと引用させてもらいますね。
> その後に続く現実への見解につい拝見し、理解は出来ましたが、ではどうすれば良いのでしょうか。
> 最近人と関わるということに関する自分の感情が不安定なので混乱していて本当によく分かりません。

 これは今何をすれば良いのか、という問いかけと理解して良いでしょうか。

 そういう意味でお応えしますと、以前お話した人間における成長システム、それを踏まえての取り組み方と、それと内観を行いながらの大きな失敗を経ない程度のトライ&エラーの蓄積という取り組み方の融合したものと言えるでしょうか。

 まず前者からお話しますと、人間と言うものは、”わからない”というものを適当にシンプルナイズして”わかる”としてしまわないで、”わからない”という大きな揺らぎある概念のままに置いておく、ということの蓄積を重ねておくことで、その後の大小様々な経験の蓄積との化学反応が起こり、ある日、突然にして、それへの大いなる理解が訪れることがある、というものですね。それがブレイクスルーであり、その捉え方を内田樹先生は”中腰の構えで待つ姿勢”と表現します。

 つまり”わからない”という混乱を、思案に暮れながらも、そのわからないという混乱状態のままに大事にする、ということでしょうか。もちろん絶えず思案に暮れる、つまり、ああだろうか、こうだろうかを繰り返すのですね。で、ある日その思案から小さい”わかった”を得るのですが、でもそれはやっぱり小さい”わかった”だという予感があったり、なくても”本当にそうだろうか?”と懐疑する状態を担保しておくのです。その懐疑を自己へのある程度の確信性を持ちながらも常に担保させておくという、矛盾性がありますが、やはり自己へのある程度の確信性というものがなければ人は思考的にも精神的にも心的にも人格的にも土台を持てませんので、それを必要としながらも常に自己のアウトプットへの懐疑を持つということなのですが、それを可能ならしめるのが、内省、内観を深めることのよっての自己への客観的な冷静な評価を得ることだと言えるでしょうね。

 自己への客観的な冷静な評価が内省、内観を深めることによってきちんと行えれれば、自分より劣っている人たち、普通の人たち、世の優れている人たちや、歴史的に優れている人たち、そしてその中でもこの世界の理の全景を見渡し得た上で自己の論を展開したごくごく稀な極めての優れた人たち、といった人たちとの間の自分との距離、その中での自分の立ち居地といったものがおおよそにわかるのです。それが適えば、自己への確信性を保ったままに、自己のアウトプットへの懐疑を担保するすることができるわけなのです。

 もうひとつ、後者でしょうか、内省、内観を行いながらの、大きな失敗を経ない程度のトライ&エラーの蓄積というものは、それすなわち自分の身体、心、精神、エネルギーの所在とその量などとの対話と言えるでしょう。どこにそれぐらいのケアとフォローが必要なのか、身体で言えば、喉がおかしいとがあったら、それにケアしながらも、自分の身体の他の部位とのそれの関係性を探ったり、環境要因との関連性、スケジュールとか、気候、仕事の性質、遊んだ場所などなどですね、心においてもそうであり、精神においてもそうであり、エネルギーの所在と量に対してもそうであります。そして、そこから得られた自分の今現在の見解というものを、それから得られたものからの対応の実行により大きなダメージを負わないと予想ができた場合のおいてのみ、それを試してみるということをし、そして成功すれば、先の成長システムの上に置き、失敗すれば、その原因・理由を探りつつも、失敗へのケアをし、失敗の性質も探るなどなどとなります。

 人と関わる上で、感情の不安定故の混乱というのは、本人にとってなかなか大変な状態だと思うんですよね。でも感情の不安定があるということは、感情の反応(リアクション)の形成プロセスに変化が起きていることを示しますし、それはつまり以前よりより良い土壌を形成できる大きな機会と言えますし、もちろん不安定な時であるからこその自己へのより適切なケアが大事であると言えますし、その時期を大事に丁寧に過ごすこともとても必要なことですから、そこは僕も心配するところなのですね。

 大事なことは、自分の根底にあるものへの柔かな信頼と、そしてこの世界にある暖かいものへの柔らかな信頼、そういうものを軸にした目線で小さな細々としたものを拾い上げ、集めていくことでしょうか。やはり人にとっては暖かくて柔らかなものが、気持ち穏やかに良いフィーリングで以って、ほど良い自己というものを形成し易いものです。厳しいと感じるもの、感じてきたものがあるからこそ、さらにそのようなものが自分に対して正的なプロセスをもたらすと思ってもらい取り組んでもらいたいと思います。

 寒さは心身をひきしめてくれますが、それでも身体に厳しいものであることは変わりませんので、乾燥なども含めて、身体にもお気を付けてお過ごし願いたく思います。

 お忙しい中、人生的にも大変なときに、きちんと色々と考えて毎回お返事してくれてありがたく思っております。またまとめて僕の投稿の最後のものにお返事を付けてくださるようになったのも、多投稿な形の僕のものに対してとてもコミュニケーションがし易くなっていますよね。それも良い感じになってきたなと思いますよ。

投稿日時 - 2008-11-21 11:47:33

お礼

Kumosukeさんこんばんは。
三連休は予定はないけど忙しそうです。

私があなたに自分に対して無理をしているというのは言葉どおりというか、自分を大きく偽って生活しているんじゃないかと思ったからです。
やはり、曖昧な表現ですね、すみません。
色々な人がいて色々な事がある中で生活する上で無理をすることが必要なのは分かります。
でも、なんと言えば良いのでしょうか、自分の限度を越えて、なおもそれに気付かない振りをしながら生きているのではないかということです。

あと、No127にあった頭のおかしい人についてなんですが良くわからないんですが、どういう人をさしているんでしょうか?
あと、私の想定している地獄というのは自分が原因で現われる地獄についてなんですが、kumosukeさんの仰るそれはまた別物ということですよね?
ごめんなさい、本当に良くわからないんです。

No129についてなんですが、どうすれば良いのかという問いに対し答えて下さった内容を理解は出来ました。
しかし、私にはひどく難しいことのように感じます。
私には何か一つのことに混乱があるとその程度にはよりますが、それが自分にとって重要だと感じられるものであればあるほどそれをどうにかして解決しようと躍起になり、そのせいなのかそのような時は普段にもましてマイナス思考だからなのかはわかりませんが、他の悪いことも相関関係を持ってるように感じてきて思考できなくなります。
それは、とても苦しいことです。
それをトライすればするほど苦しくなります。
私は生きてるのは忍耐だといったと思いますが、死ぬことは勇気だと思います。
死ぬことは怖くありません。ただ死ぬまでのことを想像すると怖いんです。
でも、最近これなら上手く出来るかもとも思いましたがやっぱり怖いんです。
私はなんで怖いんでしょうか。
死にたいと思って本を買い、確実に出来そうな方法も見つけたのにまだ怖いんです。
私は生きることに対して未練があるんでしょうか。それとも本当はただ怖いだけなんでしょうか。

投稿日時 - 2008-11-23 23:40:16

ANo.127

No.123のものへの返事となります。

 今日は調子が良さそうですね。読んでいるこちらも嬉しくなりましたよ。

 お忙しい中、また色々とある中、とりあえず連絡を付けてくれて、ありがたく思います。

 そうですね、最近寒いですね。寒いというのは、これまた気持ちが引き締まるものがありますし、この時季、この温度だからこそ、木々の紅葉もまた心に染み込むものがありますよね。

 そうですか、あなたは東京生まれなのですかね?僕もね、そうあんまり喧騒の激しいところは駄目なのですが、人々の喧騒を見ていると、何だか我が消えて、街に溶け込んでいくような感じがしてね、それが心地良く感じるんですよね。

 銀座も銀座の風情がありますし、新宿は道幅が広くて歩き易くて、でも最先端ではないというような落ち着きもあって、でもやはりあの街独特の喧騒はあって、人々の流れを感じると、嬉しくなる部分がありますよね。秋葉原は土日の人の混み具合は、流石に僕は駄目なんですよ。でも、平日に行くと、それも無くて、飲食店の並び方などを見ても、この街の独特さがあるなぁとの思いに浸るんですよね。

 バイトの休憩中で、とても爽やかになれましたか、喜ばしいことですよ。僕も嬉しくなりますよ。それはひとつの発見ですよね。新たな自分かもしれないし、今までも有ったけれども見つけられなかった自分の一面かもしれませんよね。

 たぶんあなたにはあなたなりの身体とか心のエネルギーの鬱滞の形があるんだと思うんですよね。今、爽やかになったのは、その形のひとつに行き当たったからだと思うんですよ。

 人間が生きるということの上には、”流れ”というものがあるんですよ。あなたも自分との付き合い方をこれからもたくさん見付けて行けば、自分なりの幸せの形を見つけられると思うんです。

 今の爽やかな気持ち、それを忘れないで欲しいなと思うんですよ。

 では、またお待ちしておりますよ。

投稿日時 - 2008-11-15 19:38:53

ANo.126

もうひとつ、コメントしておきますね。

 インターネットを見てても、世の中を渡り歩いていても、精神病とか、人格障害とかに関わらず、これは頭がおかしいなと深く嘆いてしまう人はたくさんいますよ。もちろん、精神病者や、人格障害の人にも、そういう類の人はいます。でも、そういうラベルは関係ないんですよね。頭がおかしい人は本当にたくさんいます。これはもう手の付けようがないと感じて、深い絶望感に襲われるような人がね。

 そういう人たちと比べれば、あなたは色々を抱えているけれども、遥かに希望が持てるんですよ。そりゃぁ、生きているのも辛いというのはわかるものなのだけれどもね。本当、偲ばれます。

 人間の価値って簡単にはわからないものですよ。でも、あなたや僕のようなタイプの人間は、それとどう向き合えば良いかという方策を組み立てられるようになってくると、その頭のおかしくて非道いとしか言いようがない人たちと比べると、遥かに良い生き方を目指せますよ。

 僕が語っていることは、そういう価値の部分なのですね。伝わりますでしょうか。僕の言う地獄も見えますでしょうか。

投稿日時 - 2008-11-14 15:08:45

ANo.125

No.122へのものへ、新しく見解が持てました。なるほど、確かに無理を重ねてきてしまったようです。その面からも確かに僕は一線を超えてしまったのかもしれません。

 ちょっと面白い話をしましょう。大学時代の元親友の話です。

 彼は幼い時に脳にメスを入れるほどの手術を受けていました。そのためか、彼は時々、眉毛から色が抜けたり、戻ったりと、色々がある人でした。彼はその明らかにはされない脳と思われる後遺症障害のために、手術以後から辛い日々を囲ってきたようでした。そのためか、彼は内に渦巻く人間に対するどす黒い感情を押し込めて、表面は適切な対応ができる人として振舞っていました。

 ですが、彼の振る舞いにはどうしても感情の産物とは思えない面が表出しており、また知的に並優れていたけれども、テストなどの場では緊張から本領を発揮できないというものを抱えておりましたが、普段からその知に勝る部分が表ににじみ出る人でした。

 その彼と比べても、僕の知性は感情に左右されない面があり、彼をしてそれ以上の議論を深めたくないとさせるほどに、僕の知性は、個人としてそれ以上はと恐れるほどの部分にまで、自己への内省ということ行えるタイプでありました。人は己を思う際に、自分に有る悪性の真実までをも見ないことによって、自己というものを安定して保てられるのです。僕はある意味、そのラインまでも自分で超えて考えていくタイプであったということです。もちろん、それで自分を責めることにもなっているのですから、やはりちょっと行き過ぎな人であったのです。

 その彼ですが、彼は傍目から見ても疲労困憊で、体調を崩して、顔相青白くなっているというのに、それを自身で感じることができずに、何処も悪くないよと言ってバイトに普通に行ってしまうような面が強くありました。そしてそれは、精神的な苦痛の積み重ね、疲労の積み重ねにおいても、そうであったのです。彼は自分のダメージを感じることができず、自滅することを繰り返していたのです。それは本当の言葉の意味での自滅であったのです。

 そして、今回あなたの言葉を振り返って、彼を思い出し、あぁ、僕も彼とは違う意味で自分に無理をしてしまうタイプの人間なんだということに思い至りました。

 僕は彼と違い苦痛を普通の人よりも強く感じます。精神的な負担も普通の人よりも強く感じます。僕と彼との違いはそこでしょうね。そして僕は、苦痛も、精神的な負担も感じながら、もちろん彼よりはそれらに屈しているのですが、普通の人と比べると遥かにそのまま無理を行ってしまう人であるのでしょうね。そして、今、何度目かの、限界点に来たということなのでしょう。今までと違う状態で限界点が来たので、ちょっと把握ができていなかったのでしょう。

 世の中には、色々な人がいるものです。僕や彼のように、一見すると普通の人と変わりない姿でありながら、その内面におけるものが微妙に違う人間、そういう類の異なりというものも、この世には存在するということなのです。

 この普通と違う性質を備える人というものに関しては、まだ他に色々なものがあります。そこへの言及も可能ですが、それがあなたにとって役に立つものであるのか、逆に不安を煽るものとなるか、それはなかなか判じ切ることはできず、語るにも恐れを抱くものであると言えましょう。

投稿日時 - 2008-11-12 04:12:14

ANo.124

 伊藤整の”青春について”は読まれたことがあるでしょうか。エッセイのような小編ですが、読まれていなければ、ご一読をお薦めします。

 図書館で検索するのが早いかもしれません。

投稿日時 - 2008-11-11 18:24:51

お礼

こんにちは。
今は若干時間があるので書き込ませて頂きたいと思います。

重い霧についてなんですが、私は重い霧を持っていてそれを克服したのであろうという人には会ったことがないのでそのような人については言及出来ませんが、重い霧はないけど適度に苦労をしていてそれを自分なりに受け入れて納得しながら乗り越えて来た人が魅力的だと思います。
そういう人とは何人か話したことがありますが、純粋に羨ましいし、自分とは違う世界というか次元で生活しているように感じ苦しくなります。
人間にとって魅力的なだけが価値ではないのは分かります。
でも私は魅力的な人が好きなんです。
関われば関わる程そういう人とは自分は相応しくないことが分かります。
ごめんなさい、この件についてはかなり混乱しているので、感情と現実が混ざっていて上手く説明出来ないんですが、私はなんていうかその魅力的な人みたいに生きたいというか、彼らみたいに世の中や自分を受け入れて世の中や自分について考えられて、それらに対して色々自分なりに葛藤はしつつも、自分が自分として自然に心地よく生きていけたらと思うんです。


重い霧の先天的・後天的については冷静に考えると仰る通りです。
異なる何人かの著者の本を読んだなのに読んだ本に重い霧のようなものを持つのは幼少期の環境のせいだと言うことが書いてあり、そこには納得しましたが、それだけではなく幼少期以後にそのようなものを持ってしまうこともあるのではないかと思い、幼少期を先天的、それ以降を後天的と表現しましたが、よく考えると何も関係なく生まれ持った性質が先天的でそれ以外が後天的ですよね。
混乱させてしまい申し訳ありません。
しかし、そのような意味で言っても先天的・後天的共に問題があると思います。
あと後天的な要因でも本人には仕方がないと書いたのは、もし幼少期の環境が後天的ならそれはもちろん本人にはどうしようもないことだとは思いますが、それ以外にも例えば学校で苛めとまではいかなくともからかわれたりすると重い霧のようなものを持ってしまうもしくは軽い霧を重くしてしまう可能性があるのではないかと思ったからです。
私にも確信はありませんが、もともと先天的な意味で他の人となんらか違う性質(重い霧の種のようなものでしょうか)を持っていたから、幼少期の環境や成長していくにあたり集団においての環境等によりその性質が助長されてしまったのかもしれないとは思うんですが、それが先天的な面ではないとしても自分が意図せずにしてという点ではどうしようもないのではないかと思っています。


伊藤整さんの著者については一週間程前に図書館で検索しましたが見つからなかったのでまた探してみます。

投稿日時 - 2008-11-21 10:44:24

ANo.123

 前記したものが長くなりましたので、今回はできるだけ短く済ませたいと思います。

 No.122へのものへの返信となります。


 無理をしているというのは、それはその通りです。世の中を生きる上では、多少の自分に対して無理を利かせるということは、それは必要なものです。ただ、状況においては、予期しない無理を求められることがあります。そことどう折り合いをつけるかが、生きる上で、生活をする上で、求められる部分なのです。

 折り合いをつけるとは、その無理が恒常的に重ねられるものであるのか、ないのか、ということを探るということでもあります。一日の仕事において、ある程度無理を要する時間は存在するものです。その無理を経ることで、次の機会には無理とならなくすることも、多くありまして、それが”やりがい”ともなっても来ます。

 ですから、無理の質を確かめることと、その無理との自分の相性を探ることと、その無理との付き合い方が模索できるものであるのか、ないものであるのか、などを精査する必要があると言えます。そして、明らかにこれは”もう無理”なものであるとか、”今は無理”なものであると判じられた場合、そこに対策を打たんとするのです。こういうのは実際に経てみないとなかなかにわかりかねるものです。ですから、良好に無理を重ねられるところというのが、良い職場であると言えるでしょう。

 ”自分に対して無理をしている”、その状態にも多様なものがあります。”言葉の上辺だけを捉えてはならない”とは、よく識者の口にするものですが、そのような感じとなりますが、如何お思いでしょうか。

 重い霧が本質的に晴れることは、僕からはあると言えます。僕はもう晴れているからです。今あるものは新たな試練と言えます。今立っている精神的なステージは、それ以前とは明らかに大きく異なるものです。精神的なステージにそれだけにの隔絶を見るということは、身体も、心も、神経系も、違うものとなるということになります。それは当然の帰結であると今は思います。

 周りが見えるようになったら、そこにあるのは地獄というのは、今の僕の苦衷を指すものであると思います。ですが、地獄を知るからこそ天国を知るではないですが、それだけものが見えるということは、それだけ素晴らしいもの、良いものも見えるということを意味します。そこから察せられるものは、あなたのような思考の行える人には自ずから知れるものだと思います。地獄=絶望は常に共に生きるものであると思います。突き放すから、深く長く苦しむものであると言えると思います。

投稿日時 - 2008-11-11 18:13:08

お礼

koumosukeさん、おはようございます。
遅くなり申し訳ありません。

認知に関してのお話ですが、そのとおりだと思います。
私が前回にあるがままをと言ったのは実際にあるがまま・・・というよりはよりあるがままに近いもの・・・何といえば良いのでしょうか。
特に目的や関心もを持たずにTVの映像を眺めているというような感じです。
積極的に何かをするとそこにはある程度何らかの感情が入ってしまい、主観的な意見等に支配されそうになるけど、それがほとんどないというような感じです。
漠然とした感情で現実をフィルターを通して流れ往く映像を眺めていて、そこにあまり主観が入らないからあるがままに近いのではないかと自分では感じています。
しかし、今それを考えるとそれにも、様々な要因が働いていて例えばもっと主観的に見てこそそのあるがままに近いものがみえるような種類のものがあるかもしれないとも思うし、よく分かりません。

今まで常に周りと合わずに・・・という件はまさにその通りです。
しかし、そのために出来る限り自分が上手く接することが出来ないであろう人たちと関わるのを避けるようにしてきました・
そのためにコミュニケーション能力といわれるもの等が他の人よりも未熟といわれれば確かだと思います。
その後に続く現実への見解につい拝見し、理解は出来ましたが、ではどうすれば良いのでしょうか。
最近人と関わるということに関する自分の感情が不安定なので混乱していて本当によく分かりません。

時間がなくなってきたので続きはまた書き込ませていただきます。
すみません。

投稿日時 - 2008-11-21 08:22:56

ANo.122

 こんばんは、最近東京はとても冷たい気候へと移っております。季節の移行を感じられることは幸せなことだと思います。メタメッセージのない状態では、遅れてもまとまりができつつあるものの方が受け止めやすく、誤解を積み重ね難いとは言える部分がありますので、それも良と言えるものだと思いますよ。(自分で書いておいてなんですが、細かな地域への言及は、多くの目がある中ですので、トラブル回避の意味で、お避け下さい。)

 まずNo.121のものへ返信したいと思います。

 時間を空けるのが怖いというのは、つまり考える時間が空くと、そこから止まらないマイナス思考に支配されるということへの恐怖感ですよね。そして実際に鬱に向かい、身体も幸から離れた感覚に支配される。そこに有ることに対しての存在証明を絶えず行わねばいられなくなる。そういうことだと思います。

 我々が今行っているのは内観法と言われるものと近いと思います。実際を資料程度からしか知らないのですが、そうだと思います。

 あなたが今回、いや前回から述べられているのは、感情と論理性の分離ということでしょう。もともと論理性に優れたあなたですから、感情から離れられれば論理に優れたものを受け止めるのは容易い。

 感情と、論理性(=思考)の分離は、その人の世界の認知の飽和から訪れると思います。飽和、オーバーフロー、色々な表現がありますが、そのようなものではないかと、自分の体験から、そう推察します。

 人は認知に際して現実をあるがままそのままに受け止めているかというと、そうではありません。実際にあるものを概念化、簡略化、縮小化して捉え、認知としています。そしてもちろんなのですが、そのやり方と言えるものは個人によって異なります。まったく間違っている方向に向かう人もいますし、よりおおよそに向かうか、より緻密に向かうかという、正しいと言える範囲内での揺れもあります。認知にも深度があるのは前回お話ししましたが、より勝って認知となっているものは、身体化しているとか、皮膚感覚に落ちているとか言います。ですが、この深度で錯誤があることもままあり、その場合塗り替えることが容易ではありません。

 たとえば、現代宗教においては、洗脳的プロセスを経るところも多くあり、その場合、価値観がその宗教に都合良い形で歪められて定着化している場合が多々見られるのです。ただ、このような歪んだ形を受容している人たちには、そもそも理解の身体化というプロセスが抜け落ちていることが多く見られるのです。なぜなら身体の自然から離れないと宗教の理説には合い難いからです。ですから、身体に訴えかけるような価値観の再構成が有効とは言える面が強いでしょう。

 以前僕が”大学生とは常にそれぐらいのものですが”と書いたのは、綺麗な表現、礼法から少し外れた表現と言える面が強いですが、ただこれは、世間の大学生の経験とは、世界とは、それぐらいであるという認知範囲を指したものであったのです。彼らは本当に未熟であるというのは、僕の域においては実感としてあるものとなります。

 ということを踏まえてお考えください。あなたは今まで常に周りと合わないので合わせるということを行ってきており、それでも合わせきれなく、ずれることに苦しみを感じてきており、また合わせるということ自体にも苦しみを感じてきているはずです。そして、常にある自分の何処へ向かうかわからない感情の揺れや、動きや、衝動に関しても、疲労を振り返っても感じないことはなかったのではないかと思います。

 では、なぜ、そのようなことが起こり得るかと言えば、己の認知の総体の個性的な展開が見られるからだと言えるでしょう。そしてもうひとつ言えるのは、年齢的、社会的なポジションからもそうと言える、それらの熟成の段階、つまり相対して見れば未熟という位置にあるということ、でしょう。、それが見えるのはコミュニケーションにおけるあなたにおける自然な展開が、周りにおける自然な展開と重ならないということ、そしてそれは感情における自然な展開においてもそうである、ということからと言えるでしょう。

 では、それらに自然と応じられるようになるにはどうなる必要があるでしょうか。それはあなたにおける認知と言うフレームワークの拡大進化と言えるでしょう。その前段階として認知の飽和、つまり感情と思考の分離が訪れることが見られるということになります。もうひとつには、あなたが否定感覚的な感情的な蓄積に耐えられなくなっているが故の飽和とも言えるでしょう。それを概してクライシスとも言いますが、その逆である安定と言う均衡状態が保たれた状態にある間は、人はそこからの変化を起こそうと自発的なエネルギー、というよりも、自発的な身体から発する衝動を持ち得ませんので、望める範囲で良好にそのクライシスを経過させることが大事なことと言えるでしょう。

 というのが、現状への見解となります。


 重い霧に関しての話しに触れましょう。

 重い霧を有している人と、いない人がいるというのは、事実です。そして、その重い霧を有することなかった人も魅力的であることがあるというのは、その通りであると思います。

 そこにひとつ付記すると、まず、人間において魅力的であるということが、価値とすべきすべてではないということであります。魅力が薄くても価値のある人というのは当たり前に多くいるものです。そして、重い霧を有することなかった人の保有する魅力と、重い霧を有しながらもそこから抜けた人の保有する魅力、という点から見ると、そこには決定的とも言うべき大きな違いがあると言えるでしょう。”実体験”という言葉がありますが、それを経た人と、経ない人が保持しているものは自ずから異なるものとなります。

 先天的、後天的という面で言えば、幼少期の環境は、僕の理解から言うと、それも後天的なものとなります。つまり、あなたの言う、先天的と後天的が明らかに重なっているというものが、あなたの状況にあるということに間違いは無いと思いますし、明らかに人と違う素養を備えて生まれてきているということになると思います。

 ここであなたの論は少し手詰まりな感じになると受け止められるのですが、先天的なものは今さらどうしようもない、というのは一般的であると思うのです。ですが、なぜ、後天的なものも今さらどうしようもないと続くのでしょうか。そこが知りたいなと思います。

 重い霧のある人と、ない人について、もう少し考察を及ぼしたいと思います。重い霧が自我に目覚めた頃からある人、というのは、人が持てるポテンシャルを超えた部分を有してその時点に有ったからではないかと思うのです。人間の感覚から認知へと変換するシステムにおける能力は生後からどんどんと発展していくものですが、稀にと言うには多く、その年齢では受容しきれない感覚入力を備えた人が生じます。そこからにおいてのボタンの掛け違いで、大きく重い霧を背負うか、あるいは小さくそれなりの霧を背負うかが分かれるのではないかと思います。

 今回はここで止めておき、あなたの中での推移を見守りたく思います。


 僕への返信は、無理して間に合わせようとはしなくても良いです。返さねばとプレッシャーを感じたときは、”返す”ということから一時離れることを自分の望むような形で行ってもらえると良いかと思います。

投稿日時 - 2008-11-11 17:58:18

お礼

kumosukeさんこんにちは。
最近は寒いですね。
確かに寒いけどとってもきれいですよね。
季節を感じると言うことはそれがどんなものであれ幸せだと思います。
私は東京が大好きです。
銀座みたいに綺麗な人ばっかで入りづらい雰囲気の街も好きですし、新宿みたいに色々なひとがいるところ、アキバみたいに独特の人やお店が多いところとどこも好きです。
というかまた遅れてしまい申し訳ありません。
やらなきゃいけないことがいっぱいあるんだけど、何もやれなくてでも時はすごく早く流れて行くんですね。
今はバイトの休憩中ですごく、なんでか分かりませんが今はすごく爽やかな気分です。
お返事書きたかったんですが無理そうです。
出来るか、というかやるかはわからないけどやらなきゃいけないことに縛られているので、また暫くかけないかもしれませんが、一週間程すれば一番嫌なことは終わるのでまた書きます。
とりとめのない文章ですみません。では

投稿日時 - 2008-11-15 13:59:48

ANo.121

たびたび、すまない。

 僕はスロットルを緩めることにしたよ。30年間必死でやってきて、それを抜けてもここ数年、無用に鞭打たれてきた。ちょっと心の弾力性が失われてきている。踏ん張りが利かなくなってきている感じだ。

 人生は思っているよりもずっと長い。

 あなたも新卒採用が目の前で焦りはやる気持ちでさらに大変になるところがあると思われるが、すこし気を抜くような方策もあるのじゃないかと思う。志望していた金融は、リーマンショック以降、崩壊の一途にあるしね。ああいう実体の無い利益システムは、いずれそのような道に向かうのではと思っていたが、ここで一気に崩壊とは思わなかったよね。

 遅れに遅れている僕の人生なのだが、しょうがないという感じですよ。では、また会う日までお元気で。

投稿日時 - 2008-11-11 02:33:44

お礼

kumosukeさん、こんにちは。
今は電車のなかで若干時間があるので書き込ませて頂きます。

kumosukeさんの仰っている心の弾力が失われてきたとか踏ん張りが効かないというのは無理をしてるからなんじゃないですか?
無理って言っても他人に対するというよりもあなた自身に対して無理をしているんじゃないんでしょうか?
本当に本質的に霧のようなもやもやが晴れることはあるんでしょうか?
周りが見えるようになったらそこにあるのは本当の地獄なんじゃないでしょうか。

投稿日時 - 2008-11-11 12:52:45

ANo.120

 この欄を埋めてしまい、ご迷惑をかけるが、もうひとつお付け加えさせてもらいたく思う。

 ひとつ重要なのは、今までのあなたとのコミュニケーションにおいて僕があなたを嫌いになったことなど一度もないということだ。またあなたと話す気がなくなったことも一度もないということだ。

 ただ、誰しも感情があることから抜け出でることができないように、それは僕においても同様だ。コミュニケーションの中で感情を発露させたり、あるいは爆発させたり、沈静化のために一時距離を取らねばならないのも当然としてあることであるのだ。もちろん、僕には僕の人生における困難というものも存在する。そこにおいてもコミュニケーションの形に乱れが生じることがあるが、それも前記と同様に誰にでも見られるものでもある。ただ、僕において他の人と違うところは、相手がコミュニケーションを望む気構えがあるのなら、それを拒否することはないということだ。僕自身にとっても、そのような相手とのコミュニケーションは得られるもの少なくないものであるからだ。ただし、相手が最低限の礼法にならってくれることと、最低限の相手への敬意を払えることは、条件としてあるものとなります。そういう意味では、きちんと社会性を意識できる人という、ある意味条件としては厳しいものを課す部分があるのは事実だ。会話の早い段階でそれを掴んでいく人もいるので、そうでない場合にも対応することはありますが。

 もうひとつは、相手に自分の状況をなんとかしたいという必死さが見られるかという部分になります。それがあれば、たとえ人として多少いびつなところがあっても、僕はそのような人を愛好する癖があります。つまり、あなたのような人を好む体質であるということになります。

 もう一つ言えば、コミュニケーションにおいての先を見ながら会話するということでしょうか、特徴的なのは。ですから、このようなメタメッセージのない会話においては相手の気持ちの推移を瞬間的に掴めない面があり、あなたとの間のコミュニケーションの失調を恐れつつ、コメントを置いて行くという形となりました。そして、その中であのような見苦しいものも出てくるということになります。それは上記の感情面も絡んでとなります。

 ですから、以前におけるあなたの攻撃的、否定的なメッセージも、必然性を感じている面がありますので、それはあなたが悪いとか、責めるとかの気持ちはほとんどないと思って良いです。ただ、それらの質、どのような感情がない混ぜとなっているか、には注意を払わないとならないと思っていました。当然なのですが、僕自身落ち度を感じておりながらのあのような状況となった面もありますし、ああ言われて苦しくなる部分もありましたし、いえ、そうでなくてはあのような感情の発露は意味がありませんから良いのですが、もちろん、あなたの中の色々な感情、それの状態を知るには手がかりが少なく、あなたの中の気持ちの推移を推し量る以外になかったと言えます。ですから時間の経過を必要と感じましたし、こちらの感情の整理も必要であったということにもなり、最近の手探りのコメントの投稿となるわけであります。僕を迷惑と感じる気持ちにも、全てがうそであるとは思いはしませんですし、というのは、人の感情には、常に、ありがたい、と、迷惑であるという感情が同時の存在することはしばしばであるからであります。それはあなたや僕のようなタイプの人間では、常にせめぎ合いする二つの感情であると思っています。

 ですから、あなたが望めば、僕はいるということにもなりましょう。しかし、人とは必要、不必要で以って、その存在をコントロールできるものではないのも事実としてありますから、そういう思い通りにならないもの、それすなわち人であると思ってもらいたく、それをよくよく噛み締めるように学んでもらいたくも思います。

 依存を恐れるのならば、依存の典型である、現代宗教というものを含めて考察してみましょう。あれの実体は僕も見てきましたので、そこへの理解はあなたを遥かに凌ぎましょう。また、個人の人間間の依存というものも多く見聞きしてきましたので、それについても考察を及ぼすこと可能です。

 あとは、それらをあなた自身がどのように自分の人生の中で取り入れていくかになると思います。人の形は個性ですから、全面的に良い形を取る必要もないのですよ。現に例に挙げた彼女は、最近僕に対して彼女の取り繕わないパーソナリティをぶつけてきていますし、それで良いのだと思います。

 僕は自我に目覚めてからよりあった、重く覆いかぶさる霧のようなものが晴れるのに三十年かかりました。今も大変な部分は多いですが、そういうものものを経てきたことによって見える地平は人と比べても豊かなものがあるでしょう。苦労とは、それと真摯に向かい合うことで、より自分の感覚を磨き上げるものとしても存在します。

 あなたがこれからコメントする、しないも、あなたの自由でありますし、そうであるべきと思いますので、このようにして僕の現在に至るまでのあなたとのコミュニケーションにおいてのまとめのようなものを載せておく次第です。

 感情の動きを掴めないという現状のあなたの苦しさも大変なものがあるでしょう、偲ばれますが、自分を捨てるベクトルに向かわないで、小さくとも、小片のようなものでも拾う気持ちで臨まれて欲しく思います。たまに捨てるような行動に出るのも、良いとも思うのですが。

 お互い少しでも良い人生を歩めるよう、願いたいものですね。

 また、欄を多く埋めてしまい、申し訳なく思います。伝えるとは常に難しいものですね。

投稿日時 - 2008-11-09 13:00:18

お礼

遅れてしまい申し訳ありません。

最近空の時間が怖くてバイトをしたりお金を使い映画等を見て時間を使っていて忙しく、またなんなんでしょうかうまく言葉にできなかったりしてとても混乱していて遅くなりました。

なんでしょうか、これから書くことをあなたへの攻撃や反抗ととらえずにありのままの私の考えなんだと言うことを理解してください。
私が誠実な方向に向かっていると仰いますが、誠実云々というより本当に脱力感と虚無感が強いことが原因だと思うんです。
なんていうんでしょうか、確かに物事を前よりも素直に見れるようにはなりました。
でもそれはもしそれが自分に関係することであっても自分の中では自分と隔たりのあることだから素直に受け入れられているような感じ、映像が無造作に流れていっててそれをそのまま感じているだけみたいな感じです。
前はすごく主観的だったけど感情は伴って物事を見ていました。
今はただ脱力感ばかりです。
自分でもこれが良い方向に向かうものなのかもしれないと感じることはたまにあります。
でもそれは本当にたまにです。
むしろ最近本当に死ねるんじゃないかと思うんです。
なんていうんでしょうか、今までももし死ねるなら死にたいとは思っていましたが主観的で自我も強く自分に対する執着がありました。
今はほとんど自分、とりわけ自分が生きることに対して執着心がありません。
慢性的な自殺願望がありましたが、前は心の奥底にそれがいて何らかのことによりそれが浮かび上がってくるというような感じでしたが、最近は本当に漠然となんとなくではありますがしょっちゅう死について考えています。
何故生きてるのかわかりません。
私の次のステージはなんなんでしょうか。本当にわかりません。すごく混乱しています。

自分のことばかりでごめんなさい。
一つ聞きたいことがあるんですが、kumosukeさんは重い霧のようなものが晴れるのに30年かかったと言っていますが、kumosukeさんやもしかすると私もなのかもしれませんがそのようなものを持っている人とそうじゃない人とがいるとは思いませんか?
そして持っていない人には本当にそのような気質を持っていなく人間的にも魅力的な人とただ単に何も考えていない人がいて、持っている人はなんでしょうか、上手く世の中に適応出来てない人が多く、また先天的な気質の人と後天的な気質の人がいるように感じます。
私は明らかに先天的後天的が重なっていると思います。
何冊か読んだ本には著者により表現は違いますが、先天的なことにばかり焦点がおかれ、その原因は幼少期の環境となっており一理あると私も思います。
しかし先天的なものは今さらどうしようもないし、後天的なものも今さらどうしようもないことだと思います。
そこで人間的にも魅力的で霧のようなものがないひとについて考えていますがどうも行き詰まってます。
kumosukeさんはこの霧のようなものがある人とないひとについてどうお考えですか?

投稿日時 - 2008-11-11 01:13:19

ANo.119

No.119の方へ。もう、nonameとなっているということは、自身経験がありますから(苦笑)、退会されてしまわれたと思うのですが、また見られた際のために残しておきますね。

 ハリネズミの抱擁という表現は、たぶん、ここの質問でのことをおっしゃられているのかと思うのですが、それは、僕とlovbeticoさんの間に起こっていることを指したものなんですね。僕はあまり他の回答者に悪意(と明らかなミステイク)が見られない場合に、相手を巻き込んでネガティブと取れる表現を使うことはしないのが流儀なのです。ここでハリネズミの抱擁を用いた時は、僕とlovbeticoさんの間で用いていました。

 いや、あの、これで気まずい思いをされたり、気を悪くされたりされないで欲しいのですよね。ここは文字情報のやり取りですから、先に述べたコミュニケーションにおいて最も重要なものとなるメタメッセージ(非言語的メッセージ)が含まれていませんので、そういうことはしばしば起こるものなのです。大事なことは、コミュニケーションの誤りを見つけたら訂正するということを重ねていくこと、重ねられていくことなのですから。それでより良い理解に辿り付けることこそ、どの場においてものコミュニケーションに必要なものなのですから。

 ということを述べておきたく思いました。また、入会された際などには見て確認してもらえると嬉しいと思います。

 僕の考えですが、いやそう有るべきだと思いますが、コミュニケーションとは、何度も喧嘩したり、誤解したりとかの一見ネガティブと思えるものも重ねて、不通の時期なども置いて、そうやって折り重ねていくことで熟成し、本質的なものとなると考えています。これは親子問題、たとえ虐待等が存在しても、においても通じる考え方だと言えると思っています。
 
 先に浮遊するエゴと痛罵した彼女とも、間隔を空けてはコミュニケーションし、また喧嘩したりしながらも、お互いの無事を確認しあっている感じです。

 人間の社会は、どんな強者であっても、持ちつ持たれつの支え合いがないと、なかなか生き抜くことはできません。自然の厳しさに脅かされることがほとんどない反面、いや、ないからこそ、人間間でサバイバルな環境を構築してしまう面があるのです。ですから、コミュニケーションとして、そういう形が、赤の他人の間であっても、どうしても必要となるというのが僕の生きてきた上での抜き難い実感です。

 ただし、ネット上では正常な言葉の積み重ねができる相手でないと、なかなかこれが成せないというのが現実ではあります。それは先に述べたメタメッセージの存在が皆無だからです。正常な言葉の積み重ねができない、あるいは未熟であっても、そこへの意欲と、そこへ向けた萌芽が感じられれば、何とかなるというのも実感ではあります。

 ただ、僕が以上述べたようなことがきちんとできているかどうかは、今回お見苦しいところを見せたように、それぐらいのものでしかありませんが。

 完全な人間などいないというところで、開き直りでなく、いずれお許し頂けるようになれれば良いなと思うところはありますが、それも大変情けない話しだとは思うのですが。

投稿日時 - 2008-11-08 17:06:49

ANo.118

突然割り込むような形でコメントをして申しわけありません。
以前コメントをさせていただき、Kumo-74様に

「ハリネズミの抱擁」

と言われてしまったものです(笑)
(確かにそうだなーと思いました、自分でも)

私は普段こういうサイトにはあまり興味がないので書き込みなどもしないのですが、ふと目にした質問がっきかけで、なぜか登録してしまいました。

その後登録していたのも忘れてほおっておいたままだったのですが、更新がある度メールで知らせてもらう機能をつけっぱなしだったので、lovbetico様とKumo-74様の今回のやりとりをかげでそっと拝見させていただいておりました(気持ち悪くてすみません(苦笑))。

lovbetico様はもうここをご覧になられていないのだろうな~、なんて考えていたのですが、Kumo-74様の回答にお返事が書き込まれているのを見て、ああ、ちゃんとまだ見ていてくれていたんだ、と思いました。

そしておふたりのやりとりを見ていて、おかしな話ですが私はなんだか安心したんです。

「人間って歩み寄ろうと思えばできるんだなぁ」というか
「わからなくて当然だけど、理解し合おうと思えれば
相手に対して優しくなれるものなんだなぁ」
と、再確認させていただくことができたというか・・・。

粘り強くやりとりをし合うことなんて無意味だろうと思っていましたが、そうじゃないこともあるんですね。

lovbetico様にはKumo-74様がよき理解者でもあったんだな、と初めて気がつきました。
私のような者が発言する必要などなかったんだなと、反省と、そしてまた懲りずに書き込んでしまっている自分に、ちょっと笑えています(笑)

でもどうしてもただ、気づかせてもらったお礼が言いたくて。

lovbetico様が今の状態をここでKumo-74様に言えるのと同じように、現実の世界でも心を開いて話せるよう、よき理解者に巡り会えることを祈っています。

人に自分を伝えるというのは勇気がいることだと思いますが、きっと受け止めてくれる人が、私はいると信じていますので。


では、余計なコメントを失礼いたしました。
気分を害されましたら、申しわけありません。

投稿日時 - 2008-11-08 12:59:22

ANo.117

ひとつ危惧があるので、コメントしますね。

 No.111は僕が誤解したから故の、ブレイクゾーンに入ってしまったから故の産物であって、No.109への誤解からくる憤りによりが強く、それをすべて素直な気持ちの表明とは受け取らないで欲しいと思います。感情的になって、ブレイクしてしまうと、人とはすべてを否定的に語りだす部分が強いものですから。

 あなたは真面目なので、受け取り方も直球で受け止めると思うんです。No.111からしても、僕に蓄積された他の人たちへの想いもあふれていますし、あなたへの離れていた期間で熟成されたものへの期待があったからでもあります。

 どうか、すべてあなたへの否定的メッセージだとは受け取らないよう、申し訳ないですが、気を付けられたく思います。すみませんでした。謝りようがありません。

投稿日時 - 2008-11-08 06:11:52

ANo.116

 もうひとつだけ、参考までに付記しておきます。

 僕が見せたような弱さというものは、あなたが凄いと思っている人たち、皆にあるものなんですよ。スポットとかピットフォールと呼ばれるものは、あなたが思わず尊敬してしまうような人たちにも有るものなのです。ただ、それをごく親しい人間にしか見せていないか、それなりの場所では見せているが公では見せていないかのようなものなのですよ。

 僕が相手を受けているひとりも、関係する中に、今話題の有名人がいますが、その有名な人にしても一人の人間であることに変わりありません。その内実、内容は、我々と変わるところはありません。

 人間、皆、色々を抱えながらも日々を生きているものなのですよね。

投稿日時 - 2008-11-07 23:57:11

ANo.115

 No.114へのものを読みました。とても誠実な物事への向かい方がうかがい知れるものだと思います。それ自体、とても素晴らしいものだと僕は知るのです。

 その事象への理解の仕方は、以前と比べても成熟したものとなっていると感じます。

 問いかけへの回答ですが、それは失望をさそうようなものとはなっておりません、ご安心ください。とても良くわかる心情と言えるものです。僕とのコミュニケーションへの分析も的を得ていると思います。いや、あなたは分析で以って的を得てしまう力があるが故に、今まで苦しんできたタイプなのだと言えると思います。あなたのコメントからは”反抗期の必要という機能”という、ものが改めて浮かび上がると思います。これに対してのご自分なりの理解は進んでおられるでしょうか。つまり、強い依存があったままでは一人の個として世界に立っていられないために、それを回避しようとするのが意味性の薄く見られる、あるいは真逆をとにかく行く、攻撃と言う形を取るのですね。

 今ある脱力感、麻痺したかのような感覚の世界というものは、次のステージへ向けての準備期間ですね。自分の感覚と、自分の実際の反応が離れている現象、これは今まで力業で周りにすり合わせてきた部分故の内的な歪みを是正する働きのものだと言えると思います。無理が祟ってきたもの、それの転換点を迎えようとしているのだと思います。

 つまり物事を受け止めるという部分においてのフレームワークが変化して来ているということが起こっていると思います。それと自己存在認知という部分での新たな局面を迎えているということでしょうか。危惧の面を言えば、あなたが一人だというところでしょう。このような作業を行う際には、より良いフォローを行えるものがあると助かる面があると言える面があります。ただ、人間は生まれてより、市に至るまで孤独であるという本質的なものがありますから、それをしかと受け止められる部分が養成されていれば、その期間の過ごし方も自ずと変わってくると思います。ただし、人を頼れるという”力”も、人間とは社会性の生き物であり、そこによって醸成が成されるものでありますので、そういうものも必要となると思います。

 取り急ぎですが、このように応えておこうと思います。

 

投稿日時 - 2008-11-07 17:30:47

ANo.114

 お礼ついでにもう少し踏み込んで言及しておきましょう。

 今回最初に僕が書いたものにですが、あなたはそれを”深みがない”として”本気で心配する”と応えました。そこにあなたの物事の受け止め方の特徴的なパターンが端的に現れていると感じました。

 あなたがどこに”深みがない”と感じたのかは、送りての僕からするとだいたいに想像が付くのです。自分の書くもののクオリティの精査というものは常に行う自分であるからです。そしてそれは”深みがない>本気で心配する”とまでの連絡を行うものであったかと言うと、それほどでもないものであったのです。ですから、僕は応じるにあのような形に入ったわけですね。
 
 僕は以前においてあなたと話していた時から、自己像、つまり僕のものですが、それを揺らすようにしていました。内容の書き方を密にしたり、粗にしたり、文章表現を細やかにしたり、端的なものにしたりと。また、僕のパーソナリティの幅もそこに持ち込んで、違う様相の僕というものに振ってみたりもしていました。ですが、今回はそのようなあなたからの評が現れました。そこにあなたの物事の認知をする際の癖があると言えるでしょう。

 人は物事を受け止める時にも、そして自己の中に収める際にも、もともとあったものから形を変容させていきます。それは自分が理解できるような範囲のものにであるとか、自分が受け止め易いような形にであるとか、もっと言えば自分の望む形にであるとかになります。人は新しい事象に出会ったとき、それを理解するに既成の概念を用いないとならないという認知の際の縛りがあるのです。そして各人、形として同じ概念で以って理解しようとしている場合にも、その概念への理解やら、受け止め方やらの違いにより、アウトプットされて内に収められているものが異なるものとなっていることが多くあるのです。そして、その各人の受け止め方において特徴的なのは、だいたいにおいてその人の望む形での変容というものが強くかかっているというところなのです。

 知者はこれを突き詰めて考えていくことで本質的なもの、本来的なものへと向かわせ、知者同士の会話においては通用するようなコンセンサスにおいて話しを展開することになるのです。知者ならば面と向かう知者よりも異なるところまでの理解に至っているものですが、それらをコンセンサス上で互いに開陳し、相互の違いを吟味し、よりそれへの理解を深めるというプロセスを行い得るわけです。

 では、知者でなければどうでしょうか。それが病みベクトルに向かう際に大きく現れることになる認知の際のコンセンサスからのズレとなり、その人の病みに至る癖となります。そして僕が最近発見したのが、その癖というものが本人の望む形に変容させる部分、その形の癖こそが、その人達をどうあっても抜けられないスポットに落としせしめるのだ、ということなのです。これを愛着行動と僕は形容するわけなのです。その癖である愛着は、まずその人の思考における論理パターンに見られるものであるのですが、それを是正するのが認知療法とか行動療法ですが、それらは愛着とまではそれを読んではいなく、認知の歪みとするのですが、僕から言えばそれは愛着であり、本人が望んでそうしているからこそ抜けられないものであり、思考の中にだけでなく、コミュニケーションの応対にまでパターン化して現れるものだと言えると見ているのですね。

 その本人が望んでいるからこそ、抜けられないのです。それがたとえば精神病患者の何十年と治らない人に見られるものであったり、それこそあなたが問題とした人格障害の人に見られるものであるのです。

 なぜ、それを本人が望んでいると見るかと言うと、そのパターンを出しては常に問題化し、社会との軋轢となるなどと自分を脅かしているものであるのに、何十年もの延々と同じパターンを繰り返すからです。そして、その反応とも言うべき行動の現われ、コミュニケーションの形とも言えるものが、本人が論理回路的に収束させる際に慣れた形、出し易い形、そこに向かうことである程度の自己内的な成果が得られてきたものである、それはマイナスの結果として表出していても、それが成されないよりは自己内でのストレス量やダウナー量が微量であっても好転するものである、ということからも、それが本人が望んでいるものであることが伺えるのです。ゆえに愛着なのです。

 人は慣れた思考における、行動(リアクション)における、つまりコミュニケーションと総体して呼べるものにおける論理展開の自己が保有しているパターンから、今までにないパターンを作り出すことを苦手としています。それを自分自身によってのみにより、見つけ、作り、定着化させることは、大変な労を要するものであるのです。特に慣れ親しみ、強く定着しているパターンにそれを加えるということを強く苦手としています。それゆえに楽な方、愛着しているパターンを、それがマイナスの作用をもたらすとしても、それを選択し実行し続けるのです。その理由は既に上記してあります。

 ということなのです。決して深くはなく、そこから本気で心配するというところにまで導かれるものでは、こちらからすると無いものであったのですね。それをそうと受け止めたところにあなたの愛着行動が見られるわけなのです。

 付記すれば、これに異を唱えたりすることは、あなたの自由です。ですが、僕が受け止めるものとしてはそれなりの内容を伴ったものでないとならないことにはなります。

 すみません、長くお付き合いさせてしまい、また、数度のコミュニケーションにお付き合いさせてしまい、申し訳なく思います。返礼として、今ある気付きを書かせて頂きました。参考にしてもらえれば幸いかなと思います。

投稿日時 - 2008-11-07 11:08:56

ANo.113

本当に申し訳なく思います。すみませんでした。

あなたにしてみたら、傷を掘り起こされて、塩を塗られたような気持ちでしょう。

本当に申し訳ない。

今回は逆にあなたのしっかりとした対応に励まされてしまいました。

自分の弱さに飲まれる、それで失うものは常に大きいですね。

すみませんでした。

投稿日時 - 2008-11-06 09:43:27

お礼

kumosukeさんが困惑していることやあなたも普通以上に疲れている人であることはわかりました。
私はきっと自分のことばかりで他人まで気を回す余裕もなく追い詰めてしまったんですね。
特に謝って頂く必要はありません。
こちらこそ最近のやり取りだけではなく以前のやり取りを振り返ってもあなたにも酷いことをしたと思っています。

私に対する失望感を強めるとは思いますが、#113の問いかけに対し正直に答えて差し上げますと今の私にとって生きることは忍耐です。
あなたに対して初めのうちは若干不信感を持っていましたがやり取りを通じて徐々に依存が強くなっていき迎合するようになっていき、そこに無理を感じてあなたに対するよく自分でも分からないけど怒りが込み上げてきてそれが原因となってやり取りが終わったんだと思いますが、今は私はkumosukeさんにありのままの感情を言っており、それがあなたからどう思われるか(評価されようが批判されようが)仕方ないことだという感情があるだけです。
相手があなただからとかは関係なく今の私にあるのは脱力感ばかりだからだと思うので、そのことについて気になさらないでください。
しっかりした対応と仰って頂いておりますが、以前の私にはそれは出来なかったことだとは思いますし、kumosukeさんとのやり取りが中断して、私なりに考えたり本を読んだりすることにより、あの時にはわからなかったことでも今は分かることというのが色々ありますのでそのためと言うのもあるかもしれませんが、それ以上に脱力感があまりに強すぎて不思議ですね、何故か他人の意見が自分の耳に痛いことでも何にも感じないんです。
だからというのが大きいというのが真実だと思います。
本当に不思議です。
小さいことで異常にイライラはしても大きいことに関しては漠然と傷つくだけなんです。
涙も出ません。
かと思うと映画館で映画を見ていると内容とは無関係に急に悲しくて涙が止まらなくなったり、授業を受けててこれまた理由もなく悲しくて泣くのを必死に堪えたりします。
最近は世の中の人は頑張って生きてて本当にすごいと思い、自分の劣悪さをいつも強く認識させられます。
物事を前よりも素直に受け入れられてるはずなのに脱力感が強くてたまに感じる感情はひたすら絶望感です。

投稿日時 - 2008-11-07 15:33:40

ANo.112

 なるほど、解析できました。

 本当にコメントはもうしないでおこうと思っていたのですが、No.112へのものへ書かせていただこうと思います。

 まず、あなたと僕(以前は私と言っていたもの)の間には、既にコミュニケーションの失調が起こっています。

 ご存知かはわかりませんが、ネットによるコミュニケーションには、文字、あるいは、映像は乗りますが、本来我々人間が他人の言葉を受け止める際に最も利用しているもの、メタメッセージというものが存在しません。

 メタメッセージが存在しないということは、同語が多義に解されることが常に有る、ということになります。

 では、その同語多義なものを、共通の認識と、共通の理解の間で交わすには何が必要でしょうか。それは信頼というものに近いものとなっているコンセンサスだと言えるでしょう。このコンセンサスを探り探りながら策定する作業が必要となるのです。

 あなたと僕(過去における私)の間では、一度このコンセンサスが破れています。それはお気付きになられたでしょうか。いえ、たぶん、それは感じられているものだと思いますし、そのような形と今は既になっていると感じます。

 そして、僕も傷負うものであるという事実があり、それは何を意味するかと言えば、そのメタメッセージ無き同語多義なものを否定的に解釈する可能性が普通より高くあるということです。

 以前の僕はあなたに対し受け止め手として常にあろうとしていました。しかし、今の僕は受け止め手として立つことにおいての難題というものにぶつかっていて、それを放棄する形から新たに再構築を行おうとしているところがあります。

 現在、想像以上に他の面においても受け止め手としての力を要求されている面もあり、ある意味、その点においてミスを許されない立場ともなりつつあるようでして、それらを鑑みても、現状のラインで行うことには無理があると感じている次第であります。

 まぁ、あなたに見せたように、メタメッセージが無い状況では自分も大いに乱れるぐらいの状況は有るということでありますから、それらとどうその置かれた立場を融合して一なる自己とすべきか、今も晴れぬ霧の中にあるということであります。あなたにとっては、単なる迷惑に過ぎませんが。

 こんなことを言って、押し付けた上で、さらにこう言うのは申し訳ないのだが、一つお聞かせ願いたいことがあります。

 今、想うににおいて、あなたにとって”生きる”とはどのようなものと形容できるものでしょうか。

 僕の見てきた世界、そして今見ている世界は、あなたの想像を超えるものがあり、想像を超えた現実を写し出しています。”生きる”というフレームワークも常に更新し続けねばならないのか。そこまでして生きて何があると言うのか。

 申し訳ない。お見苦しい姿をお見せしたが、これも”私”であることには変わりありません。

投稿日時 - 2008-11-06 01:57:34

ANo.111

いや、ごめん、確かに、僕は参ってはいる。

書いたことは忘れてくれ。


僕と会ったことが不幸だった。すまなかったね。

さようなら。

投稿日時 - 2008-11-05 21:39:22

お礼

#109のお礼に対して#111の回答を頂いたんだと思いますが、何故そのように感じるのかよく分からないんですが。
私の言い方が何か失礼にあたったのか、もしくは私の考えがおかしいために不快な思いをさせてしまったのなら謝ります。
あなたのお名前から昔ここでお世話になっていた方を連想しましたが、その方はもう私の質問には書かないと仰っていたし、文体や内容も少し変わっていたように感じたのでその方ではない可能性があるのではないかと思い#109のお礼のような文章になりました。
それが何か不快な思いをさせたんならすみません。
言い訳ですが、異常に他人に対する不信感が強いからかもしれません。
でも、kumosukeさんだとしたら口調だけじゃなくて何でかわからないんですが本当になにかあったのかなと心配に思ったのでそのように書かせていただきました。
気に障ったんならごめんなさい。
そしてどうかご自愛ください。

投稿日時 - 2008-11-05 23:59:23

ANo.110

なるほど、それがあなたの生き方というわけだね。

僕は口だけの人、格好だけの人、そういう人の善意を信じるのが嫌になったんだね。

表に現れるものだけ、周りから見える部分だけ取り繕えばいいんだ、そういう考え方を自分のプライドを守るだけに採用する。

何かを必死に得ようとしている人、その姿、それはどのようなものだろうか、あなたはそこへ想いを巡らせたことがあるだろうか。

自分の言い分を通すためにはどんな手でも使う、そんなことをどんな時にでも採用する人に、高い望みが、志が得られようか。

ここにあわられるものだけ取り繕う、そのやり方は、あなたの生活と、人生に、総じてあるものなのでしょうね。

我々はその類の人々に対して、概して失望という言葉を投げかけるものです。

表面を取り繕い、整えても、中身はそこに沿いはしない、そういうものは、こうした文章とか、軽いコミュニケーションでは、ある程度ごまかしが効きます。わからない人にはわからず、あなたに同情の声もかかったでしょう。でも、わかる人にはわかるものなのです。

僕は無駄に心病んだりしている人々に同情し過ぎました。仲間だと思い過ぎました。 

あなたとのコミュニケーションは、あなたにとってとても無駄なものであったということです。僕にとっては、このようなことは二度と繰り返すまいと思う、そういう転機を与えられた感じとなります。

あなたが顔も知らない他人で、かえって良かったと思います。無用に情を注ぐことの無意味さ、それを痛感しましたよ。

言葉で自分を着飾らないと生きていけませんか。そんなものですか。

僕はあえてあなたに言うよ、言わないと、こういうことを経ないと、あなたは自分を再度見つめる動機をいつまでも持たないであろうから。いや、これでも持たないのだろうけれども。

あなたには、がっかりしたよ。そう、本当につまらない人だと思います。

これを次の一歩にできなかったら、それはあなたの責任なのです。あなたが自分にそんな自分であることを許しているからであり、愛着して止めているからであるからなのです。

だから言うよ。本当につまらなかった、残念なぐらいに、がっかりだよ、そんなものなのかい、あなたという人は?本当に、そんなものなのかい?まぁ、もういいんだけどもさ。

投稿日時 - 2008-11-05 20:50:22

ANo.109

 つまりこういうことなのだが、わかるだろうか。あなたと僕の間にある差、それは実社会での受け入れられ方、評価のされ方の差も含めてのものであり、そして己に抱く幸福感の豊かさも、はなぜ生じるかというと、僕は自分が愚かであることを知っているために常に賢明になりならんと努力し続けているし、そして、己が常に誤る存在であることを知るために、常に己が誤っている可能性を拾い上げて、常にそれを検証し続けているからなんだ。

 それに対して、あなたは自分が愚かなんてちっとも思ってやしないし、自分が常に誤る可能性なんて考慮していないんだよね、むしろ逆で自信過剰というよりも、今よく言われる自我の肥大状態にあると言えるんだよね。それを自分が語るワーディングの中から振り返って気付けないというのも、あなたの未熟さを何より語るものなんだよ。そうだよね?

 元を辿れば僕とあなたはとても似たものから始まっているが、今の時点で大きな開きがあるのはそこらに起因していると思ってもらっても良いんだ。

 僕が人格障害なんて言葉を引き受けない方が良いと言っていたのは、そこが自我肥大した自分をさらなる自己肯定させるための退避場となり、更なる無闇な自己肯定を促す装置として機能してしまうからでもあるんだ。

 もちろん、人格障害という診断カテゴリーが最近出現した極めて曖昧なものであることからも、だよね。そんな極めて曖昧なものを自分のものだと引き受けた場合、極めて曖昧であるが故に、一生抜け出せぬ迷路にはまり込む可能性もとても高くある。そういう人はたくさん見てきたと感じているよ。そして、それを引き受けた以降、それ以上の自分への省察が行われなくなる可能性もかなり高い、というか皆だいたいそんなものだよ。ネーミングにはそういう機能がある。そうすると自己への客観視なんて停滞するから、そこから更なる自己の成長というものが見られなくもなるんだよね。精神病院に通ったからってそこらが変わるわけではないのも同じだよ。稀なる良医に巡り会えればまたそれは変わってくるけれどもね。自分で言っているのだが、稀なるというぐらいなので、そんなことは本当にないと思ったほうが良い。

 もうひとつ、あなたはどうすれば良いのかアドバイスをくださいと言いながらも、相手の言うことから考えてみるという方向にはすぐには向かわずに、相手が自分より上か下かを必死になって行っていた。それも自我肥大故の意識の向かい方だよ。常に攻撃的であり、闘争的なんだ。そりゃそうなんだよ、自分の自我が傷つけられるか、守られるかが主眼になってしまうのが自我肥大の形だからね。

 以上の僕が書いたことも、あなたは自分からは見出せなかった。あなたはそれほどに未熟であり(僕にとって大学生なんて常にそんなもんだが)、それは同時に、それだけ将来に可能性を持っているということを意味するんだ。この僕と比べてもその程度なんだよ、それは大きな将来の可能性を秘めているというに他ならないんだ。

 あなたには知性のきらめきを感じるが、それも自我肥大故の自分に引き付ける形の語り故に、論理性が捻じ曲げられてしまう癖がある。それはすぐにわかるものだよ。

 そして、あなたの書くものを数行読めば、経験も、知識も、言語感受性も、それらへの理解もまだまだであることがすぐにわかる。

 未熟というものは総じて未来への可能性を示すものであるんだ。でも、その未熟を生かせるか、生かせないかは、全て本人の心がけ次第なんだ。

 僕は人生に負けてあなたよりも遥かに早く死ぬかもしれない。でも、今の時点から見えるものから言って、その死んだ時点での僕の充実は、同じ時点のあなたを遥かに上回ってしまうよね、今のままだとね。

 そういうことだよ、少女、あなたはまだ本当にまったく物事を知らないんだよ。この世界のことをまだ何にも知らないんだ。

 というわけで、じゃあね。

投稿日時 - 2008-11-02 18:15:28

ANo.108

 あれ、まだ質問を閉じていなかったんですね?久しぶりに見に来てみましたが、そうですか・・・・。

 さて、あなたはいい感じになった人たちにしばしば中身の無さを呆れられるのですが、それはどうしてそうなるかということを、ここまでの時間の経過で振り返って自己認識できるまでになれましたでしょうか、客観視してできるようになれたでしょうか。

 少なくとも、僕はあなたと話している間にそれがわかりました。あなたは多くの長期的な精神の混乱にある人と同じパターンの中にいるのですが、それを受け止めて変えようとする意欲を内に決して持てるか、それがあなたの生き方を変えられるかの分かれ道です。

投稿日時 - 2008-11-01 11:21:41

お礼

回答ありがとうございます。

あなたは誰ですか?
このサイトでお世話になった人のような気もしますが、違うようにも感じます。
その方とは書き方だけじゃなくて話の深みも違うように感じます。
もしご本人なら心配です。

投稿日時 - 2008-11-05 02:40:27

ANo.107

ひとつお礼を言い忘れたので。

 そうだね、優しいと言ってくれたことには素直にお礼を言ったほうがいいよね。ありがとう。

 最近頻繁に優しいと言われる。だから優しい自分なのだと思っても良いのかもしれないね。

 これも優しさと受け取ってくれると嬉しいのだけれども、私が他の方の邪魔にならないで、しかも、もっと他の方があなたへ意見をくれる方法として、同じ内容の質問をもう一度立ち上げるというものがあります。今、私はあなたのこの欄しか見ていないので、新たにメンタルヘルスのカテゴリーで質問を立ち上げても私がそれを見つけたりすることはありません。良い方法だとは思いませんか?

 では、できるだけお幸せに過ごしてくれることを祈って。

 優しいと言ってくれて、ありがとう。

投稿日時 - 2008-07-05 22:48:08

ANo.106

どうしてもハリネズミの抱擁のようになってしまいますね。

 希望とはならないと思いますが、死ぬ気にはなれないとおっしゃっているのですから、これからも生きて行くと思います。これからの艱難辛苦の中で見出せるものがあると思うんですよね。あなたの場合、それらは避けられないと思いますから。

 今のご自分のみとご自分自身の心にのみこだわり続けている傾向があるというのは変わらずあなたのお返事に見えることです。こういう形はその人の外側、つまり雰囲気とか顔の表情の推移とか、仕草、所作に現れますので、見る人が見ればすぐに見抜かれてしまうだろうし、文章などでも見抜かれてしまうだろうと思います。それにあなたは対他人という面で心を向けるということもできていませんし。それは見える人にはすぐに見えてしまうと思います。

 という現時点のあなたを知って今後の人生に生かしてもらえると、というようなことが似ていて異なる経験と過去を持つ私から伝えられることです。

 さようならを追記しながらも繰り返し書いてしまい、すいませんでした。

 では、お元気で。

 もう、このスペースを私が侵すことはありませんので、あなたの望む人たちとやり取りをなさって下さい。

投稿日時 - 2008-07-05 17:56:42

ANo.105

lovbetico様、大丈夫ですか?

具体的なアドバイスなどはできないので、
不快に思われたらすみません。

私はlovbetico様より少しだけ年上です。
そして、親とうまくいっていない人間で
そのことで少し精神面で問題を抱えています。

私は、lovbetico様と同じくらいの年齢のとき
恐くて就職活動ができませんでした。

だから今頑張って就職活動なされているのは
正直に素直に、私からみたら「すごい」ことです。

暗い将来しか思い描けないこと、なんとなくですが
理解できるような気がします。

私は性格的にはかなりlovbetico様と似ている部分があり
外見的にも、種類の違いはあれどレベルは近いような気がします。

私には運よく、自分を受け入れてくれている友人がひとり、
そして恋人もおりますが、なんでできたかはよくわかりません。

そして今の今も、これからどうやって生きていったらいいのか
皆目見当もつかないような状態です。


と、なんだかブツ切れの文章を並べてしまいましたが

lovbetico様が、

「死ぬことができないから惰性で生きている」

ということ自体がまさに、
今lovbetico様ができる一番の方法なのではないかと
私はなんとなくそう思うんです。

自分の疑問に関して
的確で有効な答えを返してくれる人なんてそうそういないんだな…、
という絶望は、
lovbetico様や私のような者にはかなりの確率で
降りかかってくることのように思います。

どうしたらいいのかわからない気持ち。
それを痛いほど理解できる人というのは、
その人自身も、どうしたらいいのかわからないままの人
なのかもしれないなぁ、と考えたりします。

苦難を乗り越えてきた人は、アドバイスをくれはしますが
たぶん人生が違うように、乗り越え方もみんな違うので
受け入れられなくて当然なんだと思います。


なのでもし素晴らしい解決策を与えてくれる人が出てきたら、
それはそれでとても幸せでラッキーなことですし
それが一番いいと思いますが、

今のままでlovbetico様が生きているだけで
それはそれでひとつのいい方法なのかもしれません。

ご本人は大変苦しいとは思いますが、
いつのまにか友達ができて、恋人もいた
ということに、運がよければ数年後なっているかもしれません。

まだ、本当に相性のいい相手と出会っていないだけで
これからそういう出会いがあるかもしれません。
出会いは努力でどうこうできるものでもないので
あとはめぐり合わせですが。

もちろんそうじゃなくて、
lovbetico様が危惧されているような将来がきていても
おかしくはありませんということもお伝えしておきますが…。

でも、今のlovbetico様の性格をどう変えればいいかとか
どうしたら変えられるかという答えを導き出せる人が
運よく現れてくれる可能性は、残念ですが低いように思われます。

lovbetico様に限らずですが、
誰かに「ここが悪い」とか「ここをこう直せばいい」と、
的確に指示できる人間なんて、たぶんいないと思うからです。

lovbetico様が悩んでおられることは、往々にして
人々の多くが悩んでいることかもしれません。

みんな、解決策などわからないのです。


自殺せずに生きておられるだけで、

そして
まあ死ぬ勇気もないんだから、
今後もこのまま生きていくんだろうな

と思えているだけで、冗談抜きで
それはそれで本当にすごいと、私は思います。

自分の欠点がいろいろ見えて、孤独だったり苦しいと思いますが
人生なるようにしかならないものかもしれませんし、
肩の力を抜いて、あなたはあなたのままで生きてみてほしいです。


某有名小説の受け売りなのですが…

風邪の一番つらいときってありますよね。
でも、そこを越えたら楽になるから…と思って耐えますよね。

そう思って生きていくのが、
もしかしたら一番うまい人生の生き方なのかもしれません。


ろくな回答にならなくてすみません。

投稿日時 - 2008-07-05 17:01:20

ANo.104

すいません、きちんとあなたへの感慨をまとめて伝えておくべきかなと思いました。私はいい加減でその時その時の感慨を書いてしまっているので。

 確かにあなたには才能を開花させる萌芽があるのを感じます。これは先の女性においてもまた同じでした。しかし常にあるのはその才能の開花を押し留めるのはあなたやあなた自身であるのだということです。

 自分にある未成熟や未熟をそのままに許してしまう形がそれを押しとどめるのだと言えると思います。

投稿日時 - 2008-07-05 13:01:07

ANo.103

そうですね、ここら辺りが潮時なのかもしれませんね。

 私はあなたのコミュニケーションがそのような形を取るのだろうと予想していたのですが、その通りとなり、再確認をしてしまったのですが、それでもこうして止められなかったのは、私の方に理由があったのですよね。

 それを今分析してあなたに公開しますと、母親との関係に希望が持てるかというロールモデルとして行っていたと言えると思います。先の女性もそうであったと思える部分があります。

 今においてある状況は、ここに有るとおりで、やはり大変な困難なものであると言えるのかもしれませんね。もちろん、それはあなたを含めてなのですが。

 ひとつ最後に残しておくとすれば、あなたはご自分にある大きな未熟を知らず、そのままにして恥じていないことがあると言えると思います。それをそのままにしておけば、やはり苦しむしかないし、不幸な末路ともなり得るものであるのです。ですから、対峙して内省を深めることが肝心だと思うと、私のような者からの見解を述べておきます。

 礼とは心無くしては意味の無いものと知る必要もあると思います。形ばかりの礼など、何の意味も持たないのです。

 さようなら。私は生の終わりが来る日まで己に問い続けて行くのみです。

投稿日時 - 2008-07-05 11:41:21

ANo.102

迷惑と思いながらも、また、追記しますが、私はこのような会話とか普段の会話においても、コントロールワードとか、コントロール性の高い文脈、文章を排する仕方をします。

 コントロールを自認する人間ですから、些細なものに至るまでにコントロールを感知して嫌悪感が生じてしまうので、排する方向に向かってしまいます。

 だから、今回のあなたの話法にあるコントロール性に言及してしまうのです。

 でも、コミュニケーションとは、それそのもの自体がコントロールの性格を常に持つものですから、絶対的にコントロール性を持たない話法を形成するというのは事実上不可能なのですが、私は指示性の高いワードや文脈、文章は嫌悪感から排してしまいます。

 という感じです。

 私は有るものを有ると言い、無いものはないと言う、出来る事は出来ると言い、出来ないことは出来ないという、わからないことはわからないと言うとしています。まぁ、でも、意識範囲で出来る限りとは、常になるのですが。

 私がこんなことを書き連ねるのは、あなたがあなたの悪性と対峙していないからなのです。悪性と対峙せねばご自分の形ゆえの不幸からは逃れなれないからなのです。精神論的にはという限定条件を付けておきますけども。

投稿日時 - 2008-07-05 10:36:12

ANo.101

要約して述べると、あなたの話法は常に緊張レベルが高いのです。話していて緊張が緩むことが無いのですね。
 それは仕事レベルではカバーできるものですが、日常レベル、普段的会話においてはカバーし得ないのですよね。
 これはあなたが攻撃性や対抗意識を常にどこか置いてしまっている現状があるゆえなのです。

 というような現状の指摘が私のできる範囲のことなのです。

投稿日時 - 2008-07-05 10:06:18

ANo.100

NO.91とNo.92のお返事を見させてもらいました。

 この段階に来て、あなたの伏せている一面が表出されて来たと思います。ここからどうすれば良いか、どうするべきなのかということに関して、私はストラテジーを構築できていません。

 再確認が出来たということでは、成立を見ている感じがします。

 言葉というものは便利過ぎるということが、あなたのような形の人と話す時に浮かび上がることなのです。

 あなたは今、私を否定する論理を構築せんとし、強引とも言える手法を用いてます。それが断言形式に結びつけるという主張の行い方なのですが、先にも述べたように、断言している割には内容が深まらないということが常にあるのです。
 ですが、断言に結びつける形の論理形成は人の意識形成にある程度の強い力を持ち得ます。断言には気持ちが強く乗ることによるのかもしれませんが、その構造を詳細には表現できない私がいます。

 私はこの段階に来て話を続けることが出来るのか、よくわからないで書いています。ですが、ひとつ言えるのは、今回のあなたの伏せていたもの(とは言え、今回において形を変えて表出されている可能性も高いのですが。つまり、伏せていた心理として構築してそれらしく見せているというのを無意識的に行っている可能性がある。)
が表出されたわけですが、このような展開をあなたはいつも持ち過ぎる事がいつもあなたのコミュニケーションにおいて不成立や不和をもたらす要因となるものだと指摘することは可能です。そして、これをロムして見ている人たちもあなたに普段に持つ問題性がどのような形であるのかを知ったことだと思います。

 あなたの話法は攻撃的な色合いが常にあるのです。その攻撃的姿勢が社会、つまり他者との関係においていつも問題化してしまう部分であり、そして、あなた自身によりそれを再考していく、内省して深めていくというプロセスを持てていないというところが現状であると思います。

 あなたは中身が無いというのを主観的に自分への印象として構築したのではなく、両親の期待や想いを無意識に汲み取っていくのと同じで、相手のそういった感情を自分に写し取って感じたのだと思うのです。
 それは深刻な否定のメッセージであると思います。でも、そのような深刻なメッセージを受け取った後にどのように自分と周りと向き合って行くかという部分にその人の生き方、有り方が問われてしまうのがこの世の非情さだと思います。本当に厳しく構築されているこの世界の一面だと感じていつも辛くなります。

 私がここでずっと語りかけてきたものは、そのような局面における内省のプロセスをどう経れば良いかということの、数多ある中の一方法論の提示なのです。
 
 あなたは今、私のメッセージの中の自分への否定的ワードを自己選択的に取得して、その感情に揺れているのだと感じます。その中にはその深刻な否定のメッセージと被らせて受け取っているものもあるでしょう。

 私のメッセージはあなたの望むような展開への導きの成功を得るためでは常に無く、あなたの心が生き場所を見つけるための材料を与えるぐらいのものでしかないと自認して行っています。

 と、こんな感じになります。これぐらいが私からの精一杯のあなたと私の実距離を勘案しての愛情であるのです。

 ご迷惑をかけた方々には申し訳ないと思います。いつも私はこのような形を取ってしまい、またこの点に関してはなかなか変えられなく、どうしようもなくこう表出してしまいます。苦悶して、何とかもっとなじむ形にならないかと試行錯誤しておりますが、これぐらいに今は止まっています。

投稿日時 - 2008-07-05 09:51:05

ANo.99

さらに続けさせてください。

 今回のあなたの話し方に、あることを思わされました。

 それは、その話し方が小学生の高学年とか、中学生とかに、子供が親の支配から逃れようとして反抗の狼煙を上げる時の話し方によく似ているなということでした。

 これは憶測になりますが、あなたはそれらの時期にきちんとそれらを行えてこなかった経緯があるのかもしれないと思いました。そして、それを行う必要性を抱えているのではないのかと。

 文章構成的にレトリック的な構造があり、非情に強引な形であり、また、そこに散りばめられた断言的ニュアンスほどに内容は深まらないというあたりが非常に近いと思います。

 という見解を述べておきます。

 私が今回のコメントで傷付くということはなくて、それよりも何だかあなたの中に痛みを見出したような気持ちで、重苦しくなったのです。

投稿日時 - 2008-07-05 01:38:28

ANo.98

もうひとつ、正直に言わせて下さい。

 私は私のやり方と言うか、あなたのような形の人への私の話し方というやり方では、あなたの望むような結果をもたらさない可能性が高いだろうというのを経験的な認識で以って持っています。もちろん、私が望むような形もあなたからは得られない可能性が高いだろうという認識で以って行っています。

 これが私にあるジレンマです。

 ですが、ネットにおいてあなたのような文章の構成をされる方を見ると、こうやって書いて話したくなるのです。そして、それをなかなか抑えられないでいるのです。

 ですから、最近私はこう思うのです。ネットでなくて、現実であなたのような形の人たちとあった場合、私はどういう印象を持つのだろうかと。

 こういうジレンマを強く感じながらも話しかけるというのが、本質的に間違っているのではないかと、いつも悩んでいるのですね。

 こういう感じなのですが、伝えておいた方が良いのかもと思って伝えておきます。

 でも、センテンスの選び方や用い方などを見ても、”見下す”(一応この言葉を用いて今回の文を組みますが)と言う感覚を躊躇いなく用いているのは、やはりあなたの方ではないのかとは思うのですよね。これはたぶん当たっていると思うのです。

 たぶんと、たぶん続きですが、あなたと私にある大きな差異はいつもそこら辺であるのではないかと思うのです。

 私はあなたとの会話を用いて、あなたのような人の形をより知ると同時に、私を知ろうとしているのだと思います。これを身勝手と表現することは可能だと思います。

投稿日時 - 2008-07-04 23:26:21

ANo.97

すいません、一度にまとめられれば良いのですが、また、追加で書くことになります。

 こういう言い方だと誤解を招くと思うのですが、どうも良い言い方が思い浮かばないので、そのままに書いてしまいますが、私が大学生だった頃、部活で出来た友人としばしば”見下す”という自分たちの心性に有る有り方について議論したものでした。残念ながら、その友人もこの手の会話に耐えられなくなるようで、途中でお茶を濁されてしまうのですが、ですが私がある意味おかしいからこそ、その話題を続けようとしていたのやもしれませんが。

 あなたの言いたい、指摘したい形においては、”見下す”という表現になるのだと思いますが、私においては見下すという感覚ではなくなっているのだとしか上手く言いようがないです。すいません。

 結局、友人はその見下す心性の闇に堕ちてしまいました。以後、連絡を取っていません。

 私はそれを知るからこそ、”見下す”という感覚ではないのだと表すに止まります。今は。

 でも、見下すと表すのも、正しいとは言えないものの、決して遠い表現ではないのかとも思います。

 ”驕り”ともなり、正道を追うという自分の有り方の足を引っ張るものとなるものとは、ちょっと違う形になっているのではないかと、今は言えると思います。

 ただ、常に未熟ではあると思い抱いております。
 

投稿日時 - 2008-07-04 23:00:57

ANo.96

私はあなたに対しても、他の方々に対しても、”和して同ぜず”が良いと思っているのです。

 私が大学生の頃にまとめ始めた仕事の哲学は、”和を以って尊しとす”でした。そして、今もこれを深めています。

 が、時に、”同じくす”という言い方でいいのかわかりませんが、そのような傾向を持ってしまいがちになるので、そこでブレーキを踏んでは迷うということを繰り返します。

 ひとつ思うのは、あなたは学ぶと言うよりは対抗するという面に向かってしまう人なのではないかと思うのです。

 私にもその癖がありますので、そこに強い嫌悪感を感じていまして、いつもそれによって縁を台無しにし、落ち込むということを繰り返しています。

 ですが、あなたよりも私の方が、たぶん、自分よりスケールの大きい人や、自分より心の使い方が大きい人や、自分より知が優れている人とかに倣って学ぶということは上手く行えているのだと思います。

 私は私に有る拙き傲慢を知るつもりではいますが、かと言って、それにきちんと対処出来ているとも思ってはいないのです。

 私が過小評価していると見える部分は、私は自分より上位にある人たちの凄さをよく肌で感じているという部分があるからではないかと思います。ただ、過小評価はあまりしていないのではないかとも思います。

 ただ、主観は常に自分を裏切るものですから、あなたの指摘通りの部分もあるのかもしれないですね。そういう怖れは常に抱いています。

投稿日時 - 2008-07-04 22:48:42

ANo.95

NO.88のお返事に対して。

 引用させてもらいますね。
>本気で地球が内側から爆発して私も含め皆一瞬で消えれば良いと思います。

 これは自分にある不幸を常に”自分以外の何かのせい”としている人によく見られる思考だと思いました。

 
No.87に関しては、私は私への評価を下せずにいるという事を述べたいと思います。過小評価しているとも思ってはいないんですよ。変化した自分をどう評価したら良いのかわからないと苦悶しているのです。時には高い評価を与え、時には低い評価を与え、そして、周りもそれを行き来しているような状態だと言えると思います。
 自分に与しない人たちを見下しているという表現も、その”見下している”というワードの用い方も、あなたのような時期の人にはよく見られる用い方ですが、私の場合は諦念感により、与している人を分けるというよりは、一般大衆というレベルを基準において、その一般大衆という集団は基本的の愚かであるという認識にいるのです。

 という感じですが、どう思われるでしょうか。

 私とあなたで違うのは、たぶん、自己への深刻な批評性を持っているか、いないかなのかもしれないと思い始めています。

 というのは、あなたのような形態を取る自己否定性に苦しむ人は、自己否定に苦しみながらも深層における基本部分では傲慢な形を取り続け、その傲慢への批評性は持たないことが多々あるのですよね。

ひとつ引用しますと、
>回答ありがとうございます。
私にも自分が今信じられないもの、今は受け入れられないものを感じ、実感しそれらを信じたり受け入れたりしなければ進めないことは理解はできます。

 という辺りの理解という言い方に、理解の先走りを感じることが多いのです。そこで以っても突き詰めて考える人特有の傲慢さを感じなくも無いのですよね。

 この”傲慢”の用い方は、否定的なニュアンスというよりも、批評的なニュアンスで受け取ってもらえると嬉しいのですが・・・・。

 また、さらに引用させてもらいますね。
>自分の今や未来を認識するのは他者ということには納得できませんね。
他者が認識する他者の今や未来というのも厳密な「今」にではなく過去に基づいた今に基づいたものだからだと思うからです。

自己認識が他者によってなされるのではなく,他者がいるからせざろ得ないものだと思います。
その中には他者により認識された自己認識も含まれるでしょうが。

 いつも思うのですが、あなたと同じような心境にある他の方にもいつも思うのですが、あなたが今のあなたで何とか出来るのならば、こうやって質問などせずに、ご自分で解決すれば良いことなのではないですか?あなたの主張はいつも”今の自分はこうである”という宣言に止まる感が強いのです。

 今のあなたを主張されるのは、それはそれで良いと思います。それが必要な時、そういうことを言語化して伝える相手が必要という状況はあると思います。でも、いつもあなたは他者から学ぶという姿勢を自ら進んで取るということは、あまり見受けられませんよね。
 
 私は感じたことを申し上げているのですが、あなたは人の言うことよりも、常に自分が感じていること、自分が思っていることのみを追いかけていると感じます。それで、人が言うことに対して反射という形で自分の内にあるものを表出したいという形のみが、あなたにある対他者のコミュニケーションとして有るのではないかと想像してしまいます。

 この形は、ご自分のフィーリングと思惑によってのみ、世界のすべてをコントロール下に置いておきたいという欲求の有り方とも言えるものだとも思うのです。これはエゴイスティックなものだと最近まで思っていたのですが、乳幼児期の赤ちゃんの心理と同じなのではないかと思い始めています。

 あなたにあなたご自身への恥じる気持ちや、罪悪感や、嫌悪感が生じないことには、周りへの感謝の気持ちや、申し訳ないと思う気持ちなどが生じない限りは、あなたの対他者のフィーリングに温かさが生まれることはないのではないかと、誠に勝手な言い方になるとは思いますが、危惧を抱くのですよね。

 私は私のひとつの形を提示しました。

 それをご自身に照らして生かせるか生かせないかはあなた次第であるので、その点に関しては私は今やどうにかしようなどは思わないのですよね。

 冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、これはあなたや、あなたに似た形を取る人たちへの、私からの精一杯の愛情であると今は表現出来ます。

投稿日時 - 2008-07-04 22:23:55

ANo.94

ごめんなさい、No.94に追加させてください。

 私はあなたが自己認識において”認知の誤り”という方法論を採択するのも構わないとは思います。

 ですが、一般的に”認知の誤り”という方法論を採択すると、その実際の概念にある論理構造よりも重視されるのは”誤り”というセンテンスにあるネガティブなベクトルであり、それは治療者側とか支援側にも見られる傾向であったりします。そして、もう既にあなたの論理展開にはその方向性が生まれていると感じます。

 もうひとつ追加して述べておくと、検索で得られる知見というものは基本的に拙いものであるのです。ごく部分的な知見を得られるにしかないものなのです。インターネットは大変便利ですが、得られるものはごくごく限定的であり、その中から意味のあるものを常が手読み取れる人は大きく限られると感じています。得られる知見は最大公約数的なものと言えるかもしれません。つまり、”平均年齢は女性で80歳”というぐらいのものなのです。

 人生を考えるには、常に拙いものと言えるでしょう。

投稿日時 - 2008-07-04 00:02:54

ANo.93

No.84のお返事への返事を書こうと思います。

 まず、引用させてもらいますね。
>お言葉なんですが私が他の人に比べ認識が優れているのではなく、私の認知が歪んでいるのだと思います。
それはこのような考え方はバランスを取れた思考方法ではないと思いますし、認知の歪みと検索すればこのような考え方は認知の歪みに当てはまると思います。
極めて非客観的で主観的な考え方だと思います。

 その認識の仕方は、つまり、あなたの思考とか認識の形が”認知の歪み”と表されるものととても近いということですよね。それはあなたの傾向に対してのネーミングであって、私がきちんと認識出来ている言っている部分とは違うのですよね。あなたはあなたの今の状況をよく認識出来ていると言っているのです。

 この後のあなたのお返事の書き方にも言えるのですが(つまり、思考の傾向とも言えるのでしょうが)、あなたはこうした会話の中で自分の見解とか見識に力技で以って収束させてしまうという形を多く取ります。それがあなたの自分の考えに固執してしまいがちになる話法と言うか、人との接し方とも言えるのだと思うのです。そして、その自分の固執している考えというのは常に過去のものであり、今を捉えていないことになるのですよね。だからすれ違いが起こるのですよね。

また、引用させてもらいます。
>またもしかしたら実際には違うかもしれないとは時折思いますが、基本的き人間は生まれたときから持っている素材や育つ環境によって生じる付加価値という自分で努力しても得られないものによりある程度の幸せが定められると思います。
ある程度と言ったのは、自分が恵まれない存在であることに気付き努力しそれを克服することにより幸せを掴む人がいるかもしれないし、また自分が恵まれない存在であることを意識的無意識的には別としてそれを享受することにより分に相応した幸せに満足している人もいると思うからです。

 この思考法は、現在の格差社会と言われている状況においての生環境からして下層に位置づけられる人たちにおいて多く見られ、問題となっている考え方なのですが、ご存知でしょうか。
 あなたは人より優れて突き詰めて考えられるがゆえに、ご自分の考えが突き詰めて考えた産物であり、もうこれ以上の可能性はあり得ないとまでにしてしまいがちなのです。これは突き詰めて考えられる人の似よく見られる傾向であり、落とし穴なのです。
 また、言うならば、生環境や素質(持っている素材)によって将来的に規定されるのは”幸せ”の多寡ではないのです。もう少し言及すれば、生環境や素質(持っている素材)のよって規定されるのはスタート地点からにおける機会の均等性というものであり、機会においての将来性の限定というものが課せられる社会となりつつあるという文脈で格差社会が問題とされますが、そこで用いられている尺度は決して”幸せ”ではないのです。
 またさらに言うならば、その将来的に社会において得られる地位を幸せの尺度とする考え方は、ここ20年とか30年くらいのスパンにおいて発生したごく都市的な思考法の一つでしかないのです。厳しい言い方をすると、世間を知らないとも言えるものですし、世界の仕組みに触れていない、大いなる自然に触れていない人によく見られる思考の形のひとつとも言えます。
 頭脳だけでも生きられる都市的人間においては、こういう考え方を老齢になっても持ち続けることが可能です。実際には適いませんが、限定範囲で以って生きること適う都市的な人間はすべてそれでまかなってしまうのです。

また、引用させてもらいますね。
>kumosukeさんはが仰ることは分かりました。
プラスがあるから埋め合わすとしてマイナスが生じるということですよね。
しかし例えば美人はその気もないのに気持ち悪い人に付きまとわれるとかですよね。
しかし美人の方がブスよりも幸せですよね(美人はブスになりたくないでしょう。)
私は自分が幸せだと、生きるにあたり希望を実感したいんです。
満ち足りた生活を送りたいです。

 すいません、この書き方だと、私の言っていることは”判っていない”となるのです。
 前段のこの文章なのですが、”しかし例えば美人はその気もないのに気持ち悪い人に付きまとわれるとかですよね。
しかし美人の方がブスよりも幸せですよね(美人はブスになりたくないでしょう。)”
 こういうごくごく私的範囲とも言えるところに話が急展開するのが、女性的とも言えるのですが、あなたの話法とか思考法の一傾向だと言えると思います。また、言っておきますと、”美人がブスより幸せである”ということは歴史を振り返っても証明されたことは一度もありません。容姿という一局面的才能において優れているに過ぎませんから。そして、その文章のさらに前段を以って私の書いたものへの理解としている点もちょっと違うと思います。
 女性や、水平的思考が苦手な人に多く見られるのですが、一つの話の中において、スケールがずれることがしばしばあるのです。この見解の流れはごく私的範囲における感情的な展開と言えるものであり、それを人類的規模の運命論と一気に繋げてしまうところに難点があると言えるでしょう。つまり、このようなスケールの推移がしばしば起こると、物事を見誤ることが多くなるのです。でも、それだけあなたの中には感情的になものものが埋もれていて受容されていないとも言えるのかもしれません。
 形を変えて、向きを変えて評価すると、ストラテジックにはものを考えづらい思考法であると言えると思います。

 そして、もうひとつ言うと、人間の一生において、”満ち足りる”という状態が永続することはありません。ですが、希望を感じて幸せと感じることは、それが無くても可能です。

またさらに引用させてもらいますね。
>今を連続して生き続けることに意味はあるのでしょうか。
それ事態も相当苦しいことなのではないでしょうか。
そして今には終わりがくると思います。

 当人の意識的認識範囲においては今が連続していると感じられてしまいがちでありまして、それはごく現代的認識だと言うのは、私は過去の返事でも書いたと思います。

 そして、己を発見するのは常に他者であるというのは、その当人においての意識的認識範囲という限定的な条件が課されないのが他者であるからです。意識と言うものは常に誤っている可能性が大きくあり、その意識による認識範囲もごく狭いものに限られ、常に主観に縛られた自己認識というものはその時点で限定的でありますし、そしてこれも既に触れましたが、常に過去の己しか対象とし得ていないのです。

 ですから、あなたの”今”という認識の連続に終わりが来ることは、むしろ歓迎すべきことかと思います。つまり、あなたの”今”というフレームの終焉を意味し、それは新しいタームへの飛躍という形の”今”の認識が降りてくることを意味しているからです。

 ですから、あなたの今の連続が終わりを迎えることに対しては、私から言えることは、”おめでとう”ということになります。

 簡単に言うと、”新しい自分よ、こんにちは”ですよね。

 明日には明日の風が吹く。 

投稿日時 - 2008-07-03 23:45:30

ANo.92

No.83のお返事に対して。

引用させてもらいますね。
>私は自分が真摯かそして素直かは分かりませんが、嘘をつくのが本当にすごく上手です。

 嘘が凄く上手だとのことですが、どのような形での嘘をつくのが凄く上手なのでしょうか?宜しければ聞かせて下さい。

 あなたは過去の私と同じで、自らに有るネガティブファクターからの未来予測に長けていますが、ポジティブファクターを勘案しての未来予測、時間軸的な変化からの未来予測という面が欠如しているとは思えないでしょうか。
 たとえば、痩せたことにより綺麗になり、周囲の目を惹き付けたことがあなたの中ではとても大きくありますが、それが初めて起きたことのことをあなたは予測し得たでしょうか。

 ”あの子”とは、私との会話であなたが水掛け論と表記した話の中の中心にいる子のことですよ。

 お返事、お待ちしております。

投稿日時 - 2008-07-03 09:03:24

お礼

回答ありがとうございます。

別に私は嘘をつくことによって自分の利を得ることを求めているわけではなく、他人がどういう反応をするかを見るためだけに嘘をついています。
例えば猫が鳩の集団を狙ってて鳩が猫から逃げていたから猫とは逆から私が鳩の集団を追いかけて猫の手伝いをしてあげた位のものです。

ネガティブなものは明らかな形をとって問題となっていますがポジティブなものは自分にとって当たり前なものだから意識化は出来ないのではないでしょうか。

投稿日時 - 2008-07-05 12:37:16

ANo.91

No.82へのお返事に対して、返事を書こうと思います。

 あなたの他者への対し方や自分の心の処し方は、一見すると、また、あなた自身も強くそう思っているのだと思いますが、とてもエゴイスティックなものだと見えますよね。

 でも、それは本当にエゴイスティックなものなのでしょうか?

 そうなる理由があなたあり、そうなる経緯があなたにあるとは思いませんか?

 それらの由来に思いを馳せてみては如何でしょうか。

 私のことを放置していたと書いてあるけども、あなたと私の実距離を考えれば、本来あなたのように真摯に応える必要もないとも言え、決して放置とはならないものであるのだと思います。
 ただ、あなたの気持ちから言えば放置となり、それがなぜ放置となるかと言えば、あなたは私との関係性に意味を見出しているからなのだと思うのです。ですから、あなたの主観的距離からの感覚では放置と言える状態であったということになるのでしょう。
 なぜ、放置という感覚になるかと言えば、あなたにとっても、そうはされたくない、そうは扱われたくないという強い感情があるからなのだと思うのですよね。それは愛着とも言えるし、執着とも言える形態となっているあなたの周囲への感情的なもの、関係性への感情の形と言えるのだと思います。
 なぜそう思うのかと言えば、それは私にも強く有ったものであり、有るものだからでしょう。でも、私はそれら愛着や執着と少し距離が取れるようになって来ている。それが私の成長であり、脱皮的な部分なのかもしれませんね。

 と、このような心理的連続性、関係性に思いを至らせれば、あなたにある由来も見えてくるのではないでしょうか。

 あなたは周りの人たちよりもずっと、生きるということや、人と交わるということに辛くなるほどの努力を積み重ねて来ているのだと思うのですよね。でも、それが形にもならないし、認められもしないし、また自分でも認められないでいることも辛いのだと思います。そして、自分よりも明らかに努力してきていない人たちがそれらを得ているように一見すると見える現象に腹立たしさよりも強烈な思いを抱いており、その思いに蝕まれているところがあるのだと思うのです。

 あなたは自己存在の存立に常に強く不安を抱いて生きているし、そうならざるを得ない環境に身を置いているのだと思うのです。

 否定的に自分を見ることしか許せない状況があるからこそ、自己の存立が常に危ぶまれる状況があるからこそ、自己保存のために一見するとエゴイスティックと見られる反応しか示せないでいる状態があり、それで以ってしか今現在は己を維持する方法を見出せないでいるのではないか、という見解に至るのです。

 その心に根ざした生命の危機にも近づいて行く危機感が、何かを得ることによって、それを軸としてその危機感に対峙できるようになる、というプロセスが必要なのかなと、一見識を持つに至ります。

 この見解、見識は、これが解であるというものでもありません。あなたの自己理解を推し進めるためのひとつの方法論として提示するに止まるのです。

 志を養って欲しいものだと、私などには思うのですよね。あなたは志を持って臨める力を持ったタイプの人間であると思うから。

 また、長くなって、多回答な形になってしまってすいません。

投稿日時 - 2008-07-02 22:22:04

お礼

回答ありがとうございます。

私はエゴイストだと自分について自覚しています。
その原因についても考えました、またエゴイスティックなかとが問題だとは思いません。
むしろ賢い選択だと思います。
大抵の人は接していて好い人の仮面を被った偽善者で根本は私以上のエゴイストだと感じます。
私は偽善なんてする気はありません。
たまには使いますが、自分の利や面倒にならないように使うまでです。

あと私はエゴイストですが自分にしてくれたことに関しては相手にも返そうと思っています。
仕返しも徹底的にやります。

正直kumosukeさんに返答しようと思ったのは、あなたの回答に挟まれ他の方の投稿があったからです。
kumosukeさんだけだったら回答を止めたいと仰ったのはあなたの方なのでお礼を書いたかはわかりません。

投稿日時 - 2008-07-05 08:28:40

ANo.90

また、”コントロール”の話になるのですが、私は会社でもその環境が良くなるコントロールであると知って、それを行っている面があります。そして、変わらずに、強烈な嫌悪感と罪悪感は深層で抜けず、良い変化と効果をもたらしていると知りながらも、申し訳ないと思いながらやっています。
 もうひとつは、最近身に付けた相手を傷つけずに、しかし相手の深部と本質を批判するというやり方で、相手の過ちと誤り、間違いなどを指摘するというのを、行っているようです。他にも色々行っているのですが、割とそのままの感情を表面に出しながらも、ポジティブに収束するという形が多く出ています。でも、それも結果はコントロール性があるものなので、嫌悪感と罪悪感は拭えません。でも、よりポジティブな形で有ります。

 内田樹氏の記事で似たようなのがあったのでURLを張っておきます。
http://blog.tatsuru.com/2008/07/01_0912.php

 井上雄彦作品の海賊版への見解がそれですね。

 参考になりますでしょうか。


 引用させてもらいますね。
>私は人格障害であれなんであれこの捻れ歪んだ性格を直さなければうまく世の中に対応出来ないとは思うんですが、それをするのはかなり苦しそうなので尻込みしています。
しかしこのままでは苦しいという腰抜けのジレンマです。

なんか最近全てがいやになってきました。

 この”全てがいやになる”というベクトルの高まりが、ひとつのターニングポイントへの収束点に向かっているということなのだと思うのです。このベクトルの行く先に、あなたの次の展開が待っているのだろうと思うのです。

 今、帰ってきたばかりなので、これはここで止めておきますね。

投稿日時 - 2008-07-02 19:58:43

お礼

回答ありがとうございます。

正直、あなたの自身について言うことが信じられません。
あなたがご自身について言及しているような行動を出来る人の存在について信じられないというよりは、あなたがそのような人間であるとは思えないからです。

このようなことを述べて私についてどう評価しようがどうでも良いですが、意見が偏りすぎていてご自身やそれに類するものにしか肯定的でないと思えてなりません。

投稿日時 - 2008-07-05 08:06:51

ANo.89

”自分の心を犠牲にして行うことを止めることは出来なかったのです。”

”犠牲にしても”の誤りでした。


 というコミュニケーションの几帳面さ?とか、あなたと似ているでしょう?私たちのような人間独自のこだわりですよね。

投稿日時 - 2008-07-01 10:53:54

ANo.88

 あなたより私の方が人をコントロールするのに長けているという話をしたのを覚えているでしょうか。

 この話はしましたか?高校時代に剣道部員と体育の時間に剣道で相対し、相手を金縛り状態にしてしまったことを。心理戦に引き込んでしまったのですね。相手に不用意に打ち込んでは逆に取られるという疑心暗鬼のような状態に追い込んでしまったのですね。痺れを切らした剣道部顧問の体育担任の先生が”打て!”と怒って、二者関係が崩れて三者関係となったために、初めて彼は面を打つことが出来、そして容易にそれが出来たのですが、でも、そうなるまでの数十秒に渡って、素人の私相手に微動だに出来なかったのです。

 その時分はもうそういうことばかりだったのです。この話はしたと思いますが、話している相手に無意識的というか、反射的に、相手の喜ぶようなロジックの言葉を返し続けてしまい、相手に私への好感を大きく持たせてしまい、ですが私の方ではまったくそれを望んでも意図してもいなかったために、その両者の気持ち温度のずれゆえにカタストロフを招いてしまうということを連続的に毎日のように行っていたのです。

 自分がそういうことを意図せずとも反射的に行ってしまっているという自覚はあり過ぎるほどにあったので、そこへの大変大きな嫌悪感に苦しみ、それから意図的にコントロールワードやら、コントロール所作などを私の中から排して行ったのです。幼少から対人恐怖症であり、当時はさらに強まっている時期でしたから、それをさらに行うことで私のコミュニケーション能力=人と繋がる能力、人に伝える能力は、さらにさらに弱体化し、私の中の自己不全感はさらにさらに大きくなり、私の中の苦しみや辛さはさらにさらに強まったのです。ですが、それよりもさらに人を無用にコントロールしてしまう自分への嫌悪感が強く、その流れを意図的に強く止めにかかることを、自分の心を犠牲にして行うことを止めることは出来なかったのです。
 それでも、特定の人を強く欲すると、その人の心をコントロールしようとする流れがあふれ出てしまい、また強烈な自己嫌悪と罪の意識に苛まれたものでした。

 つまり、高校生ぐらいまでの経緯で、私はそれぐらいのことまで、意図的ではなくても出来るぐらいのものを身に付けていたのですね。それをさらに意図適にまで成せるように推し進めていたら、結構な事が出来るようになったと思いますよ。いや、今もそれを成熟させ続けているのかもしれませんが。でも、人と幸福な形で繋がるとかはまったく進展を見なかったと思いますね。

 私の”許して下さい”という感覚は、幼少の頃よりあった”自分が咎人”という感覚、つまり十字架を背負って生まれて来ているのだという感覚からのものでしたが、それ以外にも多々ありますが、いつしかそれら意図せず人をコントロール出来る自分、してしまう自分というものも大きく加わっていったのです。


 うちでは今年3歳になるメスの柴犬がいます。彼女は幼い、小さい頃から人に対する恐怖が強くありました。人との柔らかい接触が出来ず、牙をむいてしまう面が強くあったのです。だから、抱擁すらまともに出来ない子であったのです。私は耳に入るあらゆるしつけ法を行ってみましたが、かえって彼女を傷つけるばかりでした。それで、ある日から方法をまったく変えました。アーネスト・シートンが行っていたと言うドッグ・ウィスパラーという方法の概要を目にしたので、それを概要から知る限りの要諦で以ってとなりますが取り入れ、さらに私が幼少の頃から無意識的に培ってきたコントロール法をポジティブに反映させてみようと意図的にそれを行う形に向かっていったのです。意図的に行えるようにするというのは随分と難しいものなのですよね。なぜなら、それらは意図的な形でないほどに効果を発揮するからなのです。そこで結びついてくるのが、内田樹氏が言うところの”共身体性”とか”複素的身体”とか”ミラーニューロンの働き”とかでしたね。それらを、初めて飼う犬という面での犬への理解という壁もありましたので、難事業となりましたが、畑正憲氏の最新の犬に関する著書などから入る知識も取り入れながら、徐々に理解を深め、形と成していったのです。
 ですから、今はとてもポジティブなもので愛犬と繋がって来ていますよ。”信頼”とか”愛”でです。

 強烈なまでの罪悪感とか嫌悪感が抜けることはありませんが、それら私にある悪性の一部をポジティブな形で表面化させていくことは、結果が出るほどに私と私の周囲を癒して行くように思えます。


 どうですか、あなたにとって0と1とを行ったり来たりする男の話は。たぶん、私は現実ではその0と1の間の様々な様相も見せていると思いますよ。

 人を知ることによって己を知るということも、往々にしてあるものじゃないですか。


 あなたとこうやってやり取りするのは愉しいと感じるものであるんですよ。物事を突き詰めて考えられる人、そしてそれを豊かな分析力に基づいて行っている人、そういう人と話すのはかなり愉快な気持ちにさせられるんですよ。それは非情に大きな私の孤独ゆえですよね。

 でも、そういう突き詰めて考えられる人には、その人の形特有の落とし穴もありますよね。

 あなたがどう返事をくれるのか、楽しみにして待ちたいと思います。

投稿日時 - 2008-07-01 10:51:03

お礼

お久しぶりです。
失礼にあたる形でkumosukeさんからの回答に対し否定するような形で終わらせてしまいましたが、今日厚顔無恥にもここに書き込ませていただいたのは、kumosukeさんに謝らなければいけないと思ったからです。
ご指摘いただいてる通り私は今の自分というものに固執しすぎる傾向があります。
そして、自分を否定したり、今の自分のあり方を私が不当と思われるような形で諭されるととても頭にきて相手をなんとかやりこめてしまおうと思い、実際にそれをやってしまう傾向があるみたいです。
先日バイト先のほとんど話した事のない新しい店長から我が強いと言われました。
その店長には頭にきていますし、いつものように絶対にやり返してやると思ってしまっていますが、そのときにkumosukeさんのことを思い出しました。
私は確かに自己主張が激しすぎ、受け入れられないとその相手を全力で拒む傾向があるからです。
そんなのにも関わらず長く付き合っていただきありがとうございました。
そして、本当にごめんなさい。
私は他人を必要以上に傷つけてしまう傾向があり、kumosukeさんにもそうしてしまったんだと思いました。

投稿日時 - 2008-09-21 21:42:38

ANo.87

私の生きている感覚は、”許して下さい”という感覚だと思います。

 誰かにというわけではなく、全体に。


 あなたはどのような感覚で生きていますか?

投稿日時 - 2008-07-01 00:19:56

お礼

回答ありがとうございます。

私は死ねないから生きているだけです。
惰性です。
それ以上はなにも感じません。
ただ何年も途中短い期間そうでない時間もありましたが、生きているのが苦痛だ死にたいと思いつつも生きているということは生に対してなんらかの執着があるのかということをよく考えます。
本気で地球が内側から爆発して私も含め皆一瞬で消えれば良いと思います。

投稿日時 - 2008-07-04 11:40:40

ANo.86

 何度も書いて申し訳ありません。これらが私から逃げてしまうのを恐れて、書いてしまいます。私の無能がそれであるからです。

 いずれにしてもあなたは、あなたがなんと言おうと、今後の人生において大きくその才を開く人なのです。

 あなたのような形の人は大きな葛藤をしないことにはいられないのです。大きな葛藤をしないことなどあり得ない形と言えるのです。それが他の人の形とは生まれつきにして違う形であり、あなたにある運命の流れだと知る必要があります。

 あなたの言う、それ以外のものを信じられない、実感出来ないというそのタームから、次にあるステージのタームへの移行がこの先あなたに控えているのです。

 普通の人が容易になせていると思えるそれが容易に成せないのは、あなたが安易を許さないからなのです。あなたにおいては、一元論的意味でのとても深い身体的理解が必要なのです。女性は女性であるがゆえに一元論的な意味での身体的な感性と思考を持ち易いのですよね。

 つまり、優れてものを考えられ、優れてものを見ることが適うからこそ、圧倒的にインプットされる情報量に翻弄されてしまい、また、ご自分の形ゆえにそれらをきちっと整理しないと許せないのです。そして本質に迫らないことにはそれをそれとして受け入れられないのです。

 私がアクセする際にその人の書き方を見ます。短い文章と言えども、それによって、その人の人となりは知れます。あなたは本質的な求道者であると見たからアクセスし、それで、あぁやっぱりなと思ったのです。でも、その時、私にはかなり酷く余裕がありませんでした。いい加減な気持ちでアクセスしてしまい悔やんでいたのです。

 という事なのですが、如何お思いになるでしょうか。

投稿日時 - 2008-06-29 09:05:10

お礼

回答ありがとうございます。
私にも自分が今信じられないもの、今は受け入れられないものを感じ、実感しそれらを信じたり受け入れたりしなければ進めないことは理解はできます。

私は失礼だとは思いますがkumosukeさんは私に対しても、そしてご自身についても過大評価しすぎなのではないかと思います。
ご自身では過小評価してるつもりなのかもしれませんが、言葉の端々からご自身やそれに類する人を高みに据え、それと相容れない他のものを見下しているように感じます。
当て付けとかではなく前々から感じていたことを今はっきり言語化出来たという感じです。
私はkumosukeさんを傷つけたいのではなく、これを解決しなければ私が納得出来ない、というよりは苦痛でしょうがないからです。

私自身には大抵の他者を見下している、そしてそれはある意味正しい考え方(優れた人については認められるので)だとは思いますが、自己正当化に過ぎない面も持ち合わせていると思っています。
そして私は自分自身が大抵の他者をなんらかの形づ見下していることをはっきりと認識しています。

もし気に障ったらごめんなさい。

投稿日時 - 2008-07-04 11:32:14

ANo.85

 エリクソンの真似を恥ずかしながらも続けてみます。



 荒野に同じくして生える草ぐさは、突風になびくに任せ、たなびく。

 そしてそれらは人や獣に踏み敷かれる。

 唯一本のみにして有る木は、突風が止めば、天に向かってそびえ立ち、緑茂らせ、たわわに実らせ、遠くから認めて人や獣が集い来るのである。

 突風はいずこに。

投稿日時 - 2008-06-29 00:38:01

ANo.84

 もうひとつ言い忘れましたので、申し訳ない、書かせて下さい。

 あなたの今からの未来予知は、”今”からに限定されていることにお気付きになられたでしょうか。私たちの未来予知は今有るリスクファクターから未来を予知するの限られます。決して今の先から未来予知することは適わないのです。
 
 そして、人は今に止まる事無く、常に変化し続けるものでありましたよね?では、今を基にした未来予知とはどのようなものと言えるかと言うと、常に過去のものであるのです。常に遅れているものとして有るのです。これが自己による自己認識において、常に有り、取り返すこと適うことが決して無い”遅れ”なのです。

 自分の今と未来を認識するのは常に他者であるのです。

 私は8年前ほどに、書店で働いていた頃、いつも懇意にしてくださっていたあるお客さんから、普通の会話の上から私の未来を予言されました。あの自然な会話から自然に吐かれた言葉に、当時の底辺を這いずり回っていた私は当惑し、混乱し、その言葉の真実な姿に怯えました。

 自己認識とは常に他者によって成されるのです。自己の存在する意味もまた、同じだと私は思っています。

投稿日時 - 2008-06-29 00:01:20

お礼

回答ありがとうございます。

自分の今や未来を認識するのは他者ということには納得できませんね。
他者が認識する他者の今や未来というのも厳密な「今」にではなく過去に基づいた今に基づいたものだからだと思うからです。

自己認識が他者によってなされるのではなく,他者がいるからせざろ得ないものだと思います。
その中には他者により認識された自己認識も含まれるでしょうが。

投稿日時 - 2008-07-04 11:01:22

ANo.83

No.79へ返答、ありがとう。とても素晴らしい返答で息を呑みました。

 ひとつ、思いました。あなたは私と同じ資質をお持ちなのですよね。今有るリスクファクターから未来予測が出来る資質ですよね。才気あふれるお方なのだと感じます。だからこその受難なのでしょうね。

 順不同ですが、私からの見方のひとつを提供させて頂きたく思います。

 引用させてもらいますね。
>他の人たちにも程度の差はあれ人には見せられないような困難があることは分かります。
しかし、その人たちはそれを自分の中にある数個の欠点として認識していて、それを自分全体の問題としては悩んでいるわけではないのではないでしょうか。

 これはあなたの方が認識力が優れているという事実に過ぎないのではないでしょうか。
 彼らにおいても実はその人全体の問題としてあるものなのに、それを数個の欠点としか認識し得ていないだけであるのだと。そこにおいてどちらが人生の道を求め易いと思われるでしょうか。どちらが先を見出す可能性を抱いていると言えるでしょうか。
 それを想った時、私は人間というものに課されたものの非情さに思い至らせられます。彼らは一生かかっても、なぜ自分たちがこれほど苦しんだり、上手くいかないという思いを引きずり続けるのかを理解することが出来ず、ただ出来るのは何かを恨むことだけでしょう。
 私たちは差別化されて生まれて来ているのです。この運命の非情さに、沈黙してしまいます。

 でも、それゆえに、彼らは本当の絶望や地獄を見出す事無く一生を終えることも適う。どちらが幸福であるかなどと言えるでしょうか。たとえ自殺してしまった人たちであっても、本当の地獄と絶望に触れた人は幾人いるでしょうか。

また引用させてもらいます。
>またけして恵まれているようには見えないのに幸せそうな人をみるととても苦しくなります。
なんで貧乏なのに、なんで醜いのに、なんで馬鹿なのに、明るく幸せそうに生きていけるのか分からないし、そういう人たちを見ると本当に苦しくなるんです。
嫉妬とかもあるのかもしれませんが、それについては良く分かりません。
本当に苦しいって感じなんです。


 これは私も若かりし頃に思い悩み、苦しみました。ただ、今私に有るものがそれの解とも言えないと思いますが、書いてみます。

 あなたは幸せというものを定量化していたり、人にある資質や素質から比例的に得られる取得物と考えていると想像されます。

 また、そして、あなたは御自分に有る人より優れた資質のお気付きであらせられる。ですから、このような感慨に向かわれるのだと想像します。資質高き者でありながら一向に報われぬという想いがどこかにくすぶっていると感じるのですが、如何でしょうか。

 それに関してはこう記します。才多きものは、それ無きものより必然的に不幸となる、と。
 私の言葉で言えば、大きな力を持った者は、その力に対し、力に比例して責任が発生する、です。
 ”幸せを定量化している”と言いながらも混乱させる言い方になりますが、人において与えられる幸というものは一定とも言えるのです。”差し引きゼロ”というイメージとも言えますし、”質量保存の法則”のイメージとも言えるでしょう。

 また、もう一面から語れば、あなたはその才を見つけられる必要性があり、また、見つけてもらいたく欲しているとも言えるのです。

 また、もう一面から語れば、マイナスを大きく背負う人たちが、そのマイナスを気にしていないと言うことに、あなたはあなたのマイナスと感じているものを想い、彼らとのそのマイナスの扱い方の違いに苦しみ、自分がそれを受容し得ていないことに苦しみ、そこに想いを向けること自体によりさらに苦しくなるのでしょう。

 それもあなたの自己認識力の高さと、周辺分析力の高さゆえの、それらを勘案しての先に挙げたリスクファクターからの未来予知力ゆえの苦しみと言えるでしょう。

 それはもう苦しいものでしかないと察せられます。

 またさらに引用させてもらいます。
>また、私はkumosukeさんの仰る生き方や生きることについての御意見も理解は出来ます。
しかし本当に納得、というよりは実感できないのです。
私にはまだやっていないことがいっぱいあるのは分かります。
でも自分なりに自分についてや生き方について考えてもきましたし、そのような分野の本も読んできました。
しかし、やはり理解は出来ますがそれだけなんです。

 素晴らしい自己認識力だと思います。その通りでしょう。それはまさに私が言っているあなたの今を現しています。まったく見事に自分を捉えていると思います。

 そして、言えることは、まさにその実感を得るための作業が、あなたのこれからの人生の道程なのでしょう。

 何かに、”恐れながらも進め”というようなのがありましたが、まさに今のあなたとこれからのあなたに言えることでしょう。あなたのような人こそ、受難を負いつつも道を開く人なのでしょう。確信となりつつあります。

 これは応えづらいのですが、見事な指摘と感じましたので、引用させてください。
>なんで苦しくても他者に優しく(私なんかに必死にアドバイスをくれたり)余裕を持って生きていけるのですか。
死にきれなかったからとかではなくもっと深い意味で伺いたいです。kumosukeさんは「今」を連続して生きているのですか、それとも未来や過去も全て含めその一部としての現在を受け止めてそれでもいきているのですか。

 私は”優しい”のではなく、優しくしたいけども適わない人間であったのであり、今もそれを成したいと切に願う人間に過ぎません。そして、人の心と人の形を本質的に追い過ぎたのです。ただそれだけでしょう。
 今も決して余裕を持って生きてはいません。いつも生きるか死ぬかです。頭の中のサイレンが鳴り止みません。整体協会の尊敬している指導室の先生も、私を診てこう述べてました。”常に大きな不安を抱えている”、”頭に大きくエネルギーが向かい過ぎている”と。流石の見識です。まったくその通りでした。身体もいつもぎりぎりの状態です。心もいつもぎりぎりの状態ですし、精神もいつもぎりぎりの状態です。それは過去のいつかから変わりません。真に心が安らぐ時を得ることはありません。
 私に有るのは、もう今という瞬間を如何に捉えるかのみなのかもしれません。過去にも囚われていますが、過去よりも”今”という瞬間が目の前に迫ればそれしか無く、未来にも囚われますが、未来よりも”今”と言う瞬間が目の前に迫ればそれしか無いとなるのだと、今は書き残します。ただ、これだけでもないのかもしれません。

 私はこの平和な日本で、未来予知による自殺ででなく、肌身で死が急激に迫るのを感じたのでしょう。
 死に切れなかった自殺よりも、真実に身の上に迫る死を感じたのだと言えるでしょう。でも、死んでいないがための精神状態と言えるのではないのでしょうか。殺されかけたのかもしれませんね。でも、これは今回限りの表現に止めたいです。

 抽象的ですが、今表せるのは、これぐらいとなります。

 良ければ、感想など、感慨など、お聞かせください。

投稿日時 - 2008-06-28 23:46:21

お礼

回答ありがとうございます。

お言葉なんですが私が他の人に比べ認識が優れているのではなく、私の認知が歪んでいるのだと思います。
それはこのような考え方はバランスを取れた思考方法ではないと思いますし、認知の歪みと検索すればこのような考え方は認知の歪みに当てはまると思います。
極めて非客観的で主観的な考え方だと思います。

またもしかしたら実際には違うかもしれないとは時折思いますが、基本的き人間は生まれたときから持っている素材や育つ環境によって生じる付加価値という自分で努力しても得られないものによりある程度の幸せが定められると思います。
ある程度と言ったのは、自分が恵まれない存在であることに気付き努力しそれを克服することにより幸せを掴む人がいるかもしれないし、また自分が恵まれない存在であることを意識的無意識的には別としてそれを享受することにより分に相応した幸せに満足している人もいると思うからです。
kumosukeさんはが仰ることは分かりました。
プラスがあるから埋め合わすとしてマイナスが生じるということですよね。
しかし例えば美人はその気もないのに気持ち悪い人に付きまとわれるとかですよね。
しかし美人の方がブスよりも幸せですよね(美人はブスになりたくないでしょう。)
私は自分が幸せだと、生きるにあたり希望を実感したいんです。
満ち足りた生活を送りたいです。

今を連続して生き続けることに意味はあるのでしょうか。
それ事態も相当苦しいことなのではないでしょうか。
そして今には終わりがくると思います。

投稿日時 - 2008-07-03 17:26:22

ANo.82

 ごめんなさい、言い忘れてしまいました。また、少し時間をください。

 ”直す”とありましたが、それは直すものなのでしょうか?

 
 あなたは真摯で、素直な人だと感じました。

 だから、真摯でなく、素直でない自分を内に見出し、もっと表に現し、もっともっと受け止めてもらう必要があるとは思いませんか?
 
 それが、たまたま、あの子に向かっているのではないでしょうか。

 あの子も、それをわかっているのではないでしょうか。

 また、踏み込んでしまって、ごめんなさいね。こんな私をゆるして欲しい。責めてもいいけれども。

投稿日時 - 2008-06-28 22:12:37

お礼

回答ありがとうございます。

私は自分が真摯かそして素直かは分かりませんが、嘘をつくのが本当にすごく上手です。

ところであの子って誰ですか?

投稿日時 - 2008-07-03 08:30:00

ANo.81

久しぶりですね。つつがなくお過ごしでしょうか。

 引用させてもらいますね。
>しかし、私のそのような態度に問題があるのは分かりますが、相手に問題が全く無ければ相手を急に否定すると言うことも無いと思うのですが。

 あなたの態度に問題があったでしょうか?そうは思いません。状況的に必然であったと思うから、ミルトン・エリクソンを引用してみたのです。もちろん、私にもそれを起こすだけの必然的な話しかけがあったのですよね。私にあった必然を誤りと言っても、あなたの立場からは許されることだと私は思いますよ。あなたが全て悪いなんてことは思っていませんよ。問題があったとも。

 ただ、あなたと私の双方にすれ違いがあったという事実のみが残るのではないでしょうか。

 また引用させてもらいますね。
>生きとし生けるものである限り、どんな聖人であれ欠点が無いと言うことはありえないとは思いますが、それにしても私には耐えられないような物であるとその場では強く感じてしまいます。
そのような自分を後悔することはよくありますが直りません。

 その時、その場で耐えられないと表明することは大事だと思います。ですが、その際に相手の文脈を否定する形を取らないほうが丸く収まりますよね。表現として違う形の気持ちの表明の仕方を探ってみると、意外にあるものなのですよ。その形の表現でも十分に今の気持ちの表明が出来たと思えるものがあるのですよね。そういう形を追ってみると、意外に今までうまくいかなかった局面とか、関係を破綻させていた局面で、そうせずに、丸く収まりながらも、あなたの気持ちが収まる形というのはあるものなのですよね。
 こういうスタンスはどう思いますか?

 誰しも聖人にはなれないのだから、その人にNOを言ったりても良いのですし、不快を表明しても良いのですよね。大事なのは、その後も関係を続けたいと思う相手が多いはずですから、そういう対象には表明の仕方を変えてみる必要があると思うのですよね。
 そうすれば本当のあなたの心と意思に近い表出が成されるのではないですか?

 あなたが私の友達であったなら、私はあなたに不快の表明とか、NOとかを、言うべき時に言ってもらいたいと思いますよ。

 また、引用させたもらいますね。
>本当にkumosukeさんと話していると凄く混乱してきます。
それにも関係していると思います。
私は他者からも自分の評価について1か0で受けていると感じているからこうなってしまうんだと思います。
しかし、それ以外の世界を信じることが出来ないんです。

 ”それ以外の世界を信じることが出来ない”というのは素直な今の自分の表明だと思いますよ。それはそれでいいのではないでしょうか。だって、今はこれだけしか出来ないというのは皆そうでしょう?皆、今出来ることは、今有るものだけなのですから。

 ”探る”とは、今無いものを求めて行く形ですから、今信じられるものを探る必要はないでしょう。今信じられないものを探るのが、”探る”という行為なのです。どうでしょう?

 そして、今、あなたに無いものを語る私だから、あなたがそれを聞いて、話してみて、混乱するというのも素直な表明だと思いますよ。だって自分に無いものを理解することは出来ないでしょう?理解できないもの、していないものを取り合えず頭の中ににストックしておく、つまり、混乱と葛藤を頭の中に保持しておくこと、それがつまり大きな”学び”を行うことそのものなのですよ。それら混乱と葛藤は、年月を経るごとにあなたの中で少しづつ整理され、道筋がついていくのです。そしてある日眼が覚めたように、霧が晴れたように全てを理解する。それがブレイクスルーなのです。
 だから、あなたは過去の私と同じ、ブレイクスルー予備軍なのだと感じますよ。


 またまた、引用させてもらいますね。ごめんなさいね。
>最近本当に自分は幸せになれないだろうと切に感じます。
もうどうすればいいか分かりません。

 とても素直な表明だと思います。本当に素直な人なのだと感じました。
 では、もう一回、再度聞いてみますね。

 ”幸せ”とは何でしょうか?

 人間にとっての幸せとは何でしょうか?



 何だか、旧友に再会したような気持ちになれました。

 葛藤と混乱は宝物なのですよね。それを大事に育める環境ってとっても大事なものなんだと最近感じています。 
 あなたの真摯さが報われるよう、私にも祈らせて下さい。


 
 

 

投稿日時 - 2008-06-28 21:43:53

お礼

回答ありがとうございます。

放置していたのに関わらずありがとうございます。

大抵の人は他者と付き合うにあたり、冗談など柔らかい手段を使いつつもやんわりと拒否反応をしていると思うのですが、私は全面的に相手に迎合するか相手を否定するか、もしくは自分の楽しみのために利用するかのいずれかです。
そして全面的に否定した以外の相手に対しては疲れてしまい酷いことをしたり、バッタリ距離を置いてしまうので問題だと思うんです。
後から後悔はしますが、それと同時に安心もします。
でも社会で生きていくにあたり問題だとは思います。
相手にNOと言ってもいいのはわかりますが、私は相手からNOと言われるとすごく頭にきます。
その場では取り繕っていますが、後からも苛々するか凹むかどっちかでそのことを生産的な何かには繋げられません。
そしてその場ではよっぽど嫌なことや爆発寸前でない限り相手にその場を任せ反論等はせず、平穏に過ごします。
なので、自分のケースを考えると相手をやんわりと否定が出来ないです。
私はすごくマイナス思考なので自分にマイナスなことはすぐキャッチするので余計です。
どうすれば拒絶ではなく相手をやんわりと否定出来るのでしょうか。
私にとっては自己に対する否定はどんな小さなものであれ大きな怒りか絶望です。

私にとって幸せとは自分をそのまんま受け入れられ、他者にそれを見せられ、それでもなお他者からもそれを受け入れられること、そして他者に対してもそうなれることです。
私は他者に関しても例え本人の前でその人に迎合していたとしても否定的だからです。

kumosukeさんからの問いかけを考え、そしてそれを言語化することにより少し自分の問題が明確になりました。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2008-07-02 17:32:17

ANo.80

見てないと思っても書く人です。どちらでもいい気がするし、その気がある人ならば何をしなくても何かを探ろうと自分から進んでするであろうし、止まろうとする人は何かしているようで、やはり何もしていないものだから。

 人格障害でも、自己愛とかでも、何でも、共生だと感じるのですよね。それら自分の内に有る問題と感じているものと如何に共生を図れるかだと感じるのです。

 今、社会はパーソナルに篭れるし、篭る人が増えているため、社会にあって求められる他者との共生感覚というものを感じて身に付ける機会を得難いですが、その共生感覚と、自分の内に有ると感じる問題の数々との共生感覚は同じようなものであるのですよね。

 社会の共生感覚も,他者との共生であり、自分の内に有ると感じる問題の数々とに求められる共生の感覚も、それら問題が有るのは他者という感覚を開けていないからとも言える部分があり、その他者という感覚を開くと言うのは、それすなわち、共生を求めるとも言えるでしょうし、まぁ、問題と感じる様々と共にどのように折り合いを付けて生きるかというのも共生ですから。

 というヒントになりそうなものを置いて行こうと思いました。

 何事もそうですが、自分の内にあるものを探りに行き、問うてみないことには、何も始まらないものであるものです。

 病や人格障害は、治療的な面があり、現実に対応できない今の自分を”今”から自分を守るための逃避行動とも言える面があり、また、その限定的な悪環境に身を置くことから人間としての要素を学んで行く試練のような機能も果たすとも言えるのですよね。

 と、私の経験と、また、他の同じような感慨や知見を持たれている方々の話をもとに書いてみました。

投稿日時 - 2008-06-10 01:21:05

お礼

回答ありがとうございます。

共生ですか。
私は明らかに自分自身とも社会とも上手くは共生出来ていないですね。

自分自身をその欠点をも含めてそのまんま受け入れられる人がうらやましいです。

私は人格障害であれなんであれこの捻れ歪んだ性格を直さなければうまく世の中に対応出来ないとは思うんですが、それをするのはかなり苦しそうなので尻込みしています。
しかしこのままでは苦しいという腰抜けのジレンマです。

なんか最近全てがいやになってきました。

投稿日時 - 2008-07-02 14:21:39

ANo.79

ある程度の大学・外見なら自分が少し努力をしたら
何でもできるんではないでしょか?

まだ20歳そこそこなら空っぽな人間だらけだと思いますが。
それに、もし空っぽな人間だとしても中身を詰め込む時間は腐るほどありますよ。
いくつになっても空っぽな人間でそれにすら気付かない人もいると思いますから、これから絶対に変われます。

友達は自分が努力すれば増えると思います。
私はlovbeticoさんみたいに容姿も頭もよくありませんが
努力をしたら友達は増えました。
努力をしなければいつも浮いています。

人を寄せ付ける雰囲気を持っている人が羨ましいです。
でも自分にはないとわかるからできるだけ努力する。

何に対しても待っているのではなく
自分からを心掛ければいい方向に変わっていくと思います。
自分からっていうのは無理してしているとしんどいものですが。

私も大概の友達には自分からメールしてますよ。
自分から連絡しても連絡をくれるならいいと思います。

アドバイスになっているか分からないような文章ですいません。

投稿日時 - 2008-06-07 09:06:38

お礼

回答ありがとうございます。

回答拝見していてwa-ffuruさんは努力家でとっても優しい人なんだと感じました。
wa-ffuruさんみたいな方ならお友達がいらっしゃるのは納得です。
そのような性格で羨ましいです。

励ましの言葉どうもありがとうございました。
上手く表現できませんがwa-ffuruさんから御意見戴けて嬉しかったです。

投稿日時 - 2008-07-01 02:22:37

ANo.78

辛さと苦しさと悲しみを負ったまま、辛さと苦しさと悲しみの向こう側の世界に踏み出すことができるのですよね。あなたはその向こう側の世界を見たことがあるでしょうか。

 生きるも死ぬも表裏一体ですから、死に囚われるだけでなく、生にも囚われれば良いのではないでしょうか。

 私の心は今にも潰れてしまいそうでもありますが、同時にこれからも生き続けようとして脈打っています。

 私はあなたにある困難を、また、人と違うと言われる部分を目にしたことは無いですから、それがどんなものかはわかりません。でも、それはあなたに限らないのですよね。皆、皆なりに抱えている困難があり、それを知る人はほとんどいないという状況を生きているのです。困難の大小はあれど、そこにおいては皆同じなのです。

 生きるということの意味をもっと深く感じられるよう、生きるということの芯にあるものを感じてみられるよう、日々を絶え間なく歩んでいってみてはどうでしょうか。
 
 困難があって始めて見えるものもあり、苦労をしないと見えないものもある。

 私も自分をなかなか信じられずに苦しんでいますが、自分が地獄のような日々の中、この30数年間で薄皮を一枚一枚重ねるようにして積み重ねてきたものは信じられるのです。

 自己不信に苦しむ人間にほど、生き方を問うことが必要なのだと思うのですよね。

 伝わりますでしょうか。

 私を信じられないかもしれませんが、でも、それもそれで良いのですよね。己に問うことが大事なのですから。

投稿日時 - 2008-06-07 08:09:34

お礼

回答ありがとうございます。

私にはkumosukeさんが良くわからないと言いましたが、それはきっとkumosukeさんが1と0の両方を行き来しているからなんだと思います。

私は自分が絶好調のほんの一時以外はいつも辛さと苦しさと悲しみとかを感じてはいますが、それを直視はしていないのではないかと思います。
だからその向こう側にも行けないと。

生に囚われるといってもこれから醜く惨めになる一方に生活において希望なんてあるのでしょうか。
しかし、わたしには死ぬ勇気は無いと思います。
私は「今」の連続の世界には生けていきますが、これからもふくめた現在というものにどう対応すればいいのか、むしろ対応できなそうです。
どうすればいいのか本当に分かりません。

なんで苦しくても他者に優しく(私なんかに必死にアドバイスをくれたり)余裕を持って生きていけるのですか。
死にきれなかったからとかではなくもっと深い意味で伺いたいです。kumosukeさんは「今」を連続して生きているのですか、それとも未来や過去も全て含めその一部としての現在を受け止めてそれでもいきているのですか。

他の人たちにも程度の差はあれ人には見せられないような困難があることは分かります。
しかし、その人たちはそれを自分の中にある数個の欠点として認識していて、それを自分全体の問題としては悩んでいるわけではないのではないでしょうか。

またけして恵まれているようには見えないのに幸せそうな人をみるととても苦しくなります。
なんで貧乏なのに、なんで醜いのに、なんで馬鹿なのに、明るく幸せそうに生きていけるのか分からないし、そういう人たちを見ると本当に苦しくなるんです。
嫉妬とかもあるのかもしれませんが、それについては良く分かりません。
本当に苦しいって感じなんです。

また、私はkumosukeさんの仰る生き方や生きることについての御意見も理解は出来ます。
しかし本当に納得、というよりは実感できないのです。
私にはまだやっていないことがいっぱいあるのは分かります。
でも自分なりに自分についてや生き方について考えてもきましたし、そのような分野の本も読んできました。
しかし、やはり理解は出来ますがそれだけなんです。

どういえばいいのか分かりませんがきっとkumosukeさんはいい人だと思います。
なのにごめんなさい。
丁寧な回答どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2008-06-28 22:14:58

ANo.77

今もこれを見ているか、わかりませんが、一つ残します。

 不世出の天才心理療法家と呼ばれるミルトン・エリクソンについて書かれた本である、”アンコモン・セラピー ミルトン ミルトン・エリクソンのひらいた世界”(ジェイ・ヘイリー著 二瓶社)からの一文です。
----------------------

 催眠でよく遭遇する問題の一つは協調的過ぎる被催眠者である。被催眠者があまりにも早く全ての支持に従うことがあるが-時には指示を全て予期していることがある-いったい起こるべきことの責任は誰にあるのかわからなくなることがある。このような被催眠者はある時点で協調的であることをやめ、「私はこれが効くとは思えない」と言うことがよくある。

---------------------

 似ていますよね、この状況。実は私の過去の経験においても、あなたのような形を辿ったことは多々あったのです。

 もちろん、この本にはこの先もあるのですが、この事例を以ってしても、あなたがこれからも自己において探って行けること、探って行ける可能性が多くあることにお気付きになられないでしょうか?

 ミルトン・エリクソンをまねれば、突風吹きすさぶ荒野に、その突風に唯一本のみにして抗うようにして有る木がある感じでしょうか・・・。

 まねられているとは思えないけれどもね。


-物事をいつも難しくしているのは自分たち自身であり、自分自身である-

 混乱と困難を愛してみるのも、良いですよね。


 

投稿日時 - 2008-06-05 19:12:31

お礼

回答ありがとうございます。

エリクソンの事例ですが、私の対他者のたいていの関係に非常に似ていると思います。

しかし、私のそのような態度に問題があるのは分かりますが、相手に問題が全く無ければ相手を急に否定すると言うことも無いと思うのですが。

生きとし生けるものである限り、どんな聖人であれ欠点が無いと言うことはありえないとは思いますが、それにしても私には耐えられないような物であるとその場では強く感じてしまいます。
そのような自分を後悔することはよくありますが直りません。

本当にkumosukeさんと話していると凄く混乱してきます。
それにも関係していると思います。
私は他者からも自分の評価について1か0で受けていると感じているからこうなってしまうんだと思います。
しかし、それ以外の世界を信じることが出来ないんです。

最近本当に自分は幸せになれないだろうと切に感じます。
もうどうすればいいか分かりません。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2008-06-28 20:59:14

ANo.76

これを伝えたいというのは、私の方に有るエゴだったのかもしれません。

 私の経験からなる考えは、このような感じになります。

 参考になるも、ならないも、どちらでも良いかなと、今では思えます。

 私は私の業と自分で向き合っていこうと思っています。周りから力を分けてもらいながら、です。

 あなたの人生にも順風が吹かれる事を。

 では。

投稿日時 - 2008-05-10 21:33:54

ANo.75

いや、あなたの判断を待たずに載せてしまおうと思います。どうも、あなたはご自分の予測曲線状にあるものしか受け入れようとしない傾向がありますので、載せておいて、後付で考えてもらって、伝わらないのなら、諦めるしかないか、来る時が来るのを待って、頭の中に貯めて置いてもらおうと思います。

 まことに勝手で申し訳ない。


 では、以下になります。

-
http://blog.tatsuru.com/2008/05/09_1356.php

内田樹の研究所 2008.05.09”またまたインタビュー” より

 以下、引用文。


> 「悪人正機」の説というのがある。
> 「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
> 人間が悪行をなすのは「さあ、これから悪事をやるぞ」という自己決定によるわけではない。
> 仮に「悪人になるぞ」と自己決定したとしても、そういう非倫理的な自己決定ができるということ自体、ご本人の人間のつくりが相当歪んでいるということであり、そういう「根本的に歪んだ人間」に自己決定によってなることはできない。
> おおかたは遺伝子のせいか、育成環境のせいである。
> 気がついたらいつのまにか悪事を働いていた。悪人になる気はなかったのに、気がつけば極悪非道・・・というのが悪人である。
> つまり、悪人というのは「文脈依存的」な存在なのである。
> どうして自分がこんな人間であるのか、どうして自分はこんな言動をしてしまうのか、自分では説明することができないという根源的な被投性(レヴィナスのいう「始原の遅れ」initial apres-coup)が悪人の「悪人性」を根源的に規定している。
> 悪人自身もそのことはわかっているので、自分が悪人である所以をしばしば「自分以外のもののせい」にする。
> 「こんな私に誰がした」
> というわけである。

 と、

> 「悪人正機」とは悪人は自分の邪悪なるありようを自分では基礎づけることができない(というか「したくない」)という傾向を肯定的に評価したものである。
> 宗教学の専門家はどうおっしゃるか知らないけれど、私は勝手にそう思っている。

 から、

 ”悪人”を”人格障害”と置き換えられるものでしょう。つまり、人格障害というネーミングを果たす事により、”自分以外のもののせい”と規定する事が行われ、そうする事のよって”自分自身の今有る姿”と、”自分の向かいたい方向性”の間に有る”相克”を無きものとすることが可能となるのです。わかり易いように繋げて言えば、そうすることによって、自分への批評性や否定性というものへの直視から逃れることができる、という安堵感を得られるわけです。私はこういう人たちをたくさん見て来たし、話して来ました。

 ですが、この内田樹氏の書かれた”悪人”の文脈からも察せられるように、その方向性では”文脈依存として有る”しかないわけであり、それはつまり、自分に有る悪性(人格障害で言えば、問題性)とは正対出来ない事を意味しているのです。

 この内田樹氏の思いは、私の思いと非常に似通っています。



> しかるに、善人は自分が善良であることを「他人のせい」にあまりしない。
> 「親に愛され、友人に恵まれ、同僚から信頼され、弟子たちから敬慕されているので、『こんな善い人』になりました」というような文脈依存的善人をカムアウトするひとに私は会ったことがない。
> たいていの善人は「私が善人であるのは、自己努力の成果である」と言う。
> 言わないまでもそう思っている。
> 「自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころのかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず」と『歎異抄』にはあるが、私はその条をそう解釈したい。
> 自分自身の善性をおのれ自身で基礎づけたと思っている人は「おのれの理解を超えた文脈」を必要としない。
> なにしろ「善い人」なんだから。
> これが善人の陥りがちな「自力作善」というピットフォールである。


 から、

 この善人観に見られるものは、あなたに見られる”自分の善性への強い信頼”の成立背景がこの形であると感じているのです。

 つまり、あなたの善性観は常に彼ら自身によって規定されていますが、それは、あなたが”善性とは、自身によってのみ形成されるものである”という強い観念が固定化されているからでしょう。つまり、内田樹氏の言うところの”「自力作善」というピットフォールに陥っている”ということになります。

 再引用すれば、

> 「自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころのかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず」と『歎異抄』に