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日本の戦国ーなぜ、思想が発達しなかった?

中国の戦国時代は、諸子百家といわれるように、
思想が大きく花開いた時代のように思えます。

ひるがえって、日本の戦国時代を見ると、
鉄砲などの技術の大きな進歩に比べて、
思想、学術的な発展があまりなかったように思えます。

この認識は正しいでしょうか。
中国のように、思想が大きく花開かなかった理由はなんなのでしょうか。

投稿日時 - 2008-12-05 13:22:59

QNo.4531598

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質問者が選んだベストアンサー

同じ戦国時代といっても、春秋戦国時代ってのは紀元前770年頃から始皇帝が中国統一する紀元前221年までおよそ550年ほどあります。
一方、日本の戦国時代は1467年の応仁の乱を始めとするのが多く、実質的に1600年の関ヶ原合戦で終わった(この後も大阪の陣などはありますが)と考えると130年くらいです。そもそも、長さが全然違います。

また、春秋戦国時代は紀元前ですから、まだ学問や思想的なものはほとんど生まれていません。ですから、大いに発達したところもあると思います。西洋哲学も最も盛んだったのは古代ギリシャ時代で、基本的な哲学はほとんど全てこの時代に出し切っています。後にローマ帝国がほぼ全ヨーロッパを支配しますが、学問の発展はさほど進んでいません(進んだローマやギリシャの学問が各地に広がっていったということはありますが)。なぜなら、もうその時代には「出尽くしていた」からです。

また、そもそもあまり日本人は基礎的な思想なんかを持たない民族性があります。日本の学問は、近世では幕末期に大いに盛んになっていますが、それは日本オリジナルの学問が発達したというより、西洋の学問を巧みに取り入れたという側面が多々あります。
ただ、戦国時代ももしもっとキリスト教が普及したなら文化・思想的にも大きな変化はあった可能性はありえたと思います。安土桃山文化には西洋文化の影響が大変大きいですよね。

投稿日時 - 2008-12-06 01:35:44

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回答(7)

ANo.7

中国戦国時代も下克上ですよね
富国強兵のために 自国のすべてをレベルアップする必要がありました
そのための献策から諸子の百家が生まれた側面があります
今回の質問者が戦国時代の人たちの文化 民族 心性まで含めてのことだとしたらとの NO,6の方が おっしゃっていますが
日本の戦国時代は長くて100年ほどですよね
稲作を含む農業の歴史から この時代 3年に1回ぐらいの割合で天災が発生しています おおざっぱに100年で30回から40回 飢饉餓死と直面せざるおえない時代だったともいえます たしかにある種の階層にある文化的なものは 寸断したようにみえても脈々と地下水脈のように
時代に反動的に発生はしますが 
今回の質問の中国のように 思想が大きくなかったのはなぜかとの質問ですので それは囲いのキャパがぜんぜん小さい のと 食べること ただこの1点に絞られた時代だったと私は考えたわけです
どうでしょうか

投稿日時 - 2008-12-07 19:07:15

ANo.6

 思想が全く、文化というものではなく、単に統治的アイデンティティの一種だということであれば、No.5のtasukarimaさんの仰せはその通りと、拝読しましたが、浅読・誤読かもしれません。
 質問者が日本人の文化、民俗、心性なども視野・考慮の中に入れているとすると、他のご回答者の多くがおおせられていることが大変事実に合致するような気もいたしております。
 文字や言葉に出来ないもののいわゆる醸成というものは、いろんなものの、要素の熟成とかが大事で、これは時間の必要なものですね。
 この時期にどうこうということもないでしょうが、戦乱や、集権的中央統治権力がないということなどはこういうことと、その準備にはたいへん大きな動因になっているような気がして、この時期の地方文化や精神性を勉強しております。皆さんのご回答はとても勉強になります。

投稿日時 - 2008-12-07 15:44:55

ANo.5

正しいと思います
日本は大きくもなく小さくもない物理的な島国で 
ひとの営みはこじんまりとしたものです
たくさんの思想を必要としなかったと考えます
戦国を貫いた乱世の大きな原因のひとつに大規模な自然災害 異常気象飢饉 餓死等があると思います 侵略の目的は 他国への人 物 金の略奪でしょう そのためには 強い盟主の下にたくさんの盟友を組織した戦国大名の出現が各地で生じて 後世 下克上という風潮ですね
これを正当化するに必要なものとして 施政者側に便利で 世にわかりやすい 正当思想というもの 天道思想がばっこします すべての行動の正当化と また滅びるもまた天の意思といった運命主義です
天皇将軍をも超越した 不可侵の天の意思 超越者といったものです
始めは謀反 反逆の正当化に使い これが支配の正当化に変化していったようです 信長の天下布武 秀吉の天下人 家康の権現 これ以外これがもっとも時代に適したものだったんでしょう
明治に天皇の存在教化をしていますが
戦国 たくさんの人は 天皇そのものを知らなかった ふし があったようです どうでしょう

投稿日時 - 2008-12-06 11:18:12

ANo.3

宮本武蔵など様々な兵法家に、千利休などのたくさんの道の家元、何よりも傾き者と言われた前田慶二、婆娑羅大名の思想はすごいですよ?
かなりの影響を与えたと思います。

権力者でさえあしらうほどの発達振りです。
特に、京の河原は大人気。
何故ならば、土地税をかけようとしたが、河原は時より増水で沈み「土地」とは言いがたいグレーな場所。
徴税官がくれば、濁流になった河原へ突き落としたとか。
徴税官は立派に河原へ徴税に行きました。(増水して濁流だけど)私たちはその手助け(突き落とした)をしただけですが何か?死んだ?それは殉職ですねわかりますwと言う始末。

と、河原は自由な民の聖地だったそうで。
作家からは道々の者。という表現がありますね。
こういった自由な民が血なまぐさいストレス過剰な戦国時代を収束させていった面もあるとか。
江戸時代の日本特有の文化を花開かせた原因でもありますね。

投稿日時 - 2008-12-05 22:13:12

ANo.2

あまり詳しくはないですが・・・。

日本の戦国時代に武士や貴族や文化人の間で広まった‘嗜み’に「茶の湯」がありますよね。これって「思想の塊」みたいな‘嗜み’(大衆的な芸術)である印象があるのですが・・・表現した場が、利休は『1つの茶会の中』で、諸子は『紙の上』だったという違いですね。
良かったら、茶道の一連の流れに秘められた意図(思想や芸術観)などをチェックしてみてください。当時の日本人によって表現された、深い思想や世界的にも類を見ない芸術的感性に驚くと思います。(勿論茶道は1つの例でしかありません。)

投稿日時 - 2008-12-05 13:56:26

ANo.1

まあ、声高に思想を語らないのが日本国民の風習っぽいんですけどね。
でもちゃんとこの頃には、思想的にも色々と発展があるんですよ。

まずは、日蓮ですかね。日本宗教史の特異点ですね、彼は。
後の思想家にも、かなり影響を与えていますし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE

浄土真宗もそうでしょう。蓮如が出てかなり宗派の性格が変わり、
一向一揆などは戦国大名に色々な影響を与えていますよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%90%91%E5%AE%97

また、一連の禅宗も、ルーツは古くても宗派が固定して信者が
増えたのは、戦国時代です。自分を高める点で武士道と整合
したんでしょうね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AE%97

そういえば、キリスト教が入ってきたのもこの頃です。
調べれば他にも色々と戦国期をルーツとした思想は見つかるかと。

投稿日時 - 2008-12-05 13:37:59

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