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太平洋戦争でのフィリピンにおける戦死者

最近太平洋戦争での日本兵・軍属の戦死者がほぼ50万人と、中国本土での戦死者45万人と較べても突出して多いことを知りました。 なぜ、フィリピンでこれほど多くの日本兵が亡くなったのでしょうか? 南方での戦死者は、戦闘による死者よりも、病死・餓死が圧倒的に多かったと言う話は聞いたことがありますが、実際50万人も戦死した原因は何か教えてください。

投稿日時 - 2009-03-08 09:39:44

QNo.4778263

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

アメリカ軍の進攻の軍事上の価値が高い地域だからです。しらみつぶしに攻撃したわけではありません。
 グアム、サイパンでは、アメリカはグアムは必要とせずグアムの死者が少ないのに、サイパンを必要としたのでサイパンでは多数の日本兵の死者がでています。
「バンザイクリフ」にいってきましたが、崖から飛び降りたのはどんな思いだったのかと暗然たる気持ちになりました。
 南硫黄島では、爆撃と艦砲射撃で守備隊は全滅しています。

投稿日時 - 2009-03-08 10:54:11

お礼

回答有難うございました。

投稿日時 - 2009-03-08 22:05:18

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回答(6)

ANo.6

日本はフィリピンは主戦場とも 重要支配地域とも意識していません
そのため、米軍撤退後も 残兵の徹底排除を行いませんでした
米軍の残兵は、ゲリラ的な存在として フィリピンに残り
現地情勢を本国へ逐次連絡しています
(隠し畑も作って、自給自足で生活していたそうです)

日本軍は フィリピンでの戦闘が始まる直前まで、2戦級の
軍しか配備していませんでした
戦闘が始まりそうになって、あわてて軍を送ろうとしますが、
バシー海峡で輸送船を次々沈められてしまい、大きな被害を出します
既に優良な輸送船は沈められていたので、鈍足な船に劣悪な
条件で詰め込まれていたため、死亡率は非常に高かったようです
なぜそんな状況で輸送を続けたか・・・ 人を送る手配をしたら
役割が終わる 役人仕事も一因だったようです
そして、輸送船で生き残った人間も、装備を失って到着しますので、
武器も食料もない 名ばかりの軍が出来てしまいます

戦闘が始まると、正面戦力ははやばやと壊滅させられ、
現地人を味方につけた米軍に、食うや食わずの 武器も持たない
人間が 狩られる状況になります
ガダルカナルほどではないにしても、ジャングルは不毛な地な為
病死・餓死も続出します

フィリピン戦線の悲惨さも 日本の軍・官僚の無責任、無作為の
結果です

投稿日時 - 2009-03-10 00:03:28

ANo.5

 フィリピンにおける戦闘は、ニューギニアのそれと同じく投入兵力の大部が飢餓と疫病により斃れた戦場でした。いわゆる「人肉食」の話が出てくるのも共通しています。概数として投入兵力約60万名うち戦病没者47万6800名、生存者ものちにBC戦犯に問われて多くが有罪となり、うち獄死・自決70名を出しました。

 その理由としては次の点が挙げられます。

(1) 米軍の総司令官マッカーサーは、ルソン島のみならず日本軍守備隊がいる大小の島々を徹底的に攻撃したこと。最も激しい戦いであったレイテ島だけで日本軍約8万名が戦没、このほかミンダナオ・セブ・パラワン・ネグロス・ボホール・ミンドロ・ホロなどの島嶼も戦場となりました。

(2) 日本陸海軍も捷号作戦を発令し、多数の部隊・艦隊を投入し決戦を挑んだこと。当時フィリピンは陸海軍の兵站基地でもあったため、海軍は艦船部隊約4万名、南西方面艦隊司令部・菲島海軍航空隊・施設部・軍需部など地上部隊約8万が展開していましたが、マニラ陸戦隊が玉砕したほか地上部隊の大部はジャングル内で餓死しました。

(3) (1)に関連しますが、日本軍はルソン島以外の各島々で孤立した戦いを強いられたほか、ルソンでも三つの集団に分断された戦いを強いられたため、軍全体の決戦が出来なかったこと。クラーク飛行場北部ピナツボ山岳に追い詰められた建武集団、マニラ東方イポ山岳にて抗戦を続けた振武集団は飢餓のため実に悲惨な最期を遂げました。

(4) 陸軍も一般地上部隊のほか、砲兵・戦車・航空・船舶などあらゆる種類の部隊を投入しましたが、それに比例して後方支援部隊も多数に上ったため、地上戦に巻き込まれると戦死する率も高かったこと。たとえば第4飛行師団は一見飛行機部隊のようですが、飛行場大隊24個、飛行場中隊10個、飛行場設定隊9個などからなる地上勤務師団で、飛行場大隊が約700名であったことだけでもいかに戦没者が多かったか理解できると思います。とくに建武集団は航空関係地上部隊からなっていました。

(5) フィリピンの人民が一般に反日的だったこと。その民意を反映して米軍の工作要員によるゲリラ部隊の活動が盛んで、日本軍は米軍来攻前から常に戦闘状態にあり、しかもかれらの小火器は日本軍よりも優れていたため、歩兵連隊長以下多くの戦死者を出していました。パナイ島では巡視中の軍司令官一行がゲリラの銃撃に遭うほどでした。

 

 



 

投稿日時 - 2009-03-09 20:26:55

ANo.4

戦死の定義を軍隊活動中の戦闘、病気(飢餓)による死亡であるとしてですが、軍隊の戦死者のほとんどは陸軍でしょう。フィリピンでは特攻隊の戦死もありますが、全体との比較では人数は少数でしょう。中国本土での戦死者と比べて多いのは、フィリピンでは陸上戦が行われたが中国は陸上戦が始まる前に軍隊が撤退したためではないでしょうか。もし関東軍が満州でソ連に徹底抗戦していたら戦死者の数はもっと多くなっていたと思います。もっとも関東軍の兵士はシベリア抑留されてそこで死亡されたかたもいらっしゃいますが、最大で34万人とされる抑留中に亡くなられた方はは中国本土での戦死者45万人にはカウントされていないと思います。したがって本土に復員できずに死亡されたか方の数の統計ではフィリピンより中国のほうが多くなるかもしれません。

投稿日時 - 2009-03-09 10:32:28

ANo.3

先のお二人の方の通りだと思いますが、付け加えるとすればマッカーサーの執念、恨み晴らしもあったのではないでしょうか。米軍側でフィリピンを決戦場に決定したのもマッカーサーの主張が大きく影響したと言われています。(フィリピンは一部進攻にし台湾占領を主とする案に対して)また武器弾薬食料が尽きたルソン以外の日本軍に対して、放っておいても消滅したであろう軍隊に対しても、米軍は兵力を増強して徹底的に攻撃、根絶やしにしています。これもマッカーサーの命令であり、米軍上層部の考えではなかったと言われています。
 日本軍の準備不足(3年間何も防衛準備をしていなっかたという意見)、現地軍はルソン持久戦構想を持っていたが、急にレイテ決戦構想を上級機関から命令され、輸送中の損失も含め一層武器弾薬食料が不足、マラリアを初めとする病気など悲惨を極めたようです。
 私はかなり長期フィリピンに住んだ経験がありますが、特に春は憂鬱でした。国民の休日がこの戦争で起きたことを起源にして設定されています。

投稿日時 - 2009-03-08 11:49:08

お礼

屈折したマッカーサーの恨みによる仕返しで殺されたのでは、日本軍兵士も浮かばれませんが、16歳のフィリピン少女を寵愛していた、ロリコンのマッカーサーならあり得ることかもしれませんね。 回答有難うございました。

投稿日時 - 2009-03-08 22:13:43

1 フィリピンへの移動の際、乗船が撃沈され、部隊が大損害を受けた。
2 フィリピンで決戦を企図していたので、兵力を集中したため、戦死者が増えた。
3 アメリカ軍の大火力による直接的な被害と、それにより指揮系統が崩壊し、少人数単位あるいは個人単位で逃避する際に、住民やゲリラ、アメリカ軍との戦闘になり戦死した。

と言うところだと思います。

投稿日時 - 2009-03-08 09:55:04

お礼

フィリピンは重要拠点と言うことで派遣兵士の数が多い上に米軍の攻撃が激しかったと言うことでしょうか。 回答有難うございました。

投稿日時 - 2009-03-08 22:04:32

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