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解決済みの質問

努力と無理矢理の違いはなんでしょう

うつと診断されてませんが、気分障害でパキシル20mg(最近まで10mg)、レキソタン5mg、リーゼ、ドグマチールなどを服用しながら仕事(派遣)と家事をやってます。

さっそく本題なのですが、絵を描くのが好きなのに、親に反対されてるせいもあるのか、体が重くて描けず、寝てばかりの日が1週間続いています。
趣味だけならいいのですが、漫画家も目指してるのでこんなんでは駄目だとも思いますし。
家事も辛くて、今も定期買いに行くだけでも億劫で朝からそんな自分に絶望してます。

努力と無理を通す境目はなんでしょうか…。
医師にはよく土日しっかり休んで…と言われますが、こんな出来ない自分に絶望して、余計に辛い時もあります。
なんとか最低限の家事は出来るのですが辛いです…努力すれば良くなるのでしょうか…?

それとも楽して(惣菜などに便り)休むべきか悩んでいます。

簡単な事なのに答えが出なくて悩んでいます。
ご意見頂けたら幸いです…!

投稿日時 - 2009-04-26 14:19:54

QNo.4910389

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

パキシル20mgとその他の薬まで出ていて未だ欝の診断が下っていないというところに疑問を感じつつも、
健常者の方であるとの前提でアドバイスさせていただきます。

努力とは、辛い・苦しいけれど、意義や必要性、或いは「何か」があるからやる、やれる、これが努力です。
ご質問文中に「良くなるでしょうか?」とありますね。これは辛いことを続けていれば症状自体が快方に向かうでしょうか?
という意味だとは思いますが、何かそこに甘えのようなものが隠れているようにも感じるのです。

惣菜に頼れば楽だ、だから一旦惣菜に頼ってみる。
しかし、手作りの方がカロリーが低くてヘルシーだし、家族の好みをより反映できることは分かっている。
家族の健康や食べることの楽しみなど考えると心が痛む。
惣菜を食べている家族の顔が一瞬曇った。その表情が目に焼きついた。どうしても心苦しい。
だから再び手作りにした。大変だ、疲れる、辛い、苦しい。だけどあの表情が忘れられない。
だから大変だけど、苦しいけれど手作りで作る。作り続ける。
手作りの方がカロリーが低くてヘルシーだ、或いは家族の好みをより反映できる、というのが意義・必要性です。
そして先のような「目に焼きついた家族の曇った表情」は「何か」です。
意義や必要性がある、「何か」がある、だからやる、やれる。苦しいけれどやる、やれる。これが努力です。
状況によっては例外もあります。例えば「必死」の状況下では、苦しいものも苦しく感じないこともあります。
しかし概して努力とは、決して苦しいものが苦しくなくなることではありません。苦しいままやり続けるのが努力です。

一方無理矢理というのは、この意義や必要性や「何か」が無いのにやらねばならないこと、これが無理矢理です。
で、意義や必要性や「何か」はあるはずなのに、できない、というのなら、
それは多くの場合、その意義や必要性や「何か」がニセモノなのです。
本物なら自然と努力できるはずです。せずにはいられないはずです。本物ならば。
しかしうつ病なら、できません。意義や必要性や「何か」が本人にとって本物であったとしても、できません。
貴方はその境界線にいるのだと思われます。

どうして漫画家になりたいのですか? そこに大元があるような気がします。
芸術、創作活動といった類には、必ず「何か」があるはずです。貴方の「何か」は本物ですか?
医師は単に欝だと決め付けるのではなく、人生そのものに対する考え方が変わればこの人は欝が治るのでは、
という気持ちがあるから、欝という診断を下さないでいるのかも知れません。
いや、実は全くの見当外れ・邪推かも知れませんが(笑)。

投稿日時 - 2009-04-27 08:56:11

お礼

す、すごく為になるご回答をありがとうございます。
>何かそこに甘えのようなものが隠れているようにも感じるのです。

まさに甘えが自分の中にあったなぁと思います。
なので、回答を拝見してドキっとしました。

>どうして漫画家になりたいのですか? そこに大元があるような気がします。

自分はずっと創作するのが好きで、自分で唯一人並みにできるのがそれだったから、というのがあるかもしれません。
自分は言葉も苦手で自分で友達は作れませんでしたが、絵や漫画を書いて、必然と人が集まって友達にれて、それで、今の職につきながらも漫画家を目指しているのだと気づきました。

>人生そのものに対する考え方が変わればこの人は欝が治るのでは、


一度先生に自分は病気ですか?性格が悪いのでしょうか?と聞いたことがありましたが「ebi-fryさんは考え方がそうしなければならないと、固執しすぎてしまってるだけですよ」と言われたことがあります。
ご回答者様の言うとおり、人生そのものに対する考え方を変えなければと実感しました!!!
有意義なご回答ありがとうございました!

投稿日時 - 2009-04-27 16:21:08

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回答(4)

ANo.3

「努力」 自分のペースを守って、歩き続けること

「無理」 足が折れてるのに、歩こうとすること

投稿日時 - 2009-04-26 18:58:55

お礼

凄い解りやすいご回答をありがとうございます・・・!
脳天にビビっときました!

投稿日時 - 2009-04-27 15:49:25

ANo.2

違いは、動機によるものが大きいのではないでしょうか。

投稿日時 - 2009-04-26 17:02:16

お礼

ご回答ありがとうございます。
たしかに、動機が目標なのかやらされてることなのかで違ってきますね。
根本的なご指摘ありがとうございます!

投稿日時 - 2009-04-27 15:48:25

ANo.1

努力と無理の境目。難しいことですね。

その境目は、「自分」を知ることに他ならないと思います。自分はどこまで無理が利くのか、そこを正確に知る必要があると思うのです。人によって違うので、他人のまねをして、無理するとやっぱり病気になったりすると思います。

「自分」を知って、自分の行動を調節していくことは、急にできるようになるものではないと思います。だんだん上手になっていくと思うのです。

私もへたくそでした。自分を知らず無理しすぎてしまったりしたことが何度もありました。

でも最近は、「あ、もう疲れた、今日はここまで!」と思うことができるようになってきました。
自分のモチベーションの状態にもよります。どうしてもかなえたい目標なら多少の無理は必要だし、目標があれば、それに耐えられるとも思うのです。

結論として、やっぱり自分がだめになってしまうほどの「無理」はよくない。結局、「自己責任」だと思います。自分の管理です。自分はどこまで耐えられるのか。そこを超えてがんばる必要はないのです。だって長い目で見たら、マイナスなわけです。周りにもより迷惑をかける可能性がある。
自分ががんばりすぎて、疲れて、周りに当たる人がいますが。これもよくない。周りに当たらなければならないほど、がんばりすぎてはいけない。自分で消化できるくらいの大きさのがんばりで十分なのです。

投稿日時 - 2009-04-26 14:51:46

お礼

とても丁寧なご回答ありがとうございます!
>自分がだめになってしまうほどの「無理」はよくない。
そうか、それが「無理」なんだ・・・・とあらためて思いました。
寄り添って頂くような丁寧なご回答に感動しました。
自分で消化できるように、自己責任でいろいろ努力してみようと思います。

投稿日時 - 2009-04-27 15:52:37

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