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締切り済みの質問

キリスト教徒、彼の想い

はじめまして。
アメリカで留学中(24才)の学生です。
クリスチャンの方、また同じような経験をされた方、
ぜひアドバイスください。お願いします。

好意を持っていた彼(アメリカ人28才)が熱心なクリスチャンであり、
会う機会が増えてきた矢先、一度彼の教会に招かれました。
(その際、お互い付き合おうという話は出ていました)
私はほぼ無宗教のようなもので、聖書を読んだことが一度も
ないような人間でが、前々から神(目には見えない力)の
存在には興味があり、何冊か本も読んでいました。
キリスト教を否定する気持ちもなく、
私自身、何事も心で信じることで人生は豊かになると思っています。
彼にそのことを話した時があったのですが、
「その考え方は聖書そのものだよ!」っと言っていました。
そのときに、彼は私がクリスチャンの志を理解していると思ったそうです。これは後から聞きました。

そして、教会に訪れた初日、
「洗礼」という儀式を受けてしまいました。大変恥ずかしい話ですが、
「洗礼を受けてしまった」っと認識したのは家に帰ってきてネットで調べた時です。
「ただ牧師の前で神を信じると言えばいいだけだから、何も心配いらないよ。」
っという彼の言葉が「クリスチャンになる」という意味だとは知るよしもありませんでした。

結局、どうしてもクリスチャンになったことを受け入れられず、
彼に思いを全て伝えました。
洗礼の意味も分かず受けてしまったこと、
そんな気持ちでは毎週教会には通えないこと、
今現在クリスチャンになりたいと思っていないこと。
彼とは将来を見て、お付き合いしたいと思っていたのですが、
この気持ちを隠すことも出来ず、距離を置く覚悟をして伝えました。

すると、彼は誠意を持って謝ってきてくれ、
私の気持ちを理解してくれました。
また、教会にも無理して来ないでいいとも言ってくれました。
彼にとったら、教会は切っても切り離せない大切な場所だと理解していたので、
彼から「本当にごめん。教会に来なくていいから、僕との距離だけはおかないで」
っと私の気持ちを尊重してくれ、かつ会いたいと言われた時は正直嬉しかったです。
また、こんなに私のことを思ってくれているのなら、
私も彼を理解したいという思いが生まれ、
聖書を読んで勉強しようと思えるようになりました。

思いを伝えてから数日後、
宗教のことは触れず彼からデートの誘いがありました。
私の思いも分かってくれた彼に感謝し、これから聖書を勉強し、
理解できたらいいなっと思っていたのですが、
その気持ちも今は薄れています。

食事をして帰り際、彼の口から
「もう一度キリスト教に対しての意見を聞きたい、
キリスト教は怖いものではない、人生の教科書が聖書、
毎週日曜日に教会で聖書を勉強することで人生がイエスによって守られる・・・・」
そして、最終的には
「今週の日曜日から教会に来ない?」っと言われました。
彼の志、人間性を尊敬していますし、彼を知るためにも自分のためにも
聖書を学ぼうと思っていましたが、上記のことを語られたとき、
彼とは無理かもしれないと思ってしまいました。

「聖書を読み続けるけれど、今の私はキリスト教徒だということを受け入れられない。もう少し時間が必要だ」
っと伝え、彼もそれを受け入れてくれた後の出来事だったので、
正直諦めにも似た気持ちが生まれ、
彼と距離を置くしかないのかなっと感じてしまいます。
彼は私のことを思って言ってくれていると分かるのですが。
彼の絶対的な価値観を私に早く一緒に感じてほしい!
っと言っているようにしか感じないのです。

彼はプロテスタントでもカトリックでもなく、その両方から別れ、
どこの宗派にも属していないと言っていました。
それも少し気になります。また彼以外のメンバーは全員黒人です。
関係ないかと思いますが。。
また、彼の教会は毎週3日間サービスが行われ、彼はその一日にバイブルクラスを教える立場にいます。
彼は週3回必ず教会へ行っています。

彼にとって、キリスト教と向き合えない私の気持ちは理解しがたいのでしょうか?
どうしても、彼の教会に私を通わせたいのです。
やはり教会での立場上の責任もあるのでしょうか?
その圧力にも似た彼の思いが、今とても重く感じています。
この問題は今後の恋愛にも大きく関わってきそうで決断をしなくては
っと思っています。

投稿日時 - 2009-05-06 09:55:45

QNo.4935205

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回答(4)

ANo.4

わたしはキリスト教会に通っています。
わたしが通っている教会と同じ宗派(教派)の教会は日本に1700余りあるプロテスタント教会で、ごく普通にみかける教会だと思います。

>彼にとって、キリスト教と向き合えない私の気持ちは理解しがたいの>でしょうか?
もしも、万が一、キリスト教と向き合えないあなたの気持ちを理解してくれないなら、彼と付き合うのを止めた方が良いと思います。

わたしは、この世界にクリスチャンが居て、クリスチャンでない人が居て、仏教を信じている人やイスラム教、その他のいろいろな宗教を信じている人が居て、世界が豊かになっていると思っています。
みんな同じ信仰や思想だとしたら、つまらないし楽しくない。違うものと出会って考えることさえ出来なくなってしまうと思います。

わたしには尊敬できる仏教の僧侶の方たちがたくさんいます。(なかなか人間的に魅力的なおっさんたちです)。この前パレスチナでお友達になった人たちは皆熱心なイスラム教徒でした。みんな心のあたたかい、すばらしい人たちでした。
そして、「わたしは無宗教だ」と言っておられる、心があたたかくてやさしいお友達がたくさんいます。
信仰や思想が違う人たちがお互いに尊重しあうことができる世界ってすばらしい。(現実はなかなかそうではないみたいですが…。ガッカリ)

>どうしても、彼の教会に私を通わせたいのです。
そりゃ、わたしの彼が教会に通ってくれたら嬉しいけど…。
自分の通っている教会にあなたが通わないからって機嫌悪くなるとしたら、本当にあなたを尊重しているとは言えないと思います。

>やはり教会での立場上の責任もあるのでしょうか?
彼の教会と同じ教会ではないのではっきりと判りませんが、わたしの教会の場合、布教(伝道)をしないからと言って立場が悪くなったり、責任を問われたりはしません。

>その圧力にも似た彼の思いが、今とても重く感じています。
彼は、ちょっと独善的だと思います。(あなたの大切な恋人のこと悪く言ってごめんなさい m(_ _)m)
キリスト教会は、独善的になって人を見下したり、「キリスト教こそ正しくて、他の宗教は間違っていて、遅れている」などと言い出す傾向にあると思います。そしてそのような歴史(特にヨーロッパ諸国が植民地主義となった時代)を持っていたと思います。
わたしはキリスト教がたくさんの間違いを犯してきたと思います。
この歴史はわたしたちクリスチャンがきちんと自覚して、間違いを犯さないようにしなければならない責任があると思います。

キリスト教は、わたしたちがごく日常的に用いている言葉(概念)となった自由や平等や愛を大切にしているはずです。
自由や平等や愛という言葉がわたしたちのごく普通の言葉となる歴史にキリスト教会は貢献してきたと思うのですが、
彼は、あなたの自由を束縛している結果になっていませんか?
そうだとしたら、彼にちょっと考え直してもらわなければ、とわたしは思います。

>この問題は今後の恋愛にも大きく関わってきそうで決断をしなくては
>っと思っています。
「わたしはキリスト教会には行きたくありません」とはっきり言われたほうが良いと思います。
あなたのキリスト教会には行きたくない気持ちを尊重してくださったのならOK。
「人間ならキリスト教会に行くべきだ」なんて言い始めたらNO。
というのは、どうでしょうか。

投稿日時 - 2009-05-07 01:39:32

お礼

アドバイスいただき本当にありがとうございます。
とても納得いたしました。色々な宗教があり、そしてその中に人々がいる、相手を受け入れるということの大切さですね。
彼のキリスト教に対する思いは尊重しているのですが、今私自身がキリスト教徒にはなれないという気持ちが彼にはどうしても分からないようです。「こんなにキリスト教が素晴らしいのに、キミはなぜ拒むの?」という感じで。
今の彼は私にとって圧力とも言えます。もう答えが出ていますね。
本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2009-05-07 05:54:49

こんにちは。
初めまして。

私も無宗教なので、あとから回答される信仰をもつ方々に配慮しながらの私の考えです。

私は無宗教ですが、身内にクリスチャンがいる環境で育ちました。
そして現在は別の宗派のクリスチャンの友人もいます。

身内は私に「教会へいらっしゃい」とは言いますが
聖書を読めとはいいません。
友人は親切心で、聖書を何冊も送ってきます(絵本の教えであったり、
私が波乗りをするのでサーファーズバイブルをもらったり)
少し重荷ではありますが、彼女たちの信仰を否定したりはしないし、
たまにお食事をともにするときには、私も手を組みます。
つらいときには、お祈りもしていただきます。

身内は「いつもマリア様がついていてくださるから」という感じで
教会でご奉仕はしますが語弊を承知で言いますと、自分自身の修行のような感じです。だからたまに家に遊びに行くことはあるけれど重荷には感じません。

ただし、将来を考えていらっしゃるお相手なら、
質問者さまが「信仰と向き合えない」ならば無理に一緒にいることは
ないと思います。お相手が質問者さまの心境を理解してくださったとしても、よりどころは信仰にあるからです。

この先なにかのご縁でまた質問者さま自身が信仰について見直す機会があるかもしれません。
そのときはそのときで、自分の内に信仰があればよいと思うのです。

信仰を持っていらっしゃる方に、私のような無宗教者の勝手な意見は
迷惑な投稿かもしれません。
しかし質問者さまのお悩みがわかるだけに、私自身も信仰を持つ人々にこころを開けないでいるということをお伝えしたかったので
回答させていただきました。
長文失礼いたしました。お元気で過ごされますよう。

投稿日時 - 2009-05-06 18:19:25

ANo.2

phj

まず日本人で無宗教という人はほとんどいません。無自覚なだけです。
「無宗教」という人は、絶対に神社仏閣には行きませんし、おみくじや星占いを参考にすることもありませんし、結婚式は人前式以外は拒否し(その他は宗教につながるから)、お墓にいっても線香は上げず(仏教式だから)、正月などで初日の出を見ても拍手なんか打たない人のことです。
つまり、宗教を信じないという前提で全ての行動を行うのが「無宗教」です。キリスト教やイスラム教の信者は厳しい戒律を守るのと同様、「無宗教」者はどのような形の神であっても信仰しないと決めてそのように実行する人です。
もっと極端にいえば「いただきます(すべての恵みある命をいただきます)」という言葉も、宗教につながるので言わない、というぐらい徹底した人も居ます。
(アメリカでは無宗教者が「キリスト教の教義と建国の理念が同一である」ため、学校にかかっている星条旗は宗教的であるとして、信仰の自由(信仰しない自由)を犯していると訴えたこともあります(却下されたようですが)
日本人はこの点が凄くあいまいですが、外国で特に敬虔な信者に「無宗教者である(irreligion)」であると話した時点で、上記のような厳しい行動原理を持つirreligionistであると理解されていると思います。

ですから彼から「本当にごめん。教会に来なくていいから、僕との距離だけはおかないで」という言葉が出るのです。stayh様は、そんな大げさな、、と思いませんでしたか?
つまり彼は、貴方がirreligionistであると理解したということです。

日本は無宗教の国ではありません。日本人はあらゆる神を信じる、こころやさしい国民です。どのような神でも全て受け入れ、「愛」や「慈悲」があると感じれば、どの神様でも敬います。
だからこそ、正月に初詣(しかも今年は神社、去年はお寺など)に行き、お神輿(小さな神社)を担ぎ、結婚式は教会がいいな、と平気で言えるのです。
また使い終わったお箸や道具などの愛着ある物にも神を感じて、供養などを行いますし、相撲や武道のように道場を神聖な場所と考えるのです。

敬虔なクリスチャンがどのように判断するかは(ていうか日本人的多宗教感が理解できるか)は分かりませんが、日本人としてはすでに色々な神々を信じている(たぶん正確にいえば感じている、生活に取り入れている)ので、「ただ牧師の前で神を信じると言えばいいだけだから、何も心配いらないよ。」と言う言葉が、そのうちの1つであると考え、洗礼だとは思いもしなかったこと、を正直に打ち明けたほうがよいでしょう。もしこの後、もっとお付き合いが発展するなら、日本人の宗教観(親・兄弟・友人など)を理解してもらわなければならないからです。

もうひとついえば、日本人はよほどのことが無い限り「絶対的な価値観」を感じることができません。日本の宗教観ではそれは「洗脳」ということになるからです。(オウム真理教やその他の新興宗教のトラブルを参考にしてください)

stayh様は、日本人であり日本的な宗教観を身につけています(そうでなければ、意味を考えずに軽々しく教会にいかないのが世界標準です。)
>そのときに、彼は私がクリスチャンの志を理解していると思ったそうです。これは後から聞きました。
日本人は多彩な宗教原理を受け入れますから、クリスチャンの志を理解し、同時にイスラム教も仏教もその志を理解することができるのです。
ですから、あなたは無宗教者ではないのです。無宗教者なら(宗教を信じないという)自分の行動原理を破り、洗礼を受けた時点で、すでにキリスト教に改宗していることを受け入れなければなりません。
しかし日本人なら、キリスト教も受け入れただけの話なのです。これから彼と一緒に教会に行き、キリスト様の愛を感じても(同時に神も仏も信じても)日本人としてはまたく問題がありません。ただ、その考え方に彼がついていけるかは疑問です。

このギャップは二人で解決するしかありませんが、もう少し貴方自身の宗教観を整理してから、話し合いをするほうがいいと思います。

またアメリカ人が日本の宗教観を理解するのはむずかしいでしょうが、古代ローマ人や古代ギリシャ人の多神教的感覚なら少しは知識もあるでしょうし、参考図書なども豊富でしょう。
このあたりを題材に、二人で1神教と多神教の違いと理解を深めることをお勧めします。

投稿日時 - 2009-05-06 18:10:26

お礼

ご丁寧なお返事ありがとうございます。
私の価値観含めて、見直せました。
どうしていきたいか、しっかり見つめてみます。
ありがとうございます。

投稿日時 - 2009-05-07 01:18:53

ANo.1

クリスチャンではありませんが失礼します。

決断してください。

宗教活動のなかで布教活動も重要な一部なのです。
あなたと友人関係でも、恋人でも、布教活動という名のもとで今後も勧誘してくるでしょう。

仏教もイスラム教も神教も儒教も勉強しちゃえば?おもしろいかもよ?

投稿日時 - 2009-05-06 13:02:33

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