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解決済みの質問

近代合理主義以前の世界とは?

普段の生活で私たちは理性的・合理的であろうとしますよね。健康のための体重の管理とか、利潤の追求とか。

「こうしたほうが効率がいい」「科学的な証明に基づいている」といったような考え方を「合理的な考え方」として当然のものだと思っていますが、逆に、それ以前の社会ではどうだったのでしょうか?神が全ての基準となるのでしょうか。どうしたらよりよい作物が出来るのかとか、より効率の良い方法は何かとか言ったような考え方はそもそもなかったのでしょうか?

漠然とした疑問ですいません。よろしくお願いします。

投稿日時 - 2009-07-05 15:20:59

QNo.5100367

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

縄文時代の昔から栗の木を良く実らせるような品種改良などが行われていたという痕跡もありますし、人間はそれなりに周囲世界に対して理性的な対処をし、科学的な方法を編み出して生活の改善改良を行ってきたようです。しかしそれらの考え方はほんの一部分の先覚者がほそぼそと場当たり的にその専門分野のみで行っていたのでしょう。もちろん宗教的なタブーや古い慣習にがんじがらめになっていた部分も多くてその進歩は遅々としたものだったわけです。理性といったものはおおかたは神に属するものだと思われていた時代が長かったのでしょう。
近代になって質問者様が仰るそういった科学的な方法論が哲学から始まり一般の自然科学にまで応用できることが知られるようになり、更に多くの人の間に広がって、お互いに影響し合い、急速に社会の進歩が進んだわけですね。第一に、近代において生まれ、日本でも明治時代に早速翻訳され用いられるようになった”理性的”とか”合理的”とか”科学的”とか管理とか効率とか利潤とかいう言葉(つまり概念)が出来なければ、そういった「合理的な考え方」が一般のひとびとのなかに広がることはなかったわけです。

投稿日時 - 2009-07-06 08:02:52

お礼

お礼が全く遅れてしまったこと、申し訳ありません。

理性至上的な考え方が、感情や伝統、しがらみと言った人間的性質を凌駕して用いられるようになったのでしょうか。
とても分かりやすい説明で納得できました。ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-12-31 16:14:27

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回答(6)

ANo.6

問いが難しくて、私にお答えできるのかどうか分かりません・・・。
でも何かヒントや問題の整理になるかもしれませんからやって見ましょう。

まず、[科学的な証明]よりも「こうしたほうが効率がいい」の方がより根本的ですからこちら「合理的考え方」の代表として考えます。


●●●人間種は初めから合理的●●●
そして次に人間に話を限った場合、知能としては古代人と現代人はそれほど変わりません(銃病原菌鉄より)
http://www.amazon.co.jp/%E9%8A%83%E3%83%BB%E7%97%85%E5%8E%9F%E8%8F%8C%E3%83%BB%E9%89%84%E3%80%88%E4%B8%8A%E5%B7%BB%E3%80%89%E2%80%951%E4%B8%873000%E5%B9%B4%E3%81%AB%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%82%8B%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%8F%B2%E3%81%AE%E8%AC%8E-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%89-%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89/dp/4794210051
上記本によると人間という種が
既にある程度合理的考えをできる生き物
(例えば狩猟中心から農耕中心への進化)
ですから、近代合理主義という言葉は、人類が、元々持っていた合理的な考え方をさらに近代合理主義へと発展させたと考えるのが自然です。
一見非合理的な宗教も戦争や統治には大変合理的です。
他にも野菜の品種改良にしっかり自家受粉の種が用いられていたり、
貿易が盛んな地域では品種改良せず交易で得た種を用いていたり、
非常に合理的です。
この辺は上の本に書いてありますのでお勧めです。


●●●始皇帝は超合理主義?●●●
例えば、秦の始皇帝を見てみると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%9A%87%E5%B8%9D#.E7.B5.B1.E4.B8.80
以下転載
『郡県制を採用した始皇帝は全国を36郡(後に48郡)に分割し、それぞれに守(行政担当)・尉(軍事担当)・監(監察担当)を設置し、郡の下部に県を設置して統治した。また亭と称される交番を制度化して街道の10里ごとに設置(度=長さ、量=体積、衡=重さの単位)、貨幣、車の幅を統一(「軌を一にする」の故事)した。また漢字を改め、秦の字体を標準字体として採用し、後世の中国統一王朝の範となる、精密で合理的な支配体制を有する中央集権国家が誕生した。』

と有ります。それまで中国で続いていた徳による統治を否定し、
法や道路を整備し、字や通貨等を統一し、万里の長城を築いたりしました。
先日見た番組によると、始皇帝が定めた法律は微に入り細に入り
「夫が3万円盗んで、妻が1万円貰っていた場合どう処するか」という例文で
「妻が知らずに貰っていたら無罪」
「知って貰っていたら1万円盗んだものとして罰する」と定めた竹簡が出土したらしいです。

このように広大な中国全土どこの場所でどんな罪を犯しても、担当がどんな官でも、共通の罰則で統治する国家を実現したらしいです。
私はこの合理主義としか呼べない思想が、近代合理主義以前にもあったのは間違いないと思います。


●●●合理主義の始まりは?●●●
そして更にその前、文字の発明以前でも
火の使用や道具の使用、他動物と比較し極めて高い共感能力、教育能力、食料を分け合う能力
http://q.hatena.ne.jp/1243665837

など進化の過程で獲得したものなのか、それとも合理的考え方により暮らした結果、徐々に体が適応し、そう進化したのか。
その境目はどこなのか、答えは最新科学でも難しいと思います。

私の憶測ですと、幾らなんでも上記リンクの
「白目を大きくする」(サルには白目が無い)は「合理的考え方」では無理だと思いますが(笑)、

食べ物を分け合う、当たりは微妙だと思います。
何故なら、食べ物を分け合うのは自分の糧を減らす行為だからです。

他者と食べ物を共有する事で双子も育てられ、結果自分が狩をするときの味方や
襲われた時の身代わりが増え得をする。
という判断ができる知能がないと、生き物に重要な食料は分け与えられない気がします。

という訳で、人類が双子を育てられた時点で「合理的考え方」は既に生まれていたのではないか?
となりました。

投稿日時 - 2009-07-08 07:16:48

お礼

お礼が全く遅れてしまったこと、申し訳ありません。

たくさんの資料を示してくださりありがとうございます。
やはり、理性がなかったというのではなくて、理性的な考え方がより重視されていったような感じなのでしょうね。
哲学領域から始まったというこの考え方が、現在では(も?)自然科学で最も威力をふるい、人文科学がもはや学問ではないのではないかなどと言われるのも悲しいことです。

皆さん、返答が大変遅れてしまったこと、申し訳ありません。ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-12-31 16:18:08

ANo.4

近代合理主義は専門的学問を信じることですから、年齢・経験に無関係になってますね。ある意味、平坦で自由な世界ですが、それゆえの悲劇がたくさん生まれたのですね。公害問題などは近代合理主義によって生まれたものですね。近代合理主義は短期的には良い結果を与えるが長期的に何をもたらすかが予想できない部分があるのですね。これが功罪ですね。
近代以前、江戸は閉じた社会とはいえ完全リサイクルシステムであったといわれてます。当時の社会生活は儒教的なシステムですが、このシステムは長生きした長老の経験に基づくシステムですね。改善はそのつど目指したことでしょうがそれが長期に観察して正しいものかどうかが経験知として集積していくシステムですね。時間はかかるが確実なシステムといえますね。
稲荷神社というのがあるでしょう。あれは昔、稲作の顕著な改善をした人を神として祭っているのですね。狐を祭っているのではないのですね。昔から改善はたくさんしてるのですね。

投稿日時 - 2009-07-06 07:02:57

お礼

お礼が全く遅れてしまったこと、申し訳ありません。

ご紹介くださった江戸時代の日本のその姿が、私には合理的な姿に思えます。
同じ用語で何か違いがあるのでしょうか・・・
それとも、宗教的な信仰の非対称を示すところの理性なのでしょうか・・・
ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-12-31 16:11:50

生活に追われた日常では、発明による10年後のみんなの利益よりも今日の糧を重視するのが合理的なのかと思います。
それとは別に、海外から新技術が流入するときは深い理解よりも語学や模倣の力が重視されて、それはそれで合理的なのかと思います。

昔の人間も当時の社会条件の中で無意識的に合理的行動をとっていたと思います。ただ、理性的でない方が合理的であったり非効率であることに意味があったりするので分かりにくいだけかと思います。

投稿日時 - 2009-07-06 04:06:21

お礼

お礼が全く遅れてしまったこと、申し訳ありません。

やはり特殊な哲学用語が援用されてきただけと理解するべきでしょうか。
以前も存在していた「理性」と、用語としての「理性」の違いを調べないといけないようです。

投稿日時 - 2010-12-31 16:09:13

日本人の場合は、行動パターンの基本は、情緒です。日本の伝統文化は、脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを、目的にしています。論理的思考は、理屈ぽいとか、屁理屈とか、インテリとか、言われて村はちぶにされてました。なぜかというと、合理的、論理的思考は、物質的には調和的に見えるけど、矛盾があり、精神的には不調和です。ですから脳の思考からストレスが発生します。情緒は人の心を癒し、社会を調和に導きます。昔の日本人は、論理思考の危険性と、情緒の効能、大切さを熟知していたようです。また大学の先生が、日本人の脳、大修館書店、角田忠信著、によると、日本語を話して育った人は、脳の音感の構造が変化して、自然の音、風や川の音、鳥や虫の声に敏感になり、自然の情緒を理解出来るそうです。外国語は雑音に聞こえるそうです。また世界中で日本語だけの現象そうです。

投稿日時 - 2009-07-05 21:10:20

お礼

お礼が全く遅れてしまったこと、申し訳ありません。

稲作の品種改良等がどのような論理と調和の均衡で果たされてきたのか・・・非常に興味深いお話でした。ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-12-31 16:06:43

ANo.1

貴殿の意見が少数派であるところの扶桑の国そのことです。

投稿日時 - 2009-07-05 16:37:50

お礼

お礼が全く遅れてしまったこと、申し訳ありません。
私にはよく理解することが出来ませんでした。これからもご教授ください。

投稿日時 - 2010-12-31 16:03:11

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