こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

締切り済みの質問

選挙とはずいぶん不道徳なシステムではないですか

政治家を多数決で決めるというのはなんだかとても不道徳なことではないですか?
立候補者が全員悪党でも誰かを選ばなければなりませんが、それを選んだ有権者は無罪ですか?
人を選ぶというやり方は本質的に不道徳なにおいがしますがどうでしょうか?

投稿日時 - 2009-07-13 02:40:23

QNo.5121120

暇なときに回答ください

このQ&Aは役に立ちましたか?

2人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(21)

ANo.21

 回答番号:No.18
 戦争も政治ですね。でも選挙ではないですね。
 そりゃ、それも釈迦の演技だといえないのはわかっておられるでしょう。
 釈迦とか仏教には創造とか創造の神、それを超えている神という観念は出てこないみたいですね。
 そういう観念がある私たちの信仰では、戦争とか悲惨というものの位置づけはしますけれども。
 
 そういわれてみると釈迦自身は政治に参加しないかも知れませんね。
 世のことをしたり、政治(君主でしたが)をしたのがバガヴァン・クリシュナでした。
 思想では通じるところもあるけど、どうもご性格が異なりますね。
 このことをここで、認めます。

投稿日時 - 2009-07-22 08:24:39

お礼

ご回答ありがとうございます。

私には戦争と選挙の違いがよくわかりません。
ナチスの例もあるように、選挙で最悪の人物を選んだのですから。

投稿日時 - 2009-07-23 02:19:10

ANo.20

 眺める ではなかった、観察する ですね。

 科学的手法による真実を追求するやり方で、観察者として存在してこそ、創造者としての人間と言えるでしょう

 天才チンパンジーよりも 愚かな人間のほうが賢いのです

 人間社会の王になるより、神の世界の奴隷のほうが幸せなのです

投稿日時 - 2009-07-20 09:15:08

お礼

ご回答ありがとうございます。

サルとヒト、どちらが幸せなんでしょうね。

投稿日時 - 2009-07-21 22:40:31

ANo.19

 踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損

 アホから逃れるには対極関係から抜け出し、第三者として

 踊るアホと見るアホの双方を眺めること そうしてこそ物事がわかるというものなんですね。

 でなきゃやっぱり サル なんだと思うが

投稿日時 - 2009-07-20 09:09:22

お礼

ご回答ありがとうございます。

精神的にあらゆることからアウトサイダーになることが肝要なのかもしれません。

投稿日時 - 2009-07-21 21:55:22

ANo.18

 shift-2007 さん  回答番号:No.15 
 ご神体だのなんだのでなく、凡人であれ、賢者であれ、地上で呼吸していれば、そういうドラマと筋書きに参加するのですよ。
 阿波踊りにどういう形にしろ、参加しないのはいけません。
 でも参加しないという参加の仕方をさせられています。
 一なる主、主格はそうしております。
 神輿だの何だのではないのです。
 釈迦が投票にいかないって?
 どんな聖者、どんなアデプトが超然としていますか。
 みなともにおられます。目線でしか人は影響し導きはできないし、私たちはそうやって扱われております、処されています。
 どんなに高い教え、導きも下りてこないことにはなりません。
 地上の姿をとった釈迦は、それなりの参加をご自分としてされます。
 釈迦の哲学に生半可で、そこにいるつもりになっていれば、外部で批判し、離れているでしょう。
 人の形をとった釈迦はそれなりに人としての演技をします。
 きちんと超然と眺めて。批判しても。認識しても。
 求道と導きに専心する立場で状況が異なることもありますが、市井に隠れた釈迦はそうされています。
 そういう多くの釈尊を私は存じ上げております。
 あぁ釈尊であられるな、と知っております。
 不十分、欠陥だらけ、未熟の装いをされながら。

 無論完全の顕れを人としてされた場合も、同じであると存じ上げております。

 選挙は欠陥だらけ、仰せのとおりです。これで何かがどうなるというのではないのです。シフト2007さんには失礼ですが、私もシフト2007さんと同じ思いで、やはり、そうしていた時代もありました。青い二十歳。50数年前。でもこれは、ドラマですからね、地上の。
 小さい主観が期待し、思考する価値や実現の問題ではないのです。
 選挙にしろ、呼吸にしろ。地上を歩くにしろね。そしてさるにしろ。 

投稿日時 - 2009-07-20 07:31:14

お礼

ご回答ありがとうございます。

”参加”をどうとらえているかによるようです。
参加しないことも参加になるなら全ては参加なのですが。
例えば戦争に参加し殺しあう事は釈迦の人としての演技なのでしょうか。

投稿日時 - 2009-07-21 21:53:06

ANo.17

 基本的に道徳基準自体が存在しないからではないでしょうか?道徳基準が存在すれば多数決にせず照らし合わせて決めればよいわけです。

 >人を選ぶというやり方は本質的に不道徳なにおいがしますがどうでしょうか?>
 まあ個人の感性でしょうね、人を選ぶ人自体の質によって大いに変動しますから納得いく人選とそうでない人選を感じる人もいるかもしれません。

 時に多数決社会というのは多勢に無勢力の一面が場合によっては出てくると思います、多数決主義の欠点としては少数派を押さえ込むという側面でしょう、少数派が幾らまともであろうがそれをねじ伏せて多数決定を採用する側面としてはトラブルの軽減を意味するのではないかと思われます、もしこれが逆で少数を採用したらおそらく多数がクレームを出すという事態に発展する可能性があります、それを想定すると少数を押さえ込むほうが楽でありじゃあ多数決にしましょうかというのがなぜかまかり通っているということのように思います。まあそう考えると欠点がないとは言い切れないシステムであるという事は言えそうですね。

投稿日時 - 2009-07-17 00:40:17

お礼

ご回答ありがとうございます。

人が人を選ぶ理由は何でしょうか。
そこに不道徳があるのではないかと思います。
道徳基準とは自分自身の不道徳からの逃避ではないかと感じました。

投稿日時 - 2009-07-20 00:14:31

ANo.16

 まあ、結論としては国民全員が道理をわきまえるようになれば万歳する政治家に投票する人はいなくなり、結果として政治家も国民もすべて反省して本当の意味で変わるんだろうな~

 中途半端に 自負心を持って投票する人がいなくなればかえってよくなるかと。投票しない 自由 もあるし、それが意思の表明にもなる。本当の意味で良識のある人は現在の政治家に投票しないのではないかな...

 政治云々よりも結局は自分が直面している問題と、日常生活、社会生活の中でどのように考え、振舞うかですね。

 あとは個々人の認識力を上げるだけ

投稿日時 - 2009-07-16 13:16:53

お礼

ご回答ありがとうございます。

結局、全ては個々人に返ってくるのでしょうね。

投稿日時 - 2009-07-19 23:35:47

ANo.15

 回答番号:No.11
 どの党も部分的には、・・・。いやそうなんですよ。
 部分的にみな誠実は誠実です。完全ではないです。私や多くの方の望む通りに全面的には為りえないし、なっていないのです。
 そこは祭りの神與でして、それでもなんとかみんなでかつがなきゃ。
 わたしゃ神輿担ぐけど、それをみんなで担ぐんで、一人で担いだら、いっぺんに肩や首が剥け剥けの血だらけになってしまう。
 肩に当てて、両手でちょいと離しながら、体をよっかかって、そらし、背を小さくして担いでいるようにして、担がない。そして担いでいる。
 そうしないと神輿は担げない、東京のはね。それがコツ。

 釈尊?また地上においでになっているのかな?
 なっていれば、誰だかわからないようにしているかも知れませんね。
 釈尊の時代にお神輿や選挙がありゃぁ、そっりゃあいきますよ。
 一人の存在者として空気を吸い、吐き、みんなで生きているという存在形式にいるなら、そりゃぁそういこともしますよ。
 居る限りは、気持ちと心、能力は超然であり、超越していますが、いる形式を逸脱などは致しません。そういう外形はきちんと守るので、奇人や変人のようなあり方とは違います。
 これははっきりしております。地上のあり方、規範は尊重する。
 みんなの仕方は大事にする。
 釈尊は当たり前のことを当たり前にする。
 その当たり前というものの内容が、常人の当たり前とは違うが、当たり前であることには変わりはない。
 常人であるか、奇人変人であるか、聖なるものへの畏敬であるか。
 これも私の課題でした。

投稿日時 - 2009-07-16 10:06:11

お礼

ご回答ありがとうございます。

民主主義というご神体を乗せた選挙という神輿をみんなで担ぐことに意味があるということでしょうか。

ふふふ、彼は選挙に行かないと思いますね。

投稿日時 - 2009-07-19 23:22:57

ANo.14

>結局、選挙とは独裁者を民衆が選ぶシステムという事なのでしょうかね。

 いいえ、違うと思います。
 選挙やその結果の政治はその結果よりもむしろ形態自体がやはり国民の 総意 の現れでは

 政党がどうとか、誰が総理になるかとかはあまり関係ないんじゃないかなあ...

投稿日時 - 2009-07-15 16:45:27

お礼

ご回答ありがとうございます。

権利と義務を与えられているという事で満足すべきなのでしょうかね。

投稿日時 - 2009-07-19 22:59:33

ANo.13

 回答番号:No.11:補足
 民主主義だけで民主主義はなりたっていないのでしょうね。
 衆愚政治か聖人や賢者政治か。
 いずれにしろ、私たちは政治というシステムを度外視できる歴史には居ないようですね。
 まぁ、なににせよ、お互いに汗と泥でまみれても、金と欲にまみれないで、何とか諦めないで進歩していこうとしないといけないのでしょうか。
 仰せのことは誰もが痛切に想っていますね。でもそうだからって、放り出せないのが私たちの義務にして権利かも知れませんね。

投稿日時 - 2009-07-15 11:30:07

お礼

ご回答ありがとうございます。

義務と権利はこの社会に対するものでしょうか。
この社会の延長線上に私たちが求めるものがあるのでしょうか。

投稿日時 - 2009-07-19 22:58:30

ANo.12

mmkyからの追伸:
イギリスに共和制(議会制民主制度)を導入したのはオリバー・クロムウェルでしたね。
歴史は明白で、議会制民主制度を導入したクロムウェルでさえ、導入してみてそのひどさにあきれ果てて、一時期、独裁制にしますね。その間多くの大学を創り、国家の政治家たらんとする学生を育てたわけです。
あきれ果てた理由は、簡単に言えば議員が不道徳であったわけですね。国民が不道徳は致し方ないとしても選ばれた議員も不道徳であったということでしょう。
欲望の自由で欲望で選ばれた議員は、国家の議員にはなりえないということが歴史的にも明白なのですね。
日本では主権在民の議会制民主制度が導入されたのは戦後ですから歴史的にはまだまだ浅いものです。
憲法さえ変えることができない議員ばかりですから不道徳極まりないことは明白ですね。
それゆえ「選挙とはずいぶん不道徳なシステムではないですか。」といえる期間中なのですね。
あまりひどいと、クロムウェルのように道徳あるものが一時的に独裁制にすることも考えられないことでもないのですね。
より多くの目で1人を選び、その人にある期間任すという制度、大統領制などですね。これは「選挙とはずいぶん不道徳なシステムではないですか。」を逆手に取ったシステムでもあるのですね。ただこれにも危険性はあるということだけですね。

投稿日時 - 2009-07-15 10:49:46

お礼

ご回答ありがとうございます。

不道徳な国民が不道徳でないものを選択できるわけもないので議員のそれは仕方ないのかもしれませんね。

投稿日時 - 2009-07-19 22:45:09

ANo.11

 shift-2007さん、こんにちは
 選挙って、統治のシステムの一つで、ジャスティファイのための前提根拠というか、いわゆる擬制でなりたっていますよね。
 賢明に、そして全体のためにみんなで参加する制度、前提はみんな賢明であり、善なるものである。そうであるべきである。ということですね。
 道徳は本音と真実、天上の真理。でなければ、いえそうであることを求めていますね。道徳においては。
 真実事実として、天上の真理がなされなければならない、擬制や看做しとか、条件とかは問題外。
 これがどちらかというと道徳のせかいでしょうか、この場合の。
 ですからご質問は地上のことと天上のことでしょうか。
 地上の事に天上のことを求めるのが私たちでは信仰であり、精進ですね。私の場合は。
 結局、地上には実現しきれないことがあるから精進し求め、信仰しているのだという白状なのですが。
 
 そしてなんですけれども、物事は参加しないと本当の事は見えてこないと存じます。
 ある一党には正義でも、他の党には違う、ということもありえます。
 みんな一把一絡げにしては、シフト2007さんとしてはあまりいいとは存じません。
 たとえ間違っても、参加し批判し、選択の目を持つべきだと存じます。
 何の何のための主張か、そのあたりをきちんと参加の上で判断していただきたいと存じます。
 悪党は悪党です、みんな。主張があります。
 その主張も最高の神の主張でなく、自分として、社会としての主張、ゆるせないことの指弾です。
 全部をまとめるのではなく、参加するなかでこそ判断は生じてきます。そして任せっぱなしにはしないということです。
 どうかご理解ください、面倒くさくて、疲れるし、時間も無駄だし、億劫でしょうが、そういうものなんです、社会の中で生きるって。
 まぁ悪人半分、正義半分。その入り混じりかもしれない。
 私は55年間60年安保の直前から、ラディカル革新の活動者です。
 だから私は無論、今の政権与党も、都議会の多数になった党も批判しております。
 でもこれは自分で考えることで、そうなって欲しいということを言っておりません。

 何もしない、味噌も何も一緒くた。それはむろんよくないですよ。
 せめて投票では悩み、勉強してくださいよ。
 結論は無論、政権与党へへの投票だってしょうがありませんが。

投稿日時 - 2009-07-15 09:55:52

お礼

ご回答ありがとうございます。

どの党の主張も部分的には正しいと思います。
部分的だから、或いは、部分的であるが故に、選択(投票)という余地があるのですかね。

部分的であること、つまりは不完全であることを知っていながらどれを選択するかを悩むというのはどうも・・・・

お釈迦様だったらどうするんでしょう、投票に行くんでしょうかね。

投稿日時 - 2009-07-16 00:59:26

ANo.10

不道徳というか、人間的な可能性の矮小性を証明していることになるのに、それに喜々として、あるいはいかにも”これこそ民主的方法論”と盲目的に信仰しようとしている、
そういった馬鹿馬鹿しい矛盾を含んだシステムである。
ということなんでしょう。

多数決で決めると言っても、多数決自体が一体どこを、あるいは何を目指しているのか。
ということを、その多数決を形成している単位としての個人個人自体が把握・理解していないわけですから、
目先の問題や、自己都合が前面に出てしまうのも止むを得ないわけで、
自分のためだけの明日の糧であったり、自己主張自体が目的のカタルシス的な発散であったりが目的化してしまうという、
人類の現時点における発達段階にふさわしい形態なのでしょう。

>それを選んだ有権者は無罪ですか?
:上記の理由により、
そんなことを言う人は、まさか、おそらく、たぶん、いないでしょう。
いや、そうでもないのかな・・・。

批判というのは一番簡単ですからね。
小さい子供でもよくやってますよ。
そのような状況を作り出した要因が自らにもあるという自覚が無いうちは、何がどうなっても変わりっこないです。
今度の選挙では目先が変わるだろうし、その意味では面白そうです。
しかし、野党が政権取ると舞い上がってしまって長続きしませんしね。
あくまで一種のお祭りです。
ま、棚から牡丹餅ということもありますから、全く期待できないわけでもないでしょうが。
 
 

投稿日時 - 2009-07-14 20:20:51

お礼

ご回答ありがとうございます。

選挙は民主主義における正義なんでしょう。
だからといって投票に行かない事を犯罪のように言うのは勘弁してほしいものですね。
何を変えなければならないのかが重要なんでしょうね。
法律や政治家の首ではないのは確かなようです。

投稿日時 - 2009-07-15 00:37:10

ANo.9

選挙がなくなれば、独裁を許しますね。

今は選挙に行かない人の因果応報で、政治が監視できなくなってますね。
政治変えるなら、まず、投票100%から変わらないと変わりません。

システムではなく、投票に行かない人の因果応報で今の政治状況がある。
ですから、システム変えても同じです。行かない人の認識が幼稚。

国民の力なさすぎ

投稿日時 - 2009-07-14 19:38:43

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2009-07-15 00:22:47

ANo.8

 補足:

 つまり、選挙に投票する人は自分がこうしたい、ああいしたいと言う希望、悪く言えば願望、もっと悪く言えば欲 があるからでしょう。そういう意味で、選挙に『すべての人が』参加するならまだ良いと思いますが、そうではなく、無知で強欲な人間が投票すると考えれば、強欲な人の意見が反映されるのではないかと...
 投票する人は社会のことではなく、「自分の」欲得を考えて投票するから...

 一番耳を傾けなければならないのは、最も小さな声、最も控えめな主張であるかもしれない。


 だいたい、政治家が当選をしたときにバンザイをしていますが、あれは「俺の希望はこれでかなった」という意思を表明しているに他ならないでしょう。つまり、当選してからの政治活動はもう期待できないわけです。そんな現在の政治家は分別と恥を忘れたものたちであり、それに協調する分別と恥を知らない、道理をわきまえない国民が投票するのですから、尚更ですね。人間、欲に目がくらむと判断力がなくなると思います。そういった意味で、現在の選挙に参加している人はやはり無知で強欲な人間である。よってそのような社会が実現される。ということかな?

>全員悪党なら、次の選挙で入れなきゃいい。

 「普通の」人間が選挙に当選したら、「しまった、覚悟を決めなければならないな」と思ってバンザイどころか、気分的に落ち込むのではないですか。とにかく、投票する気も失せるわ

 私は、自慢(じゃない)ですが一度も投票したことはありません。

 選挙でバンザイをするようになったのはいつ頃からなんでかねぇ

投稿日時 - 2009-07-14 00:24:05

お礼

ご回答ありがとうございます。

社会システムなんてうまく動いていればそれでいいと思うのですが、
その動き一つで利害が発生するとなれば黙ってもいられないのでしょうね。
結局、選挙とは独裁者を民衆が選ぶシステムという事なのでしょうかね。

投稿日時 - 2009-07-15 00:21:22

ANo.7

国民主権ですが、選んだ政治の責任は税金になって降りかかってきます。
無罪かというと、選んだ結果が不利益なら罰、つまり有罪。ですが、それは政治によって国民の不利益として帰ってきます。つまり罪の償いが税金なり社会問題なりで帰ってきます。

正直に言って、人ではなく、政策で選ぶのが本当だと思いますが、実際に政治家になれるほどの法律的知識がないのが一般大衆ではないでしょうか?
全員悪党なら、次の選挙で入れなきゃいい。選ぶ以前にみんな選挙に行ってませんから、民意は反映されてません。
 つまり悪い政治は、選挙に投票に行かない人たちの原因も結果としてあるということは理解する必要があります。
 政治が悪いとか政治家が悪いといいますが、実際は国民主権ではなく、政治主権を国民の力不足で許しているということです。
 それが投票率に出てますね。
 今は世界的大不況の最悪な状態ですが、その最悪なときに民主のような財源のない悪政を耳障りよく言ってる人たちが政権取れば、火を見るより明らかですが、税金地獄になるでしょう。その責任は主権在民にありますね。
 不良債権も近年やっと解決したように20年かかってます。
 政治がすぐ変わるとか幼稚な認識しかないので、現実が見えてないんでしょう。この不況も20年続くかもしれません。政治の力で何とか10年になるか30年になるかだけでしょうが、結局、政治は時間がかかる積み木を1つ1つ積み上げていく作業であるという実態を知った上で、必要な政策を1つ1つやっていく人を選ぶということでしょう。
 1票入れても何も変わらないという幼稚な考えから抜け出せないから国民が主権とならず、政治が主権をとってしまうというのが現実ですね。
 フランスはすぐデモをしますが、そういう国民の意見の爆発を恐れています。日本は権力を恐れている。
 国民1億もいますが、政治家は200人から、どうして政治に文句言う主権が我慢してるのかわかりません。
 弱すぎです
 選挙いかな過ぎ。
 主権の力弱すぎです。
 本来政治は国民が監視するもので、民意を反映するものですが、投票率も100%じゃないし、行かないで文句いう。
 何もしなければ、何もおきない。という因果から考えても当たり前。
 有権者で投票行かない人が多いというのが原因で、政治主導、権力争いを許してるというのは、罪ですね。
 民主主義とは黙ってやってくると思ってるんでしょうね。
 作って自分たちで維持していくものです。ですから、とても用地ですね。何もしないで、権利も行使しないで、政治が悪いと言ってる。つじつまが合わない。
 政治が悪いのは、国民主権で、国民のせいです。
 政治家が悪いのは、その暴走を止められない民意が弱いせいですね。
不道徳以前に、しっかり権利を行使して選挙行ってないです。
 入れる人がいないなら白紙でいいんです。投票率というものがどれだけ政治家を動かすか考えると、やはり、投票率から変えていかないと政治は変わりません。
 しかし投票の天気で左右されるといわれてるように、その程度の認識ですね。
 もっと重要な意味を持ってる主権在民ということを深く責任を考えて、結果は自分たちの生活に反映してますよ。ということをもっと理解するといいでしょう。
 悪党になるというより、そうならないように国民は監視してますよという意思で、悪党だったら、警察に逮捕してもらう。国民のためにはたらかないなら別を入れる。選択する。ということがしっかりできてないのが問題。
 選挙行くのはめんどくさいですか。めんどくさいんです。そういうことなんでしょう。本音は。で、文句いう。
 幼稚で子供。力なさすぎ。

投稿日時 - 2009-07-13 16:17:21

お礼

ごもっともな意見ありがとうございました。

投稿日時 - 2009-07-13 22:05:14

質問者様の「不道徳」ということが唐突でいまひとつ理解しにくいのですが、貴方は、結局、立候補してきたひとたちを民衆が気分や個人的利害で○×評価するということが僭越だ,と仰りたいのでしょうか。
それならなんとなくわかります。多数決というシステムは人情もへったくれもない非情なものですし、有能なひとが落ち、無能なイケメンが、金をばらまいた貪欲な犯罪者が当選することも一再ではないでしょう。
しかし、とりあえず民主主義は現存する政治形態では一番ましであり、そうやって進めざるを得ない状況になっています。いまさら亀の甲羅を焼いて国のさきゆきをそのパターンで決めるなどというわけにはいかないでしょう。
問題は選ばれた選良が選挙人の信頼を維持できるほどに道徳的に振舞うかということだろうと思います。彼らを暴走させないための憲法や条例を充分道徳的にして縛っておけば当面いいだろうというシステムは悪くないと思います。万能の神的グローバルサイバーシステムが理想の哲人政治をとりしきるまでのつなぎとしてですね。

投稿日時 - 2009-07-13 12:07:36

お礼

ご回答ありがとうございます。

民主主義は不完全ですね。
次には何が来るのでしょうね。

投稿日時 - 2009-07-13 21:58:50

ANo.5

phj

実は神様と多数決は、密接に関係しています。というよりも、古代からの知恵といえるでしょう。

>立候補者が全員悪党でも・・・
これにはギミックがありますね、民主主義の選挙では、被選挙権があれば誰でも立候補できます。つまり市井の人々の中から立候補するのですから、悪党が出馬すれば「こりゃイカン」と善玉も立候補するはずです。立候補した全員が悪党と言う事であれば、立候補していない一般人もかなりの数悪党ということでしょう。
現にドイツの全体主義に対する反省の立脚点はそこにあり、ヒトラーや全体主義・虐殺は市民の中に普通にある感覚だったからああなったのであり、今後はそれを学んで過ちをくりかえさないようにしようとするのが、ドイツ国民の反省です。つまり時代のドイツ国民は全員悪党(または悪党に同意するレベルの人たちの集まり)だった、と思っているということです。

さて、以上のことは以外に原始社会でも知られていたようで、それをもって神の意思としていたような気配があります。
キリスト教では、全体の多数決によっていろいろなことを決めてきました。たとえ「私に神の意思が宿っている」と言う者が現れて、神の御業を見せても、それによって多数決をやり直すことはあっても、多数決によって得た結論が方針となるのです。
また同様の方法は仏教にもあり、仮装して誰が誰だかわからないようにして集まり、多数決をして物事を決めたのです。
このあたりは、「日本人とは何か」(山本七平著)に詳しく書いてありますので、ご一読をお勧めします。

もちろん神の意思が多数決に現れるというのは方便でしょう。しかし人間社会に直接神が啓示をくれた例も、間違っているよとアドバイスをくれた例もありません。(くれたんじゃないのと主張しているものはあります)
ですので、多数決は神の意思として、全員が間違っているなら全員で全滅に向かうというだけのことなのです。
しかし、多数決は神の意思とか多数決は国民の意思としないと、いつまでたっても収集が着かず、むしろやるべきことが手遅れになることもあるので、古来から「多数決」を正しいとしてきたのです。

不道徳といわれれば、そのようなにおいを感じますが、決断し選択しその方向に社会が進むというのは重要です。何が道徳的であるのかの、絶対的な答えはありませんから、人間社会に秩序をもたらす方法として、多数決は有効なのだと思います。
逆に、絶対的に正しい誰かの意思とか、絶対的に正しい誰かの決断のほうが胡散臭いと思うのは私だけではないと思います。

投稿日時 - 2009-07-13 11:32:04

お礼

ご回答ありがとうございます。

私の中の道徳心が囁くのです、選挙は胡散臭いと。
道徳とは社会的なものと思われがちですが、本当の道徳は個々人の中にしか存在しないと思います。
社会とはその影なのですから社会的という言葉もまた胡散臭い気がしますね。

投稿日時 - 2009-07-13 21:56:11

ANo.4

☆ 政治家を多数決で決めるというのはなんだかとても不道徳なことではないですか?

主権在民という考え方は一人一人が道徳的であるという原則の下の考え方ですね。もし、一人一人が道徳的でなければ多数決で決めることは最も不道徳な行為になりますね。

☆ 立候補者が全員悪党でも誰かを選ばなければなりませんが、それを選んだ有権者は無罪ですか?

当然、悪党を選べば有権者は有罪ですね。ただ刑法上の罪がないだけで、その反作用は子孫にまで及ぶというだけですね。
ドイツでは有権者がヒットラーを選び、その結果は歴史の通りですね。
選挙の結果は必ず生活や国家の存亡に反映されますから誰もその罪から逃れられないというのが民主主義なのですね。
平和主義者を選んで国がなくなった例はたくさんありますし、その逆もしかりですね。悪人とは何かですね。それを認識できないと不道徳な主権在民になって罰をうける。(因果応報:悪因悪果)
だから責任がないわけではないのですね。

投稿日時 - 2009-07-13 07:38:23

お礼

ご回答ありがとうございます。

民主主義というシステムには選挙という方法は最適なのでしょうね。
今のところそれに代わる物も思い当たらないし。

それにしても因果応報というシステムは完璧ですね。
神様の作るシステムは違うわー。

投稿日時 - 2009-07-13 09:05:58

ANo.3

 はい、あなたの嗅覚は正常ですので安心してください。

 だいたい、自分を主張したり、欲の強い人間が ああしてくれ こうしてくれ こいつを選ぶ などとでしゃばってくるのです。

 そういう意味で、多数決で物事を決めるのは、傲慢で欲深で自己顕示欲の強い人間の意見を反映させるシステムだと考えることもできます。

 謙虚で欲の少ない人は 「こうしたいという人の意思に従う」という姿勢を見せるのではないですか。つまり、多数決のシステムはどんどん社会を悪くしてしまう可能性が考えられます...

 どうですかねぇ?

投稿日時 - 2009-07-13 04:28:22

お礼

ご回答ありがとうございます。

選挙における歪みのようなものは、民主主義におけるそれのように思います。
民主主義にかわる物が必要なのかもしれません。

投稿日時 - 2009-07-13 08:55:17

ANo.2

多数決は社会が形成されてきた中で生き残ってきた選出方法です。
不道徳な臭いって言いますが貴方が納得していない限りはどんな方法であっても、それに該当するのではないでしょうか?
悪党の中から悪党を選んだ有権者を悪党というよりも「貴方が選んだんだから文句を言うな」といわれる立場でしょうね。その中の別の悪党を選んだ人が文句を言える。
むしろどんな方法が道徳的なのか疑問です。

投稿日時 - 2009-07-13 03:46:06

お礼

ご回答ありがとうございます。

いくら理屈をこねても臭いものは臭いと鼻がそう言うのですから私にはどうしようもありません。
今気づきましたが、私の中で選挙の胡散臭さは民主主義の胡散臭さに通じているのかもしれません。

投稿日時 - 2009-07-13 08:47:08

ANo.1

どんな方法にも長所もあれば短所もあります。
短所についてだけ追求するのは誰でもできます。

> 人を選ぶというやり方は本質的に不道徳なにおいが

じゃあ代表者の選出をやめ、議題ある毎に1億人以上を一箇所に集めて会議しますか?

投稿日時 - 2009-07-13 02:46:18

お礼

ご回答ありがとうございます。

民主主義というレベルにおいて選挙は最適なのでしょうね。

投稿日時 - 2009-07-13 08:42:42

あなたにオススメの質問