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解決済みの質問

個人的には、「上手過ぎる日本語や、深い文章も、下手な日本語の内」なんでしょうか??

良く、普通の人より作文とか得意で小説書くのが好きな文学青年程、
言葉の深さを突いたような、並外れて上手な代わりに、独特で抽象的な
文章を書いてしまい、それで却って
「もっとまともな日本語使ってはどうですか?」とか言われたり、
また良く似たライバルのような人間からは
「ちゃんと本とか読んでるか?もっと日本語の使い方考えろよ。」とか言われたりするようですが。

時々、根拠も無く(不自然に)「もう少し言葉の意味を勉強してはどうですか?」とか言われる事があるそうですが。
このように、哲学や文学とかに造詣の深い文学青年の、私の友人S氏から御聞きしましたが。

言葉の意味を、深く理解し過ぎた人や文学青年程、時々哲学的で支離滅裂な感じのワケの解らない言葉を発して、

それで逆に、周囲の普通の人間や、チャラチャラした凡人からは、
「もう少し言葉の意味を勉強してはどうですか?」とか
「その言葉の意味を解っておられますか?」等と根拠も無く言われたりしますが、矢張り「過ぎたるは尚及ばざるが如し。」なんでしょうかね?
まあ根拠の欠けた中傷誹謗とか、僻みにしか思えない時もありますので、そんな時は無視するのがベストだと思った方が良いって事もありますかね?

本とか文科系の学問が好きで人とのコミュニケーションを取る事を忘れ、文学や哲学、倫理にばかり造詣を深くし過ぎたせいで、逆に言語が纏まらなくなったり、
難しい文章が書けるのに、咄嗟に簡単な丁寧語や謙譲語、尊敬後の使い間違いを指摘されたりするようですね。
話し言葉では日本語が下手な面と上手な面とのムラが出来てしまったりしますね。
他には、難しい単語や慣用句を知っていて、有り触れた単語や慣用句でも偶々知らないものがあってそこを偶然指摘され、
「日本語をもうちょっと勉強したら?」と言われたり等、これも致し方無い事でしょうか。

今、この現代において人間は言葉を省略化し古い言葉を嘲笑っている風潮もあります。
哲学や倫理の中に言葉の奥深さや本来の意味があるものなのに、です。
そう言うものから目をそらし、又は、視野に入れることもせず、
日本語をもうちょっと勉強したら?と指摘をする相手こそ本当の日本語をもっと勉強すべきではないのか?
と思うのですが。

そう。
「その日本語可笑しいぞ。」とか垂れる人自体がもう、
言葉遣いが汚いわ、大した日本語を知らないわ、言葉の深い意味や人の気持ちを考えないわ、のようですね。

哲学者、思想家は、一つ、二つの分野を深く考察されて、
作文は割と苦手だったりもするのでしょうか?

ある程度文章が上手な、真面目で優秀記者や作家、文学青年は上司から当分「まだまだこんな稚拙な文章では駄目だぞ。」とか、
十分巧い文章でも、
「こんな文章、小学生でも書けるんじゃないか?」とか誇張したりと、
わざと嫌味気に言われて鍛えられたりしますね。

例にして悪いけど確かに、
亀田兄弟や、ドラゴンボールの孫悟空等、
明らかに日本語チャランポランで、軽薄(ヒョウキンとも言う)で能天気な者や、無邪気でキャピキャピしている者は、
伸びしろがないと黙認されているからして、
誰からも「日本語下手だなあ。」なんて言われて突っ込まれる事もありませんがね。

あくまで、
「出来る人」への励ましですね。
95点取れても、残りの5点の話しかしない馬鹿がいたりするように思えて、実は後一息、気を抜くなと激励したりとか、ありますね。
どうせ頑張っても30以下しか取れないと解ったなら、諦めて励ましも受けないと。

如何でしょうか??
有りっ丈振り絞っての回答を御待ちしております。

投稿日時 - 2009-12-09 03:10:27

QNo.5508863

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

 私も本気の文体であなたに挑戦します。あなたの哲学や論理に対抗したいと思います。

 文章の構成とは、単なる言語の意味論や漢字の誤字が問題ではない。文章とは一語ずつの言葉ではなく個体論よりは集団論が重要視される。つまり、文章は言葉の1つであり全体として段落や起承転結という構成に他ならない。ならば、文章の構成としてプロットと置き換えても構わない。
 文章の論理性は起承転結ではない。構成に乏しくても筋道つまり道理が正しければ良いのではないか。つまり、話の道理つまり「話の筋」こそが構成に他ならない。つまり、話の筋道こそが話を正統性つまり正論に導くのではないだろうか。
 話の正論性つまり主張は作者の中の道徳観や感性や人生の影響を大きく受ける。罪人から神の尊さを聞く事もあれば、善人から悪意を察する事さえできる。つまり、悪い人というのは人間として本来生きてはならない人ではない。つまり、死刑にすべきだという人に対し罪人や死刑囚は正しくても、悪い人ではない。悪い人とはお酒を飲むと乱暴になる人や、浮気ばっかりする人である。つまり、「悪い人」という言葉は女性が使うべき言葉で、女性の心を表す女言葉であると論者は言いたい。つまり、罪を悪とする法学部の人間は私は嫌いである。つまり、軽犯罪法や刑法に記されている犯罪のみが罪ではない。罪とは人の心理の小さな悪意、つまり差別を含む。そのため、文学青年の心というのは良心と悪意の天秤の重りに左右されるものでなければならない。
 哲学や論理は正義論や善徳しか話さない。そのため、哲学はカントの純粋理性批判など功利主義、そしてヘーゲルの弁証法、ハイデガーやサルトルの実存主義ないし人間存在論、フロイトの精神分析学、クロード・レヴィ・ストロースの構造主義などあるが彼らの思想は何か。実は西洋の中世の哲学者であるカントの精神はキリスト教なのである。キリスト教はカトリックや清教徒やピューリタンなど多くの派がある宗教である。西洋哲学者にはキリスト教への忠実な信仰心があるのである。彼らはイエスの教えから流れるキリスト教の影響を大いに受ける。
 文学青年に一つ問いたい。小説にとって哲学や倫理は大きな社会的背景を書くときに利用できる。実存主義や構造主義の手法で書く小説は深くておいしい。ただ、サルトルの実存主義をそのまま小説に使うと小難しい小説になる。小説は小難しさを求めず、読みやすさを求めるのである。かっての大江健三郎のように「個人的体験」や「二百年目の子供」や「取り替え子」や「治療惑星」や「さようなら私の本よ!」みたいな文体をあなたは目指しますか。ドフトエフスキーの「罪と罰」を読んでいますか。そんな、文章は現在の小説の書き方ではない。1970年代の書き方なのだ。
 それよりも、もっと手本になる小説としてへーミングウェーというノーベル賞作家クラスがいます。へーミングウェーの「老人と海」や「日はまた昇る」を読みなさい。へーミングウェーはハードボイルドです。
 太宰治の「斜陽」や本谷有希子の「腑抜けども悲しみの愛を見せろ」や「生きているだけで、愛」や「江利子と絶対」を読みなさい。
 あなたの小説理論は何ですか。小川洋子の「博士の愛した数式」のような感じですか。川上弘美の「神様」ですか。まず、自分の好きな書き方を知るためにも小説を多読しましょう。
 私の小説に関する考えには、伝統的神話構造みたいなのがあります。サスペンスの犯人の最後の捕まるシーンで刑事や新聞記者や法医学者や探偵がいう一言で、犯人が殺害した被害者に償う気持ちや寂る気持ちに転じますね。じゃあ、最初から殺害しなかったいい、殺害される前にその被害者の思いが分かればいい。でも、そんなのじゃ小説になりません。だから、毎回こんな手法で描かれ感動するわけです。
 小説の筋道は哲学や論理ではない。作者の心理が小説に描かれるのである。

投稿日時 - 2009-12-10 11:25:28

お礼

有難う御座います。素晴らしいです。
色々と納得出来ました。また、新たに多くの書籍を紹介して頂き、有難う御座います。参考にしてみます。出来れば以上の者は全て読みたいと思っております。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5465741.html
私の愛読書は、こちらの回答文中の通りになります。
様々な本を好きになったのは、高校の終り頃でした。
それまで、あまり本は読んでいた訳ではありませんでした。
ドストエフスキーはこの間ネットショップで全て買い揃えましたが、
まだ「罪と罰」と「地下室の手記」を読んでいる最中になります。
ゲーテ全集の「ファウスト」は、2回目読んでいます。
ゲーテとドストエフスキーとトルストイは、少なくとも熟読したいと思っておりました。
今は村上春樹さんとか、筒井康隆さんとか宮城音弥さん等、他に夢中でその時その時の気分で色々な物を読みますので一度に西欧文学を読破しようとはしませんが。
ヘミングウェイ全集も、ゲーテ全集等と一緒に倉庫から、祖母の持っていたのを引っ張り出して置いてあります。まだ読んでいませんが、何れは必ず読みます。^^
色々感謝します。光栄ですね。
久し振りに得られたような、期待通りの満足感でした。
また語り合いましょう。

投稿日時 - 2009-12-11 00:59:31

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回答(9)

ANo.9

いちばんわかりやすい点を足しておきます。
タイトルについてですが、
相手の個人的なことを知るために質問するということは
ありえます。
しかし、
自分の個人的なことを、自分を知らない不特定多数に尋ねると
いうのは成り立たない。
その個人がS氏か誰かあなたの知り合いであっても
回答者は知りません。
つまり、あなたは人間の会話を断片的に飲み込んで
吐きだしているだけで、言葉の意味や話のつながりを
理解していない。
九官鳥と同じ状態です。
人間の発言としての意味がなにもないんですよ。

文章は意味を伝えるための手段であって、
内容を持ってないのに言葉を並べてもしかたありません。
テレビが無いのにリモコンのボタンを押してる
ようなものです。

投稿日時 - 2009-12-12 07:46:16

ANo.8

 文学青年ほど高度な文章理論で演繹や帰納など小難しい論理学のような書き方をする。そういう論理学のような小難しい人間が、普通の言葉で知らない言葉がないと突っ込まれる。
 普通の凡人は彼ら(文学青年)の言葉が理解できず、日本語を勉強しろなどという。
 文学部などの学生は卒業後にその学部の業界用語のような難解な言葉を使い誤解されがちである。

 少し、私の言葉に書き変えてみました。

 回答の補足
 あなたは知らないと思うけど、文学部の人間が全員こんな難解な論理学の書き方をするとは限らない。人間の性格が文体に表れる。難しく考える癖がある人間の文章は論理学みたいです。逆に自分の言いたいことだけ主張する文章は、一方的で相手に幼稚と思われる文章になります。弁解ばかり書く人は説明文のような文章になる。ただ、それだけです。
 あなたは、文学部生の何を知っていますか。1人ですね。あなたの知っているのは文学を難しく細かい視野で分析して書くタイプの人で元々は優秀な学生さんだったんでしょう。だから、抽象的な表現で説明する、つまり理論から結論に至ろうとする態度があるのです。
 日本語を論じたいのなら日本語を研究してください。大野晋「日本語の年輪」や中西進「ひらがなでよめばわかる日本語」や三島由紀夫「文章読本」などを読みなさい。あなたがいう日本語論にもありっきりな事を知ったかぶりで書いている態度もあると思います。
 まず、日本語は何ですか。言語は変化をしないというのがあなたの節です。実際は言語は変化する。日本語は漢字は中国から伝わり、平仮名は日本で生まれました。そして、戦前は文語体だが、戦後は口語体になった。文語体は漢詩から発展しました。そのため、漢字の割合が非常に多い。口語体は現在の日本語の書き方です。
 日本語は大きく変化する可能性があり、死語と新語がある。
 話し言葉と書き言葉も違う。
 それだけです。

 ですが、私の本音というか思いはNO7です。今回は基礎や入門のつもりで書きました。
 

投稿日時 - 2009-12-10 11:56:53

お礼

成程。大いに納得です。
日本語は難しく広大無辺で深遠ですね。決して無限と言う訳ではありませんが。個人的には無限でしょうか。

投稿日時 - 2009-12-11 01:02:09

ANo.6

つづきです。

なお、
S氏は架空の存在です。
あなたについての判断をあなたに対して
伝聞する他人は存在せず、
S氏が実在ならあなたと直接やりとりしているはずです。

作り話はやめなさい。

投稿日時 - 2009-12-09 18:22:30

ANo.5

表現者の伝えたい内容を正確につたえられるのが良い文章です。
正確に伝えることができる次のステップとして文章の美しさがでてきます。
昔からラブソングは「愛してる」とばかり繰り返していますが、
表現者は言葉を変えその時代に合わせた愛情表現を言葉に託してきました。
時代にマッチするというのは、文法が正しいとか、表現内容が
正しく伝わるとは別次元での正さです。

本題にもどって、「上手すぎる」のであれば上手いのですから下手なはずが
ありません。上手いものは上手いので、もし下手だという人がいるなら
それは上手くもなんともなく単に下手な文章なのです。
結論としては命題が間違っているということでよろしいのでは?

今回は質問として成り立っていないと思いますし、そういう意味でも
もう少し勉強した方がいいかもしれませんね

投稿日時 - 2009-12-09 12:52:36

ANo.4

ウサイン・ボルトは速く走れますが子供と一緒に歩く事もできます。
その方が子供にとって幸せでしょう。能力がある人がどんな他人のペースにも合わせられるからです。

一人で生活するのであれば、高尚な言葉を使い続けるのもいいでしょうが、生活上では必ず他人と接する部分があるので、そこで相手のペースに合わせる必要があるのです。
逆に言えば、他人のペースに合わせられなければ、能力を高めた意味が無いとも言えます。
難しい事も、分かりやすい言葉を使って噛み砕いて話をしてくれる、そうした緩急を使える人間こそが「頭の良い」人間なのだと思います。

投稿日時 - 2009-12-09 10:26:49

ふしぎな質問文ですね。さっぱりわかりません。これだけ長文の支離滅裂な文章が書けるというのも,1つの才能なのかもしれません。あとは,哲学などでききかじった用語をちりばめて,「どうだまいったか」と鼻を高くすればいいわけです。

投稿日時 - 2009-12-09 08:50:09

ANo.2

たしかに文学かぶれや哲学をかじったような人に、
晦渋で真意をつかみにくかったり、
無駄に衒学的な文章を書かれる方も割にいますね。

孔子のいうように”辞は達して已む(文章や言葉は意味が通じれば十分だ)”という考えからすれば、
彼らの書く日本語というのは悪文以外のなにものでもないのかもしれません。

しかし、いちばん大切なことは、TPOをわきまえて文章を書くということではないでしょうか。
たとえば読者に客観的な事実を伝えることが主たる目的である
新聞記事の文章には主観を交えた文学的な修辞は必要ありませんし、
逆に芸術の一分野であるところの文学において、
なんらレトリックの工夫もない平易簡明すぎる文章は、
奥行きの深さや感動をもたらさないこともあるかもしれません。
もともと高度で複雑な事象を解明しようとする思想書において、
あまりに単純明快であることを求めると、
複雑であったものの多くを切り捨てなければならないこともあるでしょう。

ということからすれば、どのように表現を凝らした名文であっても、
”その使いどころを間違っていれば”、
悪文、質問者様の言葉では「へたな日本語」という考え方は成立しているかと思われます。

文法が間違っていたり、主張の軸がぶれていたり、誤字脱字のあるような文章は
すくなくとも学校の国語教育のなかでは評価されませんが、
読み手に書き手の気持ちが伝われば良い文章といえますし、
読み手に芸術あるいは思想哲学への深い造詣や
膨大な知識を要求するような文章であっても、
その高いハードルを越えられる人にこそ伝えられるなにかがそこにあれば、
それもまた良い文章といえるのではないでしょうか。

文章の善し悪しの評価は、誰に対して、なにを伝えたいかによって変わる、
というのが私の考えです。

投稿日時 - 2009-12-09 06:06:41

ANo.1

「~作文とか得意で小説書くのが好きな文学青年程、
~言葉の深さを突いたような、」
言葉の深さを突くという日本語はありません。

「並外れて上手な代わりに、独特で抽象的な
文章を書いてしまい」
作文が得意だとそうなるという意見ですが根拠がありません。
そんなことはありませんよ。

「却って
「もっとまともな~」とか言われたり、
~ライバルのような人間からは
「ちゃんと本とか読んでるか?もっと日本語の使い方~とか
言われたりするようですが。」
そんな傾向はありません。
単にあなたの身近にそういう人がいるだけでしょう。
組み合わせに必然性がありません。

「時々、根拠も無く勉強しては~とか言われる事があるそうですが。」
その伝聞の元はなんですか。
それは限定された個人ですよね。
法則とか傾向の話ではないので
不特定多数の他人に質問しても意味がありません。

また、「ですが」で終わる文章はありません。

「このように、~S氏から御聞きしましたが。 」
つまりそこまでの記述が全部その人からの伝聞ですね。
ならばその人に信憑性を問いただすのみでしょう。

「言葉の意味を、深く理解し過ぎた」
理解しすぎるという日本語はありません。

★もう誰の目にもあきらかです。
「人や文学青年程、時々哲学的で支離滅裂な感じのワケの解らない言葉を発して」いるのはあなた自身です。
鏡を罵っているのと同じですよ。

それは作文がうますぎるとか哲学とか深すぎるという
ものではありません。
単に言語を普通程度にさえマスターしていないだけです。

投稿日時 - 2009-12-09 05:35:24

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