こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

締切り済みの質問

美術や音楽は進歩していますか。

美術や音楽は進歩していますか。

今の時代、ダビンチやベートーベンの時代よりも進歩している(上である)と言えますか。

投稿日時 - 2010-01-02 19:07:16

QNo.5562804

暇なときに回答ください

このQ&Aは役に立ちましたか?

15人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(29)

ANo.29

JI時艱方向へ時艱候補うヘrENDERる\設計図それは造詣それは造形\そして怨憎もとい音像文様けすたしょN\ポ\ナXスラSSひゅ\・・・布団の中かの叫びこれもかしこ・・・なっトとnUTにbOLTっち・・・・・・Hぁぁあっ\ぽんぽぽん・・・とり・・・たたんたん・・・|・・・fORMaります・・・XいくすクルスたんとあしC・・・流体ダンプぷ相対論と量子論ナ・・・・ここにiNTER-cONNECT---いんたーちゃんじ・・・じゃんくしょん・・・ディス+(パッチャ|トリビュータ)・・・あさいな・・・ろけぇた・・・aLLOCATEた・・・さろげた・・・・つのに下駄にダム・・・マトリクス・・・写・・・射・・・やぶさめ・・・たおやめ・・・・けさがけ・・・よだれかけ・・・・|////UHHAうっは・・・勝手にロォマ字になるの困るのん\・・・/棒も歩けば犬にあたる・・・南無阿弥陀仏|っと・・さあ早期教育されてない人の毒電波じゃぁありませぬ。。。いっとき互換で。。。。ぱち、。。コンコン。。。おれは。わた。。。おえWH...WATA。。。。わたくしたちは。。。記号の帝国から卒業・・・というわけで|まつだせいこ・征服・・きくちももこ・・卒業・・・おざきゆたか・・・さいとうゆき・・・きさん・・・木木木・・・もりさんありがとう・・・車の杜。。。都住めば・・・ト_終止dOMINANTO>tONIC||

大変申し訳ございませんが、この投稿に添付された画像や動画などは、「BIGLOBEなんでも相談室」ではご覧いただくことができません。 OKWAVEよりご覧ください。

マルチメディア機能とは?

投稿日時 - 2010-01-21 17:59:56

ANo.28

こんにちは。
確かに、行き詰まり感はあるかもしれません。
模倣、コラージュの文化がそれを象徴しているかのようです。
先人の偉大さを越えられない感のアートが、現状の芸術だとするとそうとも言えますが、しかし、歴史の上でも回帰や懐古の芸術は存在する訳ですし、温故知新を実践した上でしか、結局進歩はなく、回帰してしまうとするとやはり人間はそれを目指してやまない。

いまや、科学も政治もメディアも芸術との境界がどこにあるのかさえわからない。そういう多様性という意味では進歩しているのかとも考えますが。

投稿日時 - 2010-01-07 17:02:14

ANo.27

:cyototu さん

適用限界を越えた理論の拡張になるわけですね。非常によく分かりました。cyototu さんのような先生がいらっしゃれば、高校時代もう少し物理が好きになっていたかもしれません・・もとい、物理を選択したかもしれません。(文系選択なので、全くやっていません)

落ちこぼれ文系だったので、悔しくて、高校時代はブルーバックスばかり読んでいました。そのつぎはぎだらけの知識が、スッとつながった気がしました。

これからも、こちらの掲示板で、私のような迷える羊を導いてやってくださいw。

投稿日時 - 2010-01-07 00:36:22

ANo.26

この問題についての、私の方からの回答は、その全部を書こうとすればとても書ききれません。

簡単に本質的なところを書きますが、

自動車とか飛行機なら どんどん、私たちの一生という枠を超えて文明の歴史の中にその技術が積み重なるようにして、進歩してきて生まれてきたわけです。

私は、子どもの頃何度も重い肺炎で死の床をはいずりましたが、もしぎりぎり助かっていなかったら私の一生はそこで終わっていました。

ちょうど自動車や飛行機の存在がわかる程度の物心はついていた時期でした。

がわたしのおじいさんは、自転車を買ったそうですが、そうしたら村中の人がその自転車を見にやって来たそうです。

科学技術の進歩は まるで加速度的ですね^^。

ダビンチの頃も、天才は飛行原理は掴んでいたわけですが、おそらく今の流体力学はまだ知らなかったでしょう。  とても今のような重たい飛行機が空を飛ぶようなところまで計算できなかったと思います。

かどうかは、わたしは、ちょうど分数を習う頃死の床をさまよっていましたので、理化学系は弱くわからないのですが、 私によく解かることは、人にも同じ生物としての一生という生涯がある点で、そのへんがクリアーなのです。

ですので、芸術という世界を一人一人の感性の世界から発するものと捕らえる時、 すべての芸術において、その肝心のその表現の想いとか魂とかの部分はすべて、 その個人の最初の大自然や人との触れ合いに関って いちいち 誕生時から始め直すようにして存在しているという面が はっきりと見えてしまうのです。

音楽では、楽器の進歩はあるでしょう。 音符の記述の進歩はオーケストラをも生み出しました。   が、例えばピアノを引く場合の(そうそう 肺炎での死の床を境にわたしは指の力を失っていますのでピアノは弾けません。 あまり適切な例でないでしょが解かりやすいと思うので書いてみます)技術の基本は同じで先生から習う形で代々引き継がれますが、 その音楽をとらえ感じ、そこにみずからの想いをのせ本物の演奏に仕立て上げてゆく部分は 個人の人生の触れ合いや経験や思考の差によってその進化が決まってくるわけです。

ご質問は  

ダビンチは画家、ベートーベンは作曲家としてとらえたところでの、今の時代との比較にあるのでしょうが、 もう少し、その前に、 上記の説明の続きを書かせていただきます。

じつは 上記の点で、最も技術の歴史と関らない芸術の分野は、 歌と踊りと絵の本質の世界なのです。 他の表現芸術世界では演劇関連の表象の直感という技術が昔から直感的な役づくりの世界なのですが、これも現代では技術的な発展をしています。

えっと 思うかもしれませんが、 その三つのジャンルの本質は 歌なら歌唱法とか踊りならなた体操とか、絵なら筆やエアブラシとかの進化にもかかわらず、生活から生まれる想いの深さ(感動の深さ)が声となり、動きの表情となり、絵のタッチとなっているのは変わりないからです。

解かりやすいのが、 その想いの海が やがて人の胸という浜辺に打ち寄せるべくうねり始める時それが音楽のリズムやメロディーに溶け込み 節回しとなりこぶしともなり、ドライブ感にもなりあふれて崩れてうねりは波とくずれ、 そうしていざ歌となる  のが基本の歌の世界。 でもこの三つのジャンルは本質的には同じなのです。 想いの大きさ深みから 心の海から 

1つ1つの命から又新たに又新たに生まれ続け、そうして技術の進歩にも寄与してきた世界です。

このあたりで、大事なことは、ここにあります。

私たちが 真に人間的に成長すれば ダビンチやベートーベンのような天才をも そこにおいて抜かすことができ、 またそこからは新たな技術的進化をも生みえるというポジティブな姿勢を、そこに持てるかどうかです。

美術や音楽全体の進歩は、この情報化社会が そのへんを改めていかにしっかりとらえるかにかかっていると思います。

ダビンチやベートーベンは天才です。 がそのへんをしっかり捕らえればいつの時代にも彼らに負けない新たな創造は可能なのです。  技術だけでなく芸術においてもです。

そこを私は この時代の若い人たちに知ってもらいたいと想うのです。

溢れる想いがここにはあるのですが、   理解していただけますでしょうか。

(若い頃、ベートーベンの田園で人前で踊ったことのある今は63歳の老人より)

時代自体は こうして過ぎ去ってゆくのですが^^。

投稿日時 - 2010-01-05 18:31:06

ANo.25

またまた#16です。#24さんのコメントに関して、話を深める意味で、またコメントさせて頂きます。

>いずれにせよ、ニュートン力学がアインシュタインによって否定されたように、

についてです。

他の学問分野には今までの理論を否定する形で新しい理論が出てくることも在り得るでしょうが、精密科学としての物理学ではその発展は今までの理論の拡張であって、決して、否定ではありません。そのことについて説明します。

ガリレオからニュートン辺りにかけて、物理学は所謂精密科学と呼ばれる段階に昇華しました。そして、その後の発展は、それ以前の理論が「否定」されて新しい理論が出て来たと言うわけではなく、それ以前の理論の適用限界を超えて拡張されて来たと言うのが適切な表現です。実際、相対性理論では、物体の速さが光の速さに比べて極端に小さい極限で、言い方を変えると、物体の速さに比べて光の速さが圧倒的に大きいとみなせる場合にはニュートン力学に帰着するように拡張された理論です。また、大変エネルギーの小さいミクロな世界では、エネルギーが不連続に変化していることが発見され、それを契機に量子力学が発見されましたが、これも、我々が問題にするエネルギーの大きさが、その不連続なエネルギーのギャップ間隔より大変大きな極限では、量子力学は正確にニュートン力学に帰着するように拡張された理論です。また、アインシュタインの特殊相対性理論もその適用限界を超えたところでも使えるように一般相対性理論に拡張されましたが、特殊相対性理論の適用可能な状況に対しては、一般相対性理論は、特殊相対性理論に完全に一致するように出来ています。

精密科学の精密科学たる所以は、それが適用できる範囲内ではそれが正しいことを誰にも否定できないように論理が構築されていることにあります。ニュートン力学には確かに適用限界が在ります。それに対して、相対性理論も量子力学もその限界を超えた状況にも使えるように出来ていますが、ニュートン力学の適用限界内ではそれらの理論がニュートン力学の結果と完全に一致するように出来ているのです。したがって、相対性理論も量子力学もニュートン力学の拡張であって否定ではないのです。

量子力学の黎明期に活躍したレオン・ローゼンフェルドと言う著名な物理学者は、「もし、ある理論の適用限界が知られていないならば、我々はその理論を理解したと言うことが出来ない。ところで我々は、量子力学の適用限界を知っているのだろうか」という趣旨のことを述べています。このように、我々がある理論の適用限界を知ったと言うことは、決してその理論を否定したのではなく、反対に、その理論に対する深い理解に到達したと言うことです。

人類はそのうちに相対性理論や量子力学の適用限界を突き止め、その限界を超えて適用できる新しい理論を発見するでしょう。さもなかったら、ローゼンフェルドの言うように、我々は相対性理論も量子力学も理解をしたとは言えない状態に留まることになってしまいます。しかし、その新しい理論が正しいと認められるためには、今までの理論が適用できる範囲では、その新しい理論が必ず、今までの理論と一致する結果を導き出せることが必要条件なのです。相対性理論も量子力学もニュートン力学の適用限界内の現象に対してその必要条件を満たしているからこそ、物理学者はそれらの理論を信用しているのです。

したがって、物理学では今までの理論を否定するのではなくて、拡張することによって発展が成されて来たのですし、これからもそのように発展して行くでしょう。


>果てして芸術の、今日的課題は何なんでしょう?

哲学の発展では「否定」があるのかどうか私には判りませんが、芸術に関しては、やはり今までの形態を否定するのではなく、今までの表現法の拡張や、全く新しい予想外な方向への分岐や、あるいは全く新しい側面を付け加えるという形で進化して行くのではないでしょうか。

蛇足ですが、書物の深みに関してフィクションよりもノンフィクションの方が遥かに深いということがしばしば言われています。何故なら、フィクションは所詮誰かの頭の中で作り上げられた事柄ですので、少なくともその作者には、次に何が起こるか予測可能なことが書いてあります。一方、ノンフィクションは、その人の経験が書かれているので、その中には、その著者の頭で前もって予測が出来るような事柄を遥かに超えた、しばしば、とんでもなく予想外の出来事が書いてあります。私も長年研究生活を送って来ましたが、自分にとってこれは凄いや、今回は大分良い仕事ができたな、と思えるような結果が得られるのは、ほとんどの場合、想定外の副産物の結果を得たときです。前もって、その結果が予測できるようなことで、重要だと思える結果を出すことは滅多にないです。芸術の発展も、前もって予測のつかないところに偉大な発展があるのではないでしょうか。

投稿日時 - 2010-01-05 10:48:06

ANo.24

こんばんは
>cyototu さん

お返事ありがとうございます。ダーウィンの進化論の位置づけが、余りよくわかっていなかったので、参考になりました。(適者生存と言いながら、アメーバのようなものが、死に絶えないで残っているのはなぜだ・・、などという論議も最近は聞かれるようですが)

アメリカはアメリカで特殊な世界のようですね・・・少し前のニューズウィークで、アメリカの学者さんが、自由か自由でないか、宗教的か宗教的でないか、という視点で、世界各国を分類していました。確かにアメリカは、自由の位置に位置づけられたのですが、宗教的か宗教的でないかでは、ほぼ、イランイラクと同じくらい宗教的だと位置づけられていました。(自由の度合いでは、ちょうど線対称になっていましたが)まあ、そういった意味では特殊な国のようです。

いずれにせよ、ニュートン力学がアインシュタインによって否定されたように、古典哲学もニーチェによって否定されたようですね。果てして芸術の、今日的課題は何なんでしょう?

というわけで、すべての話は振り出しに戻ったりするのかもしれませんが・・・
スレ主さんには 論議の場を提供していただき 感謝しております
勉強の機会を与えてくださいました  失礼いたしました。

投稿日時 - 2010-01-05 00:38:55

ANo.23

No.22です。
見直したら訂正箇所を発見しました。

×反歩
○退歩

大変失礼致しました。

投稿日時 - 2010-01-04 16:41:46

ANo.22

こんにちは。

昨年末に「医学と芸術展」(森美術館)に子供と行ってまいりました。

ダ・ヴィンチの『頭蓋骨の習作』、円山応挙『波上白骨座禅図』から、ジル・バルビエの『老人ホーム』、パトリシア・ピッチニーニの『ゲーム・ボーイズ・アドヴァンス』など、
ルネサンスより現代に至るまでの、人間の身体構造の探究と死生観、老い、生命、そして人間が生きるとは何か、
などということが命題の企画展です。

『頭蓋骨の習作』(1489年)
http://www.artgene.net/event2.php?EID=3163&area=&pref=&target=1&type1=1&type2=1&type3=1&keyword=
『波上白骨座禅図』(18世紀)
http://museum.daijyoji.or.jp/enlargement/03-02/d36501b.html
『老人ホーム』(2002年)
(アメリカのヒーローたちx老いとは何か)
http://www.documentsdartistes.org/artistes/barbier/repro3det2.html
『ゲーム・ボーイズ・アドヴァンス』(2002年)
(クローン技術により生まれたこどもたち)
http://www.roslynoxley9.com.au/artists/31/Patricia_Piccinini/249/34982/

また、当時最先端の医学工芸品や解剖書(例えば鉄製関節模型)といった類のものが芸術的な域に達しているために、今では一種の美的価値観を付帯しているものも多々ありました。
『鉄製関節模型』(1570-1700年)
http://www.fujitv.co.jp/event/art-net/go/929_large08.html

>美術や音楽は進歩していますか。
>今の時代、ダビンチやベートーベンの時代よりも進歩している(上である)と言えますか。

質問者様の「美術」の捉え方にもよるのかもしれませんし、何をもってして「上である」とみなすのかがいまいちわかりませんが、
人間の営む医学(科学)の≪日進月歩≫に伴い、工芸品そして美術品といった芸術もまた、
その時代に要請された形で寄り添い、そして共に≪進歩≫してきた面もたしかに存在するのだなあと、あらためて気付かされた次第です。

でも、もしかすると、医学や芸術においても≪反歩≫な面も見出せるかもしれなかったりして?!
なので、百聞は一見にしかず、よろしかったら是非どうぞ^^

投稿日時 - 2010-01-04 13:32:57

ANo.21

#16です。

>ところが、現在はこの世の中には、絶対的なものは存在しない。そこにあるのは、時代の変化に対応していく「進化」が有るという考え方のようです。という考え方でよろしいのでしょうか?>16番さん

はい、私もそのように理解しています。世界の本質は何かという問いに対して、「永遠」「絶対」「普遍」「在る」に相対する捉え方として、「変化」「諸行無常」「個性」「成る」があると思っております。進歩の概念は必然に基軸を置く前者に属し、進化の概念は偶然を基軸を置く後者に属していると考えます。

キリスト原理主義の国であるアメリカではなぜ未だに進化論が受け入れられていないのかは、私の論じて来た主張の傍証になっていると考えています。

投稿日時 - 2010-01-04 13:24:24

ANo.20

芸術に上下って?

投稿日時 - 2010-01-04 13:07:32

ANo.19

宗教音楽が全盛の時代は、単調な感じでしたけど(旋律が決まっているから)、ビバルディーの四季を聴くと、うまく春夏秋冬を音で表していると関心しました。

その四季の夏のyanniバージョンの聞いて、「元祖を超えた」と思いました。
Yanniのバージョンだと「The storm」ってなっているんですが、その題名通りハリケーンが吹き荒れる様子を音で表している。
躍動感あふれる曲調で危機迫るものがある。
youtubeで「The storm」で検索すると聴けます。

メインでバイオリンを弾いてる二人は、もう何度も四季の夏を弾いたと思いますが、yanniに今までの弾き方を越える演奏を要求されたんじゃないかと。

昔からある楽器以外、ドラムやエレクトリックギダーやシンセサイザーなども使っているのですが、それゆえに奥行きが深くなっていると思えました。


yanniの音楽はまさにグローバリゼーションという表現がふさわしいと思う。
(地域の特徴を生かすってのが、本来のグローバリゼーション化)


ちなみにベートーベンやモーツアルトが作ったオリジナル曲は、ひどいものだそうです。
編曲されて整えられたものが、彼らの音楽として世に通っているのだそうです。



美術に関しては、よくわかりません。
ピカソの以前の絵画を見たことがありますが、すごく感動を覚えた。
その忠実に写真 いや 写真以上に表現する技術を持っていたピカソの作品が3D調に変わってしまった。
一部の人しかその面白さがわからなくなった。
(一箇所の視点を故意に消すことで、あのように見えるようになるらしいです。)


印象派からポップ調になってしまった。 わからん・・・。
3Dから2D いや4Dになったような感じ?
(光の速度を超えると、電車の向こう側もこっち側も同時に見えるようになるらしい。2点の視点を同時にひとつに世界に現す? わからん。)



昨日、映画AVATAの3D版を観てきた。
スクリーンの枠が視界に入らなければ、私はその場にいるとしか思えなかったと思う。
臨場感あふれおり、スクリーンの中の世界に自分がいる感覚に襲われた。


白黒映画をはじめて見た人が、蒸気機関車が走ってくる映像を見て「うわー」と思わず席から立って逃げたそうです。かなりの人たちが。

現代の私たちは、車がつっこんでくる映画を観ても、避けようとは思いませんが、3D映画を観たら思わず避けたくなるんじゃないかと。

AVATAでは、いろんな昆虫が自分の周りを飛んでいる感覚になり、思わず払いのけたくなったもん。
理性で「思わず払いのけたら周りの人に笑われてしまう」となんとか払いのけたくなり衝動を抑えた。
さらにこの映像が進歩したら、映画を観ながら観る人によって映像が違ってくるようになるかも。
一人の人はこっちの人たちが会話している映像を見ていながら、別の人はその人の後ろから会話を聞くとか。


映画によく音楽が使用されており、効果を高めますよね。
この前見ていたTVで、名前は忘れましたがある作曲家は今までに無い音楽と作ったと紹介していた。
それは、はっきりしない、イライラする、なんともいえない という曲風。
彼の曲風は、主にサスペンスものに使われている。



時代により表現の幅が広くなったり、狭くなったりしているだけで、一部と一部をピックアップしたら差がありますが、人類の歴史全体でみると、実は同じことを繰返しているにすぎなかったりするのかも。
それは呼吸みたいなもので、宇宙もそうだと言われますが、拡大と縮小を繰返しているだけなのかも。
あるポイントとポイントをピックアップしたら、大きな差があるので進歩と言えなくもないですが、よりよくなった とは違うのかも。


クラッシック音楽に慣れ親しんだ人が、叩くようなロックに感動しても、ロックに飽きたら繊細なクラッシック音楽の良さが認識できるようになるように。その繰り返しかもしれないですね。

投稿日時 - 2010-01-04 08:42:01

ANo.18

おはようございます

あまり他の方の書き込みを、拝見しないで書き込んだ、14番のものです。「進歩」と「進化」の違いの論議があったのですね。全く理解せずに14の書き込みをしたのですが、微妙に当を得ていたようですね。(汗)

実は、「進歩」「進化」の違いがよくわかっていなかったのですが、こちらの書き込みを見ていて、少しわかった気がいたしました(ありがとうございます)。

「進歩」というのは、どうも古典的な考え方のようですね。目標に対してどれだけ近づいているかが、「進歩」と言うようです。古典の時代では、「神」が明らかに存在していました。よって、絶対的な「真理」「美」「善」なるものが存在していて、この世のすべては、それに近づくために存在していると考えられていたようです。

ところが、現在はこの世の中には、絶対的なものは存在しない。そこにあるのは、時代の変化に対応していく「進化」が有るという考え方のようです。

という考え方でよろしいのでしょうか?>16番さん

投稿日時 - 2010-01-04 07:06:45

ANo.17

一定の技術的水準に達した芸術なら、2つの基準でその優劣を測れると思います。

1、純粋な意味での美
 人間は美しいものを見たとき心打たれるものです。
 多くの人に強い感動を与えられる芸術は間違いなく素晴らしいものです

2、表現手段としての芸術
 絵画や音楽は、感情などの表現手段として用いられることもあります。
 芸術に秘められた意味を解した時、それを賛美する人もいますが、
 素人目にはラクガキ同然に映ることさえあります。

この2つを踏まえてどう思うでしょうか?
歴史的に優れた芸術には、見る前から感動する心構えがあったり、
長い時間をかけて、その意味を紐解こうとする人がいたりしますよね?
勿論、そのためには長い時間、人に評価され続ける必要がありますが、
淘汰に晒されてなお残り続けてきた音楽や美術は、(その是非はともかく)
人の手により価値が付加されていくものだと考えます。

投稿日時 - 2010-01-04 05:50:48

ANo.16

#6です。
面白い質問なので、連続投稿をお許し下さい。

>まあ、生き延びていくための隙間がたまたま見つかって、そこへうまく体を合わせることができ、潜り込めた(鳥やトンボが飛んだ)のが進化でしょう。

と言う視点は、進化の重要な事実を掴んでいると思いました。多分このことが、始めの質問「美術や音楽は進歩していますか」という疑問を提示する動機に関係しているのだと思います。古生物学の重要な成果の一つは、生物の進化の過程で、今までに地球上に現れて来た種の99.9%以上が既に滅んでいると言う事実の発見です。すなわち、進化とはそんなに甘くはないという事実の発見です。

余談になりますが、ダーウインは西欧におけるそれまでの神の創造説に立ち向かうために、『種の起原』の中で、生物の環境に対する適応に関して「絶対的適応」と「相対的適応」の概念を導入に、様々な例を提示して、生物の適応は相対的適応であることを実証しております。しかし、それでも現在のアメリカ人を説得できてはおらず、彼らの70%近くは未だに神の創造説を信じているという統計が出ています。そこで、最近ではアメリカの生物学者達はこの進化の失敗例を指摘して、神の創造説を否定する作戦に出ています。完全絶対な神が何で99,9%以上も失敗してしまうのだというわけです。

芸術も進歩と言う視点で捉えるのではなく、進化として捉えてみると、生物の場合と同じように、様々な試みのほとんどが死に絶えている可能性が見えて来ます。ですから、偶然にその失敗例の豊富さに気が付いてしまった方には、果たして、芸術は「進歩」しているのだろうかという疑問が出てくるのは、自然な気がして来ました。ここでは私は言葉を慎重に使って、進化ではなく進歩と言う言葉を使っていることを強調するために「」を付けておきました。もしかしたら、質問者さんは、最近になってようやく古生物学者達が気付き始めたことを、芸術の進化をご自身で洞察することによって、彼らから教わったわけでもなく、ご自分で発見してしまったのではないかと思えてきました。

このように、進歩ではなく進化として捉えてみると、生物の進化も、芸術の進化も、文化や社会の進化も、学問の進化も、皆「創造的な営み」の様々な表現として、共通項で括れて来ます。また、その視点で見て来ると、一方の経験を分析することによって、他方の経験が整理されたり、各々の事象の中で次に何が起こり得るかの予測も可能になると言う、生産的な側面が見えて来るような気がします。

投稿日時 - 2010-01-03 22:14:11

ANo.15

 実際に聞いてみてどう感じるでしょうか。

 私は、クラシック音楽はもともと興味が無く、あまり知らず、良いと思える曲も極一部分に限られます。バッハの平均律とか、ドビュッシーとかカノンとかボレロなどです。あとは知らないし、おそらく聞いても魅力的な音楽とは思わないと思います。

 現代音楽のなかで、「これは100年後にクラシックの名曲として残るだろうな」と思う音楽はあります。それらは過去のクラシック音楽よりも良い音楽だと、主観的にですが思います。

 絵画はよく解りませんが、気に入っているCGアーティストはいますので参考まで見てください。
http://www.kagayastudio.com/

投稿日時 - 2010-01-03 21:23:54

ANo.14

こんばんは、疑問はつきませんね。

さてご質問の件ですが、なかなか重い一球を投げかけられましたねw

少し哲学的な話になりますが、古典哲学では、私たちの目指しているのは、「真・善・美」であるとされてきました。世の中には「絶対的」なものがあり、我々はそれを目指していると考えてられていました。それをいかにこの世の中で実現していくか、それが芸術家たちの目標でした。(究極の実現は、神であったわけですが)

一方、ニーチェが「神は死んだ」と言って以降、この世の中は、お互いの関係の中に存在するという構造主義的な考え方が、主流になってきました。刹那的ともいえますが、「今目の前にある現実に目を向けていこう」という考え方です。

そういった立場から考えれば、どちらが上とか下とかと言うことではなく、音楽の表現形式の多様性のうちの一つなのだと思います。

哲学はあんまり詳しくないので 突っ込まれるとぼろが出るのですが おおむねこういったことだと思っています。

投稿日時 - 2010-01-03 20:11:04

ANo.13

#12に重要な誤植がありました。

中程の >ただ、、、のすぐ下の段落で、

そこにし住んで行ったわけではなく、 => そこに進んで行ったわけではなく、

と読んで下さい。

投稿日時 - 2010-01-03 15:47:56

お礼

ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-01-04 17:38:41

ANo.12

#6、10です。

>鷹も同じでしょうか?

タカは人間の目から見ると如何にも勇壮ですが、生き残りに関して、果たしてトンボやチョウチョウよりも優れていると言えるでしょうか。アキアカネの大群を見たことがありますか。それに、メキシコの一角に毎年数億頭も集まって来る渡りをする蝶のアサギマダラの一種など、壮観です。タカはタカで、高空から小さいネズミを識別する目の構造の進化など、驚異に値します。皆、与えられた環境の中で、見事に順応しているようです。私には優劣はつけられません。

>この偉大な作曲家の出現は「進歩」or 「進化」?

形式が一旦与えられた段階では、目標も見えて来ますから、この場合には進歩でしょう。進化の面白さ奥深さは、今までになかった新しい形式をも生み出すところにあり、したがって、今までの範疇の基準では判断できない新しい側面を持ち込んで来ます。これを、分岐と言います。

>ただ、音楽や美術は人間だけのものですし、「美」という目的に向かっているように思うのですが、どうなんでしょう。

芸術が人間だけの物であることは同感です。ただし、生物の進化には目的や目標がないと言いましたが、ただ一つだけ目的が在ります。それは、「生きる」と言うことです。でも、生きると言う目的が必然的にトンボやチョウチョウを生み出したというのは言い過ぎです。その目的を達成するためにミミズになった生物もいるのですから。ですから、 生物は決してトンボになることを目的にしてそこにし住んで行ったわけではなく、生きるという目的を達成しようという過程で、成り行きでトンポになったのです。

芸術における「美」も、そう言う意味で、生物における「生きる」に対応していると思います。美とは前もってこれが美だと言う物が分かっているわけではなく、その美という目的を達成しようという過程で、成り行きでいろいろな発見や創造が成されているのだと思います。そもそも、前もってこれが美だという形式が与えられている物だとしたら、「創造的営み」なる言葉が意味をなさなくなってしまいますね。ですから、生物も芸術も「進化」という切り口から捉えると、本質的な共通点が見えて来ると私は主張しているのです。私は、生物の進化は自然による創造的な営み、芸術の進化は人間による創造的な営みと理解しております。

ここでは進歩でも進化でも、たまたま、「目的」という同じ言葉で何かを表していますが、その「何か」は進歩の場合と、進化の場合では、決して同じではありませんね。人間の言葉には時々このような曖昧さ(科学用語では縮退)があり、人々を混乱させてしまうようです。他の縮退の例は、英語では"Laws of nature" も "Law school” も共に "law" という一つの言葉に縮退していますが、日本語では、前者は「自然の法則」、後者は「法律学校」と呼んで、「法則」と「法律」のように縮退していません。上の文章の中の「目的」という日本語の言葉にも同じような縮退が在るので、進歩の文脈で使う場合と、進化の文脈で使う場合とでは、その縮退を上手に解きほぐして論ずる必要があるようです。

投稿日時 - 2010-01-03 15:30:06

お礼

ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-01-03 17:20:48

ANo.11

  美術や音楽は それ自体の進歩(この意味は様々ですが)よりも
その時代そのものの影響の方が大きいものです。
 ダビンチやベートーベンの時代は その作品に触れることが出来た人は
ごく少数の限られた人です。
 よって、その時代にリアルタイムに善し悪し(好き嫌い)を判断出来た人は
その中の一部です。
 この場合、人数でもあるし、階級でもあります。

 ワーグナーのように貴族のスポンサーに抱えられて、活動してたのに
女を寝とって裏切るとかは稀で、
ほとんどの芸術家はスポンサーの喜ぶ内容で活動していたわけです。

 今は、広く薄く、CD買ってくれそうな人たちが喜びそうなもので商売
しているわけです。

 今も昔も、プロの場合はスポンサー有っての活動の結果が後世に
残ってきたものであって、それがそのまま芸術家としての力量とは限りません

 で捉え方ですが、進歩といえば技術的には芸術家も過去の作品を研究
しますから、勿論進歩はします。してます。

 絵画でも模写で本物より本物っぽく、最近X線で模写と解る代物まであります。
技術は進歩することが自然です。 退化はしません。

 では、オリジナリティーに関してはというと
これは個人の才能が大きなパーセントを占めるものですので
今とか昔とかではなくあくまで個人の技量とおもいますので
今昔で比べられないと思います。

 その時の世の中に合った才能、そして運命がその芸術家の力です。
 いつの世もダビンチクラスの才能を持った芸術家は世に埋もれています。

 芸術は、進歩よりもいかに世にそれを伝え、その時の世に影響を及ぼすか
がジャンルに拘らず その芸術の力量なのだと思います。

 例えばビートルズはベートーベンやブラームスよりはるかに上だと
バーンスタインが仰っていたそうですが(細かい内容は自信ないけど)
私なりに言いたいことは解ったようなきがしています。

 よって進歩していると思います。

投稿日時 - 2010-01-03 14:40:51

お礼

>ビートルズはベートーベンやブラームスよりはるかに上だと

言われてみればそんな気がします。

投稿日時 - 2010-01-03 17:17:34

ANo.10

#6です。
#7さんについてのコメントを書かせてもらいます。

「進化」と「進歩」は似て非なる物で、全然違った意味を持っています。確かに、

>「進歩」は、一つの目的に向かっている過程において「意味」をもつ言葉

です。しかし生物の進化を見ていると分かるように、生物が時間と共に経て来た変化は決して何かの目標に向かっているわけではありません。いろいろな偶然に作用されながら周りの環境と擦った揉んだをしながら、分岐が起こったり、あるいは収まるところに収まったりしながら、トンボが出て来たり、チョウチョウが出て来たりしたのであって、決して、前もってトンボやチョウチョウを出すシナリオがあったわけでは在りません。また、自然界がそれを目的や目標にしながら進んで来たわけでも在りません。私の#6での論説は、芸術も同じような経緯で変化しているのであって、何かの目標に向かって進歩しているわけではないと主張しているのです。進歩ではなくて、生物の進化と同じように成り行きまかせの意味で進化だと言っているわけです。また、進化には前持ったシナリオも目的も目標もないので、人事を超えた深みや予想外の驚きが在り、それが、我々の世界を多様で豊かにして来たと言っているのです。

人類が複雑な言葉を使って世界を分析しはじめてからまだ高々1万年ぐらいしか経っておらず、そんな未熟な経験で到達できる高みは、数十億年に渡って擦った揉んだしながら収まるところに収まって来た生物の進化に比べたら足下にも及ばないですね。人間が飛行機で空を飛ぶより数億年も前から生物は空を飛んでいましたが、飛行機の羽の断面は鳥の羽の模倣から生まれて来ました。最近になって、やっと昆虫のように空を飛ぶ小さなロボットが出来るようになりましたが、これも自然界の進化の結果の模倣です。例を挙げはじめたら切りが在りませんが、成り行き任せで進化して来た物は、こと程左様に、我々の未熟な頭で思い付くようなレベルを遥かに超えた高みにおります。芸術の発展も、目標だ目的だと我々の未熟な頭で前もって考えつくような方向に進んで来たわけではなく、我々の人事を超えた偶然や遭遇などの思いがけない出来事を契機とした、副産物や分岐の繰り返しによって進化して来たからこそ、目的のある進歩なんかで到達できるよりもはるかに底が深いレベルに到達して来たのでだと思います。

投稿日時 - 2010-01-03 13:31:25

お礼

再度のご回答ありがとうございます。
生物の進化はおっしゃる通りだと思います。
まあ、生き延びていくための隙間がたまたま見つかって、そこへうまく体を合わせることができ、潜り込めた(鳥やトンボが飛んだ)のが進化でしょう。

ただ、音楽や美術は人間だけのものですし、「美」という目的に向かっているように思うのですが、どうなんでしょう。

投稿日時 - 2010-01-03 14:02:03

脳を刺激する芸術と、脳を休める芸術があります。現代の芸術は、脳を知性を刺激して、頭で理解する、論理思考芸術です。究極は抽象表現です。脳を刺激すると活性化して、元気になるけど、頭の知的な美的な遊びで、自己満足で、癒しではありません。脳を休める芸術は、日本の伝統文化です。情緒を表現していて、情緒思考文化です。脳を休ませる芸術は、情緒に溢れているので、心が癒されます。論理思考は情緒を排除します。論理と情緒は対立していて両立しません。だから自己主張や自己表現が強いと、論理思考芸術になります。日本の伝統音楽の義太夫節、演歌、民謡などは、母音を過剰に伸ばすので、この時、脳が休み、脳波がアルファ波になり、情緒が交流します。つまり日本の伝統文化は、舞踊や演技の間、音楽の母音、絵画の余白、和歌の枕詞などに、間を入れて情緒を多くします、これが脳を休ませる情緒思考芸術です。情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。新しい時代は情緒の時代です。世界中で日本人だけ、思考行動パターンが、情緒思考です。だから日本は情緒溢れる国です。新しい時代の手本です。

投稿日時 - 2010-01-03 12:19:23

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-01-03 13:51:20

ANo.8

 No.4です。

 ★ ありがとうございます。 
 ☆ それだけですか?

投稿日時 - 2010-01-03 11:55:09

お礼

>☆ それだけですか?

ハイ、それだけですよ(^∇^*)

投稿日時 - 2010-01-03 13:50:19

ANo.7

わたしはいつも「進化」とか「進歩」とかという言葉の使い方で
つまずいてしまうのですが、参考になれば――。

「進化」「進歩」は、一つの目的に向かっている過程において「意味」をもつ言葉だと思われます。
たとえば「物質の性質の解明」という視点(目的)があるならば、「化学」が進化しているかどうかの「判定」が可能となります。「家」を造るなら「建築学」の進化を問うことに意味があります。

そこで「音楽」「美術」の進歩はどうかです。
こういう「芸術」の目的をはっきりさせねば意味のある議論になりにくいのですが――
「美学」は「感性の学(エステティック)」のことですから、
「目に心地よい」「耳に心地よい」という目的が成り立つとして
(西洋クラッシックには頭が痛くなる人もいれば、義太夫節にそうなる人もいますが、
心地よさを「科学的」に還元できるとして)、
美術や音楽の表現手段(染料、エアブラシ、CG、など)は格段に進歩しています。
具体的な内容については問いません(好きか嫌いかに堕さない議論はあまりに複雑です)。

ここで芸術を考えるとき「人間」とは何かという問いが、大枠として有効ではないでしょうか。
「人間の目的」が少しでもほの見えてくえれば、それを「進歩」と見ていいのではないか。
わたしの感じでは「気高く」「うるわしく」生きるという方向に「人間らしさ」があると思っています。

文学の話しで恐縮ですが、たとえば「万葉集」の歌人や、「古今和歌集」の歌人がもっていた「直観力」には現代人の数倍も深く鋭いものがあります。ぜんぜんかないません。「進歩」などというのはおこがましいというかお話しになりません。

もう二〇年近くまえ、世田谷美術館で「フィレンツェ・ルネサンスの修復展」を観たことがあります。その帰り道、ちょっと画材や絵を売っている店にはいったのですが、そこに飾ってある絵の安っぽさに辟易した記憶があります。また渋谷でモーツァルトのオペラを聴いたあと、しばらくテレビの歌番組をきけませんでした。いまでも、10分以上たつとだんだんその「下手さ」に耐えられなくなります。(大晦日のあれは苦痛にちかいものがあります。)

おっしゃるとおり、「進歩」などしてません。
ででも、「何を進歩というか」です。
いずれにしても、喪ったものを取り戻そうとするところに「気高さ」もまたあるのでは。

投稿日時 - 2010-01-03 10:04:22

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-01-03 13:46:38

ANo.6

この問題は進歩と捉えるよりも、進化と捉えた方が的を射ていると思います。生物の世界を見ると、偶然によるいろいろな状況に適応するために分岐を繰り返し、より高度な構造を手に入れて来ました。そのような状況で、果たしてチョウチョウの方がトンボより進歩しているとかいないとかは、意味のない言明です。同じ様に、文化の発展を見て来ると、いろいろな民族が歴史の中の偶然の出来事を繰り返しながら、各民族固有な文化に分岐して行き、個性豊かで多様な文化を作り上げて来ました。たまたま軍事的に強い文化があっり、経済的に強い文化があったとしても、それが他の文化の持っている深みを凌駕しているわけではなく、それぞれの個性を持った文化を形作っているのですから、どちらが進歩した文化であるかどうかを論じるのは、やはり意味のない比較です。

芸術も同じような進化を遂げて来たようです。音楽自体、西洋音楽、インド音楽、中国音楽とそれぞれ固有な個性に分岐して来ました。また、西洋音楽一つをとっても、中世の音楽から、バロックのバッハの分岐へ、次に古典派のモーツアルトの分岐へ、次にシューベルトを経てロマン派のベートーベンの分岐へ、そして、意外な分岐としてドビッシーなどの印象派が出て来ました。

絵画にも、西洋絵画もあれば浮世絵もあり、そのどちらが進歩しているのかという問いは意味がありません。西洋絵画に限っても、写実派はから印象派が、そして、立体派が出て来ましたが、これも進歩というよりは、トンボやチョウチョウが現れてくるのに類似した分岐と捉えた方が芸術史の全体像が整理されると思います。人類は一つの形式の中で先へ先へと一次元的に進んでいるわけではなく、意外な分岐を繰り返して、新しい世界を創造し続けて来たのです。ですからこれからも想像もつかない分岐を繰り返して、我々の芸術を多様で豊かな物に進化して行くでしょう。

また、一つの形式に限っても、米国のサミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」などは20世紀の中庸になってもロマン派がある一面で新展開可能であることを示しているようです。個人的な経験を述べて恐縮ですが、私はマーラーの交響曲第1番を時々レコードやCDで楽しんでいます。ところが、あるとき実際の演奏会に行って、これが100人を超える大管弦楽によって演奏されていることを知った時には強烈な印象を受けました。私の大好きなバッハの「フーガの技巧」の弦楽版が、ほんの十名余りの演奏者であれだけの奥行きと厚みのある音を出しているのに、マーラーの音楽は素晴らしいとは言え、100人以上も使って、たったあれだけの厚みかと驚いたのです。たった10人程で「フーガの技巧」のあの厚みを造り出せる人類が、100人もの人間を使ってその厚みを出せないはずがない。ロマン派に限ってもまだ押し切ったところまで行っていないという確信みたいなものを感じました。ですから、分岐以外にも、既存の枠の中でも偉大な作曲家が出て来ないとは限らないと思いました。

投稿日時 - 2010-01-03 09:29:22

補足

>果たしてチョウチョウの方がトンボより進歩しているとかいないとかは、意味のない言明です。

鷹も同じでしょうか?

>既存の枠の中でも偉大な作曲家が出て来ないとは限らないと思いました。

この偉大な作曲家の出現は「進歩」or 「進化」?

投稿日時 - 2010-01-03 13:44:18

ANo.5

.
>>芸術の進歩の定義を教えてくれ。

>無理に理屈っぽく考える必要なし。
>よくなっっていると思えば進歩。

それが、とても難しいんだよ!
ピカソは、生きて、絵画活動をしている時から評価されていた。
一方、ゴッホは、生前は評価されず、無名であった。
死んで後、ゴッホの絵が評価され、今の様に高値で売買されている。

よくなっているという感覚がいい加減だから、こんな事が起こるんだ。
.

投稿日時 - 2010-01-03 09:28:52

お礼

(((p(≧□≦)q)))

投稿日時 - 2010-01-03 13:37:26

ANo.4

 こんばんは。

 よく分かりませんが つぎのような見方には共鳴します。
 ▲ (木村重信) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 イメージはロゴスに従属するのではない。

 ロゴスはイメージから抽象され、イメージの働きを基礎にして、象徴的な思考が可能になり、その結果として哲学や科学などがうまれた。

 このイメージないしその記号としての美術の本質は変貌であって、発展ではない。

 進歩、退歩とか開化、未開とか言われるが、これはすべてのことをロゴスに翻訳して考える習慣が我々にしみついているからである。
  ・木村重信著作集〈第2巻〉:はじめにイメージありき
   (1925~ 民族芸術学 美術史学)
 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 現代美術の著しい特性として、即物的傾向をあげることができる。

 抽象美術はシュジェ意識の否定という形で、シュルレアリスム美術は日常的意識を否定することによって、共にオブジェへの傾きを示す。

 作品がオブジェとして即自的に完結することと、普遍的な人間性のシンボルとして対自的になること、この総合を求めて現代美術家は茨の道を歩む。
  ・木村重信著作集〈第6巻〉:現代美術論
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 音楽はどうなんでしょう? わたしは 現代音楽がよく分かりません。

投稿日時 - 2010-01-02 21:28:04

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-01-03 06:45:47

ANo.3

.
芸術の進歩の定義を教えてくれ。

それを、教えてくれたら、思考のテーブルに載るかもしれない・・・
.

投稿日時 - 2010-01-02 20:13:30

補足

>芸術の進歩の定義を教えてくれ。

無理に理屈っぽく考える必要なし。
よくなっっていると思えば進歩。

投稿日時 - 2010-01-03 06:43:24

ANo.2

芸術は、人間の認識に付随して生じる“ひずみ”の一種です。
人間の脳には、五感の相関した経験の蓄積において、次にその1つの感覚を同じパターンで刺激された時に、五感の総合したイメージを励起させるという働きがあります。

その最も分かりやすい例が、色でしょう。
物理的には、「色」とは電磁波の可視領域の、連続的な波長の変化に過ぎません。
「赤は青の反対」などという根拠は、どこにもありません。
その「波長の連続的変化」という一次元に、五感の相関した経験の蓄積において、特定の波長に対して条件反射的に(その波長に伴う経験の)印象が付加される事で、“多彩”さは生じているのです。

赤の印象を分析すると、火や血、肉、花などの異なる原因による長波長を伴う現象の経験(温かい、危険、食欲など)が、青には、水や空といった短波長を伴う現象の経験(冷たい、爽やか、静寂など)が、潜在している事が分かるでしょう。

この「総和機能」において、人生における快適な経験の総和における、視覚的刺激パターンが「美」です。
それゆえに、成長期で好奇心旺盛な(しかし経験の蓄積の少ない)子供の頃は、ケバい色や動くものを好むし、世界の各地域によって、美的センスは異なってくるのです。
(砂漠地域では青や緑が好まれ、空白恐怖と呼ばれるほど装飾で埋め尽くす)

であれば、“芸術の独立した進歩”などというものは存在せず、人間がより幸福に暮らせる社会において必要とされる芸術が、「進歩した芸術」と言えます。

その観点(物質的繁栄ではなく精神的充足の志向)からして、現代社会は、本来、社会生命として助け合うために集まっていながら、その「助け合い=感謝」の情報をお金に転嫁したため、それを奪い合う弱肉強食の社会(しかし結果的には助け合う)と化し、生きることは働くことでありながら、「お金をもらうためにイヤイヤ働く」ようになり、決して「進化している」とは言えません。

投稿日時 - 2010-01-02 20:03:23

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-01-03 06:44:58

美術と、音楽という芸術文化は、

*人それぞれの好き,嫌いが、大きく影響する。

*優劣は、何が基準かなんてモノが無いから、進歩を問う事は、無理。

こう思います。


○進歩→進化とした場合

進化した美術ならば、グラフィックの世界。<CG>

進化した音楽ならば、コンピューターが奏でる音の世界。<特に、テクノ系>


哲学分野では、無いと思います。

投稿日時 - 2010-01-02 19:52:29

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-01-03 06:44:15

あなたにオススメの質問