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解決済みの質問

神仏に慈悲を願い、取りすがる事は信仰の自由の範囲内で完結するのか その4

イタズラ回答を回避しながら断続的投稿です。

その一12月22日付
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5539308.html
宗教と言う組織の特徴的な現象として「神様争奪戦」の弊害の原因として神仏に取りすがる姿勢を提起したつもりです。
その2 12月31日付
質問趣旨が誤解されてアラシにあったので削除されました。
その3 1月6日付
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5573063.html
自助と互助のバランスとして信仰の共同体(宗教)の役割を問おうとしました。
思いがけずA1さんより健全な信仰心の在り方についてコメントをいただいていますが、そのような感謝とは別にあらかじめ神仏に要求を突き付けるのはとりすがりと言うべきではなかろうかとも考えます。

宗教が健全な信仰をはぐくみより良く生きるための互助団体として機能すれば話は早いのですが、実情はご利益追求のための信仰とは無縁の欲望の成就を祈願するとりすがり団体の側面があり、肥大化した求心力ゆえの暴挙として、要するに神様争奪戦として歴史に現れる失点があるのではないか。
その原因の一つとして曲がった求心力を信仰に期待するとりすがりがあり、集団として暴力と化しているからこそ、神仏に取りすがる姿勢は個人の自由として容認せざる横暴ではないか。

私は平均的な日本人らしい生活をしており、信仰を表ざたにしたり意識的に生活に取り入れたりはしません。このような普通人にとって信仰を表ざたにする立場とは、とりすがりに代表される神仏への辱めを行う人間としての裏切り者、廃人、とも受け止められます。もちろんこれは偏見と判りますが、一般的に信仰におぼれる者の特徴として毛嫌いされる要素です。この点について信仰の内側よりの説明をいただきたいと思って質問しています。

投稿日時 - 2010-01-07 21:18:47

QNo.5575674

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

おはようございます、primeapeさん。

さきにことわりをひとつ

その4というのに、その一も、その2も、その3も読んでない

すまん 

ところで、自我の破壊がテーマなんか?

【二つの世界】
http://www.dr-kobayashi.com/twoworlds.html

シンジ「もういやだ。死にたい。何もしたくない。」

ミサト「何甘ったれたこと言ってんのよ。」

   「立ちなさい。あんたまだ生きてるんでしょ。」

   「だったらしっかり生きて、それから死になさい。」

 

ミサト「ここから先はもうあなた一人よ。全て一人で決めなさい。誰の助けもなく。」

投稿日時 - 2010-01-10 01:57:46

補足

思索の展開。
今回の論点です。
人間は確かに善性を備えた存在であり、何もかもを肯定しようとする本能がある。
しかしながら、二つの世界で別れたままで肯定しようとはしないで欲しい。
これは、留まる者には悪であり破壊者であろう。

そう言う訳で自我崩壊を促す事はものともしません。
ブラフマンとは古代の神の事ですが、この神は「我はある」を証明する神としてある「我」としての神です。自我と言ってもブラフマンと一体の「我」の意思は巷にあふれる自我論とは異質な意思の表れ方をする。今のところはね。

投稿日時 - 2010-01-10 22:41:49

お礼

ご回答ありがとうございます。
ご紹介のHPは面白かったです。
そして確かに2つの世界を一つに結ぼうとする事をもくろんでします。

投稿日時 - 2010-01-10 21:01:40

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回答(7)

ANo.7

おはようございます、primeapeさん。

【コンピュータは消えていく】
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20396784,00.htm

●―――――唯脳的記述に嫌気がさして途中でギブアップしました。

マシントラブル? マジ頭抱えるし

これまで何度となく遭遇

【エラ-メッセ-ジ】
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa0014012.html

かとおもえば、知らん間にウイルスに感染書き換えされるは、

CPUいってしもて、コアな部分まで…

マザーボードごと交換と

バックアップしてないデーターは残ってないし

何度泣いたことか

修理から戻って気持ちよく動いてくれたとき

うれしくなるね

【4-1.暗黙の型変換】
http://www9.plala.or.jp/sgwr-t/c/sec04.html

投稿日時 - 2010-01-11 10:39:49

補足

関連質問を始めたので締めます。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-01-11 21:50:01

お礼

ご回答有難う御座います。
算数や技術はわかんないですよ。
情報化の話をすれば、何年か前郵政民営化の話で騒いでましたよね。
はがきや手紙だけでなく情報インフラのようなものは全て公共による通信の保障が必要で、たとえばマイクロソフトや任天堂のような会社も資本を半国営化するような施策が必要でしょう。

投稿日時 - 2010-01-11 17:50:38

ANo.6

そちらの質問ですが、 神から自律した人間を前提としなければ、

 》信仰の内側よりの説明をいただきたい《

と言っても、 ことは非常に複雑な論議となっていってしまうと思うのですが、 この点理解されていますか?

昔 宗教は社会が道徳の必要性を求めた時に生まれた外側からの規範の方法の強力な方法のひとつとして生まれたのだと思うのですが、 この点は理解されていますか?

だから、地獄という想像上の想定をも いかにも存在しているかに見せかける必要性があったりしたのです。 それははっきり否定されるべき存在です。
この点は そちらのお考えは どうなのですか?

現代でもまだ、そういう幻想の必要性があると思っておられますか?

そうではなくて、 感性の内側からそれを成長させていって自然に自我の殻を乗り越えるそういう教育が哲学としても語られなければならない ということを理解できますでしょうか?

その成熟 真の大人化によって、始めて神とか過去の創立当時の神話的宗教からの自律が可能となると思うのですが、 そのへんをクリアーにしないでおいて、 取りすがりうんぬんを語っても議論は はてしなくオカシナ世界へとつづいてゆくだけとなってしまうと思うのですが、 どうでしょうか?

存在自体は 私たち人間が創ったものではないですから 別に難しい理屈をいろいろこねなくても、 自律や感性の豊かさの世界を知った人間は 神あるいはこうして存在できていることに感謝しています。  口にしない方がむしろ心の奥の感謝があふれているという時だってあるでしょう。 とくにこの荘厳な存在に対してはです。

が、そういう意味での大人の心から見た神はもともとなんら人間を助けたりする存在ではなくて、なにかの権威のよりどころの存在でもありません。 そう思いませんか?

畏敬という言葉がありますが、 畏れ、あるいはかしこまる必要性すらほんとうは無いのが神です。  おもわずひれ伏すような感謝の気持ちになる時というのは創造の過程にはたくさんあったりしますが、そこには何の恐れもないのがより深い信仰ですよね。

つまり、単純明快に、シンプル・イズ・ベストの思索で考えるならば、 “とりすがることがおそれおおい”というふうに考えること自体 すでに複雑な思考に陥っているということになるかと思うのですが どうお考えでしょうか?

それとも、わざと複雑にする、なんらかの御意図とかあられるのですか???



もし、これで、そのへんの質問構造の複雑さのあたりでもいいですので、お気づきにならないのであれば、 今回はこれ以上の回答はパスさせていただきます。

時間が充分に取れないからです。 

きびしい言い方でしょうが、

自助とか互助といっても まず自律した精神でのそれを求めるべく そのような形の再質問をおすすめしておきます。

投稿日時 - 2010-01-10 20:13:49

補足

ただの思いつきを書きます。
論争を仕掛ける回答へのけんか腰のお礼ではありません。

そちらの質問ですが、 神から自律した人間を前提としなければ、

 》信仰の内側よりの説明をいただきたい《

と言っても、 ことは非常に複雑な論議となっていってしまうと思うのですが、 この点理解されていますか

自立してますよ。
自由です。
その事由に迷うゆえのとりすがりでしょうか。

投稿日時 - 2010-01-10 23:11:00

お礼

ご回答ありがとうございます。
面白いです。

昔 宗教は社会が道徳の必要性を求めた時に生まれた外側からの規範の方法の強力な方法のひとつとして生まれたのだと思うのですが、 この点は理解されていますか?

これだけだと人間が伝える神の伝承です。
それだけが神じゃないんじゃないでしょう。

地獄という想像上の想定をも いかにも存在しているかに見せかける必要性があったりしたのです。 それははっきり否定されるべき存在です。
この点は そちらのお考えは どうなのですか?

良く言われるマイナス感情が未消化の状態が「業」でありそれの見せる幻影が地獄であろうと推測しています。生きている間の幻の一つです。生死になぞらえること自体は誤りです。

現代でもまだ、そういう幻想の必要性があると思っておられますか?

無いです。しらける話です。

感性の内側からそれを成長させていって自然に自我の殻を乗り越えるそういう教育が哲学としても語られなければならない ということを理解できますでしょうか?

理想主義的でいい話ですね。でも人それぞれの歩みであるのでそれだけが全てとも限らないでしょう。

以下のとりすがりや神学めいた話についてはどのようにしたらそのように考えが及ぶのかまったくわかりませんでした。
とりすがり自体はスゴーク迷惑です。

どうも。

投稿日時 - 2010-01-10 21:19:07

ANo.5

No.5へ追加

タイトル: 破壊と救済 
-ベンの詩にみる自我崩壊と救済的詩的形象-(一)  
著者: 日中鎮朗 
[PDF]
http://rose.lib.hosei.ac.jp/dspace/handle/10114/3943

投稿日時 - 2010-01-10 02:22:37

補足

純粋なお礼です。
littlekissさんの御回答は思索を進展させる心地良いかぜを吹かせてくれます。
あなたの道を一人で歩みなさいと吹く風です。
スマートで良い働き掛けをする回答なんです。
しかしながらあなたが見えない事に心配が及びます。
littlekissさんの幸せの実感を確かめたくなるんですよ。

投稿日時 - 2010-01-10 23:30:47

お礼

ありがとうございます。
今回ご紹介のHPは唯脳的記述に嫌気がさして途中でギブアップしました。
身体の心のありかは昔はハートでしたよね。その時分は日本では肝が心のありかだったようです。
現代医学で心がどこにあるのかが脳と言う事になった前提が唯脳です。
昔々はハートだったり肝だったりした故事がありまして、現在も唯脳としてとらえても、やはり妄想めいたどうでもいい話なんです。
どの辺でギブアップしたかと言うと、唯脳を規定すると空観が壊れます。

投稿日時 - 2010-01-10 21:25:46

ANo.3

前回のあなたの質問に対して、私なりに考え回答したのですが、それに対して


>オカマではなく女性と見なしてお礼を差し上げます。
>デレデレされるのには懲りた。


は、まったく意味不明です。

呼んでいて、あなたは西洋かぶれしていると感じました。

マイケルジャクソンを真似た格好をして、ズーズー弁でbeat itを歌いながら、花笠音頭としか思えない踊りを踊っているようなもんです。



日本人は神仏に対しては、畏怖の念を持っているんです。
それが日本の文化です。


Kamiは恐ろしいものであり、怒りに触れる行為をして災いを起こされないように、領域に近づかなかったんです。

山がkamiの住まいとされ、後に山の麓に祠が作られるようになり、山の神様が食物を育ててくれているとなり、祠に最初に収穫されたものを奉納していて、祠が神社になり、神社に詣でるようになったんです。


だけど、基本 神は畏怖の対象です。


人は死ぬとあちらの世界に行くとされる。

菅原道真は文学の神様とされ、受験生がお参りに行きますが、もともとは祟り神です。
大宰府に左遷され、そこで没した後、疫病が蔓延したことから、道真の祟りだとされ、道真に対して名前をつけていって、最高の名 大神を与えたら疫病が止んだとされます。

これが日本の信仰の文化です。


後に彼は学問に通じていたので、学問の神様としてあがめられ、<あやかり>として学問の力をアップしたい人は、詣でるようになったわけです。
だけど、祟り神の側面も持っているので、大宰府にカップルで詣でると、別れるとされます。



日本人は無意識に呪術を信じているんです。
言霊を信じる文化なんです。


あなただって言霊を信じているので、忌諱とされる言葉を故意に使ったり、使うのを避けたりするでしょ?


その文化にどっぷりつかって育ちながら、西洋の信仰の概念をここでもってきて、日本人に説得をしても無理でしょう。



確かにお地蔵様とかいう文化もありますよ。
慈悲深かそうですが、もともとは子供を食い殺す神だったんです。
あまりにも子供を食い殺すので、その神の子供を殺して、殺された親がどんな気持ちか知ってもらい、それ以降は子供を守る神様になったとされます。



イエスキリストってのは、裁き神です。
「私が地上に平和をもたらしにやってきたとでも思っているのか。そうではない、私は地上に火を放ちにきた。分裂をもたらしに来た。地上が既に燃え尽きていたらどんなによかったことか」と言っています。

裁き神で、生命の樹でいけば、左の柱、峻厳です。


それと対等するのが、右の柱 慈悲です。
これを人々は聖母マリアと考えていると思える。
だから、人々は苦しい時があったとき、教会に行きイエスではなくマリア像の前にひざまづきなぐさめてもらおうとするんです。


キリスト教はマリアは神だとしていません。
人間としているので、マリア像があるんです。
マリアに対しては、お願いをしてもいいとされます。
しかし イエスに対してはお願いをしたり慈悲を求めてはならないんです。

穢れた人間がイエスに近づくとイエスが穢れに染まるので、近づいてはならないとされているんです。


話し合いにより和解すれば、神はいらないんじゃないか というのがあなたの主張ですが、そういう考えを持つというあなたが、最初から私に攻撃をしているのは どうしてなんでしょうか?


私はあなたと喧嘩をするつもりなど無いのに、なぜ 殴るんですか。


管理者側から前回メールがきて、あなたの質問が削除されたと連絡を受けました。
質問ではなく自己主張で、同じ意見を持つものの返信しか受け付けようとしない との見解で削除になったとされますが、それでもない。


質問すらしていない。
あなたは自分自身がわかっていない。どういう主義なのか わかっていないんですよ。
わからないので、言葉と行動が一致していないんですよ。

人間同士が話し合って和解すれば、、、って言うのなら、まずは喧嘩をふっかけるべきじゃないでしょう。
和平を望む側だといいながら、攻撃をするってのは 言っていることは立派でも、実が伴ってない なんちゃって口だけ平和主義のまったく信用するに値しない嘘つき 詐欺師 でしかなくなってしまう。

そのような口先だけで身を伴っていないパリサイ派を、クムラン宗団は すべらかなるものと言い表し軽蔑していたんです。

投稿日時 - 2010-01-08 05:52:55

補足

 

投稿日時 - 2010-01-08 08:36:31

お礼

やあ。
いろんな神様がいるもんですね。

投稿日時 - 2010-01-08 08:02:49

ANo.2

訂正:

 それから、「バター犬と私の愛の交換日記」は これから回答を受けるであろう他者と 行われるれることになるでしょう。

⇒それから、「バター犬と私の愛の交換日記」は これから回答を受けるであろう他者と 行われることになるでしょう。

投稿日時 - 2010-01-08 02:12:46

ANo.1

>質問趣旨が誤解されてアラシにあったので削除されました。

 既に「自分自身がアラシであると気付いてください」と言ったね。

「その3」の締め切り後のコメントが勘違いから発せられているようなので、ひとつひとつ説明していきます。

>媚びる姿勢とも言ったが要するに露骨なとりすがりだよ。

 これは全くの勘違いですね。そもそも質問者に媚びる必要性など、何処にあるのかな?また、どの文章に対して「媚びている」などと思ったのか?

>宗教オタクのようだが一つアドバイスしてやろう。

 宗教などに興味はなく、また自分の意思で宗教組織にはいったことなど ない。

>お釈迦さまやイエスさんなどの聖人を神様扱いするな。

 そもそも神様扱いなどはしていない。

>彼らはその信仰心の尊さの代表選手だ。

 信仰心の尊さの代表選手?信仰とは関係なく真理を追究して「悟った」とされているのではないか?

>人間として故事に学べ。

 故事(経験)と考察(気付き)に学べ。

 とにかく、質問することで自己正当化を目論んでいるように思えるが?

 尚、妄想や独断と偏見による 汚い捨て台詞を吐くのは何処までいっても自分のためにならないと知るべし。

 それから、「バター犬と私の愛の交換日記」は これから回答を受けるであろう他者と 行われるれることになるでしょう。相手が男であっても「愛の交換日記」は可能です。

投稿日時 - 2010-01-07 22:25:40

お礼

やめてくれよ。

投稿日時 - 2010-01-07 22:27:59

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