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解決済みの質問

クリスチャンの彼

私はいま、クリスチャンホームで育ったプロテスタントの男性と1年半ほどお付き合いをしています。
お互いのことを好きあっていて、漠然とですが将来も一緒にいたいと考えています。
・・・まだ早いかもしれませんが。
でも最近、もし彼と結婚するとなると、私も洗礼を受けなければいけないということを知りました。

彼は「君も一緒に救われてほしい」と言い、日曜日の礼拝にはなるべく教会に来るようにいいます。
私も何度か参加して教会の雰囲気に慣れてきましたし、聖書も読むようにしてはいるものの、どうしても『信仰をもつ』ところに行き着きません。
というより『イエスキリスト、神を信じ帰依する』と言う感覚が分かりません。
また、彼の教派には「予定説」と言う概念があるそうで、人は救われるか否か、あらかじめ決められているそうです。
もし自分が救われない人間だったら・・・と考えると、なんともいえない気分になります。

彼が私のために熱心に働きかけてくれても、それに応えられないようで悲しくなります。
彼氏が他のご家族とも仲良くさせてもらっていますが、彼の家では私の求道意識の話なども出ているそうです。
最近は彼にも「もう少し本気で求道してほしい」とやんわり言われ、余計に焦っています。
クリスチャンに差別意識を持っているわけではなく、できるなら私も信仰を持てたらと思いますが、できないということは、どこかで抵抗感をもっているということなのでしょうか?

皆さんなら、将来を考えている恋人がクリスチャンだったとき、どうしますか?
また、これはクリスチャンの方にお答えいただきたいのですが、恋人が以上のように考えている場合、どう思いますか?
教えてください。

投稿日時 - 2010-02-07 18:11:43

QNo.5656973

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

当方、洗礼を受けておりませんが、プロテスタント派の教会には幾つか行きました。現在教会に行っていませんが、キリスト教に抵抗のない程度の者としての意見です。

>どこかで抵抗感をもっているということなのでしょうか?
色々な意味であると思いますよ。返ってある事の方が当然だと思います。抵抗なく受け入れられるのは返ってアヤシイ。それは「狂信」に近く思えます。

イエスが2匹の魚と1つのパンを、何百人だかの人達全員にあげました、と言われて、イエスはすばらしいと言われてもそりゃ無理だ、でも神を信じる者に不可能はない、と言われて「そうですか」と納得はできない。聖書に出ているイエスの「奇跡」と言うよりは、イエスが説いた話しを聞いた人々が、自分だけがお腹を満たして満足するのではなく、皆で分け合ってそれで良しとする感謝の心を持ちましたという例えで、これがキリスト教の教義であると言われたら、まだ納得しますよね。確かに旧約の神は厳罰の神ですが、イエスはその罰から救いに来たはずでしょう?「信じないから助けない」とは言ってないと思うんですが。
一般のプロテスタント系の教会でも色々と毛色があり、「箱舟に乗らないと助かりませんよ!」のような感じの教会もあります。こういう教会の人たちは本当に善意で助けようとするのですが、私は受け入れられませんでした。とても博愛的なイメージなのに、排他的というか。結局息苦しくて。
それに比べると、私が洗礼を受けようかと初めて思った時の牧師様は、宗教者と言うよりは哲学者のようでした。

教義は生き方にも近いものです。と私は解釈しています。そして、もし強いられたり、苦行僧のように信仰を持たなければならないものであるなら、それは苦痛以外の何者でもなく、本来の意図するべきものと違っているように感じます。自然、クリスチャンであろうとなかろうと生き方にギャップが広がってくるのではないですか?

お相手の男性はとても良い人なのかもしれません。が、宗教を別にして、「生き方」として本当に合っているのかどうか、今一度再考されることをお薦めします。

余計な事まで書いて済みません。だけれども、これでプロテスタントというものに少なからず抵抗を深められてしまうのは、まっとうな信仰者とは言えない私にも、少々淋しい気もしましたので。

投稿日時 - 2010-02-07 20:02:58

お礼

回答ありがとうございます。
今回いろいろな方が回答してくださいましたが、自分の価値観では一番すっと受け入れることができたので、良回答とさせていただきました。
そうですね・・・『生き方』という点では彼のことをみたことがなかったかもしれません。
これから4月になるにあたり、お互い生活環境も変化するので、これを機に色々話し合ってみようと思っています。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-02-17 21:48:56

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回答(10)

ANo.10

日本人の一般的な家庭から、家族で1人だけキリスト教徒になった信者(カトリック)です。

質問者さまの質問は、なかなかに難しい問題ですねー。

さて、結婚=洗礼を受けなければいけないということは、プロテスタントでも普通には、ないんじゃないかと思うんです。

キリスト教の勉強をされているのであれば、
多分、一番いい方法は牧師さんにひとりで相談してみるのがいいのではないでしょうか。
予定説のわからないところも聞いてみては、いかがでしょうか?

僕はキリスト教は、出会いの宗教だと思っています。
本気で求道しても出会わない人は、出会いません(笑)。出会ってしまう人はどこでも出会います。たとえ、死刑囚だったりしてもキリストと出会うのです。

それこそ、聖書にあるとおり、「あなたが選んだのではない、私が選んだのだ」ということですので、神様のご意思は人間にはよくわかりません。別にキリスト教徒から愛されて、結婚の前提にキリスト教徒にならなければいけないと言われても、そうならなくてもまったく不思議でも何でもないんだと思います。

そして、カトリックの話なんですが、結婚してからも旦那の行く教会がいやでいやでしょうがなかったけれどもある時期から教会に行くようになって、キリスト教の信者になったというような話を同じ教会の信者さんから聞いたことがあります。なので、どの時点でキリスト教徒になるかもわかりませんので、まったく焦る必要はないかと思います。

で、ですね。結婚をしているわけでもなく、カルヴァン派(予定説を信仰している)わけでもないので、参考になるわけではありませんが、

・結婚式を神社で挙げたい(信じていない神の前で、永遠の愛は誓えない)
・正月は初詣で、神様にお祈りしなければいけない
(信じてないいない神様ご利益をお願いするのは気がひける)
・毎日、念仏を唱えなければいけない。
(お葬式などは、仏式でももちろんでて、その通りにしますが、念仏を毎日唱えるのは、自分の信仰ではない)

等を強制されるような女性(自分でやる分にはいいですけど)とは結婚したくないなー、というのはあります。

また、子どもには幼児洗礼を授けてもいいよ。という人がいいなーと思っています。

ちなみに、これに当てはまる人とはどんなに相性がよくても、価値観が違いすぎるかなと思います。

あと、ここまで書いてきてなんですが、予定説というのは、キリスト教でも結構少数派の教えですので、他のプロテスタント、カトリックの人たちがどう捉えているのかも知ってみてもいいかもしれません。

もし、関東であれば神父さんが始めたバーのエポペというのが新宿にあって、そこは、プロテスタント、カトリックの人たちがよくのみに来て、宗教のことについてもざっくばらんに話てますので、一度、そういうところで話してみてキリスト教に関する見聞を広めてみてもいいかもしれません。(若干、飲み代はかかりますが…。)信仰はもちろん強要されませんし、たまにイスラム教徒、お坊さんなんかも来ます(笑。

投稿日時 - 2010-02-13 13:00:53

お礼

回答ありがとうございます。
なるほど・・・私は焦りすぎていたのでしょうかね。
今度、通っている教会の牧師さんにも相談してみようと思います。
神父さんのバーなんてのもあるんですか・・・笑
初めて知りました。ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-02-17 22:20:50

ANo.9

日本ではキリスト教=宗教=洗脳 というイメージが以前起こった新興宗教のイメージで悪い、やばいものだと認識されているかもしれないですね。
私は海外で何年か過ごしその日本的感覚の見方からキリスト教の考えが変りました。キリスト教は世界3大宗教の一つ、最近出来た新興宗教などの洗脳集団とはレベルが全く違います。

日本は戦争である意味「神風特攻隊」洗脳され、敗戦をしてから信じる事を恐れているという話も聞いたこともあります。

一度聖書をじっくり読んでみてはいかがですか?
しかもクリスチャンカップルは得点も高いですよ。
まず、クリスチャンは神様を恐れるので浮気をするという事は考えにくい。
隣人を愛せと聖書がいっているからあなたを愛すでしょう。
聖書に書いてある事は、人々にとって良いこと、良くなる事のアドバイスなのでそれを相手が頑張って行おうとしてくれるのであなたにとってとてもいい方向に行くと思いますよ!
大体、人間の脳のつくりから異性に対する興味、愛は3年から4年で冷めるそうで、「3年目の浮気」という昔の歌はズバリって感じです。
私の周りでもちょうど4年目くらいから旦那の浮気、離婚の話をよくききます。人間にはやっぱり限界があるから、神様がそれを良くしてくれますよ!

それに何も信じるものがない人々でも、拝金主義の人=お金を教祖みたいにしている人などある意味洗脳されている人達もたくさんいますから、そういう人の方が気をつけたほうが。

キリスト教の歴史なども少し勉強されると論理的に納得できるかもしれないです、無知である程、自分のイメージで考えてしまうかも。

投稿日時 - 2010-02-10 15:10:33

お礼

回答ありがとうございます。
やはり、日本人だからこそ、って言う偏見もあるんでしょうかね・・・
そうですね・・・私は勉強不足だったのだなと痛感しました。
>しかもクリスチャンカップルは得点も高いですよ。
>まず、クリスチャンは神様を恐れるので浮気をするという事は考えにくい。
なるほど。そういう考え方はしたことがありませんでした(笑)
これから、彼ともっとこれからについて話したり、彼が何を信じているのか、勉強したいと思います。ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-02-17 22:16:24

ANo.8

私はクリスチャンですが、キリスト教は全世界のすべての人が信じて欲しいと思っています。

だから、彼があなたに信じて欲しいと願うのは当然のことです。

正確に言うと信じて欲しいのは「キリスト教」という宗教ではなく、「福音」です。

私は福音が真理だと信じています。真理はひとつしかありません。真理以外のものは真理ではありません。

もちろん彼が信じているのも私が信じているのも同じ真理です。

この真理=福音についてお話します。

福音とは何かというと、聖書ではすべての人間は罪人であるといっています。

この罪というのは人を殺すとか物を盗むとか警察に捕まるような罪だけではなく心の中であの人なんて死んでしまえばいいとかいなくなればいいと思ったりする心の中で思ったり考えたりする悪いことをすべて含みます。うそをいうこともそうです。そういう基準からすれは私たち人間はすべて罪人です。

押し付けているのではなく、人間を創造した神がそう言っておられるのです。

天地万物を造った神は愛であり義なるお方です。

神の愛はその罪人である人間を天国へ連れて行きたいと思っていますが、神の義は人間の罪を罰し地獄へ投げ入れなければなりません。なぜなら罪を罪として罰しなければ神の義は満足できないのです。

だから、神は自分のひとり子であるイエスキリストをこの地上に誕生させ十字架にかけて死なせることによって全人類のすべての罪の刑罰を身代わりに負わせて死なせ3日後に復活させることによって信じる人の罪を完全に赦してしまわれたのです。

これが人間の救いです。信じるものを救うと宣言しているのに、信じることなしに地獄へ行ったとしてもそれはその人の責任です。

神は人間を愛して救いの道を用意してくれたのです。これ以上のすばらしい愛はありません。

これが福音です。

教会は、この福音を真理として信じてあかしし、伝えています。

投稿日時 - 2010-02-08 23:46:32

お礼

回答ありがとうございます。
そうなんですね・・・
私は、彼を理解するためには教会やキリスト教のことについて、もっと勉強する必要があるようです。
とても分かりやすい説明、ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-02-17 22:12:19

ANo.7

キリスト教系の宗教は山ほどあり、アメリカでは一牧師一宗派と言われるほどです。しかも原理主義からかなりの放任的なものまで中身も様々です。更に日本では洗礼は受けたもののミサすら行かないと言う私のような者までいます。(私は故あってですが…)
だから一口にクリスチャンと言われてもどうともいえません。身近な人を基準にするしかないのです。

ただ、質問の内容からすると、彼の思想は少なくともカトリックのものとはかなり違います。プロテスタントでもかなり偏っているでしょう。
何故なら<「予定説」と言う概念があるそうで、人は救われるか否か、あらかじめ決められている>と言う考えは殆どのキリスト教各宗派(正教会を含む)にないからです。大きな所では「改革派教会」くらいではないでしょうか。

例えば荒野に出たヘブル人は純粋な民としてそのまま天国にいけるが、他民族は一旦は神の世界から排斥された民族だから、改心しても純粋はなれない。つまり、天国人は入れるのも後回しになる…こんな感じが予定説の根幹を成しています。つまり悩むも何も、日本人は天国に入る順番も後回しだと言う事です。これが既に決まっている宿命(予定)なのです。
アウグスティヌスは更に選民は罪を犯さないか犯しても赦されると説きました。

貴女が疑問を持つのは、日本や諸外国の多くの道徳を習って来た者にとっては、至極当然の悩みでしょうね。これを受け入れられるのは、恐らくヒンズー教徒やユダヤ教くらいだと思います。何故ならこれらにも身分制度があるからです。

信じるか否かはあなた次第ですが、かなり厳しい衆歯なので中途半端は無理でしょう。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E5%AE%9A%E8%AA%AC

投稿日時 - 2010-02-08 16:56:13

お礼

回答ありがとうございます。
そうなんですか・・・私は予定説についても、彼の宗派についても、もっとよく知る必要があるようですね・・・
彼とも、今後のことについて、色々話し合ってみたいと思います。

投稿日時 - 2010-02-17 22:09:03

ANo.6

人は救われるか否か、あらかじめ決められているそうです。


これは将来を含めての結果です。
だから誰が信じ誰が信じないか、神様しか知りません

>なんとなく教会に来ている『だけ』」という

別になんとも思いません。気持ちがいいからと言う感じで教会に来る方もおおいしね。神様からの呼びかけに応じてるだけです。
だからおかしくもないですね~

投稿日時 - 2010-02-08 12:18:50

お礼

回答ありがとうございます。

>これは将来を含めての結果です。
>だから誰が信じ誰が信じないか、神様しか知りません
そういう意味だったんですね・・・!
私は予定説の意味を若干取り違えていた節があるようです。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-02-17 21:57:13

ANo.5

はじめまして。
クリスチャンの一人として、ご質問を拝見しまして、うーむ、と思ってしまいました。

クリスチャンの中には、(特に家ぐるみでそうである場合は)
結婚相手にもクリスチャンであることを強く求める人が少なくないようです。
(理由はよくわかりません)
また、今すぐにとは言わないけれど、いずれは洗礼を受けてくれるといいなぁ、と思っている場合も多いです。

ですから、もしかしたら質問者さまの彼は
最初から「クリスチャンであること」が結婚相手の条件になっている可能性は大いにあると思います。

…ただ、気になったのは、
「彼の宗派では人は救われるか否かあらかじめ決められている」という部分です。
カトリックでもプロテスタントでも、私の知る限りそんな話は聞いたことがありません。
それと、求道意識が云々…という部分も何となくひっかかります。
もしかしたら、キリスト教系の新興宗教???という気もします。
(気分を害されたらごめんなさい)

…とにかく、彼や彼のご実家の考えを変えることは不可能に近いでしょうし、
質問者さまが「違和感なく」信仰を持てないのであれば、
残念だけれど、これは「価値観の違い」として仕方がないのでは、と思います。

…ちなみに私は、自分がキリスト教の信仰を捨てるように言われたら困る(というよりそれはたぶんできない)けれど、結婚相手がキリスト教に信仰をもてるかどうかはあまり問題にしません。。。

投稿日時 - 2010-02-07 21:30:13

補足

回答ありがとうございます。
そうですか・・・やっぱり向こうにしてみればクリスチャンかどうかって大きな問題なんですかね・・・

>「彼の宗派では人は救われるか否かあらかじめ決められている」
これは私の受け取り方の問題なのかもしれませんが、少なくともカルヴァンの「予定説」が教義の根幹にある、と言うことらしいです。
それと求道意識と言っても、現状の私の「なんとなく教会に来ている『だけ』」という、一般の求道者からは少しずれた状態を問題にしている、とのことらしいのですが・・・

一応調べてみましたが、新教系(ものみ、エホバ、統一?)等には該当しないようです。

投稿日時 - 2010-02-08 03:46:43

お礼

回答ありがとうございます。
結婚に関しては、彼の場合、宗派云々の関係もありますが、
「わたしが(救われたかもしれないのに)救われないまま不慮の事故などでいなくなってしまったら、一生後悔する」というところが大きいそうで、多かれ少なかれ偏見を持っていた自分が恥ずかしくなりました・・・
これからのこと、彼と色々話し合ってみるつもりです。

投稿日時 - 2010-02-17 21:55:40

ANo.3

キリスト教だろうがなんだろうが、他人に強要するのであれば、霊感商法となんら変わりないと思います。
なので、今回のケースの場合はお別れすることになるでしょう。
現代社会でこういった宗教に抵抗感があるのは、不思議ではなく自然なことと思います。

投稿日時 - 2010-02-07 18:44:15

お礼

回答ありがとうございます。
>なので、今回のケースの場合はお別れすることになるでしょう。
質問しておいてなんですが、私は彼と別れたいと思っているわけではないのです。
もう少し、彼とも話し合いの余地があるようにも思いますので、がんばってみようとおもっています。

投稿日時 - 2010-02-17 21:45:20

ANo.2

私は既婚者で、妻は洗礼を受けたプロテスタントのクリスチャンですが、私自身は別に洗礼を受けてないし特に関わりを持ってません(礼拝には年に1、2回お付き合いする程度)。
結婚式は彼女の所属する教会でしましたが私の宗教は問われませんでした。
結婚に際してあなたも洗礼を受けねばならないというのは、彼および彼の周辺の人がたまたまそういう考え方をする人(宗派?)というだけだと思います。

問われなかったから結婚できたわけで、自分も洗礼を受けろとか求められていたら離れていたと思います。

投稿日時 - 2010-02-07 18:36:50

お礼

回答ありがとうございます。
そうなんですか・・・!
宗派によってもかなり違いがあるんですね・・・

彼とも、もう少し色々話し合ってみようと思います。

投稿日時 - 2010-02-17 21:42:59

ANo.1

ん~信教の問題には、基本的に「ノータッチ」なんです。
恋人じゃなくても、知り合いでもそう。

私はこう考えてるんです。
「宗教、思想性…それらで構築されてきた人格が、今私の目の前に居る」と。
私自身が信じられること、信じる土台にするものは、彼、彼女の「宗教や思想性」ではなくて「それで構築されてきた人格」なんです。
だから、私自身は「宗教を信じる必要性はない」と思っています。
それは「私には必要が無い」ものであるから。

彼がクリスチャンだとしても、アナタが殊更「要らないな」と感じるのならば、それはきっと必要が無いのでしょう。
「心の糧」というのは、人によっては「大きな存在」になるものです。
しかし「糧」というものは「選択するもの」であり、自分で作物のように作っていくものでは有りません。
そのことはとても重要なことです。
キリストだって「私の肉はパン、血はワインだ」と教えたではないですか?。
キリストを創りだすことが出来ないように「糧」というものは「ただ受けるもの」だと私は思います。
それゆえに「尊い」のでは無いでしょうか?。

あなたにとっての「糧」はなんですか?。
それをじっ、と目をこらすようにして見極めるべきでしょう。

投稿日時 - 2010-02-07 18:30:51

お礼

回答ありがとうございます。
>「宗教、思想性…それらで構築されてきた人格が、今私の目の前に居る」
そうですね・・・これは彼にも言われたことがあります。
「クリスチャンだから今の僕があるのであって、キリスト教と僕を切り離して考えてほしくない」と。

心の糧、ですか・・・今まで考えたこともなかったです。
私も、自分で考えてみるべきなんでしょうね。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-02-17 21:41:21

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