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締切り済みの質問

国政参政権と地方参政権の違い

 日本は長い間、国政参政権も地方参政権も、「日本国民が、その住んでいる地域で投票する」システムを続けてきました。
 つまり実務上、国政参政権も地方参政権も同じものという扱いをしていました。
 
 しかし、1998年4月に在外居住者の国政投票権が参議院全国区と衆議院比例区に認められ、2003年には在外居住者の完全な国政参政権が認められました。

 つまり、国政参政権と地方参政権は、性質が違うものであるという改正がなされたわけです。(この改正と、法学者の間で、それまで少数派であった許容派が多数派になり、多数派であった禁止派が少数派になった動きとは連動しているようです。)

 国政参政権の条件
1、日本国籍
2、日本国内に住所がある
3、男性
4、納税額

 上記の様に4つの条件があった国政参政権の条件が一つづつ削除され、現在は「日本国籍」を所有する成人という唯一根源的なものが根拠となっています。

 もし、今話題になっている外国人地方参政権を認めるならば、その「地域共同体を構成する住民」であることが、地方参政権の権原となりり、
 国政参政権=日本国籍を持つ成人
 地方参政権=地域共同体を構成する住民=住所が必須要件
となり、国政参政権と地方参政権の根拠は全く違う別物ということになります。そこで質問です。

<質問>
 このサイトの回答で、時々
「地方参政権を認めると、国政参政権も認めることになる。」という論を目にするのですが、どのような法理論を想定すれば、日本国籍のない人間に『国政参政権』を認めることが可能になるのでしょうか。

投稿日時 - 2010-02-09 13:12:48

QNo.5661618

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回答(7)

ANo.7

A no.6です。
まず、A no.5の繰り返しになったことについてですが、
私の論点は以下の2つだけなんです。

『地方参政権も国政参政権も権限権限である』
『権限権限を根拠とする権限であれば、権限権限の侵犯は出来ない』

これについて、これ以上一体何を掘り下げたらいいでしょうか?
論理学上の自己言及パラドクスの証明ですか?あるいは、公民権における
選挙権と投票権の違いですか?このたった2行に何か書いていない毀損があるのであれば
逆に指摘してくだされば、そこを掘り下げますけど。





さて。最初の設問ではいかな法理によって、
『地方参政権を認めると国政参政権を認めることになるか』だけだったかと思うんですが、
禁止説・許容説といった条件を加えるんですね?禁止説だからダメ、という単一学説の信奉に
対してツッコミを入れるまでも無く、実は、私の書いた内容は、
分類すれば"許容説"(正確にはその前提)なんです。


何故許容説が存在するか。ここに踏み込んだとき、。
実は"許容説"も、憲法上、権限権限の移譲が不可であるという前提に立っているんです。
元来、許容説・禁止説はマーストリヒト条約やリスボン条約に対するもので、
"憲法の外の権力を許容するか否か"という議論です。


国際組織に対する参加各国の立場を考えたときに一つ問題があります。
いかな国法(憲法)も高権の移譲を認めていない。その上で、いかに権限の移譲がなければ
国際組織は存在し得ない。この場合、どのようにして権限の移譲を認めるのか。

その帰結として、それは親国際法原則(そして実効性確保原則)によるものであるとしたんです。
一方でだとすれば国家間の取り決めによって国家間結合を行うにあたって、憲法制定権力以外の
権力をどのような基準で認めるか、という議論がおこなわれました。
ちなみに許容説は権限踰越コントロール、アイデンティティコントロールという前提さえ
確保されていれば、憲法制定権力以外の権力を認める立場です。
そしてこれらの一連の議論は、その権力が、"憲法以外の枠で"法を制定しうることを示したものと言えます。




つまり、最初の問いにたいして、答えを極端に簡潔に示すのならば、
『参政権の賦与が憲法の枠外の話だから』という答えになります。

日本における某傍論も、この憲法の枠外の存在を消極的ながら認めたに過ぎません。
どう控えめに見ても積極的な肯定ではなかったですよね?そもそも傍論ですし。
そして実行力を持って許容説を採用するという前提に立った場合、
現在の日本においてそれが適用できない理由が二つあります。


一つは、アイデンティティの変更について、権利者たる国民の同意を全く得ていないこと。
もう一つは、EUのような国家結合が、そもそも存在していないことです。

日本における許容説は、実は許容説の前提すら満たしていないのです。
現状において、それでもなお、参政権の賦与を認めるという行為は、単純に立法者の越権を認めるのと同義なんです。
許容説の前提であるアイデンティティコントロールや既存の権利者の権限踰越を省みずに
立法者の越権を認めるのならば、それは国政であっても地方であっても
権限が与え放題になってしまう。それは既に法の支配を離れるという意味でまったく同義なんです。

投稿日時 - 2010-02-15 21:12:00

補足

「許容論」と「権限権限の移譲が不可である」ということは、全く別の法理論ですから、許容説と禁止説どちらをとっても正しいと言えます。

<日本における許容説は、実は許容説の前提すら満たしていないのです。
現状において、それでもなお、参政権の賦与を認めるという行為は、単純に立法者の越権を認めるのと同義なんです。
許容説の前提であるアイデンティティコントロールや既存の権利者の権限踰越を省みずに
立法者の越権を認めるのならば、それは国政であっても地方であっても
権限が与え放題になってしまう。それは既に法の支配を離れるという意味でまったく同義なんです。>

 論理が破綻しているように思います。
 許容説は、国政参政権と地方参政権が別の性質を持つという論で、禁止説は、参政権は同一という考え方で、両者はそれぞれ互いを否定する関係です。
 許容説を否定するのに、禁止説を使ったのでは「論理」として成り立ちません。

 許容説に立つならば、上記の部分は
<地方参政権の賦与を認めるという行為は、立法者の越権を認めることにならない。立法権は国政にのみ認められた権限であり、地方参政権を与えても、国政参政権に影響を与えない以上、立法者の越権を認めることにならない。>となります。

 「許容説」「禁止説」がそれぞれ独立して成立しているということに、何ら変化がないように思われます。

<<許容説の前提であるアイデンティティコントロールや既存の権利者の権限踰越>>
 具体的にどのようなものを指しているのでしょうか?

 
 最初の質問に帰って、よく見てください。
 
 質問の前提として、<<国政参政権と地方参政権の根拠は全く違う別物ということになります。>>そこで質問です。
<質問>
「地方参政権を認めると、国政参政権も認めることになる。」という論を目にするのですが、どのような法理論を想定すれば、日本国籍のない人間に『国政参政権』を認めることが可能になるのでしょうか。

 最高裁の取っている考え方で、「地方参政権を認めると、国政参政権を認めることになる」という論理がなりたちうるのか、という質問です。
 現実に、最高裁が考え方(傍論であって判例ではありませんが)を示している以上、最高裁の取る論理の枠の中で考えて回答をお願いします。

投稿日時 - 2010-02-16 07:20:35

ANo.6

A No.5です。
権限権限(Kompetenz-Kompetenz)、今回の場合、参政権は
権限権原(国民の厳粛な信託)のことではなく、間違いなく権限権限
(権限を賦与する権限や権限を創造する権限を与える"権限")です。
この権限権限が唯一与えることが出来ない権限が、
権原を侵犯するような権限権限の賦与である、という話です。

(けんげんけんげんで変換すると権限権原になっちゃうかもしれませんが、
ここで論じているのは権限権限です。)



まず、地方と国政の違いは投票権、つまり参政権の行使上の違いです。
その上部構造は確かに異なります。ですが、それをもって、地方と国政における
参政権が根底から全て別のものであるとは言えません。

なぜなら、根底にある下部構造である参政権の"権原"(すなわち、国民の信託)を
同一におく権限権限である、という共通点があるためです。
この一点においては『国政であるとか、地方であるとかの差は存在しない』のです。

そして、両者に共通する権限権限である、という特質は、権限権限の根源的な性質、つまり
権原を侵犯する権限をあたえられないという執行上の制限をもたらします。
つまり、国民の信託を権原と置く限りにおいて、立法者を選定する権限権限を立法者・為政者が
与えることはできない。これを行ってしまえば、立法者の法に対して、あるいは立法者の
立場に対して根拠たるものがなくなってしまうためです。



さらに憲法の前文。これは一般規定に留まるものではありません。
中学一年生向けの教科書『あたらしい憲法のはなし』には
こんなことが書いてあります。

この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則が
できているかということなどが記されています。この前文というものは、二つのはたらきをするのです。
その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。
つまりこんどの憲法は、その前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、
ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、
この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。


すなわち前文は他の法を超える強制力を持つのです。前文は単純に
"より前に書いてある法"ではなく"法理の体現"なのです。これを超える解釈は、法の、
あるいは憲法の枠の外となります。
重ねて言いますが、地方自治は国政の例外規定ではありません。
国民の信託を権原と置く、そしてその国民の権限権限によって立法者が選定されるという点において
共通しています。この二点がある以上、立法者を選定する権限権限は立法者によって移譲はできないんです。

投稿日時 - 2010-02-11 06:15:11

補足

<なぜなら、根底にある下部構造である参政権の"権原"(すなわち、国民の信託)を同一におく権限権限である、という共通点があるためです。>
 この解釈は『禁止説』ですね。

 「許容説」の問題点を検討するのに、「禁止説」を使ったのでは、検討になりません。「許容説」「禁止説」それぞれが互いに否定する立場ですから、許容説を認めるなら禁止説が根拠がないことになり、禁止説を認めるなら根拠がないことになります。

 現在、最高裁の考え方が許容説を前提としている点を踏まえて、許容説内で矛盾が存在しないかという観点で、お聞きしています。

<すなわち前文は他の法を超える強制力を持つのです。前文は単純に
"より前に書いてある法"ではなく"法理の体現"なのです。これを超える解釈は、法の、あるいは憲法の枠の外となります。
この二点がある以上、立法者を選定する権限権限は立法者によって移譲はできないんです。>
 地方自治は前文にいう国政と不可分の関係か、地方自治の本旨に従った住民の地方参政権が規定されているかについて、No5の回答を繰り返しているだけで、『国政』『地方自治の本旨』の関係について、掘り下げた解説がないのですが。


 法律は、「用語」の意味を『社会通念』に従って解釈します。
 法律自体が『社会通念』に従うべきでないとの考え方を取る場合は、
1、法律の中に明記する。
→天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴

2、より下位の法・政令・省令・条例などによって規定する。
→日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

 「禁止説」の根拠は、地方自治の主体である『住民』は、「日本国民でその地方自治体に住所を有する者である」とする社会通念に根拠を置くという点に還元されると理解しています。

投稿日時 - 2010-02-15 09:12:42

ANo.5

私は日本人です。そして私は一日に何回もおならをします。
では、日本人は一日に何回もおならをすると言えるか?
この答えはおならをする日本人と、おならをしない日本人がいる。
とした方が自然だと思います。日本人であることによって私が他の日本人と
共通する部分は確かにありますが、全ての特質を共有しているわけではありません。
同様に、私が他の日本人の数倍おならをするからといって、私が日本人でなくなる
わけではないのです。

日本人として成立するために関係がある部分と関係が無い部分。
これを混同してしまうと、話がヘンになっちゃいますよね。




国政参政権と地方参政権。
この二つを見たときに、確かに違いが存在します。
つまり、権限の行使にあたって、その地に住んでいるか否かという要件です。
しかし、これは元来持っている選挙権を行使するための要件であって
選挙権の付与の要件ではないんです。それはいうなれば投票権と選挙権の違いです。
(もっとも、日本の法学は戦前からこの格差の解消には極めて鈍感であるわけですが。)



国政参政権と地方参政権。
この二つに真に共通する部分は、
「権限を付与する権限(いわゆるKompetenz-Kompetenz、以下権限権限)」であることです。
ここに着目することで、地方参政権を認めることと、国政参政権を認めることが
ほぼ同義であることが見えてくるかと思います。

立法者は、様々な権限を付与することが、一定の条件(社会的・政治的構成を破壊しないこと
あるいは憲法アイデンティティを侵害しないこと)の下に認められています。
同時にこれは「権限権限」を誰かに委譲することができないことを示しています。
立法者は「権限権限」によって選ばれる。これが現代の民主主義の根幹です。その権威が国民の
信託に因っている以上、ここで立法者が「権限権限」を侵害(あるいは希薄化)すれば、
それは立法者の権原たる「権限権限」の権威を失わせるものとなります。
つまり、この立法者の法には根拠たるものが全くなくなってしまうのです。


ここに国政であるとか、地方であるとかの差は存在しません。単に参政権を時の立法者が
みだりに与えることは法の成立の根拠を失わせる行為としての共通項を持つことになります。



順番が逆になっちゃいましたが、最後に"前文"です。

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」

投稿日時 - 2010-02-09 21:04:42

補足

<国政参政権と地方参政権。
この二つに真に共通する部分は、
「権限を付与する権限(いわゆるKompetenz-Kompetenz、以下権限権限)」であることです。
ここに着目することで、地方参政権を認めることと、国政参政権を認めることが
ほぼ同義であることが見えてくるかと思います。>
 
注:以下「権限を付与する権原」という使い方をします。

<立法者は、様々な権限を付与することが、一定の条件(社会的・政治的構成を破壊しないこと、あるいは憲法アイデンティティを侵害しないこと)の下に認められています。
同時にこれは「権限権原」を誰かに委譲することができないことを示しています。
立法者は「権限権原」によって選ばれる。これが現代の民主主義の根幹です。その権威が国民の信託に因っている以上、ここで立法者が「権限権原」を侵害(あるいは希薄化)すれば、それは立法者の権原たる「権限権原」の権威を失わせるものとなります。
つまり、この立法者の法には根拠たるものが全くなくなってしまうのです。

 法の権原に対する基本的理解は、回答者さんと同じです。
 「国民の信託という権原で規定された憲法を完全に守るという姿勢で判断するとどうなるか」という問題と理解しています。
(ですから例を上げれば、集団的自衛権について『憲法解釈の変更』などということができないという見方を、回答者さんもされるのではないかと思います。)

 そのような、回答者さんと同じ立場からみて、憲法が特別な一章を設けて、地方自治と国政について区別しているにもかかわらず、
<国政であるとか、地方であるとかの差は存在しません。単に参政権を時の立法者が、みだりに与えることは法の成立の根拠を失わせる行為としての共通項を持つことになります。>
という結論を導き出した根拠は、説明されておらず、論理の飛躍があるように思います。

 外国人地方参政権を規定しても、日本国民の国政参政権を規定した条文には一切影響がなく、国政参政権に関しての法改正は必要とはならないと考えます。また、国政が国民の信託という権原にも、それを具現化した憲法にも何ら影響を与えることはなく、現行通り運用できると思われます。

 それに対して、外国人国政参政権を規定すれば、憲法の条文と矛盾点が続出し憲法改正をしない限り、両立しなくなります。これは、外国人国政参政権が法の成立根拠である権原を犯している証拠に他なりません。

 この点で、国政と地方との差があるということが、明らかに示されているように考えます。

<<ここに国政であるとか、地方であるとかの差は存在しません。>>
 という点が、論の中心なので、その点について回答者さんの詳しい解説をお願いします。

 憲法前文に「国政」については、
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
 とあり、

憲法第8章には、「地方自治」として
「第92条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
 第93条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」

 このように国政と地方自治について、憲法には別の規定があります。

 法律は、一般規定を先に、例外規定を後に記載する慣例があります。日本国憲法が、憲法前文に一般規定の考えを明確に示す一方で、「国政」に対する例外規定の、「地方自治の本旨」を定めていますから、両者は矛盾しない立場を取っていると考えますが、いかがでしょうか。

投稿日時 - 2010-02-10 13:02:15

ANo.4

法理論、つまりは法律に基づいてと言われても、結局のところその公職選挙法の改正問題に突き当たるので答えようが無いというか、地方について法律を変えられるなら国政についても同様の変更は十分に可能であるとしか言えません。
現状における国政選挙の有権者は「日本国籍を有する20歳以上のもの」地方の場合は「日本国籍を有する20歳以上で、該当地域に3ヶ月以上居住するもの」となっています。
2003年に分けて考えられたとおっしゃいますが、法律上もとから別個のもので、事務上においても「三ヶ月ルール」は結構重要だと思うんですけどね。まぁこれは蛇足です。
後者から国籍要件を外すよう改正する事を可能とした場合、前者について一切の改正はできない、という理論はどうも破綻している気がします。
例えば、国籍要件は残したまま、後ろに「または、日本国内に一定の期間在住するもの」と、つまりは現在の地方と同様の条件に変更するだけで外国人への選挙権付与は可能になります。

法理論も何もないですね。まぁ、改訂されてない現行法を元に新たに外国人に国政参政権も与えるとする理論を組み立てるのは結構な難題ですね。実際憲法との絡みもあってやる、やらないにしてもスイスイ進んで行くことは無いとも思いますし。

投稿日時 - 2010-02-09 16:10:11

補足

 国政参政権の根拠は、憲法15条第1項にあり、地方参政権の根拠は憲法93条第2項項にあります。

 国政参政権は「国民」の権利として規定されていますが、地方参政権は、地方参政権による「住民」の権利として規定されています。

 一般に憲法・法の改正がなくても、権利や権利主体についての社会通念が変われば、法の適用のされ方が変わります。

 例えば、「日照権」は木造2階建ての建物が普通だった頃は、基本的権利とは認められていませんでしたが、10階建てを超えるようなマンションが普通に建てられるような時代になった結果、法自体は変わらないまま、憲法で守られる基本的権利として完全に認められています。

 平成の大合併で、合併の可否についての住民投票を行う際、永住外国人の投票を規定した地方自治体は、100以上あったそうですし、日本人口の半分以上が、地方参政権付与を求める議決を出した自治体に住んでいます。
 このように、現在「住民」に永住外国人を含むという社会通念も社会において有力になりつつある状況です。

 憲法93条第2項の「住民」について、最高裁第3小法廷の、平成7年2月28日判決をどう読むかですが、
「平成7年2月28日時点では、憲法の言う『住民』というのは、社会通念に従って、日本国籍を有しその自治体に居住する人を言うと解するに足るが、外国人地方参政権付与法案が国会で議決されたならば、『住民』についての日本の社会通念が、永住外国人を含むという変化が国民に共有されたとみなしうる。」と言う見解を最高裁は取っていると考えます。

 最高裁の考え方を軸にして見た場合、どう理解されますか?

投稿日時 - 2010-02-09 18:40:30

ANo.3

地方参政権はあるのに国政参政権が無いのはおかしい!国政参政権もよこせ!

こういう流れです。「無理を通せば道理が引っ込む」です。

投稿日時 - 2010-02-09 14:53:07

お礼

 ありがとうございます。
 憲法15条第一項の改正を求める動きが出てくるということですね。
(憲法改正を認める人は極めて少数と思われますが。)

 

投稿日時 - 2010-02-09 18:05:41

国会議員の立候補者が全国を遊説するのは、不可能に近いですから。

アメリカのいいなりで、競争、市場原理主義、強い者勝ち優先で、都合の良い所にばらまきで、役人経営者経済団体とぐるで、開発経済優先で、大企業金持ち役人優遇で、国家権力側は甘くしろ反国家権力側は厳しくしろで、マスコミも世論も司法もコントロールしろで、選挙の時だけパフォーマンスを行えで、闇献金インサイダー取引パーティー官房機密費懐入れなどで金をつくって数を勝ち取れで、国家権力側に住み良い都合の良い日本社会を目指す自分党公暗党政権が良いか、

アメリカとは距離を置いて、理念ある独立国家として言うべき事は言いで、全人類の共存共生協調自然とも共存共生協調を目指すで、必要な所を重点に予算を組んで、役人を国民の公僕として職務を行わせるようにし天下りは許さんで、環境福祉質素な生活セフティネット優先で、汗水流している労働者中小企業弱者優先で、なんぴとたりとも公平平等に扱えで、マスコミ弁護士司法などは独立しろで、政権を担えば優先順位を考えて直ちに真の改革国民のための政策を行えで、志のある者だけで連帯し政党助成金も有効に使えで、全国民が住み良い日本社会にするかもしれない民主党政権が良いかの総選挙の結果、

民主党が大勝したわけであるが、国民新党や社民党に気を使って妥協したために、おかしな決定もあったわけである。

そして、自公政権で任命した、腐りきった国家権力の役人幹部らが、今だに裁判所、検察、警察、法務省などに居座って、自民党や創価学会公明党やこれらのバックにいる、アメリカ支配層の影響をうけているから、こいつらの命令意向に従って、与党幹部らのみを徹底的に攻撃しまくっているわけである。

御用マスコミも使ってね。

自公政権や自民党政権が復活すれば、また今まで通り、天下りや裏金作りや血税を飲食いに使うや不都合な人々を不当逮捕、不当起訴、冤罪に追い込むなどのやりたい放題の甘い汁が吸えるようになるというわけである。

鳩山総理や小沢幹事長の疑惑がすべて事実と仮定してさえ、自民党や創価学会公明党や腐りきった国家権力である悪徳役人の行ってきた犯罪悪行悪政の数々に比べれば、微罪にさえならないのである。

野党が贈収賄など成立するわけがないし、疑惑のほとんどがどぐされマスコミなどのデマだからね。

ということで、民主党がアメリカ支配層側に向けば、まともな国民にとっては、期待が失望に変わる、というわけである。

投稿日時 - 2010-02-09 13:40:01

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-02-09 18:41:43

ANo.1

軒を貸して母屋を取られるという式です。
同時にそうなるというのではなく、いずれそこまでという要求が出ることを言っているのです。

投稿日時 - 2010-02-09 13:28:46

お礼

 ありがとうございます。
 憲法15条第一項の改正を求める動きが出てくるということですね。
(憲法改正を認める人は極めて少数と思われますが。)

投稿日時 - 2010-02-09 18:00:43

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