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新約聖書について。

新約聖書について。
マタイの福音書1章1~17節にあるイエスキリストの系図があります。
アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロン移住まで14代、バビロン移住からキリストまで14代とあります。
何の気なしに見ていたのですが、ところどころ人が抜けていたり、数えても14にならなかったりします。

これは間違いなのでしょうか?

投稿日時 - 2010-03-28 02:26:19

QNo.5784480

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質問者が選んだベストアンサー

間違えではなく、理由があり意図的に省かれています。
以下に聖書の箇所と解説を記載しますので、参考になさってください。

マタイ1:17 こうして、アブラハムからダビデまでの(*1)世代は全部で十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでが十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

1:17解説*1
この系図は三つの時代に分けられます。(1)アブラハムからダビデまでの十四代、すなわち王国の設立以前の時代。(2)ダビデからバビロンへ移されるまでの十四代、すなわち王国の時代。(3)バビロンへ移されてからキリストまでの十四代、すなわち王国没落後の時代。歴史によれば、実際は四十五世代ありました。この四十五世代から、三つののろわれた世代と一つの不適格な世代を省き、ダビデを二世代(王国設立以前の時代の一つと王国時代の一つ)と数えて一つ加え、世代は四十二代となります。この四十二世代は、それぞれ十四代の三つの時代に分けられます。十四という数は、十プラス四から成っています。四は被造物を象徴します(啓4:6)。十は完全を象徴します(25:1)。ですから、十四は完全な被造物を象徴します。十四代に三が掛けられているのは、三一の神が完全な被造物とご自身とを混ざり合わせることを示します。
 この系図は三つの区分から成っています。すなわち、父祖たちの区分、王たちの区分、一般市民(捕囚となった人たち、回復された人たちを含む)の区分です。父なる神は父祖たちの区分に対応し、子なる神は王たちの区分に対応し、霊なる神は一般市民の区分に対応します。これも、三一の神と、彼の被造物である人との混ざり合いを示します。
 三掛ける十四は四十二です。四十は試練、試み、苦難の数です(ヘブル3:9.マタイ4:2.列王上19:8)。四十二は試練の後の安息と満足を示します。イスラエルの子たちは、安息の良き地に入るまで、四十二の停留地を通過しました。千年王国の安息は、四十二か月の大患難の後に来ます(啓13:5)。試練、試み、苦難のすべての世代の後、キリストはわたしたちの安息と満足となるために、四十二世代目として来られたのです。
http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=40_1_17_0_1

マタイ1:8 アサはヨサパテを生み、ヨサパテはヨラムを生み、(*1)ヨラムはウジヤを生み、

1:8解説*1
この系図は、「ヨラムはウジヤを生み」と記録しています。しかしながら、歴代志上第3章11節から12節は、「その子はヨラム、その子はアハジヤ、その子はヨアシ、その子はアマジヤ、その子はアザリヤ(すなわちウジヤ・列王下15:1、13)」と言っています。三つの代、アハジヤ、ヨアシ、アマジヤは省かれています。これは、ヨラムと、アハブとイゼベルから生まれた娘との邪悪な結婚が、ヨラムの子孫を腐敗させたからであるに違いありません(歴代下21:5―6.22:1―4)。出エジプト記第20章5節と照らし合わせると、ヨラムの子孫の三代は、キリストの系図から削除されたことがわかります。
http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=40_1_8_0_1

マタイ1:11 (*1)ヨシヤはバビロンへ移された時に、エコニヤと彼の兄弟たちを生んだ。

1:11解説*1
この系図は、「ヨシヤは・・・・エコニヤ・・・・を生んだ」と記録しています。しかし歴代志上第3章15節から16節は、「ヨシヤの子らは・・・・次はエホヤキム・・・・エホヤキムの子孫はその子はエコニヤ」と言っています。一世代、すなわちエホヤキムがキリストの系図から省かれています。これは、彼がエジプトの王パロによって王とされ、パロのために税金を取り立てたからであるに違いありません(列王下23:34―35)。
http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=40_1_11_0_1

参照:オンライン聖書回復訳(http://www.recoveryversion.jp/

参考URL:http://www.recoveryversion.jp/

投稿日時 - 2010-04-07 11:40:49

お礼

ありがとうございました。

大変勉強になりました。
私としては、マタイが14×3という数字にこだわっているということは共感できました。
10+4とする話は興味深いところでした。
数字については、7(神が地を作られた7日を完全数とする)の2倍として更なる完全さを表現しているという考え方もあるようでした。
ダビデを2回数えたり、マリヤを1とカウントするなどの説もあることを知りました。
バビロン移住を1とカウントすれば順番どおりという話もありました。
なんだかいろいろな説があるようですね・・・^^;
いずれにせよ意図的に、ということはあるような気がしました。

系図の削除は、なるほど!と思わされましたよ!
出エジプト記の記述にも関連がありそうでしたね。
しかし、ヨラムよりもむしろ、系図にあるマナセやアモンのほうが削除されて然るべき!なんて思ってしまいませんか?
・・・神様の基準は、ここでもやはり図りうるものではないのかもしれませんね。


今回の掲載は、私が人に説明する必要があり、不勉強だったものですから慌てて相談させていただきました。
すっきり正解!というわけにはいかないかもしれません。
しかし、聖書を信頼し、語学的なズレを認識し、歴史的背景を学んでいくことにも良いヒントがあるのかなと思わされました。

お付き合いいただきありがとうございました。

投稿日時 - 2010-04-08 22:48:32

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回答(5)

ANo.4

アブラハムから数えダビデまで14代です。                                                                              ダビデから数えヨシヤまでが14代です。                                                                                ヨシヤから数えイエスキリストまでが14代です。                                                                        Jechonias{エコニヤ}は数えません。                                                                             エレミヤ22:24で彼はConiah{コニヤ}と呼ばれます。                                                                   Jeを無くして呼ばれるのはエホバが彼から離れたとの意味です。                                                                        エレミヤ22:30は神様が彼を抜いてしまったと宣布しています。                                                                                               コニヤはバビロンに移住したのではありません。                                                                          彼は捕虜としてバビロンに捕らえて行かれたのです。                                                                                                     欽定訳であり、権威訳であるKJVはfrom the carring away into Babylon{バビロンに捕らえて行かれてから}といわれます。                                                                                                     列王記下24:3~20までを読んで下さい。                                                                                                          彼は移住したのではなく、捕らえて行かれたのです。                                                                                                       貴方が見ている聖書の翻訳は間違ってます。

投稿日時 - 2010-04-01 21:01:42

お礼

私の見ている新改訳聖書が間違っているとしたら、ちょっと大変なことになります。
たぶんここでのやりとりも平行線に終わるでしょうね。ここではそれ以上は踏み込まないようにしたいと思います。ご了承ください。

正直に、コメントのお礼を書かせていただきますと・・・、
エレミヤ22:30はちゃんと目を留めて読んでみると、確かにひどい言われようでしたが、私の聖書には抜いてしまったとは書かれていませんでした。逆に、「~栄えない男と記録せよ」とありました。

確かに数える価値のない王とされたかもしれませんが、エコニヤを数えないのであれば、マタイの系図には載せないのでは?と思ってしまいます。


ただ、バビロンに捕囚された者を、「移住」と表現しているのは確かに違和感がありますね。
これは原語がどのようなものなのか勉強してみようと思います。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-04-08 22:21:01

ANo.3

マタイによる福音書とルカのよる福音書の系図でも人数は違います。 マタイによる福音書はユダヤ人にイエスキリストが旧約聖書が予言しているメシア(救世主)であることを証明するために書かれたもの。 

これを我々日本人が読んでもチンプンカンです。 強いて解説すれば、14代、14代、14代と完全数7の倍数を三回繰り返す。 これもユダヤ人にアピールするやりかただからです。 ユダヤ人なら、『なるほど』とうなづくもの。 

質問者さまがこの矛盾から何を論じたいのか正直わかりません。 本来、この部分は我々日本人にわからなくて当然なのです。 これを読んで何かを感じる日本人はまずおりません。 ユダヤ人だけに通じる暗号のようなものだからです。 

投稿日時 - 2010-03-29 22:19:09

お礼

ありがとうございました。

今回、掲載させていただいたのは、ちょっと人に説明する必要があり、「わかりません」では何も実りがないという状況だったもので・・・。一クリスチャンとしても様々な解釈に関心がありました。

この部分は確かに14という数字を用いて、アピールのためにマタイがこだわっているという考え方があるようですね。

しかし、キリストの系図は日本人にわからない暗号だとは、私は思っていません。
旧約聖書を読めば、半分以上の名前は登場しますし、それぞれの人生模様と神との関わりが描かれています。
また、このことはキリストが預言どおりダビデの子孫として生まれてきたことを示すものでもあります。

ルカとの違いは、ヨセフの系図をたどるかマリヤの系図をたどるかの違いというのが、一般的な見解のようです。しかし本当のところどうなのか、まだまだ知識が足りません。

もし、ズバッと正解を持っていらっしゃる方がいれば是非と思い掲載させていただきました。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-04-08 22:01:39

何しろ昔のことなので抜けがあるのかもしれません。
また、聖書は後から文書を集めて取捨選択して編集した本なので、合わない部分があるのかもしれません?

と、非クリスチャンの私はクールに思ってしまうのですが、
矛盾があるとかないとか両方の見解があるようです。
http://www.google.co.jp/search?q=%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%80%80%E7%9F%9B%E7%9B%BE%E3%80%80%E7%B3%BB%E5%9B%B3&hl=ja&lr=&sa=2

投稿日時 - 2010-03-29 11:26:11

お礼

ありがとうございました。

確かに、何しろ昔のことですね。
私には図り得ない世界なのかもしれません。

聖書にある矛盾と感じる一部分は、大事なようで、実はやはり一部分のことでしかないと
私は考えています。
学校の先生が授業の中で、ちょっと矛盾と感じる話があったとしても、それでその先生の
人生における授業の全てが否定されるのはおかしいという考えなんです。

今回は、ちょっと人に説明する必要があり、諸説伺いたく掲載させていただきました。
大変参考になりました。

投稿日時 - 2010-04-08 21:51:08

ANo.1

 新約の矛盾については、下記のようなものがあります。

 http://www.infidels.org/library/modern/paul_carlson/nt_contradictions.html

 大きな理由は、1人の人が纏めて書いた一冊の本ではなく、いったい何人が書いたかについてさえ、意見が纏まっていない訳ですから、細部の辻褄が合わないのは無理無いと思います。

投稿日時 - 2010-03-28 09:18:40

お礼

ありがとうございました。

矛盾ではないとする話と、聖書には矛盾があるという話が両方聞かれます。
間違っているというのであれば信じているということにはならないでしょうし、
矛盾は矛盾として盲目的に信じるというのもちょっと複雑な思いがしますね。

矛盾とされていながら、あとからやはり正しかった(または歴史的、文化的な背景
に起因していた文語の取り違えなど)と立証されるようなこともあるので、いろいろな
解釈を参考にさせていただきます。

投稿日時 - 2010-04-08 21:44:53

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