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解決済みの質問

韓国の友人から、東大寺など、奈良の寺院を建造したのは韓国人であると聞い

韓国の友人から、東大寺など、奈良の寺院を建造したのは韓国人であると聞いたのですが、本当でしょうか?
多分、設計者や技術者が韓国人だったという意味だと思うのですが…

それと、彼は、「以前、日本の天皇が、祖先が韓国から来たことを認める発言をした」とも言っていました。
韓国の新聞でそのような記事を読んだということです。
私は、「日本の天皇がそんな発言をしたら、日本国内で大問題になるはず。
(天皇の先祖が韓国から来た)可能性は否定できないものの、その様な発言はしていないはずである」
と答えたのですが、実際に、その様な記事があったのか、ご存知の方がいれば、教えてください。

古代の日本文化が中国や韓国の文化に強い影響を受けたのは間違いないと思いますが、
知り合いの韓国人の中には、まるで日本文化のすべてが韓国から来たように話す人がいます。
特に、他の外国人たちと話している時にそういう話が出てくると、
日本のアイデンティティを否定されているようで腹がたちます。

ただ、その様な人達と話す時に、感情にながされず、根拠を踏まえて話したいと考えております。
よろしくお願いいたします。

投稿日時 - 2010-05-15 23:29:57

QNo.5897824

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

>それと、彼は、「以前、日本の天皇が、祖先が韓国から来たことを認める発言をした」とも言っていました。

桓武天皇の母の高野新笠が百済の末裔だったことから、陛下が韓国と縁があるとお話になったことでしょうか。

問題の高野新笠の素性ですが、百済王であった武寧王の子孫ということになっています。
以下はその系譜です。
東城王
武寧王
純陀太子   在日1世
斯我君    在日2世
法師君    在日3世
雄蘇利紀君  在日4世
和史宇奈羅  在日5世 (日本に帰化し和風に改名)
和史粟勝   在日6世
和史浄足   在日7世
和史武助   在日8世
和史乙継   在日9世(天皇家に娘が嫁いだので、高野の姓を賜った)
高野朝臣新笠 在日10世
桓武天皇

計算上は高野新笠の百済人としてのDNAは0.01%もなく、全くの日本人です。

百済人と韓国人は別の民族だと考えられています。
百済を滅ぼして朝鮮に住み着いた新羅人が現在の韓国人のルーツです。

当時の百済は日本の属国(植民地)でした。
韓国の古文書には、東城王は日本(倭)から来たと書かれています。
ということは、東城王が日本人だった可能性もあり、だとすると全く縁がないことになります。

以上から、結論として天皇家と韓国・朝鮮半島とは全く関係がないと言ってよいでしょう。
陛下のご発言は、ただの社交辞令のリップサービスだったのでしょうが、韓国人には理解できなかったのだと思います。彼らはとても「純粋」ですからw


>知り合いの韓国人の中には、まるで日本文化のすべてが韓国から来たように話す人がいます。

韓国は、色々こじつけて日本文化を韓国起源と言っていますが、全く根拠がないものが殆んどです。

パクリ大国南朝鮮
剣道・折り紙・盆栽・桜だけじゃない。韓国起源説
http://c.oshiete.goo.ne.jp/kotaeru_reply.php3?q=5897824

投稿日時 - 2010-05-16 06:42:00

お礼

ご回答ありがとうございます。
高野朝臣新笠や百済について調べてみました。
日本と百済との間には、主従関係があったのですね。
東城王は、日本で人質になっていた百済の王子のようですが、
百済王は日本人との混血を繰り返していたと記されていました。
いただいた回答から、知識の幅を広げることができました。

投稿日時 - 2010-05-17 02:27:34

ANo.5

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回答(14)

ANo.14

 皆さんの回答を読みました。
 
 私も、今現在、朝鮮半島に住む人たちは、当時の百済や新羅の人たちとは
 民族的に違う、と思います。

 秦河勝は秦の始皇帝の末裔の一族であり、秦の始皇帝は金髪碧眼であり、
 明らかに西アジア人の容貌をしていた、と言われています。
 秦氏一族が、日本に渡るルート上に、ちょうど朝鮮半島があった、と
 考えた方が妥当です。当時、安全に船で渡るには、朝鮮半島から日本へ
 渡った方が良かったのです。ま。それは今も変わりませんね。高速フェリーで
 数十分で着く距離ですから。

 また、当時の大工や仏師は国のテクノラートであり、ペルシャ人も多数、日本に
 渡り、寺社・仏閣・仏像を設計していました。その功績により、日本に帰化した人たち
 も多数存在します。

 秦氏しかり、曽我氏しかり、中臣家(藤原家)しかりです。秦氏と曽我氏と藤原家は血縁関係
 にあり、当時の大王(天皇)とも血縁関係にありました。藤原家も当然、蜘蛛の巣のように、
 天皇家と血縁関係を結んでいます。

 菊の紋章はユダヤの王族の紋章であり、ペルシャの遺構には菊の紋章に似たマークが付いて
 います。日本の祝い言葉には、ユダヤの言葉に似た言語が沢山あります。

 祝りとは、叶えば祈りであり、叶わなければ呪いなのですね。

 では、今現在の朝鮮半島に住まう人たちはどこから来たのか?現代の日本人と朝鮮半島人は
 民族的には、中国民族より似通っています。それが何を意味するのか?
 それは、日本から流出した民が、朝鮮半島に住み着いて、現在に至る人たちも多数、朝鮮半島に
 存在する、ということを意味しています。
  
 古来から、幾たびも朝鮮半島と日本は戦で相対し、天武・天智天皇時代、豊臣秀吉の時代、
 永きに渡り、戦いました。その最中、朝鮮半島に漂着し、住み着いた日本人も多数存在した
 事でしょう。また、一般の市民も船の遭難などにより、朝鮮半島に住み付いた人たちもいます。
 また、中国から流入した人たちも多数いる事でしょう。朝鮮半島人は中国人から見ると、中国人に
 似通っていて、日本人から見ると、日本人に似通っている、どちらの特徴も備えた民族だと思いま
 す。

 古来の日本人は、昔の古写真などを見ると、目鼻立ちがとても、いわゆるバタ臭い、クッキリした
 人たちが、意外に多いことに驚きます。二重で、あごがガッシリした、鷲鼻。
 天皇家しかり、徳川家しかりです。
 また、奥州藤原家の人たちもそういった特徴を兼ね備えています。
 
 一重の切れ長で、出っ歯で、あごが細い、という特徴は、どちらかというと現代人の特徴
 のような気もします。

投稿日時 - 2010-05-19 15:08:24

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-05-19 22:13:16

ANo.13

調べてきました。

http://www.blu.m-net.ne.jp/~tashima/c5.html

『2001(平成13)年12月23日、天皇陛下(てんのう へいか)が68歳の誕生日に先立つ記者会見の席で、「桓武天皇(かんむ)の生母(お母さん)は百済(くだら)の武寧王(ぶねい)の子孫(しそん)であると『続日本紀』(しょくにほんぎ)に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と述べられたことがありました。

 古代の天皇家には朝鮮系の人たちもいたということですが、これは韓国人のあいだではすでに多くの人が知っていることでした。でも天皇陛下が、たくさんの日本人記者がいる前で述(の)べられたということで韓国では大きく報道(ほうどう)されました。』

この発言が元ですね。


<武寧王>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AF%A7%E7%8E%8B

『『続日本紀』によれば、桓武天皇の生母の高野新笠は、この淳陀太子を遠祖とする百済系の帰化氏族和氏の出自であるとしている。新笠は皇后になることはできなかったが、桓武天皇の生母として皇太夫人、更に皇太后と称された。』


http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index1.html
秦氏が後に平安京となる土地を支配しており、その土地と町を作り資金を提供したのだそうです。
昔はどこかの一族が日本列島を支配しているというわけではなく、各地に豪族がおり、秦氏も広大な土地を支配しており、それをヤマト朝廷に提供することでヤマト朝廷と友好関係になる道を選んだのではないかと。

要するにヤマト朝廷が大きくなれたのは秦氏というブレインおよびスポンサーがいたから。

投稿日時 - 2010-05-18 19:11:03

お礼

調べてくださり、ありがとうございます。
今回の質問のきっかけとなった韓国の友人が、当時の韓国と日本の両方の新聞を調べたところ、
日本の新聞に「(朝鮮と)関わりがある」と記載されていたところを、
韓国の新聞が誇張して書いていた事が分かったと言っていました。
日本もそうですが、マスメディアには、歪曲した記事が国家間の関係に
悪影響を与えないように気を付けてもらいたいですね。

投稿日時 - 2010-05-19 22:08:42

ANo.12

韓国の教科書にはデタラメがかかれていますね。こう書かれています・・・・・『曇徴は儒教の五経と絵画を教え、紙と墨の製造方法まで伝えた。日本の自慢の種である法隆寺の金堂壁画も曇徴の絵だといわれている。』

 まず曇徴は韓国の歴史書などには記述がない。あるのは日本書紀に書かれている以下の文言のみ・・・『高麗王貢上僧 曇? 法定 曇?知五經 且能作彩色及紙墨 并造碾磑 蓋造碾磑 始于是時歟』とある。どう書かれているかというと「高句麗王が曇徴と法定の僧侶を献上した。曇徴は五経を知っていた。また彩色と紙と墨を上手に作った。合わせて水力を使った石臼も製造した。水力石臼はこの時が最初である。」 ということである。

  皆様お分かりのように、曇徴が日本に始めて伝えたものは『碾磑』(水力の石臼)のみである。『五経』も『絵画』も教えていないのです。能作彩色は色材を造るであり、絵画を描くという意味は無いでしょう。

 曇徴は610年に来日しました。 法隆寺の金堂は680年に焼失後に再建され、壁画は再建された金堂に描かれています。 五経を読めて、紙の製造も墨の製法も紙を染める色材の製法もをマスターした人が若年とは考えられません。曇徴が30歳に来日したとして、70年後の100歳で壁画を書いたと、韓国の教科書は馬鹿なことを書いているのですね。

 この韓国教科書の記述をひとつ取ってみても、韓国人に合理的な思考法を求めても無駄だと言うことが理解できるでしょう。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%B4%99

投稿日時 - 2010-05-17 23:27:51

お礼

ご回答ありがとうございます。
でも、最後の意見がちょっと過激ですね(汗

確かに、歴史問題について熱狂的になる韓国人には多く会ってきましたが、
みながみな…というわけではなく、いつも穏やかで、歴史の話にはほとんど関わらない人達もいますし、
「韓国の仲間の前ではいえないけど、日本に支配されたままのほうが韓国にとってよかったと思う」
という変わった友人も一人だけいます。

感情的な話から外れれば、みんな頭がいいし、しっかりとしています。
両者の間に横たわる溝を埋めていくためにも、
日本の立場を主張できるだけの知識を身につけたいと思っています。

投稿日時 - 2010-05-19 21:54:00

ANo.11

やはり秦氏というのが、その主張の根拠だと思います。

大雑把にしか覚えていないのですが、ある民族が大陸を横断し日本に渡ろうとしたが、他の民族が朝鮮半島を支配しておりそこを通過できなかたったので、応神天皇が兵を派遣し、無事にその集団を日本に渡らせたと聞いたことがある。

その集団が秦氏。
どうして応神天皇がそこまでその一族を日本に渡らせようとしたのかというと、応神天皇もその一族系列だったから という話を聞いたことがあります。

秦氏一族は一体何者なのかはいまだに謎です。
失われた10氏族の末裔と言われていますが、出自を辿っても途中で途切れてしまって、イスラエル人と同祖なのかわかっていません。

なんとなく天皇家の人々の鼻が中東方面の特徴を持っているというくらいのもの。
大和田家をさかのぼろうとしたが、出自が途中で途切れ、天皇一族と同じ一族という根拠は見出せなかった。
遺伝子を調べればわかるかもしれませんが、それは不可能。

上の本の説をとれば、天皇一族は朝鮮民族とは違う民族ということになります。


>日本の天皇がそんな発言をしたら、日本国内で大問題になるはず。

天皇は言ったという話は聞いたことがありませんが、皇族の1人は自分はイスラエル人だと明言しているみたいです。


映画マトリックスの冒頭で緑の流れるような文字。
http://miha.at.webry.info/200811/article_8.html
日本語? いや ヘブライ語。読めても意味わからないのはソーラン節も同じ。

日本の神道の風習や日本のいくつかの風習が古代ユダヤ教の風習と同じなのだそうです。
ということで、朝鮮民族じゃなく、どっちかというと日本の国体を作っていった人達はユダヤ人だったと言われたほうがまだ打ち消すのが難しいと思えました。

彼らが日本に渡ろうとしたのを朝鮮民族の人達が妨害しており、成功していたら、今の日本とは違った文化だったかもね と言ったみたら?


>他の外国人たちと話している時にそういう話が出てくると、
>日本のアイデンティティを否定されているようで腹がたちます。

日本のアイデンティティー、難しいですね。
例えば相撲は国技ですが、塩を撒くのは清めですが、イスラエル人も清めとして塩を使う。
相撲は神と戦うヤコブ(後のイスラエル)を再現したもの と言われちゃうと、、、、
茅の輪の風習の元となった蘇民将来の話は、イスラエル人の過ぎ越しの祭りと同じ、神輿は古代イスラエル人がアークを運んでいたものと一緒 と言われちゃうと、ねぇ。

投稿日時 - 2010-05-17 14:23:00

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-05-17 23:16:06

ANo.10

『日本書紀』崇峻元年春(六世紀終わり頃)に法興寺建設にかかわった人の名前が出ています。

名前の感じからして、どうやらペルシャ人のようです。

[寺院建設 ペルシャ人 日本書紀]

でグーグル検索すると見つかると思います。

仮に法興寺が日本最古の寺であっても150年もの間、日本には寺院建設のノウハウがあったはずです。

余談ですが、崇峻天皇のころは蘇我氏全盛期といわれています。近年蘇我氏邸宅跡ではないかとされる発掘現場からトンボ玉やローマングラス(当時のローマ製だそうです)が出土されていますが、これは当時の朝鮮半島では新羅だけからしか出土していないそうです。
日本書紀にも蘇我氏が仏教推進派だったと書かれています。

ローマ帝国の東方遠征でアジアにはローマ風の都市がたくさんできましたが、だからといって現在そこが今のイタリアであるはずがありません。

日本人=ヤマト民族ではないように、半島人=新羅人ではないはずです。

投稿日時 - 2010-05-17 13:13:05

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-05-17 23:07:00

ANo.9

そうだったのか。
じゃ、今東大寺かどこかの寺院が補修工事してるよね?
何故資料を提供してくれないのかな?
親分顔をするなら、「どれ、私の出番だなw」と言うんじゃね?

投稿日時 - 2010-05-17 05:10:22

ANo.8

 「朝鮮半島出身者の子孫が全て「韓国人(我が国の人、 ウリナラ サラム)」であるなら、チャン・ヨンシルは中国人だろう?」とお聞きになってみてください。
 また、同じく「じゃ、この間のカナダのオリンピックでスピードスケート金メダル取ったモ・テボム選手は中国人だね。」ともお聞きになって見てください。

 チャン・ヨンシルは奴婢出身ながら李氏朝鮮初期の発明家で韓国人が大変誇りにしていますが、父親が中国人、お母さんが朝鮮人でした。父系主義の韓国でお父さんが中国人なら、明らかに中国人ですが良いことをやったということで朝鮮人扱いしています。
 モ・テボム選手は、先祖が高麗時代に中国から渡って来た人です。反乱の鎮圧に功があり、高麗の王様からご褒美として南西部(全羅道)に領地をもらい定着した一族です。

 朝鮮半島には古来から中国から渡って来た人達がたくさんいます。逆に朝鮮から中国へ行った人たちもたくさんいます。
 韓国では朝鮮から中国へ行った人の子孫は「我が国の人」だとしていますが、その逆は認めないのです。
 ダルスの戦いで有名なコ・ソンジという唐の武将も、彼のお父さんが高句麗の出身だったからコ・ソンジは「我が国の人」ということになっていますが、唐皇帝のために闘った唐の武将なのだから唐の人だと思われますが、「我が国の人」認定です。有名な武将だから、朝鮮半島との関連を大きくアピールしたいのです。

 一方、良くないことをやった人は韓国人であっても韓国人認定からはずします。
 数年前にアメリカの何とか工科大学で、韓国人が銃を乱射して数十人の人が殺されました。犯人はチェ・スンウとかいう名前でしたか、最初韓国のマスコミは「韓国人がこのような重大犯罪を犯して申し訳ない」「これで、他の韓国人が米国人らから報復を受けるかもしれない」と繰り返し言っていましたが、しばらく経つと「彼は米国で長く住んでいたから米国人である。だから我々韓国人が申しわけながる必要は無い」と言い始めました。
 韓国で生まれて韓国国籍を持つ韓国人であるにもかかわらずです。

 都合の良いときは、はるか時間が経った子孫でも「我が国の人」・「韓国人」と言い、都合の悪いときはれっきとした韓国人でも韓国人ではない、です。
 ご都合主義です。

 「韓国ではそう教えてるようだね。」と軽く流すのがいいですよ。一国ナショナリズムに洗脳されている韓国人と歴史の話をするのは質問者様の時間のムダです。他の外国人たちとお話をされるときは是非、中国人を入れてお話なさってみてください。中国人でも東北部の朝鮮族の人じゃなくて、中原(ちゅうげん)出身の人ですね。

投稿日時 - 2010-05-16 16:06:51

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-05-17 23:02:31

ANo.7

 日本という国や日本文化は全て韓国人が作った、という風に幼いころから教育で洗脳されていますから。
 朝鮮半島出身者が関わったことは全て「我々韓国人がやったこと認定」します。
 自己アピールを大変よくする民族です。韓国朝鮮の人たちの自己アピールに比べると、日本人は自己アピールしなさ過ぎです。日本では控え目が美徳ですね。が、朝鮮半島では正反対です。自己アピールしない人間は基本的に「は?あんた、いたの?」と軽んじられ、追いやられ、結果として不利益をこうむることが多くなります。ごく一部の人は、控え目なことを慎重で思慮深くてよろしいと良いように評価しますが、あくまでごく一部の人に過ぎません。
 ですので韓国では家庭教育で小さい頃から「人からバカにされるんじゃないぞ」と子供によく教えるらしいです。
 また、何事につけても「声の大きい人間が勝つ」のが韓国での常識です。
 韓国人が大声で、まるでケンカしてるかのようにしゃべっているのは、自己アピールをしなければ人から軽んじられ損をするかもしれない、という脅迫観念も理由の一つです。
 しかし他の国のことをよく知らないのですが、韓国の常識が世界の常識かもしれません。
 日本人ももっといろいろなところで自己主張しましょう。
 さて、朝鮮半島から様々な物を取り入れて来た日本ですが、何も朝鮮半島からだけ取り入れたのではありません。中国から直接取り入れた物もたっくさんあります。お知り合いの方は「遣隋使」や「遣唐使」を御存知無いようですね。朝鮮半島を経ないで直接中国から取り入れた書物や技術も大変に大きなものでした。直接中国で勉強して来たお坊さんが開いたお寺も有名なのがいくつかありますよね。お坊さん達は仏教の勉強だけ持ち帰ったのでなく、仏教と関係する美術・建築など様々な文化も持って帰りました。中国から鑑真というお坊さんもいらっしゃいましたよね。唐招提寺は鑑真さんの希望で、当時の中国の寺院形式だそうですよ。
 その前の時代に「銅鐸(どうたく)」というのがあって、古墳などから発掘されますが、この金属がどこの地域で採れた金属から出来ているかを分析したら、中国南部で採れた金属が最も多いことが最新の分析で分かってきました。中国産が最も多く、次が日本産。朝鮮半島産はわずかでした。
 また、鎌倉時代・室町時代も仏教や貿易を介してたくさんの中国の物を直接取り入れました。たとえばこの時代、禅宗が中国から入って来て、禅宗と関係のある美術や建築、その他の文化も入りました。日本史の本でその辺の所などをちょっと詳しく頭に入れて、韓国人に具体的に説明してあげるのは如何でしょうか。
 また、日本に様々な物を伝えた朝鮮半島ですがその朝鮮の物は中国から教わった物が非常に多いという基本中の基本を、韓国人はスッコーンと忘れています。
 仏教も384年、百済にマラナンダという僧が来て伝えます。百済は毎年、中国皇帝に朝貢使を送りますがその時百済の留学僧・留学生たちも一緒に行きました。他の高句麗・新羅も同様です。仏教文化は古代朝鮮文化において中心を占める程大きな物です。多くの文化を中国から輸入しましたがそのことは教育でほとんど触れないので韓国人の意識の中にないのです。
 手元に韓国の高校歴史教科書がありますが、中国から習ったことは「伝わった」「影響を受けた」とわずかに記載があるだけで具体的に全然書いていない反面、日本に文化を教えてあげた(「教えてあげた」と書いてあります)のは、「三国文化の日本伝播」とわざわざ項目を作って具体的に書いています。その始めの部分は、「日本に渡った我が国の人々は、土着社会の日本人を教化し、日本の古代文化を形成、発展させてあげた。」です。「我が国の人々は」の所は「ウリナラ サラムドゥルン」で、はっきりと「我が国の人々」と書いてます。他にも「王仁」「五経博士」「百済伽藍」「聖徳太子の師匠、ヘジャ」「日本が誇りにしている法隆寺の壁画もタムジンが描いた」・・・・等など具体的に詳しく。
 『梁書』に、百済の聖王が541年に送った朝貢使に対して梁皇帝が仏典・学者・工匠・画師などを下賜したことが書いてあります。文化を持った中国人達が半島に渡来して教えていたわけです。
 漢字ももちろん中国から。4世紀後半、百済に東晋の高興博士という人達が来て伝えます。
 しかしこのような、「教わった歴史」は教科書に書いてありません。ですのでみんな知りません。「教えたあげた歴史」をあれ程詳しく書くのなら「教わった歴史」、こちらも詳しく書いて欲しいものです。
 半島と少しでも関わりがあったら全て「我が国が作った」だったら、「朝鮮の文化は中国が作った」ということになります。半島出身者の子孫が全て「我が国の人」だったら、韓国人はみな中国人になります。

投稿日時 - 2010-05-16 15:08:23

お礼

ご回答ありがとうございます。
私も、朝鮮から受け入れた文化の中に、
どの程度“(中国起源でない)朝鮮独自の文化”があったのか、疑問に感じます。

韓国語の教科書が読めるというのはうらやましいですね。
「日本の歴史教科書が歪曲されている」と指摘してくる韓国の人達に、
自分たちの教科書の現実を顧みてもらいたいものです。

投稿日時 - 2010-05-17 22:30:15

ANo.6

その理屈で言えば、朝鮮人はアフリカ人であり、韓国を作ったのはアフリカ人です。日本人もアメリカ人もヨーロッパ人も皆アフリカ人です。


そんな冗談はさておき・・・
当時朝鮮半島には「朝鮮」という国も「韓国」という国も存在しません。韓国という国家は建国60年ほどの歴史の浅い国です。韓国人が古代日本の寺院建設に携わるにはタイムスリップするしかありません。

投稿日時 - 2010-05-16 11:36:28

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-05-17 02:31:25

ANo.4

「朝鮮半島」と「朝鮮半島の人/国」は「=」ではありません。

朝鮮半島では、人(民族)/国が何度も入れ替わっています。
現在、朝鮮民族と呼ばれている人種は一番最後に朝鮮半島に定住した民族です。
日本はそれより遥か昔から、朝鮮半島と交流しています。

古代日本が交流を持ったのは、朝鮮人とは別の民族ですので。

朝鮮半島から文化的な影響を受けたのは事実ですが、それは、あくまでも「朝鮮半島に住んでいた人々」からであって「朝鮮人」ではありません。

投稿日時 - 2010-05-16 04:24:36

補足

ご回答ありがとうございます。
朝鮮の歴史はさほど詳しくないのですが、
shin1417さんの言う「一番最後に朝鮮半島に定住した民族」というのは、
どういう人達なのでしょうか?
高句麗を建国した「扶余」と呼ばれる民族のことですか?

投稿日時 - 2010-05-17 02:04:48

ANo.3

奈良時代の初期ごろまでは、朝鮮半島や中国大陸も不安定な情勢だったので戦乱で海に追われて遭難したり
戦になる前に逃げて日本へ漂着した民が多くいました。

その中で技術的な職能の高い人は飛鳥・奈良時代初期ごろまでの間、寺院や仏閣の建築の際に単なる
作業員よりは少し上の作業区画ごとの棟梁になる者もいましたが、全体の設計や工事の指揮は
中国(隋~唐の時期)から来た僧侶、その渡来僧侶の弟子になった日本の僧侶、中国への留学経験の
ある日本の僧侶などが執っていました。

天皇一族の側近としてきた朝鮮半島からの移民一族らは、むしろ軍事、治安、神事(即ち皇族の)祭礼
などの分野の取り仕切っていました。なので、土地の開墾や建築などの事業は近畿地域の先住大豪族が
多くを担当していたのです。

中国や韓国の人は、日本に対して『日本(島国)<朝鮮(半島)<中国(大陸)』という5千年前からの
封建的な関係は技術力や経済発展に関わらず変えてはいけない、という現代から見ると時代遅れすぎる
過去の栄光をやたらと引きずっているので、うっとうしく思ったら、はっきり言ったほうが良いです。

日本の文化や歴史は、中韓だけでなく、中韓は通ってきたけれど中国や朝鮮の文化というよりは
さらに遠い中央アジアやコーカサス地方から一気に駆け抜けてきたのではという方がしっくり来る
ものや、樺太周りの北方系、フィリピンやマレー・ポリネシアの南方島嶼系から来たであろうものなど
非常に多岐にわたっています。99%まで韓国でないと・・・みたいなのは韓国が日本に対して高圧的に
接したいが為の大げさな言い訳(実際は6・7割程度)です。

もちろん、実際に語ろうと思ったらそれこそ日本語だけでなくあらゆる言語で書かれた(翻訳物でも
構いませんが)資料を徹底的に勉強しまくらないと追いつきませんけど、堂々と言い返したいので
あれば、覚悟を決めて取り組んでみてください。

投稿日時 - 2010-05-16 02:35:12

補足

ご回答ありがとうございます。
さすがに、海外の人達と歴史について語るたびに、何冊もの本を調べて回答…
というのはむずかしいのですが、次の部分について、参考になるWebページや本があれば教えていただければと思います。
よろしくお願いいたします。
↓↓↓
その中で技術的な職能の高い人は飛鳥・奈良時代初期ごろまでの間、寺院や仏閣の建築の際に単なる
作業員よりは少し上の作業区画ごとの棟梁になる者もいましたが、全体の設計や工事の指揮は
中国(隋~唐の時期)から来た僧侶、その渡来僧侶の弟子になった日本の僧侶、中国への留学経験の
ある日本の僧侶などが執っていました。

天皇一族の側近としてきた朝鮮半島からの移民一族らは、むしろ軍事、治安、神事(即ち皇族の)祭礼
などの分野の取り仕切っていました。なので、土地の開墾や建築などの事業は近畿地域の先住大豪族が
多くを担当していたのです。

投稿日時 - 2010-05-17 01:44:39

ANo.2

「大坂城を造ったのは誰か」という問いに「大工さん」と答えさせるなぞなぞのような話ですね。

東大寺の造営の統括を行う役所は「造東大寺司」といい、その責任者は「国中連公麻呂」という人です。祖父が百済滅亡の際に日本に亡命していますので、渡来系の人ですが、亡くなったのが西暦774年ですから、間違いなく日本で生まれて日本で亡くなっています。
大仏建立の詔が発せられたのが西暦743年ですから、百済が滅亡してからすでに80年がたっています。すでに日本の技術になっていたと考えてもよさそうです。

参考URL:http://www.bunkaken.net/index.files/kihon/bushi/kimimaro1.html

投稿日時 - 2010-05-16 01:01:54

お礼

ご回答、ありがとうございます。
東大寺は、日本が世界に誇る建造物ですので、一番気になっておりました。
toshinekoさんの回答に、少しホッといたしました。

投稿日時 - 2010-05-17 01:37:51

ANo.1

「秦氏」のことでしょうかね。
応神天皇の時代に朝鮮半島の百済から移住してきた集団がいるのですが、これが秦氏の祖先になります。
秦氏は技術者集団で、都市造営や建築の専門家がそろっていました。
なので、その末裔が東大寺とかに絡んでいても不思議はありません。
まあ、あくまで「祖先が朝鮮半島から来た人々」です。

百済が滅亡したとき、王族が日本へ大量に逃げてきました。
その子孫は日本に土着し、日本の貴族豪族と一体化したわけです。
桓武天皇の母がその中の一人で渡来系氏族の出身であることは周知の事実です。
きちんと記録に残っています。
天皇の先祖が朝鮮人というわけではなく、その中には朝鮮半島出身者がいたというだけの話です。
当時の貴族豪族に朝鮮半島出身者を娶った人がいても不思議は無いですね。別に天皇に限った話ではありません。

いずれもいろいろな研究書が出ています。

投稿日時 - 2010-05-16 00:00:18

お礼

素早い回答、ありがとうございます。
客観的な意見をいただき、参考になりました。

投稿日時 - 2010-05-17 01:33:13

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