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 440万年前の猿人『ラミダス』エチオピアで発見。

 440万年前の猿人『ラミダス』エチオピアで発見。
 
 NHKの「ハイビジョン特集」を見て。

 ‘人はどこから来たのか’それは人間にとって根源的な問い、であるらしい。

 番組のナレーターによると、
 人間は他の動物とは最初から大きく違っていた。ダーウィンは、人間も他の動物と同じように自然淘汰を経て進化してきたと考えた。でもその手がかりとなる化石は見つかっていなかった。だがエチオピアで人類の祖先と思われる440万年前の化石が発見された。その一部が最初に発見されたのが1992年。

 という内容から始まって、
 さらに化石は発掘され、様々な分野の協力の下に『ラミダス猿人』の全容が、明らかになっていくところを紹介しています。

 そして腰の骨からこの猿人が二足歩行をしていた、ということまでは分かったのですが、他の哺乳動物との大きな違いである、二足歩行をなぜ人間はするようになったか、という点については解決できないままでいるようです。

 そこで私の疑問です。

 様々な分野の協力を得て、とありますがその中に精神面を学問する分野が含まれていないように感じます。そうだとすると「科学的研究、学問」には精神的要素は含まなくてもよいと“学者”は考えているのでしょうか。

 人間が二足歩行するようになった原因は、生物学的環境に依るというよりも「精神性」に理由があるように思えてなりません。

 心理は体に、表情に表れるからです。

 気持ちふさげばうつむき加減。心軽ければ背筋は伸びて、顔も晴れやか。
 椅子にふんぞり返って足をテーブルに投げ出せば、遊び人の気分を味わい、お習字をする時のように椅子に深く腰をおろし背を伸ばせば、気持ちが引き締まります。

 440万年前の『ラミダス猿人』も既に人としての精神を、意志も理性も感情も、持っていたからこそ立ち上がったのではないでしょうか。

 ためしに私の狭いお部屋の中で四つ足になって“歩行”してみました。

 ☆やっぱり気持ちが違います。

 

投稿日時 - 2010-07-15 16:36:41

QNo.6040444

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

 私も化石人類の精神構造等には非常に興味がありますので、質問に共感してしまいました。少しお話させていただきます。
>>そうだとすると「科学的研究、学問」には精神的要素は含まなくてもよいと“学者”は考えているのでしょうか。
 これについては、「考えなくて良い」というより、「まだ考えられる状況ではない」といったほうが正しいと思います。
 例えばネアンデルタール人について、シャニダールで発見された死体の埋葬と共に花の花粉が見つかったことで、ラルフ・ソレッキ氏は「死者へ花を手向けたのだ」と紹介して世界各国で共感を呼びました。この説より「ネアンデルタール人は明確な他界観をもっていたのではないか」等の精神性にまで及ぶ仮説が多数あらわれました。私もこの説は好きなんですが、他のネアンデルタール人遺跡やネアンデルタール人より新しいクロマニヨン人に花を手向けたという類例が見当たらない事などから、私自身は現場汚染の可能性のほうが高いのではないかと考えています。
 また、精神を考える上で「脳」の進化という事も忘れてはいけません。ネアンデルタール人の脳は頭蓋骨の大きさから現生人類より大きかったことが分かっています。しかし、だからといって脳が現生人類より進化していたとは言い切れないようです。頭蓋骨の裏側に残っている動脈の跡から、ネアンデルタール人の前頭葉は現生人類の約70%程しかなかったといわれています。
 つまり、化石人類の精神的要素を考察するにしても、それは考古学的証拠に基づいている必要があるのです。その時ラミダス猿人は、この考古学的証拠がまだまだ少ないと言わざるを得ません。
 また、
>>気持ちふさげばうつむき加減。心軽ければ背筋は伸びて、顔も晴れやか。
というのは、あくまで現生人類の中でも私達の感覚であって、現生人類が現れたのはミトコンドリアDNAの解析により約20万年前と言うことで落ち着いていますが、その当時の現生人類が私達と同じ感覚でいたとは言えないようです。なぜなら、現生人類が現代的行動を具えたのはサリー・マクブレアティ氏とアリソン・ブルックス氏の研究によれば約14万年~10万年の間と言われています。
 ですから、今の私達の感覚をラミダス猿人に置き換えるのは、私達の傲慢と言わざるを得ません。認知動物学の中には「モーガン公準」といって「ある行動がより低次の心的能力によるものと解釈できる場合は、その行動をより高次の心的能力によるものと解釈するべきではない」ということがありますが、これは化石人類にも適用できるでしょう。
 
 先ほど脳の話をしましたが、現在分かっていることで言えばラミダス猿人の脳は現在のチンパンジーより少し小さかったようです。チンパンジーにの精神性に関しては霊長類研究では、チンパンジーに手話を教えています。この実験から、かなりの手話を覚えて、感情によって手話を使い分けることも分かっています。このように、考古学的研究以外のアプローチでラミダス猿人精神性を推察することも出来るかもしれませんが、ラミダス猿人そのものと考えたときはやはり考古学的発見を待たなければなりません。

>>440万年前の『ラミダス猿人』も既に人としての精神を、意志も理性も感情も、持っていたからこそ立ち上がったのではないでしょうか
 ではなぜ、立ち上がったのか??「木の実が取りやすかった」とか「平地で住むようになって、遠くを見渡すため」など色々の仮説が立てられていますが、最近精神的進化とも関係があると思われるおもしろい仮説が出ています。それが、「プレゼント仮説」です。
 人類は二足歩行し始めた頃から、「犬歯」が退化し始めているようです。チンパンジーと比べても、アウストラロピテクスは犬歯がかなり退化していることが分かります。これは一体なぜか?犬歯は肉を引きちぎる以外に、メスを奪い合うときの武器としての重要な役割があります。つまり、二足歩行と同時に犬歯が退化しているのは、二足歩行と同時にメスを奪い合うときの武器が必要なくなったのではないか。
 では、どうやってオスは雌の気を引いたか?それが、プレゼントです。プレゼントをたくさんもっていくためには二足歩行が必要だった。そして、二足歩行の上手なやつがメスに気に入られ、二足歩行が上手な骨格や遺伝子が伝えられたと言う仮説です。
 この仮説が正しければ、メスがオスを選ぶと言うことを最初に始めた動物になるわけですよ。また、プレゼントには相手の表情を読むなど、現在の人間にも通じていく色々高度な能力も必要になっていくわけです。おもしろいでしょう?
 こんな風に考古学的にも化石人類の精神性は研究されているわけです。
 
長々駄文を連ねましたが、急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞお許しください。
合掌 南無阿弥陀仏

投稿日時 - 2010-07-16 11:07:04

補足

 生物学としての回答と受け止めました。
 そして、身に余る内容の回答をありがたく思いながら学びました。

 質問文が曖昧だから、いただいた回答もいろんな視点からのものになりましたが、どういうことを質問しようとしたのか、おかげさまで少しは明確に表現できそうです。
 だからそれをお礼欄に書いてみようと思います。

投稿日時 - 2010-07-17 00:28:38

お礼

 人間の赤ちゃんは、生まれるとお乳をほしがり、母親が乳房を与えるとそれを吸います。また、うれしいという“気持ち”を表現したくて手足をバタバタと動かしたりします。
 そして体が育ってくると、這い這いをし始め、やがて立ち上がり歩くようになります。

 牛や馬は、生まれるとすぐ、立とうとします。
 植物は環境が整えば種は発芽し、成長してゆきます。

 なぜ?

 教えられたわけでもないのに。

 ここに物的証拠を得られない“何か”を想像するのです。(霊感はないので感じるという表現はやめました)

 その“何か”に精神を、精神の“意志”を、思うのです。 

 植物にしても、動物にしても、微生物にしても生きようという“意志”があるからこそ「生きて」いるのではないでしょうか。

 植物は植物としての、動物は動物としての、そして人間は、人間としての「意志」あるがゆえ、人間は足に歩行という役目を任せ、手をそれ以外の作業に使うようになったと、思うのです。

 ただこうした精神は物的根拠が得られないようで、それが残念。


 ちょっと疲れてきたので、ここまでとしますが、回答してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

 次回も(質問することがあれば、ですが)よろしくお願いいたします。
 

 

投稿日時 - 2010-07-17 01:19:04

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回答(7)

ANo.6

ぜんぜん見当違いかもわかりませんが、私は人間の進化は目と想像力によっておこってきたと思います
なぜかといううとここ数十年で、日本人の体形は恐ろしく変わってきたからです。
胴長短足の明治大正昭和の人間と今の若者の体形の違いを何と説明したらよいのでしょうか。
親の世代が眼からそう云う情報を得てああ素敵 かっこいい あのようになりたいという願望が
遺伝子を変えていったのではないでしょうか。

あの高い木の上の果物が欲しい、とか、首を伸ばしてもっと遠くを見たいとかいう願望が
にげんげんを変えてきたのだと思います。これは質問者さんのおっしゃる、(精神性)と云う事と
つながっているのではないでしょうか。

投稿日時 - 2010-07-15 21:21:30

補足

 「人間の進化は目と想像力によっておこってきた」を、「目と想像力によっても」と、「も」を追加してほしいです。

 こうしたほうが、そのほかの考えられる要因を否定しないことになるから。

投稿日時 - 2010-07-15 21:51:48

お礼

 生物学的には、大きく変わった日本人の食生活。

 これが最大の要因かと思いますが、だからといって、「精神性」が否定されるわけではないと思います。

 精神性は物的証拠を持って証明できないし、したがって状況的証拠を「感じる」しかありません。

 その「感覚」に依れば、「精神性」を無視できないのです。

投稿日時 - 2010-07-15 22:12:09

ANo.5

人類の進化において、大脳の進化と二足歩行の開始とでどちらが先行したか?あるいは人類をどこで区別するかに関しては、現今では、二足歩行が先行し、二足歩行する類人猿が人類であるとしています。

二足歩行をなぜ人間はするようになったか

その問い自体を問題にしていないから、回答があるはずがない。

二足歩行をする突然変異があり、その突然変異によっても死に絶えることがなかったので、生き残っている。というような説明になります。

人類の精神性に関しては、ネアンデルタール人段階であったの?なかったの?というのが議論の段階です。なのでラミダスは問の対象になっていません。

投稿日時 - 2010-07-15 19:09:07

補足

 突然変異はなぜ起きるのでしょうか。

投稿日時 - 2010-07-15 19:34:38

お礼

 tanuki4uさんは学説をそのまま鵜呑みにするタイプですか。

投稿日時 - 2010-07-15 19:37:50

人間は他の動物とは違っていたが、直立して遠方を監視するミーアキャットだけとはよく似ていた。

人間は脳の重量が大きくなったのに四足歩行していると、すなわち脊椎水平状態でいると肩が凝った。
現在みたいに肩こりを張り薬で直す習慣はなかったので、肩こりの根本原因を取り除かなくちゃならなかった。
で、いつもミーアキャットの真似していた頭でっかちで、かつ上腕や肩の筋肉量が少ない痩せ男が立ったまま歩いた方が肩が凝らない事を立証した。

立証したってとこが偉いね。口で言っているだけじゃななくて立証したからこそ、みなが追随した。

人間が二足歩行するようになった原因は、精神性に依るというよりも「肩コリ」に理由があるように思えてなりません。

投稿日時 - 2010-07-15 18:26:39

補足

 440万年前の猿人に肩こりはまだ起こらなかったのではないでしょうか。

 肩こりの“起源”っていつ頃からでしょうか。

 ちょっと気になってきました。

 Wikiにあるかしら。

投稿日時 - 2010-07-15 18:38:36

お礼

 Wikiはまだ見ていませんが、心と体。

 お互いに影響させてます。

 体のメッセージに負ける心あるかと思えば、心の欲に耐えられない肉体もあります。

投稿日時 - 2010-07-15 19:31:50

面白いので参加させていただきます。

>気持ちふさげばうつむき加減。心軽ければ背筋は伸びて、顔も晴れやか。

気持ちが晴れていれば、前向きになります。
そして、以下のような気持ちになるでしょう。
「大丈夫だよ!俺も協力するからさ!」
「地球に生まれてよかったーーーーーーー」
「鳥さんありがとう!」

ということは、大地賛歌・生命賛歌・友愛精神の発露を示す遺物(洞窟画など)がその時期に生まれたはずです。
今後の考古学的な発見を期待したいところですね。

>ためしに私の狭いお部屋の中で四つ足になって“歩行”してみました。

私は森でやってみようと思います。

投稿日時 - 2010-07-15 17:59:17

補足

 猿人なので、洞窟画を描くほどには発達していないのでは。

投稿日時 - 2010-07-15 18:32:08

お礼

 洞窟画を残すほどの精神はまだ育っていないと思いますが、他の四つ足動物とは明らかに違った精神を持っていたからこそ、立って歩き、手で作業したのだと思います。

投稿日時 - 2010-07-15 19:25:45

ANo.2

「精神性」というのは、個体の内的要因です。
しかし、生物が進化するのは、環境による淘汰によります。
たとえば、遺伝子は突然変異によって多様性を派生させますが
(=内的要因)、その結果的な方向性は、淘汰によって導かれます。
「心軽ければ立ち」「気持ちふさげばうつむく」としても、
それでは人類が立ったのは『心が軽くなったから』ではなく、
その『軽い心』を選択した環境要因があるからに他なりません。

もちろん、こうした「ダーウィニズム(自然選択万能説)」に対し、
遺伝子そのものの可能性に特性が内在していて、特定の形質に
収斂するとする「構造主義」や、進化の主要な部分は遺伝子の
ランダムな変化の集積に依存しているとする「中立進化説」など、
異なる立場がありますが、少なくとも「精神性」は遺伝子に支配
された構造的なものではなく、環境要因を反映するものですので、
それを第一原因として、機能的に重要な効果を持つ“直立”が
導かれたと考えるのは難しいでしょう。

投稿日時 - 2010-07-15 17:48:42

補足

 植物はその成長した姿を種からは想像できません。

 人間は四つ足動物から進化した、と考えられているようですが、そのあたりを思案中。

 四つ足の動物とは全く違った、人間としての“種”が自然発生する時点ですでに宿っていたかも。

 

投稿日時 - 2010-07-15 18:29:33

お礼

 進化とは‘淘汰の世界を乗り越える’ということではないでしょうか。

 それに猿人が機能的に便利だからと「手」を使うようになったのも、そうした能力が潜在していたからだと思うのですが。

 そしてそれは“心の働き”に因る、といえるのでは。

投稿日時 - 2010-07-15 19:11:12

ANo.1

思い付きとしては面白そうなのですが、説得力がまだ足りないですね。

始めに意思が有った、だから立ち上がったと言うのですね。


では、こんなのはどうでしょうか。

 さらに化石は発掘され、様々な分野の協力の下に『始祖鳥』の全容が、明らかになっていくところを紹介しています。

 そして腕の骨からこの始祖鳥が飛行をしていた、ということまでは分かったのですが、他の爬虫類との大きな違いである、飛行をなぜ鳥はするようになったか、という点については解決できないままでいるようです。

 1億4500万年ほど前の『始祖鳥』も既に鳥としての精神を、意志も理性も感情も、持っていたからこそ飛び上がったのではないでしょうか。

 ためしにグライダーに乗って“飛行”してみました。

 ☆やっぱり気持ちが違います。

もう一つ付け加えると、ダチョウは飛行をあきらめ、いよいよ二本足で歩行を始めた。既にダチョウとしての精神を、意志も理性も感情も、持っていたからこそ二本足を地に付けて立ち上がったのでしょうか。

投稿日時 - 2010-07-15 17:38:59

補足

 初めての優越感を感じています。

 内容ではなく、文章の長さで。

投稿日時 - 2010-07-15 17:50:47

お礼

 「始めに意思が有った、だから立ち上がった」という表現はなんか、宗教的っぽいのでここは否定しておきます。

 と云っても全く表現が変わるわけではないのですが。

 もし猿から枝分かれしたとしても、人間としての精神性が生まれ、発達したからこそ二足歩行をするようになったのではないかと思ったのです。

 外的環境よりも精神性による影響が大、と考えました。

投稿日時 - 2010-07-15 18:57:03

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