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宇宙は存在していると言えるか

宇宙は存在していると言えるか

素粒子論、量子論、超弦理論などからの存在証明を問うていません。
誰の目から見てもあるのだから存在しているというのは不要です。
これらは非常に人間的視点だからです。

認識論から私が宇宙を認識しているから存在していると言うのも
けっこうです。それは私の宇宙ですからそれはそれでいいのです。

あえて、無理な質問をしているのかもしれません。
しかし、はたして宇宙からみて宇宙は本当に存在しているのでしょうか。
存在しているとするなら、それはなぜでしょうか。

投稿日時 - 2010-09-07 10:32:45

QNo.6164733

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

哲学問答は不得手なのですが……

> 私にとって、宇宙は存在している。
このことが言えるのは、あなたと宇宙(世界)との間に相互作用があり、あなたは感覚器官を通じてそれを認識できるからですよね。

同様に、宇宙の構成要素間に相互作用が認められるのならば、全体として宇宙は存在している、と言えるのではないでしょうか。

> 机から見て、その机は存在しているのかということですね。
一個の机だけが他に何もない空間に存在するだけならば「存在」を問う意味は無いでしょう。
しかしここで、地上に置かれた机の上に大石を載せたと仮定しましょう。
大石の重みによって机がたわんだり、やがて壊れたりしたとしたら、人間(あなた)がそれを見ていようといまいと、机にとって石は存在するし、石にとって机は存在するのは確かです。
したがってこの場合、机と石(それに重力を持つ大地)のセットという小宇宙は確かに存在する、と言えるのではないでしょうか。

> 存在しているとするなら、それはなぜでしょうか。
「なぜ」を問うても、答は存在するのでしょうか。私には判りません。
「犬はなぜワンと鳴くか?」の問いに対してイヌの口蓋の構造や発声機構を解説したとしても、おそらく質問者さんの求める種類の回答にはならないのでしょうね。
私としては「ワンと鳴く動物を人間はイヌと名付けたのだ」と答えるのが精一杯です。

広大な宇宙の中で、天体から素粒子に至るまでありとあらゆる物質が、百億年以上にもわたって複雑な相互作用の渦を繰り広げて来てきました。
これからも未来永劫続くその万物流転の大渦の中で、たまたま宇宙の一角でホンの一瞬だけ構成されて、すぐまた分解されていく微少な有機体システムが、あなたであり私であるのです。

そんな泡沫のような存在が「宇宙はなぜ存在するのか」などと大それた疑問を持っても良いのでしょうか?
……良いのです。だからこそ人間は知的生命体なのです。

投稿日時 - 2010-09-09 17:36:26

お礼

ご回答ありがとうございます。

>哲学問答は不得手なのですが……

 私もです。

>大石の重みによって机がたわんだり、やがて壊れたりしたとしたら、人間(あなた)がそれを見ていようといまいと、机にとって石は存在するし、石にとって机は存在するのは確かです。

 あなたのご回答を支持します。一方で私が迷子になっているのはここです。
 石側からみると、はたして宇宙は、人間が見ているような空間や時間をしているのだろうかと思うんですね。

 光から見れば、ビッグバンははじまったのか、あるいは、ビッグクランチは既に終わったのかさえ区別がつかず、
 石のような存在確率の高いものから見ると、(陽子が崩壊する以前には)ビッグクランチは永遠に訪れることがない・・・様な宇宙ではあるまいかと。 


>広大な宇宙の中で、天体から素粒子に至るまでありとあらゆる物質が、百億年以上にもわたって複雑な相互作用の渦を繰り広げて来てきました。

>これからも未来永劫続くその万物流転の大渦の中で、たまたま宇宙の一角でホンの一瞬だけ構成されて、すぐまた分解されていく微少な有機体システムが、あなたであり私であるのです。

 感動を覚える文章です。凛とした科学の香りがします。
 私も理系人間なのですが、この宇宙認識こそがまさに宇宙ですよね。

 一方で、その微少な有機体システムが見ている宇宙は真の宇宙の姿をしているのかと不安を覚えるんです。
 科学は非常に人間らしい視点に偏っているのではないかと。

 その有機体システムが言っている「存在」とは、未来永劫続くその万物流転の中で、変わらない「存在」として君臨し続けるのかということかもしれません。


 すっかり哲学問答の様相を呈してきてしまいました。

>……良いのです。だからこそ人間は知的生命体なのです。

 科学のカテゴリーではまずいですね。別の質問を立てます。

投稿日時 - 2010-09-09 19:50:21

ANo.13

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回答(13)

ANo.12

No.6,11です。
「宇宙から見て」が大事なんですね。
あなたの目の前に机があったとして
机から見て、その机は存在しているのでしょうか?

投稿日時 - 2010-09-08 16:01:05

お礼

連続回答ありがとうございます。

この質問は、ごくシンプルにいうと、机から見て、その机は存在しているのかということですね。

1 机は、誰から見ても、存在しているのだから、机から見ても存在している。

2 机は、人間から見て存在しているにすぎず、机からみて机は存在しているとは限らない。 
  むしろ、机は人間が存在せしめているにすぎないから、机は机から見ては存在しない。

さて、どちらなのでしょう。うまく説明はできませんが私は2だと直感します。
人間の想像の限界外にあるお馬鹿な質問ですけど、私にとっては意外と重要なことなんです。

投稿日時 - 2010-09-08 16:40:48

ANo.11

No.6です。

質問者様の仰る「宇宙」が狭い意味の宇宙(私のイメージでは暗黒の世界)だけでなく
森羅万象を指しているのならば、目の前の山もビルも他人もPCも「宇宙」ですよね?

>あなたに対しては、あなたの目前に立つ以外に、私の存在を証明することはできません。
もしこれで証明が可能だとお考えなら
目の前にある宇宙も証明可能ということになりませんか?

投稿日時 - 2010-09-08 12:41:54

お礼

ご回答ありがとうございます

 私にとって宇宙が存在するということや、あなたにとっても宇宙は存在しているだろうという
 ことを質問させて頂いているのではなくて、宇宙にとって宇宙は存在しているだろうかという
 おかしな質問なんです。

 私にとって、宇宙は存在している。では、その存在している宇宙から見るとどうなんだろうか。
 宇宙は私にとっては広大な時空間なのですが、それが故に、宇宙側から見ると、
 宇宙は無いのではないかということなんです。

 No9の方の言葉をお借りすれば、相補的不確定性が生じ有限的存在は幻出されているのだから、
 幻出された存在から見るとその存在など無いということになりはしないかと思うのです。
 

投稿日時 - 2010-09-08 13:37:47

ANo.10

宇宙は存在するが、証明はできない。
人は主観でしかものを認識できない以上、完全な客観性を持った証明というものはできない。

なので、暗黙のうちに言語など共有できる情報によって矛盾なく意志疎通できるという仮定があるように思えます。
これは哲学の人の方が上手に定義できると思います。

理論物理としては、さらに宇宙というものがあると定義して、それが実験的観測を説明できる、と言うことを前提にしていると思います。
なので、物理では宇宙の存在の証明はしていませんし、範囲外かも知れません。

なので、物理と言うのは客観性と宇宙の存在を仮定した上での理論なのだと思います。

また、存在には理由は必要無いと思います。
どのようにして生まれたかと言うのは考えられますが、何で生まれたかと言うのは答があると決まってはいないと思います。

投稿日時 - 2010-09-07 21:38:31

お礼

ご回答ありがとうございます。

 まさしく、仰るとおりでございますし、確かに存在に理由がないのが科学です。
 実験的観測で存在を疑ったら科学は成り立ちませんよね。

 一方で、まさに、人間が主観でしかものを認識できないにもかかわらず、
 科学が客観性と宇宙の存在を仮定した上で理論体系としていることのアノマリーとして
 質問をさせて頂いています。

 

 

 

投稿日時 - 2010-09-07 22:32:23

ANo.9

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、「有る」というのは、その山の絶対高さではなく、底との落差を指します。
全ての物質は、この「量子性=存在確率波動」を持ち、無限につめこむと、ある波形には必ずそれを打ち消す逆位相の波が約束され、存在確率の山が平らになって無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限のゼリーの中に、仮想的な認識体の断面を切ると、その認識体にとって、相補的不確定性を伴う存在による宇宙が見えます。

しかしその「存在」は、認識される階層的現象の表面的に生じるもので、根源的に絶対化しようとすると、元の無限不確定性に発散します。
実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対によってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。
客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。
認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。
その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。

我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。
無の不確定性無限の潜在としての、「自我仮説性」の相補としての「時空仮説性」。
「相補」というのは、絶対時空を否定し、認識体との相対においてしか時空は計量できないとする相対性理論や、同じく認識体が現象表面的に物事を捉え、本質的に決定しないことにより有限的存在性は生じるとする不確定性原理といったものを伴う時空、ということです。

即ち「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、それが架空の時間軸となって、空間的確定性としての無限不確定的空間性が、超光速(過去=経験=時間)と光速下(未来=予測=空間)に相補分化する受け皿となり、同一軸の延長が仮説的に直交基底をなす事によって、相補的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化における、有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。
即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、存在は生じていると言えます。
無いとは分からない事が有なのです。

投稿日時 - 2010-09-07 20:56:24

お礼

ご回答ありがとうございます。

>相補的不確定性を伴う存在による宇宙
>自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識する

 この質問は、すべての物質がその量子性をもって認識体にとって存在確率が高いと言うことと、
 認識体自身が不確定性をもっていることを区別し、あえて、物質側から見た物質側の存在確率
 を推し量ろうとする無謀な話です。

 認識体の存在確率を無視する無理な問いと解っていますが、その先に見えるものは不確定性を持っているのは本当に物質側なのか認識体側なのか区別ができるのかという事なのかも知れません。



 後段の時間論的考察や自我仮説には直感的に共鳴します。
>相補的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化における、有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。

 この有限的存在を幻出せしめる原因が、表面的には質量、重力なんだけれども、実はそれを体感している認識体の
 存在確率の高低を表しているのかなどと想像を膨らましたりもします。




>無いとは分からない事が有なのです。

  有となった宇宙からみて、宇宙は果たしてあるのでしょうか。
  そうすると、やっぱり、量子的な不確定性に基づいているのは、宇宙でしょうか、認識体でしょうか。


  認識体の存在確率・・・その認識体にとっては、100%。
  陽子からみると陽子の存在確率、素粒子から見るとその素粒子の存在確率に匹敵して、無では0%

投稿日時 - 2010-09-07 22:08:28

ANo.8

既存の概念で考えると何も出ないと思います、宇宙は無限大ともいわれます、ならば地球から惑星イトカワまでの距離を往復しても、全宇宙から見れば少しも動いていません(無限大に座標を設定しても意味がない)。
宇宙はビッグバン以来光の速度で膨張しているともいわれます、何が膨張しているのでしょうか、何かの物質があれば、質量が無限大になっているはずかな?、無限大の質量、それは普通には考えられません、人間の思考を超えた物、と言うより状態があるのかも、それらすべてを踏まえて宇宙の存在を、いやすべての物の存在を云々するなら、どうでしょう現代では宗教の範疇で「すべては無に帰する」らしく思います。
※物資を構成する原子、電子の動きを止めて摸式化すれば、スケスケらしいですね(人間が壁を通り抜けることも可能と思えるほど)

投稿日時 - 2010-09-07 20:07:57

お礼

たびたびのご記載ありがとうございます。

無限の空間は点にすぎず、点は無限の空間たり得るでしょう。
永遠は刹那に過ぎ去り、刹那に永遠があります。

人間が見る宇宙の存在は、その宇宙側から見ると、
人間が見ているようには存在はしていないでしょう。

どのように存在しているのかあるいは存在していないのかは人間の
知り得る事ではないにしても、どのように想像することが正しい
方向なのでしょう。

投稿日時 - 2010-09-07 21:33:46

ANo.7

ここは科学の分野ですから科学的な質問をした方が良いのでは?
質問が科学的でないようで、無理な質問と言うより、質問の内容が理解できません。
例としてどんな回答を望んでいるのか、書いてみてくれませんか?

投稿日時 - 2010-09-07 20:06:47

お礼

ご記載ありがとうございます。

 表面的には科学的でないと質問である受け取られることを承知しておりますが、
 裏面は科学的でもある質問だと認識しております。

 主観を一切排除した客観性にこそ科学の科学たる所以がございますけれども
 その客観性は実に人間くさい行為ではなかろうかと感じ、そのため、さらにその外側を
 標榜しているものでございます。

 私が望んでいる回答を私は記載する能力が無いので質問させて頂いています。

投稿日時 - 2010-09-07 21:23:16

ANo.6

回答というより質問(補足要求)です。

「世界」という言葉は「海外」のような意味でも使われますが
しばしば英語で言うuniverseあるいはworldの意味でも使われます。
あなたの言う「宇宙」とは、後者の意味と同じですか?

あなたは、あなた自身の存在を証明できますか?
できるとしたら、どうやって証明しますか?

投稿日時 - 2010-09-07 17:43:23

補足

ここで宇宙とは、定義は曖昧ですが、いわゆる全宇宙、全銀河、森羅万象のことです。

>あなたは、あなた自身の存在を証明できますか?

 私にとって、私の存在ほど確実な事象はありません。証明の必要はありません。
 しかし、あなたに対しては、あなたの目前に立つ以外に、私の存在を証明することはできません。
 あなたは、私の存在についてそれ以上に確証を得ることはできません。

 予想される補足説明は、私にとっての、宇宙の存在の証明ですが、宇宙は、私の反射として、私の中に存在しています。それ以上の確証はありません。科学で扱う宇宙と同一のものを指しますが同じものではありません。

 この質問は、科学で扱うところの宇宙側から見るとその宇宙自身は存在しているかということなんです。 

投稿日時 - 2010-09-07 18:17:44

ANo.5

No.3の回答者です。

>>>逆に、宇宙の定義付けがこの質問の解のような気もします。
>>>私が、無理矢理、定義付けしようとすると宇宙は消失してしまうので、宇宙は定義もできない、「ない」ものと化してしまうんです。

とおっしゃっていますが、No.4さんへのコメントには

>>>私は、これでも理系なので、哲学の言葉遊びをするのは苦手なのです。科学カテにさせておいてください。

とありますよね。
それですとお考えに矛盾があるような・・・。
再考が必要と思われます。

>>>科学が扱う宇宙は、時空間宇宙であって、いわゆる森羅万象のことですが、これはあくまでも「人間」が客観視した宇宙でです。宇宙はその限界ないで確実に存在します。

宇宙が存在するために知的生命体の存在は不要ですし、知能がない何らかを検知する生物の存在さえも不要です。
「宇宙」のという言葉の定義をせずに「宇宙の側から宇宙自身が存在するか」を論じるのでは哲学にもなりません。

ところで、私見ですが、
「形而下のものが存在する箇所があれば、その箇所は宇宙の一部または全体である。」
という命題は少なくとも正しいと考えています。
つまり、何かしらの形而下のものの存在が、宇宙の存在の十分条件であるということです。
また、「宇宙」の定義としては、
「その一部または全部が形而下の何かで構成されているもの」
を提案します。

投稿日時 - 2010-09-07 16:09:51

お礼

ご回答ありがとうございます。

 ご記載頂いた内容はよくわかります。仰る通りです。

 形而上、下の狭間、科学と哲学の間隙に落ちた迷い子の様な御回答困難な質問をさせて頂いているのかもしれません。
 
 人間から見た宇宙は「その一部または全部が形而下の何かで構成されているもの」として定義することで結構です。

 その形而下で構成されているものから見て、その形而下で構成されているものは、存在しているのかという質問をあえてさせて頂いていることになるんですね。

 言い換えると形而下を形而下たらんとしているのは人間ではないかという直感が根底にあります。

 ここで宇宙の定義の本質が変わったのかというと、そうではなくて、公理系の限界範囲側が変わっていて、想像するしかないという事だと思うんです。人間である私が言うのもなんですが・・・

 

投稿日時 - 2010-09-07 17:08:49

ANo.4

 科学的にいうなら、人間の目に限らず多数の観測機器にて観測可能であることから、その全ての観測機器を誤認させる何かがあると考えるよりは存在していると考えるほうが合理的でしょう。

 それでも存在していないと思うなら、それはもう「科学」ではないです。哲学にでもいくべきでしょう。

投稿日時 - 2010-09-07 13:54:52

お礼

仰ることはごもっともです。

私は、これでも理系なので、哲学の言葉遊びをするのは苦手なのです。
科学カテにさせておいてください。お願いします。

>それでも存在していないと思うなら、それはもう「科学」ではないです。

 科学的に客観視した宇宙は存在しています。そこに異論はありません。

投稿日時 - 2010-09-07 14:37:00

ANo.3

こんにちは。

「宇宙は存在する」あるいは「宇宙は存在しない」を命題として考えましょう。
この命題は「宇宙」の定義がないと無意味です。

ukiyotonboさんは、「宇宙」をどう定義しますか?

投稿日時 - 2010-09-07 13:31:16

補足

なるほど、その通りとなります。宇宙の定義付けができないことがこの質問の欠陥と言えますが、
逆に、宇宙の定義付けがこの質問の解のような気もします。

科学が扱う宇宙は、時空間宇宙であって、いわゆる森羅万象のことですが、これはあくまでも「人間」が客観視した宇宙でです。宇宙はその限界ないで確実に存在します。

では、その客観視された宇宙の側(人間存在を含む宇宙全体)から見ると、その宇宙自身は存在しているのかどうかということなのです。

 私が人間である以上、その客観視された宇宙側の立場に立つのは不可能だとは思いますが、想像の膨らませられるところまでは想像したいというのが質問の主旨です。

 私が、無理矢理、定義付けしようとすると宇宙は消失してしまうので、宇宙は定義もできない、「ない」ものと化してしまうんです。

投稿日時 - 2010-09-07 14:18:43

ANo.2

「存在しているとは言えない」、否定語が入った表現ですね、否定語が入った表現はどちらかというと詐欺師が好む表現です、すなわち「存在しているとは言えない」=「存在しない」ではないのです(存在しないとは言っていない、そう思ったのはそちらの勝手というのが詐欺師の言い分です)。
言うか、言わないかはあなたの勝手、反論も回答する気にもなりません。

投稿日時 - 2010-09-07 13:01:38

お礼

ご記載ありがとうございます。

存在するか存在しないかいずれか一方に帰着しないと直感しています。
存在しかつ同時に存在しないと言う結論です。
だから、存在しているとは言えないと記載しました。同時に存在していないとは言えないです。

うまく説明を構築する力はないのですが、上記のような漠然とした直感ははっきりとあります。
だから、質問させて頂いています。誰をも愚弄し困惑させる意図などありません。
また、議論をするつもりもありません。私がどう考えるかなど問題ではないからです。
あなたのお考えをお聞きしたかったにすぎません。

ご回答者様のような方から見ると、私の愚考は詐欺師と言うよりもむしろ
途方もない馬鹿に見えることを十分すぎるほど承知しております。

投稿日時 - 2010-09-07 13:48:51

>存在しているとするなら、それはなぜでしょうか。
そんな事に理由が必要なのですか?
なぜ必要なのですか?

投稿日時 - 2010-09-07 11:21:59

補足

うまく説明できないのですが、存在しているとはいえないと考えているからです。
その反論をお待ちしているのです。

投稿日時 - 2010-09-07 11:34:55

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