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キリスト教って何か目標はあるのでしょうか?

キリスト教って何か目標はあるのでしょうか?

仏教だと、座禅とかの修行で無の境地とか悟りに至るとか目標があるように思えるのですが
キリスト教だと何か目標にして修行とか行っているのでしょうか?

投稿日時 - 2010-09-16 21:44:07

QNo.6187299

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

・イエスが荒れので40日間<修行>をした。

・モーセは修行のためシナイ山に登って<修行>をしたが、40日たっても戻ってこなかったので、人々は牛の偶像を作って拝んだ。

・マリアの父ヨアキムは神殿を追い出され、荒れ野で40日間<修行>をした。


そう聞くと一体どんな修行をしていたのか気になりますよね。

翻訳が正しくない。
実際は<穢れの期間に入っていたので、40日かかって穢れを清めていた>。

日本でもそういった穢れの期間ってあり、例えば喪中ってのもそうです。

喪中の家は聖なる場所である神社に詣でることができない。
他の人と交わりを持たないことで、他に人に穢れをうつさないようにする という概念が日本にもあります。


つまり イエスも、モーセも、ヨアキムも穢れていたので、穢れの期間他の人と交わりを絶つことで、穢れを撒き散らすことを防いだってわけです。


どうして40日なのか、49日でも7日でも90日でもいいじゃないか、何故40日なのかと私 不思議に思って調べました。

聖書はものすごく分厚いのですが、内容は同じなんです。 繰返している。

それで最初に40日がどこに出てくるかというと、洪水のところ。

人間界が穢れたので神が穢れを洗い流すために洪水を起こした。
ノア一家と動物だけは穢れていないとして、船に乗って洪水を生き延びた。
洪水は40日続いた とある。
穢れを清めるのに40日かかったってことですね。


でもなんで、7日でも49日でもいいのに、中途半端な40という数字なのか と疑問は残って、また調べた、、、、
というのは置いといて、、、、


力を鍛えるための修行 すなわち訓練とかトレーニングとは違うんです。

罪を犯して穢れが積もったので、リセットするのが40日。
その間 他の人と交わりを持たない(感染するから)。


で、実際キリスト教徒が穢れを負って、40日間他人と接触を絶つという<修行(隔離)>をしているか?

知らないです。

誰かが突如姿を消し「ああ 彼はキリスト教徒だから、穢れたので修行に行ったんだよ。40日過ぎたら戻ってくるから心配いらない」という話は聞いたことが無い。

従って、キリスト教徒は穢れても修行をしていないか、絶対に穢れないから修行をすることは無いってことです。

日本の場合、大晦日までに大掃除をして穢れを落とし、清い状態で新年を迎え、聖なる場所である神社に趣くのですが、キリスト教徒は宗派によっても違いますが、神社に詣でることをしない。

従ってユダヤ教でもやっている、生きていると自然とゴミがつくから贖罪の日を儲けて、リセットをしよう というのが無い。
つまりキリスト教は贖罪も穢れを清めるという習慣も無いんです。


が、一応過ぎこし祭みたいなことはします。
身代わりに動物を捧げ、穢れを清めるという祭りなのですが、このときキリスト教徒はイエスを自分の身代わりにして殺すんです。

そして「食べなさい これはイエスの肉です、飲みなさい これはイエスの血です」と食すんです。

本当は食ったいけないと思う。
穢れは燃やし尽くさなければならないのですが、キリスト教の場合 もったいないからなのか イエスの血を飲み肉をくらうんです。

ダニエル書では多量の動物が神殿に信者に身代わりとしてささげられているのをみて、「本当に神様はこんなに欲しているのかなぁ?」と疑問に思って調べたところ、実際は神様に捧げられておらず、聖職者が動物をクックして食ってたことがわかった。

聖職者らは「神様が欲しているから」として贖罪に動物を捧げろと言っていたが、実際は自分たちが食べるために、そう言っていたわけです。

神様へ捧げるべきものを横取りして食ってたわけです。
神様がご所望だと嘘をついて、動物を身代わりに神様に捧げ贖罪をすればいいと言って、動物をもらい 食っていたわけです。

ダニエルによって詐欺行為は暴かれ、神の名をかたり悪事を働いていた神殿に巣くっていた聖職者たちは神を愚弄したとして殺されました。


現在でもキリスト教徒はイエスを身代わりにしたてていますが模倣であって、実際人を殺して自らの穢れをリセットしているという話は聞いたことが無いです。
身代わりに他人を殺して穢れに入り、40日間 行方不明になる という話も聞いたことが無いです。

投稿日時 - 2010-09-17 18:42:36

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回答(8)

ANo.8

カトリックのイエス・キリストは、
イコール、復活、奇跡を表す象徴です。
マリア様は慈悲です。

仏陀は、世界平和とか人々の成長を表す象徴。
観音様は慈悲です。


マリア様も観音様も慈悲の専門家です。
疲れた人、病んでいる人、無垢な子どもを心から愛します。
ふたりは女性ですから、女神として
人間の母親のような存在です。
そこは、目標ということでは
とにかく癒してもらいたい。という、
慈悲の目的があります。
なにをそんなに辛いことばかりするのですか
ただ、ここに来なさい。そう言って、気持ちよさ温かさだけに
包まれる宗教もあってよかったはずです。

特に、
キリスト教(キリスト)
仏陀(仏教)それぞれの神でありますが
西洋人とアジア人の人生の捉え方からして
作られ、広まっていく段階で、目標というものは
キリスト教にはなかったのではいでしょうか。

キリスト教はロザリオ
仏教は数珠
珠を数えながら祈ったり
お経を唱えるのはよく似ているんですけれども。


目標と言うと
しっくりした答えができるかわかりませんが

いずれにしても
母のような存在、マリア様や観音様を独立した宗教に
したかったはずではないかと考えます。
誰でもが、母なる存在に抱かれ
甘えているほうが安心で幸せですから。

でもそれじゃあ格好がつかないってことで
どちらの宗教にも男性の神が祭られた。

西洋人よりは
アジア人の仏教伝来家が、どういう内容にして行こうかと
仏教を伝えて行く上で
複雑にしていくことが得意だったのではないでしょうか。
賢い者も、多かったと感じます。

仏教だと
目標というのは、悟りのことかもしれませんが
キリスト教でも、祈りをいうことで悟りを得る人もおります。
祈り、瞑想、メディテーション、念仏、などといろいろあるかも
知れませんが、いずれも目的は
己を知ることです。


そして、ご褒美に
マリア様や観音様、またはインドの女神たちの
優しいぬくもりに辿り着ける。


厳しいだけが目標ではありません。
今の日本の若い人たちには、修行とプラスして
祈りということを個人の心のなかですすめていってほしいものです。

投稿日時 - 2010-10-28 01:34:15

ANo.7

仏教は、煩悩を捨てて神様に近づいていこうとしますが、キリスト教は自分を罪人と認め、イエス様を救い主として受け入れる事で救われるので、仏教のような修行というものはないと思います。

ただ人間は弱いので、神様から救われた後でも、私たちの中には古い性質(罪を犯しやすい性質)というものが残っています。この古い性質を捨て、イエス様に似たような者となることが、クリスチャンでいう修行なのかもしれません。

聖書の中ではイエス様を始めモーセやダビデ王など沢山の人が、断食や瞑想(仏教では心を無にすることですが、クリスチャンは神様への思いにフォーカスを当てます。)をしたり、一人きりになって何時間も祈ったりしました。クリスチャンも、こうしたことを個人的成長のためや、特別な祈りのためにすることがあります。

投稿日時 - 2010-09-22 14:22:18

ANo.6

こんばんは


・イエス・キリストの価値観を模範として成熟した人になることです。
・イエス・キリストは当時の貧しい人や病気の人をサポートしたり、極端な考えを
持つ人に別の視点で寛容な中道精神で社会を改革した方でもあります。

プロテスタントは修行はないですね。ただイエス・キリストがたどった道を
リスペクトすることによって新しい人格に作り替えられてゆくというものです。
(聖書に基づいた内容です)
・讃美歌(最近ではロックやゴスペル・ラップも出てきました。)
・聖書を文脈に沿って読むこと(マンガも売ってます*)
・祈ること
・クリスチャンとの交流会を通して励ましあう
・食事会
・自分の能力を活かして社会や周りの人に貢献していく

参考URL:http://www.bible.or.jp/purchase/newbible/manga.html

投稿日時 - 2010-09-22 01:53:42

ANo.5

キリスト教に修行はありません。
修道者はいると思いますが、
修行とは違うとおもいます。

目的は、とにかく、死後天国に入る
ことです。
黙示録の時代ならば、生きたまま
天国に入れるかもしれませんが。

天国に入るのを妨げるような
罪を赦してもらえばいいのです。

これは、カトリックと
プロテスタントでは
方法が違うと思いますが
一般論として書きました。

投稿日時 - 2010-09-18 07:40:18

ユダヤ教からの解放。

投稿日時 - 2010-09-17 00:42:52

ANo.2

仏教とキリスト教をくらべてみれば、わかると思います。

仏教は乱暴な言い方をすれば、個人個人が悟りを拓くことを目標にします。周りの人々の救済は、それに付随してくるものです。

キリスト教は、(これもまた乱暴ですが)まず神がいて、その教えに殉ずること、教えを広めること(周りの人を導く)を大切にします。ですので神の教えとも言える聖書を、とても大切にします。

このあたり、教義における神(=絶対者)の位置付けで変わってくるでしょうね。

投稿日時 - 2010-09-16 23:17:38

ANo.1

ziv

利潤追求・・・
とかだめですか、
そうですかだめですか

投稿日時 - 2010-09-16 22:20:43

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