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 自己存在性(self-identity)

 自己存在性(self-identity)
 における自己(self)とは、何を以って指示しているのでしょう?
 恐れ入りますが、ご訪問くださった方の存在性の確認の方法や手段、ないしは根拠をお話ください。

 盃の中に自己を忘れる人、花鳥風月に陶然たる方。人の善意に人生を知る人。
 私自身は散漫でなあり方ですので、せいぜい口に盃を近づけ、訪問してくる鳥さん達や蝶々に眺め入る時、ほっと人生を謳歌してみたりします。
 私の現状ですが。
 

投稿日時 - 2010-09-20 11:13:39

QNo.6194883

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

krya1998さんの質問に回答するのはずいぶん久しぶりの様な気がしますね。

私が私を意識するときは、何か心理的な苦痛を感じた時でしょうね。
不安、恐怖、怒り、嫉妬・・・・
いわゆるマイナスの局面で私は私を意識していると思います。
私の感覚ではその時自我が頭をもたげてきます。
これは闘争心なのかもしれませんが、戦いの準備を開始するような感じでしょうか。
もちろん戦いが始まらないように理性によって自我を大人しくさせるのですが、理性側が自分とは思えないですね。論理的な思考に個人の要素が含まれているとは思えませんから。

投稿日時 - 2010-09-21 23:12:40

補足

 そして、shift-2007さん創造界の陰陽のフィルムに投射されてくる、光って無垢なんでしょうね。
 無。Infinite (原初不飾者)でしょうね。
 そして光の前の存在、つまり投射者を感じます。
 決して知やその他で把握できるものでもないし、すべきものでもないし、しようとするものでもないですよね。

 あるだけでいい。把捉は無用。全部なんだから。すべてだから。
 猿猴捉月影の図っていう絵がありますものね。
 そして江戸の川柳:桜 観に来て 桜 見る馬鹿

 これって東洋っていうか、日本人の心性ですね。
 絶対などについての質問が上がっており、私も投稿しております。
 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6174142.html
 私もこの質問とペァで質問を出しましたが、文章が練れて居なくてまだご回答がないようなので、書き直そうと存じます。
 どうかもしよろしければ、その折おたちよりください。午後あたりに新しい文章のを出したいと存じます。
 ありがとう御座いました。

投稿日時 - 2010-09-22 08:03:54

お礼

 shift-2007さんらしいご回答で、ありがとう御座いました。
 心身も、生活もそれこそ極く自然で当たり前に言っている場合、つまり何の問題もないときは意識に上らないですね。
 風が吹くと、空気を意識したり。
 
 このことを押し詰めるて考えてみると、一切の現象存在や物事のない、完全な無の世界って、もっとも根源かもしれませんね。
 そこに一定の歪み的なフィルム(陰や陽の影)を持った、心身や観念などがその根源に対面というか対応することにより、物証界が現出する。
 という構図も考えられますね。
 その一定の歪み的なフィルム(陰や陽の影)を持った、心身や観念には、大きな世界のものがあって、その中にヴァラエティのある個別(個人)意識の一定の歪み的なフィルム(陰や陽の影)を持った、心身や観念が創成されている。
 なんてことも想像できないでしょうかね。
 ありがとう御座いました。

投稿日時 - 2010-09-22 07:40:41

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回答(3)

>ご訪問くださった方の存在性の確認の方法や手段、ないしは根拠を--。
ちょっと解りにくいですが、多分、自分自身が”俺、ほんとうにこの世に生きているんだなあ、”という感慨、実感を持つ瞬間はいつか?それはなぜか?というご質問では、と解釈しました。
私自身生きがいもあまりなく、本当に生きているのかどうか、という疑問を持ちながら長年生きてきたのですが、たまたまこのサイトを見つけて、それなりに質問をしたり、つまらない回答を書き込んだりして、その都度心に迫るご回答を頂いたりお礼をもらったりした時、そういった生きがいのようなものを感じる瞬間があります。やはり人間は人間同士の心のふれあいが必要なのだと思いました。
ごく平凡な個人的な感想です。

投稿日時 - 2010-09-20 22:55:33

補足

 komaas8さん、正義の味方・宇宙人エイトマンでしょうかね。
 古希を多少過ぎ、喜寿まえとなると、人さまからの追善供養のごとき、お経がありがたくて。
 反対に、すごい言葉でいろいろ非難や批判されるととてもつらい。
 もう何でもガッシガッシと押し切っていくスタミナや体力が年々落ちます。

 そういう中では、ちょいとしたことにも感じるのが加齢しゃの心情でしょうね。
 彼岸も終わりますが、彼岸にいくにあたっては、是非みなさんの心の温かさを身に纏って、いかれるように、私自身も身を慎み、言動に気を配りたいと存じます。

 ありがとう御座いました。

投稿日時 - 2010-09-22 07:51:24

お礼

 komaas8さんご回答ありが問う御座います。
 私の文章も後で読み返すと分り難いですね。
 はぃご理解くださった意味で書きました。
 komaas8さんも、“やはり人間は人間同士の心のふれあい”を大事になされているのですね。
 これはどなたも嬉しいことですよね。でも本当に大切にするって難しいと存じます。
 暖かいご回答に感謝します。
 ありがとう御座いました。

投稿日時 - 2010-09-21 06:41:09

ANo.1

感受~複数の感覚器官の刺激の統合による外的存在の内的再構成における「内」。
但しそれを可能にする環境として認識される宇宙において、その「統合」の実体たる脳(だから脳死が意味を持つ)から、肉体、社会(分業)、環境(物質循環)へと延長を持ち、自己(自我仮説)の相補としての環境(時空仮説)の表出をなす。

投稿日時 - 2010-09-20 12:27:16

補足

 psytexさん、たいへん哲学的なご回答ですね。
 私もご回答に異論はないのです。
 それで結局、不可視や絶対とかではなく、この地上の物象世界とその中の自分という事かなととぞんじております。
 それはその通りですね。
 ありがとう御座いました。

投稿日時 - 2010-09-22 07:43:39

お礼

 psytexさん、ありがとう御座いました。
 熟読を繰り返しましたが、難しい表現ですね。
 一読して内容的には仰せのことは理解しましたが、なにか難しいひょうげんですので私には靴を履いたまま足の裏を掻いているような感じで、もっと熟読します。

 ありがとう御座いました。

投稿日時 - 2010-09-20 16:48:14

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