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宗教の力。

宗教の力。
昔からの疑問を質問させて下さい。
病は気から 願えば叶う この様な言葉があります。
病は気からという言葉、これは昔の人達が肉体は精神に依存していて、精神が病むと肉体にも支障をきたすという経験や云われがあったから、言われ続け残った言葉だと思います。
私にも経験らしきモノがあります。
ですので、この言葉は理解できます。

しかし、願えば叶う や 信じれば救われる などは、理解に苦しみます。
己ではない外界をただ 信じるや願う と言う行為で変えられるとは思えません。
私は無宗教(なんの活動もしてない ただ、お葬式などは仏教で行います)で、多分一般的な日本人の宗教観しか持ってません。実際、私の葬式は行われなくても良いくらいです。結婚式もどんな方法で行われても良いのです。要は、その様な事に無関心なのです。

勿論、過去の偉大な方々の多くは何らかの宗教に入信してたと言う事も知っています。神に近づく為に科学を学んだ マイケル ファラデーなど。
しかし、私はどうしても信じられません。

熱心な方々に、『一回一緒に来な。すぐに、良さがわかるから』なんて言われましたが、
誰が行くかボケと行きませんでした。
敬虔な信者になれば、その様な事(願う事で世間が変わる)も実感出来ますか?
また、未だに世界中で当たり前の様に宗教活動が行われています。
文明がある限り、宗教は無くならないでしょうか?

投稿日時 - 2010-10-04 22:26:04

QNo.6228123

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回答(10)

ANo.10

現代でも米国人の60%以上が進化論を信じていない、或いは懐疑的だという統計があるほどですし、世界中で無心論者は共産主義や社会主義、或いは日本人というほど少ないのが実態です。
でも、彼らは宗教に属しているだけではありません。彼らは「信じて」いるのです。宗教を持っているか否かは所属しているかどうかではなく、信仰生活をしているか否かなのです。
有能な科学者は科学をも進行の中で処理します。喩えて言うなら科学は聖書の隙間を埋めるもの、或いは聖書の中の装飾を取り除くものと理解したりしています。勿論一般人為は聖書の全てがイコールだと考えている人が多いですが、実際は聖書は物語の寄せ集め「古事記」なのです。
信じれば救われる。医療を行なう立場からしても、まず患者さん自信が良くなろうという気持ちがなければ、特に感染症や慢性化しやすい病気は治りません。逆に信じれば回復期間も短くなります。医者任せだけでは治らないではなく「治りにくい」のです。

信仰は宗教に属すことではありません。神仏を敬い信じきることです。私は仮に前者を「信心」、後者を「信仰心」と分けています。宗教を持つ諸外国では宗教を通して信仰心が養われますが、日本では信心はあっても多くの場合、信仰心は養われていません。どんなに信じていてもその教えが自分の身になっていなければ信仰心とは言えないのです。
判りやすく言えば、仏教に属していても暴飲暴食をしていれば病気になるだけですが、生活リズムや食生活をできるだけ僧侶の生活に近づければ、健康を維持しやすく出来るということです。

文明がある限りというより、人に思慮がある限り、また共産主義や社会主義が支配しない限り、宗教はなくならないでしょう。

投稿日時 - 2010-10-06 11:31:15

ANo.9

聖書を学んでいますが
「 信じるや願う と言う行為で変えられるとは思えません」は違っていませんよ。他の方で書いておられる方もいますが、頭を使う(信じる・願う)+行動がいりますよ。

自分は世間を変えられるではなくて、自分の見方・考え方を変えることができた、を実感できたので充実しています。

信じるまではいかないかもしれませんが聖書の全能の神についてよろしければどうぞ。
http://www.watchtower.org/j/20080501/article_01.htm(自然界は神について教えている・見えないものは信じにくい)

投稿日時 - 2010-10-06 06:54:46

ANo.8

願いは叶う、は意識して集中していれば
プラスの方向に繋がり易いということで、宗教とは関係ありません。
宗教側の人はそう言いませんが、
どの宗教に属していなくても、願いが叶うことはあります。

宗教にのめり込む人は、精神や脳が未発達なんでしょう。

投稿日時 - 2010-10-05 12:10:15

ANo.7

>敬虔な信者になれば、その様な事(願う事で世間が変わる)も実感出来ますか?

かつてオウム真理教の麻原彰晃が、宗教団体のはしごをしながら、願いは叶うパワーというものを探していたそうです。そこで、彼が、最も影響を受けた宗教団体によって、信仰でもなければ、正義でもないことを見出したわけです。

この世には、お金の亡者で、お金を集めても集めても飽きたらず、人を傷つけ、人を苦しめても、そうした生活を続けているものがいるわけです。そこで、初めて宗教というものが必要になるものだと思います。あの人は、地獄に堕ちるよ、といって、信者は安心するわけです。

それを、ニーチェは、キリスト教に対して、「貧者の道徳」であるとしたわけです。この世には、わずかな「強者」と多くの「貧者」がいるわけです。「貧者」には、その慰め方法がいくつもあるとするわけです。それが宗教だと言います。現実に、地獄に堕ちるのかどうかは、誰も知らないわけです。ただ、本当の幸せは、その人の価値観の問題のように思います。

>願えば叶う や 信じれば救われる などは、理解に苦しみます。

理解に苦しむのは、そう実現しないからです。私は、あえて、何もしないからだ、とは言いたくありません。それは後から述べます。NHKで『ハーバード白熱教室』でやっていましたが、鋼鉄王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーが、自分の代わりに、戦争に行く人を雇いました。彼が一年で費やす葉巻代よりも少ないお金だというのです。

片方は、カーネギーにとって、わずかなお金のために、命を掛けなくてはならないが、もう片方は、何の心配もない生活で、安全で裕福な生活をしているわけです。そこに社会的には何の問題もありません。ただ、私たちとしては、カーネギーの倫理感に不安を覚えるだけです。この世には、生まれながらの差別があり、不幸があります。明石家さんまの娘、イマルさんは、明石家さんまが活躍していなかったら、絶対に、芸能界で活躍したとは思えません。

宗教が、何もしない人に、そうした「そねみ・うらむ」気持ちを麻痺させたり、他の価値観を見出すものとすれば、それはそれで、十分に有効かもしれません。

統一教会で霊感商法を開発した日本人の幹部や、また、某巨大宗教団体のように、マスコミや公権力までを支配しようとしたりする、そういう自分たちの世界を思い通りにしようとした結果ではないでしょうか。それが、宗教や信仰の力とも言えます。キリスト教の言葉には、『不正の管理人』という譬え話もあるくらい、主人のために、不正なことをしても、主人に忠実なことをすれば許されるとされています。(解釈にはいろいろあるでしょうけれども、どこかの政治家のようです)そういう考えが、現代の経済原理の基礎を作ったものだとも言えます。

>敬虔な信者になれば、その様な事(願う事で世間が変わる)も実感出来ますか?

世間が変わるかどうかは別だとしても、自分が世間や世界をどう思うかということだと思います。小泉吉宏さんの漫画『シッタカブッタ』には、「不幸がいやなら、幸福にならないことだ」と言います。人生は、そういうように平均化されているといいます。

しかし、自分の思い通りになっていく人はいるようですね。この世には、ラッキーな人はいます。何度も宝くじに当たる人や、小さな懸賞にいつも当たっている人、規模はさまざまでも、運のよい人・悪い人がいます。それは、宗教に通じても、宗教ではないはずです。何人かは、そういう方法論を発表していますが、それをすぐに実現出来る人と、そうでない人がいるということ、それに尽きるのではないでしょうか。

だから宗教があると言ってもよいのかもしれません。他人からみれば、自分の無能さと才覚のなさや不運を神にや仏に委ねているものだと思われてしまいます。それでも、慰めあう同じような仲間がいれば、何の不安もなくなります。

ただ、某宗教団体のように、現実の社会で、自分の願望が思い通りになると宣伝され、現実に、その力を見たら、そう信じてしまうのではないでしょうか。それが演出であろうがなかろうが、入ってみるか、ということになるはずです。これは、どこの新興宗教団体でも同じはずですが、それを前面に出している所と、そうでない所があるだけです。

先に書いたシッタカブッタの仏教のように、幸福を諦めることを教えるのだったら、多くの人はそんなものに興味を抱かないでしょう。キリスト教だって、誠実で禁欲的な生活をしていれば救われる、と言ったところで、それで信仰する人間は多くはいないはずです。本来エゴ(自己保存)を認めない宗教などはありえません。

投稿日時 - 2010-10-05 10:03:00

ANo.6

> しかし、願えば叶う や 信じれば救われる などは、理解に苦しみます。
> 己ではない外界をただ 信じるや願う と言う行為で変えられるとは思えません。

逆に、信じることも願うこともしなければ物事は何も動きませんし叶いませんよ。
世の中の成功者と言われる人達は例外なく、自分の信じた道、やろうと思う事を具体的に思い描いて強く願い信じて行動を起こした結果成功へと導かれています。

宗教を信じると言う行為は、それらとは違いますが自分の行いを反省して改めて行動することで良い方向へ向かうと言う実体験を得ると「教えは正しい」と言う事になります。
日本でも昔からお百度と言う行為がありますよね、神社や仏閣などで鳥居から本殿までを願い事を唱えながら100回往復するあれです。
その様な行為をした人は「お願いしたから大丈夫」と言って何もしないで家で寝ている訳じゃないですよね。お願いをしてその願いを兼ねえる為に具体的に行動を起こしますし、心が折れそうになっても信じて最後まで突き進んで願いを叶えますよね。
まぁ初めから無茶な願いは叶えられないでしょうけど、やるだけの事、考えられる事は全てやったと言う思いは残りますから結果は自ずと受け入れられるものです。

ですが最近の宗教を信じる行為は「お金を払えば運が開ける」的なものが多いので疑いたくなるのも良く分かります。しかし宗教を信じるその人が、お金(お布施や献金)が問題ではなく自分の思いや考え、行動が変わったから結果が変わったと言うように客観的になれば宗教にのめり込んで行く事は無いでしょう。
しかし多くの人は「信心していたから」と言うように思ってしまい全財産をつぎ込んで行く人も少なくない結果になります。

何処かで客観視する必要があるのですが、反省して行動や考えを改め、信じて願って行動して結果を生んでいると言う事のきっかけを得たことは事実でしょうから中々難しい話です。

結論として、信じて願がわ無ければ何も起きない。
そのきっかけを宗教やハウツー本などから得る事で特定の教えを信じることになる。
それがハウツー本なら数千円から数百万円程度の出費で治まるが、宗教なら全財産までつぎ込む事もある。
ただそれだけ

投稿日時 - 2010-10-05 07:12:39

ANo.5

アメリカの話ですが、信仰心があると10年ほど
長生きする、という結果が出ています。
これは、心が安定して、ストレスが少なくなるから
と説明されています。

宗教なんてバカらしいと思いますけど
色々な機能があるようです。例えば。
1、社会の秩序維持のツールとして。
  倫理や道徳は、宗教を基礎に発展してきました。
  英国では小学校で宗教教育をしているそうです。
  あの「武士道」の冒頭に出てきますが
  「日本では宗教教育をしていないだと? それで
   子供たちにどうやって道徳を教えることが
   できるんだ?」
  「我が国には武士道があります」
2、天敵がいない人間を謙虚にさせる。
3、死に対する苦痛を緩和させる。

等等ですね。
近年は、宗教のメリットよりもデメリットが目立つ
ようになってきましたが。

投稿日時 - 2010-10-05 06:36:55

ANo.4

>しかし、願えば叶う や 信じれば救われる などは、理解に苦しみます。
>己ではない外界をただ 信じるや願う と言う行為で変えられるとは思えません。

変わるのは外界ではなく己自身ですから、願いは叶い救われます。
宗教の真髄は己自身の変革です。

神仏は人が作り上げたものですが、己を超える存在を想定する事で自身を客観的に見られ、
己自身の変革が容易になります。

投稿日時 - 2010-10-04 23:49:50

お礼

なるほど。参考になりました。
しかし、ある、宗教の方々は(彼らしかしてないなかもしれませんが)
◯◯さんが入信するように、皆で祈りましょ なんて会話をしているそうです。
これは、明らかに外界(他人)を変えようとしています。
入信したかどうかは不明ですが。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-10-06 08:46:24

ANo.3

宗教に関心があるのは分かりますが、非常に難しいテーマですね。
宗教は政治、経済、文化、さまざまな面を含んでいます。また、政治、
経済、文化などそれ自体も、複雑に絡み合ってます。
質問掲示板で語れる内容ではないです。

まずは、簡単なところから本を読むといいです。
『若者と現代宗教―失われた座標軸』あたりが読みやすいのでは。

過去の偉人は理系・文系の区別がなく、学問の深淵を究めようとする
と周りから認めてもらうため、どうしても「哲学」「宗教」などは
必須の分野だったようです。
分野の存在しない時代だったアリストテレスが、一人で何でもやりま
くって全て大成させたせいかな、と僕は思ったりします。

ちなみに、僕は無宗教ですが大学時代はキリスト教の歴史を研究して
ました。エホバの証人がよく来ますが、「歴史も知らないのかよ」
って思ったりします。

投稿日時 - 2010-10-04 23:47:22

お礼

そうなんです。よく読み取ってくれました。
本当は宗教に興味もあり また、精神世界にも傾倒しているのです。

しかし、疑問に感じる事が多く、教祖(と言うのか不明。)が 私を信じる者だけ救う。など宗教家の言葉とは思えない事を口にしていても、心の底から信じる信者。
言われたのではなく、自分の頭で 自分の脳みそで真剣に考えれば、変じゃね⁈ と気付くと思います。
しかし、世界では無宗教者は少数だとおもいます。つまり、殆どの人が何らかのカミを信じてるって事になります。私なんかより知識があって自分で考えて行動を取れる様な人が自らの意思でお祈りをします。
謎は深まるばかりです。

オススメの本の紹介はありがとうございます。本は人と人との結びつきを強くしてくれます。
これは何かの縁。読ましていただきます。
回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-10-06 08:38:37

ANo.2

宗教はスキな人がスキな宗教にはいりますからねぇ…
願えば叶う や 信じれば救われる って願っているだけでは叶うとは思わないし、
信じるだけで救われません。
そのための行動ができるかどうかではないでしょうか。
宗教に関心がないのなら気にしない事です(*´-`*)

投稿日時 - 2010-10-04 23:04:53

お礼

まさに、その通りの話なんですが、前々から疑問でしたので…
気にしなければ良い。確かに良い解決策です。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2010-10-05 21:30:17

ANo.1

信じるものは救われる。。。

投稿日時 - 2010-10-04 22:29:15

お礼

そうです。貴方は信じますか?

投稿日時 - 2010-10-05 18:35:04

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