こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

解決済みの質問

神についての問答

神についての問答

問う人:
神とは何や。

「人の道」: 
神とは宇宙の法則や。
宇宙の法則のことを神と呼ぶ。
これを仏と呼ぶ者もおるが呼び方などどーでもえーことや。

問う人:
神は語るのか。

「人の道」: 
宇宙の法則は自ら語ったりはせん。
万有引力の法則が自ら語ることが無いのと同じや。

問う人:
念仏を唱えると神に近づくんか。

「人の道」: 
念仏を唱えると神から遠のく。

問う人:
お経を唱えると神に近づくんか。

「人の道」: 
お経を唱えると神の放つ光が眩しくなる。
だから眼を閉じ、神に背を向け、神から遠のいて行く、そして最後にはアホになる。

問う人:
神に姿形はあるか。

「人の道」: 
神に姿形はない。
宇宙の法則に姿形などは無いんや。
万有引力の法則に姿形がないのと同じや。

問う人:
では仏像を彫って拝んだりするのはなぜや。

「人の道」: 
それは神や仏が何たるかが判らん輩のやることや。
形に捉われるちゅーことほど愚かなことはない。

問う人:
大仏様を拝むと神に近づくんか。

「人の道」: 
あのなあ、えーか。
大仏などの仏像を拝むのは偶像崇拝ちゅーてな、イスラムの国々ではおよそ人間のやる所業の中で最も卑しい行為と見なされておるんや。
嘘やと思うたら試しにサウジアラビアのモスクの前辺りでこれをやってみい、たちどころに警察に連行されてそれこそ犬畜生扱いされること間違いなしや。

問う人:
では神に近づくにはどうすればえー。

「人の道」: 
眼を開くことや。
「目ざめよ!」ちゅー人もいる。
そして真理を探究することや。

どうや、これで神が何か判ったか。

問う人:
はい、よー分かりました。
神は宇宙の法則なんで念仏やお経を唱えても神には近づかんちゅーこと、よー分かりました。

「人の道」: 
皆にも聞く、神に姿形はなく仏像を彫って拝んだところで神には近づかんちゅーこと、よー判ったな。

 

投稿日時 - 2010-10-12 11:51:19

QNo.6244588

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

問う人:
神とは何や。

神とは愛
ただそれだけ。

投稿日時 - 2010-10-13 21:02:52

お礼

愛、つまりLOVE。
これも宇宙の法則から導かれる現象の一つや。
えーか、愛について語るんやったらミッシェルポルナレフの「愛の願い」くらいは聴き、理解せなあかんで。
 

投稿日時 - 2010-10-14 08:18:16

ANo.5

このQ&Aは役に立ちましたか?

3人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(27)

ANo.27

No.16~20およびNo.24,25,26です。
<<えーか、
 はぐらかしたり、嘘八百並べたりするのは宗教漬になった人間のやることと相場は決まっとる。>>

誰がはぐらかしをしているかはっきりしました。お付き合い有難うございました。

投稿日時 - 2010-11-03 10:18:21

お礼

 
あのなあ、
だから言うとるんや、
宗教漬になった人間からは何の答えも出てこんと、
宗教漬になると最後は皆こうなると、
物質則とか精神則とか、これらが別物であるとか持ち出すもんからは如何なる価値も生まれん、何も出てこんと、
始めからそー言うとるんや、
どうや、これで納得したか
 

投稿日時 - 2010-11-03 10:48:27

ANo.26

No.16~20およびNo.24,25です。
<<価値が何たるか知りたいか<<  これを知りたいとは申し上げておりません。貴方にとって「何が価値か」「なぜそれを知りたがるか」を貴方の言葉でご説明くださいと申し上げているのです。
 はぐらかしは止めてまっとうにお答えください。あるいは回答できないとおっしゃってください。このあたりが貴方の限界ではないでしょうに。

投稿日時 - 2010-11-03 07:18:59

お礼

 
だから言うとるやろ、
価値は善つまり正しいことの中にあると、
そして真理の探究が善を生むと、
これが「人の道」やと。
これ以上明確な答えなど有り得んのや。

えーか、
はぐらかしたり、嘘八百並べたりするのは宗教漬になった人間のやることと相場は決まっとる。
「人の道」は決してそんなことはせん。
もし「人の道」の答えに異論があるちゅーんやったら一つ自分の答えを言うてみい。
 

投稿日時 - 2010-11-03 09:27:39

ANo.25

NO.16~21およびNo.24です。対話をお求めの質問者様が、私どもからの批判には一切耳をお貸しにならないのは困ったものです。改めてお願い致しますから、この点についてだけのコメントを下さいますようお願い申し上げます。

 お願い:「真理」の「探究」に「価値」があるとおっしゃる。なぜかを自然則から論証なさってください論証だけをお願いします。

類推を根拠に「どーや、これが「人の道」の標識や。美しいやろ、感動するやろ。」と脅しつけるのはご遠慮します。

投稿日時 - 2010-11-02 10:31:59

お礼

  
価値が何たるか知りたいか、
では示そう。

価値は善、すなわち正しいことの中にあるんや、
では善とは何や
「人の道」は言うとるんや。
  善とは嘘偽りなく物事の有るがままを有るがままとして捉えることや。
  つまり善とは見えるもんを見えると言い、見えんもんを見えんと言うことや。
  善とは聞こえるもんを聞こえると言い、聞こえんもんを聞こえんと言うことや。
  善とは知っとるもんを知っとると言い、知らんもんを知らんと言うことや。
  善とは無いものを無いと言い、有るものを有ると言うことや。

えーか、
真理の探究とはこの善を生み出すもんや。
 

投稿日時 - 2010-11-02 23:25:27

ANo.24

No.16~21です。「精神や心は物質の(複雑な)状態変化」という物質(自然)則からの「類推」を持出されましたね。物質則が精神(心理)則とは別物であることは既にお示ししたとおりです。物質則とは物質が「自然となるようになって行くときの法則」「死に向かう法則」「堕落の法則」であります。(人の)精神の作業とは「自然に任せないで」「どっこい生き延びるため」「現状を改善・向上させるため」の手続きです。自然則と精神則とは異なる原理・働きを持つものです。混同してはいけません。まだ、ご納得が得られないならば、こう申しましょう。人が精神活動をどのように行おうとも、お説によれば「自然になるようになっていく」「多数のの人の精神も自然に同一のものに近づく」はずですから、貴方のご努力も不要となるはずです。
 こんな論議よりも貴方がお求めのものは「価値」を「生む(願望)」だそうです。価値とか願望のような反自然を自然則から導こうとする努力とは「木に依りて魚を求む」の作業です。成果はなさそうです。自然則からの「検証」もせずに「類推」だけでこの世の言葉を「つまみ食い」した成果が「人の道10か条」です。この「人の道が」なぜ尊いのか・なぜ踏み外しがちなのか・どうしたら道を違えないで生きることができるかを示すことが出来ないので説得力がないのです。改めてご努力ください。
 ひょっとして私が大きな思い違いをしているかも知れません。失礼がありましたらお許しをお願いしなければなりません。

投稿日時 - 2010-11-01 10:32:34

お礼

 
えーか、
真理の探究のためには先ず食わねばならんのや。
これは生物である人間の宿命や。
食うことによりエネルギーを補給し、エントロピー増大の法則から一時的に回避せねばならん。
さもなければ野原に放置された赤ん坊のようにじきに死んでしまうからや。
真理の探究のためにはエネルギーが必要なんや。
精神も心も維持するためにはエネルギーが必要ちゅーことや。
完全に自然界の法則に支配されとる。
真理の探究は先ず食い脳にエネルギーを補給し、その上で万物とは何か、生命とは何か、心とは何か、そしてこれらを支配する宇宙の法則とは何かについて思索するんや。

えーか、
精神と心については多くの研究者たちにより徐々にその仕組みが解明されつつあるんや。
脳内の情報伝達物質がたんぱく質の一種からできていること、ニューロン細胞のネットワークにより脳内情報処理が行なわれていること、・・・・等などが次第に明らかにされてきておる。
これらの成果を得るには地道な努力とエネルギーを必要とするもんや。
しかし真理の探究は価値を生み出すんや。

あのなあ、えーか、
物質則が精神則とは別物であるなどと初めから答えを決めるのは簡単なことや。
しかし、そーゆーものの考え方、姿勢からは如何なる価値も生まれん、なにも出てこんちゅーことや。
 

投稿日時 - 2010-11-02 05:30:59

ANo.23

>エントロピー増大の法則の認識がまるで間違っとる。
>エントロピー増大の法則は自然界の法則の最も深い哲理や。
>つまりこの自然界においては万物は何もせず放っておくと必ず無秩序になるちゅーことや。

>これらは人間の精神や心理が自然界の法則に従うもんちゅーことを証明しとるんや。

それでは、精神や心理がエントロピーの法則に従う事(無秩序なる事)を説明、または、証明して下さい。

投稿日時 - 2010-11-01 07:05:32

ANo.22

>人間の脳内を含め、人体の如何なる部分においてもエントロピー増大の法則は常に成り立っておる。

物理法則であるエントロピー増大の法則。無秩序が拡散するという法則。
生命体は、タンパク質・つまりアミノ酸の固まりです。
アミノ酸は、水素H 酸素O 窒素N の結合体です。これらは全て大気の成分。つまりガスです。
生命体は大気のガスが偏在して成立しています。
エントロピー増大の法則を否定する存在です。

>精神科医は人間の精神が生化学現象であるちゅーことを知っとるので、
精神状態をコントロールするのに薬物、つまり精神薬を使うんや。

手術の時に用いる麻酔薬。化学成分である所の麻酔薬。
これが、どうして非物質である所の意識を消滅させるか分かっていません。

>脳生理学者は人間の心の状態は大脳表面に電界の変化となって現れることを知り、
計測器を使って心を読むことを考え嘘発見器が生まれたんや。

化学反応、物理反応である所の脳活動、ニューロンの活動。
これらが、どうして非物質である所の意識を生じさせるか分かっていません。

>他にもまだまだある。

生命発生起源が分かっていません。
進化のメカニズムが分かっていません。
意識の発生メカニズムが分かっていません。
数学、物理の世界で不確定原理があり、証明不可能であることが分かっています。つまり、世界は分からないと言うことです。
他にもまだまだあります。

>これらは人間の精神や心理が自然界の法則に従うもんちゅーことを証明しとるんや。

つまり、人間の精神や心理が自然界の法則に従う事は証明出来ていません。

投稿日時 - 2010-10-31 22:51:31

お礼

 
えーか、
エントロピー増大の法則の認識がまるで間違っとる。
エントロピー増大の法則は自然界の法則の最も深い哲理や。
つまりこの自然界においては万物は何もせず放っておくと必ず無秩序になるちゅーことや。
生まれてきた赤ん坊を何もせず野原の真ん中に放置しておくとどうなる。
赤ん坊はそのうち死に、分解し、一部は空気中に分散し、一部は土に返る。
そして赤ん坊の姿は消えてなくなる。
これがエントロピー増大の法則、自然界の掟や。
人間も自然界の一部である以上、エントロピー増大の法則に支配されておるんや。
なので人間の精神や心も自然界の法則に従う以外にはないんや。

あのなあ、えーか、
しかしそんなことより遙かに大事なことは、仮に人間の精神や心が自然界の法則に従うもんではないとしたところで、そこからは何の価値も生まれん、何も出てこんちゅーことや。
 

投稿日時 - 2010-11-01 06:35:27

ANo.21

No.16~20です。
<人間の脳内を含め、人体の如何なる部分においてもエントロピー増大の法則は常に成り立っておる。
 嘘やと思うたら物理学者や生化学者に訊いてみるとえー。<

人体のいかなる(物質)部分においてもエントロピー増大の(自然)則が成り立っていることを大いに肯定しております。脳の精神「機能」は物質ではないので自然則があてはまらないと申し上げているのです。言い換えましょう。脳は物質だから体積や重量を持ち、やがて機能を停止し散逸します。脳の機能から生じる「希望・悩み」は物質ではないので体積や重量を持ちません。物質でないものに物質則(自然則)を適用してはいけないと申し上げているのです。
 さらに言い換えてみましょうか。テレビ受信機は物質で出来ていますから画像が正しく映るか否かは物質を調整して可能です。いつでも物質則に従います。しかしテレビドラマの中の「愛」の法則は物質ではないので受信機のどこを探しても見つかりません。どこを調整してもドラマの筋を変化させることは出来ません。
 貴方のおっしゃることは「えーか、テレビドラマの愛を成就させるにはテレビ受信機を正しく働かせることで可能のはずちゅーことや」に当たりましょう。的外れの論理かと存じます。

投稿日時 - 2010-10-30 01:42:50

お礼

えーか、
精神や心は物質ではなく、人体を構成する細胞の活動、つまり細胞群の生化学反応、つまりは物質としての人体の状態変化なんや。
つまり精神や心は物質の状態変化、ステートトランジッションちゅーことになる。
物質の状態変化は生き物以外にもこの自然界になんぼでも見ることが出来る。
例えば鉄が錆びると酸化鉄になる。錆びは鉄の表面にまるで生き物のように様々な紋様を描きながら成長して行くんや。
生命体の生化学反応は鉄が錆びる現象などに比べると遙かに複雑で込み入った現象や。
しかし精神や心などの生化学反応はこの錆の発生原理と根本的には同じもの、物質の状態変化ちゅーことや。
なので人間の精神や心も自然界の法則に従うもんの一つに過ぎんのや。

あのなあ、えーか、
しかしそんなことより遙かに大事なことは、仮に人間の精神や心が自然界の法則に従うもんではないとしたところで、
そこからは何の価値も生まれん、何も出てこんちゅーことや。

投稿日時 - 2010-11-01 06:05:55

ANo.20

No.16,17,18,19です。たびたびお伺いします。やっと質問者様の輪郭が浮かび上がりつつあるようです。「人間は自然の一部であるから、自然の法則に従うべきだ。」とのご主張のようです。
 「人間の肉と生理は自然則に従うはずだ」に対しては異存ございません。その類推で人間の「精神」を論議することには大きな異存があります。人間の精神・心理は肉の制約(自然則)を受けてはいるが肉そのものではありません。この点をあいまいなままで「気がする話」をして来られたようにお見受けします。思い違いならばごめんなさい。
 人間の精神・心理が自然則に従うものでない根拠をお示しします。「喜び・不安・疑い・苦しみ(いずれも自然現象でない)」を持ち、それらを駆動力の主な要素として活動しているからです。エントロピー増大の法則(自然則)にはっきりと逆らったものといえます。ですから自然則との類推で人間精神・心理を論議することには誤りがあるものと考えられます。お付き合い有難うございました。

投稿日時 - 2010-10-29 08:35:56

お礼

 
えーか、
人間の脳内を含め、人体の如何なる部分においてもエントロピー増大の法則は常に成り立っておる。
嘘やと思うたら物理学者や生化学者に訊いてみるとえー。
精神科医は人間の精神が生化学現象であるちゅーことを知っとるので、精神状態をコントロールするのに薬物、つまり精神薬を使うんや。
心理学者は人間の心理に一定のパターンがあることを見抜いとるので、これを利用して精神分析を行うんや。
脳生理学者は人間の心の状態は大脳表面に電界の変化となって現れることを知り、計測器を使って心を読むことを考え嘘発見器が生まれたんや。
・・・・・・
他にもまだまだある。

えーか、
これらは人間の精神や心理が自然界の法則に従うもんちゅーことを証明しとるんや。
しかしもっと大事なことは、仮に人間の精神や心理が自然界の法則に従うもんではないとしたところで、
そこからは何の価値も生まれん、何も出てはこないちゅーことや。
 

投稿日時 - 2010-10-29 19:43:08

ANo.19

No.16,17,18です。幾度もお手数をおかけします。「宇宙の法則」「自然の法則」についてのご主張はごもっともです。宇宙・自然のお話がいつの間にか「人間の法則」であるかのようなお話になってしまっているところがまぎらわしく感じられるのです。
 まぎれを避けた表現をします。人間の生理を支配する法則を自然則として論議なさりたいのですか、それとも人間の心理・精神の法則を自然則との類推で扱おうとなさっておられるのですか?問がまぎらわしければはっきりした答えはあり得ません。正しい問には答えがあるはずだと信じます。

投稿日時 - 2010-10-29 00:09:00

お礼

  
えーか、
「人の道」が説くことにまぎらわしいものなど有り得んのや。

えーか、
人間は宇宙の一部や。
人間の法則は自然界の法則の一部であり、宇宙の法則の一つにすぎんのや。
なので人間の法則なんちゅーのを別に持ち出す必要はなく、自然界の法則、宇宙の法則で十分なんや。
この宇宙の中では人間はそれほど特別な存在ではないんや。
宇宙の中で人間が何か特別な生き物と考えたりする辺りからまぎらわしくなるんや。
この無限の宇宙の中には人間より遙かに高等な生き物がわんさとおるはずや。
彼らにおいては「人の道」など当の昔に達成されとるかも知れんのや。
  

投稿日時 - 2010-10-29 01:00:02

ANo.18

No.16,17です。さらに討論を続けさせてください。宇宙の法則は唯一無二なるもの・永遠不滅なるもの・永遠不変なるもの・万物を支配するものだそうです。そうであるとしてそのようなものが存在するとはどうして確かめることができたのですか。確かめるなんてできるわけがないでしょう。そんなものがあると信ずる・信じたい・気がする・・・・だけかもしれませんね。「気がするはなし」でしょうに。
 「気がするはなし」でないことをお示しください、あるいは「気がするはなし」がどうして魅力的に私には感じられるのでしょうかなどでもいいでしょう。さらにご努力くださいませ。

投稿日時 - 2010-10-28 21:01:52

補足

  
この世に宇宙の法則について疑う人間がおったとは驚きや。
 

投稿日時 - 2010-10-28 22:20:54

お礼

 
あのなあ、えーか、
あんたは腹が減ると飯を喰うんと違うんか。
飯を喰わんとそのうち腹が減るやろが。
のどが渇けば水を飲むんと違うんか。
水を飲まんとそのうちのどが渇くやろが。
これはあんただけやなくこの世に生きておる万人について同じことや。
これが自然界の法則、宇宙の法則や。
宇宙の法則は万人が日々実感し、判っとることや。
信じる信じないなんちゅーもんやない。
宇宙の法則について疑うなどわしには考えられんことや。
 

投稿日時 - 2010-10-28 22:09:25

ANo.17

No.16です。再度お付き合いください。質問者様のおっしゃる「神の法則」とは宇宙を支配する物理法則だけを指しておられるのか、「人の道」をも含む法則だとおっしゃるのかどちらでしょうか?場合に応じて二枚のカードをお使いなのでしょうか?No.16の回答にお示しになったご見解はどうやら物理則だけが「神の法則」だとのご主張のようです。改めて整理されたご質問をお出しください。「人の道をも含む神の道があったとして、どうして人がそれに従うべきなのか?」、あるいは「神の道はすでに明らかなのに、人がそれに従わないのはなぜか?」などは如何でしょうか。
 

投稿日時 - 2010-10-28 19:16:33

お礼

 
えーか、
宇宙の法則は唯一無二なるもの、
宇宙の法則は永遠不滅なるもの、
宇宙の法則は永遠不変なるもの、
宇宙の法則は万物を支配するものや。
この世に有るもの全てが、この宇宙の法則に従い生まれ、生存し、そして消滅して行くんや。
この宇宙の法則はこの上なく正確無比にできておる。
人を含めこの世に有る全てのものは宇宙の法則に逆らうことなど出来んのや。
人が呼吸するのも、心臓が拍動するのも、寿命が尽きて死ぬのもこの宇宙の法則の成せる業や。
だれ一人とてこれに逆らうことなど出来ん。
「人の道」とはこの宇宙の法則に眼を開き、それを受け入れ、深く理解すること、つまりは真理を探究するちゅーことや。
 

投稿日時 - 2010-10-28 20:11:27

ANo.16

面白そうなので私も混ぜて下さい。「宇宙の法則が神となる」という人もおられるそうです。そうだとしてこの「法則」が案外どうでもいいものであるらしいことに気付きました。ご反論ください。
 この「法則」が非常に重要なものであるとすると、この「法則」に違反することが困難です。具体例で言うと「生きるためには呼吸が必要だとの法則」「生きるために心臓の拍動が必要だとの法則」などへの違反は到底不可能です。一方「神の名を穢す」「無信心の生活をする」を実行してみても、雷に撃たれたり息が詰まって死んだりすることはありません。すなわち、「神の法則」とは違反がずいぶんと許される「法則」であるようです。この世に「法則であって、それに違反することが自由だ」というものは「法則」の名に値しないでしょう。
 「神の名の下の暮らし」が素敵なものならば、それは「言ってみせる」よりも「行動してみせる」ことが有効でしょう。そのようにしておられるお人もおありようです。けれども「神の名に背いて暮らす」人を軽蔑する根拠は「神の法則」からは導くことが出来そうにありません。

投稿日時 - 2010-10-27 21:54:29

お礼

えーか、
宇宙の法則は永遠不滅なんや。
8000兆年前の宇宙でも、現在の宇宙でも宇宙を支配する法則は何一つ変わらん。
そして宇宙の法則はこの上なく正確無比に出来ておるんや。
万物はこの宇宙の法則に従いこの上なく正確無比に動いておる。
木の葉から落ちる一粒の水滴の挙動さえこの宇宙の法則に従い一寸の狂いもなく行われておる。
空の雲が現れたり、形を変えたり、消えたりするのもこの宇宙の法則に従い一寸の狂いもなく営まれておるんや。
えーか、
人間を含め万物の全てが宇宙の法則に従い一寸の狂いもなく、この宇宙の中で動いておる。
万物は永遠の昔から、この宇宙の法則に従い動いてきたんや。
なので人間が宇宙の法則に違反するのは困難なのではなく、不可能なことなんや。
ここに宇宙の法則の偉大さがあるんや。
価値あるものがあるとすれば、それは永遠不滅なものでないとあかん。
宇宙の法則をどー呼ぼうと大して意味はないが、神と呼ぶに値するもんはこの宇宙の法則以外には有り得んちゅーことや。

投稿日時 - 2010-10-28 16:20:44

ANo.15

 人は生まれながらに良心を持っています。

「律法を持たない諸国民の者たちが生まれながらに律法にある事柄を行なう場合、その人たちは律法を持っていなくても、自分自身が律法なのです。彼らこそ、律法の内容がその心に書かれていることを証明する者であり、その良心が彼らと共に証しをし、自らの考えの間で、あるいはとがめられ、あるいは釈明されさえしているのです。」(ローマ2章14,15)

 そして人は聖書によって良心を整えることができます。

「聖書全体は神の霊感を受けたもので、教え、戒め、物事を正し、義にそって訓育するのに有益です。それは、神の人が十分な能力を備え、あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです。」(テモテ第二3章16,17)

さて、善悪を決める権利は神にあり、

「悪から離れることが悟りである」(ヨブ記28:28)とあります。


 私は、整然あるいは秩序あるところに価値があると思います。 それで宇宙の法則や物質の存在に価値観を感じます。そして価値観を認めるが故に私も真理を探究し始めました。 そしてついには聖書に真理があると認めるようになりました。

 加えて、人間は最高の存在ではありません。
「エホバが神であることを知れ。わたしたちを造ったのは神であって、わたしたち自身ではない。」(詩編100:3) とあります。

       *「 」の中は全て聖書からの引用です。

 たとえば一生懸命作品を作っても、そんなもん価値ないよと言われたら悲しくなりますが、めっちゃいいねって価値認められたら嬉しいですよね。一生懸命料理作っても、そんなもん偶然にできたんじゃん、と言われたら悲しくなりますが、めっちゃ美味しい、ありがとう!って感謝されたら嬉しいですよね。

 わたしたちは 〈何故夕日は赤くなるの?〉 と問いかけ、それが整然とした法則によって生じることを思うと、その景色と共に感動します。 それでその美しさに神様ありがとうと言って感謝するのは自然なことだと思います。

投稿日時 - 2010-10-24 12:56:05

補足

わしは知っとる、ものみの塔が自然界の法則について正しいことを言い、実践しとることを。
自然界の掟を守ることが如何に大事かちゅーこと、忘れたらあかんよなー。
 

投稿日時 - 2010-10-29 07:41:38

お礼

 
宇宙の法則は唯一無二なるもの、
宇宙の法則は永遠不滅なるもの、
宇宙の法則は永遠不変なるもの、
宇宙の法則は万物を支配するものや。
宇宙の法則は整然としており秩序があり完全無欠なんや。
この宇宙の法則ほど美しいものはない。
自然界はこの宇宙の法則に従い営まれておる。
何人も自然界の法則に逆らってはならんのや。
 

投稿日時 - 2010-10-28 20:52:36

ANo.14

 
>パスカルは「人間は考える葦である」と言うた。
>これはつまり人間は真理を探究する生き物ちゅーことを言うたんや。
ここまでは、正しいと思います。

>もし真理の探究に価値がないちゅーんなら、価値あるものなど存在せんのや。
ここに、飛躍が見られます。
パスカルは、考える葦という事実を述べただけで価値について言及していません。
価値を持ちだしたのは、g3452sgpさんです。価値を重んじたいという、g3452sgpさんの主張なのです。

子供が「何故空が青いの?」と聞く時、価値があるから聞いているのではありません。
疑問だから聞いているのです。「疑問を解く事」「真理の探究」は価値とは関係がありません。


>価値のないところに感動は無く、生きる意味もないんや。
美しい風景を見て感動する。それは意味があるのではなく、感動したから意味があるとするのです。
逆転していませんか?
 

投稿日時 - 2010-10-23 08:42:17

お礼

 
あのなあ、えーか、
感動を生むもんは価値が有るんや。
そして生まれる感動が大きければ大きい程、その感動を生む価値は大きいんや。
ニュートンが万有引力を発見したとき、ニュートンは深く感動したんや。
だから万有引力の法則は大きな価値があるちゅーことや。

えーか、
また価値あるもんは普遍的であり万人に通ずるものなんや。
ニュートンに限らず万有引力の法則が正しいと知ったもんは皆感動するんや。
だから万有引力の法則はますます価値があるちゅーことなんや。
 

投稿日時 - 2010-10-28 16:43:33

ANo.13

>七 己に自惚れぬこと、また己を卑しまぬこと

>どーや、これが「人の道」の標識や。
>美しいやろ、感動するやろ。
 
自惚れている気がします。

投稿日時 - 2010-10-19 10:38:30

お礼

 
まあこれは息抜きや、ご愛敬ちゅーもんや。
気にせんでえー。
 

投稿日時 - 2010-10-19 11:12:09

ANo.12

神学者も修行者も真理を探究してきたと思いますが、そのへんはどうなのでしょうか。
彼らは人の道を歩いていたとはいえないでしょうか。
 
あと、清濁併せ呑むという慣用句が世間では通っていますが、それについてはどうお考えですか。

むしろ多くの人が人の道を歩いているように思いますが、どう思われますか。

投稿日時 - 2010-10-18 17:01:43

お礼

えーか、
物事の真価ちゅーのは全てそれが生み出す結果に現われるもんや。
神学が真理を探究しておるかどうかは神学が生み出すもの、つまり宗教が世界に何をもたらしてきたか、また現に何をもたらしているかで判ることや。
もし神学が真理を探究しておれば、この世界がこれ程救いようのない状態にはなっとらんのや。
今も世界中で耐えることのない民族戦争や宗教戦争、ユダヤ対イスラム、イスラム対ヒンズー、キリスト教対土着民族宗教などなど、多くの血が流されてきたことは歴史を振り返れば判ることや。

えーか、
なので「人の道」は言うとるんや。

  善とは嘘偽りなく物事の有るがままを有るがままとして捉えることや。
  つまり善とは見えるもんを見えると言い、見えんもんを見えんと言うことや。
  善とは聞こえるもんを聞こえると言い、聞こえんもんを聞こえんと言うことや。
  善とは知っとるもんを知っとると言い、知らんもんを知らんと言うことや。
  善とは無いものを無いと言い、有るものを有ると言うことや。

えーか、
真理の探究とはこの善を生み出すもんや。
 

投稿日時 - 2010-10-18 17:59:42

ANo.11

人の道を歩くのに、どうして人間はこんなに苦労せなあかんのですか。

どうして人間は、人の道という獣道ではない人専用ロードがあるのにもかかわらず、迷ったりするのですか。

人の道に、標識はありますか。こちら人の道、と書いてあるものは、喩えばどんなものですか。

人が歩いたところが人の道になるのではなく、大勢の人が歩いたところが人の道になるだけで、人の道っぽい道というか、微妙な道もある気がするのですが、そこらへんはどうなのでしょうか。また、人の道にはガードレールなどは着いているのですか?

そもそも道とは人のものであるけれど、道ではなくあえて人の道というのは、何か意図があるのですか。

道を探すのが人であり、探している人は既に人の道にあるのではないですか。

人の道は何処に向かうための道なのですか。

投稿日時 - 2010-10-17 21:30:45

補足

 
「人の道」の標識を知りたいんか。
では示そう。

--------------------------------------------------
          「人の道」
           十ヶ条

一 神を語らぬこと
二 天国、地獄を語らぬこと
三 正義に味方し、死を恐れぬこと
四 変化流転は万物の常なることを知ること
五 過去にも未来にも永遠無限なる宇宙を知ること
六 かたちや儀式あるいは権威に捕らわれぬこと
七 己に自惚れぬこと、また己を卑しまぬこと
八 人に分け与えること
九 色情をいだかぬこと
十 食物に拘らぬこと
 
--------------------------------------------------

どーや、これが「人の道」の標識や。
美しいやろ、感動するやろ。
 

投稿日時 - 2010-10-19 08:01:24

お礼

あのなあ、えーか。
正しい事をするちゅーことは苦労ではないんや。
それは結果的には苦労ではなく満足をもたらすんや。
なぜなら正しい事には迷いや疑問はなく納得出来るからや。
なので人の道を歩むちゅーことは苦労ではなく満足に至るんや。

逆に一見楽なように見える道は実は苦労に至る運命にあるんや。
あのなあ、
アヘンちゅーのはな、最初は気持ちえーもんなんや。
しかしそれは長続きはせんのや。
それどころかそのうち苦しみに変わるんや。
その苦しみから抜け出しまともな人間になるのがこれまた一苦労なんや。
神や仏、天国、地獄を語るちゅーことは所詮そーゆーものなんや。

「人の道」とは、人が人として歩むべき道、つまりは真理の探究や。

投稿日時 - 2010-10-18 04:28:26

ANo.10

回答になるか分かりませんが、価値について考えた事があります。


例えば「命」これは、価値がある様に感じていませんか?
この価値があると思われる「命」の主体を色々考えてみます。
人間、犬、昆虫、クラゲ、・・・・ゾウリムシ・・藻・・ どうですか、
「命」の価値が揺らぎませんか
無に近づくのを感じませんか?

人類史上、多くの命が失われています。人は死ぬ存在ですかね・・
命に価値があったなら、莫大な物を失った事になります。
本当に、莫大な物を失っているでしょうか?失ったと思い込んでいるだけではないでしょうか?

思考してみて下さい。自分が価値とある物が、本当に価値があるかどうかを、
突き詰めると、それは、主観である事が分かります。

この思考作業は、かなりしんどいです。
自ら、価値があるというのを、無価値にするというのは、受けいれられません。
時間を要する作業かも知れません。または、不安から、思考を止めるかも知れません。

仮に続けるとすると・・・
全てが無価値と認識すると、何かに依存する事は出来なくなります。

そうすると、生きるのは、意味にすがるのではなく、生きようとする内なる何かに生かされるから生きるという事になります。

これが、悟りかも知れないと思ったりします。

投稿日時 - 2010-10-17 03:18:54

お礼

 
パスカルは「人間は考える葦である」と言うた。
これはつまり人間は真理を探究する生き物ちゅーことを言うたんや。
もし真理の探究に価値がないちゅーんなら、価値あるものなど存在せんのや。
そー考えるのは自由やが、そー考えたところで如何なる価値も生まれん、何も出てこんちゅーことや。
価値のないところに感動は無く、生きる意味もないんや。
それでえーんか。
それでえーちゅーんなら、それでえーんや。
嘘八百並べん限りどう考えようとあんたの自由や。
それがあんたの思想と哲学ちゅーことで。
 

 

投稿日時 - 2010-10-19 12:14:38

ANo.9

人の道さん、

お礼の言葉になんだか嬉しくなりました。わたしも時々スーパーの前で立っています。人の道さんのような人に会えると嬉しいですね。

神は法則を創っただけではありません。どなたか神の特質は愛だと述べられましたが、創られたものを通してそれが感じ取られますね。

オレンジや林檎を、ブドウを木から摘んで食べることができます。地中にはじゃがいも、にんじん、タマネギがぽこぽこと出来上がって、まるでシチューを召し上がれとでも言われているようですね。旨みがそこにあり、それを感じる舌があります。目でおいしさを味わうと言う人もいますね。

「光があるように」と言われた神は、わたしたちが美しい色を楽しむようにされました。美しい色があり、それを識別する目をわたしたちは与えられました。多くの動物は白黒でしか見えないようですね。人はみな2つづつ宝石を持っていると目のことを述べた詩人は誰だったでしょう。忘れてしまいました。

なぜ2つづつ?立体を識別するためですね。

木々の花が下を向き、背の低い植物の花が上を向いているのは、わたしたちに見てくださいと言ってるかのようだと昔友達が言っていました。

ところが完璧で、秩序ある宇宙の法則によってすべてが成り立っているのにも拘わらず、生物の間には争いが絶えず、多くの者が搾取され苦しんでいます。これは何故か。神はこれをなぜ救われないのでしょうか。
聖書から真理をお伝えしますので、駅前などで私たちを見つけてください。^^

投稿日時 - 2010-10-15 07:20:34

お礼

ものみの塔協会さんも「人の道」と同じように真理を探究しとるんやね。
そーか、真理を探究するもんは「人の道」以外には無いと思うとったが、そうではなかったか。
今の日本では正しいことを語ると皆アレルギーを起こして拒絶する傾向があるんや。
わしはこの哲学カテを通じてその事がおよそ判ったんや。

投稿日時 - 2010-10-15 20:37:21

ANo.8

あのなあ、えーか、日本には恵心僧都ちゅう天台宗のえらーい坊さんが居ったんや。この坊さんは源氏物語にも出て来るお方や。そのお方が『往生要集』ちゅうのを書いて、極楽がどんな所か教えてくれているんや。その極楽はええところやで~。ダンテの神曲のなかの天国篇なんかに書いてあるキリスト教の天国はボッシュの絵で見ても判るように、なんかアナキーで、まあ三日も居たら飽きる。イスラム教の天国はキャバククラや萌え~の喫茶みたいな所で、ここも一週間で飽きる。でも、仏教の極楽は知的なんやで~。何時までいても決して飽きんわ。あんたも、『往生要集』読んで自分で勉強するとええで。

投稿日時 - 2010-10-14 11:41:17

お礼

 
あのなあ、
その『往生要集』を書いた源信が極楽に行けたかどうかは判らんのや。
もしかしたら地獄の真ん中に真っ逆さまに落ちて行ったかも知れんのや。
何故かちゅーとな、嘘八百並べてありもせん戯言を練り上げ『往生要集』なるもんを仕立て上げたその罪は重いからや。
わしは芥川龍之介の書いた蜘蛛の糸に登場するカンダタは源信のことやないかと思うとるんや。
 

投稿日時 - 2010-10-14 16:34:55

ANo.7

「重力の法則」の発見者であったアイザック・ニュートン卿(1642-1727)は熱心な聖書研究者でもあり、友人に次のように証言しました。

ニュートンはかつて熟練した機械工に太陽系の模型を作らせ、それは惑星を表す幾つかの球体が実物そっくりに起動を回るよう、連動式に一緒に取り付けられていた。ある日、一人の無神論者の友人がニュートンを訪ねると、模型を見るなり、それを操作し、感嘆の声を上げて言った、「だれが作ったのかね」。ニュートンは答えた、「だれが作ったのでもない!」友人は言い返し、「君はきっと、わたしのことをばか者だと考えているのだろう。無論、だれかが作ったのだが、その人は天才だな。」すると、ニュートンはその友人に言った、「これは、君もその法則を知っている、はるかに壮大な大系の取るに足りない模造品に過ぎないが、わたしはこの単なるおもちゃが設計者や製作者なしに存在することを君に納得させることができない。ところが、君は、この設計の偉大な原型となっているものが設計者も製作者もなしに存在するようになったと信じていると言うのだ!」

ニュートンの友人は、万物の偉大な設計者で製作者であられる方が神であると認めるようになりました。わたしたちも、天と地にある、周囲の驚嘆すべきものを見るとき、創造者に感謝の気持ちが生じます。

そんなふうに、ものみの塔協会の古い本にありました。

完璧なる秩序ある宇宙の法則、自然法則は神によって創られました。

投稿日時 - 2010-10-14 10:29:07

お礼

そーか、とーとーものみの塔が出て来よったか。
わしはな、ボブデュランの”All Along The Watchtower”ちゅー歌が大好きなんや。
最近、都内のあっちこっちの駅前に「ものみの塔」とか「目ざめよ!」ちゅーパンフを持って朝から立っとるおばさん達がおるんやが、一度話をしてみるとえー、面白い話が聞けるかも知れんで 。
わしは「人の道」があるからえーんや。
 

 

投稿日時 - 2010-10-14 11:41:04

ANo.6

デリケートな話題ですが、
神様についていろいろ考えるのって面白いですよね。
一つ小ネタを書きます。

■神の不在の証明

・定義
神は全知全能である。

・証明
不完全性定理より、全知全能はありえない。
よって神は存在しない。

投稿日時 - 2010-10-14 01:32:12

お礼

 
あのなあ、えーか。
神が何たるかは我々人間が認識できる範囲に留めておけばえーんや。
すると宇宙の法則が神となる。
これ以外にはあり得ん。
宇宙の法則を超えるものなど人間は認識できんし、認識できんもんを考えたところで何の価値も生まれんからや。
 
 

投稿日時 - 2010-10-14 08:32:02

ANo.4

あんたも可哀想な人やな。阿弥陀さんちゅうえらーい仏さんを知なんだからな。あんたは人間が救われるためには「めーを開かなあかん」ちゅうとる。そんなこと人間にはでけんのや。

天国に人間が行きとうなら、いろんな試験があると思うのが人間や。そやからほんまに、東西南北上下十方の各方向にある天国はその入学のために、一方を除いて、難しい試験がある。一杯勉強をして偉い坊さんならなあかんとか、薮の中で裸で一週間寝て蚊に食われなあかんとか、仏様に一杯お布施をしなあかんとか、いろいろ難しい受験勉強して、天国に合格せなあかんと言っとるのや。

そやけど、そんな受験勉強をせなくとも入れる「極楽」ちゅうもんを阿弥陀さんは用意していてくれているのや。その極楽は西の方にあるんや。わてら駄目人間は一生かかったって、めーなんか開けられへんのや。そんな駄目人間でも、「あちきが悪りゅう御座んした、阿弥陀さん助けて下せー」って言いさえすれば、極楽に行けんのや。ほかの仏さんは人間にでけんことを条件に天国に入れてあげようって言っておらはるが、阿弥陀さんだけは、お前ら人間のために来たんだちゅうとるのや。阿弥陀さんは、「間違っても『人の道』なんちゅう誤摩化しに騙されちゃいかん。ただただ『助けてー』と言いなはれ」ちっとるのや。

『人の道』なんちゅうことを言っとると、竹薮で一週間裸で蚊に食われる修行でもしない限り、あんた地獄に堕ちるでえ。

でーも、あんたの心配も判らんでもない。日本の古くからの仕来りを調べている民俗学者はんらは、その村が浄土宗や浄土真宗に改宗していたら、その村には立ち入らなかったそうや。そんな村では、日本の古くからの仕来りが皆滅茶苦茶になってしもうて、研究対象として何の役にも立たんのだからだそうや。その点、真言や天台の村は日本の昔の文化を一杯残しているので、日本人を調べるに為になるそうや。阿弥陀さんも日本民俗学者には罪なことしてしもうたなー。やっぱ、日本民俗学者のためには『人の道』は大切なんかなー。

投稿日時 - 2010-10-13 14:54:11

お礼

 
あのなあ、えーか、
阿弥陀さんが用意した極楽がえーとこかどうかは判らんのや。
もしかしたらその極楽で人は永遠に生き続けなーあかんかも知れんのや。
そうなるとこれは極楽どころか生き地獄と化するんや。
だから極楽とか地獄など始めから考えん方がえー、「人の道」はこう説いておるんや

あのなあ、えーか、
アヘンちゅーのはな、最初は気持ちえーもんなんや。
しかしそれは長続きはせんのや。
それどころかそのうち苦しみに変わるんや。
その苦しみから抜け出しまともな人間になるのがこれまた一苦労なんや。
 

投稿日時 - 2010-10-14 09:13:58

ANo.3

「人の道」: 
念仏を唱えると神から遠のく。

○[念仏」とは仏を念じることだから、神から遠いても仏には近づくのですね。

「人の道」: 
皆にも聞く、神に姿形はなく仏像を彫って拝んだところで神には近づかんちゅーこと、よー判ったな。

○これも同じですが、仏像を彫って拝んだところで神には近づきませんが仏には近づくのですね。

何をいいたいかといえば、神と仏の意味や定義がわからず言葉を使っているのじゃないの?
それじゃどんな問答もだめ、だめですよ。

神は単に上(かみ)の人という意味しかないですからね。当然、勉強したほうが上になりますよね。

仏は、宇宙の法則が姿を現したときの姿(法身といいますね。)のことですから、その姿を拝んだり念じることは法則を敬うことと同じ意味ですからね。偶像崇拝とは違うのですね。
神(上)は俺様、俺様、我こそが神(上)というのが一杯いるから混乱を防ぐために特定の神を拝むことを禁じていることは確かですよ。ユダヤ教やイスラム教、キリスト教も神(上)の宗教でしかないので偶像崇拝が許されてないだけですね。
それと仏を混同しているようではだめですね。

投稿日時 - 2010-10-12 15:33:35

お礼

あのなあ、えーか。
宇宙の法則が仏となって姿を現すなんちゅーことは無いんや。
そう思うのは宗教漬になったオタクの考えることや。
偶像崇拝ちゅーのはな、こういう愚かな考えがもたらすもんや。

あのなあ、えーか。
神も仏も大して違いはせん。
ラーメンとうどんの違いくらいや。
 

投稿日時 - 2010-10-12 17:47:18

ANo.2

 んー・・・ココんとこ↓↓なのですが、

>あのなあ、えーか。
>大仏などの仏像を拝むのは偶像崇拝ちゅーてな、イスラムの国々ではおよそ
>人間のやる所業の中で最も卑しい行為と見なされておるんや。

 イスラム諸国(イスラム教徒)だけでなく、イスラエル(ユダヤ教徒)も・・・
旧約聖書の「みだりに神の名を唱えてはならない」「偶像を作り拝してはならない」
を厳格に守っているみたいですよ(汗)

投稿日時 - 2010-10-12 14:23:21

お礼

全くその通りや。
まー、わしの眼にはイスラムもユダヤも同類にしか見えんけどな。
しかしそれを言うのに冷や汗かく必要は無いやろ。
当たり前のことと違うんか。
 

投稿日時 - 2010-10-12 14:37:56

ANo.1

問う人:
ほんで、このg3452sgpいうやつは、何を尋ねたいんや?

心の声:
…。まあ、青年の主張みたいなもんちゃうの。
言いたいことをゆうてるだけで、全然質問ではないわな。

投稿日時 - 2010-10-12 13:37:19

お礼

あのなあ、えーか。
ソクラテスも言うとるやろ、哲学の基本はダイアログ、つまり問答やと。

投稿日時 - 2010-10-12 21:26:24

あなたにオススメの質問