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耳かき店員殺人事件の裁判で死刑が求刑されました。

耳かき店員殺人事件の裁判で死刑が求刑されました。

もし、皆さんが、裁判員で、死刑を求刑された事件を担当になってしまった場合、冷静に協議をして、死刑の判決を下せますか?

この事件で、初の死刑求刑になりました。私が裁判員だったら、すごく悩むと思います。しかし、決断はしなくてはいけません。そうなった場合、冷静に判断できるのか?と思い、皆さんに質問してみました。

投稿日時 - 2010-10-25 19:18:00

QNo.6275009

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

いくら残忍で身勝手な殺人事件の犯人であっても、人命を左右する裁判には関わりたくないのが本音です。ずるい言い方にはなってしまいますが、耳かき店員殺人事件の犯人は死刑が相当と考えます。でももし自分がその判断の担い手になった時は「冷静にはなれない」と思います。普段は死刑存続論者の私でもそう思うのですから、人間の命を奪うという事は重いという事でしょう。

死刑を執行する為の床を落とすボタンは3つあるそうです。3人の刑務官に同時に押させ、誰のボタンで床が落ちたか判らない様にする為の配慮だそうです。テレビで刑務官がこう言ってました。
「いくら残酷な残忍な事をした死刑囚に対しても、いざ執行となれば、手が震える。自分の指1本で床が落ちるかもしれないと思うと、やはり動揺は隠せない」

また、かつて「三菱銀行北畠支店強盗殺人立て篭もり事件」の犯人を射殺した5人の狙撃隊員は5人が5人全員揃って「自分の弾は絶対に当たっていない」と確信を持って言っていたそうです。実際に撃たれたのは8発。犯人に命中したのが3発。ではその3発は何だ?と言われた時「神のみぞ知ることやと。人が人の命を奪う、人が人の命を無くすという事は大変に重いことやと思います」と言っていたそうです。

現場で実際に4人をライフルで射殺した犯人と対峙した機動隊員でも、そうゆう感情が湧き出てくるのですから、一般人の裁判員にはかなり「きつい」と思います。もし私が選ばれていたら、かなり迷うと思います。遺族の感情も考えなければならない。犯行の計画性、残忍さも考慮しなければならない。でも命の選択を任されたら、自分はどうなるんだろうか?冷静にはなれないのは分かるが錯乱してしまうのか?難しい問題だと思います。

でも「こいつ」だけは例外で、自分が裁判員だったら冷静に死刑を言い渡せただろう、言い渡せるだろうというのはいます。私の中では

・麻原彰晃(執行待ち) ・宅間守(執行完了) ・加藤智広(秋葉原事件の犯人、公判中) ・宮崎勤(執行完了) ・勝田清孝(執行完了)

の5人です。

投稿日時 - 2010-10-25 20:23:53

お礼

私と同じ考えでしたので、ベストアンサーにさせていただきました。細かく書いていただいてありがとうございます。

投稿日時 - 2010-10-26 08:29:53

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回答(9)

ANo.9

>冷静に協議をして、死刑の判決を下せますか?

この事件では死刑判決は下せないです。
今回の事件は光市母子殺人事件に比べると同情できる部分が多いです。
1.もてない男が心の安らぎを見つけせっせと通った。たぶん生きがいだったんだろう。
2.その愛が阻まれた。絶望したんだと思うよ。狂ったんだろう。
3.狂った人間は何をするかわからん。平常心ではなかったと思う。
4.後悔して反省をしている。

犠牲者は光市母子殺人事件と同じ数だけど内容にかなりの違いがある。求刑は死刑でも判決は無期懲役が妥当だと思う。

投稿日時 - 2010-10-26 06:54:08

お礼

なるほど、ありがとうございます

投稿日時 - 2010-10-26 08:28:13

ANo.8

日本は死刑が権利で有りますw

投稿日時 - 2010-10-26 03:52:35

お礼

ありがとうございます

投稿日時 - 2010-10-26 08:27:16

ANo.7

普通に考えれば死刑判決を出せば弁護側が控訴し、死刑でなければ検察側が控訴するでしょう

私が裁判員だったら死刑判決を出しますよ。

投稿日時 - 2010-10-25 21:14:28

お礼

すごいですね。私だったら無理です

投稿日時 - 2010-10-26 08:26:46

ANo.6

日本の裁判制度、警察機構は虚構で、自分たちの観念は作られたものです


共産主義国の刑務所が、資本主義社会をそのまま縮小したような模擬的機関だって聞いたことが有る

投稿日時 - 2010-10-25 20:44:29

お礼

ありがとうございます

投稿日時 - 2010-10-26 08:25:55

ANo.4

と言うか裁判で有罪を言い渡した人間だけが許される一種の踏み絵でしょうな

投稿日時 - 2010-10-25 20:02:18

お礼

ありがとうございます

投稿日時 - 2010-10-26 08:25:03

ANo.3

それは本当なの

といわれるかも知れませんが


裁判において、事実は重要視されません

心の重さを軽くする儀式だと思います、善良そうな人間が裁きの間に引き出されれば


誰も哀れに思うでしょう

でもここに来るまでに辱めを受け憎らしい顔つきになっているんです

投稿日時 - 2010-10-25 20:00:18

お礼

なるほど、ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-10-26 08:24:18

ANo.2

裁判とは実にまがまがしい儀式ですよ

まず容疑者を価値の無い人間であることを強調し、人々の同意を求めてから判決を下す

自分は無実の罪で裁判に掛けられましたが、一切の抗弁をせず弁護士にも何も話さないように伝え

自分を讒訴した人間が、自分からすまないと言い出すのを待っていましたがそれは有りませんでした

自分が抗弁しないのでその人は動揺し逃げるように去っていきましたが、裁判官も同様でした

恐らく分っている人は分っていると思いますが、事件には別の原因が有ると思っていいです

後ろめたい気持ちが有る人ほど、表向きの容疑者に対する非難の声は大きくなります

投稿日時 - 2010-10-25 19:54:41

お礼

たしかに、そうですよね。検察はどれだけ酷いのかを説明し、弁護人は、どれだけ反省しているかを説明して、と裁判をするのですから。被告人が、本当に反省していたとしても、遺族には、伝わらない、というより、遺族としては許せないし、生きていてほしくないという気持ちになるのは、当然だと思いますし、ただ、被害者には、本当に原因は無かったのか?と思うのも、他人の裁判員が思ってもおかしくはないと思います。でも人一人の命をどうするか決めなくてはいけない。となると、ずるいと思うかもしれませんが、わたしだったら逃げ出したいですね。

投稿日時 - 2010-10-26 08:22:52

ANo.1

無理だと思います

投稿日時 - 2010-10-25 19:34:52

お礼

そうですか・ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-10-26 08:16:05

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