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解決済みの質問

和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・・

 ・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。:(α)

 この(α)の命題についてお考えになるところをおしえてください。



 参考になるかどうか 聖徳太子についての批判をつづります。

 ・論文:聖徳太子は ただのくそったれ

 ▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~
 一に曰(い)わく、和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。
 しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (1) 最後の一文は いわば民主主義に通じる自由な言論 これを 基礎とすると言っています。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いました。
   ▲ (五箇条の御誓文)  一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
 
 (2) 次に 同じ最後の一文の中からですが
  ▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて
  ☆ については 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが:
  ◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~
  【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことのり)に

    《このころ聞く 諸国の役民 造都に労れ 奔亡するものなほ多し。禁ずと
   雖も止まず》。

   とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出す者が多い。禁止しても止まない。・・・
  【上田正昭】 その翌年の正月にも 

    《諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。
   溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの その類少なからず》。

  というのが出ていますね。
  【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけですね。
  【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。

     《草枕旅の宿りに誰(た)が夫(つま)か 
      国忘れたる 家待たまくに》  (万葉集 三・426)
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  (3) その(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣きの歌を見てみれば分かります。
  ▲ (万葉集 三・415) ~~~~~~~
    上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首

     家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ
    草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ☆ 人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりなさい ふるさとに帰って行きなさいと声をかけていますが 聖徳太子の歌では ああ かわいそうにとだけ言っています。

 (4) ▲ 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
 ☆ と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮らしていた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》うんぬんと言いだした。まねをして和をとうとぶと言われても けっきょく 人びとよ自分たちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよいことだけを言っているとしか聞こえません。

 (5) 聖徳太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と排仏派の戦いになりそこで前者に味方し 後者の物部守屋を亡きものにすることにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》と言っちゃってもらってもねぇ。
 権力は握った もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっしゃいます。

 (6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――つまりあるいは お二階からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちとともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きたと いまいちど起き上がって言って欲しい。

 (7) しかも・しかも 聖徳太子の場合には みまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることになります。聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだとか。ちゃんちゃらおかしいわい。

 (8) 人麻呂スサノヲの心意気なら 先の(α)の命題を飲みませんか?

投稿日時 - 2011-03-31 11:50:55

QNo.6633903

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

 こんばんは、Hidochiでございます。

 以前、聖徳太子について、お教えいただいたときから、自分なりに太子について調べてみました。残念ながら、諸説が存在し、明確な像が浮んでは来なかったのですが、冷酷な“マキャべリスト”の印象は持ちました。

 仏教を広めたとされていますが、そもそもそれは豪族仏教であり、新羅等の朝鮮半島との外交戦略が裏には存在したと考えられます。

> (5) 聖徳太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と排仏派の戦いになりそこで前者に味方し 後者の物部守屋を亡きものにすることにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》と言っちゃってもらってもねぇ。
 権力は握った もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっしゃいます。

 現実問題としまして、地政学的に、(畿内最大の拠点として、大和川下流の大阪府八尾市を持つとされています)豪族物部氏を倒す必要があったと思われます(宗教戦争の意味合いが強かった戦いでしたが、宗教だけが問題ではなかったものと察せられます)。

> (8) 人麻呂スサノヲの心意気なら 先の(α)の命題を飲みませんか?

「和を以って貴しと為せと言われなかったなら」 → 「われわれは、“和”という言葉に馴染みが少なくなっていたかもしれない。しかし、それはそれで、じゅうぶんであった。」
と解します。

 なお、せっかくサイコロさんの「審美眼」のスレッドに、お誘いいただいたのですが、当初よりブロックされたままとなっておりまして、受け付けてもらえませんでした。従いまして、参加できずにおります。かなり嫌われているようですが、これは致し方ないと思っております。
 
 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2011-04-05 01:08:04

お礼

 ひどっちさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ★ なお、せっかくサイコロさんの「審美眼」のスレッドに、・・・
 ☆ そうでしたか。わたしは どういうわけか ブロックされていたのが解除になっているのに気づいたのでした。
 さんざん投稿したあとですが ではわたしももうやめます。ちょうどあとは 《法悦》とかの彫刻(?)についての批評のみが課題でしたから もうやめてもいい頃だとも考えますから。
 (いましばらくは見守っていますが どうしても投稿したほうがよいと判断するのでないかぎり 加わらないこととします)。


 ★ 仏教を広めたとされていますが、そもそもそれは豪族仏教であり、新羅等の朝鮮半島との外交戦略が裏には存在したと考えられます。
 ☆ 経文がもたらされたことは 半島との交通の深まりとともになのでしょうね。 
 その著と言われる『三経義疏』はかなり高度な注解書のようだと聞いています。学力が優秀だったのだと思います。(辞書などはなかったでしょうし 漢字漢文を読むだけでも一苦労でしょうから)。

 ★ (宗教戦争の意味合いが強かった戦いでしたが、宗教だけが問題ではなかったものと察せられます)。
 ☆ けっきょくその後には 本地垂迹説まで出ましたから その神仏混合の状態が日本人に合っているとすれば 仏教導入によって古神道を排斥するというのは 手段であったかも知れないと思われます。

 ★ 「和を以って貴しと為せと言われなかったなら」 → 「われわれは、“和”という言葉に馴染みが少なくなっていたかもしれない。しかし、それはそれで、じゅうぶんであった。」
と解します。
 ☆ ええ。そういう社会的な基礎――つまりは 市民らの生活そのもの――がもともとあったと言いたかったのでした。
 《和》は もともとどうもそれ以前の――卑弥呼らの時代からの――《倭国》の倭から来ているとも言います。倭は 背が猫背のようだという意味を帯びて字が好字ではないということで 替えられたのだと。
 そして やまとは 養徳(ヤントク)とも書いた時期がありました。徳を養うという好い意味を持って音が似ているということのようです。そして別様にもともとの《ワ》という音韻を継承して また好字二字という原則がありましたから 大和としたらしいです。


 ふり返ってみれば この質問は 【Q:日本人は 論理思考をそなえている】の援軍のようなねらいを持ったものでした。そちらのほうは 二つの主題があって それぞれその主題に対応する別の質問が挙げられていて それぞれに反論を伝えるというねらいをも持って 立てたのでした。
 そのようにしてこの哲学カテゴリにおいて全体として ちょっと見渡してみますと その問い求めの度合いが煮詰まって来たかにも感じています。自分の投稿がからんでいますので 高ぶりの所為でそんなことを言うのではないかと言われても仕方がないのですが どうも審美眼あたりから《ときが満ちる》感覚をおぼえています。そのことの手放しの表出です。あけすけの表明です。
 
 それにしても 大きな事件がおこりましたね。
 
 地球人かで はこぶるさんが天皇制について触れていたのが やや驚きでした。以前には触れようとされていないと受け取ったことがあったものですから。

 不用意な発言になりますが (1) われら(?)が心の炉心なるアマテラシテが 溶け始めたのではないか? (2) この OKWave の哲学カテゴリという場が 或る程度(部分的にでしょうが)日本なら日本の縮図であるような感じを持ちます。(3) 大事件は 東京をも巻き込んだということが大きいように思います。(4) しかも思った以上に世界が気持ちをも寄せて来ているようで 何だか歴史が動いていることを感じさせるようです。

 そんなこんなにて。

投稿日時 - 2011-04-05 04:38:37

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回答(26)

ANo.26

>☆ いえいえ はっきりと悪の部分を露出していますよ。探してみてください。


 興味がないので結構です。


>ひどっちさんに それは 基本的に言って(理論として)まちがいだとさとされました。


 道から外れている という程度のことです。


>☆ うまいことを言いましたね。(すこしどこか直すところがあるようにも思いますが)。


 適当に書いたので、後は勝手に直してください。大体あってりゃ(なんとなく分かれば)いいでしょ


>互いに精進してまいりましょう。


 ???

投稿日時 - 2011-04-08 02:23:34

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 返す言葉に困る文章ですね。


 ということで。

投稿日時 - 2011-04-08 03:45:39

ANo.25

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ヒドッチでございます。 

> 前々からでしたが ちょとつのおっちゃんは よほど相い対する態度が おかしい。まともに話を わたしに対しては出来ない。何故かは必ずしも分かりませんが とにもかくにも わたしとまともに向き合ってはもう話しが成り立たない状態に成りました。よって わたしのほうから去ります。

 ちょとつ様(cyototu様のことでしょうか)は、その分野では相当の業績もあげられておられるようですので、サイコロ様のような学究肌の方からしますと、尊敬の念を抱かれるものかと思われます。また愚生よりもご年配でしょうし、またその業績から、ちょとつ様に対しましては、批判を加えることはしてきませんでしたし、また別段そのつもりもございませんでした。因みに、Hidocch君の方はと申しますと、ご存知のことかと思われますが、関西の某大学の客員准○△似すぎず、残念ながらそんな大した業績をあげてはおりません。それに、もうすぐ任期も切れますし.....
 ただ、どうして「まともに向き合ってはもう話し」をされないのかは、愚生には全くわかりません。

> そこからは サンダルの底の塵を持って帰るようなことなく払い除いて やはりわたしはわたしから去ります。

 了解致しました。愚生も一切の回答をしない旨伝えましたので、関わらないつもりでございます(幾度も、気を使うのも疲れますため)。

> あとは わたしにとっては論外のひとがいましょうか。

 現時点では、いないかと推察しております。

> AXISさんの“「ストーカー」と言うだけの知恵はあるようなので”の発言に対しまして

 まず、「外道」につきまして、愚生はこんな偉そうなことをほざいておりましたでしょうか。申し訳ございませんでした。お恥ずかしい限りでございます。

 「ストーカー」の件なのですが、つまりここでは「ストーカー規制法」のことかと思われますが、以下の文言のように“恋愛感情”を持っていることが必要かと考えられます。ですが、AXISさんの文章を読んでみましても、“恋愛感情”は見出されないのです。つまり、「ストーカー(規制法)」とは何ら関係のないものかと察せられます。
 もしかしますと、単純に錯誤があったのか、もしくは(特に悪意は感じられないため、考えたくはないのですが)試されれたのかもしれません。

「規制対象となる行為を、公権力介入の限定の観点から、恋愛感情に関するものに限定する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E8%A1%8C%E7%82%BA%E7%AD%89%E3%81%AE%E8%A6%8F%E5%88%B6%E7%AD%89%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B

 実際、条文にて確認をしてみましたが、その箇所が見つかりました。

ストーカー行為等の規制等に関する法律
(定義)
第二条  この法律において「つきまとい等」とは、特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の各号のいずれかに掲げる行為をすることをいう。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H12/H12HO081.html 

 ご質問内容とは関係の話に終始してしまいましたが、以降は新たなご質問の方に、お伺いさせていただこうかと考えております。

 それでは、よろしくお願い申し上げます。

投稿日時 - 2011-04-07 22:28:54

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 製薬会社での研究所においてご教授されているといったふうに――あぁ イメージだけで受けとめていたのでしょうか――思っていました。申し訳ありません。ほんとうに先生でいらっしゃるのですね。でも呼び方は 変えないでおきます。みな同朋の思想において。

 ストーカーは 恋愛感情に関するものに限定する ですか。
 でしたら ここで荒らしとしてしつこく食いついて来るような場合 何か言葉を考えたほうがよいかも知れません。ダニがあるにはありますが。

 その関係で 相手先のほうですが 例のサディズムのサドをえらく持ちあげているようでした。そこでわたしは去ったわけで ちょうどよいころ合いだったかと思います。

 
 この質問は 見落としがないかを固める意味合いが大きかったでしょうか。
 ほかの方から投稿があるかも知れませんので もう少し開いています。

投稿日時 - 2011-04-07 23:13:28

ANo.24

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。Hidocchiでございます。 

> いえ もっぱらのアマテラスお二階さんが どこまでその尻に火がつくかという俗っぽい観点からわたしは見ています。

 どうなのでしょうか。お二階さんにつきましてはそれはそれでいいとしまして、産業上の損失は結構甚大なものかと思っているのですが(本社が東京に集中しておりますし、その近辺例えば住金工場の火災等の問題でございます)…….

> ところが今度の《玉音放送》は なぜか力なく 隙間風が吹き抜けて行ったのではないかとさえ思われるような影のうすいものだったのではないか。

 やはり、天皇陛下自らが被災地にご訪問された方がよろしいかと考えております。それにしましても、最近、雅子妃の醜聞を耳にすることが多くなりました。

 サイコロ様からのご回答につきまして、以下に愚見を述べてさせていただいております。

 確かに、アマ様と荒れました。今は削除されていますが、「通報して、bragelonne様と愚生のID削除してもらう」とか(別段、当コミュニティーの利用規約に反することはしていなかったつもりですが)、最後には、「誹謗中傷の攻撃を、ウ○病のひどっちさんが、一緒に始めてしまった。これをわたしは嫌いました。ウ○病の病理というのはね、苛めの加害者になるということの自覚ができないんです。」とも叫ばれました。
 どこが誹謗中傷なのか全く理解できませんし(そのとき、偶然居合わせましたリトルキッス様ならご存知かもしれません)、そもそも、人数的にこちらの方が圧倒的に不利な立場だったかと記憶してございます。
 従いまして、おそらくアマ様との修復は極めて困難かと考えております。


 全く勝手ながら、 サイコロ様からご回答がございましたので、 以下の欄をお借りいたします。幾度も、誠に申し訳ございません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 サイコロ 様へ

 アマ様との対話を望んでおられるサイコロ様におきましては、そちらを優先してくださいませ。愚生は回答を慎ませていただきます。
 今回、回答しようとしていた内容も、“美の無関心性(作品それ自体が快をもたらす)”と“「美」には「快」の存在が十分条件ではないが、必要条件である”といったものであり(主に、カントの「判断力批判」から影響を受けています)、おそらくアマ様とは甚だしく意見が異なるものかと推察しております。つまり、二人が同時に回答しますと、荒れるのは必至かと予想しております。

 繰り返しとなりますが、サイコロ様に対しましては、Hidocchiからの回答は金輪際一切しないことを、硬くお約束いたします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 bragelonne様

 サイコロ様に対する内容が主になってしまい、申し訳分けござませんでした。深くお詫び申し上げます。

投稿日時 - 2011-04-06 20:49:31

お礼

 ひどっちさん めまぐるしく情況が変わってしまって わたしからの言葉としましては――それより前に ご回答をありがとうございます―― わたしは今回の《後日譚》騒動につきましては 機会を広げられればと考えましたという一点になると思います。

 前々からでしたが ちょとつのおっちゃんは よほど相い対する態度が おかしい。まともに話を わたしに対しては出来ない。何故かは必ずしも分かりませんが――わたしの思想が 自虐的だからというふうに推し測られるかとも思いますが―― とにもかくにも わたしとまともに向き合ってはもう話しが成り立たない状態に成りました。よって わたしのほうから去ります。

 そのおっちゃんの文章を徳があると褒めています さいころくんは。ならば まわりまわって そこからは サンダルの底の塵を持って帰るようなことなく払い除いて やはりわたしはわたしから去ります。

 あとは わたしにとっては論外のひとがいましょうか。


 こうお伝えします。

投稿日時 - 2011-04-06 21:09:08

ANo.23

「思いやり」で意識が下ばかり行くのは外道。

サイコロがいくら偽善者ぶって、本人もその気でいたとしても外道は外道。

「思いやり」で弱者を弄繰り回すのは逃げ。

上ばかりでも下ばかりでも外道。

しかしゴキブリを追い掛け回したつもりが「ストーカー」と言うだけの知恵はあるようなので、文献学者とはいえ 一応ゴキブリ以上のようです。

投稿日時 - 2011-04-06 17:34:39

お礼

 せっかく投稿して来てらっしゃるので ふたつ思うところを述べます。

 ★ 偽善者
 ☆ いえいえ はっきりと悪の部分を露出していますよ。探してみてください。

 ★ 外道
 ☆ わたしは いわゆる仏教のどこかにそういう目でほかの信仰および宗教を見る習慣が残っているのではないかと思っているのですが ひどっちさんに それは 基本的に言って(理論として)まちがいだとさとされました。ただブディズムの外(そと・ほか)の信仰という意味に取るべきだと。

 単純に《外道》というののしりの言葉に成り下がっている場合もありますから あまり使わないほうがよいと考えます。

 ★ 知恵はある
 ☆ と言いますか もともと多少の悪をみづからの生活に許容しつつ あたらしい社会の力と旧い勢力とのぶつかり具合いをながめているといったところではないでしょうか? つまり そこにおいてその社会的な力学だとかあるいは世間のいわゆる知恵は わきまえているようです。
 わたしは 模索しているところかとも思ったりしましたが。


 ★ 「思いやり」で弱者を弄繰り回すのは逃げ。
 ☆ うまいことを言いましたね。(すこしどこか直すところがあるようにも思いますが)。

 互いに精進してまいりましょう。

投稿日時 - 2011-04-06 20:08:36

ANo.22

こんにちは、bragelonneさん。


●気まぐれと相手に対するウヤマヒの無さとはちがうんでないかえ?


ふむふむ、ベルニーニ作品をもうちょこっとよくみてみましょう。
● 『Le Estasi di Santa Teresa』 ~~~
  http://maszo.exblog.jp/8021496/

左の手はすでに下へ垂れているけれど、右足はかろうじて岩にかかっています。うーん、ここがミソなのかなぁ。ま、それはそれとして、つぎ、左足はといえば服の布で判りづらい。右足同様に踵がかろうじて後ろの岩にかかっているのでしょうか、どうでしょう?うん、今椅子に座りながらこの絵のポーズをとってみましたが、岩に踵がかかっていなかったら、このポーズをとるのって結構辛い。足に力が入る。ならば、足の力が抜けていくとすると当然ダラリとダラリの帯のように垂れ下がることだろうに。
http://www.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP424JP424&biw=1345&bih=474&tbm=isch&sa=1&q=%E3%81%A0%E3%82%89%E3%82%8A%E5%B8%AF&aq=f&aqi=g2&aql=&oq=

膝と足の甲の曲がり具合が直角とはいえないまでもそれに近い角度になっている。岩に踵がかかっていたら逆にこの膝と足の甲の曲がり具合を直角に近い角度をとることで足の力が抜けていても足に力が残っているかのように見せることが可能となってくる。錯覚?誤認?判断が分かれるところ。生と死の境目?
タイトルは「聖テレジアの法悦」とあり、作品は聖女テレジアが神と出会い、その喜びに満たされる奇跡の場面。とWikipediaには記されていたが腑に落ちない。作品は遠のいていく意識の中で、踏みとどまろうとするこころと逝くこころの鬩ぎ合い、こころの葛藤とみることできませんか?
鑑賞者であるわたしはこの作品を鑑賞するなかで沸々と疑問がわく。岩に左足の踵がかかっているのか?足には、いや、横たわるこの人物には、生きようとする気力が残っているのか。死に逝く者の姿と見ればそう見ることもできもするが、左足の踵が岩にかかってないのなら精も根も尽き果てようとする中にあってもまだなおわが身の一部がこわばりを覚えるのではないか。膝と足の甲の曲がり具合が直角に近い角度にあることが眠っている力があると、生きようとするサインではないのか。
写し鏡。




感情と合理性の葛藤
http://www.iser.osaka-u.ac.jp/~saijo/pdffiles/2008bio-ind.pdf

無意識
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98

投稿日時 - 2011-04-06 14:08:44

お礼

 こんにちは。りとるきすさん。ご回答をありがとうございます。

 まづ 現金(預金でもよい)100(単位は 万円でも億円でも)をもって資本金として事業を始めます。これから役に立つものは まづ――理屈抜きで――左側に記入します。それに対応するものは 右です。

   [資産]現金預金 100    | [資本]資本金  100

 これで PC 20を買ったとします。店まで電車で行ったとして。費用は 資産が収入を得るのに役に立ったそのものだから やはり左に来ます。PC はこれから役に立つので 左です。

   [資産]備品    21    | [資産]現金預金  21
   [費用]交通費    1    | [資産]現金預金   1.05
   [資産]仮払消費税等 0.05 | 

 PC で何か文書を仕上げて 商品として売った。売上高40。売上は 費用の反対だから 右。
   
   [資産]受取手形  42    | [負債]仮受消費税等  2
                    | [収入]売上     40


 ここまでを試算表としてまとめれば:

   [資産]             | [負債]
   現金預金     77.95  | 仮受消費税等    2
   受取手形     42     | [資本]
   仮払消費税等    0.05  | 資本金     100
   備品         21   |
   [費用]             | [収入]
   交通費        1    | 売上         40
   ______________________________
    計        142    |           142

   
 この状態で 消費税等を納めるとすれば

   仮受消費税等 2 - 仮払消費税等 0.05 = 1.95

 これだけを納税します。その分を売上に際して預かっていたという意味です。

  

投稿日時 - 2011-04-06 14:59:35

ANo.21

おはようございます、bragelonneさん。



☆ 《法悦》というのは 次の彫刻です。あなたは どう見ますか?



「どう見ますか?」って、いや、そういわれてもなぁー (-_-;)uuu…

八卦見じゃないってばさぁー

それは見れないけど、見るのは見てますよ、決算書を

検算 検算 見参!?

●ベルニーニ作品は 下に垂れた片方の手とそしてやはり片方の足…


勘定科目の「右」と「左」とみた!
http://itzei05.blog62.fc2.com/blog-entry-2.html

ホント、左手垂れてます下へ
見れば左のお足も垂れてます下へってか???

※収入と負債は、費用や資産とは反対のルールになります。
左側に金額をかいたら「減る」、右側に金額をかいたら「増える」、と逆になります。

たしかに… 頭の中がこんがらがってしまいそう (-_-;)uuu…

あー ややこしやぁー ややこしやぁー

森の生活
http://www.soumunomori.com/about/

「ソローの牢獄」
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/5344/1/slc013p025.pdf

「投票税」
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/vol12-3/ando.pdf
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/vol15-1/ando.pdf

ツツ
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/pdfs/wwwf-pub-freeatlast.pdf

投稿日時 - 2011-04-06 06:23:07

お礼

 気まぐれと相手に対するウヤマヒの無さとはちがうんでないかえ?

投稿日時 - 2011-04-06 08:22:22

ANo.20

最後になりそうなので、投稿してみることにしました。おっしゃるように、「和をもって尊しとなす」が常に適切に作用するとは限りません。抑圧の言説として働くこともあります。何しろ、管理する側にしてみたら、和を尊重してもらった方が楽なのです。しかし不当な抑圧には自由がないでしょう。したがってマナー違反ということではなく、正当な抵抗なら、闘争で自由を勝ち取るのは正しいと言えると思います。

ただし、難しいのは、何にでも抵抗するのが、当人のためになるとは限らないということです。というのも、大雑把にいって自由には、二種類あると私は考えています。一つは、和をもって尊しとせず、争ってでもつかみとる自由。もう一つは何の争いもなく手にできる自由。前者は持たざる者にとっての自由であり、革命などをイメージすればよいでしょう。後者は、貴族が嘯く自由です。しかし貴族的自由の言い分にも理があるのです。画家のドラクロワは、美食外交で知られるタレーラン伯爵のご落胤とまで噂されるほどで、上流階級に属しますが、次のように述べています。

>そういう自由、いくつもの戦闘を通じてやっと贖われた自由などというものは、まったく自由ではありません。自由とは安穏に往来し、じっくりものを考えることなのですから(1845年ジョルジュ・サンド宛ての書簡)

闘争関係に陥ると、気楽さが失われますが、彼にとっては、気楽さこそ自由であったのです。もちろん彼は「民衆を導く自由の女神」の作者です。したがって、何かが変だと思われるかも知れませんが、どうやら、それは若い時の一作であり、例外的であるようです(阿部良雄著『群衆の中の芸術家』)。1845年という年月は重要で、この後の1848年の革命を予兆しての不安として読めます。大革命の伝説には熱狂したが、いざ自分たちの革命が迫ってくると、本音のところでは「気楽さ」がよいというのがドラクロワであるわけです。
しかし、同じように考える人は多いでしょう。アマテラスに反対するように何千年も前に敷かれた抑圧体制を問題だと感じるとしても、やはり自分の幸福とは何かを考えざるを人は得ないでしょう。

そして特に現代では、闘争する理由というのも、かなり微妙なのです。たとえばある問題について抵抗するとして、エゴイスティックなクレマーなのか、自由を獲得するための闘士なのか――時としてわからないと言えます。というのも、絶対的な悪はなく、打ち倒すべき大いなる敵が曖昧だといえないでしょうか。時代劇やアニメのように、悪代官や悪の秘密結社があるわけではありません。ブッシュが「正義」という言葉を連発しましたが、彼の正義は悪を措定することでしか成立しませんでした。闘うにあたって絶対的に正しいことなど、あまりないといえませんか。
たとえばブラジュロンヌさんはアマテラスを敵としていますが、私の率直な感想をいうと、今一つ焦点を結びません。ご著作の経歴を見ると、ブラジュロンヌさんご自身は旧帝大の出身です。仕事をなさっても、よい地位につけたでしょう。アース役だとしても、万年平社員ではなかったでしょう。社会的には中流より上に入るのではないでしょうか。

かくして、闘争に関しては消極的になるのが、現代の風潮であるでしょう。しかし消極性であったとしても「われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きた」と述べることと両立するように私には思えます。そうであるからこそ、闘争より「思いやり」って大切だなと私は思いますし、そういうことを正面切って言える方が、カッコいいと思うのです。かくいう私は文献の蔭に隠れてしか言いませんし、言えませんけれど。正面切って勝負するのは、思想家に頑張ってもらいたいと思うところです。理想の押し付けでしょうか。

追記)ヒドッチさんへ
ヒドッチさん、慣用句でも「鬼」はよくないですよ。こういう風に神経を尖らせるのを過剰だとお笑いかもしれませんね。しかし、私はそれほどに雨合羽さんは傷ついたと思っているのです。鬼はよろしくないでしょう。しかも良くないことが自分でわかっておいでだから、「オ○」などと伏字にしていますね。すみませんが、私のところに来るのは、ご遠慮してください。上記のこととも関連しますが、私はあまり有能な管理者ではありませんから。

投稿日時 - 2011-04-06 03:29:20

お礼

 信念に従って 存在は別としますが あなたの文章とチョトツのおっちゃんの文章は ともにわたしにとっては要らないと判断しました。

 一方的に伝えるということは わたしの思想ではありませんが この際そのほうがふさわしいと考えました。

投稿日時 - 2011-04-06 08:21:20

ANo.19

短い表現で畏れ入りますが、御邪魔を致します。

『「建て前」での尊崇が元々身分制度の上位階層から押し付けられていた』
という事情から類推しますと、
『本来の日本的な「尊敬」には
「御互いの称え合い」の発想が比較的に乏しいのではあるまいか』
と思われるのですが、矢張りその解釈は誤っているのでしょうか?

投稿日時 - 2011-04-06 02:08:30

お礼

 おおしまさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 わたしは まったく間違っていると考えております。

 考えてもみてください。
 いまちょうど あなたはわたしに対して しかるべきウヤマヒの心でお話してくださっているではないですか。
 この質疑応答の場では いろんな人たちがいますが ウヤマヒがおこなわれているのが 日本人の基(もと)いであり礎(いしずえ)であるのではないでしょうか?

 ★ 「御互いの称え合い」
 ☆ と言うと 何か特別の振る舞いについてその誉れを称えるという感じを持つのですが それゆえ生活日常においては ウヤマヒという言葉をわたしは用いますが このウヤマヒ合いは まったくふつうにおこなわれていたし おこなわれて来ていると考えます。

 そしてほかのところで述べましたが まづこのヱブ上では 普段の同輩どうしのウヤマヒ言葉でじゅうぶんであるはずです。そこをさらに 仮りにもしこの場で 相手が何らかの地位や身分の上の人であったとしたら どうその言葉づかいをすることになるか?
 何ら変わりませんか? 
 でも 中には変わるという場合もあることでしょう。つまりは そのような・基礎としてのウヤマヒ語法の上にさらにその人間関係を気にした語法が用いられることがある。これが そのとき相手を持ち上げるかたちでは尊敬語法であり自分を落としめて相手を引き上げるかたちでは謙譲語法であるという敬語のナラワシだと思われます。
 第一次のウヤマヒ合いとしての敬語と そしてそこからさらに二階を増築したような身分関係を気にする尊敬かつ謙譲の第二次敬語法だと見ます。

 おおむねその第二次の敬語法は
 ★ 『「建て前」での尊崇が元々身分制度の上位階層から押し付けられていた』
 ☆ のでしょうが それを人びとは《くにゆづり》をして そうしたからには 相手を何はともあれ立てて その身分敬語法をもやむを得ずとしてでも飲んだ。飲んで使うようになった。
 もっとも その時代には たとえば《えらい人や立派な人を直接見ると目がつぶれる》というような迷信が――これもその《えらい人》の側からカリスマをみづからに与えるために考え出されたものだと思われますが―― 出回っていたことでしょう。この迷信は ちなみに インドネシアから太平洋の島々の人びとにおそらく最近まで信じ込まれていたもののようです。
 つまり このようなナゾとしての能力を持ったそのことをカリスマとして仰ぐ習慣も濃く残っていたからでしょう 言葉づかいとしても 屋根の上にまた屋根を置くような第二次の敬語法が 身分関係の確立とともに出回るようになったものと考えます。
 
 そこへ――そのような新たな身分語法が発進したところへ―― そのお二階から《和を以って貴しと為せ》というお触れが出たときには あなた 人びとはどうしましょう?
 その《和》の内容は 自分たちがいつも思っていてウヤマヒとして振る舞っているそのことでありこれをズバリ言い当てられたとき 人びとはどうしましょう?
 はははぁーーっと ひれ伏しましょうか? やっぱしえらいさんは いいコトを言うなあと感心しましょうか? あんたはえらい 惚れなおしてやるよと後援会に入るでしょうか?

 この情況があらたに出来上がったときには そしてそれからの日本社会では
 ★ ~~~~~~
 日本的な「尊敬」には
 「御互いの称え合い」の発想が比較的に乏しいのではあるまいか』
 と思われる
 ~~~~~~~~ 
 ☆ と思われます。つねに相手の顔色をうかがい タテマエとホンネを使い分け(これ自体は それほどの不思議でもないと――人間社会としては――おもわれますが) 究極的には最終のお上の意向に沿って 前へならえ!も右向け右!も そのまま忠実に従順にもおこなわれるようになった。つまりウヤマヒの基礎も失いかけており 称え合いはヨイショのためにだけ――ウラではあっかんべえと舌を出しつつ――おこなわれるという情況にさえなっている。のでしょうか?

 ですから
 ★ 『本来の日本的な「尊敬」には
 ☆ というその《本来の》は 普段の基礎としてのウヤマヒ合いであり それがもしあるとしたなら何故いま風潮として見られるような薄っぺらい《尊敬語法》しかないようになっているのか? と問うならば それは 身分制度の成り立ちの初めが《くにゆづり》によっているからだと答えます。
 言いかえると ユヅルことをおこなわなかったなら おそらく欧米の尊敬語法のようになったのではないでしょうか? 互いに奪い合いもするが 互いに相手のよいところを称え合うというようなナラワシになったであろうと。
 どちらも 人の――自由を実現することのむつかしさによる――弱さから来るものと考えます。

投稿日時 - 2011-04-06 09:43:35

ANo.18

 こんばんは、ご返答いただきまして、厚く礼申し上げます。Hidochiでございます。

> ★ なお、せっかくサイコロさんの「審美眼」のスレッドに、
  
 愚生と致しましては、上述のサイコロ様のご説明もございましたので、アマ様が来られる前に、1、2度、ご回答をお寄せしたいと思っております(“オ○のいぬ間に洗濯”でしょうか)。

 bragelone様のご説明にもございましたように、総じて、聖徳太子は知略に長けた有能な(老獪な)人物だったと推察しております。

> 《和》の由来、そして「やまと」の語源につきまして

 ご教示いただきまして、どうもありがとうございました。とても勉強になりました。

> はこぶるさんが天皇制について触れていたのが やや驚きでした。

 そうだったのですか、全く知りませんでした。文面を見る限りにおきましては、とても純粋な方かと推察しておりましたが。

> それにしても 大きな事件がおこりましたね。
(1) われら(?)が心の炉心なるアマテラシテが 溶け始めたのではないか? 

 確かに、その兆候は見られているかと思われます。一昔前(不動産バブルが弾ける前でございます)ですと、官僚、その他の類する人たちに誤りがあったとしましても、問題視されなかったかと思われます(政治家の不祥事等は頻繁にございましたが)。まさか、(大阪)地検の問題が公になるとは思っても見ませんでした。

(2) この OKWave の哲学カテゴリという場が 或る程度(部分的にでしょうが)日本なら日本の縮図であるような感じを持ちます。

 はい、愚生は、現代の人たちがどのようなことに疑問を抱いているのかを知りたいがため、社会カテゴリー(時事、政治と経済)もよく目を通しているのですが、一回限りの「質問-回答」というケースが大半のように見えます。それに比べ、哲学カテゴリーでは(原則、タブーはございませんため)、結構なやりとりがございますので、意外なところまで、言及が及ぶためなのかもしれません。

(3) 大事件は 東京をも巻き込んだということが大きいように思います。

 何分、世界的な大都市ですし、また中央集権化した国でもございますため、影響は大きかったかと推察しております。

(4) しかも思った以上に世界が気持ちをも寄せて来ているようで 何だか歴史が動いていることを感じさせるようです。

 グローバリズムの波に従い、個人主義がかなり広まっておりましたが(これ自体を否定するつもりは全くございませんが)、一人でできることには限界があるということを改めて再認識した次第でございます。
 みすぼらしい手織り職人の長男として生まれ、アメリカンドリームをつかんだアンドリュー・カーネギーにおきましも、つぎの言葉が墓石に刻まれているようです。

”Here lies a man who was able to surround himself with men far cleverer than himself.”
Hidocchi訳 ”自分より優れし者を周りに置くことができた者、ここに眠る”

 一見カーネギーと言われますと、アメリカ人らしくワンマンプレーにより、のし上がったように思われそうですが、チームワークを非常に重視したとされています。今回も、各組織(コミュニティー)の連携・ 協力・ 互助の精神(特に日本人は得意とするものかと考えております)の重要性に、アメリカンナイズされた日本人も再度その必要性を認識したものかと考えております。

 誠に申し訳ございません。以下は、サイコロ様へのご回答にたいするものでございます。

> 失礼ながら、ブラジュロンヌさんに同調する形で書かれているように見えたのです。

 審美眼のご質問では、元々bragelonne様と意見が一致していたことが主な理由かと考えております。クリスチャニズムにおきましてもそうでございますし、ブッディズムにおきましても、ナーガルジュナの偉大さを認めているところ、また釈尊自身は宗教を説かなかったという点等は共通点かと、勝手ながら思ってございます。

> ヒドッチさんの回答は確かに優秀ですが、ご意見の芯が、私には見えませんでした。

 別段、優秀でも何でもございません。もちろん、「参考になった」といわれますと、愚生も非常にうれしく思います(大げさかもしれませんが、生きてきて良かったと思っています)。

> 私としては、前の審美の話しでこじれたものを修復したいという動機で、あれを投稿したので、これ以上こじれるのは避けたかったのです。

 了解致しました。この趣旨に沿ってご回答をお寄せできればと思ってございます。

 駄文、最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2011-04-06 00:53:48

お礼

 ときが満ちるという風が吹いて来ているかなという気持ちが いろいろにわたしにとっては現われて来ている。こう思わざるを得ないところです。物語はすでに閉じているけれども 後日譚があったというようなことでしょうか。

 ひどっちさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 ★ ”自分より優れし者を周りに置くことができた者、ここに眠る”
 ☆ オーケストラでしょうか。

 ★ 何分、世界的な大都市ですし、また中央集権化した国でもございますため、影響は大きかったかと推察しております。
 ☆ いえ もっぱらのアマテラスお二階さんが どこまでその尻に火がつくかという俗っぽい観点からわたしは見ています。

 ★ ~~~~~~~~~~
 (1) われら(?)が心の炉心なるアマテラシテが 溶け始めたのではないか? 

 確かに、その兆候は見られているかと思われます。一昔前(不動産バブルが弾ける前でございます)ですと、官僚、その他の類する人たちに誤りがあったとしましても、問題視されなかったかと思われます(政治家の不祥事等は頻繁にございましたが)。まさか、(大阪)地検の問題が公になるとは思っても見ませんでした。
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ アマテラス公民に関しておっしゃるとおりだと思います。
 アマテラシテについては このたびは人によって平成の玉音放送だと言ったお見舞いの言葉がヰ゛デオで伝えられましたね。ところがじつは 終戦のそれやあるいは俗に言う人間宣言 これらは歴史のあゆみを促すのにそれなりの役目があったと――後ろ向きの役割かとは思うのですが なくてはならなかったかと――思われます。
 ところが今度の《玉音放送》は なぜか力なく 隙間風が吹き抜けて行ったのではないかとさえ思われるような影のうすいものだったのではないか。

 これらはすべて根拠のない不用意な発言です。そして歴史の流れから行けば そのようにすすむのではないか。こう思っております。皇太子が雅子さんへの人格批判があったと発言したときから そしてその事態をめぐる人びとの思わくや対処の仕方やあるいは要するに くにの象徴としてのアマテラシテがひとえに世襲のもとに担わされているという制度 について人びとが考えを持とうかとするに到ったときから 土台がゆるぎ始めたというよりは 土台がはじめからなかったということが 気づかれ始めたのではないか。こんな空想をいだきました。
 世襲制は 国民主権や身分や門地による差別を排する平等思想に反すると思われます。どこまでが例外かということなのでしょうけれど。

 むろんつばめが一ぴき来たからと言って 春になるわけではありません。

 勝手な空想が尾を引きました。吹き飛ばしておいてください。


 ★ 文面を見る限りにおきましては、とても純粋な方かと推察しておりましたが。
 ☆ はこぶるさん。経験世界の外には目を向けることをなさらないのではないか。このひとつのことのみ 要らぬことながら 気にかかっています。ナゾはすべて 《無意識》の領域なる引き出しにしまい込んでおくようなかたち? ・・・

投稿日時 - 2011-04-06 08:50:36

ANo.17

こんばんは、bragelonneさん。

●天災とりとるきすさんは・・・という言い方は もう言えなくなったなぁ。

だろ?(*^^*)


これまでは…

天災はまれに起きてはきていたが

まれゆえ、人は天災への備えを怠る

忘却―油断―驚く



これからは…

天災はわすれたころにやってはこない

なぜなら

天災は常に起きる

∴人は天災を忘れることはない


littlekissは、まれに起きる―∴littlekissは気まぐれ~♪


「どんなときも。」
http://www.youtube.com/watch?v=CkmnW_V5OeU
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND106104/index.html


聖徳太子といえば…お金の話かなぁーと、あたりをつけて税の話を

ぶっこんだのダメ?

で、自然と税でソローのお話をきかせてもらえないかと

えっ?!

バレバレ?

それでは また。 ←ってあっさり ダメかー??? シュン。。。(TT)


「女生徒」
http://www.youtube.com/watch?v=q8fW7160uKM&feature=related

投稿日時 - 2011-04-05 20:16:22

お礼

 りとるきすさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ で、自然と税でソローのお話をきかせてもらえないかと

 ▲ ヘンリー・デイヴィッド・ソロー ~~~~~~~~
(Henry David Thoreau、1817 - 1862)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%BC

 ソローは奴隷制度とメキシコ戦争に抗議するため、人頭税の支払いを拒否して投獄されたことがあり、その様子は「市民的不服従」としてマハトマ・ガンディーのインド独立運動やキング牧師の市民権運動などに思想的影響を与えた。
 また、アメリカにおけるティーパーティ運動の思想的な先駆者であると見做され、良心的納税拒否の点から信奉する者もいる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 学がおありですね。名前もどういう人間かもそして森の生活もまた投獄されたということも――読む本にしばしば出て来るので――聞いて知っていましたが 《人頭税の支払いを拒否して》というところは知らなかった。忘れていたのでしょうね。


 ☆ 《法悦》というのは 次の彫刻です。あなたは どう見ますか? よさそうですか?
 ● 『Le Estasi di Santa Teresa』 ~~~
  http://maszo.exblog.jp/8021496/

 聖女 テレサの法悦
 1647年頃制作 
 Gian Lorenzo Bernini
 ジャン・ロレンツオ・ベルニーニ(1598~1680)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ☆ つぎいつ投稿してくるかわからなければ ではまたになるんとちがうかな。

投稿日時 - 2011-04-05 20:43:49

ANo.16

どうも私の話が出ているようなので、出かけてきました。この問いについても回答を用意しておいたのですが、ちょっと投稿しそびれています。

まぁさておき。私は最初、ブラジュロンヌさんの意見をちゃんと聞いておきたかったのです。だからヒドッチさんにご参加は、遠慮いただきました。というのも、これまでのヒドッチさんのご意見は、失礼ながら、ブラジュロンヌさんに同調する形で書かれているように見えたのです。ヒドッチさんの回答は確かに優秀ですが、ご意見の芯が、私には見えませんでした。またヒドッチさんに支持されると、ブラジュロンヌさんのご意見も変化するように思えたのです。私としては、前の審美の話しでこじれたものを修復したいという動機で、あれを投稿したので、これ以上こじれるのは避けたかったのです。私はあの問いで最後にするつもりで最初から準備していたのでした(だから間髪入れずに投稿できたわけです)。

しかしご不快な思いをさせて申し訳ありません。せっかく最後ですから、楽しくやりましょう。ヒドッチさんも、もしお気が向いたら、どうぞ参加なさってください。ところでブラジュロンヌさんは「法悦」をご存じないのですね。いや、いくら何でも、それはマズイでしょう……美術の教科書に載っている主要作品ですよ。正直に言って、話相手として残念です……うーん。

投稿日時 - 2011-04-05 07:03:05

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ううーん。いろいろ念がよぎりますが。

 ひどっちさんが わたしに同調するというのは ぎゃくですよ。
 自然科学はもとより 音楽・美術 現代史・特に外交 今は批判しているフランス現代思想などなど 引っ張って行ってもらっています。
 クリスチアニズムの飛躍するところでは わたしが一歩先を行っているかも知れないと思います。ブディズムでは それぞれの注目する主題に応じて得手不得手があるように思っています。
 【Q:われらが審美眼は 劣化したか】は わたしはそれまでの設問を重ねた問い求めに見られるように徒手空拳で船出しているわけで ひどっちさんの回答を受けその内容にピンと来て 一たんもうこれでよいと満足したあと 幸いにもそのあとみなさんからさらに投稿がありそれらに応じてやり取りするうちに ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理を表わすことができるようになったのです。(言葉にするのは わたしが何故か担当するかたちのようですが いまのところ)。


 ★ 『法悦』
 ☆ ほかの質問へのあなたの回答に参照サイトがありました。
 法悦というのは わが心に非思考の庭が成ったこと そしてその信仰という動態を生きること そのことのよろこびであると捉えるならば その描写については こう考えます。
 おそらく顔の表情は笑っていようが泣いていようが 怒っていようが悲しんでいようが どんなであっても構わない。あるいは 静物画でも風景画でもよいとさえ思います。
 その作品に人間の境地として 上の定義でのよろこびを表わし得たなら それが 法悦という作品である。こう結論づけます。

 ベルニーニ作品は 下に垂れた片方の手とそしてやはり片方の足 これが印象に残ります。
 あとは わたしはどうも《天使》というものをどう扱ってよいのか分からないのです。 
 あるいは ボドゥレールによるとというあなたの情報によると 悪魔的な笑いと天使のそれがあるとか。それなら 悪魔とは何か 天使とは何か この把握がしっかりしていないと話があいまいになるのではありませんか? そこのところは どうなっていましょうか。

 とりあえず こんなふうに思いました。

投稿日時 - 2011-04-05 09:05:11

ANo.14

補足

 おおしまあつこさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。ツッコミもご回答の内だと思います。

 ★ 天人合一
 ☆ そう言えばもう中国の歴史や伝統としての思想から遠ざかって久しいと思いました。三国志のちゃんちゃんばらばらにまったく単純に血が湧き肉を躍らせていたのでした。
 たとえばご存じだと思いますが インドにはブディズムの以前から
 ○ 梵我一如
 ☆ の思想があります。ブラフマニズムとして宗教でもありました。宇宙の主宰者ブラフマン(梵)と人間の我れ(アートマン)とのいわば合一ですね。
 天人合一のほうは いま解説等を参照しましたら 天がむしろ大自然であるとも取れる内容でしたが それでも宇宙の法則のようなものをも含むと思われますので この古代インドの――現代インドでもヒンドゥーイズムというかたちになってやはり同じくの――梵我一如と同じ趣きであるかと見られます。
 
 あるいは プラトンでしたかは
 ○ 世界霊魂(宇宙霊:アニマ・ムンディ)と人間との合一
 ☆ をやはり同じ趣旨にて言っているとか。
 
 あるいは西欧近代において J.-J.ルウソはこう述べています。
 ▲ (エミール・冒頭)~~~~~~~~~~~~~~~~
 万物をつくる者の手をはなれるときすべては よいものであるが 人間の手にうつるとすべてが悪くなる。

 ▲ (同上・第一編 岩波文庫p.31) ~~~~~~~~
 自然の秩序のもとでは 人間はみな平等であって その共通の天職は人間であることだ。・・・両親の身分〔* やその職業〕にふさわしいことをするまえに 人間としての生活をするように自然は命じている。生きること それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 決して《天人合一》から遠いわけではありません。そうではないでしょうか?
 (このように根元的なことを言ったあと その行き着き先は ひとつに残念なことに あのフランス革命では 人を勝手に断頭台の露と消えさせてもよいという考えにまでなってしまいました。《自然》なら何でもよいのだし それに逆らう王制は悪であると)。

 ● 古代から息づく「天人合一」の思想
 ☆ によりますと 自然農業や医食同源の思想による自然との共存としての食生活などなど エコロジの歩みに文句はないのではないですか? 
 ■ 「人物を修める」 安岡正篤著
 ☆ も語っているように エコロジーだけで いまの生活をつづけるわけにも行かなくなっていて このいまヱブ上で話しをし合っていることひとつを取っても 科学・技術の発達によっているわけですから あとはそういった自然と文化文明とそして人間(特にその自然本性)とのあいだの共同・共生になるのでしょうか?

 もっともわたしは
 ■ 人類をこの破滅から救うためには、道徳革命、精神革命が行われなければならぬ、 / というのが欧米各国の権威ある哲学者・社会主義者・医学者等の共通の信念であります。
 ☆ という発言については ひとつだけ何だか気に食わない言葉があります。《道徳》です。生きて動態として生きられている倫理を目指したい。とは思います。勝手な難癖ですが。ちなみに
 【Q:道徳規範は 愚の骨頂】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4607794.html
 という質疑応答までおこなっています。あるいは 次はおおしまさんのお考えにも楯突くことになるかも知れませんが:
 ■ これに対して西洋では、人間を自然(天)と対立させて考える。 / 人類の文化も、要するに自然を征服し、変革することにほかならない。
 ☆ と言われても 東と西とを 1か0かで分けて捉えたとしてもほとんど意味がないとわたしは考えます。すでに上にも プラトンとルウソの二例を出しました。
 治水ひとつを取っても それは自然とのたたかいです。征服することもあります。言葉による表現だけで二分するのもどうかと思います。人間の基礎――自然本性――は すべてに共通であるという原点から踏み出したほうが 建設的な話し合いになりませんか?

 自分勝手に我が田に水を引き込んでしまっていますが ホンネです。
 お礼欄につづきます。

投稿日時 - 2011-04-04 11:12:47

お礼

 つづいてですが 次の論文を取り上げます。

 ◆(現代人に多い熱邪の発生と治療(その1)) ~~~~
 http://blog.livedoor.jp/seimeiin2/archives/2341569.html

 「熱邪」とか「火邪(かじゃ)」・・・〔の〕原因は大まかに分けて、以下のものがあると考えられます。

 1.ストレスや感情の起伏などによる精神的疲労

 2.暴飲暴食
 (特に味の濃いもの・甘いもの・脂っぽいもの・辛いもの・酒など)

 3.睡眠不足やオーバーワークなどによる肉体的疲労

 4.ある種の風邪

 5.季節・天候(暑さや乾燥など)

 ストレス社会、食生活の欧米化、過労、環境破壊による異常気象etcetc・・・

 現代に「熱邪」による病気が増えるのは必然的であると思います。
 ・・・
 ~~~~~~~~~~~~
 ☆ この熱邪の原因と考えられるものについて それらの原因を社会情況として間接的にうながす因縁があると わたしはかねがね考えて来たのでした。それが社会全体としてのでもあり 身の回りの生活の場やあるいは職場におけるものとしてのでもある《上なるアマテラス‐下なるスサノヲ》連関であると結論づけたものです。

 (4)(5)は自然の現象だとすればそれらを除いて 特に(1)のストレスは この A-S 連関情況からもたらされると見ます。上から眼差しをそそぐ側であるアマテラスは――つまり要するに 上司は―― ガミガミ電波を発しますから 下にあって眼差しを受け取る側であるスサノヲはこの意識の排泄とも呼ぶべき電波を アース役となって 処理することになります。
 つまり アース役はつらいよというわけです。
 《アース役はつらいよ》現象は あたかも感染列島の様相を呈するかのごとく日本を覆っていると見ます。
 つまりは《アース役はつらいよ》症候群から 《熱邪》のいくつかの原因状態がもたらされるのではないか? これです。

 さらにはガミガミ電波を放射するアマテラス役の者も さらにその上のスーパーアマテラス役からは そのガミガミ電波を受け取り やはりアース役になっているとも考えられますから ここでかくなる上は全国民が一斉に《アース役はつらいよ》と合唱すると あるいはよいかも知れません。自分勝手な意識の排泄は しなくて済むかも知れません。そういう互いの思いやり現象が《感染》し《蔓延》すると 案外 そうか おれはわがままだったなと内に還り見ることがあるやも知れないからです。

 熱邪が少なくなることは 商売の上がったりになるかも知れませんが そこのところを どのようにお考えになるのか。どうでしょうか。

 ◆ 外邪は”呼吸”を通じて、体内に侵入してきます。
 ☆ この外邪が 意識の排泄なるガミガミ電波のことかどうか。重なる部分もありましょうか?


 やっぱし自分の田にどんどん水を引き込んでしまいましたが どうなのでしょう? こういう考えをわたしは持っています。

投稿日時 - 2011-04-04 14:33:43

別のQ&Aでは「通信の階層」について触れましたが、
此処では、別の階層につきましての注目点に言及します。

「尊し」という表現を私が考えます時に気になるのは、
日本独自の「二重敬語」の存在です。

周知の通りに現代の日本で「二重敬語」が使われる事は無く、
今後にも復活する可能性の存在は予想され難い、と思われますが、
是こそが「時制」の様な論理的階層の構築を阻んでいるのではないか、
と私は長らく考えて参りました。

つまり、私見によりますと、
両方の質問は対になっている様ですね。

投稿日時 - 2011-04-03 22:06:09

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 二重敬語
 ☆ いやぁ 今も案外多く使われていると思いますよ。

   読む → 読まれる → お読みになる → * お読みになられる

 この最後の用例ですよね。次の場合も。

   言う → 言われる → 〔お言いになる〕 / おっしゃる
    → * おっしゃられる

 よく聞きますよ。
 それはそれとして
 ★ ~~~~~~~~~~
 是こそが「時制」の様な論理的階層の構築を阻んでいるのではないか、
 と私は長らく考えて参りました。

 つまり、私見によりますと、
 両方の質問は対になっている様ですね。
 ~~~~~~~~~~~~

 ☆ そうですね。何だか深いところから声が聞こえて来るようで 軽々しいことは言えない気がしていますが ひとつには すでに触れました敬語の分析について考えてみます。

  第一次のていねい語法と
  第二次の尊敬語(謙譲語をも含む)の用法

 これらは 《和》についてみれば 次のように対応するかと考えます。

  第一次ウヤマヒ語:
   あやまち得るが生活日常に生きているスサノヲ人間語におけるウヤマヒ

  第二次敬語(尊敬語・謙譲語):
   これは 単純にアマテラス科学語やアマテラス人格語のことだとは言えない。
   そうではなく 一般に A-S 連関なる関係においてスサノヲの側に立つ人がアマテラスの側に立つ相手に対して ウヤマヒの心遣いをはっきりと特にそれとしての言葉遣いにおいて表わそうとする語法である。

   言いかえると 通俗的に言えば 相手の顔を見てその言葉づかいを変えるという場合である。
   相手を立てる(上げる)尊敬語か 自分をへりくだる(下げる)謙譲語かいづれかの用法がある。
 
    ・行く→〔行かれる〕→お行きになる→いらっしゃる
    ・行く→〔行きます〕→〔行かせていただきます〕 / まいります

 言ってみれば 第二次の敬語は ウヤマヒを すでに決まり切った文句に乗せて表わすかたちではないか。その意味では 広く見て型にはまった(あるいは格式張った――ゆえに間違いの生じ得ないような――)アマテラス人格語の一環であるとも考えられます。

 たとえばこういうことを考えてみました。
 このようなヱブ上の質疑応答の場では 一般に第一次のウヤマヒ語で済みます。ていねいに言えば足ります。(あるいは 日常会話の言葉づかいでさえ通るようです)。
 けれども もし相手が 一般的に言って緩い意味で身分が上であったり目上であったりする場合であれば そこに自分との関係として《アマテラス‐スサノヲ》連関が 薄くにしろ濃くにしろ 成り立つかに思われます。相手との関係が はっきり分かった場合には したがって しばしば第二次の敬語を使うようになる。のではないでしょうか? 

  (※) わたしは 第二次の敬語をも第一次のウヤマヒ語として
    心つもりの中では 使っています。

 二重敬語は まさしく第二次の敬語法が人と人との普通のウヤマヒにもとづくという基礎のさらに上に人為的に社会力学的に発達したというその第二次派生であることを物語るのではないでしょうか? つまり相手を意識すると 第二次のかたちでは足りず さらに第三次第四次をも得てして引き起こすというような事実を写していないであろうか。

 だとすれば 日本語は 対人語法であるかぎりで 時制の一致などの論理連絡を図ることを二の次にしているし そうしても通用する構文としての文法を成り立たせている。
 ★ 「時制」の様な論理的階層の構築
 ☆ からは離れて(もしくは そのような方面への発達をうながすこと少なく) 人間的かつ身分的な階層がすでに社会力学として構築されているところから出発する。その力学的な人間関係は 国家という二階建ての構造ないし階層区分と連れ立って かたちづくられたか? ――たぶんそうだと思われるが さらに問い求めていくことがのぞまれる。


 何か忘れているような感じが残っているのですが ひとまづこのようにて。

  

 

投稿日時 - 2011-04-03 23:35:30

ANo.12

こんばんは、bragelonneさん。
ごぶさたです。
どこに雲隠れしてたかって?
いや、どこにもいってやしませんけど…
ただPC壊れてあたふたしてました。
PCないとお仕事に支障がでるもので、大枚をはたいてWindows 7買いました。
月も変わりはや4月。
この時期忙しいです。休日にもかかわらず出勤して決算書つくってきやした。
こんな調子ですから、つぎいつおめにかかれるやらわかりませんが、
●・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。:(α)
この命題で思い当たること少し書いておきます。

平等であることが、ときに人々を苦しめる。
たとえば、人頭税。
納税能力に関係なく、全ての国民1人につき一定額を課す税金。こんな税があったんだね。
一に曰(い)わく、和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
うーん、封建制がいろこいような。

投稿日時 - 2011-04-03 20:43:49

お礼

 こんばんは ったって もうかれこれ月へでも行って帰って来られたんでないかえ? ご回答をありがとうございます。

 ★ 平等であることが、ときに人々を苦しめる。 / たとえば、人頭税。
 ☆ これは たしかにそうで しかも イギリスで実際に施行されかけたことがありましたね。
 悪平等と言いますか 機械的な平等であるようです。

 昔むかし西欧では 家の窓の数に応じて窓税を課していたとか。家の中を知られないようにとプライワ゛シを守ることができるゆえとか。
 そこで人びとは いくら部屋があっても窓を作らなかったのだとか。

 そう言えば 今回の震災への義捐金は 世界中から多額が寄せられているようですね。芸能人たちは あたかも税金をおさめるかのように チャリティやら募金やら物の支援やらを率先しておこなっているようだと言っては へそが曲がりすぎていますかね。

 ★ ~~~~~~~~~
 一に曰(い)わく、和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

 うーん、封建制がいろこいような。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ そう言えば 思い出して来ましたぞ。この質問の趣旨は すでにあなたとのやり取りで出て来た内容でした。たしかその時には 誰でも反抗したい時期があるのだとか。たいしたもんです。
 でも今回は 《封建的な身分制にもとづくような・非民主的な》思想であるようだとか。
 上からあの枡の中にいっぱい溜まってあふれ出るような米粒を均し棒で均すかのような《平等》志向のようです。

  われわれは 波風を立てようと思ってなら
  和を乱すことなどをするわけがない。:(β)

 先に和を乱されたからこそ 怒っているのだ。その中身や動機が何であれ波風を立てること自体を 一律に均し棒で均してしまおうと 身構えている。お二階のえらいさんたち。

 

 しかし 投稿して来ましたか。天災とりとるきすさんは・・・という言い方は もう言えなくなったなぁ。それでは また。
 

投稿日時 - 2011-04-03 21:29:46

「和」の為には「譲り合い」もが必要になりませんでしょうか?

因みに他の方からRestry(レジストリ)の話題が提出されていましたので、
必須だとは思われませんが、折角の機会ですから、
PCの中で無駄になったプログラムを掃除させるSoftwareを紹介させて下さい。

http://crocro.com/pc/soft/mclean/index.html
http://www.altech-ads.com/product/10001211.htm
http://www.forest.impress.co.jp/lib/sys/file/delundel/glaryutils.html

投稿日時 - 2011-04-03 09:40:16

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ Restry(レジストリ)
 ☆ ひとつには ドメイン名を登録管理するところであり もうひとつには 要らないファイルなどを削除するソフトなのですか?
 おぼえておきます。そういうものを使ったことなく 買い変えたり故障で捨てたりして来ました。メモリがとぼしくなったら ご厄介にならなくてはいけませんかね。
 或る程度分かりました。ありがとう。

 ★ 「和」の為には「譲り合い」もが必要になりませんでしょうか?
 ☆ まぁ この答えはお分かりの上で 問いかけておられるのでしょうから どうですかねぇ。
 
 たとえばこういうことを考えてみたいですね。
 あなたとだったかどうか けんかをして・自由にけんかをして その上でも自由に互いの自由な自己表現を大切にするということ。そうした結果として じゅうぶんなゆづり合いが出来ていれば 言うこと無しでしょうね。と。

投稿日時 - 2011-04-03 17:46:42

譲り合いは尊いでしょうか?

投稿日時 - 2011-04-02 10:52:55

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
 ひとつの基準はたとえば《自由》です。
 生きる自由とはあまり言わないようですが 表現の自由。
 われも自由に自己表現する。なれ(汝)も自由に自己表現する。かれも かのじょも・・・。
 
 この自由な自己表現が 社会においてそれぞれおこなわれます。
 このとき それらの自己表現がすべて自由におこなわれるためには どうすればよいか?
 ではないでしょうか?

 子どものときは 親がその自己表現を代理するかたちが残ります。
 おとなになれば――それでも 社会全体の共同自治としては 代理として代議員の制度を採っていますが―― どうしますか?
 相手の表現の自由を おのれのそれより一秒だけ先に考えてみるというのも たとえばよい方法なのではないでしょうか?
 いろんな《ゆづりあい》が考えられると思いますが?

投稿日時 - 2011-04-02 11:54:24

ANo.9

8番の続きです。

長い文章で情報の遣り取りを繰り返し過ぎますと、
削除されない履歴File関連のprogram(restry)が溜まり続けますので、
何処のPCにも早かれ遅かれ負担が徐々に募ります。

丁寧に応対をなさっている事情を拝見しまして、
心配になりました。

投稿日時 - 2011-04-02 00:17:01

お礼

 何が溜まるのか よく知りませんが それはサポート担当にまかせればよいのでは?

投稿日時 - 2011-04-02 00:28:08

ANo.8

お礼

 ▼ 諸悪の根源
 ☆ この質疑応答は 基本的に《観念としての整理整頓》を目指しているものと考えます。
 言いかえると 観念の世界を出ない。言いかえると 観念とて 経験世界の出来事です。ですから いつまで経っても 《非経験ないし 非思考》の主題は出て来ない。捉えようとしていない。こう受け取っています。

 ▼ 宇宙の公理
 ☆ 《無限》ないし《神》なら 上に言う《非経験》あるいは《絶対》のことを言おうとしているとは考えられます。ですが きわめてあいまいです。決してその問い求めをしようとしているとは受け取れません。いまのところ。

 ▼ 宇宙の公理 最終形
 ☆ 前二項に同じです。あしからず。

投稿日時 - 2011-04-02 00:27:09

ANo.7

お礼

 ▼ 不存在の証明はかなり困難か不可能なもの?
 ☆ この質問は 知っています。或る程度読んでいました。
 ただしよくは分かりません。また質問者との対話は むつかしいと認識しています。

 非経験 ないし それゆえ非思考 については――不存在とも言うかも知れませんが―― わたしの考えでは それを《想定する》というかたちでなら 学問としても話に加え得るのではないかと考えています。

 この想定をしたあとでは たとえば
 ○ 非在のものの現在
 ☆ という表現をあてたりすると考えます。想定したかぎりで 非在のものが そのいま・そこに現在するという捉え方です。いわゆる真理の遍在のことだと取ります。

投稿日時 - 2011-04-02 00:18:30

ANo.6

長い文章で、其処のPCにも、
過剰なResistryが溜まっていませんか。

投稿日時 - 2011-04-01 23:58:15

お礼

 ★ Resistry
 ☆ って何ですか?

 たぶん溜まっていません。

投稿日時 - 2011-04-02 00:08:31

ANo.5

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ▼ 和を以って尊しと成す
 ☆ 漢文ですから
 ○ 以和為貴
 ☆ でしょう。
 ○ 貴(たふと)し:タはタ-やすし(容易)などに見られる接頭辞で 次の語は 太し だそうです。
 ◆(大野晋:古語辞典) ~~~~
  フトシは 壮大であることを表わす語。従って タフトシは 自然現象を壮(さかん)で立派であるとし 人の身分を高く価値ありと畏敬する心持を表わす。
  後に転じて 有り難いと思う意。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ▼ 宇宙の公理
 ☆ 知りません。
 ただ 地球の鼓動ないし宇宙のリズムと合っているとは思います。自分がです。論証無しです。

投稿日時 - 2011-04-02 00:07:15

此の教えと「謙譲」との間には関係性が御座いませんでしょうか?

投稿日時 - 2011-04-01 23:29:18

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 「謙譲」
 ☆ というのは ふつうの言葉として謙遜というのと同じ意味でしょうか? それとも 敬語の一種としての謙譲語のことでしょうか?

 いま述べているのは いわばいわゆる常識ないし定説にいどむかたちの問い求めですので 
 ★ 教え
 ☆ ではありませんが そういう問い求めですから その仮説じたいについて 謙遜・謙譲をあてはめることとは別だと思います。敬語の問題とも別だと考えます。
 そういう補足要求でしたでしょうか?

投稿日時 - 2011-04-01 23:38:17

市民圏=第一階:S 圏;市民 S
 公民圏=第二階:A 圏:公民 A
 これら互いの力学関係:A‐S 連関制

是が全ての「大前提条件」になっているのですか?

投稿日時 - 2011-04-01 07:41:00

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 そうですね。かんたんに言えば そのとおりですというお答えになりますが その歴史的な背景事情などなどは どうですかねぇ。

 だって この二階建ての構造から成る国の家 家なる国は そもそもの人間社会の初めからあったわけではありません。国家として出来たその成立の時点があったわけです。おそらく将来には 一段と高い次元に揚げられて ふるい権力体制などなどは棄てられていくことと考えます。
 揚げられ保たれるのは 人びとの社会的な交通(まじわり あるいは コミュニケーション)が広く民族の全体に広がっただけではなく 民族どうしのあいだにも自由に広がり さらにはこの民族(民族国家)という枠組みさえ 経済的文化的な交通をとおして 乗り越えられようとしている・その開かれた世界のあり方 これだと思われます。
 捨てられるのは その権力のあり方としてのふるい逆立ち体制ではないでしょうか?
 上の世界交通を基礎として あとは おそらくそれぞれの国家ごとの A‐S 連関制は あたま( A )で立っているという逆立ち状態であるでしょうから それが足( S )で立つ元の社会力学の状態に行き着くものと考えます。
 足もしくは その身体につながったかたちで頭( A )をもった足( S )が 市民社会としての主権を帯びると考えられますから。

 

 不用意に言うのですが われらがこころの炉心であったアマテラシテ(象徴)が 溶け始めているように感じますが いかがでしょう?

 ○ アマテラス amaterasu ―→(抽象名詞化)
   ―→ amaterasité  アマテラシテ
  ・ amaterasity アマテラシティ/ Amaterasität アマテラシテート


 ☆ 西欧では スサノヲ市民の自然権――自己表現の自由など――をゆづってでも(制限してでも) 国家に主権をあたえて 市民のあいだの無秩序状態をおさめるという社会契約説にもとづいているでしょうか。
 たぶん日本では それほど違いはないとも見られるのですが おそらくそういう考え方に人びとがもとづいたというよりは そのかたちとしては そうではなく次のような事情があったのではないかと考えます。全体を統治する主権をわれらにあたえてくれ そうすれば うまく統治して社会全体の安寧と成長を約束すると言う人間たちが登場したのだと見ます。そうして 市民らは くにゆづりをした。そこでニ階建ての家が出来た。

 日本では その昔 平地は葦の生える湿地だったので山合いの地に住居をさだめました。谷あいの地でもあり そこには夜刀(やと)の神がいると信じられていた。やとは やつ(谷)で けっきょくへびなどの動物がそのしるしになったと思われます。
 そこを棲み処とし また畑ないし田んぼを拓いた。その人びとは草分けだというわけです。先駆者です。
 この草分けの人びとを大切にし あるいは――ふるいしきたりですが――やとの神をまつるというかたちが その昔――国家の成る前の――生活共同のすがたでした。
 神は へびだけではないでしょうが その神を祀るマツリはとうぜんのごとく たとえば穫り入れのときにムラ中で神々と共食し また感謝の意をささげる。そこでどんちゃん騒ぎがあったかどうかを別として おそらく西欧の社会契約説に見るような《人は人に対して狼である》や《万人の万人に対するたたかい》というような無秩序状態を想定したのではなく また実際そうではなかったのだと思われます。

 ですから 社会契約説もそれとして論理的ですが つまりその論理で国の第二階を仮りの主権者として打ち建てるということなのでしょうが 日本では ムラムラの和はそれとして保たれていたということではないでしょうか?
 ひとつには その中から 統一的な統治者を目指す者が出た。またひとつには朝鮮半島などとのかかわりにおいてほかのくにとの交通関係が戦争にならないでもなかった。それゆえ この優秀な人びとが抜きん出てムラムラのマツリをおしなべておさめさせてくれと名乗り出たときには 人びとはついによっしゃまかせてやろうと考えたかも知れません。
 そうすると あとは ムラムラのマツリが寄り合っているクニ全体をまとめる《マツリゴト》という名の社会経営の体制が出来た。これが 日本の国家であると。もっぱらの公民アマテラスらとそしてさらにその象徴としてのアマテラシテもすでにつくられたものと思われます。
 幸か不幸か お二階からのマツリゴトが 一階におけるムラムラのマツリを飲み込むことになりました。飲み込むかたちで 発展をとげました。

投稿日時 - 2011-04-01 18:50:29

「和を以ってrespectとなさず。」という事が重要なのでしょうね。

投稿日時 - 2011-04-01 01:15:41

お礼

 そうですね。
 きちんと論点を明確にすることを怠っていると言っていい文章でしょうから 勝手に主題を取り上げてお応えとしますが。

 あなたの直前の回答No.1とそして別の質問への回答でのやり取り これらを参照していただきたい。とまづ申し上げます。
 【Q:日本人は 論理思考をそなえている。】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6604063.html
 ★★(回答No.38) 「和を持って尊しとなす」考え方は、論理思考に相反していますでしょうか?

 そこで一つの主題は 《ことば》にもアマテラス語とスサノヲ語とがあるという仮説です。
 人間の存在についても 社会の形態についても A‐S の連関はあると捉えるのですが 言葉にもそれがあるという見方です。

 ・・・・・ S (スサノヲ)・・・・・・・・・・・・A (アマテラス)
 ______________________
 ・ひと:身体・・・・・・・・・・・・・・・・・精神
 ・社会:市民社会・・・・・・・・・・・・第二階という意味での国家
 ・言葉:あやまち得る人間語・・・概念・科学語・人格語

 スサノヲ人間語にくらべれば アマテラス科学語は 普遍性をもって精確な概念を伝えるものですが それとても むろん経験科学による相対的な正確さなのですから 間違いがないというわけではありません。
 

 《和》は もし諍いや戦争がないというだけに留まらないのだとすれば きわめて主観的なスサノヲ人間語として使われると見るべきでしょうか。良心・信教の自由といった次元での心のやすらかさから 人びとの和ゆえに組織や社会において仕事や生活の共同(つまり 共生)が経済的にもうまく行っているというところまで その問題となる範囲が広がりましょうか。しかもそこで おのおの主観的なやわらぎが問われるといった分析や検証を必要としていましょうか。

 それに対して 《リスペクト》は どうなのでしょう? 
 もっとこまやかにその用例の吟味やら 文化的な比較対照の上での定義づけをお願いしたいのですが ひとつの見方から考えてみます。
 ○ わたしは あなたの思想を中身がそのままではリスペクトしないが あなたがその思想を公共の場においても表現するその意志の自由については 誰よりもリスペクトします。
 ☆ とやったら どういう用法になるでしょう? これは単なるタテマエとしてのアマテラス語ではなく スサノヲ人間語としても言っていると見てよいと思います。一般的に言って。ただ上っ面だけの言葉ではないと思います。

 まづ考えられることは このリスペクトの事例は 《和》の主題と案外重なっていると言ってよいのではないでしょうか? 相手の存在とその自己表現(その自由)を互いに保証し守ることは リスペクトの内容でもあり 和のとうとび目指すところでもありますよね?

 とここまでを述べてあとは おまかせします。どうかな?

 

投稿日時 - 2011-04-01 17:48:44

4月1日に嘘を肯定している人の存在を公に言われなかったら、
AprilFoolの存在を知らなかったのでしょうね。

投稿日時 - 2011-04-01 00:42:58

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ただし エイプリルフールは ただそのように取り決めているだけのことですから どうでしょうか。
 つまり 一月一日に決めるとか四月二日にするとかの違いではなく そうではなく ただ人為的に《ウソを言ってもゆるされる》と決め合っているだけのことですから 知らなかったなら知らなかったでしょうし 知ったならそのとき知ることになった ということで済ませ得る性格のことだと思えます。

 それとも
 ★ 嘘を肯定〔* する もしくは肯定〕している人の存在
 ☆ とは どういうことですかね? 大きな意味を持ちましょうか?


 《うそ・いつわりを言うなかれ》という規範がありますが これを 例のアマテラス学問の概念にもとづきアマテラス人格語として(=あたまだけで・タテマエとしてだけ)言っても話は始まらないでしょう。生活に根づいたスサノヲ人間語として――それは たしかにつねにと言っていいほどあやまち得ますが―― まづは言っていないとだめでしょうね。あやまちをみとめ つねにあらためて話し合いをつづけるその態度が みそになります。
 といった問題が エイプリルフールの事柄にありましょうか?

投稿日時 - 2011-04-01 12:43:17

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