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言葉から逃げる

こんにちは。

ぼくはもともと理屈っぽい人間で、言葉を操るのがまあ結構得意なのですが、そのくせ(というかそれゆえに?)言葉やら論理やらといったものの力をあんまり信用しておりません。
たとえば、極端な例ではあるかもわかりませんが、社会的に成功を収めている、あるいは徳の高い知的で「立派な」人物がいるとして、彼が人生やら社会やらについてのテツガクを、言葉をつかって表現するわけではないですか。でもそういった言葉って所詮後付けといいますか、自らの過去を振り返ってその言葉を抽出したに過ぎないわけですよね。先に「言葉」があって、それに沿って動いてそこに至ったわけではない。
そうなると、自らの過去を捨象して現れた言葉に、どれほどの意味があるのでしょうか。他者の言葉は自分の人生にどれほどの影響を及ぼすとみなさんはお考えですか? 
ぼく個人は、ほんとうは「真実があるとしたら、身体で学ぶしかない」と思っているのですが、まあ、これも「言葉」なんですよねえ。しかも相変わらず言葉にこだわっている。ここに質問するという行為もまた。一度言葉に囚われるとひとはそこから逃れられない、のでしょうか。

投稿日時 - 2011-05-02 14:10:32

QNo.6708914

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

こんにちは。僕も結構よくしゃべる人間です。質問者さんは、白を黒に、黒を白にという自信が、もしかしたらおありかもしれませんね。しかし自分が口先だけで実体が伴っていないという自覚があると、相手もフラフラしてるんじゃないかと思ってくる。そうすると、言葉など所詮はつまらぬものと思い、相手の話を聞く気にはなりません。

質問の趣旨は、実はあまり分かりませんでした。というのも結論がすでに出ていますから。うん、それなら問いかけずに、実践を積んで、多くの人の言葉に共感すりゃいいじゃないの?っていうくらいです。反対もないです。――というと話が終わってしまいます。が、タイトルが「言葉から逃げる」なので、悩みがあるのかないのか、どうだろうかと思ってみました。

一つやってみると面白いと思うのは、(男性でしょうから言うのですが)雄弁ではないし、むしろ阿保のように見えるが、飛びきりカワイイ女の子と付き合ってみることです。何を考えているのか、大体は言葉になってこないので、「おまえ、いい加減にしろ」と叫びたくなるのが毎日になります。そして、ともすれば自分が喋り倒して、圧倒してしまいます。もしかしたら男の方が正しいという確信があるからこそ、しゃべるのかもしれません。しかし喋り倒すことで、相手が話す機会を奪ってしまうのであって、それでは関係を維持できなくなります。
だからこそ、阿保だなぁと思っていても、話を聞かなければならんのです。そして話を聞いて、波長を合わせていると、ふーん、考えていないわけじゃないのか、とわかって来る。誰かの話を真面目に聞くという経験があれば、何か変わることがあるのじゃないかと思います。

ジル・ドゥルーズが言ってることですが、言葉は結局、利口な人の、洗練された知恵を理解するためのツールに過ぎません。だから言葉を使って、バカな人が言っていることを理解することはできません。相手の発言をレジュメすると、何かが違うと言われる。しかし何が違うのかは教えてはもらえない。何を言いたいのか、自分でわからない人と言葉で相互理解するのは難しいことです。いや、本来はそもそも無理なのです。
しかし押してダメなら引いてみろということではありますが、理性的な言葉の使い方をやめて、バカの言語を理解しようとするのなら、言葉は一度壊れ、別の進化をする――と僕には思えます。そこに空虚な饒舌を脱する手がかりもあるでしょう。しかし体力を使って、神経をうんと磨り減らすんですよ。だから相手によほどの関心がないと出来ないことです。でもこれを僕は理屈屋の実践と思っています。

投稿日時 - 2011-05-03 00:35:30

お礼

とても興味深い回答でした。

結論、出てるじゃん。おっしゃる通りです。言葉、とりわけ他者(自己と性質も経験も異なる人間)の言葉はどれだけ自己の実践に結び付きうるのか、無理なんじゃねえの? この「身体」は自分一個のものでしかなくて、真実は身体で学ばれるしかないのなら、(真実らしきもの、の伝達を意図する)言葉をしゃべり、言葉を聞く意味はなんぞ? という疑問の答えを、他人に、言葉での形で求めているわけだからこの質問はおのずから矛盾をはらんでいるわけです。回答者様が質問の趣旨に迷われるのは当然のことと思います。

で、ぼくが何に悩んでいるのかといえば、「文学」「お笑い」を趣味としていろいろ享受して、最近法律を学び始めたぼくは自分がどんどん理屈っぽく、相手の言葉の表層だけをこねくりまわして反撃することができるようになってしまった。ある(かもしれない)真実をめざして思考する一方で、そんなのあるわけない、結局はただの言葉でしかないのだから、それで遊んで面白おかしければいいや、とも考えるようになってしまっている。これはまずいな、ということでした。

つまり回答者様のいう、「理屈屋の実践」の、具体的な方法を求めていたのかもしれません。

>阿保だなぁと思っていても、話を聞かなければならんのです。そして話を聞いて、波長を合わせていると、ふーん、考えていないわけじゃないのか、とわかって来る。誰かの話を真面目に聞くという経験があれば、何か変わることがあるのじゃないか

実は以前、、周囲との会話がつまらなすぎる、という内容の質問をさせていただいたのですが、ぼくは他人の話に情報価値(主にWHATの問題)か面白さ(主にHOWの問題)を感じられなかったら即打ち切る、みたいなところがあったような気がします。相手の言葉に対してものすごく不真面目であったような。
ていうかかわいい女の子と付き合えればいいんすけどねえ。需要がないもので。回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-05-03 12:49:37

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回答(11)

ANo.11

 人が使う「言葉」は、生物が発する音と同じ。「思い」を伝えるという手段。

 そう云った役目をする言葉に「捉われる」と言うのは、「使い方、使われ方」への不満。

 意味を含んでいる言葉と言うものは、都合よく使う事が出来る、都合よく使われてしまう。

 言葉は使いよう、なんて言い方もある。

 言葉は、使う人の“心”を伝える道具でしかない。
 
 使われて、初めて“内容”が生じる。

 たとえれば、言葉は容器。その中身が心。

 疑問は使われ方への不満。

 言葉そのものに因はない。

 視点を変えて“言葉”にこだわってみたい。

 ・・・・・なんて、考えてみました。

投稿日時 - 2011-05-03 00:36:12

お礼

言葉を使う人の「心」の問題だ、ということですか。回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-05-03 13:28:20

一言しかない世界を知っていますか?
それは職人の世界です。

{ 体で覚えるしかない } その通りです。
黙々と仕事をする、そのなかで大事な事を、一言だけいう。
その一言は、一生ものです。

では職人は、それ以外に言葉を話さないのでしょうか。
いいえ、ちゃんと仕事の仕上がりをもって表現しています。

出来栄えを見れば、その人が何を思って仕事をしたのか、
どんな言葉を仕事の中で表現したのかが、
結果として現れるのです。

【 そこには、嘘やごまかしが通用しない世界があるのです 】
 て、知り合いの爺様が、ゆーてはりましたなぁ。

投稿日時 - 2011-05-02 23:24:04

お礼

そういう世界もあるのですね。回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-05-03 13:16:54

ANo.8

 >言葉に囚われる<

 >他者の言葉は自分の人生にどれほどの影響を及ぼすか?<

 まさに言葉に囚われるということでは、日本語を使っている時点で、他者、過去の人が作り、使い、ある種すっかり手あかのついた言葉たちを当たり前のように利用するしかないわけで、日本語という言葉からはどうしても逃げられない、日本人という素性からも逃げられないという縛りが生まれた時からあります。影響はものすごく受けています。

 というこの言葉も、小林秀雄が言っていた言葉で、素直に「なるほどなあ」と思いました。そういった他者の価値観を取り入れることと自分の身体で学ぶことは、別に相矛盾しないと思います。逆に身体で学ぶことと、言葉を使うことは、生活をする上では同じことかもしれません。

 自分の様々な思いを既成の言葉にのせることが難しいように、哲学と言葉こそが乖離しかねないと思います。難しい哲学用語や専門用語が言葉としてどうなのかなあという感じはあります。結局届く届かない、響く響かない、聞ける聞けないということが問題なのかもしれません。逆に小林秀雄の言葉が、自分の中で濾過されて、抽出されて、また人に伝わるということが、どういうことなのか・・・もまた難しい問題です。
 

投稿日時 - 2011-05-02 21:32:33

お礼

小林秀雄の言葉を読んで思ったのですが、もしかしたら「他者の言葉」は、それ一個では自分にたいして影響を及ぼさないが、その「他者の言葉」が集合体となるとき、「ただちに影響はない」だけで、じわじわ自分の身体にしみ込んでくる、というようなことがあるのかもしれないですねえ、、、

>他者の価値観を取り入れることと自分の身体で学ぶことは、別に相矛盾しない
というのは、そういう意味において、ではないでしょうか。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-05-03 13:13:48

ANo.7

言葉は総ての事象を表現できる訳でもないし、
言葉を駆使した理論も、実際には後講釈ですね。

理念を基に、言葉を駆使し、理論を積み重ねて
素晴らしい結論を出したのが、マルクスでしょう。
あれで、どれほどの人がひどい眼にあったことか。

私も言葉とか理論てのは、信用していません。
試行錯誤の方がはるかに信用できます。
だから伝統が大切だと思っています。

理論上は不合理のように思えても、それだけで
永年続けてきた慣習や伝統を廃止するのは反対です。
だから、ジェンダーフリーとか、天皇は非民主的
だから反対だ、なんて意見には与しません。

「究極の価値が何だというのだ。そんなものが
 人間の役に立ったことがあるのか」
(パース)

投稿日時 - 2011-05-02 16:47:17

お礼

伝統にまでは考えが及んでいませんでした。

>理論上は不合理のように思えても、それだけで永年続けてきた慣習や伝統を廃止するのは反対です。

おっしゃるとおりだな、とおもいます。ただ論理に対しては論理で戦わなければならないのですよねえ。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-05-02 19:50:58

ANo.6

 あぁ! あんたをがっかりさせる為に書いているよ。
 すまんな、75になるともう人生もルーティンになってきちゃってね。いわゆる何事も形骸化してきているなぁ。
 神田祭りがもうすぐだそうだね、そして祇園はもうおわったのかな。
 よく観光化っていうよね。神田祭も盛大であってほしいけど。あそこにお江戸や東京あるの?
 私、浅草生まれ育ち。75年一歩も23区から出ていない。北千住と向島。あとは原宿46年、勤務先の大学があったからね。
 空襲、二度あってね。浅草と蒲田。柴又の帝釈さんにちかくなっているけど、もうあの寅と何とかの前の帝釈さんもないやね。
 どこにももう原宿も何もなくなった。どこに神田や江戸、浅草があるんだろう。
 ご回答からわたしはあんたの一種の苦悩的なことをご一緒する半言隻句が共有できなかったよ。
 私は知能が低いからなぁ、どんどん人生だけが過ぎていって、置き去りになっていますよ。
 夫婦未だ続いているけど、まぁお互い続けるけどね。多分。もう夫婦って感情はあまりなくってね。
 
 キリスト教にキリスト教があるかなぁ。仏教や儒教にはどうかな。所詮、本当に求めたらがっかりだろうな。
 振り返ってことば化すれば、そこにはもう命はないなぁ。
 生きることしかないと思うけど、素手でね。生身でね、肌身と素手でね。
 ただ泣き(じつはもう泣けないんだよ、それだけ自分がなくなっているんだ)、苦しみ戦い、自分であるしかないけど。すまなかったなぁ。

投稿日時 - 2011-05-02 16:21:27

お礼

何が書かれているのかぜんぜんわかりませんが、なんか一種の詩みたいになってますね。後半とかちょっとすごいです。ぼくにはとても書けない。これも別角度から捉えた「言葉の力」ってやつなのかしら。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-05-02 19:46:24

ANo.5

言葉とは、空気の振動やインクのシミに過ぎません。
それが意味を持つのは、その振動やシミのパターンを介して、
条件反射的に共通の概念が想起される事によってです。
言語は、言語のみによって存在するのではなく、それを媒体と
した両側の人の内に、共通の概念が存在する事が前提です。

その「概念」とは、一義的には環境認識です。
人が生きる上で言葉を獲得するのは、環境との相互作用に於て
であり、おっしゃる「言葉の力」というよりも、「環境認識の力」と
いうべきものです。
その『力』の本質的意味は、他人を動かしたり、物を得たりする
以前に、自分自身の感じる世界(心)を変える事にあります。

確かに、世の中にはそれとは別に、詩的な言葉の美しさや、
人を批判したり、自己顕示したりするための、環境認識から
遊離したとしか思えないロジックも多く見かけます。
一方、現代社会においてアカデミズムが提示する概念と自己
の感受の間にギャップを感じ、独自の思索において世界観を
育てた場合、そこに生じる独自の概念は、先の「言語によって
想起される共通の概念」から外れる以上、伝える事は難しい。
ただ、多くの世界観に共通であるべき物理的概念に還元した
解説か、より自分の世界観に近い人物の存在を期待して、
眼前の議論とは別の遠くに向かって発信するぐらいでしょう。

投稿日時 - 2011-05-02 16:01:46

お礼

>『力』の本質的意味は、他人を動かしたり、物を得たりする以前に、自分自身の感じる世界(心)を変える事にあります。

そうすると、言葉はまず誰のためでなく自分のためにある、ということになりますね。自分なりの意見・発想を口にしたときの、「ああ!オレはこんなことを考えていたのだなあ!」という快感(それはぼくにとって快感なのですが)は言葉の持つこの「環境認識の力」によるものであった、と。

>独自の思索において世界観を育てた場合、
>多くの世界観に共通であるべき物理的概念に還元した解説か、より自分の世界観に近い人物の存在を期待して、眼前の議論とは別の遠くに向かって発信するぐらい
しかないほど困難なものだとすれば、世の中で行われている世界観の見せあいっこの多くは、わかる言葉で、わかりあっているひとたちが、「わかりあっている」ことを確認しあっているだけ、ということになるのでしょうか。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-05-02 19:37:52

ANo.4

私はさほど、言葉を操るのが得意ではないのですが・・
言葉使って伝わるのは言葉であって、その人がその人生から得た感動や後悔は伝わりにくいと思います。伝わりにくいからこそ、言葉をごちゃごちゃいじくり倒して一生懸命伝えようする。
色々難しい事言われても、聞き手はそれを経験してないから真実味はないですよね。想像はつきそうですけど。

>他者の言葉は自分の人生にどれほどの影響を及ぼすとみなさんはお考えですか
影響を及ぼすかどうかは人それぞれです。月並みですが・・
最初から「意味のないもの」として聞けば当然意味のない物としてしか、伝わってきませんし、その言葉に意味なんてないから真意についても考えません。
「意味のあるもの」として聞けば、その真意はわからずとも、自分にとっての意味付けをしたり、その真意について考えを模索するはずです。そうやって模索することによって、他人の哲学が自分にとって意味を為すものへと変化していくのではないでしょうか?
本当に意味がないのは「こんな立派な人が言うんだから私もそうしよう」的になって、立派な人が言った事を盲目的に受け取り、考えることを放棄すること。
「何を偉そうに・・」的になって、何を伝えようとしているかをくみ取らずに、考えを放棄すること。だと私は思っています。
難しい言葉とかをこねくり回して、理屈っぽく言ってもいいですけどね、どんな馬鹿な人間でも難しい言葉を言ってる人の根っこのところはなんとなく感じれてたりしますよ。頭悪いからうまく伝えられない事がおおいですけどw

投稿日時 - 2011-05-02 15:01:12

お礼

>自分にとっての意味付けをしたり、その真意について考えを模索する
>模索することによって、他人の哲学が自分にとって意味を為すものへと変化していく

他人の言葉をまるまる受け取るのではなく、解体し、再構築して、自分なりの言葉として再提出する。それをまた誰かが受け取って、、、という繰り返しがコミュニケーションの本質なのかもしれないですね。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-05-02 19:09:49

ANo.3

質問から引用。
「・・・言葉をつかって表現するわけではないですか。」
同意を求められても知りません。

質問から引用。
「・・・その言葉を抽出したに過ぎないわけですよね。」
同意を求められても知りません。

「・・・じゃないですか。」「・・・ですよね。」当方のような昭和生まれはこの言葉だけで閉口します。
最近の若者らしく自分の意見を軽々しく押し付ける言葉回しをまず改めることから始めましょう。

さて、自らの経験則から得た言葉にどれほどの意味があるのでしょうとの問い。
先人から学び自分の経験に生かし、そして得られる成功談を後世に語ることは悪いことでしょうか。
その言葉を聞き、受け入れる人もいれば受け入れられない人もいる。
それでいいのではないでしょうか。他人様の意見に救われる人もいればいない人もいます。

あなた自身が問いに対しての回答をなさっています。
「真実があるとしたら、身体で学ぶしかない」
と。

孔子も言いました。
「頭の地獄を抜け出すには手と足を思い出すことです。」
と。そこに気が付いているのですからあなたは孔子レベルに少しは達しています。

あなたが問題にする他人様も他人の言葉を鵜呑みにしようがどうしようが行動をした結果、社会的に成功をおさめられたと考えれば、さほど腹も立たないんではないかと当方などは考えますがいかがでしょうか。

と、あなたが疑問視する偉人の言葉を引用してあなたの問いに回答してしまいました。申し訳ございません。

投稿日時 - 2011-05-02 14:54:58

お礼

>最近の若者らしく自分の意見を軽々しく押し付ける言葉回しをまず改めることから始めましょう。

意見、、というよりは前提として語ったのですが、「前提」として語るほうがより押しつけがましいかもわかりませんね。言葉を操るのが得意、なんて言っておいてお恥ずかしいです。


この質問文では、身体で学んだことを言語の形でどこまで保存・保管できるのか。それを他人に手渡すことは可能か。手渡された言葉を受け取ったとして、それは「もう既に内部にあったもの」が言語によって可視化されたにすぎないんじゃないか。

ということを問題にしております。
もちろん社会的成功をおさめた方に腹を立てるなんてことはまったくないです。いい・わるいの話をしているわけではないですよ。
回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-05-02 18:21:37

>自らの過去を振り返ってその言葉を抽出したに過ぎないわけですよね。

哲学の根本を否定する考えですね。

将来、言葉のそれ以外の側面を信じられるようになった際に、哲学のカテゴリに帰っておいで。

投稿日時 - 2011-05-02 14:32:10

お礼

否定だけして丸投げ、出入り禁止とはひどいですね。哲学カテのドン的な方ですか。ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-05-02 15:53:56

ANo.1

なんでも理屈だけで済むならば、鳩山前首相でも歴史上の傑物と言えます。
しかし、質問者が知覚しているとおり、全ては経験から学ぶしかありません。
新薬でも開発が一段落すれば、臨床実験があります。これも経験からの結果ですな。

そりゃあ、実戦無き者の言葉なんてただの戯れ言、言葉遊びですな。
じゃあ、何のために言葉は存在するか。言葉の存在意義を体得できるよう、
実践による結果で知覚しましょう。結局、道具に過ぎません。
価値的に使えるよう、自らを錬磨しましょう。

投稿日時 - 2011-05-02 14:21:39

お礼

ありがとうございました。実践しかないですね。

投稿日時 - 2011-05-02 15:56:48

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