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締切り済みの質問

戒名についてお尋ねします。

よろしくおねがいします。
人間死ぬときにはお葬式をしますが
無宗教の人は戒名もなくご住職さんに拝んでいただく
わけでもなく、あの世をどのように考えたらいいのでしょうか。
普通仏教では、三途の川を渡ってなどと・・・お経をあげておられますが
この際仏教にとも考えましたが随分とお葬式代も高く
考えさせられます。
お経をあげてもらわないとみなと一緒になれないのか
亡くなった後本人はどこへいくのかまようのかなど
つい考えてしまいます。どうかどなたか
どのように考えて自分の気持ちを納得させればいいでしょうか。
教えて下さい。

投稿日時 - 2011-05-02 16:35:47

QNo.6709181

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回答(7)

ANo.7

創価学会の者です。

世間では、「故人が成仏するためには葬儀に僧侶が出席し、祈ってもらわねば成仏できない」というのが一般的考えですが、それとともに、成仏に不可欠とされるのが、いわゆる「戒名」です。

しかし本来「戒名」とは、仏門に帰依した際に師僧から授かる「法名(ほうみょう)」のことを言うのです。我々が信奉している日蓮大聖人も、その書籍(御書)に「戒名」という言葉を一度も記されてはいません。また大聖人が、在家信徒の死後に戒名を授けたという記録も残ってはいません。

仏教発祥の地であるインドにも「戒名」なるものはなく、中国の慣習に基づいて、仏教伝来とともに日本に伝わったとされています。「戒名」が日本の仏教界に広まったのは、室町時代から江戸時代にかけてのようです。まず、貴族や武士など上流階層の死後に「院号」を贈る慣習ができたのですが、これが死後戒名の発祥と言われています。その後一般民衆にも広がり、これに目をつけた僧侶は、「戒名」を有力な“商売道具”とするようになったわけです。

こうして、「供養の金額が多ければ多いほど立派な名称の戒名が得られる、それによって成仏も決まる」といった、いわば「地獄の沙汰も金次第」などという、歪んだ風潮が蔓延するようになったのです。このような戒名制度の在り方は、経済的、社会的な差別を招く温床となっていきました。それが今日まで継続し続けているのです。

「一切衆生平等」を説くのが、仏教の本来の精神のはずです。それなのに、「お金を多く出すか出さないかによって成仏は決まる」などといった戒名の在り方は、仏教に差別的体質をもたらす、仏教の本質とはおよそかけ離れた異質なものです。

日蓮大聖人は、「法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し」(一念三千法門)と仰せです。何十万、何百万の大枚を叩いて大層な名称の戒名を授かったところで、故人の成仏の可否に何の影響も与えはしません。要するに、戒名の有無や僧侶の介在に関係なく自分が仏道修行に徹してこそ、成仏の境涯に至ることができるのです。死の直前まで修行もせず、遊びほうけ悪事を重ねた人物でも、大金を払って戒名をつけてもらい、僧侶に拝んでもらえば成仏できるなどというのは、およそ因果を無視したおかしなことです。

成仏できるか否かは、所詮、自分の生前の努力(修行)により決まります。人に拝んでもらったり、仏教の本質とは関係のない名称をもらったりして決まるのではありません。最近では、お金のかかる葬儀の在り方に疑問を感じ、葬儀に僧侶も呼ばず戒名もつけないという「家族葬」を行なう人も増えています。

私の結論として、成仏は、自分自身が正しい仏法(南無妙法蓮華経の日蓮仏法)を実践し、成仏の原因を確立することで決まるのです。

投稿日時 - 2011-05-03 09:52:08

お礼

ご丁寧なご回答いただきありがとうございました。
なるほどと思わせていただき、理解できました。

そうですね。いろいろと葬儀をみていますと
家族葬というのが多いのにびっくりしました。

私もそうしたいと皆さんのご回答で決心いたしました。
本当に心からお礼申し上げます。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-05-03 10:29:00

数年前、母が亡くなった時に、先に亡くなっていた父と同格の戒名を付けて貰おうとしたら、坊主に200万円と言われて、びっくり仰天。
そんな出費は全く埒外でしたが、文字数が半分の夫婦の戒名が墓石に並ぶのも奇妙ですので、しつこく交渉したところ、結局本山での供養はしなくても良いならば、25万円と言うことになりました。
でも正直、25万円でも、通夜と葬儀、たった5時間程度のことに対する対価としては、高額過ぎると思いました。

その僧侶のお経に、感心するもの、得心するものが無く、こんなだったら、お経のCDを編集して、流してあげた方が、仏様も会葬者にも喜ばれるのにと、つくづく思いました。

そしてまた、最近、知人や知人の家族が亡くなりました。
彼らは、代々その地域の首長だったり、日本のトップ企業の役員だったりする、いわゆる社会的な地位のある人たちなのですが、無宗教で葬儀をしました。
両家とも、個人趣味による音楽葬でした。故人と生前から打ち合わせをしてあったのです。墓石には本名が刻まれました。

僕は、この2件の無宗教の葬儀を見せて頂き、つかえていたものが取れました。
無宗教で葬儀をすることに決めました。
それが必要になるのは、10年後30年後、もっと後かもしれませんが、すでに家族で話し合って、一人一人が好きな音楽を皆に伝えあっており、ごく近しい友人、親類にも話してあります。

戒名、天国、地獄、極楽、ハライソ、メシア、宗教産業による、宗教ビジネスの道具でしかありません。

投稿日時 - 2011-05-03 02:16:20

お礼

早々とご丁寧なご回答いただき心から感謝いたします。

家族が余命1カ月の宣告のあと悲しみにひたっていられないほど
お葬式について考えさせられました。2か月目に入って
もうまじかだと思うと正直お金の事も超現実で
全く同じお話だと読ませていただきました。

私も無宗教で初めての葬儀、右も左もわかりませんでしたので
ご相談させていただきました。

読ませていただいて。私も胸のつかえが本当にとれました。
自分の考えに間違いはなく、そう思っておられる方が
おられる安心。いろいろと感謝でいっぱいです。
本当に本当にありがとうございました。

こころからお礼を申し上げます。

投稿日時 - 2011-05-03 10:25:25

死んだらどうなるんだろう?あの世ってあるのかな?天国や地獄ってどこにあるんだろう?
子どもの時に散々考えました。

今、きっと、あの世はないんだろうと思ってます。
そして、でもあの世があってほしかったから、宗教ってできたんだろうなって。
じゃぁ、無宗教で、すべてなしにしようか?と思うと、少しためらうものがあります。
保険というほどでもないけど、少しは夢物語を持っていてもいいのかな?
想像したり、夢をもてるのは、きっと人間だけだから。そんな風に思っています。

戒名に関しては、きっと戒名料が高いからそう思われるのかな?
安くと頼むと安いのもあるみたいですよ。
先日、少し訳ありの高齢者の葬儀がありました。喪主が知り合いだったので、不躾ながら、戒名料っていくらだったと聞いてみました。10万だったそうです。
とっても高いとばかり思っていたので、なーんだとおもいました。それくらいだったら、掛け捨ての保険が詐欺に思えてきます。

仏教は死後に名前なんですね。
キリスト教は洗礼で子どものうちにクリスチャンネームつけますから、こっちのほうが商売は上手なんでしょうね。うまく行けば、日曜ごとに礼拝に来てくれるし、、、、

お墓を作らないで、散骨される方も増えているそうです。
子供ができなかったら、私たちもそうなるのかなと思ったりします。
お墓を残すことが子供の負担かどうかは、お子さんと離されたほうがいいように感じます。
私の場合、自分の両親がそういえば、尊重はしたいけど、お墓がないのはやはり寂しいです。
ここに眠っているんだなと、そういう場と言うことです。
法事をするのはめんどくさいけど、墓はあってもいいようなと、矛盾したことを思ってます。

ご参考に。

投稿日時 - 2011-05-03 00:45:57

お礼

早々とご回答いただきありがとうございました。

そうですね、お墓の事は私もそう思うこともありました。

いろいろとご心配いただきありがとうございました。

心からお礼申し上げます。

投稿日時 - 2011-05-03 10:31:28

ANo.4

檀家制度からの名残の一つが戒名ですな。宗派関係なく普及したからこそ当然と思うかも
しれませんが、他国にはそんなもんはありません。結局は寺社の営業の一端に過ぎません。

死んだ人間が祈るだけで天国へ行くのが保証されるならば、生きている間における努力は
無意味という事になります。極楽浄土なんていうのは絵空事でしかありません。死者への
祈りは、生者の死者に対する惜別を意味しており、それ以上であってはならない。

冠婚葬祭を食い物にする(営業にする)宗派は、古今東西さまざまですが、それに
付き合わなければならない義理はありません。最近では、神前・仏前以外に「人前」
というものも存在します。儀式の主人公はコストを払う側の人間です。皆で考えれば
いいだけです。

>>お経をあげてもらわないとみなと一緒になれないのか
皆と一緒になる必要があるのか疑問ですし、生き様は各人によって異なります。
生まれ変わりというものを是とするならば、人の生死は、朝起きて夜に眠るのと
似ています。余程の事がない限り、自分の眠った場所で目が覚めるでしょう。
それが因果(原因と結果)ではないだろうか。是としないのであれば、死者への祈り
など必要は無い。迷う事はないのだから。

これに関しては各々の宗教観こそが肝要であり、古来から存在する宗教だから正しいと
言うわけではない。合致するかどうか、それだけだ。

投稿日時 - 2011-05-02 18:26:25

お礼

早々とご丁寧な且つ納得のいくご回答いただき
心より感謝します。
とてもよく理解でき同じ考えの方がおられるのに
安心いたしました。

これまでの無宗教で行きたいと堅く決心いたしました。
本当にありがとうございました。
お礼まで。

投稿日時 - 2011-05-02 21:28:09

ANo.3

 死後の世界は世界平等にある。ただその死の迎え方が宗教という、それぞれの考え方でもあります。
 
 死ぬという事を理解する。人間だけが持っているもの。動物や植物に死は理解出来ているでしょうか?
 全部に戒名をつけていますか?

 有ってもなくてもかまわない物です。ただ死を受け入れるときに知識として宗教はあっても良いかなと思います。それで必ず訪れる死に対しての不安などが解消されるのなら。また故人が天国など助かっていると思って上げるだけでも心の安静が得られますから。

 新興宗教は注意ね。既存の宗教からさらに、不思議な方向へ考えを持って行きますから。教祖の都合の良いように。


 ここまで戒名などお金がかかるのは、その時だけお世話になるからです。それまでに色々と関わっていればお金がかからない場合もあるからね。
 

投稿日時 - 2011-05-02 17:44:56

お礼

早々とご回答いただきありがとうございました。
そうですね。本当にその通りだとおもいます。
とても安心しました。
心からお礼申し上げます。
これからも無宗教を貫きたくおもいます。

投稿日時 - 2011-05-02 21:30:11

ANo.2

まだ一度も死んだ事が無いものですから死後の世界がどうなっているかは分かりませんが
私も全くの無宗教でして、宗教という物には興味が無いので
宗教は気持ちの問題じゃないかなと思っています
戒名を名札にお経を行進曲にして閻魔様の所に歩いていくわけじゃ無さそうだと思います

普段全くの不信心者が亡くなったから戒名を貰うのは何か違うように思うのです

私は家族に言っています、死んだら葬式はするな、墓は立てるな、骨は海に撒いてくれ
私の存在した証はあなた方ですからと子供には言っています
肉体は無くなる訳で墓など物体を残しても意味が無い
子が親を思う心が大切だと思います、立派な墓があっても寺に任せてお参りにも行かない
だったら、ふと思い出して時に心でそっと手を合わせてくれたほうがいいと思います

投稿日時 - 2011-05-02 17:13:15

お礼

早々とご回答いただきありがとうございました。
なるほどと思うことばかりで本当に心から感謝いたします。
私も子供たちに
(私の存在した証はあなた方ですからと子供には言っています)
と伝えたく思います。
本当に本当に気持ちが楽になりました。
心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-05-02 21:33:14

ANo.1

三途の川なんてどこにあるのでしょう?お経って魔法の呪文とは違うんですか?

三途の川にしろ地獄、極楽(天国は西洋の概念ってことでOK?)なんてものがどこかにあるのなら過去に死んだ生物であふれかえらないのが甚だ疑問です。また生存中は見ることも行くこともできませんが死んだ途端大きな川を渡るとそんな広大なスペースがあるなんてどう考えても不合理です。

また「経文」とか「経典」ってのはもともとは書物の類、それも今で言うなら人気学者や有名人の書き下ろした(場合によってはゴーストライター=弟子)How to本のようなものだったんじゃないかと私は想像してます。で、チベット辺りの険しい地形にたたずむ寺院なんてロケーションで付加価値を高めたりしつつサンスクリット語が古代中国語に翻訳され日本にも伝播したしたりするうちになんだかよくわからないけど唱えると極楽浄土に行ける魔法の呪文化してしまったんじゃないかと。

まあ異論もあると思いますが私はそう思ってるだけなので一向構いません。
で、ましてや戒名なんて私は全然出家なんかしてませんしこれから先一生仏の弟子になるつもりもありませんので要りませんね。死んだ後は土に還るだけですからなおさらそんなどこの国の名前だかわからないような名前を墓に刻まれたくありません。「ターさん13号(ハンドルネームじゃなくて本来は本名ですよ)ここに眠る」とかで良いです、わざわざ「俗名」とか書いてほしくないですね、本名なんだから。

死ぬのは誰しも怖いですし私もできることなら未来永劫不老不死だったら良いのになんてことも時々思いますが仕方ないですね、過去にも数え切れないほどの人間が亡くなって来たしこの先未来もきっと数え切れないほどの生物が死んで行くのですからみんな一緒になるあの世なんてものがあったら超過密になってしまってとてもじゃないけどのんびり暮らせるようなところにはならないでしょう。
いままでみんな亡くなって来たんだしこれから先もみんな死んで行くんだから自分だけ怖くてつらくて暗くて痛い思いをするわけじゃありません、むしろそういった苦痛や苦悩から開放されるともとれる訳で後悔の無いよう充分生きたらさしたる未練なく満足して逝きたいものです。

投稿日時 - 2011-05-02 17:10:17

お礼

早々とご立派なご回答いただきありがとうございました。
本当に納得のいくお話ばかりで感動いたしました。
なんだか長い間思いつめていたものが解けたように思います。
なるほどと思うことばかりでありがたく
心から感謝いたします。
ありがとうございました。お礼まで。

投稿日時 - 2011-05-02 21:36:51

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