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解決済みの質問

信じるということについての質問がありました

http://okwave.jp/qa/q6729443.html です。
 哲学カテであるのに関らず、質問者は復た私をブロックされました。対象が不明なことを信ずるのは誰もできせん。
 何か人がいっていることや書いてあることなどは、自分が正しいと思わなければ、正しいとは思えません。信じるのでなく確認して確信するだけです。
 そうやってわたしも宗教といわれるものをここ40年以上勉強し精進してきました。10年ほど前、46年いた大学を66でやめてからはお陰で2時に起き、不束(ふつつか)ながら朝晩勤行しています。
 仏教ではありませんが、対象として外にあるのではなく、全体(部分と全体ということの意味の全体ではなく)のなかにまったくぽっこり入っていられるという事でして。
 そういう自分の原初的であることを努力しての精進です。だから他人のいうことでも、書いていることでもありません。
 そして道具としての思考や観念、知的操作を脱け出て、一切の前提、自己や世界の存在もない無前提での行なんです。
 哲学って無前提、普遍、永遠見つめます。私たちはそれをしています。そして私たちの組織は自分自身の問題・課題ですといい、方法だけは教えます。
 一切の強制と影響はしません。自分の家で、せいぜい数人のグループでの行。それもそれ以外の付き合いや雑談はいけない。

 ○私の質問:私をブロックしている質問はこういう宗教組織もあるべきではないといっているのでしょうか?
  そして私たちを無知の盲目的信仰といっているのでしょうか?

 《以下は私をブロックしている質問文から書き出しました。》
 なお、私をブロックしているこの質問の認識の範囲での宗教や組織に対しての質問者さんの批判は私もそういう面もあると存じます。
 でもどの宗教いろんなレベルや側面がありますから、質問者さんの断定される前提観念では非常に狭隘かと存じました。
 
宗教を信じるだのキリスト教を信じるだのブディズムを――浄土系などを除いて――信じるだのとよく聞きます。おかしい。哲学としてただしてください。
【それは 思考に非ず つまり非思考という行為である】【思考は 経験合理性にもとづき――その反合理性をも人間の境地で引き受けつつ――考えをすすめること】【その思考に非ずなら 或る種の賭けという行ないに似ている。無根拠を心に受け容れるということ。】【そのときのわが心の伸び もしくは――どこへ伸びたのだと言っても分からないから――心の〔窓の〕明けのこと】【非思考と言うからには それは 経験世界を超えて非経験なるナゾを――想定の上で――相手にしている。しかもその無根拠を心に受け容れるという時点では 経験的な行為である。言わばその賭けるという決めにおいて領収証を発行していることになる】【一般に受け容れる相手は 《かみ》と呼ばれている。ちなみにこのとき《無い神》を心に受け容れているなら それは 無神論としての《信じる》である】【無根拠にかかわることゆえに この《信じる》については 良心・信教の自由として その自由が公理と見なされ認められている】【言いかえると 信仰は内面のもんだいである。その中身を――観想や瞑想として――ことばに言い出すことはあるかも知れないが その表現内容は あくまで非経験のナゾを仮りに表わした覚え書きである】【この信仰としての覚え書きを わざわざオシエとしていただきそのうえ教義や道徳規範とするやからがいる。組織宗教である】【キリスト者やブディスト――有神論であれ無神論であれ――の個人としての信仰を わざわざ人びとにとっての倫理規範としてかかげるやからがいる。ありえない。言葉で表わしたオシエは すでに経験思考の対象であり それ以外ではない】【キリスト教や仏教を《信じる》ということはありえない。それらオシエは 《考える》ことであり もし信じるに到ったというのならそれは 《思い込み》のほかのことではない】【せいぜい信念・信条として持たれる行動規範であり その場合に社会的に有益でりっぱなことが成し遂げられる場合があるだろうが けっきょくそれは オシエの奥なる個人としての信仰であろうと考えられる】【ゆえに組織宗教は ただ群れているだけである】【結社の自由はあるけれども もし組織が個人に信仰を有無を言わさず強要し個人の信仰を組織の権限関係によって左右することがあるとすれば それは個人の信仰の自殺行為であり 違法行為である】【仮りにひとはよわいとすれば そしてそれゆえ群れが必然だと考えるなら 見えざる教会(エクレシア)としての――信教を分離したところの――ムラ(共同体)こそがそれだ】【すべての宗教団体は 自主的に解散するのが 人間的なふるまいである。ローマ教会は 欺瞞である】

投稿日時 - 2011-05-12 09:42:33

QNo.6731748

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

まあまあ。
たぶん私もブロックされていると思いますよ。

私は異なる意見もウエルカムなのですが、私は回答しようとしてブロックされて回答できない人に対して、ブロックしかえしてます 笑

意見言わせないなら、こっちも意見言わせない って。笑


信じるってのは、少なくとも二つあると思う。
例えば、「私は息子の無実を信じています」と言う母親。

自分の息子が人を殺すなんてありえないと思っているのではなく、息子を小さい頃からどんな子か知っていて、その情報からして息子が人を殺すなんてありえないと明らかにわかるから、息子の無実を信じることができるわけです。

息子が暴行事件を何度も起こして相手に瀕死の重傷を負わせていたら、息子の無実を信じているなんて言えないわけです。


もうひとつは、「アナタハ カミヲ シンジマスカー」。
英語だと believe in God。
believe inという熟語は「存在する」みたいなニュアンスで、日本語のニュアンスだと「正義の神が実在することを信じますか」。

希望的なものじゃなくて、目の前にバナナがあると知覚し手を伸ばし食べれたように、自分の認識は常に正しく、その常に正しい私が神が存在すると知覚する以上、存在することは紛れも無い事実 みたいな感じ。

まあ 統合失調症の人も、家の壁に人が入っていて監視していることは紛れも無い事実だ と自分の認識がおかしいとは疑いませんが、、、、
「5センチほどの壁の中にどうやって人が入れるのだ」って言ったところで、その人が確実に壁の中に人が存在していると認識している以上、その認識を変えることはできませんから。
じゃあ その人だけ認識することは事実なのかというと、、、、


イギリスは幽霊カルチャーが盛んで、詐欺師は真っ暗な中で、紙を丸めて、そこに口をつけて話をした。
すると降霊会の参加者は、突然耳元で声が聞こえので、霊が耳元で話していると思ったわけです。
その体験から霊は存在すると確信してしまったわけです。
ネタバレすれば、認識は改められる。
統合失調症の人は、壁を壊して「ほら 誰もいないでしょ」と証明してみせても無理。
知覚は変更されない。
壁の中の男は脳の中にいるから。


話変わって、キリスト教の考えと一部のCFRの人の考えと、プラトンの考えは同じなんです。
一部の人が正しいことを決め、それが万人にとっても正しいことであるとし、一部の人がほとんどの人を支配すれば、全員が正しいということは共通になり、誰も異なる考えを持つことがなく、平和が達成される という考え。
価値観の統一ですね。

一部のすっごく賢い人だけが、イデア界(まったくの善の世界)を認識可能で、イデア界を知覚できない人もイデア界を知覚できる人の言うことに従っていれば、知らないで間違えたことをするってこともなくなり、知覚できない人も善だけをするようになるって考え。

いいですよ、もし 本当に正義が何かはっきりとわかる人がいれば、その人の言うとおりにしていれば、みんな幸せになるわけですから。

で、一部のCFRの人は、人々にマイクロチップを埋め込み、コンピュータかなにかで行動の全部を監視し、行動をコントロールできるようにするつもりだそうです。
まずは医療からってことで、チップを埋め込まれた人が交通事故にあっても、チップに今までの既往歴が入っているので、検査しなくても、どんなアレルギーがあるか血液型は何かわかり、検査をすっぱぬき治療ができるし、誰かすぐわかり、家族に連絡ができるから、すごく善いものだってしている。

ペットにまず組み込まれ始めている。
ペットがどこにいるかわかるので、飼い主がペットの行動を把握できる。

人間に組み込めば、国民が今どこで何をしているのか掌握できる。
テロ活動もできないようにできる。
脱税もできないし、犯罪を犯そうとしても、監視されてすぐに捕らえられるので、犯罪を犯そうとする人もいなくなる。
安全という管理・監視 モニタリングされた飼育社会が達成できる。

人の好みも自分たちでコントロールできる。
人々に自分の意思決定だと思わせて、自分たちの考え通りのものを選択させららえる。
完全飼育社会こそが、イデア界の実現であるとするわけです。
人々から自由意志を奪う(自己決定と見えるものも、実は操作されて選ばされているので)
幸福も実は管理社会の上が与えた幸福。

自由意志を選んだことで失楽園となったので、人々から自由意志を奪えばエデンに戻れるって考え。


アーサー・c・クラークの作品に<幼少期の終わり>というのがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BC%E5%B9%B4%E6%9C%9F%E3%81%AE%E7%B5%82%E3%82%8A

オーバードライブが正しいとすること以外をやると、制裁が加えられる。
人々はオーバードライブが与えるものを幸福とし暮らす。
社会主義みたいな感じですが。

そんな中でも最後まで自由意志を貫く人がいて、滅びる運命になっても自由意志 自由選択を擁護することを選んだわけです。

まあ要するに教会の言う従っていれば天国に行って永遠の命が与えられますってのを断ったようなものです。


子供は親が絶対ですから、親の正しいということを信じて生きているわけですよね。
ですが、成長とともに、自我が形成されていき、親が自分の望むことと、自分がやりたいことが違ってくる場合があるわけです。
親は医者になれって言うが、自分は歌手になりたい。
親は「歌手なんて収入が安定せず、生活の追われ辛い人生になる」とわが子の幸福のために反対するわけです。

親の幸福と子供も幸福が同じ価値観ならいいのですが、親が幸福だと思うことと、子供が幸福だと思うことが違った場合、どうすればいいのか。
親の言いなりなら子供は自分の人生を喪失する(死ぬ)

手っ取り早いのは子供も頃から異なる価値観を持たないように洗脳することですよね。
自分独自の価値観を持たせないのが子供の幸福につながる って。
自分の支配下にいさえすれば安泰だって洗脳する。


社会主義は理想だとされたのですが、結局不自然だったために人間の生き方にマッチしておらず、やがて崩壊する運命をたどった。

で、一部のCFRの人は他のメンバーとともに、社会主義にしようとしているようなんですね。
一見社会主義に見えて実は資本主義でしかも僭主政治。
このことが一番人々にとって善いことだってことですが、本音は馬鹿は賢い人の奴隷だってことなようです。
奴隷に奴隷であることを気付かせないやり方。
奴隷は馬鹿だから自分が奴隷だってことすら気付かないって。
まあ その部分は事実ですね。

結局 馬鹿は賢い人に搾取され飼育される一生を終えるしかないってことなわけで、、、、
さあ 作られたエデンを幸福な農場だとみるのか、それとも荒れ野に出て苦労するか。
マトリックスでもありましたが、「現実なんてとんでもない、架空の世界に戻して俺を飼育してくれ」とほとんどの人は言うんじゃないかと。

モーセが人々を連れてエデンじゃなかった、、、エジプトから出たわけですが、人々は「こんなことならエジプトで奴隷のままでいればよかった」と言った。
人ってそんなもんですよ。
自由意志を選び苦労するより、選択の自由が無く人の利益のために働く奴隷だけど、住むところと食べるものには困らない生活を選ぶってのもありだと思うし、奴隷であってもその暮らしに本人が満足していれば、それでいいと思う。

ただ、私のようなものから「自分で生きてないじゃん 生かされているじゃん」って指摘もらうと思う。
「生かされれていることを感謝します」って言われるでしょうけどね。

投稿日時 - 2011-05-12 22:42:39

補足

【木胡桃さん、いらっしゃい。ご回答でのお相手に感謝申し上げます。】

 たぶん私もブロック・・・・【krya1998⇒でしょうね】
 私は異なる意見もウエルカム。回答しようとしてブロックされて回答できない人に対して、ブロックしかえしてます
【krya1998は自分からは自分を狭くはしたくないので、ブロックしません。それにしても私は思考範囲も行動範囲も狭隘ですから】

 信じるってのは、少なくとも二つあると思う。例えば、「私は息子の無実を信じています」と言う母親。
 1. その当該事項についての情報は僅少(或いは皆無)であるが、根本性を熟知(この熟知が大事ですね、知らなくても熟知となりますから)していてるから信ずる。つまり不可視なる事項は知り得ないが(知らないから)、信ずる。ですね。(内は、krya1998です)
 2. believe in (God). は「存在する」みたいなニュアンスで、日本語のニュアンスだと「神実在を信じる」。希望的なものじゃない。目の前にバナナがあると知覚し、手を伸ばし食べられるように、自分の認識は常に正しくあり、そういう常に正しい認識(正常性とでもいうのでしょう)の私が神が存在すると知覚(そういう経験と知覚)をしている。帰納的というのとは異なるが、存在することは紛れも無い事実ですね。
【krya1998はこういうbelieve in (God).ではなく、まだ行での経験と論証性の次元にしか降りません。何かの確信をしている意識存在の方と統合失調症の方の違いは現実には明白ですが、概念区別は難しいですね。それに所謂る正常で共通的な、健常者の面を持ちながら、独特の宗教経験の場面というのがあるとすれば、これも難しいですね。ネタバレは別にして】

◆ 価値観の統一 一部の人がほとんどの人を支配すれば、全員が正しいということは共通になり、誰も異なる考えを持たないこと
【krya1998は子どもの頃から、親にも恩師にも奇人変人といわれ、異端と叛乱しか出来ないで来ました。異端と叛乱を取ってしまうと、krya1998は死んでしまうのです。価値観の統一社会は、異端、個人性、叛乱、批判がとても難しいでしょう。決められた価値を価値とする。怠惰ですね。本当にその価値が価値であることを自己の中に再現し、認めることができるかどうかも難しいですね。あぁマイクロチップの埋め込みですか。医学的埋め込みはともかく、そりゃもう大衆宗教はみなやってきていますね。でも大衆も見ているし、醒めたところもあってきましたね。つまり便宜でそうしてきただけの面が多かったかもしれません。そして嘘と錯覚を重ねていって、いつの間にか自己性、自己が真剣に本当だと思うようになってしまう。そういう歴史でしたね】

 自由なる意志の行使の結果が失楽園であるから、自由なる意志の円満な剥奪でエデンに戻れるって考え。
【意志の自由性を操作され否定されてのエデンか。それともエデンを出ても操作されない、そして自己の自由意志かの問題ですね。アプリオリに結論できませんが、その局面では選択するでしょう。どっちを?いえ存在とはそういうものでしょうね。経験と意識の先端がいうことではありませんね】

【大事なお話をどうも有り難うございます。】

投稿日時 - 2011-05-13 09:19:39

お礼

 木胡桃さん、ありがとう。
 本日も思わぬご回答が寄せられました。私は午後はまずPSを起動しませんし(昼酌ごは眠ります)、夜は行をして、11:00寝ます。
 年寄りで一時間ずつ目が覚め、朝2:00に起きます。行のあと今頃PSを起動して後は読書です。
 多分、昨日にはご投稿されていたのでしょうね、皆様。
 明日、一応締めようと存じます。

 みなさま有り難う御座いました。

投稿日時 - 2011-05-14 06:35:07

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回答(6)

ANo.6

 【Q:旧新約聖書のURL】§2 
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6710747.html

 §2 (ANo.3 bragelonne) ~~~~~~~~

  ★★(前の質問[註1]・回答No.2お礼欄) ~~~~~ 
   *[註1] 【Q:旧新約聖書のURL】§1
    http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6708382.html

 ( a ) ご紹介の URL は苦労して使い慣れないとだめですね。

 ( b ) 動きをおおっていいたにふくませてしまう、記述は感心できないですよね。だから他も推して知るということになりますね。

 ( a ) まぁ訳って難しいんでしょうけど。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ まづ( a )についてですが 次のように翻訳がふた種類見られます。

 (あ) 聖書本文検索
  ▼ http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi
  (1:2 新共同訳) ・・・神の霊が水の面を動いていた。

 ☆ [口語訳を見る]をクリックすると 次のページが出ます。
  ▼ http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi?&cmd=search&trans=jc&book=gen.old&chapter=1&vers=2&flag_back=1
  (1:2 口語訳)・・・神の霊が水のおもてをおおっていた。


 ☆ ( b )についてですが 何故このようなことを述べられたのでしょうか?  このように書いておいて あとで中身はどうでもよいという[註2]のはどういう魂胆でしょうか?
 お答えによっては 考えることにします。

 投稿日時 - 2011-05-03 12:20:29
 
 §2 (お礼 ) ~~~~~~~~~~~~~

 有り難う御座いました。やはり私が希望するようなのはなさそうですね。

 投稿日時 - 2011-05-03 15:24:53

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 *[註2]
 §1 (ANo.3 bragelonne) ~~~~~~

 No.1です。
 わたしが言おうとしたのは 

 ○ 1:2 “地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。”なる翻訳(1955改訳?)は 省略ではない。
 ☆ ということです。そのことは 事実だという意味です。そのうえで切り捨ててください。

 ○ ・・・おおいつつあった。
 ☆ とでも言えば 動きも表わせましょう。

 ○ 《 moving 》 だとか《動いていた》という表現は しっくり来ない。
 ☆ と思います。なにしろ《神の霊が》なのですから。

 投稿日時 - 2011-05-02 17:46:06

 §1 (お礼 ) ~~~~~~~~~~~
 ブランジェヌさん、切捨てなどといわないで下さい。

 単にネットのURLをご存じでしたら教えてください、というだけでして。

 それも両方があるのを。

 有り難う御座いました。

 投稿日時 - 2011-05-03 08:55:00
 ~~~~~~~~~~~~~~~

投稿日時 - 2011-05-13 20:49:20

補足

 bragelonneさん、今回の私の質問に対するコメントや回答を含んでいませんね。
 以前の私の質問の中の回答のコピーですね。
 あの数回の質問と私のコメントをお読みいただければ、質問でお願いしているお教えをご理解できるとおもいmす。どうかお斟酌をおねがいします。
 回答ではないいう報告を管理者にいってもいいが、ブロックや削除は私は好みません。
 多分あなたの私に対するブロックを解除したのでしょう。
 私はここで全部書いていますので、あらためて貴方のご質問に訪問はしません。
 回答ではないことも書きにいきません。

投稿日時 - 2011-05-14 09:08:24

お礼

 いらっしゃいませ、bragelonneさん。お待ちしていました。
 おぅでもこの現在の質問へのご訪問ではなかったようですね。それはどうも失礼しました。
 しかしともかくいろいろご見解を有り難う御座いました。
 ご訪問の前回の質問では、私どものSelf-Realization Fellowshipが何かと引用している英文聖書の日本語訳がネットでないかということでした。
 私どもの会の引用では
 1 First God made heaven & earth 2 The earth was without form and void, and darkness was upon the face of the deep; and the Spirit of God was moving over the face of the waters.となっております。
 ご見解はその通りだと存じます。しかし、何をここで伝える基本の事とするかですね。
 更によく自分の中で考えていきたいと存じます。有り難う御座いました。

投稿日時 - 2011-05-14 06:04:09

こんにちは。ご無沙汰しております。

〉○私の質問:私をブロックしている質問はこういう宗教組織もあるべきではないといっているのでしょうか?
〉そして私たちを無知の盲目的信仰といっているのでしょうか?

いえいえ、それはないように思われます。

あのお方は言葉の明晰性や質疑における答責性に重きをおけども、質問毎の内容を鑑み我が意に沿わぬ相手をブロックすることなどなさるはずがない──と私は《信じて》おります。

以前、何かひっかかりがあると一歩も先に進めないともあの方は仰っていましたね。
もしかすると何か別の要因があるのかもしれません。
多かれ少なかれ、誰もが過去に身に覚えがありそうな、
過去の質疑でのちょっとしたズレやわだかまりが生じているのではないでしょうか。

先日別質問に宛てた回答で大野晋についてのご教示を私は間接的に願い出ました。
大変言語に造詣の深い方ですので。でもあいにくそれは叶いませんでした。
なので確認していないのですが、私もブロック対象なのかもしれず、お役に立てなくてすみません。

でもまた近いうちに、お二人の対話が再開することを私は期待しております。 

投稿日時 - 2011-05-13 18:32:33

補足

 mashumaro3さん、結局かの方としては私の回答が無用だということに尽きるのですね。
 それなら仕方がないという簡単な結論です。
 それで異なる方向と手法での考えるというか追究するものもあるのだという思いで起しています。
 今後もそのようにしたいと存じます。
 有り難う御座いました、何かこのごろmashumaro3さんにはお供が付いているみたいですね。
 私も暫く同じお供がついていました。またある回答者の場合もそうでした。
 その方は川柳で、入れ食いは面白くないよとまた糸をたれる。といっていました。魚釣りの話ですね。

投稿日時 - 2011-05-15 06:47:36

お礼

 mashumaro3さん、有り難うございます。

 【多かれ少なかれ、誰もが過去に身に覚えがありそうな、過去の質疑でのちょっとしたズレやわだかまりが生じているのではないでしょうか。】
 私もそうだと存じます。そして、第三者の質問での記紀の天照と素盞嗚尊の問題への私の投稿のフレーズに穏当を欠く内容があることは、書いている時に意識していました。
 しかし、市井で俗塵のなか、気を使い奥歯にものが挟まった態度と方式は彼との間では無用だと思います。
 率直、そして追究するものは真理だけだと存じております。
 でも多分会えば、互いの違いを更に感じて、溝は決してなくならないと存じます。
 でも社交や手練手管は弄しないでいきたいと存じます。
 この質問は、要するにブロックされて、共有できない提供物をだし、更にみなさんの批判と教えを賜りたいと存じただけです。
 ブロックって、される方もする方も悲しいです。
 哲学カテでは摑み合いになってもブロックは避けたほうがいいと存じます。
 多分かの人との相互理解は難しいでしょう。

 【あのお方は言葉の明晰性や質疑における答責性に重きをおけども、質問毎の内容を(“に”ですね。現役の時に括弧なしの博士である偉い若手の研究者にも助言したら、辞書を持ってきてごたごた言っていました。そうですかとやり過ごしました。余計でした。)鑑み我が意に沿わぬ相手をブロックすることなどなさるはずがない──と私は《信じて》おります。】
 言葉の明晰性や質疑における答責性に重き、かもしれません。この点は枯れの自己における、言葉の明晰性や質疑における答責性の重き、ということでしょう。
 私は知に頼り、知に縛られ、知という鳥かごに居て、真理の大空を飛んでいこうすることの矛盾を感じざるを得ません。
 そういう信仰批判論も有益ですが、それをどう踏み出すかの経験的方法を提示しているだけなのです。
 無論、彼の認識での信仰方式の範囲では、彼の批判と指摘は通用します。
 それは60年前の曽っての自分の見解ですから、同意します。
 しかし信仰っていうものはそういう方式だけではないということを提示するのが目的でした。
 
 有り難う御座いました。

投稿日時 - 2011-05-14 06:28:10

ANo.4

人間は自分の見える世界だけが世界だと思っている。宇宙を知っていても日頃宇宙のことなど考える事は無い。
そして、自分が科学的、哲学的思考を持っている(公的認識を持っている)と考えることほど私的で狭量な事はありません。
だから、それを問うために学会という組織が必要なのです。

つまり、このような(前カテ)質問をこの場でするのはいいとしても、ココは公的な意見を求めるものではなく、個人レベルの理解を提供しあって、自分の進む道、理解を得るサイトですから、回答は概ね私的解釈だと考えるべきです。
本当に問題にしているならここじゃなくて学会に提出すべきだし、哲学書の答を求めればいい。

昔の人生相談のエキスパートの有名な言葉があります。
「答は既に自分の中にある。人はその背を押して欲しいだけなのだ」というもの。
つまり人が質問する時には二つ考えられます。
一つは既に答があって同意を得たいとき。もう一つは答に辿り着く糸口が見えないときです。

回答を拒否する、反論するという事は既に回答があって、単に同意を得たいだけのことです。
まして反論や異論を受け入れないのであれば、それは既に質問ではありません。
特に後者であれば、異論とか反論という判断すら出来ないはずなので、受け入れるか否かの判断も出来ないはずです。

このようなサイト(管理者様失礼)に学会で論議すべきであろう内容を提出するのは広い視野に立つ事なのでいいとして、意図的に賛同のみを求める質問であれば拒否されるのは目に見えているし、
もし拒否されたのであれば、その程度の狭量な思考に一喜一憂したとあっては、こちらも同程度の狭量と言うことになるのではないですか?

そんなものは管理者に「質問じゃない」と通報して、さっさと忘れればいいんです。
無視するのが一番です

投稿日時 - 2011-05-13 08:44:40

補足

 学会が公的という“公”は一応の理解としておきます。それに対応しての個人と私的、アマチュアですね。
 責任性が求められていない。
 学会とか、パブリックでは厳しいですよね。
 ここはそういうところではありません。
 でも私は哲学のカテは市井の生きるという場での責任性は大事だと思うし、それなりに重要性があると存じます。
 それも個人性の責任ですが。
 哲学のジャンルにも依りましょうが、私みたいな人生論や当為論、宇宙論や法規の規範性などに関心を持っているアマチュアからは、学会って迂遠な議論に終始しているような感じがします。
 有り難う御座いました。

投稿日時 - 2011-05-15 06:40:59

お礼

 michael-mさん、簡明にして要を得た、ご回答に感謝します。
 
「1. 答が既に自分の中にある場合。2. その背を押して欲しい場合」
 確かにその通りですね。それは私たちにはまことに共通的でもあります。
 でもこの質問サイトでは私たちは上の1.も2.も目的にすることはありません。今回の私の質問はまぁ蹴っ飛ばしながら、何とか理論根拠を求めていました。
 そしてかのご質問者は、いろいろ自分の中に自己自らが開発新発見発明しているように取り入れ、利用活用・自己のものとして表明していますね。
 それと、かのご質問者は、自らいっているように、お話がしたい。質問よりお話だそうです。
 今回、私のここでの意見開陳は、かの人に伝えられなかった、違う側面を出して、内容を豊富にしたかったのです。
 かの人にも、そして皆様にも、あの質問での応答だけでない事項を共有したかったのです。
 一人で居ることも大事ですが、共有により皆様からも頂き豊富化も大事です。
 学会は今、関与する可能性も機会もありませんし、全く素人です。とても参加などできるものではありません。 
 有り難う御座いました。

投稿日時 - 2011-05-13 09:43:00

ANo.2

勉強になりました。

投稿日時 - 2011-05-12 10:18:43

お礼

 お役に立って嬉しいです。

投稿日時 - 2011-05-12 16:50:35

ANo.1

>私をブロックしている質問はこういう宗教組織もあるべきではないといっているのでしょうか?
あなたの意見は聞きたくないといっているのだと思います。 

理由は良くわかりませんが、めんどくさい、いやな気持ちになった、嫌悪感があるなどの感情的問題が根底にある可能性のほうが、意見の相違である可能性より高いと思います。 受け入れられない意見について、感情的に捕らえないことは(私を含め)凡人には難しいということですかね。

投稿日時 - 2011-05-12 09:55:11

補足

 まことに凡人同士だってことをお互いに忘れないことが大事ですよね。
 有り難う御座いました。

投稿日時 - 2011-05-15 06:31:20

お礼

 ご分析は当たっているでしょう。
 まぁ誰でもいやな文章や、相手にしたくない内容ってありますよね。
 かのご質問者は多分私のような内容は結構です、そういう内容ではない回答で相手して下さい!というお気持ちでしょう。
 それはよく判ります。かのお方がいろいろ補足などで質問されると、私も馬鹿馬鹿しくなるものでして。
 お互い様ですね。

投稿日時 - 2011-05-12 16:49:39

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