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解決済みの質問

人がうたがうのは おのれの思いや考えと違うからだ。

 疑問質問を投げかけるのは 自己主張でないものはない。
 ――と知るべきである。

 その自己主張をやめよという自己主張は ほんとうにはあり得ない。生きるのをよせと言っていることでしかないからである。


 多少とも自己主張がよわまっているという場合がある。それは 自分の考えが成熟していないときである。
 けれども どの場合にも 人はつつしんでおのれの疑いについて晴らしたいと思っている。ゆえに問いかける。
 もしこれをしないという人は すでにすべてを知っているということになる。
 そのことを指摘してやるのだけれど 耳を貸さない。ゆえに放っておくしかなくなっている。それだけである。

 成熟した思想を持っている場合にも 人それぞれであり 世の中には互いに違った考えがある。だから 互いに自由に自己主張をおこない合い その交わりの中からよりよい方法を編み出してゆく。
 これしか おのれと社会のためになる道はないではないか。

 何を血迷ったことを 人びとは言っているのだろう。

 ご教示ください。


 * まったく知らないことについておしえを乞うのは おのれの考えをつくる前段階のことである。
 哲学以外のカテでは そのような前段階にとどまる質問がありうる。
 いわゆる価値判断をひかえてまづ事実認識に徹するという段階のことでもある。

 哲学もその認識作業の段階で とどめるべきだというのも 自己主張である。
 だから 互いに交わりを持って その結論を模索しなければならない。
 さもなければ全知の人が その答えをずばりと明らかにすればよい。
 ただし《全知》の人の言うことが すべてただしいとは限らないというのが 人間のおもしろさではなかろうか。
 

投稿日時 - 2011-05-31 07:11:17

QNo.6776056

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

>成熟した思想を持っている場合にも 人それぞれであり 世の中には互いに違った考えがある。だから 互いに自由に自己主張をおこない合い その交わりの中からよりよい方法を編み出してゆく。
>これしか おのれと社会のためになる道はないではないか。

問題になる場合というのは、それぞれが意見を主張しているだけで、“交わっていない”という状況だと思います。

つまり、
(1)自分はこう考えるということを主張し、
(2)それに対する反論や賛成意見を聞き、
(3)自分の意見を再検討する

これが主張の「交わり」であって、これを繰り返すことによって、「その交わりの中からよりよい方法を編み出」していき、「自分の考えが成熟」したり、相互理解が得られたりする。これによって、「おのれと社会のためになる」ということですよね?

しかし、最初に述べたように、問題になる場合というのは大抵、それぞれが意見を主張しているだけで、“交わっていない”という状況なんです。それぞれが、自分の言いたいことを言っていれば交わっているというわけではありません。実質、お互いに独り言を言っているだけという状況があり得るわけです。
この状況は、「社会のため」どころか、非社会的です。つまり、他者との「交わり」を拒絶している状況です。
「交わり」のない状況においては「自分の考えが成熟」することもなく、「よりよい方法を編み出してゆく」ことも難しい。そもそも、一人で考えているのと変わらない。

したがって、「自分の考えが成熟」、「おのれと社会のため」と言うのなら、単に「自己主張」や意見主張をすればよいというものではなく、主張の「交わり」が必要不可欠です。
だから、「自己主張」だけでなく“交わり”をもっと強調した方が良いんじゃないですか?

投稿日時 - 2011-05-31 09:12:34

お礼

 えすけい479722さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 おっしゃるとおりだと考えます。
 ★ したがって、「自分の考えが成熟」、「おのれと社会のため」と言うのなら、単に「自己主張」や意見主張をすればよいというものではなく、主張の「交わり」が必要不可欠です。

 そして ことは簡単でさえあると。
 ★ だから、「自己主張」だけでなく“交わり”をもっと強調した方が良いんじゃないですか?
 ☆ 交わりが成るかどうか 言いかえると意思疎通ないしコミュニケーションが成立するかどうか これは 抽象的に言えば《話がかみ合うかどうか》になりますが 具体的には 《問いに対して然りか否かをはっきりしっかりと答えること》 ここに鍵があると見ます。
 じつはいま その問題として 次のように設問をして問い求めをおこなっています。

 ○ 【Q:虚数とは その名のとおりに想像力の世界なのか?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6759902.html
 ☆ その表題からは何が何だか分かりづらいかも知れませんが それがコミュニケーション論または交通論になっています。
 やり取りを含めてそこにあたっていただきたいと思いますが 趣旨説明からほんの少し引用してみます。
 ☆☆(上記【Q:虚数とは・・・?】趣旨説明欄) ~~~~
 まづ ことは ひとの意志行為です。これに注目します。
 たとえば〔* たとえとしての話ですが 意志の内容が 複素数の中の〕実数であれば 意志のあり方は――その表明にまで到ればなおさらですが―― イエスかノーかあるいはその中間でまだ決められないか この二つないし三つに分かれると思われます。まづほかにはないでしょう。

 ところが 虚数の概念を仮りに導入したら どうなるか?
 たとえば イエスもノーもまだまだ決める段階にはない。いえ その情況は相手からその答えを求められ決断をも迫られている段階ではあるのですが どういうわけか(つまり これが 虚数の世界であるかも知れないのですが) 実数としての意志決定をしぶっている。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ うんぬんと続きますが このとき自己表現ないし自己主張が 比喩として言って実数部がゼロで虚数部だけで成り立っていたなら それは《交わり》が成り立ち得ない という見方になります。
 ★ 「交わり」のない状況においては「自分の考えが成熟」することもなく、「よりよい方法を編み出してゆく」ことも難しい。そもそも、一人で考えているのと変わらない。

 ☆ 賛成か反対かもしくは保留か この意見表明をしかるべくおこなうこと これが
 ★ 「自己主張」だけでなく“交わり”をもっと強調した
 ☆ 具体的なかたちになると考えていますが 果たしていかがでしょう?


 ご回答内容にまったく同感でして その上に・その先に一歩《然りか否かを明確に表わすこと》 これの導入を提案していますし ここでも致しました。どうでしょう?


 * 答えを保留するのは 虚数部ではなく 実数部での答えになると考えます。少し考える時間をくれたまえとか 一両日中に回答するよとかその条件を自分からすすんで明らかにして示せばなおさら問題はないとのだと。

 もっと言えば こうです。いやあんたのその質問にはこちとらは答えられないんだ。口が裂けてもほんとうのことは言えない。この秘密はけっきょく墓の中までわたしゃ持ってゆくよ。という答えも 虚数部ではなく実数部のものです。交わりは成り立っています。と見ますが どうでしょう?

投稿日時 - 2011-05-31 09:43:48

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回答(7)

モンテーニュの考え方が正しいということではなくて、
モンテーニュはその考えさえをも否定し続けているのですが、
「エセー4」を御読みになったことは御座いませんか。

http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=02577
http://okwave.jp/profile/u827811.html

投稿日時 - 2011-06-08 00:54:14

お礼

 知りません。
 それで どういう回答内容でしょうか?

 ところで さくらいみさとさんは ご自分のこのように振る舞っているというその考えを みづからの心に返り見るということはなさらないのですか?

 回答が寄せられることはないと見たときには ブロックします。

投稿日時 - 2011-06-08 00:58:21

モンテーニュは自分の意見へも疑おうとなさっていたそうですよ。

投稿日時 - 2011-06-06 06:10:22

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ☆☆(No.4お礼欄) わたしの側に見落としがあれば 考えなければなりません。


 ★ モンテーニュ
 ☆ が どうしたというのでしょう? モンテーニュなら何でもただしいと言うことでしょうか?

投稿日時 - 2011-06-06 08:45:10

ANo.5

全てを知っていませんでしても、開き直って、貪欲な知識獲得を諦めていく、という生き方を無意識の裡にでも採用してしまっている方々は、現代日本にも多いのではないでしょうか?

尋ねる語り掛けの目的にも、複数の方向性(利己的・利他的)が含まれているのでしょうから、
もしその主張の利用目的への評価の基準が多様化しているのでしたら、
残念ながら誤解を招きやすくなるのかも知れませんね。

投稿日時 - 2011-06-04 03:11:56

補足

 前半は どうでもよいことです。

 後半は 《わたしは予断をもって この質問には 臨んでいます》と言っているに過ぎません。

 いづれも 哲学以前です。

投稿日時 - 2011-06-04 10:04:01

お礼

 ありがとうございました。
 参考にいたします。

投稿日時 - 2011-06-04 04:39:36

ANo.4

>○ 誤解が生じる可能性をゼロにしたとしても その場合にも すでに一度成立したコミュニケーション(その合意)が 人によっては破られるときには破られることがある。
>☆ そしてこのような極端な事例をも想定するならば 
>○ 有効な成立というのは 《互いに有効と見なすかたちでの成立》というふうに簡略化した見方をしたほうが 実用的ではないか。
>☆ こういう――おそらく同じ楯の反面からの――見方です。いかがでしょう?

なるほど。確かに、私の考えとしては「このような極端な事例」あるいはそういった想定になじむ事例については異論はありません。しかし、簡略化しない余地を残す実益はあると思っています。

なぜなら「(その合意)が 人によっては破られる」といった典型的なケースというのは合意内容が後に争われる可能性があり、最終的にどちらかが勝つ・負けるの形で決着がつくケースだと思います。例えば契約などです。
このような場合は意思疎通の段階で自分に有利に話を進めたいというのが前面に出るし、そういった態度も共通の了解となっていると思います。

したがって、契約ならコミュニケーション云々というよりは、契約書を作成するなどの証拠の作成・保全が重要になると思います。
また、契約以外でも自分に有利にことを進めるのが目的のコミュニケーションでは、わざわざ自分から「その結論に到る理由の提示」をする必要はなく、合意の確認がなくてもあると見なして先に進んでいくといった発想になじむと思います。
よって、簡略化に向くと思います。また、仰るように実用的な面があると思います。


しかし、コミュニケーションの成立の確認をするのは、後から合意を破られないための防御という消極的な意味だけでなく、相手への配慮というか、良好な関係を維持しようとする積極的な意味があります。わざわざ自分から「結論に到る理由の提示」を聞かれる前から述べて確認する場合には特にこの積極的意味合いが強くなります。
こういったことに価値・必要性を見出す事例の場合、簡略化すべきできないと考えます。

例えば、私が質問文を読んで抱いたコミュニケーションのイメージは↓のようなものです。

これを繰り返すことによって、「その交わりの中からよりよい方法を編み出」していき、「自分の考えが成熟」したり、相互理解が得られたりする。これによって、「おのれと社会のためになる」ということ(ANo.1より)

こういったコミュニケーションでは、相互の自己主張という対立構図はありますが、目的とするのは、自分の考えの成熟や相互理解などであり、合意が破られるというのは想定しにくいのではないでしょうか。
このような場合には、相手への配慮、良好な関係の維持という意味も含めて意思疎通の確認である「結論に到る理由の提示」をする実益があると私は思います。

投稿日時 - 2011-06-02 21:46:20

お礼

 えすけいさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 一貫しておっしゃっていることは その志向性として・あるいはその意味でのコミュニケーションの精神として わたくしも首肯するところです。

 それと同時に 商業活動におけるコミュニケーションに限らず 合意の破棄が起こり得ます。もしくは初めからわれは合意をしないぞという心つもりの交通があり得ています。

 そうしますと 基本として初心を忘れずに相互理解の原則を掲げ続けるとともに 実際には簡便法において実践していくほかにない。こう考えるに到っています。

 この際 実例をご紹介してみます。
 【Q:虚数とは その名のとおりに想像力の世界なのか?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6759902.html
 No.16&25&34&35でのやり取りです。

 ○ 馬を水飲み場までつれて行くことは出来るが 水を〔馬が飲もうとしないなら 強制的に〕飲ませることは出来ない。
 ☆ という判断が命題として一般的であるかぎりで 意思疎通の基本原則は簡略化したかたちでその簡便法を当座としてでも用いるほかにない。こう考えます。

 お手数ですが いちどその質疑応答にあたってみてください。なぜかと言えば その事例がほかのミスコミュニケーションの場合にとっても基本的な類型を示しているのではないかと考えるからです。
 例の《バカの壁》の――聞く側に特化した場合ではなく これを広げたかたちの――自己表現版だと思われ コミュニケーション不全を明らかにしていると考えます。
 わたしの側に見落としがあれば 考えなければなりません。

投稿日時 - 2011-06-02 22:17:38

ANo.3

書きやすいところから書きます。

(く)について
>ひとつやや特殊な考えをなさっているかと思うところがありました。
>★ 一方、結論に到る“理由”である(2)(3)が正しいことがわかれば…
>☆ 理解や検討が《正しい》というのは 仮りの表現である。こうも思います。

そうですね。仮の表現というか、聞いた者が“主観的に”「正しい」と思う、妥当であると思う、理にかなっていると思う、という程度のニュアンスを伝えたい文でした。訂正します。

(け)について
>☆ というその《賛成でなく反対でも》の箇所に注目します。これは えすけいさんにしては 異なことをおっしゃると思いました。《反対》という意志表示も 賛成とまったく同じくコミュニケーションを成り立たせます。差はありません。

その通りです。ただ、一般的に、コミュニケーションの不成立とコミュニケーションの成立した状態での意見の不一致が混同されていることがあるため(あると私は考えているため)、確認の意味で軽く書きましたが、bragelonneさんへの回答には全く必要のない一文でしたね。

>(あ) まづひとことで申せば 成立の有効については 《有効と見なす》という視点を導入すればよいし すべきだと考えるところからです。

コミュニケーションは自分だけでなく、他者との間でなされるものですから、この要素を無視して考えることはできないと思います。
つまり自分だけが「《有効と見なす》という視点を導入」したところで、相手もそれを導入しているとは限らないわけです。親しい間柄でそういったルールを決めるのは有用かもしれませんが、初対面の人ともコミュニケーションをとっていかなければならない私たちが、他人にも同じルールに則っていることを期待することはできません。

一方で、No.2で述べた結論への理由付けを開示することは自分ひとりの心がけでできます。

>(う) ふつうは あやふやだと思えば その理由を聞かせてくださいと言って問います。

これも、必ずしも「ふつう」とはいえないと思います。例えばわかりやすい例でこのサイトですが、私が誰かに回答したとして、回答内容が理解できなかった質問者が私に補足説明を促すとは限りません。理解できなくても、面倒だと思えば、単に「ありがとうございました」と言って(あるいは何も言わずに)質問を閉じる人は存在します。ネットでないリアルでも同じです。
結局のところ、誰にでも「あやふや」なところを問うてくれることを期待することはできないわけです。

>(え) 考えてみれば要するに もしその相互理解があやふやであるということであれば一般にそのような事柄について言葉で表現し文書にして互いの合意事項を確認します。

これも同じです。こういった確認が取れる関係ばかりではないと思います。

>このように合意事項をはっきり取り決めた場合にも じつは誤解は生じ得るということ
>この実際上の人間の行為というものにかんがみて 最終の意志表明において 話し合いは成り立ったと見なすということ 
>これを事由として 異なる見解を持ちますが どうでしょう?

もちろん誤解が生じる可能性をゼロにすることはできませんが、不特定の相手ともコミュニケーションを成り立たせる必要がある以上、誤解は生じ得るものとあきらめるのではなく、誤解が生じる可能性を極力下げる工夫をすることが、必要ではないかということです。
そのためには、ANo.2のような自分ひとりでできる方法が実践的だと思います。

もちろん親しくお互いを知っている間柄において、簡略化することを必ずしも否定するものではありません。さまざまな関係においてコミュニケーションはなされることを念頭におく必要があるということです。

(い)(お)(か)(き)に対しては、以上のコメントでほとんど回答できていると思うので省略します。

投稿日時 - 2011-06-01 22:06:02

お礼

 ぢゃあ もうほとんど問題はないのぢゃないでしょうか。
 えすけいさんは 消極的で安全装置を――おっと えすけいさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。――つけておこうという取り組み方であり わたくしはと言えば 積極的に試行錯誤を重ねて 或る意味 どんどんすすむという方針でいる。

 交通論としてその意志疎通が成立するか否かにかんして同じひとつの結論を われわれは捉えている。そのとき たぶんえすけいさんは やや消極的に見て 成立のための保障をきちんとそなえておこうとする。わたくしは 成立がただの見せかけであったと分かったなら そのつど膏薬を貼ってでも互いに修復してすすもうという。

 こんなところだと 基本において捉えましたが 次の事項では わたしは深手を負うかのように突っ込まれています。
 ★ ~~~~~~
 コミュニケーションは自分だけでなく、他者との間でなされるものですから、この〔* 有効な成立という〕要素を無視して考えることはできないと思います。
 つまり自分だけが「《有効と見なす》という視点を導入」したところで、相手もそれを導入しているとは限らないわけです。
 ~~~~~~~~
 ☆ これは まづわたしが舌足らずでした。というのも 《有効と見なす》のは 互いにそうするのであり そのことは(つまり《見なす》ということについては) 合意が出来ているということを前提にして軽く言っていましたから。
 言いかえると ちょうど契約書の記載事項で最後あたりにかかげられる一文があります。《規定が不十分であったとあとで分かったり あるいは規定していないことがらで両者の言い分に違いが出て来たという場合には 双方が誠意をもって話し合いをつうじて解決するものとする》というような。
 これが 《有効と見なす》とした場合には 含まれていると軽く見なしていました。

 それとともに もうひとつの舌足らずだったことは ちょうど次のように指摘されていることがらです。
 ★ 一方で、No.2で述べた 結論への理由付けを開示すること は自分ひとりの心がけでできます。
 ☆ 要するに 《相手の主張内容を 自分の言葉で復唱しつつこれこれこのように理解しましたとまづ開示する。そして 自分の見解を あれそれそのように筋道立ててまとめたのだと同じく開示する》 これを伝えこれの理解を相手に求め その上で 互いの意志表示とその受けとめに到る。――こういうふうにして《意思疎通の有効な成立を期す》のだと。
 誤解があったと分かればそのつど何度でも合意しなおせばよいではないかと 軽く言っていたとしても 上のような手堅い方策を取らないというつもりではありませんでした。まして そのようなまわりくどい作業はやめておけなどと言うつもりは 微塵もありませんでした。

 でも どうでしょう。これらふたつの舌足らずを舌足らずだったのではなく そのような《含み》が実際にもないかたちで《意思疎通の成立については 諾否の意志表示によって たとえ有効でない状態であったとしても それは有効と見なす》のだ――こういう見解だったとしてみましょう。
 それだと どういう不都合が出て来るか。

 ★ 親しい間柄でそういったルール〔* =《成立有効の見なし》というルール〕を決めるのは有用かもしれませんが、初対面の人ともコミュニケーションをとっていかなければならない私たちが、他人にも同じルールに則っていることを期待することはできません。
 ☆ 次のように反証してみます。
 反論が成り立つのではないかと考える事由としては 片や成立の有効をこちらの側だけにおいてであっても固めたという手堅い場合にその成立をくつがえすのも 片や成立の有効の見なしのその見なし成立をくつがえすのも けっきょくは同じようなことになる。これです。
 くつがえされた・あざむかれたという点では いづれの場合も 同じです。

 たとえば 結婚詐欺という・意志疎通の成立が有効でなかった交通の例があります。
 この場合などは いかにその互いの見解についての相互理解を確かなものとした上での合意であっても やすやすと――あざむこうと思えばあざむきうると考えられる限りで――その合意は破られます。有効が確実なものとなるよう 自分の見解や意志についての説明に説明を重ねこれ相い努めた結果の合意であっても 約束破りに遭っては どうしようもありません。

 つまり この事例で考えられることは むしろ交通における互いの意思疎通の成立というのは――人間の知識と思考〔および礼儀などの徳〕が相対的な性格を帯びるものであるかぎりで―― 一般に・じつは 仮りのものである。となりはすまいか?
 こんどは こちらが 消極的になり さらには無常感さえ漂わせてしまいそうですが こういった考え方は どうでしょう?

 とは言っても もっと具体的な事例を出してもおられます。
 ★ ~~~~~
 例えばわかりやすい例でこのサイトですが、私が誰かに回答したとして、回答内容が理解できなかった質問者が私に補足説明を促すとは限りません。理解できなくても、面倒だと思えば、単に「ありがとうございました」と言って(あるいは何も言わずに)質問を閉じる人は存在します。ネットでないリアルでも同じです。
 結局のところ、誰にでも「あやふや」なところを問うてくれることを期待することはできないわけです。
 ~~~~~~~~
 ☆ これはですね。しょっちゅうですから わたしは馴れっこになっているからかも知れませんが でも一つにはそこまでにとどめるかたちの交通を その人たちは 求めていると見るか それとももう一つには 交通についての考えや態度が はっきり言って 成っていないと見るか いづれかひとつだと思われます。つまり あきらめるしかないと考えます。
 馬を水場まで連れて行くことは出来ますが 水を飲ませることは出来ない相談ですから。

 《期待》が広く大きくていらっしゃるようで ここでも じつは消極性と積極性とが わたしとの間で 逆転しているようです。わたしは あきらめていますから。(いつどういうきっかけで 態度や思想を変えるか分からないとは思っています。もう一生変わらないだろうと見ているわけではありません。こちらの努力つまり本人以外の人の努力には限界があると見るという意味です)。
 その意味で 再掲します。
 ★ ~~~~~~
 もちろん誤解が生じる可能性をゼロにすることはできませんが、不特定の相手ともコミュニケーションを成り立たせる必要がある以上、誤解は生じ得るものとあきらめるのではなく、誤解が生じる可能性を極力下げる工夫をすることが、必要ではないかということです。
 ~~~~~~~~
 ☆ 《その意味で》と言いましたが したがって 別の意味もあることになります。
 つまり
 ○ 誤解が生じる可能性をゼロにしたとしても その場合にも すでに一度成立したコミュニケーション(その合意)が 人によっては破られるときには破られることがある。
 ☆ そしてこのような極端な事例をも想定するならば 
 ○ 有効な成立というのは 《互いに有効と見なすかたちでの成立》というふうに簡略化した見方をしたほうが 実用的ではないか。
 ☆ こういう――おそらく同じ楯の反面からの――見方です。いかがでしょう?

投稿日時 - 2011-06-01 23:45:51

ANo.2

虚数の比喩についての質問も読みました。が、この比喩を用いて自分で説明できるほど理解できたと思えないので以下に触れませんが、ご理解ください。

>☆ 賛成か反対かもしくは保留か この意見表明をしかるべくおこなうこと これが
>★ 「自己主張」だけでなく“交わり”をもっと強調した
>☆ 具体的なかたちになると考えていますが 果たしていかがでしょう?

確かに、賛成・反対・保留の意思表明は、相手の発言を聞いた後の自分の意見なので、“交わり”(コミュニケーション)の結果ですから、その表明が“交わり”の強調になるようにも思えます。
しかし、賛成・反対・保留の意思表明だけでは、コミュニケーションが有効に“成立した”ことの確認ができないと思います。相手の意見を誤解したまま導き出した結論である可能性があるからです。そのため、賛成・反対・保留の結果を導き出した“理由”がより重要だと考えます。

詳しく説明すると、
コミュニケーションが以下の過程で進行するとして、

(1)自分はこう考えるということを主張し【主張】
(2)それに対する反論や賛成意見を聞き【聴聞・理解】
(3)自分の意見を再検討し【検討】
(4)賛成・反対・保留の表明する【再主張】

(2)に問題があり、相手の意見を正確に理解しなかった場合、それ以下の(3)及び(4)は意味がないことになります。相手の意見を理解しない状態で、(4)賛成・反対・保留の表明【再主張】として「自己主張」を行っても、お互いに独り言を言い合っただけで、“交わり”はなかったわけです。最悪の場合、なかったにもかかわらず、あったと誤解します。
したがって、(4)のみでコミュニケーションの“成立”を確認することはできません。

そのため、“交わり”の“成立の確認”(強調)は(4)に到った“理由”である(2)及び(3)について行うべきだと思います。特に(2)相手の意見をどう理解したかの説明が重要だと思います。これが仮に不十分であるなら、賛否を言われた相手は納得がいかず、コミュニケーションが失敗したと思うでしょう。
一方、結論に到る“理由”である(2)(3)が正しいことがわかれば、(4)が賛成でなく反対でも、コミュニケーションが有効に成立したと思えるはずです。

(2)(3)の説明の後に(4)を行えばコミュニケーションの“効果”の確認ができます。

まとめると、(2)(3)の過程(結論への理由付け)の開示でコミュニケーションの“成立”を確認し、(4)でコミュニケーションの“効果”あるいは“成果”を確認するということになります。

投稿日時 - 2011-05-31 22:42:48

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 そうですね。はっきり申せば 今回のご見解には反対です。
 理由を述べます。

 ★ 賛成・反対・保留の意思表明だけでは、コミュニケーションが有効に“成立した”ことの確認ができないと思います。相手の意見を誤解したまま導き出した結論である可能性があるからです。
 ☆ (あ) まづひとことで申せば 成立の有効については 《有効と見なす》という視点を導入すればよいし すべきだと考えるところからです。

 (い) わたしの見解としましては その意志表示という結果が どのような推論において導き出されたかは 問わないでよいと考えるからです。

 (う) ふつうは あやふやだと思えば その理由を聞かせてくださいと言って問います。そして 特にあいまいだと感じなければ やはりふつうには 問わないでしょう。そして仮りにその問わなかったことが裏目に出て こちらの表明した意志内容について相手側に実は誤解があったということもあり得ます。あり得ますが その可能性を織り込んで 諾否の表明によって有効に成立したと見なす。こういう見解です。

 (え) 考えてみれば要するに もしその相互理解があやふやであるということであれば 一般にそのような事柄について言葉で表現し文書にして互いの合意事項を確認します。
 つまり言いたいことは このように合意事項をはっきり取り決めた場合にも じつは誤解は生じ得るということ この実際上の人間の行為というものにかんがみて 最終の意志表明において 話し合いは成り立ったと見なすということ これを事由として 異なる見解を持ちますが どうでしょう?

 (お) ★ したがって、(4)のみでコミュニケーションの“成立”を確認することはできません。
 ☆ ではなく そうではなく 誤解があったと分かったなら あらためて話し合いをすすめればよい。つまり 誤解の部分について互いに正していけばよい。そのようにして 《成立の見なし》の連続でもよい。
 
 (か) なぜならすでに双方は互いに《有効に成立したと見なした》からです。見なしたことにおいて成立を確認しているからです。そうして あやまちがあれば ただす。

 (き) おそらく口はばったい言い方ですが こちらの見解のほうが実践的であろうかと考えますが いかがでしょう?

 (く) かくなる上は えすけいさんは このわたくしの理解の不十分さを明らかにして反論されるかと思いますが ひとつやや特殊な考えをなさっているかと思うところがありました。その点についても触れます。
 ★ 一方、結論に到る“理由”である(2)(3)が正しいことがわかれば、(4)が賛成でなく反対でも、コミュニケーションが有効に成立したと思えるはずです。
 ☆ 理解や検討が《正しい》というのは 仮りの表現である。こうも思います。わたくしも上に《ただして行けばよい》〔=(お)〕と書きましたが いまその点のあいまいさをただします。つまり《人はあやまちうる》という前提の上で ただす・ただしいと言っているのでしかないと。

 (け) 上の引用文についてさらに
 ★ (4)〔* 再主張の中身〕が賛成でなく反対でも、コミュニケーションが有効に成立したと思えるはずです。
 ☆ というその《賛成でなく反対でも》の箇所に注目します。これは えすけいさんにしては 異なことをおっしゃると思いました。《反対》という意志表示も 賛成とまったく同じくコミュニケーションを成り立たせます。差はありません。
 このことについては 先ほど《人間の理解は あやまちうる》を前提とすると見ましたがそれとは別に 例外はないと考えなければならないと思います。反対の意志表示をされたから嫌がったり困ったりということはあるかも知れませんが それにはかかわらせることなく 意思疎通は成り立ちますし まったく問題なく有効です。これの確認を押し迫りたいと考えます。

 
 掛け値無しの自己主張が 互いに 交わされていると考えます。どう展開することになりましょうか。

投稿日時 - 2011-06-01 00:09:37

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