こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

締切り済みの質問

「部落差別」教育って必要?

塾で教えている中学生が、
「部落差別についての勉強があった。僕はそんな事知らんかったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが良かった」
と言いました。

私もそう思います。私は別の県から引っ越してきて、今住んでいる県の部落地域は知りません。あることすら想像しませんでした。
知らない人が増えれば、自然となくなったりはしないのでしょうか?私のように、外部から来た人間は部落地域を知らないし、この中学生のように10何年間この県で生きてきて、それでも知らないのです。やはり、「部落差別」教育は必要なのでしょうか?

見てそれと分かるハンデを持った人を差別してはいけない、と教育するのは分かります。しかし、部落は、ここから部落地域ですという看板も何もなく、知っている人だけが分かるものですよね。

未だに差別意識を持っている人はいるでしょう。しかし、一般的な「差別はいけない」という意識を持った今の子供たちは、その差別意識を持った人に「部落差別」を言われても、はねのける事ができるのではないでしょうか。

私は、前記の中学生の発言に、どう答えれば良かったのでしょうか?また、「部落差別」教育は、必要なのでしょうか?

投稿日時 - 2003-10-14 09:02:25

QNo.679132

暇なときに回答ください

このQ&Aは役に立ちましたか?

369人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(158)

ANo.158

あった方がいいと思いますがもう少し内容を減らしてもいいと思います

投稿日時 - 2014-01-06 04:59:13

ANo.157

必要です
知ることでその考え自体がうまれたのだから

投稿日時 - 2014-01-06 04:39:29

ANo.156

必要ありません。
なぜなら、そもそも教育とゆうもの
があるから差別が生まれるからです。

投稿日時 - 2014-01-06 00:21:59

ANo.155

差別を傘にやりたい放題やっている人たちもいるので、個人的には必要ないと思います。

投稿日時 - 2014-01-05 15:52:59

ANo.154

同じ過ちを繰り返さないためにも教育は必要だと思います
スルーしてはいけない問題、歴史だと感じます

投稿日時 - 2014-01-05 03:32:00

ANo.153

歴史上の失策、封建制度が今だに災ってるわけで。部落差別が無くならん限りは仕方ないね。大学では教職過程の必修科目です。私もなんでこんな事勉強せんなアカンね?と目茶苦茶疑問でした。でも結局、綺麗事では差別は駄目!とか口先だけで言う。でも昔から免除された税金や公務員枠の確保、ゴミ収集等の利権等 優遇されたものは以前変わらず。差別を逆手に取る行為に糾弾行為等問題が山積みと聞いてますよ。差別て何なんですかね?一部の人間だけの為に全部そう決めつけられてるんですかね?

投稿日時 - 2013-10-18 18:18:34

ANo.152

中学生には、キング牧師が暗殺されてからオバマ大統領が就任するまでの話でもしてやるといいです。

基本人権とか教科書にもあるでしょうから、その辺を話してあげるといいと思います。


部落差別自体は、今現在、暴力団の資金源であり(お前は差別をしている→賠償金を払え.部落差別を理解するためにここの団体の雑誌を定期購読しろとかそういう類)
部落差別を解消するための運動自体、運動が継続するため、ないし部落差別解消の名目で支出されている公金目当てに、差別を煽るという悪循環におちいっているのが現状です。
自作自演の差別事件があまりに続き忘れられた対象となろうとしています。
現在も差別に潜在的なプレシャーを感じる人はいるとおもうが、人権団体とか市民団体という看板のヤクザの下流ビジネスのターゲットになっており、その意味で救済の手を差し向けられるべき対象です。

差別うんぬんより、差別を利用した恐喝にどう対処するかという話は学校じゃ無理だろうから.ご家庭で頑張ってくれるように親にでも相談したらよいと思います。

投稿日時 - 2011-09-25 17:09:26

ANo.151

いらないですね。
「差別・偏見がある限り必要」という人がいますが逆ですよ、
教育するから差別と偏見が生まれるのです。
外見的特徴が無い以上、部落民を見た目で判断することはできません。
じゃ、何故部落差別が生まれるのか。

部落という存在と、その人達は歴史上差別されてきたことを知ってしまうからですよ。
知識は時に人に偏見を与えます。
あの人達は差別されてきたんだと思ってしまえば、色眼鏡で見てしまう人がいても不思議じゃないです。

ってことは部落差別を闇に葬って、無かったことにしてしまえば差別など生まれようがありません。

未だに差別が無くならないのは、解放同盟をはじめ部落差別を日本中に吹聴している連中のせいです。

投稿日時 - 2011-08-15 20:36:57

ANo.150

 過去の差別に関する知識普及は時系列的に考えると害悪である部分が逐次増大していると考えられます(開始当初は相応の意味があったとは思います)。

 これからは「差別」に関する教育ではなく「差別利権」の仕組みと撲滅を教育することが将来の「差別」を予防する最大の教育になるはずです。現代の「差別」は利権に絡むための宣伝部分も大きくもはや存立すること自体が「新差別」と考えられます。昨今問題になっている「人権侵害救済法案」も「差別利権」と不可分の問題です。これが万一成立すると「新差別」が発生することが確定してしまいます。

 小中学生には難しい分野になるかもしれませんが、「差別はいけない」というスタンスは無意味。なぜ差別が生成されるのか考えるほうが差別撲滅になると思います。差別発生原因を考慮する時、はじめて民族性や特徴、歴史を大きく俯瞰することになり広く教育的価値が高まると思います。

 少なくとも「教師」が「差別」とは何かを教えてあげるスタンスでは意味がありません。ましてや証拠あってのことかどうか考えない小中学生に対して捏造の可能性すらある資料を展開して感情に訴えるやり方は最悪です。害悪以外のなにものでもない。

参考URL:http://blog.livedoor.jp/hiro7532/archives/3312519.html

投稿日時 - 2010-06-24 13:03:02

ANo.149

必要ないと思います。

私は学校でいじめを受けましたが、先生ははるか遠くの部落差別はダメだといいながら目の前のいじめは放置していました。

教えている先生も他人事のようでしたし、やるだけ無駄です。

投稿日時 - 2010-02-21 10:44:45

ANo.148

必要です。差別とはどういうものであるか。あるべきか。知るためにも必要。思い上がったクズが権力握ると地獄見ます。

投稿日時 - 2010-02-18 03:11:54

ANo.147

差別、偏見意識がなくならない限り必要です。

投稿日時 - 2010-02-12 15:51:51

ANo.146

裏では差別が残ってますから、必要です。

アメリカのいいなりで、競争、市場原理主義、強い者勝ち優先で、都合の良い所にばらまきで、役人経営者経済団体とぐるで、開発経済優先で、大企業金持ち役人優遇で、国家権力側は甘くしろ反国家権力側は厳しくしろで、マスコミも世論も司法もコントロールしろで、選挙の時だけパフォーマンスを行えで、闇献金インサイダー取引パーティー官房機密費懐入れなどで金をつくって数を勝ち取れで、国家権力側に住み良い都合の良い日本社会を目指す自分党公暗党政権が良いか、

アメリカとは距離を置いて、理念ある独立国家として言うべき事は言いで、全人類の共存共生協調自然とも共存共生協調を目指すで、必要な所を重点に予算を組んで、役人を国民の公僕として職務を行わせるようにし天下りは許さんで、環境福祉質素な生活セフティネット優先で、汗水流している労働者中小企業弱者優先で、なんぴとたりとも公平平等に扱えで、マスコミ弁護士司法などは独立しろで、政権を担えば優先順位を考えて直ちに真の改革国民のための政策を行えで、志のある者だけで連帯し政党助成金も有効に使えで、全国民が住み良い日本社会にするかもしれない民主党政権が良いかの総選挙の結果、

民主党が大勝したわけであるが、国民新党や社民党に気を使って妥協したために、おかしな決定もあったわけである。

そして、自公政権で任命した、腐りきった国家権力の役人幹部らが、今だに裁判所、検察、警察、法務省などに居座って、自民党や創価学会公明党やこれらのバックにいる、アメリカ支配層の影響をうけているから、こいつらの命令意向に従って、与党幹部らのみを徹底的に攻撃しまくっているわけである。

御用マスコミも使ってね。

自公政権や自民党政権が復活すれば、また今まで通り、天下りや裏金作りや血税を飲食いに使うや不都合な人々を不当逮捕、不当起訴、冤罪に追い込むなどのやりたい放題の甘い汁が吸えるようになるというわけである。

鳩山総理や小沢幹事長の疑惑がすべて事実と仮定してさえ、自民党や創価学会公明党や腐りきった国家権力である悪徳役人の行ってきた犯罪悪行悪政の数々に比べれば、微罪にさえならないのである。

野党が贈収賄など成立するわけがないし、疑惑のほとんどがどぐされマスコミなどのデマだからね。

ということで、民主党がアメリカ支配層側に向けば、まともな国民にとっては、期待が失望に変わる、というわけである。

投稿日時 - 2010-02-09 12:56:59

ANo.145

随分前の質問ですが、参照の多いQ&Aに出ていて考えさせられたので答えてみます。似たような回答があったらすみません。

私も義務教育はとっくに終えましたが部落差別教育なんて初めて聞いて驚きました。どういう内容の授業か想像もつかないし、そんなことをやるなんてオカシイんじゃないの!?と最初は憤慨しました。が、よく考えてみれば、小中学校ではそれぞれの地域に根ざした内容の授業があります。その一環なのではないですか?

部落のようなものは知りませんが、私もその中学生の子と同じ気持ちになったことがあります。アイヌや沖縄の人達のことを知ったときです。北海道や沖縄の市長さんの顔を見て、ああこの人は私と顔の作りが違うと反射的に考えてしまうのが嫌です。そんなことを知らなければ、同じ日本人の中のわずかな個人差としか捉えないだろうし、それを意識することさえないのに。

ですが、それってちょっと自己中心的な考えかもと思います。
私はそんなもの知らないし、考えたくないし、関係ないのに嫌な気分にさせられるものなど見せられたら、ムカムカします。
しかし現実にそのことで人を傷つけたり傷つけられたりしている人たちがいるんでしょう。
だからその問題がまだ取り上げられるのでしょう。
大部分の人が関係ないからと言って目を逸らせていたら、取り残された人をどうやって救えるんでしょうか。
まさかそれが社会だなんて言う人はいないでしょう。それはちょっと情けなさ過ぎじゃないですか。
たまたまその地域で生まれたり育ったりした人達は、特にそれについて考える機会を与えられたと考えるべきではないでしょうか。彼らを実際に助けるのは、その地域の人達なんですから。その地域を良くするために、逃げてはいけない問題なのでしょう。
それを初めて知る人は純粋な心で傷つくかもしれないけど、乗り越えなければいけないことでもあるでしょう。社会にはありとあらゆる差別があります。部落がなくなったらほかの差別がなくなるわけではありません。
早くからこういう問題を考えられるのは、良い経験になるのではないでしょうか。

投稿日時 - 2008-09-30 06:51:04

ANo.144

「部落差別」の教育はやはり必要だと思います。が、これと関連してきますが、部落差別の様な出身、或いは出自に因る差別が仮に無くなったとしても、又差別する要因を探し出して結局はなくならないと思います。教育に依る地道な啓蒙、啓発をして行くより手は無いと思います。あと国や行政、自治体も協力して行かない事には難しいでしょう。誰かが、「部落差別は誤解です」と言う人がいればもっとこの問題は人々にとって理解されて、多少なりとも「言われ無き差別」に苦しんでいる人達の支えになるのではと思っています。実際はその人達の代の問題を後世の人に押し付けているだけで、問題は本来はその代で済んでいるはずです。でも、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」で問題(差別)が現代迄続いているのはおかしいと思います。

投稿日時 - 2008-08-02 01:12:36

ANo.143

被差別部落出身の26歳です。
部落差別がまだ普通にあった頃の老人はくたばり始めてるので
少し前ならともかく今はもう必要無いかもしれない。
という時期に来てるかもな、と思います。

ただまぁ未だに村社会な田舎もありますし(私の地元はそうですが)
そういう意識がある人間が残ってるのも事実です。

現状を調査しそういう知識がまだある地域では今後も続ける、とかにした方が良いと思いますが、部落開放同盟の凝り固まったアタマじゃ無理だろうなぁ。。。。。


ただ、「教育」というカテゴリでくくった時に、もっと教えなきゃいけない事って沢山あるだろ。そんな事教えてるヒマあるならもっと他の事教えろよ、ってのが正直な意見です。

投稿日時 - 2008-06-22 13:52:10

ANo.142

あのー、部落開放同盟を主体に色々な背景があっての今日の教育をおこなっているのでしょ?
ただ単に、わざわざ部落の事を知らない子供に、そういう単語自体を教えるのは、誰が考えてもおかしいでしょ?
そりゃそうですよね、逆に余計な感情を植え付けますよね
自分が部落出身者だったら、そっとその過去の事を闇に葬りたいですよ
目的が違うんです。目的が!
そりゃー、誰も知らないまま時が過ぎる方がその存在すら薄らいでくるのは、誰が考えてもそうですよ(^^)
部落差別教育を行う理由、目的。
明白な回答はネット上では、書けません
ただ、目的があるんです・・・

投稿日時 - 2008-05-02 20:58:20

ANo.141

書き込みは2回目ですが、もう一度。
部落差別の授業は必要だと思いますが、それだけでも駄目だと思います。結局その現実をどう捉えるかは個々によって違います。
その現実を知って恥じる子もいれば、自分は違ったと喜ぶ子もいるでしょうし、新しい苛めの対象を得られたと思う子もいるかもしれません。
先生だって万能ではないですし、全員良い子になんてなれる訳はありません。けれど最低限倫理や道徳を学校と”家庭”で教えていれば、真実を知ったときの個々の受け止め方に差が出てくるのではないでしょうか?
当たり前な意見ですみません。。

投稿日時 - 2008-01-07 02:47:54

ANo.140

 私も、教育を受けるまでは部落というものの存在も知らず、「こういう差別があって!」という授業に対して、「蒸し返すなよ」と思いました。
 心なしか教師側にも微妙な差別意識があるように感じたりして。

 でも、それはさておき。
 最近子供に突飛な名前をつける親が居ますよね。
 そういうのを集めたサイトがありまして、そこを見ていると。
 差別用語そのものを自分の子供の名前としてつける親も居るみたいで。

 差別そのものがなくなって100年くらい経った後なら問題ないんだろうけど、「同和教育って必要なんや!」と思いました。

 存在するものは存在するものなのだから、知るリスクと知らないリスクで「知るリスク」を選ぶというのは真っ当な考えかもです。

投稿日時 - 2007-12-31 06:55:57

ANo.139

私は授業で習うまで部落差別という用語を知りませんでした。
けれども、私の地域は田舎なので未だに韓国の方というだけで侮蔑したりする人もいます。
部落差別をしてはいけないという教育を受けましたが、韓国の方やハンデを持っている方を差別してはいけないという教育は母からしか教わりませんでした。
私は自分の考えで、差別という考えた方は愚かしいのでしませんが周囲の人間は自然に差別しています。
おそらくその子の親もそうなんだと思います。
話が部落差別とは逸れてしまいましたが、差別教育は学校ですべきだと思います。
(部落というのは地域なのですか?わざわざ地域を指定して教育する必要はないと思いますが・・・。

投稿日時 - 2007-12-30 03:31:45

ANo.138

私は部落差別への教育は必要だと思います。
部落差別があったことは事実です。それを知らないということは、部落差別があったという事実を隠すことになるようにも感じるからです。

話はそれますが、アメリカでは日本に核爆弾を落としたことを直接教えない教育もあるようです。それは正しいとはいえないと思います。核爆弾をおとしたことによって、得られた知識というか経験は、伝えられそれを糧に一人一人が学習しなにかを身に付けることが大事だと思います。

たとえが極端なのかも知れませんが、部落差別にも同じことが言えると思います。差別がいけないと教えるのではなく、部落差別があった事実を教える必要はあると思います。そこから得るものは小さいものだとは思えません。

投稿日時 - 2007-09-13 01:13:01

ANo.137

私も最近まで知りませんでした。
部落差別とは全くかかわったことがなかったので、存在自体知りませんでした。
しかし、とあることがきっかけで知ってしまい、ショックを受けました。
そんなことが日本にあったのかと。
しかし知ってしまうと、どうも無視できません。
私もむしろ知らなかったほうがいいなと思います。
知ってしまうと、差別はいけないとわかっているのに、「どこだろう」とか思ってしまう卑しい自分がいます。
もし場所を知ったからといって、いじめに加わったりあからさまに差別するわけではありません。
しかし、そうなるとそこを見る目が今までとは違ったものになってしまいますよね。
心の中に、薄い壁が出来たような。少し意識してしまうと思うんです。
「どこだろう」とのんきに想像すること自体、自分が罪を冒しているように思えます。

えた・ひにんとか、穢れだとか、そんなものはずっと昔の話ですし、
そういう人達が社会の一角を担って、皆が嫌がるような仕事をしてくれていたからこそ
社会は成り立っていて、むしろ感謝すべきだったと思うのです。

教えることもよいのかもしれませんが、風化させてもいい気がします。
しかし、それをあえて教えているということは、今後このようなことが起こらないようにとの戒めなのではないでしょうか。
結局の処、いい面もありますが悪い面も沢山あると思います。

投稿日時 - 2007-09-05 21:04:27

ANo.136

教育は必要だと思います。

私は小学校の時から同和教育を受けていました。
私が通っていた小学校は当時特に力を入れていたようで、一日中同和教育の時もありました。(教科名は社会、今は総合で行ってるみたいです)
その授業の時だけ、クラスの雰囲気が全く違いました。例えば、メガネケースを出しているだけで、怒られたこともありました。
西光寺などにフィールドワークにも行きました。

何が問題であるかと思うのは、他の授業とは全く違う雰囲気。萎縮してしまいました。あと、「差別はいけない」「エタ・非人の人は素晴らしい」という答えありきの授業です。その2つ以外の発言は認められませんでした。
当時の担任に最近会って話をした時に、担任も正直授業の進め方に自信はなかったをおっしゃっていました。しかしこれが現実だと思います。
まったく責めるつもりはありません。やはり、いろんな関係の中で担任も悩まれたと思います。

小学生には同和教育以外にすべきことがあると思います。それは、同和教育に耐えられるべき心を作ることです。小学校においては、その心が作られている学校のみ掘り下げた教育をすべきだと思います。
同和教育は政府の是正政策の下、逆差別にあたることがあるのも事実です。全て教えなければならないと思います。中途半端になるとシンドイものがあります。授業時数の削減で難しいと思いますが。

これは100年200年で消えるような問題ではなく、日本の恒久的な課題だと思います

投稿日時 - 2007-08-21 10:49:40

ANo.135

私は部落教育は必要だと思います。
私が小さい頃引っ越したので、両親共に地元の人ではなく、どこが部落だとかも知らずまったく差別を知らずに育ち、部落教育で初めて存在を知りました。
その時は特に差別など頭もよぎりませんでしたが、私の住んでいる市が比較的部落の多いであろう土地で(あまり知らないのですが)車を運転するようになってから部落の土地をいくつか知りました。その辺りでは当たり屋がたくさんいたり、事故を起こしたら話し合いがすごく大変だったりすると教えられました。もしかしたら事実かもしれませんし、私もついついその辺りでは特別丁寧な運転を心がけてしまいます。それが差別なのかも知れません。でも、知っている人が部落だったとして友達をやめたいと思うとは思えません。
誰も部落に関して私に教えてくれなければ、そういった小さな差別の感情も生まれなかったのも事実です。
でも、学校で部落教育を受けていなければ、その地方がそういう地域だと誰かに教えられた時によりいっそう酷い差別をしてしまっていたのかもしれません。どこの土地にもずっと住んでいる人たちはいて、強い差別の念をもっている人もいると思います。
私の実家はたまたま差別なんてしなかったかも知れませんが、自分の親が、祖父母が差別をしている場合ももちろんあり、それがいかに不当なことであるか、いけないことであるか、なくさなければならないことであるかを学ぶことは必要ではないでしょうか。

投稿日時 - 2007-07-26 10:24:55

ANo.134

部落差別は、悲しいことにいまだに残っています。
私の地域でも、ときどき話し合いが持たれます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「部落差別の教育は必要か」ですが、必要ないと思います。
しかしそれは子供達への教育が必要ないということです。
ただし、日本の歴史教育として教えるのは良いと思いますが、サッと流し
深くは掘り下げないほうが良いと思うのです。

それよりも、部落差別の教育が必要なのは大人です。
それもお年寄りたちです。
こちらはかなり深刻に真剣に教育しなければならないと思います。

部落問題は、父母⇒祖父母・・と、代があがるほど深刻な問題と
なっているからです。

投稿日時 - 2007-05-17 14:26:19

ANo.133

私も30年くらい前、小学校高学年の頃、同和教育を受け、この生徒さんと全く同じ気持ちでした。映画を見せられた後、同級生の数人が講堂の舞台に立ち「私達を差別しないでください」みたいな事を言い出し「えっ?なにっ?えっ?なんか差別れてるのっ?え~っ!!なにっ?」って感じでショックでした。疑問を持ってしまった以上、知らずにいられないのは、今でも何事につけても同じですが、当時、どうやって知ったのか忘れてしまいましたが、やはりその同級生が住んでいる辺りが気になった事は憶えています。私も質問者様と全く同じで、教えなければ、知らないままで済み、知らない人ばかりになったら、差別なんて無くなるんじゃないの?と思ってました。それから数年後、maruumamaさんの回答にあるように、その事に付随して利権を得て暮らしている人達も居るという現実を知り、二重のショックでした。
最近、仕事で、小学生の頃に見せられた映画の舞台だった、縁もゆかりも無かったはずの土地に時々、行く機会があり、何故か、その度に、その映画の事が思い出され、やや重い気分になります。教育って恐いですね。質問者様への返答には、なっていませんけど。
でも私、昨年、転職し、20代後半の大卒の後輩の面倒を見てるんですが、あまりの精神的な幼稚さに呆れ果てると共に、日本の将来を憂いています。ホントに頭が悪いというなら、諦めもつきますが、決して頭が悪い訳ではないのに、自分を客観視できず、社会的責任というようなものに対し、精神年齢が二十歳くらいで止まっている幼稚さ、どうにか成長させようと我慢に我慢を重ね、説教すると「別に食べるのに困った事ないし」「周りもみんなそうですよ」と、恐いのは決してヒネている訳でもなく、サラッとそう言われ、のけぞりそうに驚愕しました。このコには、ホントに驚かされ、全く料理もしなかったようで「なんで料理をしようと思ったんですか?」などと言いながら、「(結婚相手のことだと思いますが)料理の出来る人がいいなぁ」など自分は、全く努力をせず、相手にだけ要求する事を全く不自然とも思っていない様子。究極は「みかんって腐るんですね」って言われた事でした。決して深窓のご令嬢という訳ではなく、れっきとした日本の高等教育を受けている20代後半の女性の口から出た言葉です。同和教育なんかより、もっときっちり人間教育をしてくれっ!!と言いたいです。(学校教育と言うより、親の責任なんでしょうが、親がおかしいから、こんな大人が育ってしまうんでしょうし、いったい、どうすればいいのか、もはや私には理解できませんが・・・)

投稿日時 - 2007-05-06 23:39:06

ANo.132

私もこういうことは教えなければ、差別も生じないと考え、自分の子供には、教えませんでした。
その存在すら、子供は知りませんでした。
しかし、中学生になった頃、友達から部落差別の話を聞かされたようで、ある日、学校から帰って来た娘の口から、「あー、私、部落でなくてよかった!」という言葉が出てき、大変ショックを受けた覚えがあります。
教えるから、そういう差別意識が生じるのだという考えは甘いでしょうか?


それとは別に、今もって、逆差別というものもあるそうです。
部落と呼ばれる地域の人達が、いろんな面で優遇されているのです。
公務員にも優先的に採用されたり、(ごみ収集の仕事だとか、汲み取りの仕事がそうだと聞きました。)
家賃が安かったりとか。

これも、公平性に欠けますよね。

その昔、部落の人々はエタ、ヒニン、(漢字はどう書くのだったかしら?)と呼ばれていたことは、歴史の時間に習いましたね。
身分制度が厳しくしかれた江戸時代、なぜそういうところにおとしめられた人々なのかというと、犯罪者だったりしたとも習った記憶があります。
現代の科学では、性癖や性格は元より、犯罪を犯す事さえ先祖からもらったDNAがそうさせていると言われています。
もし、そうだとしたら、やはりそういうDNAを持ち合わせている人々と縁を持つ必要はことさらないかな、とも、最近考えます。むしろ避けたいかも。

私の夫は建設会社に勤めておりますが、工事をする際に、近隣から言いがかりをつけてくる人が必ずおり、(お金をせしめるために言いがかりをつけ脅してくるのです。会社は事を荒立てない為にお金を出したりもするそうです。)
その人々というのは、やくざと部落の人なんですって。
または、部落の人を装ったやくざ、だそうです。

私自身は差別には反対なので、そういう教育を子供にしたつもりですが、世間を見渡すと、どうしたものかと悩みます。

投稿日時 - 2007-05-03 02:02:40

ANo.131

必要ないと思いますよ。
部落差別自体、昔の人が作った造語だと思うのです。
人を見下すような言葉を教育の場で教えて何の意味、
又は子供達に何を伝えることができるのでしょうか?

これから成長していく子どもたちには、もっと違う大事な事を教えていった方がいいと思います。

投稿日時 - 2007-04-12 14:06:00

ANo.130

部落の人に対しても部落の外の人に対しても、必要だと思います。部落差別(部落に限らず、その他の差別問題などもそうですが、)のことを勉強し、その差別が生じた政治的、社会的要因、歴史的要因などを勉強し、果たしてその差別は意味のあるものか?という事を考える必要があると思います。そうしなければ、社会は変わっていかないのではないかと思います。

ただし、現在(すくなくとも僕が受けた頃)の日本の同和問題についての教育はそこまえ深く掘り下げて議論などせず、(極端に言えば、)そういう問題があるという事を暗記するのみでした。その程度でしたら、やる必要はないですし、逆効果になる可能性があります。

僕がその塾の先生でしたら、一緒に部落差別について議論し、「部落差別は実際には意味のないもの」という結論までたどりつけることを目差します。

投稿日時 - 2007-04-08 08:42:16

ANo.129

皆さん答えられているように、
同和利権をむさぼる同和地区の方が多いのが事実で、かつ行政としては昔そういった地区の方が虐げられた歴史があるためそれを振りかざされたら優遇しないといけないのが現実です。

しかし長野県の田中元知事のように同和優遇措置を取らないという方針を打ち出す方もいますし、最近、市役所などでまともに公務をせずにお金を貰っている同和地区の職員の方が問題視されており、今までの隠された部分が改善されようとしていますし、国が変わればなあ・・・とは私はいつも思います。

ただ完全になくなることはないとは思いますね。同和の団体の方は裏社会の方が多いですから・・・看板などを堂々と掲げている同和団体の方々は国を食い物にするために同和を風化させない事を望んでますしね・・・

社会問題としては知る必要はあると思います。
ですが訳も分からない子供に教えることは、子供同士でのくだらない差別を生むことになり兼ねないし、そのせいで同和地区の子供たちを今問題になっている同和の悪い方々のようにしてしまう可能性がありますし。
こんな昔があったけど、差別はしちゃダメだよ・皆平等なんだよ、
という教え方ではなく、
こんな差別があって今こんな社会問題が起きてるんだよ、
国がやっている事が問題を生んでいるんだよ
というふうに教えるべきなんじゃないかと思います。
学校では無理でしょうが、ご質問者さんの状況ならそう言ってあげたらいいのではないかなと思います。
現実的には同和団体の方が国を強請っている状態ですが、やはり国から・自分たちから変わらないとという意識は、頭ごなしにダメだよと言うよりはいいかと。

私たちが払っている税金を今やエタもヒニンもない時代に、行政が勝手に一部に優遇して使っている事が私はイヤなので、同和差別なんてくだらないと思っています。

投稿日時 - 2007-04-08 01:08:54

ANo.128

24歳です。
差別発言だと言われても仕方ないのですが、たまに被害を受ける立場からの意見です。

川を挟んで向かい側がそんな地域です。
伯母が、住所を聞いただけで見合いを断られたり、近所の人が就職で困ったり、ということが10年ほど前までありました。

自分達が知らなくても、世間の人が知っていて、気にしているのだから、当事者は知っておかなければならないと思います。

今、付き合っている人の実家が、別の県なのですがやはり部落の近くで、親には結婚を反対されています。
親曰く、妹の結婚に支障が出たらどうするの!
とのことです。

部落ったって大したことないでしょ?
と、部落の知識無く、このような問題に直面したら、どんなにショックだろうかと、私は思います。

投稿日時 - 2007-02-17 17:15:10

ANo.127

私の実家のある市も部落地域があり、小学校の時部落教育を受けた立場ですが、必要ないと思います。

実体験として、小学校でしばしば逆差別(担任教諭が部落地区の子供をひいきして可愛がる)が起こっていたんですよ。
恐らく、先生も部落地域の子供の親に「差別した」と怒鳴り込まれたら立場が危うくなるので、ひいきしていたのだと思いますが…

他には具体的には書きませんが、実家のある市では同和利権がはびこっていてひどい有様だったので…。

という事で、私は教育を受けましたが、部落地区(特に利権)に関しては苦手です。正確には、教育を受けたために苦手意識が生まれたのかもしれません。

恐らく、部落教育を行って部落の存在を知らしめ続けることで、利権を確保しつづけているんだと思います。

投稿日時 - 2007-02-05 05:08:24

ANo.126

確かに知ってしまうと人間である以上、ついそんな目で見てしまうことがあると思います。しかし、知ることで得ることの方が遙に多いような気がします。
教育で部落差別を教えることは、両者を守る為に必要なことだと私は思います。
「知らなければ差別は起きない」よりも、「知っているから差別は起こさない」という人間が増えてほしいと思います。

投稿日時 - 2007-01-19 18:08:53

ANo.125

私も道徳教育としては教えるべきではないと思います。
というか、
今まで(少なくとも私が受けてきた範囲では)の教育で、差別をしない心を育てることは難しいと思います。

やるなら、
歴史的事実として、日本史でこんなことがありましたという情報程度に留めておいて、
それを踏まえて
・なぜこんな策を施行したのか?
・それによりどんな仕打ちを受けたのか?
・別の方法は無かったのか?
・その事実を踏まえ、現代社会でどんな教訓が得られただろう?
等を論議させるほうが建設的ではないでしょうか?

無理やり忘れようとすると、臭い物にフタだとか、今まで差別を受けてきた人たちの立場はやりきれない思いがするでしょうが、
今の世代で根絶しておかないと、これから生まれてくる子供たちにまで影響が及んでしまう。
今の世代として、それは阻止しなければ。
辛いとは思いますが、100年後を見据えて行動すべきかと思います。

他の差別問題と違い、同和問題は解決できない問題ではないと考えますが、言い過ぎでしょうか?
もしここで言い過ぎという人がいたら、その人は最初から解決させるつもりのない人だと思います。
難しいとは思いますが、やるべきです。

病気(ハンセン病、HIV、その他伝染病など)や経済状況による差別など外見から解るものは
どうしても差別を根絶するのは困難です。

もとより
資本主義なんて差別をうまく利用した制度でしょ?

人って本能の部分で差別しますから。

同和教育中にその出身者が肩身の狭い思いをするんじゃあ、何のための教育なの?って思わずにはおられません。

教育者自身が差別してるじゃん!って思います。

投稿日時 - 2006-12-13 18:08:06

ANo.124

私はもう教える必要は無いと思います。
特定団体が自分達の利益保護の為に叫んでいるだけです。
現在、私の住んでいる近くが昔、部落だったらしく、マンションを建てるにも、マンションを借りるにも、市からとんでもない程の補助金を受けて、考えられない程安い金額で済むそうです。
市の財政が、危機的なまでに赤字なのに、いつまでも優遇されています。これはもはや、逆差別になっています。京都市や奈良市で問題になっている市職員の不正も根っこはここにあると考えます。

投稿日時 - 2006-12-12 12:02:40

ANo.123

教えた方がいいと思います。名指しである必要はないですが
無知だと、どこかで変な知識を貰った時に
見下してしまう可能性があるからです。

私はそれこそ団地住まいの転勤族で、
部落出身者かは自分でも知らないですが、

出身が福岡県なので、市規模・県規模のキャンペーンは良く見ます。
旧産炭地を抱え、確かに地域によっては都市問題も発生しているので
同和問題や同和教育には特に熱心です。
周囲でも部落でのイジメってあまりなかったです

ただ、具体的な町名を出すとくすくす笑ったり、
あそこは怖いなんていう人もいるので、
間接的な部落差別はあるのでしょうが、
皆意識していないと思います。

「@@町は部落だからキモイ」みたいなのはないです。
おばあさんとかはあるかもしれないけど。
逆に言えば、「・・町は柄が悪い」が差別表現であると言うことを
隣保館や周囲の人のを話をきいて、何となく理解させるには
今くらいの、名指しなしの同和教育くらいがいいのではないでしょうか?

関東の学校に言った時、関東では同和教育がないので、
色々知らずに変なことを言う人がいて、なんだか不快でした
同和教育を受けた人の悪意はまだ、
悪意なりに嫌だけど、これはイジメだなと理解できますが、
無知な人の差別をなくすのは大変だと思います。

投稿日時 - 2006-12-08 17:08:16

ANo.122

私は、必要ないと思います。私自身が出身者だからかもしれませんが、小学校・中学校とそのような教育があり、子供心に傷ついた記憶があります。私もこんな授業がなければ・・・・と思っていました。だって普通みんな知りませんよね?知ることで差別心が生まれる可能性だってあります。結局友達にも言えず・・・って感じでした。私にとって、同和教育は苦痛でしかなかったです。

投稿日時 - 2006-12-08 16:32:32

ANo.121

私の中学校は部落にいる人達が半数と多かったので結構そのような教育を受けさせられました。
しつこいぐらい道徳や朝の朝礼で受けたので「もう分かったよ」と内心うんざりしていたことも確かです。
しかし、やはり歴史を教えて貰うと酷い扱いをずっと江戸時代
(だったかな)から受けてこられ、まともな人間扱いをされなかった、これはいけないことなんだと周りに自分たちのされたことを受け入れて
欲しかったのだと思います。

現在でも一部では未だに部落差別は残っていますので、やはり教えて
いくべきだと思います。また、過去に身分制度を持って差別されてきたからといって、それが不当な事であるのは当たり前です。
もし友人が部落出身者であっても現在、身分制度がないように何も
変わりはないと思います。

投稿日時 - 2006-12-08 16:32:05

ANo.120

私も部落差別の教育は見直した方が良いように思います。
私が(たぶん)非部落の出身だからかもしれませんが、学校で部落差別の授業をしなかったら、部落の事を知らずに過ごしていく人はいたんじゃないかとは思います。
もちろん、差別はいけない事なので差別はしてはいけないと言う教育はしなくては行けないとは思います。
現在の彼女が中学の頃いじめにあっていて、市の方に相談に行ったら、その市の職員が「お宅は部落の出身とかではないですか?」と、彼女の親に聞いてきたらしいのです。彼女の親はそれにショックを受けてしまったらしいのですが、その様な事を職員が聞くのは問題ではないのか?と思ったこともありました。
部落の問題は、私があまり知らないだけで、色々あると思うので過去のことには出来ないとは思いますが、現在での部落の差別のことをあまり教えないで、差別は間違っていると言う事を重点的に教えていき、差別をしている人を止めていくような教育をしていくべきではないでしょうか?

投稿日時 - 2006-12-02 03:26:26

ANo.119

教えることは必要でしょう。
というより知る権利があります。
その学生が知りたくなかったとはいえ日本の過去の歴史ですしそれを知ることによって差別はいけないとより考えるでしょう。
教育者の貴方が教えなくていいとは信じられない発言です。と私は考えます。

投稿日時 - 2006-10-09 17:33:38

ANo.118

教育として教える必要はない事だと、私は思います。

私は、現在20代で、その中学生と比較的近い年代と言えるのかもですが、
部落だからどうのこうのだと、言うのは、気にすらした事が有りません。

あくまで、私の主観で言わせて頂くのであれば、
確かに、今なお部落差別をする人は、いるのかもしれません。

しかし、そんな方々の頭は古くて凝り固まっているのだと感じます。

おそらく、そのショックを受けたと言う中学生の方は、とても優しい人だったのでしょう。

大体は、学校で教わっても、私みたいにスルーですよ(笑)

後、将来的に部落差別意識を持った人に遭遇したとしても、
違和感を感じて、受け入れる事をしないと思います。

投稿日時 - 2006-10-05 22:12:30

ANo.117

必要ないと思いますね。
というより、他の方も書いているようですがジャンルが細かすぎる。部落だけでなく、いけない差別はいくらでもあるわけで、それをひとつひとつ××差別が、○○差別が、とやっていたらきりがないでしょ?
非常に観念的だけど、するなら差別そのものを無くす教育じゃないかな?
そもそも部落問題だけを特別視することこそ「差別」だと思うし。

自分も高校の時に担任が異常に熱心で、知りたくもなかった知識をガンガン教え込まれました(笑)
当然、わからないから「どこが部落でどう差別されてる?」って聞いたら答えられないし。。。
最悪だったことは、仲の良い友人が韓国籍だったんだけど、高3で免許を取るまで自分を含む誰にも言えなかったってこと。
本人も言ってたけど、あれだけ授業時間にガンガンアピールされたら「俺、韓国籍なんだ」なんて言えないわな。
韓国籍だからどうだって事はないけど、同和教育のせいで隠し続けなくてはならなかった友人の気持ちを考えると、やりきれなかったしヤメるべきだと思った。

暴論かもしれないけど、差別されたこともないのに差別反対を叫ぶ人は上から見下ろしているような気がしてならない。かわいそうだから助けて「あげる」みたいな。
本当に望まれてしている行為なのか、相手の立場に立って考えた方が良いのではないのか、と。

少なくとも高校の友人はやって欲しくなかったのだから。

部落差別に限って言えば、語り継ぐべきことではないと思う。もちろん、境遇を作った世代や差別した人間は、反省して忘れるべきではないと思う。
ただ、今の世代(どちらの側も)には不必要な知識であり、極論すれば「歴史のノイズ」でしかないだろう。
外に出て行く人間、再開発で普通の町になっていく地域、いずれは消えていく「負の遺産」をいつまでも語り継ぐような同和教育は不要だと思う。
そして一部の人間を除いて、被差別側もそんな知識は広めないで欲しいと思っているだろう。
もし同和教育というものが必要であれば、それは孫や子供に部落差別を教え込む爺さんや親父に対してだと考える。

長い割に回答やアドバイスになってないけど、経験に基づいた自分の意見を書かせてもらいました。

投稿日時 - 2006-09-24 02:31:11

ANo.116

部落差別ははっきり言いますがいけない事です。
同和教育は必要です。
どこの地域が、という名指しについては不要だと考えていますが。

同時にこのような問題もあります。
同和団体または同和を名乗るえせ団体が役所などに物品をむりやり買わせたり、事業(食肉や皮革、芸能など)の利権を独占したり、自分たちは差別されているのだからと自治体から過剰な補助金をせしめたりするのです。
同和地区の人たち全部がこうではないと思いますが、悪どいことをしている彼らは本当に差別をなくしたいのでしょうか。差別してもらわなければ困る仕組みになっていないでしょうか。

投稿日時 - 2006-08-24 07:41:55

ANo.115

私も、教えなければとずっと思っておりました。
知らなければ、差別しようがないですし。
というのも、大学の時に連れの彼女が
出身者だったみたいで
「教えなければ、知る人は減っていくと思うし、
私は部落の存在すら知られたくない。」と言ってたらしいです。
(連れには、将来を考えてか伝えたそうです)
教育上必要であるなら
部落の存在ではなく
「差別をしない」という心を育てれば、部落の存在を何かで知った時に、間違った考えをしなくていいのではないかと思います。

投稿日時 - 2006-08-23 20:06:45

ANo.114

一般的には部落差別教育ではなく、同和教育だと思います。
私は30代半ばでしっかり同和教育を受けた世代です。そのようなことを教わったときは意味がわかりませんでしたが、高校生になったとき、ある地区に立っている市営住宅がなぜそんなところにあるのか、また住んでいる人たちがどうしてそんな生活なのか、リンクして知る機会がありました。それから、今現在は別の場所に生活の基盤を置いていますが、ここでの生活が長くなるにつれ、その地区を知る機会が増えています。今住んでいる市(政令指定市ですが)は、同和地区はことごとく再開発され、人のすまない公共の建物が立っています。これはなかったことにしようとする市の意思の現われだと思います。
知らないかったで済まないのはSEXと同じです。そういうことがあるんだ、くらいでもいいので、必要だと思います。その上で、質問された子にはそういうことを説明すべきなんじゃないでしょうか?今の子は頭いいから、きっと理解すると思います。

投稿日時 - 2006-08-20 18:54:16

ANo.113

#111です。
これは私の知り合いAさん(今は50歳くらいだと思います)が話したことです。
その人は非常に優秀で、(たぶん上級)公務員試験を県内で5本の指に入るくらいの
成績をとったそうなのですが、一緒に受けた友人Bさんはもっと優秀だったそうです。
しかし、Aさんが受かった役所にBさんは落ちたのだそうです。
Aさんは「Bさんは人物的にも優秀で、落ちたとすれば被差別部落の人間
だからという理由しか考えられない」と言っていました。

部落差別と関係あるかどうかはわかりませんが、私の住んでいる地域では
「県庁に勤めるには本籍が県外だと駄目」という噂もあります。
お役所で差別が行われているのかどうか真偽ははっきりしませんが、
逆に言うと、真偽がはっきりしないような所では差別が行われている可能性もあるとも言えます。

仮にこの事実を知っている父親がいるとしたら、
子どもが被差別部落の恋人を連れてきたときに、結婚の賛成はしないでしょう。

かなり信頼性の薄い話を書いてきましたが
「部落差別が無くなった」と考えるのは早計な判断だと私は思います。

投稿日時 - 2006-08-09 08:10:40

私は必要だと思います
私の通っていた小・中学校は週に1回人権教育の時間があるくらい人権教育に力を入れた学校でした
当時は、その中学生と同じように、寝た子を起すな!という知らなければ、差別もしないし、興味もないし、人権教育なんて今更分かってる事ばかりで時間の無駄、とすら思っていました。
ですが、今は人権教育を受けていてよかったと思います。というのも、人権教育を受けていない世代のあからさまな差別発言を聞いたからです。
知らない事は怖い事です。
また、中学生の時に担任の先生が、「知らなければ差別はなくなる」という意見について
「知らなければ確かに差別はなくなるかもしれないが、それには何百年もかかるんだよ」
「知らなければなくなるかもしれないけれど、次々と新しい差別はうまれるんだよ」
といわれ、納得しました。
嫌だな、とその時は思っていてもその中学生もふと気づく時がくるかもしれませんね。
私の住んでいた地域は部落差別問題が一番の課題として取り上げられていましたが、地域ごとに違うはずです。
在日問題、職業など様々ですが、まず知ることではないでしょうか

投稿日時 - 2006-08-08 08:39:54

ANo.111

回答と言うよりも質問になりますが。
部落の人と不通の人はどこが違うのでしょうか?
東京と大阪の人では考え方も当然少し異なるはずです。でも東京と大阪の人が結婚するのに問題(距離的に遠いと言うのは別ですが)だという人は居ないと思います。
そもそも差別とは異なった地域、または宗教の属する人を蔑むことと思いますが、異なることがなぜ駄目なのかを考えるように指導すればいいのではないかと思います。差別してはいけないと教えるよりも、どうして差別されているのか、歴史的な経過なども指導すれば良いと思います(昔農民の生活が非常に苦しかった為、彼らよりもひどい状況の少数の部落民を作ることで、あなたの生活は彼らに比べると我慢できるでしょ、となっとくさせるために政府が勝手に作ったのですから)

投稿日時 - 2006-08-07 16:14:54

ANo.110

私が通っていた小学校の通学区には、被差別部落が含まれていました
ので当然ながら、そこの人たちも来ていました。
小学校の先生方も悩んだようで親とも相談したようですが、
誰が被差別部落の人なのかを公表した上で授業が進むことになりました。
小学校ですから、お互い友達の家には行ったり来たりしていましたので、
誰が該当するのかわかればどの地区が被差別部落かまでわかります。

「どの地区が被差別部落なのか公表しないことが大事」と言われている方もいるようですが、
実際問題として被差別部落を抱える地域では、公表しないことは難しいと思います。
かえって「コソコソ何やってるんだ?」となり無用の誤解を招きかねません。

部落差別問題を他人事のように思っていましたが、例えば結婚しようとする
相手が被差別部落の人だった場合、親類縁者(結婚式の時に初めて
会うような人)の中には、部落差別者もいるかもしれません。
そして自分の子どもが就職・結婚の時に部落差別に悩むようになるかもしれません。
質問にある中学生の発言は、非被差別部落民の論理だと思います。
その中学生のように私も思っていましたが、今書いたようなことを言われた時に反論できませんでした。

投稿日時 - 2006-08-07 10:14:07

ANo.109

私も小学生の時、あなたの生徒さんのように、
「部落差別についての勉強があった。僕はそんな事知らんかったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが良かった」
って思いました。

先生にそのまま言うと、「部落っていうことをちゃんと教えないと、間違った知識が広まる可能性があるんだよ」って言われました。
そのとおりだと思いました。

知らない子が、ゆがんだ知識をもつ大人から教えられたら、ひどい差別になりかねませんよね。

投稿日時 - 2006-07-24 19:05:30

ANo.108

80年代生まれの首都圏育ちです。
学生のときに教育を受けたかどうかは忘れてしまったのですが、入社教育で軽くふれられました。
その際に新入社員50人中2/3は言葉すら知りませんでした。
教育がいいのか悪いのかは私も判断がつきませんが、私たちの世代だと身近でそんな話はめったに出ないので、知らないと差別もしないと言うのは当たっているのかもしれませんね。

ちなみに本当かどうか分かりませんが、江戸初期に勝利した徳川側が敗者・豊臣側の一部を見せしめで住まわせた地域が始まりだと聞いたようなことがあります。
もしそうだとすると、差別される側だった人も昔は特権階級だったわけで…などと考えると身分や差別って一体なんだろうと考えます。

投稿日時 - 2006-07-20 04:42:23

ANo.107

No105さんのように
同和教育以前に
差別解消の第1歩は 行政や同和関係の団体が自ら同和地区を公表しないことです
関西の大都市O市へ行ってごらん スローガンの看板
張り紙 施設などですぐわかります
しかし 部落地名総監 企業購入したらだめ買う必要ないのに

投稿日時 - 2006-07-19 21:23:04

ANo.106

初めまして。

僕は必要だと思います。
やっぱり差別を“しない”ように、そういう知識を入れてるんであって、そこからは、おのおのの人間性の問題になってくるんで、難しいとこなんですが、少なくとも僕は良かったと思ってます。

小学校の道徳の時間からずぅっと叩き込まれてきたんですが、別にそういうの聞いて、どうしろって訳じゃなくって、「人を分けて考えたらアカンねんなぁ」と、心に留めておく程度でも、これから先、役に立っていきます。
やはり、その中学生の「知らなければ良かった」発言って、その問題に向かい合ってない、というか、僕から見れば逃げてるだけです。

投稿日時 - 2006-07-13 18:34:55

ANo.105

 人権教育は、ある程度必要かもしれません。しかし、ご質問の「部落差別教育」については、難しいところがあります。
 人権意識の教育には必要かもしれませんが、反面では寝た子を起こしてしまう事にもなりかねないからです。つまり、知らなければそれで済んでいたのにです。
 いずれにしろ、人間はこの世に生まれ出でた時より、平等で誰も差別をする権限も資格も無いという事です。
 そして、他人の痛みと悲しみを思いやる心を育てる教育が、最も必要かと思います。

投稿日時 - 2006-07-11 16:12:27

ANo.104

同和問題の教育は必要ない、もしくはそれ自体を止めるべきと考えます。
関東に生まれ育ち、関西の某市に引っ越した際に、差別を禁止するための同和地域対策MAPと言う、地域がわかるものを頂いたことがあります。
これを発行しているのは、市の同和対策室です。

実際に行政・教育が行っている同和対策とは、同和地域を解消することではなく、常に毅然と線引きするものに他ならないのです。
言い換えると、歴史に埋没させること無く、同和問題を解消させないことが目的であると言えます。

日本の転覆を企む南北の在日とは異なり、同和地区であろうがなかろうが日本国民には変わりません。
塾の生徒には、日本人同士で差別してどうする?と言って置けばいいのではないでしょうか。

投稿日時 - 2006-04-27 13:08:25

ANo.103

私は,必要だと思います。
教育関係で仕事をしていますが,子どもたちは親や周りの大人の偏見がなければ,まっすぐに考えてくれます。そして,仕事現場でいるときは,私も,自分の事を気にせずいられることもあります。
私は,いわゆる,被差別部落に住んでいます。
ただ,何も知らない友だち同士や,一般の人と話をすると差別は,全然なくなっていないと感じます。
私は30代半ばの年齢なのですが,最近,一人で寂しいので結婚をしたいと考えています。
差別はなくなったとはいえ,結婚は別物みたいです。
やはり,自分のことや親戚のこととなると,普段差別はしない人でも,地区の人は絶対いや。と言われます。結婚相談所でも,地区の人でも良いという人は少ないし,あまり選べないと,いわれました。
私は,現代社会は,だんだん,部落差別を学ぶことが少なくなって,逆に差別が残ったままになっていると思います。
本質をしっかり,学んで欲しいと思います。
まだまだ,同和教育は,必要です。

投稿日時 - 2006-03-30 14:27:45

ANo.102

過度な教育は不要と思います。
差別はいけないことだ、という一般論で十分ではないでしょうか。

部落差別の度合いは、教育熱心な地域の人のほうが強くはありませんか?

私は東日本で育ち、あまり部落差別のことを教わってきませんでした。
部落差別がいまだ存在する、ということも、去年知りました。

けれど、インターネット上に限ったことなのかもしれませんが、私よりはるかに多くの時間、同和教育を受けているはずの地域の人たちが、恐ろしいほど差別的な発言をしているのをよく見ます。

そして私はほとんど同和教育を受けていないにもかかわらず、彼らの差別的な発言を、不快に感じます。

差別はいけない。

これは常識として染み付いていることであり、人は教育されなくても「差別」そのものを軽蔑するものなのです。

特に部落差別問題については、教育を受けている地域の人に限って「利権問題」を口にするのではありませんか?
教育を受けていない、無知な人のほうが「差別するなんてひどい!」と言うはずです。

そして一番嫌なことですが、東日本の住民たちの多くが知らないだろう、東日本の部落地区を、離れた場所に住んでいる彼らのほうが、熟知しているのです。
おそらくその地区は、かつて部落地区だったとしても、今はその歴史が消えかかっている場所でしょう。(なにしろ近隣住人が「知らない」のですから。知らなければ差別しません)

消えかかった差別の火を再燃させる行為です。

あまりにも差別の根が深すぎて教育するしかない地域は仕方がありません。

けれど、現在、差別のない地域であれば、過度な教育は逆効果をもたらすと思います。

あえて同和教育なしでも、現代日本の教育ならば、差別を憎む人間は育ちます。

投稿日時 - 2006-03-24 02:06:35

ANo.101

私は、その言われている部落地域に住んでいます。
私も含め子供達も部落差別の勉強をしています。
ご質問を読んでとても不安になったので投稿させていただきました。

塾で教えている中学生が、
>「部落差別についての勉強があった。僕はそんな事知らんかったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが良かった」と言いました。
この中の 『ついそんな目で見てしまう』です。
ついそんな目で…ってどんな目なんでしょうか?
学校はいったいどんな教え方をしたのでしょうか?
正確できちんとした事を教えていたなら、ついそんな目で…なんて思わないはずです。
そのための「部落差別教育」「人権教育」なのですから。
教える側にも問題があるのですから部落差別についての問題も消えない(正されない)のだと思いました。
まだ、こんな教育の仕方をしている学校があるのですね。
投稿が3年程前なので、改善されている事を望みます。

投稿日時 - 2006-03-05 18:35:43

ANo.100

私は必要だと思います。
私が学校で習った頃には、とうにそんなものはなくなり、歴史の一事実にすぎないと思っていました。部落の出身だという友人がいたとしても、「へえ」ですませたことでしょう。大抵の人は、そうだと思います。
しかし現在でも、「あいつは部落出身だ」とそれだけで蔑む人や、結婚の段階になって調べ、親戚中から反対されることもあるそうです。
なぜ部落ができたのか、どうして差別されたのか。そしてそれが正しいことと思うか。
そういったことを考えるべきなのだと私は思います。
無知は罪とも言います。知らなければ、確かに差別することはないでしょう。しかし、将来知らないそのことについて、信頼できる人から「差別するものだ」と言われて、そういうものだと思い込んでしまったら。
そのことのほうが、私は恐ろしいと思います。

投稿日時 - 2006-02-28 02:07:21

ANo.99

私は必要ないと思います。高校で同和問題について取り扱い、講演者から話を聞いたりしましたが、いまいち実感が沸かない。自分の身近に部落地域があるなんて全く思っていませんでした。確かに一部では残っているけれど、もうほとんどの人は全く気にしてない。だから、そんな話をされても興味をもてないという感じです。私もそう感じました。だから、いちいち多くの時間を割いてまでやることはないと思います。塾の講師なら、やる気のない生徒に勉強を教えてもむなしいと感じますよね?そんなところです。

投稿日時 - 2006-02-23 13:17:43

ANo.98

永遠に必要かと言われれば疑問がわきますが
現在のところ、部落差別は一部で残っています
また、この問題を逆手に取る人たちもいるわけで。。。
こういう差別があるよ、って大人になっても覚えている程度で十分で、逆に詳しく知る必要もないですが、知らないよりは知っておいたほうがいいですね

投稿日時 - 2006-02-18 18:34:06

ANo.97

現在大学で同和教育について学んでいます。

「知らなければ差別する事もない」
これは大きな間違いだと思います。自分自身が知らなくとも、他に必ず被差別部落を知る人は存在します。その人たちが差別の意識を持ち続ける限りなくならないと思います。自分たちが差別しなければそれで良いのですか?

本題の部落教育についてですが、これは必要なものだと思います。人間長い人生を生きていればいつか部落差別と出会う日が来るかもしれません。このとき部落というものに対してある程度の知識、たとえば部落差別の歴史、どのような差別があったのかといったようなものがあれば、より良い対応が可能になると思います。
知っているのと知らないのとでは大きく違います。
ただ、人の考えは十人十色なので、今回の中学生ようなケースも出てくるとは思います。
そのようなリスクを冒してでも、教育を続ける価値はあると思います。

文章力ないんでこんな文になってしまいましたが・・・

投稿日時 - 2006-02-17 12:16:23

ANo.96

なんとなくですが、

警告のために泥棒や詐欺の手口を公開すると「そんなことをするから、模倣犯が出現するのだ」

と反対する人たちの言い分に似ているなぁと思いました。

投稿日時 - 2006-02-17 04:29:38

ANo.95

いくつか、私の回答によるものかなと思います。

>1.「知らなかったら差別をしない、とは言えない」

ではなく、「知らない人が増えたら差別はなくなる、とは言えない」です。
どうしても存在する「知ってる人」の間で、続けられるのが差別なのです。

>2.「教育していないと将来知った時、差別心が生まれる」-現実には教育によって差別心が生まれているのが分かります。

目的は「正しく理解する人を得る」ですから、当然そういったリスクは覚悟の上でしょう。

私の住む町は新興住宅地ですが、いわゆる「井戸端会議」で、「知ってる人」がまず親たちに教え、子供へと広がっています。
教育がありませんから、親の言うまま、子供も公然と悪口を言っています。
公立学校の学区割りでは、一つの学校が部落専用と化しています(ガラガラです)。
事実上、結婚の自由もありません。

町では教育を反対するので、部落の人たちの中には、違う町の人たちに現状を訴え助けを求めていますが、答えは教育反対派と同じ「ここで部落問題を語ると、関係ない私たちにも差別者が生まれる」です。
そんなこと、覚悟の上なのですが。

そうやって理解者を得られず、ひっそりと差別が続いています。

投稿日時 - 2006-02-17 02:28:50

ANo.94

全部読ませていただきました。
多くある意見の中に「?」と思われるものがあるので書かせてもらいます。

1.「知らなかったら差別をしない、とは言えない」
-これは明らかにおかしいですね。知らなければ差別のしようがありませんから。

2.「教育していないと将来知った時、差別心が生まれる」-現実には教育によって差別心が生まれているのが分かります。No66の回答は重いです。教育賛成派の方は心すべきです。

3.「男女差別や身障者に対する差別も同じ」-違うでしょう。男女や身障者に対する差別があるとしたら見た目で生じます。部落差別は見た目ではありません。だから難しい問題なのです。“差別をなくす教育として部落も”なんて安易な取扱は厳に慎むべきです。

で回答ですが、
その中学生には「何についても知らないより知っている方が良い。後は自分の情報処理の問題。この問題で言えば、自分の心に差別心を持たせないようにする事」と答えれば良いと思います。

「部落差別」教育は特別の教育としては不要でしょう。
社会の問題でなく歴史の問題として取り上げるべきと思います。ただ勿論他の教育同様現実に酷い差別が行われているのであれば行うべきだと思われます。

投稿日時 - 2006-02-16 16:55:35

ANo.93

回答がたくさんですので、全てを辿ってみずに回答します。
同様の回答が、既に寄せられている事と思いますが.........。

私も部落差別についての教育は必要だと思います。と言うよりも、
強調して教育すべきなのは『差別』についてですね。部落差別しかり、
外国人差別しかり、障害を持つ者への差別しかりです。

差別全体について考えると、『なぜその差別が生まれたか』を知りたく
なると思うんです。差別が起こった歴史を解く事=差別についての教育
をする事は、その差別が正しいものではないというのを知る事に繋がり、
それが、差別がなくなる世の中(?)に繋がるのではないかと思います。

個々の差別の存在自体を知らずに、依然存在するそれら個々の差別を
前にしたら、同様の視点を持つ可能性があると思うんです。

何についても、正しい由来やその実像を知る事は、大切な教育だと
思えます。

ただし、なにか一つの事についてのみ強調して教育にあたると、ある種
の差別については、様々な補助があるのも事実なので、『差別を盾に
利権に甘んじている!!!』というような意見が出るのもわからなくは
ありません。

総合的な差別に対する考え方と、各論としてそれぞれの差別の歴史を
勉強するようにすれば、表題のような疑問は無くなるのではないかと
思います。同時に、人には選別する目とそれに伴う区別する視点もある
というのは教育したら良いと思います。中には、『区別しているという
軽い気持ちで差別している』方や、『差別の気持ちに罪悪感を持って
いるが実は区別の域だった』という方もいらっしゃると思いますから。

ちなみに、分類したら私も被差別者に入ると思います。

投稿日時 - 2006-02-14 01:08:22

ANo.92

読んでますと、「気にしない人」からの視点ばかりですね。

問題は、どんなに気にしない人が増えても必ず存在する「気にする人」に対する教育なのですが。

民法上の権利を持ち出したりして「なかったことにしよう」と放り出され、忘れ去られ、そうやって「気にする人」の間だけで、孤立して残っていくのでしょうね。

投稿日時 - 2006-02-10 23:11:51

ANo.91

結論から言えばいらないと思います。
私はいま20代の後半ですが、同じく中学生の頃に部落差別というものがあったと知り、「へーそんなものがあったんだ」と思いましたが、それだけです。
「そんなナンセンスなこと、昔の話でいまは全然関係ない」という意識でしたので、もちろんそれを理由に誰かを差別しようなんて露ほども思ったことはありません。
はっきりいって、このまま放っておけば忘れられていくと思いますし、それでいいと思います。
それよりも教えるべきなのは、「どんな理由であれ、人を差別してはいけない」という倫理観ではないでしょうか。

投稿日時 - 2006-02-10 01:11:23

私は、実はもう部落差別(同和)問題なんて、存在しないんじゃないかと思いますよ。
確かに、お年寄りなんかで「部落民だから」とか言う人はいないことはないでしょうが、実生活においてはもう、存在していないじゃないですか。
選挙権もあるし、もちろん公共サービスは公平に受けてて、差別部落だけ道路が舗装されないなんてこともないし、就職だって、結婚だって自由にできていて、具体的な部落問題を確認できる場所がないじゃないですか。
じゃあ、どうして依然として同和問題という言葉が残っているのかといえば、左翼の日教組と、暴力団のエセ同和団体が利権のために利用しているんだと思っています。
私がもし、自分の息子の学校の先生が、同和問題を教育現場に持込むなら、今ある差別の具体的事例を示せと、抗議しますね。

投稿日時 - 2006-02-08 13:22:28

ANo.89

私は大阪に住んでいますが、こちらはそういった問題が多いらしいですね。(逆差別も発生したりするそうです)
小さい頃は北海道でしたので、「アイヌ人に対して、『あ、イヌだ!』と言って差別しないように」と言われ、ちんぷんかんぷんながらも、
悪口を教えなければいいのにと感じたことがありました。
結局、だれがアイヌの方なのかはわかりませんでしたが。
少数だから差別になるのだとしたら、それは島国根性だからでしょうね。
違う話ですが、私の友達は、「あなた韓国系?」ときいただけで(当たっていたのですが)激怒されました。

確かに、差別自体はあまりよろしくないけど、無くなるものでは無いと思います。
『私は柴犬は好きです。でも、ピンシャーは好きじゃない!』
そういうのを人は否定できないですよね。
差別を受け止めてこそ、そこからスタートなように思いますが、今の状態では
変な情報だけ与えて、見せないようにすると言った感じに受け取れます。

足が無い人に、「足が無くて、不便じゃない?」と心配してあげられるような社会になるのが、
本当の差別をなくしていくのだと思います。

投稿日時 - 2006-02-01 22:18:55

ANo.88

>知らない人が増えれば、自然となくなったり

タブーとして放置してきた時代があったのにもかかわらず、なくなっていませんね。
臭いものにフタ、という建前に押し込んでも無駄でした。
それによってホンネを押さえ込むことはできても、気にしないフリという偽善に傾くだけでした。

>ここから部落地域ですという看板も何もなく、知っている人だけが分かるものですよね。

見た目でわからないことがかえって、被差別者にとって、闘いにくいのです。

>未だに差別意識を持っている人はいるでしょう

そうです。差別というのは、そうやってしぶとく世代を跨いできたのです。

>私は、前記の中学生の発言に、どう答えれば良かったのでしょうか?

同和との付き合い方を考えさせれば良い。

>「部落差別」教育は、必要なのでしょうか?

どこが、誰が、を明らかにすることではなく、見えにくいが差別があるという事実を認識することは必要。

投稿日時 - 2006-01-23 11:29:57

ANo.87

すでに80件以上の回答が寄せられており、重複するかもしれませんが、
私もあなたと同じことを考えてきましたので、あえて書き込むことにしました。
私は、小中高と同和教育を受けてきました。

たしかに、差別があった事実を教えることで、その歴史を認識し、人々が反省でき、行動を改めるということができます。
しかし、「部落出身の人と結婚するか」という問題に現実的に直面したときに、同和教育を受けた場合、「結婚する」との決断に至れるかどうかです。
日本は、本音とタテマエをうまく使いわけることに非常に慣れています。
同和教育を受けた以上、タテマエでは、部落差別には反対と堂々と言うでしょう。
しかし、本音はどうかわかりません。匿名(と思われている)掲示板2chでは、部落差別の言葉があふれています。
私が部落の存在を教えるべきでないと考えるのは、(1)見た目では分からないから(2)上記で述べたように本音と建前をわける文化だからです。
例えば、アメリカでは黒人差別が未だに根強くあります。
黒人は見た目で分かってしまいますから、差別をなくすためには、その歴史を教え、差別の不当性を教える必要があります。
しかし、部落は日本人の中での話ですから、見た目ではわかりません。
部落の存在を知らない人が増えれば、徐々に気にする人がいなくなるでしょう。

それより、名前や見た目でわかってしまうのが、朝鮮出身の人やアイヌの人です。
今は特に、朝鮮出身の人は、日本国籍を持っている人でも、差別を受ける場合があります。
同和教育の必要性を訴える人は、この被差別対象者のことも考えないと、論理一貫性がないでしょう。

投稿日時 - 2006-01-20 00:12:46

ANo.86

僕は高校生で、中学生のときに「部落差別」についてのビデオを見たり、道徳の教科書で学んだことがあります。(高校生になってからは、そういう教育は受けていません。)
また、親が学ぶための講座というか集会みたいなものもありました。

それで、実際に教育を受けた立場から意見を書かせてもらうと、「部落差別の教育」は必要だと思います。
その教育を受けるまでは祖母からそういう話を少し聞いたことがありましたが、そんなに詳しくは知りませんでした。けど、そういう教育を受けて「こんなことはなくさないといけない」と思いました。
もし、そういう教育を受けていなかったら祖母から聞いた話だけで「そういうこともあったんや」と思うだけだったと思います。
「部落差別をなくそう」と思うのと「部落差別を知らない」のは全く違うことです。「なくそう」と思わなければ、「部落差別」はなくならないと思います。

ただし、「部落地域は○○です」などと教えるのはいけないと思いますけど。(僕はどこが部落なのかは教えられませんでした。)

投稿日時 - 2006-01-14 18:42:46

ANo.85

最近は、そのような教育があるのですね。私の時代は
それとなく親から聞き自分なりに解釈をしていました。
差別教育は必要はないと思われている方々は
必要なし=差別しないとの見解なのでしょうか?
以前知り合いから差別教育で差別はやめましょうと
先生が発言し生徒から「じゃ先生の子供が同和地区の
人と結婚する。」と言われたらどうしますか?と質問され返答が出来なかったそうです。この問題は、永遠のテーマかもしれませんね。

投稿日時 - 2005-12-23 15:32:06

ANo.84

ちょうど昨日夫とその話題が出ました。
私も夫も部落について教育を受けています。
受けているかえらこそ今の世の中に
見合ってなくばかげてると分かるのだと思います。
昨日は私も知らなければ、自然消滅するのに
教育は必要ないと考えていましたが、
いつ部落の話を誰かから聞くかも分かりません。
知らなければ差別の部分が間違いであると気付かず、
自分でないからと、あそこは部落なんだってと
知らず知らずに心無い発言をしてしまうかもしれません。
無知であるからゆえの間違いも
あると思います。
知らないから素通りできる問題でははいのでは
ないでしょうか。
自分が住んでいる場所にあったことであるからこそ
知る必要があると思います。

投稿日時 - 2005-12-12 09:23:08

ANo.83

私も必要無いに同感です。
同和差別の根本から学び、“差別”に対して、“差別に対しておかしい、間違ってる”と感じることこそ、解決につながると中学時代学びました。しかし詳しい事まで知りすぎて、私はひきました。(正直な話)かえって差別心が芽生えたと言っても過言ではありません。例えば、トイレをした桶を洗って、その中で食事をつくったとか。“味噌も糞も一緒にしてた人達だ”と祖母は言います。ひきます。
どのような暮らしをしていたか 写真や再現映像もみましたが、さらにひきました。

投稿日時 - 2005-11-25 19:00:13

ANo.82

すでに多くの方がご回答されているので、詳述は避けますが、やはり「教える事は必要」と考えます。しかし間違った教え方や偏った意見は、問題が非常に根深いものなので、決してしないでください。一個人としては、この問題が少しでも早く解決して欲しいと切に願っていますが・・・。

投稿日時 - 2005-09-15 09:14:42

ANo.81

「差別」と言う名の利権に群がる馬鹿の主張に同意する必要はありません。

具体例が一切無く、
・警察の捏造事件が数十件発生した中、唯一部落民で被害を受けた人が1件あったから
 狭山事件は部落差別事件である。
・部落地域は学歴が低いのが認定され 補助金(数兆円)が貰えたから
 部落差別は実在する
とかを主張していて侘しく無いのだろうか?

投稿日時 - 2005-09-11 14:26:31

ANo.80

知ってしまったから意識してしまうかもれしない。←その考えをただす必要が教育として必要なのではなのではないですか?知らなかったら意識しない、だから知らないほうがいいでは、結局「差別をする気持ち」がだめだということを、どんなに理不尽かということを直視するすべをしらないままになるのではないかと思います。
ではなぜ知ってしまったら意識してしまうの?どんな差別する気持ちがあなたにわいてくるの?と聞いてみたいです。その考えに向き合わせてから、話が始まるのではないでしょうか?学校で習わなくても、長い人生の中でそんな考えの人、話を聞くことはありえると思います。その時も聞かなければ意識、差別しそうになかったのに、とまた思うのでしょうか?学校という「正しいこと教える」ところで聞いた今でさえ差別しそうと意識が芽生えそうなのに、社会に出て、もっと偏った情報のかたちで出会えば、「そんなのはおかしい」ときっぱり思えるのかな。
どんな形であれ、被差別を受けてきた人たちや歴史があったのは事実だし、今後違う形で、被差別にかかわらず理不尽な差別が生まれるかもれしない。その時どう対処するのか教育として必要だと思う。差別はされる側で起こることではなく、その周り、外側が引き起こすことだから、当事者でないなら関係ないというのはおかしいと思う。
知らなければ意識しなかったと、いうことはすでにその人に差別の目は生まれているのだと思う。被差別にかかわらず、社会でレッテルを貼られたものには、そう見てしまう。そんな意識を教育で変えていかなればならないとおもう。

投稿日時 - 2005-09-10 13:20:10

ANo.79

こんにちは。ずいぶんいろんな方が意見を出されていて、びっくりしました。

結構さけがちな話題ですモノね。日常では。

>また、「部落差別」教育は、必要なのでしょうか?

必要ではありませんか?
知らなかったら差別をしない。とは言えませんよね。過去の出来事をなるべく客観的(人間である以上主観は入るますね)に伝えるのが教師の役目ではないでしょうか? 塾の先生にそこまで要求しては駄目?

>私は、前記の中学生の発言に、どう答えれば良かったのでしょうか?

難しいと思われるなら、あなたの感情を伝えるだけでも良いかも・・・・
子どもはきちんと自分なりに解釈してくれますよ。
あなたの生徒さんも「とまどい」を覚えて1番話しやすいあなたを選んだんだと思います。あなたの言葉で答えてあげてください。

投稿日時 - 2005-09-04 23:21:26

ANo.78

「部落差別」教育を、してはいけません。
なぜならこの問題を正しく把握し、理解し、子供たちを指導できる教師がいないからです。全くいないとは言いません。でも、教師数百人に一人くらいしかいないのではないでしょうか?もしも、ひとつの学校に最低一人でもいれば、こんな議論にはなっていないかも知れません。「部落差別」教育をしている教師自身、問題を正しく把握していないか、この話しが子供達の心にどのような波紋を残すかを理解できないでしょう。しかし教師を責められません。これは難しいことです。

投稿日時 - 2005-08-25 17:03:59

ANo.77

(以下はもちろん私の個人的な考えです。)
同和教育は必要です。

「教えてもらわなければ知らないですんだ。余計なことをするな。誰も何も言わなくなればいつか同和問題は消滅する。」納得できるような理屈に聞こえますが、こんなこと絶対にありえません。この世の中がそんなに甘く単純なものであれば何も苦労はいりません。

ほとんどの回答者の方が、部落差別を他の差別問題と同列に語っておられますが、部落差別の実態を知り、「他にもこんな差別がある」「私もこんな形で差別を受けたことがあるわ」と同列に並べた後に出てくる感想は何だと思います?「ああ、被差別部落に生まれなくて良かった」です。この差別の成り立ちは他の差別と全く異質のものであり、無くすことのできる種類の差別だと考えます。その手法は教育しかありません。

偏見をもった大人からの言い伝えや、片方の側面からのみ書かれた書籍などから差別の実態を知るのは危険です。勉強すればいろんな事がわかります。勉強すれば、何十年のこの差別は「なくなったこと」として教育しないで、差別がなくならなかった歴史があることもわかります。勉強すれば、すでに被差別部落に対する援助的法律も収束していることがわかります。教育も小・中学校の時に受けたのと、大人になってから受けたのとは感じ方が違うのは当然です。常に、一生勉強しつづけなければならないのでしょう。

同和問題は差別されている人達が抱える問題なのではなく、差別する側の問題です。そして、国連など世界から、日本の恥部として認識されている問題です。はじめて部落差別の教育を受けたときに、みなさんも「信じられない、いまだにそんなことがあるなんて」「根拠のない差別なんて理解できない」と衝撃を受け怒りを感じたことでしょう。その本能を大事にして現実を知っていただきたいと考えます。

投稿日時 - 2005-08-22 11:42:33

ANo.76

あくまでも私個人的な意見ですが、部落差別の教育そのものは不要な気がします。うまくいえませんが、社会的弱者への差別をなくす教育は必要だと思います。
こんなひどいことがあったんだよ。と言う話を聞かせる前に、同じ人間で、命の尊厳は同じという教育が必要だと思います。

私自身、親の出身地で私や私の親もとやかく言われたことがあります。
私の父が大手銀行に借り入れを申し込んだところそこの支店長に「何でそこの出身のお前に金を貸さなきゃならないんだ」みたいなことを言われたそうです。条件は満たしていたそうで、即刻その銀行のはす向かいにあった、別の大手銀行に預金をすべて移してすぐにお金を借り入れることができたそうです。ここでいう大手銀行とはどちらも初期の都銀5行(7行でしたっけ)に入っている銀行でした。
また、そこの出身地の生徒は悪いと恩師は言い「あなたはいい子だけどね」と言われました。とても、悲しい経験です。だからといって、自棄になったり、どこぞに訴えたりとかしたくないんです。余計に相手に「やっぱり」と思わせたくないから。自分の見方が偏見だったと気づいてもらえるように、私は私らしい中で誠意を持って相手と関わりたいのです。
難しいのですが、人を平等に、公平にみる教育が必要なのだと思います。部落問題だけではなく、人はいろんなことで人を差別します。思い込みや偏見が過去あった言う話しよりも、思い込みや偏見で人をみる恥ずかしさや、公平平等に人をみる尊さを教える教育の方が必要だと思いました。
答えになっているでしょうか?

投稿日時 - 2005-08-22 09:19:39

ANo.75

あまりに反応が多いので、重複する意見だとは思いますが・・・。

「知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。」

私もそう思いました。小学校で「にんげん」という教科書を使って道徳の授業で同和について習った時の印象です。
「なんて酷いことがあったんだ!」という憤りと一緒に、「知らない者には、知らせなければ、なくなるんじゃないの」感じました。

でも、やはりそれは違うと思います。
同和だけではなくて、世界中には、いろいろな形の差別がありますよね。
人権のことを大小言うのはおかしいとは思いますが、一番大きな差別は男女差別ではないかと思います。
世界の人類を2種類に分けて差別し合う、という点が、一番大きい、最後の最後まで残る差別なんじゃないかと思うのです。

同じ顔、同じ言葉、同じ宗教、同じ階級、同じく健康、それでもまだ「違う」と言われるのが、性別の違いです。
体の構造が違う、生理が違う、ライフサイクルが違う、最近では脳の働きが違う、などと、「科学的」な説明があとからあとから出てきます。
理解しあう為の研究ならいいのですが、その研究結果をもって「だから女は違う」とも言われてしまうのです。
考える機会がなければ、「男と女は違うから違うのだ!」で済ませてしまうでしょう。

別の例では、うつ病や不登校児。
よく知りもしない人が、決めつけてあれこれと言います。

際限がないほど、いろいろな種類の差別があります。ひとつの差別がなくなっても、人間は(主流にいたい人は)なにかあげつらって差別するものなのでしょう・・・。

同和問題に限って言えば、知らなければ、差別せずに済むでしょう。
でも、知らせなければ、差別に対する免疫は養われません。
世界の色々な問題についての考えも、差別がわからない分薄っぺらくなるでしょう。

痛みに共感することのできる心を育てていくことしか、解決方法はないのではないでしょうか。
その為には、人の境遇を知って自分の心が痛むという経験をするしかないと思います。
「知りたくなかった」と感じた気持ちこそが、差別をなくしていく為の、大事な一歩に違いないと思います。
「ついそんな目で見てしまう」自分を見つめることが大事です。私も、「ついそんな眼で」と思うことが、いまだに
度々あります。
今すぐ、たちどころに公平な人間になれ、ということではないはずです。
「知らない、考えない」ことではなくて、「もやもやとした気持ちがしてしまう自分」と向き合い続けることが、差別をなくすただ一つの道だと私は思います。

投稿日時 - 2005-08-22 01:54:45

ANo.74

未だもって、差別を知らずに一生過ごせる世の中になっているとは思えません。間違った形で、大人になって知るよりは、正しい形で、教えることが大切なのだと思います。

不要の方が、仰る意見は、総じて、正しく教わったのに正しく身に付いていないことが原因のように思えます。(大きな口を叩いて、すいません。)
同和教育は、差別の存在を「知ること」ではなく、差別をしない「心を涵養すること」です。
主として知識を授ける教育という現場において、これが大変難しく、必ずしも上手くいかなかった場合もあるでしょう。
37年にわたる行政施策においても、問題がなかったとはいえません。最近「行政は効率的に予算を執行すべき」という思考が出てきましたが、これまでの行政は、割り当てられた予算を使うことに重きがおかれてきました。このことが、逆差別を生む原因にもなりました。
同和に巣くう人も確かにいます。しかし、私たちは、同和以外の利権(政治や行政が係わる権益)に依存している人々がもっともっと沢山いることを知っているはずです。にもかかわらず、同和だけに特別な「ねたみ」の感情を抱いていることに気がつかなければなりません。

同和教育や同和施策は、「心」の問題に「知識」と「お金」で対応して来ざるを得なかった、過去における悲惨な実態がありました。少なくとも「お金」については、改善されてきた現在、「心」の問題の解決が必要であり、それは、やはり、教育をより所にしなければならないのです。

投稿日時 - 2005-08-12 02:41:13

ANo.73

私は現在20歳後半なのですが、私が小学生のとき受けた同和教育と同じような教育をしているなら必要ないと思います。というのも、私は京都に住んでいるので、同和問題というのは有名(?)だったのかもしれないですが、私自身は全然知りませんでした。それがある日道徳の時間に「同和っ子」とか言う資料を読まされ感想を書かされました。しかも同和の説明なしに。私は童話の誤植と勘違いし、夢見がちなこの話なのか?とぼけたことを考え間抜けな感想を書きました。家に帰ってから母親に本当の意味を教えてもらい恥ずかしい思いをしました。こんなあほな勘違いをするのは私ぐらいかもしれませんが、ちゃんとした説明なしの同和教育が今も続いているなら意味がないことだと思います。

投稿日時 - 2005-08-08 20:32:08

ANo.72

この問題には差別を受ける側にも「寝た子を起こすな」という考え方があるのは事実です。
ただ反対側の人間が不要論を言うのは、やはり教育が必要だと言う事を証明していると思います。
仮に知識が全く無い人が、結婚問題や住宅問題などの人生の岐路でこの問題に接した時、しっかりした知識や信念が無ければ「一応敬遠しておこう」という結論になります。
それは差別に荷担すると言う事なのですが、当人は「良くわからない」事を理由に「差別とは違う」と言って顔を伏せるでしょう。
新しい迷信が生まれる一方古い迷信がなくならない様に、ネガティブな情報はしぶとく受け継がれていきます。
迷信を信じて損をするのが当人であれば、自業自得ですが他人に害が及ぶとすれば、それはしっかりと公的な教宣により根絶する必要があります。

投稿日時 - 2005-08-08 14:17:55

ANo.71

これは難しい問題ですねえ…。
地域によっては不要とも言えるし、必要とも言える様な。
私の生まれ育った地域は全く部落差別などない世界
(ただ、田舎だったので新旧の住人差別、例えば100年以上前から住んでいる人は偉い、ここ数十年以内に越してきた人は新参者、みたいなものはあったようですが…)
でしたが、京都に越してきて、同世代の人が部落差別的な発言をしていたのに大変驚きました。
今の子供たち、と言ってもどこに住んでどんな環境で育ってきたのかによって、全く変わってくると思います。

投稿日時 - 2005-08-01 22:53:14

ANo.70

 私も中学校の時に部落差別のことを教わりました。(10年以上前ことなのでうろ覚えですが)
 はっきり申し上げて、必要ないことだと思います。
 既に部落という言葉が定着してそれが私の生活では「普通」に使われている言葉なので、今更差別だのなんだので変更しろと言われても結構無理があると思います。
 それこそ、部落差別だ~と騒いでいるほうが差別・偏見に繋がると私は思います。
 むしろ、地元の人間での会話では必然的に部落という言葉が出てしまいます。(集会場のことを部落会館と呼んでしまったり…)
 若年層ならば差別偏見をなくそうということでこのような教育があってもいいかもしれませんが、20代以降の世代ではそれを徹底するのは不可能があると私も思います。(部落差別を知らない人も結構いると思われますので)

投稿日時 - 2005-07-21 07:12:39

ANo.69

 小学校のとき、毎年1回、同和教育機会があり、同和関係の映画を見て、それから教室へ戻って先生の話だか、作文だかがあったと記憶しています。
 小学校5or6年のときの先生は、
同和教育には2種類の考え方がある。
ひとつは、積極的にこういうこと(映画や道徳の教科書に載せて)をして解決してゆく方法。
 もうひとつは「寝た子を起こすな」を言う方法で、そもそもそんなことを知らない子供がほとんどなので(埼玉県)不必要な知識を与えて、差別を与える側の人間を作るなという考えだそうです。
 小学生にそんなことを言う先生もちょっと変わっていますが、私は今でもよく記憶しています。
 どちらがいいかは分かりません。

 そういう差別ですが、自分の原因でないものに対する差別ですから、それは止めるべきだと思います。たとえば目の不自由な人や、片足のない人などは、別に自分で目が見えなくなりたいとか、足がなくなったほうがいいと思ってそうなった(した)人はほとんどいないと思います。仕方なくそうなっているのだと思います。そういう場合、被差別部落に生まれた人もそれと同様だと思います。
 
 太っているとか、勉強ができないとかは程度によりますが、本人の努力が足りないので差別の対象になってもよいと思います。

 私は個人的にはそう考えています。

投稿日時 - 2005-07-19 14:15:01

ANo.68

はて。
いくら差別されてるとはいえ、昔みたいに絶対的な身分統制がされていない以上、部落の皮を脱皮した人がいると思いますね。
彼らは今何処で何をしているのでしょうか?

在日でも同じです。何をしているのでしょうね?
架け橋どころか囲ってなにやってるんでしょう?

肝心な部分が語られない以上、教育しても無駄であると思います。

投稿日時 - 2005-07-14 03:28:12

NO.50さん
NO.53さん
のおっしゃるとおりです。

もし同和教育をするなら、同和利権で食ってる若しくは得をしてる人たちがいることもあわせて教えるべきでしょう。
確かに過去につらい苦しい思いをした方々もいらっしゃるでしょう。繰り返してはいけない事だと思います。
しかし、同和地区出身というだけで税金や公共料金の免除、公務員(高収入の)への就職、各方面への不当な圧力等々、これはもう逆差別状態です。
日本のマスコミや政治家はこの問題に関してほぼタブー状態の扱いです。在日朝鮮韓国人もんだいとあわせて、社会的弱者は本当は誰なのか考え直すときに来ていると思います。そういう意味では必要。但しきれいごとの教育なら不要。

投稿日時 - 2005-07-13 16:14:13

ANo.66

同和教育はやはり必要ではないかと思います。お住まいのところには被差別部落はないのかもしれませんが、私の住むところにはやはりまだ被差別部落とその地域に対する差別は厳然として存在します。同和問題は過去のできごとではありません。学校で教えるから知ったのではなく、祖母も口にしたし、父母もその意識があります。私にもないとはいえません。しかしそれが問題であると取り上げるのは学校教育や社会教育(行政での啓発など)しかないのではないでしょうか。

投稿日時 - 2005-07-10 10:38:30

ANo.65

私が通っていた学校(クラス)では、部落差別のことを教えた直後から、家が貧乏とか色々理由を付けた差別によるいじめが始まりました。
家のガラスや瓦を割るなど、同和教育のビデオでやっていたことを真似するのです。
子供は正しいこと、間違っていることをあまり意識せずに見たものを真似しますし、やってはいけないと教えると余計にやりたがります。
個人的には同和教育はやめてほしいと思います。

投稿日時 - 2005-07-02 09:43:50

ANo.64

失礼します、追記。

>「部落差別」教育は、必要なのでしょうか?

必要です。
自分たちがなにをしているのか分からない、
自分を客観的に見られない人々には、
対岸からはどう見えるのか、
教えてやるべきでしょう。

投稿日時 - 2005-07-02 08:54:26

ANo.63

父親が会社員で、中学生のときに引っ越し、新しい分譲住宅を買って住んだところが、何かの差別がある場所だったみたいでした。
同和地区なのかどうかは分かりません。
友達は誰も教えてくれないし、学校は同和地区の話などしなかったので。
しかし、一部の連中の反応で、そうらしいのは分かりました。

こんな感じで。
連中「どこに住んでんの?」
私「○○○。」
連中、顔を見合わせ、(いかにも演技がかって)顔をしかめる。「○○○~!」
私、軽くめまい。心の中で。(ナンダソリャ。。。)

私は部落差別のことはよく知りませんが、差別される気持ちは分かるという、奇妙な体験をした者です。
おそらく差別をする人たちは気づいていないと思うので、客観的感想を言わせてもらうと、

あなた方は、キモチガワルイ。

それから、そういうおかしなことを言う連中は、軒並み頭が悪かったですね。テストで学年順位半分以下の連中ばかりだったから。(これは差別か。冷笑。。。)

私は、昔住んだその場所が、今でも大嫌いです。
心の底から軽蔑します。

投稿日時 - 2005-07-02 08:45:50

ANo.62

私は同和地区の多い場所で育ち
高校を卒業してから関東に移住して結婚、
その後30年ぶりに故郷に帰ってきました。
そして1年くらい賃貸で暮らしているうちに
良さそうな中古戸建を見つけたので契約しようとしました。
その時その近所に仲が良くなった人がいましたので相談したのです。
すると「いいの?ここは同和地区だよ。私もそうだけど大変だよ。特別な慣習や付き合いがあって他から来た人は覚悟いるよ。」と言われ驚きました。
本当に悩みましたがやめる事にしました。
(実は勤続年数の件でローンが通りませんでした)
その友達とはなんともなく付き合っていますが彼女が今までの人生の色々を話してくれました。
私はそれを聴いていて強いなぁ~、芯があるなーと思いました。
ただぼーっと生きてきた私とは大違いです。
子ども達にも胸を張ってここで生まれたことを言える様になって欲しいと言っていました。そのためにも勉強は大事だと言っていましたが・・。
逆に言えばそれもおかしいことだとも。。
しかし同和地区自身今までの政策で便利な事が多いので
(住宅ローンも特別やすいとか、優遇面があるそうです)それを大いに活用すればいいと言っていました。
はっきりいって私は同和教育がどれほど必要なのか解りません。。というのも夫が関東出身で全くそういう教育を受けていないので偏見がないのです。
それを思うとトピ主さんのように何も知らない人が増えれば自然に関係なくなると思うのです。
ただ「差別は許されないこと」とだけ学習すればいいのではないでしょうか?

投稿日時 - 2005-06-19 10:10:59

ANo.61

この話題は、差別された痛みのある人間だけが、その「教育の必要性」を語る資格がある。

被差別の外側にある人間は、自分の意思として、過去の身分差別が、全く根拠のない
迷信からくるいわれのない差別であることであることのみを知ればいい。

一番役にたつのは
井沢元彦 『逆説の日本史』〈4〉中世鳴動編―ケガレ思想と差別の謎

投稿日時 - 2005-06-02 11:04:07

ANo.60

こどもを育てるにあたって大切なこと

過去、人々が犯した過ちを また繰り返さないために真実を知り、また繰り返さないようにする

これはとっても大切なことですよ。

だから戦争でも、虐殺でも、差別でも、自分達の先祖がしてきたことを目をそらさずにまず知ること
そのうえで、どうすれば同じあやまちを繰り返さないかということを考える
そういう心を育てなければいけないのではないですか?

真実を知ればいやな思いをするでしょう
でも、それを踏まえたうえで、
僕らは絶対こんなことをしない!
そういえるように導くのが大人のおしごとです。

投稿日時 - 2005-06-02 11:00:54

ANo.59

私はある程度必要だと思います。
差別心は知らず知らずのうちに伝染します。
親や周りの人間達が当然のように差別をあらわす言葉を使っていれば、子供達は意味がわからずとも自然とそれを使っていくようになります。
そして、周りと同じようにそれが当然だと思い込んでしまうことが多いのです。
このような差別が実際にこの国あったということ、いまでも続いている(数年前私が住んでいた地域の学校の壁に「部落は人にあらず」という落書きがされる事件がありました。とても最低最悪な行為です。)という事実はきちんと伝えておかないとこれはいつまでたっても続きます。
なくなる、なくならないは関係なく、知りたい知りたくないの問題ではありません。
ただ、部落とされていた地域を具体的に示すのは反対ですが。

私は差別されたくないから差別は反対です。
でも、人間がいる限り差別はなくならないとも考えています。
人の心は簡単にかわります。そしてとても弱い。
「差別はいけない」と思っていてもどこかで他人を差別しています。
容姿・部落・成績・人種・国籍など理由は色々です。
でも、それが理由で差別され苦しむ人も沢山います。
何がきっかけで自分が差別されるか、人を差別するかはわかりません。
だからこそ、この国に「確かにこういうことがあったのだ」ということを示して少しでも歯止めをかけなければならないのだ、ということを含めて部落教育は必要なのではありませんか。

投稿日時 - 2005-05-28 21:45:33

ANo.58

もはや負の連鎖は断ち切りたいので教えないでほしいです。

私が住んでいる地域はいまだにその差別があります。
かれこれ20年は前になりますが高校の部活が郷土史だったので同和問題について調べ、地元で同和のかたがたが名乗る姓を知ってしまいました。

そしてその姓を名乗る同級生が居たのです。
知らなければよかった、と後悔してももはや後の祭りでそんな気もないのにどうしても意識してしまうのです。

今、私は子供には同和問題のことは話してません。
というのも子供の友達にやはりその姓の人が居るからです。

あんな思いを子供にはさせたくありません。

投稿日時 - 2005-05-09 12:01:07

ANo.57

沢山の方が意見を寄せていらっしゃいますね。
すごく難しい問題であり、私も‘自分以外の人はどう思っているのか’知りたいと思っていた事でもあります。
私自身は学校で同和教育は受けていません。
私の住んでいた所は部落でした。
部落は全国の市町村のほとんど全てにあるもので、例えば○○県△△市□□区◇◇というように地域をだんだん小さく分けていった住所の一部に過ぎないとずっと思っています。(歴史的な成り立ちはわかりませんが)
部落=差別地域というわけではなく、差別の対象とされていたりするのは全国に沢山ある部落の一部です。
私の住む地域で差別されていると言われているのは、昔その部落の人々が処刑の仕事をしていたというものです。
どこまで事実かわかりません。
情報が田舎の田舎の方まで届かなかった昔は、人の噂話が事実になってしまった事だって少なくないはずです。
過去の争いを現代まで引きずり出していろいろ言うのはどうなんでしょう?
昔あの人たちの先祖はこんな悪い事をしたんだ。だから今あそこに住んでいる人達も悪いに違いない
これはある意味、今の日韓関係と同じ事をしているようにも感じます。
そして私の結論ですが、同和教育は必要ないと思います。
どなたかおっしゃっていましたが、歴史の中の出来事の一つとして学校で教えればそれで良いんじゃないかと思います。
わざわざ教育と称して大々的に取り上げる大人がいけないと思います。
まだストレートに受け止めストレートに返してしまう小・中学の子供達に、わざわざ大人が持ち出して、見せて、差別するなと言うのは無茶な話かと思います。

投稿日時 - 2005-05-01 17:21:29

ANo.56

私は部落差別のことは、きっちり子供達に教えるべきだと思います。日本の歴史の中で現実に起こっていることを、「誰も知らなければ部落という言葉や差別すら知らない」では問題解決にはならないと思います。
昔の~のようなことが部落差別であり、その中で部落差別というものを解り、そうゆうのは悪いのでやめていこうという人々の気持ち次第と思います。
 ここからは私の今の部落差別の考え方とらえ方です。
 私は部落ではありませんが、私の女友達が結婚時に親に反対にあい破談となりました。ここまでは「結婚は二人の問題なので、押し切ってでも結婚すればいいのに」と思いましたが、まぁ二人の問題だから、いいとしようという私の気持ちでした。問題はここからです。結婚する予定だった相手の男性ですが、夜中にドラム缶に灯油を入れて、それを車に乗せそれを彼女の家の周りに撒き散らしていたのです。もちろん放火する予定だったのですが、たまたま彼女の父親が仕事残業で晩遅くに帰ってきて、発覚し取り押さえられました。すぐに警察にと思い立ったようですが、ここで彼女も登場したみたいで、なんとか警察沙汰にはならなかったようです。運が悪ければ、母親彼女が死んでいたところの事件でした。これは第1談の話ですが、こういったたぐいの話がいくつか聞きます。俗にキレるといった行動でしょう。←私の周り未遂事件であり、実際起こってしまったものは他に3事件あります。
 ここで考えました。私のまこと勝手な推定ではありますが、部落の人たちですが、何百年と同じ地域で過ごし、結婚~子供も同じ地域でしていると、やはり血が濃い人間性になっているのではないでしょうか?他の話でも最終的には常識はずれの「すぐにキレる」といった話です。私自身は、子供はまだ小さいですが、その私の子供が結婚時に相手が部落であれば正直疑いますが、その時は人間性だけを見ようと思います。別に部落の人でなかったとしても、すぐキレて常識はずれを起こすような人であれば、反対及びすぐにでも離婚させようと思います。
 それと思うのですが、部落の本人達は自分自身が部落いう特定の人というのを、意識しすぎているのでは?と思います。もし自分の身に何か第2、3者から不具合を被った場合、別に理由は全く別のものでも、「自分はどうせ部落」だからというのを意識するといったかたちです。当の本人達もそれを考えないで行動すると、周りも意識しないでうまくやっていけるのでないでしょうか?
 ということで、少しみなさんの意見とは違うかもしれませんが、私の現在、部落差別という人々をどう思っているかすこし記載しました。みなさまの正直なご意見・ご感想お願いします。
 

投稿日時 - 2005-04-13 23:19:54

ANo.55

この問題に対し、如何に多くの方が関心を持っているか回答数の多さが物語っています。

確かに歴史上多くの方が差別の犠牲になってきたことは決して覆すことができない事実です。皆さんが回答されておられる通り、現にその名残が根強く残っている特定の地域や年齢層もあります。しかも広島の例を述べられた方がいるように人の生死に関わるような大きな問題となっています。覆せない歴史は中国においても日本大使館や民間企業を襲撃するまでに発展しています。

歴史を学ぶことは大切であると思います。
しかし、我々はなぜ考えることも嫌になるような歴史を学ぶ必要があるのか?
それは今現在、そして未来をどのようにかたち作っていくかを考え、判断するためではないでしょうか?教える側においても教わる側においても同じ方向、あるいは目的のために学ぶ必要があると思うのです。私達にとって今までの歴史が必ずしも素晴らしいものだけであったわけではありません。人生と同じように消し去りたい過去もあります。そのような過去のほうが多いのかもしれません。しかし人類は素晴らしい歴史も数多く築いてきました。結局、私達は現在にしか生きられず、未来に向かう道しか築くことはできません。過去は振り返ることはできても変えることはできません。

ならば、過去を変えたり消したり踏襲したりするのではなく、過去から学び新しい歴史を築いていくことが私達の役割なのではないでしょうか?
私が今お話していることは当事者の方々にとっては綺麗ごとに聞こえるのかもしれませんが、現に私の周囲にも差別問題を抱え苦しんできた方が数多くいました。そして差別が生んだ利権や金も存在していたのかもしれません。しかしやはりそういった歴史のうえに新しい歴史をつくっていくべきだと思います。

投稿日時 - 2005-04-10 18:06:27

ANo.54

私は東北在住の人間です。
18歳のときに東京に行くまで部落問題は知りませんでした。
よく考えたら、私らは蝦夷の末裔でしょうか?
部落問題の対象者の方々より、日本人からかけ離れていますか?
部落問題を語る方がはオーストラリアに丸ごとケンカ売ってるような気がします。
犯罪者やその関連者の子孫(昔ならそんな根拠もなく部落に押し込んだ事例も多いと思います。)

世界には海賊の国家もあったと聞きます。(ちなみに豪州ではありません。)

開放するどろか、もともと根拠の無い理由で差別をしていただけでは、若しくは差別を利用していただけではありませんか 。

教育?

母親は命を掛けて子どもを産んでくれます。
私も母親の産道を通ってこの世に生まれてきました。
この世に生きている皆さんに問います。
胎児の中には母親の産道を通れずに遺伝子の病気によって間引かれているどれだけの可能性があると思いますか?

皆、母親の胎内からこの世に生を受ける事を許された仲間でしょう。
この仲間の関係になんで、敢えて差をつけようとするんですか?

部落問題をどうのこうのと言う人間は、目の前にいる赤ん坊の血統が判らなければ、すぐに口を塞いで殺せるってことじゃないですか?

そんな、人間はこの世にいるのですか?

誰も親を選べません、でも愛してくれる、だから痛みの中で血を流して生んでくれる母親の子であることに変わりはありません。

こんな中で部落問題という議論に何の意味があるのですか?

もしかしたら、単に部落問題の予算担当者でキックバックとかのある公務員の利権確保じゃないのですか?

投稿日時 - 2005-03-26 22:41:44

ANo.52

No50の方が言われているとおりですよ。

差別教育などもう今の時代必要ないと思います。

部落利権などに味をしめている人,つまり,自分は差別されているのだから市が色々な援助をしろという名のもとに「差別されている」を声高に言っている人にとっては,差別教育がなくなると困るのです。

差別がなくなると,自分たちが優遇される根拠がなくなるのですから。例えば,簡単な職務の公務員として高収入を得られたり,税制上優遇措置を受けたりという特権がなくなるのです。

だから,そういう人たちが,市の教育委員会などに働きかけて,差別教育を続けさせるのです。

この問題は,「差別問題という臭い物に蓋をしてはいけないから。」なんていう青いレベルの話じゃ,まったくありません。

投稿日時 - 2005-03-20 12:48:14

ANo.51

皆さんが歴史等について詳しく書き込まれているので、その話はナシにして、私は小学校のときに恩師し教えられた言葉を書き込みたいと思います。
それは「先生はみんなに何も知らない傍観者になって欲しくない。きちんと過去を知った上で、大人になって欲しい。」というものでした。
小学生だったせいか、当時は(恥ずかしながら)学内で差別用語が多少飛び交いましたが、大人になった今となっては先生の教育に非常に感謝しています。やはり無知は恥ずかしいことだと思います。

投稿日時 - 2005-03-20 12:32:42

ANo.50

同和問題がある地域(=部落地域を含む広い地域)というのは、地縁が強く、町内会活動が活発な場合が多いように思います。その町内会同士に優劣(?)があったり、昔から仲が悪かったりするんです。つまり、差別のあるなし以前に、地域を単位とした仲間意識が強い。そして当事者の住人たちは、そういう地域性をなくしたいとは思っていないことが多いです。

地域の同和学習会、毎年開かれています。でも内実は「あの地域の歴史はこう」と勉強したり、「この地域の出身者の方に来ていただきましたのでお話を伺う」と、地域性をしっかり覚えるためとしか思えないものです。

不動産屋の広告にも、「ここに入居すると、町内会はどこになります」と断ってることがあります。

また、町内会より上のレベル(市政など)でも、地域の違いを考慮に入れていろいろとやっていると思います。実際、未だに道路が舗装されていない地域もあるんですよ。でも、住民はそれでいいと思っているんですから。No.50の方と違って、こういうの見ていると、こういう地域性っていうのは案外、なくならないかもなあと思います。

差別が悪いということを教育することは大切だと思いますが、それ以前に、せめて道路の舗装とか平等にやれよ!って思います。

投稿日時 - 2005-03-10 12:34:29

ANo.49

残念ながら差別で食っている人は大勢います。
同和問題で食っている人も大勢います。
同和問題で自分を「いい人」と見てもらいたがっている人も大勢います。
本当に差別がなくなったら一番困るのがこういう人達です。
だから差別・差別と騒ぐのです。
同和問題はあと少しでなくなると思います。
差別は心の問題ですから教育や議論ではなくなりません。あと1・2世代です。わざわざ教育するのは差別されている人のためではありません。差別を存在させて同和問題で食っている人のためなのです。

投稿日時 - 2005-03-04 23:48:13

ANo.48

おおむね賛成したい気持ちありますw。

こないだ、変身ヒーローが悪い奴らをバッタバッタやっつけるのが、子どもの暴力性を助長するとか なんとか そういう研究結果ありませんでしたっけ?


今は「あまり流行ってない悪い習慣」をワザワザ挙げて課題にするってこと。。。どうなんでしょうね。

今まで知らなかった行為・方法を見て知る事で、自分の獣性が目覚める。大げさではなく、そういうのあると思います。

被害を受けてる人の具体例を知って歴史的事実を確認するだけでなく、
どうせ課題にするなら、他者へのイジメは、己の劣等感への裏返し。(例えば)とか、どうしてそういう醜い行動を人間はしてしまうのかとか、そこまで考えて欲しいです。

(自信なし)

投稿日時 - 2005-03-04 22:07:22

ANo.47

部落格差?正直、その定義が判らないけど・・・その点から言っても、教える環境(教育)は必要なのかもね・・・だって、ボク自身がその“定義”が判らないんだもん・・・マスコミも避けていると思うし^^
部落ってのは、在日の人たちのこと?それとも、遠い昔の渡来人の末裔?
だいたい、お互いに日本語喋って、同じような環境に住んでいれば「差別」や「区別」する必要はないじゃん(笑)・・・と、まぁ~『部落』の定義が理解できてないボクが言うのはおかしいかもしれないけど・・・(汗)

投稿日時 - 2005-02-11 17:35:55

ANo.46

差別意識と言うか。妬みがありますね。正直。
部落の利権が凄すぎ。しかも。。マスコミは怖がってる
雪印や三菱は叩いても。。ハンナンにはあまり言わない
(偽装牛肉のせいでBSEとか起こってたかも知れないのに。。鳥インフルエンザも怪しい。。)

「宝島出版の部落利権の真相とか読んでください。」

いかに差別教育が馬鹿らしいか気づくと思います。なんせ自分たちで残そうとしてるんだから。。
「コネで現業公務員になってゴミや市バス運転手で1000万級の給料を獲得したり駅前のただ当然のマンション住みながら生活保護を受けベンツ乗ってる人達を保護する必要など全くないです。。」

投稿日時 - 2005-02-04 01:09:57

ANo.45

はじめまして。
私は知らなくても良かった事だと思います。
地域によって全く事情が違いますから。

しかしながら
部落差別 → 差別解消
と世の中が動くとすると、この途中が一番ひずみや矛盾が多くなるのは当たり前で、
現在の教育は「小さな犠牲を生みながら、大きな問題を解消しようとする教育を行っている」ととらえています。

現在その教育が正しく行われているかといえば、疑問ですが・・。

投稿日時 - 2005-01-29 22:52:14

ANo.44

私はまだ若いので大したことはわからないのですが、

「部落差別教育」が一種の慣習として定着しているのではないかと思います。
人権問題は重要!→国内の人権問題といえば部落差別問題!→部落差別教育!みたいな構図があって。

未だに部落差別の影響を被る人がいるのも事実だと思いますが…
京都とか昔は本当にひどかったらしいです。

ちなみに私の出身は埼玉県の川口市なのですが、
「部落差別」については特に詳しく学びませんでした。

「部落差別」教育に力を入れる、入れない、は地域の実情にも拠るのだと思います。

ご参考までに。

投稿日時 - 2005-01-12 15:52:35

ANo.43

知らないから差別をしない。
だから知らせないほうがいいというのならば
くさいものにはフタ的考えです。

>その事実を知っているいないにかかわらず、差別をする>人間は差別をするし、しない人はしません。
この通りです。
知るということは自分の知識のたくわえですが、それを
しったからそういう目でみてしまうのならばあくまでも
人間性の問題です。そのひと個人の問題です。

私はその部落問題も勉強しました。
私の家の前のおうちはその出身です。
でも我が家では誰一人差別していませんしそれどころか
私は孫のように可愛がってもらっています。
愛情はたくさんありますが軽蔑することなど一度も
ありません。そのことでおつきあいにデメリットなど
我が家とそのおうちの間ではまったくありませんが。

知ってしまったらそんな目でみてしまうというのは
あくまでそのこの人間性です。
私は中学かな?のときにその事実を知りましたが
そんな目でみたことなどないですもん。

それを知ったうえで「そんなのどうでもいいじゃない」と
いえることが一番だとおもいますけども・・。

投稿日時 - 2005-01-10 23:33:07

ANo.42

その事実を知っているいないにかかわらず、差別をする人間は差別をするし、しない人はしません。
それは教育でどうこうなるレベルの話ではなく、その人本人の資質の問題です。すなわち、人種差別の考えを持っている人間に、いくら人間はみな平等だなんて説教たれても、全然意味ないんです。

部落というものがあったという事実は知っておくべきだと思います。それをその人がどう感じるかは個々人の判断の域を脱しえません。
もちろん私は部落を知っていますし、友達にもそっちの方から来てる奴がいます。しかし、だからといって、そいつが部落出身どうこう思ったことはないですし、気にもなりませんが…。

     「ついそんな目でみてしまう」
それもその人の資質の問題でしょう。差別はなくなりませんから、今更どうこう言っても仕方のないことです。

多少厳しい意見になりましたが、他の方の回答と合わせてお考えください。

投稿日時 - 2005-01-02 17:37:10

ANo.41

必要だと思います。

知らなかったら差別はない。とは全くもってナンセンスではないでしょうか?

俗に言う言葉狩りといっしょですよね。言葉自身なくなればその行為・事実もない、と。差別は言動だけじゃないことが多いと思います。

聞いた話だと海外では、いけないこと等は子供の頃から徹底的に教えるらしいです。また、差別する人を徹底的に批判する教育をするらしいです。(アジア以外の先進国)

日本の場合は、その事実をしらせないことにより、その事自身もおこらないと考えていらっしゃる大人が多いですね。差別することを知らないから差別しないと。

要は差別教育を好まない大人は部落差別を教えると差別が発生してしまうと思うんですね。
私は教育者でないですが、上のような大人は差別を無くすことに何のプラスにもなっていないと思っています。

差別教育とは差別の実態を教えた上でその差別自身を批判、拒否する意識と能力を教える教育と思っています。

この批判教育をしない内は差別・区別はなくならないと思います。

現代であっても部落差別は存在すると思います。表面的にはそんなものは過去のことで現代はない、と世間ではなっていますが、差別(区別も含む)をされた現場にいたことは何度としてあります。

勝手言ってすいません。頑張って下さい。

投稿日時 - 2004-11-07 17:43:52

ANo.40

こんばんは。
同和教育が必要か?
その生徒さんが受けた教育のように差別を助長するような中途半端なものなら無い方がいいと思います。
そのような教育方法ならその辺の誤った情報で差別を生むのとなんら変わりません。
しかし教育がなくても遅かれ早かれそういったものは耳にしてしまうでしょう。
結局は少なくとも同じことになっていたと思います。
差別は現実に存在し、また逆差別もあります。
それらは「事実」として捉えるべきだと思います。
その生徒さんには、それらを両方の視点から是非見て欲しいです。
何でもそうですが視点の変換は大事です。
必ず複数の視点があります。
部落問題ではありませんが、私は障害者と付き合いがあります。
そういう人に対し、世間では「差別をしてはいけない」「差別的表現にならないように言い方をソフトに例えば「○○の不自由な方」のようにすべきだ」といいます。
かなり浸透した世間一般の考え方だと思います。
しかし、なぜこのような考え方がとられるかというと実は差別が現に存在して、その意識があるからこういった表現がとられるんですね。事実をあいまいに隠そうとすることがすでに差別なんです。隠される側にすればやはり自分は隠されるべき存在なのだという裏づけになってしまいます。(暴露すべきと言っているのではないです)
差別の存在しない世界では気を使わねばと思うことはないですよね。
障害者と付き合いのある者の間ではこういう意識はあまりありません。
例えば○○さんは障害がある。それならばその辺のケアはしないとねと事実だけ捉えます。
差別には差別する側とされる側があります。
差別をしてはならないだとか、そういった考えは差別をしうる立場の者からの発想なんです。
「差別なんてしたくない」「差別をしてはならない」という差別しうる立場からのみの思考出発では実は差別は決してなくならないように思います。
差別されている方からの視点でも見て欲しいです。そうすれば逆差別に関しても、理解が違ってくると思います。
両方の視点から見ることで「事実」のみが見えてくると思います。
先の障害者についても、私も障害者と付き合うまでは差別はしてはならない、そんな目で見てはいけないという考えがありました。
付き合う中で障害者側の見方を学んで事実のみを捉えることができるようになりました。
「俺って部落出身なんだ」と聞いて、「差別してはならない!」と思うのでなく、「事実」だけを捉えて「ふーん。で、結局お前はお前でしょ」と思うようになる社会が理想な形だと思います
その生徒さんには自分が差別しうる側の立場でしか見ていないことに気づかせてあげられたらいいと思います。

投稿日時 - 2004-11-01 21:45:05

ANo.39

必要だと思います。

私も中学生のとき、学区の中に部落出身者の住む地区がありました。
そして部落出身者の生徒が、自分は部落出身だ!と公表して、生徒会役員になりました。そしてその生徒が一クラスずつ部落について説いてまわっていました。

「知らなきゃ良かったです。なぜわざわざそんなことをするんですか?」と、私は聞きました。

すると答えはこうでした。
「あなたたちより古い世代の人に、偏見をもった人が多い。
あなたたちが何の知識もないままに、偏見を持った人達の意見を聞いたときに、それを鵜のみにしてしまうでしょう。間違った考え方は未来に残してはいけない」というようなことでした。
実際に、友達のおばあさんは、「あの辺りは部落地区だから近寄っては行けないよ」とずっと言いつづけていて、友達も、「あの辺りはおそろしい場所だ」と思っていたそうです。そのこも何も知らない友達にも言ったりしたんでしょう・・・。 

差別を知ったときはショックで、知らなきゃ良かったと思いましたが、その生徒会役員の人のおかげで、間違った考えを私の子どもや後輩に残すことはないでしょう。

投稿日時 - 2004-09-27 15:10:59

ANo.38

部落出身者として。

中学以降歴史を習いますね。
エタ・ヒニンでてきますね。
延長線が部落ですね。

現在は大分変わってます。
が、教育を受けずにその地域独特の仕事をしているために一概には言えませんが、荒っぽい人もいるのも確かですね。
が、どうして怖いといわれているの?
部落外の人と同じ仕事につけれるようになったのは
最近ですね。
学がないために、周りと同じような仕事についたりもありますね。
職種はいいませんが、そうなると近い人間が集まったりして荒っぽくなることもありますね。

現在、どうしてこんなに薄れてきたか?
部落外地域に出ることが許され、新しい人間が部落内に入れるようになったか。
それは、政府と教育のおかげでもあります。

もし、何もなかったら、間違った年配者の意見が永遠と受け継いでいきます。
教育がなければ、問題は解決しますか?
否です。
「怖い人たち」と、思うと考えは変わりません。
赤犬を食べるだの、兄弟同士で結婚し子どもをもうけるから障害が出るだの、そんなのは昔々の地方では多々あったのです。
障害をもった赤ちゃんは殺して埋めたなんて、部落外でもあったのです。
教育のおかげで悪いこと・間違っているとわかり現在はなくなってきたのです。

ですから、教育を受けて余計に差別するとはその人の
人間性・考え方です。

簡単に言うと、現在でも地図をみたらどんな地域でもわかるのですよ。
大体の場所ってのは知っていると地図さえ見たら県外の人でもわかるのです。

投稿日時 - 2004-08-22 02:36:20

ANo.37

「寝た子を起こすな」的な考え方では決して同和問題は解決しないと思います。根本問題として、まず部落差別とは何か、その根源は何かということを学習する必要があるでしょう。同和問題の解決には、これは、人の心の問題ですので特効薬はありません。その中学生には、「大切な勉強をしたね。人を差別しないために、自分はどんなことができるか、やっていけばいいか、じっくり考えよう。」とお話いただければいいのではないでしょうか。質問者のelkitiは、お忙しいとは思いますが、例えば、住井すえさん著の「橋のない川」あたりをご一読されればと思います。

投稿日時 - 2004-08-22 02:16:26

ANo.36

この問題は地域差がかなり大きいと思います。
関西圏はこの問題に対しては大きいですが、関東圏になると殆ど教育が無いんじゃないでしょうか?
それも、自分の小学校、中学校の地域の中に部落地域があると、小学校時代から学校での授業があると思います。

私は奈良県に住んでいて、小学校の地域に部落がありましたので、道徳の時間などで教育を受けました。

それで私の感想ですが、やはり必要だと思います。

その該当する地域に育った人達は、自分たちの親やその祖先が受けてきた差別の現状を知っている必要も当然あると思います。
そうなると、同じ学校に通う他の地域の生徒も同じように学習する事も必要でしょう。

差別の実態を知る事で、差別の誤りを知り、自分たちの世代には差別の不合理さを残さないという教育が必要でしょう。
そうしないと、良くない事ですが、、まだ親やその上の世代などは部落に対する偏見が残っていますし、その影響を私たちの世代にも、ある契機で伝えることもあると思います。「あそこの地域の人とは遊んじゃいけないよ。。。」とかいう風に。

そうなった場合に、学校で予め部落問題について学習していた場合だと、反論も出来て部落差別はいけないという事も分かるでしょうが、知識が無い場合は反論もせずに親の言う事を聞くという流れになるのではないでしょうか?

やはり部落に限らず、社会の良い面と悪い面を教育として知らせるのは大切な事だと思います。
そういう暗部を知ることによって、知らずに差別をしていたという間違いを繰り返さない予防になると思っています。

それは、部落に限らず在日などの問題も同じです。

知らなきゃ良かったという事は何事にもおいて無いのではないでしょうか?

投稿日時 - 2004-08-21 21:32:05

ANo.35

 部落問題については、地域差が非常に大きいと思ってます。
 私は東北の出身ですが、こちらでは部落というと普通に「集落」の意味となり、一般に使用されてます。差別的な意味はありません。もちろん、教育もありません。だから、インターネット時代になってからしばらく、Blackとか●和、開●なんて伏せ字の意味が全く分からず、戸惑ったことがあります。
 
 個人的には、知識そのものは必要だと思います。ただ、学校で教育をするとなると、どのような視点でどの程度まで教育するべきなのかが難しいでしょう。かと言って、「双方の」視点から中立に教育しようとすると、思わぬ妨害があるかも知れません(というか、生活の中で実感のない者が、ネットの情報だけで判断すると、そのような恐怖を持ってしまうのです)。差別がなくなるとかえって困ってしまう人も居るそうですので・・・・。

投稿日時 - 2004-08-21 21:01:49

ANo.34

>知らない人が増えれば、自然となくなったりはしないのでしょうか?
一般的に差別とは区別できる人を対象に行われるのに、部落差別というものは特殊だと思います。おっしゃる通り、その報道・情報自体を禁じれば消滅は記憶ともに消えていくものです。ただ、それに反論している人は、その差別の意識そのものに反論しているのだと思います(中にはそれによって収入を得ている人もいるでしょう)。まずは、物理的に「区別」ができないように、地名の併合等を行うことが実際に差別をなくすことになると思うのですが。なんだか、差別をより早く解決しようとすることよりも、観念的なものが優先されているように感じています。

投稿日時 - 2004-08-17 23:26:36

ANo.33

特に取り立ててする必要はないと思いますよ。かつては道徳の時間にやっていたことですが、これからは歴史の時間に触れる程度でいいと思います。同和教育は同和教育をしなくてもいいようにする為の教育なので、もともと自己消滅を前提にしている教育なのです。すでに同和に関する時限立法は切れていますので、もうしなくてもいいのではないかなと思っています。それよりも同和に名を借りた利権漁り、教育現場への介入、言葉狩り、糾弾、行政との癒着も同和問題の影の部分として、しっかり認識しておくべきだと思います。
ちなみに私は大阪の同和推進校で教員をしておりました。同和問題に関しては皆さん本音を言わず、事なかれ主義、運動団体のいいなり、職員会議の内容は運動団体に筒抜け、運動団体のやり方に反対すれば、差別者扱い。まあひどいものです。一種のファシズムに似ています。
私も同和問題は消滅すればいいと思っていますが、何より嘆かわしいのは運動団体自身が差別がなくなると存在意義がなくなり、既得権益がなくなると恐れていること。そのためには小さな問題発言でもことさら大きく取り上げて、「差別がある」ことを行政に認識させようとすること。その肥大化し、異常なまでの対応振りには驚かされる。
現実に広島では1960年代から2003年までに同和にからんで多くの教員、教頭、校長、同和担当主任が自殺に追い込まれている。まさに「人権」が人の命すら奪うのです。現場の教員はそのことを知っているから物言わぬ組織となる。もっとオープンに物が言えるようにするべき。
昭和40年代    福山葦陽高校校長が自殺
昭和45年 5月 1日 府中高校同和主任教諭(36)がナイフで手首を切り自殺
昭和49年 9月   新市町常金丸小学校同和主担者が会議の直後心臓麻痺で死亡→運動団体支部長「すまんことをした」と詫びる
昭和51年 4月28日 新市町常金丸小学校同和主任教諭が遺書を残して失踪
昭和51年 4月   庄原市川北小学校校長が自殺未遂
昭和51年 5月16日 府中東高校同和推進教諭(25)が山中で首吊り自殺
昭和51年 5月24日 府中東高校同和主任教諭(40)が墓地裏松林で首吊り自殺
昭和51年 7月 1日 福山市教委社会教育課主事 遺書を書いて自殺未遂
昭和52年 3月26日 福山市大成館中学校教諭が自殺
昭和55年 9月   加計高校同和推進教諭(55)が自宅裏山で首吊り自殺
昭和56年 1月29日 福山市桜ヶ丘小学校校長(54)が包丁で頸動脈を切り自殺
昭和56年 1月31日 本郷町北方小学校校長(52)がカッターで頸動脈を切って自殺
昭和56年 4月 9日 廿日市町宮内小学校校長(55)が校内物置小屋で首吊り自殺
昭和56年11月26日 県教委学校管理課長(元同和教育課長)が自殺
昭和57年 4月11日 五日市町教委同和教育指導課長(51)がナイフで胸を突き自殺
昭和58年10月 5日 常石小学校校長がナイフで自殺
昭和60年 2月22日 庄原市山内小学校教諭(25)が山中で首吊り自殺
平成 8年 6月22日 千代田町教委社会教育課長(48)が山中で首吊り自殺
平成11年 2月28日 県立世羅高校校長(58)が自宅で首吊り自殺
平成14年 3月 1日 三原養護学校校長(55)が自宅で突然死 自殺との見方も
平成14年 6月   県立竹原小学校教諭(26)一家4人が謎の心中
平成15年 3月 9日 尾道市市立高須小学校校長(56)が校内で首吊り自殺
平成15年 3月11日 広島県甲奴町 小学校教頭(45)が自宅で首吊り自殺

投稿日時 - 2004-08-11 23:00:37

ANo.32

教育は必要派です。
部落や人権(国籍など)差別は今も現実にあるからこそ、正しい認識が必要ではないかと思います。
江戸時代の身分制度の名残であったり、国単位の奴隷制度や植民地支配など、歴史が作った事実を知り、過去の誤ったことに対して知ることから、今どうすべきかを考えていく必要があるように思います。

差別や偏見をなくす努力は、していかなければなくなることはないでしょうし、見えないからこそなくさなければいけないと思います。

私は京都出身です。日本の中でももっとも部落差別がはっきりとしている地域だと認識しています。
祖母や祖父が罪悪感もなく普通の会話の中であそこの地域は・・・という言い方をします。
逆差別が問題になり、都市計画などで該当地域などではたびたび問題も起こっています。
差別は悪いことだからしてはいけません、とか部落など認識しなければ差別がなくなるというほど、簡単な事柄ではなく、もっと根深いものがあります。

有名無実であれば必要ないかもしれませんが、実際は根深い問題を今も抱えているし、今も起こっているのですから、教育は必要だと思います。

ただ、理解するもしないも差別するもしないも、教育者の責任というよりは、子供の主体性にかかってきていることですし、教育者としてできることは、主観をいれずに事実を説明するというのがいいように思われます。

投稿日時 - 2004-07-30 07:54:50

ANo.31

部落差別とともに、部落に対する優遇、団体幹部の利権体質、行政の迎合等すべて実情を教えるべきだと思います。
抽象的な「差別はいけない」だけでは、偽善を育成するだけです。

投稿日時 - 2004-05-14 16:43:39

ANo.30

はじめまして。
私は宮城の出身なのですが小・中・高・大学と
部落地域などの話は全く聞いたことがありませんでした。
授業でもそれ以外の会話でも聞いたことがありません。

初めて知ったのは今の主人と知り合って
ふとした会話からこの部落差別の話を聞きました。
主人は関西出身で学校の授業で部落じゃない人たちだけ
呼ばれてその話をきかされたそうです。
さらに学校での並び順も列は別々だったとのこと。

私自身も勉強不足だとは思いますが
20数年間全く持ってそういった話は聞いたことがなく
主人からはじめてきいたときはかなりの衝撃を
受けました。

やはり、これは地域差があると思います。
関西のほうですと就職・結婚の時などにも
興信所を使って調べるなどとも聞きました。

幼いころからそういう話を聞かされていた主人と
20数年間まったく知らなかった私。

たぶん私の地元の人たちはいまだに全然しらない人も
たくさんいると思います。

回答になってなくてすみません。

投稿日時 - 2004-01-27 03:55:59

ANo.29

こういう実態があるのをご存知ですか?調べればまだまだ出ます。すべて考慮して結論を出してください。

参考URL:http://www.cty-net.ne.jp/~epoch/yumiya.htm

投稿日時 - 2003-11-22 04:09:32

ANo.28

差別教育をするべきかどうか。結論からいうとするべきだと思います。その中学生の言うこともわかります。ただ私は部落差別というのは二次的な問題で、本質は人の心の奥にある差別心ではないでしょうか。差別を定義する事は実は結構難かしいんではないでしょうか。差別、区別、優劣色々あります。まあ差別心を心理学とすると部落差別は社会学といった感じで勉強すれば、本人達にはいい勉強になるんではないでしょうか。

投稿日時 - 2003-11-19 02:51:17

#13です。
 差別戒名もエタ系図作成事件も差別意識に基づいた事件ですし、私の聞いた話では、部落地域を指して『あの地域の人達は…』といった差別をする人達も現実にいます。
 また、最近では差別発言の一人歩きが始まっていて、差別意識を持たない人達が親の世代からの差別発言をそのまま受け継いで差別発言をする、というケースもあるようですね。
 部落差別の本質がケガレの思想である以上、死んだ動物の皮を剥ぐ行為や血についてブッキ観を持たない現代人には教育が有効です。事実を知れば、そんな馬鹿馬鹿しい事で差別が行われていたのか、と思うだけでしょう。が、これが重要なのです。
 差別意識が根強く残っているからこそ、エタ系図なるとんでもないものが売買されるわけですし、就職差別も実在しているわけです。裏では何が行われているのか分かったものではありません。

投稿日時 - 2003-11-01 17:27:09

ANo.26

#22です。
「事件」といわれるもの自体が、ほんとうに「差別に基づいた事件」なのか?という疑問があります。
「活動家」というのは何を活動しているのか?
「みなさんがたの先祖はえたの身分で苦労された偉い人たちです、その子孫として胸を張って生きていきましょう」
「あの人たちはかわいそうな人の子孫だから尊敬してあげましょう」ってな話をしてまわってるか、同和予算の分け前で奔走しているか。

「同和地域」にアパートがあって、そこに入居して住民票を作ったら「同和住民」になるわけでもない。本籍地なんかは住んでなくても実在する地名なら全国どこにでも置ける。

地域的な偏見は、「俺は会津の出身だから、薩長の連中湯は嫌いだ」「私は早稲田の出身だから1万円札が福沢諭吉なのが納得できん」とかいうレベルの話の延長でしょう。
「佐賀県では○○…」はOKで、「父方の先祖だけをたどってえた身分」が差別として非難というアンバランス。

何を「教育」するというのか、さっぱりわかりません。
「同和住民」「同和地域」の定義をはっきりしないで、差別があるから予算(教育委員会にも「同和予算」が配当されるから、それを消化しないといけない)をつかってどうこうしようと言っているだけですね。本末転倒です。

投稿日時 - 2003-11-01 16:08:49

ANo.25

No18です。
No24の方の言うとうり、差別は残っています。これは間違いないです。私自身まったくそういう気持ちを持っていないか?と言われるとわかりません。しかし、質問は「同和教育は必要か?」の点であり、「残っている=必要」ではないはずです。No13の回答で
>ネット上には、部落出身者を差別する愚劣・卑劣な情報や掲示板、投稿などが溢れています。
とありますが、質問にもあるように実際は今の子供が部落差別の存在を知る機会で一番多いものは「道徳」の時間だと思います。(統計とったわけではありませんが、私の感覚的には明らかに多いと思います。)「知らない=差別しない」とは言えると思いますし、ネットで見た卑劣な言葉をまるまる信じるような人間に今の「道徳」の時間をすると逆効果な気もします。

小学時代「道徳」の時間には必ず休む子がいました。みんな何も知らなかったのに、「このクラスには、江戸時代から差別されてきた人たちがいます。ほんとひどいよね。かわいそうなんでやめましょう。」こんな授業されて、地区の子供はどんな気持ちになるか…今考えるとすごく残酷です。

もちろん教育でアピールすることは「差別の不当性」ということでしょう。しかし、いくら不当と言われようがそれによって人間の心の奥底に「優越感、劣等感」は少なからずできると思います。これは人間である以上仕方ありません。(身長、テストの点、顔、運動神経、家柄…どんなものでもそれはできてしまうのです)

また、「生まれによるいわれのない差別」のみを扱っていると「根拠のある差別」すなわち「バカ、ブサイク、チビ、ビンボー」などはどうなるのですか?「差別」は「部落」だけではないのです。きちんとした人間性を持つように教育することが一番大切なことではないでしょうか?


※「根拠のある差別」という言葉はよくないですが、わかりやすくするためご了承ください。

投稿日時 - 2003-10-19 18:09:54

補足

皆様、たくさんの回答ありがとうございます。今ちょっと時間がないので、お礼を書けずにいます。でも、読ませて頂いてます。もう少し待って頂けますか。申し訳ないです。

投稿日時 - 2003-10-22 00:02:08

#13です。
 昨日、見た時には、実際に最近起こった差別についての書き込みがあったはずなのですが、削除されてしまってますね。質問に対する回答とは直接的には関係なくても、重要なものだったと思いますので残念です。
 昨日ここに書き込まれていたのは、確か、大阪かどこかで部落出身者の自宅に脅迫文が投げ込まれた、というものだったはず。差別問題の活動家以外の出身者にも配布され恐怖が広がったと記事にはありましたね。
 それ以外にも、確か九十年代に長野県で差別戒名をつける事件が発生していますし、五、六年前には三重県でも事件があったはずです。
 が、こんなのは氷山の一角で、調べればこの種の差別事件が日常茶飯事に起きていることや、教育により正しい知識を広めなければ予防することすら難しい状況である事は一目瞭然です。二、三年前だったと思いますが、確か、大阪の業者がエタ系図なるものを作って売りさばいていた事実が発覚し事件になったはずです。差別は西日本、東日本など地域間格差が大きいといわれていますが、まだまだなくならないし、実際に今もあらゆる形で残っているわけです。

投稿日時 - 2003-10-18 17:18:20

ANo.23

日本の部落差別問題なんて世界から見れば微々たるものだと思います。アメリカのユダヤ人問題なんてチョット批判的なことを言えば、職さえも失います。米国民は正当なユダヤ批判に対しても本心とは違う反応を示し、ユダヤ擁護に保身のため躍起になっています。また韓国や中国でも日本よりもっと酷い差別があると聞きます。
差別教育は私は必要無いと思います。ひとりひとりが自分の中でこの問題に行き逢った時に考えればいいと思います。そんなことより行政面や政治面での平等を考える時ではないでしょうか?私の近くにも部落があります。子供の頃そこは家の玄関にはドアや引き戸がなくむしろが吊ってあるだけの家ばかりでした。そのころは確かに日本全体が貧しかったが、部落は数段ひどかったです。だから保護や援助が必要だったとは思います。しかしいまや逆差別なっている状態で、新たな差別が生まれている土壌となってしまっています。
教育や生活で無関心でいることが長年続けば忘れられてなくなってしまうのではないでしょうか?

投稿日時 - 2003-10-18 11:43:39

ANo.22

そもそも、差別のために身分をつくった、というのは、歴史を正しくみていない。

織田信長以前の戦国部将は、農民に武器を持たせて戦争をしていた。したがって、武田・上杉という宿命のライバルも、雪がなくて、さらに農作業がない時期にしか戦争ができないので、何回も戦いながら、お互い決め手がなかった。

織田信長以後、「検地・刀狩」による分業制によって、農民はひたすら年貢を納め、兵隊は戦争に専念するようになった。

生産効率を上げるために分業制が生まれてきただけのこと。

「えた」身分は、動物の解体という特殊技能を持った人達の集団であり、食肉文化が宗教的に「日陰」であったがために、「卑しい」と見られる。
明治以後、堂々と牛肉を食べるようになってそんなことを問題にするほうがおかしい。

葬式で「清めの塩」をもらいます。
そもそも、人の死を「ケガレ」と思っているから、「清め」る必要がある。
その延長で死体を扱う人たちが「ケガレた人たち」という扱い。
(「さぐり箸」や「わたし箸」などが食事のタブーとされるのも、火葬場の「骨拾い」の連想から。)

「差別教育」が必要だという人たちが、葬式で「清めの塩」についてクレームをつけた話を聞いたことがない。同和行政を進めた元市長の葬式でも「塩」を配っていた。
こんなことは、誰の利害にも関わらないから誰も問題にしない。

こういう状態をみれば、「意識の問題」だという理由がうそだとわかります。

投稿日時 - 2003-10-17 21:41:46

ANo.21

いまの子どもの5代前の先祖、(江戸時代まで遡ろうと思えば)
2^5で、32人の先祖がいることになる。

そこまでいかなくても、3代前の8人の先祖、全員知っていますか?(私は2人しか知らない)

知らない人達の身分がどうだったか、を問題にしてどうする?

以前住んでいた関西の某都市の「同和」市営住宅の入居条件。「父親が同和住民であること」
32人の先祖のうち、「父方」だけを遡って、その身分を問題にしている。
「差別はいけない」といいながら、「男女差別」が基本になっている。

結局、「同和住民が住んでいるから同和地域」なのか、「同和地域に住んでいるから同和住民」なのか、定義がない。

「同和予算」というのがあって、「同和地域」がなくなって「同和住民」がいなくなると、「予算」の行き先がなくなって困る人達(関係業界、同和団体を筆頭に)がいるから、永久に「同和地域」が存在しなくてはいけない。

それ以上の理由はないんじゃないでしょうか。

投稿日時 - 2003-10-17 21:21:00

ANo.20

知らずに過ごす事と、知りながら乗り越えることでは、「天と地」ほどの違いがあるのではないでしょうか。

世間の目と、自分の目のどちらを信じるか、難しい時期だと思います、この頃の少年は、自分の目を過信する傾向の強いことが多いですから、少年を良く見て言葉を選ぶ必要があると思います、大変ですがご健闘をお祈りします。
以上、中学生の子を持つ親の偏見回答でした。

投稿日時 - 2003-10-17 20:35:27

ANo.19

追加です。あえて教育面からのみ言います。

「同和教育」はまず、エタ・ヒニンの話から始まります。しかし、彼らは「奴隷」ではなく、財産も所有していました。この身分差別は現代ではもちろんあってはなりません。ただ、世界史的に見ると、先進国の中では日本は身分差別・貧富の差は極めて少ないのです。搾取・豪遊イメージの平安貴族も実際はそうではありません。
あえて「同和教育」をするなら、この日本の誇れる歴史を子供たちに伝え、それをもっと良いものにするための教育をした方が、子供のためにはずっと良いと思います。特に、今の教育では、同和地区の子供が本当にかわいそうです。
同和問題だけではなく、「誇り」を持った人間を育てる教育をしてもらいたいものです。

投稿日時 - 2003-10-16 06:13:10

ANo.18

みなさんとは違う観点から言います。(あくまで一側面から見たものです)
個人的な意見としては「道徳」の時間は不必要です。ただ「同和教育」を必要とする者がいます。その者たちは、現在の人間が忘れかけている「部落差別」を知ってもらわないといけません(みなが忘れることが本当の解決だと思うのですが)。なぜかというと、同和が利権となってしまっているからです。それは、住宅、就職、軽犯罪、税金など個人にたいするあらゆる優遇(法律に決められているものや、表には見えない)もありますし、政治、教育、あらゆるところに潜んでいます。


異議を唱えると必ず「差別されたものの気持ちが分かるのか」と言われます。「差別者のレッテル」を貼り「糾弾会」言われる暴力があります。ある種の権力にほかなりません。
質問者の方、他の回答者の方、「こんなことがあるわけない」と思われるかもしれませんが、これが同和地区のある地域の実際なのです(ちなみに私は高知県出身です。関東にはあまりないらしいですね)。もちろん、一部の人間のすることでしょうが、こういう行動が「関わり合いになりたくない」といわれる所以であり、差別がなくならない原因の一因なのです。差別をなくしたくない人間には願ったりかなったりです。

つまり、教育面だけではこの問題を語れないし、逆に教育が利用されているという忌々しき事態になっています。
(あー、またこれに対する抗議がくるんだろうな…)

参考
http://member.nifty.ne.jp/ZENKAIREN/04-7.html
http://boboro.2.pro.tok2.com/bd00511.htm
別冊宝島「同和利権の真相」

投稿日時 - 2003-10-16 05:45:31

ANo.17

No.5です。
その少年の小学校の事情は知りませんが、
小学校の社会科でも、幕府とか身分制度などの授業で「農民や町人よりも低い身分を置き、他の身分と分断して支配しました」とか「河原やあれ地などの条件の悪いところに住まわされました」というようなことを教えています。
中学校で継続して歴史や公民で教えることになっています。しかし、教師の指導力や考え方生徒の姿勢あるいは地域によって、きちんとした認識を持たない生徒も出てくることはあります。

正しいことを教えられていない人が、あるとき親しい人から部落について間違ったことを教えられてその人も間違った認識を持ってしまうということがあります。そんなことが続いてきたのです。

投稿日時 - 2003-10-15 18:12:13

ANo.16

学校でやる教育は意味がないですね。
「ふーん」って思うだけです。(一時クラスで「渋染め一揆ごっこ」とか「部落」といった流行語が発生したりと、変な差別ブームが発生するだけでした)
それよりも何故差別が起こるのかとか、突っ込んだとこを教えないと駄目でしょう。私が受けた教育とは「差別はだめだ!とにかく駄目だ!絶対だ!」みたいな観念を押し付けるだけの教育とはとても呼べないものでした。多分今もほとんどがそんなんじゃないですか?反戦教育も同様です。
差別って色んなレベルがあるけど、あって然るべきだと思います。ただ今の裕福な世の中には必要ないってだけでしょう。もっと人間の本質を分からせないと何の解決にもならないでしょう。あの「教育」は意味がないどころか、安易な発想を助長させたり、教師を無駄に怒らせたりするだけです。
昔私もその中学生と同じ感想を持っていました。そういう人は確かに多かったです。でも正直どうでもいいんです。「自分の目には部落差別はみえないし、どうしろと?部落差別しろってことか?」みたいな。今では笑いのネタとして「部落」が使われています。
「あっ、この辺なんか部落っぽい!!」
そこで笑えるというのは、生半可な知識がみんなの部落のイメージを植えつけてしまったという事だと思います。それこそが偏見ですよね?
中学生には、差別が起こる原因を考えて欲しいです。弱さを知ることで強くなってもらいたいものです。

ちなみに部落には補助金がでるから、部落を無くしたくないが為にいつまでもダラダラとやっているという説もあります。

投稿日時 - 2003-10-15 16:11:15

ANo.15

地域柄、在日・部落差別に関しての教育は小学生の時からありました。20代後半です。実際、荒れている中学校はその地域でしたし、犯罪数や色々な問題も圧倒的に多いのもその地域です。また、朝鮮学校との諍いや部落解放運動を名目にした色々な利権争いなども実際に起こっている話です。こういう地域ですと、きちんとした教育がないと「タチが悪い=被差別地域」となりかねません。当たり前のことですが、「全員が悪い」のではなく「一部の人間」が悪いのです。

中国人が何かの犯罪が起こすと中国人留学生が全て悪いと言う風に捉えられてしまったり、イスラム原理主義の一部過激派が問題を起こすと、それに関わる全ての人が悪いと単純にとらわれてしまいがちです。そこで必要なのは、「正しく健全な知識」です。その上で善悪の判断をすることが必要なのだと思います。

差別があることを知ったから差別の目で見てしまうことを恐れるのではなく、実際に現存するわけですから、それを無くすにはどうしていったらいいのかを考えるのは、中学生は早すぎる年齢ではないと思います。(個人的に小学生はちょっときついかなと思いますが。)

「ついそんな目で見てしまうのはどうしてだろう?」と促すのが大人のできることではないですか?色々な差別を受けている人が匿名や顔を隠すのではなく、自分を公表するのは、「正しく知ってもらう」ことを目的とするからではないですか?「薬害エイズ訴訟」しかり、「ハンセン病訴訟」しかり。。。

投稿日時 - 2003-10-15 10:56:19

ANo.14

必要だと思います。士農工商「エタ」「非人」の、「エタ」「非人」がこの問題になっています。徳川の時代に作られた身分制度と称した差別です。400年以上続き、時代が昭和になってやっと解放された差別です。同和教育=部落差別と思われがちですが、学校教育の一環として、差別(色んな意味で)をしない教育をしているようです。歴史教育は、真実を伝えるべきだと思います。

投稿日時 - 2003-10-14 19:59:46

 私は必要と考えます。
 ネット上には、在日の人達や部落出身者を差別する愚劣・卑劣な情報や掲示板、投稿などが溢れています。
 また、罵倒語としてこれらの言葉が全く無関係な場面で使われているケースも目立ちます。
 使っている連中は、所詮、差別主義者で人間的に問題のある輩なのでまともに相手をするつもりはありませんが、問題は知識の無い人達や子供達がそれらの情報に接し、謝った知識を吸収してしまうケースです。
 現に、今、そうした状態がネット上でおきつつあります。少々違う問題ですが、北朝鮮問題をめぐって右傾化した人達がその種の情報に踊らされて朝鮮人差別発言を繰り返している事は、ここ教えてgooですら見受けられる現象です。
 差別はなくなっていません。それどころかより陰湿化し、拡散する傾向を見せています。ですので教育は必要ですし、なくなったとして教育を不必要とするのは幻想ではないかと思います。

投稿日時 - 2003-10-14 18:16:46

ANo.12

同和問題に対する教育は必要だと思います。

しかし小中学生の段階では、早すぎると私は考えています。

部落差別の根本は、日本人の『醜い』精神性の深くまで
掘り下げないと、本質は見えません。
ただ「差別はよくありませんね」と押し付けるだけでは、
ただの左翼イデオロギー教育でしかありません。

なぜ部落出身というだけで人を差別するのか。
このことを突き詰めて考えると、人間の醜い本性にまで
切り込むことになります。
こういうことを教育し考えさせるには、小中学生の段階では
荷が重過ぎると思うのです。

「部落差別についての勉強があった。僕はそんな事知らん
かったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事
もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしま
う。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが
良かった」

この発言は、否が応でも人間の醜い心を知ってしまったこと
に対する、拒絶反応ではないかと考えています。
若くて純粋な頃に知らなくてもいいことというのは、たくさん
あるのです。

成長して大人に近づけば、大なり小なりみんな穢れますから(笑)
せめて世の中に汚いこともたくさんあるということを自覚
してくる高校・大学の段階で教えてもいいのではないかと
考えています。

投稿日時 - 2003-10-14 13:23:16

ANo.11

不要だと思います。
部落なんて理解できるはずもなく、そういったものが差別されてきた、という認識なんでしょうね。
という、私も同じ教育を受けた22歳ですが、部落なんて、いまだにしりません。というか社会の講義かなんてで部落差別があったということしかしりません。
また、こういったことを言うと、”知らないなんてけしからん”と思われるかもしれませんが、知らなくても問題はありません。

また、たしかに部落差別を知ればそれをしないようにすることができるかもしれませんが、”現実に表舞台にない差別”なのですから、知らなくても良いと思います。

いうなら、麻薬はダメということによって、麻薬について知らない子供に、麻薬に対して興味を植え付けることとおなじですね。

一からすべてを偏見無しで語るなら講義は必要とは思いますが、一部の中途半端な知識を与え、当たりはずれの無いような内容が隠された講義をするなら不要と思います。

投稿日時 - 2003-10-14 12:31:47

ANo.10

そういう差別があるということが知ることが必要だと思います
そのうち人を傷つける事になります
お子さんが、大人になる頃には起こらないと信じていますけど

父の会社の話ですが一応会社の役員クラスです
そこにこの不景気のため多くの役員が東京からやってきたそうです
支店は大阪、その人達は東京の人です
その年、少人数ながら新人を入れたそうですが
その中の一人の親から支店長宛に手紙がきて
その内容が「部落のうちの子をとってくれてありがとうございます・・・」
との内容だったのですがそれを支店長が「できたお父さんだ、立派な手紙だ」
という理由で、回覧で回してしまったからさあ大変
うちの親父が気づいたときは、既に遅く役員はおろか
社員にまわってしまい大騒ぎ
その子は会社を辞めてしまい。支店長はその後、更迭
と言うことになったそうです。

知らないですむ問題でもなし、部落問題を軽視したことが原因
課長等途中で止まらなかった事も問題ですが
部落問題を知らない事(認識不足)が原因であり、知ってる人間もいるということ

東京は、部落に関してはあまり教育がされていないと言うことを
聞いたことあるし、部落問題については地域差があると考えた方が
いいかと思います

私達の年代では、特に私なんかは「あっそ」のレベルです(^^

投稿日時 - 2003-10-14 12:02:03

ANo.9

 こんにちは。
部落教育は必要です。
「知らなければ差別はしない」ということは、以前からある「寝た子を起こすな」という有名な議論です。
URLを紹介しますので読んでみてください。

部落を教育に取り入れれば差別が起こるというのは、臆病者の考え方です。我々はその先にある「差別を乗り越えた世界」を目指す必要があると考えます。勇気を持って差別を教えるべきです。差別に立ち向かう勇気を教育がやらなくて誰がやるのでしょうか?

もう一つ考えるべきは、子どもが部落差別を知らなかった場合のことです。将来何らかの理由で部落差別の事を知った子どもはどんな行動に出るでしょうか?
後になって知るほうが怖いとは思いませんか?
差別が広がると思いませんか?

これは日本だけの問題ではありません。
インドでは差別が広がらないようにガンジーやマザーテレサの事を教えませんか?
南アフリカではアパルトヘイトが広がらないようにネルソンマンデラのことを語りませんか?
「自由の国」を標榜するアメリカは公民権運動の指導者ルーサーキング牧師のことを教育に取り入れませんか?

インドも南アもアメリカも実はまだ差別があります。
でも差別と闘った人のことは忘れることはありません。

差別は将来「真の平等」を勝ち取るために語らなければならない問題です。我々は臆病者として部落差別を語ることをやめていいのでしょうか?

答えは簡単です。語るのです。
「新の病」同を勝ち取るために。

参考URL:http://www.apionet.or.jp/~seimi/1621.htm

投稿日時 - 2003-10-14 11:45:04

差別とは、差を付けて分ける。
悪い言葉に取られがちであるが、差別しなければならないこともある、また。自然に差がつくものもある。
戦後間々無い頃に、そうゆう部落が在りましたが今の世の中では在りませんので、安心して暮らせると思います。これも福岡の議員さんで在った松本英一さんの運動の成果だと思います。いまは、息子さんの龍さんが継いで運動をやられていると思います。そう由人達のおかげです。これからも頑張って下さい。何時も有り難うございます。

投稿日時 - 2003-10-14 10:52:53

ANo.7

僕も小さい時に在日韓国並びに朝鮮の方々がいらっしゃる話を聞いたり、部落問題が有ると知ってショックでした。

僕の住んでいた田舎は田舎でも多少町中でしたからそう言った差別が無かったので、実際に目にした事が無く、両親にそんな人達が居るのか?と聞いた所、多少差別的な見解が帰ってきて、自分の肉親にそんな心が有るのかと驚きました。

その後、自分なりに「差別とは?」などを考えるうちに、結局、差別は経験に基づく恨みで有ると思いました。その恨みを断ち切るには、正確な歴史を把握しつつ、その誤解を生じた原因をその人になすりつけるのでなく、時代背景として受け入れ、同じ過ちを繰り返さないようにしなければならないと思いました。

学校教育において、部落差別を取り上げるのは、実は少々不安が有ります。それは教育者個々の見解が安定していないからです。しかし、「臭い物に蓋」で、その事実から目を背けてばかりではいけないと思います。

僕も部落差別については、正直、正確な知識を持ち合わせていません。しかし、子どもが「知らなければ良かった。知ったらどうしてもそんな目で見てしまう。」と言ったならば、かなり怒るでしょう。「お前は自分の友達を『あいつとは付き合うな。』と、他人から言われたら付き合いを止めるのか?」と。(今は自分で情報を選別し考え行動する力が必要とされています。)

先にも述べたように、差別は断ち切らねば延々と続きます。実際に差別に直接手を貸していない我々の時代だからこそ下らない差別を無くせるのです。「僕らも努力する。でも、それにはとてつもない時間が掛かる。君たちが大人になっても未だそんな下らないものが残っていたら、断ち切って欲しいから、同じ時代を生きる君たちも知っておかねばならないのだ。」と言ってあげて下さい。(実際、僕らの子供の頃よりもかなり改善されてきています。)

ご参考になればと思います。

投稿日時 - 2003-10-14 10:44:30

ANo.6

ほかの方の意見と 同様になりますが,..

私のすむ地域も,広く言いますと そういう地域のようです.細かくは,知りませんが(差別するための材料をし入れる気はないですので,どこから,,,なんて,知る気もないです。)

私の親年代の人は,そういう話題を語らせると あることないこと、長いです.
そのほとんどが,伝聞の伝聞であったり,はなしのつじつまが合っていない、デマみたいなものであったり もします.最初に聞く情報が,客観的なものであるほど,のちに聞くものがデマかどうか わかりやすくなると思います.

最初に ゆがんだ情報から入るより,
ずっと、いいと思います.

誰しも 何がしかのコンプレックスを持っていて,それを,別の人を見下すことで ごまかしたい,という気持ちは,あるかもしれません.
でも、それをおもてに表すことで,どれほどの人が苦しむのか,は 若い子にほど,しっておいて欲しいです.これは部落差別に限ったことではないです.

ついそんな目で見てしまう,その気持ちを自分で克服するとか,折り合いをつけるとかって、すごく大事ではないでしょうか?
「差別を知る」ことと,「それを自分がするかどうかを決める」ことは,また別問題です.

例えば 話が大きくなってすみませんが同じことです,
日本人と言うだけで さげすまれた場合どうでしょう?
そういう人がいる,と知っていた場合の方が
ダメージは小さいです.
差別がある事実が,正しいと言ってるわけではありません.
知らなくて いきなり自分が差別されることもありえるんです。

(ちなみにですが、ウチのこは3才で外国にすみ,そういう 差別をするひとがいること、差別を「受けたことを覚えています」が,差別という ことば は しりません。いずれきちんと説明するつもりです.
日本でも,(なにも知らない子の方が残酷だな),という経験もあります.
質問に,見てわかる人を差別してはいけない,とありますが, ちなみに、うちのこは、外から見てわからないハンデがありますが,
バカ,と平気でいわれます.
産まれつきのものだ,なまけてそうなったのではない,のですが。
診断名を先に言ってしまうと逆に 怖がられたり,
差別されることもありますので 言わないこともあります.
理解してくれそうな人には いうこともあります.それで,知らないほうが良かった,,、といわれたことはまだないです.どういう形であれ,差別は存在しています.いやだ,知らないほうがよかったと言う人も,知らないが故にさべつしてしまっている可能性も、あります...)

自分自身に「差別することは おかしい」,という気持ちがあれば,
自分が差別を受けた時に 立てなおしやすいです

投稿日時 - 2003-10-14 10:06:55

ANo.5

「今の子どもたちは・・・・部落差別を言われても、はねのける事ができる」
とのことですが、その少年は「差別をなくそう」という授業を受けたのに、差別意識が出てきてしまっているのではないでしょうか。

中学校の社会科の授業では、部落差別、在日韓国・朝鮮人差別、アイヌ民族差別、障害者差別などの人権問題について学習します。
今日の社会がかかえる諸問題とそれらの解決について考えさせるとき、部落差別だけ除くというようなことは賛成しませんが。

その少年に対しては、「どうして差別の目で見てしまうの?」と問いかけながらよい方向に導くことが大切かと思います。

投稿日時 - 2003-10-14 09:33:21

お礼

回答ありがとうございます!う、私も書いてて矛盾がある事に気付きました。突っ込まれてしまいましたね・・・。
差別はいけないという教育を受けて、差別的な目をもってしまう、その矛盾も生まれる可能性はあると思うんです。彼は、差別だなんて事は否定する子だと思いますが、それだけに彼の言葉は苦しかったのです。否定したいのに、そんな目で見てしまう自分がいやだ、と。
塾としては教えてはいないですが、人生のほんのちょっとの先輩の人として、どういう対応をしてあげれば良かったのか、と悩みました。

投稿日時 - 2003-10-14 09:55:55

ANo.4

塾として教える必要性は疑問です。
ただし、いろいろな差別があること、と
正しい情報を知る必用はあると思います。
戦前の日本は一方的情報しかありませんでしたから、
あなたのおじいちゃん当たりの世代は知らないために
戦争になってしまいました。
今のイラクと同じです。

知らないければ良かったという気持ちはわかりますが、
知らなかったから良いという発想はあまり良く無いと思います。

塾で教えることには賛成できませんが、塾の種類がわかりませんので、なんとも言えない部分もあります。

投稿日時 - 2003-10-14 09:30:34

お礼

回答ありがとうございます。言葉足らずですいません。塾で教えているわけではないです。授業前後の休み時間の雑談タイム「来週から修学旅行!」「今日は運動会だった」などの会話のうちの一つでした。
>知らなかったから良いという発想
そうですね、これは良くないですね。極論すれば、人を殺すことは良くないとは知らなかったから、殺人してしまった、といういい訳になっちゃいますし。

投稿日時 - 2003-10-14 09:49:39

ANo.3

はじめまして。23歳会社員です。
部落差別を知ったのは中学生の頃、集会で見せられた映画です。後に大阪に住む大正生まれの祖父から「関西には多い、こことあそこと・・」といった感じで細かく知らされました。他には2歳年上の高知県出身の男の子が当時住んでいた下宿先のマンションの近くに部落があると教えてくれました。他には9歳年上の京都在住の男性が「あいつら敵にまわすとほんまにやばいで、ヤクザなみや」と聞きました。全て男性から聞きました。感想をいえば「あんまり聞きたくなかった」です。部落の人たちは部落を武器に利権を貪る人もいれば隠しながら生活してる人もいるでしょう。もしかしたら私が出会った人の中に部落の人がいたかもしれません。しかしそれはわかりません。「部落」を知識として知っていても必ずしも差別の目で見るとは限らないと思います。私は「差別」意識に対して無関心です。差別する人の気が知れないという意味です。

投稿日時 - 2003-10-14 09:29:22

お礼

アドバイスありがとうございます。関西出身です、私。なので部落っていう言葉は身近です。けれど、差別意識とは違います。たまたまそこが過去の歴史の中でそういう地域だった、ということ。今はその歴史なんかとは関係ないと思っています。だって、他の県から越して来た人が知らずにその地域に住みだす、そんなこともあるかもしれないじゃないですか?差別って根深いですね・・・。

投稿日時 - 2003-10-14 09:44:22

ANo.2

その中学生の疑問は、もっともだと思いますが、実は「知りたくなかった」と思えたこと自体、すでに学習した効果だと思います。

差別があることを知ることがなければ、もしかしたら自分がいつの間にか、たとえば障害者などを差別してしまうかもしれません。また、未だに部落の差別意識を持った大人などが「部落はなんとかだから近づいちゃ駄目だ」と誤った知識を埋め込んだら、それを信じるしかなくなってしまうでしょう。

今、その中学生は歴史の真実を知ってしまい、ショックを受けている状態だと思います。しかし、それこそが歴史という学習であり、僕らが歴史を繰り返さないために乗り越えなければならない真実なのだと思います。
歴史という学習は、私も学生時代はよく「何で過去のことなんて勉強するんだ」とか「原爆の被害の写真なんか見せるなんてむごい」とか思ったこともありましたが、歴史ってきっとそう言うことなんだと思うと、逆に歴史がすごく面白くなってきました。

ご参考程度にどうぞ。

投稿日時 - 2003-10-14 09:25:51

お礼

アドバイスありがとうございます!発想の転換ですね。そう考えればちょっと納得出来ます。
でも、「差別」という一般的な教え方だけではいけないのでしょうか・・・。知る事により否定も出来る、知らなければ否定は出来ない、知ってしまった子は今感情を作りかえる過程の時期にいるんでしょうね。

投稿日時 - 2003-10-14 09:36:29

ANo.1

回答ではないのですがよろしいでしょうか。
質問者さんは塾の先生ですね。ご質問の前提である、「部落差別教育は必要なのか」ですが、その教育をさせようとしているのは、どこの誰でしょうか。文部科学省ですか。それとも塾の経営者でしょうか。
私は戦後の教育を受けた人間ですが、学校教育で部落問題を教わった記憶がありません。現在大学生になる娘とて同じです。
「部落差別教育」をさせようとしているのは、質問者さんの塾の方針のような気がするのですが、補足をお願いします。
なお、近年になって学校教育の指針が改訂されているようでしたら、その旨お知らせ下さい。

投稿日時 - 2003-10-14 09:17:22

補足

補足致します。私の塾ではなく、「学校で」習ってきたのです。学校で習った事を、彼の心の中で消化しきれなかったので、私に聞いてきたのです。塾ではそのような問題まで踏み入れることなく、教科のみ教えています。
また、私も20代の若輩ものですが小中学校の「道徳」の授業で部落問題は扱ったような気がします。

投稿日時 - 2003-10-14 09:21:51

あなたにオススメの質問